第三十七話 ワグナーとアレイア
地下迷宮の外に飛び出したヤンフィを出迎えたのは、空を真っ赤に染め上げる夕焼けと、響き渡るワグナーの咆哮、そして炸裂する巨大な魔力の斬撃だった。
ヤンフィは慌てて左腕で顔を庇いつつ、放たれた斬撃の矛先を確認する。射線の先には、どうしてか地面に倒れているタニアがいた。
なるほど――ワグナーは、タニアにトドメの一撃のつもりで、この超弩級の必殺技を放ったようだ。
ヤンフィがそう得心した瞬間、物凄い衝撃と爆音を響かせて、斬撃がタニアに激突する――いや、タニアに激突と言うよりは、タニアが倒れていた一帯を抉った、と言った方が正確だろうか。その一撃は、地面に巨大なクレーターを作り、斜線上の何もかもを蹂躙し尽した。巻き上がる土砂煙と、爆風じみた衝撃波が、爆心地を中心に辺りを駆け巡る。
「……凄まじい威力じゃが、あの程度でタニアは死なぬ」
ヤンフィは確信をもってそう呟き、すかさず現在の戦況を確認した。この戦場は今、舞い上がった粉塵で視界不良だったが、それでも全員の立ち位置は把握できた。
ヤンフィのすぐ傍らで光の鎖に縛られているアレイア。ヤンフィから見て右手側、10メートルほど離れた位置でしゃがみ込むセレナ。タニアはヤンフィの左手側、目測でおよそ40メートルほど離れた位置に倒れ込んでいて、今は先の斬撃で穿たれたクレーターに埋もれている。そしてヤンフィと正対するように、20メートルほど離れたところで、ワグナーが大剣を振り下ろした格好のまま立っていた。
ふむ、とヤンフィは声を出さずに頷く。パッと見て、状況は悪くはなさそうだ。
「な、に――なぜ、生きて!?」
その時、ヤンフィとワグナーの目が合った。残心の表情から一転、ワグナーは驚愕を浮かべる。ヤンフィは素早くアレイアの背後に回り込んだ。
「コウヤ!?」
「おっと、動くなよワグナーとやら。汝が動けば、この女の命はないぞ?」
ヤンフィの出現に驚きの声を上げるセレナを横目に、ヤンフィはアレイアの首筋に剣を突き付けた。拘束されているアレイアは身動き取れず、息を飲んで目を見開く。
その台詞、その所業は、まさに悪役の行動である。アレイアを人質に、ワグナーに脅しをかけたのだ。だが信じ難いことに、その脅しはまったく通じなかった。ワグナーはすかさず大剣を構え直す。
「おいっ!? ワグナー、汝、この女が、どうなっても――チッ!」
「――この、クソガキ!! 今度こそ、くたばりやがれ!!」
大剣に魔力を集中し始めたワグナーを見て、ヤンフィは警告とばかりに、アレイアの首筋を薄く斬り付けた。けれどワグナーはまるで意に介さず、怒号と共に大剣を横薙ぎに振るう。放たれた魔力は空間を切り裂き、アレイアの胴体目掛けて真っ直ぐに飛んで来た。
ヤンフィはその想定外の行動に舌打ちしつつ、アレイアの細いくびれを抱えて横っ飛びする。しかし、アレイアを庇って一瞬反応が遅れたせいで、その魔力刃を避け切れずに肩口を抉られた。それは致命傷ではないが、割と深手である。
ヤンフィはアレイアを抱えて転がりながら、チラとセレナに目配せした。セレナは得心顔で頷くと、素早く駆け寄ってくる。
「――『癒しの風よ。彼の者に活力を与えよ』」
セレナは駆け寄りつつ治癒魔術を詠唱した。治癒魔術は瞬時に展開されて、ヤンフィとアレイアを包み込み、二人の怪我を瞬く間に癒した。
(……おいおい、あのクソ野郎。本気で仲間ごと斬ろうとしやがったぞ!?)
