閑話Ⅳ 散策
煌夜はタニアに腕を引かれるまま、クダラークの歓楽街――街の西側、外周沿いに位置する区画に足を踏み入れた。しかしそこは、歓楽街と言う割にはあまりにも閑かで、街の中央部と比べるとまるで別世界のような静寂があった。
「ぉお――何か暗いなぁ、つうか閑散としてる」
煌夜は思わず唸った。想像していた歓楽街と違い、この区画に活気はまったくなく、澱んだような重々しい空気が満ちていた。
タニアに案内された歓楽街の区画は、日中だと言うのにどことなく暗い雰囲気が漂い、建ち並ぶ店舗はそのほとんどが閉まっていた。綺麗に舗装された石畳の道路は、寒々しい空気を醸し出しており、見渡す限り周囲に人影はなかった。しかしそれでいて、人の気配は感じる。どこからか誰かに見張られているような感覚がある。
煌夜は知らず知らずに身体を震わせた。一人では絶対に来たくないな、と情けないことも思った。
「大丈夫にゃ、コウヤ。あちしがいるから、安心するにゃ。さあ、見所のオークション会場は、もっと奥にゃ。真っ直ぐ行くにゃ」
タニアは煌夜が脅えたことを察してか、力強く腕を絡めてくる。豊満で柔らかい胸が押し付けられると同時に、服越しにその体温が伝わってきて、少しだけ気恥ずかしくなる。
ところで、タニアのその台詞は、普通、男性が女性に言うべき台詞だ。そういう意味でも、煌夜はだいぶ気恥ずかしかった。
「……ここにある店は、だいたいが夜ににゃらにゃいと開店しにゃいにゃ。だから今はこんにゃ寂れて見えるにゃ。にゃけど、夜ににゃると世界一華やかににゃるらしいにゃ」
「ああ――なるほど。ネオン街的なヤツか」
「にゃ? ネオン街、って何にゃ?」
タニアが可愛らしくて小首を傾げた。それに煌夜は苦笑するだけで応えて、タニアの解説に納得する。このクダラークの歓楽街は、夜の盛り場のようだ。
さて、そんな昼間とは思えないほど廃れた街中を、二人は仲睦まじく腕を絡ませたまま歩いていく。その様は、何処からどう見ても仲の良いカップルにしか見えなかった。
まあ実際は、煌夜の腕力ではタニアの腕を振り払えなかった為、諦めて腕を組んでいるのが実情だったが――そんな実情は傍目には分からない。だからこそ、二人はその連中に勘違いされたのだった。
「ヒュー、見せ付けるねぇ、色男。んな別嬪さん連れて、こんなとこに何の用だよ?」
「おいおい、獣人だぜ、アレ。まったく、羨ましいねぇ。これからお楽しみのつもりかぁ? なぁ、あんちゃん。その美人か、通行料置いてけよ」
正面の建物の裏手から、突如として、屈強な冒険者風のいでたちをした五人組が現れた。
五人組は煌夜たちの行く手を阻むように横一列で道に広がり、いかにもテンプレな因縁を吹っかけてくる。彼らは、長剣や槌、短刀、弓などの武器を装備しており、逆らったら殺すぞ、と言う殺気を放っていた。
煌夜はビクッとして立ち止まった。厄介な連中に絡まれたな、と歯噛みして、傍らのタニアを見る。するとタニアは、にゃ、と笑顔で頷いてから、煌夜から腕を離した。
「……おいタニア、ちょっと待て。何を、する気だよ?」
タニアはスッと無表情になって、五人組の前に一歩踏み出す。その雰囲気に不穏な空気を感じて、煌夜は慌ててタニアの肩を掴んだ。
「にゃに、って――馬鹿共を皆殺しにするだけにゃ」
「いやいやいや、殺すなよ。そりゃ、ぶっ飛ばすくらいはいいと思うけど、いきなり殺すのは、過剰防衛も良いとこだろ?」
「にゃんでにゃ? コイツらは、あちしたちの前に立ち塞がって、不当な要求をしてるにゃ。それすにゃわち敵の所業にゃ。敵は殺すにゃ」
肩を掴まれて振り返ったタニアは、それが当然にゃ、と平然とした表情で首を傾げる。そんな凄まじい超理論に、煌夜は頭を押さえて、どう説得するべきか必死に考えた。ここで煌夜が選択肢を間違えてしまえば、最悪、五人の死体が作成されてしまう。それは出来れば避けたい。
