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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第一章 聖魔神殿
7/113

第七話 強襲の、猫耳娘

 

 猫耳美女がもう一歩踏み込んできた。

 ピクリ、と煌夜の身体が反応して身構える。グレンデルを瞬殺できるヤンフィが、目の前の猫耳美女に対して凄まじい警戒を見せていた。


「返答次第では、あちしはお前を敵とみにゃすにゃ――あちしの言葉、分かるかにゃ?」


 煌夜を見下すような上から目線で、猫耳美女は腕を組んだ。

 それには答えず、煌夜の身体を支配するヤンフィは、半歩だけ左足を前に踏み出した。両手をだらりと下げて、姿勢を少しだけ低く、半身になって構える。


「お前、その名前――――異世界人にゃ? 見たことにゃい文字にゃ……って、おい、無視するにゃ」


 無言のヤンフィに、猫耳美女は目を細めていっそう威圧を強くした。煌夜だったら、ヒッ、と思わず悲鳴を上げてしまうほどの圧力だったが、ヤンフィはまったく動じず、グッと右足に力を込める。


「――んー? お前、言葉分かんにゃいのか? にゃら、獣人語(ガルムラング)じゃにゃくて、標準語(テオゴニアラング)はどうにゃ?」


 一向に無反応のヤンフィに眉を顰めて首を傾げつつ、猫耳美女はもう一度同じ問いを繰り返す。

 ちなみにそれは、先ほどとは異なる言語での問い掛けである。しかし統一言語オールラングの効果により、煌夜は何語であろうと日本語に翻訳されて聞こえてくるので、猫耳美女が何語を喋っていようが関係なかった。


「お前、何者にゃ? いま、グレンデルをどうやって殺ったにゃ? 何が目的で、ここにいるにゃ?」


 猫耳美女はその耳をピクピクと動かしながら、煌夜の身体の一挙一動を注視している。しかし、ヤンフィはそれにも答えることなく、ジッと動かず構えているだけだった。

 しばし沈黙が流れる。


「……あちしは、タニア・ガルム・ラタトニアって言うにゃ。分かるかにゃ? タニア、にゃ――で、お前は何者にゃ?」


 睨み合いでは埒が明かないと判断したのか、猫耳美女は言いながら腕組みを解いた。右手で自身のその豊満な胸に触れて、タニアにゃ、と何度も繰り返し自己紹介している。

 そして、お前は何者にゃ、と煌夜の方を指差す。どうやら言葉が通じないと判断して、ジェスチャーで意思疎通を図ろうとしている様子だった。

 先ほどまでの威圧的な空気は鳴りを潜めて、張り詰めていた殺気が消えている。


(…………なぁ、ヤンフィ。自己紹介くらい、しても……)


 煌夜は先ほどまで感じていた凶悪なまでのプレッシャーとのギャップに絆されて、必死に自己紹介するその姿に胸を打たれていた。

 意思疎通を図ろうとするそのけなげな姿勢は、コミュニケーションが取れない爆弾のような存在には思えない。だが、煌夜の提案をヤンフィは即答で全否定する。


(黙っておれ、コウヤよ。名を名乗る必要も、その意味もないじゃろう? そも気付かぬのか? 彼奴はコウヤが異世界人だと看破したのじゃぞ? それにあの口振りと――あの右目は、間違いなく【鑑定の魔眼】じゃ……厄介な相手じゃよ?)


 ヤンフィの言葉に、煌夜は少し疑問を感じた。

 確かにあの猫耳美女――タニアは、煌夜を一目で異世界人だと看破した。だがそれは、煌夜のシャツに書かれている『先手必勝』の文字を見て、そう判断したのだろうと煌夜は考えていた。

 タニアには知性があり、理性があり、見ず知らずの相手とは交渉をするという常識がある。

 外交の基本は歩み寄りの精神だ。没交渉では、決して和平は訪れない。危険な相手だからこそ、交渉してコミュニケーションを取る必要がある。

 煌夜は、タニアが話の分かる相手で、敵意がない存在だと判断した――――判断、してしまった。身体はヤンフィに支配されたままで指先一つ動かせなかったが、それでも声は自由に出せる。

