閑話Ⅸ 緑髪の悪魔/中編
「――こちらです」
二階フロアに着くと、自称セリエンティアはフロア隅にある重厚な鉄製の扉を開け放って、タニアとセレナをその中に招き入れる。
タニアは迷わず、セレナは怪訝そうな表情で、その部屋に入った。
室内には、テーブルを挟んで向かい合う形で四人掛けのソファが置かれており、足元一面に絨毯が敷かれているだけで、それ以外には何もない殺風景な部屋だった。
タニアとセレナは、間に一人分の空きを作った状態でソファに座る。自称セリエンティアは入り口に鍵を掛けてから、そんな二人の正面に陣取った。
「で、別室に移動したのは、どうしてにゃ?」
「――【鑑定の魔眼】ですか? なるほど、なるほど。【大災害】タニアは、あの悪名高い『先祖返りの暴れ姫』でしたか――ラタトニア王国長女でありながら、数々の問題を引き起こしたせいで、今や絶縁されて、捨てられた元皇女」
「……それが、にゃんにゃ?」
タニアは質問に殺意と苛立ちを篭めた。室内の空気は徐々に張り詰め出す。すると、少し離れて隣に座るセレナが呆れたような溜息を漏らした。
「タニア、貴女の言う通り、私の本当の名は、エーデルフェルト・ラ・クロラ。四色の聖騎士が一、赤色を冠する者です。ドラグネスでは将軍の地位を戴いておりましたが、とある事情により、失脚いたしました。おかげさまで今や、貴女と同じく祖国に捨てられた身です」
エーデルフェルトはサラリと重大発言を交えつつ、嫌味混じりの自己紹介をした。それを聞いて、タニアは、にゃに、と眉根を寄せる。
「ちなみに、私の正体が、エーデルフェルトであることを知っているのは、貴女たちを除けば、このベクラルには四人しか居りません。受付にいる直属の部下『イリス』と、【青の聖騎士】である『アジェンダ』。ベクラル公主『セリエンティア・ベクラル』と、その弟『ディムロン・ベクラル』です。それ以外の誰かに、正体が知られるわけにはいかないので、こうして場所を変えさせて頂きました」
「にゃるほどにゃ――で、だからにゃんにゃ? あちしたちは、別にお前の身の上話にゃんか興味にゃいにゃ。サッサと緊急依頼の詳細を教えて、受注させるにゃ」
結局何が言いたいのか分からない回りくどいエーデルフェルトの言葉をぶった切って、タニアは、ドン、とテーブルに拳を叩きつけた。
鋼鉄製のテーブルには、一撃で拳の跡が穿たれた。
そんなテーブルを見て、馬鹿力ね、とセレナがボソリと呟いていた。
「焦らないで下さい。説明いたします――事情の全てをお教えいたします」
エーデルフェルトはもったいぶった口調で前置きしてから、テーブルの上に今回の緊急依頼の依頼書を置いた。
ちなみに、これに契約をすれば、依頼は受注完了である。
タニアは話し出そうとするエーデルフェルトなどお構いなく、その依頼書を奪うと、速読で文面を読み込んだ。依頼書の記載には、タニアたちが一方的に不利になるような記載はなく、問題点や落とし穴のような記述も見当たらない。
成功報酬は、テオゴニア金紙幣百枚を、成功時に生き残っていた契約者全員で均等に分配する。
成功条件は、西坑道に出現した異空間に巣食う魔貴族【暴食鬼】を討伐して、異空間を閉じること。
「まず、今回の発端ですが、帝国の異端派所属の時空魔術師が絡んでいます――」
エーデルフェルトが何やら込み入った話をグダグダと語り始める。だが、そんな裏事情に興味などないタニアは、早速テーブルに用意されていた筆を手にとって、素早く依頼書の自署欄にリーダー代理の署名を行う。次いで親指の腹を少しだけ爪で切り裂いて、自署欄に血判を押印する。
これで万事問題なく契約は締結、緊急依頼の受注が成立した。
そんなタニアの手慣れた手続きを眺めながら、エーデルフェルトは呆れた様子で話を続ける。
「――私は【世界蛇】の陰謀に巻き込まれて、情けなくも牙を折られました。【世界蛇】は既に、ドラグネス中枢――異端派だけではなく、正統派も掌握しており、大勢は覆りようがない状況です。もはや正統後継者であるセリエンティア様では、旗印にさえ、なりえなくなりました。しかしながら、私はドラグネスから逃亡する際に、王国が所持する【王剣ロードドラグネス】を奪うことに成功――」
「――ニャゴニャゴと、いちいちうるさいにゃ。あちしたち、もう依頼は受注したから、お前の身の上話に用はにゃいにゃ。忙しいにゃ。セレナ、サッサと魔貴族を片付けに行くにゃ」
タニアはエーデルフェルトの話を最後まで聞かずに立ち上がる。正直なところ、エーデルフェルトの事情もそうだが、今後向かう予定さえない【竜騎士帝国ドラグネス】の内情など、少なくとも今は知る必要がなかった。
一方でセレナは、割と真剣な表情でエーデルフェルトの話を聞いており、途中で遮られたことに若干ムッとしていた。とはいえ、タニアの意見が正論なので、仕方ないか、と釣られて腰を上げる。
「はぁ……まぁ、確かに私の細かい事情は、この際置いておきましょう。もはや契約は成されました。私の目的は果たしたわけですが、不親切かと思うので、一つだけお伝えしておきます。今回の依頼――魔貴族を討伐するだけでは達成できませんので、悪しからず」
エーデルフェルトの言葉は、タニアたちを引き止めるものではない。だが、妙に後ろ髪を引かれる物言いである。
