第六十七話 妖精族キリア
とりあえず更新
コウヤたちとの通信を終えたキリアは、小型の連絡玉を懐に仕舞いこんで、当面の問題であるソーン・ヒュードを仕留めるべく気持ちを切り替える。
あの変態巨漢は、キリアが聞いていた以上に、厄介な相手だった。
油断さえしなければ負けることはないが、手を抜いて勝てるほど雑魚でもなかった。少なくとも、いまのキリアが、難敵と認識するほどの実力は持っていた。
「しかしつくづく奇縁だ――こんなところで、コウヤと再会するだけでなく、まさか、ウィズの魔晶珠を見ることにもなるとは、ね」
キリアはしみじみと呟きながら、光が収束した広場を遠目に眺めた。そして、広場の被害状況に思わず舌打ちする。
これほど被害を出すつもりなどまったくなかったのに――と、悔しさと苛立ちが込み上げてくる。
いまや、百人ほども居た大勢の騎士のうち、広場に生き残っているのは、わずかに五人である。
最前線で仁王立ちしている黄金甲冑の男。
その傍らで蹲っている褐色肌の美青年騎士。
騎士最強を名乗っていた赤いフルフェイスを装備した男。
ソーンと比肩するほどの巨躯をして、長大な槍と楯を持った巨漢。
肩で息をしている疲労困憊のソーン・ヒュードだ。
ちなみに、人的被害だけでも相当のものだが、周囲の建物もまた軒並み崩壊していた。挙句、とばっちりで巻き込まれた住民たちも、数十人単位で死亡しているのが見える。
少し見渡せば、辺りには倒壊した建物の瓦礫、押し潰された死体が転がっている。けれど不思議なことに、広場の中央付近は綺麗サッパリ何もなかった。先ほどの光に包まれた範囲だけが、肉片一つ、鎧の欠片さえも残さず消滅している。
「……様子見のつもりだったのが、仇になるとは……」
広場の光景を見ながら、キリアは自らの軽率さを少しだけ呪った。
同族でない他人を殺してしまったことに心を痛めることなんぞなかったが、少しだけ注意を払っていれば、これほど悲惨な状況にはならなかっただろう。この無意味すぎる大虐殺は、おおいに反省すべきところだ。
「それにしてもあの変態、どこで【吸魔晶珠】と、【封魔晶珠】を手に入れたのか……」
キリアはそんな疑問を独りごちながら、右手の刺突剣をグッと引いて、切っ先に左手を添える。半身の構えになり、その切っ先を目線の高さまで上げた。
照準は100メートル以上離れている広場の中央に立つソーン・ヒュードの心臓である。
キリアの構えたその格好は、傍目から見るとまるで、ビリヤードのキューを構えているようだった。とても攻撃の姿勢には思えないだろう。
「――剣身、解放」
キリアは深呼吸をしながら、そんな呟きを漏らす。するとそれに呼応するように、刺突剣に施されている幻視の魔術が解放された。
途端、現れるのは、キリアの長髪と同じくらい鮮やかな深緑をした剣身である。
「今度の一撃は流石に、【吸魔晶珠】では防げないだろう……だが、範囲を絞らないと、街の結界を破壊してしまうか……」
キリアは苦笑混じりに呟き、刺突剣の剣身に魔力を篭める。するとたちまち、足元に幾つも魔法陣が浮かび上がり、そこから凄まじい竜巻が巻き起こった。
キリアの持つ刺突剣は、一見すると、どこにでも売っている木製の刺突剣に見えるだろう。だが実際は、神話の時代に創られた神々の武器の一つであり、その昔、【妖精王リンス】という魔神が持っていた剣である。
【妖精王の刺突剣】――それが、キリアの持つ刺突剣の正式名称だ。
振るうだけで聖級の魔術が展開されて、無尽蔵に魔力を注ぎ込むことが可能で、注ぎ込んだ魔力に応じて剣身を伸ばすことが出来る。また、繰り出す攻撃が全て、生物の防御力を無視する武器でもある。
そんなとんでもない性能を持つ刺突剣だが、故にその剣身には常時、魔力を抑える鞘として、幻視の魔術が施されていた。普段はその幻視の魔術のおかげで、本来の魔力が隠されており、ただの木製の刺突剣になっているのである。
しかし一度、幻視の魔術を解放すれば、本来の性能が発揮される。
そして本来の姿であればこそ、キリアは全力で【世界樹の灯】を放つことが出来る。
フォン――と、一瞬、甲高い風の音が響いた。
刹那、キリアを取り巻いていた凄まじい竜巻が霧散して、辺りの空気が無音になる。
キリアはスッとレイピアを突き出す。すると、一条の白光がソーンの心臓目掛けて、真っ直ぐと伸びていった。それはレーザー光線のようである。
「――――くっ、そぉおおおお、がぁあ!!!!」
広場の中央に立つソーンが、突如として大絶叫を上げる。同時に、心臓をその白光が貫いた。
無音の白光は、そのまま直線上のあらゆる建物を突き抜けて、【クダラークの大結界】をも容易く貫くと、空の彼方に消えていく。
「な、なにがっ!?」
「え――っ!?」
白い光が通り過ぎてから一瞬遅れて、ソーン以外の四人が驚きの声を上げていた。あまりにも一瞬の出来事すぎて、何が起きたのか理解できず混乱している様子だ。
だが、キリアが何をしたのか教えてやる義理はないし、そもそも連中はただただ邪魔である。
キリアは当然、そんな有象無象など無視する。半身で構えていたレイピアを下ろすと、再びその深緑の剣身に幻視の魔術を施した。
【妖精王の刺突剣】を、本来の姿で振るい続けると、この街があっという間に消滅してしまう。
「――腹が立つな。まるで、ウィズを相手にしているような気分だ」