 煌夜はヤンフィの忠告を無視して、名乗りを挙げる。

 それは、ヤンフィが助けてくれたように、タニアも助けてくれるだろうと、甘く考えた結果の判断だった。


「あ……お、俺は、煌夜。天見煌夜だよ、えと、その、異世界人で――」

「にゃに!? 統一言語にゃ!? お前、魔王属ロードにゃのか!?」


 煌夜の言葉に、しかしタニアの反応は凄まじく過剰だった。

 煌夜はただ名乗っただけだというのに、先ほど放っていた威圧が可愛らしく思えるほどの覇気がぶつけられる。

 タニアのその端整な顔が険しく歪み、瞬時に戦闘態勢で拳を構える。


「――あ? いや、俺は日本人で、別にロードってのじゃ……」

(はぁ……よもやそんな弁解なぞ手遅れじゃし、無駄じゃよコウヤ。まぁ、こうなっては致し方ないのぅ。正攻法で、叩き潰すほかあるまい……)


 ヤンフィが諦めたように吐息を漏らす。すると、声も煌夜の自由にならなくなった。身体の主導権は完全にヤンフィに移る。


「お前、魔王属にしては、魔力量がショボイにゃ……にゃけどその言語は、間違いなく統一言語にゃ。つまり魔王属にゃ。魔王属は敵にゃ、殺すにゃ」

「……のぅ? ガルム族の娘よ。一応、聞いておくが、見逃してくれぬかのぅ? 妾は敵ではな――」

「黙るにゃ!! 魔王属は敵にゃ!! あちしを篭絡しようとしても無駄にゃ!! 死にたくにゃければ、抵抗せずに殺されるにゃ!!」

(…………それ、死んでるじゃん)


 思わず煌夜はタニアの台詞にツッコんだ。だが、それは声にはならなかった。

 ヤンフィはヤンフィで、ふぅ、と疲れたように溜息を吐いている。タニアは取り付く島もなしに、にゃーにゃーとがなり立てている。


「……にゃけど、慈悲を与えるにゃ。殺す前に聞いておくにゃ。お前、何者にゃ! 何が目的でここに居るにゃ! 答えにゃいと殺すにゃ!」

「――――答えても、殺すのじゃろう?」

「黙るにゃ!!! 口答えは万死に値するにゃ!! もはや問答無用にゃ!!」


 煌夜はこの成立しない会話を聞いて、名乗ったことを心底後悔していた。

 タニアはまさに爆弾だった。コミュニケーションが取れる気がまったくしない。ヤンフィの忠告は正しかったのだ。

 そんな風に煌夜が後悔した刹那、タニアはグッと踏み込んで煌夜に向かって駆け出す――――否、煌夜には、消えたようにしか見えなかった。

 一瞬遅れて、タニアが立っていた場所の床が爆発したように粉塵を上げる。

 煌夜とタニアの距離は、目測で20メートル弱。しかしその距離を、タニアは瞬きするより速く零に縮めていた。

 気付けば、目の前にタニアは立っており、プロボクサーが放つ渾身の右ストレートもかくやという突きを繰り出している。煌夜では逆立ちしたって避けられない速度のそれを、煌夜に宿ったヤンフィは、右手と肩でサラリといなした。

