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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十章 魔神召喚陣
77/113

第六十九話 ディド

更新しました。


2020/3/31 時間軸の整合性を合わせる為に、一部時間表記変更。

 

 ディドの望みを叶える為に、一行は再び冒険者ギルドに赴いていた。


「ディド姉様……本当に、冒険者などになるおつもりですか?」

「コウヤ様と共に往くのならば、それは当然かしら――むしろ、クレウサはどうして登録しないのかしら?」

「……天族の騎士(セラフィエル・ナイト)としての、矜持がありますから……」


 断言するディドに、クレウサは呆れ顔になり溜息を漏らしながら呟いていた。

 ヤンフィはそんな二人のやり取りを、どこか羨ましそうに見詰めていた。姉妹でじゃれ合う光景――ヤンフィが永遠に失った光景である。


(……と、感傷に浸っていても仕方あるまい……サッサと受付を済ませるかのぅ)


 ヤンフィはそんな妄想を振り払うように首を振ってから、ギルドの受付に声を掛けた。

 受付に居たのは、先ほど訪れたときと変わらぬ、やる気の感じられない妙齢の女性である。


「おや? アンタらは、指名手配されて……ああ、そういやさっき、ディーノット様から手配解除の依頼が来てたねぇ――」

「――冒険者登録と、パーティ登録を行いたい。すぐに用意せよ」

「あ? ああ、はいはい。登録だね? あいよ、ちょいと待ちな」


 当たり前のように世間話を始めようとした受付嬢に、ヤンフィはすかさず用件を切り出した。

 受付嬢は、はいはい、とおざなりに云って、机の中から水晶を取り出した。


「二重登録の確認するから、この水晶に魔力を注ぎ……ん? まさか、お嬢ちゃんが登録する気かい?」


 カウンターの上に置かれた薄汚れた水晶を見て、ヤンフィは煌夜を登録させたときと同じように、水晶に手をかざした。瞬間、受付嬢が驚いた声を上げる。


「登録しては駄目なのかのぅ?」

「いや、そりゃあ、駄目じゃないけど……冒険者登録するのに、年齢制限もないけどさ……お嬢ちゃんは、少しばかり気が早すぎるんじゃないかい?」


 ヤンフィの容姿をジロジロと見ながら、受付嬢はもっともなことを口にしていた。だが、そんなのは杞憂にさえならない的外れな意見だ。

 ヤンフィは当然のように無視をして、そのまま魔力を注ぎ込んだ。

 ポゥ、と幽かに緑色の光が揺らめき、水晶が白く濁った。


「――まぁ、そりゃ当然、登録はないだろうねぇ」


 受付嬢はその水晶の反応を見ながら頷き、チラとその後ろに立っている煌夜に視線を合わせる。

 ほれアンタも、と手招きしてくるが煌夜は動かず、クレウサとじゃれあっていたディドがヤンフィと入れ替わりにカウンターに立った。


「ヤンフィ様、この水晶に手をかざせば宜しいのかしら?」

「うむ。何でもソレは、冒険者登録の有無を調べる魔術道具のようじゃ」

「へぇ? 人界には不思議な道具があるのですわね」


 ディドが水晶に魔力を注ぎ込んだのを横目にしながら、クレウサが感心した風に呟いた。受付嬢は、ディドの魔力波動を眺めて、ヤンフィのとき同様に、はいはい、と頷いた。


「……アンタらは、二重登録にもなってないから、これで登録は完了だよ。んで、そっちの兄ちゃんと、剣士の美女ちゃんはどうすんだい? 登録しないのかい?」


 ディドの登録が終わると、受付嬢は、そっちの兄ちゃん、と云いながら煌夜に強い視線を向ける。

 次いでクレウサにも視線を向けるが、クレウサは顔の前で手を横に振って、登録しない意思表示をした。


「妾たちだけじゃ。コウヤはもう冒険者登録が済んでおる――で、妾たちを、コウヤのパーティに登録追加してくれないかのぅ?」

「はぁん? こんな素人臭い兄ちゃんが、パーティリーダーなのかい? ああ、ああ、なるほどねぇ……綺麗どころを集めてハーレム気取りってわけか……はいはい、分かったよ。んじゃあ、お嬢ちゃんと、金髪のお姫様は、この書類をちゃっちゃと書いとくれよ――書き方は、兄ちゃんにでも聞きな」