タニアは入り口の扉を開けようとしてピタリと止まり、エーデルフェルトに振り返る。
「それはどういう意味にゃ? 依頼内容は『西坑道に出現した異空間に巣食う魔貴族【暴食鬼】を討伐して、異空間を閉じる』ことにゃ」
「ええ、その通りです。魔貴族を討伐して、異空間を閉じる、ことです」
「んにゃ?」
何か含んだ言い方をして、エーデルフェルトはフッと嘲笑した。タニアはその真意が見抜けず、不愉快そうに睨み付ける。しかしすぐさま興味を失って、まあいいにゃ、と追及を止めた。
「……ねぇ、もしかして……魔貴族が巣食う異空間って――」
「――んにゃこと、どーでもいいにゃ。セレナ、あちしたちは急いでるにゃ? にゃら、ともかく今は、サッサと魔貴族を討伐するにゃ」
「あ、え、ええ。まぁ、そうなんだけど……ま、いっか。そうね、今の優先事項は魔貴族討伐ね」
セレナがエーデルフェルトの言い様に噛み付こうとしたので、タニアは強引に腕を引っ張って別室を後にした。これ以上、ここで時間を浪費しても無駄である。
何より依頼書には、開始時刻を過ぎて集合出来なかった場合には、参加資格剥奪と記載があった。チラと時計を見れば、もうあと数分で集合時刻になってしまう。ちなみに集合場所は、ギルド一階のフロントである。
あのソワソワしていた連中は、にゃるほど全員参加者か、とタニアは一人納得した。
「――――御健闘を祈念いたします」
バタンと閉じた扉から、そんな送り出しの言葉が聞こえてきたが、特に返事もせずにタニアは階段を急ぎ足で下りていった。
「ところでにゃ。セレナは結局、そんにゃタキシードで挑むにゃか?」
「んなわけないでしょ? 着替えてから挑むわよ――それくらいの時間はあるでしょ?」
「どうかにゃあ? 今すぐ、この場で着替えた方が無難じゃにゃいかにゃあ?」
「――は? それじゃあ、ただの変態じゃない!」
タニアはそんな下らない小競り合いをしながら、フロントで辺りをキョロキョロと見渡す。
集まった人数はおよそ四十人程度。そのうち、少しでも使えそうな実力者を探してみるが、ほとんどいなかった。というよりも、ふくれっ面のアジェンダも含めて、ランクA以上の実力を持っている者自体が、この中でも三、四人前後だろう。
(……こんにゃ有象無象じゃ、盾にもにゃらにゃそうにゃ)
溜息混じりにそんな感想を思ったとき、ちょうど緊急依頼の開始時刻を告げる柱時計の音が響き渡った。
「――時間になりました。それでは今この時点で、この場に居られる方のみ、今回の緊急依頼参加者となります」
柱時計の音が鳴り止んだかと思うと、よく通る澄んだ声で、お嬢様風の受付嬢イリスが宣言する。
同時に、ガチムチの巨漢が受付奥から現れて、フロアに集まっている全員に赤い布を手渡す。
セレナはその布を不思議そうに、タニアは奪うようにして、受け取った。
「只今配りました布が、参加者の証となります。別途、緊急依頼の契約書を結んでいるかと思いますが、依頼の報酬は、その布と引換になりますので、くれぐれも無くさぬようお願いいたします」
タニアはそんな説明を聞く前に、受け取った赤い布を右腕に巻き付ける。他の冒険者たちも、皆一様に腕や手首、首などに巻き付けていた。
セレナはタニアや他の冒険者たちの行動を見てから、見様見真似に腕に巻き付けた。
「ねぇ、タニア。さっき依頼書で契約したのに、なんでこんな原始的なことをするの?」
「緊急依頼は、誰でも受注者出来るからにゃ。受注して参加しにゃいヤツが時折居るにゃ。不参加にゃのに、依頼達成時に報酬を貰うにゃんて駄目にゃ?」
「ああ、そういう……え、でも結局、これを受け取ってから、参加しなければ――」
セレナが疑問符を浮かべた時、その回答とも言うべき説明がイリスから発表された。
「今お渡しした布には、特殊な魔術が施されており、今回挑んで頂く異空間の鍵となっております。ちなみに、異空間には一度入ったら、二度入ることはできません。故に、戻ってくる際は、魔貴族討伐成功時か、依頼を諦めた時だけとなります。勿論、報酬と引き換えになるのは、鍵として使用して青くなった布です。万が一、不正があった場合には、依頼書に記載させて頂いていた通り、冒険者資格剥奪となります」
タニアはイリスの台詞が終わったタイミングで、セレナに向き直り、こういうことにゃ、と頷いた。
「――なるほどね。挑戦出来るのが一回だけだから、みんなあんなに緊張してたのかぁ」
セレナが納得した風に周囲を見渡して、タニアはそれに強く頷く。
基本的に、緊急依頼は一度失敗したら二度目はない――と言うよりも、より正確に言えば、緊急依頼が発布された時点で、状況としてはもはや次がないのだ。緊急とある通り、緊急依頼はすなわち、のっぴきならない緊急事態を知らせるものであり、ギルドが手出しできる最後のチャンスでもある。
これが依頼失敗に終わってしまった場合、以降はギルドの管轄から外れて、災厄級案件――別名、英雄案件となり、認定された一部の英雄以外、誰も手出しできなくなる。
ちなみに、英雄案件となってしまった緊急依頼で有名なものと言えば、二年ほど前に発生した『世界蛇の役』だろう。緊急依頼で発布された【世界蛇】の首魁討伐が失敗して、結果、聖王国テラ・セケル領の街が三つほど地図上から消滅。その上に、封印されていた古の魔王属が復活してしまった大事件である。
