閑話Ⅷ 緑髪の悪魔/前編
魔動列車に備え付きのカジノ箱で、セレナは賭けポーカーをひたすら勝ち続けていた。やればやるほど儲けて、ボロ勝ち状態である。
ルールは他のプレイヤーのやり方を見て覚えた我流で、しかも初めてプレイするゲームだが、セレナは自身でも信じられないほど圧倒的に勝っていた。
そろそろポーカーを始めてから二時間は経過するだろう。アドニス銀貨一枚で始めた賭けが、いつの間にか、アドニス金貨が十枚単位のやり取りとなっている。
ここまで来ると、もはやビギナーズラックで片付けられないほどの強運だ。セレナもさすがに、少し出来過ぎだと、及び腰になり始めていた。
「……ショウダウン」
「ぅぅ――く、くそっ! また負けた!!」
しかしそんな及び腰でも、セレナの手札は弱まらない。
セレナは掛け声と共に伏せていた五枚のカードを、パタリと一度で表向きに裏返す。
そこに現れたのは、三、四、五、六、七のストレートである。
セレナの役を見た瞬間、テーブルを挟んで向かい側に座る恰幅の良い中年男性が、降参とばかりに手を挙げて嘆いた。最終的に、今回のゲームで降りずに勝負したのは彼だけだった。
その中年男性はしばし天井を見上げてから、手許に広げたカードの上に、賭けた分のアドニス金貨をばら撒く。
周囲から歓声が上がり、カードを回収したディーラーが、次のゲームをどうするか目配せしてくる。
セレナは負けたら辞めようと、迷わずテーブルの上に参加費をベットするが、他のプレイヤーたちは、それを見てそそくさとその場を去っていった。
「……誰も参加しないようですね」
ディーラーは辺りを見渡して挑戦者を待つが、誰もセレナと戦う気にはならないようで、テーブルには誰もつかなかった。
しばらく待ってみても、セレナとディーラー以外は、そのテーブルには誰も寄り付かない。
「まぁ、そりゃこんだけ勝てば、誰も勝負なんかしたくないわよね……そろそろ潮時、か」
セレナはテーブルのアドニス金貨を回収して、ついでに椅子に掛けていた変質者ローブを羽織り、席から立ち上がる。遠巻きに囲んでいる野次馬から、まばらに拍手が沸き起こった。
ここまでの賭けで、都合八十七枚ほどのアドニス金貨を儲けていた。元手がアドニス銀貨一枚なので、都合、八万倍以上の大儲けである。
ちなみに、アドニス金貨八十七枚と言えば、一般的なBランク冒険者のおよそ三百日分の稼ぎに相当する額である。つまりセレナは、わずか二時間程度で三百日分の労働と同じだけ稼いでいた。
とりあえずこれだけ余剰資金を手に入れていれば、タニアに文句を言われることもなく、装備を買い直せるだろう。
(前よりも上等な装備って、見付かるかなぁ……?)
セレナは、着慣れぬタニアのベストを見下ろして、自身のボリュームのない胸元に眉根を寄せる。この格好は、お世辞にもセレナには似合っていない。
「もう宜しいですか?」
「ええ、もう充分よ。じゃあね」
カジノ箱から出て行こうとした時、出入口のところで待機していた女性ディーラーの一人が声を掛けてきた。セレナはそれを適当にあしらって、横を通り抜け――ふと足を止める。
「あ――ねえ、ここって服とか装備品って売ってないの?」
男性用タキシードを着たその女性ディーラーを見て、セレナはもしかしたら、と問い掛けた。しかし当然のように女性ディーラーは首を横に振り、申し訳なさそうに謝った。
「申し訳ありませんが、魔動列車内では、装備品の取り扱いはございません」
「……まあ、そうよね。仕方ない……か」
女性ディーラーの即答に溜息を返してから、セレナは残念そうに納得して、タニアの待つ居住箱に戻るべくドアに触れた。
そのとき、女性ディーラーが顔を上げて、ありがたい提案をしてくる。
「――もし宜しければ、個人的に私が保有している品をお売りいたしましょうか?」
セレナはその台詞にピクリと動きを止めて、ゆっくりと女性ディーラーに振り返った。女性ディーラーは真面目な表情で、どうですか、と首を傾げていた。
女性ディーラーの体格は、セレナと同様にあまり凹凸のない身体つきで、身長もさして変わらない。彼女の衣類であれば、セレナで着れないことはないだろう。
「……売ってくれるなら、嬉しいけど……どんな装備があるの?」
「鉤手甲や足具など、近接格闘系の装備品は一通り揃っています。衣服も、いま装備していらっしゃるベストほど上等な装備はありませんが、竜革を用いたインナーや、斬打突熱に耐性のある上着――」
「――ああ、そういうの要らないから……そうね。じゃあ、とりあえず見せてよ」
「畏まりました。それでは、こちらに」
女性ディーラーは、セレナの今の装備を見て、格闘系の冒険者だと勘違いしていた。
しかしそれは仕方ない。タニアから借りたこの装備から推測すれば、そうとしか思えないだろう。タニアは近接格闘系の冒険者である。
けれど、セレナは本来治癒術師であり、装備品も魔術師向きのモノを希望していた。
まあ、そんな事情をいちいち説明しても意味がないし、ただただ面倒なので口にはしないが――セレナは多くを語らず、とりあえず女性ディーラーに従った。
「私の自室です――どうぞ」
