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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第五章 聖王の試練
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第三十六話 聖王と宝物

 身体を包んでいた光が徐々に弱くなり、やがて視界が暗転、暗闇に染まる。同時に、周囲の景色が不安定な異空間から安定した大部屋へと変わり、キ――ン、と言う耳鳴りを残して、転移が完了した。

 辿り着いたそこは、灯りのない真っ暗な空間である。

 上下左右の感覚さえあやふやになるほどの漆黒、深い闇の胎内のようなその部屋の中で、ヤンフィはゆっくりと辺りを見渡した。

 ヤンフィの目は特別製だ。少し目を凝らせば、光の一切ない場所であろうと、まるで真昼のように明るく見える。


「……ふむ。ここが、宝物庫、か?」


 見渡したその部屋は、宝物庫と言えば響きは良いが、印象からするとまさに武器庫だった。部屋の奥には大小様々な宝箱が無造作に積まれており、ところ狭しと鎧や武器が飾られている。そこは扉も窓もない密室であり、床には見たことのない不思議な魔術式の魔法陣が描かれていた。

 ヤンフィはひとまず安堵の息を吐く。パッと見た限り、ここに危険はなさそうだった。魔法陣の効果は不明だが、どんな効果だろうと、発動しなければ怖くはない。それに何より、ここに魔族の気配はなく、罠がありそうな感じもしなかった。当面の命の危険はなさそうだ。


「――無銘目録よ」


 ヤンフィはとりあえず、何が起こるか分からない魔法陣に触れないよう注意しつつ、持っていた黒いA4サイズの【無銘目録】を宙に浮かべる。

 無銘目録は宙に浮くと、暗闇に溶けるように消えて、一瞬の後、緑色の膜に包まれた煌夜を、その場に顕現させた。煌夜は白目を剥いて気絶しており、受け身も取れず床に転がる。

 ヤンフィはそんな煌夜に一つ頷き、本体である幼い身体を光の粒子に変えた。そしていつも通りに、煌夜の身体の中に戻っていく。


「さて、とりあえず一命は取り留めたが、先ほどの戦闘でまた、煌夜の身体を酷使してしまったわ。これはかなりマズイのぅ……何か、治癒道具の類でもあれば幸いじゃが――」


 ヤンフィはさも当然に、勝手知ったる他人の身とばかりに、煌夜の身体を支配して物色を始めた。

 手始めに、積まれていた宝箱を全て床に下ろして、そのうちの一つを開ける。鍵は掛かっておらず、宝箱はあっけなく開いた。

 果たしてその中には、金銀財宝――ではなく、古い紙の束と、矢印型の針が入ったガラス球が収納されていた。とりあえず無視する。

 さて、と気を取り直して、別の箱を開けた。そこには、30センチほどの無骨な短刀が収まっていた。武器蒐集家であるヤンフィは、当然それに喰いついて、すかさず柄から刃先までじっくりと検分する。

 その短刀は強い魔力を宿していたが、しかし刀身にも柄にも、どこにも魔術式の類は刻まれていなかった。となると、宿った魔力をどう使用するのか不明である。何か特殊な効果のある武器だろうか、と胸を躍らせて色々と試してみるが、結局その効果は分からなかった。もしかすると、どこかの鍵になるモノかも知れないが、今のところそれも推測の域を出ない。

 仕方ないと気落ちしつつ、ヤンフィは別の箱を開ける。そこには、干からびた人間の腕が入っていた。

 これはなんじゃ、と神妙な顔でそれを取り出すと、その干からびた腕からは、強い魔力が発せられていた。見るからに怪しい腕だ。けれど、用途が分からない。何かの鍵にでもなるのかも知れないが、別段、今必要な物ではないので不要だろう。とりあえず腕は元の箱に戻す。


「……碌な物がないのぅ」


 ヤンフィは周囲をもう一度見渡して、困り顔でぼやいた。開けていない宝箱は、大中小合わせてまだ幾つもあるが、こうも三連続で不発だと、残りも不発ではないかと疑ってしまう。

 ヤンフィはガシガシと頭を掻いて、しかし諦めずに一番大きい宝箱に着手する。ところが、それはどうやっても開かなかった。何らか魔術による鍵が掛かっているようだ。


「ふむ……それでは、次じゃ」


 何度かガンガンと叩いてから、一向に開かない宝箱は放置して、ひとまず他の宝箱に意識を移す。他の宝箱は、やはり鍵など掛かっておらず、簡単に開いた。

 そうしてヤンフィは、一つ一つ宝箱を開けて回る。ところが結局、総じてマトモな物が何一つ入ってなかった。全てが用途不明か、少なくともヤンフィにとっては、役に立たない物ばかりである。

 例えば、どこか見覚えのある豪奢な食器であったり、どこにでも売っていそうな魔力の宿らない武具であったり、鉄くずに等しい不思議なオブジェであったり、聖級の治癒魔術が記された魔術書であったり、また、干からびた人間の脚だったりした。ちなみに、その干からびた人間の脚は、腕と同様に、強い魔力を有しているので、おそらくは腕と何らか関わりのあるものなのだろう。だが、ヤンフィにはその用途が分からない。


 ヤンフィは大きな宝箱以外を開ききって、盛大に溜息を漏らす。何が聖王の遺物だ。役に立ちそうな物が一つもないではないか――と、部屋の中を改めてもう一度見渡した。

 その時ふと、部屋の四隅に何かを捧げるような台座が置かれていることに気付く。近付いてよくよく見ると、その台座には【神代語アルカイックラング】と呼ばれる文字が刻まれていた。

