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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第七章 岐路
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第四十五話 到達/煌夜&ヤンフィ・ソーンSide

「おーい、ヤンフィ様!! そろそろ目的地が見えてきたぜ!」


 まどろみの中にいた煌夜の耳に、そんな野太い声が聞こえてくる。薄ボンヤリとした意識が、その声のおかげで強制的に覚醒させられた。煌夜は寝惚け眼を擦ってから、ズキズキと痛む頭を押さえた。

 なんとも不愉快な目覚ましだ、とヤンフィが毒づいた。煌夜はおざなりに賛同してから、誰に聞かせるでもなく独りごちる。


「…………駄目だ、全然、頭痛が治まらねぇ……吐き気がする……気持ち悪ぃ」


 煌夜のそんな弱音に、心の中で休息していたヤンフィが鼻で笑う。


(重症じゃのぅ――馬に乗っておった時もそうじゃったが、コウヤは体質的に酔い易いようじゃのぅ)

「……そんなこと、ないと思ってたんだが……日本に居た頃は、一度も乗り物酔いなんて、経験したことないんだが……」


 煌夜は青白い顔で吐き気を堪えながら、重だるい身体に力を入れて、ゆっくりとベッドから起き上がった。ガンガンと耳元でフライパンを叩かれているような頭痛があり、胃からは酸っぱい何かがこみ上げてきている。激しく動いたら途端に、口から反吐が出る自信がある。

 中途半端な睡眠も相俟って、煌夜の体調は今、最悪の状態だった。

 煌夜は気を紛らわせるように窓の外を見た。すると、見事な紅蓮の空模様が見えた。現在が何時かは分からないが、どうやらもう夕方のようだ。


(フッ――妾は別段、酔い易いことを非難してはおらんぞ? じゃが、今度からは、何か乗り物に乗る際は、妾と身体の主導権を交換しておくべきじゃのぅ。されば、これほど酔わずにすむじゃろぅ。まぁ、今更じゃがのぅ)


 立ち上がっただけで足元がふらついていた煌夜を見て、ヤンフィは苦笑しながら、とりあえず身体の主導権を奪った。


(さて、コウヤよ。汝の酔いが落ち着くまで、妾が身体を使わせてもらうぞ?)


 煌夜はヤンフィの言葉に、ああ、と小さく頷き、それきり押し黙る。ヤンフィが煌夜の身体を使うと、その分だけ魔力の回復が遅くなるので、出来れば安全な移動中はずっと、煌夜の意識下のままで行きたかった。だが、こうなってしまってはどうしようもない。少しだけヤンフィに申し訳ない気持ちである。


 さて、身体の主導権がヤンフィに移ると、煌夜の青白かった顔色に血の気が戻ってくる。鈍い動きだった身体も、軽やかにステップを踏めるようになり、何度か背伸びと屈伸を繰り返せば、普段と変わらぬ煌夜ヤンフィである。


「ふむ……睡眠は不充分じゃが、疲れは溜まっておらぬのぅ」


 ヤンフィは肩を回しながらそう言って、満足げに一つ頷いた。一方で、煌夜は心の中でも、ただただ吐き気を堪えていた。

 なんとも不思議なもので、ヤンフィが身体の主導権を握っているというのに、煌夜の酔いは醒めたりはしなかった。頭痛は感じなくなったが、酔っ払った気持ち悪さだけは、精神だけの状態になっても継続して煌夜を蝕み続けている。


 ――ヤンフィ曰く、自律神経系の乱れは精神と記憶に焼き付いてしまうので、一度発症した後では、身体の主導権を切り替えても取り除くことが出来ないらしい。どうも煌夜が感じる吐き気や、不快感などの精神的な苦痛は、幻肢痛に近い錯覚であるとのことだ。

 なるほど、と一応の納得は出来たが、つまり苦しいのは変わらないので、今度からは迷わずヤンフィに甘えることにしよう。煌夜は人知れずそんな誓いを胸に刻んだ。



 煌夜とヤンフィ、そしてソーンという三人での飛竜の旅は、今日でようやく二日目を数えていた。

 その間、煌夜が乗り物酔いでダウンしたこと以外、何の問題も発生することなく、至って平和な旅を過ごせていた。ソーンが事前に言っていた通り、飛竜に備わったこの時空魔術の部屋は、魔動列車の居住箱並に快適な場所だった。

 しかし、快適な旅ではあったかも知れないが、先を急いでいるヤンフィと煌夜からすると、二日もジッと待ちの時間は、焦燥しか感じなかった。帰りもまた二日掛かることを考えると、今から非常に憂鬱な気持ちになる。

 そんな憂鬱な気分のまま、ヤンフィはリビングに入った。

 リビングのど真ん中では、ソーンが眼を閉じて胡坐の姿勢でなにやら集中している。どうやら飛竜の操作中のようだった。魔力と精神を飛竜と同調させて繋げることで、飛竜を思いのままに運転しているのである。


「……ようやく着いたか、ソーンよ。二日と聞いていたが、実質、二日半掛ったようじゃのぅ。道中、何かあったのか?」


 半裸のソーンに、ヤンフィは開口一番、そんな嫌味を吐いた。その声は苛立ちを孕んでおり、視線は鋭く殺気も滲んでいた。

 ドレッドヘアで首に黒いチョーカーを巻いたブーメランパンツのソーンは、ヤンフィの言葉に一瞬だけ肩を竦めてから、困った顔で首を振った。


「いやいや、ヤンフィ様。順調も順調だよ。つうか、急いでるのは分かるが、たかだか半日くらい大目に見てくれって……どうせ【霧の街インデイン・アグディ】で一泊するんだから、朝だろうと夜だろうと変わらねぇよ。むしろ、夕方でちょうどいいだろ? 飯喰って作戦会議して……」

