第五十九話 Raise/手札を揃える
長くなった……
ヤンフィの言葉を聞いた途端、そんなの不可能だ、とエイルが口を挟もうとしたのが判った。だが、もういい加減話の腰を折られるのはごめんだ。
ヤンフィは物申したい顔をしたエイルを手で制して、うんうん、と頷きながら続ける。
「汝が云いたいことは理解できる――じゃが、ひとまず聴くがよい」
ヤンフィは、黙って最後まで聴け、と全身から威圧を放ち、エイルとソーンに目配せする。
「順を追って話すぞ? 妾がこれから提示する方針はのぅ、云うてしまえば、ただの博打じゃ。目的が叶うかどうか、定かではない――じゃが、少なくとも可能性は零ではない」
トントン、とテーブルを指で小突いてから、パチンと指を鳴らす。するとテーブルのうえに、パッと硝子の小瓶が九つほど現れた。
小瓶の中は、ドロリとした青と緑の液体が入っていた。
ヤンフィは青い液体の小瓶を掴むと、ソーンとエイルに披露するよう持ち上げた。すると、ソーンがハッと何かに気付いて、驚愕の表情を浮かべた。
どうやらこの小瓶の液体が何か、ソーンには察しがついたらしい。
ヤンフィはニヤリと口角を吊り上げて、ソーンに肯定するような頷きを返す。
「これはのぅ、ソーンに用意させた材料で、妾が調合した回復薬二種類じゃ。青い方が、体力回復薬で、緑の方が、魔力回復薬じゃよ。どちらも効果のほどは、だいたい中級から上級の間かのぅ?」
ヤンフィはドヤ顔のまま、こともなげに云う。
けれど、それがいかに異常なことなのか、驚愕しているソーンはもちろん、エイルでさえも理解できたようだった。
ヤンフィの発言に、エイルはビックリして絶句する。
「うむうむ。好い反応じゃのぅ」
ソーンとエイルの反応は、まさに想定どおりだ。ヤンフィは、悪戯成功とばかりに満足げな笑みで頷いた。
ヤンフィが生きていた千年前もそうだったが、この時代でもやはり、回復薬の精製、調合は、永らく失われている技術のようだ。
「さて、妾の目的は云うた通り、コウヤの身体を――否、寝室で眠っておる人族の器を蘇らせることじゃ。ちなみに、それを成す為には、冠級魔術【蘇生】が必須となる」
ヤンフィは一旦、驚愕している二人の興味を本題に戻すべく、改めて目的の前提条件を口にした。
ソーンとエイルは、ヤンフィの台詞にハッとして、テーブルの上に置かれた回復薬から視線を上げる。そして、つまりどうするのだ、と疑問符を浮かべる。
だがヤンフィは二人の疑問符に対して、質問を投げかける。
「一つ問おう――エイルよ。汝は聖級までしか扱えぬが、逆にどうすれば、冠級である【蘇生】を扱えるようになるかのぅ?」
「……ぁえ? エ、エイルが……蘇生、を!? や、ちょ、そんなの、ム――」
「――無理、と云う台詞は吐くなよ?」
先回りして黙らせると、途端にエイルは困った表情になり視線を泳がせる。
――否定などさせない。否定の言葉は、口にするだけで可能性を潰す悪手のようなものだ。
あ、ぅ、と、エイルは二の句が次げずに押し黙った。
「ふむ。それでは、ソーンよ。汝ならば、どうするかのぅ?」
「あん? オレすか!? えぇ、と。聖女が、冠級を扱えるようになるには――ってことすか?」
「そうじゃ。汝が同じ立場であれば、どうするべきかのぅ?」
「んー、まぁ、現状、扱えねぇってんなら、扱えるようになるしかないでしょうね」
ソーンは沈黙しているエイルをチラと見てから、悩む素振りなく単純な回答をする。
「魔術なんてのは、筋肉と同じで、鍛えれば鍛えるほど、強くなるもんだぜ。実際、魔術適性の限界を超えるにゃ、鍛えるしかないし――つってもオレはそもそも、治癒系は当然、魔術属性の適性がほぼ皆無なんで、魔術自体ろくに扱えないから、どんだけ鍛えるのが難しいかは知らんけどよ」
ソーンは軽い調子で答えると肩をすくめる。その台詞に、エイルが蒼白と云っても過言でないほど血の気が失せた顔で、ヤンフィの様子を窺っていた。
用意された回復薬の数々と、ヤンフィの前振り、そしてソーンの台詞に、エイルはどうやら何を云われるのか察してしまったらしい。頭の回転はそれほど悪くないようだ。
ヤンフィはソーンの台詞に強く頷き、愉しそうに言葉を続けた。
「汝らに、ひとつ講義をしてやろう――魔術適性とは、属性適性と才能値の二つを指す。そしてどちらもソーンの云う通り、鍛えることで開拓することが出来る。ここで勘違いする輩が多いがのぅ……魔術適性は人それぞれであらかじめ限界、上限が定められており、それは死ぬまで変わることはないのじゃ。属性適性で云えば、【火】【水】しか適性がない者は、どれほど鍛えようとも、それ以外の属性は扱えぬ。また、才能値が【中級】の者は、やはりどれほど鍛えようとも【上級】の魔術は扱うことが出来ぬ」
ちなみに属性適性とは――【火】【水】【土】【風】の基本四属性と、【光】【闇】【無】の特殊三属性、【時空】の神秘属性、合計八種類の魔術属性に対して、それを行使できるかどうかの適性を示す。適性がなければ、その属性の魔術は扱うことが出来ない。
一方、才能値とは――例外枠の治癒魔術と、八種類の各属性ごとに定められており、威力や効果範囲、効果時間、操作難易度、詠唱の長短、消費魔力量などで厳密に区分されたランク【下級】【中級】【上級】【聖級】【冠級】の五段階のうち、どのランクまでを扱えるかを示す。当然ながら、秘めた才能値を超える魔術は、決して扱うことはできない。