 神代語アルカイックラング――それは、神種しんしゅが扱う特殊な言語である。人間には発音出来ない言語であり、且つその文字体系は複雑に過ぎる。神種以外の種族では、この言語を完璧に習得することは不可能と言われている文字だ。当然、ヤンフィも神代語など理解できない。


「――『聖者の腕を捧げよ、さすれば我が知識を与えん』のぅ」


 しかし、その文字を知らなくとも、ヤンフィは読解することが可能である。

 それがヤンフィの持つチートな能力の一つ、魔王属ロードの特権であり特性――【統一言語オールラング】の効果だ。少しだけコツは必要だが、その文字を喋ろうとすれば自ずと、その意味が脳裏に浮かぶのである。

 ヤンフィは刻まれている文字を口に出して読んで、その意味を理解した。そして、先ほど宝箱から出てきた干からびた腕を思い出した。


「ふむふむ……さて、こっちは――『聖者の脚を捧げよ、さすれば我が力を与えん』、か」


 ヤンフィは違う隅の台座に近寄って、刻まれている文字を読んだ。そこには予想通りの文章が刻まれている。なるほど、と力強く頷き、四隅を順繰りに見て回る。


「……『聖者の短刀を捧げよ、さすれば我が加護を与えん』――『聖者の祈りを捧げよ、さすれば我が道を示さん』……と、ほぅほぅ」


 四隅の台座を確認し終えてから、ヤンフィはこの部屋のギミックを理解した。

 ヤンフィは開けた宝箱の中から、干からびた腕と脚、短刀と治癒魔術の記された魔術書を持って、それぞれを台座に置いて回った。

 短刀と魔術書を置いても何も起きなかったが、腕を置くと途端に、台座からは緑光が湧き水のように溢れ出て、部屋の床一面を緑色に染め上げる。続けて、脚を台座に置くと、突然、天井が光を放ち始めた。

 見上げれば、天井にも巨大な魔法陣が描かれており、それが白色の光を生み出していた。いきなりの強烈な光に一瞬だけ目を細めたが、おかげで部屋の中は明るくなった。


「――――えるか? 我の、声が届いているか?」


 するとふいに、部屋の中央から声が聞こえてくる。ヤンフィは慌てて、声のする方に顔を向けた。

 そこには、薄ボンヤリと身体を光らせている小柄な男の姿が浮かんでいた。男に気配はなく、魔力も感じられないが、間違いなくそこに居る。

 ヤンフィは身構えて、一歩後ろに下がった。壁に背中がぶつかった。

 その男は、黄土色の肌に、特徴的な乱杭歯をしていて、モジャモジャの髪にバンダナを巻いていた。身長は140センチ弱で、一見すると子供のようにも思えるが、右手の指が七本あることから、人族の中でも珍しい血統種――【炭鉱人ドワフ】と呼ばれる人種だと分かる。


 炭鉱人ドワフは、隔世遺伝する突然変異種で、産まれる確率はおよそ一億分の一とされている珍しい血統だ。生まれながらに手先が器用で、鍛冶師として大成する者が多い。また、身長は低いが、身体能力や魔力が人族の中でもずば抜けており、平均寿命が百二十歳前後と言う人族とは思えないほどの長命である。


「我の、声、聞こえるか? 返事をしてくれたまえ。我の声が届いていたら、返事が欲しい」


 そんな炭鉱人は、今にも泣きそうな顔で、懇願するようにヤンフィに訴えている。ヤンフィは眉根を寄せつつも、うむ、と強く頷いた。その炭鉱人から、敵意は感じられなかった。


「聞こえておるが……なれは何者じゃ?」

「お、おお、おおお――通じた。通じたぞ! ということは、貴様、人族にしか見えないが、神種か?」


 その炭鉱人は、ヤンフィの返事に大仰に感動したかと思うと、鼻息荒くそんな問いを投げてくる。ヤンフィは首を振り、呆れた顔で応じる。


「妾のどこが神種に見える? ああ、うむ……そうか。汝が今、口にしておる言語が、神代語か?」

「いかにもいかにも――ん? 待て、待て。その言葉の響き……【東方語イーストラング】か? だとしたら、何故に我の言葉が――あ、もしや貴様。【統一言語】を操っているのか?」

「――そうじゃが、それが?」

「ぐぬぅ……そうか。その可能性もあるのか……ぐぬぅ。失敗だった」


 ヤンフィの返答に、その炭鉱人は酷く消沈した面持ちになり、浮かんでいる状態でガックリと四つん這いに崩れ落ちた。いったい何だ、とヤンフィは瞳に魔力を篭めて、より注意深くその男を観察した。


「――ふむ。汝、もしや、精神体の記録かのぅ?」


 炭鉱人の落ち込んでいる様をよくよく観察すると、ヤンフィはそれにすぐ気が付いた。

 宙に浮かんでヤンフィの対応に一喜一憂しているその炭鉱人は、実体がここにあるわけでも、どこか遠い場所にいるのでもなく、魔法陣に記録されている精神体が投影されているだけ、ただの映像のようだった。非常に高度な魔術だが、不可能な技術ではない。

 そんなヤンフィの問いに、炭鉱人は唐突にシャキッと立ち上がって、腕を組んだ姿勢で答える。


「いかにもいかにも――我は、過去の記録に過ぎん。今がいつかは分からんが、少なくともとっくの昔にくたばってる男の記憶の残滓だ。さて、貴様が神種でないことは残念で仕方ないが……まあ、とりあえず自己紹介だけはしておこう。我は【聖王ランドルフ】――の記憶。この試練の地下迷宮を作成した張本人の、記憶だ」


