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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第六章 湖の街クダラーク
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第四十話 未知との遭遇

 その路地裏に入ると、まず鼻を突いてきたのが生臭い血の匂いだった。左右の壁を見ると、ペンキを塗りたくったように赤い血がこびり付いている。

 次に臭ってくるのは、吐瀉物の異臭。それも肉とか酒とか、臭い物を喰った後の酷い刺激臭だ。それが濃厚な血の匂いに混じって、まったく芳しい悪臭を放っている。

 しかし、そんな悪臭漂う路地裏を、タニアは平然として突き進んでいく。まるで匂いなど感じていないかのように、ほんの少しも怯むことはなかった。


「…………ちょっと、タニア。さすがにここ、臭過ぎるわよ」


 セレナがフードの中で鼻を抑えながら訴える。ヤンフィも嫌悪感あらわに頷いた。けれど、タニアは気にした風もなく首を傾げる。


「クサいにゃあ、だから何にゃ? こっちが近道にゃ。我慢するにゃ」


 そんな有無を言わせぬ断言で、ズンズンと先に進んでいく。その態度に、セレナとヤンフィは、まあ仕方ないか、と文句を飲み込んだ。


 しばらく進んでいくと、血だらけの浮浪者が幾人も転がっていた。路地に崩れ落ちている彼らは、一様に苦痛に悶えて呻いている。一見して地獄絵図だ。だが、そんな彼らなど意に介さず、タニアは勿論、セレナもヤンフィも、道端の小石を見るような冷めた視線で眺めてから、無視して突き進んでいく。


「……何者かが、戦っておるのぅ」


 ほどなく路地の奥から、ドガバキ、と何かを強く殴りつける音と、激しい口論、怒号が、鮮明に響いてくる。その声と音は明らかに戦闘の音だったので、ヤンフィはなんとなく呟いた。タニアは、んにゃ、と当然のように頷いた。


「ただの酔っ払い同士の喧嘩、だと思うにゃ――何を言っているか、意味不明にゃ」


 タニアが下らなそうに説明をして、ちょうど音の響いてくる路地の角を曲がった――瞬間、浮浪者がいきなり宙を舞って飛んで来る。

 思わず三人は仰天して、足を止めた。宙を舞った浮浪者は血を撒き散らしながら、タニアの目の前に落下して転がる。


「チッ――また、新手か!? この変態どもめっ!!!」


 また同時に、鋭い怒号が飛んできたかと思うと、先頭を進んでいたタニアに巨漢が襲いかかってくる。巨漢は凄まじい速度の踏み込みで、岩のような拳の打突を繰り出した。

 完全に不意打ちの攻撃――煌夜なら反応もできなかっただろうその一撃を、しかしタニアはつまらなそうな溜息を吐きつつ、軽く受け止めた。相手が悪い。

 刹那、ドガン、と爆発したような衝撃と音が響いて、巨漢の動きがピタリと止まる。一方、タニアは珍しくも眉根を寄せて、その威力に一歩たじろいでいた。


「何だぁ、やるじゃぁねぇか――って、あんんん? テメェ、獣人族? えらい美形じゃねぇか、気持ち悪ぃ――しかも何だ、テメェ? そんな露出しやがって、変態か?」


 巨漢は拳を押しつけながら、タニアと睨み合う。しかし、気持ち悪いのも変態なのも、誰が見てもその巨漢こそ、であった。

 その巨漢は、プロレスラーを思わせるガッチリした体躯で、身包みを剥がされた後なのか、ボディビルダーが穿くようなブーメランパンツのみを身に着けていた。はち切れんばかりに膨らんだ胸筋、丸太の如く太い上腕二頭筋、鎧のような六つに割れた腹筋――両眼に鉤爪状の傷があり、肩口まである髪の毛をドレッドヘアにしていた。ゴツイ首には、黒いチョーカーが巻かれている。


「変態にゃのも、気持ち悪いのも、お前にゃ! いきにゃり何するにゃ、殺すぞ!」

「……テメェ、よく見りゃあその格好で……しかもガルム族ってぇことは――まさか、悪名高いガルム族の暴れ姫か? んな奴まで借り出しやがって――あの、クソ変態ども」


 巨漢は盛大に舌打ちして、バッと腕を振り払う。すると、タニアは不愉快そうに唾を吐いて、後方にザッと飛び退いた。

 あまりの出来事に仰天して立ち止まったヤンフィたちを庇うように、タニアはその巨漢と対峙する。

 巨漢はタニアよりも頭二つ分は背が高かった。身長は優に2メートル以上あろう。対峙すると、その威圧感が凄まじい。巨漢の放つ威圧感は、ヤンフィやタニアのものとまったく遜色がない。煌夜は思わず恐怖で震えた。


「……ちょっとちょっと、何なのよ、何が起きてるのよ? タニア、ソイツ何なのよ?」

「……おい、タニア。妾にも説明せよ。何なんじゃ、此奴。何故いきなり敵対してくる?」


 庇われているセレナとヤンフィが、背後からタニアに質問する。タニアは困った表情でチラリと振り返ってから、すぐさま視線を正面に立つ巨漢に戻して、グッと拳を握って構えた。その全身からは戦意が溢れた。


「あちしにも分からにゃいにゃ……と言うか、この変態、完全に酔っ払ってるにゃ」

「あああん!? オレは、どこも酔ってねぇぞ!! つうか、テメェら、オレを狙ってきた賞金稼ぎの連中だろうが! いいぜ、殺ってやんよ!!」


 巨漢はそんなことをのたまうと、さらに威圧を強めて、その全身に魔力を漲らせた。そして、おおぉぉ――と、浅黒い顔を真っ赤にして吼える。そんな巨漢に向かって、タニアは問答無用で右ストレートを繰り出した。

