第三十一話 救出の代価
「ここの料理、スッゴイ美味かったにゃ…………さて、それじゃ、これからどうするにゃ?」
部屋に戻ってきて、開口一番タニアが口にしたのは、そんな台詞だった。煌夜はとりあえず奥のベッドに座って、狭い通路で胡座をかいているタニアと向かい合う。
二人がいる部屋は、存外狭かった。18平方メートルほどのツインルームである。内装は綺麗で、いかにもビジネスホテル風の間取りで、一見するとここが異世界だとは到底思えない。
だがしかし、当然ながらテレビはなかった。
ちなみにツインベッドが結構大きめなので、通路はその分狭くなっている。
タニアはその狭い通路に胡坐を掻いて、ベッドに腰を下ろした煌夜に顔を向けている。
「……どうするって、とりあえず二時間ほど休憩してから、子供攫いの共犯者たちを探しに行くんじゃないのか?」
煌夜は、先ほどの食事中に三人で決めたはずの今日の予定を口にする。同時に、タニアも賛同してたよな、と怪訝な顔で首を傾げた。
しかしタニアは、そうだけど違うにゃ、と首を横に振る。
「二時間の休憩中に、何をするかってことにゃ。ここで寝るのかにゃ? それとも、あちしを犯すかにゃ?」
その台詞はドストレートでずいぶんと軽く聞こえるが、しなを作って見せるその表情は、思わず赤面するほどに魅惑的だ。さりげなく胸を強調する仕草もまた艶やかである。
だが、そんな誘惑に乗る煌夜ではない。一瞬思考を停止させてしまうが、すぐさま頭を振って、ビシッとタニアの頭をチョップした。
にゃん、と可愛らしい声が上がる。
「誰が犯すか、馬鹿かっつうの! まぁ、でもそっか、やることがないか……喰った後すぐ寝るのもアレだし、そもそも眠くないしな」
タニアをどついてから、煌夜は悩ましげに頭を掻く。確かに二時間ほどの休憩時間を取ったはいいが、やることがない。
今はそれほど疲れを感じてはいないし、眠気もない。となると、魔動列車でもそうしたが、タニアにこの世界の常識を教えてもらう時間にするか――と、煌夜が考えた時、タニアが恥ずかしげにはにかんだ。
「にゃあ、コウヤ。にゃら、あちしと散歩しにゃいか? ちょっと行って見たいとこがあるにゃ」
「――散歩? ああ、まあ、観光か……そうだな。それもありか」
タニアの言葉に、煌夜はしばし考えてから頷いた。ちょうどいい気分転換になるだろう。それにこの街は、観光の名所だという。せっかくだから、堪能すべきだ。
煌夜は、よし、と立ち上がって、グッと伸びをする。その返事にタニアは嬉しそうに、にゃにゃにゃ、と声を上げる。
「せっかくだから、セレナも誘うか?」
「――それは断るにゃ。セレナはほっとくにゃ。と言うか、この休憩がそもそもアイツの発案にゃ。セレナは休ませておくにゃ」
「あ、ああ、それもそっか……」
そうだ、と妙案を思いついたように煌夜が手を叩く。しかし、それはタニアに、即座に拒絶された。そのあまりの勢いと口調に、煌夜はたじろいで納得するしかない。
そういえば、二人は仲が悪いのだろうか。ふと煌夜は疑問を持った。
「――なぁそういやさ、なんでタニアはセレナと一緒の部屋が嫌なんだ? そんな仲が悪そうに見えないけど」
「にゃ? にゃにゃにゃ? んー、にゃんか、纏う空気感が嫌にゃ、気に食わにゃい。二人っきりだと、息がつまるにゃ。かといって、別に毛嫌いしてるってことじゃにゃいにゃ……にゃんでかにゃあ?」
タニアはそう言って複雑そうな顔を浮かべる。自分でも、どうしてなのか具体的理由が見つからない様子だ。しかし、それは一番厄介な関係性とも言える。
つまりは、生理的に合わないのだろう。改善するのは非常に難しい。
とはいえ、タニアの方に露骨な嫌悪感、悪意がないのは救いだった。これからどれくらい一緒に居るかは分からないが、当分は一緒に旅する仲間である。ギスギスとした空気で旅などしたくはない。
「まぁ、そんにゃことはいいにゃ。さぁ、サクッと散歩するにゃ。時間は有限にゃ」
タニアは煌夜の腕をぐいと引いて、早く早く、と催促する。煌夜は、分かった分かった、と子供をあやすように頷きながら、腕に当たる胸の感触を味わいつつ廊下に出た。すると、ちょうど同じタイミングで、隣の部屋のドアが開かれて、セレナが姿を現した。
示し合わせたかのようにバッタリと顔を会わせたセレナは、怪訝な顔で口を開いた。
「…………何か用? あたし、これから街を観光したいんだけど? 今は、二時間の休憩中でしょ? 自由にさせてよ」
セレナはつっけんどんにそう告げるが、それは煌夜たちとほぼほぼ同じ理由だった。その理由を聞いて、傍らのタニアは非常に難しい顔をして、なんとも言えず沈黙している。
それを見て、セレナが煌夜に話を振る。