 どうだ、と言わんばかりの決め顔で、その炭鉱人――聖王ランドルフは胸を張る。だが、ヤンフィは聖王になど興味がない為、特に思うところはなかった。

 ふーん、と素っ気無く頷いて、マイペースに話を切り出す。


「――で、そのランドルフとやらよ。何故に、神種でもない汝が神代語を扱えておる? それと、妾が神種でないと、何か不都合でもあるのか?」

「いかにもいかにも。我は、ここに至れる強者で、且つ神種の戦士を求めている。だから、貴様が神種でないことは、不都合と言うか、残念で仕方ない。ああ、ちなみに、我が神代語を扱える理由だが――まぁ、我が超天才だからだな。我は、実は統一言語以外の言語を、全て扱えるからな」


 さりげなく自慢してくる聖王ランドルフに白い目を向けつつ、ヤンフィはさらに質問をする。


「神種の戦士を求める理由はなんじゃ?」

「あ? ああ、理由は、白竜ホワイトレインとの盟約に関わることさ。白竜ホワイトレインは、自らを使役してくれる強者の存在を求めている。しかも、生涯の伴侶として振舞ってくれるような存在を、な。だが伴侶ともなると、幻想種は雌雄同体だから、必然、相手も雌雄同体が好ましいわけで――そうすると神種以外に選べなくなるだろ? だから、我は神種の戦士を探してるんだ」

「…………別段、伴侶が異性でなくてはならぬ理由はなかろう? 使役する者の性別なぞ、関係ないのではないか?」

「ところがな。竜族って奴は、伴侶を得ると頻繁に発情期がやってくるようになるらしい。しかも、その発情期に入ったら、伴侶と認めた異性と性交、もしくは体液の交換を行わないと、狂戦士状態になって暴走するんだ。その上で厄介なのが、発情期中は、男性体か女性体か、どちらの性別になるか本人で選べない。だから伴侶には、雌雄同体が望ましいんだ」


 聖王ランドルフは饒舌にそんな解説をしてから、ふぅ、と重い溜息を漏らす。そして、そんなことは置いておいて、と話を切り替えた。


「さてさて、では、我を呼び出した報酬として、我の持つ知識と力、そして加護を与えよう――とか言っても、あんま期待しないでくれたまえ?」

「――何をくれるのじゃ?」

「我が知り得る限りの【冠魔術クラウン】の知識と、我が打った魔剣。ついでに我と仲間たちが退治した魔神【黄竜こうりゅう】の竜麟を与えよう」


 そのランドルフの衝撃的な言葉に、ヤンフィは思わず生唾を飲んだ。無意識に目を細めて、思わず感嘆の吐息を漏らす。その報酬は、期待するなと言う割に、あまりにも垂涎ものである。特に黄竜の竜麟は、今のヤンフィにとって、何より極上の治癒薬になる。


「んじゃ、ちょっと魔法陣の中央に立ってくれたまえ。そうそう、うんうん――ほぅほぅ」


 ランドルフに促されるまま、ヤンフィは魔法陣の中央に立つ。すると、ランドルフはしきりに頷き、何やら納得した顔を浮かべた。


「貴様――魔王属を宿した人間なんだな。すげぇ珍しい。けどだからか、統一言語を操れる理由……ま、とはいえ、だからなんだって感じだがね。あ、今、貴様の脳内に【冠魔術】の知識を注入したけど、どうだろうか?」


 どこか負け惜しみのような口調でランドルフは言って、ヤンフィに首を傾げて見せた。ヤンフィは眼を瞑って、脳内に浮かび上がってくる知識を確認する。しかしそれは既知の知識である。残念だ、と眉根を寄せて首を振った。


「……うむ。汝が習得しておる【冠魔術】、確かに受け取った。じゃが生憎、これらの冠魔術は、妾が既に知っておるものじゃ」

「へぇ、そりゃあ、失礼しました。けど、我には関係ない。じゃ、次に、魔剣と竜麟を与えよう。ほぅれ――これだ」


 ランドルフは興味なさげにヤンフィの言葉をサラリと流して、何もない中空に手をかざす。すると、パッとその場に、一振りの剣と一枚の鱗が現れる。それはユラユラと空間を浮遊して、ヤンフィの目の前までやってくる。


「それでは説明しよう。この剣は、我が丹精込めて打った魔剣の一振りで、銘を【紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)】と名付けた。剣身に特殊な魔術式が刻まれていて、あらゆる炎を意のままに操ることが出来る武器だ。また同時に、斬った対象に炎を植えつけることも出来る。そして一番の特性として、この剣身は折れても、炎になって甦る。重さはなく、魔力も消費しない。ただし、その切れ味が使い手の技量次第なのが唯一の難点だな」

「ほぅ――素晴らしい。妾の持つ魔剣の中でも、これほど美しい武器はない。ありがたく頂こう」


 ランドルフが浮かべる自信満々の笑みに、剣を手に取ったヤンフィも嬉しそうに頷いた。確かにその剣はランドルフの言うとおり、重さを感じさせなかった。

 その剣――紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)は、反りがなく真っ直ぐとした剣身で、110センチほどの細長い形状をしており、赤黒い両刃の片手長剣だった。鍔には揺らめく炎を思わせる装飾があり、柄には竜革が使われている。