あの時は、魔王が生まれたときと同じくらいテオゴニア大陸全土が震撼して、恐怖のどん底に陥った。
まあ、そんな大災厄は結局のところ、三英雄の力を借りた勇敢な異世界人たち――【救国の五人】が、魔王属討伐と、世界蛇の首魁討伐を果たした。
「それでは、今から皆様を異空間に飛ばします。床に刻まれた魔法陣に乗って下さい」
イリスがギルド内の全員に聞こえるようにそう告げると、参加者一同は足元を注意して、魔法陣から外れないよう位置を確認する。
一方で、その宣言を耳にしたセレナは、途端に慌てふためいた様子でタニアと足元を交互に見る。
「……え? まさか、これ……転移魔法陣? ちょ――今すぐ!? このまま行くの?」
「そりゃあそうにゃ――ま、あちしも、この場で転移されるとは思わにゃかったけどにゃ」
タニアは慌てるセレナに淡々と伝える。ちょうどその瞬間、足元の魔法陣に光が満ちた。
そして次の瞬間、その場にいた冒険者およそ四十名は、全員ギルド内から別の場所に転移された。
「…………どこよ、ここ? 異空間?」
セレナがそう呟くと、周囲の冒険者たちも口々に疑問を口にし始める。
タニアたちが転移されたこの場所は、背後に深い森の中のある切り立った崖端だった。見上げた空は雲一つない蒼天であり、吹き抜ける風は清涼な空気を運んでいた。
魔貴族【暴食鬼】が巣食う異空間にしては、非常に清浄な環境である。タニアを含む冒険者全員は、もっと殺伐とした荒涼な異空間を想像していたので、そのギャップに戸惑っていた。
「――あの古城が、グールの棲家にゃ?」
皆が戸惑っている中、タニアは崖下に広がる光景を見渡しながら、全員に聞こえるように発言する。
周囲を警戒する者、怪訝な表情で首を傾げる者、セレナのように疑問を口にする者、それら全員がタニアの言葉を耳にして、一斉に崖下に目を向ける。
視線の先、崖下に広がる深い森には、遠目から見ても分かるほど巨大な古びた城が建っていた。
その古城は、四方を背の高い石造りの堅牢な外壁に囲まれており、ベクラルの街一つスッポリ収まるくらいの巨大さだった。また蒼天の下にあって、古城の周辺だけが昏い靄に包まれており、そこだけが明らかに異質な雰囲気を醸している。
古城を目にした冒険者たちの中で、比較的危機察知能力が高い者たちは、そのおどろおどろしい空気に中てられたか、無意識に身体を震わせ始めた。
古城の中に居るであろう魔貴族の瘴気を感じて、戦意を奪われてしまったようだ。
(……こんにゃに離れていて、この圧力……にゃるほどにゃぁ。間違いにゃいにゃく、上位種の魔貴族にゃ)
タニアは日和っている冒険者たちを横目に、ジッと古城に目を凝らす。意識を集中させたその途端、ビリビリと痺れるような負の魔力圧がぶつけられた。
敵の懐に入っているので余計にそう感じるのだが、この圧力は恐らく紫竜にも匹敵するだろう。
それでなくとも、これほど広大な異空間を根城にしている魔貴族であれば、間違いなく年数を経て力を蓄えた強者に違いない。油断する気はないが、手加減して勝てる相手ではなさそうだ。
「――無事に転移が出来た皆様。状況をお伝えします」
誰もが、この後の行動をどうするか考え始めたとき、突如、参加資格の赤い布が光り出して、中空に大きな正四角形の画面が現れた。
そこに映っているのは、先ほどまで居たギルドのカウンター付近であり、受付嬢イリスの姿だった。
イリスは、どこを見ているのかよく分からない視線で、淡々と説明を始める。
「今、皆様が居る場所は、西坑道に出現した異空間の中です。広大な森と、巨大な城があると思います。広大な森には、多数の【ゾンビ】が徘徊しておりますので、注意して進んで下さい。そして、お分かりと思いますが、巨大な城こそが【暴食鬼】の根城となります。巨大ではありますが、内部は単純のようで、入ってすぐに【暴食鬼】との戦闘になると思われます。重々注意して下さい。さて、注意事項は以上となります。なお、この異空間ですが――入ることは出来ても、出ることは叶いません。と言うのも、術者が許可をしない限り、内側から外側に出ることが出来ない構造となっているようです。ご武運をお祈りいたします」
イリスは一方的にそれだけ告げて、もはや言うことはないとばかりに、プツリと画面を消失させる。
同時に、赤い布が魔力糸に分解されて、青色に変わった。青色の魔力糸は、巻き付けていた肌に吸い込まれるように張り付いて、刺青みたいに焼き付いた。痛みはなく、重さも感じない。強い魔力で掻き消せる魔力塗料のようだ。
タニアは肌に張り付いた青い布を見て、満足げに頷く。これで後は、グールを退治して異空間を閉じるだけである。
「おい、今アイツ何て言った? 出られない?」
「……ヤバイって、これ死ねって言われてるのと変わらないだろ?」
一方で、イリスの発言により、一部の冒険者たちが騒ぎ出した。騒いでいる彼らは、軽い気持ちで参加した冒険者たちだろう。緊急依頼が、どんなものか理解していない記念参加に違いない。
彼らは成功か死かの二択を宣言されて、恐怖に顔を歪めている。
タニアはそんな馬鹿たちを一瞥して、傍らで周囲をキョロキョロと見渡しているセレナの肩を叩いた。
「にゃにを探してるにゃ? 目的地は、あの城にゃ。サッサと突貫するにゃ」