だが、妙案が捻り出されるより先に、五人組の一人――弓使いの伊達男が、わざわざ地雷を踏み抜いてしまった。
「おい、ガキ。サッサと、その獣人の別嬪さんと通行料を置いて、ここから消えろや。俺らが、こうやって下手に出てるうちなら、まだ命だけは助けてやるからよ。ああ、それともアレか? 別嬪さんの前だから格好良いとこ見せようって張り切ってるのか? 若いねぇ――次は頭を狙うぞ?」
弓使いはそんな警告と同時に、ビュン、と素早く矢を射てくる。その矢は、煌夜の肩口を掠めて、服を少しだけ切り裂いた。まったく予備動作なく射られた矢だったので、煌夜は反応も出来ずただ立ち尽くしていた。
煌夜が反応できなかったことに笑みを浮かべて、弓使いはすかさず弓に次の矢をつがえる。狙う先は宣言通りに煌夜の頭だ。
けれど、弓の狙いを定めた瞬間、弓使いは凄まじい勢いで後方へ吹っ飛んだ。
突き飛ばしたのは、タニアである。
「――お前ら、全員死刑にゃ。中てるつもりがにゃかったとしても、コウヤに弓引いた時点で、もはや逃げるタイミングは失われたにゃ」
煌夜の制止など一瞬で解かれていて、タニアは五人組――いや、既に四人組だが、その中心に立って、全身から目に見えて分かるほどの怒気と殺意を放っていた。
「ちょ、タニア。殺すな――」
(コウヤ、もはや云っても無駄じゃよ。タニアは止まらぬ。そも妾も今のは少しだけ苛立ったぞ。ここまで調子に乗った輩には、死を持って自覚させる必要があろう?)
煌夜が慌ててタニアを止めようとするのを、ヤンフィが苛立ち混じりの声で答えた。それはまさに事実だったようで、タニアは何の手加減もなく、隣で阿呆面して突っ立っている長剣の男の顔面を思い切り殴りつける。長剣の男は顔面を崩壊させて、先ほどの弓使いのように、殴られた方向に飛んで行った。
「――なっ!? おい、やべぇ――ぐぁ!」
「なん、だ……コイツ!?」
槌持ちの男が驚愕の顔を浮かべて、次の瞬間、胴体を蹴飛ばされて宙を舞う。その一撃で男の装備していた鎧は砕け散っていた。
そんな光景を目の当たりにして、短刀を握っていた男は恐怖に顔を歪める。
「後悔しても、もう遅いにゃ。さて、死ぬにゃ」
恐怖に顔を歪ませた男は、慌てて短刀をがむしゃらに振り回すが、タニアはその腕をいとも容易く掴み上げて、躊躇なく引き千切る。着脱式の人形の腕を取り外すかのように、男の腕は肩口から簡単にもげた。
声にならない悲鳴を上げて、片腕を失った短刀の男は地面に崩れ落ちる。その喉元を、タニアがサッカーボールを蹴るかの如く蹴り上げた。男は見事な放物線を描きながら吹っ飛んでいく。
「あ、あ、ああ……」
後に残るのは、素手の一人だけ。一瞬のうちに、文字通り蹴散らされた光景を目にして、その男は愕然としながら失禁していた。
「汚いにゃあ――死ね」
タニアと言う存在は、まさしく彼らにとっての死神だった。残った男は腰砕けになって、ペタンと地面に座り込んでいる。
タニアはそんな男を見下しながら、眼前で立ち止まると、その首を刈るように蹴る――グロテスク極まりないが、タニアのその足刀で、男は頭部を身体と切り離された。
「――あ、ああ……ガチに、やりやがった……」
煌夜はその惨劇に思わず目を覆って、酷く落胆した声で呟いた。ヤンフィの言う通り、止める間もなく五人組は息絶えた。その間、わずか五秒の出来事である。まさに瞬く間だった。
(ふむ。自業自得じゃのぅ。喧嘩を吹っかけてくるならば、返り討ちに遭う可能性を考慮すべきじゃよ)
(これは、過剰防衛って言うんだよ。別に、気絶させればそれで良かったじゃないか?)
(そう云う文句は、当事者であるタニアに直接云えば良かろう?)
