表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第九章 蘇生
73/113

第六十五話 脱出と覚醒

今更ですが2020年も宜しく

 

 煌夜に蘇生を施した直後、無言のまま倒れ伏したエイルは、信じ難いことにその場で力尽きて事切れていた。

 それを見てクレウサは息を呑み、有り得ない、と呟きながら驚愕を浮かべている。一方、助け起こしたディドは、エイルの状況に動揺はみせず、冷静にその口元に手を当てた。


「呼吸はして――いません、わ」


 ディドは静かに首を左右に振った。エイルは、既に呼吸をしていないようだった。

 首筋に手を当て脈も測るが、やはり反応はなかったらしい。スッと手を離して、ヤンフィたちに向き直って口を開いた。


「――死んで、いますわ。この症状からすると、衰弱死、かしら? 魔力が枯渇していますわ」


 ディドのその言葉に、クレウサもエイルの身体に触れて、納得の表情を浮かべる。

 にわかには信じ難いが、ディド、クレウサの見解は同じ――エイルの死因は、魔力枯渇による衰弱死であるらしい。

 確かにそう云われてから、魔眼でエイルの身体を眺めてみれば、そこには欠片の魔力も、生命力さえも感じられなくなっていた。

 つい先ほどまでの煌夜の身体と同じ状態、生命活動が完全に止まっている状態だった。


(……何が起きたのじゃ? 何故、死んだ?)


 ヤンフィはエイルが死んだことに、珍しくもかなり動揺していた。【桃源】であらかじめ視ていた未来とはまったく異なる展開。

 しかも間違いなど起きるはずのない治癒魔術の行使中である。何かが運命を書き換えたのか――


(【蘇生】は確かに高難度じゃ、魔力消費量も激しかろぅ……じゃが魔力枯渇程度で、死に至るはずが……そも、あそこまで回復していたエイルであれば、仮に失敗したとて、魔力が枯渇すること自体、有り得ぬぞ……)


 ヤンフィはエイルの死体を注意深く魔眼で観察しながら、想像さえ出来なかったこの展開に無様にうろたえていた。様々な疑問が頭の中に浮かび、目に見えて動揺していた。


「――コウヤは、無事か!?」


 そんな疑念、思考の渦に囚われそうになったヤンフィだが、しかし瞬間、ハッと我に返る。

 予期せぬ展開が起きたということは、煌夜の蘇生自体が失敗した可能性がある――それは、ここまでの苦労を全て水泡に帰す結果だ。

 正直なところヤンフィは、エイルの生き死になぞ興味はない。肝要なのは常に一つ。

 煌夜が無事に蘇生できたか、出来ていないか――それだけだった。

 ヤンフィは慌てた様子で、死んだエイルから視線を切って、昏睡状態の煌夜に駆け寄る。

 外見から視た分には、間違いなく蘇生は成功していたが、果たして――


「ご安心を。コウヤ様なら、魔力が漲っていますわ」


 ヤンフィが煌夜の身体に触れたとき、エイルを検死したディドが、こともなげに答えた。

 けれどヤンフィはそれを鵜呑みにせず、万が一にも間違いはないか確かめるように、煌夜の胸元に手を当てた。

 煌夜はスヤスヤと穏やかな寝息を立てていた。


「ふむ……魂と肉体、魔力核は問題なく繋がっておるのぅ」


 煌夜の全身に魔力を流して状態を確認したところ、魂は無事、肉体に定着している。心臓の鼓動も、血流にも異常はない。ヤンフィという魔王属に汚染されていた魔力核も浄化されており、調べた限りでは、まったく正常な睡眠状態である。

 それを確認できて、ヤンフィはひとまずホッと胸を撫で下ろす。しかし同時に、煌夜から溢れ出ている異様なまでの魔力量に驚きを隠せなかった。


「……じゃが、この魔力量は、何なのじゃ?」


 蘇生される以前の煌夜からは、考えられぬほどの膨大な魔力量だ。あまりにも不自然な現象である。


(少なく見積もっても、タニアより内在魔力量が多いぞ)


 ヤンフィは冷静に煌夜の魔力量を測るが、その魔力量はお世辞抜きにして、タニアに匹敵するだろう。

 妖精族(セレナ)の心臓を移植したときなどとは比べ物にならない。別次元の魔力増加である。

 ここまで増加していると、もはや別人の身体に乗り移ったと云われたほうが納得できる。


「あ、の……ヤンフィ、様? コウヤ様、どうかなさったのですか?」

「どうもしておらぬ――じゃが、異常がないのが、異常過ぎるのじゃ」


 ヤンフィが煌夜の身体を念入りに調べていると、クレウサが心配げな表情で問い掛けてくる。それに即答して、苦虫を噛み潰したかのような渋面を浮かべた。


「異常がないことが、異常? 何か、問題でもあるのかしら?」


 ヤンフィの台詞を耳聡く聴いて、ディドが眉を顰めながら問う。事切れたエイルの身体をそっとその場に寝かせて、素早く近付いてくる。


「判らぬ――問題があるやも知れぬし、ないのやも知れぬ。それこそ、妾が知りたいところじゃ」


 ヤンフィは傍らのディドに声だけで応じながら、己の魂を削りそれを魔力に変換して、今一度【桃源】を展開させた。

 この場のあらゆる可能性を視て、この後いったい何が起こるのか、何の要因が運命を揺らがせたのか、それを探ろうと試みた――だが結局、桃源を発動させても、何も判らずだ。

 ヤンフィが関わる未来の中で、運命を揺らがせる要因は掴めない。


(……これより先の可能性は、ハッキリと視えておる……と云うことは、エイルを死に至らしめた要因は、少なくとも、妾に干渉することではない、のか?)


