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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第七章 岐路
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第四十九話 VSエルネス・ミュール/煌夜&ヤンフィ・ソーンSide

 

 廊下を駆けるヤンフィの耳に、複数の女性が艶かしく喘ぐ声が聞こえてくる。

 それらの声は、正面突き当たりの扉に近付くにつれて大きく鮮明になってきて、段々と獣じみた男性の雄叫びも混じり始めた。


「――――雑魚が四人、と云うたところかのぅ」


 ヤンフィは扉の前で足を止めて、内側の気配を探りながら右手の紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)を素振りした。

 首をグルリと回して、気持ちを落ち着かせるように深呼吸する。

 扉の中からは、獣じみた息遣いと、馬鹿騒ぎの声が響いてくる。中で何が行われておるかを想像するだけで、胸糞悪く吐き気がする。


「ふむ……なるほどのぅ。ここに、結界――それも認証結界か。珍しいのぅ。まぁ、二重の意味で妾には意味がないがのぅ」


 目の前の結界を前に、ヤンフィはついつい失笑した。

 これがソーンの言っていた【従魔の腕輪】で素通りできると言う結界魔術だろう。


(――結界? 結界が張られてるのか?)


 扉の前で止まったヤンフィに、煌夜が疑問の声を上げる。

 問題なのか、と不安げな声だ。だが、ヤンフィはそれに首を振って、軽い口調で答えた。


「うむ。かなり特殊な結界がある。じゃが、破る必要はないのぅ。妾ならば、素通りじゃよ」


 ヤンフィはそう言って、扉のノブに手を触れる。瞬間、結界魔術は正しく機能して、一瞬だけパチと電流を走らせると、触れた相手を認証した。

 そして、それ以上何も起きない。


 その扉に施された結界とは、特定の条件を満たす者以外の侵入を阻み、拒絶する結界魔術だった。

 認証結界とも呼ばれる魔術で、比較的容易に組み上げられるものである。ただしこれが特殊なのは、時空魔術と合成している為に、力ずくで突破すると、空間が捻れて無限回廊に変わる設定になっていることだ。つまり強引に結界を破ろうものならば、これ以上先に進めなくなるのである。

 また当然、破れば警報が鳴り響き、侵入者の存在を即座に知らせるようにもなっている。

 そして、この結界の質を見るに、非常に優秀な結界魔術だった。術者以外では、警報を鳴らさず解除することは出来ないだろう。


 しかしこの結界、ヤンフィにとっては破るまでもなかった。

 何故ならば――この進入の条件というのが、魔貴族以上の魔族の波長なのである。と言うことは、魔王属であるヤンフィは条件を満たしていた。

 なるほど、だから【従魔の腕輪】が必要なのか―ーと、ヤンフィは納得しつつ、深呼吸をした。


「ふぅ、さて――コウヤよ。心の準備をせよ。この先で、何を見ても我を見失うなよ。汝の感情が爆発すると、身体のコントロールがぶれるからのぅ」


 ヤンフィは煌夜にそう忠告して、扉の内側に意識を集中した。耳障りな喘ぎ声を聞き流して、内側の気配を確認する。

 恐らくここから先の戦闘は、一瞬の判断ミスや躊躇が命取りになりかねない。


(それにしても――これはちと想像以上じゃのぅ。最悪、妾本来の姿で相手取らなければならぬかも知れぬのぅ……)


 ヤンフィは扉の内側にある二つの巨大な魔力を感知して、冷や汗を流しながらそう思考した。


 二つの魔力のうち一つは、覚えのある魔力――エルネス・ミュールで間違いない。

 脅威的な魔力ではあるが、この程度ならば、本気のヤンフィには及ばない。

 だが問題は、もう一つの魔力である。

 恐らくはこの魔力が、魔道元帥ザ・サンのものだろう。エルネスよりも強大で、魔王属に似た気配をしている。

 ――これほどの魔力を持つ敵だと、前提として、煌夜の身体で戦うのは厳しい。

 白竜ホワイトレインと戦った時のように、煌夜の身体を【無銘目録】に収納して、ヤンフィ本来の姿で戦わなければならない可能性が高い。

 ヤンフィは静かにそんな覚悟を決めると、全身に魔力を漲らせて、ノブを回すと同時に扉を蹴破った。


「ハッ――なっ!? 侵入者!? 結界は!?」

「破られてないぞ!? そんな馬鹿なっ!! どうやって!?」


 蹴破って入った扉の先は、壁の一面が鏡張りになっている四角い部屋だった。

 その広さはおよそ三十畳ほどか――不衛生な石床に巨大な魔法陣が刻まれており、それが淡い光を放っていた。

 光を放つ魔法陣の上には、全裸でグッタリとした女性が四人倒れており、彼女たちは鏡張りの壁から伸びている鎖に繋がれていた。

 鏡張りの壁からは他にも六つの鎖が伸びており、その先には同様に、全裸の男性が四人、女性が二人繋がれている。彼らは全員、虚ろな視線をして部屋の隅で丸まっていた。その様子からは、意志があるようにはみえない。

 部屋の中は、娼館と間違うほど強烈な饐えた匂いが充満していて、その匂いに混じって、排泄物の異臭も漂っていた。

 思わず顔を顰めるほどの臭いと、その想像通りの光景に、ヤンフィは吐き気を催した。


 さて、そんなヤンフィの闖入に、上半身裸で椅子に座って寛いでいた屈強な体躯の兵士三人が、慌てた様子で身体を起こした。

 彼らは傍らに置いてあった各々の武器を手にとって、ヤンフィへと向き直る。

 一方で、救いの主ともいえるヤンフィが闖入したにも関わらず、魔法陣の上の女性たちはなんの反応も示さなかった。虚ろな双眸で恍惚とした表情を浮かべ、倒れ伏したままだった。


