第六十二話 Showdown/決着・前編
普段よりちょい短い
ヤンフィは顕現させた魔剣エルタニンをその場に転がして、新たにもう一振りの剣を顕現させる。
「――とくと魅せてやろう、魔王属の実力を、のぅ」
顕現した剣は、ヤンフィの持つ武器の中でも最強を冠する剣――【七星剣】である。
黒塗りで緩く反りの入った刀身を持ち、振るえば煌く星の輝きを放つ剣だ。この剣に切れぬ物質は存在しない――形ある存在ならば、例外なく切断することが可能な呪われた宿命を持つ剣である。
さりげなく隠し特性に竜種特効を持っており、竜種が保有するあらゆる加護、魔術耐性、魔法防御を無効化できる。
竜種狩りの際には非常に重宝している武器だった。
ヤンフィが七星剣を構えると、四体の竜種は、七星剣の持つ底知れない魔力を本能的に感じ取って、威嚇するように咆哮した。
「……狙いは、聖女スゥです。全滅しようとも構いませんので、聖女スゥだけを狙いなさい――魔王属様は、私が抑えます」
威嚇する四体の竜種に、アミスはそんな台詞を投げていた。ヤンフィはアミスの言葉を聴いて、そのあまりにも不遜な物言いについ失笑してしまう。
「ふっ……『私が抑えます』? 汝一人で、妾をどうやって抑えるつもりじゃ?」
「グォァアアアア――――ッ!!!!」
ヤンフィの嘲笑に被せて、竜種たちの一斉の咆哮が響き渡る。その大音量は、アミスの命令に対する了解の返答のようだ。
どうやって従えているのかは謎でならないが、竜種たちは完璧に調教されており、アミスを背後に庇いながら横一列の陣形を組んでいた。まさに肉壁である。
さらに竜種たちは息を合わせて、間に立っているヤンフィを無視して、四者四様の竜の息吹を、背後のエイル目掛けて放射した。
【竜の息吹】は、竜種の必殺技であり、圧倒的質量を伴った魔力攻撃である。その破壊力は最低でも聖級魔術に匹敵して、しかも物理特性を併せ持っている。
竜種がしばしば天災に喩えられる要因の一つであり、その存在を脅威足らしめている致死の攻撃。それこそが【竜の息吹】である。
「ぁ、ぅ――」
そのとき、バタリ、と。
ヤンフィの背後で、エイルが倒れる音が聞こえた。チラと振り返れば、白目を剥いて泡を吐いているエイルの姿がある。
四体もの竜種たちの威容を前にして、恐怖が限界を超えたのだろう。エイルは完全に気絶していた。
(失禁しておらぬことだけは、褒めてやろうかのぅ?)
図らずともこの窮地こそ、ヤンフィが望んでいた絶体絶命の場面である。
まさに聖女として覚醒する為に、お誂え向きの絶望的な状況だろう。こんな絶望的な死地にこそ、神の奇跡が起き得るに相応しい。
だというのに、よもや気絶するとは嘆かわしい。
はぁ――と、小さく溜息を漏らして、ヤンフィはすかさず、失神したエイルを【無銘目録】の一頁に収納した。
エイルの身体が一瞬にしてその場から掻き消えた。代わりに、黒いA4サイズの本が出現する。
「っ――!? なんです、それは!?」
何の予兆もなく、煙が掻き消えるように失せたエイルの姿を見て、アミスが驚愕の声を上げる。
しかしその驚愕も当然か。魔力を一切使用していないのに、時空魔術の真似事をしたのだから、原理を知らない者からすれば驚くのは無理もない。
ヤンフィの魂を縛り付けている牢獄――【無銘目録】は、魔力結晶体であるにも関わらず、物質として存在する武器庫である。その内部、本の頁が異次元と繋がっており、一頁に一つの存在を収納できるという反則級の特性を持っている。
ヤンフィの身体から半径10メートル以内であれば、意思一つで即時に顕現可能で、何のデメリットもなしに、あらゆる存在を頁に収納、放出できる代物だ。
常時は、ヤンフィの周囲に情報として浮かんでおり、顕現させようと思わなければ、影も形もこの世に存在しない。しかも、決して破壊することの出来ない代物である。