「まさか、人質が意味を成さんとはのぅ――おい、汝、主人に棄てられたぞ?」
煌夜が信じられないとばかりに声を荒らげた。それに同意するように、ヤンフィは体勢を立て直して、苦笑混じりにアレイアへ問い掛ける。アレイアは答えず、馬鹿にするように冷笑した。
「……ちょっと、コウヤ。アンタ、アイツに捕まってたんじゃなかったの?」
ふと駆け寄ってきたセレナが小声で尋ねてくる。何の話じゃ、とヤンフィは眉根を寄せた。その反応を見て、セレナは瞬時に事情を察したようで、安堵した風に息を吐く。
「相変わらず、すばしこいガキだな――アレイア、いつまで遊んでるつもりだ!? サッサとそのガキを行動不能にしろ!!」
光の魔術で拘束されたまま地面に転がっているアレイアに、ワグナーはそんな叱咤を飛ばす。その言葉を聞いて、煌夜は怒りで絶句した。セレナもヤンフィも呆れて、アレイアに憐憫の眼差しを向ける。
けれど、当のアレイアは平然とした表情で、妖艶なその肢体をくねらせてヤンフィの足に絡みついた。両手両足が拘束されている為に、その様はまるで蛇のようだ。なんじゃ、とヤンフィはその小賢しい抵抗に首を傾げる。
「――業火」
ヤンフィの足に身体を絡ませたアレイアが、無詠唱で魔術を展開した。瞬間、ヤンフィはその意図を察して、しまった、と咄嗟に顔を庇う。アレイアの取った行動は、己の身体を対象にして、炎の中級魔術を展開すること――ヤンフィを巻き込んだ自爆行動である。
アレイアの身体が、巨大な炎の玉に包まれる。当然、アレイアと密着状態のヤンフィもその炎に巻き込まれた。そして一瞬後、炎の玉が花火のように弾けて、ヤンフィを中心に中規模な爆発が巻き起こる。その威力は、半径5メートル範囲を粉微塵に吹き飛ばすほどである。魔術防御の低い煌夜の生身では、直撃すれば四肢が爆散するだろう破壊力だった。
「嘘でしょ!?」
アレイアのその自爆行為に、セレナはまともに反応できず、ただ叫ぶことしか出来なかった。けれどもその悲鳴じみた声は、直後の銅鑼みたいな爆音に掻き消される。ちなみに勿論、傍らにいるセレナも爆発には巻き込まれるわけだが、セレナの魔術防御力であれば、直撃を受けようとも、火傷か擦過傷程度の軽傷で済むだろう。さして心配はなかった。
ドォン――と、響き渡る爆音、巻き起こる突風、刹那の閃光、もうもうと舞い上がる粉塵。
果たして、爆発はすぐに収束して、その場には、少しだけ服を焦げ付かせたセレナと、ぐったりと憔悴した表情のアレイア、そして、両足が膝の部分でありえない向きに折れ曲がり、10メートルほど吹き飛ばされている煌夜の身体があった。
「――コウヤ!? ちょ、大丈夫?! 生きてる?」
セレナはそんな煌夜の姿を視認して、驚愕の声を上げる。すかさず煌夜の元に駆け寄り、治癒魔術を詠唱した。その様を見て、ワグナーがニヤリと笑った。
「…………妾は、無事じゃ。衝撃を殺しきれんで、骨が折れただけじゃよ――じゃが、タニアから譲り受けたこのブーツでなければ、下半身が弾け飛んでおったじゃろうなぁ」
「ああ、そういえばそれ、獣王のブーツだったわね……ふぅ、良かった」
折れている患部に治癒魔術を施しているセレナに、ヤンフィが薄く笑いながら呟く。その言葉にセレナはホッと薄い胸を撫で下ろしていた。
(……なぁ、ヤンフィ。本当に、俺の身体、大丈夫なのか? 確かに見た目はグロくはないし、痛みもないけど……さすがに俺、あの爆発で死を覚悟したぞ?)
