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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第五章 聖王の試練
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第三十五話 生還、帰還、遭遇

「――――すまぬ、コウヤよ」


 勝鬨を上げる白竜ホワイトレインを、ヤンフィは穏やかな心で見上げていた。もはや万策は尽きた――ここから先は、ただの自殺行為である。

 ヤンフィはゆっくりと深呼吸してから、それでも致し方ない、と覚悟を決める。

 今、白竜ホワイトレインの巨躯には凄まじい魔力が集中している。あれが解き放たれれば、その威力は間違いなく冠級だろう。本来のヤンフィであっても、致命傷になりかねないほどの極大魔術だ。


「最後まで面倒を見たかったが――どうやらそれは、叶わぬようじゃ。それほど永い付き合いではなかったが、随分と人間らしい生活を思い出せたわ……それだけで、妾が命を賭けるには充分じゃのぅ」


 頭上を仰いで咆哮していた白竜ホワイトレインが、その緋の双眸をヤンフィに向けた。ヤンフィはその双眸を真っ直ぐと見詰めてから、ダラリと下げた無防備な両手を握り締める。


「のぅ、白竜ホワイトレインよ。一つだけ忠告しよう。これ以上まだ戦うと云うのならば、それは一方的な蹂躙劇になる。無論、蹂躙されるのは汝じゃ」


 その宣言は、決して強がりではない。無論、ハッタリでもなく、覆しようもない事実の宣誓だ。

 ヤンフィは柔らかい笑みを浮かべて、握り締めた拳から力を抜いた。途端に、ヤンフィの桃色の髪がまるで生き物のようにうねり、逆立ち、波打ち、全身からは緑色の光が溢れ出す。溢れ出したそれは莫大な魔力である。

 白竜ホワイトレインは、その光景に目を見開く。つい先ほどまで、魔力が枯渇寸前だったヤンフィが、凄まじい魔力を放出しているのだ、驚いて当然だろう。

 これほどの魔力が、ヤンフィのどこに眠っていたというのか――そう思考した時、白竜ホワイトレインは気が付いた。

 ヤンフィは己の命、魂を魔力に変換していた。後先考えずに、文字通り命を燃やして、使い捨ての魔力を創出している。まったく信じ難いことだった。

 それは、ただの自殺行為だ。そんなことをするくらいなら――己の命を魔力に変換出来るなら、先ほど避難させた人族の命を取り込んだ方が、魔力を捻出できるだろう。それをやらない理由が、白竜ホワイトレインには分からなかった。

 魂を魔力に変換すれば、一時的に魔力は補えるだろうが、そも魔力とは使い捨てである。しかし他方、魂は代替の利かない唯一無二であり、削った分が回復することはない。磨耗して擦り減った魂は、永久にそのままだ。だというのにヤンフィは、それを承知の上で、平然と己の魂を削り魔力を創出していた。

 ヤンフィにとって今必要なのは、白竜ホワイトレインを倒す為の魔力である。その為だけに、全てを擲つ覚悟だった。結果として、ヤンフィ自身が死のうと、そんなことは瑣末である。

 白竜ホワイトレインはヤンフィの本気を察して、殺気を解くと笑いながら問い掛ける。


「――それほどまでに、間借りしている人族の命が大事なのか?」

「無論じゃ。そも、妾の命がコウヤと釣り合うだけの価値があるとは思わぬしのぅ」


 ヤンフィは、白竜ホワイトレインの質問に即答した。そして、切り札ともいうべき能力を発動しようと意識を周囲に向ける。

 しかしその時、白竜ホワイトレインが高らかに宣言した。


「――この者、我に傷を付け、生き延びた猛者なり。これにて、聖王の試練を突破せり」


 その宣言と同時に、白竜ホワイトレインの全身から凄まじい魔力が太陽に向けて放たれた。それは極彩色のレーザー光線、傍目から見れば直立する虹だった。

 身構えていたヤンフィは、その台詞と明後日の方に放たれる魔術に、カクンと肩透かしを食らう。そして慌てて魂の魔力変換を中断すると、どういうことじゃ、と問い返した。


「おい、今のは――」

「汝は、我に一太刀浴びせることに成功した。聖王の試練とは、我と戦い、我に傷を付け、生き延びれるかどうかを確かめる試練である。故に、もはやこれ以上、我も汝と戦うつもりは一切ない」

「な、なに……!?」


 先の忠告と、命を賭す決意が、まったくの空振りに終わったことに、ヤンフィは驚愕する。

 本来ならば、ここはきっと安堵する場面だろう。しかし、死ぬ覚悟までして盛り上がったところで、こうも見事に梯子を外されてしまうと、なんとも言えぬ複雑な心境だった。決め台詞のつもりの先の忠告などは、まさに赤面でもある。

 ヤンフィは、ウッ、と押し黙って、苦い顔で白竜ホワイトレインを見やる。白竜ホワイトレインは、刎ね飛ばされた翼など気にも留めず、最初にヤンフィを出迎えた時と同じように、巨木の天頂まで羽ばたき枝に首を預けて気だるそうな格好になった。

 すると、徐々に空間が歪み始めて、ヤンフィの周りの景色が蜃気楼のように薄ボンヤリとなっていく。ヤンフィは急いで、転がっている【無銘目録】を拾い上げた。


「――あと数分で、この異次元は閉じて、汝らは宝物庫に転移する。宝物庫にある聖王の遺物については、汝らの好きに使うが良い。それが聖王の試練の戦利品である」

「ぬぅ……釈然とせんのぅ。助かったと云えば、助かったが……ここまで殺る気でおったのに」

「フッ――最弱の魔王ヤンフィよ。先の忠告、我もまさにその通りと思う。戦うまでもなく、結果は見えていよう。汝が【桃源とうげん】を発動すれば、我は一方的に蹂躙されるだけだろう。それでなくとも、ただの不意打ち一撃で即死するところだったのだ。結果の見えている戦いに、互いの命を賭けるなぞ非合理に過ぎる――故に、助かったのは我の方こそだ」


