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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第五章 聖王の試練
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第三十三話 迷宮クライシス/中篇

 

 タニアが煌夜を庇って、転移魔法陣に飲み込まれた――そんな衝撃的な光景の直後、紅蓮のロングコートをはためかせた男が、煌夜の背後から通路に躍り出る。その様は、まるで赤い疾風のようだった。

 その男はロングコートの中から、刃先がギザギザした大剣を取り出して、目にも留まらぬ一撃でもって煌夜の左腕を両断する。


「手際が悪いぞ、アレイア。だが、よくやった。見事に一番厄介な獣族を転移させられたな。中々の演技力だったぞ。事が終わったら、後で褒美をやろう――さて。邪魔だ、この雑魚が!」


 煌夜の左腕は、至極あっけなく刎ね飛ばされて、転々と通路を転がった。男はそのまま流れる動作で、蹲った煌夜に罵声と蹴りをお見舞いする。骨の軋む鈍い音が響き、煌夜はボールみたいに吹っ飛んだ。


 そこまでの一方的な展開を、セレナはただ呆然と見送った――否、反応できなかったと言うのが正しいだろう。

 その男の動きは驚異的な素早さで、且つ、完全な不意打ちだった。しかも直前の光景、タニアが消えたと言う衝撃的な事実に、セレナはつい気を取られてしまっていた。さらに不運にも、セレナの立ち位置からだと、ちょうどその男の一連の動きは、タニアを包んだ転移魔法陣の光に隠れて影になっていたのだ。ここまでの悪条件が重なると、反応に遅れても仕方ないと言える。

 とはいえ、罵声と共に蹴り飛ばされた煌夜を見て、さすがにセレナも動き出す。瞬時に、腰に吊るしていた杖を男に向かって構えつつ、転がった煌夜の元に駆け寄った。また同時に、高速詠唱でもって二つの魔術を展開する。


「『偉大なる光、我が命に従い、我に徒なす敵を切り伏せる剣と成せ』、『光を司る精霊よ、その尊き力を形と成せ。展開せよ、光よ。悪意と敵意を封じる壁と成れ――光牢こうろう』!!」


 その見事な高速詠唱は、早口があまりにも速過ぎて、キュルキュルという単音にしか聞こえないほどの詠唱だった。詠唱した魔術は【光剣こうけん】と呼ばれる光属性の攻撃魔術と、【光牢】と呼ばれる光属性の防御結界である。

 光剣は、零コンマ一秒に満たない刹那で、男の周囲360度を無数の光の剣で包囲した。それは敵の身動きを封じる牽制であると同時に、一本一本が殺傷能力の非常に高い攻撃魔術だ。その光景は傍から見ると、中世ヨーロッパの拷問機具【鉄の処女(アイアン・メイデン)】を思わせる。

 一方で光牢は、煌夜を中心にして展開する光の壁である。転がった煌夜をドーム状に取り囲む鉄壁で、アレイアから来るであろう攻撃に対する事前の予防策だった。果たしてそれは、功を奏す。


「『悠久なる風、我が命に従え。我に徒なす敵を押し潰さん――轟風ごうふう』」


 光牢が煌夜を包み込んだ直後、無防備な背中を見せていたアレイアが振り返り、セレナほどの早口ではなかったが、素早い高速詠唱でもって魔術を展開したのだ。それは風属性の中級攻撃魔術である。40センチ大の風の塊を飛ばして、巻き込んだ対象を風圧で押し潰す技だ。そんな【轟風】は、凄まじい速度でもって煌夜を強襲する。けれど、それは想定通りである。


「甘い、わよ――『あらゆる障害を吹き飛ばす風刃。風塵の王よ、我は汝の力を求める。求めに応じて、応えよ。風塵の王よ、その覇を示せ――暴風ぼうふう』!!」


 アレイアが魔術で攻撃してくることを、セレナは最初から読んでいた。それゆえの、あらかじめの光牢である。

 想定通りに【轟風】は光の壁に弾かれると、ドカンと激しい音を立てて通路の壁を穿った。セレナはその様を鼻で笑いながら、カウンターでさらに高速詠唱して、竜巻状に空間を飛んでいく鎌鼬の奔流――【暴風】をアレイアにぶつける。それは風属性の上級攻撃魔術だ。威力は先ほどアレイアが放った轟風とは桁違いの威力である。同属性で高位の魔術を詠唱して、それを見せ付けるように放つ――厭味な意趣返しだった。

 暴風の一撃で、アレイアはもはや行動不能だろう。そう思考したセレナは、すぐさまアレイアから視線を切って、男を囲んでいる【光剣】に意識を向けた。当然ながら男は、身動きなど取れないようでただ立ち尽くしている。

 セレナはこれで終わりとばかりに、容赦なく杖を振り下ろす。それが合図になり、男の周囲に浮かんでいる無数の光剣は、何の予備動作もなく一斉に男へと襲い掛かった。

 男は防御系の魔術を展開していないし、紅蓮のコートとジャケット程度の装備では、光剣を防ぎ切ることなど不可能だ。セレナは内心で、力強く勝利を確信して、倒れている煌夜へと視線を向ける。

 煌夜の左腕は肘の部分で分断されており、出血が激しかった。このまま放置すると、出血多量で命に関わるかも知れない。だが、今すぐに治癒魔術を施せば、切断された左腕も元通りになるだろう。元に戻せる自信もある。