「汝ら、苦しまず死ねることに感謝するが良い。『最速にして、不可視の飛刃――雨燕(あまつばめ)』」


 ヤンフィは部屋の中を鋭く一瞥してから、武器を片手に襲い掛かろうとしている三人に向けて剣を振るう。

 兵士たちとの距離は5メートル以上で、完全に刃圏の範囲外だったが、ヤンフィの剣技の前にはあまり関係がなかった。


「このガキが、死に――ぅぁ」


 いち早く一歩を踏み出せた男が、しかし二歩目を踏み出す前に絶命した。

 ヤンフィの振るった飛ぶ斬撃が、男の胴体を二つに切り裂き、衝撃そのまま鏡張りの壁まで上半身を吹き飛ばす。べちゃ、と嫌な音が鳴り、遅れてコントロールを失った下半身が、床に血の池を作り出す。


「「――――は?」」


 拍子抜けしたような素っ頓狂なハモリ声が、部屋の中が響いた。それは胴体を両断された男の仲間たちの声であり、同時に、他の二人の断末魔となる。

 兵士二人が仲間の死で驚愕してビクンと身体を硬直させた一瞬――思考を停止させたその一秒に満たない隙に、ヤンフィは流れる動作で剣を振るい、その首を刎ね飛ばした。


「他愛ないのぅ……準備運動にもならぬ」


 瞬く間に三人を切り伏せたヤンフィは、吐き棄てるように呟いてから、紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)の刃を寝かせて、肩の高さで水平に構えた。

 ヤンフィのその呟きに遅れて、首なし死体となった男たちの身体がバタリと床に倒れ伏す。死体は頚動脈を切断された影響で、大量の血液を撒き散らしながら、床の魔法陣を赤く染め上げた。

 そんな惨劇を前にして、けれど鎖に囚われている十人の男女は、やはり何の反応もなく呆然としていた。

 彼らには明らかに自我がない。しかも、魔力も希薄――と言うより、生命維持に必要なだけの極微弱な魔力しかないようだった。


 ふむ、とヤンフィは小さく頷き、彼らの状態がソーンの言葉通りであることを確認した。

 彼らは、奴隷化の禁術を施された、肉人形――自我が壊された廃人状態だった。


 そんな彼らの哀れな様子を目にして、煌夜の心が怒りで真っ赤に染まっている。

 言葉にならない激情と、声にならない憤怒――その強烈過ぎる感情の波に、身体のコントロールが引っ張られて、ヤンフィの反応が鈍くなっていた。

 この状態では、ヤンフィは煌夜の身体を十全に使いこなせない。


(……コウヤよ。見たところどうやら、異世界人と云うのは天族と獣族のようじゃのぅ。人族は、一人だけ居るが……少々、汝とは毛色が違うようじゃぞ?)


 ヤンフィは構えを解かずに、視線だけを部屋の中にいる全裸の人間たちに向けた。

 もはやこの場で生きている人間たちは、全員、鎖に繋がれている男女だけだ。順当に考えて、彼らが囚われの異世界人だろう。


(――天族、って何だよ?)


 怒りに震える声で、煌夜がヤンフィに問い掛けた。

 ヤンフィの視線の先で血に塗れて倒れている女性は、何処からどう見ても、何の変哲もない人族に見える。

 長い黒髪をして、肌は白く、顔立ちはおしとやかな印象をした和風美人だ。


(ほれ、あの背中を見るが良い――小さいが、鳥のような翼があるじゃろぅ? 天族特有の天翼(てんよく)じゃ。アレがあると云うことは、すなわち天族じゃ。天族は人族と違い、非常に高い魔力を持っておる種族でのぅ。基本的に六世界のうち、天上界にしか棲息しておらぬ)


 この人界では非常に珍しい種じゃ、と続けて、ヤンフィは視線を他の三人にも向けた。

 同じようにぐったりと横たわっている女性のうち、プラチナブロンドの髪をした女性と、ショートカットで黒髪の女性の背中には、同様に小さな翼があり、もう一人は灰色の髪をした兎耳の獣族(レギン族)だった。

 ちなみに、その四人の女性たちは、みな明らかに煌夜より年上で、成人している大人の女性である。

 ヤンフィは視線を鎖に繋がれている四人以外の異世界人たちに向ける。

 囚われている他の六人は、魔法陣の上にいた四人よりも若く、十二歳から十五歳前後の少年少女だった。

 そんな少年少女たちを見て、煌夜は、なるほど、と内心で頷く。ヤンフィの言葉を聞いた後で彼らの姿を見れば、その背中にも翼が見えた。

 若い六人のうち、男性三人が天族で、一人がタニアと同じ獣族――猫耳獣人(ガルム族)である。また、残り二人の女性は、一人が黒髪をした兎耳獣人(レギン族)で、もう一人はパッと見て人族のようだが、黒人の女性だった。


(不幸中の幸いじゃのぅ……この中に、コウヤの探しておる童は居らぬようじゃ)


