第二十九話 魔動列車
腕に絡んだタニアを引き摺りつつ、煌夜はようやく森から抜け出た。
すると森の入り口では、ズタボロになった外套を羽織って顔を隠している何者かが立っていた。その姿は一見してみすぼらしい乞食で、怪しい浮浪者然としている。
それを見て思わず身構えた煌夜だったが、直後に発せられた声を聞いて警戒を解いた。
「遅いわよ、コウヤ――――ねぇ、これ、逆に目立つかしら?」
浮浪者は、現れた煌夜に問い掛けながら、パサリとフードを外す。フードの下にあったその顔は、先行していたセレナだった。
セレナは首を捻りながら、自らの姿を見下ろして渋面を浮かべている。確かに、その姿は傍から見て衆人の目を奪うだろう。あまりにもボロボロ過ぎて、怪しい浮浪者の格好だ。
セレナが羽織っているのは、タニアの外套である。しかしそれは、あちこち焼け焦げて、ボロ雑巾のようになった外套だ。既に服としての用途は期待できず、顔を隠すことくらいしか出来なさそうである。
目立つ、目立たないで言えば、誰がどう見ても目立つこと請け合いだろう。
しかしその姿を見て、タニアはグッと親指を立てる。
「――似合ってるにゃ。それにゃら、目立つけど妖精族とは思われにゃいにゃ」
タニアの台詞は、馬鹿にしているのか、と勘繰りたくなるほど爽やかだった。そもそも、顔を隠したら似合っているも何もないだろう。
けれどセレナは、その感想をさして重く受け止めず、納得して頷いた。
「……そう? まぁ、目立つのは仕方ないか……ひとまず妖精族と思われなければ、それでいいわ」
タニアが、にゃ、と頷き返す。煌夜は、本人がいいならいいか、と思う一方で、連れ立って歩きたくないな、とも思っていた。決して口には出さないが。
「――あ、そうだ、コウヤ。ところでどうして冒険者ギルドに行くのよ? もう用事なんてないでしょ? あれ、もしかして、例の子供攫いに攫われた公主の弟、見つかった?」
「その件で、詳細を確認に行くにゃ――にゃぁ、コウヤ。無視してにゃいで、サッサと答えてにゃ……あちしとセレナ、どっちが好みにゃ?」
セレナの疑問に、タニアがどうでもよさげに即答した。
しかしその答えに、ん、とセレナは不思議そうに首を傾げる。その気持ちはよく分かった。詳細も何も、実際に詳細を聞いて依頼を受注したのはセレナと煌夜である。
いったいそれ以上何を聞くと言うのか――と、そう思っているに違いない。
だがそれは【子供攫い】が犯人と勘違いしているからだ。きっとセレナも、タニアから実情を聞けば、何のことかピンと来るだろう。
ところが、そんな本題をさておいて、タニアは煌夜の腕にぶら下がるように張り付いて、ぶすくれた顔で、さっきから何度も同じ問いを投げていた。いい加減諦めて欲しかったが、一向に諦める気配はない。
けれど、煌夜も答える気はまったくない。お互い意地の張り合いだった。
「あー、セレナ。公主の弟なんだけど、何かさ、攫ったのは【子供攫い】じゃないっぽい。実は――」
煌夜はそんなタニアを華麗に無視して、タニアから聞いた背景事情を説明した。
多少の語弊は、タニアが親切に補足と訂正を入れてくれて、状況を説明し終えた時には、ちょうど冒険者ギルドに辿り着いていた。
「……ふーん。まぁ、それなら、ヤンフィ様の言う通り、放置が最善でしょうね。どうせもう、あたしたちはAランクなんだし」
セレナは状況を聞き終えると、サバサバした調子でそう漏らした。確かに、セレナとしてはランクを上げる為だけに受注したようなものだから、そう思っても仕方ない。
煌夜はそんなセレナに頷きだけ返して、とりあえず冒険者ギルドの中に入った。
セレナはギルド入り口の扉に貼られている紙を眺めてから、煌夜とタニアに遅れて入ってくる。ギルドの中は割と盛況だった。
煌夜はサッとギルド内を見渡して、公主でギルドマスターのセリエンティアの姿を探した。だが、受付にはいない。
それならば、とあの時一緒にいたイリスという受付嬢を探すが、彼女も見当たらなかった。
煌夜は仕方なく、空いている受付でギルドマスターを呼んでもらうことにする。
ちなみに、今日の受付は上半身裸でガチムチのボディビルダーのような巨漢だった。弾けるような笑顔が眩しい。