これら二つの要素を合わせて、魔術適性と云う。
この魔術適性は、属性適性と才能値の掛け合いで高低を判断している。つまり、複数の属性適性があり、才能値が高いほど、魔術適性は高く有能となる。
「しかし、扱えぬとはいえ、鍛えれば鍛えた分だけ、威力や効果範囲は上昇するがのぅ――さて、ここからが重要じゃが、この魔術適性の限界はのぅ、神が定めておるのじゃ。エイルは知っとるじゃろぅ?」
ビクッと反応するエイルと、だからなんだ、と首を傾げるソーンに、ヤンフィはもったいぶった云い回しを続ける。
「人には限界があり、神が限界を定めておる。また定められた限界は、超えることが出来ぬ。じゃが神は例外を創るのが好きでのぅ――【聖女スゥ】は、【勇者】と同じで、その幾つかある例外の存在の一つじゃ――聖女の才能値には限界がない。あらかじめ定められていた才能値の限界は、神の都合で取り払われており、治癒魔術に限らず、あらゆる属性適性においても、実力さえ伴えば、冠級をも扱うことが出来る――じゃろぅ、エイル?」
ヤンフィの愉しそうな声に、しかしエイルはだらだらと冷や汗を流している。その視線は、テーブルの上に置かれた回復薬から、天井、ヤンフィ、と定まらずに泳ぎまくっており、まばたきが異様に多かった。
みなまで云わずとも、エイルにはもはやヤンフィの提案が完全に理解できているようだった。
だが一方で、ソーンはいまいちピンときていない様子で、つまり、とヤンフィに疑問符を投げる。
「ソーンの言が正解じゃ――鍛えるのじゃよ。治癒魔術を、のぅ」
「……あぁぅ、ぅ……そ、その……エ、エイル……頑張り、ますから……え、と……とりあえず、治癒魔術院で、怪我人を……」
ヤンフィがソーンに応えた直後、エイルは慌てた様子で立ち上がり、そそくさと部屋から逃げ出そうとした。
しかし逃げられるはずはない。
ソーンはエイルの右腕を捻り上げて、流れる動作で肩を抑えると、テーブルに押し倒した。
エイルは涙目になりながら、いやいや、と首を横に振っていた。
「才能値を底上げする方法は単純じゃ。①数をこなす――いまエイルが云うたように、怪我人を多く診ること。または②質の高い治癒をこなす――奴隷の箱に囚われておる連中を癒せれば、だいぶ経験になるじゃろぅ。それか③強い魔族を討伐すること――聖女はその特性として、格上の魔族を倒す、もしくは、魔族との戦闘で窮地に陥るほど、能力が覚醒しやすい。さて、当然知っておると思うが、いま云うた方法は、①よりも②が、②よりも③が効果的じゃ。なればこそ、短期間で治癒魔術を鍛え上げるには、必然、やるべきは③じゃろぅ? なに安心するが好い。妾とソーンがおれば、絶体絶命にはならぬ。多少の怪我をしようとも、魔力が枯渇しようとも、ポーションの準備も万全じゃ」
ヤンフィの台詞を聴いたエイルは、まるで死刑執行の宣言をされた囚人のような絶望的な顔になり、やっぱりぃ、と小さく嘆いてから、声を出さずに泣きだした。
「じゃがのぅ。一つ困ったことがある。強い魔族を討伐すると云うても、討伐する魔族は、魔貴族クラスか魔王属でなければ意味がない。ところが手頃な魔王属は居らぬ――さて、それではどうする?」
ヤンフィは涙目のエイルに愉しそうな顔を向けた。もったいぶったヤンフィの質問に対して、エイルはただただ嫌がっていた。
既にエイルは、ヤンフィの云いたいことを察している。
「――近場に、ちょうど地下迷宮があるのぅ? 妾が汝を見つけた場所じゃが、キングゴブリンが居たことを考えれば、より下層には、さらに凶悪な魔族が居るじゃろぅ?」
抑え付けられたエイルの身体が一瞬ビクリと跳ねる。その反応に、ソーンもようやく納得した様子で力強く頷いた。
「ああ、なるほど!! 強い魔族と戦う為に、地下迷宮【アビスホール】を攻略するってことか!? 確かにあの迷宮は、彼の三英雄たちでさえ攻略出来ていねぇ高難度の迷宮だ。しかも噂によれば、地下六十階より下層には、触蟲類や、天魔種の魔貴族が、フロアの門番として配置されてるって言うしな!」
嬉々として薀蓄を語るソーンとは裏腹に、エイルの顔色は蒼白だった。ヤンフィはそんなソーンの台詞を力強く肯定してから言葉を続けた。
「そうじゃ――まぁ攻略と云うよりも、強い魔族と戦ってエイルを鍛え上げるのが目的じゃがのぅ。必然、強者を探す過程で迷宮攻略は、することになるじゃろぅ。何らか役立つモノが手に入る可能性もあるしのぅ――さて、ここまで懇切丁寧に説明したからには、何故、剣士の格好なのか、理解できたかのぅ?」
「……ぅぅ……ぅ、わ、分かり、ませんよぉ……いや、ですよぉ……エイル、戦いたく、ないよぉ……」
「おいおい、聖女さんよ。女々しい――つか、そもそもテメェに拒否権なんざ存在しねぇ。ヤンフィ様の命令は、それすなわち決定事項だ」
調子に乗って同調してくるソーンを無言で睨みつけてから、ヤンフィは、めそめそと泣きじゃくるエイルに視線を合わせた。
エイルは恥も外聞もなく、駄々っ子がいじけるように、ただただ首を横に振りながら全力で拒否の意思を訴えている。
しかしソーンの言葉通り、エイルに同情はしても方針を覆すことなどしない。