 二度三度と振って見ると、煌夜の手にしっくりきた。ヤンフィはニヤリと口角を吊り上げた。


「――あ、ついでに、このホルダーもオマケで与えよう。これを使えば、いちいち時空魔術で収納しなくても、持ち運びが便利になるだろう」


 ランドルフはそう言って、ベルトと一体になっているソードホルダーを渡してくる。ヤンフィはそれも遠慮なく受け取り、すかさず煌夜の腰に巻いた。左腰の辺りにホルダー位置を調節してから、そこに紅蓮の灼刃を吊るした。途端、剣身が消え去り、ソードホルダーには柄だけが吊るされた状態になる。

 ヤンフィは面食らった表情で、慌ててソードホルダーから柄を外す。すると、また瞬間的に剣身が現れて、元通りになった。その様に、いっそうギョッとする。


「これは――時空魔術の類か?」

「いかにもいかにも――ソードホルダーに吊るした剣の剣身だけを隠すよう設定した時空魔術さ。我の渾身の道具だよ。感想はどうだい?」

「素晴らしい!」


 ランドルフの台詞に、ヤンフィは感動の声を上げる。素晴らしい、と連呼しつつ、新しい玩具を手に入れた子供のように喜色満面になり、ホルダーに剣を吊るしたり、外したりを繰り返していた。

 ひとしきりそんなことを繰り返した後、ヤンフィは宙に浮かんだ一枚の竜麟も手に取る。それに触れた瞬間、身体中を貫く強烈な魔力を感じた。やはり黄竜の竜麟は凄まじい魔力が宿っている。

 これならば――と、ヤンフィはその竜麟を、躊躇なく口の中に入れて飲み込んだ。途端に、身体の内側で爆発するような衝撃が起きて、異質な魔力が全身を駆け巡るのを感じた。

 一方で、ランドルフはヤンフィのその奇行に目を見開いて、絶句している。だがそれは当然だ。これほどの魔力を宿した竜麟を飲み込んだりしたら、生身の人間では一発で魔力中毒になり、即死するだろう。


「貴様、何を馬鹿なことを――!?」

「慌てる、な。妾なら、大丈夫じゃ。ぐっ――」


 大丈夫、と言いつつも苦しげに眉根を寄せるヤンフィを、ランドルフは狂人を見る目で眺めていた。その視線に苦笑しつつ、ヤンフィはゆっくりと深呼吸してから、弁解するように言葉を紡ぐ。


「――ん、ぐ、ゴホン……何のことはない。この竜鱗の持ち主だった黄竜は、妾と同じ魔王属じゃ。そして魔王属同士であれば、お互い、その血肉を喰らうことによって魔力を取り込むことが出来る。つまり妾にとっては、魔王属の部位は、これ以上ない万能薬になるのじゃ」

「…………へぇ、ああ、そうですか。信じられんが、まあいい」


 ヤンフィは全身に漲る異質な魔力に身体を震わせつつ、ランドルフに奇行の説明をする。ランドルフはそれを聞いて、苦虫を噛んだような顔をしつつ、けれどすぐに、どうでも良さそうに頷いた。

 ヤンフィも別段、ランドルフの納得を得ようとは思っていない為、それ以上詳しい説明はせず、身体を駆け巡る異質な魔力を掌握すべく集中する。また同時に、煌夜の生命力を補填する為、自身の魔力を惜しみなく煌夜に流入させた。

 これで、先ほどの白竜ホワイトレインとの戦闘で失った分の魔力は充分に補えるだろう。削った魂は戻らないが、それは煌夜が無事なら瑣末である。


「――さぁて、さて。我が与えられるのはこれくらいだが、他に何か質問があれば受け付けるぞ。何かあるか?」


 ヤンフィがしばらく沈黙していると、ランドルフがパンパンと手を叩きつつ、おちゃらけた声で首を傾げてみせた。若干、魔力酔いのような状態になっていたヤンフィは、ランドルフの言葉でハッとして、ああ、と曖昧に頷いた。


「……そうじゃ、そうじゃ。そこの台座に刻まれておった『道を示さん』とは、なんのことじゃ?」

「んん? ああ、それかぁ――さっき話した白竜ホワイトレインとの盟約に関してのことだ。この部屋からすぐに取って返して、120階層の異空間に行ける近道があるんだが。それを教えても、貴様は戻らないんじゃないか?」


 ランドルフのその決め付けに、ヤンフィは反論したかったが、事実なので押し黙った。しかしそのままで終わるのもどこか癪なので、思いついたことを矢継ぎ早に質問する。


「のぅ、ランドルフよ。この部屋の宝箱に入っておった品々は、一見するとゴミのようじゃったが、何か他に用途があるのか? それと、一つだけ開かない宝箱があるが、あれはなんじゃ?」

「んん? ゴミ? あ、ああ、そうかそうか、ハズレのことを言ってるのか。いかにもいかにも――貴様がゴミと思っている品々は、間違いなくゴミだぞ。我がそこら辺のモノを適当に詰め込んだブツだ。で、開かない宝箱ってのは……ああ、それか」


 ランドルフは悪びれもせずサラリと言ってから、開いていない大きい宝箱を見た。ヤンフィは頷く。


「うん、その宝箱は、正真正銘の財宝箱だ。中身は、金銀財宝が詰まってる。鍵は――その宝箱の裏面に記載している。ひっくり返すと呪文が刻んであるぞ。見てみたまえ」


 まるで悪戯が成功したかのような顔で話すランドルフの言葉を聞いて、ヤンフィは、なに、と改めて宝箱に視線を向けた。宝箱の裏に開錠の呪文を刻むなど、かなり突拍子もないことだ。信じ難い。