(ああ、大丈夫じゃ、コウヤ。妾も、ちとマズイかと思ったが、装備に助けられたわ。後で、タニアに感謝せねばのぅ)
セレナの治癒魔術のおかげで瞬く間に両足が治る様を見ながら、煌夜は心の中でヤンフィとそんな会話をしていた。
「それにしても――この程度の攻撃魔術で、何がしたかったのよ?」
セレナが呆れた声で言いながら、アレイアに顔を向ける。少し離れた場所で転がっている憔悴した表情のアレイアは、いまだに身体をセレナの展開した【光鎖】で拘束されていた。先の爆発程度では、光鎖を破壊することは叶わなかったようである。
煌夜を即死させる威力もなく、セレナにもダメージを与えられない魔術で、しかも拘束魔術を解くことも出来なかったとしたら、アレイアの意図は何だったのか――セレナは、腑に落ちない顔を浮かべた。
しかし、そんなセレナに、ヤンフィが首を振って答えた。
「違うぞ、セレナよ。今のは目晦ましじゃ……本命が、来るぞ」
「は? どういう意味――って、ああ、そういうこと?」
ヤンフィはセレナに抱き起こされながら、大剣を振り下ろそうとしているワグナーを指差した。それを見て、セレナは、ああなるほど、と至極平然と頷いた。焦る様子は微塵もない。
「これで終わり、だ――死ねぇ!!」
セレナがワグナーを認識したのと同時に、ワグナーは満を持して渾身の一撃を放った。
ワグナーの技は、まるで空中を泳ぐ蛇のような雷だった。飛び掛る落雷という表現が妥当だろうか。空間が焼かれたようにきな臭くなり、光の速度でヤンフィに迫り来る。その威力は、先ほどのアレイアの爆発など比ではない。タニアに放たれた斬撃よりもいっそう強烈な一撃で、それこそセレナやヤンフィが何をしようとも、躱すことは当然、防ぐことさえ不可能な超弩級の魔力攻撃だった。
しかしそんな必殺の攻撃を、セレナもヤンフィも涼しげな顔で眺めている。躱す術はなく、防ぐ術もない即死の攻撃だ。だというのに、それに対して二人は何ら身構えもしない。その様は一見すると、諦めたようにも思える。だが、諦めたわけではない。
二人の視界の隅で、鈍い動きながらも起き上がった頼もしい仲間――タニアが拳を構える様を見て、ワグナーの攻撃が届くことはないと確信したが故の余裕である。
「――おい、お前。ちょっと、調子に乗りすぎにゃ」
タニアのそんな底冷えするような響きの声は、轟く雷鳴のような轟音に掻き消される。そして、ワグナーの放った必殺の一撃も、横合いから飛んできた槍状の魔力の弓矢によって、凄まじい閃光だけ残して掻き消された。
刹那、ドン、と空間が震える。タニアの放った【魔槍窮】が、ワグナーの攻撃を打ち消したのである。
ワグナーが驚愕の顔で声のした方を向いた。そこには、全身から殺意と怒気を垂れ流して、湯気のような魔力を立ち上らせるタニアの姿があった。
「――な、なんだと!? 貴様、風縛陣に囚われたはず!? それに俺の技が直撃して――」
「あんにゃので、あちしを倒せると思ったにゃら、お前、あちしの実力を舐めすぎにゃ。それにだいたいにゃぁ……あの拘束魔術も、三英雄キリアのと比べれば、圧倒的に精度が低すぎるにゃ」
ザッと、タニアが一歩、ワグナーに踏み出す。ワグナーはその顔に一瞬だけ脅えを浮かべて、無意識に一歩だけ後退する。しかし、ギリと奥歯を噛み締めてから、タニアと正対するように身体の向きを変えると、重心を低くドッシリと大剣を中段に構えた。
(――あ、良かった。タニアも無事、だったか……)
一方、タニアの姿を見て、煌夜が一人、安堵の吐息を漏らしていた。相変わらずの煌夜の反応に、ヤンフィは内心で苦笑しつつ、世間話の延長のような気軽さでセレナに指示を出す。
「セレナ、アレイアは殺さずに、魔術を封じろ」
「はいはい――分かったわよ」
セレナはおざなりな返事をしつつ、転がっているアレイアに掌をかざす。すると、アレイアの周囲を光の壁が取り囲んだ。それは立方体の巨大な光の箱となって、アレイアを閉じ込める。勿論、その身体はまだ光の鎖が巻き付いており、アレイアは身動き一つ取れない状態だ。
そんな光景を一瞥して、ワグナーが忌々しげな舌打ちをしている。これで何をしても、アレイアはワグナーの手助けが出来ない。