ヤンフィの言葉に、煌夜は深く溜息を漏らした。すると、タニアが笑顔で戻ってくる。
「さぁ、コウヤ。気を取り直して、オークション会場目指すにゃ。場所はすぐそこにゃ」
タニアはまるで何事もなかったように、また煌夜の腕に腕を絡めた。少しだけ毛に血が付いているのがシュールである。だが、そんなことを気にしても仕方ない。
煌夜は、ああ、とタニアに頷いてから、足並みを揃えて歩き出す。その瞬間、物陰から複数の息を呑む音が聞こえてきた。
ん、と煌夜は、サッと周囲を一瞥するが、人影は見えない。
「――アイツらは気にするにゃ、コウヤ。今の連中と同じようにゃ雑魚にゃ」
煌夜の視線に気付いて、タニアが正面を向いたままサラリと言う。ついでに、道のど真ん中に転がった首なし死体を蹴り飛ばした。すると、さらに大きく息を呑む音が聞こえてくる。
その声を聞いてから、ヤンフィがタニアの台詞を補足するように続けた。
(コウヤ、この辺りに来てから、妾たちはずっと監視されておったぞ? なにやら妾たちの行動を警戒しておるようじゃのぅ……まぁ、今のタニアを目撃しては、もう手出しはしてこぬじゃろうが)
監視されていたと言う衝撃的な事実を告げられて、煌夜は唖然とする。
大丈夫なのか、と慌てて周囲を見渡すが、別段何も起きはしなかった。何も起きないのならば、問題はないのだろうか――ヤンフィもタニアも気配に気付いていて動かない、と言うことは実害がないということだろう。ならば、そんなに深く考える必要はないか……と、そこで思考を放棄する。
実際、それから誰も絡んでくることもなく、煌夜たちは無事にオークション会場まで辿り着いた。
「……想像以上にでかいドームだなぁ。ここが、その……オークション会場、なのか?」
「そうにゃ。この建物が、クダラーク最大のオークション会場にゃ。中には、テオゴニア大陸全土から集まった様々な商人たちが、店を広げてるらしいにゃ。特に中央で開かれるオークションは、一見の価値ありって評判にゃ」
煌夜たちの前には、見上げるほどに大きな円形のドームが建っていた。
ドームの外装は一面が真っ白い塗装をしており、彫刻のような材質で美しい外観をしていた。大きさは東京ドーム並に巨大で、正面に見える入り口と思しき赤い門が目立っている。
タニアは楽しそうな顔で、ギュッと煌夜の腕を握り締める。プニっとした柔らかく温かい感触に、煌夜は少し頬を赤らめた。
「そこの二人、待て。ここに何か用か?」
二人仲睦まじく腕を組んだ状態で赤い門まで到達すると、門の内側に隠れていた騎士がサッと姿を現して行く手を阻んだ。
「にゃ? 何って、オークション会場の中を見学にゃ」
「観光客か……残念だったな。本日はオークションを開催していないので、中に入ることはできない。観光するならば、周辺の遊歩道も我がクダラーク屈指の観光名所だ。散策するだけでも、良い想い出になると思うぞ?」
「にゃ、にぃ……!?」
騎士の丁寧な説明に、タニアが眉根を寄せて凄まじい殺気を騎士にぶつける。思わず騎士は、その殺気に気圧されたようで、脅えた表情を浮かべてたじろいだ。
「ぐっ……俺を脅しても、無駄だぞ? 入ることは出来ない。いや、そもそも、入っても中は誰もいないぞ――次のオークション予定は、明後日だ。出直してくることだな」
騎士はタニアの威圧に脅えながらも、恐怖を振り払うように、ブンブン、と頭を振ってから、毅然とした態度で煌夜たちに告げた。
そうか、と煌夜は早々に諦めて、大きく溜息を漏らした。ここでごねても仕方ないし、そもそも観光に来たので、中に何もないのならば、入る意味もない。素直に外周を見て回ろう。
しかし、そんな煌夜の気持ちとは裏腹に、タニアは神妙な顔で食い下がる。
「――にゃぁ、何もにゃくてもいいにゃ。中に入りたいにゃ。入れてくれにゃいか?」
丁寧な口調だが、タニアの声には譲らない強い意志を感じさせる。けれど、規則は規則、と騎士は唾を呑んでから突っぱねる。
「駄目、だ。オークション当日まで、会場内は観光客に対して解放していない……どうしても見学したければ、商人から商業許可証を借りてこい。それがあれば、付き添いありで内部見学を認めてやろう」