キリアは忌々しげにそう呟いて、心臓に大穴を空けたまま仁王立ちしているソーンに向かって、全速力で駆ける。
風のように疾く、無音で重力も感じさせない走りで、100メートル以上はある距離をわずか2秒程度で走り抜けた。
「ぁ――キリア様っ!?」
「貴様たちは、もう下がれ。足手纏いにしかならん」
キリアの姿を認めて、ようやくその場の四人は混乱から回復した様子だった。しかしそんな四人に、キリアは有無を言わせぬ威圧で、言葉少なに事実を告げる。
ソーン・ヒュードというこの男を殺すのは、非常に骨が折れるだろう。正直、成り上がりたての魔王属と戦うくらいには、手強い存在である。
キリアは駆け寄った勢いそのまま、心臓に穴の空いたソーンの首を刎ね飛ばすべく、そのレイピアを容赦なく振るった。
「おっ――と、容赦ねぇなぁ! しゃあねえ、行くぜ!! 大盤振る舞い――【魔装衣】!! からのぉ――超絶・迅雷っ!!」
しかしキリアの斬撃は空振り、ソーンの残像を両断しただけだった。キリアの反射神経を凌駕する動きで、ソーンは技名を叫びながら、紙一重にレイピアを避けたのだ。
そして回避のついでに、ソーンは巨体を回転させて、高速の裏拳をキリアにお見舞いする。
その裏拳は凄まじい拳風を発生させつつ迫ったが、キリアは軽いステップで躱す。すると、発生した拳風がまるで鎌鼬のように飛んで、騎士最強を名乗っていた赤いフルフェイスの男の胴体を両断した。
「チッ――ハズレか、クソがっ!!」
汚い怒号が響いた。それを聞きながら、キリアはソーンの心臓を眺める。
「……【生命護】の【封魔晶珠】を、胸元にでも埋め込んでいたのか」
キリアはウンザリとした声で呟いた。見ればソーンの心臓に空いていた大穴は、気付けば塞がり、いまや傷痕一つなくなっていた。
この効果は、聖級魔術の【生命護】と呼ばれる治癒魔術に違いない。
【生命護】――発動した瞬間から数秒以内に破損した部位を、破損する前の状態、元通りの状態に再生する治癒魔術である。破損部位は脳味噌や心臓であろうとも再生可能で、その使い方と発動タイミングさえ巧くすれば、冠級の治癒魔術【自動蘇生】と遜色ない効果をもたらす。
ソーンは恐らくこの【生命護】が封印された【封魔晶珠】を、心臓付近の胸元に埋めていたのだろう。
ちなみに封魔晶珠は、聖級以下であれば、あらゆる魔術を封印しておける魔道具だ。封魔晶珠は割ることで解放されて、使用者に対して封印された魔術を展開する。故に、今回のソーンのように、治癒魔術や強化魔術を封印しておく。
「貴様、いったい幾つの封魔晶珠を持っている? しかも封魔晶珠の中身は、【過剰再生】に、【生命護】――」
「ハッ――答えるわけ、ねぇだろぉがっ!!!! 超・拳・連撃!!!」
「――獣族しか扱えぬ【魔装衣】とは、なんとも面倒な奴だ」
謳うように口にするキリアに対して、ソーンはとんでもない速さのマシンガンブローを繰り出してくる。その一撃一撃は、拳圧だけで周囲の建物を削るほどだった。当たれば、人の身体など弾け飛ぶほどの威力だ。
そんなソーンの猛ラッシュに対して、キリアは流麗な剣捌きで、ひとまず受けに徹した。騎士団の生き残り三人が、ここから避難する時間を稼ぐ意図である。
「グググゥ――ぉおおおおお!!!!」
「喧しい変態だ」
ソーンの獣じみた咆哮が響き渡る。同時に、攻撃の回転数が上がり、威力がいっそう苛烈になる。身に纏っている魔力の鎧――【魔装衣】も、咆哮に呼応してより強烈な魔力に変わる。
一方でキリアは、そんなソーンに冷静な声で返しつつ、当然のように戦闘のギアを一段階上げる。動きはより俊敏に、一撃の重みはより重く、そして繰り出す技の精度はいっそう緻密になった。
「グッ……や、っ――チッィ!!! がぁぁあああ!!」
再びソーンが絶叫した。さらに攻撃は苛烈になっていく。けれど、その程度ではギアを一つ上げたキリアと、互角に戦うことは出来なかった。
序盤こそほとんど互角の戦況だったが、徐々に、しかし確実に、隙を見せないキリアの受けが優り始める。ソーンとの実力差には、はっきり分かるほど歴然の差があった。
「さて、そろそろ――――避難できたかな?」
キリアはソーンの連撃を容易く捌きながら、チラと周囲を見渡した。
辺りにはもはや人っ子一人誰もいない。非常に嫌な表現だが、現状この広場は、ソーンとキリアの二人っきりである。
キリアは、これで充分時間は稼いだか、と頷いて、ようやく受け一辺倒を止めて、攻めに転じる。
「――――ぅぉおお!? な、っ――ぐぅぉ!???」
「光栄に思え。ウィズを相手にするのと同じように、わたしは今、貴様の相手をしてやっている」
ソーンが蒼白の表情に驚愕を浮かべる。それほど攻めに転じたキリアの攻勢は痛烈だった。一瞬で攻防逆転しただけでなく、何一つソーンは攻撃を繰り出せなくなった。
しかしそれは必然だろう。
ソーンは最初から限界を超越した全力だったが、キリアにはまだ余裕があった。
キリアはひたすら物理攻撃のみを繰り出して、ソーンを攻め立てる。深傷はあえて狙わず、出血死狙いで動脈近くの皮膚を破く攻撃を繰り返す。
当然、隙あらば、首の両断や心臓も狙うが、流石に急所の防御は硬かった。ただでさえ、纏っている魔装衣が邪魔で、満足に攻撃は通らないのだ。急所など迂闊に狙おうものならば、たちまちカウンターされるだろう。