 ドズン、と重い音が響いて、タニアの拳が音速で巨漢の胸元に突き刺さる。だが、巨漢の筋肉を貫くことは叶わず、厚い胸板に受け止められていた。


「にゃにゃにゃ!? 硬い、にゃ」


 タニアはおろか、その光景にヤンフィとセレナも驚愕する。今までタニアの拳は、あらゆる装備を紙のように軽々と貫き、筋肉のみならず内臓まで粉砕する必殺の拳だった。それが生身の筋肉に受け止められたのである。しかも、受け止めた胸板は無傷だ。驚かないはずがないだろう。


「って、んにゃ?! クッ――」

「――超・剛・力!!」


 そんな驚愕も束の間、タニアの拳を胸板で受け止めた巨漢は、よく分からない掛け声と共に豪腕を振るった。それは、俗に言うラリアットである。だがただのラリアットではなく、魔力が篭められたとんでもなく重たい一撃で、且つ、迅雷の如き疾さだった。

 タニアは咄嗟に腰を落として両足で踏ん張り、首を目掛けて繰り出されたそのラリアットを両腕を使って防御した。

 瞬間――ボン、と短い爆音が鳴り響き、強烈な衝撃波が発生する。構えていたタニアはかろうじてその衝撃に堪えたが、それでも足が地面にめり込んでいた。けれど、不意打ちでその衝撃波を喰らったセレナとヤンフィは、あまりの威力に壁際まで吹っ飛んだ。


「こ、の……変態、にゃぁ!!」


 タニアはラリアットを受け止めた姿勢のまま、美しい脚線美を見せ付けるようにして、巨漢の首筋へとハイキックをお見舞いする。見事な放物線を描いて繰り出されたそれは、ドゴン、と重い音を立てて、巨漢の首筋に突き刺さる。

 ところで、二人の攻撃はどれもこれも効果音がおかしかった。少なくとも、肉と肉がぶつかる音とは思えない。一撃一撃が、まるでミサイルか爆弾、もしくは金属同士の激突音である。煌夜は、まるで怪獣対決だな、と他人事のように思っていた。


「――――ガァ、ッ!?」


 巨漢はタニアのハイキックの直撃を受けて、驚愕の顔と苦痛の声を漏らす。そして膝を折ってその場に崩れ落ちた。やはり首筋は効いたらしい。とは言え、タニアが本気で蹴り上げたはずのハイキックを受けて、即死しないどころか、意識すら失わないのは化物である。しかも外見上は、それほどダメージを負ったようにも見えない。


「これで、終わりにゃ――【魔突掌まとつしょう】!!」


 タニアは、崩れ落ちた巨漢の背中にすかさず手を当てて、ニヤリと笑いながらトドメを刺そうとした。それは本気で殺す気の、情け容赦のない即死の技だった。

 魔闘術の中で最強を誇る奥義――必殺の一撃。対象に接触して放つ零距離の打突だ。以前、煌夜の身体をこれ以上ないほど即死に追いやった技である。


「――あ、まいッ!!! 超絶・迅雷!!」


 しかし、タニアの技は巨漢の命を奪うに至らなかった。巨漢は、魔突掌が放たれるより速くその巨躯を動かして、ゴロゴロ転がって避けたのだ。信じ難い敏捷性だった。

 驚愕するタニア。不発となった魔突掌はそのまま霧散した。

 けれど、驚愕していたのはタニアだけではない。この戦闘を見守っていたヤンフィもセレナも、タニア以上に驚いていた。まさかこんな変態巨漢が、タニアと対等に戦えるとは想像もしていなかったからである。


「この、気持ち悪い発情猫がぁ……噂以上に、暴れ姫だなぁ」

「にゃんだ、コイツ? 魔力値、124程度にゃのに、手強いにゃ――異常者にゃ!」


 タニアと巨漢は、お互い距離を取って対峙した。踏み込めば三歩ほどの距離で、一触即発の空気が流れ始めた。吐瀉物と血の悪臭、酒の匂いに満ちたその路地裏が、一転、張り詰めた戦闘の空気に変わる。


(……何が、何なんだよ? 今日は平和に終わると思ってたのに……)

(コウヤよ。汝はよほど厄介事に好かれておるようじゃのぅ)

(好かれたくねぇよ、マジで)