 無敵に思える【桃源】の能力は、その実、運命を覆すほどの魔術効果や、運命を自ら切り開ける存在、何らかの未来を書き換える能力、または桃源よりも上位の未来視と競合すると、途端に展開が読めなくなると云う弱点がある。

 ヤンフィの誇る【桃源】は、あくまでも()()()()()()()()()()()であり、その能力以上の強制力を持つ何がしかの効果とせめぎ合うと、当然、可能性は読み取れなくなり、未来が選択できなくなる。

 つまり、桃源を展開したとき、可能性が読み取れない要因こそ、運命を覆した何かである。

 ところが、そんな要因は、まるで見当たらない。


「――おーい、ヤンフィ様。ご注文の裸族を連れてきましたぜ…………って、あん? 聖女スゥ、どうかしたのか?」


 ヤンフィが真剣な表情で煌夜の身体を触っていると、近寄ってきたソーンがそんな質問をする。この展開は、先ほど視た可能性と寸分違わぬ未来である。

 ソーンは、全裸で瀕死のリューレカウラを肩に担いだまま、床に寝かされているエイルを見て、首を傾げていた。


「……ソーンよ。リューレカウラは、そこに寝かせよ」

「ういっす――ほい」


 ヤンフィは、そこ、と云いながら、エイルの死体の傍を指差す。ソーンは云われるがまま、意識不明のリューレカウラを床に転がした。


「ふむ……リューレカウラの命も救わぬと、のぅ」


 床に転がったリューレカウラをチラと一瞥してから、ヤンフィは展開していた桃源を解除する。

 運命を覆した要因は特定できなかったが、ここから脱出する為の算段は整った。


「なぁ、ヤンフィ様。んで、結局のところ、蘇生は成功したのか?」

「無論じゃ。多少の犠牲はあったがのぅ――――ディド、クレウサ。汝らは、生存者を一箇所に集めよ」


 ヤンフィは素直にソーンの問いに頷いてから、首のないベイルの屍骸に近付く。一方で、指示を与えられたディドは、呆けるクレウサを促して、避難させていた足手纏いたちの元に向かった。

 ソーンは立ちんぼのまま、寝息を立てているコウヤの身体に見入っている。隙あらば触れようとしている様子だが、とりあえず無視する。


「さて――と」


 時間が経過するごとに瘴気を増すそのベイルの屍骸に触れると、ヤンフィは汚れるのも厭わず、右手をその屍骸に突き刺した。

 死して尚その硬度は凄まじいが、ヤンフィの腕力を持ってすれば、魔力を通していない竜革など屑鉄と同じ程度の硬度でしかない。貫けない道理はない。

 ヤンフィはその突き刺した右手でベイルの身体を漁り、屍骸の中から心臓を取り出す。

 穴の開いた心臓は、ヤンフィの頭部ほどはある。もはやピクリとも動いていないが、それでもなお強烈な瘴気を放つその赤黒い肉塊こそ、竜の心臓である。


「…………上等ではないが、まぁ、及第点かのぅ」


 ヤンフィは鼻を突く異臭に眉根を寄せながらも、掴んでいる竜の心臓に躊躇なく喰い付いた。

 口元と胸元が赤黒い血で汚れるのも気にせず、飢えた獣が餌にありつくように、瞬く間にがっついて平らげる。

 ヤンフィのそんな奇行に、遠目で眺めていたソーンとディドが息を呑んでいた。驚愕が表情に浮かんでいるのを一瞥してから、汚れた口元を無造作に拭う。


「ふむ……それなり、じゃのぅ……」


 ごくん、と喉を鳴らして、ヤンフィは竜の心臓を食べ切った。途端に、その全身からぶわっと凄まじい魔力が湧き上がる。

 魔貴族とはいえ、竜種の端くれ――それなりでしかないが、枯渇していた魔力を少しは補填できたようだ。

 ヤンフィは掌を閉じたり開いたりしながら、身体の調子を確かめた。そして、ソーンを含めた全員を一瞥して、ふむ、と思案する。

 充分とは云えないが、魂を削らずとも、全員をこの空間から脱出させる程度の時空魔術は展開できそうである。


「……ヤ、ヤンフィ様……い、いま……竜種の、心臓を……だ、大丈夫、かしら?」

「ああ? ああ、うむ――あまり知られておらぬが魔王属はのぅ、同族もしくは同格の魔族の血肉を喰らうことで、魔力を補充できる特性がある……ベイルが竜種で幸いじゃ。かろうじて、妾の糧になるだけの格を備えておる」

「ぅぇ――っ!?」


 ディドの質問に答えたヤンフィの言葉を耳にして、クレウサが軽い吐き気を催していた。ディドも無表情を渋面に変えて、その口元を手で押さえている。


 常識として、【幻想種】に区分される種族の血肉は、それが肉の形状をしていても、中身は例外なく瘴気の塊であり、とてもじゃないが食べられる物ではない。

 中でも特に竜種などは、あらゆる部位が猛毒を持つうえに、その食味は吐瀉物と排泄物を混ぜたもののほうがまだマシとさえ云われている。


 そんな毒を、さも平然と平らげたヤンフィを見て、誰もが驚愕である。

 しかしそんな周囲の驚愕などどこ吹く風に、ヤンフィは亜空間から細長い棒のような刀を取り出す。


 次元刀エウクレイデス――あらゆる時空魔術を使用できる魔術武器である。


「ふむ……あの袋小路辺りが妥当かのぅ」


 ヤンフィは次元刀エウクレイデスを振りかぶりながら、脳内にヒールロンドの袋小路を思い描く。聖女をおびき寄せる為に、無様にのた打ち回った路地裏だ。

 正確な座標位置は不明だが、さんざ喚き散らしてのた打ち回ったおかげで、ヤンフィの魔力残滓があるのを感じ取れた。

 そこの場所とこの空間を結び付ければ、空間跳躍できるだろう。


「――ソーンよ。念のため訊いておくが……【奴隷の箱】のような、大人数を格納できるような道具を持っておらぬか?」

「……生憎、手持ちにはないぜ。つうか、ヤンフィ様が使用してる黒い本みたいなのに、全員を格納することはできねえのか? チラチラと見てたが、そん中に、ヤンフィ様の身体や、聖女とかを出し入れしてたろ?」