 白竜ホワイトレインは当然のように敗北を認めて、もう用はないとばかりに瞼を閉じた。どこかからガラガラという音が響いてくる。


「――――ところで、のぅ、汝。聖王との盟約とは何のことじゃ?」


 ヤンフィのその質問に、しかし白竜ホワイトレインは無言だった。顔さえ向けず、眠るように静かな呼吸を繰り返している。

 ヤンフィは、フン、と鼻を鳴らしてから、いよいよ崩れ始めた空間を見渡して衝撃に備えた。足元の地面に巨大な魔法陣が浮かび上がり、ほどなく空間転移が始まる。


「――――次に来る時は、我との盟約を果たしてくれると有り難い」


 ヤンフィの身体が光に包まれた時、白竜ホワイトレインのそんな囁き声が届いた。だが、それに返事をする前に、ヤンフィはこの異次元から転移した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 タニアとセレナは、ウェスタを連れて95階層の宝物庫を物色していた。

 宝物庫はそれほど広くはなく、祭壇に玉座のような椅子が一つ、その後ろに下層へ向かう階段がある。ウェスタが事前に言っていた通り、部屋の隅には空の宝箱が幾つも転がっており、それ以外に目ぼしい物は見つからなかった。

 それでも諦めずに、タニアは隅から隅まで物色している。しかし、すぐに徒労と終わった。


「……にゃにゃ。本当に何もにゃいにゃぁ……」


 残念そうに呟いたタニアに、セレナがどうでも良さそうに頷いた。セレナはタニアと違い、初めから宝物庫になど期待していない。


「ねぇ、タニア。気が済んだなら、サッサと進みましょ。いつまでもここにいたって仕方ないわ」

「……分かってるにゃ。じゃぁ、行くにゃ」


 セレナに先を促されて、ようやくタニアは、渋々とだが、玉座の後ろの階段を下りていく。それに従うように、セレナ、ウェスタと続いた。

 階段を下りると、そこは上層と同じような構造をしており、もはや見飽きた薄暗い岩壁の通路が伸びていた。少し歩けば、ちょうど十字路になったが、ここからどっちに進むべきか、まったく不明である。


「ウェスタ――これは、どっちに行くにゃ?」

「……え? あ、え? お、俺ですか?」

「ウェスタって、お前にゃ? 間違った方、選んだら殺すにゃ」


 タニアは一番後ろを歩いていたウェスタを先頭に押して、冷たい声で無茶振りをする。ウェスタは途端にあわあわと混乱しながら、しかし逆らわずに、地面にしゃがみ込むとジッと通路を眺めた。


「何を、しているの、それ? アンタ、変態?」

「あ――えと、これは、足跡を読んでるんです」

「足跡って、どこにあるのよ? 全然見えないけど?」


 セレナは怪訝な表情を浮かべて、何を言っているんだ、とばかりにウェスタを見た。けれどウェスタはそんな視線など気にせず、真剣な表情で通路を五分ほど眺めて、スッと立ち上がった。


「――人の流れは、こっちからこっちに動いてます。だからきっと、上層への階段はこっちです」


 ウェスタは言いながら、十字路の正面から右側を指差して、自信満々に正面を指し示す。ふぅん、とセレナもタニアも興味なさそうに頷いて、しかしウェスタの言葉通りに、正面を選んで進んだ。どうせ既に迷っているので、どこに進もうと同じだという思いがあった。

 しばらく進むと、また十字路が現れて、そこもウェスタの読み通りに進んだ。ウェスタはなかなか優秀な案内役で、実際に上層への階段を幾つも発見した。


 そうこうして順調に上層階へと進みながら、さらに一時間近く歩いた時、ふとタニアが思い出したように口を開いた。


「そうにゃ――ウェスタ。この地下迷宮って、どっかに稼げる場所とかにゃいか? あちしたち、お金を稼がにゃいといけにゃい事情があるにゃ」

「あ、え、と……稼げる、場所、ですか? あー、どうだろ……あるとは思いますけど……俺は、あまり知らないです、ね」

「にゃんだと? にゃら、お前はどうやって稼ぐにゃ?」


 タニアは性質の悪い酔っ払いが絡むような態度で、ウェスタにいちゃもんを付ける。ウェスタは、おどおどとしながら、真剣に悩んで答えた。


「……えーと、その……魔族を狩ります。【骸骨兵】や【オーク】の装備してる武器は売れますし、稀に通路に落ちてる【水晶壁すいしょうへき】を拾って、換金してます」

「地味にゃ――もっと、一気にドデカく稼ぐ方法にゃいか?」

「…………え? 一気に、ですか? 難しい、と思いますけど……あ、【リキッドバッド】が出現する場所の近くには、割と【瑠璃鋼るりこう】が見つかることが多いので、それを頼りに探すとか?」

「もっとにゃ。もっと、一日、二日で大金を稼げる方法にゃ」


 タニアは困り顔のウェスタに、どんどんハードルを上げて要求する。ウェスタは必死にその要求に答えようと頭を捻るが、そんな簡単に一攫千金できれば苦労はない。少なくとも、そんな方法を知っていたら、ウェスタはもっと金持ちだったろう。

