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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第九章 蘇生
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第六十四話 Showdown/決着・後編

 

 クレウサは手に汗握りながら、その神々しい光景に見惚れて息を呑んでいた。


(あれが……あの姿が……セラフィエル・ナイトの中でも、守護天使と謳われたディド姉様の真価……【黄金弓姫(おうごんきゅうき)】の勇姿……なんて、美しいの――)


 クレウサの視線が向いている先には、凄絶な竜の息吹(ドラゴンブレス)を超至近距離で浴びたにも関わらず、涼しげな無表情で空中に佇むディドの姿があった。


「――クレウサ。コウヤ様の身体、任せましたわよ?」


 ディドは氷の様に冷たい声で、クレウサにそう告げる。

 クレウサはその台詞の鋭さに思わずブルリと身体を震わせると、雑に引き摺っていた煌夜の身体を抱き上げた。そして慌てた様子で戦力外のメンツが避難している【土牢】のところまで運び込む。

 相変わらず死んだように眠っているが、煌夜に外傷はなかった。


「……グォゥ、ォオオオ!!」

「残念ですがワタクシ、魔神語(デモンラング)は解らないかしら?」


 ディドの姿に、対峙している銀竜――竜化したアミスが、驚いたような響きで咆えた。しかしディドはその咆哮を鼻で嗤って、巨大化させた背中の天翼を羽ばたかせている。

 クレウサは煌夜と共に部屋の隅に避難してから、改めてディドの神々しい美しさを眺めた。


 全裸だったはずのディドは、いつの間にか、金色を基調とした華美なドレスを身に纏っていた。それはキラキラと輝く光の粒子を放っており、背中が大きく開いたフレアースカートのドレスである。

 開いたその背中からは、天族特有の天翼が、有り得ないほど巨大化して見えていた。

 ディド自慢の長く伸びた白金の髪は、風を受けて波打つように中空を踊っている。

 そしてディドの右手には、【銀腕】と名付けられた白銀の籠手が装備されており、その左手には、眩い黄金の光沢を持った神鉄(オリハルコン)製の長弓が握られていた。

 神気を放つその長弓は、【神弓イチイバル】と呼ばれる武具である。


 銀腕と神弓イチイバルを装備して、雄々しく力強い天翼をはためかせる今のディドは、まさに守護天使の二つ名に恥じない容姿である。


 風で舞い踊る白金の長髪、誰もが見惚れる美麗な相貌、王族の姫を思わせる麗しい服装、黄金の長弓を携えたその容姿――つい直前まで、全裸で腹部を銀竜の尻尾に貫かれて瀕死だったとは思えない。


「グゥォワォッ!」


 竜化したアミスが不思議そうな響きで叫ぶ。おそらくきっと、何が起きた、と質問しているのだろう。

 確かにディドは、アミスの放った竜の息吹(ドラゴンブレス)をまともに喰らった。躱した様子も、ましてや防御した形跡すらなかった。それでなくとも、腹部に重傷を負っていたのだ。死なないまでも、無傷なのは有り得ない。

 だというのに、実際は腹部の傷さえなくなっており、まるで初めからそうだったかのように、美しい装備に包まれている。

 何度見ても驚きを感じる魔術だ。クレウサのみならず、天界の戦士ならば誰もが羨望してやまないその固有魔術――【契約召喚】。


「……代々の守護天使のみに、継承されてきた固有魔術……あらかじめ契約した武具を、己の血を媒介に召喚する聖級魔術……」


 クレウサは誰に語るでもなく、ディドが何をしたのか説明口調で呟いた。しかし、そんな呟きは直後に巻き起こった暴風に掻き消される。

 ディドの右腕を中心に、凄まじい魔力風が発生した。銀腕が発動したのだ。

 ディドと対峙しているアミスは警戒したように、その身体の周囲に、圧倒的な魔力量を宿した光球をいくつも顕現させる。それは一つ一つが、聖級の光竜に匹敵する破壊力を秘めた魔力塊である。

 聖級の光竜を、しかもあれほど多数同時に放たれたら、防御も何もない。躱すことさえ出来ずに、跡形もなく飲み込まれて終わるだろう。


 クレウサは死を覚悟して、恐怖に身を震わせる。


 一方、そんな恐怖に身を竦めているクレウサとは違って、ディドは冷や汗一つ見せず、普段の澄ました無表情のまま、緩やかに右手で弓を引いた。無手のままで何もつがえず、ただ弦を引き絞る。 


「グァアアアア――ッ!!!」


 馬鹿にされたとでも思ったのか、アミスが凄まじい怒号を放つ。同時に、アミスの周囲に浮かんでいた光球から一斉に、人一人分を軽く飲み込む大きさのレーザー光線が照射された。

 レーザー光線は、勿論ディドを目掛けて、ついでにその幾つかはクレウサ目掛けて、襲い掛かる。

 咄嗟にクレウサは、来たる衝撃に耐えるべく、傍らで無防備に寝ている煌夜に覆いかぶさり、瞳を閉じて全力で防御魔術を展開した。

 展開した防御魔術は、当然ながら一種類ではなく、複数属性を持った防御結界の重ね掛けである。一つ一つは上級レベルだが、重ねることで、一瞬だけなら聖級の防御魔術にも劣らないだろう。