そんな世界の理の外にある異常すぎる黒い本――それが【無銘目録】である。
パッと見ただけで、そんな異常性を感じ取れるということは、アミスはそれなりに知識が豊富であるようだ。
ヤンフィは心の中で少しだけ感心する。
「まぁ、それはそれとしても……エイルが起きる前に、全て終わってしまうかも知れぬのぅ――」
ヤンフィは独りごちながら、七星剣を下段に構えた。グッと腰を落として、眼前から襲い掛かる絶望的な【竜の息吹】を迎え撃つべく魔力を漲らせる。
「――円転に斬り裂く、夢幻の如き刃。夢幻之太刀」
ヤンフィは涼しげな台詞回しをしながら、刹那の一瞬に、七星剣を振るって剣技を繰り出した。
神速の剣閃が中空に満月を描き、剣閃はそのまま、四種類の竜の息吹を切り裂いて掻き消す。同時に、ヤンフィを中心にして凄まじい烈風が吹き荒れた。
「ガァアアアアアゥ――!!!」
激しい烈風が竜種たちの巨躯を撫でるように吹き抜けて、その硬い鱗を一瞬でズタズタに切り裂いた。竜種たちの巨躯からは盛大に血飛沫が上がり、激痛から絶叫を上げる。
しかしそれでも、四体の竜種は背後に控えるアミスを庇ったままである。
本当によく調教されている。けれど、ここまではヤンフィの想定通りだ。
「まずは、一匹じゃ――竜刃閃!」
ヤンフィは、アミスの正面を護っている青い巨躯の竜種を目掛けて、七星剣を振り下ろした。
咄嗟にその場の誰もが、振り下ろした七星剣から放たれるであろう剣気を警戒して身構えた。どれほどの極大な衝撃が来るのか。対峙している竜種は当然、竜種の背中に隠れるアミスでさえ、慌てて完全防御の姿勢をとった。
「……? 不発、ですか?」
ところが――魔術的な攻撃も、物理的な攻撃も、振るった七星剣から放たれることはない。
「……グァ?」
たっぷり三秒間、ただただ沈黙がその場に流れて、思わずアミスが首を傾げた。それに遅れて、対峙している竜種たちが、何も起きないことに疑問符を浮かべる。
一方でヤンフィは、七星剣を振り下ろしたまま残心の体勢である。連撃の素振りはない。
竜種たちは、己の身体に何一つ異常が起きないことを確認してから、ヤンフィの行動を不思議に思いつつも油断せず、たゆたうように空中に浮かんでいる【無銘目録】に意識を向けた。
エイルを殺す――その命令をこなす為には、エイルが消えたと同時に現れた【無銘目録】を消滅させるべきだろう。
「――グォゥウ!」
四体の竜種のうち、最も強大な魔力を持つ白竜が、号令の如き咆哮を上げる。すると、ほか三体もそれに呼応して、バサリと大きく翼をはためかせた。
しかしその瞬間、唐突に、ザン――と、何かが斬られた音が鳴った。ヤンフィはそれでようやく残心を解いて、フゥと息を吐きつつ顔を上げる。
果たして、青竜はその頭頂部から尾の先まで、見事な左右対称で真っ二つに両断されていた。
何の予兆もなかった。いつ斬られたのかさえ判らず、死んだことにさえ気付かぬまま、青竜は驚くことも出来ずに、二つの肉塊となり息絶えた。
そんな光景を目にして、アミスは当然、動き出そうとした竜種たちが息を呑んだ。
竜種の鋼よりも硬い体躯を、一瞬にして綺麗に切り裂いた斬撃――しかも時間差で訪れたその結果に、竜種たちは恐怖に慄く。
「無銘目録は決して破壊できぬが……触れただけで閲覧可能になってしまうのじゃ。そうなれば、誰でも好き勝手使えてしまう厄介な代物じゃからのぅ。汝らは、触れもせずに死んでもらおう」
ヤンフィは空中でゆらゆらと浮かんでいる無銘目録を一瞥してから、その致命的な弱点を、わざと聞こえるように吐露する。
それは分かり易い挑発だった。エイルを殺したければ、無銘目録に触れてみろ――言外にそう云い含めている台詞だ。