 ヤンフィは、いつの間にか持っていた左手の刀を横薙ぎに一閃する。

 それは、グレンデルを細切れにした刀だった。肉を豆腐のように切り裂くその切れ味は、避けなければ即死だろう。

 タニアはそれを、さも当然のようにしゃがんで回避する。そしてしゃがんだ姿勢から流れる動作で、左拳をアッパーのように突き上げてくる。狙いは煌夜の顎だった。

 その拳を、ヤンフィは上体を反らしつつ、返す刀を振り下ろすことで迎撃する。

 ガキィン――――と、金属同士がぶつかったような耳をつんざく音が鳴り響く。

 振り下ろした刀と振り上げた拳が激突して、一瞬の火花を散らした。そして、刀は半ばから折れて弾け飛ぶ。

 ヤンフィは咄嗟にバックステップで距離を取った。しかし、タニアはさせじと距離を詰めてくる。


「くっ――この馬鹿力めがっ……」

「にゃにゃにゃ――――っ!!」


 ヤンフィはすかさず、折れた刀をタニアに投げ付けた。だがそれは軽々と拳に撃ち落される。

 タニアはそのまま追撃の手を緩めず、さらに踏み込んでヤンフィの胸元に到達する。


「チッ――――すまぬ、コウヤ!」


 タニアが右拳を繰り出す。それは信じられないことに、煌夜の左肩を弾き飛ばした。

 肩の部分が、パーツ着脱式のフィギュアみたいにあっけなく、煌夜の身体から離れて吹っ飛んでいった。


(……マジか……また、腕が……嗚呼――)

「にゃっ――!!」


 煌夜の声にならない嘆きと同時に、タニアが鋭く可愛らしい掛け声を上げて、ワンツーの要領で左拳を繰り出す。それは、煌夜の心臓を目掛けていた。

 先の右拳の威力を知ってしまった煌夜は、それを受けたときどうなるか、容易に想像できた。しかし、煌夜ではそれを避けることなど不可能で、後はもうヤンフィに期待して祈るしかなかった。


「――――爆焔ばくえん


 タニアの左拳が煌夜の胸板に触れるか否かの刹那、ヤンフィが短い呟きと共に、無事な右手を動かした。

 右手はタニアの左腕の手甲に触れて、瞬間、そこが爆発する。

 その爆発は小規模だったが、右手は手首から先が吹っ飛び、その余波は煌夜の胸板を抉って肋骨のほとんどを圧し折っていた。

 シャツの胸元が破れて、血が盛大に吹き出す。代償は大きかったがその爆発のおかげで、タニアの左拳は軌道を逸らしており煌夜を貫くことはなかった。

 ちなみに、タニアの左腕は汚れた程度で無傷である。


「にゃに!! そんにゃ、馬鹿にゃ――」

「ふっ、やはり幾星霜経とうとも、力押しの単調な闘術じゃ……所詮は、ガルム族、じゃのぅ」


 ヤンフィは苦しげに、しかし満足げな笑みを浮かべて、タニアの胸元に踏み込む。

 もはや抱き合うほどの至近距離で、タニアの浮いた左手の下に頭を潜り込ませて、反時計回りに回転しながら足を払う。

 驚愕するタニアは、身体のバランスを崩した。倒れこそしないまでも、上体が前屈みになりぐらりと傾ぐ。

 その一瞬の好機を逃さず、ヤンフィはタニアの背後に回り込んだ。そして、白い産毛が生えるそのうなじに右腕を押し付けて、体重を掛けて押し倒そうとする。

 タニアは倒れるまいと、咄嗟に右足を出して踏ん張った。だが遅い。

 その瞬間、ふたたび煌夜の右腕が爆発して、タニアはその衝撃に堪え切れず膝を突いた。


「これで、終わり、じゃ――っ!」


 ヤンフィはギリ、と奥歯を噛み締めて、さらに追撃の爆発を放つ。

 既に肘から先が弾け飛んでなくなっている右腕が、左半身同様に肩口から爆散する。代わりにその衝撃は、タニアの後頭部を強烈に殴って石床へと叩きつけた。


「――にゃんっ!?」


 可愛らしい悲鳴とは裏腹に、ドガンという轟音を立てて、タニアは石床にその頭を埋めた。

 ヤンフィはすかさず、石床にめり込んだその後頭部を足蹴にする。ビクン、とうつ伏せになったタニアの身体が跳ねる。


「……おい、ガルム族の娘よ。実力差は理解できたかのぅ? これ以上を求めるのならば、それは殺し合いになるぞ?」


 ヤンフィが小馬鹿にするような声音でそう言った。しかし、その姿は両腕がなく胸が裂けて血だらけの満身創痍だ。

 一方、タニアはほぼほぼ無傷で、装備が汚れた程度のダメージしか見受けられない。床に顔を埋めていても、気絶すらしていなかった。

 この状況を客観的に見れば、実力差は歴然、誰が見ても煌夜のほうが格下と判断するだろう。

 このままこれ以上闘っても、結末は火を見るより明らかである。煌夜は、タニアには勝てないと確信していた。


(なぁ、ヤンフィ……サッサと逃げたほうが良くないか? だって、これ無理ゲーだろ?)