「――ギィァ、アアアッ!?」

「ふ~ん……さすがに、全てを撃ち落とすのは、無理だったかしら?」


 ドドドドド、と怒涛の爆音が響いたかと思うと、瞼を閉じていてさえ分かるほどの閃光が立て続けに発生して、ほどなくアミスの苦悶の咆哮が聞こえた。

 そして、少しだけ疲れの滲んだディドの声が聞こえて、クレウサは恐る恐ると上空を見上げる。


 果たしてディドは、左の肩を血塗れにしただけで、さしたるダメージもなくレーザー光線の猛攻を凌ぎ切っていた。しかもその上、対峙しているアミスの翼に穴を穿っている。


「ディド姉様ッ!? 大丈――」

「――心配は不要かしら。クレウサ、貴女はとにかく、コウヤ様を護りなさい」

「――夫、ですか!? って、は、はいっ!!」


 クレウサが出血しているディドの心配をした瞬間、有無を言わせぬ迫力でもって、ディドに鋭く睨みつけられた。

 その威圧に慌てて即答すると、クレウサは戦闘のとばっちりに巻き込まれないよう、いっそう部屋の隅で小さく縮こまることに決める。


 一方で、クレウサを黙らせたディドは、集中を切らすことなく素早い動作で再び神弓イチイバルの弦を引き絞った。

 途端に、銀腕から閃光が放たれて、気付けば次の瞬間には、白銀の(やじり)を持った魔力の矢が、神弓イチイバルに番えられている。

 そうして、クレウサが、あ、と思った瞬間に、白銀の矢は放たれる。

 それは先ほどアミスが放ったレーザー光線のように一筋の光と化すと、真っ直ぐに目標であるアミスの巨躯へと突き刺さる。

 すると、突き刺さった余韻など一切なく、まるで映像を巻き戻したかのように、神弓イチイバルには、次の矢が番えられていた。当然、それは新たな光の軌跡を描いて、アミスへと放たれた。


(――ディド姉様の得意技……銀腕が生成する魔力矢を、一瞬のうちに次々と高速連射する奥義、人呼んで【白銀豪雨(プラチナレイン)】!!)


 その技名はクレウサが勝手に名付けたものだが、傍から見るとそうとしか表現できない技である。まるで白銀の豪雨が降っているような技だ。蟻一匹生き残れないだろうほどの苛烈さと、無数に思えるほど怒涛の連続射撃である。

 一射一射が上級魔術を凌駕する破壊力で、物理特性、魔術特性を持った無属性の攻撃だ。これを喰らった者は、例外なく肉片も残さず消滅してきた。


 だがしかし、その程度で倒せるほど竜化したアミスは甘くはなかった。


「ゴォオオオオッ――!!」


 怒りの色が強い大絶叫。同時に、飛び交う白銀の豪雨は、その衝撃波でもって掻き消された。ディドが小さく舌打ちして、咄嗟に大きく後方へと逃げる。


 果たして白銀の豪雨が止んだ後には、巨躯のところどころから出血をしているアミスと、その正面に展開している幾つもの【神光鏡(アイギスミラー)】が浮かんでいた。


「…………この世界に来てから、ワタクシ。己の実力不足を、嫌というほど痛感していますわ……この世界は、本当に……化物しかいないのかしら」


 ディドは注意深くアミスと対峙しながら、弓の構えを解いていた。見れば、出血していた左の肩口が淡く光を放ち、瞬く間に傷が癒される。

 ディドの身に纏っているそのドレス――【幻惑の正装】には、聖級の治癒魔術である【再生の鎧(リジェネアーマー)】が任意発動する仕組みになっている。


 さて、とクレウサは、落ち着いて戦況を鑑みる。状況は、一見して膠着状態。贔屓目に見れば、無傷のディドが優勢に思えなくもない。

 しかし、あれほど苛烈なディドの猛攻をして、アミスには致命打を与えられておらず、一方でディドは、無傷とはいえ魔力の消費量が尋常ではない。

 ディドは誰が見ても明らかなほどに疲弊しているし、そもそも必殺の奥義【白銀豪雨(プラチナレイン)】をもってして仕留め切れない時点で詰んでいた。

 ディドの持つ最大最高の技が通じなかったのだ。もはや絶望的である。


(……悔しい。どうして私は、これほど役立たずなのでしょう……私にもっと力があれば、ディド姉様の援護が出来たのに……)


 クレウサはただ見守るしかない自らの不甲斐なさを歯噛みする。こんな悔しい思いをするのは、これで二度目だ。

 一度目は、人界に降りてきた直後、灰色パーカーの三人組に手も足も出ずに、ディドを巻き込んで捕まったときである。


「――――ワタクシに、()()が出来る、かしら?」


 クレウサが後悔に駆られていると、ふいにディドがそんな呟きを漏らす。怜悧で冷静なその無表情には、どこか挑戦的な色が窺えて、銀腕を装備した右手をグーパーと動かしている。


「グォアゥ――ゥォオオオゥ!!」

「何を言ってるのか、分からないかしら?」


 アミスが怒号と共に凄まじい威圧を放った。呼応するように、前方に浮かんでいる神光鏡(アイギスミラー)が一斉に、輝く光を蓄え始める。周囲の光を吸収して、それを魔力に変換していた。

 もしあれが一斉掃射されたならば、いかにディドといえども防ぎきれるとは思えない。


「ディド姉様ぁ――っ!!」


 果たして、クレウサの不安は現実になる。

 悲鳴の如きディドへの呼びかけが合図となって、苛烈極まる流れ星のような光線群が放たれた。

 神光鏡(アイギスミラー)から照射される光線は、空中で無数に枝分かれして拡散しつつ、豪雨よりも尚密集した面攻撃を展開して、ディドに襲い掛かる。

 避けようがない。ましてや、防ぎようもない。もはやディドに活路はない。

 クレウサは無駄とは分かっていても、抵抗せずには居られなかった。銀竜と化したアミスの巨躯に、無詠唱で白黒閃光(アッシュレイ)を放つ。とはいえしかし、当然それは、アミスに届かず神光鏡の一つに反射されてしまった。