「――油断よ、セレナ」

「え!? なっ、アンタ――」


 煌夜の飛ばされた左腕を拾ってから、そのまま煌夜の元に辿り着いた時、よく通る冷淡な声が通路の奥から聞こえてくる。セレナは驚き、慌てて顔を上げた。そこには信じがたいことに無傷のアレイアが立っていた。

 まさかあの暴風を耐えたのか――と、その光景が信じられず、セレナは一瞬だけ思考が停止する。それは致命的な隙だった。


「――覇ァァアアア――ッ!!」


 セレナがアレイアに気を取られた一瞬、裂帛の咆哮が背後から響いてくる。それは、光剣に貫かれて絶命したと思っていた男の声だった。


「嘘ッ!?」


 セレナはより激しい驚きと共に、バッと振り返る。するとそこには、光の剣に身体を貫かれているにも関わらず、平然とした顔で大剣を大上段に構えている男がいた。その大剣からは、凄まじい魔力が迸っている。

 ヤバイ、と瞬時に理解したセレナは、拾っていた煌夜の左腕を【光牢】の中に放り投げて、煌夜と男の間に立つ。すかさず胸の高さに杖を構えると、無詠唱で【光盾こうじゅん】を多重展開して、来るべき衝撃に備える。

 男が大剣を振り下ろす。迸る魔力が狭い通路を光で満たし、烈風と轟音を伴って炸裂する。それは魔術ではなく、ただの魔力を帯びた斬撃だった。だがその威力は爆撃に等しかった。衝撃は地下迷宮全体を駆け巡り、ドン、と一瞬だけ大きな地震を引き起こす。その一撃で通路の壁は左右とも大きく抉れて、狭かった通路が人四人分ほど幅が広がった。


 ――その一撃は、タニアの放つ【魔槍窮まそうきゅう】に匹敵するほどの破壊力であり、聖級の攻撃魔術に等しい攻撃力だった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 煌夜はその目まぐるしい光景を、苦痛に喘ぎながら、ただ眺めていることしか出来なかった。とはいえ、何が起きたのか、眺めていても理解は出来なかったが、結果としての事実だけは理解できた。

 セレナが――為す術もなく負けてしまったのだ。


「カハハ。あっけないものだな。だがまぁ、当然か――――さて。セレナ、だったか? 遅れたが、自己紹介してやろう。俺は、ワグナー・ウォル・リウ。今日から、貴様の御主人様となる男だ」


 大剣を振り下ろした姿勢のまま、その男――ワグナーは、にやけた笑みを浮かべる。笑みを向けた先には、傷だらけでボロボロのセレナが、杖を支えに立っていた。セレナはその背中に煌夜を庇っており、もはや死に体である。

 煌夜は苦痛を堪えて、周囲を見渡す。辺りは先の一撃で、地面が捲れ上がっており、壁は大きく抉られていた。一車線程度の幅だった狭い通路が、信じがたいことに、今は三車線程度に広がっている。煌夜を包んでいた光の壁も掻き消されていた。


(……あのワグナーとか云う男、かなりの実力者じゃ。しかも彼奴ら、魔術を喰らう装備を持っておるようじゃな。至極、厄介じゃのぅ――まぁ、ともかくコウヤよ。あとは妾が何とかしてみせよう)


 ヤンフィが重々しい声で呟いた。と同時に、煌夜の身体を襲っている激痛が遮断されて、主導権がヤンフィに移り変わる。しかし、絶望的な気持ちは少しも改善されなかった。


「――御主人様、この人間は、どういたしますか?」


 通路の奥、曲がりくねったその死角から、冷淡な無表情をしたアレイアが姿を現した。どうやらアレイアは、先ほどの強烈な斬撃を、角に隠れてやり過ごしたらしい。あの斬撃は直線的な攻撃だったので、それが可能だったのだ。

 アレイアはゆっくりと、無様にうずくまる煌夜に近付いてくる。


「そんな雑魚放っておけ。勝手にくたばるだろう。ああ――俺がセレナを犯した後、そいつに犯させるのも一興だな。そいつが生きていたら、だが」


 ワグナーが馬鹿笑いをする。ワグナーの言葉を聞いて、アレイアは素直に、煌夜へと向けていた杖を下ろした。それは明らかに油断だが、今の彼らは油断してもまだ余裕がある。ヤンフィは素早く周囲を一瞥した。

 通路の状況は、酷く絶望的だった。無傷のアレイアとワグナー、その二人に挟まれた位置でうずくまる煌夜、ワグナーから煌夜を庇う血だらけのセレナ、セレナとワグナーの距離は30~40メートルほどで、煌夜とアレイアは15メートルといったところである。迂闊に動けない距離だ。ちなみに、煌夜が背負っていた冒険者は、先の一撃に巻き込まれたようで、残骸すら確認できなかった。

 ヤンフィは心の中で苦笑した。面白いように、絶望的な状況になっている。タニアが地下迷宮に設置されている罠に掛かって姿を消してから、いきなり男が現れたかと思えば、わずか一秒と言う短時間に、こうまで形勢が決まってしまったのだ。もはや笑う以外に術はない。

 タニアやセレナが、油断していたと言うわけではない。しかし結果として、想定していなかった出来事の連続で、何一つ敵の思惑を食い止めることが出来ず、ただただ為すがままに翻弄されたのである。何より敵が、魔術を喰らう装備を持っていたことは、最大の敗因かも知れないが――