「ねぇ、コウヤ。さっき食堂で話したでしょ? 急ぎたい気持ちは分かるけど、休むことも大事よ。魔動列車の中でも休めたとはいえ、移動でただ乗ってるだけってのも結構疲れるでしょ?」
セレナのそれは、何とか煌夜を説得して自由時間を獲得しようと言う魂胆が透けて見えていた。どうやらセレナは、勘違いしているようである。煌夜たちが先を急ぎたいが故に、休憩時間を返上して誘いに来たと思っているようだった。
よほど観光に行きたいのだろう。煌夜は苦笑しながら、首を振って否定する。
「――いや、その、セレナ。俺らは別に、セレナに用があったわけじゃなくてさ。タニアに誘われて、これから散歩しに行くだけだよ」
「そうにゃ! あちしたちは、セレナに用にゃんてにゃいにゃ! 自意識過剰じゃにゃいか? にゃにゃ……というか、偶然を装って、あちしたちの後に付いてこようとするにゃよ!?」
煌夜の言葉に続いて、猛烈な勢いでタニアがまくし立てる。若干、その顔は赤らんで恥ずかしそうだった。
その台詞を聞いて、セレナは面食らった表情になる。え、と口をポカンと開けてから、すぐにハッとして慌てた様子であたふたする。
勘違いしていたことに気付いて、照れているようだ。
「じ、自意識過剰、って……ち、違うわよ。いや、ってか、アンタたちの後を付けるなんて、するわけないでしょ?! くっ……ぎゃ、逆に、アンタたち、あたしの後を付いてこないでよ?」
「――行くわけにゃいにゃ」
「そ。じゃあ、あたしはもう行くわ――二時間後に、この宿屋の入り口に集合よ?」
セレナはそう捨て台詞を残して、サッサと階段を下りて行った。
一緒に行動する気はサラサラない態度だ。だが、それはタニアも同様で、タニアはその全身から、サッサと消えろ、と無言の圧力を放っている。
タニアは、セレナが完全に見えなくなるまで、しばし廊下で煌夜にくっついたまま動かない。
煌夜はそんな二人を見て、なんだかんだと二人とも似たような思考だな、と思う。結構、気が合うのじゃないか、とも思った。
いや、だからこそ気に食わないのかも知れないが――
(……コウヤよ。もし時間が許すのならば、この街で鍛冶屋や武具屋に寄りたいが、どうじゃ?)
そろそろかにゃ、とタニアが煌夜の腕を引いた時、心の中でヤンフィがおずおずと口にする。
その台詞に思わず苦笑してから、ああ、と小さく頷いて、タニアに促されるまま散歩に向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
外は快晴――太陽は頂点に差し掛かった頃合で、時刻にすると十二時を少し回ったところだろう。いかにも散歩日和である。
タニアは軽やかなステップでもって、煌夜と腕を組みながら街の中心部へと向かっていた。
クダラークの舗装された道路は、緩やかな円状で街を通っており、また、どこから見ても美しい聖王湖の景観が望めた。湖からは清涼で爽やかな風が吹いており、食後の散歩に最適であろう。
煌夜はずいぶんと久しぶりに、心穏やかな気分を過ごしていた。
「なぁ、タニア。何処に向かってるんだ? どっか目的地でもあるのか?」
楽しそうに歩くタニアの背中に、煌夜はそう問い掛けた。タニアはチラと振り返ってから、にゃにゃ、と街の中心に聳え立つ塔のような建物を指差す。
やはりアレか、とその目立っていた謎の建造物に煌夜が視線を向けると、すかさず説明をしてくれる。
「あそこに見える塔のような建物――【クダラークの尖塔】は、その頂上から聖王湖の全景が見渡せるにゃ。街を縦断する【湖の大橋】や、遠くに見えるオーガ山岳の雄大な山並み、西域最大の大樹海も見えるにゃ。この街で有名にゃ観光名所の一つにゃ」
タニアの説明に、へぇ、と煌夜は感心した声を上げる。同時に、ああやはりこれは散歩のついでの観光か、と納得もする。たまには、こういう息抜きも必要だな、と煌夜も気持ちを切り替えて楽しむことにした。
そうしてしばらく、穏やかな日差しの中、気持ちの良い風を全身に受けつつ、美しい街並を眺めて歩いた。
徐々に塔の姿が近付いてくるのを見て、ふと煌夜は、ヤンフィのお願いを思い出す。
「あ、そうだ。ちなみに、タニア。ヤンフィが、鍛冶屋か武具屋に寄りたいって言ってたんだが……どこにあるかな? 寄ってもいいか?」
「にゃにゃ? 鍛冶屋か武具屋、にゃ? あるとは思うにゃ……けど、どこかは、知らにゃいにゃ」
煌夜の問いに、タニアは困惑半分、悲しみ半分の表情で、申し訳なさそうに首を振る。そしてふいに立ち止まると、眉根を寄せて考え込み、にゃあ、と一声鳴いてから、問い返してきた。