セレナは女性ディーラーに促されるまま、その部屋に入った。部屋の中は、セレナとタニアの二人部屋よりも少し手狭で、寝室とリビング、衣装部屋があった。
そのまま衣装部屋に通される。
「なるほど……ね」
セレナは衣装部屋を見渡して、やはりか、と少しだけ落胆の表情で頷いた。想像通りの品揃えである。
衣装部屋の中には、いま女性ディーラーが身に付けている男性用タキシード服と同じ服が何着もあり、ほかには、扇情的なバニースーツや、スリットの入った際どいドレス、足首丈のガウンコートなどがあった。タニアが好んで着る露出が多いインナーや、膝丈のパンツ、肌にフィットするレギンスなどもあり、部屋の隅の方に畳まれている。
また衣装以外には、徒手空拳用の暗器が幾つも置かれていた。殺傷力を追求したナイフや、使い古された手甲が散らかっている。
これらの私物から見るに、この女性ディーラーは近接戦闘職の冒険者でもあるのだろう。
「どうです? 何かお気に召す物がありますか? ご要望があれば、お伺いしますが?」
女性ディーラーは無表情のまま、セレナに顔を向けて問い掛けてくる。セレナは申し訳ない表情を浮かべながら、緩く首を横に振った。
「……衣装とか装備って、ここにあるだけなの?」
この部屋の中に、セレナが満足できる装備はおろか、妥協できるレベルの衣装自体がなかった。せめて法衣のような衣装が欲しいのだが、近しい衣装も存在しない。
「ええ、私の保有する衣類はここにあるものだけです――お気に召すものはございませんか?」
ないわね、と心の中で断言したが、せっかくの親切を無碍にするのも失礼だと思い、セレナは苦い表情のまま今一度部屋の中を見渡す。
この部屋の中でかろうじてセレナの目に留まったのは、足首丈のガウンコートくらいだが、それを身に纏ったときの姿を想像すると、自分には似合わないな、としみじみ思う。見栄えをあまり気にしないセレナでも、好んで着ようとは思えない衣装だった。
「……ん、と……どうしよう、かなぁ……」
困っている様子のセレナを、迷っているとでも勘違いしたのか、女性ディーラーは部屋の中にある衣装を一つ一つ手にとって見せながら、詳しい紹介をし始める。
「例えば、この竜革を織り込んだ肌着などは、魔力伝導率も高く、動きの制約もほとんど感じさせない逸品モノですよ。見栄え的にも、そのベストに似合いの黒色ですし――」
「――うん、決めた。とりあえず、タキシードを二着ほど譲ってくれない? あ、そのおススメの竜革の肌着も頂くわ…………あと、念のため、このガウンコートも」
セレナは女性ディーラーの説明を途中でぶった切って、男性用タキシード服を手に取る。
消去法で選ぶしかないこの中で、比較的セレナが着ても良いと思える衣装となると、もはやタキシード服くらいしかなかった。それ以外の衣装はどう見ても色物であり、防御耐性も魔術耐性も皆無であることを考えれば、そもそも選ぶ意味がない。
「かしこまりました。それでは合計四着ですね?」
「ええ、助かるわ」
「四着でしたら、アドニス金貨五枚で結構です」
「――――は?」
女性ディーラーはさも当然のような顔をして、そんな台詞と共にセレナに頭を下げてくる。しかし言われた値段があまりにも法外過ぎて、セレナは一瞬キョトンとしてから、聴き違いか、と問い返す。
「えと……四着で、合計幾ら、ですって?」
「合計、アドニス金貨五枚になります。手数料込みです」
セレナの質問に対して、女性ディーラーは、大変お得です、と続けそうなほど自然な口調で、そんな狂った金額を口にしてくる。セレナがカジノでボロ儲けしたことを知っているが故の吹っかけである。
これが何か特殊な装備ならば、相応に高額となっても仕方ないだろう。だが今回譲ってもらう衣装は、誰がどう見てもただの衣類であり、肌を隠す以外の恩恵など何一つない。
どれだけ高く見積もっても、四着でアドニス金貨一枚どころか、銀紙幣の一枚もあれば充分に事足りる買い物だ。いくらセレナが世間知らずでも、これは足元を見過ぎだろう。
とはいえ――セレナがボロ儲けしたのは事実で、しかも背に腹は変えられない状況である。現状、セレナは着る服がない。
セレナは少しだけ逡巡して、しかし値段交渉するのも億劫になり、諦観したようにため息を吐いた。
「――分かったわ。それで結構よ……はい、金貨五枚ね。じゃあ、戴いてくわよ」
「ありがとうございます――あ、この取引は職務規定違反になるので、どうかご内密に」
「あ、そう……はいはい」
金貨五枚を手渡すと、女性ディーラーは満面の笑みで口元に指を当てる。その態度にウンザリとした顔を向けてから、セレナはタニアの眠る自室に戻った。
「……下着は、我慢するしかないわね」
部屋に戻ってきたセレナは、羽織っていた変質者ローブを脱ぎ捨てた。そして、誰も見ていないのを幸いと、タニアから借りたベストとホットパンツも脱いで全裸になる。
さて、と全裸になったセレナは、購入した竜革の黒い肌着だけを着てから、男性用タキシード服を身に着けた。スカートと違って、タキシードのズボンはそこそこの密着感があり、下着を穿いてない感が薄れる。
「まぁ、それでも違和感だけど……ベクラルに着くまでの辛抱か……」