「…………グォゥ、ガァォゥ?」


 爆撃のような光の大洪水がひと段落ついたとき、ふとアミスが疑問の声を上げた。

 クレウサはアミスの視線を追い、死んだと思ってしまったディドが無傷で浮かんでいるのを見て、誰よりも驚愕した。


「紙一重で、成功しましたわ。とはいえ、コレ一つで、形勢を覆せるわけではありませんけれど、時間稼ぎはできる、かしら?」


 空中で涼しげに浮かんでいるディドは、自分を中心とした周囲に、凄まじい厚みの魔力の膜を展開していた。それは魔力の球体である。遠目からでもそれが、とんでもなく圧縮された魔力密度を持っていることが分かる。

 ディドはそんな魔力の球体に包まれて、顔色一つ変えずに浮かんでいた。


 ――あれほどの高密度を誇る魔力ならば、先ほどの猛攻を防ぎきることも可能だろう。


 それにしても凄い、とクレウサは、ディドに畏怖じみた敬意を感じた。思わず無意識に、寒心から身体が震える。

 あの魔力膜は、ディドとクレウサを捕らえた灰色のパーカー三人組の一人が使ったオリジナル魔術である。たった一度だけ見たそれを、ディドは見事に再現して見せていた。

 天界で、戦闘の天才と讃えられたその実力は、まったく錆付いていない。


「やっぱり、凄すぎる……けど……」


 クレウサは己の足手纏いさ加減を改めて痛感して、双子の実姉であるディドの実力を密かに誇りながらも、しかしそれでもアミスを攻略出来ない予感に、若干諦めの心地だった。

 このままでは、ディドは決してアミスを倒せない。それはすなわち、全滅することと同義である。


 クレウサは一縷の望みをかけて、頼みの綱のリューレカウラに視線を向けた。神降ろしの異能を発動させたリューレカウラならば、ディドと力を合わせれば、きっとアミスを倒せるだろう。


 けれど――そこにあったのは、より強い絶望を感じさせる光景だった。


 半裸の変態巨漢ソーンとの激戦を繰り広げていたリューレカウラは、いつの間にか、纏っていた戦神鎧(バルキリーアーマー)を解除して、全裸に血塗れの状態で床に膝を突いていた。

 一方で、変態巨漢ソーンは、多少の傷を負ってはいるが致命傷は皆無で、苛立ちをあらわにめり込んだ壁の中から幽鬼の如く立ち上がっていた。


「――――ぁ、ぅ、ヒィ――ッ!?」


 そんな絶望的な光景を見た瞬間、全身を嘗め回されるような不快感と、死神を前にしたときのような本能的な死の恐怖が、クレウサの全身を貫いた。

 無意識に身体がガクガクと震え出して、抑えられないほどの吐き気と寒気が襲い掛かる。まるで心臓を鷲掴みにされているような気分、アミスの威圧などそよ風に感じるほどの圧倒的な殺意。

 死んだ、と錯覚させるほどの強烈な威圧に、クレウサはその場にへたり込む。


 そして、次の瞬間、あらゆる状況は一変した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「【自動蘇生(リレイズ)】――」


 エイルが無意識のうちに捧げた神への祈り。

 しかしその祝詞は、何一つ状況を好転させず、次の瞬間、エイルは赤黒い魔竜の放った炎に飲み込まれて、消し炭さえ残さずこの世界から消失した。


「グォオアアア――ッ!!!!」


 赤黒い魔竜が歓喜の咆哮を上げる。勝ち誇っているのだろう。

 赤黒い魔竜は、ひとしきり勝鬨を上げると、大きく翼をはためかせながら、もう一方の戦闘に意識を向けていた。

 今の魔竜には、先ほどまでの張り詰めた緊張と、凄絶なまでの殺意、覇気が完全になくなっており、注意力も霧散していた。全身から弛緩した空気が感じられるし、戦闘の素人が見ても分かるほど、隙だらけの状態だった。

 けれどそれも仕方ないだろう。

 最大の強敵だったヤンフィという魔王属が消滅して、殺す対象のエイルを無事に殺すことに成功したのだ。

 残る問題は、抵抗している天族の三人だけだろうが、彼女たちの抵抗もそれほど脅威にはなっていない。

 実際、変態巨漢ソーン一人に対してさえ、三人掛かりで歯が立たないのだから、そこに赤黒い魔竜が助力してしまえば、戦況が圧倒的に傾くのは容易に想像できる。


「――ぁ、っ……はぁ……そんな、状況でも……聖女は、誰かを救う為に、蘇って……死地に、臨む……のかぁ……エイル、もう疲れた、よぉ……」


 油断と慢心しきっている赤黒い魔竜の数メートル後方、何もない空間から、ふとそんな涙声混じりの弱気が聞こえた。

 それはつい今しがた、跡形も残さず消滅したはずのエイルの声である。

 赤黒い魔竜はその声を耳にした瞬間、慌てた様子で声のした方向に顔を向ける。

 するとそこには、紛れもなく【聖女スゥ】――エイルの姿があった。


「グァッ!?」


 エイルの五体満足な姿を目にして、赤黒い魔竜は言葉少なに驚愕していた。

 しかしそれもそのはずだろう。

 エイルの服装はいつの間にか、普段から身に着けている神官衣になっていた。

 その胸元には、【聖女スゥ・レーラ・ファー】の証である四葉の白詰草のブローチが付いており、頭部には、かなり昔に失われたと伝えられている聖女の正装の一つ、白いヴェールが付いた茨の冠を戴いていた。