「はぁい、いらっしゃい。なんの御用かしら?」
「あの――ギルドマスター、いますか? 依頼内容について、少し聞きたいことが……」
「あらあら、まあまあ。ええ、いるわよ。ちょっと待っててね」
ガチムチ巨漢は、愛想の良い笑顔と小気味良いオネエ言葉で喋って、軽やかなステップで裏に引っ込んだ。それを見送ってから、煌夜はギルド内でやたらと視線を集めているセレナに振り返る。
セレナは薄汚れた外套を目深にかぶって顔を隠した状態で、ギルドの壁に貼られた紙を眺めていた。
「……おい、あの浮浪者、もしかして妖精族じゃ?」
「いや、つうか、そんなことよりも、あのガキを見ろよ。獣族なんて珍しいのを連れてやがる。しかも、アレ、かなりの上玉だぜ。クソっ、見せ付けやがって――」
ギルドの中では、そんな囁きがそこかしこから聞こえる。セレナだけではなく、煌夜とタニアも注目の的になっていた。少しだけ恥ずかしい。
しばらくすると、裏に引っ込んでいたガチムチ巨漢が、笑顔のままで戻ってきた。
「ねぇ、そこの可愛らしいキミ――ちなみに、お名前は何かしら?」
「あ、ああ、えと……煌夜、だけど?」
「――『コウヤ』!? コウヤって、つい一昨日現れて、瞬く間にランクAになった『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』のリーダー!? キミがそうなのっ!?」
「…………『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』って、変にゃ名前にゃ」
タニアの白けた呟きとは裏腹に、ガチムチ巨漢はひどく驚いてそんな説明じみた事を大声で叫んだ。その台詞を聞いた他の冒険者たちは、途端にザワザワと落ち着きなく騒ぎ始める。
どうやら、煌夜たちはいつの間にか有名人になっていたらしい。
「コウヤ、と――じゃあ、獣族のアナタが『セレナ』?」
「違うにゃ――そんにゃことより、サッサとギルドマスター呼ぶにゃ」
「あら、怖い。ええ、畏まりました。ちょっと待っててね」
ガチムチ巨漢が驚いた顔をタニアに向けるが、タニアは煩わしそうに睨みつけた。その眼光に引け腰になりながら、ガチムチ巨漢は煌夜にウインクしてから、また裏に下がっていく。
「…………あちしをセレナと間違うにゃんて、失礼にゃ奴にゃ」
タニアがボソリと呟く。煌夜は、ああそうだな、とおざなりに頷いた。
するとその時、ギルドの中にいた若手の冒険者が独り、突然、煌夜とタニアに向かって駆け寄ってきた。何事か、と二人同時にその冒険者を見る。
「あ、あの、お、俺とパーティを組んでくれませんか? 俺は、これでも一応、魔法剣士です。ランクは今【C】だけど、実力的には――」
「――悪いけど、他を当たって。あたしたちのパーティに、アンタみたいな雑魚は要らないわ」
若手の冒険者はいきなり、煌夜の目の前で、お願いします、と頭を下げた。
煌夜は、あまりにも想定外だったその若手の台詞に、一瞬、頭が真っ白になって硬直する。そんな煌夜の代わりとばかりに、セレナがいつの間にか寄って来ていて、すかさず答える。
セレナの冷水の如く冷たい声とその凄まじい威圧に、若手の冒険者は、蛇に睨まれた蛙よろしく恐縮して硬直した後、慌てて煌夜から離れて行った。
「……まったく。あたしたちの仲間になりたいなんて、図々しいにもほどがあるわね」
逃げていく若手冒険者の背中を眺めながら、セレナは吐き捨てるように言った。一方で、煌夜はいまだにビックリして声も出なかった。
(妾たちは、ずいぶんと有名になっておるようじゃのぅ)
ふと、ヤンフィの呟いたその言葉で、煌夜はハッとする。いったい今のはなんだ、と口に出そうとして、タニアが説明してくれた。
「コウヤ。ランクA以上のパーティは、大陸全土でも数えるほどしか存在しにゃいにゃ。それに、各ギルドで配られる【ギルド通信】にもその名前が載って、凄く有名にもにゃるにゃ。にゃので、今みたいにゃ無所属の冒険者が、是非仲間にって懇願してくる場合が、結構多いにゃ。誰だって強くて有名にゃパーティに所属したいと思うのは常識にゃ」
「…………ああ、なるほど」
タニアの説明に、煌夜は納得する。同時に、ちょっとした優越感が生まれる。強いパーティとして有名になるのは、誇らしいものである。