だがだからと言って、魔力攻撃を仕掛けるわけにはいかない。ソーンの戦闘スタイルは、物理対魔術のような戦況に持っていくことである。
ソーンは圧倒的な物理防御を強みにして、戦う相手に魔力偏重の攻撃を強いる狙いがある。少しだけタイプは違うが、夫であるウィズと同じ戦闘スタイルだろう。
それはすなわち、防御偏重型の戦闘スタイルで、しかも対魔力攻撃特化の反撃型である。
ソーンは無敵に思えるほどに物理防御を鍛えている。故に、並の攻撃力では、ろくなダメージを与えることが出来ない。
一方で、魔力耐性は、それでも決して低くはないが、物理攻撃よりもダメージを与えられる。故に、ソーンを相手にする者は誰もが、効率良くダメージを与えようと魔力偏重の攻撃になる。
けれど、その魔力偏重の攻撃こそ、ソーン有利の戦況を招く。ソーンには、【吸魔晶珠】という反則級の切札があるからだ。
吸魔晶珠とは、三英雄ウィズ・クロフィードが創造した数ある魔道具の中でも、最高傑作の一つに謳われる魔晶珠系の魔道具の一つだ。
下級から冠級を問わず、あらゆる魔術・魔力を吸収して、それを無属性の魔力エネルギーに変換したうえで貯蓄することが出来る。そして割ることでその魔力を解放して、使用者を除いた周囲を吹き飛ばす究極の魔力爆弾である。
この吸魔晶珠の真骨頂は、吸収できる魔力の上限が魔王属独り分ほどもある点と、使用者が被弾しないという点である。これを創造したウィズは、単体で氷姫フローラを封印して見せた。
さて、そんな吸魔晶珠を持っているのが分かっていれば、戦い方は必然、魔力攻撃なしの物理一辺倒で攻めるに限る。
キリアは故に、先ほどから魔力を一切用いていなかった。強引な力押し、身体能力頼りの物理攻撃で、ソーンを圧倒していたのだ。
思い描いていた戦況にならず、ソーンは為す術もなく、徐々に疲労とダメージを蓄積させていた。
「貴様には聞きたいことがある。無駄な抵抗はやめてくれないか?」
逃すつもりなどないが、ソーンには聞きたいことがあった。周りにキリアたち以外誰もいなくなったので、いまなら心置きなく尋問できる。
「――そろそろ【魔装衣】の効力が切れるだろう? 観念したらどうだ?」
キリアは微塵も手を緩めず、口調だけは優しく語り掛ける。それは降伏の勧告である。実力差をマジマジと見せ付けつつ、ソーンが諦める瞬間を待っていた。
とはいえ、そもそも生かすつもりは皆無である。
聞きたいことを聞き出したら、すぐさま殺すつもり――いや、ソーンが諦めず、降伏もしなければ、このまま殺しても良いとさえ思っていた。
そんなキリアの心情を知ってか知らずか、ソーンは一切キリアに反応せず、必死になって防御に集中していた。諦める素振りはなく、ギラついた双眸は何かを狙っている。
「…………どこまで耐えられるかな」
キリアはソーンの様子に不穏な空気を感じ取って、さらに戦闘のギアを一段階引き上げた。
攻撃の回転数は跳ね上がり、しかし一撃一撃の重さは変わらない。ソーンはいっそう防御に集中しなければならなくなり、より攻撃に転じる隙がなくなった。
キリアの瞬撃は、ソーンに致命傷こそまだ与えていないが、それでも魔力装甲を削りきるには充分過ぎる。ソーンが負けるのは時間の問題だった。
「ち……ちく、しょ――っ!!! ぉおおおっ!!」
「本当に――しぶとい」
キリアは決して勝負を焦らず、ジワジワとソーンを攻めた。ソーンが一発逆転狙いなのは、切り結んでいて嫌というほど分かる。
ならばこそ、優勢な状況を崩さず、ひたすらソーンを追い込めば良い。
「ぐぅ――ハッ……っ、ぁあ!?」
果たして、決着は当然、キリアの勝利に落ち着く。
懸命にキリアの連撃を防いでいたソーンだったが、やがて魔装衣というドーピングを維持する魔力が尽きた。
その隙を逃さず、キリアはソーンの腕と脚の腱を切断、流れる動作で片肺を貫いて、身体の内側から魔力で縛り付けた。ダバダバ、と口元から吐血しつつ、ソーンはその場に膝を突く。
「わたしの質問に答える気があれば、まだ生かしてやろう。なければ、このまま首を刎ね飛ばすだけだが――」
膝を突いたソーンの胸元からレイピアを引き抜き、キリアは切っ先を首に押し当てながら問い掛けた。
ソーンはむせ込んで血反吐を吐きつつも、戦意を失っていないギラついた視線を向けてくる。もはや抵抗さえ出来ないこの状況で、まだ諦めていないのは賞賛に値する。
しかし、もはやソーンに打つ手はないだろう。
その身体は内側から風縛陣で拘束しており、保有魔力も枯渇寸前。両手足の腱は切られて、身動き一つ取れない。且つ、片肺は潰れていて、死なないまでも、呼吸することさえ困難なはずだ。
「――貴様に問う。貴様の持つ【吸魔晶珠】と、【封魔晶珠】だが、どこで手に入れた? ウィズはそれを親しい人間にしか譲渡していない」
「――ご、ほっ……ぐぅっ……へ、へへへ……【世界蛇】の……【騎士王】から……賜った、もんだぜぇ――キリア、ネェちゃんよぉ」
「な、に――?」
ソーンは含みを持たせた台詞と同時に、身体を反り返らせて股間を突き出す。途端、ブーメランパンツが眩い閃光を放った。
当然、そんなソーンの奇行は、本来ならば奇襲にさえならない。
だがキリアは直前の台詞に動揺してしまい、体勢を建て直すべく慌ててソーンからバックステップで遠退いた。
「まだ持っていたのか――」