 受付嬢は面倒くさそうな顔をしながら、カウンターに二枚の紙を置いた。

 紙を受け取ると、ヤンフィは手早く、ディドはヤンフィの見様見真似で情報を書き込んだ。

 書類への記入を終えると、受付嬢はチラとその中身を確認してから、煌夜に手を差し出した。


「資格証を用意するついでに、兄ちゃんのパーティに追加登録もしてくるよ。だから、パーティの徽章(きしょう)をよこしな」

「……パーティの、徽章……あ、ネックレスか……」


 煌夜は受付嬢に云われてから、了解、と首に掛けていた水晶球のネックレスを外すと、そっと手渡す。


「……えーと、規則だから確認するけど――お嬢ちゃんが『ヤンフィ』で、金髪のお姫様が『ディド』だね? 登録名に間違いはないかい?」

「ない」

「相違ないかしら」


 受付嬢は、煌夜からパーティの徽章を受け取ると、ヤンフィとディドに念押しのような物言いで質問した。それに対しては二人とも、問題ない、と即答した。


「はいよ。じゃあ、登録してくるから、冒険者の決まりでも読んでてもらえるかい?」


 受付嬢はカウンターの上に何やら使い古された冊子を置いて、煌夜を見ながらトントンとその冊子を叩いた。

 煌夜は疑問符を浮かべながら、その冊子を手に取る。


「冒険者の規則が書いてあるよ――お嬢ちゃんたちは、パーティリーダーから説明を聞いておくれ」


 受付嬢はそれだけ云うと、そのまま裏手に下がって行った。

 とりあえずヤンフィは、煌夜の持つその冊子を奪うと、キョトンとした空気を放っているディドに放り投げた。

 ディドは、不意打ち気味に投げられたそれを、咄嗟に受け取って、パラパラと頁をめくる。


「特に説明することはないが、あえて注意点を云うならば、冒険者は一定期間仕事を受注しないと、資格を剥奪されるようじゃ」

「なるほど――畏まりました」


 ヤンフィがサラリと告げると、ディドは冊子を読み終えたようで、パタンと閉じて頷いた。


「――なっ!? こ、この徽章って――あの『コウヤと頼りに……っ!?」


 しばし待っていると、受付嬢が去って行った裏手側が、俄かに騒がしくなった。同時に、大きな驚き声が聞こえてきて、慌てた様子で受付嬢が戻ってきた。


「あ、兄ちゃん、アンタっ!? アンタが、あの『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』のリーダー『コウヤ』なのかい?! アベリンで【大災害】の異名を持つ『タニア』と、つい先日、ベクラルギルドで問題を起こした【緑髪の悪魔】こと『セレナ』を従える、謎に包まれしリーダーなのかいっ!?」


 受付嬢は唾を飛ばしながら、興奮気味で煌夜にずずいっと顔を近づけてきた。煌夜は何が何やら判らず、ドン引きして後退る。


「……タニアは分かるが、セレナの通り名は何じゃ?」


 受付嬢の興奮とは裏腹に、ヤンフィは冷静に首を傾げた。セレナは煌夜と同じタイミングで冒険者になり、少なくとも一緒に旅していた限りでは、【緑髪の悪魔】などと云う呼び名はなかった。

 別行動している間に、何かあったのか――と、考えたとき、受付嬢が何かに気付いてハッとした顔を浮かべた。そして、いきなり慌てて頭を下げる。


「――し、失礼、いたしました。こ、これが『ヤンフィ』ちゃんの資格証で、こっちが『ディド』様の、資格証です――あ、あと、これもお返ししますっ!」


 カウンターの上に平たい水晶が二つ置かれて、煌夜にはネックレスを返してきた。


「……ジョセフィン。何を叫んでいる?」


 ふいに、そんな渋い声が背後から聞こえてくる。

 振り返れば、上階から白髪の戦士、クダラークのサブギルドマスターであるディーノット・クラインがやってきていた。

 どうやら受付嬢――ジョセフィンは、ディーノットが現れたことに気付いて、その態度を変えた様子だった。

 怒られるとでも思っているのか、先ほどとは打って変わって恐縮した態度である。


「あ、いえ、す、すいません、マスター……し、仕事に戻ります……つ、次の方――」


 ディーノットのギラリとした鋭い視線に睨まれたジョセフィンは、頭を下げて謝罪しつつヤンフィたちを押し退けて、後ろに並んでいた他の冒険者たちの対応を始めた。

 突然どかされたヤンフィとディドは、仕方なしに資格証を手に取って、歩み寄ってくるディーノットと向かい合う。

 ちなみにディーノットは、射殺すような鋭い視線を煌夜に向けて歩いてきた。


「……今度は、何の用だ? 何度来ても、陸戦魔動艇に乗せる許可は出せないぞ?」

「あ、や、別に、そういうわけじゃなくて……」


 ディーノットの威圧に、思わず煌夜がしどろもどろに声を出したが、それを手で制して、ヤンフィがずいっと前に出た。


「自惚れるでないわ。妾たちは別段、汝に用があったわけではない。パーティ登録をしにきただけじゃ……そして、もう用事は済んだ」


 ヤンフィはこれ以上関わりたくないとばかりに断言して、ディーノットの脇を抜ける。それに続くように、煌夜の腕に自然と腕を絡ませて、ディドもヤンフィの後に従った。


「――陸戦魔動艇の発着警備は、儂が直接行っている。万が一にも、貴様らを見つけた場合は、犯罪者として指名手配する。覚えておけ」

「ほぅ? それはご苦労なことじゃ。じゃが、妾たちには関係ないのぅ」


 ギルドを後にしようとしたヤンフィたちの背中に、ディーノットがそんな脅しをボソリと呟いた。

 これからの行動を見透かされたような脅しに、煌夜がビクリと震えたが、それを誤魔化すように、ヤンフィが挑発的な口調で云い切った。


「妾たちはとりあえず、宿屋でゆっくりするかのぅ――往くぞ」


 ヤンフィはそう吐き捨てて、そのままギルドを後にした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 宿屋に戻ってくると、ヤンフィはドカッとソファに腰を沈めて脚を投げ出した。