「――何? 一泊、だと?」


 ソーンは悪びれた様子もなく、軽い口調で衝撃的なことをのたまう。すかさずヤンフィは、険しい顔を浮かべて問い返した。まったく寝耳に水の台詞である。当然、ヤンフィのそんな疑問には、煌夜も同じ疑問を思った。どうして一泊するのか――と。


「泊まるなど、聞いておらんぞ? 妾たちは、観光に来たわけではない。何をそんな悠長な……」


 ヤンフィと煌夜はすぐにでも、異世界人が集められている神殿に突撃したいと思っている。そもそもその為だけに、わざわざ二日も掛けてやってきているのだ。この二日間で、敵陣に乗り込んで暴れる準備はとっくに完了していた。

 ところが、そんなヤンフィの気持ちに水を差すように、ソーンは苦笑しながら言う。


「悠長な、って言われてもよぉ……とりあえず落ち着けって。事情はちゃんと説明するよ。ともかく、いきなり目的地の神殿――【ヘブンドーム】って言うんだが、そこに行くのは危険だからよ。しっかり準備を――」

「――準備なぞ、とっくに出来ておるわ。そも、何がしか事情があるのならば、どうして事前に妾に云うておらぬ? 時間は、たっぷりとあったじゃろぅ?」


 ソーンの台詞を遮って、ヤンフィはピシャリと言い放つ。それに対してぐぅの音も出せず、ソーンは申し訳なさそうに顔を伏せた。

 窓の外をチラと見れば、周囲にはゴツゴツとした岩場が見えていた。高度もだいぶ下がっているようで、もしかしたら、もう既に着地しているのかも知れない。


「……時間は、まぁ確かにあったが……いや、その、説明を忘れてて……」


 ごにょごにょ、と口の中で言い訳を呟くソーンに、ヤンフィは胡散臭い視線を向ける。その態度は、明らかに裏があるように思える。

 やはり罠の類だろうか、とヤンフィが疑い始めた時、慌てた表情でソーンが立ち上がった。


「と、とりあえずよ。インデイン・アグディの裏手にある丘に着いたぜ。ここから、街まで2キロくらいあるから――話は歩きながらでも出来るし、急ごうぜ?」


 ソーンは入り口を指差して、行こうぜ、とヤンフィを促してくる。誤魔化すようなその態度が、いかにも怪しい。

 しかし確かに、ここで押し問答をしていても時間の無駄である。ソーンの狙いが何であろうと、毒を喰らわば皿まで、だろう。あえて罠に飛び込む心積もりでもある。ともかく移動するのが先決か。

 ヤンフィは最悪の想定も考えた上で、ソーンの思惑に乗ることにした。

 仕方ない、と溜息交じりに頷いてから、一旦寝室に戻り、装備を整えてから飛竜を降りた。


 飛竜が降り立った場所は、巨大な岩がゴロゴロと転がった荒地の一角である。周囲を岩石で囲まれた見通しの悪い場所で、空気がだいぶ薄く、気温も低い。そうは見えないが、標高はずいぶんと高いようだ。

 飛竜から降りると、途端に肌寒い風がヤンフィを出迎える。体感気温は、二桁あるかどうか――半裸のソーンを見て、寒くないのか、と疑問を持った。


「……それで? ここから、どう往くのじゃ?」


 ヤンフィは、飛竜グレンに餌を与えているソーンに問い掛けつつ、サッサとしろ、と言外に告げた。

 ソーンは、分かってるよ、と頷き、パチンと指を鳴らして飛竜グレンに背を向けた。すると、グレンは低く細く咆哮してから、翼をはためかせてどこかに飛び立っていった。

 飛竜グレンが飛び去ったのを見て、チッ、とヤンフィは心の中で舌打ちをする。これで帰る時はまたソーンを頼らざるを得ないことが確定してしまった。ヤンフィに飛竜を呼び寄せる術はない。ソーンが使った竜を呼ぶ笛も、扱うことが出来ない。


「よっし、じゃあ、進みましょうぜ。インデイン・アグディは、こっちだぜ」


 飛竜が見えなったのを確認してから、ソーンはヤンフィに振り返って笑顔を見せる。同時に、こっち、と右手側を指差して、さりげなくヤンフィの肩に手を回そうとしてきた。

 ヤンフィはソーンのゴツイ腕を当然の如く躱して、言われるがまま歩き出す。空振った腕をワキワキさせてから、ソーンもヤンフィに遅れまいと足を踏み出した。


「――さて、ソーンよ。説明を忘れていた、と云うておったが、何を説明すると云うのじゃ? だいたい、何故、飛竜に乗っている間で、その何がしかを説明できなかった? 釈明次第では、もはやここで手を切るぞ」


 しばらく無言のまま岩場を歩いてから、ヤンフィは酷く冷めた声でソーンに詰問した。ソーンはその迫力に一瞬だけ息を呑んで、ああ、と口を開いた。


「あー、その……怒らないで欲しいんだが…………事情を話しちまうと、絶対にヤンフィ様は、インデイン・アグディで一泊しないと思ってよ」

「ソーンよ。説明とやらをしようがしまいが、妾は急いでいるのじゃ。どちらにしろ、一泊なぞしている余裕はない。充分に休息は取れておる。街に寄るのは別段構わんが、そのまますぐ神殿に向かうぞ」