 ヤンフィは正面の鏡張りの壁に意識を向けながら、心の中で煌夜にそう告げる。

 確かに、ここで囚われている異世界人たちの中に、竜也、虎太朗、サラの三人はおろか、煌夜が知っている顔はない。

 不謹慎かも知れないが、煌夜はそれで若干安堵していた。だが一方で、煌夜の憤りが収まることはなかった。

 青臭い正義感と言われるかも知れないが、何の罪もない彼らがこんな目に遭っていることに、煌夜の精神はとても堪えられなかった。


「さて、問題なのはここからじゃが――とりあえず、救出するかのぅ」


 ヤンフィはそんな煌夜の激情を逆撫でしないよう、冷静な声音でそう宣言する。

 まずは異世界人たちを助け出さなければ、この後に控えている激戦に集中できないだろう。


「――『煌く一閃、其れすなわち死への誘い。死閃之太刀(しせんのたち)』」


 ヤンフィはその場で、スゥッと静かに剣を薙ぐ。ゆっくりとしたその太刀筋は、空中に美しい炎の軌跡を描いたかと思うと、異世界人たちを捕らえている鎖を全て断ち切った。

 カシャン、と乾いた音を立てて、切断された鎖が床に転がる。

 これで彼らは自由の身である――だが、彼らがそれに気付く様子はなく、ただ呆然とその場に身体を横たえていた。


 ヤンフィは購入しておいた【奴隷の箱】を取り出して、すかさずその場に時空魔術を展開した。ブラックホールみたいな黒い穴が、中空に出現する。

 さて、次はこの中に彼らを匿わなければならない。だが、一人一人を誘導している時間的余裕などない。そんな無駄なことに労力を割くわけにもいかない。

 となれば――ヤンフィは、呆けている異世界人たちに視線を合わせた。そして双眸に魔力を篭める。


「妾の命に従い、この中に入れ」


 ヤンフィが強い口調でそう命令すると、枷がなくなった彼らはゆるりと起き上がり、慌てた様子でよたつきながら、次々と異空間の中に逃げ込んでいった。

 ヤンフィの魔眼に人を操る能力はないが、自我を失っている状態の彼らなど、強迫観念を植え付けるだけで誘導するのは容易だった。

 そうして、全員が異空間に入るのを見届けてから、ヤンフィは展開していた時空魔術を閉じる。

 これでひとまず、異世界人たちの救出は終わった。


「――のぅ。妾が気付いておらぬと思うておるのか?」


 ヤンフィは唐突に、鏡に映っている煌夜の姿にそう問い掛けた。しかし当然、鏡は鏡、ヤンフィの問いに対して、何の反応も返ってはこない。


(ヤンフィ? 何言ってるんだ? もうここには誰もいないだろ? サッサと――)

(――この壁の向こう側に、エルネス某と、魔道元帥とやらの気配がある。この壁、こちらからは鏡に見えるが、恐らく向こう側からは、妾が見えておるはずじゃ。妾の動きは観察されておるようじゃよ?)

(えっ!? マジックミラー、ってヤツか!?)

(マジック、ミラー? ……よく分からぬが、まぁ、それじゃろぅ)


 煌夜の言葉に、ヤンフィは心の中で首を傾げる。

 煌夜は、まさか、と驚愕して、マジマジと鏡張りの壁を見詰める。けれど、それが果たしてマジックミラーかどうかは判断できなかった。

 そうして、しばしの沈黙――その間、ヤンフィは鋭い視線で鏡を睨みつけて、紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)を油断なく構えていた。


「――逆に問うわ。貴方、エルネスが、その殺気、気付いてないと思う?」


 するとふいに、鏡張りの壁の向こうから、東方語(イーストラング)の片言でそんな声が聞こえてきた。

 その冷淡な響きは、つい数時間前に宿屋で会ったエルネス・ミュールと寸分違わず同じ声質だ。

 ヤンフィの言う通り、壁の向こう側にエルネスが居るのは間違いないようだ。


「貴方――ヤンフィ、だったわね? 何したいの? 何してるか、理解、出来てる?」


 壁の向こうからの問い掛けに、部屋の中の空気が張り詰めていくのを感じる。

 重力が増加したかのように、ヤンフィの身体が途端に重く鈍くなる。煌夜でさえ分かるほど、凄まじい威圧と殺気がヤンフィに叩きつけられていた。

 しかし、その殺気にヤンフィは怖気ない。平然と胸を張り、不敵な笑みを浮かべて剣を強く握る。


「妾の目的は二つじゃ。その一つは、もはや達した。もう一つは、これから果たしたいと思うておる。あぁちなみに、妾の行動が汝らにとって不都合なことも、重々理解のうえじゃ」


 当然じゃろぅ、と小首を傾げるや否や、ヤンフィはその場で唐突に横っ飛びした。

 刹那――鏡張りの壁が音を立てて弾け飛び、ヤンフィのいた場所に雷光が突き刺さった。一瞬で部屋の中の空気が痺れて、いっそう乾燥した空気が漂う。

 ヤンフィはまるでスパイダーマンみたいな動きで、三角飛びの要領でもって垂直の石壁を蹴ると、体勢をくるりと変えて天井に着地した。天井には紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)を突き刺して、それを支えに張り付く。

 天地が逆転した状態で、ヤンフィは天井に張り付いたまま、鏡張りの壁が崩れ去った向こう側に視線を向けた。

 崩れた壁の向こう側には、整理整頓された清潔な書斎が広がっていた。

 書斎は、非常に生活感が溢れた場所で、こんな殺伐した空気には不釣合いの空間だった。

 古文書や魔術書の類と思しき書籍が並んだ本棚が四つあり、部屋の隅には、観葉植物が一つと、黒いローブやロングコートが掛かっている洋服掛けが置かれている。それ以外にも、豪奢な執務机と、応接用のソファが二つ、大理石のテーブルが置いてあった。

 そして、その部屋の奥には寝室と思しき扉のない一間があり、キングサイズのベッドが設置されている。

 ベッドには、毛布で胸元を隠しているエルネス・ミュールが腰掛けており、端整な顔立ちをした上半身裸の青年がその傍らで寝転がっていた。

 ちなみに、エルネスはポニーテールを解いており、毛布の下は下着姿のようである。

 そんなエルネスの傍らで寝転がっている青年は、見た目は二十代前半、大学生といった雰囲気で、短い黒髪に、整った目鼻立ちをして、草食系男子の空気を纏っていた。

 また同時に、どこか憂いを感じさせる疲れた表情が、母性をくすぐり保護欲を掻き立てるタイプに見える。

 身体つきは細いが、その実、筋肉はしっかりと付いており、いわゆる細マッチョ体型をしていた。

 この青年が、魔道元帥ザ・サンか――と、思考してから、ヤンフィはつい苦笑した。


「……やはり、ソーンの言葉通り、お楽しみ中じゃったかのぅ?」


 二人の間に漂う空気とその格好を見るに、ソーンの言葉は間違いではないようだ。


「雷槍を、避ける、か。キミが――ヤンフィ? 寄生型、魔王属(ロード)、だとか?」

「そう。魔力薄弱、けれど、ヤンフィは魔王属――――エルネスに、お任せを」


 上半身裸の青年――魔道元帥ザ・サンは、視線だけをヤンフィに向けて、興味なさそうな声で問うた。それにすかさず、エルネスが答えて、毛布で胸元を隠したままベッドから立ち上がった。