 煌夜はもはやウンザリとした様子で息を吐き、巻き込まれないことを静かに祈る。それはセレナも同じ気持ちであり、さりげなくタニアと巨漢から距離を取っていた。

 その一方で、タニアは完全に戦闘モードになっており、凄まじい闘気を溢れさせながら拳を構える。応じるように、巨漢はどこか愉しそうに口元を歪めつつ、グッと拳を構える。

 そうして、緊張の空気が段々と高まり、一触即発、今にも戦闘が始まる――――刹那、巨漢が愉悦の表情のまま、口からゲロを溢れさせた。


「うげぇえええぅ――ぐぁぇえええ!!」

「――にゃ、にゃにゃにゃ!?」


 鼻と口から盛大に汚らしい吐瀉物を溢れさせながら、巨漢は白目を剥いて倒れ込む。その顔面は己の吐いたゲロの海に沈み――辺りは静寂に包まれた。

 誰もがその光景を前に、呆気に取られていた。また、漂い始めるその異臭に、口元と鼻を強く押さえていた。何が起きたのか、意味が不明すぎた。誰もが混乱していた。


「…………何なんじゃ、此奴」


 しばしの沈黙の後、いち早く冷静になったヤンフィが、凄まじいその異臭に顔を顰めながら呟く。それに対して、タニアがやはり渋面を浮かべながら、首を横に振った。


「分からにゃいにゃぁ……殺そうかと思ったにゃが、ここまで汚いと手を出したくにゃいにゃ」

「――無視しましょうよ。殺す必要も、意味もないでしょ?」


 タニアの意見に、セレナも賛同する。ヤンフィも同様なのか、頷きだけ返して、倒れこんだ巨漢を避けるように壁伝いに路地を歩いた。

 先を行くヤンフィの背中を見て、タニアとセレナも巨漢を無視することに決める。もはやトドメなど刺さずに、巨漢の身体とゲロの海を飛び越えて、ヤンフィの隣に並ぶ。するとその瞬間、巨漢がピクリと身動ぎした。

 ヤンフィたちは慌てて、その場から逃げるように早足になった。


「――――こ、だっ! こっちに、いたぞ!!」


 しかし、ヤンフィたちが向かう先から、ガヤガヤと騒がしい声が響いてくる。何じゃ、とヤンフィたちは歩を止める。内心で、煌夜は嫌な予感がしていた。


「こっち――ん、何だ、貴様ら、何者だ!?」


 ゾロゾロと現れたのは、屈強な肉体をした完全武装の冒険者たち――その数、七人である。全員はいかにも殺気立っており、先導しているリーダーらしき男は、抜き身の剣を構えていた。明らかに厄介事の類だと理解できた。巻き込まれたくはない。

 ヤンフィを筆頭に、タニア、セレナも状況を瞬時に理解して、現れた冒険者たちに道を譲るように路地の端に寄った。訳の分からない連中を相手に、わざわざ事を構える必要はないのだ。ヤンフィたちの目的は目下、歓楽街の奥にあるという美味い料亭である。


「っ!! おい、そこで伸びてるのは――ソーンだっ! 居たぞ、ソーンだ!!」


 路地の脇に寄って道を譲ったところ、剣を構えたリーダーらしき男が汚物塗れの巨漢に駆け寄って、その顔を覗きこんでから叫んだ。途端に、引き連れていた冒険者たちがざわつき、どうしてかヤンフィたちの行く手を阻むように広がる。


「にゃんだ、にゃんだ……あちしたちは、無関係にゃ」

「――貴様ら、ソーンの知り合いか? いや、まさか……貴様らが!?」


 巨漢に駆け寄ったリーダーらしき男は、唐突にヤンフィたちに剣を向けた。そして意味の分からない台詞をのたまうと、驚愕の表情を向けてくる。ちなみに、ブーメランパンツの変態巨漢は、ソーンと言う名前らしい。


「何が、まさか、じゃ? 其奴と妾たちは関係ないぞ。其奴に用があるのならば勝手にせい。妾たちはもう往く。汝らが何をしようと関与せぬ」


 ヤンフィは胸を張って、冷静に事実を述べた。その通りと、タニアもセレナも肯定する。だが、リーダーらしき男は大声を張り上げて、引き連れていた冒険者たちに号令を放った。


「――コイツらを逃すな!! 例の物は、コイツらが持っている!!」


 行く手を阻んでいた連中が、その号令を受けて一斉に武器を構えた。タニアは舌打ち、セレナは頭を抱える。ヤンフィと煌夜は、ため息を漏らした。


「タニア、此奴らの云っている意味が分からぬから、とりあえず殺さずに蹴散らせ」

「畏まりましたにゃ――さぁ、覚悟するにゃ」


 ヤンフィの指示に、タニアは嬉々として指を鳴らす。相対している冒険者たちも殺気を漲らせて、次の瞬間、真っ先にリーダーらしき男がヤンフィに斬りかかってきた。

 裂帛の気合と鋭い袈裟斬り、しかしそれを余裕の表情で避けて、ヤンフィはリーダーらしき男の顎を掌底で打ち抜く。それから流れる動作で足を引っ掛けると、タニアの前に転がした。それを受けて、タニアは待ってましたと言わんばかりに、リーダーらしき男の背中に踵落としを喰らわせる。バキン、と鎧が砕ける音が鳴って、リーダーらしき男はそのまま気絶する。


「邪魔にゃ」


 そしてタニアは、気絶したリーダーらしき男の顔面を蹴り上げた。手加減していてもその蹴りの威力は強烈で、リーダーらしき男はサッカーボールのように吹っ飛び、壁の中にめり込む。それを合図にして、他の六人が一斉にタニアへと殺到した。

 六人は息の合った華麗な連繋で、息つく間もない攻撃を繰り出した。コンマ数秒の時間差による波状攻撃、巧みで多彩な技が全方位からタニアに迫る。それは並の冒険者では凌ぐことさえ厳しいだろう連撃だったが、タニアとは役者が違いすぎた。

 竜巻の如き六人の攻撃を、タニアは睫毛一つ揺らさず平然といなす。また同時に、躱しながらカウンターを決めており、いったいどちらが攻めているのか、傍目からでは判断できなかった。