「ちょ、ちょっと待ってくれって――いくらなんでも、それは早計過ぎるぜ。まずは宿屋で一泊して、現地の状況を確認してから……」

「――――何が目的じゃ?」


 ソーンは必死にヤンフィを止める。だが、その意図が掴めず、ましてや何の意味があるのかわからないその制止に、ヤンフィはいっそう訝しげな顔を浮かべる。


「何が目的、って……あー、その……ヤンフィ様を死なせたくないんだよ。だから一旦、街で一泊して、準備を整えて――」

「死なせたくない? どう云う意味じゃ?」


 ヤンフィはソーンの言葉途中で即座に切り返す。ソーンは奥歯に物が詰まったような顔をして、咄嗟に応えられず言い淀んでいた。


「……汝、何を隠しておる?」


 ソーンの煮え切らない態度に、ヤンフィだけでなく煌夜もまた不信感を募らせた。鋭く睨みつけて、本気の殺意を叩きつける。

 そんなヤンフィの威圧を、しかし正面から受け止めて、ソーンは意を決したように口火を切った。


「その、よぉ。オレらの目的地、神殿【ヘブンドーム】は、【魔道元帥】ザ・サンの私有地なんだ……万が一にも、ザ・サンと遭遇すれば、オレはおろか、ヤンフィ様も速攻で殺されちまう」

「……ザ・サンとやらに、妾が敵わないと云う前提はさておいて――そのことと、一泊しなければならない必然性が結びつかんのじゃが?」


 深刻な顔で話すソーンに、けれどヤンフィは当然の疑問をぶつけた。ソーンは明らかに何かを誤魔化そうとしていた。

 ヤンフィの疑問に、ソーンは口を結んで押し黙った。二人の間に、しばしの沈黙が流れる。

 そうして二人はしばらく無言で行軍を続けたが、やがて周囲が岩場から深い森に変わった辺りで、ソーンが観念した風に息を吐いた。


「……ふぃ~、やっぱ、ヤンフィ様は誤魔化せねぇな。そんなところが、ますます惚れるね」


 困った表情で苦笑したソーンは、なんとも気持ち悪い台詞をほざいてから、確認だが、と前置いてからヤンフィに問い掛けてくる。


「ヤンフィ様の目的は、殺処分予定の異世界人たちを助け出すことだよな?」

「そうじゃ――それがどうした?」

「だよな? ああ、実は……その目的を果たす為には、いくつか困難な問題があるんだ。さっきも言ったが、前提として魔道元帥ザ・サンとは絶対に遭遇しちゃあいけない。オレらじゃ、逆立ちしたってあの化け物には勝てねえ。なにせ殺す術がねえからな」


 ソーンの台詞に、ヤンフィは意味が分からないと眉根を寄せる。そんなヤンフィの困惑顔を無視して、ソーンは言葉を続けた。


「さてその前提を踏まえた上で聞いてくれ。オレらが向かう先【ヘブンドーム】はかなり広くて、その内部には多数の警備が居る。警備してるのは世界蛇の中でも選りすぐりの実力者たちで、何か異常が発生したらすぐさま、ザ・サンに報告する手筈になってんだ。だから、気付かれずに侵入するのは難しいぜ」

「ふむふむ――――で?」

「無事、気付かれず侵入できたとしても、異世界人が囚われてる牢獄には、ザ・サンが組み上げた結界魔術が施されてる。それは聖級の魔術で、容易には解呪できないんだ。もし無理矢理にその結界魔術を壊せば、たちまちザ・サンに気付かれちまう」


 ソーンは言って、大仰に身震いしてみせる。そんな仕草に冷めた視線を向けながら、ヤンフィは、だからなんじゃ、と話の先を促す。


「だから――オレがレベル3【選定者】の肩書きを使って、ヘブンドームの見学許可を申請しようと思ってるのさ。許可証の発行には一両日掛かるから、一泊が必要なんだ。な? その許可証を待てば、安全かつ迅速だろ?」


 ニカ、と白い歯を見せるソーンに、ヤンフィは長い溜息だけで答えた。ソーンのその説明は、ヤンフィの疑問に答えているようで、まったく答えていない。

 ソーンは、ヤンフィが沈黙しているのを不思議そうに眺めていた。賛同を期待している様子が伺えるが、賛同できる要素は皆無である。


「ソーンよ。それが、それだけが、一泊しなければならぬ理由か?」

「あん? ああ、そうだぜ。安全にヘブンドームに入れないと、囚われた異世界人たちを助け出すのも――」

「――今の話しぶりから推測するに、その魔道元帥ザ・サンとやらは、常時、ヘブンドームとやらに待機しておるわけではなさそうじゃが?」


 ヤンフィはソーンの説明を遮って、鋭い睨みをぶつけた。ソーンは一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに力強く頷いた。


「あ、ああ。そうだけど……それが?」

「待機しておるわけでなければ、侵入に気付かれようとも、やってくる前にすぐさま脱出すれば良いだけじゃろぅ? 妾は長居するつもりなぞないが?」


 ヤンフィは嫌みったらしくソーンに問い掛ける。魔道元帥とやらに侵入が気付かれようとも、その瞬間、その場にいないのならば、何を気にすることがあろうか。その魔道元帥がどれほど危険かは分からないのだが、ヤンフィたちに気付いてから急いで駆け付けたところで、その頃にはもうとっくに、ヤンフィたちは脱出していることだろう。警戒するに越したことはない。けれど、それは杞憂に終わるだろう。

 そんなヤンフィの考えに、しかしソーンは残念そうな顔で首を横に振る。


「ザ・サンは、空間連結の時空魔術が操れる。だから、いつ、何処からでも、設定した場所になら、一瞬のうちに戻ってこれるぜ。つまり、気付かれたら、ものの三十分もしないうちに、ヘブンドーム内にその姿を現すだろう」

「…………空間、連結だと?」


 ヤンフィはソーンの台詞に思わず絶句した。それは冠級クラウンの時空魔術である。ソーンはさも当然のように語っているが、扱える時点で凄まじいことだ。

 一方で、そんなヤンフィの驚きに、心の中で煌夜が首を傾げる。


(ヤンフィ? なんだ、その……空間連結って?)