「……ねぇ、タニア。その前に、着替えさせてくれない? まさか突然、異空間に飛ばされるとは思わなかったから……」
「だから言ったにゃ? ギルドでサッサと着替えておけば――」
「――人前で着替えるのに抵抗がないのは、痴女か娼婦でしょ。馬鹿なの?」
タニアの軽口に半ば本気で反論してから、セレナは深い森の中に足を向けた。着替えるため、肌を隠せる場所を探しているようだ。
仕方ない、とタニアは肩を竦めて、セレナの後を渋々と付いて行こうとした。
そのとき、全員に聞こえるような大声で、アジェンダが声を張り上げた。
「やる気のない奴は、ここで待機してろ!! 敵は魔貴族――しかもその中でも、上位種に数えられる鬼種の【暴食鬼】だっ!! 性別問わず、人と見たら喰いかかって来る化物だ。そして、人を喰えば喰うほど、喰った人間の魔力と生命力を奪い、体力を回復させやがる厄介な存在だ」
アジェンダの叫びに、タニアとセレナ以外は、ハッとした表情を浮かべる。
今更何を言っているのか、とタニアは首を傾げた。
「だから、しっかりと連携して攻めないと、俺らはただの餌にしかならねぇ――だが安心しろ。ここには俺らランクAパーティ『アジェンダの夜明け団』と、同じくランクAパーティのスーパールーキー『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』が居る!! 皆、俺らに協力してくれっ!! そうすれば、魔貴族の一匹なんざ敵じゃネェ!!」
森の奥に行こうとするセレナとタニアの行く手を阻むように、アジェンダの仲間たちが立ちはだかる。それと同時に、背後ではアジェンダがそんな勝手な宣言をした。
途端にその場の空気は熱気を帯びて、勝ち鬨じみた喧騒に包まれた。
「――はぁ? 何、勝手なこと言ってるの?」
セレナが苛立ちの表情でアジェンダに向き直る。それを了解の意思とでも取ったかのように、アジェンダは会心の笑みで頷いて、大剣を古城に向けて突きつけた。
「まずは全員で、あの古城の正門まで向かうぞ! 団体行動すれば、道中の【ゾンビ】なんざ、前哨戦にもならねぇ」
「「「おおぉ!!」」」
アジェンダの宣言に、タニアとセレナを除く冒険者全員が呼応する。士気は上々、しかしそれと相反して、セレナの機嫌は駄々下がりしている。
団体行動を宣言されたせいで、着替える暇が奪われたのだから、当然腹が立つだろう。セレナの顔がどんどんとしかめっ面になっていく。
タニアはセレナが不機嫌になるのを眺めながら、それでもあえて、アジェンダたちとの団体行動に従うことに決めた。
正直、足手纏いたちと団体行動を取っても無駄だろう。けれど、足手纏いは足手纏いなりに、捨て駒の役割を果たして、暴食鬼の能力を一つでも暴いてくれれば御の字である。何より団体行動であれば、邪魔な冒険者たちをまとめて一掃できる。
タニアの本音としては、足手纏いたちは全員、サッサと死滅して欲しいと思っていた。
「ちょっと、あたしたちは別にアンタたちと一緒に行動は――」
「――セレナ。ここは皆の好意に甘えるにゃ。盾にしかにゃらにゃいんだから、先導役くらいはしてもらうにゃ」
タニアの半笑いの顔を睨みつけながら、セレナは反論する。
「は!? 何を言ってるのよ、タニア。好意も何も……ここの連中じゃ、魔貴族に対して盾にもならないでしょ? というか、こんなゾロゾロと大人数で行動する利点がないじゃないっ!」
「にゃいけども、勝手にゃ行動で、あちしたちの足を引っ張る可能性はあるにゃ。それにゃら、まとめて挑ませるとこまで、監視した方が安全にゃ。使えにゃい奴らは、そこでまとめて死ぬにゃ」
「……あえて、餌にする、ってこと?」
怒り心頭だったセレナは、けれどタニアの言葉でその意図を察して、今度は不愉快そうな表情で囁くように問い掛ける。それに対してタニアは、会心の笑みで頷いた。
「餌は、後で与えるよりも、先に与えた方が得にゃ。そもそも、戦力ににゃらにゃい奴らは、一網打尽にされた方が良いにゃ」
アジェンダの仲間たちが居る前で、タニアは微塵も隠さず堂々と本音を口にした。その本音を耳にして、流石にカチンと来たようで、長髪美形の剣士がタニアに長剣の切っ先を向ける。
「――アンタらが、どれだけ強いかは知らない。だが、今の言葉は俺らをあんまりにも甘く見過ぎてるんじゃないか!? 俺らは全員、数々の死地を乗り切ってきたランクA冒険者――ぐあぁあっ!?」
「あちしに剣を向けたってことは、死にたいってことにゃ?」
長剣の切っ先が鼻先に向けられた瞬間、タニアは流れるような動作で、長髪美形剣士の懐に潜り込み、剣を握る右手を握り潰して、無造作にそのまま引き千切った。バキン、と銀の腕具が破壊されて、その右腕は肘部分から分離する。
セレナが呆れた表情を向けてくるが、仲間でもない相手から剣を向けられたのだから、当然の正当防衛だとタニアは思っている。
「がぁ……ぐぅぅうぉ……ぁ」
「うるさいにゃぁ、口も閉じるかにゃ?」
「あ……ぁ……っぅぐぁ……」
タニアはその細腕で、長髪美形剣士の顔を掴み上げた。
甲冑の重さも加味すれば、軽く80キロは超えるだろう美形剣士の身体が、軽々と地面から持ち上がる。
「タニア……それ以上は、さすがに止めなさいよ。殺すのは構わないけどさ、血の臭いで【ゾンビ】が寄って来るわよ?」