「――ねぇ。ギルドマスターはまだなの?」
煌夜とタニアがそんな話をしていると、煌夜の肩を叩いてセレナが首を傾げた。注目の的になっているのが嫌なのか、セレナはどことなく居た堪れない様子だった。
「今、呼んでもらって――あ」
「――お待たせしました。何か用ですか?」
ちょうどその時、奥からセリエンティアが、ガチムチ巨漢を伴って出てくる。ガチムチ巨漢は相変わらずの笑顔で、そのまま少し離れたところの受付に移動した。
セリエンティアは疲れた顔で、煌夜たちと受付を挟んで向かい合うと、椅子に座る。
「…………にゃぁ、コウヤ。コイツが、ギルドマスターで公主にゃ? セリエンティア、だったかにゃ?」
「そう、ですが――貴女は、どなたですか?」
「あちしは、タニアにゃ」
セリエンティアを前にして、煌夜の腕に引っ付いていたタニアは、ようやく腕から離れた。そして、胡散臭いものを見るような目でセリエンティアを睨んでから、煌夜に質問する。
煌夜が、ああ、と頷くと、セリエンティアも頷いた。
タニアは、ふーん、と何やら察したような表情で頷くと、そのまま腕を組んで黙りこくった。
煌夜はそんなタニアを不思議に思いながらも、とりあえずセリエンティアに依頼の内容を確認すべく口を開く。
「あ、その……受注した依頼について確認したいんだが、いいかな?」
「――ええ、それは問題ありませんけれど……その前に、少々、ご質問させて頂いても宜しいでしょうか?」
「うん? ああ、質問? いいけど、何でしょう?」
セリエンティアは煌夜を怪訝な顔で見ながら、恐る恐るとそんな事を聞いてくる。煌夜は、どうぞと質問を促す。
「あの……貴方――コウヤは、確か、隻腕だったと記憶しているのですが、いつの間に治ったのですか? それと、今コウヤが話している言語は、どこの言語ですか? いえ、そもそも、どうしてその言葉が、通じるのですか?」
矢継ぎ早に質問するセリエンティアに、煌夜は、あ、と失敗した顔を浮かべる。そういえば確かに、セリエンティアと会った時は片腕だったし、ヤンフィが喋っていた。
煌夜は、どう誤魔化したら良いのか、しばし考える。しかし妙案は思い付かない。すると、セレナが言葉を継いだ。
「腕は、あたしのおかげで治ったわ。言葉は、別に通じてるんだから深く考えないでよ。ちょっとした事情があって、言葉が乱れてるだけよ」
断言するセレナに、傍らのタニアは微妙な顔をしていた。だが、煌夜は幸いと、それに便乗して頷く。セリエンティアは、そうですか、と消化不良気味な顔を浮かべたが、一応納得して、それで用件は、と続ける。
「あ、ああ。その……攫われた弟さんの事なんだが――」
「――コウヤ、あちしが聞くにゃ。にゃあ、アンタ、攫ったのはコイツらかにゃ?」
煌夜の言葉を遮って、タニアは不鮮明な記憶紙をセリエンティアに見せる。それはベスタから渡されていた記憶紙で、幻惑魔術で変装している子供攫いとガストンが映っている。
セリエンティアは首を傾げながらそれを見て、しかし見覚えはないと首を振った。にゃら、と言葉を続けるタニアに、セリエンティアが一枚の記憶紙を取り出す。
「攫ったのは、この時空魔術師です。攫われてから、今日で十四日ほど経ちます――急いで下さい」
キツイ口調でそう言いながら差し出してきた記憶紙には、頰に傷のある青年――ガストンの正体が映っている。タニアはその記憶紙を見て目を細め、セレナに渡した。
セレナはガストンを知らないので、その顔を覚えるように、ふむふむ、と頷いていた。
「にゃあ、ところで、にゃんでこんな特別依頼を、初見で実績のにゃいコウヤに依頼したにゃ?」
「――実績はありました。パーティランクAの討伐依頼を、たった二人で、しかもわずか三時間ほどで解決したのです。そんな方たちだからこそ、この高難度の依頼をお願いしたのです」
「実力だけで決めるのは早計過ぎるにゃ――正直に言うにゃ。にゃんでコウヤを選んだにゃ?」
タニアは鋭い視線を向けて、威圧しながら切り返す。その迫力に押されて、セリエンティアは言い難そうに口を開く。
「……セレナが妖精族のようでしたし、そもそもコウヤたちは、この街の事情をご存知なさそうでしたので――」
