第六十一話 Call/勝負手
お久しぶりです。長文です。
8/4 一部表記変更
「竜族」→「竜種」
天族たちの治癒を始めてそろそろ半日、おおよそ十三時間ほどが過ぎて、ようやくつい先ほど、六人の天族のうち最後の一人――『エギヌ』と名乗る少年の治癒が完了した。
これで、ディド、クレウサ、アスラエル、リューレカウラ、イルミタ、エギヌの天族全員が、意識を取り戻すことに成功した。
ヤンフィの言い付けを無事にこなせた達成感に、エイルはいたく満足げな表情を浮かべて、ぐったりを仰向けに倒れる。
――しかし、エイルは満足しているようだが、ヤンフィにとってはそれほど満足できる結果にはなっていなかった。
想定通りに、エイルの治癒力はわずかの間で飛躍的に向上した。けれどそれは、やはりヤンフィの予想を裏切るほどではなかった。
聖女としての覚醒には程遠く、とてもじゃないがまだ冠級の治癒魔術は扱えないだろう。
結局、奇跡は起きなかった――残念でならない。
けれど一方で、純血の天族三人――ディド、クレウサ、リューレカウラが、役立つ能力を持っていたことは嬉しい誤算だった。
そのおかげで、採れる選択肢が確実に増えたのは間違いない。
(じゃが……結局は、エイルが【蘇生】を行使するほかに、コウヤを蘇らせる術はないがのぅ)
ヤンフィは、仰向けになったエイルを眺めながら、静かに溜息を漏らす。
ソーンとの約束の時間まで、残りあと十時間と少しである。睡眠時間は端から計算に入れていないから、充分な訓練時間は確保できている。
だがそれでも、訓練として用意している相手が雑魚魔族の【骸骨兵】なので、いくら時間があっても徒労に終わる可能性が高い。
「――と、つまらない思考をしている暇があれば、サッサと行動に移すべきじゃのぅ」
ヤンフィは、うむ、と独りごちて、倒れているエイルに近付いた。そして、冷たい視線で見下ろしながら、問答無用に尻を蹴り上げる。
「いたっ――な、なに、するんですかぁ……」
「休んでおる余裕なぞない。次は魔族との戦闘訓練じゃ――死なぬ程度に、必死になるが好い」
尻を蹴り上げられて、涙目になっているエイルの状況などお構いなく、ヤンフィはそう告げるが否や、召喚の巻物を取り出した。
巻物は取り出されると同時に起動して、寝転がるエイルのすぐ傍に、一体の【骸骨兵】を召喚する。
「ゎ――――っ、ちょ、え!? きゃぁ――」
「ガァァア!!」
突如として現れた一体の骸骨兵は、周囲を見渡してから、迷わずエイルを目掛けて突撃する。それに対してエイルは、咄嗟に起き上がって、しどろもどろと腰元の剣を抜いて構えた。
「――ヤンフィ様、突然、何を始めておられるのかしら?」
引け腰で、その構えも無様なエイルと、素手の骸骨兵を見比べながら、ディドがふと質問してきた。
ディドはさりげなく煌夜を抱き抱えて、骸骨兵の行動範囲から避難している。
「うむ、エイルの訓練じゃ。魔族とギリギリの戦闘を行い、聖女としての覚醒を促すのが狙いじゃ」
「……覚醒、を促す、ですか……? あんな雑魚と戦って?」
ディドはエイルの立ち振る舞いを眺めて、ボソッと疑問を呈した。ヤンフィはそれを黙殺してから、座禅を組んで目を閉じているリューレカウラを眺める。
リューレカウラは、誰とも馴れ合うつもりはない、と断言してから、部屋の隅でああしてずっと座していた。
まあ確かに、ヤンフィとしても馴れ合うつもりなど毛頭ない。煌夜の希望で仕方なく救い出したが、それ以外のことは、まったく瑣末である。
後は勝手にどこへとでも去れば良いだろう。煌夜の邪魔をしなければ――
「――とはいえ、利用できるうちは、利用させて貰うがのぅ」
ヤンフィは誰に云うでもなく口の中で囁き、ジッと睨み付けてくるクレウサと視線を合わせた。
クレウサは視線が合うと、一瞬、ビクッと身体を震わせるが、特に何か主張するでもなく、変わらずヤンフィを睨み付けて来る。
クレウサは足を抱えて恥かしそうに身体を隠しながら、不貞腐れたような表情を浮かべていた。
そんなクレウサに、ヤンフィはフッと馬鹿にした風な嘲笑を浮かべて、視線を切った。ぐっ、と悔しそうに歯軋りする音が聞こえるが、無視する。
クレウサは再三、ヤンフィに服を寄越せと訴えていた。それをヤンフィが却下し続けているので、無言で非難しているのである。
見た目の雰囲気に似合わぬそのイジケぶりに、ヤンフィは嗜虐心をそそられていた。
「あ、あの……ヤンフィ、様? い、いま、宜しいで、しょうか?」
ふとそのとき、股間に両手を当ててきょどった態度のアスラエルが、ヤンフィにおずおずと声を掛けてきた。なよなよした仕草がなんとも不愉快だった。
アスラエルは先ほどまで、同郷の士であるイルミタ、エギヌと、全裸の男子三人で集まって、隅っこでボソボソ何やら相談をしていた。
その内容までは知らないし、そもそもヤンフィには興味がないのだが、どうやらその相談で何かが決定した様子である。
アスラエルの背後で、イルミタ、エギヌが息を呑んでヤンフィを見詰めている。
「――何じゃ? 手短に話せ」
ヤンフィはそっけない態度で、視線をアスラエルの顔に向ける。身長差が結構あるので、見上げる形になってしまうのが気に食わなかった。
アスラエルは、ゴクリ、と息を呑んでから、神妙な顔で口を開いた。
「その……ボクら、相談したんですが……その……ボクらの力では、ヤンフィ様の、お役には立てない、んじゃないか、って――」