(――云うは単純じゃ。離れた二点の空間を歪めて、結び付ける魔術じゃよ。予め設定しておいた任意の地点と、術者のいる地点をくっつけて、その間の距離を零にすることで、一瞬のうちに移動する魔術でのぅ。使用するにも莫大な魔力が必要じゃが、それ以上に凄まじく高度な魔術じゃ)

(ああ、なるほど――ワープってヤツね)


 合点がいったと煌夜は納得するが、ヤンフィは、ワープとは何じゃ、と返した。煌夜は苦笑混じりに、俺の世界じゃそう言うのさ、とだけ応えた。


「まぁヤンフィ様、そういうわけでよ。強引に侵入は不可能――」

「――だとしても、ソーンよ。許可証とやらを入手したところで、結果として、魔道元帥に気付かれるのではないか。許可を出すと云うことは、当然ながら、誰が申請したか分かるじゃろぅ?」


 どこか安堵の表情で言葉を続けるソーンに、ヤンフィは当然の指摘をする。

 安全に侵入できるというソーンの提案は裏返すと、ヤンフィたちが侵入するタイミングを教えているのと同義である。隠密行動が出来ないのならば、リスク回避にはなっていない。


「あ――いや、まぁ、そりゃあ、そう、なんだけど……ぐぅ」

「そも、無事侵入に成功したとて、結局、結界魔術を解くのはどうするのじゃ? 強引に解呪しようものならば、どちらにしろ気付かれるのではないか?」


 ピタリ、とヤンフィは足を止めて、言葉に詰まってるソーンに本気の殺意をぶつけた。一気に森の空気が緊張して、只ならぬ冷気が満ちた。ちょうどその時、陽も沈みきり、夜の帳が辺りを包む。


「妾に誤魔化しは通じぬ――三度は云わぬぞ。汝、何を隠しておる?」


 ヤンフィの凄まじい威圧に中てられて、ソーンは一歩たじろいだ。だが、ぐぅ、ともう一度唸ると、視線を逸らしつつ口を開いた。


「……ヘブンドームの警備隊長は、オレに従順なヤツでよ。ソイツとヤンフィ様を引き合わせようと思ってたんだ。ちなみにソイツは――【魅惑の魔眼】を持ってる」

「なるほどのぅ。つまり――【魅惑の魔眼】で妾を魅了して、汝の下僕にでもするつもりじゃったか」


 ヤンフィは、スゥと目を細めて、ソーンの全身をゆっくりと一瞥する。距離は三歩、ソーンが頑丈であることを差し引いても、一息に殺すのは容易だ。

 ヤンフィが本気で怒っていることを察して、ソーンは冷や汗をダラダラと流しながら、即座にその場で土下座を敢行する。それはもう本当に反省しているとわかるほどの激しい土下座だった。それこそ、もうちょっとで、ジャンピング土下座が出来そうなほどの勢いだ。


「許してくれ!! ほんの出来心なんだ!! だから、頼むよ。オレを捨てないでくれっ!!」


 ソーンの土下座と大声の謝罪に、しかしヤンフィは、そんなことはどうでもいい、とばかりに別の質問を投げた。


「――異世界人が囚われている、と云う話は、嘘か真か?」

「そ、それは、本当だ! 信じられないかも知れないけど、ザ・サンが異世界人を集めて殺処分しているのは、間違いないぜ!」

「ふむ……ならば話を戻すが、結論として、【インデイン・アグディ】に一泊する必然性はない、と云うことで良いのか?」


 ヤンフィはフッと威圧を解き放って、さも軽い調子で問い掛ける。その様子に、ソーンはバッと顔を上げた。その顔は、どこか拍子抜けした風である。


「ゆ、許してくれるの、ですか?」


 恐る恐ると問うソーンに、ヤンフィは白けた表情のまま無言だった。ソーンは申し訳なさそうな表情をして、ゴクリ、と唾を呑んだ。


 ――そもそもヤンフィは、端からソーンを信頼してはいない。ソーンの言葉全てを鵜呑みにすることもなければ、裏があるに違いない前提で状況を考えている。それゆえ、騙されたとも思っていなかった。ヤンフィと煌夜にとって一番肝要なことは、異世界人が殺処分されることが事実であるかどうか、である。そして、それが事実であるならば、囚われた異世界人の中に、果たして煌夜の探し人が居るのか、居ないのか、それこそが最重要なのだ。それ以外の瑣末など、さしたる興味もないのが本音である。

 とは言えど、その事情をソーンに説明するつもりはない。

 ヤンフィにとってソーンは、一時的に利用するだけの道案内だ。それ以上の役割は期待していないし、期待するつもりもなかった。


「許す、許さない以前に……ソーンよ。妾の質問に答えよ。妾を貶める為以外に、一泊する必然性はあるのか、ないのか?」


 ヤンフィが先ほどと同じトーンで、同様の質問を口にする。それに気圧されつつも、ソーンは感謝して頭を下げながら、力強く断言する。


「一泊する必然性は、あるぜ。というよりも【魅惑の魔眼】の件があろうとなかろうと、ヘブンドームで一暴れするには、インデイン・アグディで準備しなけりゃ、マズイんだ」

「ほぅ――それで? いい加減に、話を引っ張らず端的に答えよ」

「……まぁまぁ、ちょい待ってくれって。ほら、もうインデイン・アグディの裏門が見えてるんだからよ。一旦、宿に落ち着こうぜ。そしたら、改めて説明するからよ」


 騙しとかはないぜ、と気持ち悪いウインクをしてから、ソーンは眼下の崖から見渡せる街の明かりに視線を向けた。

 森は200メートルほど先の丘で切れており、そこには見晴らしのよい崖があった。そしてその崖からは、夜闇を彩る生活の明かりが点々と見えている。そこが【霧の街インデイン・アグディ】のようだ。