 そう状況を思考してから、ヤンフィは、さてどうするか、と冷静に打開策を考える。何が最善手か、どうすれば煌夜を助けられるか。煌夜の体力を考えると、あまり時間的な余裕はない。


(タニアは……転移の罠に嵌っただけじゃから、この地下迷宮のどこかにおるはず。合流できれば、何とかなるが……それより先に、此奴らをどうするか。満身創痍のセレナ一人では、ワグナーとやらには勝てまい。かと云って、今のコウヤの身体では、此奴と戦うのは、負担が大き過ぎるのぅ――はてさて、困ったわ)


 ヤンフィの独り言に、状況に付いていけていない煌夜は何も言えなかった。目まぐるしく変わったこの逆境に、ただただ呆然としている。

 その時、フラフラのセレナがワグナーに向かって強気の台詞を吐いた。それは誰がどう見てもただの強がりだが、決して退かないという不退転の意思が窺える態度だった。


「アンタ、ら、馬鹿なの? あたしを……犯すって? 出来ることと、出来ないことの、区別、付かない、の?」

「――セレナ、強がるだけ無駄よ。諦めて、御主人様にその身を委ねなさい。そうすれば、快楽と最高の幸せが待っているわ」

「カッハッハ。いいさ、アレイア。気が強い女はそそるからな。俺に犯されてる間も、そうやって強がって見せて欲しいぜ」


 ワグナーは馬鹿笑いしながら、一歩セレナに近寄る。セレナはよろけながらも、杖を構えた。


「……アンタ、何が、目的よ?」

「目的? そんなのは決まってる。俺は強くなりたい。今よりもっと、もっとな――その為により多くの妖精族を犯して、その魔力を共有するんだよ。それが一番、労せずして魔力を強化できる方法だからな。知ってるか? かの三英雄が一人、ウィズ・クロフィードは、同じく三英雄のキリアを犯す前は、たかだかBランクの冒険者だったんだぜ? それが、反則的な魔力を持つキリアと魔力共有したら、一気にSSランクまで上り詰めた。俺はさすがに、そこまで当たりの妖精族はまだ喰ってねぇから、数に頼るしかねぇんだよ」

「…………複数の、妖精族と、魔力を共有する、つもり? 正気、じゃないわね」


 セレナは苦痛に蔑みの色を浮かべつつ、構えた杖に魔力を込める。ワーグナは余裕の笑みを浮かべながら、大剣を片手で中段に構えると、空いている左手を上にあげてその掌に魔力を集中させる。

 一方で、セレナと煌夜の背後を取っているアレイアは、数歩距離を取って、真剣な表情で何やら詠唱を始めた。


「風を纏い、風を感じ、風を見よ。我は風を司り、風を操り、風を統べる。風よ、風よ、風よ、今ここにその気高きを示せ。我は風を知り、風を産み、風を紡ぐ。風を――」


 ゆっくりと紡がれる、唄のように長いアレイアの詠唱、セレナはそれを耳にして、途端に驚愕を浮かべる。


「ま、さか? その、長文詠唱――キリア様の、【風縛陣(ふうばくじん)】なの……?!」

「カハハハ。俺がどうしてアレイアを連れているか分かったか? そうさ。ソレだよ。偉大なる三英雄キリアが編み出した拘束魔術。あらゆる状態変化を封じて、相手を拘束できる最強の捕縛術!! アレイアはそれを詠唱できるのさ」

「――――想像以上に、マズイわね」


 セレナは観念したように呟いて、うずくまった煌夜をチラリと見やる。その瞬間、ヤンフィがバッと身体を起こした。

 ヤンフィは慌てた様子で切断された左腕を拾って、驚きを浮かべるセレナを横目に、怪訝な顔のワグナーに不敵な笑みを浮かべた。


「汝、ワグナーじゃったか? 随分と面白い装備をしておるのぅ……その剣、その外套、聖級の逸品じゃな。魔力を操る剣と、魔術を喰らう装備――じゃが、惜しむらくは使い手が、その能力を扱いきれていないと云うところかのぅ」


 ヤンフィは突如そんな挑発を始めると、杖を構えていたセレナを庇うように背中へ押しやり、煌夜の左腕を剣のように握りしめて構える。その滑稽な姿に、ワグナーは爆笑した。


「カッハッハッハ! おいおいおい! 強がるにしたって、限度があるだろ!? お前、そんな雑魚なのに、俺を挑発してどうするんだ? お前みたいな雑魚は、女の背中でガクブル震えてるのがお似合いだってのに――だがいいぜ、買ってやるよ、その挑発! これで、くたばれ!!」


 ワグナーは楽しげに叫んで、その左手を振り下ろす。瞬間、掌に収束されていた魔力が弾けて、拡散レーザーのように煌夜に放たれる。それは魔術に加工される前のただの魔力の粒子だ。だが、その破壊力は、聖級魔術にも匹敵するほどの破壊力を秘めていた。

 当たれば即死、けれどヤンフィに焦りはない。ワグナーの行動はまさに予想通りだった。

 ヤンフィはその高濃度の魔力粒子を、切断された左腕を盾にして防いだ。左腕に触れた魔力粒子は、吸い込まれるようにして霧散する。

 その不可思議な光景を眼にして、その場の誰もが驚愕する。まさか刎ね飛ばされた腕で防ぐとは――否、防ぐというよりそれは、腕が魔力を吸収したように見えた。

 ワグナーは表情を凍りつかせて、咄嗟に大きく後方へ飛び退いて距離を取った。それは煌夜からの反撃を警戒したが故の行動だ。存外冷静な男のようである。


(ふむ……これほど強烈な魔力ならば、魔剣エルタニンを顕現しても釣りは出る――じゃが、やはり戦うには分が悪いのぅ)