「さて、ディドよ。図らずとも、ディーノットが貴重な情報を教えてくれたが、あとは全て汝に任せても好いかのぅ?」


 煌夜と腕を組んで入ってきたディドは、正面のヤンフィと向かい合う位置で立ち止まり、ええ、と頷いて見せた。


「陸戦魔動艇とやらが、どんな乗り物かは存じませんし、どこから乗るのかも存じませんけれど、ディーノットを目印にさせて頂きますわ」

「ふむ――大丈夫か?」


 ヤンフィが挑発的な薄笑いを浮かべながら問うてくる。

 大丈夫か――その問いの真意は、ディーノットに気付かれずに密航できるのか、その自信はあるのか、という意味であろう。

 つまりヤンフィは、ディドを侮っているのである。


「ワタクシの幻視魔術を、馬鹿にしないで頂きたいかしら。彼程度であれば、充分騙し通せるかしら」


 ディドは煌夜に絡めていた腕を離すと、自身の胸元に手を当てながら、ヤンフィに胸を張って見せる。

 それは強がりではなく、冷静に分析したうえでの事実だ。ディーノット・クラインを過大評価したとしても、その実力は恐らく、クレウサにも及ばないだろう。

 しかもディーノットは魔眼持ちでさえない。となれば、ディドの幻視が見破られる可能性は万に一つさえない。

 それこそ、わざと気配を知らせない限り、ディーノットが気付くことはないだろう。


「ディドよ、失敗は許さぬ――じゃが、想定外の事象が発生した場合には、自己判断なぞせず、即座に戻って来い」

「ええ、畏まりましたわ」


 ディドの自信ある態度に、ヤンフィが満足げに頷いていた。ディドは、ヤンフィに無表情ながも頷き返して、傍らに居る煌夜に向き直る。


「ん? あ、うん。その、無茶振りだけど、頼むよ。ディドだけが頼りだ」

「――ええ、勿論ですわ。ワタクシの全身全霊で持って、任務を遂行させて頂きますかしら」


 煌夜はディドの視線を受け止めると、頼む、とすぐに頭を下げた。

 頭など下げる必要はないのに――と思いつつも、ディドは頼られる喜びから口元がにやけてしまう。

 煌夜にお願いまでされてしまったならば、果たせないなど許されない。


「あの……コウヤ様。ところで、一つだけワタクシからもお願いがあるかしら」

「え、なに? 俺に出来ること?」

「ええ、無論ですわ――コウヤ様がお持ちのパーティの徽章をお借り出来ませんかしら?」


 ディドは煌夜の首に掛かったネックレスを指でなぞりながら、少しだけ首を傾げた。煌夜はその所作に恥かしげに頬を染めて、ああ、と慌てた様子で頷いた。


「別にいいけど……パーティの徽章なんて、どうすんだ?」

「コウヤ様とご一緒している気持ちになりますわ。安心感が出るので、幻視魔術の精度も上がるに決まっておりますわ」

「あ、そう……え、と……じゃあ、はい」


 ディドの受け答えに、煌夜は一瞬面食らったように停止して、しかしすぐさま素直にネックレスをディドに手渡した。

 ディドはネックレスを大事そうに握りしめてから、収納の時空魔術で異空間に仕舞い込む。


「ディドよ。それともう一つ。何があろうとも二日経ったら戻って来い。当然、赴いた場所は登録した上で、じゃ」


 ヤンフィがそう釘を刺してくる。

 それは当然の危機管理だろう。時間の制限を設けなければ、任務の進捗が分かろうはずもない。

 ディドは力強く頷いて、室内にある時計に目をやった。時刻はそろそろ十七時を過ぎる頃合である。

 ディーノットの言が正しければ、陸戦魔動艇の発着予定時刻は、およそ五時間後――まだ時間的に余裕はあるが、果たしてそれは真実だろうか。


「……ワタクシそろそろ、ディーノットを尾行し始めようかと思いますわ。万が一にも、任務失敗する訳にはいかないかしら」

「ほぅ? それは構わぬが、彼奴の言葉が嘘である可能性も考慮しておるか? 尾行に夢中で、肝心な陸戦魔動艇に乗り過ごすことなどありえぬぞ」

「当然かしら。それにワタクシ、こう見えても尾行任務は得意中の得意ですわ」


 ふふん、と少しだけ勝ち誇った微笑を煌夜に向けると、煌夜はどう返せば良いのか対応に困ったような苦笑を浮かべていた。そんな反応が可愛らしくて、このまま別行動するのが寂しく感じた。

 しかしそんなことは言っていられない。ディドが託された任務は、責任重大である。


 煌夜の仲間である『タニア』と『セレナ』を見定めたうえで、この街で待機している煌夜たちと合流させなければならない。その過程で、目的地である【ベクラル】の座標を登録する必要がある。


 ディドは無表情のまま、煌夜の顔を目に焼き付けるようにジッと見詰める。それから瞳を閉じて長く深く呼吸を繰り返す。一定間隔に呼吸を繰り返すことで集中を高めて、気持ちを戦士のそれへと切り替えた。感情の一切合切に封をして、任務達成する為の最善だけを考えることにする。