カジノ箱にいたディーラーたちと同じ格好になったセレナは、自身の姿を見下ろして、着心地も含めた感想を独りごちた。
はてさて、魔動列車は夜の荒野をひた走る。
次の到着地である【鉱山都市ベクラル】までは、まだ一日近く掛かるだろう。先は長い。
◆◇◆◇◆◇◆◇
魔動列車の到着アナウンスを背中に浴びて、タニアは寝惚け眼を擦りながら大欠伸をした。グッと背伸びして身体を回しながら、ゆっくりと階段を降りる。
そんなタニアを迎えるのは、サッサと先行して魔動列車を降りていたセレナである。
ここは【鉱山都市ベクラル】――その魔動列車が止まる発着場である。
「タニア。悠長に歩いてないで、サッサと行くわよ」
「そう焦るにゃよ……あちし、長旅で寝過ぎたにゃ……」
タニアの欠伸混じりの台詞に、セレナは呆れた表情で溜息を漏らしていた。
ちなみに、なぜかセレナは、カジノ箱で手に入れたという男性用のタキシードを着ており、明らかに周りから浮いた空気を纏っていた。
(凹凸にゃいから、男物の服が似合っちゃいるにゃが……ま、あちしの服より違和感にゃいけど、それでも馬鹿みたいにゃあ)
タニアはマジマジとセレナを眺めてから、そんな感想を心の中だけで呟いた。そして、セレナの隣に並ぶと、よし、と背中を軽く叩く。
「さて、にゃ――ひとまず朝飯喰って、腹ごしらえにゃ?」
「はぁ? 何を馬鹿なことを――まずは装備を整えることが先でしょ? そもそもタニア、アンタさっき魔動列車で朝食摂ったばかりじゃない! ボケ老人なの?」
「……冗談にゃ……そんにゃ怒るにゃよぉ」
軽い気持ちでボケてみたところ、セレナに思わぬ勢いで噛み付かれたので、タニアは申し訳なさそうに耳を掻きながら反省した。
「冗談、ねぇ……あのさ、タニア。この寄り道、正直なところ、完全に想定外の時間消費なのよ? 遊んでる余裕ないでしょ? そりゃさ、コウヤからは、魔神召喚の件については期限は設けられてはいないけど……だからって、こんな無駄な寄り道を知られたら、どんな罰を受けるか……」
セレナは厳しい表情で、タニアにそんなお小言じみた叱責をする。その直後、自分の吐いた言葉からヤンフィの体罰を連想したようで、ブルリと恐怖で身体を震わせる。
タニアは、それに賛同するように強く頷く。セレナの言い分と危惧は、非常によく分かる。
タニアたちに与えられた今回の任務は、期限が設けられていないのではなく、期限を設けるまでもなく直ぐに解決できるだろう、というヤンフィの信頼あってこそである。そもそも、クダラークで作戦会議をした際、タニアは自信満々に、五日もあれば充分だ、と豪語してしまっている。
それを考えると、ヤンフィがその言葉を言質にして、任務遂行出来ていないタニアたちを叱責する可能性はとても高いだろう。
タニアもセレナと同じように、ヤンフィの怒りを想像して、恐怖から渋い顔を浮かべた。
(……ヤンフィ様は、どうしてか旅路を焦ってるにゃ……あちしたちが、こんにゃとこで道草食ったことが知られたら、絶対に怒るにゃぁ……)
口には出していないが、ヤンフィは明らかに何かに急かされていた。
常に、少しでも無駄足をしないよう最短の行動を心掛けているし、何事においても時間を掛けることを良しとしていない。
心に余裕がないわけではないが、少なくとも今回のこのタニアたちを許してくれるとは思えない。
「さぁ、タニア。サッサと準備しないと、十三時発の魔動列車に乗り遅れるわよ? そしたら、次の便は翌日になるんだから――そこの武具屋とか、ちょうどいいわね」
キョロキョロと辺りを見渡しながら、セレナがすぐ傍に居を構えていた武具屋に目を付けた。そこはベクラルで一番巨大な武具屋である。
「分かってるにゃ……入ってみるかにゃ」
セレナの言葉に頷いて、タニアは置いて行かれないよう武具屋に入る。
武具屋は三階建て構造で、一階の広さは軽く120メートル平米を超えていた。
入り口脇には精算所があり、元冒険者と思われる屈強な男性店員が立っていた。その男性店員は、店内に居る客一人ひとりに対して鋭い眼光を向けている。
精算所の奥には、従業員専用の小部屋があり、鍛冶工房も併設されていた。その奥から微かに、熱気を伴った金属臭と、金属同士がぶつかり合う鍛造音が響いてくる。
フロアの奥には手すり付きの幅広な階段があり、天井から吊り下がっている看板を読むと、どうやら二階は武器専門エリア、三階は装飾品を扱っているようだ。
「へぇ――この階は、防具だけなのね」
セレナが物珍しげに店内を見渡しながら、感心した風な声を上げていた。その態度はまさに田舎者であり、旅慣れていない冒険者のそれだ。一緒に行動するのが恥かしい。
タニアはそんなセレナと距離を取りつつ、店内の状況を素早く一瞥した。
混雑というほどではないが、店内にはチラホラと冒険者らしき連中が商品を物色していた。
「割と、混んでるにゃぁ」
タニアは物色している冒険者たちを見て、思わず呟いていた。普段ならばこの日中帯は、武具屋が閑散としている時間帯である。これほど盛況なのは、珍しいことだった。
「……治癒術師用の装備は、こっちかな……」