「……鍛冶屋、探すにゃ? おそらく、その手の店は、魔動列車の乗り場近くにあるはずにゃ。ここから先には、にゃいと思うにゃ。にゃので、鍛冶屋か武具屋に行きたいにゃら、戻るしかにゃいにゃ。どうするにゃ?」
(――ならば、後でよい。妾は別段、用事があるわけではない。どうせ冷やかしじゃ。コウヤよ、タニアにそう伝えよ」
タニアの台詞に、ヤンフィはすかさず返答した。それを煌夜は、そのままタニアに伝える。
「あ、と……いや。そういうことなら、急がないから、後でいいってさ。用事があるわけでもないって」
「本当にゃ? 後で良いにゃ? ヤンフィ様、それで大丈夫にゃ?」
(くどい――コウヤとのひととき、存分に楽しむが良い)
「――あー、大丈夫だってさ。気にせず、散歩してくれって」
即答するヤンフィの言葉を、煌夜はタニアに通訳する。すると、タニアは一瞬だけ申し訳なさそうに頭を下げてから、にゃらちょっと急ぐにゃ、と煌夜の腕をグッと引いた。むにっと腕に潰される胸の温かさに、煌夜はなんとも言えぬ複雑な表情になる。
ちなみに、その甘美な感触に抗えないこともあるが、それ以上に物理的な腕力の問題で、タニアの腕は振り払えない。
そんな調子で、ほどなく二人は、目的地の観光名所【クダラークの尖塔】に辿り着いた。
そこは小高い丘のようになっており、遠目から見ても一目瞭然だったが、街の中で一番高い位置に存在していた。
塔の頂上に行くまでもなく、ちょうど街の景色が見下ろせる。
「凄く混んでるにゃあ……鬱陶しいにゃ」
タニアが忌々しげな声で呟く。その言葉に、煌夜も心の底から賛同した。
やはり異世界だろうと関係なく、観光名所とは混雑するものであるらしい。その塔には、かなりの数の観光客が集まっていた。とは言っても、例えば初日の出に訪れた神社のような凄まじい混みではなく、夏祭りの人込みのような混雑である。
人が多いのはさることながら、それ以上にごちゃごちゃしている印象だ。
塔の入り口は開かれているが、二人分の広さしかなく、出る人間と入る人間で交互に道を譲っているような状態だった。そのせいで塔には列が成しており、パッと見た限りでは人が減る気配はない。
煌夜は塔を見上げて、残念な気持ちになった。
登ってみたいなとは思うが、それまで悠長に列で待っている余裕はない。
「……チッ――仕方にゃいにゃ。ここは諦めるにゃ」
煌夜が塔を見上げるのと同じように、タニアも塔を見上げてから、舌打ちしてから踵を返した。グイっとまた強く腕が引かれる。
「――まぁ、上からの景色が見れないのは残念だったけど、ここからの景色でも充分、目の保養になるよ。それに、結構気分転換にもなるし」
煌夜は腕を引かれるがまま隣に並んで、苛立っているタニアにそんなフォローを入れた。ただそれは本音でもある。別に観光をしに来たわけではないので、この美しい景色を見ながらの散歩で充分心は癒されていた。
「安心するにゃ、コウヤ。あちしが本当に案内したいのは、もう一つあるにゃ。そして、そこは絶対に混んでにゃいにゃ」
ところが、煌夜が現状に満足したとき、タニアがニヤリとほくそ笑んだ。その顔はどこか、会心の悪戯を思いついた時の、虎太朗の笑い顔にも似ている。
少しだけ不安になる顔だ。
「……どこに行くんだ?」
「この街の一番の観光名所で、冒険者たちが集まる理由の場所にゃ。ギルドでも説明されたにゃ? 有名にゃ【聖王の試練】を見に行くにゃ」
タニアはそう言って、ズンズンと街を進んでいく。初めて来たとは思えないほど、その足取りは自信に満ちている。煌夜はそれに従って、一緒に街を歩いていった。
塔を中心にグルリと反対側に回りこむ形で歩いて、ほどなくすると、巨大なドーム状の石造りの建物が見えてくる。
そこは、野球場ほどの広さをした空き地で、その中心部に、雪で作ったカマクラみたいな形状をした石造りの建造物が鎮座していた。その周りには、いかにも厳つい装備をした戦士が何人か、たむろっている。
タニアはそこの入り口に、迷わず進んでいく。
そんな煌夜とタニアを見て、周囲の戦士たちは明らかに怪訝な表情を浮かべていた。しかし、それもそうだろう。二人の装備は、冒険者にしては、かなりの軽装だ。それも腕など組んで、まるでデートの雰囲気である。あまりにも場違いだった。
とはいえ、そんな違和感はどこ吹く風と、タニアに連れられるまま、煌夜はカマクラの入り口に足を踏み入れた。
「――――なっ!?」
「にゃにゃにゃぁ――これが、有名にゃ【聖王の試練】かにゃ……」
入った瞬間、煌夜はその光景に絶句する。タニアも興奮気味に目を見開いていた。
そこにあったのは、地獄の穴と言っても過言ではないくらいに、底なしの暗闇、巨大な大穴が口を開けていた。