「へへへっ! これで正真正銘打ち止めだがなぁ!!」
ソーンはブーメランパンツに忍ばせていた封魔晶珠を発動させて、過剰再生で身体を一瞬のうちに再生させた。また同時に、吸魔晶珠を使って、キリアの風縛陣の魔力を吸収、無効化させたのだ。
そして、間髪入れず逃げの一手を選択すると、キリアに背を向けて脱兎の如く駆け出した。
「――けれど、逃がさぬ」
「――っ、ぬべら!?」
しかし、その程度で戦況は覆らない。一瞬だけ動揺したものの、キリアはすぐに切り替えて、すかさずソーンの行く手に風の壁を展開した。
キリアの編み出したオリジナル魔術の一つ、聖級の結界魔術【天風陣】である。対象範囲を透明な風の壁で覆い、あらゆる能力を封じる光の枷で任意の対象を拘束する結界陣だ。
ソーンは全速力で十歩ほど駆けたところで、その天風陣の壁に激突して、両手足に光の枷を付けられた。いかにソーンといえど、この状況から逃げ出すのは絶望的だろう。
「……ぐぅぉ……な、なにぃ……は、ずせねぇ……」
空中に磔状態になったソーンが、もぞもぞと身動きしていた。だが光の枷がそれで外れることはない。
キリアはゆっくりとソーンに近付いて、レイピアの切っ先を脇腹に突き刺すと、一切の容赦も躊躇もなく、真横に引き裂いた。
「ぐぉ、ぁおああああああ――っ!!」
ソーンの絶叫が響き、裂かれた脇腹から盛大に血が噴き出す。それを無感情に眺めて、キリアは質問を投げる。
「【世界蛇】の【騎士王】――つまりレベル5は、死んだ、と聞いているが?」
キリアはさらにレイピアを振るい、ソーンの右腕を肩口から斬り落とした。脇腹に負けず劣らず、右肩から大量の血が噴き出る。激しい絶叫が上がる。
「【騎士王】は生きていたのか? 生きていたとしても、どうしてウィズの魔晶珠を持っている?」
「がぁぁっ――っ、ぐぉっ――ぉおおおおっ!!」
ソーンからの返答など待たず、キリアは右太腿に拳大の穴を穿つ。肉が弾け跳んで、ソーンは白目を剥き口元から泡を吹き始めた。
そんなソーンを不愉快そうに眺めてから、チッ、と舌打ちをしてレイピアを下げる。
この調子で斬り付けると、喋る前に気絶か、死亡する可能性がある。落ち着け――と、キリアは自分に言い聞かせながら深呼吸した。
感情が高ぶると、ついついやり過ぎるのは、キリアの悪い癖である。
「おい変態――【騎士王】とは、何者だ?」
キリアは仮面を外して、何もかも見透かすような美しい青緑の双眸で、ソーンの瞳を見定める。視線だけで人が殺せるのならば、キリアの眼光がまさにそれだろう。
ソーンはその威圧に中てられて、激痛さえ忘れて恐怖に身体を震わせた。しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべて、もったいぶった口調で喋り始める。
「へ、へへへ……何者かは、知らねぇが……良いぃ男だぜ……しかも、歴代最強の……剣士で、サーベルタイガー、って名乗ってたなぁ……」
「サーベル、タイガー? 騎士王は、グレイヴという名前だと記憶しているが――」
「グレイヴ、は……旧騎士王、だぜ? 【救国の五人】に、殺されて……代替わり……したんだよ……へへ……」
ソーンはもう死を悟ったのか、観念したかのようにツラツラと情報を口にする。その口調はふざけたものだが、嘘を言っている雰囲気はない。
キリアは神妙な表情で口元に手をやり、まさか、と呟きながら、質問を続ける。
「よもや【騎士王】サーベルタイガーは、隻眼か?」
「へへへ……流石、だぜぇ……キリア、ネェちゃん……ここまで、言えば……心当たり、分かっちまう……よなぁ? がぁ――っ!?」
「――無駄口はやめろ」
挑発的な笑みを浮かべたソーンの右眼を、キリアは冷徹な表情のまま、レイピアで刳り貫いた。ソーンは血の涙を流すが、その薄笑いをやめなかった。
「ソーン・ヒュード――貴様、その騎士王の目的は知っているのか?」
「……あぁ、よぉく、知ってる、ぜ? オレと同じ、さ……惚れた相手を……我が物、とする為――げほっ!」
ソーンは大きく咳き込み、口から凄まじい量の血液を吐き出す。キリアはスッと一歩下がり、吐血が身体に触れるのを嫌がった。
その瞬間、ソーンが吐き出した血液に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「チッ――【天風陣】!!」
ソーンの吐血に浮かんだ魔法陣は、凄まじい閃光を迸らせる。
周囲の一切合財を飲み込む白い閃光。光属性の冠級攻撃魔術――【光爆浄滅】である。その威力は、キリアの放った【世界樹の灯】にも匹敵するだろう。
ただしその爆発規模は、キリアの魔術の比ではない。炸裂すれば、この広場のみならず、クダラークの街を半壊させるだろう。
キリアは咄嗟に、そんな大災害を防ぐ為、広場一帯を【天風陣】で囲い込んだ。一瞬遅れて、無音の大爆発が発生する。
「……油断したな」
爆発はすぐに収束される。同時に、キリアの展開した【天風陣】が割れた硝子のような音を鳴らしながら崩れ去っていく。
何とか被害を抑えることには成功した。しかし代わりに、爆発のドサクサに紛れて、ソーン・ヒュードを逃がしたようだ。
どうやらソーンは、光爆浄滅の爆発を被弾しつつも、一部を吸魔晶珠で吸収させて、致命傷を免れたようである。のみならず、キリアの天風陣が相打ちした瞬間を見計らって、すかさず逃げ出したらしい。