 切断された自分の片腕をまるで剣のように構える不格好な煌夜の姿を、ワグナーは怪訝な顔で注視している。雑魚だと罵ったわりに、未知の脅威に対しては警戒心が強い男のようだ。慎重と言えば聞こえは良いが、臆病者なのだろう。とはいえ、臆病な冒険者こそ手強いものだ。


「……ちょ、ちょっと今の……何? その腕、一体……」

「セレナ――汝、どの程度なら、動ける?」

「え……あ、その……動ける、ってどういう……?」

「悠長に問答しておる余裕なぞない――妾の問いにだけ答えよ」

「――五割、ね。アレイアを抑えるのが、精一杯……」

「ふむ、充分じゃ――妾の合図で、ワグナーに突っ込め」


 ボソボソとした早口でセレナとそんなやり取りをすると、ヤンフィはニヤリとワグナーに笑みを浮かべる。ワグナーはその態度を見ていっそう警戒心を強くすると、眉根を寄せてさらに一歩、後ろに下がった。しかしそれは逃げの姿勢ではない。

 ワグナーは腰を落として、中段に構えた大剣を両手でしっかりと握り締めると、その剣先に魔力を集中し始めた。先ほど通路を一掃した強力無比な斬撃をもう一度放つ心積もりだ。もう一度あの技を喰らえば、少なくともヤンフィと煌夜は助からないだろう。あれほどの大攻撃――強烈な衝撃を伴う、面の攻撃は、魔剣エルタニンでは完全には防ぎ切れない。


(……ヤンフィ、今って、もしかしなくても絶望的?)

(――コウヤは緊張感がないのぅ。なぁに、タニアと戦ったときよりは、まだ勝算があるわ)


 不安になった煌夜が恐る恐ると声を掛けると、ヤンフィは茶化すように笑った。その言葉のおかげで、安心は出来ないが、不安は和らぐ。とりあえず煌夜に出来ることは今のところない。だからこそ、今この状況に集中しようと心を決める。


「――我が紡ぎ上げたこの陣に、その姿を顕現せよ。風よ、今、御身に名を与える――あらゆる存在を封じ込める風の結界陣。【風縛陣】!!」


 その時、流麗な歌唱にも思える長い長いアレイアの詠唱が終わりを告げた。セレナはビクッとしてアレイアに振り返ると、その顔を引き攣らせた。

 状況は、背後のアレイア、正面にはワグナーが渾身の一撃を溜めている。前門の虎、後門の狼と言ったところだろうか。中々笑えない状況である。

 しかし、ヤンフィはそれを合図に、素早い身のこなしでセレナと立ち位置を入れ替わる。ワグナーに無防備な背を向けて、詠唱を終えたアレイアの前に飛び出した。そして同時に、セレナの背中をドンと押し出す。


「――全速で行け!!」


 ヤンフィのそれは、セレナへの合図である。セレナは瞬間、え、と信じられない顔を浮かべるも、もはや一刻の余裕さえない状況に、言われた通り駆け出すしかない。その動きは煌夜からすれば凄まじい速さだったが、セレナからすればあまりにも遅い動きだった。100メートルを十秒台程度の駆け足だろう。

 ワグナーは一瞬ハッとするが、その動きの遅さに余裕の笑みを浮かべる。ワグナーまでは距離にして50メートルはあろう。その速度では、たっぷりと五秒近くは掛かる。何をしても対応できる――その自信がワグナーから溢れている。

 一方で、アレイアはもはや【風縛陣】を展開するだけの状況になっている。目標はセレナで、術式は既に全て構築済みである。セレナがどれほど速く動こうとも逃れる術はない。だから、セレナを庇うつもりでヤンフィが飛び出してきても、別段焦りはなかった。ただ当然のように杖を振るうだけだ。


「無駄よ、人間。残念ね……」


 アレイアは迫り来るヤンフィに向かって悲しげな表情を見せて、容赦なく杖を振るい【風縛陣】を展開する。それは無色透明の魔力の風であり、対象を縛り上げて、地面に縫い付けて、あらゆる魔術効果を打ち消す束縛の魔術だ。


「確かに、残念じゃのぅ。せっかく詠唱したのにのぅ――顕現せよ、【生命の杖】よ」


 ヤンフィは駆けながら、不敵な笑みを浮かべて左腕をアレイアに投げつける。当然それは軽々と避けられるが、本命は別にある。

 ヤンフィは空いた右手に【生命の杖】を顕現させると、展開された【風縛陣】の魔術の核を断ち切った。わずか一振りで、アレイアが数分掛けて詠唱した【風縛陣】が、セレナを捉えることなく霧散したのである。これで、セレナの動きを止めることは出来なくなった。

 その瞬間のアレイアの驚愕は想像以上だった。え――と、きょとんとした表情を浮かべて、時が止まったように凍り付いている。

 ちなみに幸いだったのは、アレイアの【風縛陣】が、以前キリアがタニアに展開した魔術よりも、荒く拙い術式だったことと、構成する魔力値が低かったことである。だからこそ、あっけなく解除できたのだ。しかしこれが本家本元の魔術であったならば、こうも簡単にはいかなかっただろう。