「エイル、汝を鍛えるのは決定事項じゃ。嫌ならば、今すぐに【蘇生】を習得すればよい。ちなみに当然じゃが、時が経てば経つほど、コウヤの肉体――妾の人族の器が手遅れになってしまうからのぅ。それほど時間があるとは思わぬことじゃ。そうさのぅ――」
ヤンフィは云いながら、ビシッと指を二つ立てた。
「いまこの瞬間より、二日以内に、汝には【蘇生】を習得してもらう――それが出来ぬときは、残念じゃが死を覚悟せよ」
「ふ、二日っ!? ぅぇええ!? そ、んな……不可能、ですよぉ……それ、エイルに、死ね、って言ってるのと、同じ……」
「可能性は零ではない――云うたじゃろぅ。これは、博打じゃ」
ヤンフィは静かにそう告げてから、ソーンに顎を向ける。
ヤンフィの意図を察して、ソーンはエイルの拘束を解いた。もはやエイルは抵抗する気力を失っており、ぐったりとテーブルにうつ伏せていた。
「それと一つ、勘違いして欲しくないが――妾は何も、汝への嫌がらせでこんな無謀を命じているわけではない。妾とて悔しいのじゃ。汝如きに縋ることが、のぅ。じゃが他に、代償なしに確実な方法はない。そも、この博打に負けたならば、妾とて死ぬ覚悟が必要なのじゃ。汝と状況はそう変わらぬぞ?」
「……そ、んなこと、言っても……だって、これ……負け、確定、ですよぉ? エイルも……結局、死ぬ、じゃないですかぁ……」
「挑戦する前から、諦めることなぞ許さぬぞ? 人族は、諦めさえしなければ、たいてい奇跡の一つや二つ起こせるものじゃ――特に、汝のような神の加護を得た者ならば、なおさら、のぅ。だいたい汝にとって神の奇跡など、さして特別なことではないじゃろぅ?」
反論を許さない説得に、抗う気力を失ったエイルは、もはや悲しそうな呻き声を上げるのみだった。
ソーンはそんなエイルを見下ろしてから、大仰に肩を竦めて、ヤンフィの指示を待った。
「ふむ……とりあえず、大枠の方針は理解できたかのぅ? 次に、具体的な話をさせてもらう。ソーン、召喚の巻物を出せ」
ヤンフィはテーブルの回復薬をどかして、ソーンにちょいちょいと手招きする。するとソーンは、合点承知、と厚い胸板を叩いてから、古ぼけた紙の巻物を四つほどテーブルに置いた。
その巻物は触れるまでもなく、薄ぼんやりとした魔力を放っているのが見て取れる。
「これは、骸骨兵を召喚する魔法陣が描かれた巻物じゃ。雑魚ではあるが、汝の戦闘力を考えれば、充分に脅威足りうるじゃろぅ――聖女のような治癒魔術師とは、相性も好いしのぅ」
ヤンフィは巻物の一つを紐解いて、パラリとテーブルに広げて見せる。
巻物には、複雑な魔法陣と詠唱呪文が描かれており、魔力を注ぎ込めば、誰でも召喚の魔術が発動する仕組みである。
ソーンが取り寄せた召喚の巻物。
あまり一般では流通していない魔道具で、主に冒険者ギルドが、新人冒険者たちの実力試しや、冒険の入門で使用するものである。
召喚される魔族は【骸骨兵】のみ。しかも一つの巻物で五体しか召喚されない。そのうえ召喚された【骸骨兵】は武器を所持しておらず、迷宮などで遭遇するそれと比べると明らかに弱いという親切設計である。討伐ランクはEからDに相当する。
ヤンフィやソーンにとっては、目を瞑って素手で殺せる程度の雑魚だが、戦闘力のなさそうなエイルには充分脅威だろう。
とりあえず、この雑魚を独りで倒せるようになってから、一気にステップアップして魔貴族を狙う算段だった。
「さて、エイルには当面、二つのことをこなしてもらう。一つは【奴隷の箱】の中におる奴隷たちを、元に戻すこと。これは聖女としての治癒力の底上げが目的じゃ。それを為したあとは、この巻物から召喚される骸骨兵を、汝独りで討伐することじゃ。その間に、ソーンが地下迷宮を攻略して、強い魔族が現れる下層まで進む。迷宮の難度を考えれば、魔貴族が出てくる階層まで到達するには、丸一日は必要やも知れぬ」
「…………ぅ、ぇえ……」
ヤンフィの宣言に絶望的な顔と声で答えるエイル。一方で、ソーンが、はて、と首を傾げた。
「……なぁ、ヤンフィ様、つかぬことを聞きますが、オレが地下迷宮を攻略、つうと?」
「おい、ソーンよ。妾の許可なく、喋るなと云うたぞ?」
ヤンフィはソーンに殺気を込めた釘を刺す。ぅ、とソーンは押し黙り、反省したように頭を下げた。
「しかしそれは当然の疑問じゃろぅ――なに、言葉通りじゃよ。妾は迷宮攻略を手伝わぬ。丸一日の猶予を与えるので、ソーン独りで到達しうる限りの下層に往け。いかなる手段を用いても好い」
「――お? おお!? え、ええ、いいすけど……それだと、ヤンフィ様は?」
「妾は魔力節約と、エイルの監視をしておる――何か不満があるのか?」
ヤンフィは有無を云わせぬ威圧でソーンを睨みながら、エイルに目配せする。
エイルはヤンフィの視線にいちいちビクリと反応しているが、特に反論はせずに諦めた様子だった。
「いえいえ、不満なんざ、ひとつもありません! ならこそ、オレにどーんとお任せくださいっ!! ヤンフィ様のご期待に沿えるよう、ビックリするほど下層にお連れしますぜ!!」
ソーンは力強くそう言うと、よっしゃ、と独り気合を入れている。暑苦しいその様に冷淡な視線を向けて、ヤンフィはパンと手を叩いた。