完全に形勢は逆転した。もうワグナーが勝てる目はないだろう。
「――タニア! 其奴の装備品は貴重じゃ。殺す時には、跡形もなく吹き飛ばすなよ?」
「にゃにゃ!!」
ヤンフィはゆっくりと立ち上がり、見下すような視線をワグナーに向けているタニアに、そんな注意を投げる。タニアは元気良く返事をして、ブワッと全身からいっそうの魔力を噴出させた。
噴出した魔力は、揺ら揺らと風にたゆたいながら、タニアの全身を膜のように包んでいる。それは【魔装衣】と呼ばれる魔力の鎧だ。身体能力強化、魔力量増加、魔術攻撃力、防御力、五感の鋭敏化など、使用者のあらゆる性能を強化する獣族の奥義である。ただし代償として、身に纏った衣服の重量が数倍から数十倍にもなるが、それを補って余りある肉体強化が可能だ。
「――クソ、共がぁ!! アレイアァアアア!! テメェも、役立たずかよっ!? せっかくあんだけ可愛がってやったのにっ!! 恩を仇で返す気か!?」
タニアが魔力を漲らせるのを見て、ワグナーが癇癪を起こしたように悪態を吐いた。その台詞を耳にして、光の箱に閉じ込められたアレイアが、ビクッと身体を震わせる。セレナもヤンフィも、呆れたように首を振った。どこまで腐った男だ、と煌夜は怒りで拳を強く握る。
「さて、と。にゃあ、お前、少しは歯応え見せてくれにゃ?」
「ほざくなよ、こ、の――覇ぁあああああ!!!」
タニアは口元だけを笑いの形に歪めて、ワグナーに首を傾げる。それを合図にするように、ワグナーは裂帛の気合と共に、目にも留まらぬ速度で大剣を振り抜いた。
先の斬撃ほどではないが、おそらくは今のワグナーに撃てる最高威力の攻撃だろう。凄まじい魔力の塊が、天空から隕石のように、タニアの立つ位置に向けて落下してきた。
けれど遅い――その技は、タニアに易々と躱される。
ワグナーが大剣を振り抜いた直後、タニアの姿も陽炎の如く揺らめいた。そして瞬きよりも速く、タニアはもうワグナーの目の前にいる。
「――ぐぅ……がぁああああっ!?」
大剣を振り抜いた残心の姿勢のワグナーの右肩を、タニアは当然の顔をして、右の拳で貫いていた。
ワグナーは苦痛と驚愕に顔を歪めながら、咄嗟に後方へと飛び退く。それと同時に、空振ったワグナーの技が爆音を轟かせた。地面がまた大きく抉れて、もうもうと土煙が立ち上る。そんな光景を尻目に、タニアは自然な動作で追撃する。次の狙いはワグナーの脚である。
「チッ、こ、の、化け物、が……」
「失礼にゃ――お前が、弱いだけにゃ」
タニアは悪態を吐くワグナーに軽口を返しつつ、閃光のような蹴りをその脛にお見舞いする。
ガキィ――ン、と金属が甲高い悲鳴を上げて、ワグナーの装備していた鋼の足具が弾け飛んだ。ついでに勢い余って、ワグナーの脛がその一撃で骨折する。ガクン、とワグナーは片膝を突いた。
「ぐぅううぉお――っ!!!」
しかし、片膝を突いたワグナーは、それでも戦意を喪失しない。跪くような不恰好な姿勢で、それでも諦めずに大剣を振るう。その剣戟は素早く、芸術的なまでの軌跡を描き、タニアの首筋を両断すべく振り下ろされた。けれどタニアはそれを意に介さず、避ける素振りすらなく、ワグナーの無事な片脚目掛けて無造作な前蹴りを放つ。
果たして、ワグナーの大剣はタニアの首を直撃するも、魔装衣の硬すぎる防御に阻まれて、まったくむなしく弾かれる。一方、タニアの前蹴りは、ワグナーの脚をあっけなく圧し折った。
ワグナーは愕然とした表情を浮かべて、たまらず顔から地面に倒れ込んだ。それはまるで土下座でもするかのような姿勢で、タニアの前に頭を垂れて四つん這いになる。
タニアはそんなワグナーの後頭部を白けた双眸で見下ろしてから、情け容赦なく拳を振り下ろした。
「……にゃにゃにゃ?」
けれど振り下ろした拳は、ワグナーの後頭部に到達せず、空中で硬い何かに阻まれる。
タニアはキョトンとした表情を浮かべて、グッと拳に力を篭める。すると、バリン、と硝子の割れる音が鳴り、空間に亀裂が入った。
タニアは持ち前の【鑑定の魔眼】を使って、それが魔力の壁であり、タニアが纏う魔力を操作して作られた障壁であると看破する。どうやったのか定かではないが、タニアの攻撃は自身の魔力によって阻まれたらしかった。