「――――転移魔法陣を使え!!」


 さて、ヤンフィはそのままアレイアに突撃しつつ、セレナに向かって大声で叫んだ。同時に、タニアを転移させた魔法陣に、きっかけとなる魔力を与えた。途端、魔法陣は転移の光を放ち、ちょうど真下に駆け込んできたセレナを包み込んだ。アレイアがそうしたように、ヤンフィもワグナーと話しながら、さりげなく壁伝いに魔法陣へと魔力を注ぎ込んで準備していたのである。

 転移魔法陣とは、外部からの魔力を蓄えて自動展開する罠だ。迷宮で迂闊に魔術を放つと、時折、設置された転移魔法陣が展開して、どこかに飛ばされることがある――そんな冒険者あるあるを利用して、ヤンフィはセレナをこの場から逃がすことに決めたのだ。


「な――にっ!! チッ、覇ぁあああああ!!」


 魔法陣の光がセレナを包み込んだ瞬間、ワグナーが慌てて転移魔法陣のある天井へ大剣を斬り上げる。すると、剣先に溜めていた魔力が迸り、壁を抉りながら天井を這うようにして、凄絶な破壊力の斬撃が放たれた。だが既に遅すぎる。

 転移魔法陣は、光で対象を包んだ瞬間に、もう対象を別空間に転移させている。そうなったらもう何をしても対象を引き戻すことは出来ないのだ。それを知らないわけではないだろうが、慌てていたワグナーは冷静に判断できなかった。

 放たれた斬撃は、魔法陣の術式ごと天井を崩落させて、上層への穴を穿った。図らずともこれで、もうタニアとセレナの後を追うことは出来ない。


「さて――妾も逃がしてもらうぞ!」


 状況に困惑して硬直しているアレイアに、笑みを浮かべたヤンフィが肉薄していた。ヤンフィは既に【生命の杖】を収納しており、無手の右で拳を握り締めて思い切り振りかぶっていた。アレイアは反応できていない。

 ヤンフィは全速力プラス、ワグナーの斬撃の衝撃波を追い風に加速した状態で、アレイアの脇を駆け抜ける。そしてその際に、振りかぶっていた右拳をアレイアの鳩尾に突き刺した。アレイアの装備は、薄く露出の激しいドレスだが、魔術を喰らう装備である。だからこその物理攻撃だった。


「――――ぁ」


 煌夜の全体重、全速力と、衝撃波の速度も加えた渾身の一撃を無防備な鳩尾に穿たれて、アレイアはカクンと身体を折って気絶した。ヤンフィはそのまま通路を駆け抜けて、ついでに先ほど放り投げた左腕も拾い上げる。


「この――待ちやがれ!!」


 背後からそんな怒号が響いてくるが、ワグナーの斬撃による崩落は周囲の壁にも連鎖して、ガラガラと通路に瓦礫が落ちてくる。このまま生き埋めになってくれれば助かるが、それほど甘い相手ではないだろう。ヤンフィは苦笑しながら、速度を落とさずに来た道を戻る。

 少し戻ると、白銀の剣が落ちている通路に辿り着いた。そこには、先ほどと同じく男女の死体が転がっている。それを見て、煌夜はハッと思い出す。そういえば、背負っていた若い冒険者はどうなったのか。ワグナーに襲われて吹っ飛ばされて以降、その存在をすっかり忘れていた。それどころではなかったとも言えるが、あまりにも無責任に放り出してしまった。


(……まぁ、無事を祈るしかないか)


 とはいえ、彼一人の為にこの道を戻るわけにも行かない。ワグナーと対峙するのが危険だからこそ、ヤンフィはこうして逃げているのだから――と、その時、ヤンフィがおもむろに落ちていた白銀の剣を拾い上げた。持っていた左腕を器用に左脇に挟んで、拾い上げた剣を正面に構える。


(――ん? どうし……)

「コウヤの不運は筋金入りじゃよ――【リキッドバッド】じゃ。蹴散らすぞ」


 ヤンフィはそう言うと、速度を緩めずにグッと前傾姿勢になった。それを待っていたかのように、1メートル弱の巨大蝙蝠が、少し先の通路の天井付近から次々に急降下してくる。その数、十匹は下らないだろう。ゲキャキャ――と言う不愉快に甲高い鳴き声を上げながら、弾丸のような速度でヤンフィに襲い掛かった。

 しかしそれら【リキッドバッド】の大群を、ヤンフィは軽々と一蹴――否、微塵切りにして見せた。

 煌夜の身体を使っているのに、その動きを煌夜は認識できない。それほどに、ヤンフィが披露したその剣技は速かった。いや、速いと言うよりも、巧かった。走りながら、まるで竜巻みたいな動きで、ヤンフィは襲い掛かってきた十数匹の巨大蝙蝠――【リキッドバッド】を斬り捨てたのだ。


「千に散り、朱と染まれ――天が紅(あまがべに)


 ヤンフィがそんな決め台詞を呟いた時、宙を舞っていたリキッドバッドは全て、その身体をシュレッダーに掛けられたみたいに細切れにする。汚い花火だ、と思わず煌夜の脳裏に有名な台詞が浮かんだ。割と余裕があるな、と自嘲する。

 そうして、微塵切りにしたリキッドバッドの破片が雨のように降りしきる中を、ヤンフィは駆け抜ける。無傷で平然と駆け抜けて、だが少し走ってから、申し訳なさそうにボソリと呟いた。