騎士は横柄な物言いだったが、よく見れば足元が震えている。まるで虐めているようで、煌夜は少しだけ可哀想に思えてきた。なおも食い下がろうとするタニアの腕を引いて、もうよせ、と首を振る。
「…………コウヤが、いいにゃら、諦めるにゃ……クソ」
タニアは煌夜の顔を見てから、悲しそうな表情を浮かべて、吐き棄てるように言った。ついでに、堪え切れない感情を叩きつけるように、ドン、と足元を強く踏みしめると、一撃で地面の石畳がヒビ割れる。
その一撃に、騎士は勿論、傍らの煌夜も震え上がる。癇癪を起こした子供か、とは思ってもツッコまなかった。
「と、とりあえず、ぐるっとドームの外観を見て回ろうぜ?」
「……わかったにゃ」
煌夜の提案にタニアは不承不承と頷いた。それでもまだ、騎士へ殺意の篭った視線を向けていたが、煌夜がグッと腕を引くと、さすがに諦めた様子で歩き出す。とはいえ、その顔はいかにも文句を言いたげだったが、煌夜は気付かない振りをして視線を逸らした。
ドームの外周に沿って存在する幅広の遊歩道は、先の騎士が言う通り、観光名所と呼ぶに相応しい景観をした道だった。剪定された深緑の広葉樹が等間隔に立ち並んでいて、その所々に水晶のオブジェや、彫刻アートが点々と置かれている。そこには、まるで時間が止まったのかと錯覚するほどの長閑さがあり、風景画の世界と見紛うばかりの美しさがあった。カメラがあれば記念写真を残すのに、と煌夜はその絶景に思わず息を呑む。
そんな遊歩道を、二人は腕を組んで悠々と散策した。二人の姿は傍から見ればまさに恋人同士で、実際にタニアはデート気分だったが、デートなどしたことのない煌夜は、内心かなりドギマギしていた。
さて、そうして遊歩道での散策デートを二十分ばかり楽しんだ後、煌夜たちは一旦、街の中央、魔動列車の乗り場近くまで戻ってきた。
ヤンフィの要望を叶える――武具屋と鍛冶屋に寄る為である。
まずは一番手近にあった武具屋に入った。
すると、武具屋に入った途端、煌夜の身体はヤンフィに主導権を奪われた。あまりに突然、何の説明もなく、ヤンフィは強制的に煌夜の身体を乗っ取る。そしてタニアの腕を振り払うと、興奮した表情で、店の奥にあるカウンターの脇に駆け出した。
タニアは一瞬キョトンとするも、すぐさま笑顔になって、店内を見渡しながら近寄ってくる。
「……クダラークの武具は、テオゴニアで一番美しいと言われてるにゃ。特に瑠璃鉱を使った武具は、美しさと性能を併せ持った逸品が多いにゃ。瑠璃鉱は、軽くて硬くて加工しやすいらしいにゃ」
店内に所狭しと置かれた武具を眺めながら、タニアはヤンフィにそんな説明をする。だが、タニアの説明など聞く耳持たずに、ヤンフィはカウンターの脇に積まれた雑多な山に目を奪われていた。
無造作に積まれているそれらは、よくよく見れば折れた剣や壊れた盾など、廃品の山だった。どれもこれも埃まみれになっており、一つもマトモな商品はないように思える。
しかし、ヤンフィは瞳を輝かせながら、そんな廃品の山を物色していた。
(おい、ヤンフィ。ここにある武器、全部壊れてるぞ?)
「――のぅ、店主よ。この山は、売り物か? それともゴミか?」
ヤンフィが熱心に廃品を眺めているので、煌夜は不思議に思って問い掛ける。すると、ヤンフィは煌夜を無視して、カウンターで暇そうに座っている店主に声を掛けた。店主は見た目通り半ば眠っていたようで、ヤンフィに声を掛けられたおかげで目を覚まし、慌てて口元の涎を拭う。
「あ、ああ、いらっしゃい。え? あ、そこの廃品の山かい? それは、うちじゃ直せない金属屑だよ。一応、売り物で……どれでも選り取り、テオゴニア鉄紙幣一枚だよ」
「ほぅ。一つ、鉄紙幣一枚か……ふむ」
「にゃあ、コウヤ――じゃにゃくて、ボス。そんにゃゴミを買うにゃか?」
店主の言葉に満足げに頷くヤンフィを見て、タニアが不思議そうに首を傾げる。それには煌夜も同意である。使い物にならない廃品を手に入れて、どうするつもりなのだろうか。
「うむ。何品か買おうと思うておるが……タニアよ、しばし黙っておれ」
ヤンフィは問答無用とばかりに強い口調でタニアを黙らせた。タニアはビクッと耳を立たせて、わかったにゃ、と寂しそうに頷くと、店内に意識を向けた。
「お客さん。念の為、断っておくけど、そこの山にある廃品は、返品できないからな。処理は自己責任で頼むぜ?」