 スラリとした脚線美と、白い背中、ツンと張ったお尻が、非常に扇情的である。

 そんな艶やかな格好のエルネスは、見開いたダークブラウンの双眸を紅に染めて、食い殺すような眼力でヤンフィを睨んだ。

 エルネスの全身から膨れ上がる膨大な魔力と、全てを凍て付かせるような殺気が、ヤンフィの全身を貫いた。


「エルネス。油断、しないことだ。ここに居る、ということは、ソーンとミリイを倒した、ということだろう?」

「承知。けれど、ソーンは裏切り者。きっと、ソーンがミリイ、抑えてると推測」


 エルネスが前を隠していた毛布から両手を離す。すると必然、パサリと毛布が床に落ちて、美しいその下着姿があらわになった。

 エルネスの身体は、黄金比を思わせる芸術的な体躯である。同性であるヤンフィも思わず吐息を漏らすほどの美麗さに、煌夜は一瞬だけ激情を忘れて息を呑んでいた。


「――『天空に座す戦の神よ。我が祈りに応えて我が身に宿り、我が盾となり、我が矛となれ――」


 ヤンフィと煌夜がエルネスの芸術的な肢体に見惚れていると、エルネスが謡うように流麗な詠唱を始めた。その詠唱の文句を耳にして、ヤンフィは咄嗟に天井を駆けた。

 マズイ、と舌打ち交じりに呟いて、無防備なエルネスへと飛び掛る。


「素晴らしい、反応だ。人族の身体で、そこまで動けるとは――【雷槌(らいつい)】」


 一方で、そんなヤンフィの動きを見て、魔道元帥ザ・サンは感心した風な声を上げると、ベッドに寝転んだまま、パチン、と一つ指を鳴らす。

 それは無詠唱による魔術の展開だった。

 指の音と同時に、空中には黄色い魔法陣が浮かび上がり、バチバチと音を鳴らしながら空気を感電させた。

 最短の直線でエルネスに飛び掛かったヤンフィは、その魔法陣を前にして、慌てた様子で紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)を盾代わりに頭を庇う。そして自身へのダメージなど省みずに、魔法陣と自分の間で【爆焔(ばくえん)】の魔術を行使した。

 その自爆行為は、空中で進路と姿勢を変えられないがゆえの苦肉の策だった。


 果たして――ドォン、と。

 花火みたいな爆発がヤンフィの眼前で発生した。

 その爆発に巻き込まれる形で、ヤンフィは勢いよく床に叩きつけられる。衝撃は凄まじかったが、かろうじて四肢は吹っ飛ばなかった。

 そうしてヤンフィが床に叩きつけられた直後、爆焔の衝撃など微風に思えるほどの衝撃と、鼓膜を破らんばかりの雷鳴が轟いた。

 それは、魔法陣から迸った雷のハンマーである。【雷槌(らいつい)】と呼ばれる雷属性の上級魔術で、その破壊力は、堅牢な城壁を紙のように引き千切る凶悪なものだ。

 そんな雷のハンマーは、空気中の水分を一瞬で蒸発させて、天井付近を軽々と吹き飛ばした。

 ガラガラと天井が崩落して、石床に描かれた魔法陣は瓦礫で見えなくなった。


「これを、避けるか――なるほど、これが魔王属、か」


 会心の魔術を回避されたからか、魔道元帥ザ・サンはようやくベッドから起き上がる。彼は黒いズボンを穿いていて、素足だった。

 魔道元帥ザ・サンは詠唱を続けているエルネスに近付き、彼女を庇うようにその前に回りこんで、ヤンフィと対峙する。

 一方で、ヤンフィは床に四つん這いになったまま、口惜しそうにエルネスを見やる。


「――我に戦場を駆ける翼を与え、我に戦場を見通す眼を与えよ。いざ、我と共に参ろう。戦女神鎧(バルキリーアーマー)』」


 するとちょうど、エルネスの美しい詠唱が終わり、その体に無数の光糸が纏いついた。銀色に輝くその無数の光糸は、エルネスを包み込んだかと思うと、一瞬にして美麗な鎧に変わる

 鋼のブーツ、黄金色のスカート、白銀のプロテクターに、薄緑色のマント。背中には四対の光翼が浮かんでおり、両手には鏡の盾が装備されている。

 ヤンフィはエルネスのその姿に、忌々しげな舌打ちをする。

 これで状況はいっそう厳しくなった。


(……ヤンフィ。あの人、魔法少女みたいに変身したけど、何かヤバイのか?)