「分かってたけど、やっぱ雑魚ねぇ。タニアに敵うと思って――――きゃぁ」


 一方的にタニアが六人の体力を削る様を見て、セレナがボソリと感想を呟いた――その瞬間、何かに驚いて、可愛らしい悲鳴を上げる。

 その悲鳴を耳にして、ヤンフィはセレナに顔を向ける。するとそこには、ゾンビの如く這いずってきてセレナの足首を掴むブーメランパンツの巨漢――ソーンの姿があった。

 セレナはフードを被った状態でも分かるくらい驚愕しており、足元に這い寄ってきたソーンに顔を向けている。ソーンはゲロ塗れの顔を上げて、ふごふご、と呻いていた。非常に汚い。


「――どうしたにゃ?」


 ヤンフィとセレナが足元のソーンに意識を奪われていると、ドン、と大きな音が鳴って、タニアに襲い掛かっていた六人のうち、最後の一人が壁に叩き付けられてめり込んだ。あっと言う間に、タニアは六人を戦闘不能にさせていた。

 戦闘と呼べるか分からない一方的な暴力が終わって、振り返ったタニアが見たその光景は、セレナの足首を掴んだゲロ塗れで半裸の巨漢の姿だ。タニアは思わずドン引きする。


「にゃにゃ!? 汚いにゃ!!」

「――ちょ、止めて、よっ!!」


 タニアがソーンの姿を認めてしかめっ面になったと同時に、セレナは無詠唱でもって、足元に炎属性の攻撃魔術を展開する。それは容赦ない一撃であり、ソーンの全身を炎で包み込んだ。咄嗟に、ヤンフィは巻き込まれないよう距離を取る。


「ぐぅぅ、ううおおお――」


 ゲロ塗れのソーンは、それこそ本当にゾンビの叫びの如き重低音の唸り声を上げながら、文字通りに火達磨になって転がり回る。タニアはそんな光景を見て、いっそうドン引きしていた。当然、ヤンフィと煌夜も同じ気持ちだ。

 ブーメランパンツの巨漢が炎に巻かれて、ドレッドヘアを振り乱しながら転がる絵は、気持ち悪いの一言に尽きる。


「汚いし、気持ち悪いわね。何なのよ、コイツ」

「がぁあぁああ――暑い、暑い、暑い!!!」

「知らぬ。妾に聞くな……タニアよ、そこにおる馬鹿を尋問せい」


 吐き棄てるように言うセレナに、ヤンフィは冷静な声で首を振りながら、タニアに指示を飛ばす。タニアは、うにゃ、と頷いて、一番近い位置に転がる剣士の首根っこを掴んで持ち上げた。

 ところで、火達磨になって転がるソーンは、暑い暑い、と叫んでいたが、全身が炎に巻かれている割にはどこか余裕が感じられた。実際、常人ならば炎に巻かれた今の状態で、すぐに絶命するだろう。だが、ソーンは死ぬ気配も弱る気配もなかった。煌夜は、ホラー映画のようだと内心怖くなっていた。


「にゃぁ、にゃぁ。お前ら、何者にゃ? どうして、この変態を追ってるにゃ? と言うか、例の物って何の話にゃ? 答えにゃいと――捻り潰すにゃ」


 タニアは早口にそう言うと、ジタバタともがく剣士の首を絞め上げる。同時に、空いている左手で剣士の鳩尾を適度に殴りつけ、気絶させないよう配慮していた。剣士にとっては地獄の苦しみだろう。


「あ……ぐぅ……あ、た、助けて、くれ……お前らには、もう手は出さない……お、俺らは……」

「つべこべ五月蝿いにゃあ。サッサと必要にゃことだけ吐くにゃ。あちしら、これでも急いでるにゃ――あと十秒にゃ」

「ぐぅ……言う! 言うから、下ろして、くれ」


 タニアは必死の命乞いを始めた剣士の首を容赦なく絞めて、笑顔のまま剣士の肩を殴りつける。その一撃で剣士の肩は砕けたようで、右腕が力なくダランと下がった。それでようやく観念したのか、苦痛に顔を歪めつつ、剣士はブンブンと頭を縦に振った。


「にゃら、簡潔に説明するにゃ」


 剣士をその場にポイと放り投げると、タニアは躊躇なくその両脚を踏み潰した。逃げられないようにする為の行動だろう。剣士は絶叫を上げて、芋虫の如く地面を這い蹲る。


「あ、あ、あ……ぅ、ぐぅ」

「サッサと言うにゃ。言わにゃいと、次は首と胴体がお別れするにゃ」


 タニアの冷徹な脅しに、剣士はブルッと震えてから、絶叫するのを堪えていた。よくもその激痛に堪えられるものだと、煌夜は感心する。


「暑い、暑い、暑い――――うがぁああ!!! くぉ、そぉ――超絶・旋風!!」


 一方で、ゴロゴロと燃えながら転がっていたソーンは、突如、何やら絶叫すると、ムクリと立ち上がり身体をグルグルと回転させ始めた。その奇怪な行動に、セレナはさらに距離を取り、ヤンフィも怪訝な顔をソーンに向ける。

 ソーンはその場で、フィギュアスケートのスピンのように回転して、火の粉を撒き散らす炎の竜巻と化した。


「な、な、な――ちょっと、いきなり何なのよっ!!」


 あまりにも馬鹿すぎるソーンの奇行に、セレナは慌てた様子で複数の光の玉を召喚する。

 光の玉は炎の竜巻の周りを取り囲み、次の瞬間には剣の形に変わった。それは【光剣】――光属性の中級魔術で、非常に殺傷能力の高い攻撃魔術だ。直撃したならば、タニアでさえ無傷では済まないはずの高威力の魔術である。