「汝に云われんでも分かっておるわ……ふむ。これと、これ、あとはこれを頂こうかのぅ」
店主の注意を聞きながら、ヤンフィは廃品の山から何点かピックアップしてカウンターに置いた。それらは、刃が折れた剣が二本、刃が欠けて錆び付いた剣一本、ボロボロで使い物にならない革製の手袋、真ん中に穴が開いている小盾だった。
それらの品を見て、店主は驚きの表情を浮かべてから、恐る恐るとヤンフィに質問してくる。
「…………なぁ、アンタ。冒険者みたいに見えるが、もしかして鍛冶師なのか? どうして、この山の中からこれらを――」
「――多少、目利きが出来るだけじゃ。さて。どれでも一つ、鉄紙幣一枚じゃったな? 五品じゃから、鉄紙幣五枚じゃぞ?」
ヤンフィはニヤリと店主に笑いかけて、念押しに値段を確認する。店主は若干渋い顔をしつつも、仕方ないとばかりに頷いた。そんなやり取りを見て、煌夜は何が何やらである。
「にゃぁ、店主。これは幾らにゃ?」
店主がカウンターに置かれた廃品を確認していると、タニアが瑠璃色をした布みたいな素材の指貫グローブを持ってくる。ヤンフィはチラとそれを見て、ほぅ、と感嘆の息を吐いていた。目利きの出来ない煌夜には分からないが、どうやらタニアの持ってきたグローブは、ヤンフィが感心するほど質の良い装備のようだった。
「――お連れの獣人も、お目が高い。そのグローブは、銀紙幣三枚だ」
「妥当にゃけど、もっと安くにゃらにゃいか?」
「ならないな。ああ、テオゴニア金紙幣分の買い物をしてくれるなら、多少勉強してもいいが?」
店主と値段交渉しようとしたタニアだったが、にべなく返される。タニアは、にゃぁ、と口惜しそうに押し黙った。そして神妙な顔になってから、甘えるような声音でヤンフィの背中に抱き付いた。にゃにゃにゃ、と首筋に顔を埋めながら、豊満な胸を強く背中に押し当ててくる。
「にゃぁ、にゃぁ、ボス。あちし、実は手持ちがにゃい――――ぎにゃ!?」
「妾に色仕掛けは通じぬぞ、タニア。手持ちがないなら、買わぬ。欲しければ、自力で何とかせい」
タニアの台詞を最後まで言わせず、ヤンフィはバッサリ断ると同時に、容赦なく肘鉄をタニアの脇腹に突き刺す。それは本気の一撃だったが、タニアは少しむせただけで平然としていた。ただし、買ってもらえないことに対しては、だいぶ凹んでいた。
「お、そうじゃそうじゃ。ついでに――これと、これも買っておこうかのぅ」
タニアを振り払ったヤンフィは、思い出したとばかりに店内を見渡してから、瑠璃色をした大盾と、刃渡り30センチほどのサバイバルナイフをカウンターに置く。
「これで全部じゃ。幾らになる?」
「あー、盾が銀紙幣二枚と鉄紙幣五枚、短刀が銀紙幣一枚と鉄紙幣二枚だが――廃品も含めて、銀紙幣四枚で良いぜ。サービスしとこう」
「おお、それは有り難い。では、これじゃ」
ヤンフィは店主が割引してくれたことに気分を良くして、満面の笑みを浮かべながら対価を支払った。
店主は銀紙幣を受け取ると、カウンターに載っている商品を見て、どうする、とヤンフィに問い掛ける。このまま手渡しでいいのか確認しているようだ。
ヤンフィはタニアに振り返り、買った商品を指差してさも当然に告げる。
「タニアよ。汝、この荷物、鍛冶屋まで運んでくれぬか? 持ち難いじゃろうが、それほど重くはないから平気じゃろぅ?」
「にゃにゃにゃ!? 鍛冶屋まで、にゃ? 分かりましたにゃ」
突然の振りに唖然とするも、しかしタニアは二つ返事で頷き、カウンターの荷物に手を伸ばす。店主はタニアの行動に、まさか、と目を丸くして驚いた。購入した商品を、空間魔術に収納するでも、鞄に入れるでもなく、手で運ぶつもりと分かって慌てたのである。
店主は咄嗟に、廃品のうち、刃が剥き出しの物について、硬い皮革を巻いて怪我しないよう配慮してくれた。その気配りに感謝しつつ、ヤンフィは全ての荷物をタニアに持たせて店を後にする。タニアは不思議な顔をしつつも、文句は言わずに、大盾を受け皿のように使い、荷物を抱える。
「にゃあ、ボス。こんにゃ廃品、何に使うにゃ?」
武具屋を出ると、早速タニアがそんな質問を投げてくる。それは煌夜も疑問に思っていたことだ。
ヤンフィは、うむ、と頷いてから口を開いた。