 ヤンフィの穏やかでない雰囲気に、煌夜が緊張した声で問い掛けた。ヤンフィは無言のまま頷きだけ返して、姿勢を起こさずに獣じみた動きで後方に跳ぶ。

 いつも飄々としているヤンフィが、いつにも増して緊張している様子が煌夜に伝わってきた。

 如何なる状況でも、どこか余裕のある態度を崩さなかったヤンフィとは思えない。それほどまでに、エルネスの纏う魔術は危険なのだろうか――煌夜は思わず震えた。


「タイヨウ、感謝します。でも、もう大丈夫。エルネスに、お任せを――『その波濤を示せ。水竜』」


 エルネスは安心しきった表情で、魔道元帥ザ・サンの肩にコツンと額を当てた。そして祈るように感謝の言葉を口にすると、まったく自然に簡略詠唱で魔術を展開する。

 それは水属性の上級魔術【水竜】である。

 部屋の中には、竜巻状の身体を持つ水の竜が現出した――その数、七匹。


「……顕現せよ、エルタニン」


 ヤンフィは注意をエルネスから逸らさずに、流れる動作で紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)を腰元のホルダーに収めると、自身の左腕を掴んで魔剣エルタニンを顕現させた。

 当然ながらその代わりに、煌夜の身体は隻腕になる。

 その様子を目にしたエルネスと魔道元帥ザ・サンは、ほぅ、と驚きに息を呑んでいた。


「見たことない、魔術だ――いや、アレは、果たして、魔術、か?」

「油断、しない。死に、なさい」


 二人とも片言のたどたどしい東方語でそう呟くと、魔道元帥ザ・サンはベッドに腰を下ろして、エルネスは指揮者が指揮棒を揮うように手を振り下ろした。

 どうやらエルネスに任せて、魔道元帥ザ・サンは高みの見物と洒落込むつもりだろう。

 それは、ヤンフィにとっては非常に有り難い展開だった。二人同時に相手をするのは、流石のヤンフィも生きた心地がしない。

 そんなヤンフィの安堵と同時に、エルネスの手の動きを合図にして、七匹の水竜が一斉にヤンフィへと牙を剥いた。

 迫り来るその水竜という脅威の前に、ヤンフィは思わず苦笑してしまう。あらゆる魔力を吸収できる魔剣エルタニンの前には、どんな魔術だろうと意味はないが、果たしてこの数を捌き切れるだろうか。

 七匹の水竜による同時攻撃――ほぼタイムラグゼロでヤンフィに直撃するそれらを、全て捌き切るのは至難の業である。


「――とは云え、こんな水竜なぞよりも、余程【戦女神鎧(バルキリーアーマー)】の方が、厄介じゃがのぅ」


 眼前まで迫りきた水竜には視線さえ向けず、ヤンフィはジッとエルネスの動向だけを注視していた。

 それほどに、エルネスが纏う【戦女神鎧(バルキリーアーマー)】は、ヤンフィにとって危険なものだった。


「さて、と――『千に散り、朱と染まれ。天が紅(あまがべに)』」


 七匹の水竜がヤンフィに激突する寸前、ヤンフィはその場でクルリと回転する。それと併せて、魔剣エルタニンが周囲の空間を切り裂いた。

 視認はおろか、煌夜では何が起きたのか理解さえ出来ないほどの光速の剣戟――それが、水竜の身体を一瞬にして微塵切りにさせた。

 霧雨の如く、水竜の破片が部屋の中を濡らす。

 しかし厄介なことに、煌夜が認識出来ない動きである以上、煌夜の身体を操るヤンフィでは、本来の剣技を十全に再現できない。

 つまり、七匹全ての水竜を同時に切り払うには至らなかった。


「クッ……二匹、仕損じた……」


 捌き切れなかった水竜の一匹が、魔剣エルタニンを持つ右腕に激突した。その凄まじい衝撃に、魔剣エルタニンが弾かれて吹っ飛ぶ。

 その直後、もう一匹の水竜がヤンフィの胴体に喰らい付き、突撃してきた勢いそのまま、壁にヤンフィを叩きつけた。

 さすがのヤンフィも、攻撃の最中では避けること叶わず、また唯一にして最強の盾である魔剣エルタニンを失った状態では、防ぐことも出来なかった。

 それでも何とか、ワグナーから奪った【暴食(ぼうじき)の鎧】の防御力のおかげで、四肢が千切れ飛ぶことはなかった――けれど、間違いなくこの装備がなければ、水竜の一撃で身体はバラバラになっていただろう。

 ヤンフィが想定していた以上に、水竜の破壊力は驚異的だった。上級魔術でありながら、軽く聖級を凌駕する破壊力と質である。

 そんなことを思考しながらも、ヤンフィは叩きつけられた壁から床に落下した。


「硬い――随分、強力な装備ね。でも、これなら?」


 水竜の手応えと、さしてダメージを受けた様子のないヤンフィに驚愕したエルネスは、手を上げて空中で円を描く。

 すると、生き残った水竜二匹が天井付近で絡み合い、螺旋状の巨大な槍へと姿を変えた。

 トドメの追撃をする為に、水竜の破壊力をより高めているのだろう。


「…………さすがにアレは、直撃すれば即死かのぅ」


 ヤンフィは身体を起こしながら、螺旋状になった水竜の槍を一瞥して、しみじみとした声でそんな感想を呟く。

 しかしすぐさまその意識をエルネスに戻して、彼女の一挙一動にのみ集中した。

 静かに高まっていく緊張、張り詰めていく空気、巨大になっていく水竜の槍と、その魔力。


「エルネス、手伝う、か?」

「……大丈夫。エルネス、もう決めます」


 互いに決着のタイミングを計っていたその時、ふとベッドに腰掛けている魔道元帥ザ・サンが軽い口調でそんな問い掛けをした。

 瞬間、エルネスは恥かしそうに顔を紅潮させて、慌てた様子で首を振る。そして、パチン、と一つ指を鳴らした。


「逃がさ、ない」


 エルネスのその宣言は、無詠唱の【光鎖こうさ】と同時だった。

 ヤンフィの足元から、頑強な光の鎖が幾つも現れる。トドメである水竜の槍が躱せないように、ヤンフィを拘束するつもりなのだ。

 光鎖は凄まじい力でヤンフィの全身に絡みつき、身動きできないよう縛り上げた。

 瞬く間に全身を拘束されて、ふぅ、とヤンフィは静かに深呼吸した。

 それは傍から見ると諦めた風にも見える――まあ実際、諦めても仕方ないと思える状況ではある。

 光属性の上級魔術【光鎖】は、物理特性を併せ持っているので【暴食(ぼうじき)の鎧】では吸収も防御も出来ない。その上残念なことに、魔剣エルタニンは手元にない。これがヤンフィでなければ、間違いなく詰みだろう。