「――役に立つか、立たないかは、汝たちが決めることではない。じゃが仮に、本当に役に立たないとして、何が云いたい?」
「――あ、ぅ……そ、その~」
アスラエルは歯切れ悪い口調で、チラチラと背後のイルミタ、エギヌを見ながら、言い難そうな顔を浮かべる。
その無駄なやり取りに、ヤンフィはバッサリと切って捨てた。
「不快じゃ、黙って丸まっておれ。妾は意味のない問答をするほど、気安くないぞ?」
ヤンフィはアスラエルから視線を外して、エイルのお粗末過ぎる戦闘を眺めた。その言葉に慌てて、アスラエルが視界を遮るように回り込んでくる。
汚らしい股間が視界に入ってきて、ヤンフィはつい殺してしまいそうになった。
「あ、その――ですから、ボクたちを、解放して、くれませんか?」
「解放しない、と誰が云うた? 汝らは、いずれ解放してや――」
「――い、いますぐ、は……だ、駄目、でしょうか?」
ヤンフィが即答する声に被せて、アスラエルは必死に訴えてきた。
切実なその訴えに、ヤンフィは押し黙って目を細めると、アスラエルを焚き付けたと思われるイルミタ、エギヌに視線を向ける。
イルミタ、エギヌは固唾を呑んで状況を見守っていた。意図が掴めない。
「……何故、いますぐ解放されたいのじゃ? ここに危険はあるまい?」
「ぅ――くっ、えと……ボクらじゃ、足手纏いなので!!」
アスラエルの必死の形相と、イルミタ、エギヌのただならぬ雰囲気から、ヤンフィは一つ思い至った。
「――導視の魔眼、か?」
「「「っ!?」」」
ヤンフィの問いに、アスラエルたち三人が同時に息を呑んでいた。図星のようだ。
導視の魔眼――導きの魔眼とも云われており、未来を見通す未来視の派生であり亜種である。
主な効果としては、能力者本人に訪れる未来のうち、最も有益な結末に至る為の道が視える。もしくは能力者の望む結果に対しての最善手が視える。また逆に、最悪の結末を回避する為の方法、手段が視える。
それらはややもすれば、天啓にも似ている。
実際、導視の魔眼を極めて、能力を覚醒させると、天啓視が開眼するのは有名な話だ。
導視の魔眼は、非常に扱いが難しい反面、上手く扱うことが叶えば、強力な魔眼でもある。
恐らくアスラエルたち三人は、その導視の魔眼で、望まない結末を視たのだろう。故に、それを回避すべくヤンフィに申し出てきたに違いない。
最悪の結末――例えば、ここの全員が死ぬ光景でも視えたのだろうか。
「おい、エギヌよ。汝は何を視た?」
ヤンフィはうろたえるアスラエルを無視して、導視の魔眼を持っているエギヌ本人に問い掛けた。
いきなり話を振られたエギヌは慌てた様子で視線を逸らそうとするが、その前にヤンフィの眼力に射抜かれて、凍り付いたように身体を硬直させる。
エギヌは視線を逸らすことはおろか、満足に呼吸さえ出来なくなる。
「――素直に説明せよ、さもなくばこのまま殺す」
「あ……う……え、ぅ……そ……」
「無理やりに口を割らせるのは、本意ではない。汝自らの意思で答えよ」
ヤンフィは本気の殺意をぶつけて、言外に、嘘は許さないと告げた。
金縛りにあったような状態のエギヌは、ゴクリ、と唾を飲み込んで、視線でアスラエルとイルミタに助けを求めている。
しかし、アスラエルもイルミタも、ヤンフィの威圧に口出しなどできず、バツが悪そうに視線を逸らす。
「……ぅ、えと……ボ、ボクが視たのは……裸の巨漢が……ボクらを、殺す光景……です。白くて広い密室で、ボクらは、心臓を貫かれて、死んでました……」
「――そこに妾は居ったかのぅ?」
「ヤ、ヤンフィ様は……白衣の、綺麗な女性と、闘ってました……ディドさんや、クレウサさん……リューレカウラさんは、みんな血だらけで……エイルさんは……姿が、なかったです」
ふむ、とヤンフィは神妙な顔になり、それで、と問いを続ける。
「ディドの抱えておるコウヤは、どうなっておった?」
「あ、そ、その……白衣の女性が、背後で庇っていました……眼が虚ろでしたけど、起き上がってました……」
「――――ほぅ?」
ヤンフィは心を静めるように深く呼吸してから、ただ一言そう呟いた。
エギヌの云うところの『裸の巨漢』は、恐らくソーンを指している。『白衣の綺麗な女性』と云うのが何者かは分からないが、ヤンフィと闘っていることから、敵に違いない。
煌夜が起き上がっている、と云うことは、エイルは蘇生を成功させたのだろうか。
(……まぁ、とはいえ、導視が発動して見えた光景なぞ、あくまでも曖昧な未来の可能性の一つに過ぎぬから、期待は出来ぬがのぅ……)
導視の魔眼の厄介なところは、未来視のように確定した未来が視えるわけでもなく、天啓のように必ず訪れる未来が分かるのではなく、無数に分岐した未来のうち、印象的な可能性の一つが視えるところである。
視えた可能性は、非常に低確率かも知れないし、避けようのない絶対の運命かも知れない。あくまでも、発生する可能性であり、つまりは占いと同じような不確定なものだ。
ちなみに、導視の魔眼はその視えた可能性に至る為の、もしくは回避する為の道標を教えてくれるのだが、その道標は、しばしば術者の能力を考慮しない。
その時点の最善手を示す割りに、最善手は不可能な行動であることが多い。
しかしとりあえずは、エギヌの訴える未来の可能性も考慮しておくべきだろう。
ヤンフィは現状、起き得るだろうあらゆる可能性を想定しているが、その中に、エギヌの云う未来の可能性を追加した。
「あ……だ、だから、その……ボクら、意味がないと思うんで――」