そんな盛況な店内で、冒険者連中に混じって装備品を物色している男性用タキシードを着たセレナは、奇異の視線を一身に集めていた。あまりにも場違いで浮いている。
妖精族特有の鮮やかな緑髪と、頬に刻まれた処女の証である魔術紋様、目を見張るほど端麗な顔立ちのセレナは、ただでさえ異様に目立つというのに、そのうえ男装までしていれば、注目を集めるのは至極当然のことだろう。誰もがギョッとした視線をセレナに向けていた。
タニアは注目の的になっているセレナとは別行動して、とりあえず掘り出し物の装備がないかを見て回った。
一方でセレナは、周囲からの視線など無視して、魔術師系装備が並んでいる一角、ローブ系の衣装棚を中心に物色を始めていた。
そうしてしばらくタニアとセレナが別々に店内を物色していると、ふと驚きの声が上がった。
「んん? お、ぉお!? アンタ、『セレナ』じゃねぇか!!」
その声にピクリと耳が反応して、タニアはセレナの方に顔を向けた。すると、セレナに向かって近付いていく赤ら顔で膨れ面の戦士を見付ける。
戦士はどっしりとした貫禄ある体型に黒い甲冑を纏い、柄の部分が華美な大剣を装備して、1メートルほどの大盾を背負っていた。どことなく強者の雰囲気はあるが、外見だけで判断すると、ただの肥えた豚にしか思えない。
「…………はい?」
そんな豚にしか思えない戦士に、セレナが不愉快そうな顔で振り向いた。そしてその戦士の容姿を確認してから、眉根を寄せて首を傾げる。
セレナのその反応は、戦士が何者なのか、まるで分かっていない様子である。
知り合いじゃにゃいのか――と、タニアが疑問を浮かべたとき、戦士は馴れ馴れしくセレナの正面に回り込み、その肩を叩いた。
「やっぱ、アンタら――『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』も、今回の緊急依頼に参加するのか? そりゃそうだよな。報酬はテオゴニア金紙幣百枚、って破格だしなぁ。参加者で山分けしたって、かなりの額だからなぁ」
「…………はぁ?」
「しかし心強いぜ。アンタらが参加すれば、間違いなく討伐成功するからな。まぁ結果、俺らの報酬が少なくなるけど、命あってのモノダネだしな」
不信感をあらわにしたセレナを無視して、戦士は、有難い、と連呼しながら頷いていた。
性質の悪い輩に絡まれてるにゃ、と二人の問答に聞き耳を立てながら、タニアは我関せずと視線を逸らそうとして、瞬間、鑑定で視えた名前に思い至る。慌てて、その豚にしか思えない戦士に視線を戻した。
【鑑定の魔眼】に映っていたその戦士の名前は、アジェンダ・ラ・ドーン。知り合いではないが、タニアの知っている名前だった。
(アジェンダって、あの『アジェンダ』にゃ!? 【青の聖騎士】――別名、水系魔道具の天才じゃにゃいか……)
アジェンダという戦士は、テオゴニア大陸で四人だけに与えられた聖騎士の称号を冠する【四色の聖騎士】の一人である。
タニアは実際に顔を見たことはない。だが、人違いではないだろう。セレナほどではないが、人族にしてはかなりの魔力量を保有していた。
ところで、そんなタニアの驚きなど知らず、アジェンダは気やすげな調子でセレナと話を続けた。
「集合時間は一時間後に迫ってるから、装備の最終点検ってとこか? ってかよ、なんでセレナはそんなタキシード姿なんだ? 似合っちゃいるが、防御加護がなんもねえだろ?」
「……集合時間とか、一体、何の話?」
「あ? 何の話も何も……西坑道の異空間から現れた鬼種の魔貴族討伐依頼だよ。アンタらもあの緊急依頼を聞いたんだろ? 莫大な討伐報酬だけじゃなく、達成後には漏れなく【魔貴族殺し】の名誉まで手に入る。駆け出しの冒険者連中だけじゃなくて、俺らみたいなパーティランクAで燻ってる面子から見ても破格の報酬だぜ」
「…………はぁ? 鬼種の、魔貴族?」
「おっと、ここで長話してても始まらねぇ――んじゃ、俺らは先にギルドに行ってるぜ。また後でな、『愉快な仲間たち』よ」
一方的に説明したアジェンダは、疑問符を浮かべたままキョトン顔のセレナを置いてけぼりに、サッサと武具屋を出て行った。
タニアはそんなアジェンダの背中を見送ってから、静かにセレナの背後に忍び寄る。
「おい、セレナ」
「きゃ――ちょ、タニア。気配を消して、後ろに立たないでよ、怖いわね……で、何よ?」
タニアがボソリと声を掛けると、一瞬だけビクリと肩を震わせてから、セレナはゆっくりと振り返った。タニアはアジェンダの去った方を指差して、にゃあ、と質問を切り出す。
「さっきの膨れ面に赤ら顔の戦士って、何者にゃ? 知り合いにゃのか?」
「さぁ? 誰だかまったく覚えていないけど……もしかしたら、オーガゴブリン討伐依頼を達成したときにギルドに居た冒険者かも……西坑道云々言ってたから、あの時、オーガゴブリンの遺体を回収しに向かう冒険者たちの中にでも居たんじゃない? 知らないけど」
「知らにゃいにしちゃ、随分と馴れ馴れしかったにゃ? アレがセレナの好みかにゃ?」
「――――ごめん、タニア。先刻のあたしの反応のどこを見て、その結論に至ったの? というか、馴れ馴れしかったのは一方的にアイツでしょ?」