 そんなヤンフィの驚きを楽しそうに眺めつつ、ランドルフはふと、そうそう、と何かを思い出した風に手を叩いた。 


「ああ、ちなみに……あの宝箱に入ってる地図と羅針盤は、この地下迷宮だけじゃなくて、世界中の何処でだって使えるから、忘れずに持ってくことを勧めるぞ?」


 ランドルフはヤンフィが最初に開けた宝箱を指差す。地図と羅針盤とは、その中に入っていた紙の束とガラス球のことを言っているようだった。ふむ、と頷き、ヤンフィは首を傾げた。


「白紙の束と、ガラス球のことか? なんじゃ? どう使うのじゃ?」

「その地図は、自動生成図って言って、必要な魔力を篭めると、いかなる迷宮であろうとも、その全容が事細かに表示される優れものだ。また羅針盤も、魔力を込めると、望む場所の方角を指し示す効果がある。さて、この二つがあれば、世界中の何処にいようとも迷うことはなくなるだろう」


 ランドルフのその説明に、ヤンフィは、ほぅ、と感心する。確かにそれが真実であれば、非常に便利な道具である。

 ヤンフィは言われるがまま、紙の束とガラス球を取り出して、それをマジマジと眺めた。

 紙の束は百数枚はあろう白紙の束で、触れると仄かに魔力を感じる。また、丸い形状のガラス球は、どの角度に変えても矢印型の針の向きが一定になった。

 ヤンフィは試しに、白紙の束とガラス球に魔力を篭める。同時に、この地下迷宮の入り口を頭に思い浮かべた。すると、ガラス球は光を放ち、矢印型の針が自動で動き出して、天上を指し示した。白紙の束も同じく、光を放ったかと思うといきなり頁がめくれて、開いた頁に魔力の線が走り出す。そしてあっと言う間に見事な地図が出来上がった。


「ほぅほぅ、なるほど、なるほど。これは便利じゃのぅ――じゃが、中々に魔力消費が激しいのぅ」


 ヤンフィは感想を述べながら、紙の束とガラス球への魔力供給を断つ。途端に光は失われて、ガラス球の矢印は元の位置に戻る。魔力の線で描き上がった地図も、一瞬で白紙に戻った。どうやら、この二つの道具――地図と羅針盤は、魔力を供給し続けない限り機能しないらしい。

 ふむ、と一つ唸って、ヤンフィは頷いた。ヤンフィにとっては使い勝手のあまり良くない道具だが、その性能は素晴らしい。タニアかセレナ辺りに使わせるのが理想だろう。

 そんな風に考えた時、ちょうど煌夜の意識が目覚めた。


(ん、んん……あ、れ? 俺は……?)

(――お、目覚めたか、コウヤよ。なんとか危機は脱したぞ?)

(え? あ、そう、なのか……? ん? ここは?)


 どこか寝ぼけた様子の煌夜に、ヤンフィはつい嬉しそうな声を上げる。そして、今一度部屋の中を見渡してから、ランドルフに問い掛けた。


「…………のぅ、ランドルフよ。あと他に、この部屋で役に立ちそうな物はあるか? なければ、この迷宮の入り口に戻りたいのだが、近道はあるか?」

「他――と言うと、自動生成図と羅針盤以外で、か? あとは、財宝箱に入っている物くらいしか、役立ちそうなのはないな。そこら辺に飾ってある武具は、見栄えだけで選んでるから、質は良くないし――あ、けど、それなりに貴重な武具だから、売ると金になるはずだ。ちなみに、入り口に戻りたいんなら、魔法陣を展開すれば、帰還の門が現れるぞ」

「…………どうやって展開するのじゃ?」

「ん? ああ、帰還の門の展開呪文を知らないのか?」


 ヤンフィの問いに、ランドルフは、こうするんだ、と言いながら、何やら詠唱を始めた。するとその詠唱に反応して、すぐさま床の魔法陣が白色の光を放ち出し、次の瞬間には、部屋の中央に巨大な漆黒の門が姿を現した。

 ヤンフィはマジマジとその門を眺めてから、ランドルフに問い返す。


「――帰還の門とは、これのことか?」

「いかにもいかにも――この地下迷宮内限定だが、入り口と定めた1階の部屋に戻れる時空魔術である。我が発明した。凄いだろう? ちなみに展開に必要な条件は、合言葉だけだ」

「ふむ、なるほど。凄いのぅ」


 ヤンフィはランドルフにおざなりな賛同をしてから、まだ開けていない宝箱に近付き、教えてもらった通りに、宝箱を裏返した。すると確かに、宝箱の裏には標準語テオゴニアラングで、開錠の呪文が刻まれている。

 さして難しい詠唱ではないので、即座に詠唱する。宝箱はあっけなく開いた。果たしてその中には、ランドルフの発言通り、大量の金銀財宝が入っていた。


(なぁ、ヤンフィ。ちょっと、俺まだボケてるんだけどさ……いま、いったいどんな状、況――って、うぉぉ!? な、何だよ、これ!? ま、眩しい!? す、凄ぇ――)


 宝箱の中を見て、煌夜が思わず唸って絶句する。ヤンフィは目を細めた。

 中に入っていたのは、大量のアドニス金貨と、貴重で高価な鉱石である瑠璃鉱るりこう、または宝石が施された豪華な装飾品の数々である。一瞥しただけでも、それらの価値は莫大だと分かる。これだけあれば、少なくとも一生遊んで暮らせるだろう。これからの旅路を思えば、これ以上ない支援となる。