 その時ふとウェスタは、とある噂を思い出す。それは冒険者の間では与太話で通っているが、誰も確かめたことがない噂だ。


「そういえば、噂ですけど……もしかしたら最下層に、宝物庫が隠されてるかも知れないって話があります。現在、この地下迷宮に点在する宝物庫は、軒並み探索済みなんですけど……実は法則があって、25階層から下は、5階層ごとに宝物庫があるんです。だと言うのに、最下層120階層には、今のところ何も見つかってない――だから、きっと隠し通路があるんだと噂されてます」

「へぇ、それは夢があるにゃ。けど、120階層って、辿り着くのにどれくらい掛かるにゃ?」

「――最短で、二日、と言われてます。それも、街で売ってる完全踏破地図を見ながら進んで」

「ねぇ、それ。近道とかないの? あたしたち、6階層から一気に95階層まで転移してきたんでしょ。同じような転移魔法陣はないの?」


 ウェスタの台詞に、さりげなく聞き耳を立てていたセレナが口を挟んだ。それに対して、ウェスタは緩く首を振る。


「ありますよ。24階層に、100階層へと転移する魔法陣が――けど、今説明した『最短で二日』って言うのは、その転移魔法陣を使用した上で、不眠不休の強行軍を行った場合の日数です。残念ながら、100階層から下の構造は非常に複雑で、しかもその道のりは長いらしいんです。さらに各階層にある下層への階段部屋には、例外なく魔族が集まっているので、上層階と違ってトントン拍子に進めません」


 ウェスタの台詞に、にゃにゃにゃ、とタニアは顔を顰める。果たして、タニアが同じように二日掛かるかどうかは別問題としても、凡人が地図を見ながら二日掛かる――それは問題だった。あまりにも時間が掛かりすぎる。そもそも到達したところで噂が本当とは限らないのだ。それではさすがに、試しに見に行こうか、とはそうそうならない。

 すると、それをセレナが、それならさ、と口を開く。


「最下層に行くだけなら、入り口の大穴に飛び込めばいいんじゃないの? タニアなら、飛び込んでも死なないし、戻ってくるの簡単でしょ? コウヤと合流したら、行ってみるのも手じゃないの?」

「――それにゃ! セレナ、冴えてるにゃ」

「どうも――って、ん? あ――ちょっと、タニア。前から何か来たけど、アレ、どうする?」


 セレナはふと何かに気付いて立ち止まり、狭い通路の暗闇をジッと見据えると、無表情を苦々しく歪めた。タニアは、んにゃ、と首を傾げてから、ピクピクと耳を左右に動かす。そしてセレナ同様に何かに気付いて、嫌な顔を浮かべる。

 一方で、どうしてセレナとタニアが立ち止まったのか分からないウェスタは、え、え、と混乱の様相を浮かべていた。しかし当然、二人は説明などしない。


「……にゃんとまあ、ついてにゃいにゃ。オークの大移動に出くわすにゃんて――にゃにゃ、逆についてるにゃか? 移動中のオークと遭遇することにゃんて滅多ににゃいし」

「ついてないに決まってるでしょ」


 その時、ボソリとタニアが呟いた。セレナはそれを耳ざとく拾って素早くツッコむ。そんな二人のやり取りを聞いたウェスタは、ようやく事態を把握して、ハッとした表情で正面を向いた。同時に、時空魔術の道具鞄を展開して、その中から真新しい剣を取り出して構える。

 さて、緊張を高めるウェスタを横目に、タニアもセレナも、ふぅ、と溜息だけ漏らして、特に構えず待ち構える。

 ほどなく、フグッウゥ――という気持ち悪い雄叫びと共に、生臭い腐臭が漂ってきて、予想通りに豚顔をしたずんぐりむっくりの魔族が姿を現す。その手には大鉈や剣、槌などを持っていて、ボロボロになった銅の鎧を身に着けている。

 オークの群れだ。オークたちは遠足でもしているかのように見事な隊列を組んで、ゆっくりと狭い通路を行軍してくる。

 しかし、そんな隊列もすぐさま崩れた。オークの先頭集団がタニアとセレナを見つけた瞬間、オークの一匹が雄叫びを上げる。すると一斉に連中は、その豚顔を愉悦と喜悦に歪ませて、眼を血走らせながら鼻息を荒くする。そして我先にと、互いに肩をぶつけながら、タニアたちに向かって駆け寄ってくる。

 タニアもセレナもその様に呆れて、嫌悪感から視線を逸らす。とはいえ、殺到するオークたちを無視するわけにもいかず、どちらがオークを処理するのか、とりあえず相談することにした。


「ねぇ、タニア。十、二十じゃきかない個体数来てるけど――どうする?」

「にゃにゃにゃ。面倒にゃけど、あちしが一掃するにゃ。この直線にゃら、【魔槍窮(まそうきゅう)】で一網打尽にゃ」

「あ、そ――じゃ、よろしく」


 相談はすぐに終わり、セレナは一歩下がって、タニアに見せ場を譲った。すると、そんな軽い調子のやり取りを見て、ウェスタが大慌てになる。


「二人とも、な、何を、悠長に話してるんです……!?」


 ウェスタは見る見ると迫ってくるオークの第一陣に恐怖する。しかしそれも仕方ない。ウェスタの実力では、オークが一匹、二匹ならまだしも、群れを相手になど出来はしない。

 とはいえ、それでも怖気づいているだけでは死を待つだけだ――ウェスタは戦う覚悟を決めて、構えた剣を斜めに寝かせると、スーッと息を吸って集中を始めた。その真剣さ、恐怖と緊張は、セレナとタニアにも伝わってくる。二人は苦笑した。