実際その通りだが、ヤンフィの意思一つで顕現したり消えたりする無銘目録を狙うのは、そもそも不可能である。いま無銘目録を顕現させたまま空中に浮かべているのは、戯れに過ぎない。
けれど、恐怖に囚われている竜種たちは、そこまで思考することは出来なかった。
「グォゥォオオオ――!!!」
「……ふっ。容易いのぅ」
竜種たちは安いその挑発に乗せられて、恐怖を振り払うように怒号を轟かせた。その声量に、ビリビリと空間が振動する。
ヤンフィは珍しくも息を切らせながら、踊るようなステップを踏んだ。翼をはためかせている竜種たちに微笑を向けて、赤竜、黒竜、白竜の順で、七星剣の切っ先を振る。
「グレン、ダーク、ライト、散開なさいっ!!」
その場で舞を踊るようなステップを踏むヤンフィを見て、アミスは不穏な気配を感じ取り、すかさず竜種たちに指示を出した。
――判断は悪くはない。けれど、遅すぎる。
ヤンフィは七星剣を振るうことなくただ揺らす。まるで空気を掻き回すような仕草であり、そのステップと併せると、祈祷師が祈りを捧げているようにも思えた。
「さて、さて……耐え、られるかのぅ? いざ――星砕き、じゃ!!」
竜種たちがその巨躯に見合わぬ俊敏さで部屋中に散ったのと同時に、ヤンフィは七星剣を寝かせた状態で両手に持って、奉納するように上に掲げる。
爆発的な魔力が七星剣より溢れ出して、天井付近で雲のように広がった。
「なっ――っ!? くっ……【五光陣】!!!」
アミスはその光景を前に、構えていた【神光鏡】を直感で解除して、代わりに聖級の防御結界を展開する。
咄嗟にしては、かなりの好判断だろう。ヤンフィは舌打ちしつつも感心した。
ヤンフィが放った七星剣の奥義【星砕き】は、手鏡の形状で物質化している神光鏡では防ぐことは出来ない。
さて、アミスが防御結界を展開したところ、天井を覆う雲からは巨大な剣が現れた。その巨大な剣は、切っ先を、赤竜、黒竜、白竜、アミスの順番に動かしたかと思うと、翡翠の光線を放った。
翡翠の光線は、合計で四本。直径20センチにも満たないか細い光線で、赤竜、黒竜、白竜、アミスの胴体を目掛けて降り注ぎ、あらゆる防御を切り裂いて貫き刺さった。
「――――ぐっ!?」
アミスが苦痛の声を漏らす。翡翠の光線は魔術の防御結界と相殺して消滅したが、それに先んじて、見えない斬撃がアミスの身体を切り裂いたのである。
この斬撃は、致命傷にはならないが、軽傷ではない。思わず膝を突く。
その一方で、竜種たちは無防備に翡翠の光線に貫かれた。すると、竜種たちの腹部がまるで風船のように膨れ上がり、その口や目から翡翠の光を溢れさせ始める。
「――弾けよ」
そして、ヤンフィの一言が、まさに合図だった。
竜種たちは一斉に、膨れ上がった腹部を内側から爆散させる。
ビチャビチャ、ドタドタ、と四肢が吹き飛び、大量の肉塊が床に転がって、凄まじい異臭が辺りに漂い始める。
「……信じ、られません」
そんな凄惨すぎる場面を目にして、アミスが呆然とした呟きを漏らす。
アミスの呆けた声を耳にしながら、ヤンフィは床に七星剣を突き立てる。天井を埋め尽くしていた雲は霧散して、顔を見せていた剣も消え去った。
ヤンフィは荒くなる呼吸を整えるように、静かに深呼吸した。額からダラダラと冷汗が流れ落ちる。
(……さすが、七星剣じゃのぅ……たかだか固有奥義の連続使用で、もはや魔力切れじゃ……)
ヤンフィは自嘲の笑みを浮かべながら、必死に平静を取り繕っていた。だが、実際はもう魔力が枯渇しており、少なくともこれ以上、七星剣を振るうことは出来ないだろう。
(……じゃが、残るはアミスのみ……ならば、何とかなるかのぅ……むしろ厄介なのは、この後に控えておるソーンじゃ。あの変態を相手に、いまの妾で勝てるかのぅ?)