 ヤンフィはソーンと同じように街を見下ろしてから、チッ、と舌打ちしつつも、無言でまた歩き出す。それに続いて、ソーンも足を踏み出した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 霧の街インデイン・アグディ――【魔法国家イグナイト領】にあって、最も東方の辺境にある田舎街である。周囲を小高い山に囲まれた山間の街であり、行くのも出るのも一苦労する立地だった。それ故に陸の孤島と揶揄されることも多く、他の街との交流もほとんどない。総人口五千人という小さな街で、よそ者に当たりが厳しい閉鎖的な街である。

 ちなみに『霧の街』の由来は、日が沈んでいる間、街全体が霧に包まれることからきている。

 余談だが、一生に一度は観光したい街ランキングでは、常に上位に選ばれる街なのだが、来訪の困難さと、よそ者への対応の悪さなどから、観光客の比率は一割にも満たない街でもある。


 さて、そんなインデイン・アグディの大通りを、ヤンフィとソーンは歩いていた。

 周囲は既に薄暗闇で包まれており、靄よりも濃い霧が漂い始めている。人通りはほとんどなく、活気は感じられない。しかし立ち並ぶ家々に明かりは点いているので、人が居ないわけではなさそうだった。

 周囲の建物に視線を走らせつつ、ソーンは迷いない足取りで先頭を歩いていく。無言のままヤンフィはそれに続いていた。


「もうちょっと行ったとこに、この街唯一の宿屋があんだ。結構良いとこだぜ?」


 ニカっと笑顔を見せるソーンに、ヤンフィは冷たい視線だけで応える。

 宿屋で一泊するつもりなど、ヤンフィには毛頭ない。けれど、異世界人が囚われている神殿【ヘブンドーム】がどこにあるのか、その所在地を知らぬうちは、とりあえずソーンに付き従う必要があろう。ついでに、ソーンが何を企んでいるのか、それを知れれば御の字である。


 大通りを二十分ほど歩いていると、やがて正面に、四階建ての赤茶色の壁面をした豪華な建物が見えてきた。その建物を見つけると、いきなりソーンが振り返って、グッと親指を立てた。ここが宿屋だぜ、となぜか自慢げに言い放つ。

 ソーンのその態度は、非常に不愉快だ。ヤンフィはいっそう冷たい空気をぶつけてから、ソーンなど無視して追い抜くと、その建物の扉を開ける。


「あ、ちょ、ヤンフィ様!? オレを置いてかないでくれよ!」

「――むしろ、汝は来るでないわ。汝のような半裸の変態が一緒では、部屋など取れぬじゃろぅ?」


 泊まるつもりはないにせよ、多少腰を落ち着けたい欲求はあった。若干、煌夜の身体も空腹を訴え出している。ヤンフィは、宿屋で一時間程度休憩して、腹ごしらえなどしてから、囚われた異世界人たちを救出に向かおうと考えていた。

 けれども、筋骨隆々で首にチョーカー、ドレッドヘアの巨漢で、挙句に半裸のブーメランパンツという変態を引き連れていては、部屋など取れるはずがない。普通の宿屋ならば、即刻、門前払いされてもおかしくはない。

 そんな考えは、しかしソーンには通じていない様子で、ソーンはヤンフィの仲間と言わんばかりの近距離に寄ってくる。ヤンフィはウンザリとした表情のまま、受付に近付いた。

 宿屋の中は、外観よりも年季が感じられて、質素な受付と待合席のソファが置かれているだけだった。客はおらず、受付に機嫌の悪そうな老婆がいるだけである。老婆は椅子に座って、まるで死んだように静かに雑誌を眺めていた。


「……すまぬが、部屋は空いているか?」


 ヤンフィはソーンをチラと見てから、恐る恐ると老婆に話しかける。

 受付の老婆は、話しかけてきたヤンフィを見ると渋い顔をした。しかしその直後、背後にいるソーンの姿を見て目の色を変える。それは、驚愕の表情だったが、恐怖ではなく歓喜の類だった。


「あ、貴方様は――ソーン・ヒュード様!? い、いつ、お戻りに!?」


 老婆は突如直立不動に立ち上がり、年の割りに高い声で叫んだ。ヤンフィはその激しい勢いにたじろぎつつ、背後のソーンを睨みつける。


「おう、今の今だ――最上級部屋を一つ使うぞ。ああ、それと、食事をすぐに運んでこい」

「ハ、ハイ。畏まりました!」


 ソーンはさも当然のように老婆にそんな命令を下すと、うん、と大きく頷いてから、ヤンフィに気持ち悪い笑顔を向けてきた。


「へへへ、すげぇだろ、ヤンフィ様。実はこの宿屋、世界蛇の息が掛かってんだ――だから、オレらの好き放題できるぜ。ここを我が家だと思って寛いでくれて大丈夫だぜ?」


 言いながらソーンは、受付の脇にあった扉を開けた。そこには狭い階段があり、躊躇なくそれを上がっていく。

 ヤンフィは胡散臭い表情を浮かべながら老婆を一瞥して、ソーンの後ろに続いた。老婆は初対面のはずのヤンフィに恐縮した様子を見せてから、慌しく受付奥に消えていく。

 ソーンは勝手知ったる何とやらで、最上階まで階段を上がり、長い廊下の一番端の部屋にヤンフィを案内する。鍵は掛かっていなかった。


「――ここが、最上級部屋だぜ」


 ソーンの案内したその部屋は、最上級というに相応しい豪奢な構造をしていた。

 部屋の中に入って、煌夜は思わず心の中で唸った。室内は2LDKのスイートルームだった。入ってすぐにあるリビングは広く、見るからに柔らかそうなソファ、部屋の隅には大きな執務机、木目の美しいテーブルもあり、絵画や造花などの調度品で彩られていた。