「クッ――やはり折れた、か。すまんな、コウヤ」


 ヤンフィのその台詞に、煌夜は首を傾げる。何のことだ、と意識を右腕に向けると、右腕は肘の関節が逆に曲がっていた。白銀の剣を握ったまま、プランプランとしている。その光景に絶句である。


「……チッ、もう追いついてくるか――」


 けれど、そんな右腕が折れたことなど意に介さず、ヤンフィは忌々しげに背後を振り返る。すると、まだだいぶ距離があるが、通路の奥からアレイアを肩に担いだワグナーの姿が見えた。ワグナーの紅蓮のコートは、遠目からでもハッキリと分かる。

 ヤンフィはすかさず白銀の剣をその場に投げ捨てて、咄嗟に来た道とは違う分岐路に駆け込んだ。上層へと向かう帰り道ではなく、どこに通じているかも分からない初見の道だ。そこを迷わずに猛ダッシュしていく。


(おいおい、ヤンフィ。こっち、来た道と違うだろ!? さすがの俺でも、こっちじゃないことは分かるぞ!?)

(…………多少、窮地にはなるが、こちらの方が安全じゃ)


 煌夜の言葉に、ヤンフィは言い澱みながらも断言した。だが、窮地になる、と言われて安心できるはずはない。煌夜は不安で頭が痛くなってきた。


「――――覇ぁぁああ」


 そんな時、背後から地鳴りのような低音の叫びが響いてきた。直後、眩い光と衝撃が、通路の中を駆け巡る。

 振り返らずとも、ワグナーがまた魔力を帯びた斬撃を放ったことが分かった。ヤンフィがこの分岐路に駆け込んでいなければ、背中に直撃していたかも知れない。煌夜は冷や汗を流した。

 しばらく、ヤンフィは分岐路をひたすら適当に進んで行った。曲がる際に判断などしていないだろう。直感で右へ左へ、迷宮の中を駆けて行く。ここまでグチャグチャに進んでしまっては、もはや戻ることさえ出来ないに違いない。

 やがて、全速で駆け続けた結果――だいたいの鬼ごっこがそうであるように、煌夜のなんとなく危惧していた不安が的中する。案の定と言えば案の定だが、道が途切れたのである。


(…………おい、ヤンフィ。どうするんだ?)


 目の前には、地獄まで続くような大穴が口を開けており、左右には扉の類もない。グルグル回って、どうやら入り口で見た大穴の場所までやってきてしまったらしい。上を見上げれば、かすかに外の明かりが見えた。タニアがいれば、空を飛んでここから入り口に向かえたかも知れないが、煌夜とヤンフィだけではそれは不可能だろう。ここはだいたい六階層、見る限り壁に足場などなかった。

 それでも煌夜は諦めずに、心の中で深呼吸してから、呆然と上を見上げているヤンフィに問い掛けた。


(なぁ、ヤンフィ。もしかして――ここから、外に出る方法とか、あるのか?)

(そんなものはない――妾本体だけならまだしも、煌夜の身体では空は飛べぬ)


 しかし、煌夜の一縷の望みは即答で絶たれる。ならどうするんだ、と声を荒げようとした時、だいぶ後方から恐怖の怒号が響いてきた。ヤンフィが当然の顔をして振り返ると、通路の先、曲がり角からほくそ笑むワグナーの姿が見えた。

 どうしてここまで迷わず追って来れるんだ、と煌夜が驚愕した時、ふと視線が足元に落ちる。そこには、煌夜の左腕から滴る血の跡がくっきりと残っていた。なるほど、道しるべがあるのならば迷いようがない。


(――マジかよ。死んだ? これ、詰んだ?)


 煌夜が絶望に頭を抱えた時、ヤンフィは折れ曲がった右手でワグナーの方を指して、信じられないくらいの大声を上げる。


「――妾は、タニアと合流した後、汝らの持つその装備と剣を頂くぞ。次に逢う時、それが汝らの命日じゃ」


 ヤンフィの宣言に、一瞬、通路は静まり返ったが、少し後、カハハ、と言う笑い声が返事をした。しかし笑われて当然でもある。ことここに至って、何を挑発しているのだろうか――煌夜はヤンフィの正気を疑う。

 さて、煌夜がヤンフィの正気を疑った時、ワグナーが大上段に大剣を構える。大剣には、溢れるほどの緑色の魔力が纏わり付いていた。


「……今までで最高、最大威力の斬撃じゃのぅ。直撃すれば、跡形も残らぬのぅ――」


 ヤンフィが苦笑交じりに呟いた。それは何だ、もう諦めているのだろうか。煌夜は、ふざけんな、と叫ぼうとして、直後に違う絶叫を上げる。


「――コウヤ。妾を信用しろ。生存確率は八割じゃ」


 ヤンフィは苦笑を不敵な笑みに変えて、タン、と軽い跳躍でもって後方へと跳んだ。その瞬間は、煌夜にとってスローモーションのように長い一瞬だった。後方は、底の見えない大穴である。

 そして次の瞬間、ワグナーから放たれた斬撃が通路を迸る。凄まじい衝撃と光が、深遠の闇のような大穴を明るく照らした。


 そんな光景を見上げながら、煌夜の身体は重力に従って、120階層と言われる【聖王の試練】の最下層へと自由落下していった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「んにゃ? コウヤ、どうし――にゃにゃにゃ!? コウヤっ!?」