「――残念じゃが、いまここから外に出る術はない。妾の仲間に、ソーンと云う変態が居るのじゃが、其奴が外側からこの【奴隷の箱】を解放しない限り、妾たちが外に出ることは叶わぬ」
「――――え? っ、な、なんですと!?」
一縷の望みに賭けるとばかりに懇願してきたエギヌに、ヤンフィはあっさりと事実を告げた。
まあ実際は、ヤンフィが本気を出せば、内側からこの亜空間を破壊することは出来る。けれど、アスラエルたちの為に、わざわざそんな面倒なことをする必要性を感じなかった。
ヤンフィの言葉に、エギヌは驚愕して膝を突いた。
大仰過ぎるリアクションだが、それだけ衝撃的だったのだろう。アスラエル、イルミタも、同様に絶句して絶望の表情を浮かべている。
さて、そんな下らない一幕は置いておいて、ヤンフィはエイルと骸骨兵に視線を移した。
エイルは依然として、へっぴり腰で、無様な戦闘を繰り広げている。たかだか素手の骸骨兵相手に、有効なダメージ一つ与えられず、必死の形相で苦戦している。
素手の骸骨兵のランクはE程度である。
一方でエイルは、戦闘職ではないとはいえ、聖級の治癒魔術を扱える。聖級が扱えるのならば、最低ランクC程度の実力は秘めているはず――と、ヤンフィはそんな認識を勝手に持っていたのだが、それは誤りだったようだ。
状況を冷静に分析する限り、エイルの眠れる素質はランクDに届かない。その程度の才能では、骸骨兵を倒せたところで、聖女として覚醒するキッカケは掴めないだろう。
「ヤンフィ様、この茶番、果たして意味があるのかしら? 申し訳ありませんけれどワタクシ、こんな泥仕合が、聖女覚醒のキッカケになるとは、到底思えませんわ」
「――それは、妾も思ったところじゃ」
ふと、ディドがヤンフィにそう意見した。それに対して、ヤンフィも悔しそうに即答する。
「ハッっ! うぅ――やっ! ぇ、っ!? ぐうぅ……」
エイル本人は恐らく死に物狂いで闘っている。しかしその苦戦を見るに、己の限界を超える訓練にはなると思えない。
そもそも、治癒魔術師が何を馬鹿正直に、剣技で魔族と闘っているのか――
「――時間の無駄じゃ」
骸骨兵の大振りストレートがエイルに迫る。それをエイルは、かろうじて避ける動きを見せて、同じく大降りに剣を振り上げる。隙だらけの無様な剣技だ。
ヤンフィはそんな遅すぎる動きを横目に、一瞬で骸骨兵の背後に回り込んで、エイルもろとも骸骨兵に攻撃魔術の一撃をお見舞いした。
ドガン、と小規模な爆発が巻き起こり、骸骨兵は身体を爆散させる。炎属性の下級攻撃魔術【爆焔】である。
「きゃぁ、っ――!!?」
エイルは反応しきれず、骸骨兵の爆発に巻き込まれて吹っ飛んだ。かろうじて頭を庇うように受身は取れていたので、気絶はしなかったようだが、あまりにも反応が鈍すぎる。
「っぅ――ぁ、ぅ……い、痛い、です……死、死ぬかと……」
吹き飛ばされたエイルは、全身打撲とそこそこの火傷を負っていた。しかしその程度ならば、中級の治癒魔術で瞬時に癒せるだろう。
ヤンフィは文句を吐くエイルを見て、はぁ、と疲れた風に溜息を漏らした。
手元で、ボゥ、と骸骨兵を召喚した巻物が燃え尽きる。召喚した骸骨兵は死んだようだ。
「――エイルよ。妾の見立てが甘かったことに、まず謝ろう。悪かった。じゃから、方針を変えることにする。安心するが好い。死ぬほどの苦痛を味わうことになるじゃろぅが、死ぬことはない」
ヤンフィはニッコリと優しく微笑みながら、そんな宣言をエイルに告げた。
荒い呼吸をしながら九死に一生を得た顔のエイルは、ヤンフィの台詞を理解できず、え、え、と困惑気味に首を傾げている。
だが、エイルに細かく説明する必要は感じない。
ヤンフィは全身から、纏い付くような重々しい殺意、重厚な魔の気配、魔王属らしい威圧を放出する。瞬間的に、ヤンフィの濃厚な魔力で亜空間内が満たされた。
「ぁ――ぅ、な……は、ぅ……」
エイルは、そんな強烈なヤンフィの覇気をまともに正面から受けてしまい、口をパクパクさせながら絶句する。
しかしそれも当然の反応だろう。エイルに限らず、アスラエルたちもその威圧に恐縮しきって、無意識に身体を震わせていた。ちなみにそれは、クレウサとリューレカウラも同様である。
唯一ディドだけが、ヤンフィの魔力を浴びても、何の動揺もなく無表情のままだった。ディドは我関せずとばかりに、煌夜の頬を撫でながら、静かに座っていた。
「エイルよ。汝にはこのほうが効果的のようじゃ――【爆焔】」
ヤンフィは硬直するエイルの眼前まで迫って、無造作に腕を伸ばした。伸ばした腕はエイルの左肩を掴んで、刹那、躊躇なく攻撃魔術を展開する。
――――ドガン、と。
骸骨兵を一撃で吹き飛ばした爆発が、エイルの左肩で発生して、その装備ごと左腕を弾き飛ばす。
「――――っ!!!???」
エイルはビクンと全身を痙攣させて、あまりの激痛に声にならない声を上げた。
そして、慌てた様子で吹き飛んだ左肩を右手で押さえると、ガクンとその場に両膝を突く。両眼は見開かれて、呼吸はままならない様子である。
ドバドバと出血して、濃い血の臭いが辺りに満ちる。
そんな猟奇的な光景を前に、亜空間内で唯一ディドだけがヤンフィの意図を悟り、ああ、と納得したように頷いていた。
「……防御が甘い。妾の魔術は、それほど破壊的な威力はないぞ? ランクB程度の魔術耐性があれば、恐らく火傷程度じゃろぅ――ほれ、治癒魔術で左腕を癒すが好い。さもなければ、出血多量で死ぬぞ?」
「――っ!? ぅ、あ――!?!?」