「油断、だ。クソ猫――魔操の鍵よ、彼の魔力を我が物とせよ!」
その時、四つん這いで頭を下げた姿勢のままで、ワグナーが何やら叫んだ。それに呼応するかのように、大剣が緑色の光を放ち出して、気味の悪い低音で唸り出す。
タニアはその光景を前に、奥の手だろうか、と特に何の反応もせず、余裕の態度で待ち構えた。
刹那――ワグナーの身体が、凄まじい量の魔力で包み込まれる。それは、すぐさま鎧の形状を取って固定化される。のみならず、ワグナーの魔力量が底上げされて、全身に魔力が漲り始める。
タニアは、まさか、という表情を浮かべた。ありえにゃい、と思わず漏らした。
「カッハッハ――クソ猫。お前のとっておきの魔力鎧は、これで、俺のモンだぁ!!!」
ワグナーが狂ったように叫んだ。そして俊敏に立ち上がると、タニアから一歩だけ離れて、剣の間合いをとる。ちなみにワグナーの圧し折れていた両足は、魔力の鎧により補強されて、治ってはいないが動くのに支障はなさそうだった。
「覇ぁああああ――っ!!」
ワグナーは先ほどとは比べ物にならない抜刀速度で、タニアを斬り付けた。それは目にも留まらぬではなく、目に映らないほどの疾さだ。だがそれを、タニアは怪訝な表情のまま拳でいなす。
「……あちしの魔装衣を、真似たにゃ? いや、あちしの魔力を、操ってるにゃ?」
ワグナーの全身、その魔力鎧を鑑定しながら、タニアはとりあえず受身に回った。
ワグナーは息つく間もなく、目まぐるしい連撃でタニアを攻め立てる。その猛攻は、ヤンフィでさえも舌を巻くほどの苛烈で見事な剣戟である。けれど、タニアにはまったく通用していなかった。
タニアはその猛攻を綽々と、躱し、いなし、防ぎきる。その様はまるで、示し合わせた殺陣のようだ。遠目から眺めるセレナとヤンフィは、思わず感嘆の吐息を漏らした。
「カッハッハッハ――」
ワグナーは周囲に響く大声で馬鹿笑いをしながら、その素晴らしい猛攻を続けた。
嵐のような怒涛な攻めは、一分経ち威力を増し、五分経ち剣速を増し、十分以上が経過して、まったく緩まなかった。それでもタニアには傷一つ付けられない。
タニアは猛攻を軽々と受け流しながら、馬鹿にゃあ、と呟いた。
(なぁ、ヤンフィ。アレ、なんでタニアは反撃しないんだ?)
ふと、遠目で観戦していた煌夜が、当然の疑問を口にする。その疑問に対して、ヤンフィは呆れた声で呟いた。
「……あのまま、もうしばらくすれば、ワグナーの肉体は、タニアの強すぎる魔力に耐え切れず、勝手に自壊するじゃろう。じゃから、タニアは手を出さんのじゃ。それにほれ、よく見てみよ。既に両腕が折れておるわ」
そんな解説に、傍らのセレナが、あ、と驚いた声を上げた。どうやら、セレナも煌夜同様、タニアが反撃しないことを疑問に思っていたらしい。ちなみに、ヤンフィの言う通りよくよく見ると、ワグナーの両腕はあらぬ方向を向いていた。だと言うのに、その腕を包み込んでいる魔力の鎧が、無理やりに大剣を振るわせている。
「――それにしても、タニアってこうして見ると、本当に化け物よね。魔装衣を支配されてるのに、何であんな芸当が出来るのよ?」
「セレナよ。タニアが化け物であることについては、妾も同意じゃ。じゃがアレは、魔装衣を支配されているのでも、奪われておるのでもないぞ? 魔装衣の効果を、ワグナーと共有しておるだけじゃ。つまりは、互いに魔装衣の恩恵を受けておる。じゃから結局、身体能力差が顕著になっておるだけじゃ」
「へぇ――なるほど、ね」
ワグナーが攻めて、タニアがそれを捌く光景を観戦しながら、ヤンフィがそんな解説を挟んだ。セレナは興味深げに頷いて、改めてタニアたちの戦闘を眺める。とはいえ、アレイアに対する警戒は解かない。
「カッハッハ……ハ、ぐぅ、あ――」
やがて、決着は唐突に訪れた。ワグナーが大剣を振り下ろして、それをタニアが弾いた瞬間、ワグナーの手から大剣が弾け跳んだ。大剣は宙を舞って、地面に突き刺さる。
握力がなくなったのか、と煌夜がワグナーの腕を見た時、その様に思わず我が目を疑う。ワグナーのその手が、跡形もなく砕け散っていたからである。