「ふむ……一瞬でこれほど見事に、精神を集中の極地に高めることが出来るとはのぅ――ディドよ。汝に任せたぞ」

「畏まりましたわ――――クレウサ、ワタクシが居ないからといって、ヤンフィ様たちに失礼な真似はしないように」

「……ええ、心得ています。ディド姉様も、ご無理などせず」


 クレウサのうんざりしたような返事を背中で聞きながら、ディドは煌夜の顔をもう一度ジッと見つめてから、行って参ります、と小さく呟いた。


「あ、ああ。え、と……じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい」

「はい。しばしの間、こちらにてお待ち下さいませ、コウヤ様」


 煌夜の優しい送り出しの言葉に力を貰って、ディドは音もなく部屋から出て行く。

 廊下には誰もいない。だが、万が一にも目撃されることがないよう、呼吸と共に幻視の魔術を展開して、その姿を透明に変えた。


 これは【透明化(インビジブル)】と呼ばれる幻視魔術だ。


 単一対象を、周囲の景色と同化させる透明な水の膜で包み込み、それによって姿を隠す魔術で、幻惑系統に属する合成魔術の中でも比較的容易な部類の魔術である。

 通常は視覚情報しか騙せない程度の幻視魔術だが、ディドのソレ(透明化)は、存在感のみならず、音や対象の熱さえも掻き消すことが可能だった。


「……聞いたか、とうとうソーンが……」

「ああ、さすが三英雄……」


 宿屋の入り口で冒険者風の二人組と、わざとスレスレまで近付いてすれ違うが、二人組はディドの気配にまったく気付かず通り過ぎた。

 ディドは幻視の魔術がしっかりと展開出来ていることを確認してから、その背中に風翼を生み出す。


「とりあえず、ディーノットを探そうかしら」


 誰に言うでもなくディドはそう呟いて、クダラークの空に飛翔する。ブワッと突風が巻き起こり、周囲を歩いていた人々がその風に目を細めていた。


「――――アレ、かしら?」


 ディドはクダラークの上空を飛翔しながら、街を縦断している大通りの終着地に目を凝らした。

 そこには聖王湖に架かる大橋と、関所のような門があり、五、六人の作業服を着た男衆が駆け回っていた。そんな彼らの中心には、重装備の見慣れた冒険者の男が居る。

 ディドは念のため警戒しながら、駆け回っている連中の頭上、およそ30メートルほどの位置で静止した。

 この距離であれば、風の魔術を応用することで、ギリギリ会話が聞き取れる。


「積荷の用意は出来ているのか? 予定時刻まで、もうそれほど時間がない」

「いま最終確認中です――しかし、本当にそんな危険な連中が襲い掛かってくる可能性が?」

「ああ、あり得る。あの幼子の姿をした化物は、儂の忠告など無視するつもりのようだった。恐らくは、目撃者を全て消せば、指名手配されないと思っているはずだ」

「……だとしても、わざわざディーノット様が出張るほどの相手、なんですか?」


 ディドは真下で交わされる会話に首を傾げた。

 会話の内容は、ヤンフィのことを指しているのだろうが、いまいち不明瞭である。また、ディーノット以外の人間たちは、山と積まれた荷物を慌しく確認していた。


「儂でさえ、相手にはなるまい。運良く立ち回ったとて、時間稼ぎが関の山だ」

「な――っ!? そ、それほど、ですか!?」

「ああ、それほどだ。だからこそ、あの連中はソーンから【聖王の鍵】を受け取っている可能性がある。確証が持てない限り、この街から出すわけには行くまい」


 ディーノットは語気荒くそう告げて、眼前の男性の肩を叩いた。男性は顔面を蒼白にしてから、慌てて周囲の人間に指示を出す。


「おい、積荷の確認、急げ――操舵手、予定時刻を更に前倒すぞ! 陸戦魔動艇を回して来い!!」


 ディドはその台詞にピクリと反応して、存在感を完全に消した状態で地上に降りた。

 すぐ傍にはディーノットが立っており、作業員たちは周囲を慌しく動き回っていた。


(まさか――もう出発するつもりかしら?)


 ディドは周りの連中を眺めて、その空気感が今にも出発の雰囲気であることを感じた。

 なるほど、これはディーノットに謀られていたらしい。

 出発時刻の早倒し――ディーノットは、ヤンフィの前ではあえて嘘を吐かず、その予定を変更させることで、介入されるのを防ぐつもりだったようだ。なかなか見事な機転だろう。

 ただし、運はなかったらしい。だからこうして、ディドに見付かってしまっている。


(きっと、これはコウヤ様の強運のおかげ、ですわ――どうかコウヤ様、ワタクシをお導き下さいませ)


 ディドは胸元で両手を合わせて、祈るように瞳を閉じる。


 さて、しばしそうして周囲の状況を見守っていると、ドドド、と地響きにも似た轟音と共に、クダラークの目抜き通りから、巨大な舟型の乗り物が現れた。

 巨大な舟型の乗り物は、全長1メートルほどはあろう車輪を等間隔に六つ携えており、正面側に人一人分が座れる椅子が設置されていた。椅子の肘置きには宝玉が付いていて、そこに魔力を流し込むことで動作を制御している様子である。

 ちなみに椅子以外の部分は全て、積荷を載せる用だった。


「よし! 陸戦魔動艇に積荷を運び込めっ!! 準備が出来次第、発車しろっ!」

「「「応っ!!」」」


 透明化しているディドの傍らで、そんな叫び声と共に、作業員が積み上がっていた荷物を載せ始めた。

 流れるようなリレー作業で、荷物がドンドンと陸戦魔動艇の運転席後ろ側に積まれていく。それは見事な連携作業で、あっという間に、山と積まれていた積荷が陸戦魔動艇に移っていった。


 ほどなくして、陸戦魔動艇には積荷が所狭しと積み上がり、荷物を積む作業が完了した。


「――杞憂、だったか?」

「ディーノット様、もう発車して大丈夫ですか?」

「ああ……うむ、大丈夫だろう」


 すぐ隣にディドが居ることにまるで気付かず、ディーノットは周囲を見渡してから、問い掛けてきた作業員に頷いていた。


「流石に警戒しすぎだったんじゃないですか? 襲撃の気配、ありませんよ?」

「いや、だが、最後まで気は抜くなよ……入り口を開けた瞬間に、襲われる可能性もある」

「分かってますよ――おい、警戒しつつ門を開けろっ!! 操舵手、陸戦魔動艇を起動しろ!」


 安堵した様子の作業員に、ディーノットは注意を促していた。その注意に対して雑に頷きつつ、作業員は、陸戦魔動艇に騎乗している操舵手に命令した。

 すると、ブォン、と音が鳴り、陸戦魔動艇についている六つの車輪が空転を始めて、その場で土煙が舞い上がる。


「開門、五秒前――四、三、二、一」


 作業員が秒読みを始める。

 それを耳にしながら、ディドはふわりと飛び上がり、陸戦魔動艇の積荷の上に乗った。真横で周囲の警戒をしているディーノットは、そんなディドにまったく気付かない。


「――開門っ!! 出発!!」


 秒読みが終わると同時に、関所のような門が轟音を響かせながら開放される。門の先には、聖王湖を縦断する【湖の大橋】を見えた。

 瞬間、陸戦魔動艇の空転していた車輪が地面を噛み締めて、いきなりトップスピードで大橋に向かって走り出した。その動き出し様は、爆発に巻き込まれて吹っ飛ばされたかのような勢いだ。