(――此奴から、この状況で、逃げられると思うておるのか? 煌夜の身体能力では、此奴を引き離せぬわ。逃げようと思うたならば、最低五分以上は時を稼がんと、追い付かれて終わりじゃ)


 タニアの後頭部をグリグリと足裏で踏みにじりながら、ヤンフィは何を馬鹿な、と呆れた風に言った。ならば、どうやってこの状況を打破するつもりなのか、と煌夜は訝しがった。

 いまは一時的だが、ヤンフィ優位の状況ではある。

 だが、とてもじゃないがタニアを追い詰めたとは言えない。両腕を失ったせいで決定打のないヤンフィでは、タニアをこれ以上どうにかできるとは思えなかった。


(まぁ、コウヤよ。妾を信じて、とりあえず見ておれ――獣族のあしらい方は、心得ておる)


 しかしヤンフィは、煌夜のそんな思いを察したかのように、力強く断言してみせた。その言葉は確信めいた響きがあった。


(あ、そうじゃ。ちなみに、コウヤよ。先の、無理ゲー、とはどういう意味じゃ?)

(……生きてたら、あとで説明してやるよ)


 こんな状況においてさえ、ヤンフィは平常運転だった。煌夜は呆れる。するとそのとき、タニアが両手を床に叩きつけた。


「――――にゃっ!!!」


 そして気合の掛け声と共に、勢いよく頭を上げた。

 煌夜の足を押し退けて、そのままバッと素早く身体を反転、タニアは四つん這いの低い姿勢で煌夜に向かい合った。

 そんなタニアの顔面を目掛けて、ヤンフィは間髪入れずに蹴りを放つ。


「……そんな姿勢じゃ、危ない、ぞっ――と」

「ふにゃ?!」


 サッカーボールを蹴るような要領で、ヤンフィは情け容赦なくタニアの顔面を蹴り上げる。反応しきれず、タニアは甘んじてその蹴りを受けた。瞬間、右足が爆発する。

 さすがにその爆発は予想外だったようで、タニアは可愛らしい悲鳴を上げてゴロゴロと転がっていった。ようやくタニアと距離が取れたが、その代償に、煌夜のスニーカーは吹き飛び、右足首がいまにも千切れそうになっている。


(……なぁ、ヤンフィ……俺の身体が凄まじい勢いで、壊れていってるんだが……これ、いまどうなってんの? 痛みがないから実感ないけど……もう死んでもおかしくないよね?)

(まだ大丈夫じゃ――とはいえ、あと数分で血が足りなくなるじゃろうが……まぁ、安心せい)

(それ聞いて、安心できる奴はいないと思うけど……ちなみに、血が足りなくなったら、どうなるの?)

(ふっ、コウヤはこんな状況でも緊張感がないのぅ。血がなくなれば、いまの妾ではもはや手遅れじゃなぁ……自然、死ぬじゃろうのぅ)


 ヤンフィが楽しそうに口元を吊り上げる。

 それは、転がっていった先でユラリと立ち上がったタニアに対しての笑みか、それとも煌夜の台詞に対しての笑みかは分からなかったが、どちらだろうと少しも笑えないな、と煌夜は絶望を感じていた。

 起き上がったタニアの全身からは、燃え立つような覇気と怒気が放たれていた。

 よくよく見れば、しみ一つない端整な顔は土埃で汚れていて、その両鼻からは鼻血がドバドバ流れている。

 そんな無様な顔立ちは怒りで歪み、まるで般若の形相になっている。


「フー、シャー……上等、にゃ。ここまでコケにされたのも、お前みたいにゃ変態に逢ったのも、生まれて初めてにゃ……フー」


 グッと鼻血を拳で拭って、タニアは声を震わせながらそう言った。

 猫耳はピンと突っ立ち、見える範囲の毛という毛が全て逆立っている。威嚇するように息は荒げており、完全に怒りで我を失っている様子だった。

 しかしそんなタニアの怒りに、ヤンフィはさらに油を注いだ。


「……ふっ、ガルム族の娘よ。それは妾の台詞じゃよ。妾もなれのような馬鹿と逢ったのは、生まれて初めてじゃ。お互い初めて同士、今ならまだ、仲良くしてやらんでもないぞ?」