 さらに装備のみならず、不思議なことに髪の色さえ変わっている。

 つい先ほどまで、妖精族を思わせる鮮やかな緑髪だったエイルの髪だが、それが本来の黒髪に戻っている。


 そんなあまりのエイルの変貌振りに、赤黒い魔竜は一瞬、何が起きたのか判っていなかった。油断しきっていたからか、混乱してしまいその思考を完全に停止した。


 何者かによる幻覚か、それとも、実は殺した【聖女スゥ】は偽者だったのか――


 赤黒い竜のそんな逡巡は、一瞬とはいえ、致命的なまでの隙を作ってしまう。ただでさえ油断しきっており、思考を停止していた上に、無防備すぎる瞬間を曝したのだ。

 その瞬きの一瞬で、赤黒い魔竜の首は斬り落とされた。


 ――ザン、と。


 赤黒い魔竜の長い首を、丁度真ん中辺りで両断する矮躯。

 それは、荒ぶる桃色の頭髪をして、血染めの着物を纏い、少年みたいな面立ちをした少女だった。


 本来であれば、聖女スゥの天敵であり、人類にとっての害悪であり、恐怖の対象にしかならない魔王属(ロード)――【魔剣の不死者】ヤンフィと呼ばれる存在である。

 しかし、ことこの状況下においては、エイルにとって誰よりも心強い存在であった。味方ではないが、少なくとも今この瞬間、エイルと敵対はしていない。


「――【尸解(しかい)】の厄介な点は、発動すると強制的に【桃源(とうげん)】も発動することじゃのぅ。そのせいで、魔力が枯渇しておる状況じゃと、本来の力の半分も発揮できぬ」


 首を落とされたことにより、姿勢を崩して空中から落下してくる赤黒い魔竜の巨躯。それと一緒に、ヤンフィがそんなことをのたまいながら、軽やかに床へと降り立った。


 それは、エイルが復活する瞬間に【天啓】で視た光景だ。

 冠級の治癒魔術【自動蘇生(リレイズ)】――それを、聖女スゥが詠唱した場合にのみ、副次効果として天啓が発動する。

 天啓の効果は、望む未来を招き寄せた上で、その未来に到達する為の行動を示してくれる未来予知である。神の奇跡に等しい能力だ。

 ちなみに自動蘇生(リレイズ)とは、死んだ直後、自動的に展開される治癒魔術で、その効果は、死んだ者の魂の記憶から肉体と服装を完全な状態で復活させることである。

 代償はないが、極めて魔力消費が激しい治癒魔術であり、また一人の人間が使えるのは、一生涯で三度までという使用制限がある。

 実際、もはやエイルは魔力が枯渇寸前だった。早急に回復薬(ポーション)を使用できないと、正直、意識を保っているのさえ難しい状態である。


「ふむ……色々と、想定外の事象は発生したが……おかげで、無事に【聖女スゥ】として覚醒できたようじゃのぅ? 今の汝ならば、容易く【蘇生】が扱えるじゃろぅ?」


 緩く反り返った漆黒の刀身をした魔剣を血振りしながら、ヤンフィはエイルの姿をつま先から頭のうえまでジロリと睨め回した。

 あまりの鋭い視線に、ブルリと思わず震えてしまうが、そこに殺意や害意はない。とりあえず今は、これ以上ないほど強力な味方である。

 ドシン、と赤黒い魔竜の巨躯が床に落下して大きな音を立てた。それを横目に、エイルはヤンフィの質問に対して遠慮がちに頷いた。


「……は、はぃ。容易く……ではないですけど……その、何とか……詠唱、出来そう、ですぅ……ただ、そのぉ……魔力が……」

「――うむ、それはそうじゃろぅ。いかに聖女と云えど、自動蘇生(リレイズ)を展開すれば、魔力なぞ尽きるじゃろぅ。ほれ、これで魔力回復薬(エーテルポーション)は全部じゃ。疾く呑め」

「ぁぅ――はぃ。あ、ありがとう、ございます……」


 エイルが回復薬を要望するのに先回りして、ヤンフィは皆まで言わせず三本の小瓶を手渡してきた。渋られると思っていたエイルは、あっけなく貰えたことに拍子抜けするが、素直に受け取った。


「…………ぅ、苦い……」


 エイルはすかさず、受け取った小瓶をチビチビと飲み干す。魔力回復薬の味は、どろっとしていて草みたいな青臭い風味である。一気飲みはなかなか出来ない。

 ヤンフィはエイルが飲み干すのを待ちつつも、部屋の奥で繰り広げられている激戦を眺めていた。


「ふむ……やはり問題は、ソーンじゃのぅ――彼奴ら、こちらにはまだ気付いておらぬ。さて、どう攻めるべきかのぅ?」


 エイルがえずきながらも、何とか魔力回復薬の二本目を飲み干すと、ヤンフィがニンマリとした不気味な笑顔を向けてくる。

 エイルはヤンフィがどうしてそんな問いをしてくるのか分からず、苦味にしかめっ面をしつつ、首をちょこんと傾げた。するとヤンフィは、激戦の傍ら、部屋の隅のほうで固まって避難している黒髪の天族の女性――クレウサのほうに視線を向ける。

 エイルはヤンフィの視線誘導に誘われて、戦々恐々とするクレウサを見る。

 クレウサの傍らには、ヤンフィが誰よりも大事している『コウヤ』なる青年の死体が寝転がっている。また、クレウサの背後には、ドーム状になった土壁があり、恐らくそこにほかの皆が避難していると思われた。