混乱しているエイルに、ヤンフィは冷水のような声を浴びせ掛けた。
しかしエイルは満足に返事など出来ず、死にたくないという生存本能に従って、左腕を掴むと聖級の治癒魔術【過剰再生】を無詠唱で展開する。
まるで逆再生の如く、瞬く間に破損した左腕が元通りに治った。
ヤンフィは、エイルの左腕が治ったのを確認してから、うむ、と満足げに頷いた。
エイルは確実に、治癒魔術の精度、威力を向上させている。証拠に、先ほどまでは、聖級を無詠唱で即時発動など出来なかった。
「……エイルよ、次は中級の【業火】を撃つ。じゃから、結界でも防御魔術でも身体強化でも、兎も角サッサと準備せよ。そんな無防備では、即死しかねんぞ?」
「つ、次――っ!?」
エイルはヤンフィの発言に素っ頓狂な声を上げて、取り乱した様子で首を横にブンブン振る。両手を前に突き出して、涙を浮かべながら全力で嫌がっていた。
「死、死んじゃいます、よぉ――た、助け、て……」
「死なぬよう、本気で防御すれば好いだけじゃ。では、往くぞ?」
「い、嫌……お、お願い、します……助け――」
容赦のないヤンフィの冷たい視線に、エイルは心の底から必死に命乞いをする。けれど、命乞いなどしなくとも、殺すつもりは毛頭ない。
ヤンフィは万が一にもエイルが死なないよう、殺さない可能性を選択している。
「動くなよ。少しでもずれると、死ぬぞ?」
「や、め――――っ!? ぅ、ぎゃあぁああ!!」
ヤンフィはエイルの制止の声など無視して、右脚の太腿に手を添えた。瞬間、ヤンフィの掌に魔力が集まり、右太腿を飲み込む火炎玉が出現した。
その光景を見たエイルは絶望的な顔を浮かべて、遅れてやってくる激痛に絶叫する。辺りに、焼け焦げた肉の異臭が充満した。
「結界の展開が遅い」
ヤンフィの辛らつな台詞がエイルに投げられる。けれど、エイルはそれどころではなく、激痛に泣き喚きながらそこかしこを転がりまわっていた。
ちなみにエイルの被害は、紙一重で間に合った結界のおかげで、右足が溶けて消滅しただけ、と云う軽度な怪我で済んでいた。
――まあ、常人であれば発狂しかねない激痛だろうが、死ぬほどの怪我ではない。
「ぐ、ぎゃぁ、ぅ……い、痛い、よぉ……ど、して……こんな」
「ほれ、サッサと回復せよ。さもなければ、次が耐えられぬぞ?」
「……つ、ぎ……って……も、嫌、だよぉ……助けて……エイル、何を……」
「妾とて、こんな強引な手段を採るつもりなぞなかった――じゃが、致し方あるまい?」
エイルは泣き喚きながらも、溶けた右足の付け根に手を当てて治癒魔術を展開した。けれど、先ほどのように、瞬時に回復は出来ない。
おそらく、激痛で集中が乱れているのだろう。
ずいぶんと緩やかに、太腿の付け根から肉が盛り上がり、骨が浮かび上がり、エイルの右足が再構築されていく。
「はぁ……ぅっ、はっ……くぅ、っ……」
額に脂汗を流しながら荒い呼吸を繰り返すエイルを眺めて、ヤンフィは今度、右手の人差し指に風の球を出現させる。
「エイルよ。汝は、死の際を幾度も体感する方が、魔族と死闘を繰り広げるより、才能開花し易いと思われる。事実、治癒魔術の精度が向上しておるのを自覚できるじゃろぅ?」
「そ……んな、こと……分かり、ません、よ――――ぉ、っ!?」
ヤンフィに涙ながら反抗するエイルだが、次の瞬間、放たれた風の球を全身に浴びて悶絶する。
ヤンフィが放ったのは、風属性の下級魔術【風刃】である。風の刃で対象を無数に斬り付ける攻撃魔術で、直撃したエイルは、瞬く間に全身を切り裂かれて血塗れになる。
「――ちょ、ヤンフィ様。そんなことを繰り返したら、エイルさんが死んでしまいます!」
右足が治りきっていない状態で全身を切り裂かれたエイルを見て、いい加減マズイと思ったのか、クレウサがヤンフィに忠言してきた。
しかし、そんなクレウサに冷たい視線を向けて、ヤンフィは吐き捨てた。
「死ぬことはない。殺すはずがあるまい?」
じゃから黙れ、と言外に告げる威圧に、クレウサは飲まれて、もはや押し黙るしかなかった。
さて、エイルを攻撃しているヤンフィの意図は、至極単純である。
エイルを強制的に瀕死にさせて、瀕死状態を自らの治癒魔術で回復させる。そんな無茶を、エイルの魔力が枯渇するまで繰り返して、枯渇したら、回復薬で魔力を回復させる。
そうしてまた再び、瀕死→回復→瀕死、と繰り返すのだ。こうすることで、エイルの魔術精度、威力を向上させる意図である。
実際エイルは、死の淵から生還するごとに治癒魔術の扱いを洗練させている。これで聖女として覚醒するかは怪しいところだが、少なくともこれが覚醒のキッカケにでもなれば、充分過ぎる結果である。
――とはいえど、このやり方では、万が一にもエイルを殺さない為に、ヤンフィは【桃源】を発動し続けなければならない。
このやり方は、魔力消費があまりにも激し過ぎる方法だった。
「ぁ……ぅぅ……死、ぬ……死んじゃう、よぉ……ぅぅ」
「エイルよ、嘆いている暇なぞありはしないぞ。妾の攻撃を防ぎきるか、妾の攻撃を喰らう前に回復するしなければ、本当に死ぬぞ?」
「死……ど、どうし、て……エイル……言われた、通り……ちゃんと……」
「――――問答無用じゃ。訪れる理不尽に抗い、神の奇跡を妾に見せよ」
ヤンフィはにべもなく告げて、今度は、水の槍をエイルの左腕に突き立てた。
ブスリ、と水の槍が左腕の肉を軽々と貫き、エイルは再び絶叫した。