 煌夜の驚きはさておいて、ヤンフィは鋭い視線で部屋の中を一瞥する。何者かが隠れていないか、何らか魔術的な罠がないかを確認して、警戒しながらも、ひとまずソファに腰を下ろした。ソファは腰が沈むほど柔らかかった。

 ヤンフィがソファに腰を沈めたのを見てから、ソーンがソファの前に座り込む。


「……さて、とりあえず宿に着いたぞ。妾が納得できる説明をしてみせよ」

「ああ、分かってるぜ。今からちゃんと説明するよ――と、その前に、コイツを受け取ってくれ」

「何じゃ、これは?」


 ソーンはブーメランパンツに手を突っ込んだかと思うと、黒い宝石が付いた無骨な腕輪を一つ取り出した。それをヤンフィに差し出すが、ヤンフィは受け取らず、汚物を見るような眼でソーンを睨みつけた。


「コイツは【従魔じゅうまの腕輪】――装備すれば、途端に【魔神語デモンラング】が理解できて、しかも喋れるようになるって代物さ。世界蛇の幹部クラス……具体的には、レベル3以上の人間に配給される魔道具なんだ」

「――――それが?」


 ヤンフィはソーンの意図を図りかねて、眉根を寄せた難しい顔で首を傾げた。その態度にソーンは苦笑いを浮かべながら、腕輪を床に置いた。


「これがあれば、異世界人たちを捕らえているザ・サンの結界魔術は素通りできるぜ」

「ほぅ――なるほどのぅ」

「んで、囚われてる連中は、奴隷商人が使う運搬用の檻――時空魔術で作った居住箱みたいなもんだが、それに格納すれば、難なく連れ出せるだろうぜ」


 ソーンの語る内容に、ヤンフィはふむふむと頷いた。すると、ちょうどその時、入り口の扉が軽くノックされた。すぐさまソーンは立ち上がり、入り口へと振り返る。

 食事でも来たのだろうか、とヤンフィは軽い気持ちで扉を見た。

 果たして、扉はゆっくり開かれる。けれどそこには、灰色のパーカーを身に纏い、フードを目深に被って顔を隠した三人組が立っていた。だぶついたパーカーのせいで、体型が分からず性別までは判断出来ないが、如何にも怪しい三人組である。

 ヤンフィは一瞬で警戒を強めて、いつでも戦闘できるよう身構えた。


「へへへ……やっぱ、テメェが来るかぁ。おい、エルネス。何の用だ?」

「まったく同じ問い。ソーン、貴方、何の用?」


 ソーンが強い口調で問い掛けると、灰色パーカー三人組の後ろから、金髪ポニーテールで、修道服を身に纏った妙齢の女性が姿を現した。

 ソーンに『エルネス』と呼ばれたその彼女は、片言の【東方語イーストラング】を話して、凄まじい威圧を放っていた。そのエルネスを見た瞬間、ヤンフィの背中をゾワリと怖気が走った。隠す気のない膨大な魔力が、尋常ならざる存在だと雄弁に語っている。

 ヤンフィは内心で舌打つ。垂れ流されている覇気と、その異常なほどの威圧感から察するに、彼女はソーンと同格か、もしくは格上の存在である。戦えば、もしかしたらタニアよりも厄介かも知れない。

 ヤンフィは無意識に、腰元の柄に手を添えた。いつでも剣を抜けるよういっそう緊張を高める。

 険悪な空気が室内に漂い始めた時、しかしソーンが肩を竦めて鼻を鳴らした。


「オレは、魔道元帥ザ・サン様の【ヘブンドーム】に見学に来ただけだぜ? 他意はねぇ」

「嘘――知ってるわ。貴方、選定者資格、剥奪されたでしょう? だからもはや、世界蛇所属じゃないでしょう?」

「ああ? だとしたら、何だ? オレじゃ、見学許可証は下りねぇってか?」

「許可、出ると思う理由、知りたいわ。貴方、裏切り者の自覚、あるの?」

「裏切り、だぁ? オレは任務中に私欲を優先しただけだろうが――実際、任務はクリアしてるぜ?」


 エルネスと何やら言い争い始めたソーンは、再びブーメランパンツの中に手を突っ込むと、そこから石化した神竜の卵を取り出した。そしてそれを、唐突にヤンフィに向かって放ってくる。

 ヤンフィは当然受け取らず、石化した卵は傍らのソファに沈んだ。バチバチと一瞬だけ紫電が走る。

 その様を見て、エルネスは驚愕に目を見開くと、ブワッと全身からより凄まじい魔力を溢れさせた。明らかに苛立っている様子が窺えるが、同時に、どうしてか喜びの感情も読み取れた。


「おい、どうだ? しっかりと【神竜の卵】は確保してるだろ? オレがこれを持参して許しを請えば、きっとバルバトロス様なら許してくれるだろうぜ?」


 ソーンは勝ち誇ったような笑みで、エルネスを挑発する。エルネスは、グッ、と息を呑んだ後、背後に控えた灰色パーカーの三人に目配せしてから、胸を張って部屋の中に入ってくる。灰色パーカーの三人は、そんなエルネスに続いて室内に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。

 何が何だか分からず、ソーンとエルネスの会話の応酬にもついていけず、ヤンフィは、ギリギリ、と奥歯を噛み締める。苛立ちのまま暴れ回って、この場の全員を殺してしまいたい衝動にも駆られたが、その感情は強く自制した。