「ふむ。それでは、妾とエイルは【奴隷の箱】に入るが――ソーンよ。【奴隷の箱】は内側からでは開けることが出来ぬ。むろん入ってしまえば、汝との会話も出来ぬ。じゃから、何かあった際は、すぐに妾を呼び出せ」
「――うす! 分かってますぜ!!」
「それと、きっかり時間を護るのじゃぞ? いまからちょうど一日経ったら、どんな状況じゃろぅと、妾たちを解放せよ」
「うっす!! 了解ですぜ!!」
ソーンの鬱陶しいほど元気の良い声に一抹の不安を覚えつつも、ヤンフィは【奴隷の箱】をソーンに投げた。
それを余裕でキャッチすると、ソーンは【奴隷の箱】の入り口を展開する。
奴隷の箱は、内側からでは扉を閉じることが出来ない。それゆえに、持ち運びする者が箱を展開する必要があるのだ。
「ああ、それとソーンよ。コウヤの身体――妾の人族の器も、箱の中に運び入れよ」
ヤンフィはそんな指示を出しながら、テーブルに置いていた道具を収納する。
「うす――なぁ、ちなみに、ヤンフィ様の身体って、結局、どういう状況なんだ? 二日以内に蘇生できなきゃ死ぬって、何が起きてるんだよ?」
「汝に説明する意味を感じぬ。汝はただ妾の命令に従って、地下迷宮の攻略を急げ」
コウヤをお姫様抱っこで運んできたソーンが、さりげない様子でヤンフィに問う。だがそれには当然ながら答えなかった。
――ソーンはどこか得体が知れない。
莫迦で素直、使い勝手が好いのは利点だが、正直、腹の底が見えないのが厄介である。
ソーンの真の目的、意図がどこにあるのか、ヤンフィはいまだに掴みかねていた。
(……コウヤに惚れた、と妾に媚を売る割りに、情報を出し惜しみする嫌いがあるしのぅ)
ヤンフィはソーンに胡散臭い視線を向けてから、テーブルで突っ伏して、しくしくと泣きべそを掻いているエイルを、異空間に無理やり放り込んだ。
放り投げられたエイルに続いて、ソーンもコウヤの身体を丁寧に中に運び込む。
「さて、ソーンよ。それでは後は任せるが――くれぐれも妾の期待を裏切る真似はするなよ? 汝に期待することは二つ。地下迷宮を素早く攻略すること。そして、丸一日が経過した段階で妾たちを解放すること。よいな?」
念押しとばかりに釘を刺してから、ヤンフィも異空間の中に入った。
「――かしこまりましたぜ!! ご安心を!!」
元気の良い返事がしてから、異空間の入り口が閉ざされる。途端、当然明かりの類がない【奴隷の箱】の中は真っ暗闇になる。
暗視できるヤンフィには、さして問題などないが――
「…………ぅぅぅ……暗い、よぉ……」
不意に、床に転がって丸まっているエイルが、めそめそとした声を上げた。
光の魔術で周囲を照らせばよいものを――と、ヤンフィは思わず舌打ちをした。その舌打ちを耳にしてか、エイルの身体がビクッと震える。
仕方ないのぅ、とヤンフィは無詠唱で光の魔術を展開した。
「ほれ、エイルよ――いつまでも泣いておるでない。時間は有限じゃ」
「……ぁぅ……」
ヤンフィの魔術により、真っ暗な世界に光が点る。パァと明るく周囲が照らされて、エイルは渋々と身体を起こした。
「さて、エイルよ。早速じゃが、そこに転がっておる天族を優先的に癒せ。天族以外は、とりあえず後回しじゃ」
起き上がったエイルに、ヤンフィは鋭い口調で命令した。
エイルは、ぁぅ、とまた弱々しい音を漏らすと、きょろきょろと周囲を見渡していた。そして、一際目立つ容姿の天族に目を付ける。
彼女は、光を浴びて輝くような美しいプラチナブロンドの長髪をしており、天族の中でもかなりの美形だった。エイルは溜息交じりに、その天族に近付く。
「ほれ――【精神石】じゃ。好きなだけ使え」
「あ……あり、がとう、ございます」
ヤンフィはエイルの足元に、精神石を放り投げる。コロコロと、床に石がばら撒かれた。
エイルはそれを幾つか拾うと、祈りを捧げるような仕草で石を握り締める。瞬間――握り締めた手の中から優しい橙色をした光が溢れ始める。
「…………神よ、我に……奇跡を……救える命を……救わせ給え」
エイルの全身を橙色をした光が包み込む。周囲の温度が少しだけ暖かくなった。
エイルは祈りの姿勢のまま、ボソボソと言葉を紡いていた。だがそれは治癒魔術の詠唱ではなく、魔術的には意味の成さない祈祷の台詞である。
その台詞に呼応するように、握り締めた精神石が一際、強い魔力を放出し始める。
(……神の奇跡、のぅ……)
ヤンフィはその光景を胸糞悪い気分で眺めながら、どこからともなく肘置きのある椅子を顕現させて、そこに胡坐で座り込んだ。
この治療はそう簡単には終わらない。一人癒すのでさえ、長丁場になるだろう。
奴隷化の禁術――胎内に瘴気を孕ませることで、対象者の精神を破壊する魔術だ。またそれは、精神だけでなく魔力核をも汚染して、生物が本来持っている魔力を喪失させる。同時に、瘴気は思考力を奪い去って、生物をただの肉人形に貶めるのだ。
これを癒すには、三つの工程が必要である。
一つ目、元凶である瘴気を取り除く――これは、聖級治癒魔術全異常治癒で治癒できる。
二つ目、魔力核の復元――【魔力贈与】か、聖女が擁する奇跡【魔力再生】により、汚染された部分を上書き、作り変えることで治癒できる。
三つ目、精神の復元――精神の呼び戻し、とも云われるが、破壊されて砕け散った精神の欠片を、全て掻き集めて繋ぎ合わせ、修繕することで治癒できる。