「――――殺す」


 ヤンフィがカラカラと笑う。タニアは目を見開いて、先ほどまでの声とは一転してドスの利いた重低音で短く呟く。そして、煌夜には認識できない瞬きの攻防が始まった。

 煌夜の身体とタニアの距離は、一旦離れて15メートルほど、だがそれは、タニアの踏み込みからすれば一瞬に満たない距離である。

 瞬間移動にしか見えない速さで、次の瞬間、タニアは煌夜の懐に入ってくる。

 抱き合ってキスでもするのかと錯覚するほどに肉薄して、タニアが煌夜の顔を睨み付けながらその左胸に掌を当てた。刹那、凄まじい衝撃が突き抜けて、煌夜の胸には大穴が開いた。

 それは、零距離から予備動作なしで放たれる魔力の掌打――【魔突掌まとつしょう】と呼ばれる技である。ガルム族が得意としている魔闘術まとうじゅつ、その奥義の一つである。

 ヤンフィはその技を、受身はおろか反応すらせずにただ受け入れた。

 心臓とその周辺の肉と骨が、まるでゴミのように吹っ飛んだ。汚い花火だ、と煌夜は思った。


「…………ぐ、ふっ――」


 ヤンフィが盛大に血反吐を吐く。グラリとその身体は力を失い、タニアの胸に埋まるようにして崩れ落ちる。

 タニアは胸元を血反吐で汚されるままに、その煌夜の身体を汚物でも見るような視線で見詰めている。もはや勝負は決した、とその場の誰もが確信していた。

 常人ならば即死、運が良くともあと数秒の命だろう。

 タニアに油断はなく、煌夜の身体が事切れる瞬間まで、ジッとその最期を見詰めていた。しかし、それはヤンフィの思惑通りでもあった。


「……顕現、せ、よ……【エルタニン】」


 豊満なタニアの胸に顔が埋まったとき、ヤンフィは笑いながらそう宣言する。

 ビクン、とタニアの猫耳が反応した。タニアは慌てて、倒れこんできた煌夜の身体を引き剥がすが、それはもう手遅れだった。

 音もなく、タニアの胸が禍々しい剣によって貫かれる。その剣は、剣身が蛇のようにうねっており、切っ先が平らで、細長い鉄板のような形状をしていた。刃はなく、剣全体が鈍い黒色をしている。

 それは見た目、斬るでもなく、突くでもなく、鈍器のようにしか思えない。

 しかしそれは何の抵抗もさせず、水に沈めるような自然さで、タニアの身体を貫いて背中から平らの切っ先を見せていた。

 信じられない、とタニアは驚愕して、それをただ見詰めることしかできなかった。


「…………にゃ、にゃんだ、これ……痛く、にゃいにゃ?」

「ふっ、まったく単調この上ないのぅ、ガルム族は……魔力を吸い尽くせ、エルタニン」


 胸に突き刺さった剣を困惑しながら眺めているタニアに、石床でうつ伏せに崩れ落ちているヤンフィが楽しそうな声を上げた。

 途端に、タニアの身体が緑色の光で包まれて、その光を剣が吸収し始めた。


「ふ、にゃぁ…………にゃ、にぃ……力が、抜ける、にゃ……」


 タニアの身体から光が溢れて、それが凄まじい速度で剣に吸い込まれていく。

 タニアは可愛らしく身悶えしながら、その場に力なくへたり込んだ。そして、どんどんとその全身からは力がなくなっていく。一方で、そんなタニアとは裏腹に、ヤンフィは力を取り戻していく。

 何が起きているのか、煌夜にはまったく理解できなかったが、事実として、穴開きでボロボロだった煌夜の身体が見る見るうちに元に戻っていった。

 まず穴の開いた胸元に緑色の光が集まり、逆再生されているように肉が盛り返して、すぐさま元に戻った。そのまま光は右肩を包み込んで、右腕を形作る。一瞬後、光は霧散してそこには右腕があった。光は続けて右足を包み込んで、やはり一瞬後、元通りに直す。だが、爆発したスニーカーはそのままだったので、右足だけ裸足である。

 そうして、ものの数秒で、煌夜の身体は左腕以外が元通りになった。


(…………なぁ、ヤンフィ。俺の身体、いまどうなってんの? 俺、人間だよね?)