 しかし――この程度の逆境では、ヤンフィを仕留めきるのは不可能である。


 スッとエルネスが手を振り下ろす。それを合図に、螺旋状に絡み合っていた水竜の槍が、ヤンフィの脳天目掛けて落下してくる。

 その一撃は銃弾よりも早く、滝のような轟音を響かせていた。


「――身震いするほどに恐ろしい威力じゃのぅ。じゃが当然ながら、直撃しなければ恐れるに足らぬ。そして、身体を拘束させるだけでは、妾を封じるのは不可能じゃ」


 果たして、水竜の槍は身動きの取れないヤンフィに当たらなかった。いや、より正確に言うのであれば、槍がヤンフィを避けたのである。


「な、に――っ!?」


 床に突き刺さった水竜の槍を見て、エルネスの双眸がカッと見開かれた。その赤く染まった竜眼が、ヤンフィを――と言うよりも、ヤンフィの持つギザギザ刃の大剣を睨み付けていた。

 ヤンフィはそんなエルネスを馬鹿にした風に笑って、次の瞬間、全身を拘束している光鎖を軽々と振り解く。

 それは力ずくの突破ではなく、絡んだ糸を解すかのように滑らかな動きだった。

 この所業には、エルネスだけでなく、魔道元帥ザ・サンも絶句するほど驚いていた。


「……これが【魔操の鍵】の真骨頂じゃ」


 さりげなく顕現させていた【魔操の鍵】を一振りして、ヤンフィはしたり顔でエルネスを見る。

 刃先がギザギザのその大剣は、周囲の魔力を意のままに操る魔剣である。

竜殺しの魔剣士(ドラゴンスレイヤー)】と呼ばれていたワグナーから奪った戦利品で、上手く使いこなせれば、並の魔術師相手には無敵を誇るだろう。


「――じゃが、汝ほどの者が相手では、一度きりしか通じぬかのぅ? まったくもって、竜眼相手は厄介じゃよ」


 ヤンフィは苛立ち混じりの声でそう吐き棄てて、魔操の鍵を天井目掛けて放り投げる。同時に、床に転がっている魔剣エルタニンを拾い上げると、目標を誤った水竜の槍を切り裂いた。

 瞬時に水竜の槍は霧散して、凄まじい量の魔力がヤンフィに補填される。

 ヤンフィは補填された魔力を使って、とりあえず形だけ左腕を復活させた。魔剣エルタニンを芯には出来ないので肉体強度はないが、エルネス相手に隻腕では勝負にならない。


「そう――ヤンフィ貴方、エルネス、本気にさせたわよ」

「ふむ……本気か、それは厄介じゃのぅ。手加減してはくれまいか?」

「馬鹿に、しないで」


 空中に投げ出した魔操の鍵を左手で掴むと、魔剣エルタニンとの二刀流で、ヤンフィはエルネスに向かって構えを取る。

 それに応じるように、エルネスは両手を広げて胸を反らした。途端に、背中に浮かんでいる四対の光翼が羽ばたき、空中に飛び上がる。

 ヤンフィは飛び上がったエルネスを見上げながら、いかにして打倒すべきか、ありとあらゆる戦術を巡らせた。

 ここから先の戦闘は、しくじればヤンフィ自身の命が危ない。


 聖級の召喚魔術――戦女神鎧(バルキリーアーマー)

 それは、戦女神の祝福を受けた神の鎧を召喚する魔術だ。あらゆる攻撃を防ぎ、弾く魔法の鎧。召喚者の体型に合わせて顕現されるその装備は、火、風、光の多重属性を持っており、神鉄(オリハルコン)の硬度を誇っている。

 しかも、術者の身体能力を倍加させて、その魔力特性に物理特性をも付与する効果を持っていた。さらには、術者の魔術の威力が一段階上昇する破格の援護効果もある。

 尋常ならざる魔力量と、凄まじく精緻な魔力操作が必要な魔術だが、ひとたび召喚できれば、使用中の魔力消費以外に何のデメリットもなく、神懸かった強さを得ることが出来る。

 そんな戦女神鎧(バルキリーアーマー)には、弱点が存在しない。

 鎧を破壊するか、術者を殺すか、術者の魔力を枯渇させるか、そのどれかでしか対応する術がない。

 ちなみに、獣族のみが扱える【魔闘術】の奥義【魔装衣まそうい】は、この召喚魔術の完全な下位互換である。


「【光竜】――『光剣よ。我が命に従い、舞い踊れ。そして、光の雨と成り、広く地上に降り注げ』」


 ところで、本気宣言をしたエルネスは、優雅に翼をはためかせながら天井スレスレからヤンフィを見下ろしていた。

 宣言通りに油断なく、遠距離から仕留めるつもりのようだ。軽く口ずさんだ二つの魔術は、そのどちらも凶悪な破壊力を誇る攻撃である。


「…………こうなってはもはや、この身では為す術がないのぅ」


 ヤンフィは天井を見上げて、そんな諦観の言葉を吐く。それほどに状況は悲惨だった。

 エルネスの左右に現れる光輝く二匹の竜。それは光属性の聖級魔術【光竜こうりゅう】である。また、二匹の光竜と同時に展開されたのは、千本を軽く越える数の光剣だった。

 部屋の天井全てを覆いつくす光剣、それが一斉に雨となってヤンフィに降り注ぐ。


「チッ――やはり魔力操作は封じられたか」


 雨の如く降り注ぐ光剣を前に、ヤンフィは駄目元で魔操の鍵の能力を行使した。しかし案の定、何の反応も示さない。

 竜眼が持つ、打ち消し効果――対象を睨むことにより、下位の魔眼の効果や、格下の魔術兵装の効果を全て無効化することが出来る。まさに反則と言える能力だ。

 はぁ、と溜息を吐いてから、ヤンフィはすかさず魔操の鍵をエルネスに投げつけた。そして魔剣エルタニンの形状を大楯に変えて、傘のように頭上に掲げる。それとほぼ同時に、魔剣エルタニンの傘状の大楯に光剣の雨が降り注いだ。