大穴はその周囲を柵で覆われており、穴を挟んで向こう側には、もう一つの入り口が見えた。その入り口は、こちらより一階分低い位置になっている。
「……あそこから先に、地下迷宮があるらしいにゃ」
タニアは言いながら、一階分低くなっている向こう側の入り口を指差す。すると、ちょうどそこから、冒険者と思しき人間が一人、傷だらけの姿で足を引き摺りながら現れた。
「地下120階層――攻略難度Cランク。それがこの【聖王の試練】にゃ」
タニアは大穴を見下ろしながら、どこか嬉しそうな声で言う。
一方でその冒険者は、大穴に沿って左右に伸びる通路を駆けて、逃げるようにこちらの入り口に戻ってくる。そして、煌夜たちの脇から外に出て行った。
ツンと、血の匂いが漂う。
「にゃあ、コウヤ。ちょっと行ってみにゃいか? 入り口付近にゃら、ほとんど魔族にゃんて出てこにゃいから、危険は少にゃいにゃ」
タニアは言うと、煌夜の返事を待たずに、既に歩き出していた。煌夜は強引に腕を引かれて、仕方なく付き従う。
とはいえ、そもそも拒否するつもりはないので、文句も言わない。
「なぁ、タニア。ちなみに、地下迷宮の入り口って、ここ以外には他にないのか?」
反対側の入り口に到達して、そこから奥に伸びる暗闇の洞窟を覗き込みながら、煌夜は首を傾げた。するとタニアは、にゃにゃ、と首を振って、背後の大穴に振り返る。
「あの大穴に飛び込めば、直通で最下層の120階層に着くにゃ」
ケロリとそんなことをのたまうタニアに、煌夜は思わず絶句である。
それを入り口とは、決して言わない。ああそう、と曖昧に頷いてから、目の前に広がる暗い通路に足を踏み入れた。
明かりのない通路は、しかしすぐに開けて、真っ白いホールのような空間に出た。
そこには、十数人の冒険者たちが集まって、何やらワイワイガヤガヤ騒いでいる。
「――――え!? なっ、コウヤ!?」
そのホールに入った時、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。見れば、むさ苦しい冒険者たちの中で、明らかに浮いた存在がいる。
浅黒い肌をした重装備の男性の冒険者ばかりの中に、碧色をしたお洒落なロングスカートのワンピース、深緑のケープを羽織って、白く透明感のある肩と背中を晒した美女である。腰には木の杖を吊るしており、周りの男性よりも頭一つ分以上背の低い小柄なその美女は、鮮やかな翠色の髪をサイドテールにしている――見間違えようもない。
そこに立っていたのは、つい先ほどまで一緒にいたセレナだった。なるほど、向こうも観光地巡りでここに至ったらしい。
セレナは心底驚いた表情で、一方それを見つめるタニアは、形容し難い不愉快そうな顔を浮かべていた。
互いに同じ観光地、しかも20キロ四方程度の場所を巡っていれば、必然どこかで出会うのは自明の理だ。修学旅行で別の班と偶然顔を合わすのは、ありきたりのイベントである。
煌夜は睨み合う二人の間に入って、何事もないように口を開いた。
「ここって、どうなってんの? なんか向こうに受付みたいのあるけど、地下迷宮の入り口にしては小綺麗で広いよな?」
その問いは、セレナとタニアの二人に向けていた。話しながらフロアを見渡すが、ここはただただ広い箱のような部屋で、迷宮への入り口と言われても違和感しかない。
「――ここは受付よ。聖王の試練への入り口は、この奥。この受付では、時空魔術で作った帰還の門を販売しているみたいね」
煌夜の問いに答えたのは、セレナである。セレナは諦めたように息を吐いてから、説明しながら煌夜たちに近づいてくる。
「帰還の門は――説明によると、この地下迷宮内限定だけど、どの階層からでも、この受付に戻ってこれる魔術らしいわ。深い階層に潜るには、必須道具なんですって……」
「セレナ、お前にゃんでここにいるにゃ」
セレナの説明に、タニアはドスの利いた低音で威圧した。思わず隣にいる煌夜が震えるほどの冷気も放たれている。
しかし、セレナにはどこ吹く風のようだ。あまり気にした風もなく、平然と反論した。
「今更だし、私の台詞よ、それ。はぁ……でも、この街を観光しようと思ったら、そりゃここにくるに決まってるわよね」
「……せっかくコウヤと二人っきりだったのに、お前、邪魔しすぎにゃ」
「邪魔してなんてないでしょ。あたしだって、タニアと遭遇したくなんてなかったわよ」
剣呑な雰囲気で向かい合う二人を、煌夜はとりあえず仲裁する。
「はいはい、いいからいいから。今は休憩時間だろ。偶然会ったのなんて気にせず、お互いに好きに振る舞おう。で、どうせなら、一緒に行動するか?」
「――ヤにゃ!」
「――嫌よ」