 タニアはすかさず右足を一歩後ろに下げて半身になり、右腕を引く。左手は真っ直ぐ前に突き出して、それはまるで弓を引くような姿勢で――次の瞬間、引き絞った右拳が突き出された。

 溜めは一秒、威力は本来の破壊力の二分の一程度、だが、放たれたその魔力の奔流は、狭い通路を一直線に貫いて、迫り来たオークたちを塵のように消しとばす。

 衝撃が通路を走り抜ける。ウェスタはその威力に目を見開いて、顎を外さんばかりに唖然となっていた。


「一掃にゃ……とりあえずこれで全滅かにゃ?」

「相変わらず化け物ね」


 タニアはセレナの呟きに、失礼にゃ、と返してから、澄ました顔で足を踏み出す。


「え、え? 今の、は――?」


 ウェスタはその威力に面食らって、目をパチパチと瞬かせる。構えた剣はそのまま格好つかず、あ、と気の抜けた声を出してから、恥ずかしそうに構えを解いた。


「さあ、キビキビ進むにゃ――――にゃ?」


 タニアは恥ずかしそうにしているウェスタなど無視して、セレナに目配せした。セレナは頷き、タニアに続いて歩き出す。すると一歩踏み出してから、二人は同時に、それに気付いた。

 何もなかった直線の通路、その右手側に、突如として鉄製の両開き扉が現れていた。


「……隠し部屋、ね」


 セレナは確信を持って断言すると、タニアを追い抜いて大扉の前まで先んじてやってくる。

 その大扉は意匠を凝らした紋様で縁取られた鉄製の両開き扉で、扉自体に幻術の魔術式が刻み込まれている。そのせいで、普段は岩壁と同化していて見つからないのだ。それが運良く、先ほどのタニアの【魔槍窮】でもって、幻術が取り払われた。おかげで発見できたのである。

 こうなると、オークの群れに遭遇したのは僥倖だったとも言えるだろう。タニアは胸を張りながら、あちしの手柄にゃ、と勝ち誇った笑みを浮かべて扉の前までやってくる。


「ついてるにゃあ――あちしのおかげで、こんにゃ部屋が見つかったにゃ」

「タニアのおかげかどうかは置いといて、この偶然はついてるわね。何か換金できる道具でもあれば嬉しいけど――」

「さあて、にゃにがあるかにゃ。早速、入ってみるにゃ」


 恐れを知らないタニアは、何の躊躇もなく両開きの大扉を開いた。セレナはその瞬間、少しだけ渋い顔をして一歩退いたが、特に何も言わなかった。

 錆び付いた扉は重く、ギギィ――と、音を鳴らしながら開け放たれた。カビと埃の臭い、それと乾いた空気が中から漂ってきた。

 部屋の中は、入り口にある受付と同じくらいの広さをしたホールで、壁は一面灰色だった。部屋の中央には巨大な魔法陣が描かれている。タニアはチラリと室内を見回してから、何もいないことを確認して足を踏み入れた。

 タニアが中に入って特に問題がないことを確認すると、次にセレナが踏み込んでくる。ウェスタは怖気づいたのか、部屋の中には入らず、扉の外から中を覗き込んでいた。その顔は不安そうな面持ちだった。


「――にゃんだ、これ? 反応しにゃいにゃ」


 タニアは何が起こるのかも分からないのに、平然とその魔法陣の中心に立つと、物は試しとばかりに魔力を注ぎ込んでいた。けれど魔法陣は何の反応も示さなかった。

 タニアの無謀さに呆れた顔で、セレナは溜息交じりに首を振る。


「タニア、アンタ、その魔法陣が何か分かってやってるの?」

「分かるわけにゃいにゃ。にゃので、発動しにゃいかどうか魔力を注入して確かめたにゃ。でも、動かにゃいにゃ」

「アンタさ。その魔法陣が、攻撃魔術の類や、転移魔法陣だったりしたらどうするつもりだったのよ?」

「にゃにゃ? 心配にゃいぞ? 転移魔法陣とは違う魔術式にゃし、攻撃魔術の類にゃら、あちしは耐えられるにゃ。それ以外でも、別段、迷宮の罠にゃんて怖くにゃいし……」


 タニアはキョトンとした顔で、こともなげにそう言う。それを聞いて、セレナはいっそう呆れた表情になった。タニアのそれは過信でも不遜でもなく、確かにそうかも知れないが、それにしても調べてから対応するべきだろう。死なないからあえて危険を冒すなど、効率的だとしても、馬鹿の所業である。

 しかし、セレナはそんな思いを飲み込んで、サッと魔法陣の魔術式を解読した。魔術式がどんな特性を持っているかは、魔法陣に刻まれた刻印を調べることで読み取れる――とはいえ実は、セレナにはその魔法陣が何か、あらかじめ分かっていた。


「――――この魔法陣。帰還の門よ」


 セレナは受付で売られていた小型の魔法陣――【帰還の門】の刻印を思い出す。規模は違えど、床に描かれた魔法陣は、それと同じものである。

 それを聞いてタニアは目を丸くすると、ついてるにゃ、と嬉しそうに微笑んだ。また、扉の外で中を覗いていたウェスタが、セレナの言葉で何かに気付いて、部屋に踏み込んできた。