この三つの工程のうち、三つ目、精神の復元が、非常に時間が掛かり困難な治癒作業である。
粉々の破片状になった目に見えない精神――心の欠片を集めて、正しく繋ぎ合わせるのだから、パッパッとできるはずはない。精神の復元は、一つ誤るだけで、もはや元の人間に戻れなくなる。
そんなことをボンヤリと考えていると、エイルの身体が眩い白光を放ちだした。右腕に宿っている【生命の杖】が活発化しており、聖女としての魔力が全身から溢れ出していた。
今回は、魔力の暴走が起きる気配はない。一度暴走を経験したからか、漏れ出す魔力の出力を絞り、余った魔力を空中に拡散させることで、なんとか魔力を操作していた。
「――――秘めた才能は見事じゃが、これに実力が伴っておれば、のぅ」
ヤンフィはエイルの後姿を眺めて、ふとそんな呟きを漏らす。
エイルの魔力総量は、現時点で、明らかにタニアを超えている。それほどまでの魔力を持っていながら、しかし魔力操作はあまりにも雑だった。もったいないほど魔力を無駄遣いしている。
しかもエイルは、聖女の能力を十全に理解できておらず、授けられた能力を持て余している。
もっと精密な魔力操作が行えるようになれば、もしくは聖女として覚醒すれば、すぐにでも冠級を扱うことが出来るだろうに――
(――さりとて、魔力操作の上達も、聖女としての覚醒も、たった二日では期待できぬ。可能性は零ではないとは云えのぅ)
ふむ、とヤンフィは腕を組んで、死んだように眠っている煌夜の身体を眺めた。
煌夜の身体はいま生きている。聖女の清廉な魔力を与えられたおかげで、新しい活力、生命力を吹き込まれている。
だがその肉体には、煌夜の魂は入っておらず、また魔力核も存在していない。それが故に、煌夜は目覚めることが出来ずに昏々と眠っている。
煌夜を起こすには、煌夜の魂と魔力核を肉体に戻せばそれで事足りるのだが、しかし――
(――聖女の魔力で癒されてしまった肉体には、半ば妾の魂と同化しておるコウヤの魂や、魔力核は、もはや定着できぬしのぅ……かといってこのままでは、コウヤの魂は妾の魂に呑まれてしまう。そうなったらもう、蘇生を使っても蘇らせることが出来ぬじゃろぅ)
ヤンフィは悔しそうに歯軋りしながら、拳をきつく握り締めた。
この博打に勝てないと、煌夜が死ぬ。だというのに、この博打に勝つ為には、エイルの可能性に頼らざるを得ないとは――自らが招いた結果とはいえ、歯痒くて仕方なかった。
「……あ、あの……ヤンフィ、さま? え、と……天族だけ、癒せば……いいんですか?」
ヤンフィが思考に没頭していたとき、ふとエイルが振り向かずに声を掛けてきた。
「――そうじゃが、集中せよ。失敗しても、無駄に時間を掛けても、殺すぞ」
「ぅぅ……わ、分かってますよぉ……でも、ど……どうして、天族だけ、なん、ですか?」
珍しくもエイルが質問を続けてきた。
ヤンフィは一瞬だけ黙考して、別段秘密にする必要もないか、と包み隠さず語ることにする。
「汝が【蘇生】を習得できぬ場合の保険じゃよ。エイルは、天族の特性を知っておるか?」
「…………どの、特性、ですか?」
「純血の個体に限り、個体ごと異なる超能力を持つことじゃ――超能力によっては、コウヤを癒すのに役立つ能力があるやも知れぬ」
純血の天族は、個体ごと固有の超能力を持っており、それは攻撃的なものから、補助的なものまで様々である。その超能力の中には、神の奇跡に匹敵する能力もあるし、まったく役に立たない能力もある。
ヤンフィはそんな超能力に、一縷の望みを託していた。
「とはいえ、じゃ。それほど都合良く、役立つ超能力があるとは思わぬがのぅ――――もし役立つ超能力がなかったとしても、亜種に転生させてしまえば、冠級の治癒魔術を扱えるようになるやも知れぬ」
ヤンフィはさらりと本音を漏らす。そういう意味でも、天族は保険である。
本音の呟きを耳にして、エイルは、ふぁぇ、と素っ頓狂な声を上げた。
亜種に転生するのは、天族が持つ非常に有名な特性の一つだ。天族は、強い負の感情を持ったまま絶命することで、低確率だが亜種に転生する場合がある。
ヤンフィはその特性をむしろ、役立つ超能力を引き当てる以上に保険と考えていた。
亜種――魔貴族か魔王属に転生させれば、もしかしたら冠級の治癒魔術を扱える脅威の存在になるやも知れない。
(じゃが結局、どう転ぼうとも、博打でしかないがのぅ)
保険と云った割に、どれもこれも確実性のない博打でしかないことに、ヤンフィは心の中で自嘲する。
「……ぇ、ぇえ? ちょ、ちょっ……すみませ、ん……亜種に、転生、って……助けたのに、殺す……ってこと、ですか?」
エイルが慌てた様子で、聞き間違えですよね、とヤンフィに確認してくる。だがヤンフィは、間違えていないと断言した。
「そうじゃ。妾の目的は、コウヤを蘇らせること――それ以外のことは瑣末じゃ。コウヤを蘇らせる為ならば、天族の命なぞどうなっても構わぬ」
「…………うぅ、ぅ……」
ヤンフィの本気の速答に、エイルは息を呑んで押し黙った。瞬間、少しだけ祈りの集中が乱れたようだったが、何とか立て直しは出来たようだった。
ふむ、と頷いてから、ヤンフィはふたたび自らの思考に没頭する。
それからしばらく沈黙のまま時が進み、ふとエイルの纏っていた光が霧散する。