「――閉門しろっ!!」


 陸戦魔動艇はまさに矢のような速度で【湖の大橋】に飛び出した。そして、陸戦魔動艇が門を飛び出したのを確認してから、掛け声と共に素早く門が閉じられた。


 これでもう、陸路でクダラークに戻る術はなくなった。


「コウヤ様、この強運、感謝しますわ」


 ディドは凄まじい速度でクダラークから離れて行く陸戦魔動艇の上で、想定よりもずっと早く街を出ることに成功した幸運に感謝の祈りを捧げた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 陸戦魔動艇に揺られること、およそ五時間弱。

 とっくに日は落ちきり、辺りは完全な暗闇に支配されていた。周囲は、見渡す限り何もない荒野地帯である。

 そんな中を、月明かりだけを頼りにして、ディドを載せた陸戦魔動艇は、一度も停車することなくひたすら前へ前へと突き進んでいた。


(……退屈、ですわ)


 ディドは夜風に揺れて顔に張り付く金髪を鬱陶しそうに払って、何度目になるかも分からない溜息を漏らす。

 陸戦魔動艇に載ってからずっと、ディドは透明化の魔術を維持したまま、ただただ変わらぬ景色を眺めているだけだった。暇で仕方ない。


(まだ、着かないのかしら?)


 どれくらい移動に時間が掛かるのかは分からないが、もうそろそろ、何らか変化があっても良い頃合ではないだろうか――と、ディドは操舵手を見た。

 そのとき、偶然か必然か、突如、陸戦魔動艇がガクンと大きくバウンドした。

 不意打ちすぎて、思わず悲鳴を上げそうになるが、ディドは冷静に周囲の状況を確認する。進行方向には、陸戦魔動艇が揺れる要因など何も存在していなかったはずだ。


「――おっ! ようやく中継点か……やっと休めるぜ」


 ディドが陸戦魔動艇の揺れた要因を探していると、冷静な口調で操舵手がそんな独り言を呟いた。

 同時に、グッとブレーキがかかり、ほどなくして陸戦魔動艇は何もない荒野地帯のど真ん中で完全停車した。


「さて、と……野営の準備をするか」


 操舵手は停車した陸戦魔動艇から降りると、周囲の地面を注意深く眺め始める。何かを探している様子だが、何を探しているのかは謎だ。

 ディドは疑問符を浮かべながら、息を殺してジッと操舵手の行動を見守った。


「お、あった、あった――『異界の門よ、顕現せよ』」


 やがて操舵手は、陸戦魔動艇が刻んだ轍に何かを見つけて、それに向かって簡略詠唱する。すると途端に、地面から空気中に魔力が溢れ出して、操舵手の前に門のような扉が現れた。


(アレは、時空魔術――【異空間生成】ですわね。足元に、魔法陣でも隠してあったのかしら?)


 ディドは巨大な門が現れた地面に目を凝らして、どうしてこんな時空魔術が展開したのかを探る。ところが、どれほど注意深く観察しても、地面には魔法陣らしきものはなかった。


「『門よ、開け』――『陸戦魔動艇、空間を閉じよ』」


 ディドが魔法陣を探している一方で、操舵手はその門に手を当てて魔力を篭めつつ、また異なる簡略詠唱を口走った。

 瞬間、詠唱を耳にしたディドは慌てて、陸戦魔動艇の荷台から飛び降りた。咄嗟に荷台から離れるディドにやや遅れて、操縦席からは何やら黒い靄が溢れ出す。


(……まさか【時空牢】を、簡略詠唱するなんて……)


 ディドは陸戦魔動艇を包み込む黒い靄を眺めて、心の中で感心する。陸戦魔動艇はその黒い靄に包まれて、4メートル弱の漆黒の立方体と化した。

 その黒い靄の正体は、【時空牢】と呼ばれる結界魔術である。

 八属性ある結界魔術のうち、最も外部からの攻撃に強い魔術だ。外部からのあらゆる干渉を撥ね退ける結界であり、一度展開されたら、術者が死んでも展開し続ける特性を持っている。