煌夜のおどけた態度に、しかしタニアとセレナは即答でハモりながら拒否した。それほど気が合ってるなら一緒に行動した方が効率的だろうに、なんとも互いに面倒な性格である。
「まあ、いいわ――あたしは、ちょっとこの地下迷宮に潜ろうと思うんだけど、まさかコウヤたちも来る気じゃないでしょうね?」
セレナは顔見知りと会ったから一応声を掛けた体で、すぐさま煌夜たちから離れて、受付に向かっていく。その背中に、タニアは強い口調で声を張り上げた。
「あちしたちは、二人っきりの散歩中にゃ。わざわざ、無粋にゃ迷宮ににゃんて入らにゃいにゃ。セレナにゃら大丈夫とは思うけど、油断して時間に遅れるにゃよ!」
「余計なお世話よ。と言うか、アンタも遅れないでよ?」
「馬鹿にするにゃよ。そんにゃの当然にゃ」
お互いにそんな捨て台詞を吐くと、タニアは煌夜の腕を再びぐいっと引いて、来た道を戻り始める。
「……次は、クダラークの歓楽街、オークション会場に向かうにゃ。そこも見どころあるって聞くにゃ。そしたら、武具屋と鍛冶屋に寄るにゃ」
タニアはそんな風にこれからの予定を呟いて、煌夜を次の目的地へと誘う。
心の中ではヤンフィが、凄く楽しそうに笑い声を上げていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
予定よりだいぶ遅れて宿屋の入り口に戻ってくると、当然ながらセレナは手持ち無沙汰で待っていた。その顔はかなり苛立っている。立ち上る怒りが湯気のように見えた。
煌夜は申し訳なさで心の中が一杯になる。しかし、タニアはまるで気にした様子もなく、平然と合流した。
「よし、セレナ、ちゃんと居るにゃ――にゃら、これで自由時間は終わりにゃ」
タニアは、よし行くにゃ、と笑顔で煌夜に親指を立てる。その態度を見て、セレナは目頭を押さえながら、ギリギリと奥歯を噛み締めて、抑えた声で苦情を口にした。
「……ねぇ、タニア、コウヤ。まずあたしに謝るべきじゃないの? 遅れるにしても、待たせすぎでしょ?」
「にゃにゃにゃ? 言うほど、待たせてにゃいにゃ――セレナが早かっただけにゃ」
「どこがよ! 約束は二時間で、もうそろそろ三時間経つわよ!? 十分、二十分ならまだしも、一時間の遅刻は、さすがに容認できないわよ!」
「細かいにゃぁ……まぁ、でもそれは、仕方にゃいにゃ。あちしたちは、先回りして色々動いてたにゃ」
セレナと違って、とタニアは強調してから、にゃあ、と煌夜に同意を促す。そんな挑発的な態度に、セレナは怒りのボルテージを上げた。煌夜は慌てて頭を下げる。
「ごめん! 本当に申し訳ない! ちょっと……その……奴隷市場で、攫われた子供たちを助けてて……」
「……はぁ。いいわよ、コウヤ。分かったわ――分かってるわよ、獣族が時間に適当ってことくらい。でも、こうなるんだったら、もっと潜ってても良かったわね。せっかく奇跡的に良い鉱脈を発見出来たのに……」
煌夜の謝罪に、セレナは大きく溜息を吐いて、けれどすぐさま怒りの矛先を収めてくれた。とはいえその態度は、我慢したと言うよりは、言うだけ無駄だと諦めた様子だ。
一方、そんなセレナにタニアはまるで悪びれもせず、踵を返して歩き出す。
「――で? 子供たちを助けた、って言ったけど……アンタたちはいったい何をしてたの?」
来た道を戻る先導役のタニアに、セレナが棘のある問いを投げる。それには、タニアではなく煌夜が答えた。
「ああ。攫われた子供たちがちょうど、見つかってさ――その子たちを、救出してたんだよ」
煌夜は語りながら少し前の光景を思い出して、子供たちを無事に助けられて良かった、と満足げに頷いた。
煌夜とタニアはセレナとの遭遇の後、東京ドームみたいな形状をしたオークション会場を見物して、それからヤンフィの要望通りに武具屋と鍛冶屋に寄った。
武具屋では結局、色々な買い物をしてそれなりに時間を潰したが、それでもまだ一時間近く余裕があった。なので、奴隷市場を見ておこうという展開になり、奴隷市場へと向かった。するとタイミング良く、奴隷市場では大きな競りが行われていたのだ。
奴隷市では、自称クダラーク最大の奴隷商人を名乗る一団が、昨日仕入れたばかりの奴隷、と喧伝しながら十一人の子供たちを競りに出していた。
そんな光景を目の当たりにした煌夜は、すぐさまヤンフィの力を借りると、タニアと協力してその競りを潰すことにする。
その際に運良く、子供たちを卸した【子供攫い】の手下たちも居て、その場の奴隷商人と併せて、軒並みタニアが、文字通り五体を吹き飛ばした。
煌夜はそんなタニアの暴れている隙に、手錠と鎖で繋がれた少年少女たちをその場から連れ出す。
その後、奴隷市場は見事に全壊して、クダラークの自警団が集結する事態になったが、煌夜とタニアは子供たちを連れて逃げ果せた。