ヤンフィの体感でおよそ三時間強か――どうやらようやく、一人目の天族が治癒できたらしい。
(さて、果たして無事に治癒は成功しておるかのぅ? これで成功していなかったとしたら問題じゃが――そも成功していたとて、この調子では残りの天族全員を癒すのに、半日では足りないかも知れぬのぅ)
ヤンフィは疲れきったエイルを見て、まず真っ先にそんな感想を思った。
「……ぁぅ、ぅ……や、やっと、一人……っ、ぅ……」
エイルは疲れきった声を上げて、その場にパタリと倒れ込んでいた。まだ一人目だが、そうとは思えないほど疲労困憊状態である。
「――――ぅぅ? あ、れ……? ワタクシ……何が、どうなったの、かしら?」
一方で、エイルのおかげで回復した天族の女性が、倒れたエイルとは裏腹に半身を起こした。
天族の彼女は、能面のような無表情で周囲をキョロキョロと見渡す。長く鮮やかな白金の髪と、タニアほどの巨乳ではないが、それなりに大きい胸が揺れていた。
「エイルよ。倒れている余裕はないぞ? この調子では、治癒の速度を上げねば、時間が足りないじゃろぅ――さて、それはそれとして、天族の娘よ。汝、名は何と云う?」
まだ一人しか治癒していないと云うのに、程好く達成感を得ているエイルに辛らつな釘を刺してから、ヤンフィは天族の女性に顔を向けた。
「――――唐突に、何かしら? そもそも、貴女は誰かしら?」
しかし天族の彼女は、感情の見えない無機質な表情のまま首を傾げて、ヤンフィに問い返す。
はっきりとした目鼻立ちで人形のように整った美貌だが、その無表情は、まったく感情が見えず温度を感じさせなかった。
「何、ではない。妾は、汝の命の恩人じゃよ――――まぁとりあえず、意識はハッキリしているようじゃのぅ」
「命の、恩人? 貴女が、かしら? それはどういう意味――――ぇ?」
ヤンフィの威圧にもまるで臆することなく話していた天族の女性は、ふと唐突に、無表情だった顔に驚きを浮かべて、パチパチと瞬きを繰り返した。
あれ、あれ、そんな、と呟きながら、しきりに視線を泳がせる。
うそ、まさか、と驚きの表情に恐怖を浮かべると、全裸の自分を見下ろして、周囲の同族を見渡して、ヤンフィとエイルを見比べてから、あ、と絶句する。
「ふむ、自らの置かれていた状況を思い出したのかのぅ? 囚われて、さんざ陵辱されていた汝を救い出したのが、妾じゃ」
そんな天族の女性に、ヤンフィは恩着せがましい口調で告げた。
天族の女性はヤンフィに応えず、ふるふると首を振って、自身の身体を強く抱きしめる。同時に、その表情が見る見ると青褪めていく。
「……あ……あ……あ、ぅ……ワ、ワタクシ……」
「ひとまず自己紹介しておこう。妾は、ヤンフィ、と云う――おい、エイル。汝はサッサと次の天族を治癒せぬか」
「……ぅぅ、ぁぅ……は、い……」
混乱している天族の女性の様子などお構いなく、とりあえずヤンフィは簡単に名前だけ告げて、倒れているエイルに発破をかけた。
エイルはグッと奥歯を噛み締めながら、不承不承と身体を起こして、近くに倒れている長い黒髪をした天族の女性に近付いた。
「さて、天族の娘よ。一旦、気持ちが落ち着くまで、名乗らずともよいぞ」
ヤンフィはエイルが次の治癒に取り掛かったのを見てから、視線を天族の女性に移す。すると途端、ハッとした様子で名乗りを挙げる。
「っ――!? ワタ、ワタク――コホン。ワタクシは、ディド、と申しますわ」
天族の女性――ディドは名乗るが否や、食い掛かるような勢いでヤンフィを見詰めた。
「貴女のことは――ヤンフィ様、とそう御呼びしても、宜しいかしら?」
ディドの台詞には、どうしてか有無を云わせぬ迫力があった。思わずヤンフィは気圧される。
「う、うむ。好いぞ、許可しよう」
「ありがとうございます、感謝いたしますわ――――ところで、そちらで寝ておられる御方と、ワタクシを癒して下さったそこの剣士の方、お名前をお伺いしても宜しいかしら?」
つい先程まで顔を青白くさせていたのが信じられないほど、まるでスイッチが切り替わったように、ディドは無表情になり煌夜とエイルを手で示す。
そんなディドに、ヤンフィは満足げな笑みを浮かべた。
従順であればあるほど、ヤンフィにとっては都合がよい。これで超能力が有用であれば、なおのこと好ましいのだが――果たして。
「剣士の格好をしておる女は、エイル、じゃ。ちなみに剣士ではないぞ。それと、寝ておる青年は、コウヤと云う。汝を救出したのは妾じゃが、救おうと云い出したのは、このコウヤじゃ。必然、コウヤが云わなければ、汝たちは助からなかったぞ?」
「承知しておりますわ。覚えておりますもの、あの光景を――――颯爽と現れて、ワタクシやクレウサを穢していた屑を、美しい剣舞で救い出してくれた勇者様ですわ」
ディドは無表情ながら、その薄い青色をした双眸を潤ませて、熱い視線を煌夜に向けている。
「――コウヤ様、と仰るのですね」
ほぅ、と熱っぽい吐息を漏らすディドに、ヤンフィは力強く頷いてから、チラとエイルに顔を向ける。
エイルは息も絶え絶えに、ヤンフィとディドのやり取りなど我関せずと、一心不乱に黒髪の天族の治癒に集中していた。
ヤンフィはディドに向き直ると、ところで、と口を開く。