タニアの軽口に、セレナが頭が痛いような仕草で呆れた声を返す。嘘偽りなく、素直な反応である。隠している訳ではなく、アジェンダが何者か覚えていない様子だった。
「ちにゃみに、今の奴『アジェンダ』って名前だったにゃ――覚えてにゃいか?」
「知らないってば――ん? アジェンダ……アジェンダって、何だっけ……なんか覚えが……あ!」
そのとき、セレナは思い出したとばかりに手を叩いて、直後、そうそうと頷いた。
「そう、アジェンダ! そういえばその名前、ギルドの番付で見たわ。ベクラルギルド所属の【S】ランク冒険者の一人よ、確か。思い出した……オーガゴブリンの遺体回収に向かう冒険者パーティが、アイツの率いる『アジェンダの夜明け団』とか言うパーティだったわ。だから、これが【S】ランクかぁ、って少しだけガッカリした覚えがあるもの」
奥歯に挟まっていた何かが取れたようなスッキリ顔で、セレナは饒舌にタニアに説明する。
しかし、だからと言って、アジェンダのことを何か知っているわけではないようだ。その説明以上の情報はなかった。
タニアは、にゃるほど、とセレナが役立たずであることに納得して、一つの提案を口にする。
「にゃあ、この後……ちょっとギルドに行かにゃいか? 今の話、聞いてみる価値あるにゃ」
「――は? どういうことよ?」
タニアの提案に、途端セレナは怪訝な表情になる。当然だろう。旅路を急いでいるセレナに、さらに道草しようと提案しているのだから、賛同できるはずはない。
しかしそんなのは百も承知で、タニアはそのまま提案を続ける。
「さっきの話だと、今ベクラルには、緊急依頼が発布されてるにゃ。しかもそれは、討伐対象が魔貴族にゃ。とにゃると、これをあちしたちが達成したにゃら、パーティランク【S】の条件を満たすことににゃるにゃ。魅力的じゃにゃいか?」
タニアはアジェンダの会話から得た情報で、概略をなんとなく理解できていた。それゆえに、セレナの心が揺れるであろう言葉を口にする。
そんなタニアの誘惑に、案の定、セレナは引っ掛かり、分かりやすく目を輝かせていた。考える素振りを見せてはいるが、それは形だけだ。その思考は、もはや緊急依頼に八割方傾いていた。
「確かに、あちしたちは急いで魔動列車に乗って、デイローウ大森林に戻らにゃいと行けにゃいにゃ。にゃけど――仮に今すぐ戻ったとして、それじゃ、ただ意味もにゃく寄り道しただけじゃにゃいか?」
タニアは一旦そこで言葉を切って、セレナの心を揺さぶった。
実際は、弁解の余地なくタニアの自己都合による無意味な寄り道だが、それがヤンフィに知られると確実に叱られるだろう。だからこそ、この寄り道に理由が欲しい――とは、タニアの本音である。
セレナは悩ましげな表情のまま、凍り付いたように無言になった。
恐らくセレナの心の中では今、激しい葛藤が起きている。ヤンフィの命令に背くことで罰せられる恐怖と、テオゴニア大陸で一握りしか存在しない【S】ランク冒険者になれる栄誉が、天秤に掛けられているのだ。どちらを取るか、悩みに悩んでいるのが、その苦悩の表情から見て取れた。
セレナにとっては、冒険者としての最終目標は三英雄キリアである。同時に、キリアのような伝説を創ることにも非常に強く憧れている。
となれば、そこを刺激してやれば、タニアの思惑通りにセレナは頷くに違いない。
「にゃあ、セレナ。ここであちしたちが、パーティランクを【S】に上げておけば、ここまで戻ってきた時間浪費は、もう寄り道とは言えにゃいにゃ。それに、この討伐依頼をこにゃしたとしても、一日二日、出発が遅れる程度にゃ。予定が狂っている今、一日二日の遅れにゅら、誤差の範囲じゃにゃいか?」
「そ、それは……確かに……でも、あたしたちの勝手な判断で……」
「パーティランク【S】ににゃれば、テオゴニア大陸の冒険者パーティ番付の上位枠――通称『百傑』の一角に名前が載るにゃ。コウヤは弟妹を捜してるにゃ? にゃら、コウヤの名前をそこに、ドーンと載せるのは人捜しに有効的じゃにゃいか? そうにゃれば、コウヤとボスに誉められるに決まってるにゃ」
誉められると断言したタニアだが、そこには何の根拠もない。むしろ、余計なことをするな、と怒られる危険性さえあるが、そんな可能性は何一つ口にせず、タニアは、バーン、と胸を張って自信満々に言い切った。
その力強い宣言に、セレナの心はもはや折れる寸前であり、その場には、タニアの提案が正解だ、という空気が漂った。
タニアは流れを引き寄せた感触に、心の中で、よし、と拳を握り締めた。後は最後の一押しで落ちる。
これで思惑通りにセレナを説得できたならば、この寄り道は二人で相談の結果、納得したうえでの行動と言えるだろう。ということは、タニア独りの勝手な判断にはならないわけで、万が一ヤンフィに叱られるとしても、セレナに責任を擦り付けることも出来る。
逆に、誉められたとしたら、それは全てタニアの功績にするつもりである。これで磐石。どう転んでも、タニアだけが一方的に不利にはならないだろう。