さてそこで、とりあえず後先考えずに助け出した子供たちをどうするかで悩み、歓楽街の片隅にあった治癒魔術院に保証金を払って一時的に預かってもらっている。
それから、セレナと合流すべく宿屋まで戻ってきたのである。
そこまで煌夜が説明すると、セレナは心底呆れたと言わんばかりの顔で、煌夜とタニアを交互に眺めてから長く溜息を漏らした。
そうこうしているうちに、治癒魔術院まで辿り着く。
「あら? 本当に早いわね――どうぞ、こっちよ」
治癒魔術院に入ると、受付にいた女性が笑顔で立ち上がり、奥の部屋に案内してくれる。
彼女は、先ほど子供たちを連れてきた時に、人一倍子供たちを心配してくれた親切な女性だった。煌夜を先頭に、タニア、セレナと、彼女に従って奥に進んでいく。
女性に案内されたのは、一階の奥にある大部屋だった。
見るからに病室のような間取りをした部屋で、清潔なベッドが八床あった。だが、患者らしき人は居らず、子供たちだけがそこにいる。十一人の子供たちは各々、素肌の上に毛布を被ってベッドに座っていた。
子供たちは現れた煌夜たち――と言うか、タニアを見て、その顔に恐怖の色を浮かべる。タニアはそれに気付いて、不愉快そうに眉根を寄せた。
「だいぶ憔悴していたから、とりあえずスープを配ってるわ。毛布はサービスよ。一応、保証金の範囲でまだ預かれるけど、どうするの?」
女性は子供たちを見ながら、煌夜に向かって首を傾げた。煌夜は渋い顔を浮かべて、タニア、セレナと順繰りに視線を送る。
「俺は――この子たちを、自分たちの家に帰してあげたい……けど、どうやって帰すのか、それが問題で……」
「この中に、コウヤの弟妹は、いにゃかったにゃ。にゃので、あちしとしては、最後まで面倒を見る義理にゃんてにゃいと思ってるにゃ。だいたい、コイツらを助けるついでに、この街の奴隷市場は完全破壊してるにゃ。当分、奴隷市場が再開されることはにゃいと思うにゃ。にゃので、すぐまた奴隷として売られることはにゃいはずにゃ」
煌夜の発言をタニアは真っ向から否定して、腕を組んでいるセレナに、どう思うにゃ、と問い掛ける。タニアの発言は非常にドライだが、合理的でもある。
そもそも、本来なら助からないはずのところが助かったのだ。当人たちにとって見れば、それだけでも望外の僥倖に違いない。
けれど、助けたならば、中途半端など意味がないとも煌夜は思う――というか、少なくとも煌夜は、まだ年端も行かない子供たちを見捨てることなんて出来なかった。
セレナはタニアの言葉に、ふぅ、と重い溜息を吐いてから、無感情な瞳で子供たちを一瞥する。その冷たい視線に、子供たちは皆、ビクついて身体を縮こませた。
「あたしも、タニアの意見と同じね。だけど、リーダーはコウヤよ。コウヤがしたいようにすれば良いと思うわ。あたしは、それに従う――ちなみに、ヤンフィ様は何て言ってるの?」
「――ヤンフィは……その、まぁ……セレナと同じ意見、かな」
「へぇ――コウヤのしたいようにすれば良いって?」
少し意外そうな顔をして、セレナは問い返してきた。煌夜はそれに頷いて、申し訳なさそうに目を伏せる。すると、首を傾げていた女性が、おずおずと挙手して提案した。
「あの、ちょっといいかしら? ここは宿屋じゃないから、本来なら保証金があろうと、滞在はお断りなんだけど……もし、この子たちが、治癒術師を目指したいって言うなら、相応の入学金を頂ければ、治癒術師専用の寮で保護することも出来るわよ。勿論、その際は、ちゃんと勉強して、立派な治癒術師を目指してもらうけど」
女性は言いながら、優しい笑顔で子供たちを一瞥する。子供たちはその意味を理解できておらず、皆きょとんとした顔をしていた。
タニアは、それにゃ、と力強く親指を立てて煌夜を見た。同様に、セレナも、それね、と賛同する。
「にゃぁ、コウヤ。あちしは、そこまでする義理はにゃいと思うけど、コウヤがこの子たちを助けたい気持ちは分かるにゃ。見捨てられにゃいのも、理解できるにゃ。にゃけど、こんな大人数の足手まといを連れて、行動することにゃんて不可能にゃ。にゃので、一旦、ここに預けるのが最良にゃ」
「――あたしも賛成よ。まぁ、正直、子供だろうと赤の他人を助ける為に、手持ちの所持金を使うのもどうかと思うけど……」
二人の言葉に、煌夜は女性に向き直って、一つ質問をする。
「その……治癒術師ってのは、誰でもなれるモノなんですか?」
「ええ――治癒術師の素養は、小さい頃からの鍛錬で身に付くと言われてるわ。だからむしろ、この子たちくらいから訓練すれば、優秀な治癒術師が現れるかも知れないわね」