(クッゥ、ウ――慣れぬ形状変化は、魔力消費が、激しいのぅ)


 ドドドド――と、大楯に絶え間なく叩きつけられる光剣の豪雨。

 それは、激突する端から魔剣エルタニンに吸収されてはいたが、その衝撃までは吸収できない。

 おかげでヤンフィは、降り注ぐ怒涛の衝撃に押さえつけられて、身動きできずにその場で釘付けになる。

 このまま耐えていても埒が明かない。けれども、反撃の糸口は掴めない。

 ヤンフィは苦渋に満ちた表情を浮かべた。


「魔力、吸われてる? そう――そういう武器、なのね」


 ヤンフィが即死しないことに気付き、エルネスが竜眼を光らせた。すると、竜眼の本質を見抜く効果により、エルネスは魔剣エルタニンの特性を理解して、その弱点を見抜いた。

 ――魔剣エルタニンは、まったく同時には、別種の魔力を吸収出来ない。

 つまり同時に複数の魔術攻撃を受けた場合は、全てを吸収することが出来ないと言う弱点がある。

 エルネスは人差し指でヤンフィを指差す。

 それを合図にして、エルネスの左右に浮かぶ光竜が、一瞬でヤンフィの両脇に移動した。その速度は、文字通りの光速である。


 ヤンフィは思わず苦笑した。

 想定していた最悪のシナリオ通り戦況は進んでおり、なんとも順調に追い詰められている。


 キィィ――ッン、とヤンフィの両脇の光竜が啼く。

 響き渡るその声はまさしく超音波であり、聞く者に恐怖を植え付ける精神攻撃だった。


(は――え、う……ぐぅぁああ――っ!? い、たい……な、え? 何だっ!?)


 煌夜の悲痛な絶叫が脳内に響き渡る。それは、精神攻撃による混乱の効果だった。

 ヤンフィは精神攻撃に耐性があったが、煌夜にはない。

 そのせいで、煌夜は超音波に中てられて混乱して、身体のコントロールがほんの微かに鈍る。

 それは致命的な隙になった。

 そうして次の瞬間――二匹の光竜が同じタイミングでヤンフィの両脇腹を貫いた。

 それは【光竜閃(こうりゅうせん)】と呼ばれるレーザービームである。避けることが困難な光速の突撃であり、形を持たない範囲爆撃である。

 命中すれば即死、掠るだけでも致命傷の攻撃。

 活路があるとすれば魔剣エルタニンで防ぐことだが、光剣の雨を防御している今、それは叶わない。

 つまり必然、避ける以外に選択肢はない。

 けれどヤンフィは、甘んじて光竜の突撃を受けた――いや、受けたと言うよりは、避ける選択肢を選べなかったというのが正しいか。光剣の豪雨に耐えながら、光速で放たれたレーザービームを避ける余裕などあるわけが無い。


「コウヤ。混乱しておるところ悪いが、しばし暗闇で苦痛に耐えよ――【無銘目録】よ」


 もはや出し惜しみなどしていられない。

 この勝ち筋の見えない状況、死を待つだけの現状に至り、ヤンフィはようやく切り札を出す。


(ぉぅ、え? あぅ――)