 目敏いのぅ、とヤンフィは小さく舌打ちをして、けれど答えることなく無視を決め込んだ。

 確かに【無銘目録】の能力ならば、この場の全員――ヤンフィを除き、エイルの死体を含めた都合十三人ほどの大所帯だろうと、収納できるだけの頁数は存在する。

 しかし、一度でも【無銘目録】に取り込んでしまえば、途端に、無銘目録の開閉権利をも得てしまう。それはヤンフィにとって不都合でしかない。


「ディドよ――密集した状態で、防御膜を展開しておけ」

「畏まりましたわ」


 ヤンフィは特に理由は説明せず、ディドに簡素な指示を出す。

 ディドもそれに二つ返事で頷き、一箇所に丸まってガタガタ震えているアスラエルを含めた足手纏いたち全員を囲い込むように、無属性の防御結界を展開した。


「ところで――エイル様は、いかがいたしますかしら?」

「『生命の杖』を回収する必要があるからのぅ、リューレカウラと一緒に運べ」

「ええ、畏まりましたわ」


 ディドは煌夜の身体をギュッと抱き締めつつ、エイルの身体に手を添えると、風魔術を用いて空中に浮かばせた。

 併せて、隣に寝ていた青息吐息のリューレカウラも風魔術で包み込む。


「――空間連結するぞ」


 ヤンフィは全員の状況を一瞥してから、短くそう宣言すると、次元刀エウクレイデスを振り下ろす。


 腕を組んで仁王立ちするソーン。

 ディドの展開した防御結界と、結界に手を触れているクレウサ。

 煌夜を抱き締めるディド。


 各人の足元に、時空魔術の転移魔法陣が展開されて、次の瞬間、ヤンフィを含めた全員がその場から姿を掻き消した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 暗闇に意識だけが浮かんでいた。

 この感覚は、馴染み深い。夢を夢と理解した状態で、しかも目覚める寸前の感覚だった。


(俺……どうしたんだっけか?)


 煌夜は急速に鮮明になる思考を自覚して、意識を失う直前の記憶を思い返す。


 確か【キングゴブリン】に襲われていた【聖女スゥ】を、ヤンフィが助けて、それから――


(――応急治療する、とか言って、そこから気絶した、っぽいな……)


 口を動かしているつもりだが、声は出なかった。まだ夢の中なのだろう。

 とりあえず身体を起こそうと試みたが、身体は動かなかった。と言うよりも、煌夜は自身がいま、どういう状態なのか分からない。

 果たして、起きているのか、寝ているのか。

 上下左右の平衡感覚が狂っており、不思議な浮遊感に包まれている。


(……こういう時は、確か……強く、身体をイメージすれば……)