「それもそうにゃ――んじゃ、これ癒しておいてくれにゃ」
セレナの制止の言葉に、タニアは素直に頷いた。
ブン、と長髪美形剣士を近くの大樹目掛けて放り投げると、自らでもぎ取った泥だらけの右腕をセレナに渡す。
セレナは嫌そうな顔をしつつも、文句は言わず溜息だけ吐いて、気絶した長髪美形剣士に近付いた。
「魔力の無駄遣いよ、まったく――『癒しの風よ。彼の者に活力を与えよ』」
セレナが素早く簡略詠唱で上級治癒魔術を施すと、千切れた右腕が切断部分と癒着して、逆再生のように見る見るうちに元に戻る。さりげなく握り潰された右拳も元に戻っていた。なかなか優秀な仕事ぶりである。
ちなみに本来であれば、千切れた腕を癒すことは聖級の範疇なのだが、セレナはそれをさも当然のように上級の治癒魔術で成功させていた。ほんの少しの期間で、だいぶ腕を上げたようだ。
「凄い……有り得ない……」
「限りなく聖級に近い、上級治癒……しかも妖精族って、神姫の関係者か?」
セレナのその治癒魔術を目にして、長髪美形剣士とタニアとのやり取りを眺めていた冒険者たちはざわめき出した。
そんな空気にうんざりしながら、セレナは癒し終わった長髪美形剣士の顔面を思い切り蹴飛ばした。気付けのつもりだろうが、端から見ると八つ当たりにしか見えない。
がぁ、と呻く声を出して、長髪美形剣士は目を覚ました。そして繋がっている自身の右手を認識すると、何が起きたか分からず混乱した表情を浮かべていた。
「はぁ……もう分かったから、サッサと行きましょ」
セレナは注目の的になっていることに耐え切れず、タニアに振り返って、着替えるのを諦めた様子で肩を竦めた。
タニアもそれに頷いて、リーダーシップを取っているアジェンダに目で合図を送る。アジェンダはタニアの目線でハッとして、ああ、とすぐさま気持ちを切り替えていた。
「よし、じゃあ、俺とアールボール、エルボウは先頭だ。中衛には――」
アジェンダは、長髪美形剣士と、もう一人の短い金髪をした盾持ちに指示を出して、冒険者たちの先導役とばかりに森へと踏み出した。
的確に陣形を指示しながら、他の冒険者たちを引き連れて、ぞろぞろと大所帯で森の中を突き進む。タニアとセレナは、そんな一行の殿をゆっくりと歩いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
およそ二時間の行軍の末、アジェンダを筆頭とした一団は、ようやくその巨大な古城の正門、見上げるほどに高い城壁の前まで辿り着いていた。
ここに至るまでに、三分の一の冒険者が【ゾンビ】や【死肉獣】など魔族の襲撃で死んでおり、半数の冒険者が満身創痍になっていた。
まあ、そこにセレナやタニアは含まれていないので、問題はまったくないが――
「というか……そもそも、あたしたち二人で行動してたら、三十分も掛からない距離よね……なんでこんなに時間掛かったのよ、まったく」
セレナはそんな独り言を呟きながら、巨大な正門を見上げて大木に身体を預ける。正門前で円陣を組んでいるアジェンダたちに視線を向けると、彼らは神妙な顔で作戦会議を行っている。
「……ねぇ、ところでタニア……ここ、どう入るのよ?」
セレナは真上を見上げて問い掛けた。そこには、まるで猫のように大木の枝に登って古城内を覗き込もうとしているタニアがいた。
タニアはセレナの声には答えず、にゃにゃにゃ、と何やらブツブツ呟いていた。
「はぁ……今なら、着替えられるかな?」
周囲を眺めて、とりあえずすぐに移動はしないことを確認すると、セレナはしみじみと呟いた。
結局、セレナはこの団体行動のおかげで、着替えるタイミングを失ってしまい、いまだにタキシード姿という場違いな格好のままだった。
行軍中、いまが着替えるチャンスと考えると、だいたい【ゾンビ】や【死肉獣】などの魔族の群れが襲い掛かってくるのだ。あまりにも不運である。
とはいえ、【ゾンビ】や【死肉獣】などは、腐乱死体が魔族化した下級の魔族である。ランクBに分類されているが、タニアの手に掛かれば、有象無象の雑魚に他ならない。つまり、タニアがしっかりとセレナを護ってくれれば、着替える時間くらいは余裕で稼げるのだ。
だというのに、何故かタニアは意地悪にも、セレナの着替えに少しも協力してはくれなかった。
「――事前の情報では、この古城内は外観と違って、内部は玉座しか存在しないらしい。つまり城内に入れさえすれば、そこが魔貴族の暴食鬼が巣食う玉座だ。だが、城内に入る為にはこの城壁を突破しなければならない」
アジェンダが真剣な顔で、城壁と閉じられた正門を交互に眺めている。セレナは一応、アジェンダたちの作戦内容に聞き耳を立てながら、はぁ、と疲れたように溜息を漏らす。
どれだけ綿密に話し合ったところで、肝心の魔貴族を前にしなければ、どんな作戦も机上の空論にしかならないだろうに――とは、思っても口にはしない。
実際、紫竜のような魔貴族と対面したセレナの経験から言わせて貰えば、魔貴族に常識は通じない。だからこそ【天災】と恐れられるのだ。
「……ま、あたしがそれを教えることはないけど、ね」
セレナは腕を組んで木にもたれ掛かったまま座り込んだ。
サッサと正門を突破して、魔貴族を引き出して欲しい。それが無理ならば、早々に全滅して欲しい、とセレナはアジェンダたちを見ながら願っていた。