 ――とはいえど、破壊不能ということではない。術者の意思で解除もできるし、聖級レベルの攻撃ならば、容易に突破できる結界魔術だ。

 ディドであれば、この程度の魔術は破るのは簡単である。しかし破ってしまったら、隠密行動している意味がない。

 それ故にディドは、この結界魔術に閉じ込められるわけにはいかなかった。


「――『門よ、閉じろ』」


 陸戦魔動艇が【時空牢】で包まれたのを確認してから、操舵手は門の中に入り、簡略詠唱で入り口を閉じた。異空間に入った操舵手は、門が閉じると煙のように掻き消えた。

 その様を見送って、ディドはしばしの間、暗闇でジッと動かず様子を窺った。


 果たして、十数分経っても何も起きない。

 どうやら操舵手は真実、先ほど呟いた独り言通りに休憩を取っているのだろう。


 ――となれば、数時間はこのまま、何もない荒野のど真ん中で待機になる可能性が高い。


「時間の浪費、かしら。ワタクシ、一刻も早く目的地に向かいたいですのに……」


 ディドは透明化の魔術を解いて、肩を落としながら独りごちた。

 ここでどれくらい待機するつもりかは分からない。けれど、かといって、ここから目的地までどれくらい時間が掛かるのかも分からない。

 進むに進めず、戻るに戻れず――いっそのこと、この荒野を登録して、クダラークに戻ろうかとさえ考えてしまう。


「はぁ……任務を中途半端にして戻ったりしたら、コウヤ様に幻滅されるかしら……」


 急がば回れ、ではあろうが、果たしてここで待機することが最善手なのか――ディドは、夜空に浮かぶ月を見上げて途方に暮れる。


「――――ん? 何の音、かしら?」


 そのとき、遠くから何か轟くような音が響いてきた。

 ディドは気の抜けた心を一瞬で引き締めて、周囲の状況に集中する。轟音は地響きのようで、振動を伴って、徐々にディドへと近付いてくるようだった。

 ディドは背中に風翼を生み出して、すかさず空高く舞い上がる。地上からでは、どれほど目を凝らしても地平線しか見えなかった。


「……巨大な、蛇? いえ……まさか……アレが、魔動列車、かしら?」


 月明かりを背負って轟音の方角を見詰めると、陸戦魔動艇の轍をなぞるような進路で、ドンドン突き進んでくる何かがあった。

 対比物がないので、それがどれほど大きい存在かは判別できないが、その何かは、長い蛇のような体躯をしており、陸戦魔動艇など比にもならないほど速く動いていた。

 まだソレとの距離は、とんでもなく離れている。

 しかし、恐らくその速度を考えれば、およそ三十分もすれば、ディドのいる場所を通り過ぎるだろう速度だった。


 ディドは魔動列車を知識でしか知らない。だから、近付いてくるソレが、果たして魔動列車なのか確信が持てなかった。


「形状は、魔動列車と酷似してますわね……」


 ソレが魔動列車であれば、進んでくる方向から、向かう先はディドの目指す【鉱山都市ベクラル】のはずだ。


「……魔動列車、だとしたら……乗り込めば、目的地まで行けるかしら」


 その速度は、テオゴニア大陸の陸路で最速を謳うに相応しい速さだろう。

 一瞬の最高速度だけならば、ディドのほうが圧倒的に速い。だがしかし、あれほどの速度を維持し続けるのは不可能である。


 徐々に近付いてくる地響きのような轟音と、凄まじい速度でうねる蛇の体躯を眺めながら、ディドはその光景をただ呆然と眺めていた。


「――と、呆けていないで、行動すべきかしら」


 ディドは首を横に振ってすぐに気を取り直すと、風翼をバサリと羽ばたかせて、ソレのほうへと飛翔する。

 まったく止まる気配のないソレに乗る為には、とりあえず併走すべきだろう。

 動きを止めてから乗る選択肢もあるやも知れないが、そうなれば必然、大事になってしまう。


(そもそも、止めたりしたら密航が出来ませんし……)


 ディドはソレが実際はどんな姿をしているのか観察する為、走行しているソレに近づいた。

 近くに寄ると、ソレは思っていたよりもはるかに大きな存在感を持っており、遠目から見るよりずっと高速で動いていることが分かった。とはいえ、ディドが本気で飛翔すれば捉えられない速度ではない。

 そして何より、ソレは近くで見ると明らかに生物ではなかった。

 四角い巨大な箱が幾つも連結しており、車輪を回転させて動いている。車輪の動力は、頭部と思しき最前列の箱から供給されている魔力なのも分かった。

 最前列の箱は正面が硝子張りになっており、内側から外の景色が見渡せる構造になっていた。

 ディドは走行の風圧を物ともせず、透明化で姿を見えなくさせてから、正面から内側を覗き込む。中には、魔道士然とした洋装の男女が計四人おり、一人が立って操縦していた。


「これが魔動列車で、間違いなさそうですわね」


 ディドのそんな呟きは、轟音と強烈な風に掻き消されて、誰の耳にも届くことはない。

 こうして、これが魔動列車である確信を得たディドは、並走しながら乗り込める箱を物色する。ところが各箱は、どこを見ても隙間なく閉じられており、入り込める余地はない。


(……入れない、かしら)


 ディドは最後尾まで注意深く調べるが、箱の中に入り込むのは不可能に思えた。

 致し方ない、とすぐさまディドは、箱に潜り込むのを諦めて、息切れする前に最後尾の箱の上に乗る。

 箱の上は決して快適ではなかったが、想像以上に振動はなかった。どうやら車輪自体にも特殊な魔術加工を施してあるようで、振動を吸収して、速度を落ちにくくしているようだった。