 ウェスタは、部屋の中をキョロキョロと見渡してから、何やら納得した風に頷いた。


「ここが、噂の……灰色の部屋、か」


 ウェスタは呟くと、すかさず扉を閉めた。ギギィ、バタン――と、重低音が響いて、部屋は閉じられて密室になった。タニアとセレナが怪訝な表情をウェスタに向ける。


「……あちしたちを閉じ込めて、何が目的にゃ?」

「え――? あ、ち、違いますよっ!? 閉じ込めたわけじゃなくて――」


 タニアはウェスタに冷たい殺気をぶつける。するとウェスタは、慌ててブンブンと首を振って弁解を始めた。


「こ、この部屋は、地下迷宮に点在すると言われている【灰色の部屋】って場所だと思います。帰還魔法陣が描かれてる隠し部屋で、受付で売られてる【帰還の門】――あれは、ここの魔法陣を元にして作ってるそうです。ちなみにこの部屋、完全踏破地図に記載されていないので、どこにあるかは実際に見つけた人しか知らないんです」

「――ああ、なるほど、ね」


 ウェスタの弁解に、セレナがふむと頷いた。ウェスタの言葉で、【帰還の門】がどうしてこの地下迷宮内限定なのか理解できたのである。何処からでも入り口に帰還できるという破格の性能の割りに、地下迷宮内限定という使い勝手の悪さが、ようやく理解できた。地下迷宮に設置されていた魔法陣をそのまま流用しているのならば、それは当然だろう。

 だから聖級並に緻密な時空魔術を、受付であれほどの安価で売っているわけだ――と、セレナは納得する。


「それで? ウェスタは、にゃんで、あちしたちを閉じ込めたにゃ?」

「あ、や、だから、違いますって――その、この部屋の魔法陣の特性が……」

「――タニア。帰還の門には展開条件があって、確か、閉じられた場所じゃないと、展開しないって説明だったわ」


 タニアに睨まれてタジタジになったウェスタに、セレナが助け舟を出す。タニアは、にゃ、と眉根を寄せてから、ウェスタに再度問い掛ける。


「ウェスタ。今のセレナの話は、本当かにゃ?」

「え、ええ! 本当ですよ――と言うか、俺はそう聞いてますし、実際にそれでじゃないと展開しないのも経験してます――え、と、ちょっと、待っててもらえますか? 今、展開して見せますから」

「失敗したら、殺すにゃ」


 タニアはボソリと空恐ろしいことを呟いてから、腕を組んでウェスタの好きにやらせることにした。ウェスタはその台詞に脅えた顔を見せて、しかしすぐに気を取り直して、魔法陣に手を当てる。そしてボソボソと何やら詠唱を始めた。


「あれ、何してるにゃ?」

「帰還の門って、魔力消費なしで展開するらしいわよ? 決められた詠唱をするだけで、自動的に魔術式が展開して、閉じられた部屋の中に、受付への異次元の道が作成されるんですって――正直、信じ難い魔術なんだけど、実際、それで受付に戻ってきてる輩は結構居たわよ」

「……にゃるほどにゃ。まぁ、入り口まで戻れるにゃら、それに越したことはにゃいにゃ。お荷物のウェスタを捨てて、コウヤを待ちつつ、ワグナーを探して殺すにゃ」


 タニアとセレナがそんな話をしていると、何の前触れもなくいきなり魔法陣が光を放ち出した。ウェスタはスクッと立ち上がり、満足げな顔で二人の傍に寄ってくる。タニアは、ご苦労にゃ、と労った。


「これで――あ、この時空間を通れば、受付に戻れますよ」


 ウェスタが光輝く魔法陣を指差すと、ちょうどその時、魔法陣の上に黒い両開きの大扉が展開する。その扉は、この部屋の大扉とまったく同じ様相だった。

 タニアは真っ先に黒い扉を開けて、その中に足を踏み出す。そこに恐怖の類は一切ない。開け放たれた扉からは、魔力濃度の高い風が流れてくる。

 セレナはタニアに続いて扉をくぐった。ウェスタは一度だけ息を呑んで、しかし迷わずに二人の後を追った。三人ともが扉をくぐると、黒い大扉は静かにその姿を消失させる。魔法陣の光は途切れて、灰色の部屋には誰もいなくなった。


 さて、タニア、セレナ、ウェスタの三人は、そうして暗いトンネルのような異空間を歩いた。とはいえ、ものの数秒か、10メートルも歩かぬうちに、目の前には白い扉が現れて、扉は自動的に開かれた。

 その扉を抜けると、そこは見覚えのある白い部屋だった。


「え――にゃにゃにゃにゃ? もう、着いたにゃ?」


 タニアが拍子抜けした声を上げる。それに遅れて、セレナが背後からその姿を現す。セレナもまた、タニア同様にキョトンとした顔を浮かべている。ウェスタだけが平然としていた。


「あっと言う間、なのね……これが帰還の門」

「にゃぁ、もっと時間が掛かるもんだと思ってたにゃ――まぁ、でも有り難いにゃ。とりあえずコウヤの情報とワグナーとやらの情報を収集するにゃ」

「……ここには、いないようね」


 白い受付の部屋には、つい数時間前と同じように、今から地下迷宮に向かう冒険者たちと、迷宮から出てきた冒険者たちがたむろっていた。タニアとセレナは部屋の中をサッと一瞥するが、煌夜の姿はおろかワグナーやアレイアの姿も見当たらない。

 タニアは少しだけ残念な気持ちになりつつ、セレナと肩を並べて外へと歩き出す。一旦、地下迷宮の外に出よう――と、そこでウェスタに振り返り、思い出したように別れの言葉を告げた。