古城から漂ってくる禍々しい魔力は、どう贔屓目に見てもセレナでは勝てないレベルの魔族である。
けれど一方で、紫竜ほどの威圧はなく、タニアならば確実に勝てると確信できる程度でもある。だからこそ、より勝率を上げる為にも、敵の正体を見破って欲しかった。
「にゃるほどにゃぁ……この正門、ちょっと厄介にゃ結界魔術が施されてるにゃ」
ふと、タニアが音もなく木から飛び降りてきた。セレナの真横に着地すると、厄介にゃ、としきりに呟いてくる。
「…………何が厄介なの?」
セレナは、聞いて欲しそうにしているタニアの期待通りに、質問を投げる。すると、タニアは待ってましたとばかりに頷いた。
「恐らくにゃが、特殊にゃ認証結界が張られてるにゃ。特定の条件を満たす者以外の侵入は拒絶されるにゃ。しかも破ろうにも、あちしの力押しじゃ、結界が崩壊した際に空間が捻じれちゃって、きっと無限回廊ににゃるにゃ。これ、術者が魔貴族だとは、とても思えにゃい精度の結界にゃ」
「認証結界ねぇ――その特定条件って、何よ?」
「多分にゃけど、魔族が条件にゃ」
「魔族、か。なるほど、確かにそれなら、グールは素通りできるわね。けどそしたら、内側から開くまでお手上げじゃない?」
「にゃにゃ……開くのを待つのも手にゃ。まぁ、誘き寄せて開けさせるとかの方法もあるにゃ――けど、それじゃいつまでも動けにゃいにゃ。だからこそ、セレナの出番にゃ」
タニアはにこやかに言いながら、セレナの肩を叩いた。
「は? どういうこと?」
「セレナ、まだ処女にゃ。つまり受肉した半人半魔じゃにゃくて、肉の器を持たにゃい魔力生命体にゃ?」
「……ええ、そうだけど?」
タニアの確認に、セレナは怪訝な表情を浮かべつつも思考を巡らせる。その確認のどこにセレナの出番が絡むのだろうか。
「にゃら、セレナだけは条件を満たせると思うにゃ。魔族って特定条件にゃら、妖精族は限りなく魔族に近い種族にゃ。きっと激痛程度で、突破できるにゃ」
「ちょ、ちょっと待って!? え? 突破できる出来ないはこの際、置いとくとしても――なに? あたし独りで、グールに立ち向かえっての?」
「そうは言ってにゃいにゃ。この結界、外側から壊すのは骨にゃけど、内側から壊す分には楽にゃ。にゃので、正門から内側に入って、結界の核を壊すにゃ。そうすれば、あちしたちも雪崩れ込むにゃ」
タニアはあっけらかんとした口調で言うが、それは言うほど簡単に実行できない話である。
魔貴族が待機しているであろう戦地に、セレナ単独で侵入して、挙句に、結界魔術を解除しろというのだから、それは酷い無茶振りだった。
セレナが単独でも魔貴族と互角に戦えるならば話は別だが、それほどの実力はない。自らを過大評価したとしても、そこまで自惚れることは出来ない。
確かに、煌夜、ヤンフィ、タニアたちと旅をして、その濃密な経験からだいぶ強くなった自覚はあったが、それでも魔貴族相手には荷が重過ぎる。
「あのさ……簡単に言うけど、それ、間違いなく無理よ。結界魔術の核を探すのも、解除するのも、相応に集中が要るわ。けど、そんな余裕を確保できるほど、グールは甘くないでしょ?」
「大丈夫にゃ! 敵は、暴食鬼にゃ。グールの特性は、肉を喰らうことにゃ――セレナは、魔力の塊にゃ? ほら、大丈夫にゃ?」
「どこが大丈夫よっ!! グールの特性は、欲望に忠実なことでしょ!? 女性体を見たら、性欲が先行するに決まってるわ! 速攻で狙われて、殺されて、犯されるわよ!?」
タニアの考えなしの無茶振りに、セレナは猛然とした勢いで喰い付く。
いまのセレナの実力では、どんな下級の魔貴族だろうと、相手にしようと思ったら全身全霊を掛けて集中しなければ対応できない。だというのに、この禍々しい威圧を放つ相手を前に、結界解除に勤しむなど自殺行為でしかないだろう。
タニアはセレナの反論に、んー、と口を真一文字に結んで思案顔になっていた。どうやってセレナを説得しようか悩んでいる様子である。だが、どう提案されようとも不可能なものは不可能である。
「ねぇ、例えば、タニアの魔闘術で外壁を飛び越えるのはどうなの? 別に正面から乗り込まなくても――」
「――この古城は、外壁全部に認証結界が展開してるにゃ。正門だろうと、外壁だろうと関係にゃく、そもそも正規の手順じゃにゃいと入れにゃいにゃ」
「あ、そう……」
セレナの提案は一蹴された。しかし、となると、もはや八方塞だろう。
内側から魔貴族が外に出てくるのを待つ以外ない――と、セレナが諦めたとき、アジェンダから声が掛かった。
「おいセレナ、アンタに頼みがある。この正門の結界魔術を、内側から解除してくれないか?」
アジェンダからのその要望は、今まさにタニアが言っていた提案と同じものだった。セレナは呆れた表情でアジェンダを睨み付ける。
けれど、そんな話があったとはまったく知らないアジェンダは、さも当然のように、タニアが説明した内容と同じ説明をしてくる。
「調べたところ、この城壁に施されている結界魔術は、認証結界と呼ばれるモノで、魔族、もしくは魔族と認証された生命体のみ、素通りできる結界になっているようだ。そんでよ。妖精族ってのは、魔族に限りなく近い生命体だから、セレナなら恐らくこの結界を突破できるはずだ。突破さえしてくれれば、内側から壊すのは容易――」