亜空間内の誰もが、そんな拷問を遠巻きに眺めて、エイルの苦悶の叫びを聞き流した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「――【爆焔】」
「ぅ……【極光神壁】っ!!!」
不意打ちで放ったヤンフィの攻撃魔術に、エイルは素早く反応して、簡略詠唱でもって光属性の聖級結界を展開した。
ドガン、カァン――と。爆音と共に、金属同士がぶつかったような甲高い音が鳴る。
果たして、ヤンフィの攻撃魔術は光の防壁に阻まれて、エイルに傷一つ付けることはなかった。
「や、やった――で、出来、ましたっ!!」
爆煙が掻き消えた後には、完璧な状況で展開した光の防壁がある。今の今まで、満足に展開出来なかった結界魔術だったが、ようやく成功したのだ。
そんな結果に大満足した様子で、エイルはその場にペタリと尻餅を突いていた。
一方で、ヤンフィはそんな気の抜けたエイルに頷いて、【桃源】を解放する。
パキン、と硝子の割れる音が鳴り、亜空間内の緊張は一気に緩んだ。フッと春の陽気にも似た柔らかい空気が訪れる。
ほぅ――と、誰かの胸を撫で下ろす安堵の吐息が漏れ聞こえた。
とりあえず、このくらいで拷問は終了しよう。
ヤンフィは声に出さずにそう決めると、静かに深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
さて、ヤンフィのスパルタな拷問は、都合五時間ほど続いたが、エイルはのた打ち回りながらも、それを何とか死なずに耐えきった。
結果、聖女としての覚醒には至らずではあるが、治癒魔術の精度、威力は格段に向上した。事実として、以前扱えなかった【生命の杖】が持つ聖女専用の魔術を、いまや当然のように扱えるようになっている。
これで実力的には、冠級を扱えるだけの下地は出来た。あとは、殻を破る些細なキッカケだけだろう。
――となれば、あとは実戦でキッカケを掴むしかない。
「エイルよ、とりあえず及第点には到達じゃ。よくやったと誉めてやろ――」
ヤンフィはパチパチと小さく拍手しながら、疲れ切った様子のエイルにそう切り出す。するとその瞬間、突然、外部と繋がる【奴隷の箱】の出入り口が出現した。
「――なに?」
想定外に現れた出入り口に、ヤンフィは思わず絶句して、自らの体感時間を疑う。
(もう一日経ったのか……? 否……やはりまだ、あと数時間はある……)
ヤンフィは念のために宿屋から持ってきた時計をさりげなく見て、自身の体感に誤りがないことを確認した。
ヤンフィは、ソーンのまた勝手な指示無視か、と忌々しげに舌打ちする。
そして憔悴しきっているエイルを一瞥してから、単身で外に出ることに決めた。
「あぅ……も、もう……外に出ない、と……いけない、んです、かぁ……」
「――エイルよ、しばし休んでおれ。一旦、妾だけで様子を見てくる」
ヤンフィはそう告げると、出現した出入り口を通り抜けた。
まずは、ソーンを懲らしめなければ――と、勇んで【奴隷の箱】を出た瞬間、ヤンフィの身体に魔術が叩き付けられた。
「…………どう云うことじゃ、これは?」
「あ、ヤンフィ様。申し訳ありませんが、ちょいと、そのまま拘束されててくれませんかね?」
ヤンフィの身体を雁字搦めに縛り付ける光の鎖――光属性の上級魔術【光鎖】である。
ヤンフィは怪訝な表情で、ゆらりと周囲を一瞥した。その全身からは、本気の威圧と殺意を放った。
「――それに、ここはどこじゃ?」
ヤンフィはボソリとそんな問いを投げた。
どう見てもここは、地下迷宮【アビスホール】のフロアには見えなかった。
見渡す限り白い部屋。
扉の一つもない密室。
傍らには見慣れたブーメランパンツの変態――ソーンが、腕を組んで立っており、正面には、銀髪で白衣を纏った女が【奴隷の箱】を片手で弄っていた。
ヤンフィを捕らえた光鎖は、どうやら銀髪の女が展開した魔術のようである。
この程度で捕縛できると思われたくはないが、とりあえず油断させる為に、ヤンフィはあえて、そのままで応じることにした。
「汝は、誰じゃ?」
「ねぇ、子供の姿をした魔王属様――何故、何故、何故、と質問したくなる気持ちは理解できますけど、焦らないで頂けませんか? ちゃんと理由も含めて、お答えいたしますから」
銀髪の女は白衣をたなびかせて、駄々っ子に教え諭すような調子で言い放った。
ヤンフィはその不遜な態度に呆れて、はぁ、とこれ見よがしの溜息を漏らした。
チラリと、傍らのソーンにジト目を送ると、ソーンはなぜかドヤ顔で、うむ、と力強く頷いた。
「……妾を魔王属と知った上での態度、殺されても仕方ないと理解しておるのか?」
ヤンフィは銀髪の女に無表情を向けて、纏いつくような殺意をぶつける。しかし、彼女はさして気にした風もなく受け流して、ソーンに奴隷の箱を放り投げた。
「ソーン。聖女スゥが出てきません。早く引っ張り出して下さい」
「おうおう。任せろ――んじゃ、ヤンフィ様。ちょいと失礼しますわ」
ソーンは奴隷の箱を見事にキャッチすると、悪びれた様子もなく、すかさず出入り口を出現させて、中に入っていった。
何が目的か分からないが、エイルを連れて来るつもりのようだ。
(……状況が分からぬのぅ。流されるのが吉か、逆らうのが吉か……それにしても何故こうも、こじれるのか……)
ヤンフィは心の中で重苦しい吐息を漏らす。
あらゆる想定のうえで動いて、実際襲い掛かる現実は、より歪曲した事象ばかりだ。
こうも上手くいかないものか、とヤンフィは強く神を呪った。