「お前、あちしを舐めすぎにゃ……まぁ、魔力酔いで好い気分だったみたいにゃし、冷静にゃ判断ができにゃくても仕方にゃいけどにゃ」
タニアがそんな呟きを漏らすと同時に、ワグナーの身体を包んでいた魔力が雲散霧消した。そしてワグナーはその場に崩れ落ちる。
「あ、あ、あ、ぐぁ……」
ワグナーは俯いた体勢になり、くぐもった音を搾り出していた。その無様を見下ろして、フン、とタニアは鼻を鳴らすと、もはや勝負は終わったとばかりに背を向ける。そのまま反撃を想定すらせず、ヤンフィとセレナの元に近寄ってきた。
(ふむ。これでひとまず安心じゃのぅ……さて、ではもう一人をどうするかのぅ)
ヤンフィもタニア同様、これでワグナーとは決着したと確信して、視線をアレイアに向ける。アレイアは光の鎖に全身を縛られた状態のまま、光の箱の中でまんじりともせず寝転がっている。その顔は無表情で、呆とワグナーの姿を見詰めていた。
「やっぱり、コウヤは無事だったにゃ。ワグナーにゃんちゃら言うあんにゃ雑魚に、捕まるはずもにゃいし、奴隷取引にゃんてするはずもにゃいにゃ」
タニアは満面の笑みでもって、煌夜の身体を爪先から頭の上まで眺めてから、何の前触れもなく思い切りハグしてきた。にゃごにゃご、と喉を鳴らしながら頬擦りまでしてくる。煌夜は心の中で思わず赤面してブレイクしたかったが、身体の主導権がヤンフィだったので、為すがままになる。
タニアはハグをそのままエスカレートさせて、煌夜の頭をその豊満な胸で掻き抱いた。プニッとした柔らかい感触に顔が包まれて、どこか甘い匂いがする。そこまでされて、ヤンフィはタニアを振り払った。
「――鬱陶しいぞ、タニア。感動の再会は後でコウヤ自身にやってやれ。今はそれより、アレイアの処遇を決めることが先じゃ」
「んにゃ? あ、ボスだったにゃか――にゃにゃにゃ、分かったにゃ」
面倒臭そうに言うヤンフィに、タニアが申し訳なさそうに頭を下げる。そんなやり取りを見て、セレナが呆れた表情で息を吐いた。
「があぁあああああああ――――!!」
その時ふいに、崩れ落ちていたワグナーが凄まじい絶叫を上げた。バッと一斉に顔を向けると、ワグナーが身体を痙攣させながら悶え苦しんでいる。白目を剥いて地面を転がり、手足をバタつかせている。
「……崩れ始めたのぅ」
ワグナーの絶叫を耳にしながら、ヤンフィがボソリと漏らした。
見ればその言葉通りに、身体は既に限界のようだった。まるで泥人形が乾いて砕けるように、手足の末端からボロボロと、皮膚が剥がれ落ちて、肉が崩れ落ちていく。そんな悲惨な光景を目の当たりにして、煌夜は吐き気を催すが、いかんせん吐く事が出来ない。
やがてそう時間は掛からずに、ワグナーはその装備品だけを残して、腐臭の漂う血と臓物の水溜りへと姿を変える。煌夜はその赤い水溜りに浮かぶ紅蓮のコートが、まるで血に染まったように思えた。
「さようなら、御主人様」
ふと、アレイアのそんな囁きが風に乗って届いてきた。チラリとアレイアの顔を見ると、その無表情にはどこか哀れみの色が浮かんでいた。
「さて――にゃ。そろそろ暗くにゃってきたし、お前も、もう抵抗にゃんて意味にゃいだろ?」
タニアが日の沈み始めた空を見上げてから、にゃ、と胸を張ってアレイアを睨んだ。アレイアは何の反応もせずに、ジッと赤い水溜りを見ている。
「ねぇ、コウヤ――じゃなくて、ヤンフィ様。もうアレイアを解放してもいいんじゃない? ワグナーは倒したし、タニアもいるから、彼女が何をしようと問題ないと思うわ」
無反応のアレイアを見て、セレナがおずおずと挙手して提案してくる。それを聞いて、ヤンフィは思案顔になってから、うむ、と頷いた。
セレナはヤンフィの決定にホッと一安心してから、光の箱と拘束を解いた。同族のよしみで同情しているのだろう、心苦しい気持ちが表情に出ていた。
「――余裕、ね。わたしを甘く見ているのかしら? 確かにわたしでは、貴女たちには敵わないわ。けど、刺し違えるつもりなら、一矢報いることは出来ると思うわよ?」
アレイアは足を震わせながら立ち上がり、か細い声でそう強がった。一矢報いると言いながら、その視線はヤンフィを捉えていた。