 殺すのはまだまだ早計である。少なくとも現状、ヘブンドームを襲撃する為に必要な情報が、圧倒的に足りない。

 ヤンフィは静かに苛立ちを飲み込み、心の中でキョトンとしている煌夜に話し掛けた。


(……此奴らが何を話しておるのか、どうしてこうなったのか妾には理解できぬが、とりあえず静観するとしよう。悪いがコウヤよ、しばし我慢せい)

(あ、ああ。俺はいいけど……何なんだ、いったい。展開が意味わからん)


 うむ確かに、とヤンフィはしみじみと頷き、緊張感の高まる室内に意識を戻した。

 すると、室内に入ってきたエルネスが、自然な動作で部屋の中央まで歩いてきたかと思うと、右手を自身の胸に当てて、ヤンフィに視線を向けた。


「エルネスは、【世界蛇】東方担当。レベル3【選定者】、エルネス・ミュール。三人は、ライ、レイ、ミリイ」


 自らをエルネスと呼んで自己紹介すると、エルネスは優雅な仕草で頭を下げた。そしてそのまま背後の三人に振り返り、順繰りに紹介をしてくれる。灰色パーカーの三人は名前を呼ばれると一度だけ頭を下げて、手を後ろに直立不動の姿勢を取った。

 そんな三人の姿勢に満足げな頷きを返してから、エルネスはヤンフィに首を傾げてみせる。


「――それで、貴方は?」


 怜悧な表情に冷淡な笑みを浮かべて、その声は感情の篭っていない無機質なものだった。ヤンフィはそれには答えず、憮然とした表情を浮かべる。


「おいおい、エルネスよ。自己紹介より先に、まずはその凶器みたいな魔力を抑えろ。それと、あらかじめ言っておくが、オレのヤンフィ様に危害を加えたら、殺すからな」

「ソーン、話の腰を折らないで? ――それで、貴方は?」


 ソーンの横槍など一蹴して、エルネスはもう一度同じ問いを繰り返す。今度はより強い眼光、より強い威圧で、有無を言わせぬ迫力さえあった。

 気圧されたわけではないが、ヤンフィは不承不承と息を吐いて、仕方なく名乗ることにした。まあそもそも、わざわざ名乗らずとも、既にソーンが名前を言ってしまっているが――


「妾は、ヤンフィじゃ。それが何か?」

「ヤンフィ、ね――――貴方、魔王属(ロード)、従えてるの?」

「……それは、どう云う意味か?」


 エルネスの唐突な問いに、ヤンフィはギクリと感情を粟立たせた。だが、そんな動揺をおくびにも出さずに、平静な声で首を傾げる。


「否――――従えてるのでなく、魔王属に、支配されてる?」


 ヤンフィの問い返しに、けれどエルネスはカッと目を見開いたかと思うと、緩く首を振って自らの言葉を否定する。エルネスのダークブラウンの瞳が、その時突如、血のような紅に変わり、まるで竜族の眼のように瞳孔が縦に割れた。ギラリとした鋭い眼光がヤンフィの姿を射抜き、思わず尻込みしそうになるほどの威圧が叩きつけられた。

 ヤンフィは知らず知らず息を呑み、震える声で呟いた。


「まさか、汝――【竜眼(りゅうがん)】持ち、なのか?」


 恐る恐ると口にしたそれに、エルネスは双眸を細めて強く頷いた。一方、心の中では、煌夜が疑問符を浮かべながら首を傾げていた。『竜眼』という単語に、何ソレ、と呟く。


(……竜眼とは、魔眼の中でも最高位にランクされるものの一つじゃ。一部の竜種が、永い年月を経て習得することの出来る魔眼でのぅ。効果は、あらゆる生命体の魔力を視認して、あらゆる存在に畏怖と恐怖を植え付けることが出来る。また、あらゆる魔術的な制約を打ち消すことが出来て、他の魔眼の影響も受けない――さて、つまりは、コウヤの中に妾が宿っておることを見抜かれた)


 ヤンフィの説明に、なるほど、と煌夜は納得する。実際のところは、それ以外にも驚異の奇跡を引き起こせる魔眼なのだが、ヤンフィはあえて説明を省いた。

 エルネスは冷淡な笑みを浮かべたまま、片言の口調で質問を続けた。


「ヤンフィ、貴方、寄生型、魔王属?」

「無礼な――――じゃが、答える義務はない」

「…………そ。ま、どちらにしろ、魔力薄弱、雑魚、ね」


 ヤンフィの憮然とした答えに、エルネスは冷たく吐き捨てる。そして自ら問い掛けたくせに、すぐさま興味を失って、ヤンフィから視線を外した。鋭い眼光はソーンを向いた。


「ソーン。貴方、何しに、ここに? 雑魚とはいえ、魔王属連れ――――何が目的?」

「おい、エルネス。テメェ、ヤンフィ様を馬鹿にするなよ。次は許さねぇぞ?」


 エルネスの眼光に、ソーンは思い切りメンチを切ってから、語気荒く凄んで見せる。しかしそんな凄みなど何処吹く風と、エルネスはツンとすまし顔だった。


「チッ――ああ、オレらの目的? オレらの目的は明白だぜ。ヘブンドームを見学させろ」

「無理。裏切り者に、許可証、出せるわけない」

「はん? なら、神竜の卵と交換ならどうだ? オレの手柄、欲しくないか?」


 即答したエルネスに、ソーンは挑発的な視線を向けた。と、すぐに顔を逸らして、ソファに沈む神竜の卵に視線を向ける。エルネスはその視線に誘導されて、同じように石化した神竜の卵に顔を向けた。その途端に、エルネスの視線は縫い付けられたかの如く凍りついた。