ヤンフィは弱気になりつつもそれをおくびにも出さず、不敵な笑みをアミスに向ける。さりげなく床に転がる魔剣エルタニンに近付き、足で触れる。
アミスはヤンフィと対峙したまま、あっという間に殲滅された飼い竜たちの屍骸を一瞥してから、蒼白な表情で首を横に振っていた。
この有り得ない結果を否定したいに違いない。一瞬にして絶望的な形勢が逆転したのだから、信じられないのも無理はない。
「妾を、甘く見すぎじゃよ――どうじゃ、この結果は? 妾を抑える前に、全滅してしまったのぅ?」
蒼白になっているアミスを、ヤンフィは渾身の虚勢を張って威圧した。圧倒的優位なのはヤンフィであると思わせて、アミスを警戒させる意図である。
その虚勢は見事に功を奏して、アミスは気圧された様子になり、悔しそうに下唇を噛んでいた。視線はチラチラと、ディドたちと戦っているソーンを追っている。
万策尽きたようだ――恐らく、ソーンに助けを求めているのだろう。しかし、ソーンはいまそれどころではなかった。
どういう状況かは判らないが、ディドとの一騎討ち状態であり、攻め切れずに苛立っている様子だ。あの調子ならば、まだまだ戦況は長引くだろう。
アミスもヤンフィと同様にそう判断したようで、何かを決意した風に毅然と顔を上げる。
「……魔王属様の力を、過小評価したつもりはありませんけど……竜種の魔貴族が、四体居て……それでも、ここまで圧倒的だなんて……」
「信じられぬかのぅ? じゃが、事実じゃ――ところで、少し訊きたいのじゃが、汝の云うておった【橙の賢者】アンバーとは、何者じゃ?」
ヤンフィは視線をアミスから外すことなく、魔剣エルタニンを足で蹴上げる。パシッとその右手に握り締めると、切っ先をアミスに向けながら問うた。
エイルを殺せば、アンバーが聖女になる――アミスはそう断言していた。
そんな戯言なぞ正直、信じる気にはならない。だが少なくとも、冠級を扱えるほど強者のアミスが、アンバーとやらの素質を聖女に足ると思っているのは事実である。
『アンバーが聖女スゥになれば、冠級の治癒魔術なぞ当然の如く扱えるでしょう』
アミスが自信満々にそう豪語するからには、アンバーは現状でも、相応の治癒魔術が扱える実力者であるに違いない。
エイルが聖女として覚醒せずに、冠級を扱えなかった場合、そのアンバーが役に立つやも知れない。
「……アンバーは、私の恩人で、主です。私の神であり、私の救いです。彼女は【聖女スゥ】の正統な後継者であり、聖堂教会の頂点【大教皇】となるべき存在です」
アミスは突然饒舌になり、狂気の窺える血走った双眸で、ヤンフィを睨み返してくる。また、その全身にいっそうの魔力を漲らせた。
(……聖堂教会? 大教皇、のぅ……よく分からぬ)
ヤンフィは疑問を浮かべながらも、身構えたアミスからすかさず距離を取った。もはや話し合いは終わりとばかりに、アミスは問答無用な空気を放っていた。
ヤンフィが避けた直後、寸前まで立っていたその足元から、無数の光剣が生えてきた。
「……危ない、のぅ」
ヤンフィの反応が一瞬でも遅れていたら、その矮躯は串刺しになっていただろう。
アミスの放ったその光剣は、無詠唱でしかも無音の攻撃である。相手がヤンフィでなければ、これで決していたに違いない。
「――のぅ、アミスよ。アンバーが【聖女スゥ】の正統な後継者とは、どう云う意味じゃ?」