 尋常ではないその再生っぷりを見せられて、煌夜はヤンフィに問い掛ける。

 しかし、ヤンフィはカラカラと笑うだけで答えず、スクッと立ち上がってへたり込んでいるタニアを見下ろしていた。

 どんどんと衰弱していくタニア、その豊満な胸の谷間に剣が刺さっているという光景は、なんとも言えぬ背徳的な妖艶さがあった。


「それは【魔剣エルタニン】――この剣に、切れる(、、、)モノは存在しない。じゃがその代わり、あらゆる魔力を吸い取る魔剣じゃ。さて、ガルム族の娘よ、降参して忠誠を誓うならば、魔力が枯渇する前に助けてやっても良いぞ?」


 煌夜の顔でエロ親父の如きニヤニヤ笑いを浮かべながら、絶対優位となったヤンフィはそう告げる。

 死か服従か、ヤンフィはタニアに究極の二択を突き付けた。タニアは恐怖でぶるりと身震いする。

 ちなみに、ヤンフィと煌夜の視線はタニアの胸元に落ちている。実際は、その胸元の剣を見ているのだが、位置としては完全に谷間をガン見である。

 そのためかタニアは、煌夜が自分の身体に欲情していると認識していた。力尽きたら死姦される、とタニアは恐怖していた。


「……にゃ、にゃー……死体は、犯さにゃい、で欲しいにゃぁ……」

「ふっ――それは、汝の態度次第じゃのぅ……死体を陵辱されとうなければ、どう振舞えば良いかのぅ?」

(…………おい、ヤンフィ。いまの台詞はどういうことだ?)


 何か勘違いしている風なタニアに、ヤンフィは平然と空恐ろしいことをのたまう。それに煌夜はツッコんだ。しかし、ヤンフィはそのツッコミを当然のように無視する。


「にゃぁ……ひ、卑怯、にゃ――――にゃけど……分かった、にゃ……誓うにゃ……にゃんでもするにゃ……だから、助けて、欲しいにゃぁ――」

「ほぅ? 何でも? 汝よ、いま、何でも、と云ったかのぅ?」

「そうにゃ……あちしに、出来ることにゃら……にゃんでも、するにゃぁ……さっきまでのことも、謝るにゃ……だから、犯すにゃら、殺さずに犯して欲しいにゃぁ……」


 タニアが弱々しく頭を下げる。さっきまでの怒りはどこへやら、その端整な顔は涙を滲ませていて、保護欲をかきたてる小動物のような可憐さを見せている。

 縋り付くように必死なその懇願は、無条件に全てを許してしまいたくなるほど、あざとく可愛い仕草である。その上目遣いで目を潤ませるタニアの顔に、ヤンフィは満足げな笑みを浮かべて顔を近付ける。

 まるでキスでもするかのように、眼前までその顔を近付けて、笑みを一転、蔑むような表情を浮かべた。


「――じゃが、断る」

「にゃ――!? そん、にゃ……にゃんでにゃ……」

(なっ! おい、ちょ……そりゃないだろ?)