 ディドは、ふぅ、とひと息ついて、凄まじい速度で流れる景色を眺めた。とりあえずディドが今やれる事は、振り落とされないよう静かに待機することだ。


 さて、それから二時間ほど経った頃、進行方向に一面黒々とした壁のようなものが現れた。

 月明かりに照らされたそれは、近付くにつれて深く広い森だと見て取れた。荒野一面を埋め尽くすほど広大な森である。


 その森を見て、ディドは首を傾げざるを得なかった。


 向かうべき【鉱山都市ベクラル】の周囲には、森などないはずである。


「……見渡す限りの、樹海……まさか……デイローウ大樹林……」


 ディドは事前に予習していたクダラーク周辺の地図を頭の中に思い描いて、目の前に広がる樹海に思い至ってしまった。

 そして、それにより導き出される勘違いに気付いてしまい、若干、絶望的な気分になる。

 しかし、まだそうと決まったわけではない――と、ディドは現実から目を逸らそうとして、瞬間、魔動列車から響いたアナウンスに、どうしようもなく絶望した。


『――まもなく当列車は【デイローウ大樹林入り口】に到着いたします。当列車は、ここで二時間停車して、補給と調整を行い……』


 嗚呼、と額に手を当てて、ディドは思わず頭上の月を仰ぎ見た。

 行き先の確認を怠った結果ではあるが、陸戦魔動艇の行き先は【鉱山都市ベクラル】であるとなぜか錯覚していた。


「……けれど、そう悲観することもない、のかしら……結果として時間は掛かるやも知れませんけれど……タニア、セレナが、デイローウに居る可能性もあるわけですし……」


 ディドは自らに言い聞かせるように、そんな独り言を呟く。

 そもそも、目的地は確かに【鉱山都市ベクラル】でもあるが、もう一つの目的には、別行動しているタニアたちの見定めと回収がある。


 つまり行く先が何処だろうとも、そこにタニアたちが居れば、ディドの行動は無駄にならない。


 うむ、と気持ちを切り替えたディドは、徐々に速度を落とし始めた魔動列車の上から飛び立って、大樹林の入り口に先行した。

 さも待ち人を装って、やってきた魔動列車に乗り込む心算である。


 ところが――いざ魔動列車が停車したとき、想定外の光景を目にすることになった。


「これは、コウヤ様の加護のおかげかしら?」


 ディドは上空から魔動列車を見下ろしながら、胸元で両手を合わせて祈るように瞳を閉じた。


 見下ろした先、魔動列車から降りてきた何人かの冒険者たちの中に、一際目立つ容姿をした獣族の女性が居たのである。


 魔動列車から降りてきたその獣人族は、尻尾は見えないが、猫耳を立てた猫耳獣族(ガルム)であり、傍らに妖精族の少女を引き連れていた。

 猫耳獣族と妖精族という組み合わせ自体珍しいのに、二人はそのまま、自然な流れでデイローウ大樹林へと歩き出していた。

 ディドは、マジマジとその二人を眺める。

 十中八九、ディドが探していた『タニア』と『セレナ』は、この二人で間違いないだろう。


 妖精族のほうは、碧色をした丈の長いワンピースを着て、深緑のケープを羽織り、銀の胸当てを装備している。妖精族特有の魔術紋様は両頬にハッキリと刻まれており、その長い緑髪は一本にまとめてサイドに垂らされていた。その手には月桂樹の杖を持っており、雰囲気はいかにも中距離魔術師である。

 凹凸の少ない未発達の身体、身長はディドよりも頭一つ分は小さいだろう。綺麗というよりは、可憐という表現が似合う美少女だ。

 その特徴は全て、ヤンフィから聞いていた『セレナ』の容姿に合致した。


 一方で、猫耳獣族のほうは、踊り子と言われて違和感がないほど扇情的な薄着姿をしている。

 肩出しの黒いベストを着て、鍛え抜かれた腹筋を露出させており、ホットパンツから伸びた生足には、脛まで覆うブーツを装備していた。黄と青の左右色違いのオッドアイに、月明かりを浴びてキラキラと煌めくショートボブの白髪をしている。両手には竜革と思しき指貫グローブを付けていて、その立ち居振る舞いは近距離特化の格闘家だ。

 豊満な胸、引き締まった腰、安産型の尻。同性から見ても美しいと思える女性らしい身体つきをして、その身長はディドよりも頭二つ以上高い。凛々しい顔立ちをして、妖艶な魅力を漂わせた美女。

 その容姿は間違いなく『タニア』だろう。

 だが――ヤンフィから聞いていた話以上に、放たれている威容は、ディドの想像を超えていた。


(凄まじい覇気と、魔力かしら……『タニア』は、ヤンフィ様から御聞きしていた以上に、とんでもない御方ですわね)


 夜闇が支配する森に向かって、ただ歩いて行く猫耳獣族――タニアの威容を肌で感じて、ディドは思わず背筋が寒くなった。

 直接対峙してもいないのに、遠目から眺めただけでさえ、ハッキリと自らとの格の違いを認識できてしまう。それほどの実力差を感じた。


「……んにゃ?」


 そのとき、不意にタニアが立ち止まり、キョロキョロと周囲を見渡し始める。猫耳がピクピクと小刻みに動き出して、風の音一つ逃さないとばかりに緊張感が高まった。

 まさか、眺めているだけのディドの視線に気付いたのだろうか――と、疑問を浮かべたとき、それに回答するように、タニアが傍らの妖精族――セレナに答えた。


「……間違いにゃく、あちしたち、どこかから見られてるにゃ」


 タニアのその台詞と同時に、辺りを包み込む緊張感が更に高まって、周囲がまるで火薬庫にでもなったかのように、キナ臭い空気で満ちた。

 ディドは、つい寒心して身震いしていた。

 気配は完全に消していたし、透明化の幻視魔術も展開している。感情など篭めずに、ただ視線を向けていただけだというのに、タニアはそれに気付いたのである。


(……隠れて、観察する作戦は失敗かしら)


 ディドは、ふぅ、と諦めたように吐息を漏らして、観念した風に声を掛けた。


「――――さすが、コウヤ様のお仲間かしら。気配を絶っていたのに、ワタクシに気付けるなんて……数合わせの雑魚、というわけではありませんわね」


 ディドのその声に反応して、タニアとセレナの二人が頭上を仰ぎ見た。


「……え? まさか、天族?」


 しかし二人のうち、セレナだけが透明化したディドの姿に目を丸くしていた。どうしてかタニアは、見当違いの位置に視線を向けている。幻視魔術を見破れていない様子である。

 なるほど、タニアは気配に敏感でも、物理的な視力は弱く、視覚情報を誤魔化す類の魔術を看破できないのだろう。


「ふ~ん――獣人族(ガルム)は、気配には敏感だけれど、幻視には掛かり易いかしら。でも一方で、月桂樹の使徒は幻視に惑わされないようね。これをすぐ看破できるなんて、お見事かしら」