 煌夜は、ヤンフィと夢の中で語るときの感覚を思い出しつつ、自らの身体をその場に強く思い描いた。その過程で目覚めれば御の字、目覚めずでも、目は開くだろう。


「――へ……ぁ? ここ、は? うぇ? ど、どこ、ですかぁ……?」


 煌夜が自分の身体に集中したとき、不意に、女性の弱々しい泣き声が聞こえてきた。

 そのおどおど声は、どこか聞き覚えがある――と、思考した瞬間、暗闇の中に煌夜の身体が像を成した。


「――――っ、は!?」


 唐突に身体の感覚がハッキリとなり、暗闇の床で立ち尽くしている自分を認識する。

 同時に、すぐ目の前に声の主――神々しい神官衣に身を包んだ黒髪の少女がいた。

 黒髪の少女は涙目になりながら、目の前の煌夜にも気付かずにキョロキョロと周囲の暗闇を見回している。


「……ぅぇ、ぇ……な、何が、起きて……ぇう……ぅぅ――」


 悲しそうな声を出しながら、その場にペタリと座り込んでいるその少女。

 ソバカスの浮いた地味目な童顔と、その童顔にアンバランスな凹凸のある体型、そして悲壮感漂うその泣き声――見覚えのある顔だった。


「……聖女、か? あれ? 髪の色が、違う?」

「うぇっ!? な、なにっ!? だ、誰、ですか……っ!?」


 その少女の顔は紛れもなく、煌夜が気絶する寸前に見ていた【聖女スゥ】――エイルの顔だった。だが、エイルは記憶の限りでは黒髪ではなかった。

 ヤンフィが助けたときの光景を今一度思い返すが、やはりどれだけ回想しても、エイルはセレナと同じような鮮烈な緑髪をしていたはず――


「ぅぅぅ……だ、誰か……ここに、居るん、ですかぁ……?」


 煌夜がジッとエイルの顔を眺めていると、彼女はビクついた様子で、恐怖の表情を浮かべながら暗闇に問い掛けた。

 目の前のエイルは、いまだに煌夜の姿を見つけられずにいる。


「――あの、俺、目の前に居るけど……見えない、のか?」

「ヒィ――ッ!? こ、声が、するっ!? え、ぅ――目の、前ぇ……?」


 恐怖と困惑に首を傾げながら、エイルは煌夜を見つけようと必死に涙目を細めた。

 焦点が合っていないのか、マジマジと煌夜の顔を見詰めるエイルに、煌夜は思わず一歩引いてしまう。


「……う、ぅぅぅ……み、見えま、せん……」


 煌夜の前で、エイルはダバダバと涙を流し始める。えぐえぐ、と大人げなく泣きじゃくる様子を見て、煌夜はオロオロしてしまう。

 声は聞こえているが、もしや幻覚の類なのだろうか。


「――ヒッ!? いま、何か……エイルに、触れた……?」


 チョン、とその肩に手を触れてみると、ハッキリ触覚があった。掌にエイルの体温も感じたので、幻覚の類でもなさそうである。

 だが、どうして自分の姿が見えないのか――と、煌夜が疑問に首を捻った瞬間、エイルの身体が眩い光を放った。


「な――っ、何だっ!?」

「な、に――っ!? きゃぁっ!? いやぁっ!!」


 暗闇を照らす緑色の閃光が、あたり一面を照らし出す。

 唐突に発生したそれに驚き、煌夜は身構えてエイルから距離を取る。

 しかしその驚きはエイルも等しく同じだったようで、彼女も驚愕に目を見開いてパニクっていた。


「なに、なにっ!? 助けてっ!! エイル、何したって言うのぉ!? あんなに、頑張ったのに……」


 閃光は収まる気配なく、周囲の暗闇を照らし続ける。

 エイルは自らの身体を掻き抱いて丸まり、嫌々と首を横に振っている。


「魔力が……吸い取られ、る!? 何で……えぇ……蘇生、詠唱間違え、た……?」

「お、おい、大丈夫、か!? 何が、どうやってるんだよ!?」


 光がエイルの身体から溢れれば溢れるほど、彼女は目に見えて判るほど衰弱していく。流石にマズイ状況だと認識して、煌夜は慌ててその肩を掴んだ。

 煌夜が触れた瞬間、ビクリ、と大きく身体を震わせるが、しかし抵抗はしなかった。

 いまだにエイルの瞳に煌夜は映っていない。


「……だ、誰だか、分かりません、けどぉ……エイルの、魔力を……奪わない、で……下さいぃ……」

「魔力を、奪う? あ――この光って、魔力の光か……?」


 エイルの台詞から、煌夜は緑色の閃光が魔力であることに気付いた。

 言われれば、見覚えのある光だ。よくヤンフィが闘気の如く放出していた。


「――――って、魔力が奪われてるのか!? 誰に!? ――あ」


 煌夜はハッとして周囲を見渡すが、誰の姿もなく、当然気配もない。この暗闇には、エイルと煌夜しか存在していない。

 そこまで考えたとき、気付きたくない事実に気付いてしまった。

 煌夜の身体に何か気力のようなモノがドンドンと流れ込んでくる。同時に、内側から暖かくなり、満たされるような気持ちが湧き上がっている。


「…………これ、もしかして……俺が、奪ってる、のか?」

「た、助け、て……下さいぃ……どう、して……奪うん、ですかぁ……っ!?」

「いや、違う――って、どうすりゃいいんだよ!?」


 エイルはガクガクと身体を震わせながら、恨みがましい視線で煌夜の方を見詰める。しかしそれは焦点が合っておらず、やはりまだ煌夜の姿を見つけられない様子である。

 一方で煌夜は、自覚してから凄まじい勢いで流れ込んでくる魔力に困惑して、兎も角なんとかしなくてはならないとエイルを強く抱き締めてみる。

 非常に柔らかく、ふんわりとした良い匂いが鼻腔をくすぐる。


「…………や、止めて……これ、以上……魔力が、奪われる……と……エイル、死んじゃう、よぉ……」


 けれど、煌夜が抱き締めたところで、溢れ出る光は収まらず、胸の中ではエイルが不穏当な台詞を吐いていた。

 先ほどよりも、その声音は弱々しい。


「くそッ!! おい、ヤンフィっ!! 何とかできないかっ!? ヤンフィ――っ!!」


 もはや煌夜には完全にお手上げ状態だ。故に、ついつい万能キャラのヤンフィに助けを求める。

 だが、どれほど声を張り上げても周囲の暗闇は無反応で、どころか脳内にヤンフィの声や気配も感じなかった。

 呼んでも意味がない、と心のどこかで確信めいた諦めが浮かんだ。


「――――ぁ、ぅっ? ぁぁあああ……ぁ……」

「おい、ちょっ――!? 死ぬなッ!! 生きろっ!! 死なないでくれっ!!」


 煌夜の必死の呼びかけ虚しく、エイルは顔面を蒼白にさせて意味のない音を漏らし始める。体温は冷蔵庫で冷やされたかのように冷たくなり、瞳はもはや色も失っていた。

 あれほど震えていた身体も、ぐったりとしてもう痙攣しておらず、挙句に溢れ出る光の量が目に見えて少なくなっていた。


「おい、起きろっ!! 頼むからっ!!」


 しかしどれほど懸命に叫ぼうと、心の底から助けたいと願おうと、状況は何一つ好転しなかった。

 果たして、それほど時間は掛からずエイルは意識を失う。

 それを皮切りに、エイルの身体が半透明になっていき、抱き抱えた質量も軽くなっていった。

 そしてあっけなく、エイルの身体は塵一つ残さず消え去った。


「…………あ? なんで……何が……は?」


 煌夜はしばし呆然と自らの手の中を眺めた。

 状況に思考が追いついていなかった。結局、何が起きたのか、皆目見当すらつかない。

 最後まで、満足な会話も出来ずに消え去ってしまった。

 どうすれば、助けられたのか――


(――あぅ? へ、ぁ? あれぇ? ここ……あれ?)


 煌夜が呆然としていたとき、脳内に響く声があった。

 その声はひどく困惑気味であり、しかも物凄く聞き覚えがあった。


(…………あ、あれ? コ、コウヤ、様? が、いる……え?)


 ヤンフィが脳内で話すような感覚で、反響する疑問に溢れる声。それは、間違いなく今しがた消滅したエイルのものである。

 煌夜は慌てて周囲を見渡した。だが、暗闇には誰もいない。


「――おい、俺の声は聞こえるか!?」

(はぅ!? ふぇ? エイル、の声、聞こえるん……ですか?)