「妾が買った廃品じゃが、これらは実のところ、非常に貴重な素材で作られておってのぅ……特殊な方法でしか加工できぬが、その代わりに、加工できれば強力な道具になるのじゃ。とりあえず、鍛冶屋で素材だけ取り出す」
「……貴重にゃ、素材にゃ? どれも、ただの鉄に見えるにゃ」
「うむ、違う。折れておる剣は神鉄じゃし、錆びておる剣は魔力鋼じゃ。手袋の材質は魔王属の皮革じゃし、盾には微量じゃが、ミスリルが含まれておる。汝には【鑑定の魔眼】があるじゃろぅ? 鑑定して見よ」
「…………あちしの魔眼はまだ、素材の組成までは鑑定できにゃいにゃ。分かるのは、それが普通より多くの魔力を含んでる素材ってことだけにゃ」
煌夜は、よくゲームなどで耳にする単語に、へぇ、と感心の声を上げる。一方、タニアは難しい顔をして首を振っていた。ヤンフィはそんなタニアの反応に苦笑する。
「なるほどのぅ。まぁ、それも仕方あるまい――ともかく、貴重な素材じゃと覚えておけ」
タニアは、にゃ、と元気よく返事をしてから、武具屋の五軒隣に並んでいるドアのない薄暗い店舗に入っていった。そこが鍛冶屋らしい。
入り口には木彫りの看板が掲げられており、暖簾が下がっていた。
中に入ると、店の奥から、カンカン、という金属を叩く音と、むわっとした熱気、仄かに鉄の匂いが漂ってきた。
「にゃぁ、誰もいにゃい――おい、店主! あちしたちは客にゃ、出て来いにゃ!」
ヤンフィが入ってきたのを見てから、タニアは店の奥に向かって大声で叫んだ。カンカン、という音はカウンターの奥から響いてきていた。
サッと店舗の中を見渡す。広さは十二畳程度、壁には幾つも剣や盾が掛っており、足元には鉄屑が転がっている。向かって正面には、膝ほどしかない高さのカウンターがあり、右手側には、待合席と思しき木製の椅子が四つ置かれていた。
タニアはその椅子を四つ綺麗に並べて、そこに荷物を置いた。
「…………客か?」
少し待っていると、カウンターの奥からかなり小柄な男が現れた。彼が鍛冶屋の店主のようだ。
「にゃにゃにゃ……炭鉱人にゃ。珍しいにゃ」
「あん? 獣族の小娘に言われたかねぇよ。人族の暮らす街で、むしろ珍しいのはアンタたち獣族だろうがよ」
タニアの呟きに、鍛冶屋の店主は忌々しげに舌打った。
彼は黄土色の肌に、モジャモジャの髪、伸ばし放題の髭をしており、ずんぐりむっくりした体躯で、身長はヤンフィの本体より少し大きいくらい――大体、130センチ前後だろう。精悍な顔立ちに、鋭い覇気を放っていた。
(あれ? 右手の指が、七本もある……つうか、え、何? ドワーフ?)
(ドワーフとは何じゃ? 彼奴は【炭鉱人】じゃ。人族の中で、稀に生まれる突然変異種じゃよ。かなりの長命で、矮躯じゃが身体能力は非常に高い。そして何より、生まれながらの鍛冶師と云われるほどに手先が器用で、物作りが得意じゃ)
(…………なるほど。なんとなく分かるわ)
ヤンフィの説明に、煌夜は日本に居た頃の知識と結び付けて納得する。つまりイメージはそのままドワーフである。鍛冶や工芸の技術が高く、力が強い種族と言うことだ。
「――で? アンタらは、何だ? 客か、冷やかしか?」
炭鉱人の店主がぶっきらぼうに言う。あからさまに迷惑そうな顔で、今忙しいんだが、と言外に含んだ態度だった。しかし、そんな態度などまったく意に介さず、タニアは、客にゃ、と頷いた。
炭鉱人の店主は不愉快そうに眉根を寄せて、ギラリとした視線をタニア、ヤンフィに向ける。けれど二人が少しも怯まない様に舌打ちして、椅子に置かれている武具に視線を向ける。途端に、驚きの表情でその眼を瞬かせた。
ヤンフィは満足げな笑みを浮かべながら、店主と向かい合って、その武具を指差しながら言った。
「ここに持ってきた武具のうち、何点かを素材に戻して欲しいのじゃ」
「……アンタ。見る眼はあるようだが、常識は知らんようだな。それらの金属が、何なのか、知ってて言ってるのか?」
「勿論じゃ。じゃから、それを取り出して欲しいと云うておる」
ヤンフィの答えに、店主は大きく溜めてから息を吐いた。
「神鉄も魔力鋼も……その穴が開いた盾は、ミスリルか? まぁそれも全部、俺の手には負えねぇよ。と言うか、世界中のどこの鍛冶師だって不可能って答えるだろうさ。それを加工出来る奴なんざ――三英雄のウィズくらいだろう」