その視線の動きを見て、タニアが怒髪天を突く勢いで全身の毛を逆立てた。そして次の瞬間に、アレイアの懐に入って、その胸元に拳を突き付ける。
「刺し違えるもにゃにも、お前がにゃにしようと、あちしの方が早いにゃ」
「……タニア、そんな安い挑発にいちいち反応しないでよ。アレイアも、不用意にタニアに喧嘩売らない方がいいわよ? 次はきっと寸止めしないと思うし」
セレナは呆れた顔をしながら、やれやれと肩を竦める。タニアは仕方なしに拳を下ろした。そんな二人を交互に見て、アレイアは苦笑しながら首を傾げる。
「どうして、わたしを生かすのかしら? わたしに、価値はないでしょう?」
アレイアの台詞に、タニアとセレナは難しい顔をしてヤンフィを注目する。ヤンフィは二人の視線を受けて、一歩前に出て口を開く。
「汝を殺さぬことに、別段の意味はない。汝の価値などに興味もない。じゃが、汝が今身に着けておるその扇情的なドレス、それは中々珍しい装備のようじゃ。是非欲しい――脱げ」
ヤンフィは毅然とした態度で、最低なことを命じる。その意味不明な要求に、煌夜はついつい唖然として、ツッコミを入れることも忘れて思考を停止させる。
「……今、この場で、かしら?」
一方、その無茶な要求をされたアレイアは、一瞬だけキョトンとするも、すぐに察して苦笑する。
「そうじゃ。そうすれば、汝は見逃してやる」
「…………替えの服は、あるのかしら?」
「セレナの装備をくれてやろう。交換じゃ」
「――――は?」
ヤンフィは平然とそんなことをのたまって、セレナを指差した。セレナが身に着けているのは、ところどころ破れているロングスカートのワンピースと、深緑のケープ、白銀の胸当てである。
セレナは唐突に振られて、素っ頓狂な声を上げた。え、え、え、と混乱気味にヤンフィとアレイアを見て、そして自分の姿を見下ろしている。そんなセレナに、ヤンフィはもはや決定とばかりに告げる。
「セレナよ。装備の質が向上するのじゃから、惜しまず脱げ」
「な、何を、勝手なことを! あたしは、そんな娼婦みたいな服は嫌よ!?」
「――露出度で云えば、その肩と背中が開いた服とそう変わらないじゃろぅ?」
「変わるわよ!? あたしが着てる服は、そんな大胆なスリット入ってないわ!」
慌てて猛抗議するセレナに、ヤンフィは目を細めて威圧する。セレナは、ウッ、と少したじろぐが、それでも、嫌よ、と首を振った。
そんな二人のやり取りを見て、アレイアがフッと薄く笑った。
「セレナ、貴女は、その人間とずいぶん良好な関係を築けているのね……少しだけ、羨ましいわ」
「――おい、不穏にゃ動きするにゃよ? あちしは、いつでもお前を殺せるにゃ」
アレイアの雰囲気から何か察したのか、タニアが拳をアレイアの胸元に添えて警告する。しかし、そんな警告を無視して、アレイアは視線をヤンフィに向けると、木の杖を構えた。
「……わたしに、替えの服は必要はないわ。御主人様が居ない世界に、未練も望みもありはしないもの」
アレイアは静かにそう語ると、祈るように瞳を閉じた。そして一音にしか聞こえないほどの高速詠唱でもって、その頭上に逆巻く風の竜を出現させる。その巨大な風の竜は、フオォオ――と、吹き荒ぶ暴風のような雄叫びを上げて、ヤンフィを目掛けて襲い掛かる。
「な、嘘でしょ!? まさか【聖風陣】!?」
アレイアのその魔術を見て、セレナが驚愕の声を上げる。逆巻く風の竜は、以前にオーガ山岳でキリアが詠唱した聖級の風属性魔術である。あの時のそれは、タニアの【魔槍窮】と相殺するほどの破壊力があった。となるとこれは、詠唱者が異なるとはいえ、少なくともワグナーの斬撃と同程度以上の威力があると見てしかるべきだ。つまり、直撃すればヤンフィでは防げない。即死するだろう。
大口を開けて迫り来る風の竜を眺めながら、ヤンフィは呆然と立ち尽くしていた。身構えず無防備な姿勢のまま、襲い掛かってくる風の竜を見上げる。
「警告はしたにゃ――あちしは容赦しにゃい」
しかし、逆巻く風の竜が、ヤンフィに触れることはなかった。ヤンフィの眼前まで迫って、その形を維持できなくなり、パッと雲散霧消する。
「――魔突掌」
タニアが短く呟く。アレイアが盛大に吐血する。