 煌夜はとりあえず大声で呼び掛ける。すると、それに応じて、エイルの声が脳内に響く。


「ああ、聞こえる――でも、姿が見えない。というか、俺の姿は見えてるのか?」

(…………ぁぅぅ……喋ってないのにぃ……もしかして、これ……思考が、漏れて……あぅ――――は、はい。エイルの目の前に、いるのが見えます……)


 おどおどした声だが、はっきりとエイルは答える。

 目の前――と言われて、煌夜は正面の暗闇に顔を向けた。途端、自覚することが必要だったのか、突然正面に正座するエイルが現れる。

 いや、現れるというよりも、最初から居たのに気付かなかったのだ。

 エイルの身体は薄透明で、よくよく見れば少しだけ暗闇の床から浮いている。

 先ほどと違って、実体がない様子である。


「……見えた。あ、えと、何がどうなってるんだ?」

(――ぁぅ……エイルも、分かりませ……え? あ……まさか……)

「ん? 何か、心当たりでも?」


 煌夜はエイルと向かい合って、とりあえず状況を確認する。あまり期待はしていなかったが、エイルは首を横に振りながら、ふと何かを思い出すように中空を眺めてハッとする。


(あぅ……そう、ですか……ぅぅ……エイル、死んじゃった……んですね……)


 そして、エイルは酷く落胆した表情で顔を伏せて、意味の分からない発言をした。


「死――っ!? え、や、だって……死ん、でる?」

(はぅ!? ぅえ……あ、そっか……)


 煌夜の驚きの声に、エイルは驚愕で顔を上げた。直後、何か得心した風に頷いて、ゆっくりと口を開いた。


「――あの、エイルの、声……これでも、聞こえます、か?」

「え、はぁ……あ、ああ。さっきから全部、聞こえてる、けど?」

「ふぅ……えと……エイルも、まだ……状況を受け止めきれて、ない、ですけど……その……コウヤ様には、どうやら……生命吸収系の、異能が、備わって、る? みたい、なんです……」


 エイルは自らの台詞に疑問符を交えつつ、そんなことを断言した。

 煌夜はとりあえずそんなエイルの言葉を咀嚼するより先に、冷静な声音で確認した。


「えーと、エイル、さん? エイルさんって確か……緑色の髪をしていた聖女様ですよね? どうしてこんなところに? というか、ここは俺の夢の中では?」

「……あ、えぅ……と……その……」


 煌夜の質問にエイルは一瞬だけ面食らってから、言葉を選びながら説明を始める。


「エイルは……確かに、【聖女スゥ・レーラ・ファー】でした。髪の色は、本来がこの黒髪で、緑色だったのは、エイルが聖女として中途半端だったから、です。それで……えと……この世界は、恐らく……コウヤ様の潜在意識の中――と、思われます。エイルはコウヤ様を治癒していて、魂と魔力核を取り込まれた、みたい、です」

「…………取り、込まれた?」


 エイルの不穏当な説明に、煌夜は納得できず問い返す。


「え、ええ……はぃ……治癒で回復した瞬間に、コウヤ様の異能が発動して……エイルを魂ごと取り込んだと思われます。なので、いまこうして、エイルが話せてます……」

「いやいや、取り込まれたら、こうして話せないだろ!?」

「まだ……消化されて、ないから……エイルの魂が、残っているので、会話が成立して……います。知識の継承は……なさそうですので、エイルが……消えて、しまえば……コウヤ様は、お目覚めに……なるでしょう……」


 薄ボンヤリしていたエイルの身体がいっそう透き通って見えてくる。消えるまで秒読み段階に入ってしまっているのだろう。

 煌夜は駄々をこねるように首を左右に振り、いやいやいや、と否定の言葉を繰り返す。

 とはいえ、説明自体は理解していた。

 到底納得など出来ないのだが、いまどういう状況なのか整理もできた。

 出来ていないのは、覚悟だけである。

 エイルの説明を認めてしまえば、つまりエイルを殺したのは自分だと認めることになる。

 認めないのであれば事実にならない、などとそんなことはないが、いまの煌夜は、それを背負う覚悟が足りていない。


「ぇと……エイルが、消える前に……コウヤ様に幾つか……お伝え、したいことが――」


 煌夜が呆然として事実を認められずにいると、エイルが恐る恐ると挙手してくる。なんだよ、とエイルの半透明な身体に顔を向けた。


「――コウヤ様の異能は、恐らく……対象の魂を喰らう能力、と推定します。過去、ヤンフィ様に征伐された魔王属(ロード)の中に、【暴虐鬼】と恐れられた魔王属が居たのですが……その魔王属が、同じような異能で、【暴食(グラ)】と呼ばれる能力を持っていました。【神の叡智】は、今回発動したコウヤ様の異能を、その【暴食】と同一の能力だと、推定しています」


 エイルは少し早口に、煌夜の能力を分析した結果を口にする。それが真実かどうかは当の本人にも分からないが、とりあえずそういうものだと考えるべきだろう。


「それで……その能力に関して、忠告、なんですが……コウヤ様自身の、容量を超えた暴食を行ってしまった場合……魔力暴走により、運が良くて廃人。悪くて、身体が爆散する、と思われます……」

「――爆散!?」


 神妙な顔のエイルが吐く衝撃的な台詞に、煌夜は素っ頓狂な声を上げた。


「ええ……爆散……すると、思われます……そして、エイルの魂を喰らったせいで……恐らく、コウヤ様の魔力容量は、既に限界、のようです……というか、エイルの――【聖女スゥ・レーラ・ファー】の全魔力を吸収して、限界を超えないことのが……正直、信じられ、ません……けど――」


 ――だからこそ、ヤンフィ様を使役できたのかも知れません。

 と、エイルは独り言のように囁いていた。

 だがそんなことよりも、エイルの話を信じるとするならばつまり――次に、この【暴食(グラ)】という能力が発動したら、少なくとも人として終わるという衝撃が重かった。

 せっかく特殊な能力に目覚めたというのに、その瞬間、使用限界とは不運の極みである。


「…………でも、まぁ、端から無いモノだから、使えなくても惜しくはない、か……」


 と、煌夜はとりあえず自分を納得させる為だけに独り言を呟いた。

 その呟きを優しく見守ってから、エイルは話を続ける。


「それと、コウヤ様……その暴食の能力……ヤンフィ様には、お伝えしないほうが、良い、と思います……それを知ればきっと……ヤンフィ様は、また魔王を目指す、と思う、です」