 混乱してまともに返事の出来ない煌夜に、ヤンフィは申し訳ないと頭を下げて、すかさず煌夜の肉体維持に使っていた魔力を解放する。


 果たして、二つのレーザービームが煌夜の身体を左右から貫き、その勢いで魔剣エルタニンの大楯は弾かれた。

 当然、光剣の豪雨はそのまま頭上から降り注ぎ、塵も残さん勢いで煌夜を串刺しにする。

 これで終わった――と、ヤンフィ以外の全員がそう思っていた。


 しかし次の瞬間、エルネスは顔面を蒼白にして、驚愕の表情で背後を振り向いた。

 信じられないほど凶悪な魔力がそこに現れたからである。


 振り向いたその先には――天井に刺さっている【魔操の鍵】と、ユラユラとたゆたうように中空に浮かぶ七歳ほどの幼女の姿があった。

 桃色の短髪に宝石で彩られた簪をつけて、金色の蓮と青い鳥の柄をした紅蓮の和服――ヤンフィ本来の姿である。

 ヤンフィはその手にA4サイズの黒い本――煌夜の身体を収納した【無銘目録】を抱えていて、冷めた視線をエルネスに向けていた。


「…………何それ? 貴方、まさか、ヤンフィ? その姿、本体?」

「さて、短期決戦と往こうかのぅ――」


 エルネスの台詞に被せて、ヤンフィが軽い口調で宣言した。

 その宣言にビクリと震えてから、エルネスは慌てて竜眼を見開き、ヤンフィの全身と魔力の流れを捉える。

 ヤンフィという魔王属の体構成を把握して、その弱点を暴く為である。

 ――だが、ヤンフィの特性を看破するより、ヤンフィの動きの方が圧倒的に速かった。

 ヤンフィはニッコリと笑って、天井に刺さっている【魔操の鍵】を引き抜くと、もう片方の手をサッと振るって拳を握り締めた。

 途端に、エルネスの両脇に戻ってきた二匹の光竜が大きくその身体を揺らめかせて、絶叫の如き咆哮と共にエルネスに向かって突撃する。

 魔操の鍵の能力、魔力を操る効果を行使して、ヤンフィは光竜を我が物としたのである。

 エルネスがヤンフィの身体に竜眼を集中させた一瞬の隙を突いたのだ。

 竜眼は対象を睨んでいなければ、それを無効化することはできない。


「なっ!? キャァ、っ――」


 光竜の攻撃速度、レーザービームは光速である。放たれてから反応していては、当然ながら遅すぎる。

 エルネスは可愛らしい悲鳴を上げて、光竜のレーザービームに呑まれた。


「っ――エルネス!? 空間連結――」

「――させぬよ、魔道元帥とやら」 


 さすがの戦女神鎧(バルキリーアーマー)でも、二匹の光竜の直撃を受けては無傷では済まない。

 死なないまでも、エルネスは大ダメージを受けるはず――それを理解している魔道元帥ザ・サンが、慌てた様子で起き上がり、咄嗟にエルネスを助けようと時空魔術を展開する。

 魔道元帥ザ・サンが慌てて展開したその時空魔術は、冠級に属する【空間連結】と呼ばれる魔術だ。

 任意の空間座標二点を繋ぎ合わせることで、その距離を零にして、一瞬で行き来できるようにする魔術――いわゆる瞬間移動である。それならば、光速のレーザービームだろうと回避は間に合うだろう。

 けれどその行動は、ヤンフィの想定の範囲内だった。対処済みである。


「――クッ!? 魔力が、乱れ――」


 ヤンフィは魔道元帥ザ・サンの魔力を、魔操の鍵の能力で千々に乱していた。すると必然、時空魔術は失敗する。

 時空魔術はどれほど極めようとも、それを展開する際、ほんの刹那だけ魔力の溜めが必要な魔術なのだ。その溜めを掻き乱されると、時空魔術は展開できない。

 その特性こそ、時空魔術の致命的な弱点である。


「汝は、次に相手してやろう――光剣の雨よ!」


 魔力を乱されて苦しそうに顔を歪めた魔道元帥ザ・サンに、ヤンフィは視線を向けずそう吐き棄てる。それと同時に、魔操の鍵を逆手に持ち替えて、魔道元帥ザ・サンに向かって振るう。

 それを合図に、エルネスが展開させていた多数の光剣が、その矛先を魔道元帥ザ・サンに変えた。

 今まで煌夜を襲っていた光剣は今度、横殴りの豪雨となり魔道元帥ザ・サンに襲い掛かった。


「――顕現せよ、神槍グングニルよ」


 光剣の豪雨がベッドごと魔道元帥ザ・サンを飲み込んで、怒涛の勢いで全てを貫いていく。そんな光剣の豪雨には顔を向けず、ヤンフィは眼下のエルネスに意識を集中させる。

 エルネスは、光竜のレーザービームを浴びて四対の光翼全てを失っており、床で片膝を突いていた。

 その表情は辛そうに眉根を寄せており、呼吸は乱れている。露出している二の腕や太腿、その頬には、浅い裂傷がいくつかある。

 しかし、全体的に大きな傷は見受けられず、鎧には傷一つ付いていなかった。その代わり、エルネスの両手に装備されている鏡の盾が片方、真っ二つに割れている。

 ヤンフィは舌打ちした。

 想定よりもダメージが少ない。どうやら紙一重で、エルネスは鏡の盾を使って光竜のレーザービームを防いだらしい。やはり一筋縄ではいかない相手だ。

 ――だがヤンフィに焦りはない。手強いのは端から承知の上である。

 ヤンフィは、五体満足のエルネスを見下ろして、左手を天井に向ける。すると突然、眩い光がその掌から溢れ出して爆発のような閃光を放った。

 次の瞬間、左手には長大な槍が握られている。

 それは光り輝く黄金の槍だった。

【神槍グングニル】――ヤンフィが保有する武器の中でも、最上位の破壊力を誇る神の武器である。


「神槍グングニルよ、あれなる神敵を灰燼に帰せ」


 ヤンフィは光り輝くその槍を大きく振りかぶり、エルネス目掛けて思い切り投げつけた。

 投擲された槍は、滝の如く降り注ぐ光の奔流となった。何もかもを押し潰して、あらゆる全てを塗り潰す破壊の一閃だった。 

 それは先ほどの【光竜閃こうりゅうせん】の比ではない。雷鳴の如き轟音を響かせて、膝を突いてヤンフィを見上げているエルネスに突き刺さる――刹那、床一面が金色の光に包まれて、床が波打つようにグラリと大きく揺れる。

 それは、空中に浮いているこの【ヘブンドーム】全体を震わすほどの衝撃だった。

 あまりの振動に、天井がいっそう崩れた。


「ふむ……どうじゃ? 如何に戦女神鎧(バルキリーアーマー)であろうとも、神槍グングニルの一撃は防ぎ切れぬじゃろぅ?」


 ヤンフィは不敵な笑みを浮かべながら、左手をもう一度天井に向ける。するとまた、先ほどの光景の焼き直しのように、その手には長大な光り輝く黄金の槍が握られる。

 一方、その一撃を受けたエルネスは、ひび割れた床にうつ伏せで転がっていた。

 その姿はかなりボロボロになっている。黄金色のスカートは見るも無残に破れており、白銀のプロテクターは背中に大穴が開いていた。薄緑色のマントはもはや蒸発していたし、鏡の盾は粉々に砕け散っている。

 またエルネスの全身はあちこち火ぶくれが出来ており、両腕は有り得ない方向に折れ曲がっていた。


「…………これが、トドメじゃ」


 そんな満身創痍のエルネスを確認してから、ヤンフィはわざわざそう宣言すると、ふたたび槍を振りかぶり、何の感慨も躊躇もなく一息で振り下ろした。

 そうして今一度放たれた黄金色の光の奔流は、ふたたび雷鳴の如き轟音を響かせて、先ほど同様にエルネスへと突き刺さった。


 床一面を満たす黄金の光、先ほどよりいっそう大きく上下に揺れる【ヘブンドーム】。

 バキン――と、部屋全体に、空間が割れる音が響き渡った。


※時系列B-6

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