「エイルよ。ひとまずそれだけ呑めば、一度くらいは【蘇生】を詠唱できるじゃろぅ? どうじゃ?」

「――あ、ぅ? あ、んっ……ごくっ……え、えと……そう、ですね。たぶん、大丈夫です」


 ヤンフィに話し掛けられて、エイルは慌てて三本目を飲み干す。そして、身体の内側に満ちる魔力量を鑑みて、不安げにしながらもコクリと頷いた。

 魔力の回復具合はほぼ五割だ。これだけ回復していれば、初めて詠唱する治癒魔術、しかも冠級とはいえど、失敗することはないだろう。

 聖女として覚醒した今、エイルは治癒魔術においてのみだが、失敗することを考えられない。どうしてか確信めいた自信が溢れていた。


「……え、と……ちなみに……あの状況で……エイルが、助けに行くの……ですか?」


 エイルは恐る恐るとクレウサのほうを指差して、それから空中で繰り広げられている壮絶な戦闘を眺めた。

 どうしてそうなっているのかまったく理解できないが、ともかく状況は、金髪の天族が美麗なドレスになっていて、白衣を纏っていた女性が銀色の竜になっていた。

 怒涛の攻めを見せているのは金髪の天族――ディドだが、どちらが有利な戦況かは、エイルには読み取れなかった。

 ただただ、巻き込まれたら死ぬなぁ、という感想しか持てない。

 すると、ヤンフィは愉しそうに口角を吊り上げて、エイルの肩をポンと叩いた。


「――妾の云う通りに動け」


 エイルはその一言に、ひたすら嫌な予感しかしなかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 魔王属には、【神の恩恵(ギフト)】と呼ばれる奇跡の如き特殊能力がある。あらゆる法則を捻じ曲げることが出来る超能力で、魔王属という存在を魔族の頂点足らしめている反則級の異能である。


 ヤンフィは、そんな【神の恩恵(ギフト)】を二種類保有していた。


 一つ目の神の恩恵(ギフト)は、【桃源(とうげん)】である。

 ヤンフィの魔力に触れている空間内という条件下であれば、そこに存在している可能性――ヤンフィの行動した結果により起き得る未来の可能性は、どんな低確率な未来だろうとも選択することできる。

 発動させれば、ほとんど全てが思い通りになる究極の先見だ。

 この能力のおかげで、ヤンフィは魔王属最弱と云われながらも、あらゆる窮地から生還できたのだ。


 そしてもう一つは、【尸解(しかい)】と呼ばれる能力である。自動的に発動する特性のような能力で、発動時には強制的に桃源も展開される。

 剣という概念でなければ決して死なない――正確には、剣という概念を持った攻撃でなければ、死んだ直後に蘇る能力だ。

 肉体が消滅しようと、魔力が枯渇しようと、魔力核が破壊されようとも、トドメが剣でない限り、死ぬことが出来ない能力である。

 ただでさえ魔王属は死に難い。よほど防御力が低い魔王属でない限り、冠級の魔術でなければダメージを与えることさえ出来ない存在である。その中にあって、ヤンフィはさらに、剣でなければ決して殺せず、何度死のうと蘇る。

 この能力こそ、最弱の異名を持つヤンフィが、あまたの強力な魔王属を押し退けて、魔王の座を勝ち得た所以である。


 さて、そんな規格外の能力を隠し持つヤンフィは、故に死を回避するだけならば、さしたる苦労はない。

 実際、先程ベイルが放った竜の息吹(ドラゴンブレス)は、それこそ本来ならば即死級の攻撃だったが、ヤンフィにとっては脅威ではなかった。

 むしろ脅威度としては、アミスとの戦闘時の光剣の方が圧倒的に恐怖だったくらいだ。

 まあ、そんな裏事情があった為に、ヤンフィはベイルのブレスを避けずに受けた。下手に避けるより、その方が魔力を温存できるからである。


 果たしてそれは功を奏し、ベイルは油断のうちに一刀両断されて絶命した。


 ここまではヤンフィの思惑通り、計算通りの展開だった。

 だがここで、嬉しい想定外が発生した。それはエイルが覚醒したことだ。ヤンフィは、まさかこの状況で、エイルが聖女として覚醒するとは微塵も思っていなかった。

 そもそも桃源で観ていた未来には、エイルが覚醒する未来は視えなかった。あらかじめ視ていた未来の可能性では、ヤンフィがどんな行動を採ったとしても、エイルはあっけなく消滅するはずだった。

 エイルは死ぬことで、ベイルに油断を誘う。ヤンフィはその隙を突いて、ベイルを背後から一刀両断にして殺す――それが当初、ヤンフィの想定していた計画であり、桃源により選択した未来である。


 ところが、よもやその運命が変わるとは思わなかった。


(……まあ、エイルが覚醒したこと自体は喜ばしいことじゃ……おかげで、ソーンを黙らせる算段が整ったからのぅ)