女性の即答に、煌夜は神妙な顔をして、子供たちの顔を一人一人見ていく。彼ら、彼女らは、煌夜たちが何の話をしているか理解していなかった。
「…………なぁ、みんな。みんなは、家に帰りたいか?」
煌夜は跪いて目線の高さを子供たちに合わせると、全員に対してそんな質問をする。子供たちは即座に、誰一人例外なく力強く頷いた。
しかしそれは当然だろう。どこで攫われたかは分からないが、気付けば見知らぬ街で捕らわれているのだ。帰りたいに決まっている。
「みんな、自分の家がどこにあるか、分かるかい?」
優しい声で重ねて問い掛ける煌夜に、子供たちは口々に街の名前を答えた。それは、アベリンであり、ベクラルであり、聞いたことのない場所だったりした。
だが、どこから来たか分からない子供は一人もいない。煌夜は、うん、と力強く頷いて、タニアに確認する。
「なぁ、タニア。この子たちが今言った場所って、アベリンに戻る途中に全部あるか?」
「……全部、聖王行路沿いの街にゃ。アベリンに戻る時に、寄れにゃくはにゃいにゃ――」
「よし。じゃあ、一旦ここに預けて、俺らが戻る時に連れて行こう」
「――にゃけど、旅費がだいぶ掛かるにゃ。こんにゃ大人数を運べるほどの手持ちはにゃいにゃ」
煌夜の決定に、タニアとセレナは、やはり、と諦めたように渋い顔をして、冷静に反論する。それを受けて煌夜は、どれくらい、と首を傾げる。
「まず……にゃぁ、ここに預けるにゃら、その入学金って幾らにゃ?」
「そうですね。この人数だから、ざっと――」
タニアは治癒魔術院の女性に問うと、女性は腕を組んでしばし考え込む。そして、うん、と頷いて、両手を広げてみせる。
「――アドニス金貨一枚か、テオゴニア銀紙幣十枚で、治癒術師見習いとして預かれるわ。どうかしら?」
その額を聞いて、割と安いな、と煌夜は頷いた。
今の手持ちは、色々買い物した結果、もはやテオゴニア銀紙幣四枚を割っているが、それでも、クダラークに来る際の魔動列車の乗車賃二人分と同じ程度だ。
なんとか工面できるだろう――と、簡単に考えたが、心の中でヤンフィがひどく驚いていた。
(……治癒魔術院は、いつからこれほど意地汚くなったのか。妾の時代なら、治癒術師として訓練するのに、費用など掛からなかったが……そもそも、訓練したところで、治癒術師になどなれはせんしのぅ)
(いや、まあ、そりゃあ時代の流れじゃないの? でも、言うほど高くないんじゃ?)
(…………物の価値が分からぬと云うのは、恐ろしいものよ)
ヤンフィとそんなやり取りをしてから、タニアとセレナを見る。すると、二人もひどく嫌な表情を浮かべて、煌夜を見返した。
「……高すぎるにゃ。そんにゃから、天然の治癒術師しか育たにゃくにゃるにゃ」
「高い授業料ね。治癒魔術なんて、それこそ素質がなきゃ無理だってのに――無駄になる可能性の方が高いでしょうに」
「無駄とは失礼ですよ。それこそ、やって見なければ分かりませんし――それに、当魔術院は、実績があります。現魔術院トップの院長は、ここで訓練してランクSSにまで上り詰めた御方です」
タニアとセレナの非難に、しかし魔術院の女性は胸を張って否定する。それに対しては特に反論せず、二人は煌夜の反応を待っていた。決定権は煌夜にあると言わんばかりである。従ってくれるのは嬉しいが、責任重大でもある。だが、迷いはなかった。
「じゃあ、すいませんが、預かってもらっていいですか? ただ、その……今は手持ちで、銀紙幣三枚ほどしかないので、残りは後で――」
「――有るわよ、なんとかね。さっきお小遣い稼ぎで地下迷宮潜ってたら、ちょうど鉱脈にぶつかったおかげで、稀少鉱物の【瑠璃鋼】を入手できたの。それを換金した分……テオゴニア銀紙幣七枚があるわ。それで計十枚」
煌夜が申し訳なさそうに三枚の銀紙幣を差し出すと、横からセレナが溜息交じりにそう言った。そして、躊躇なく七枚の銀紙幣を差し出す。
魔術院の女性はそれを受け取ると、途端に満面の笑みを浮かべて、畏まりました、と頷いた。
「ありがとう、セレナ……けど、いいのか?」
「……リーダーの決定には従うって言ったでしょ? いいわよ、また稼げば――と言うか、どっちにしろ、稼がないとこの街から出れないでしょ?」
魔術院の女性が一旦部屋から出て行ったのを見送ってから、煌夜はセレナに頭を下げる。
それをセレナは、気にしないで、と平静に返した。そんなセレナにもう一度感謝を述べてから、煌夜は子供たちに向き直る。
「みんな、必ず迎えに来るから、ちょっとの間だけ、ここで暮らしててくれ。近いうちに、必ずキミたちを、家に帰してあげるよ」
(……まったく安請け合いじゃのぅ)