 引っ張って引っ張って、ドン、とヤンフィはタニアを絶望に突き落とした。思わずその台詞に、煌夜は自分が死に掛けたことも忘れて抗議の声を上げてしまう。


(おや? コウヤは、この娘を気に入ったのかのぅ? 確かに、男性からすると魅力的な身体じゃろうが……)

(いや、違うけど――! いちいちネタに走らなくてもいいだろ? もう抵抗する気ないんだから、許してやれば……)

(許す? ふっ、やはりコウヤは面白いのぅ。素直で、からかいがいのある奴じゃ――安心せい。先も云ったが、獣族のあしらい方は心得ておる)


 怯えるタニアからスッと顔を離して、ヤンフィと煌夜は脳内で会話する。そのしばしの沈黙は、タニアをいっそう恐れさせた。同時に、いよいよ魔力は枯渇し始めて、タニアの身体は凍えるように冷えてきていた。


「にゃ……にゃ……にゃぁ、許してにゃぁ……このままじゃ、死んじゃうにゃぁ」

「ああ、そうじゃろうのぅ――だから、なんじゃ?」

「にゃ~ぁ…………にゃにゃ、にゃぁ……助け、て、にゃぁ……もう、抵抗しにゃいにゃぁ……犯してもいいにゃぁ……」


 ツーと涙を流しながら、タニアは自身の身体を強く抱き締める。

 ギュッとベストで押えられている胸がより寄せられて、豊満な胸元が強調されていた。寒さからか、身体を小刻みに震わせて、ガチガチと歯を鳴らしている。

 けれどその様を、ヤンフィは無表情にただ眺めている。


「にゃぁ…………お願い、しますにゃぁ」

「ふむ……助かりたければ、どう振舞えば良いのか分かっておろう?」

「…………にゃ、にゃ……く、そ……わ、分かった、にゃ――――こ、降参、する、にゃ……負けを、認めるにゃ……あちしの…………負け、にゃぁ……」


 ガクガクと震える身体をいっそう強く抱きしめて、タニアが搾り出すようにそう言った。

 その顔はさっきまでの愛らしさとは一転して、非常に悔しそうで、納得いかない、という感情がありありと浮かんでいる。

 その言葉を聞いた瞬間、ヤンフィは脳内でカラカラと笑った。


「ようやく実力差を理解したか。そうじゃろう? 汝の負け、じゃろう? ふむ、最初からそう云えば良いのにのぅ……さて、それでは約束通り、助けてやろうかのぅ」

(――――え? あ、どゆこと?)


 ヤンフィが右手で剣を握り締める。すると、剣身に集まっていた緑色の光が霧散して、その一部がタニアの身体に戻っていく。剣は重さを感じさせずに引き抜かれて、音もなく素振りされた。

 そしてその剣身は、ガックリと項垂れているタニアの肩に添えられた。


「ガルム族の娘よ……念のため、もう一度聞いておこうかのぅ。敗北の宣言、嘘偽りはないのじゃな?」

「………………にゃい、にゃ」

「ふむ――――では、汝はこれより妾に逆らうことは許さぬぞ? 妾がボスじゃ、良いな?」

「……………………はい、にゃ――ボス」


 タニアの返事を聞いて、ヤンフィがうんうんと頷いた。一方で、タニアは青筋を立てながら、ギリギリと歯軋りしている。よく見ればその両拳は力強く握り締められており、押し付けられた床にはヒビが入っていた。

 煌夜はこの展開に付いていけず、ヤンフィに解説を求める。


(…………なぁ、ヤンフィ。これはいったいどういうことなんだ?) 

(獣族は基本、実力主義の縦社会でのぅ。黙らせるには、負けを認めさせる以外に術がないのじゃ。じゃから、戦闘に発展したら逃げるは愚策じゃよ。叩き潰さぬと後々厄介になる――特に、ガルム族はその中でも輪をかけて厄介な部族でのぅ。魔闘術と云う強力な武術を操る上に、往生際が非常に悪い。その往生際の悪さは、負けを宣言させぬ限り、それを認めず仕切り直しを要求するほどじゃ。先のやり取りで云えば、降参する、と云わせなければ、彼奴はまた襲い掛かってきたぞ?)

(………………え? 嘘、マジかよ?)

(マジ、じゃ――どれ、聞いてみようかのぅ?)