 ヤンフィはそんなことを思いながら、斬り伏せたベイルの首なし屍体を見下ろして、念のため心臓を突き刺した。

 ベイルの魔力核は、心臓部にある。死んでいるのは分かっていたが、万が一を考えて、魔力核も霧散させておく。


「……あぅ……もう、行きます、か……?」


 ヤンフィにそのとき、エイルが恐る恐ると声を掛けてくる。振り向けば、エイルは不安をいっぱいに浮かべた表情で、チラチラとクレウサの方を指差していた。


「妾の合図で駆け出せ――指示は理解しておるか?」

「……ぅ。お、覚えて、ます。見つからないように、クレウサさんのところに行って……姿を隠す魔術を施してもらって……コウヤさんを蘇らせる……んですよね?」

「ふむ――充分じゃ」

「あ、あの……本当に、危険は、ないんですよね? あの銀竜の注意を、引き付けてくれる、んですよね?」


 怯えた様子のエイルの質問に、ヤンフィはあえて答えず、無表情にただ頷いた。

 危険は、ない。そこに嘘偽りはない。

 ただし、アミスの注意を引きつける役目を担うのはエイルである。

 ヤンフィはエイルを囮に使い、食い付いたアミスを即死させる計画を考えていた。

 エイルが聖女として覚醒した以上、アミスを生かしておく理由はない。

 チラチラと話に出ていた『アンバー』なる人物については少しだけ興味があるが、煌夜が助かるのならば、もはやそんな瑣末はどうでもいい。


 さて、と。

 ヤンフィは一息ついてから、己の魔力を部屋全体に解き放つ。

 途端、周囲の空気が一変して、息苦しく肌に纏い付くような重々しい瘴気が発生する。併せて、死を予感させるほど強力な殺意が室内に満ちた。


「ヒィ――っ!?」


 直接向けられたわけでもないのに、ヤンフィの放つ空気に当てられて、エイルが短く悲鳴を上げる。

 そんなエイルの驚きを見てから、慌ててアミスに視線を向ける。このタイミングで気付かれてしまうと奇襲が出来なくなってしまう。

 だがその心配はヤンフィの杞憂だった。

 幸いにも竜化したアミスは、一般的な竜種同様に魔力感覚が鈍感なようで、この程度の魔力には気付けないようだ。

 フゥ、と静かに胸を撫で下ろしてから、すかさずヤンフィは視線でクレウサを指し示す。


「――今じゃ、疾く往け」


 ヤンフィの囁くような呟きを耳にして、エイルはビクリと身体を震わせると、慌ててクレウサの方へと駆け出した。

 エイルの想定よりも遅いその疾走を横目に、ヤンフィは溜息を漏らしてから、スッと息を吸った。


「助けてぇ――っ!!」


 そうして突然、ヤンフィは大声で可愛らしい悲鳴を上げる。しかもその声音は、見事なまでにエイルの声音を真似て、である。


 え、なに――と、予想通りに、疾走していたエイルが疑問符を浮かべながら振り返った。同時に、駆けていたエイルの存在に気付いて、クレウサとアミスが視線を向ける。

 一方でヤンフィは、エイルを真似た悲鳴を上げるが否や、魔力の放出を一切絶って、何もない中空を垂直に疾駆すると、一瞬のうちにアミスの背後まで到達していた。

 ちょうどその高さは、ディドの目線の高さである。

 唐突な悲鳴と、正面にいきなり現れたヤンフィを見て、ディドは珍しくも目を見開いて驚いている。状況に思考が追いついていない様子だ。


 ヤンフィはそんなディドに苦笑を向けてから、囮になったエイルを見下ろした。


「あ、えっ!? い、いない……っ!? ちょ、ど、どういうことぉ……?」

「――何故、生きているの!?」


 ヤンフィの姿を見失って挙動不審になるエイルに、アミスが、グゥオオ――と、魔神語でそんな驚きを口にしていた。

 ヤンフィはアミスの注意がエイルに逸れたのを確認してから、正面のディドに視線を合わせるとコクンと一つ頷いて、自らの胸元を指し示す。

 ディドはヤンフィの所作に得心して、すかさずアミスに弓を引き絞った。

 それはヤンフィの意図通りの動きだ。ヤンフィもろとも、全力で攻撃をしろ、と云う指示を忠実に理解してくれたらしい。

 一方でアミスは、ディドの攻撃準備に対して、一切警戒はせずに、チラと一瞥しただけで終わらせていた。警戒に値しないと油断している。


(……さて、これでアミスは仕留めたのぅ)


 アミスの慢心にヤンフィは勝ちを確信する。ベイル同様に、不意打ちで仕留められる。

 ヤンフィがそう考えると同時に、ディドの手元から眩い閃光が連射された。まるで流れ星のように見事な曲線が、次々とアミスの巨躯目掛けて飛んでいく。

 けれどアミスはそれら弩級の連続攻撃を、展開している神光鏡(アイギスミラー)を集結させることで軽々と防ぎきった――ヤンフィの想定通りに。


 ヤンフィは神光鏡(アイギスミラー)がディド側に集中した瞬間を見計らい、その全身から壮絶な量の魔力を解き放つ。魂を削って、魔王属特有の瘴気、魔力を展開させた。

 一瞬のうちに、大部屋の中がヤンフィの胎内と化して、桃源の発動条件を満たす。


「な――これ、っ!!?」


 さすがに至近距離、それも背後からの圧倒的な魔力を感じて、アミスは悲鳴じみた短い声を上げる。同時に、慌てた様子で振り返ろうとする。ようやくここに至り、ヤンフィの存在に気付けたらしい。


 もはや手遅れなのだが――


 首を後ろに捻ろうとしたアミスは、ヤンフィが振り下ろした七星剣の一撃により、そのまま首を刎ね飛ばされた。

 ザン、と云うあっけない音が響き、遅れてグラリとアミスの巨躯が空中で傾いだ。途端、展開していた神光鏡は当然の如く霧散して、ディドの怒涛の連撃が絶命しているアミスの首なし屍骸を蹂躙した。


「背水を覚悟のうえで、殺す前提で戦えば、かくも呆気ないものよのぅ」


 ヤンフィはいつの間にか床に降り立って、ディドの攻撃に曝されているアミスの屍骸を仰ぎ見ていた。屍骸は哀れなほど穴だらけになり、程なくしてトドメの一撃で綺麗に爆散して、木っ端となった肉片を撒き散らした。


 そんな光景を見終えてから、ヤンフィは緩やかな動作で、最後の強敵に向き直った。

 ヤンフィの視線の先には、フシュルフシュル、と興奮した鼻息を繰り返しているソーン・ヒュードが立っている。周囲に意識を向ければ、片隅には血塗れのリューレカウラが膝を突いていた。