ヤンフィは涼しげな表情で、足元から次々と生えてくる光剣を躱していく。凄まじい勢いで床を埋め尽くす光剣は、けれどヤンフィの身体を掠ることもなく、出現しては霧散した。
届きそうで届かない――ヤンフィの躱す様を眺めながら、アミスは忌々しげに眉をヒクつかせる。
「ソーンが、絶賛するだけありますね」
苛立ちを孕んだ声音で呟いて、アミスはヤンフィに両手を向ける。その両の掌からは、魔力の淡い光が漏れ出ていた。
アミスの掌から溢れる魔力の圧は、冠級と思えるほどに強力な圧を感じた。
(……なんじゃ?)
ヤンフィは内心では冷や汗を流しながらも、虚勢を張って余裕の笑みを浮かべたまま、アミスに問い掛ける。
「妾の問いに応えよ――アンバーが、【聖女スゥ】の正統な後継者とは、いかなる意味じゃ?」
魔剣エルタニンを構えたヤンフィに、しかしアミスは無言だった。その態度からは、答えるつもりは毛頭ない、という確固たる意思が窺える。
「それが、答え、かのぅ?」
アミスは無言のままヤンフィ目掛けて、光属性の聖級魔術【光竜】を無詠唱で展開した。
両手から飛び出した光竜は、大口を開けてヤンフィに襲い掛かる。閃光の如き速度で、ヤンフィを丸呑みにせんとばかりに迫る。
光竜の威力は軽く冠級に匹敵する。直撃すれば、ヤンフィの矮躯なぞ一瞬で消滅するだろう。
だが、どれほど高威力の魔術だろうと、それが物質化していない魔術であるならば、魔剣エルタニンの前では無意味だ。
「――エルタニンよ。望むままに、貪り尽くせ」
ヤンフィは魔剣エルタニンを突き出す。と、魔剣エルタニンはヤンフィの意思に応じて、その形を球体に変える。
エルタニンの球体はヤンフィの頭上に浮かび、うねうねとした触手を伸ばして、襲い掛かってくる光竜の全身に絡み付く。
「魔力、吸収ですか? なんでもありですね、魔王属様は……」
触手が絡んだ光竜はヤンフィの手前で動きを止めて、触手に握り潰されて霧散した。アミスは呆れた風に呟いた。
「……けれど、受身のままで、宜しいのですか?」
「三度目の問いじゃ――アンバーが、【聖女スゥ】の正統な後継者とは、どういうことじゃ?」
「……答えて欲しければ、私を屈服させてみては如何ですか?」
ヤンフィの懲りない質問に、アミスはやれやれと溜息を漏らしてから、小馬鹿にした風に吐き捨てる。同時に、両手を広げて無防備に隙を見せた。
露骨な挑発である。やれるものならばやってみろ、と云う挑戦的な態度だ。
いつものヤンフィならば、ここまで判り易く喧嘩を売られたのならば、罠だとしても迷わず買っただろう。少なくとも、いまの魔力枯渇状態でなければ、すかさず攻め込んだに違いない。
しかし現状、それは出来ない。勝ち目のない自殺行為にしかならない。
(……此奴、妾が魔力切れしていることに気付いておる……)
ヤンフィは苦笑を浮かべながら、アミスの隙を見逃して、さらに後方へと飛び退いた。
果たして、天井から物質化した光剣の雨が無数に降り注いできた。その光剣の雨は、アミスの前方一帯を中心に広範囲に降ってくる。
ヤンフィが攻め込んでいたら、避けようもなく、防御も出来ず、貫かれて終わりだったろう。
魔剣エルタニンは魔術には無敵に等しいが、物理的な存在には致命的に弱い。端的に云えば、物質化した光剣は防げない。
しかもそのうえ、光剣はヤンフィと相性が悪すぎる。光剣で貫かれたら、いまのヤンフィでは本当の意味で死にかねない。