「神竜の卵、交換……エルネスの、手柄……」


 ソーンの言葉を反芻するように呟いて、エルネスは一瞬だけ表情を緩めた。けれどすぐさま顔を引き締めて、まったく感情の窺えない無表情に変わった。


「貴方――何する、つもり?」

「テメェが知る必要はねぇ。オレは交渉を持ち掛けてるだけだ――で、どうするんだ? 交渉するか、しないか、サッサと決めろ」


 恐る恐るとしたエルネスの問い掛けに、ソーンは強気の態度で挑発した。エルネスはその台詞にムッと眉根を寄せて、けれどすぐまた無表情になり一つ頷いた。


「許可証、だけ?」

「時空魔術の檻――【奴隷の箱】の大型を一つ。それと、変装用の魔道具を二つ用意しろ。ついでに、魔道元帥様の直近の予定を教えろ。そんで、オレらが無事にヘブンドームの見学を終えることが出来たら、神竜の卵をくれてやるよ」

「…………対価、不釣合い」

「ああ? どこが不釣合いだ? エルネス、テメェが神竜の卵を手に入れれば、レベル4【洗礼の長】の座も、夢じゃねぇんじゃねぇのか? それを考えたなら、だいぶ破格だと思うぜ?」


 違うか、とソーンはニヤニヤ笑いでエルネスを一瞥する。その視線に、エルネスはタップリ一分間凍りついていた。無表情のままで、損得計算に思考を巡らせているようだ。

 そうして、しばし沈黙が漂った後、エルネスは静かに口を開いた。


「――――明日、九時、迎えに来るわ」

「迎えなんざいらねぇよ。許可証と、魔道具だけあればいい」

「駄目。エルネスも、同道します。貴方、信用できない」


 エルネスは決然とした口調でそう告げて、そのままクルリと踵を返す。

 チッ、とソーンは大きく舌打ちをするが、エルネスの歩みは止まることなく、振り返らず部屋を出て行った。そんなエルネスに続いて、灰色パーカー三人組も、音もなく部屋を後にする。

 何やら意味が分からないが、これで何らかの交渉が終わり、ひと段落したようだ。ヤンフィと煌夜の気持ちや都合を完全に無視して――

 このやり取りを見て、ヤンフィは一つの決意をした。


「……まぁ、そういうわけでよ。ヤンフィ様、ヘブンドームに向かうのは、明日の朝に――」

「――ソーンよ。汝は妾との約束を違えた。『妾たちの行動を妨げない。協力を惜しまない。あらゆる情報を提供する』――それが叶わぬのだから、もはやこれ以上、妾は汝と一緒に行動できぬ」


 悪びれもせず口火を切ったソーンに、ヤンフィはピシャリと断言した。衝撃的なその台詞に、ソーンは二の句が告げず、ビクッと身体を硬直させた。

 そんなソーンを一瞥してから、ヤンフィはゆっくりとソファから立ち上がる。そのまま固まっているソーンを素通りして、部屋を出ようとした。


「あ、え……ちょ、ちょっと待ってくれ、ヤンフィ様!! ど、どうしたんだよ!? オレが何かしちまったか!?」

「何か、じゃと? 汝は、汝自身の役割を理解しておるのか? いったい誰の許可を得て、身勝手に話を進めておるのじゃ?」

「え――あ、そういう……すまん、いや、すみません!! こ、この通り、謝るから許してくれ。今のは必要なやり取りだったんだ――」

「必要か、不必要か、それは汝の決める範疇ではない」


 部屋を出ようとするヤンフィに対して、ソーンは慌てふためいた。そして蒼白の表情ですかさず土下座を始める。そんなソーンを、ヤンフィは冷めた表情で眺めただけだった。もはや、なけなしの信用は完全に失われている。


「あ、あ、あ……そ、そうだ! オレは、まだヘブンドームの場所とか、案内してないぜ!? 案内がないと、困るだろ!? あそこに行くには、かなり特殊な――」

「不要じゃ。後は自力で何とかする。妾は、舵のとれぬ船に乗るほど、愚かではない」


 必死の様相でヤンフィを引き止めようとするソーンの言葉を、しかしヤンフィは、聞く価値なし、と一蹴した。如何なる事情か、如何なる内容か、それらはともかく、情報の開示を怠り、あまつさえ勝手に判断するソーンなど、これ以上当てにすることはない。


 ヤンフィはスッとソーンから視線を切って、迷いない足取りで部屋を出た。追い縋るようにソーンが土下座した状態で手を伸ばしてきたが、振り返ることはおろか一瞥すらせず、そのまま出て行く。


「ヤ、ヤンフィ、様――ッ!!?」 

 

 ソーンの絶叫を背中に受けつつ、ヤンフィの思考は既に次のステップに移行している。

 神殿【ヘブンドーム】とは、いったい何処に存在するのか。囚われた異世界人たちを、いったいどう連れ出すか――情報を収集して、整理する必要があるだろう。


(とりあえず、コウヤよ――最優先事項として、この辺境の街から、クダラークまで、帰る手段を見繕わなければならぬのぅ)


 ヤンフィは、心の中で溜息を漏らしていた煌夜にそう告げる。煌夜はそれに疲れた様子で頷いた。前途多難は毎度のことだが、やはり何らか問題が発生するのがデフォルトのようだ。ここに至るまでの平穏な二日間は、嵐の前の静けさに他ならなかったらしい。


 そんな煌夜の陰鬱とした気分に苦笑しながら、ヤンフィはインデイン・アグディの冒険者ギルドを目指して歩き出した。


6/27 一部の描写改稿


※時系列B-5

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