 エイルは言い難そうにして顔を伏せた。

 煌夜はその意味がよく分からず、眉間に皺を寄せて首を捻る。

 魔王を目指す――そこだけ抜き出せばあまりに剣呑過ぎるが、ヤンフィの性格上、だから何だ、という程度の話に思える。

 そもそも、煌夜と出遭ったその瞬間から、本気のヤンフィは誰を相手にしようと無双している。

 煌夜という足手纏いさえ居なければ、いかなる状況であろうと無敵だろう。

 つまり現時点で既に、これ以上ないほど魔王である。


「……魔王を、目指す、ねぇ? いまでも充分、魔王じゃないか?」

「違います――魔王(アビス)に至るには、まだ……ヤンフィ様では、条件が足りません……」


 エイルは顔を伏せたまま強く否定して、直後、機械的な声で言葉を続けた。


「――もし次に、()()()()魔王(アビス)に至ったとすれば、神を打倒しうる可能性がある。己が欲望のままに、願いを叶える可能性がある。世界が絶望に包まれる――それだけは、許されない」

「…………はぁ?」

「――ッ!? ぁ、ぅ……え、と……その……ともかく、ヤンフィ様に、コウヤ様の能力は、教えないで下さい――絶対に!」

「……ああ、分かった」


 エイルは突如ハッとしたように顔を上げて、頭を数度横に振ってから、強い口調で強引に詰め寄る。

 勢いに呑まれて、煌夜はとりあえず頷いた。

 どっちにしろ、使えば死ぬような危険な能力である。わざわざヤンフィに吹聴して、自らの死のリスクを高める必要はないだろう。


「あ、あと……エイル、死んじゃいましたけど……コウヤ様のせいじゃ、ありませんからね? だいたい、後悔も、ありませんし……むしろ最期で、聖女として覚醒できたし、コウヤ様も蘇生できた、ので……幸運だな、って思ってます……まぁ、コウヤ様の蘇生は結局……エイルの命と交換、になっちゃいましたけど……それでも、使命は全うできたと思ってますし……正直なところ、エイルもう、聖女として生きるの疲れちゃいましたもん――あ、あの、だから……その……コウヤ様は、エイルの代わりに、生き抜いて下さいよぉ?」


 いよいよその身体が薄ボンヤリし始めたとき、エイルが満足げな顔で煌夜に微笑んだ。口調はどこか言い訳じみていたが、強がっている素振りはない。

 エイルの台詞を聞いて、煌夜は自嘲の笑みを浮かべた。

 煌夜が感じている罪の意識を和らげようとしてくれているのだろうが、それが本音だとしても、良心の呵責が軽くなることはない。


(まぁ、どれほど落ち込もうとも、事実は変わらない、か……そもそも、リュウ、コタ、サラを助け出すためなら、どんなことでもやってやるって決めたしな)


 煌夜はエイルに返事せず、心の中で呟くだけに留める。

 すると、エイルはフッと寂しそうに笑ってから補足した。


「――ちなみに、エイル……聖女になってから、たくさんの人を、治癒魔術で癒してきましたけど……癒した方の半数は、その後、自ら死地に赴いて、亡くなりました……それに、聖女になってから、多くの魔族に狙われるようになって……結局、護衛の方を、治癒した方以上に、犠牲にして、生きてきました……だから、こんな不幸自慢、意味がないですけど……コウヤ様とか、ヤンフィ様より、エイルの方がたくさんの人を殺してる、かも知れません……」


 そんな言葉を残して、エイルの身体は暗闇に溶けるように消え去った。瞬間、フッと空気が重くなり、鮮烈な光が頭上より差し込み始める。

 そろそろ目覚めるのだろう。

 煌夜は疲れたように溜息を漏らした。


 また起きたら絶体絶命なのかな、と苦笑したとき、ふいに思考の中にエイルの声が響いた。


『コウヤ様の探し人は、そう遠くないうちに出逢えます。けれど、そこには大きな試練が待ち受けていることでしょう。さて、ついでに神託を授けます――始まりの街に、手掛かりがある』


 そんな言葉を聴きながら、煌夜は眩い光に包まれて、意識を失った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇ 



「――責任ねぇぜ? なんでんなこと――いや、別にそういうことじゃ――」

「つべこべ、と五月蝿いのぅ――兎も角、段取れば――――許さぬぞ」


 野太い男性の声と、子供特有の甲高い声が言い争っている。

 煌夜は、瞼に当たる柔らかな光を感じて、恐る恐ると薄目を開く。

 瞬間、目の前に白金髪の美女が顔をあり、バッチリと目が合う。

 あまりの衝撃に面食らって、一瞬完全に思考停止で凍り付いた。

 息をすることも忘れて、眼前のその美貌を見詰める。


「――コウヤ様が、お目覚めになりましたわ」


 キスするほど迫っていた美女が、凛とした涼しげな声でそんなことを告げる。ふんわりと、ミントみたいな芳しい匂いが鼻腔をくすぐった。


「起きたかっ!! おいソーンよ。貴様はサッサと準備せよ。さもなくば、捨てるぞ?」

「チッィ――分かった、分かったぜ! 無理難題だがやってやるぜ。だから無事に段取れたら、ヤンフィ様……じゃなくて、コウヤ様だったな。コウヤ様と、一夜を共にする権利を――――ぶへぇ!?」


 馬鹿なことをのたまうソーンを、問答無用に殴りつけるヤンフィ。

 ソーンの汚い悲鳴の直後、ドガン、と凄まじい轟音が鳴って、部屋全体が振動する。


「少なくとも、汝が同性であるうちは、そんな権利なぞないわ。コウヤに男色の趣味はないようじゃからのぅ――」


 目鼻立ちがはっきりしたロシア人形みたいな美肌、澄み渡った蒼天のような双眸をした美女と、しばし見詰め合っていた煌夜は、耳慣れたヤンフィのそんな台詞を聞いてようやく我に返った。