「――本当に、厄介な相手じゃのぅ」
ヤンフィはしみじみと呟きながら、魔剣エルタニンを紅蓮の灼刃と交換して、無銘目録を異次元に隠した。
忌々しげにアミスを睨みつける。一方でアミスは、そんなヤンフィを煩わしそうに眺めていた。
「五色に彩り、五方を守り、あらゆる不浄を拒絶せよ――【五光陣】」
アミスは流麗な詠唱でもって、ヤンフィの周囲に聖級の防御結界を展開した。
対象を中心にした前後左右上の五点に、五色の光点を出現させる結界魔術。五色の光点は互いに結びつき五角形の牢獄を成す――光属性の聖級結界魔術【五光陣】である。
単純な防御魔術としての格は、【神光鏡】には及ぶべくもないが、対象を捕らえておく結界魔術として見たとき、内側の頑強さは、あらゆる結界魔術の中でも群を抜いて凄まじい。
「チッ――鬱陶しいのぅ」
一瞬のうちに展開された五光陣。そこに閉じ込められたヤンフィは、舌打ちして悪態を吐いた。
すかさず紅蓮の灼刃を振るって、結界の破壊を試みる。ところが、ただでさえ頑強な五光陣は、先ほどの光剣と同じく物質化までしており、ヤンフィの剣技でも破れないほどの硬度を誇っていた。
ガキン、キィン、と甲高い音を響かせて、振るった紅蓮の灼刃は五光陣の面に弾かれる。
「――『我が威光の前に塵芥と散れ。我が威光は、あまたを浄滅させる光なり』!!」
五光陣で足掻くヤンフィに向けて、アミスは深刻な表情で力強い詠唱をした。
その詠唱を耳にした途端、ヤンフィは久しく感じていなかった命の危険を感じて、心底震え上がる。
「っ、く!? マズ――」
零コンマ一秒に満たない刹那、ヤンフィは紅蓮の灼刃を手放すと、【次元刀エウクレイデス】を顕現させて、迷わず冠級の時空魔術【空間連結】を展開した。空間を切り裂いて、五光陣の外側に逃げ延びる。
逃げた先の空間は、アミスの10メートルほど後方である。
「消え、た!?」
突如として姿を消したヤンフィに、アミスは驚愕している。空間連結まで展開するとは、想像だにしていなかった様子だ。
――これは絶好の好機である。
ヤンフィを見失っている今ならば、間違いなく不意打ちできるだろう。
けれどヤンフィは、不意打ちなどせず――否、出来ずに、無様に床を転がった。
ところで、ヤンフィを閉じ込めていた五光陣は、内側で凄まじい閃光を煌めかせて、次の瞬間、無音の爆発を発生させていた。
回避行動がほんの少しでも遅ければ、ヤンフィはそれに巻き込まれていただろう。
無音の爆発は、五光陣をいとも容易く内側から破壊した。のみならず、その威力を殺しきれず、風速50メートルを超えるほどの暴風を巻き起こす。
「よもや……【光爆浄滅】まで、扱えるとはのぅ……」
床に転がりながらそんな光景を見て、息も絶え絶えにヤンフィは呟いた。アミスは背後から聞こえたその声に反応して、慌てた様子で振り返った。
振り返ったアミスは、ヤンフィ同様、青息吐息で疲弊しきっていた。
先ほどアミスが詠唱した魔術は、光属性の冠級魔術【光爆浄滅】である。
究極の光とも呼ばれる攻撃魔術で、凄まじく圧縮した光を解放することにより、あらゆる存在を飲み込み、対消滅させる爆弾だった。
直撃すれば、いかなる魔族であろうと即死しかねない威力を誇り、物理防御、魔術防御を完全に無視して、属性耐性をも無効化する攻撃だ。