キリアは、はぁ、と疲れたように溜息を漏らしながら、本当にしぶとい、と呟き、ソーンの後を追う。
ソーンはもう流石に、治癒魔術が封じられた封魔晶珠は持っていないようで、大怪我をそのままに逃げ出していた。血が点々と道に続いているため、後を追うのは容易だろう。
正直、これほどの重傷を負ったソーンなぞ、放って置いても野垂れ死にするに決まっている。この深手では、いますぐ聖級の治癒魔術でも施さない限り、失血死で死ぬだろう。
「……とはいえ、万が一にも助かってしまったら、わたしの面目は丸潰れだ」
キリアは仮面を再びかぶると、追い付いたら即、ソーンの首を刎ね飛ばそうと心する。聞きたいことは充分聞けた。もはやソーンから引き出すことは何一つない。
「これは……聖王の試練に向かっている、のか?」
キリアはソーンの血の後を辿りながら、行く先に疑問を持った。ソーンが向かっているのは、間違いなく【聖王の試練】である。
しかし【聖王の試練】は行き止まりの迷宮だ。出入り口は一つだし、どんな時空魔術を用いようとも、迷宮の内側から街の外には出られない。
何が目的か、と首を捻ったとき、キリアはちょうど、満身創痍のソーンに追いついた。
ソーンは片足を引き摺りながら、大量流血しているにも関わらず、弓矢のような速度で駆けていた。
「――姿さえ見えれば、もう逃がさない」
キリアとソーンの距離はおよそ200メートルはあろう。けれど、キリアはそんな距離など無頓着に、レイピアを振るった。
すると切っ先から光の刃が迸り、ソーンの無防備な背中に激突する。
「ぐぁおああ――ッ!? も、もう、追いつき、やがったのかっ!?」
「ここでくたばれ、変態」
背中から血を流しながらも速度をまったく緩めずに、ソーンはチラと背後を振り返る。そんなソーンに、キリアはトドメとばかりに必殺の一撃を構えた。
振りかぶったレイピアの刀身が光り輝き、長さ10メートルを超える巨大な光の剣と化す。その光の剣は、逆巻く風を纏っていた。
見様見真似で放つ技ではあるが、威力は軽く冠級に匹敵するだろう。【英雄王アイテル】が好んで使う得意剣技――神剣閃光という剣術である。
キリアはその巨大な光の剣をただ単純に振り下ろす。
一条の剣閃がソーンへと迫り、当たった瞬間、光り輝く十字を背中に刻み込んだ。
「――――ぉおおおあ、ぁぁあああ!!!!」
ソーンに十字を刻んだ閃光は、そのまま消えることなく肉に食い込み続けて、身体の内側から爆発するような白光を放出した。そして、剣閃に遅れて追いついた魔力の風がソーンの身体を切り刻む。
ソーンはそんな攻撃の勢いに押されて、【聖王の試練】の入り口へと吹っ飛んだ。
「やりすぎた――っ!」
そのまま吹っ飛んでいくとは想定しておらず、キリアは急いで入り口へと駆け込む。ちなみに、幸運にもここまでの道程に、無関係な第三者は誰も居なかった。
「……チッ、落ちたか……」
聖王の試練に飛び込んだキリアだが、そこで見たのは、最下層120階への直通路である大穴に落下していくソーンの姿だった。背中を十字の白光で焼かれているので、落ちていくのがハッキリ分かる。
奈落の底に落ちていき、段々と遠ざかる白い光の輝きは、眺めていてとても幻想的だった。
「……まぁ、あの重傷でこの高さ、助かるまいとは思うが――――念のため、か」
キリアは遠ざかる十字の光を見下ろしながら、レイピアを両手で構える。その切っ先は大穴の奈落に向けて、再び刀身に光を集めた。
「――消え去れ」
そうしてキリアは、落下するソーンを目掛けて、容赦なく【世界樹の灯】を放った。極大な威力を誇る一条のレーザー光線が、大穴の暗闇に吸い込まれていく。
やがて光は一際強く輝いたかと思うと、無音で収束してパッと掻き消えた。
手応えあり――今度は吸魔晶珠で無効化されず、間違いなくソーンに直撃したのが確認できた。
けれどキリアは、光が収束した後も暗闇をしばし見下ろして、ソーンの動きがないことを確認する。これで死んでいなかったら、もはや脱帽である。
「騎士王、サーベルタイガー、か……報酬を頂いたら、竜騎士帝国ドラグネスに向かわないと、な」
キリアはそう独りごちてから、聖王の試練を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ちょうど太陽が天頂に差し掛かった昼時、歓楽街の薄暗い一角で、まったく統一性のない服装をした男女四人組が集まっていた。
天見煌夜、ヤンフィ、ディド、クレウサの四人である。
「……撒けた、か?」
「ええ、恐らく――追手の気配はないかしら」
ヤンフィとディドの台詞を聞いて、煌夜は、ふぅ、と安堵の吐息を漏らすと、衣服が汚れるのも気にせず地べたに座り込む。
煌夜の視界は、グラグラと揺れていた。つい先ほどまでディドに抱き締められて飛行していたのだが、その飛翔速度が異常だったので、三半規管が狂ってしまっていた。
まあ簡単に言えば、軽度の乗り物酔いである。
「ふむ……よもやあのキリアに、こんなところで遭遇するとは思わなんだわ。じゃが、おかげでソーンの馬鹿を排除できたがのぅ」
ふとヤンフィが、嬉しそうな声音でそんなことを呟いた。二時間超は街中を駆け回っていたはずだが、ヤンフィの呼吸は少しも乱れていない。
「あ、あの……妖精族の女性……キリア、って……もしかして……【伝説の三英雄】の、妖精族キリア、ですか?」