「どうだい? 我と仲間たちが、無一文から稼いだ資金だ。それだけあれば、これからの冒険に困ることはなくなるだろう? 好きなだけ持っていきたまえ。見つけた奴の総取りだ」


 金銀財宝を見てニヤリとほくそ笑むヤンフィに、ランドルフは会心の笑みを見せた。

 ヤンフィはこの思わぬ幸運に感謝しつつ、財宝の一つを手に取ってみる。宝石を鑑定する能力はないが、それが偽物でないことは分かった。


「あ、そうそう。我の記憶が確かならば、その宝箱の中に、我が生前使っていた特製の道具鞄が入っているはずだ。腕輪型の道具鞄で、冠級の時空魔術が施されてる。限界まで異次元空間を拡張してるから、およそ何でも入るぜ。今後の旅路では是非、それを使ってくれたまえよ。ああ、ただし、わりと魔力消費が激しい道具だから、そこんとこは気をつけてくれたまえ」


 そんなランドルフの言葉を聞いて、ヤンフィは宝箱の中を漁る。するとその言葉通りに、宝箱の中から薄汚れた腕輪が見つかった。恐る恐るとそれを手に取り、マジマジ眺める。それ自体に装飾はないが、表面には複雑な魔術式が刻まれていた。

 ヤンフィは、うむ、と覚悟をしてから、とりあえず右腕に装備してみる。触れても装備しても、それだけでは、魔力が奪われることはなかった。ちなみに腕輪は、手首を通るとキュッと縮んで、ピッタリと手首に付いた。


「…………ほぅ。これは、いかなる材質なんじゃ?」

「凄いだろ? その材質は、とある幻想種の骨を削って作ったものだ。装備者の体格に合わせて、形状を変化させる特性がある。そのうえ魔力耐性も高い。仮に、身体が吹き飛ぶような衝撃を受けても、その腕輪は壊れないだろう。ああ、ただし、その腕輪自体には防御性能はないよ。魔力攻撃に対する盾にはならないから、くれぐれも気をつけたまえ」

「ふむ――とある、幻想種、ねぇ」


 ヤンフィはランドルフの台詞に、含みを持たせた言い回しをしてから、腕輪に魔力を篭めてみた。その瞬間、凄まじい勢いで魔力が奪われて、視線の高さに黒い穴が現れる。その穴の先こそ、異次元に繋がった道具鞄である。この中に、道具が収納できるのだ。

 ヤンフィは凄まじい勢いで吸収される魔力に渋面を浮かべながら、その穴に右手を突っ込んでみた。異次元空間の中を手探りしながら、魔力操作で奥行きの感覚を認識して驚愕する。その異次元空間の広さは想像を絶していた。

 通常、異次元空間の限界とは、施された媒体の大きさで決まってしまう。腕輪型や指輪型であれば、どれほど凄腕の時空魔術の使い手でも、展開できる異次元空間など、せいぜい10立方メートル程度の広さである。ところが、この異次元空間の広さは、軽く500立方メートル以上、およそ道具鞄の概念を超越した広さを持っていた。これほど広ければ、道具の持ち運びに困ることは今後一切なくなるだろう。思わぬ拾い物である。

 ただそれにしても、あまりに消費魔力が激しすぎるが――と、ヤンフィは心の中で毒づいた。


「なるほどのぅ。収納出来る異次元空間がこれほど広いのであれば、とんでもない魔力消費は頷けるがのぅ」


 ヤンフィはやれやれと呟いて、持っていた地図と羅針盤、それと財宝の入った宝箱をそのまま穴の中に放り込んだ。宝箱の中身の選別は、また後でやれば良いだろう。

 それからすぐさま、魔力の供給を遮断する。すると黒い穴は消失して、道具鞄は閉じられた。異次元空間は、魔力を消費しなければ展開されない。


「おうおう、宝箱ごと持ってくのか、豪快だなぁ。まぁ、別にいいけど――それで? 後は他に、何か質問とかあるのかな?」


 ランドルフはニヤリと笑って首を傾げる。それに対してヤンフィは、緩く首を横に振った。もはや聞くことはない。

 

「そうか? それじゃあ――これで、おさらばだ。また何か質問があれば、ここまで来て、我を呼び出してくれたまえ」

「うむ。おそらくもう来ることはなかろうがのぅ」


 ヤンフィの意地の悪い返しに、ランドルフは笑みを浮かべながら霧散した。それと同時に、四隅の台座に設置した腕やら脚やらがパッと消えて、開いていた宝箱が全て閉じられる。また、時間が巻き戻るかのように、宝箱が部屋の隅に積み上げられて、部屋は一瞬にして、ヤンフィが来た時と同じ状態に戻る。

 その光景を感心げに眺めてから、ヤンフィは躊躇なく、部屋の中央に出現している漆黒の門に足を踏み入れた。


(…………なぁ、ヤンフィ。結局、俺、状況に付いていけてないんだが……後で説明しろよ?)


 漆黒の門をくぐると、状況に置いてけぼりになっていた煌夜が、ボソリと呟いた。そんな煌夜に、ヤンフィは苦笑して頷く。思えば煌夜の意識は、白竜ホワイトレインと対峙した瞬間から飛んでいる。いったいあれからどうなったか、気になるに違いない。


(分かっておる。じゃが、今はとりあえず、ここを抜けてから――お?)