「――あたしに、グールの前で結界を壊せってのね? 無理よ、結界を解除する前に、あたしが殺されるわ」
皆まで言わせず、セレナは断言する。ところが、アジェンダはそこから、タニアとは異なる提案をしてきた。
「いや、大丈夫だ。俺のこの魔道具を使えば、少なくとも、結界を解除するだけの時間は稼げるはずだ」
アジェンダはニヤリとほくそ笑んで、親指を立てながら何やら拳大の水晶を取り出した。
その水晶が何か分からず、セレナは胡散臭そうな顔で首を傾げる。タニアも不思議そうにそれを眺めていた。
「なに、それ?」
「これは【分身水晶】――俺の取っておき、切り札だ。この水晶は、直前で蓄えた魔力の持ち主と寸分違わぬ分身を、蓄えた魔力が尽きるまで顕現させることが出来る。これでアンタの分身を作成すれば、少なくともグールの囮には充分だろう?」
「…………持ち主と寸分違わぬ分身って、どういうこと?」
「試しに見せてやる――本当は、これを持ってることは隠したかったが、今回は仕方ねぇからな」
アジェンダは自信満々にそう言って、試しとばかりに、水晶に魔力を篭め出した。
アジェンダの魔力量は、他の冒険者と比べれば圧倒的に強い。流石、Sランク冒険者と言えるだろう。けれど、セレナやタニアからすれば、それほど強くはない。
そんなアジェンダが魔力を篭めること数十秒。
およそ、アジェンダの全力の三分の一ほどが篭められた水晶は、澄み渡った青色の魔力を湛えながら、ドクンドクンと鼓動を始める。
「この状態で……はぁ……特定文言……『顕現せよ、分身』……って、詠唱すれば……ほれ」
息も絶え絶えのアジェンダがそう言うと、途端に水晶から眩い閃光が溢れて、目の前に水人形が現れる。水人形はどことなくアジェンダに似ていた。
現れた水人形はただジッとしており、驚いた表情を浮かべるセレナとタニアに向かい合っていた。
「……この状態で……指示を、頭の中に思い浮かべれば……その通りに、動くぜ」
アジェンダがニヤリと口角を上げると、信じられない速度で、水人形がタニアに飛び掛った。殺気も戦意も感じないが、振り被った拳に篭められた魔力が、本気であることを物語っていた。
しかし当然、その拳がタニアに到達することはなかった。
虚を突く完璧な不意打ちだったが、タニアはそれを見てから反応して、カウンターで拳を振るう。タニアの拳は水人形の胴体を弾き飛ばして、跡形もなく消滅させた。
「にゃんだこれ、弱すぎにゃ」
水人形はその場に崩れ落ちて、ただの水と化していた。その有様をつまらなそうに見下ろして、タニアはボソリと呟いた。
「一撃で、核を砕くかよ……さすが、スーパールーキー『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』だな」
アジェンダがその光景を見て、心底感心した風に頷いていた。それと同様に、周囲もその一瞬の戦闘を見て、寒心の吐息を漏らしている。ちなみにセレナも、タニアと水人形の戦闘には、寒心を禁じえなかった。
水人形は、正直、セレナが驚くほどの強さだったのだ。
振り抜いた拳の速度、そこに篭められていた魔力、もし狙われたのがセレナであったならば、大ダメージを受けていた可能性が高い。
相手がタニアだったからこそ、あっけなく一蹴されたのである。
「……なるほど、その水晶。結構、使えそうね」
「使えるかにゃ? 今の感じだと、役に立ちそうじゃにゃいにゃ」
タニアが肩を竦める横で、セレナはこれを使えば大丈夫という確信を持った。持ち主の分身が召喚できるのであれば、タニアの分身を召喚すれば良いだけである。
タニアの分身があれば、結界を解除する時間どころか、魔貴族を倒すことも可能かも知れない。
セレナはそう結論付けると、アジェンダに向かって手を差し出す。
「その水晶、渡してくれない? 認証結界、壊す役目は引き受けたわ」
「おお、行ってくれるか? 助かるぜ――じゃあ、心の準備が出来たら声を掛けてくれ」
「ええ、ちょっと準備するから、待ってて」
アジェンダから水晶を受け取ると、セレナはタニアに向き直る。タニアは、どうしたにゃ、と首を傾げた。
「タニア、これにアンタの魔力を篭めてよ。そうすれば、アンタの分身が召喚できるでしょ? そしたら、あたし独りでも、結界の解除くらいは出来るわ」
「――ああ、にゃるほど! そっか、あちしの分身にゃ……分かったにゃ。じゃ、ちょっと貸すにゃ」
「ついでに着替えてくるから、あたしが買った服を出して」
セレナはタニアに水晶を渡すと、交換とばかりに、預けていた衣類を出してくれと催促する。これから魔貴族に挑む以上、万が一を考えて、もっと動き易い格好でなければ危険である。
セレナのその催促にタニアは頷いて、何故か購入した覚えのない装備を渡してきた。
「…………なに、これ? あたしが買ったのと違うわよ?」
「セレナの買った装備は、冒険を舐めてるにゃ。にゃので、あちしがマトモなモノを買っておいてやったにゃ。これはあちしの親切にゃ。感謝して涙を流すべきにゃ」
タニアはやたらと恩を売るような物言いで、無駄に豊満な胸を張って、感謝するにゃ、と繰り返し言ってくる。セレナはとりあえずタニアから渡された装備を手に取り、その上等さに驚いた。