 なるほど、神降ろしをしたところで、リューレカウラではソーンには勝てなかったようだ。想定内ではあるが、期待外れも好いところである。

 ヤンフィは少しだけ残念な気持ちになった。

 ちなみにソーンは、身体中傷だらけにはなっていたが致命傷は一つもなかった。リューレカウラとの戦闘では、さしたるダメージを与えられなかったようだ。

 ソーンは血走った瞳で、ヤンフィとその後方に避難しているクレウサ一行――正確には、眠るように死んでいる煌夜の身体を見詰めていた。


「……アミスのボケは、やっぱ、死んだか」

「うむ、死んだのぅ――それで? 汝は、まだ妾に逆らうつもりかのぅ?」

「…………何が起きたか、サッパリ状況が分からないんだが……聖女スゥを殺すのも、失敗したのかよ……あれだけ豪語してて、結局、この様か」


 ソーンは何の警戒もなくヤンフィの眼前まで歩いてきて、独り言みたいにヤンフィに語る。その視線は、クレウサの元に辿り着いたエイルに注がれていた。

 ヤンフィはそんなソーンを見上げながら、視線に軽蔑の色を浮かべて、吐き捨てるように云う。


「ソーンよ。妾と戦うつもりがないのならば、その場に平伏せ」

「…………聖女スゥが死んでねぇなら、アンバーが聖女になるのは不可能……つうことは、オレはヤンフィ様に従うしかねぇ。分かっておりますよ、オレの負けだぜ」


 ソーンはそう呟くと、やれやれと肩を竦めて、溜息交じりにその場で土下座をしてみせる。ヤンフィは、一切の躊躇もなく土下座したソーンの後頭部を、音が鳴るほど思い切り足蹴にした。


「――妾は、裏切りを許さぬ。じゃが、今の妾では汝を殺しきれぬ。じゃから致し方ないが、ここは一旦休戦じゃ。まずは当初の目的を果たす」

「……聖女スゥは【蘇生】を扱えるようになったのか?」

「無論じゃ。まぁ、その点だけであれば、ある意味では汝のおかげとも云えるかのぅ――礼は云わぬが」


 ヤンフィはさらにグリグリと足を強く踏み込み、ソーンの額を床にめり込ませる勢いで押し付けた。それに対してソーンはまるで反抗せず、ジッと黙って従順に伏していた。

 そんな無防備すぎるソーンに対して、しかしヤンフィは宣言通りに攻撃しない。


 ――否、しない、ではなく、出来ないが正しかった。


(情けなくなるのぅ……妾がソーンを殺せる未来が存在せぬ)


 ヤンフィは顔にも態度にも出さないように、心の中で深く溜息を漏らす。

 事実、その心の声通り、【桃源】で視通した未来の可能性の中に、()()()()()()()()()、ヤンフィがソーンを殺せる未来は存在しなかった。

 現時点のヤンフィの戦闘力では、ソーンを殺す為には、少なくとも煌夜の犠牲が必要になる。だが当然、そんな選択肢は選べるはずもない。

 となれば、ソーンを殺すのは後日にするほかない。そしてそんなヤンフィの事情を、腹立たしいことこの上ないのだが、ソーンも熟知していた。


「……オレの機転が役に立ったのなら、そいつは御の字だぜ。ちなみに、信じて欲しいがオレは、別にヤンフィ様を裏切るつもりなんざ、毛頭ないんだ。ただただ、ヤンフィ様の美しい身体を救いたいってだけなんだ。だから――」

「――御託は結構じゃ。とりあえず汝は、重傷のリューレカウラをクレウサのところまで連れて来るのじゃ」

「…………畏まりましたぜ」


 ヤンフィは吐き捨てるように命じて、ドン、と思い切り頭部を横蹴りする。常人ならば、頭部が粉砕されるほどの重い蹴りだが、ソーンはそれを甘んじて受けつつ無傷だった。首をグキグキ解してから、ヤンフィに命じられた通り、全裸で倒れ付しているリューレカウラの元に向かう。


「ヤンフィ様――質問、しても宜しいかしら? どうして、あの変態巨漢を殺さないのかしら?」


 ヤンフィがソーンを解放すると、飛翔していたディドが音もなく傍らに降り立った。ヤンフィはそんなディドの全身をサッと流し見てから、クレウサたちの元に向かって歩き出す。


「――ソーンは、いずれ殺す予定じゃ。いまはそれよりも、コウヤを治すほうを優先しただけじゃ」

「コウヤ様を、助けられる目処が付いたのですか?」

「うむ。聖女として、エイルが覚醒したからのぅ」


 ヤンフィはそんな会話をしながら、今一度、チラとディドの姿を流し見て、のぅ、と質問を口にする。


「ところで……汝は、そんな強力な装備をどこに隠し持っておったのじゃ?」

「隠し持っていた、と言うのは若干語弊があるかしら。これは、契約召喚と呼ばれる特殊魔術で取り寄せたモノですわ。ですので、ワタクシが解除すれば、すぐに霧散いたしますわ」

「契約、召喚……? ふむ、興味深いのぅ。説明せよ」

「ええ。契約召喚は、特殊な加工を施した武具を、自らの血を対価に召喚する魔術ですわ。ワタクシの血には特殊な魔術式が刻まれていて、体内に魔力を流すだけで、魔術が成立――」