 背後で煌夜が挙動不審な態度をしていたので、タニアはチラと視線を向けて、瞬間、ぞわりと全身の毛を逆立たせた。

 煌夜の頭上に、光を放つ魔法陣が浮かんでいたのだ。煌夜はそれに気付いていない。

 タニアは咄嗟に、身を挺して煌夜を庇う。あの魔法陣が何かは分からないが、自分であれば致命傷にはなりえないという自信があった。そしてそれは、まったくその通りであろう。


「――――にゃにゃ!? あ、これ……まさか、転移魔法陣、にゃ」


 煌夜を押し退けて魔法陣の光を浴びた時、タニアはこれが何の魔法陣が理解して、瞬時に後悔する。煌夜を助ける為の行動のつもりだったが、結果としてこれでは、逆に煌夜たちを危機に陥れかねない。


「マズイ――にゃ……」


 しかし、後悔は先に立たず、タニアの声も光に包まれた時点で誰にも届かない。タニアは拳を握り締めて、光が収まるのを待った。


 転移魔法陣は、迷宮ではかなりポピュラーな罠の一つである。どんな迷宮でも、必ず一度はお目にかかる罠だが、同時に最も厄介な罠でもある。

 この罠は展開されると、対象の人間をあらかじめ定められた地点まで強制転移させる。それも一方通行である。転移先は基本的に、同一迷宮内のどこかであり、そこには転移魔法陣はない。なので、魔法陣の位置まで戻ってくるには、迷宮を攻略して、自力でそこを見つける以外術はない。そして、転移魔法陣の転移は、魔力や魔術によっては取り消せない。


 さて、そんな転移魔法陣だが、転移先は常に決まっている。同じ転移魔法陣を使用すれば、誰であろうと同じ地点に転移される。さらに、転移先は、同一迷宮内のどこかであることも決まっている。つまり、迷宮が広くなければ、さして困る罠ではない。

 ところが、この【聖王の試練】の地下迷宮で言えば、最悪の罠に分類されるだろう。なにせ120階層まであり、全フロアを攻略した猛者はいまだ一人もいないのだ。しかも、今のタニアは地図を持っていない。どこに転移したかも分からず、道順を記す術もないときたら、最悪以外のなんでもないだろう。タニアは、にゃにゃにゃ、と耳を掻く。

 そうこうしていると、タニアの目の前が暗くなった。フッと身体を包んでいた光も消えて、ポテっと軽い音をして無様に尻餅をつく。サッと周囲を見れば、転移先は広い大部屋だった。


「…………にゃるほど。これは、むしろあちしが転移してきて良かったかも知れにゃいにゃぁ。まさかの魔族部屋にゃ」


 タニアはニヤリと口角を吊り上げてから、お尻についた埃や何やらを払いながら立ち上がった。すると、饐えた匂いや、肉が焦げたような異臭、吐き気を催すような悪臭が鼻を突いた。


 その大部屋には、無数の何かが蠢いていた。赤く鈍い瞳が、見渡す限り一面にある。明かりがなく暗い為、人型のそれが何者はよく見えないが、明らかに人族ではないことは明白だった。

 ソイツらは、立ち上がったタニアが女性体であることを認識すると、途端に、フグァルァアア――と、気持ちの悪い重低音の叫び声を上げた。同時に鼻息が荒くなり、生ゴミのような臭いも漂い始める。


「にゃははは――オークの群れが巣食う部屋に転移にゃんて、最悪にゃあ、お互いに」


 タニアはそう言って、スッと身体を半身に構える。それを合図にしたように、暗闇からソイツが凄まじい速さで突撃してきた。

 それは、豚顔をした小太りの人型魔族【オーク】である。身長は1メートル30センチほど、基本的に小柄でずんぐりむっくりした体型をしており、人間の鎧を身につけて、武器と魔術を行使する厄介な魔族である。知性はほとんどないが、性欲が異常に強く、人型の女性体であればどんな種族だろうと犯そうとする性質がある。そして常に集団で行動する魔族で、一匹一匹でさえ中々に手強い。それ故に、オークはBランクに属する魔族である。

 とはいえど、タニアが相手ではただの雑魚に他ならない。どれほど数が居ようとも、烏合の衆に違いない。

 タニアは笑いながら、突撃してきたオークの剣を右ストレートで圧し折った。ついでにそのまま顔面を貫き、一撃でその豚顔を文字通り爆砕する。返り血が身体に付くが、そんなのは気にしない。

 フグッゥウ――と、周りのオークが何やら警戒した風な声を上げる。それを聞きながら、タニアは肩を回して首を鳴らす。息抜きするには、ちょうど良い数だろう。


「さて、と。チャッチャと全滅させて、早くコウヤたちに合流しにゃいとにゃ――――あ?」


 タニアが周囲のオークたちにギラリと殺気を向けた時、ボタ、と重い何かが落ちてくる音がした。タニアのすぐ後ろ、壁際からしたその音に、嫌な予感をさせつつ振り返る。

 果たしてそこには――煌夜が背負っていた若い冒険者が倒れていた。


「にゃにゃにゃにゃ!? にゃんで、コイツまで来るにゃ? あちしが転移した直後に、にゃんか極大魔術でも展開したのかにゃ?」


 タニアは動転した様子で、意識のない冒険者に駆け寄った。その一瞬を好機とばかりに、周囲を囲んでいたオークが一斉にタニアに殺到する。

 或る者は大剣を振り被り、或る者は大槌を振り回し、或る者は弓矢の雨を、或る者は炎の下級魔術を――各々好き勝手、しかし同時にタニアを攻撃する。それをチラリと流し見て、タニアはつまらなそうに息を吐いた。