そんなヤンフィに、クレウサが遠慮がちに挙手しながら問い掛けていた。
「何じゃ、知っておるのか?」
「むしろ、テオゴニア大陸の住人で、妖精族キリアを知らない方っているんですか?」
ヤンフィが感心した風に言うと、クレウサは困惑気味に言い返す。
知っているのが常識的な事柄に対して、驚かれたことが驚きだった様子である。
「コウヤ様――妖精族キリアとは、どのようなご関係なのかしら? 当然のように『コウヤ』と、呼び捨てされておりましたけれど?」
そのとき、煌夜の隣に腰を下ろしたディドが、身体を寄せながら質問してくる。さりげなく胸を押し付けて、どこか非難めいた口調だった。
「……あ、ああ、実は――――かくかくしかじか」
煌夜はとりあえず、キリアとの出会いを掻い摘んで説明する。
とはいえ、キリアとの間にそれほど濃いエピソードがあるわけではないので、オーガ山岳で殺されかけて、セレナという仲間を得たことの一部始終を語って終わった。
そんな紆余曲折のダイジェストを聴き終えると、クレウサは驚愕の表情でヤンフィを見詰めて、ディドは安堵の表情で吐息を漏らしていた。
「妖精族キリアだけでなく、多数の妖精族を相手に……しかも、コウヤ様の身体で戦って……善戦した、んですか?」
「ふむ、そうじゃが、クレウサよ。それは妾にとっては不名誉なことじゃ――汝、少しばかり妾を侮っておるのか?」
「あ、ぅ――そ、そんなことは、ありません。失礼いたしました」
ヤンフィとクレウサのやり取りを横目に、煌夜は何が何やらと首を傾げた。すると、ディドが耳元で囁くように解説してくれる。
「ヤンフィ様がお強いのは承知しておりますけれど――それ以上に、【三英雄】妖精族キリアの強さを謳う逸話の方が強烈かしら。妖精族キリアは、単独で魔王属を何体も凌駕する存在であり、およそ人族を超越した生きる伝説、ですわ。並の魔王属では、それこそ相手にならないですわ。そんな偉大な強者と相対して互角――その事実は、ヤンフィ様が三英雄に劣らぬほど強力な魔王属である、という証明に他なりませんかしら」
ディドの解説に、煌夜は納得して何度か頷いた。
なるほど、つまりクレウサは、間接的にヤンフィの強さを再認識したということだろう。しかしそれにしても、それほどキリアは強いのか、と煌夜は少し寒心した。
「さて――それでは、タニアたちと合流予定の宿に向かうか? それとも、煌夜は先に飯かのぅ?」
ヤンフィは空を見上げてから、路地裏を見渡しながら煌夜に首を傾げた。
言われてから煌夜は、そういえばまだ食事をしていないことに気付く。途端、腹の虫が鳴き始めた。ぐー、という可愛らしい音が響き、傍らのディドが女神の微笑と思えるほどの美しい笑みを浮かべる。一方、クレウサは呆れていた。
「……合流もいいけど、何だかんだ厄介ごとに巻き込まれそうな気がするから……とりあえず、昼飯を先でお願いします」
「ふむ、心得た――異論はないかのぅ?」
煌夜はポリポリとこめかみを掻きながら頭を下げる。するとヤンフィは、当然じゃ、と頷いて、有無を言わせぬ迫力で、ディドとクレウサを見た。
「ないですよ」
「ええ、無論、コウヤ様に従いますわ」
即答する二人に満足げな笑みを浮かべて、ヤンフィは先行して歓楽街の通りに出た。それに続いて煌夜、ディド、クレウサと歩く。
この時間の歓楽街はほとんど人通りがなく、おかげで、適当に入った飲食店は煌夜たちだけの貸切状態だった。追われる身だが、気兼ねなく食事を楽しむ。
そうして、腹ごしらえが終わり一息ついたとき、ヤンフィの持つ連絡玉からキリアの声が聞こえてきた。
「――おい、聞こえるか、コウヤ。聞こえたら、返事をしろ」
飲食店を出て、タニアたちと合流すべく待ち合わせの宿屋に向かう途中、人混みのど真ん中でキリアの声が響いてきた。通行人の視線が集まる。
ヤンフィは注目の的になるのを嫌って、舌打ち混じりに路地裏へ移動した。
「なんじゃ? 妾たちはいま、タニアたちと合流しようと――」
「取り急ぎ、こちらの宿に来い。宿の名前は、月明樹亭だ。街外れの森に建っている」
「――――は? どういうことじゃ? 汝、何を勝手なことを――」
「わたしは急ぎの用事が出来てしまった。いますぐこの街を出立しようと思っている。時間がない」
淡々と自己都合だけを捲くし立てるキリアの声に、ヤンフィは露骨に苛立った。勝手に云っていろ、と舌打ち混じりに怒鳴り、会話を終わらせようとする。
しかしそのとき、キリアから衝撃的な台詞が出た。
「先ほどクダラークギルドは、貴様たちを正式にあの変態の仲間と認定した。貴様たちを捕らえるまで、このクダラークの封鎖を解除することはないそうだ。わたしならば、その誤解を解くことが出来るが――どうする?」
「……おい、待て、今、何と云うた? クダラークの封鎖……とは、どういう意味じゃ?」
ソーンの仲間と認定した、という言葉よりも、クダラークの封鎖という不穏当な単語に反応して、ヤンフィはゆっくりと聞き返す。
煌夜たちもそれを耳にして、どういうことか、と聞き耳を立てた。
「どういうも何も、そのままの意味だ――クダラークの尖塔で発生した虐殺事件以降、ギルドはクダラークの出入りを封鎖している。特殊な事情がない限り、現在、この街から出ることも入ることもできない。だから貴様たち、姿を隠していたのではないのか?」