 ヤンフィはディドから契約召喚について詳しく聞きつつ、腰を抜かした状態で呆然とヤンフィを見ているクレウサの眼前に辿り着く。

 傍らの煌夜には、既にエイルが手を触れて様子を窺っており、蘇生を詠唱する準備をしているようだった。

 ――と、そのとき、ヤンフィの気配に気付いたエイルが顔を上げる。


「あ――さ、さっきは、どうして、あんな……っ! エイル、聞いてた、話と違――」

「ああ、すまぬ。汝を囮にさせて貰った。じゃが、結果として、汝も無事じゃったし、問題はあるまい?」

「――ぅ……そ、そりゃ……無事、だったけどぉ……問題は……その、ぅ……」

「問題はあるまい――そんな下らないことより、コウヤは治せそうかのぅ?」


 エイルの抗議をぴしゃりと黙らせて、ヤンフィは煌夜の状態をジッと視た。まだ何も治癒を施していないからだろう。肉体には、生命力が宿っていなかった。

 けれど生命力はないが、煌夜の魂は、無銘目録の呪いを利用したおかげで、肉体に残存している。魔力核の如く、魂だけが肉の器の中で浮いていた。

 エイルには、その魂を肉体と結合させて、さらには、消滅している魔力核を再生してもらわねばならない。


「どうじゃ? 状態を確認したのじゃろぅ?」


 ヤンフィは難しい顔で押し黙っていたエイルに、強い口調で再度問う。エイルは明らかに不満そうな顔で口を尖らせるも、逆らう意思はないようで、静かに状況を口にする。


「…………癒せる、と思います……いまのエイルなら【蘇生】を扱えますし、幸いにも魂は、まだ肉体に留まってます……この状態なら、治癒は比較的、成功し易い、ですぅ」


 若干弱々しい語尾で、自信なさげに頷いたエイルに、ヤンフィは満足げな笑みを浮かべた。ヤンフィが関わったことで、エイルと煌夜の未来が視えた。

 蘇生は成功する。煌夜は間違いなく蘇ることが判った。


「あ、あの、ヤ、ヤンフィ、様……? な、何が、どうなったの、ですか?」


 エイルに話し掛けるヤンフィに向かって、傍らで腰砕けのクレウサが動転した様子で問い掛けてきた。ヤンフィはそんなクレウサを一瞥するが、答える必要を感じなかったので無視する。


「――クレウサ。状況は単純かしら。ヤンフィ様のおかげで、ワタクシたちの勝ち、ですわ」


 沈黙で返したヤンフィに、クレウサは怯えた様子で息を呑んだ。その様を見て、ディドは無表情ながらもクレウサの隣に跪くと、優しくその肩を撫でた。

 緊張していたクレウサは、途端に安堵して、ほぅ、と吐息を漏らしていた。


「エイルよ。失敗は許さぬ――己の命を懸けてコウヤを癒せよ?」

「ぅぅ……ぇ、ええ。わ、分かって、ますよぉ……えと、まずは……ふぅ――【全異常治癒クリアオール】」


 ヤンフィは真剣な表情でエイルを睨みつける。

 エイルはその鋭い睨みに頷いて、静かに深呼吸した。そして集中した様子で、煌夜の胸元に手を当てる。

 エイルの手から淡い白光が溢れた。その白い光は煌夜の身体を優しく包み込み、状態異常を全て取り除き清潔にする。蘇生の成功確率を少しでも上げる為の事前準備である。

 清涼な風がヤンフィの頬を撫でた。直後、エイルの全身が眩い白光を放ち出す。


「器は、正常です――では……『生命と癒しを司る神よ。彼の者の魂を器に戻し給え。彼の者の肉体を今一度、元に戻し給え――」


 エイルが神々しい響きの詠唱を始めた。それはまるで祝詞を詠むような調子で、魔術の詠唱には思えないほどゆっくりとしたものだった。

 その詠唱文言は、紛れもなく冠級の治癒魔術――ヤンフィが渇望していた【蘇生】で間違いない。


 そんな神々しい詠唱は、徐々に音量を上げて、それに伴って、エイルの放つ魔力は膨れ上がった。そして放たれる光は、煌夜に触れている掌一点に収束されていく。

 エイルのその展開の遅さと魔術式の稚拙さを眺めて、ヤンフィは、ずいぶんとお粗末な【蘇生】だ、と落胆にも似た感想を思った。

 過去、ヤンフィが屠ってきた治癒魔術師たちの行使した蘇生を思い返すと、エイルの今の詠唱が、同じ蘇生の詠唱とはとても思えなかった。

 彼らは例外なく、エイルよりも巧い詠唱で、且つ、これほど大量に魔力を撒き散らしたりはしなかったように思う。それでいて、問題なく対象を蘇らせることにも成功していた。


(…………まぁ、コウヤを癒すことに成功さえすれば、それ以上は求めぬがのぅ)


 ヤンフィはそんなことを思いつつ、ジッとエイルの治癒を眺めた。

 その場にいる誰もが、エイルと煌夜に注目していた。その場にいる誰もが、固唾を飲んで治癒の結果を見守っていた。


「綺麗――」


 しばらくして、クレウサが思わず感嘆の吐息を漏らした。ちょうどその瞬間、煌夜の身体が一際眩く光を放ち、突然、虹色の閃光を迸らせる。

 その光景を目にして、ヤンフィは嬉しそうに破顔する。


「ぉお、見事に成功じゃ――ご苦労、エイルよ」


 ヤンフィは心の底からの労いの言葉をエイルに告げる。

 この瞬間、煌夜の身体に生命力が宿ったのが視えていた。また同時に、肉体に結び付いていなかった魂が、本来の肉体に戻ってきたのも視えた。

 これで煌夜は完全に蘇る。いまだに眠ったままの状況ではあるが、もはや命の危険はない。


 ヤンフィがそう安堵したとき、唐突にエイルがパタリと倒れた。声もなく、静かに顔面から倒れた。


「――あれ? だ、大丈夫、ですか?」


 エイルは身動ぎ一つせずそのまま力尽きたように倒れていた。

 突然倒れたエイルの異様を見て、不審に思ったクレウサが声を掛ける。けれど、何の反応もなかった。

 何が起きたか状況の判らないディドは、冷静な表情でエイルを抱き起こす。すると、エイルの状態を見たクレウサが、ハッと口元を押さえて息を呑んでいた。


 エイルはまるで眠るように――瞳を閉じて力尽きていた。

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