 そんな光剣を、セレナは炎の竜巻と化したソーンにぶつけた。凄まじい速度で回転する炎の竜巻に、幾つも光の剣が突き刺さった。

 しかし、炎の竜巻はその勢いを止めず、揺ら揺らと動き出したかと思うと、進路を前方のタニアに向けて突き進み始める。セレナとヤンフィはそれを見て、壁際に身体を張り付けてやり過ごした。


「あ……ぐぅ……お、俺らは……賞金稼ぎ、専門の、Aランク冒険者だ。そこの……ソーンを、追ってる理由は――――あ?」

「――ん、にゃにゃにゃ!?」


 さて、もう一方、タニア側は、脅しに屈した剣士が事情を吐露しようとしていた。だが、その台詞の途中で、剣士は迫り来る炎の竜巻に気付いて、驚愕で口を半開きにして絶句する。そんな反応を見たタニアが、何事か、と背後を振り返り、襲い掛かってくる炎の竜巻を目の当たりにして、目を見開いた。


「何が起きたにゃ、これ!?」


 タニアは驚きの声を上げながらも、素早く路地の壁に飛びつき、見事な三角跳びで炎の竜巻を避けつつヤンフィたちの位置まで後退する。光剣が刺さった炎の竜巻は、路地のいる冒険者たちを飲み込んで、左右の壁を抉りつつ暴れ回った。

 タニアを含めて、ヤンフィとセレナは、その炎の竜巻を呆れた視線で眺めた。巻き込まれた冒険者たちは身体中を切り裂かれた上で、竜巻の上空でボロ雑巾のように回されていた。


「……にゃぁ、これ何が起きたにゃ?」

「知るわけ無かろう? じゃが、一つだけハッキリしておる。この路地に入って、あの半裸の変態と関わったのが、妾たちの失敗じゃった」


 ヤンフィは諦めたような声でタニアにそう答えた。するとちょうどその時、炎の竜巻は火の気が無くなり、突き刺さっていた光剣も弾かれて、ただの竜巻と成る。

 ほどなくして、竜巻は徐々にその勢いを失うと、突然、ピタリと止まった。必然、竜巻に巻き上げられていた冒険者は落下して、受身も取れず地面に激突する。彼らは死んではいないようだが、全身が複雑骨折しており、完全に意識を失っていた。


「あぁ、暑かったぜぇ――よくもオレを火達磨にしてくれたな! もう許さねぇぞ!」


 竜巻が霧散した後に現れるのは、当然ながらブーメランパンツのソーンである。ソーンは全身汗だくで、しかし火傷一つ負っていない無傷のまま、仁王立ちでセレナを指差した。


(…………なんで、無傷なんだよ、コイツ? 火達磨だったよな?)


 気持ち悪いくらいにテカった筋肉を見せ付けるソーンに対して、煌夜は素朴な疑問を思う。その疑問に対して、ヤンフィが面倒臭そうな表情で答えた。


「此奴、凄まじい魔術耐性を持っておるようじゃ。タニアと同等か、それ以上の魔術防御力じゃ。しかも近接戦闘能力も高い。出来れば、関わりたくないのじゃが――」

「――ぉおおおお!! 超・震・脚!!」


 ヤンフィのそんな台詞を遮って、ソーンは気迫の怒号と共に思いきり四股を踏んだ。途端、信じられないことに、ヤンフィだけでなく、タニアもセレナも、足元がグラリと揺れてバランスを崩す。けれど地震が起きたわけではない。振動のようなものが地面から伝わり、ヤンフィたちの体幹を揺らしたのだ。


「――チッ、此奴!」

「隙ありだぜ! 超――」


 酔っ払ったように揺れる体幹で、たまらずたたらを踏んだヤンフィに、ソーンはすかさず踏み込んできた。右拳は大きく引き絞られて、溢れ出る魔力がその威力を物語っていた。

 煌夜は冷静に、ああこれ受けたらヤバいな、と他人事のように思った。先ほどまでのソーンの攻撃力を鑑みるに、この一撃は間違いなく即死する。実際、その煌夜の危惧は間違っておらず、ヤンフィも相当焦っていた。


「ボス、危にゃい――グゥ、がぁ!?」

「――怪・力!!!」


 しかし、放たれたソーンの拳はヤンフィに到達しなかった。すぐ傍で体勢を崩したタニアが、持ち前の身体能力をフルに使って、無理やりに身体を割り込ませてくれたのである。おかげで、ソーンの一撃は無防備なタニアの脇腹に突き刺さって、ヤンフィは助かった。

 ちなみに、タニアの脇腹に突き刺さった一撃は、とんでもなく重いコークスクリューブローだった。脇腹に突き刺さる瞬間、超高速で拳がドリル状に回転して、タニアを弾き飛ばして壁にめり込ませる。


「セレナ、動きを止めよ!」

「――光鎖!!」


 吹っ飛ぶタニアを横目に、ヤンフィはセレナに指示を出す。するとセレナは、阿吽の呼吸で魔術を展開して、光の鎖でソーンの全身を締め上げた。

 ソーンは、むぅ、と一つだけ唸って、ピタリとその動きを止めた――否、動けなくなった。


「ぬぅ……光属性の拘束術、しかも上級か。だがこの程度なら――超絶・粉砕!!!」


 ソーンは全身を光の鎖に締め上げられた状態で、しかし余裕の表情を浮かべる。そしてまた、よく分からない技名を叫びながら、大の字に身体を広げた。すると、ソーンを中心に魔力の爆発が巻き起こり、光の鎖が弾き飛ばされる。