「あ、え――っ!?」


 ハッとして身体を起こそうとした瞬間、正面の美女が膝枕をしてくれていたことに気付いた。

 煌夜は慌てて、身体を捻って美女の膝からどいた。彼女は安堵の笑みを浮かべて、その様子を見守っていた。

 柔らかい春の日差しを思わせる笑顔である。

 煌夜は思わず息を呑んで赤面してしまう。


「あ、えと――ここ、は?」


 とりあえず煌夜は、寝ぼけた頭を振りながら周囲を見渡した。まったく見覚えの無い六畳程度の狭い部屋だった。


「街外れの廃屋よ――ディド姉様、私から自己紹介しても宜しいのでしょうか?」


 煌夜が疑問を口にしたとき、丁度、部屋唯一の扉が開いて、胸元まで伸びた長い黒髪の美女が現れる。

 黒髪の美女は、煌夜の傍らで正座している白金髪の美女を見詰めて、どうしますか、とお伺いを立てるように首を傾げた。


「――――あ」


 そんな黒髪の美女と、傍らの白金髪の美女を見て、煌夜は彼女たちが何者かに思い至る。

 浮遊神殿で、ヤンフィがタイヨウと戦う直前に助けた美女たちだ。

 煌夜の脳裏に、裸で鎖に繋がれていた場面が鮮明に蘇り、不謹慎ながらも顔が真っ赤に染まった。

 そんな気持ちを見透かしたように、白金髪の美女が、フフフ、と笑う。


「クレウサ、ワタクシが先に決まっていますわ――コウヤ様。ワタクシの名前は、ディドと申します。奴隷のように嬲られていたところを、コウヤ様とヤンフィ様に助けて頂いた天族かしら。あの時、ワタクシを助けて下さり、ありがとうございましたわ。どれほど感謝をしても、足りることはございません。これから先、ワタクシの全てを捧げて、コウヤ様に尽くすと誓いますわ」

「あ、う、重いな……まぁ、分かったよ。ディド、さん、ね。俺は煌夜。天見煌――」

「コウヤ様。ワタクシは、ディド、と呼び捨ててくれて構わないかしら。ワタクシに敬称など不要ですわ」


 優しい笑みのまま、しかし物凄い迫力でディドはキッパリと断言した。

 煌夜はディドのその圧力にたじろいで、とりあえず頷くしかない。すると、コホン、とこれ見よがしに、扉に立つ黒髪の美女が咳払いをした。


「私はディド姉様の妹で、クレウサ、と申します。同じく、コウヤ様とヤンフィ様に命を救っていただきました。私のことも、クレウサと呼び捨ててください」

「あ、ああ。キミが、クレウサ、ね。――え? 妹?」

「ええ、そうですが、それが何か?」


 どちらも驚くほどの美貌という共通点を除き、クレウサとディドの容姿はまったく似ていなかったので、思わず煌夜は問い返す。

 そんな煌夜を不快そうに見詰めながら、クレウサは、何か文句でもあるのか、と言わんばかりに威圧してきた。


「あ、や……いえ、ナンデモナイデス」

「――おい、ソーン。いつまでも壁にめり込んでおらず、命じた通り、サッサと往ってこい」


 煌夜が片言でクレウサに屈した一方で、壁に埋まっていたソーンをヤンフィが思い切り小突いていた。

 ソーンはガラガラと壁を壊しながら、やれやれ、と肩を回して、平然とした顔でクレウサと入れ違いに部屋から出て行った。

 出て行く直前、煌夜に意味深なウインクを投げてきたが、それは完全無視で見なかったことにする。

 ソーンは相変わらず、吐き気を催すほど気持ち悪かった。


「コウヤよ。調子はどうじゃ? 身体に違和感はないか?」


 ソーンの背中を見送って渋い顔を浮かべていた煌夜に、ヤンフィが心配そうな声で問い掛けてくる。

 煌夜はヤンフィに振り返り、相変わらずのその威圧感に一瞬だけたじろいだ。


「……あ、ああ。違和感、はない――というか、すこぶる快調かな?」


 ヤンフィに問われて、今更ながら身体の調子を確かめる。

 すると、全身に気力が漲っていることに気付いた。ぐっすり熟睡したからか、疲れなど微塵も感じなかった。

 煌夜の返事に、ヤンフィは安堵の吐息を漏らしていた。

 同じく、傍らのディドも嬉しそうな微笑を浮かべている。


「ふむ――それでは、一旦、コウヤに状況を説明しよう。クレウサ、鍵を閉めよ」


 ヤンフィは扉に立っていたクレウサにそう命令する。

 クレウサは瞬間、不愉快そうに眉根を寄せたが、無言のまま後ろ手に扉を閉めて鍵を掛ける。

 鍵が掛かった途端、キーン、と室内の気圧が変わったような耳鳴りが起きて、煌夜は思わず耳を押さえた。


「これは――時空魔術、かしら?」

「違う。妾の放つ瘴気と魔力を、室内に充満させただけじゃ――つまり、いまこの室内は妾の胎内に等しい空間になった」


 ディドの質問に、ヤンフィは不敵な笑みを浮かべながら首を横に振る。


「……それほど、あの変態を警戒しなければならないのかしら?」

「無論じゃ。ソーンはまったく信用できぬ。じゃがそれでも、今は使わざるをえない。じゃから警戒するに越したことはない」


 ヤンフィはディドとよく分からないやり取りをしてから、煌夜に向き直る。

 そして、ちょうど耳鳴りが収まった頃合で、ヤンフィは煌夜が寝ていた間に起きた色々を説明してくれた。


 どうやら煌夜は二日ほど寝ていたようだ。思ったよりも時間が経っていないことに驚いた。

 しかしそんな短い期間でも、だいぶ仰天するような紆余曲折があったらしい。

 かいつまんで説明してくれたが、正直、意識がなくてホッとしたほどだ。


 とりあえず現状は、ソーンの策謀で戦うことになった【九賢者(ナインヴァイセ)】アミス・ウェルライトとの激戦を制して、ヒールロンド郊外の廃屋に転移してきた直後だという。