「なんじゃ? 汝、取り出すことさえ出来ぬのか?」
「当たり前だろ? 取り出せる技術を知ってりゃあ、加工も出来るはずだ。だが、そんな神話の技術は伝わっちゃあいない。だからそれらは鉄屑より使えねぇゴミだ。持ち帰ってくれ」
店主はシッシッと手を払って、無理だ無理だ、と首を横に振った。その態度に、タニアがカチンと来ていたが、ヤンフィはそれを先んじて手で制すると、グッとカウンターに身を乗り出す。
「ならば仕方あるまい。取り出す術を授けてやろう。取り出すだけならば、この程度の施設でも可能じゃし、さして技術は必要にならぬからのぅ」
「――――は?」
ヤンフィは店主の髭をガッと掴んで、キスでもするのかと怖くなるほど顔を近付けると、その瞳を覗き込んだ。ヤンフィの双眸に怪しい魔力光が宿り、直後、店主の頭に知識が流れ込んだ。
「な、何だ、これ――これは!?」
店主は驚愕に目を見開いて、ガクガクと全身を震わせる。その様を見てから、ヤンフィは店主から顔を離した。何をしたにゃ、とタニアが首を傾げる。
「今、此奴に妾の知識を授けてやったのじゃ。どうじゃ? これで素材を取り出すことくらいは、出来るじゃろぅ?」
ヤンフィの問い掛けに、店主は自信なさげに頷いた。しかし、すぐさま険しい顔になり、髭を撫でながら考え込む。
「どうしたんじゃ?」
「…………アンタ、何でこんな知識を知ってるんだ? いや、と言うか、これをわざわざ俺に教える必要はないだろ? この程度なら、アンタが自分でやった方がいいんじゃないか?」
「生憎じゃが、妾では不可能じゃ。そも妾は、作るよりも壊す方が得意でのぅ。こう云う作業は、苦手なんじゃよ。じゃからこそ、本職に任せるんじゃ」
店主の問い返しに、ヤンフィは苦笑しながら言った。店主はそれきり押し黙り、視線を椅子の上の廃品に向ける。
店主のその視線に気付いたタニアは、スッとヤンフィに目配せをする。ヤンフィは顎をクッと動かして、それらをカウンターに置くよう指示した。
「全部にゃ?」
「大盾と、短刀は妾が使う。それ以外を並べよ」
はいにゃ、と元気よく返事をして、タニアはすかさずカウンターに廃品を並べる。店主はその一つ一つをジッと眺めてから、バンバンと両手で自分の頬を叩いた。気合を入れたようだ。
「――依頼内容を確認するが、この四点を解体して素材に戻す、で良いのか? 成功するかどうかは分からないが、成功してもほとんど素材は出ないぞ?」
「うむ。知っておる。じゃが、神鉄も魔力鋼も、1グラムも取れれば充分じゃ。ミスリルは出来るだけ多い方が嬉しいが、そも含有量が少なすぎるからのぅ。取り出せて5グラム弱じゃろぅ。仕方ない」
ヤンフィはそこで言葉を切ってから、ボロボロになった革手袋を持ち上げた。店主は親の仇みたいな双眸で、その革手袋を睨みつける。
「それと、これじゃが……授けた知識通りに、混じっている不純物を全て取り除いて、粉末状にして酒に溶かしておいてくれ」
「……それが一番難しいが、まぁ、やってみよう」
「うむ。それでは交渉成立じゃのぅ――幾らじゃ?」
ヤンフィが満面の笑みで手を叩き、カウンターの上に手袋を戻す。店主はどこからか算盤を取り出すと素早く弾いて、髭を一撫でする。
「銀紙幣……二枚と、鉄紙幣三枚で承ろう。日数は七日――」
「三日で終わらせよ。妾たちの滞在がどれくらいかはまだ分からぬが、七日も待てぬ」
店主が右手の指を全部広げて、七日、と答えるのを遮って、ヤンフィは笑顔で告げる。しかし双眸はちっとも笑っていない。ましてや、その全身からは有無を言わせぬ冷気を放っていた。
店主は思わず言葉を飲み込んで、グッと口をつぐんだ。タニアが微笑ましく眺めている。
「三日じゃ。不可能であれば、無料にせい。作業工程的には、正味三十時間もあれば出来るじゃろぅ?」
「………………」
ヤンフィは無機質な声でそう続ける。店主はギュッと眼を瞑ってから、肩を震わせて、必死に何かを堪えながら奥歯を噛み締めた。
「……分かった。三日でやってみよう。だが、その代わり、代金は倍――」
「銀紙幣二枚にまけよ。妾が授けた知識は、汝にとってテオゴニア金紙幣数十枚以上の価値があるはずじゃろぅ? むしろ、汝が妾たちに代金を払う必要があるのではないか?」