「――にゃあ、セレナ。緊急依頼はそうそう発布されにゃいにゃ。しかも内容が魔貴族討伐にゃんて、それこそ数年に一度とかにゃ。これはもう、三英雄譚に匹敵するほどの奇跡にゃ。きっとこの緊急依頼を逃せば、永遠にパーティランク【S】ににゃんて、にゃれにゃいにゃあ」
「……まぁ、そう……よね……」
タニアの説得に、セレナはようやく心を決めたようで、うん、と決意の表情で頷いた。
ちなみに、冒険者のパーティランクを【S】する為には、次に掲げる厳しい条件を満たさなければならない。
一、魔貴族の公式討伐実績がある。これはパーティで討伐しても、個人での討伐でもどちらでも可。しかし、公式と銘打っている以上、ギルドもしくは国が、魔貴族と認めた魔族の討伐でなければならない。
つまり、実際にソレが魔貴族かどうかは関係なく、魔貴族の討伐という依頼を達成しなければならない。
二、最低一度以上の緊急依頼を成功させる。緊急依頼とは、あらゆる依頼よりも優先されるギルド発行の最重要依頼であり、冒険者であれば受注資格に条件はなく、他の依頼との重複受注も認められる。ただしほとんどの場合で、難易度はSランク以上である。
今回は魔貴族討伐だが、魔族討伐系は緊急依頼としては珍しい。緊急依頼の多くは、高額賞金首を期日までに捕縛、暗殺することだったり、伝説級の魔道具、秘宝を回収する依頼が主である。
三、特別依頼の受注経験がある。これは、特別依頼を受注した履歴さえあれば、結果が失敗でも達成扱いとなる条件だ。特別依頼は、上級貴族、または王族が発行元の依頼であり、ギルドで契約は取り交わすが、冒険者ランクには一切影響しない。そのうえ厄介なことに、受注すると、依頼失敗か成功しない限り、緊急依頼という例外を除いて、ギルドから他の依頼を受注不可能となる。
四、所属メンバーの合計人数が八名未満。
五、自由騎士の称号を持つメンバーが所属していない。
この五つの条件を満たした冒険者パーティを、ギルドは【S】と認めていた。
そして、偶然か必然か――幸運なことに、タニアたちは、この魔貴族討伐の緊急依頼を達成さえすれば、パーティランク【S】の条件を満たせる。
魔貴族討伐に危険がないわけではないが、タニアとセレナが万全の状態であれば、討伐はさして不可能ではないだろう。実際つい先日、成り立てだったが竜種の魔貴族も退治できているし、過去それ以外にも、タニア単独で何匹か狩っている。
無論のこと油断は出来ないが、セレナと二人ならば、鬼種の魔貴族ならば討伐できる確信がある。
しばしの沈黙後、セレナは重い口を開いて、タニアの期待通りに答えた。
「……分かったわ。確かに……パーティランク【S】になってれば、【魔神召喚】の件が解決していなくても、寄り道の失態は、挽回できるわね……」
「そうにゃ、そうにゃ。そうと決まれば、サッサと必要にゃ物を買うにゃ」
タニアは満面な笑みで親指を立てて、セレナは爽やかな笑顔で、ええ、と頷いた。
「――じゃあとりあえず、これくらいで良いか」
そうしてセレナは、ブツブツと独り言を呟きながら、棚に並んでいる装備品のうち、気に入った何点かを持って、会計に向かった。
タニアはそのラインナップをなにげなく眺めて、アホにゃ買い方にゃ、と呟いた。
見たところ、セレナが購入した装備品は、後衛の魔術師タイプに人気の魔術防御耐性に特化した緑色のローブと、弓兵が装備する軽量な胸当て、薄い防御加護が付与されたケープ、動き難いのでタニアは絶対に選ばないだろう膝丈のスカートだった。
当面の装備だけではなく、代えも含めて購入したようで、購入品は十五点を数えていた。
「あんにゃ下級装備を選ぶにゃんて、セレナは見る目がにゃいにゃ」
タニアはセレナの買い物にケチを付けてから、この武具屋の中で、一番強力な防具が揃っている商品棚をチラと一瞥する。
「まぁ、仕方にゃいにゃ。勝手に装備を売った詫びとして、幻想魔の皮革を縫い込んだ装備品一式くらいにゃら、買ってやるかにゃ」
タニアはその高額な商品棚の中でも、硝子ケースで展示されている装備品に目を留めて、にゃあにゃあ、と店員を呼ぶ。
慌てて駆けつける店員に、タニアは購入する意思を伝える。すると、店員は満面の笑みで頭を下げた。
「こちらは、帷子、膝丈のパンツ、手甲、脚絆、外套の五点セットです。幻想魔の皮革を用いて造られた逸品で――」
「――ああ、説明は不要にゃ。金額も言い値で買うにゃ。あとアレも買うにゃ」
タニアは店員の説明を煩わしそうに遮って、アレ、と店奥の天井に吊り下げられていた木製の杖を指差した。
「あ、ありがとうございます!! あちらの【月桂樹の杖】もご一緒に、で――え、と……それでは、合計、アドニス金貨四十一枚。もしくは……テオゴニア金紙幣であれば、端数分はおまけして、四枚のみで結構です」
「にゃら、金紙幣四枚にゃ」
タニアは値段交渉など一切せず言い値で、平然とテオゴニア金紙幣を四枚、店員に手渡した。
満面の笑みを浮かべていた店員はそれを仰々しく受け取ると、いっそう喜びに破顔させて、ありがとうございます、と力強く頭を下げる。
金紙幣四枚と言えば、セレナが購入した装備品の二十倍以上も高額だ。およそDランク冒険者が一年間で稼ぐ額と同程度かそれ以上である。