「さて、子供の姿をした魔王属様。まず自己紹介させて頂きます。私はここ【ヒールロンド】で【九賢者】と呼ばれる九人の賢者が一人。白の賢者――アミス・ウェルライト、と申します」
「ほぅ? で、アミスとやら、何が目的じゃ? 汝も【世界蛇】とやらの幹部かのぅ?」
「……魔王属様、焦らないで下さいませ。一つ一つご説明して差し上げましょう」
ヤンフィの追求に、アミスと名乗る銀髪の女は溜息交じりに呟いた。抑揚のないゆったりとした声の調子が苛立たしい。
「次に、ここがどこか――それを説明いたします。ここは、私の亜空間実験室。白の塔の地下に造った部屋です。出入り口は私の意志がなければ、出現いたしません」
アミスの台詞に、ヤンフィはうんざりと吐息を漏らす。ここが地下迷宮ではないことを改めて認識して、ソーンを信用していた自分がなんと愚かしいことか――
「それでは次、この状況についてですが――――ソーンは遅いですね?」
アミスはそう言いながら、展開している奴隷の箱の出入り口に視線を向けた。現時点で、誰も出てくる気配はない。
エイルを連れて来るだけで、ソーンが苦戦するとは思えない。と云うことは必然、なんらか厄介ごとが起きたに決まっている。
あの変態ソーンのことだ、何をしでかすか予想がつかない――と、ヤンフィが眉を顰めたとき、凄まじい爆音と衝撃波が出入り口から響き渡った。次いで、全裸のディドが、煌夜を抱き抱えたまま飛び出してくる。
「――何なんですの、あの変態は!?」
無表情だが、明らかに苛立った声音で、ディドがそう吐き捨てた。
ディドは煌夜を胸に埋めた状態で、白い密室の天井近くを飛翔している。その背中には、天族特有の能力――風翼を羽ばたかせている。
そんなディドに遅れて、全身煤けたソーンが、怒り心頭の形相で現れた。ちなみにエイルは連れていない。これでは、何の為に奴隷の箱に入ったのか――
「……ソーン? 聖女スゥはどうしましたか?」
「ああ? んなことよりも、アレを見ろよ、糞っ!! オレのヤンフィ様の身体が、あんな凶悪で醜悪な変態に抱えられてるんだぞ!? 許せねぇだろうが!!」
烈火の如く憤って唾を飛ばすソーンに、ヤンフィやディドは当然、アミスでさえも辟易した表情を浮かべた。
しかしなるほど――ソーンはどうやら、全裸のディドに介抱されている煌夜を発見して、自分都合で勝手に激怒したようだ。
相変わらずどこまでも変態である。
「おい、変態天族の糞女っ!! ヤンフィ様の身体を、そっと床に下ろせっ!! さもなければ、この場で四肢を引き千切って――」
「――ソーン。いまはお前の我欲を満たす時間ではありませんよ? サッサと奴隷の箱から……いえ、もういいです。多少手荒くなりますが、奴隷の箱を破壊します」
激昂してディドを見上げて全身に闘気を充実させるソーンに、アミスは冷淡で無機質な台詞を吐いた。同時にその右手を上げて、グッと何かを握り込む所作をする。
刹那――奴隷の箱の出入り口を中心に、光の五芒星が出現した。
無詠唱で展開されたその魔術は、奴隷の箱に施された時空魔術の魔術核を破壊する。
バキン、と木材が割れるような乾いた音が鳴り、次に、入り口の黒い穴が渦を巻きながら収束する。そして、キュウン、と楽器のような独特な音が鳴ると共に奴隷の箱が壊れた。
途端、奴隷の箱に収納されていた全員が、一気に中空に放り出される。
純粋な力押しで時空魔術を破壊するとは、アミスはかなりの実力者のようだ。
「キャァ――!!」
「――何が、起きた!?」
「うわぁ――」「ぎゃあ――」「ぐえっ――」
エイルの悲鳴、リューレカウラの動揺した声、アスラエル、イルミタ、エギヌの素っ頓狂な声が響き、白い密室に全員が現れる。
ドタンバタン、とエイルを筆頭に、ほぼ全員が床に身体を打ち付けていた。まだ治癒されていない獣族と人族の四名も、死んだように床に転がる。
エイルを除く全員が全裸という状況で、しかしアミスは平然としていた。
「お久しぶりです、聖女スゥ。よくキングゴブリンを相手に、生き残れましたね。さすがは神に選ばれた聖女といったところですか……存外、しぶといです」
アミスは床に尻餅をつく剣士姿のエイルにそんな言葉を投げると、自然な動作で右手を上げた。
凄まじい魔力のうねりが感じ取れる。
「エイル、避けろ!!」
「ヒッ――【極光神壁】!」
ヤンフィは咄嗟に叫んだ。ヤンフィのその叫びを耳にしたエイルは、条件反射的に聖級の結界を展開する。先ほどまでの拷問で培われた反射神経である。
さて、エイルが結界を展開したのと同タイミングで、アミスの無詠唱の魔術――光属性の中級攻撃魔術【光剣】の豪雨が降り注いだ。
「――ぅ、きゅぅ……くっ!」
スコールの如く怒涛の勢いで降り注ぐ光剣を、エイルは必死に防いでいた。エイルが気を緩めれば、すぐに結界は貫かれることだろう。
そんなエイルの窮地を見て、ヤンフィは、その手もあったか、と場違いに得心していた。
アミスが放つ光剣の豪雨は、クレウサとリューレカウラ、ディドと煌夜を除く、ほかの全員を巻き込んだ範囲攻撃である。エイルがこの豪雨を防げなければ、エイル自身だけでなく、ほかの全員も串刺しになって死ぬ――そんな窮地だ。
だがそんな逆境のおかげで、エイルは他人を護るという聖女としての本領を発揮できていた。だからこそ、格上のアミスの攻撃魔術を何とか防ぎ切れている。
そう考えれば、先ほどの訓練でも、赤の他人を巻き込んだ攻撃の方が、より効率的だったかも知れない――と、他人事に状況を眺めていても仕方ない。