ヤンフィでさえも、直撃すれば魂の半分以上が消滅するだろう。
それでなくとも、冠級の魔術は打ち消すことが出来ず、全ての特性をも無視するうえに、魔王属に対して特効を持っている。
いかにヤンフィが特殊な条件でしか死なないとしても、安易にこれを受けるわけにはいかない。
「まさか……いまのは、空間連結ですか?」
アミスが恐る恐ると問い掛けてくる。それには応えず、次元刀エウクレイデスを、さりげなく無銘目録の頁に収納した。
「……こんな状況でなければ、絶対に闘いたくない相手ですね……」
荒い呼吸で呟くアミスに、ヤンフィは虚勢を張って笑みを浮かべてみせた。しかしそんな笑みも、情けないほど呼吸が乱れているので、余裕があるようには見えない。
(不甲斐ない、ばかりじゃ……この程度の窮地で、死にそうになるとはのぅ)
ヤンフィは心の中で自嘲して、この状況をどう覆そうかと考える。
アミスの疲労度を推し量りながら、どんな方法が一番魔力を消費せずに打倒できるか――
「……しかし、そんな魔王属様も、限界でしょう? もうそろそろ魔力が尽きてきたのではないですか?」
「それは、妾だけの話ではあるまい? 汝こそ、もはや限界なのじゃろぅ?」
アミスの軽口にヤンフィも軽口で返す。けれど実際のところ、状況は圧倒的にヤンフィ不利である。
そもそもヤンフィには、もはや次元刀エウクレイデスを振るうほどの魔力などありはしなかった。魔力が尽きてきたのではなく、とっくに魔力なぞ枯渇している。
魔力枯渇状態で、それでも次元刀エウクレイデスを振るわざるを得なかったので、ヤンフィは己の魂を削って魔力に変換している。
このまま持久戦になった場合は、かなり際どい勝負になるだろう。
――最悪、ソーンを殺すのは諦めるしかないかも知れない。
ヤンフィが考慮しなければならないのは、アミスとの戦闘も勿論だが、アミスを打倒した後に控えているソーンとの決戦である。
チラリ、とソーンたちの戦闘を一瞥すると、向こうは向こうで状況は変わっていなかった。いや、ソーンの無尽蔵の体力が、ディドを徐々に追い詰めているようにも見える。
かろうじて煌夜の身体は奪われていないので、ソーンはまだ攻め切れないようだ。
「ええ……私も、限界が近いです。まさか、ここまで冠級を連続使用しても、倒すことはおろか、致命傷を与えることさえ出来ないとは……非常に遺憾ながら、奥の手を切らせて頂きましょう」
ヤンフィの意識がソーンたちに向いた刹那、アミスが悔しそうにそう宣言した。一見するとそれはただの強がりに思えるが、直後の展開を目にして、ヤンフィはもはや苦笑しか浮かばなかった。
アミスの頭上に巨大な時空魔術が口を開けて、内側から一匹の赤黒い竜が姿を現わしたのだ。
「ふっ……まだ、竜種を隠しておったのか……それも、かなりの強敵を、のぅ」
ぬぅ、と現れた赤黒い竜は、先ほど蹴散らした四体の竜種と比べると、ずいぶんと小型だった。全長は目測で2メートルほど、幼竜にも思えるほどの矮躯である。
しかし、放たれる威圧感は先ほどの四体と比べて圧倒的に強烈だ。全身に纏っている魔力の密度も、恐ろしく重厚である。
恐らくは魔貴族の中でも相当に高位の竜種なのだろう。
下手をすれば、魔王属に匹敵するほど――つまりは、一対一で闘ってさえ、極めて厄介な存在ということである。
「……ベイル・ウェルライト。私の半身です」