見ればアレイアの左胸に、タニアの拳が突き刺さっていた。そして小規模な爆発、次の瞬間には、アレイアの胸元には大穴が穿たれる。それは紛れもなく致命傷で、もはやセレナでも癒せない。その一撃で、妖精族の心臓ともいうべき魔力核は砕かれていた。
アレイアは声もなくその場に崩れ落ちる。その一瞬、ワグナーの成れの果てに視線を向けて、微笑んだように見えた。
「……ふむ。セレナよ、服は脱がんでいいわ。とりあえずアレイアの亡骸から、身ぐるみを剥ぐぞ」
息絶えたアレイアを一瞥してから、ヤンフィはそんな暴言を吐く。セレナが、正気を疑うような顔を向けてきた。その心境は、煌夜も痛いほどわかる。
「あちしが剥ぐにゃ……にゃにゃ?」
ヤンフィの暴言に平然と頷いたのはタニアである。タニアはアレイアの腕を掴んで、その身体を引っ張り起こした。すると途端に、全身が淡い緑色の光を放ち出す。
にゃにゃにゃ、とタニアは警戒するが、その様を見てセレナが同情した声で首を振った。
「核が砕かれたから、肉体が維持できなくなってる……灰化現象が始まるわ。無理矢理脱がすのは、よしなさいよ」
「にゃにゃ、これが灰化現象にゃか?」
タニアが驚きの表情でアレイアの身体をマジマジ見詰めた。淡い光は空中を蛍のように舞い、空気に溶けるようにして消えていった。ほどなくしてその光は消失する。同時に、アレイアの白く美しかった肌は色をなくして、指先から灰となってサラサラ崩れていく。
まるで吸血鬼が太陽の光を浴びて消滅するかのよう――その光景を見て、煌夜はふと思った。
それからあっと言う間に、そこには灰塗れのドレスだけが残る。タニアはアレイアの原型がなくなったことを確認してから、そのドレスを拾い上げると、付着している灰を払う。
アレイアの成れの果てである灰は、風に乗って霧散していく。
「――にゃにゃ! さすがあちしににゃ! ドレスには、傷一つ付いてにゃいにゃ!」
タニアはドレスを広げて確認すると、満足げな笑顔で頷いた。その答えにヤンフィも満足そうだった。だが、一方で、セレナと煌夜は複雑な心境で、アレイアの最期を思う。殺さなければ殺される状況だったとはいえ、後味は悪い。アレイアには、死ぬ以外の選択肢はなかったのだろうか。
(洗脳はされておらんかったし、奴隷契約を結んでいたわけではなさそうじゃったが……まぁ、コウヤが心を痛める必要はなかろう。妖精族が自ら死を選んだのじゃ。その選択を疑っては失礼じゃ)
(…………ヤンフィは相変わらずドライだよな)
煌夜が気落ちしているのを察してか、ヤンフィがそんなフォローをする。とりあえず煌夜は苦笑して、分かってるよ、と気持ちを切り替えた。
「さて――戦利品も手に入れたことじゃし、そろそろ夜じゃ。ボチボチ宿屋に戻って、地下迷宮で何があったか、互いの情報を交換するとしようかのぅ。それで良いな、セレナ、タニア?」
「にゃ!」
「ええ……それが無難ね。遠巻きに眺めてる冒険者たちも、決着したから騒ぎ出したし。これ以上、ここに居るのは、不快だわ」
ヤンフィの提案に、タニアとセレナは間髪いれずに頷いた。
サッと周囲を眺めれば、だいぶ距離は離れているが、ヤンフィたちを取り囲むようにして、冒険者たちが群がっていた。タニアとワグナーの戦闘を観戦していた野次馬連中である。連中は、何が起きたのか興味津々の様子だ。このままここに残っていれば、いずれ連中はヤンフィたちに事情を聞きに来るだろう。それは面倒である。
既に周囲は暗闇に包まれており、夜空には三つの月が顔を見せている。今が何時ごろなのか、正確な時刻は分からないが、煌夜は身体が空腹を訴えていることに気付いた。
(しかしようやく、これでひと段落、か? 長い一日だった……腹減った)
煌夜のそんな呟きにヤンフィは苦笑しながら、赤い水溜りに沈んでいるワグナーの装備を躊躇なく拾い上げて、腕輪型の道具鞄――時空魔術の収納空間に放り込んだ。
「にゃにゃにゃ!? ボス、それ……何にゃ!?」
「……ん? ああ、とりあえず宿屋に戻るのが先じゃ。往くぞ」
タニアの驚愕をサラリと流して、ヤンフィはその足を宿屋へと向けた。
当初は、ここでクダラークでの話を終わらせる予定でした。
けども、もうちょっとだけ続きます