ヤンフィは、我関せずとディドを睨んでいるソーンを一瞥してから、どう振る舞うべきか悩んだ様子のクレウサとリューレカウラに目配せした。
クレウサとリューレカウラは、ヤンフィと視線を合わせると、一瞬だけエイルの窮地を眺めてから、助けるべきではないか、と無言で訴えてきた。
ヤンフィは、ふぅ、と何度目になるか分からない溜息を吐いてから、首を横に振り、全身に魔力を漲らせる。
本音を云えば、これ以上無駄に魔力を消費したくはない。
けれどこの混迷した状況を打開するには、ヤンフィが行動しなければならないだろう。
「ディド――コウヤをそこの変態に奪われるな。其奴は、コウヤの貞操を狙っておる。クレウサ、リューレカウラ――汝らはディドを援護せよ。其奴は真性の変態じゃが、見掛けによらず、かなり手強いぞ」
ヤンフィは素早くそんな指示を飛ばして、振り返ったソーンに決別を告げる。
「ソーン。度重なる命令無視、もはや許せぬ。汝は用済みじゃ――アミスとやらを殺した後、汝もしっかりと息の根を止めてやろう」
「ぅえ!? ちょ、そいつはご無体な! ヤンフィ様のことを第一に考えた結果が、これ――ん? 『コウヤを奪われるな』って、どゆこと――ぐぎゃぁ、っ!?」
ふとソーンが疑問を浮かべて首を傾げる。その直後、ディドから放たれた巨大な雷光がソーンの身体を貫いた。
凄まじい衝撃波と、空気を痺れさせる放電が、密室全体を振るわせる。
それを横目にヤンフィは光鎖を軽々と振り解き、エイルを苦しめるアミスに飛び掛った。
「――――流石、魔王属様。やはりその程度では、動きを止められませんでしたか」
迫り来るヤンフィに、アミスは余裕げな口調で呟いていた。
そんなアミスを両断すべく、ヤンフィは紅蓮の灼刃を一息に振り抜いた。容赦など一切する気はない。
一方アミスは、ヤンフィの振り抜く動きに合わせて、右手を盾のように目の前に突き出した。
けれど遅い――と、ヤンフィは勝利を確信して、しかし紅蓮の灼刃は空を斬った。
「な――に?」
ヤンフィの疑問が虚しく響く。振り抜いた先には誰もおらず、当然、手応えもまったくなかった。
「魔王属様。残念ながら、いまこの場で私を殺すのは困難ですよ? だから一旦、お話をしましょう?」
ヤンフィは声に反応して、すかさずバッと振り向いた。当然、声の主はアミスである。
アミスはいつの間に移動したのか、ヤンフィの背後、20メートルほど距離を取ったところで、右手を前に突き出した姿勢のまま立っていた。
突き出した右手には、光り輝く手鏡が浮かんでいた。
「まさか――【神光鏡】か?」
「……ご存知、なのですか?」
慌ててアミスに向き直ったヤンフィは、手鏡の輝きを目にしてそんなことをボソリと呟いた。すると、アミスは驚きに目を見開いてから、ええ、と肯定してみせる。
【神光鏡】――冠級魔術に数えられる至高の魔術の一つだ。
光属性の魔術で、究極を謳う防御結界である。その効果は、あらゆる攻撃、あらゆる現象を反射させることであり、また鏡面に映っている空間に、あらゆる存在を瞬間移動させることが出来る。
アミスはその神光鏡の移動効果を行使して、ヤンフィの攻撃を回避、背後に回り込んだようだった。
「魔王属様のご推察通りです。ですが、分かったところで為す術がないのが、この魔術でしょう?」
「ふっ――妾をあまり舐めないで貰おうかのぅ?」
ヤンフィは不敵な笑みを浮かべながら、紅蓮の灼刃を上段に構えた。
確かに【神光鏡】は無敵に等しい防御結界だが、当然ながら、万能の防御結界ではない。弱点もあれば、隙も存在する――ヤンフィの剣技であれば、充分に打破できる。
そんなやる気満々のヤンフィに、アミスは静かに首を横に振った。
「とりあえず役者が揃ったので、状況のご説明をさせて下さい――実のところ現状は、二つの目的が交錯した結果なのです」
アミスは【神光鏡】を展開したまま、左手でピースを作り、二つ、と強調した。それから、雷光の直撃を浴びて動かなくなったソーン、青息吐息のエイルを一瞥して、ヤンフィに向き直る。
「目的の一つは、ソーンの目的です。ソーンは、魔王属様の身体――金髪天族が抱えている青年の肉体を蘇らせることが目的ですね。けれどその為には、治癒の冠級魔術が必要とのこと。なればこそ、私に協力を仰いだ――」
アミスは唄うように言いながら、倒れ付したソーンを取り囲もうとするクレウサ、リューレカウラに、牽制するような視線を向けた。
「――何故、私に協力を仰いだか。それはもう一つの目的、私の目的が関わってきます。私の目的は、【九賢者】の一人、【橙の賢者】アンバーを次代の聖女スゥにさせること。しかしその為には、今代の聖女スゥを葬らなければなりません。だから、キングゴブリンを使って暗殺を試みましたが、失敗しました」
アミスはそう告げるとニコリと微笑む。同時に、左手の拳を握り締めて、真横に振った。
すると突然、虹彩色の光が拳から溢れ出す。虹彩色の光は、細かい粒子となって散り始めて、アミスの周囲を漂い始める。
「聖女スゥの護衛【黒色騎士団】程度ならば、キングゴブリン一匹で充分と判断したのですが、まさか魔王属様のような強者に巡り合い、結果、助かるとは思っていませんでした――忌々しいほど、悪運が強いですよね?」
アミスは言って首を傾げながら、左手をブンブンと上下に振り回し始める。拳から溢れる虹彩色の粒子は、やがてアミスの周囲に渦を巻き出した。