 ヤンフィが煌夜に返事をした時、突如、目の前に白い扉が現れて、それが自動的に開かれた。まだものの一分も歩いていないだろう。まさかもう出口なのか、と訝しがるヤンフィを、眩い光が出迎えた。


「ん……ここ、は?」

(――あれ、ここって、受付じゃないのか?)


 白い扉を通り抜けると、そこは見覚えのある白い部屋だった。ヤンフィはキョロキョロと辺りを見渡してから自問自答する。すると、煌夜が疑問系でそれに答えた。


「受付――おお、そういえば、そうじゃのぅ」


 煌夜の答えに、ヤンフィはハッとしてから頷いた。改めて見渡すと、そこかしこにいる人間は、みな冒険者のようだし、よくよく見れば、帰還の門を販売している受付嬢の姿も見える。ということは、ここは

【聖王の試練】1階にある受付部屋――120階層から一瞬のうちに、ここまで戻ってこれたらしい。

 良かった、とヤンフィは安堵の吐息を漏らした。紆余曲折あったが、何とか無事に戻ってきた。


(ん、あ、あれ? あの人――)


 ようやく安心できるとヤンフィが胸を撫で下ろした時、煌夜が何かに気付いた。身体が煌夜の意志で動いて、視線が部屋の隅で座っている冒険者に向く。

 ヤンフィは、何じゃ、と怪訝な表情を浮かべて、視線の先にいる冒険者に意識を向ける。瞬間、その冒険者の顔に思い至った。

 あれは――煌夜が背負っていた若い冒険者である。6階層の通路で骸骨兵に仲間を殺され、自身も大傷を負って、気絶していた冒険者だ。


(なぁ、ヤンフィ。あそこにいるのって、間違いないよな?)


 煌夜のその曖昧な問いに、しかしヤンフィは皆まで言わずとも察して頷いた。その冒険者は、どこからどう見ても紛れもなく、煌夜が助けようとしていた男である。


(うむ。そうじゃのぅ……よもや生きていたとは思わなんだが……)

(やっぱ、そうだよな? ああ、良かった。無事だったか……)


 煌夜は彼の無事を確認して、心底安堵した吐息を漏らしていた。その一方でヤンフィは、彼が何故無事なのか疑問で仕方なかった。てっきりあの時、ワグナーの斬撃に巻き込まれて死んだと思っていたのだ。


(……どうやってあの状況、から……まさか……)


 あの冒険者が助かる可能性など万に一つもなかったはず――と、あの時の光景を思い返して、ヤンフィは、ふと一つの可能性に思い至った。

 若い冒険者が転がった場所、ワグナーが放った凄まじい斬撃の射線、そして中間地点にあった転移魔法陣――カチリ、と歯車が噛みあうように、その状況が想像できた。おそらく彼は、ワグナーの魔力に反応した転移魔法陣によって、タニアと同じ場所に転移したのだろう。


(――って、おい、ヤンフィ? どうした?)


 そうだとすれば、あの冒険者はタニアやセレナと合流したことになる。しかも生きてここに辿り着いていると言うことは、タニアたちも一緒に戻っていることに他ならない。

 ヤンフィは煌夜の疑問には答えず、座っている冒険者に近寄った。


「ん? 何、ですか? 俺に何か用ですか?」


 ヤンフィが無言のまま冒険者の正面で立ち止まると、冒険者の彼は怪訝な表情を向けてくる。その態度に、一瞬だけヤンフィはムッと顔を顰めるが、そういえば彼は気絶しており、煌夜のことなどまったく知らないことを思い出す。となれば、その反応は自然だった。

 ヤンフィは彼の問い掛けに、ゴホンと一つ咳払いをしてから、スッと目を細めて周囲を一瞥する。周囲には、タニアやセレナの姿はおろか気配もない。だが、真新しい魔力残滓が残っていた。やはりヤンフィの想像通り、この冒険者はタニアたちと一緒にここまで戻ってきている。


「あの……何なんです? 用がないなら、消えてくれませんか? 俺、今ちょっと疲れてるんで、機嫌悪いんですけど?」


 無言で佇むヤンフィに、その冒険者は警戒と苛立ち混じりの声で言った。しかもその手はさりげなく、床に寝かせてある剣に伸びている。そんな反応を鼻で笑って、ヤンフィは口を開いた。


「――汝、タニアとセレナの居場所を知っておろう? 今、彼奴らはどこにおる?」

「は――? え? タニア、セレナ……って、え? タニアさんと、セレナさんを知ってる……あ、も、もしかして――」


 ヤンフィの問いに、若い冒険者は一瞬キョトンとして、次いで目を見開いた。そしてすぐさま何かに思い至ってハッとする。ヤンフィは力強く頷いた。


「妾の名前を聞いておるのか? 妾は、コウヤじゃ。タニア、セレナとパーティを組んでおる」

「あ――お、俺は、ウェスタ・キュプロス、です。えと、コウヤって言うと、やっぱりそうか……キミが、タニアさんたちの、ボス? そ、想像してたよりずっと若いな……」


 ウェスタと名乗った彼は、恐る恐るとヤンフィを指差して、信じられないと口元に手をやった。まったく命の恩人に対して失礼な態度だ。だが、今はそんなことは瑣末だった。


「若かろうと何だろうと、汝には関係あるまい。無礼者め。して、ウェスタよ。タニアとセレナは無事なのか? どこにおる? サッサと答えよ」


 ヤンフィは驚愕しているウェスタの心中など気にも留めず、急かすように再度質問する。ちなみに、その言葉には、本気の殺気と怒気を孕ませた。するとウェスタは、その気迫に押されて、ウッ、と言葉に詰まってから、顔面を蒼白にさせる。