 その事実を見て、セレナが、嘘でしょ、と声にならない音を漏らす。ヤンフィも同じ気持ちだった。


「ハッ! オレを狙いたきゃ、SSランクになってから――――はぅ!?」


 ソーンは光の鎖を解くと同時に、再びヤンフィに殴り掛かった。今度は空手の正拳突きの姿勢で、左拳を引き絞る――刹那、ヤンフィと目が合ったかと思うと、いきなり素っ頓狂な声を上げて赤面した。

 ――それは、決定的な隙となった。


「【魔槍窮】!!!」


 赤面して動きを一瞬だけ止めたソーンにその時、壁にめり込んでいたタニアが、半ば本気の魔槍窮をブチかました。その威力は、聖級の攻撃魔術と同等の破壊力である。衝撃波だけで、周囲の建物が全壊するほどには強力だ。

 炸裂する閃光、発生する凄まじい衝撃波、轟き響く爆音――そして、夜空に一筋の緑光が飛んで行く。

 果たして、それはソーンを殺すに至らなかった。完全に不意打ちだったはずのそれを、けれどソーンは両腕を交差させて受け流していた。


「超人・岩壁を使って……これほど、か……噂以上に、強いなぁ、暴れ姫」


 とはいえ、さすがに余裕はなくなったようで、ソーンは左腕をダラリと下げた姿勢で、噛み締めるようにそう呟いた。見ればその左腕は、肉が裂けて骨が見えており、不自然な形に折れ曲がっている。もはや使い物にならない様子である。

 ヤンフィはそんなソーンを見て、本気で感心していた。知らずに、ほぅ、と感嘆の吐息さえ漏らしていた。まさかタニアの攻撃を受け切るとは思っていなかったからである。

 ソーンは、タニアの魔槍窮を受け止めた上で、それを上空に弾き飛ばした。そんな常識外れの芸当をして、損害は左腕だけで済んでいる。信じられなかった。


「お前、変態にゃのに、本当、手強いにゃぁ――でも、あちしに傷を付けたからには、死を覚悟するにゃ」


 タニアが口元の血を拭いながら、ガラガラと壁から現れる。体力的にはまだまだ余裕そうだが、脇腹からはそれなりの出血があり、足元は若干ふら付いていた。表情は完全に怒り心頭であり、ソーンを逃がすつもりも、生かすつもりも毛頭ない様が窺える。

 一方で、左腕を潰されて力なくダランと下げているソーンは、既に戦意を喪失している様子である。先ほどまでの殺る気満々さは何処へやら、まったく覇気がなくなっていた。

 ――けれどもタニアは、相手の戦意の有無程度で、戦うことを止めるわけがない。


「さぁ、今度のこれを堪えてみるにゃ」


 タニアは狂気じみた笑みを浮かべて、グッと拳を握り締める。その握り締めた拳を突き上げると、パッと手を開いて――――瞬間、ソーンが土下座をした。


「待ってくれ!!! オレが悪かったっ!!! お願いだ、取引しよう!!」


 ソーンのその突拍子もない懇願に、しかしタニアはまったく戸惑わず、技の動作を止めることも当然なかった。開いた手をスッと振り下ろして、溜めた魔力を解放する。

 頭上に突如現れる巨大な槌型の魔力。それがソーンに垂直落下してきて、ぶつかる寸前、牙の形状になり背中に喰らい付いた。鎧のような筋肉に食い込む魔力の牙、ソーンは堪らず苦痛に喘ぐ。直後、今度はソーンの全身に、数トンを超える重力がのしかかった。

 これが、タニアの魔闘術の一つ【魔槌牙まついが】と呼ばれる技である。あらゆる物を磨り潰す範囲攻撃であり、頭上の死角から放たれる回避困難な技だった。


「ぐぅ、おおおおぉぉぉ――っ」


 ソーンはそれを甘んじて受けて、しかし即座に圧死することなく、雄叫びを上げながらも耐えた。ソーンの身体が、地面にドンドンとめり込んでいく。


「…………止せ、タニア。しばし話がしたい」


 そんな光景を前に、ヤンフィはスッとタニアを止めた。懇願に絆されたわけではないが、取引という単語に多少興味を持った為である。

 うにゃ、とタニアは少しだけ残念な顔をして、パッパッと手を左右に振るう。するとあっけなく、ソーンを襲っていた重力が雲散霧消した。

 ソーンは安堵の吐息を吐いて、再び土下座をする。


「ありがとう、感謝する。可愛いだけじゃなく、優しいなんざ、もう完璧だな!」


 ソーンはよく分からない賛辞を口走りながら、頭を地面に擦りつけた。タニアはその台詞に顔をしかめてドン引きしている。


「……あちしが可愛くて、優しいのは当然にゃけど、いきにゃり何を気持ち悪い……」

「ああ? 誰がテメェみたいな暴れ姫を可愛いって言ったんだよ、気持ち悪い勘違いするんじゃねぇ。テメェみたいな露出狂は、一人で盛ってろ」


 タニアの台詞にソーンはいきなりキレて、すかさず唾を吐きながら早口で怒鳴った。その挑発に、当然タニアもプッツン切れる。


「――――にゃぁ、ボス。殺して良いにゃ?」


 タニアの全身から魔力が溢れた。溢れ出た魔力は鎧の形状をとり、凄まじい圧力を放つ。それは魔闘術の奥義であり、タニアが本気になった証拠――魔装衣である。

 タニアは魔装衣を纏った状態で一歩踏み込んで、今度こそは即死させるつもりで、右拳を引き絞り――それをヤンフィが押し留める。


「とりあえず待て、タニア。殺すのはいつでも出来る。おい、汝――ソーンとか呼ばれていたな? 取引、と云うたが、その内容は?」

「おお、おお! オレの名前を覚えてくれたのか、恐悦至極だぜ! ああ、オレの名前は、ソーン・ヒュード。こう見えて、Sランク冒険者だ。取引内容ってのは、単純だ。オレをキミの相棒にして欲しい。代わりに、オレが苦労して手に入れた神竜の卵を差し出そう」