しかし、今のタニアたちの資金から考えれば、はした金に過ぎない。ましてや、命を預ける装備を整える出費と考えれば、安上がりだろう。
そもそも、以前セレナが装備していた【娼姫の魔装】などと比べれば、本当に安物である。既に壊れてしまったが【娼姫の魔装】に値段を付ければ、恐らくテオゴニア金紙幣二百枚は下らない。
「ちょっとタニア。あたしを急かしておいて、何を暢気に買い物してるのよ?」
まいどあり、と店員に感謝されながら店内を出たタニアに、セレナが苛立ちあらわに言う。
せっかくセレナの為に良質の装備を購入してやったのに勝手な奴にゃ、とタニアは若干不満を持ちつつも、軽くあしらって、マイペースにギルドへと足を向けた。
「装備は大事にゃ。にゃので、しっかりしたのを買ったにゃ。ギルドはこっちにゃ」
「はぁ……もう、本当に好き勝手ね……はいはい」
セレナが諦めたように溜息を漏らして、先行するタニアに従って付いて来る。
タニアはそんなセレナに、やれやれ、と肩を竦めて、迷わずにベクラルギルドに向かった。ちなみに、まだセレナは着替えていないので、その格好はタキシード服のままである。
いつまでそんな格好をしているのか、サッサと着替えれば良いのに――と、タニアは声には出さずに心の中で愚痴った。これがタニアの仲間と思われると、少しだけ恥かしかった。
「……まぁ、セレナが変にゃ格好にゃのは馴れたにゃ」
「あ? 何よ、タニア?」
「何でもにゃいにゃ――あ、ホントにゃ」
しばらく歩いて冒険者ギルドの大きな建物まで辿り着くと、タニアは、ギルドの扉に貼られていた番付を覗き込んで、声を上げる。
「にゃるほど、確かに『アジェンダ・ラ・ドーン』、『エーデルフェルト・ラ・クロラ』が、Sランク冒険者で、番付に載ってるにゃ」
覗き込んだ貼り紙には、三人のSランク冒険者の記載があり、うち二人はタニアの知っている名前だ。
一人、先程セレナに気安く話しかけていた赤ら顔にふくれっ面の戦士――アジェンダである。
パーティランク【A】の『アジェンダの夜明け団』リーダーで、同時に、テオゴニア大陸で四人にしか授与されない栄誉の称号【青の聖騎士】を戴いた戦士である。
もう一人は、エーデルフェルト・ラ・クロラ。以前、このベクラルギルドで、セレナと煌夜に、達成不可能な特別依頼を課した張本人である。
ベクラル公主『セリエンティア』を自称して、ギルドマスターを騙った受付嬢であり、四人の聖騎士の一人【赤の聖騎士】である。
ところで、タニアが把握している限りの情報で補足すると、【赤の聖騎士】エーデルフェルトは、【竜騎士帝国ドラグネス】の将軍職に就いており、現在、揉めに揉めている王位継承問題で、正統派に属する騎士だ。
そんな大物が身分を偽ってまで、このベクラルに居るということは、非常に特殊な任務に従事していることが理解できる。
「ちょっとタニア……いつまでも、そんな入り口で突っ立ってないで、早く入ってよ」
「分かってるにゃ」
そのとき、入り口の貼り紙を覗き込んで止まっていたタニアの背中を、セレナが軽く押した。タニアは頷きつつ扉を開ける。
「んにゃ? にゃんだ、にゃんだ?」
「……何か、変な空気ね」
ギルド内に入ったとき、タニアとセレナは同時にそんな呟きを漏らす。ギルドの中は、どこか異様な熱気に満ちていた。
見渡すと、多くの武装した冒険者たちが、一階フロアのそこかしこで黙って立ち尽くしている。誰も彼も口を開かず、何かを待っているかのように沈黙している。誰もが殺気だっているようにも感じるし、興奮による緊張感も漂っている。
そんなギルドに入ってきたタニアとセレナは、一瞬だけ注目の的になった。けれど、視線はすぐさま逸らされる。誰もタニアたちには興味を示さない。
「――あら? あらら? そこの貴女たち……そうよ、『タニア』と『セレナ』じゃないかしら!? あの『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』よね!?」
ふとそのとき、受付に立っていたガチムチ巨漢が、ビックリした表情で口元を押さえた。やたらと響く甲高いオネエ声が注目を呼んで、タニアたちから逸れた視線が再び集まった。
「――え? あいつらが『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』!?」
「じゃあ、あの緑髪タキシード……あの妖精族が、『セレナ』か」
一斉に向けられた好奇の視線は、どうしてかタニアにではなく、男性用タキシード姿のセレナに集中していた。ざわざわと潮騒のような喧騒が起きて、ギルド内の緊張感が少しだけ緩んだ。
セレナは自分に向けられた注目にうんざりした表情を浮かべて、傍らのタニアに助けを求めるように顔を向ける。するとそれに釣られて、ギルド中の視線がタニアに誘導された。
「アレがセレナで、てぇことは、隣の猫耳獣族、【大災害】タニア、か?」
「やべぇ。こりゃもう、勝ちじゃん」
タニアに視線を向けた連中は、途端に誰もが安堵の空気を放ち出す。同時に、ギルド内を包んでいた沈黙が破られて、誰も彼もが興奮気味に騒ぎ出した。
「にゃんにゃ? 鬱陶しい連中にゃぁ」