 ヤンフィは煌夜との脳内会話を切って、項垂れたままのタニアに問い掛けた。


「おい、ガルム族の娘よ。汝が負けを認める前に、妾がこのエルタニンを引き抜いておったら、今頃どうなっておったかのぅ? 正直に云うて良い。無礼な言葉があろうと許そう」

「……ボス、馬鹿にゃ? 負けてにゃいんだから、仕切り直したに決まってるにゃ。そんで次は、不意打ちにゃんてさせずに、一撃で頭を飛ばして、殺したにゃ」

「ほぅ――何でもする、のではなかったのかのぅ?」

「にゃんでも、したにゃ――あちしが勝つ為に」


 はっきりと断言するタニアに、煌夜はドン引きした。

 女の涙は武器になると言うが、確かにその通りだ、と心底納得できた。するとタニアは、チッと舌打ちしつつ、吐き捨てるように呟いた。


「ボスは、運が良かったにゃ……あちしがもっと早くから、扇情的に誘惑してたにゃら……きっと引っ掛かって、今頃とっくに死んでたにゃ。魔力量が少にゃいから、闘い方を見誤ったにゃ」

(……どうじゃ、コウヤ? ガルム族は、こういう部族なんじゃ。特にこの手合い――強く、美しく、勝つ為になら何でも出来る手合いは、この上なく危険じゃよ)


 タニアの台詞に、ほれ見たことか、とヤンフィが勝ち誇ったように脳内で笑う。煌夜はしみじみと頷いた。


「ふっ……さて、とりあえずいつまでもここに居ても落ち着かぬわ。入り口に往くぞ、ガルム族の娘よ」


 ヤンフィはそう言って、タニアの肩に添えていた剣を引く。タニアはそれを見て、ふぅ、と安心したように息を吐いて、その場に立ち上がる。しかし、だいぶ魔力が削られていたようで、立ち上がった瞬間グラリと揺れて、にゃにゃにゃ、とよろけながら壁に手を付いた。


「ふむ、ガルム族の娘よ、汝も運が良かったのぅ。妾がもう少しだけ真剣に闘っておったら、汝、今頃とっくに死んでおったぞ?」


 ヤンフィは言ってカラカラと笑った。それは、先のタニアの台詞の意趣返しだった。嫌味である。煌夜はその相変わらずの性質の悪さに呆れて、はぁ、と疲れたように心の中で息を吐いた。


「さて……っと、戻れ、エルタニン」


 タニアの不愉快そうな睨みを柳に風と受け流しながら、ヤンフィは剣を左腕の位置にかざす。すると途端に、剣は緑色の光の粒子に分解されて、煌夜の左腕へと変わった。弾け飛んだはずの左腕も、こうして一瞬のうちに元へと戻った。

 いよいよもって何でもありのその異常再生に、煌夜はとりあえず思考を停止させる。

 一方、その再生の光景を目にしたタニアは、怪訝そうに眉根を寄せてなにやら考え込んでいた。


「ガルム族の娘よ――後ほど、改めて自己紹介させてもらうぞ?」


 ヤンフィは煌夜の肉体を五体満足に直してから、壁に手を付いて息を整えているタニアにそう微笑んだ。しかしその姿は、シャツが肩しか残っていないため上半身がほぼ裸で、左足はショートパンツ、右足は脛から先が破れていて裸足という不恰好さだ。

 タニアはいっそう不愉快そうに目を細めた。


「――――あちしは、こんにゃ変態に負けちまったにゃ」

「変態とは失礼じゃろう? そも一張羅がこうなってしまったのは、汝のせいじゃぞ……殺してから、犯すぞ?」

「すみませんにゃ、ボス」


 タニアの発言に、ヤンフィはヤクザみたいな重低音で脅しを掛ける。このやり取りだけ聞くと、つい直前まで殺し合いをしていたとは思えない気安さがある。


(――――あ、そうじゃ、コウヤ。無事に窮地を脱したのじゃから、先に云っておった、無理ゲー、とやらの意味を教えて欲しいぞ?)


 ヤンフィがポンと手を叩いて、そうじゃそうじゃ、と煌夜に問い掛ける。その問いに、煌夜は絶句してから、思わず苦笑してしまった。

※後書きを変更履歴に変えます。

 ステータスとか雑多な情報は、別枠でまとめます。


10/18 ルビ一部変更



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