「……なるほどのぅ」
そこまで聞いたヤンフィは、納得した顔で言葉少なに頷いた。煌夜もそのやりとりを耳にして、心当たりに思い当たる。
(つまりこうなった原因は全て、ソーンのせいか……虐殺事件って、クダラークから脱出するときのアレだよな……はぁ、マジか)
煌夜は思わず頭を抱えたくなって、瞬間、ハッと何かに気付いた。
「ちょっと待てよ……現在も封鎖は解除されてない、ってことは……タニアとセレナは、戻ってきてないってことじゃないのか?」
煌夜の台詞に、確かにそうじゃのぅ、とヤンフィが頷きつつ、連絡玉の先にいるキリアに言葉を投げた。
「――とりあえず、汝に従おう。『月明樹亭』とやらに、いまから向かうことにしよう」
「急げよ。あまり時間がない」
キリアの声音には一切の焦りが感じられず、本当に急いでいるのか、と疑いたくなるほど冷静だった。そして、他人の都合などお構いなく、一方的にそれだけ告げると音声は途切れる。
ヤンフィは、はぁ、と怒りを堪えるように息を吐き、煌夜たちに振り返る。
「聴いておったな? 非常に不愉快じゃが、一旦、従うぞ」
「畏まりましたわ――ところで、その『月明樹亭』とは、どう行くのかしら?」
ヤンフィの号令に全員が異論なく頷いたが、ディドがふとした疑問を口にした。すると、ヤンフィが真面目な顔で即答する。
「知らぬ。妾たちに土地勘があると思うのか?」
自信満々にそう言い放つヤンフィに、煌夜は思わずガクリとこけた。
クレウサは眉根を顰めて、呆れた表情をヤンフィに向けた。
ディドは、そうですか、と興味なさげに頷いてから、表通りに顔を向けた。
「まぁ、じゃが、安心せよ――ほれ、ちょうどそこに見知った顔がおるわ」
ヤンフィは唐突に表通りに顔を向けて、ディドの視線の先を指差した。
けれどそこには誰もいない――と思った矢先、両手を上げて降参のポーズをしながら、一人の青年が姿を現す。
青年はクレウサの装備と同じような剣士の格好で、黒い短髪に端整な顔立ちをしていた。
「あ! アンタは――」
青年の顔を見て、煌夜は、ポン、と手を叩く。彼は、聖王の試練で死にそうだったところを助けた青年で、名前を確か――
「お、俺は、敵じゃないですよ? だから、攻撃はしないで、ください……俺の名前は、ウェスタ・キュプロス。以前、そこの、コウヤのパーティに助けられた冒険者です」
青年――ウェスタ・キュプロスは、乾いた笑いを浮かべながら、降参のポーズをしたままゆっくりと煌夜の前に歩いてくる。
何を怖がっているのかは知らないが、足元が小刻みに震えていた。
「ヤンフィ様、コウヤ様、本当に知り合いなのかしら?」
ウェスタが煌夜の数メートル手前までやって来たとき、スッとディドが行く手を阻むように立ちはだかる。その全身からは、凍り付くほどの威圧が放たれていた。
ディドのその強烈な威圧に中てられて、ウェスタは泣きそうになりながらも、しかし必死に耐えていた。
「そうそう、ウェスタだ、ウェスタ――ああ、間違いなく知り合いだよ」
「うむ、知り合いじゃよ。じゃから、威嚇するのは止せ、ディド」
「……それは、失礼いたしましたわ」
ヤンフィと煌夜の頷きを見て、ディドはようやく放っていた威圧を解いた。
途端に、ふぅ、とウェスタが安堵の吐息を漏らして、その場にペタリと座りこむ。
「久しいのぅ、ウェスタよ。ところで、汝は『月明樹亭』と云う宿屋を知っておるか?」
へたり込んだウェスタの前で、ヤンフィは見下すような視線を向けた。すると、ウェスタはキョトンとした顔で、煌夜の顔をチラチラと見てくる。
そう言えば、ウェスタはヤンフィの姿を見たことがない。ヤンフィはウェスタを知っているが、ウェスタからすれば初対面である。いきなり初対面の幼女に声を掛けられても、そりゃあキョトンとするに決まっている。
「なぁ、ウェスタ。俺ら『月明樹亭』って宿屋に行きたいんだが、場所が分からなくて……知ってたら、案内して欲しいんだけど」
煌夜はヤンフィを押し退けて、ウェスタにお願いする。ヤンフィは一瞬だけ、むっ、と眉根を寄せてむくれ顔になったが、すぐに状況を飲み込んで、一歩退いた。
煌夜が対応を引き継いだことに、ウェスタは困惑顔から安心顔に変わり、とりあえず立ち上がる。
「月明樹亭、って言うと、街外れにある超高級宿屋? 今は……そこに滞在してるのか? タニアさんと、セレナさんも、そこに?」
「いや、滞在してるわけじゃないけど――」
ウェスタは煌夜の傍に寄りながら、親しげな様子で話しかけてきた。煌夜もそれに応じようと一歩踏み出したところで、冷気を放つディドに庇われた。
「――貴方、ワタクシたちに敵対するつもりはないようですけれど、味方ということでもないようですわね? 時間稼ぎ狙いで、ワタクシたちを捕らえるのが目的かしら?」
ディドは半ば断定した口調で言いながら、煌夜を背中に庇う。それを見たクレウサは、周囲に鋭い視線を向けて、ハッとした表情で剣を抜いていた。
一方で、ヤンフィは腕を組んで不敵な笑みを浮かべたまま、ディドとウェスタのやり取りを見守っている。口出しするつもりはないようだ。
「あ、え……ち、違う、です……そ、その……タニアさんと、セレナさんにも、挨拶したいな、って……な、なぁ、コウヤ! その子供も含めて、この方たちは……コウヤの仲間、か?」