「ねぇねぇ、ところで――あの可愛らしいリーダー。『コウヤ』くんは、どこにいるの?」
タニアは騒がしくなったギルドを一瞥してから、受付のガチムチ巨漢に近付いた。ガチムチ巨漢は、タニアの周囲をキョロキョロと見渡しながら、頬を染めつつ首を傾げた。
「コウヤは居ないわよ。ねぇ、質問があるんだけど、いい?」
ガチムチ巨漢の問いには、横からセレナがサラリと答える。するとガチムチ巨漢は、この世の終わりみたいな絶望的な表情を浮かべて、露骨に肩を落とした。
しかしそんなガチムチ巨漢に、セレナは容赦なく話を続ける。
「緊急依頼の内容を知りたいんだけど――あ、ついでに受注もしたいわ」
「ああ、はいはいはい……緊急依頼、ね。ちょっと待ってて……」
ガチムチ巨漢は落胆の表情のまま、セレナとタニアを交互に二秒程度ジッと眺めて、なぜか受付から立ち上がり奥に引っ込んだ。
「……なんなの、あれ?」
「知らにゃい――にゃけど、ギルドマスターが直々に教えてくれそうにゃ」
タニアは呆れ顔のセレナに顔を向けてから、来たにゃ、と受付奥を指差した。ちょうどガチムチ巨漢と入れ替わりに、ギルドマスターであり、自称セリエンティアが、冷めた表情をして現れた。
「あら、お久しぶりです、『セレナ』と……『タニア』でしたね? 今回は、緊急依頼を受注希望とのことですが、私が依頼した例の件はどうなったのですか?」
自称セリエンティアは静かに殺気を滲ませて、タニアとセレナを睨みつけてきた。その鋭い眼光に対して、タニアはより強い威圧を篭めて睨み返す。
(……どう視てもコイツ、『エーデルフェルト・ラ・クロラ』にゃ。【赤の聖騎士】――戦場を駆ける紅い剣神、にゃ。とにゃると……特別依頼、にゃんとかしにゃいと、マズイにゃ……)
タニアは【鑑定の魔眼】で、ジッと自称セリエンティアを睨み付ける。魔眼に力を篭めて鑑定すると、やはり間違いなく、そこには『エーデルフェルト』と表示されていた。
「――例の件って、公主の弟を捜す、とかの依頼にゃ? あんにゃの、お前の嘘じゃにゃいか。にゃので、当然にゃがら、捜してにゃんかいにゃいにゃ」
「嘘、とは、どういう意味ですか?」
「そのままの意味にゃ。お前が、嘘吐き、って意味にゃ」
タニアは喧嘩腰で挑発気味にそう言い放った。この場は、強気に攻めるのが正解だろう。
相手が公主セリエンティアでないことが確定した現状、自称セリエンティアの思惑は不明だが、それに踊らされると、結果として受注している特別依頼自体が無効になる可能性がある。だが、そうなってしまっては困るのだ。
タニアたちは特別依頼の受注履歴をそのままに、今回の緊急依頼を達成しなければならない。となれば、ともかく優位に立たなければならない。
「嘘吐き、ですか? 何が、嘘、だと?」
自称セリエンティアはタニアの挑発に乗って、ピクピクとこめかみに青筋を立てながら、全身からいっそう強烈な殺気を放った。冷静さを欠いた態度である。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ、二人とも――タニア、あたしたち、別に喧嘩を売りに来たんじゃないでしょ」
そのとき不意に、一触即発の空気に堪えかねて、呆れた様子のセレナが溜息混じりに口を挟んだ。
「あたしたちが知りたいのは、緊急依頼の件よ。特別依頼については、関係ないでしょ? 今その問答をしたところで、状況がこじれるだけよ?」
セレナの指摘はまさしく正論だろう。しかし、その仲裁はタニアにとっては余計なお世話である。
タニアはセレナの忠告を綺麗に無視して、声のトーンを抑えながら爆弾発言を口にした。
「にゃあ、【赤の聖騎士】エーデルフェルト。何の意図があって、公主セリエンティアの名を騙ってるにゃ?」
タニアのその台詞は、傍らにいるセレナと、受付越しに座っている自称セリエンティアにしか聞こえない音量だった。途端、自称セリエンティアは目を見開き、今の発言を誰かに聞かれなかったか、不安そうな表情で慌てて周りを見渡した。
「チッ――イリス!! こちらに来なさい!!」
突如、自称セリエンティアは受付奥に叫ぶ。すると、見覚えのあるお嬢様風の受付嬢が、パタパタと急ぎ足で受付までやって来た。
「セリエンティア様、如何いたしましたか?」
「少しの間、受付をお願いします――申し訳ありませんが、お二人とも別室にお付き合い下さい」
お嬢様風の受付嬢イリスがやってくると、自称セリエンティアは椅子から立ち上がり、顎をクッと動かして、ギルドの二階を指し示す。
タニアは不敵な笑みを浮かべつつ、話に付いて来れていないセレナを小突いて、移動するにゃ、と二階へと促した。
これで会話の主導権を握ることには成功した。
自称セリエンティアを名乗る『エーデルフェルト』は、自身の身分を周りに明かせない事情があり、そしてそれは、どう見ても弱点である様子だった。
弱点さえハッキリすれば、あとはそこを巧みについて交渉するのみだ。これで上手く行けば、煌夜とセレナが受注した特別依頼も、無効にはせず有耶無耶にして、しかも緊急依頼も受注できるだろう。
タニアは胸のうちで、そんな算段を考え始めた。