 ディドは素直にそんな感想を述べて、わざと風翼を羽ばたかせる。注目が集まったことを確認してから、透明化の魔術を解除した。

 暗闇にあらわになるドレス姿のディド、その姿を見て、タニアは緊張した面持ちで息を呑んでいた。


「……見たことにゃい文字、種族は――天族、にゃ」


 上空で二人を見下ろすディドに、タニアがふとそんな台詞を吐いた。

 ディドが天族であることは、まさしく事実である。それは風翼を扱っている時点で確信できる。しかしいま、タニアはディドの顔を見て確信していた。


(……ヤンフィ様の仰っていた【鑑定の魔眼】、なのかしら? けれど……まだまだ覚醒には程遠い、かしら)


 ディドはタニアのオッドアイを見詰めながら、ひとまず状況を説明すべく、風翼を羽ばたかせて地上に降下した。


「とりあえず、高みの見物はもう終わりかしら――」

「――にゃにゃ!? 変態にゃ!?」


 すると、ディドのドレスが風でまくりあがり、地上の二人にスカートの中が丸見えになった。それを目撃した瞬間、タニアがビックリ仰天と驚きの声を上げた。

 変態とは何とも心外だ、とディドは眉を顰めたが、何故そう言われたのかすぐに思い至って納得する。

 そういえば、煌夜にいつ襲われても応じられるようにと、下着の類は身に着けていなかったことを思い出す。つまりディドは今、ノーパンだった。

 まあ、同性に見られても何ら恥かしくはないが、いちいち騒がれるのは少し不愉快である。


「コホン――まずは、自己紹介しておきますわ。ワタクシは、ディド。見ての通り天族ですわ。今後とも、どうぞお見知りおきを」


 ディドは二人の前に降り立つと、わざとらしく咳払いをしてから、丁寧に自己紹介した。その仕草に面食らったかのように、タニアとセレナは目を丸くした。


「さて、では次に確認ですわ。そちらの猫耳獣族(ガルム)――貴女が、『タニア・ガルム・ラタトニア』で間違いないかしら。それと、月桂樹の使徒の貴女が、『セレナ』で合っているかしら」


 ディドは無防備に隙を曝しながら、タニアとセレナに視線を向ける。すると、どうしてか二人とも凄まじい威圧を放ち出した。

 無抵抗をアピールしたつもりだったが、それは逆に怪しまれてしまったようだ。

 ディドは内心で、面倒臭い二人だ、と溜息を漏らしつつ、けれどその警戒心に少しだけ好感度を上げた。いきなり現れた他人を警戒するのは、至極当然のことである。この反応は、馬鹿ではない証拠だろう。


「――難しい、とは思いますけれど、警戒しないで欲しいかしら。ワタクシ、貴女たちと戦うつもりなんて、微塵もありませんわ」


 ディドは本音で抵抗の意思がないことを告げるが、二人はいっそう強い覇気を放ってくる。その覇気に知らず気圧されて、両手を上げながら一歩後ずさった。


「ワタクシ、伝言役ですわ。コウヤ様のお仲間である貴女たちに、今後のお話をする為に、わざわざこんなところまで出張ってきたかしら」


 ディドは二人の剣呑な空気を何とかしようと、弁明の言葉を重ねるが、言葉だけではまったく信用されそうになかった。

 だがそれも当然か。ディドが同じ立場ならば、無論、信用などしないし、できない。


 だからディドは、収納の時空魔術を展開して、煌夜から借りたパーティの徽章を取り出した。


「これが証拠かしら――あ、勿論これは、コウヤ様からお預かりした大事な物ですわよ」


 ディドはそう言いながら、眼前の二人に、そのネックレスを献上するように差し出した。

 これを見せれば、少なくともディドが煌夜たちと共にいることが分かるだろう。ともすれば、話し合いが出来るはずだ。


「……これ、あちしたちの、パーティの徽章にゃ……お前、まさか――コウヤを、どうしたにゃ!?」

「――――は?」


 しかし、ディドの想定通りにはいかなかった。いや、想定していた最悪の斜め上の展開になってしまった。

 タニアは、ディドの両手からネックレスを強引に奪ったかと思うと、突如、全身の毛という毛を逆立てて、フシャーと鼻息荒く、爆発するような魔力を解き放った。

 ディドはあまりにも脈絡なく突然、怒りと殺意をぶつけられて、ついついきょとんとした表情を浮かべてしまう。何が起きたのか、理解が追い付かなかった。

 ちなみに、傍らのセレナはタニアの魔力と殺気を浴びると、途端に眉根を顰めて、信じられないとばかりに大きく距離を取っていた。


「ちょ――タニア、アンタ正気!?」

「あちしは、どこからどう見ても正気にゃっ!! 変態天族のお前、よくもコウヤから、これを盗んだにゃあ!! 制裁を加えてやるにゃ!!」


 どうしてか激昂し始めているタニアは、全身から迸る魔力を右拳に集中させた。同時に、グッと腰を捻って、右ストレートを放つ直前の姿勢でピタリと動きを止める。

 ディドは直感で、それが凄まじい攻撃だと理解した。聖級、いや、もしかすると冠級に匹敵する魔術かも知れない。受けに回るのは危険だろう。


 そんな一瞬の思考から、ディドは迷わずに【契約召喚】を行って、全身を神聖衣で包み込んだ。


「――【魔槍窮(まそうきゅう)】にゃ!!」 


 果たして、タニアは右拳を突き出した。

 その攻撃は、一切の容赦もなく、微塵の手心もなく、ディド目掛けて放たれる。

作者は元気です。

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