「まあ、そんにゃとこだろうにゃ。にゃけど、それだけにゃ? 他に隠してることにゃいか?」
「…………」
タニアが探るような物言いでセリエンティアに迫ると、セリエンティアは目を閉じて黙り込んだ。傍らの煌夜もセレナも、タニアが何を言いたいのか、何を知っているのか分からず、首を傾げて状況を見守る。
しばしの沈黙の後、セリエンティアはスッと目を開いて、タニアに力強く断言した。
「何も隠してなどおりません。あえて言えば、勘です。私は『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』に賭けてみたのです。それ以上は何も……意図などありません。ですので、是非、私の期待に応えて下さい」
「あちしたちは囮かにゃ? それとも、捨て駒かにゃ? お前、攫った相手のこと、詳しく知ってるんじゃにゃいのか?」
「――――私は、攫った相手の顔以外、詳しくは存じません。それに、囮や捨て駒とは何の事でしょうか? タニアが何を仰りたいのか存じませんけれど、私がお伝えできることは、もうこれ以上ありません」
「……埒が明かにゃいにゃ」
タニアは首を横に振りながらそう吐き捨てて、はぁ、とこれ見よがしに溜息を漏らす。そして、おもむろに右手の手甲を取って、自身の冒険者証を受付に置くと、煌夜に顔を向けた。
その視線は煌夜のネックレスを見ている。
「にゃあ、あちしを『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』のパーティに登録するにゃ――コウヤ、そのパーティの徽章、ちょっと貸してにゃ」
「あ、ああ、分かった――あ、えと、その、登録をお願いします」
「……畏まりました。少々お待ち下さい」
セリエンティアは硬い表情のまま、徽章のネックレスとタニアの冒険者証である宝石を受け取り、裏手に下がって行った。それを見送ってから、セレナがタニアに問い掛ける。
「ねぇ、タニア――今のどういうこと?」
「後で説明するにゃ。ここじゃ、誰が聞いてるか分からにゃいにゃ」
タニアはそう言って周囲を鋭く一瞥する。確かに、ギルド内の冒険者たちは皆、煌夜たちの一挙一動に注目している。
セレナは納得して、そうね、とすぐに引き下がる。
「――お待たせ致しました。登録が完了致しましたので、お返しします」
しばらくしてから、セリエンティアが戻ってくる。セリエンティアは徽章と冒険者証をそれぞれに返すと、他にご用件はありますか、と問い掛けた。
「……あー、もう特にはないかな? ないよな?」
「にゃい――もう、これで用事は済んだにゃ」
「あ、待ってよ。あたし、やりたい依頼があるんだけど……」
煌夜がタニアとセレナに視線で問い掛けると、タニアは力強く頷き、セレナは思い出したとばかりにギルドの二階――依頼の貼ってある掲示板のところへ向かおうとした。
しかし、そんなセレナの肩をタニアが引き止める。
「……無理にゃ。特別依頼中は、別の依頼を受注できにゃいにゃ」
「――申し訳ありませんが、その通りです。現在、パーティ『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』は、私の依頼を請負中です。この依頼を達成するか、依頼主である私が依頼を取り下げない限り、次の依頼は受注できません。それが規則です」
タニアは、淡々と語るセリエンティアの言葉に大きく頷く。
嘘、とセレナはひどくショックを受けていた。
「にゃにゃ、じゃあ、あちしたちはもう行くにゃ――コウヤ、行くにゃ」
「ああ、分かったよ。セレナ、行こうぜ」
タニアに促されるまま、煌夜もそれに賛同して、セリエンティアに一礼してからギルドを後にする。タニアは落ち込んだセレナを引き摺りながら、煌夜の後に続いた。
「――【魔動列車】の乗り場は、こっちにゃ」
「きゃ、ちょ……何するのよ、タニア。乱暴ね!」
ギルドの外に出ると、タニアはセレナを道端に放り出してから、勝手知ったるとばかりに左手側の通りを歩き出した。
思わず尻餅をついたセレナは、文句を言いつつ立ち上がり、煌夜と並んでタニアの案内に従った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