「雑魚にゃ――――『その苛烈を示せ、【炎竜えんりゅう】』」


 そのあまりにも短い簡易詠唱は、直後の爆音で掻き消された。暗かった大部屋に、突如として炎の柱が幾つも立ち上ったのである。

 炎の柱は辺り一面に紅蓮の火種をばら撒いて、一瞬のうちにオークたちを火達磨にする。また同時に、何本かの炎の柱が揺らめき踊り、竜の形を成して部屋中を蹂躙する。何体かのオークが、次々と焦げながら宙を舞う。


 ――その光景は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


 豚顔をした人型のオークたちは躍起になり、こぞって炎の柱から逃げようと、一つしかない出口へと殺到していく。しかし、それを嘲笑うように、炎の竜が、その巨大なあぎとを開けて、出口に群がるオークたちを一口に飲み込んだ。竜の体の中で、オークたちは絶叫しながら丸焦げにされる。気持ち悪い絶叫がそこかしこから上がり、焦げ臭い腐臭が大部屋の中を充満した。こうなるともはや、タニアを襲おうと考えるオークはただの一体もいなかった。

 タニアはそんな当然の結末など見届けずに、気絶している冒険者の頬をグーで殴る。その一撃でまた気絶しそうなほどの衝撃だが、気にせず起きるまでぶん殴り続ける。死んだら死んだで、部屋の隅で荼毘に付そう、とタニアは考えていた。


「……うっ……あぁ……ぐっ――」

「あ、起きたかにゃ?」


 何度目かのグーパンチで、ようやく冒険者は気が付いた。けれど、直後の一撃で、呼吸困難になってむせ返っている。その様にタニアは、うんうん、と頷いて、パチンと指を大きく鳴らした。それは大部屋の魔族を一掃する合図である。

 雷鳴のような轟音が炎の竜から発せられた。直後、幾つも立ち上っていた炎の柱が全て竜に収束して、竜は一つの巨大な竜巻となり、部屋の中を縦横無尽に駆け巡り始める。炎の竜巻は、焼き豚になっているオークたちの死骸を飲み込み、掃除機のように部屋中を一掃した。

 狩り残しがないかをチラッと確認してから、タニアは満足げに頷いて、右手を竜巻に向けると再び簡易詠唱する。


「これで、おしまいにゃ、と――『その覇を示せ、【暴風ぼうふう】』」


 タニアの右手から放たれるのは、鎌鼬を纏う竜巻だった。それは、部屋を暴れ回る炎と同じくらい巨大で、まさにハリケーンと形容しても過言ではない。その風圧で床を捲り上げながら、ゴウゴウと轟き、炎にぶつかる。

 炎と風の魔術は互いに互いを喰らいあって、やがて収束して霧散した。タニアはそれを見て、今回も上手くいったにゃ、と微笑んだ。

 ちなみにこれは余談だが、タニアは今、自分の攻撃魔術を消す為に同程度の威力の魔術を展開して相殺させた。だが普通、攻撃魔術に限らず、魔術全般は、術者が任意に解除出来るはずである。わざわざこんな手間をすることはないのだ――ないのだが、タニアは解除する方法を知らない。そも解除する必要を感じていないので、いつも魔術を消す時は、こうして相殺させているのである。

 さて、そうして大部屋に静寂が戻ると、しばらくして若い冒険者の意識がはっきりとした。タニアはその場に胡坐を掻き、その若い冒険者――ウェスタに向かい合う。


「……う、うん? あ、え? 獣、獣人――ガルム族!? え? あれ? 俺……どうして、ここに? ミレイは? 師匠は?」

「落ち着くにゃ。お前は、骸骨兵と戦ってて、死ぬとこだったにゃ。それをあちしと、あちしのパーティのリーダーが助けたにゃ――ウェスタ・キュプロス、二十歳、にゃ? あちしが命の恩人にゃ。にゃので、恩を返すにゃ」

「――なっ!? 何故、俺の名前を――え? アンタ、何者だ? いや、え? 助け、て、くれた……? どういうこと、だ?」


 タニアに名前を言い当てられて、それでなくともいきなり知らない獣族が目の前にいて、ウェスタはただただ困惑していた。タニアはその様を苦笑しながら、仕方にゃいにゃ、と頷いて、面倒だが事情を説明することにした。


「……まず、あちしは、タニアにゃ。タニア様と呼ぶにゃ。で、どうしてお前の名前が分かるかって言うと、あちしは【鑑定の魔眼】を持ってるにゃ。にゃので、お前――ウェスタの名前と年齢が分かるにゃ。さて、それでにゃ。お前が意識を失った後の事を教えるにゃ――」


 神妙な顔でタニアの言葉に聞き入るウェスタに、タニアは今の状況を掻い摘んで説明する。


 煌夜たちと逸れてしまった今、タニアは一刻も早く煌夜たちと合流を目指さなければならないのだ。その為に、利用できそうな駒は何でも使う。それがタニアと言う女の性格である。

 ウェスタが使えるか使えないかはまだ分からないが、地図の一つでも持っていれば僥倖だし、いざと言う時の盾くらいには使えるに違いない。

 あわよくば、その財産を奪っても良いな、と下衆な思考をしつつ、タニアはウェスタに説明を続けた。



※キャラクターデータは別枠でまとめております。

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