 ソーンはヤンフィに気持ち悪い笑みを向けて、聞いていもいないのに自己紹介してくる。


「……神竜の、卵?」


 だがそんなソーンの名乗りなど無視して、ヤンフィはその単語に首を捻る。ヤンフィの幅広い知識の中には存在しない単語である。

 ヤンフィは疑問符を浮かべた顔で、タニアやセレナに目で問い掛ける。しかし二人共、それが何か知らない様子で、フルフルと首を横に振っていた。


「へへへ……知らないかい? 神竜の卵はな、ラグロスの大洞窟に封印されていた竜種の卵さ。だが、ただの竜種じゃないぜ。魔王属にまで成り上がった竜種――【神竜アレイドス】の卵だ」


 ソーンはそんなことを力説してから、おもむろに股間のブーメランパンツに右手を突っ込む。その変態的な行動に、ヤンフィたちはドン引きしつつ、白けた視線を向ける。


「のぅ、タニア。【神竜アレイドス】とは何じゃ? 少なくとも、妾はそんな魔王属を知らぬ」

「……セレナ、知ってるかにゃ?」

「知らないわよ。アンタも知らないの?」

「――――これ、だ!」


 ヤンフィたちがボソボソと話していると、ソーンは股間からバスケットボール大の石塊いしくれを取り出した。そしてそれを高々と上に持ち上げて見せる。

 そんな大きさの物を、ブーメランパンツの一体どこに収納していたのか、あまりにも謎だ。しかし誰もツッコまない。


「これが――【神竜アレイドス】の卵だぜ。どうだ? これを譲渡する代わりに、オレをキミの下僕――じゃなかった。相棒に、してくれないか?」


 ソーンは縋るような視線をヤンフィに向けてくる。その視線を真っ向から受け止めて、ヤンフィは腰に下がる魔剣を抜き放った。赤黒い両刃の片手剣、紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)である。

 ヤンフィはその魔剣をソーンの鼻先に突き付けて、鋭い口調で言い放つ。


「おい、汝。教えておいてやる。魔王属は、子孫を残せぬ。無論、卵も産めぬ。それに、アレイドスと云う魔王属のことも知らぬ。だいたい、その石塊のどこが、竜種の卵じゃ? 竜種の卵はそも、表面が水晶球のように半透明で鱗が付いておるはずじゃ」

「へへへ……しかも博識か、本当に完璧だなぁキミ。なぁ、オレは役に立つぜ? オレをキミの愛の下僕――いや、相棒にしてくれよ」

「……話にならぬのぅ。タニア――」

「――おおっと、オレはもうキミ、いやキミたちと敵対する気は一切ない。そこの露出狂発情猫と殺し合うのは別にいいんだが、それ、キミの仲間なんだろ? じゃあ、手は出さないぜ!」


 タニアに、殺してよいぞ、と指示を出そうとした瞬間、ソーンはヤンフィの声を遮って、石塊を地面に置くと、右手を上げて無抵抗をアピールした。敵意はないと言っている割に、タニアに対しては好戦的な台詞を吐いている。

 当然ながら、タニアはさらに怒りのボルテージを上げる。全身を纏う魔装衣の形状が禍々しく歪み、まるで竜のような四肢と翼が現れた。狭い路地一杯に膨れ上がる鬼気、凄まじい魔力の圧力に、セレナはさりげなく後退る。


「おい、変態――露出狂、発情猫って、誰のことにゃ?」

「ああ? 自覚もねぇのかよ。やっぱり獣族だな、オツムが弱い。露出狂発情猫ってのは、獣人族の癖に、へそ出しスタイルの薄着で、男を誘ってるどこぞの暴れ姫のことだよ」

「にゃるほど、つまり――お前、あちしに殺されたいってことにゃ?」


 魔装衣が巨大な竜を形作り、タニアの身体が竜に飲み込まれる。魔力により形作られたその竜は、狭い路地で窮屈そうに身動ぎすると、四対の翼をはためかせた。突風が巻き起こり、タニアを身体の内側に入れた巨大な竜が中空に浮かび上がる。そして、その顎を大きく開いてソーンに向けた。

 ヤンフィに魔剣を突き付けられて、頭上からは竜に狙われた状態で、しかしソーンは笑顔のまま右手を上げた姿勢で止まっている。


「早合点するなって、落ち着けよ。しっかり説明するさ――ほら」


 ソーンが転がった石塊を蹴飛ばした。それはヤンフィの足元にぶつかる。


「キミほどの色男なら、触れてみれば判るはずだぜ? ちなみにその卵は、アレイドスが魔王属になる直前に産み落としたもんだよ。あと、アレイドスってのは【竜騎士帝国ドラグネス】の創建伝説に登場する守護竜だよ。まぁ、三百年ほど前に、四大竜【名も無き黒竜】に食い殺されてるがな」