テオゴニアにおいては、陸路で最速の移動手段が【魔動列車】である。
魔動列車はその名の通り、魔力を動力に駆動して、貨物や人間を一度に大量に運搬でき、地面さえあればどんな悪路も走破することが可能な乗り物だ。
魔動列車の全容は、司令室と呼ばれる先頭車両に、縦横4メートルほどの鉄製の箱が幾つも連結している。鉄の箱は、居住箱、貨物箱、食堂箱、遊戯箱と四種類があり、魔動列車は通常、居住箱二十、貨物箱十、食堂箱二、遊戯箱一の計三十三箱で運行している。箱同士は、魔術強化された磁石でもって接続しており、その全長は司令室を含めて137メートルほどの、まるで大蛇のような長い形状をしている。
そして、それら各箱には、時空魔術が施されており、内部は異空間に繋がっていて、見た目よりもずっと広い。その上でさらに、上級の魔術結界も展開されており、内外部のどちらからも振動や衝撃に強い構造となっている。
居住箱は、二十畳のリビングと、十二畳の個室が二つ、ダイニング、キッチン、バス、トイレ別という、快適な住環境が展開されており、定員は五名に設定されている。
貨物箱は、およそ100平方メートルほどの何もない空間になっており、大小様々な物品が積み込まれる。
食堂箱は、厨房と十名分のカウンター席、四名掛けの客席が五つあるフロアが展開されている。
遊戯箱は、1000平方メートルほどの広大なカジノフロアになっている。
余談だが、箱は一つ造るのに時間と手間が物凄く掛かる。箱に施されている時空魔術だけでも、上級の時空魔術師が複数人、四色の月二巡ほどの時間を掛けなければ製造できない。
その為、魔動列車を製造できる国は、テオゴニア全土で見ても限られていた。
魔動列車の駆動の仕組みは、各箱に取り付けられた四輪の回転による。四輪は、司令室からの魔力供給でもって操作しており、操作する魔術師の流す魔力量で回転数が決まる。それ故に、魔術師の魔力量が多ければ多いほど、走る速度は早くなる。また逆に、箱の連結数が増えれば増えるほど、動かさねばならない車輪の数が増えるので、その分だけ魔力の消費量も増えて、必然、速度は遅くなる。
ちなみに、通常の長さの魔動列車は、平均時速60キロ前後で運行している――
「――にゃ。と、そんにゃとこかにゃ? ここまでで、にゃにか魔動列車の事で質問はあるかにゃ?」
タニアはそう言って、ソファで寛ぐ煌夜と、物珍しげに部屋の中を歩き回っているセレナに視線を向ける。
今、煌夜たちは、タニアが長々と説明してくれた魔動列車に乗り込んで、宛がわれた部屋の中でゆったりと寛いでいる状況だった。
列車はまだ動き出しておらず、出発まではあと一時間ほど余裕がある。
煌夜はタニアの説明を話半分に、ひたすらこの部屋の快適さに感動していた。
この箱の外観はどう見てもただの四角い鉄箱だったのだ。貨物庫のようなところで、すし詰めで長時間過ごすのか、と最悪の気分で乗り込んだのが、さっきのことである。
「……つうか、その、時空魔術、って凄いな。実際にここを見ても、まだにわかに信じられないよ、この部屋――あんな小さな箱の中が、どうやったら、こんな広い部屋になるんだ?」
(まったくじゃのぅ――ここまで丁寧な作りの時空魔術は、妾も初めて見たわ)
独り言を呟いた煌夜に、ヤンフィが力強く賛同した。それを聞いて、タニアが満足げに頷いた。
「にゃにゃにゃ、それは幾つもの魔術式を複雑に組み上げることで作り出してるらしいにゃ。滅茶苦茶緻密にゃ魔術式って噂にゃ。にゃので、乗車料が馬鹿みたいに高いにゃ」
「――あ、ねぇ、タニア。あたし、この部屋使っていいかしら? 比べるとこっちの方が、過ごしやすそうだから」
部屋の中を歩き回っていたセレナが、マイペースに口を挟んでくる。
この部屋、と指差しているのは、造花の飾られた和風な個室だった。ちなみに、もう一つの個室は彫刻などが置かれた洋風な個室である。
タニアはセレナにムッとした顔を向ける。
「セレナ、お前、調子に乗るにゃ。部屋の決定権は、リーダーのコウヤが決めるにゃ。にゃにを勝手に――」
「――あ、じゃあ、コウヤ。あたし、この部屋がいいんだけど、いいわよね? 駄目、かしら?」