畳み掛けるように、ヤンフィはまた無茶な要求を突きつけた。その台詞に、譲る気持ちなどは一切感じられない。タニアが憐憫の視線を店主に向けている。
店主はもはや口答え出来ないと諦めて、フゥと小さく吐息を漏らした。
「代金は、銀紙幣二枚で結構。作業も三日で終わらせよう――目算だがおそらく、取り出せる素材の量として、神鉄が4グラム、魔力鋼が3グラム、ミスリルが7~9グラム程度か。革手袋に含まれてる魔族の肉は、どんな酒に溶かすんだ?」
「――素晴らしい。最初からそう云うておれば良かったのにのぅ。酒は、度数が高ければ何でも良い。希釈率は二百倍じゃ」
「分かった。やっておこう……毎度あり」
店主の頷きで、ようやく交渉は終了した。煌夜とタニアは若干置いてけぼり感があったが、とりあえずヤンフィは非常に満足そうだった。
そうして代金を支払うと、ヤンフィは大盾と短刀をタニアに持たせて、鍛冶屋を出て行く。タニアは盾を背負って、短刀を着ているベストの内ポケットに仕舞った。
鍛冶屋を出ると、ヤンフィはグッと背伸びをしてから、また唐突に、煌夜に身体の主導権を返してくる。フッといきなり身体が動くようになって、煌夜はこけそうになった。
(おい、ヤンフィ――)
(コウヤよ。妾はそろそろ休ませてもらおう。素晴らしい買い物をさせてくれて非常に感謝しておる。後はもう邪魔せんから、タニアとシッポリ楽しむが良い)
文句を言おうとした煌夜の言葉を遮って、ヤンフィはカラカラと笑いながらそのまま黙り込んだ。まったく自分勝手すぎる、と怒鳴ろうとした時、タニアが声を掛けてくる。
「にゃあ、ボス。これからどうするにゃ? セレナとの約束まで、まだ一時間近くあるにゃ」
盾を背負ったタニアは、太陽の高さを測ってから首を傾げていた。
それを見て、あー、と煌夜は後頭部をワシャワシャと掻く。どうするか、と腕を組んだ。
「一旦、宿屋に戻るかにゃ? この盾とか、持ち運ぶ必要はにゃいんじゃにゃいか?」
「んー、あ、そうだ! なぁ、タニア。ちなみにさ、奴隷市場って何処にあるのかな?」
「にゃにゃ!? あれ、もうボスじゃにゃくにゃったにゃ?」
タニアは煌夜の声を聞いて一瞬ビクッと驚いたが、すぐさま柔和な笑顔になって擦り寄ってきた。当然のように腕を絡めてくる。
とりあえず煌夜の腕力ではそれを振り払えないので、為すがままにさせて頷いた。
「ああ、ヤンフィは買い物できたから、もう満足だと――で? 奴隷市場って何処に? 近くなら、ちょっとだけ状況を覗いてみようかな、と」
宿屋に戻ってセレナと合流したら、三人で奴隷市場に乗り込んで【子供攫い】の仲間を見つけ出し、攫われた子供たちを救出するつもりだが、事前に下調べをしておくに越したことはないだろう。
煌夜は、我ながら妙案だと思いながら、タニアに尋ねる。タニアは、大通りの奥を指差しながら、口を開いた。
「うろ覚えにゃけど……クダラークの奴隷市場は、このまま大通りを進んで、路地裏から入れる裏町にあるって聞いた覚えがあるにゃ。あんまり雰囲気でにゃい陰気にゃとこにゃけど……行って見るかにゃ?」
「いや、雰囲気なんか出なくてもいんだけど……ああ、案内、頼むよ」
盾を背負ったタニアに腕を引かれて、煌夜はとりあえず奴隷市場へと足を向けた。それは現場をチラッと視察するだけのつもりの、ほんの軽い気持ちだった。煌夜がこのとき想像していた奴隷市場は、アベリンで見た地下での競りである。
「さぁ、こっちにゃ」
タニアに促されるまま道を進んで、何度か案内板を見間違えて迷いつつ、煌夜はようやく奴隷市場と呼ばれる場所に辿り着く。そうして、そこに広がっていた光景に絶句する。
煌夜は、この世界の奴隷市場がどういうものか、だいぶ勘違いしていたらしかった。目の前に広がっていたその光景は、まったく許し難いものだった。
「……タニア、これ、は?」
「んにゃ? これが、クダラークの奴隷市場にゃ。ここはそんにゃに規模は大きくにゃいけど、まぁ、そこそこ賑わってるにゃあ」
煌夜はギリギリと奥歯を噛み締めて、血が滲むほど拳を握り締めた。怒りで視界が真っ赤に染まった。
【聖王の試練】に向かう前、休憩時間中の出来事――その前編