「――とはいえ、聖女スゥは現在、生死不明ですので、ここで人知れず殺せば、万事解決します。私の目的は、今代の聖女スゥが死にさえすれば叶いますから――アンバーが聖女スゥになれば、冠級の治癒魔術なぞ当然の如く扱えるでしょう。だから、アンバーが聖女スゥになった暁には、私が口添えして、魔王属様の身体を癒して差し上げますよ」
「世迷いごとじゃ――本気で、そう思っておるのか?」
「逆に問いますが、そう思えない理由が、どこありますか?」
アミスは断言して、瞬間、振り回していた左拳をエイルに向かって突き出した。
「――虹の槍、疾くとご覧あれ」
そう宣言するが否や、アミスの周囲で渦巻いていた虹彩色の粒子が左拳に収束して、大きな丸い球体を形作った。
「エイル、避け――間に合わぬ!?」
「……ぅ、え?」
ヤンフィは、アミスの攻撃を瞬時に察する。しかもそれが、先ほどの【光剣】の豪雨よりも、強力な魔術であることも理解した。
避けなければ、間違いなく死ぬだろう――ヤンフィはすかさずエイルに、避けろ、と叫ぼうとして、しかしそれが間に合わないことに気付いた。
ヤンフィは咄嗟に、紅蓮の灼刃を投擲する。
紅蓮の灼刃は凄まじい勢いでエイルの元に飛んでいき、エイルと直撃する寸前、アミスの操る丸い球体から伸びた虹彩色の槍と激突した。
小規模の爆発が生じて、その衝撃にエイルは無様に吹っ飛んだ。
「――――きゃ、っ!?」
何が起きたのか分からぬまま、エイルは紙の如く吹っ飛んで、ひっくり返った。受身など取れなかったが、直撃はしていないので、ほとんどダメージはないだろう。
「魔王属様、どうして聖女スゥを庇うのです? 魔王属様も、ソーンと目的は同じでは? だとすれば、私に協力するのが一番の早道でしょう?」
「汝に協力したところで、【蘇生】が成功する確約がどこにあるのじゃ……そも、聖女スゥの選定は神の気紛れで決まる。どれほどの実力、素質があろうとも、次代の聖女スゥは、神以外にはどうなるか判らぬ」
ヤンフィは素早く、エイルとアミスとの直線上の間で立ちはだかった。
そして指をパチンと鳴らすと、どこからともなく禍々しい形状をした魔剣がヤンフィの手に収まる。投擲した紅蓮の灼刃に代わり、魔剣エルタニンを召喚したのである。
「汝が、何を根拠に、そんな戯言をほざいておるのか知らぬが――勝ち目のない博打に賭けるほど、妾は愚かではない」
ヤンフィは断言してから、魔剣エルタニンの切っ先をアミスに向ける。
アミスは、しょうがない、と肩を竦めてから、左手に浮かんでいた虹彩色の球体を霧散させた。
「私は魔王属様と敵対する気などありません。私の目的は、聖女スゥの命だけですから」
「それはすなわち、妾と敵対すると云うことじゃ。さて、これ以上、無駄な問答に付き合うつもりはないが、最期に云い残すことはあるかのぅ」
「はぁ――やはり、こうなりますか。魔王属様が協力してくれるのであれば、無駄に消耗しないのですが……」
アミスは天井を仰ぎ見て、フッと瞳を閉じた。あまりにも無防備なその所作に、ヤンフィは好機を逃さず距離を詰めて、大上段から魔剣エルタニンを振り下ろした。
魔力を喰らい、魔力自体を切り裂ける魔剣エルタニンであれば、アミスの【神光鏡】だろうと、無効化したうえで切り伏せることが可能だ。
(殺っ――――な、にっ!?)
勝負は決した――と、勝利を確信した瞬間、しかしヤンフィは止めを刺さずに、その手を止めてアミスと距離を取った。
「…………」
「お見事です、魔王属様。やはり、一筋縄ではいかない――けどまぁ、強いのは、ソーンから話を持ち掛けられた時点で重々承知していましたけど」
天井を仰いでいるアミスが、ふとそんな台詞を吐いた。すると、アミスの周囲の空間が歪み始めて、強大で禍々しい魔力が顕現する。
ヤンフィは思わず頭を抱えて、即座に吹っ飛んだエイルの傍まで駆け寄る。
「私の二つ名は、【竜種調教師】――いま、私が飼い馴らしている竜種は、この四体。いずれも百年クラスで知性ある魔貴族です」
そんなアミスの涼やかな宣言に呼応するように、歪んだ空間から重低音の咆哮が響いた。
歪みはすぐさま空間の裂け目に変わり、そこからゆっくりと姿を現すのは、4メートル強はあろう大型の飛竜が、四体である。
四体の飛竜は、赤、青、黒、白が一体ずつという構成で、アミスの姿を全方位から覆い隠していた。
それは――あまりにも圧巻の光景だった。並の冒険者であれば、絶望のあまり発狂するだろう。
実際、ヤンフィが背後に庇っているエイルなどは、ヒィッ、と短い悲鳴を上げたあと絶句して、蒼白な顔でガチガチ歯を鳴らしていた。
竜種を使役して、冠級を扱う光魔術師アミス・ウェルライトか――なるほど、一筋縄ではいかない強敵のようだ。
ヤンフィはチラと、煌夜の身体を抱えるディドに視線を向ける。
ディドは無表情を困り顔に変えて、鼻息荒く興奮しているソーンと、アミスの周囲に展開した竜種四体に驚いている様子だった。
クレウサ、リューレカウラも、絶望を前にした顔で、その動きを止めている。ちなみに、アスラエル、イルミタ、エギヌなどは、既に泡を食って気絶していた。
「――ディド、クレウサ、リューレカウラ、そこの変態巨漢は任せたぞ? 妾は、竜種狩りを愉しむことにする」
そんなヤンフィの強気の宣言が、戦闘開始の合図となった。
別連載やってます。
宜しければ、そちらもどうぞご覧ください。毛色がまったく異なりますが……
魑魅魍魎の巣食う道
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