「おい、ウェスタ。お前とは、ここまでにゃ。お前、思ったよりも役に立ったにゃ。今度は死にそうににゃるにゃよ?」

「――コウヤが救ってくれた命、大切にしなさいよ?」

「あ、はい……え、と? あ、そっか……ここで、お別れか……うん、ありがとうございました」


 ウェスタは一瞬、タニアとセレナが何を言っているのか分からず、キョトンとしたが、すぐにハッとして頭を下げた。もうここまで来れば、ウェスタに危険はない。命を救ってもらって、ここまでなんとなく一緒に行動を共にしていたが、そもそもウェスタはタニアたちとは無関係なのだ。安全な場所まで来れれば、もはや一緒に居る必要はなかった。


「あ、あの――本当に、ありがとうございました。このご恩は、一生忘れません。タニアさん、セレナさん。俺、このクダラークの街を拠点に活動してますので、何かあったら、冒険者ギルドまで訪ねてきてください。俺に出来ることなら、何でも協力しますので」


 ウェスタは受付を去っていくタニアとセレナに、再度大仰に頭を下げて感謝を口にする。二人は振り返らずにそのまま受付を出て行った。


 受付を出て少し歩けば、だいぶ久しぶりに思える地獄の如き大穴が姿を現す。その暗闇を覗き込むと、下からは緩やかな風が吹き上がってくるのを感じた。

 その時、正面――大穴を挟んで向かい側の出入り口から、刺すような殺気がタニアにぶつけられた。にゃにゃ、とタニアは顔を上げる。


「へぇ――セレナ。アイツが、お前の言ってた『ワグナー・ウォル・リウ』にゃ?」


 タニアは正面を見上げて、スッと目を細めた。そこには、不敵な笑みで大剣を握り締めた男――ワグナーが立っていた。ワグナーは燃えるような紅蓮のロングコートを身に纏い、冷たい殺気をタニアにぶつけている。

 セレナはワグナーの姿を視認してから、タニアに頷くだけで答えた。そして、周囲を警戒しながらタニアを盾にするかのように、その背後に隠れる。タニアが不快そうに眉を顰める。


「――待っていたぜ。なぁ、貴様ら。一つ、俺と取引しないか?」


 ワグナーは、タニアとセレナが気付いたことを確認すると、大声で突然そんなことをのたまった。そして見せ付けるように、大剣を光の粒子に変えて霧散させる。その光景は、ヤンフィがよく行っている時空魔術に似ていた。


「ほれ、この通り。俺に敵意はない――どうだ? 食事でもしながら、話し合おうぜ?」

「そんにゃに殺気を漲らせておいて、何が敵意がにゃいだ! おい、お前、ボスをどうしたにゃ?」


 何の意図があるのか、ワグナーは両手を上げて無抵抗をアピールする。だが、それは形だけだ。依然としてタニアに向けられた殺気は緩まない。

 タニアはワグナーの一挙一動を注視しながら、大声を張り上げる。するとワグナーは、満面の笑みを浮かべて無防備に背中を向けた。


「ボス――ね。あのガキのことだろう? あのガキなら、俺の奴隷であるアレイアと、宿屋でしっぽり楽しんでるはずだ。あのガキとは、話がついているからな」

「にゃ、にゃにぃ――!? どういうことにゃ!? 待つにゃ!!」


 ワグナーはそんな捨て台詞を残して、出入り口から外へと出て行った。タニアは驚愕を浮かべて、大穴を回り込む通路を使わず、そのまま真っ直ぐ大穴を飛び越えて、ワグナーの後を追う。


「ちょ――待ちなさいよ、タニア! そんなわけ、ない――って、もうっ!!」


 一瞬で外へと飛び出していったタニアを見て、セレナも慌ててその後を追う。

 ワグナーが何を考えているのか分からないし、その取引とやらがまともとも思えないが、話を聞かなければならないだろう。まだ煌夜の無事が確認できていない。

 セレナは大穴は飛び越えずに、柵に沿って反対側の出入り口から外に出た。数時間ぶりの外は、いつの間にかもう夕焼けになっていた。


「おい、ワグナーだか言うお前! 今の話は、どういうことにゃ? コウヤはどこにいるにゃ?」


 セレナが外に出るとそこには、相変わらずの鋭く重い殺気を放ち、しかし無手で両手を広げているワグナーと、腰を落として今にも飛び掛らんばかりのタニアが対峙していた。タニアは全身の毛を逆立てて、ワグナー以上の殺気を放ちながら威嚇している。

 セレナはそんな二人に注意を払いつつも、周囲を素早く観察する。先ほどからアレイアの姿がまったく見えない。どこに隠れているのか――念の為、背後を振り返るが、やはり姿も気配もない。


「どこにいるも何も――だから、あのガキとは取引が終わっているって言ったろ? アイツは今頃、アレイアと楽しんでいる真っ最中なはずだぜ。きっと猿みたいに一心不乱に腰を振ってるだろうよ。アレイアは名器なだけじゃなく、テクも凄まじいからなぁ――っぉお!?」


 ニヤニヤ笑いで下衆な台詞を吐くワグナーに、タニアが黒い魔力の球体――【魔喰玉まくうぎょく】を投げつけた。それは高濃度に圧縮された魔力の塊で、容赦なくワグナーの顔面を狙っていた。

 しかし、瞬きの一瞬で放たれたそれを、ワグナーは紙一重で避けて、頬に一筋の傷を付けるだけで終わらせる。まったく素晴らしい反射神経である。セレナは見ていて寒心した。

 ところで、その避けた魔喰玉は、直後にワグナーの背後で凄まじい爆発を生じさせた。爆音と閃光が辺り一面に炸裂して、もうもうと土煙が舞い上がる。

 かろうじて、巻き込まれた被害者は出なかったが、突然のその爆発に、聖王の試練の周辺で拠点を築いていた冒険者たちは騒然とする。喧嘩だ、喧嘩だ、と騒ぎ立てる声が、そこかしこから響いてきた。