「ディド、じゃったか? 汝は純血の天族か?」
「ええ、純血ですけれど――それが何かしら?」
「ふむ。であれば、汝はどんな超能力を保有しておる?」
「――それは、天族が他者に己の超能力を明かさないことを理解したうえでの問いかしら?」
「むろん。理解した上じゃ」
ヤンフィの即答に、ディドがゆっくりと顔を向ける。
「ワタクシ、クレウサと双子ですわ。なので、二人揃って発動する特殊な超能力が一つと、ワタクシ固有の超能力があります――どちらを知りたいのかしら?」
ディドはどこか人を試すような口調で問う。
ヤンフィは『クレウサ』と云う単語に疑問を浮かべつつも、その問いに不愉快そうに答えた。
「妾は、汝が保有する超能力を訊ねたのじゃ。複数所持しておるのであれば、当然、全て応えよ」
「かしこまりました――けれど、それはコウヤ様がお目覚めになられてからでも宜しいかしら? ワタクシ、コウヤ様に助けて頂いたお礼を申し上げたいのです」
ディドは穏やかな口調ながらも、ヤンフィに視線も向けず断言した。そこには一切譲る気は感じられなかった。
それに対して、ヤンフィは残念そうな顔で首を振る。
「残念じゃがコウヤはいま、先の戦闘の影響で、危篤状態じゃ。寝ているように思えるが、魂と魔力核が定着しておらぬ」
「――――なっ!?」
ヤンフィの台詞を聞いた瞬間、そんな顔も出来るのかと思うほど、ディドは衝撃の表情を浮かべた。
そして、慌てた様子で煌夜の身体に駆け寄って、ペタペタとその顔を触り、信じられない、と小さく呟いていた。
だがそれは事実だ。
「た、魂と、魔力核が、定着していない、とは……いったい、どういう状態、かしら? ワタクシ、治癒系は不得手で、詳しく知りませんけれど――状態は、良好に思えますわ」
「外見だけはのぅ。いまのコウヤは、精神を構成する根幹の要素、魂と魔力核の二つが、肉体を離れておる状態――要は精神が死んでおる状態じゃ。肉体が生きておっても、それでは生者とは云えぬ」
ヤンフィの淡々とした語りに、ディドは悲痛な表情を浮かべて絶句した。
「――コウヤを蘇らせる為に、妾は様々策を講じておるわけじゃが、汝の超能力はなんじゃ?」
眠っている煌夜を見詰めるディドに、ヤンフィは改めて質問をした。
ディドはようやく顔をヤンフィに向けると、フッと感情を失ったように無表情になり、逆に問い返してきた。
「答えるのは吝かではありませんけれど――その前に、ヤンフィ様は何者かしら? コウヤ様とのご関係性はどのような? ワタクシが言うのもどうかと思いますけれど、見た目からでは、御兄妹には思えませんけれど?」
「……妾の質問に、質問で返すとは気に食わぬが――好かろう。応えてやる」
ヤンフィにしては珍しく、ディドの問いに素直に応じた。
「確かに兄妹ではない。妾はこれでも魔王属でのぅ。とある迷宮に封印されておったところを、コウヤに助けられた恩がある。コウヤとの関係は、主従――むろん、妾が従者で、コウヤが主人じゃ。妾はコウヤに使役されておる」
ヤンフィのその回答に、ディドは、ほぅ、と吐息を漏らして、感心げに煌夜を見て頷いた。
「――それで? もったいぶっておる汝の超能力について、そろそろ説明してくれるかのぅ? 当然じゃが、双子の『クレウサ』とやらのことも説明せよ」
「ええ、かしこまりました」
ディドは全裸のままスッと立ち上がり、騎士が王にそうするような仕草で、ヤンフィの前に傅いた。
「――改めて、助けて頂いた御礼を申し上げると共に、名乗らせて頂きますわ。ワタクシ、エイル様がいま治癒している天族――クレウサの双子の姉で、ディドと申します。バルバトロスと名乗る反逆者を抹殺すべく人界にやってきました。ところが、志半ばであの邪悪な魔術師に捕まり、囚われておりました」
頭を下げたまま、エイルが治癒している長い黒髪の天族を指差した。
双子、と聴いて、ヤンフィは長い黒髪の天族――クレウサの顔をマジマジと眺めた。クレウサも美人ではあるが、造形から何から全く似ていなかった。
けれど、ディドに嘘偽りはない様子だ。
(……まぁ、姉妹で外見が似ていないことなぞ、よくあること、か……)
ヤンフィは懐かしむように頷いて、とりあえず納得した。すると、ディドが言葉を続ける。
「さてところで、ワタクシの固有能力ですが――【次元跳躍】ですわ。距離に関係なく、目印を刻んだ地点に一瞬で移動する異能ですわ。使用限界は、二十時間に一回。最大二人まで。目印は三つまで設定可能。現状目印は、故郷である天界と、とある山岳地帯に設定していて、三つ目が未設定ですわ」
「次元跳躍、のぅ……あまり役に立たぬのぅ」
ディドの異能は、能力的には破格だ。距離に関係なく一瞬で移動できるとは、まったく規格外な特殊能力である。
しかし残念ながら、それでは煌夜を助けることは出来ない。
その残念な気持ちから、ヤンフィはボソリと呟いていた。ディドは慌てた様子で言葉を続ける。
「た、確かに、次元跳躍は、望む地点に転移できるような万能な異能ではありませんし、使用制限も厳しいものですわ。けれど使用に代償はありませんし、もう一つの超能力と組み合わせれば、より強力になりますわ!」
ディドは胸に右手を当てて、左手でクレウサを示しながら、必死の声で主張する。
ふむ、とヤンフィは頷きながら、ディドの全裸を下から上までサッと眺めた。