 そう解説すると、ソーンはクッと顎を動かして、ヤンフィに石塊を触るよう促した。胡散臭いことこの上ないが、ヤンフィはとりあえず、その提案に乗ってみることにする。


「セレナ、その石塊を拾え」

「え、あたし? あ、はいはい、分かりました――――――きゃ!?」


 いきなり話を振られたセレナは、一瞬ビクッとキョドったが、渋々とヤンフィたちに近付いて、転がっている石塊を拾い上げた。

 瞬間、バチっと凄まじい静電気――いや、それはもはや静電気ではなく、電撃だろう。石塊の内側から外側に向かって、幾筋もの電撃が放出された。セレナは慌てて石塊を手放す。

 石塊は電撃を放ちつつ、地面に転がる。セレナは痛みよりも驚きで、石塊から距離を取った。


「な、何よ、これ――放電現象? いや、と言うよりも、内側から何らかの魔術を展開してるの?」

「よもや――雷竜特有の紫電波しでんはか?」


 転がった石塊は、すぐに放電を収めた。空気が少しだけきな臭く、ピリピリと乾燥している。

 ヤンフィはその石塊を睨みつけると、ソーンに突き付けていた魔剣をソードホルダーに仕舞った。そして今にも爆発しそうなタニアに、強い口調で言い放つ。


「タニア、此奴に手を出すな。取引云々は別として、此奴に少しだけ興味が湧いた」

「にゃ!? にゃぁ――にゃんでにゃ、ボス!?」

「さすが、オレを一目惚れさせるだけあるぜ、キミ。雷竜の特性も、やっぱり知ってたか。いいねぇ、いいねぇ。ますます惚れるぜ」


 ヤンフィは気持ち悪い笑みを浮かべるソーンから視線を外して、素早く何やら呪文を唱えた。すると何もない空間からギザギザの刃先をした剣が現れた。その剣は、ワグナーから奪った【魔操の鍵】と呼ばれる魔剣である。

 ヤンフィはその魔剣を握り締めて、タニアの纏う竜形の魔装衣に手を触れると、意識を集中させる。

 途端、パン――と、風船が割れるような音が鳴り、タニアの魔装衣が強制的に解除された。魔装衣の魔力構成を掻き乱して、魔力を空中分解、霧散させたのである。非常に繊細で高等な技術だが、ヤンフィはそれを難なくこなしてみせた。

 一方で、タニアは心底悔しそうな表情で、けれど必死に我慢した様子で、音もなく地面に着地した。殺したい相手を殺せない苦悩、それがありありと顔に浮かんでいる。


「さて、とりあえず場所を変えよう。ここは些か臭すぎるわ」


 ヤンフィはタニアの頭をポンポンと叩くと、魔操の鍵を放り投げる。魔操の鍵は、空間に溶けるようにして消え去った。

 タニアはソーンを睨みつけながらギリギリと歯噛みしていたが、ヤンフィに頭を撫でられると、グッと唾を飲み込んでから、観念した風に息を吐いた。


「タニアよ。多少無駄な時間を過ごしてしまったが、ひとまず予定通りに、美味い食事処まで案内せい。おい、ソーン。話の続きは、食事をしながらさせてもらうぞ」

「ああ、いいぜ…………なぁ、ところでよ。麗しのキミ、名前を教えてもらえないか?」


 ソーンはどうしてか照れながら、ポリポリと頬を掻いた。麗しのキミとは誰のことだ、と煌夜は心の中で怖気を感じた。どこかソーンの態度はおかしい。

 しかしそんな煌夜の不安などまったく汲み取らず、ヤンフィは平然とした口調で答える。


「妾はヤンフィじゃ――ところで、汝。着るものはないのか? そんな格好で食事処に付いて来られると食欲が失せるわ。身包みでも剥がされたのか?」


 ヤンフィの台詞に、ソーンは、うへへ、と気持ち悪い笑みを浮かべてから、首を横に振った。


「……オレは昔からこの格好だぜ。この格好で食事もするし、戦闘もする。だから気にしないで、オレの筋肉を眺めてくれよ」

「おい、タニア。襤褸で良い。此奴が羽織れるような上着を出せ――ソーン、妾たちに付いて来る気があるならば、まず何か着ろ。さもなくば死ね」


 ヤンフィはソーンの台詞を聞いて、不愉快そうな声でタニアに命令した。タニアはすさかず道具鞄の中から、ボロボロになっているロングコートを取り出して、それを投げつける。

 ソーンはそれを受け取ると、渋面を浮かべた。だが、仕方ないか、と吐息を漏らして、言われた通りに羽織る。こうして、ロングコートの中が半裸という露出狂の変態野郎が誕生した。


「セレナ、その石塊は汝が持ってこい」

「え!? でも、電撃が――」

「安心せよ。一度耐えれば、すぐに収まるわ」


 先に行くようタニアを促してから、ヤンフィは足元に転がる石塊をセレナに蹴飛ばす。セレナはフードの中で嫌そうに顔を歪めたが、ヤンフィに強く頷かれて、不承不承とそれを拾い上げた。必然、先ほどと同様に電撃が発生する。けれどそれを我慢してしばし持っていると、ヤンフィの言う通り、やがて電撃は収まった。


「それでは往くぞ――ソーン、汝は妾たちと距離を取って歩けよ」

「へへへ……分かってるよ、何処へでも、何処まででも付いて行くぜ、ヤンフィ様。キミの為なら、血便だって怖くねぇ」


 そんな意味不明な台詞を吐くソーンに返事はせず、ヤンフィたちは無言のまま路地を進んでいった。

 誰がどう見ても明らかに変質者にしか見えないソーンを引き連れて、目指すは、歓楽街の奥にある美味いと評判の料亭だった。

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