「……おいおい、頼むぜ。いきなり何をするんだよ、獣族の美女さんよぉ」

「チッ――よくも避けたにゃ。でも、次は避けられると思わにゃい方がいいにゃ。本気で行くにゃ」

「カハハ……おいおいおい、少しは俺の話も聞いてくれないか? 俺に敵意はないってのよ――ああ、セレナに手を出そうとしたことは謝るぜ。貴様を転移魔法陣の罠に掛けたこともな」


 タニアは舌打ちしてから、今度は半身になり、弓を引く姿勢で魔力を集中し始めた。それは魔槍窮の構えである。しかも、宣言通りに本気だった。タニアのそれが炸裂すると、ここ一帯が灰燼と化すに違いない。それだけの威力がある。

 一方、そんなタニアと対峙して、しかしワグナーは余裕の笑みを崩さない。相変わらずの殺気をタニアに向けつつ、けれど両手を広げて無抵抗の格好のままだった。しかも謝罪しつつ頭まで下げた。


「――にゃにが敵意にゃいにゃ。お前、さっきから何を狙ってるにゃ」


 タニアは溜めの姿勢でワグナーに問い掛ける。ワグナーはフッと笑って、セレナに視線を向けた。


「何も、狙ってなんかいないぜ? 言ってるだろ? 俺は、貴様らと取引がしたいだけさ。貴様らのボス――あのガキとは、話がついてるからよ」


 ワグナーはぶれずに、再度同じ要求をしてくる。とてもじゃないが信用できないその言葉に、セレナが口を挟んだ。


「ねぇ、ワグナー。アンタ、さっきから取引、取引言ってるけど、内容を言いなさいよ。それと、コウヤと話がついてるって、何のことよ?」


 セレナの言葉に、ワグナーはいっそう愉快そうに口元を緩めた。


「なぁに、簡単な話さ。全員の命を助けてやる代わりに――セレナに二度と手を出さない代わりに、あのガキは俺の奴隷になるって誓ったんだよ。俺としては野郎の奴隷なんざ無用の長物だが、まぁ、あの熱意に絆されてなぁ。仕方なく奴隷にしてやったよ。だからとりあえず、兄弟になる為に、アレイアを抱かせて――――うぉっおお!?」

「――さっきから、戯言うるさいにゃ」


 ワグナーの台詞途中で、タニアはもう一度、黒い魔力球――魔喰玉を、魔槍窮の構えのまま、ノーモーションで投げつける。しかし、それも紙一重でワグナーに避けられて、再び辺りに爆音が響いた。


「クッ――戯言かどうかは、見れば分かると思うがなぁ? まぁ、俺の話を信じようと信じまいと、どっちでも良いが」

「――で? アンタはあたしたちと何を取引するの?」

「カハハハハ、いいねぇ。その強気の目。手を出せないのは、惜しいぜぇ」


 ワグナーは挑発的な態度を崩さず、タニアとセレナに下品な流し目をする。それを冷たい視線で睨みつけて、セレナは冷静に問う。ワグナーの意図が掴めない。


「取引は――あのガキを解放して欲しかったら、俺に抱かれろ、ってことさ。どうだ? 悪くない取引だと思うんだよなぁ。一回、我慢するだけで、貴様らのボスが解放されるんだぜ? まぁ、身を挺して助ける価値がある人間とは思えないがなぁ」


 ワグナーの言葉に、タニアが瞳を閉じて静かに呼吸を繰り返している。それはまるで、湧き上がる怒りを必死に抑えているようにしか見えない。ちなみに、既に魔槍窮は完全に準備が出来ており、後は拳を突き出すだけで何かもかも終わる状況だった。

 セレナはタニアの前に一歩出ると、今にも全てを破壊せんとするタニアを、一旦手で制した。


「もし仮に、万が一、アンタの言うことが真実だとして……それ、アンタを殺せば解決じゃないの? あたしじゃ、アンタには勝てないけど、このタニアなら、アンタ如き敵じゃないわよ?」

「カッハッハッハ!! そうだろうなぁ、そうだろうとも――ああ、俺じゃあ、まともに闘ったら、アベリンの【大災害】にゃあ勝てないだろうさ」


 セレナの挑発に、ワグナーは腹を抱えんばかりに大笑いし始める。その甲高い笑い声に、タニアは明らかに苛立ちを募らせた。セレナの制止など無視して、今にも引き絞った魔槍窮を解き放ちそうだ。いやそもそも、タニアにはどうして、セレナが制止しているのか理解できなかった。

 ワグナーの言葉がまったくの出鱈目であることは、考えるまでもなく判断できる。確かに煌夜ならば、自らを犠牲にしてタニアとセレナを護ろうとするくらいの気骨はある。しかし、そんなことをヤンフィが許すはずはなかった。ましてやヤンフィであれば、大前提としてワグナー如きに従うはずはない。

 おそらくワグナーは、煌夜の存在を仄めかすことによって、タニアたちに牽制しているのだ。人質がどうなっても良いのか、と脅しているのである。

 とはいえタニアは、煌夜が人質になどなっていないことを確信していた。だからこそ、今すぐにでもこの無礼なワグナーを殺したい衝動に駆られている。


「アンタ、何がしたいの? 状況、分かってる? あたしたちが優位なこの状況で、そんな脅しみたいな取引、応じるとでも思ってるの?」


 けれどそんな殺意を察して、セレナはより強くタニアを制止しながら、ワグナーに質問をぶつける。ワグナーは何か隠している。それが何か、セレナはその真意を探ろうとしていた。