アミスは頭上で堂々と浮遊している赤黒い竜をそう紹介する。
その紹介に合わせて、赤黒い竜――ベイルは、轟く雷鳴の如き咆哮をした。
「しかり! 我が名は、ベイル・ウェルライト!! 双頭竜ウェルライトの半身であり、主アンバーの剣なり!!」
グォゴォオオ――と轟く暴風じみたその咆哮は、魔貴族が操る魔神語と呼ばれている特殊な言語だった。
当然、統一言語を操るヤンフィには、はっきりと何を喋っているのか意味が判る。
「――我が半身をここまで追い詰めるとは、いかなる強者かと思ったが、それもまた当然か! 満身創痍ではあれど、魔王属が相手とは!!」
ギラリ、と竜眼が赤い光を放った。
圧倒的な量の魔力風と、凄まじい威圧、殺意がヤンフィに叩き付けられた。
ベイルは大きく翼をはためかせながら、ゆっくりとアミスの隣に着地する。
「……半身、じゃと? よもや、汝ら――」
ヤンフィは目を見開いて、一つの可能性を脳裏に浮かべた。すると、ヤンフィの言葉を肯定するように、アミスは力強く頷いて言葉を続ける。
「ええ、魔王属様のご想像の通りです。私は、人化した竜種です。そしてベイルとは、もともと一つの個体――双頭竜ウェルライト、と呼ばれる魔竜でした。とはいえ、いまや合体して元に戻ることも出来ぬほどに、互いに自我を持ち過ぎておりますけど」
「さよう。我とアミスは、もはや別個体として生きざるを得ない存在である!! さて、それでは話は終わりだ!! 我が全身全霊を持って、眼前の魔王属を滅ぼして見せよう!!」
ベイルの宣言は、ヤンフィ以外にはただの怒号にしか聞こえないだろう。ビリビリと室内の空気を震わす大爆音である。
ヤンフィはそんな宣言を耳にして、チッ、と大きく舌打ちを漏らす。
竜眼を持ち、魔力量は全盛のヤンフィに匹敵するやも知れないほどの竜種を相手に、ヤンフィはもはや満足な攻撃手段さえ持ちえていない。
状況は、絶望的に不利だった。
(ソーンを殺すのが……さらに、困難になったのぅ)
ヤンフィは心の中でそう吐き捨てて、欠片でも魔力が回復するよう意識を集中する。
とはいえ流石に、時間が足りな過ぎた。この戦闘中に、回復は望めそうにない。枯渇している魔力をまともに戦えるほど回復するには、最低でも三時間は欲しいところだ。
「ベイル。魔王属様の相手は、任せますよ」
「承知!!」
ベイルが鎌首をもたげて、大きく顎を開いた。すると、全身から溢れさせていた魔力が口の一点に収束して、途轍もなく高密度の魔力塊が出現する。
いよいよこれは追い詰められたな――と、ヤンフィが思考した瞬間、音もなく室内を黄金色の光が包み込んだ。刹那、世界は金色で染まり、視界は何も見えなくなる。
(これ、は――――っ!?)
ヤンフィは予期せぬ展開に動転して、思わず注意をベイルから逸らした。そして、恐らく原因であろうディドたちに意識を向けてしまう。
――それは、決定的な隙である。
「滅せよ!!!!」
ゴォオオ――と、正面のベイルから怒号が轟く。ヤンフィはハッとして、すぐさま意識を切り替えるが、もはや何もかも遅かった。
ベイルはその顎から、壮絶な竜の息吹を放った。
ベイルの竜の息吹は、つい先ほど室内を包み込んだ黄金色の光に匹敵する膨大な光の波であり、爆音と暴風を伴う衝撃波だった。
ヤンフィの矮躯は一瞬にして、あらゆる存在を滅ぼす光の波に飲み込まれた。