タニアが渡してきた装備は、セレナが購入した装備とは比べ物にならないほど上質であり、防御性能・魔術耐性・攻撃性能など、あらゆる面で優秀だった。自分勝手で自由奔放なタニアにしては、物凄く気が利いている。
しかし、タニアの親切があまりにも突然すぎて、素直に感謝の言葉が口から出なかった。
「……この装備なら、生存率は更に向上するわね」
セレナはそんな捻くれた台詞を吐いていた。
そんな台詞を聞いたタニアは苦笑して、サッサと着替えるにゃ、と森の奥を指差した。促されるまま、着替え一式を持って森の奥に向かう。
「拍子狂うわね、まったく……着心地も問題ないし、アイツ、結構センスあるのね……」
セレナは周囲に誰もいないことを確認してから、木の幹に身体を隠しながら手早く着替える。渡された装備は、セレナの体型も考慮してあり、見事にちょうど良い具合だった。
銀糸の帷子に、動き易い膝丈のパンツ、軽量な魔鉱製の手甲に、重厚な銀鉄の脚絆、魔力付与された深緑の外套など、治癒術師用の装備として、かなりの高水準である。
セレナは身体を動かして、装備がしっくり来ることを確認してから、タニアの元に戻った。
治癒術師然とした格好で現れたセレナを見て、タニア以外の冒険者たちが、え、と驚きの声を上げていた。先ほどまでタキシード姿という色物の格好だったので、治癒魔術が扱える武闘派の戦士と思われていたようだ。
その勘違いはアジェンダも同じだったようで、セレナに近付いてきて、恐る恐ると質問してきた。
「まさか、セレナ、って、治癒術師なのか? 魔戦士じゃないのか? 転向でもしたのか?」
「悪いけど、どこからどう見たら、治癒術師以外に見えるの? あたしは、今も昔も治癒術師よ」
アジェンダとセレナの応酬に、タニアだけが笑っていた。
セレナはとりあえずタニアから水晶を受け取って、好奇の視線や驚きの台詞を無視しつつ、古城の正門と向き合った。
正門は城壁と同じくらい背が高く、鼻が歪むほどの異臭と、禍々しい瘴気を放っている。対峙すると、その威圧が凄まじいのが分かる。
セレナは大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと正門に触れた。
途端、バチン、と物凄い電撃が触れた部分に流れて、慌てて手を引いた。
「……これ、入れないんじゃないの?」
妖精族なら入れる、と言われていたにも関わらず、とても入れそうな雰囲気ではなく、セレナは思考停止してしまう。今さっき気合を入れたのが、恥かしい。
「セレナ、その反応にゃら大丈夫にゃ。恐らく激痛にゃけど、入れるにゃ」
そのとき、背中からタニアがそんな無責任な言葉を投げてくる。セレナは非難めいた視線をタニアに向けて、早く入れ、と言う指示に、仕方なしに従う。
今一度、恐る恐ると指先を触れさせると、やはりバチバチと電撃が発生した。
かなりの激痛である。だが確かに、痛みがあるだけで指先は正門の中に沈んでいった。
「…………なるほど、ね……これ……ちょっと、一気に行かないと……キツイわ……」
腕の半ばまで沈めてから、セレナは一旦、腕を引き抜いた。
見れば腕には、火傷のような跡がクッキリと残っており、中々のダメージが蓄積している。
はぁ、と今一度溜息を漏らしてから、セレナは自分に中級の治癒魔術を掛けて、同時に、身体能力を補助する防御魔術、代謝を早める治癒魔術を施す。そして、グッと息を止めて、体当たりするように正門に飛び込んだ。
バチバチバチ――と、凄まじい電撃が発生して、次の瞬間、セレナの身体は正門に飲み込まれて消えた。
「ぐっ……い、痛い……」
正門に飛び込んだセレナは、一瞬だけ雷を浴びたような激痛に襲われたが、なんとか耐え切れた。痛みは通り抜ける瞬間だけだったようで、すかさず治癒魔術を施したので大事はない。
「さて、と、ここが城内――――っ!?」
セレナは静かに深呼吸してから、改めて周囲を見渡す。その瞬間に、心臓を鷲掴みにされたようにビクリと身体を震わせて、身体を硬直させた。
セレナの正面、正門を抜けた先に広がっていたのは、広大な玉座の間だった。
正面には、200メートルはあろう長い絨毯が伸びており、絨毯を誘導するように左右には蔦が巻き付いた石柱が等間隔に並んでいる。
絨毯の先には五段ほどの段差があり、一際高い位置には六人ほどが並んで座れるくらいの玉座が置かれていた。
セレナはその玉座を見た瞬間釘付けになり、呼吸も忘れて動けなくなっていた。
巨大すぎる玉座には、相応の大きさをした巨人――三本の角を額に生やして、六つの眼を持つ女性体の暴食鬼が座っていた。
座っていてさえ見上げるほどの巨躯に、剥き出しになった乳房、口から見えている鋭利な牙、丸太を思わせる六本の剛腕が生えていた。そのうち四本の腕は全長3メートルはあろう戦斧を握っており、腰にはボロボロの腰布を巻いていた。
これが魔貴族【暴食鬼】――想像以上に、危険な空気を持つ存在である。
「■■■■■」
セレナがゴクリと唾を飲んだとき、暴食鬼が何やら呟いた。
その言葉は魔神語だったので、何を言っているのかまったく理解できなかったが、直後にぶつけられた殺気で、何を言ったのかは容易に察せた。
恐らく暴食鬼は、こう言ったのだろう。
――――腹が減った、と。
次回、後編