「あ……ご、ごめん。お、俺、あの……タニアさんと、セレナさんとは……つい今しがた、ここで別れたんだよ。俺、二人のおかげで、ここまで戻ってこれて――あ、いや、コウヤ、くんのおかげでもあるけどさ……えーと、その、助けてくれて、ありがとう」


 慌てた様子で、ウェスタは頭を下げた。しかしその台詞に、ヤンフィは不愉快そうに顔を歪めた。感謝の気持ちは読み取れるが、少々上から目線の態度である。命の恩人に対して、馴れ馴れしすぎるのではなかろうか――とはいえ、それを指摘しても無駄なので、おざなりに頷いて質問を続ける。


「ここで別れた、と云うことは、タニアたちはどこに行った? 地下迷宮か、外か?」

「あ、えと――外、だよ。一旦、キミの情報と【竜殺しの魔剣士(ドラゴンスレイヤー)】ワグナーの情報を集めるって言ってたから……おそらく冒険者ギルドにでも行ったんだと思う」

「ふむ――そうか」


 ヤンフィはそれだけ聞くと、もはやウェスタに用はないとばかりに、踵を返して出口へと向かった。


「あ、ちょ……コウヤ!! タニアさんたちにも言ったけど、俺、この街を拠点に活動してるから、何か困ったことがあったら言ってくれ。俺に出来ることなら、なんでも協力するよ!」


 出口に歩いていくヤンフィに、ウェスタは立ち上がってそんなことを叫んだ。だが、ウェスタ如きが何の役に立つというのか。

 ヤンフィはヒラヒラと手を振って、振り返らずに受付の白い部屋を後にする。


(――なるほどね。タニアたちと合流してたのか……マジで良かったぁ。途中で放り出しちまったから、結構、罪悪感だったんだよな……) 


 煌夜の呟きに、相変わらず無駄に優しいのぅ、と嫌味のような言葉を返して、ヤンフィは薄暗い通路を通り抜けた。そこには、思い返せば数時間ぶりだが、気持ち的にはなんとも懐かしい、地獄へ直結する巨大な穴――120階層までの直通の近道が、姿を見せる。柵に囲まれたその深淵の入り口は、相変わらずの迫力だった。もう二度と、落ちる気持ちにはなれない。

 ヤンフィはチラとその大穴を見下ろしてから、すぐさま反対側の入り口へと歩き出そうとして、ピタリとその動きを止める。入り口に向かう、見覚えのある人影を見つけたからだ。


「彼奴、は――?」


 ヤンフィは驚きの声を上げると、そのまま一歩下がって通路に身を隠した。そんなヤンフィの行動に、煌夜が神妙な声で問い掛ける。


(……誰か、居たのか?)

(――悪運か、それとも幸運か。このタイミングで、彼奴に遭遇するとはのぅ。つくづく思うが、コウヤは何かを引き寄せる才能があるのぅ)

(それ、どういう意味だよ?)


 ヤンフィはカラカラと心の中で笑いながら、煌夜の意識を【聖王の試練】の入り口へと向ける。そこに居るのは、災難の発端、全ての元凶とも言える存在――妖精族のアレイアの姿があった。彼女の艶やかな衣装とその目立つ緑髪は、遠目に見る後姿からでも一目瞭然である。


(ああ、あれ……アレイア、だっけ? 彼女も、ここに戻ってきてたのか?)

(そりゃそうじゃ。彼奴らは、あの程度で諦めんじゃろぅ。大方、入り口でタニアたちを待ち伏せしておったのじゃろうな。そして、今まさにタニアたちと遭遇して、一戦交えておるに違いない)


 ヤンフィが楽しそうに口元を吊り上げる。するとその瞬間、ヤンフィの言葉を肯定するように、外部から凄まじい爆音が響いてきた。煌夜は慌てた。


(やはり――今の衝撃は、戦闘音じゃ。十中八九、タニアたちと、ワグナーが戦っておるわ)


 ヤンフィは言いながら、警戒しつつ通路から顔を出した。入り口に向かっていたアレイアの姿は、もうどこにも見えない。外に出たのだろう。

 よし、とヤンフィは一つ頷いてから、腰元に吊るしていた【紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)】を掴んだ。ホルダーから外して構えると、途端に姿を現す剣身に、煌夜は、うぉ、と驚きの声を漏らす。

 そんな煌夜の反応に満足げな表情を浮かべながら、ヤンフィは入り口へと疾駆する。


(コウヤよ。今は何も聞かずに、妾に身を委ねよ。説明する時間が惜しいのでのぅ)

(……いや、まぁ、いいけどさ。なんとなく察せるし――あれだろ? ワグナーと戦うから、痛みとか我慢しろ、って、そういうことだろ?)

(そうなる可能性があると云うだけじゃ――おそらくは、タニア一人で事足りるじゃろぅがな)


 煌夜が、はいはい、と諦めたような吐息を漏らすと、ヤンフィは苦笑して小さく頭を下げた。その時、もう一度、激しい爆音が響き渡る。

 衝撃で空気が震えるのが分かった。また同時に、外部から強烈な、眩い光が差し込んでくる。ヤンフィはその閃光の中に飛び込むように、迷いなく入り口から外に駆け出した。




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