「――ああ、仲間だよ。タニアやセレナと同じだ」
「じゃ、じゃあさ……その……俺は敵じゃないって、言ってくれないか? こう、威嚇されちゃ……月明樹亭に、案内も出来ないよ」
煌夜ににじり寄っていたウェスタは、ディドの威圧にたじろいで、引け腰のまま表通りまで後退した。その様子はどこかおかしい。挙動不審である。
煌夜がウェスタの態度に首を傾げたとき、ディドが無言の威圧と共に、右手をスッと上げて、ウェスタに狙いをつけた。
「白黒閃光――乱反射」
ディドのその短い宣言と同時に、右手に魔力が収束して、白と黒の閃光が放たれた。
美しい白光の奔流と、夜を溶かしたような闇の奔流が、ドリル状に交じり合いながら一直線にウェスタに迫る。
その光線のプレッシャーは凄まじいものだった。向けられたわけでもない煌夜でさえ、命の危険を感じて思わず頭を庇ってしまったほどである。直接向けられたウェスタは、驚愕に目を見開いて絶望の色を表情に浮かべていた。
避けなければ死ぬ――間違いなくそう確信しただろう。
けれど、ウェスタの反射神経では、それを避けることは出来なかった。ウェスタはその場で身体を硬直させて、棒立ちのまま光線を眺めていた。
「――――っ、なにっ!? がぁ!?」
「――ぐぇ!? いき、なりぃ!!?」
「どうし――――う、わぁっ!!」
ところが、ディドの放った白と黒の光線は、ウェスタの脇を通り過ぎて、表通りの中空で拡散した。微動だにしなかったがゆえに、ウェスタは無傷で済んだ。
さて、そんな拡散した光は、ウェスタではない誰かに直撃したらしい。何人かの驚愕した声と悲鳴が、煌夜の居る路地裏まで聞こえてきて、遅れて爆音が響き渡る。
「ほぅ――器用じゃのぅ、ディド」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
ヤンフィとディドの台詞を聞いて、ウェスタはハッと我に返ると、慌てて振り返る。
そして白と黒の光線が被弾した辺りを見て、顔面をいっそう蒼白にさせた。パクパクと声もなく口を開閉させて、恐怖に濁った瞳をディドに向けた。
「お、おい、ディド……いきなり、何を……?」
煌夜は、何が起きたのか分からず、恐る恐るとディドに声を掛ける。するとディドは、厳しい表情を一転して柔和な笑みを煌夜に向けながら、ウェスタを指差す。
「コウヤ様、この不届き者は、敵意こそ持っていませんけれど、ワタクシたちが食事を摂っているときから、遠巻きにとり囲んでいて、あまつさえ尾行までしていましたわ――しかも先ほどなどは、コウヤ様に殺気を向けてきました。なので、失礼ながらワタクシ、先手で防衛した次第かしら」
ディドはこともなげに言って、またスッと無表情になると、ウェスタに冷気を当てた。ウェスタはもはや声もなく、ガチガチと歯を鳴らしている。
そんなウェスタに嘲笑を浮かべながら、ヤンフィが音もなく近付いた。
「ウェスタよ。そも汝らが、妾たちを狙うのはお門違いじゃ。妾たちはソーン・ヒュードの仲間ではないからのぅ。誤解なんじゃ。まぁ、そんな弁解をする必要も、本来はないがのぅ――兎も角、妾たちは急いでおる。サッサと月明樹亭に案内せよ」
気が動転している様子のウェスタに、ヤンフィは薄笑いのまま、どこから、いつ、取り出したのか分からぬほどの早業で、反りのない仕込み杖のような刀を突きつけていた。
刀の切っ先は、ウェスタの首筋、薄皮一枚をスーッと切りつけており、赤い血が少しだけ垂れている。
「あ、ぅあ……は、はい……」
ウェスタはビシッと直立不動になり、喉をヒクつかせながら、何とか頷いた。その様を満足げに見て、ヤンフィは一瞬で刀を掻き消した。
「……恐ろしいほどの、早業ですね……」
「――ワタクシでさえ、反応出来ないかしら」
そんなウェスタへの威嚇を横目に、クレウサとディドが感心の声を上げていた。
その意見には全力で同意できる。煌夜もブンブンと首を縦に振りながら肯定していた。
「ほれ、ウェスタ。疾くせよ――次は、寸止めせぬぞ?」
「っ!? は――はいぃ! こ、こっち、です」
ヤンフィの満面の笑みに屈して、ウェスタは慌てた様子で動き始める。それに追従して、ヤンフィも表通りに向かっていく。
「コウヤ様。ウェスタは、ワタクシたちを売り渡すつもりだったようですわ。コウヤ様を油断させて、大人数で襲い掛かる算段かしら。あの程度の実力では、到底ワタクシたちを捕らえるなんて不可能ですけれど――それにしても、卑怯な輩ですわ」
ディドがさりげなく腕を絡ませながら、耳元でそんな説明をしてくれる。同時に、グイと胸を押し当てながら腕を引いて来るので、抵抗せずに足を踏み出した。
ちなみに表通りには、ディドの放った白黒閃光に焼かれた騎士たちが、見える範囲で十数人倒れていた。倒れ伏した騎士の周りには、恐怖に顔を歪ませた無関係の通行人が集まり出している。
騎士たちは、生きているのか死んでいるのか遠目には分からなかったが、少なくともすぐに動けるような軽症ではなさそうだ。
「お、おい、大丈夫か――治癒魔術院だ! 誰か、治癒魔術院から、人を呼んでくれ!」
正義感溢れる誰かが、倒れている騎士を介抱しながらそんな叫びを上げている。
そんな喧騒を尻目に、ウェスタの案内に従って、ヤンフィ、ディド、煌夜、クレウサは、キリアの指定した街外れの宿屋『月明樹亭』へと向かったのだった。
後で時系列記載します