 しかし一方で、タニアは、セレナごとワグナーを吹き飛ばそうと、半ば本気で考え始めていた。


「カハハ――応じるなんざ、微塵も思ってないさ。応じてくれると楽なんだが。まぁそこまで我侭は言わんぜ。だから、こうして長話させてもらったんだよ!」


 ワグナーは叫ぶと、下衆な笑みを一転、真剣な表情になって、唐突に、ロングコートを翻してその場から逃げ出した。タニアに背を向けて、一目散に街への道を下り始める。

 その様を見てセレナは怪訝な表情を浮かべ――瞬間、タニアは引き絞った右拳を突き出す。何ら迷わず、躊躇さえなく、誰が巻き込まれるかなど意に介さず、特大威力の魔槍窮が、地面を抉りながらワグナーの背中に突き刺さった。

 凄まじい衝撃と閃光、轟音と爆発がワグナーを中心に巻き起こり、大量の土砂が舞い上がる。幸いにして、巻き込まれた人間はいなかった。


「ちょ、タニアっ!? せっかくの情報源が……コウヤの居場所、知ってたかも――」

「――黙れにゃ、セレナ。アイツは不愉快にゃ。コウヤのことは、ハッタリに決まってるにゃ。もし万が一知ってても、あの様子じゃ、本当のことは言わにゃいにゃ。情報を引き出すにゃら、アレイアを見つけ出した方が早いにゃ。にゃので、アイツは殺して、装備を奪って、それからアレイアを探すにゃ」


 もうもうとした土煙を見ながら、セレナがタニアを責める。まだ充分に情報を引き出していないのに――と。けれどタニアはそんなセレナを一喝して、まったく悪びれずに盗賊じみた発言をした。

 とはいえ、タニアの発言は、確かに理に適っている。ワグナーから情報を引き出すよりも、アレイアからの方がおそらく効率的だ。

 セレナは溜息一つで、気持ちを切り替えた。まあどちらにしろ、もはや賽は投げられた。


「……まぁ、いいわ。じゃあ、ワグナーは任せたわよ? あの一撃で死んだとは思えないから」

「任せるにゃ。痛めつけずに一瞬で殺すにゃ。にゃので、アレイアを探すのは頼むにゃ」

「――あら、それでしたら、探すまでもありませんよ。わたしはここです」


 タニアとセレナの会話に、その時突然、聞き覚えのある声が割り込んだ。二人は同時にバッと背後を振り返る。そこには、涼しい顔をしたアレイアが立っていた。相変わらず露出の激しい艶やかなドレス姿に身を包んで、妖精族特有の緑髪をなびかせている。

 アレイアは自然な動作で両手をタニアに向ける。タニアはセレナを一瞥すると、その場から一気に30メートルは跳躍して、距離を取った。セレナはタニアに頷き返して、すかさず無詠唱でもって拘束の魔術を展開しようとした。


「――風縛陣」


 しかしセレナが拘束魔術を展開するより早く、アレイアの魔術が先に展開する。狙いはタニアである。


「にゃ――!?」

「チッ! 【光鎖こうさ】――」


 タニアの身体がグッと地面に減り込むのを見てから、遅れてセレナはアレイアを拘束した。

 セレナの魔術は、無数に伸びる光の鎖だった。それはまるで蛇のようにうねりながら、アレイアの身体を縛り上げて、その場で身動きを取れなくする。アレイアのドレスは魔術を防ぐ効果があるらしいので、光の鎖は生身部分を重点的に縛り上げた。

 一方で、タニアは困惑顔で地面に倒れ伏している。にゃにゃ、と呟きながら、じたばたと手足を無様に動かして、けれど満足に動けなさそうだった。

 風縛陣――キリアが編み出した聖級の拘束魔術だ。あらゆる状態変化を無効化した上で、対象の身動きと魔力を封じる魔術である。囚われたら、容易に逃れる術はない。

 セレナは渋面を浮かべたまま、意識をワグナーの方へと向ける。すると案の定、そこにはニヤニヤと笑っているワグナーが立っていた。さすがに無傷とまではいかなかったようだが、致命傷ではない。


「……また、この展開なの? タニア、頼むわよ……」

「カッハッハッハ――油断し過ぎじゃねぇのか、アベリンの【大災害】よぉ。それとも、噂は所詮、噂だったのか?」


 セレナはじたばたとしているタニアに恨みがましい視線を向けて、それからワグナーに意識を移す。ワグナーは余裕の笑みを浮かべて、土煙を払いながら一歩踏み出した。


「さぁて、少しだけその美貌は惜しいが、まずは貴様を殺してから、セレナを頂くとするぜ」


 ワグナーはその手に大剣を召喚して、それを大きく振り被る。狙いは倒れ伏しているタニアだ。

 セレナは咄嗟に、タニアの周りに防御結界を展開する。だがそんなのは気休めだろう。ワグナーのあの魔力を纏った斬撃の威力では、セレナの防御結界は紙切れに等しい。


「覇ァァアアアアアア――」


 ワグナーの咆哮が夕焼けに吸い込まれていく。セレナは巻き込まれないよう、出来るだけ遠くに飛び退いた。ワグナーは大剣を振り下ろした。


 

※キャラクターデータは別枠にまとめます。


11/11 一部の誤字修正


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