 ちなみにソーンには、煌夜とヤンフィが別々の個であることだけは説明済みで、今はまた協力関係に落ち着いているらしい。

 ところで、煌夜の身体についてだが、その点は聖女スゥが覚醒して無事に完治したのだという。

 その後、聖女スゥとは、この廃屋にて別れたのだと説明を受けたが、それが嘘であることを煌夜は知っている。

 聖女スゥ――エイルというあの少女は、煌夜の【暴食】という能力により、既に死んでいる。

 エイルが死んでいる事実を口にしないのは、恐らく煌夜の気持ちを慮ってのことだろう。

 ヤンフィはさりげなくそういう心遣いをするのだ。


「まぁ、妾は【魔王属】で、エイルは【聖女スゥ】じゃ。お互い天敵、一緒に旅なんぞ出来ぬからのぅ。妾から絶縁を叩きつけてやったわ」


 煌夜が知っているとは夢にも思わず、ヤンフィはそんなフォローを口にして、カラカラと笑っていた。

 そんなヤンフィに合わせて、ディドも当然ですわ、と同調していた。

 そこまで周りに気を使わせてしまったら、煌夜も知らないフリをするしかない。

 なるほど、と納得した。


 さて、そしてこれからの方針だが、煌夜が目覚め次第、別行動しているタニアとセレナたちに合流しようという運びになっている。

 異世界人の奴隷たちを救い出し、煌夜の身体も完治した今、もはや寄り道をする必要がない。

 ――とはいえ、救い出した奴隷たち全員を連れて戻るのはひと苦労なうえに無駄なので、このヒールロンドに奴隷たちを置いて行くことに決めたという。

 名前を言われても煌夜には誰だか分からなかったが、アスラエル、イルミタ、エギヌ、という天族の男性陣が自主的に、他の奴隷たちの面倒を見るので、ここで解放してくれと訴えたらしい。

 なかなか男気のある連中である。煌夜はその話を聞きながら、凄いなぁ、と感心した。

 またアスラエルを筆頭にした男性陣は、重傷を負って治癒魔術院で治療しているリューレカウラという女性の介抱もすると申し出ているそうだ。

 彼らはヤンフィに、自分たちは放って置いて旅を続けてくれ、と言ったのだという。そこまで言われて、ヤンフィが彼らに構う理由など皆無である。

 二つ返事でその提案に了承すると、この街での安全の確保と当面の宿賃などの段取りをソーンに命じたというわけである。

 そこで、ソーンが面倒くさいと駄々をこねて、ヤンフィと言い争っていた場面で、煌夜が目覚めたようだ。



「――んじゃあ、いまソーンは、俺たちが助けたあの獣人とかの受け入れ先を手配してるってことか?」


 煌夜はヤンフィにそう問い掛けながら、脳裏に浮遊神殿で見た全裸の男女の姿を思い浮かべた。

 意思のない人形みたいだった彼らが、いまはきっと、傍らで微笑むディドや、仏頂面で正座しているクレウサのように回復しているのだろうな、と煌夜は少しだけ救われた気持ちになった。

 無関係な多くの人を犠牲にしてしまったが、少なくともその代わりに、救えた命もある。

 そんな自己満足で、沈んでいた心を誤魔化した。


「そうじゃ。ソーンのツテとやらで治癒魔術院に口利きして貰い、ついでに【世界蛇】の追手が来ないように手を回させておる。まぁ、実際に追手が来ぬかどうかは、分からぬがのぅ。ソーンを当てにはしておらぬ」


 ヤンフィは言って、クレウサとディドに視線を移した。煌夜も釣られて視線を向ける。

 ヤンフィと煌夜の注目を受けたクレウサは、一瞬だけディドとアイコンタクトをしたかと思うと、はぁ、と疲れたように溜息を漏らしていた。


「――コウヤ様。僭越ながら、ワタクシをヤンフィ様とコウヤ様の旅にご同道させて下さらないかしら?」


 突然、ディドが煌夜の目の前で跪いて、恭しく頭を下げた。あまりに唐突なその行動に、煌夜は面食らってしまい、思わず唖然としてしまう。

 するとそんな煌夜に代わり、ヤンフィが当然のように返事をした。


「好かろう。汝ほどの腕であれば、足手纏いにはならぬじゃろぅ。ああ、ちなみにコウヤよ。ディドの実力は、タニアほどではないにしろ、セレナよりも強いぞ? 戦力的には充分じゃ。断る理由はあるまい」

「……いや、断らないけどさ……つか、もう決定事項なんだろ?」

「――――好かったのぅ、ディド? コウヤからの許可も出たぞ?」


 ヤンフィの有無を言わせぬ強引な決定に、煌夜は唖然としたまま、不承不承と頷いた。

 確かに断る理由は一つもない。旅の連れが増えることで、煌夜の安全が向上するのならば、文句などもまったくない。

 しかし、そもそも決定権など一切ない煌夜に、わざわざお伺いを立てる必要は果たしてあったのだろうか。

 それが甚だ疑問だった。


「――感謝いたしますわ、コウヤ様。ワタクシ、ディドは、いまこのときより、コウヤ様の剣であり盾であり従順なる下僕となることを誓います。コウヤ様の命ならば、自死すら厭いませんわ」

「いやいやいや、そんなことは誓わなくていいですっ!!」


 嬉しそうな声でとんでも宣言するディドに、煌夜は慌ててツッコミを入れる。

 そんなやり取りを横目にして、クレウサが溜息交じりに口を挟んだ。


「コウヤ様、ヤンフィ様。私も、ディド姉様と同様に、貴方たちの旅に同行させて貰えないでしょうか? ディド姉様のように、誓いを口にすることはできませんが、足手纏いにはならないと断言できます」

「ふむ……どうじゃ、コウヤ?」

「どう、って言われても……別に、俺はいいと思うけど?」

「――――ありがたく存じます」


 煌夜が曖昧に頷いた途端、クレウサは話を切り上げるように、強い口調で感謝の言葉を述べて頭を下げた。

 感謝の気持ちは微塵も感じられないが、別にそれを追求するつもりなどなかった。


「さて――では、先ほど話したとおり、一旦はソーンに飛竜を操縦させて、タニアたちと合流を果たそうかのぅ。異論はあるかのぅ?」


 ヤンフィはそう話を締め括り、狭い室内にいるクレウサ、ディド、煌夜に視線を投げる。

 異論などあろうはずはない。

 煌夜は、大丈夫、と頷いた。ほかの二人も特に意見はないようだった。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