ヤンフィのツッコミは無視して、煌夜は笑顔で子供たちにそう宣言した。子供たちは不思議そうな顔を浮かべていたが、とりあえず当面は安全な場所で寝泊りできることを理解したようで、先ほどよりも少しだけ安心した表情になっていた。
一方で、そんなやり取りを見ていたタニアが、真剣な声で煌夜に告げる。
「――にゃぁ、コウヤ。簡単に、連れてくって言うけど、どれくらいの資金が必要か分かるにゃ? かにゃりの額が必要にゃよ?」
「ああ、それは分かってるよ。けど、俺らが本気で稼げば、それくらいすぐに――」
「――テオゴニア銀紙幣、十五枚を稼ぐのに、Bランクの冒険者は、四色の月一巡丸々働く必要があるにゃ。で、あちしたちは、この後【森林都市デイローウ】側に行く魔動列車に乗らにゃいといけにゃいにゃ。とにゃると、最低でも移動費に、テオゴニア銀紙幣十五枚。戻るのに、十五枚の計、三十枚。さらにここからベクラルに戻るのに、十五枚にゃ。その上で、この子供たちを運ぶにゃら、テオゴニア金紙幣一枚は飛ぶにゃ……これが奴隷商人にゃら、証明書を見せれば、子供たちを貨物扱いにして、銀紙幣一枚で運べるけど、あちしたちは奴隷商人じゃにゃいし、証明書もにゃいにゃ」
タニアの声の調子に、簡単な気持ちで喋っていた煌夜は冷や汗を流す。テオゴニア銀紙幣の価値を千円くらいと勝手に思っていたが、実際は違ったようである。銀紙幣十五枚稼ぐのに、三十日の労働が必要となると、その価値はおよそ、一万円から一万五千円ほどか。
そう考えると、魔動列車の乗車賃が一人五万円から六万と言うことになる。信じがたい高額さだった。
そして、さらによく分からない価値のテオゴニア金紙幣――いったい幾ら掛かるのか。
「…………金紙幣一枚って、どれくらい?」
「目安としては、四色の月六巡にゃ。高額賞金稼ぎか、三英雄賞を受賞するようにゃ冒険者にゃら――それでも、二十日前後は稼ぐのに、必要にゃ」
「え? で、でも、その……セレナは銀紙幣七枚を、二時間で稼いで――」
「――アレは偶然鉱脈を見つけたからよ? 普通なら、一日探索しても見つからないわ。だいたい、二時間で七枚の奇跡を起こし続けたとしたって……テオゴニア金紙幣は、銀紙幣百枚分よ? 寝ずに探索して、その間、ずっと奇跡が起きても、軽く三十時間は掛かるわ。そう考えると、どれほど短時間で稼げても、最低、二日から三日は必要ね」
呆れた声のタニアに、冷静な分析のセレナ、そして、ヤンフィが大きく溜息を漏らしていた。煌夜は結構な誤算に頭を悩ませる。
そうこうしていると、姿を消していた魔術院の女性が、嬉しそうな顔でまた戻ってくる。その手には、何やら大量の紙があった。
「お待たせしました。こちらが入学許可証になります。許可証を返還して頂ければ、当魔術院からは好きに退去して頂いて構いません。ただし、返金はできませんけれど」
女性はそう言って、十一枚の紙を煌夜に手渡す。しかし煌夜にその文字はまったく読めないので、そのままタニアに見てもらった。
タニアは、にゃにゃにゃ、と一読してから、うんうん頷いた。
「――大丈夫にゃ。書類上の問題点はにゃいにゃ。院長の血判もあるから、契約としても充分成立するにゃ。どうするにゃ? あちしが保管しておくかにゃ? それとも、子供たちに一旦預けておくかにゃ?」
タニアはそう言って、子供たちを振り返る。煌夜は、うーん、と唸ってから、そうだな、と子供たち一人一人にその紙を手渡した。紙には名前が書かれていないので、どれが誰の分と言うわけではないようだ。タニア曰く、入学時期で管理すると書かれているらしい。
煌夜はとりあえず、子供たちに現在の状況をもう一度説明して、必ず迎えに来ると約束する。その後、魔術院の女性も改めて、現在の状況を説明していたが、それを尻目に、煌夜たちは魔術院を後にした。目下、資金の工面をどうするかが、最大の問題になってしまった。
「……にゃあ、とりあえずどうするにゃ? そもそものとこ、デイローウ側に向かうにしたって、魔動列車に乗る分の資金が必要にゃ。地下迷宮に潜るのは必須にゃけど、これからすぐに向かうかにゃ?」
魔術院を出ると、早速タニアが今後の予定を問い掛けてくる。しかしそれは、選択肢のない質問だった。そうする以外に、煌夜は術がない。
「行くしかないだろ。それにしても、迷宮探索で金稼ぎか……いかにも冒険者らしいけどさ」
煌夜はなんとも言えない気持ちで呟いた。タニアとセレナがいれば、万が一にも危険はないだろうが、それでも危険なことに違いはないのだ。本音を言えば、やりたくはない。しかし、他に金を稼ぐ術がない以上、背に腹は変えられない。
何処の世界も、最後に物を言うのは金なのか、と煌夜は世知辛い思いで空を見上げた。