エイルと比べて少し凹凸が物足りないが、充分魅力的な身体だろう。程よい大きさの胸も、キュとしまったくびれも見事なものだ。ちなみに、生まれたての赤ちゃんの如く、全身まったく毛がなくツルツルだった。
「クレウサと同期して発動する超能力――【共振増幅】。それを使用すれば、次元跳躍の使用上限はなくなりますし、最大六人まで移動できますわ。目印の数は増えませんけれど、空いている三つ目に現在地を設定すれば、目的地と何度でも行き来することが可能となりますわ!」
――と、ディドの身体を眺めることに集中していたヤンフィだったが、力説された内容に意識を戻す。
視線をディドの身体からその無表情に移して、詳しく話せ、と命じた。
「ええ、ワタクシの次元跳躍は、ランクアップすれば、何の代償もなく連続――」
「――違う。妾が知りたいのは、汝の固有能力ではなく、汝の双子、クレウサと同期して発動できると云う【共振増幅】とやらじゃ。それは何じゃ?」
ディドが嬉々として話し始めた腰を折って、ヤンフィは鋭い視線で問うた。
ディドは、あ、と出鼻を挫かれたような声を出してから、溜息一つ、クレウサを見て口を開いた。
「ランクアップ――ワタクシとクレウサでしか発動できない超能力ですわ。効果は、対象者のあらゆる能力を上昇させること。効果時間は十分前後と短時間ですけれど、ランクアップすれば、身体能力や魔力、のみならず、対象者の異能も含めて、威力や効果が一段階向上いたしますわ」
ヤンフィは椅子から立ち上がり、素晴らしい、とディドの肩を掴んだ。
「まさに妾が求めていた超能力じゃ――それはつまり、魔術適性も向上すると云うことじゃろぅ?」
ヤンフィはいきなりの当たりに心を躍らせて、予期せぬ幸運に目を輝かせた。
ディドはヤンフィのその剣幕に一瞬驚きを見せたが、すぐに冷静な顔に戻ると、少しだけ首を捻る。
「魔術適性の向上と仰いますと――例えば、属性適性が増える、であったり、才能値のランクが上昇する、と言うことかしら? 言い換えれば、妖精族と交わることで得られる恩恵――魔力共有のような効果を仰っておられますか?」
「そうじゃ。ランクアップ状態になれば、聖級までしか扱えぬ者が、冠級を扱うことが出来るようになるのじゃろぅ?」
「――申し訳ありませんけれど、それは不可能ですわ。誤解なさらないで欲しいですけれど、ヤンフィ様の仰るそれは、魔術適性の向上、ではなく魔術適性の限界の超越ですわ。ランクアップの効能に、才能上限の底上げはないかしら」
淡々と応えたディドに、なに、とヤンフィは苛立ちの表情を浮かべた。
ついつい強烈な威圧まで放ってしまったが、ディドは何の動揺も見せず、期待に沿えず申し訳ありません、と頭を下げた。
「けれど、ヤンフィ様。威力や効果の向上幅は、本当に凄まじいものですわ。冠級でなくとも、冠級と同程度のことは出来るように――」
「――もうよい。それで、クレウサとやらの超能力は何じゃ?」
ディドの弁明を遮って、ヤンフィはとりあえず気持ちを落ち着かせて切り替えた。
冷静に考えれば、こんな簡単にヤンフィの望む幸運が舞い込んでくるはずはない。そんな出来すぎた展開は起き得ないだろう。
(……ぬか喜びじゃったが、無意味な能力ではないしのぅ)
要は使い方次第だろう。エイルの実力が伴えば、蘇生を詠唱する際にランクアップして、その成功率をわずかでも上昇させるのが有効的だ。
ヤンフィはそう納得してから、治療を続けるエイルと、治療されているクレウサを眺める。
「クレウサの固有能力は、同化、ですわ。対象者の肉体に溶け込むことで、クレウサの能力を全て、対象者に貸し与えることが出来る、かしら。同化した対象者とは意思疎通可能。けれども、対象者の意思に介入することは不可ですわ。単純に、能力の譲渡、と考えて差し支えないかしら」
ディドの説明に対して、ヤンフィは、そうか、と小さく頷くだけで押し黙った。
能力としてはディド同様に規格外であるが、それでも現状、ヤンフィが欲している能力ではない。
「…………のぅ、ディドよ。ほかの天族たちの能力はどうじゃ?」
ヤンフィはひどく落胆した表情を隠しもせず、もはやクレウサになど興味ないと視線を切り、ほかの四人の天族を見渡した。
ディドはヤンフィの視線を追うように、倒れている天族たちを順繰りに眺めて、ふるふると首を横に振る。
「申し訳ありませんけれど、ワタクシ、彼らのことは存じませんわ。お名前も、出自も、能力も――分かることと言えば、彼らは、ワタクシとクレウサが囚われるもっと以前から囚われていた、ということかしら」
ディドの言葉に、そうか、と頷き、ヤンフィはふたたび椅子に腰を下ろす。
(ふむ、しかし気落ちしても仕方ないのぅ……まだ天族は、四人居るわけじゃし。そもそも端から、天族なんぞ亜種に転生させる前提じゃしのぅ)
ヤンフィは、目の前に傅いたままのディド、エイルに治療されているクレウサ、それ以外の倒れている天族の男女四人を見渡して、ふぅ、と静かに溜息を漏らす。
さて、とりあえず心を落ち着けて――エイルが聖女として覚醒することを期待しつつ、今後の予定を綿密に計画しようか。
ヤンフィは沈黙したまま腕を組んで、ふたたび自らの思考に没頭した。
2019/06/16 タイトル変更。