セレナはタニアの言葉途中で、すかさず煌夜に直訴する。その瞳を潤ませて、上目遣いに可愛らしく首を傾げた。
「あ、ああ。別に、俺はいいと思うけど……タニアは、それでいいのか?」
「んにゃ? あちしは何処でもいいにゃ――と言うか、コウヤと一緒がいいにゃ」
タニアはサラリと爆弾発言するが、それは華麗にスルーして、煌夜はセレナに頷いた。セレナは一瞬で笑顔になり、部屋を守るようにその入り口に背を預けて、煌夜たちに向き直る。
そんなセレナを一瞥してから、タニアは胡坐を組み替えてから、話を続けようと口を開く。
「さて、魔動列車について質問がにゃいにゃら、こっから向かう【湖の街クダラーク】の話をするにゃ。いいかにゃ?」
タニアは煌夜に窺うような視線を向ける。煌夜は心の中でヤンフィに、もう大丈夫か、と尋ねると、うむ、と言う返事が聞こえた。
魔動列車は、ヤンフィの時代には存在していなかった乗り物らしい。だからだろう、電車を思わせるこの乗り物を見た瞬間、ヤンフィは興奮した様子で興味津々にタニアへと質問して、その結果、さっきまでの長い説明が発生したのである。
「ああ、大丈夫だ。説明、頼む」
「分かったにゃ、じゃあ、まず【湖の街】と呼ばれる由縁から話すにゃ」
煌夜の頷きに、タニアは、にゃ、と了承して、リュックの中から折り畳まれた一枚の紙を取り出した。それは、ずいぶんと古びた紙で、ところどころが破れている。
タニアはその紙をテーブルの上に置いて、全員に見えるように開いた。どうやら、それは地図のようだった。
「――コウヤとヤンフィ様は、【聖王湖】を知らにゃいと思うにゃ」
タニアは言いながら、地図上の円形をした場所を指差した。そこには当然ながら、煌夜には読めない文字が書かれている。
地図の見方は分かるが、書いてある文字が分からないので、煌夜にとってはその地図は落書きと同じだった。
見ても方角すら分からない。一方で、ヤンフィはそれを見て、不思議そうに声を上げていた。
(……こんな場所に、湖? 妾の知っておる地形と、だいぶ異なるのぅ)
ヤンフィのその不思議そうな台詞は、煌夜にしか届いていないが、タニアはまるで聞こえていたかのように話を続ける。
「ここは【聖王湖と呼ばれる湖にゃ。直径150キロ超、テオゴニア最大の湖にゃ。聖王暦元年――今から、680年前。人魔大戦が終結する決定打ににゃった決戦の地にゃ。大陸統一王【聖王】が、魔神【黄竜】を倒した場所にゃ」
そのタニアの説明を聞いた瞬間、ヤンフィが息を呑むのが分かった。
ひどく驚愕している様子が煌夜に伝わる。どうかしたか、と煌夜は尋ねようとして、その前に、セレナが訂正するように口を挟んできた。
「ちょっと、タニア。その説明だと、聖王独りで倒したみたいに聞こえるでしょ? コウヤ、今の説明、補足するわ。魔神【黄竜】を倒したのは、聖王一行よ。大陸統一を果たした人族の王【聖王】と、その妻になった当時の【聖女】、それと、当時のラタトニア王である獣族の【獣王】に、妖精族の歴史上最高と謳われる魔術師で、唯一、この人界から幻想界に渡ったとされる英雄【妖精姫エリザ】よ。特に、その妖精姫エリザの活躍がなければ、黄竜を倒すことは出来なかったと伝えられてるわ」
やや興奮気味に言うセレナに、タニアが呆れた顔を向けた。
煌夜はセレナの剣幕に、とりあえず頷いて、そうなのか、と応じる。しかし正直、そんな説明をされても、煌夜の頭では理解できなかった。
歴史はあまり得意ではないのに、異世界の歴史など尚更覚えられるはずはない。
「……まぁ、セレナの言う通りにゃ。で、その黄竜を倒す際に、聖王が放った【冠魔術】が、こんにゃ湖を生んだにゃ」
「――ん? え? この湖って、人が放った魔術で出来た、ってこと?」
「そうにゃ。世界を滅ぼしかねにゃい威力の【冠魔術】だったらしいにゃ。この一撃で、聖王は人魔大戦を終結させたと語られてるにゃ」
「あ? え、と……直径150キロの湖を生み出す威力の魔術、ってこと?」
煌夜は恐る恐ると問い返す。すると、タニアは軽い調子で頷いた。まさか、と半信半疑に目を見開く。
(――なあ、ヤンフィ。今の話、本当なのか? いや、と言うかさ。そもそも、この世界の人って、魔術を極めるとそんな核爆弾レベルの魔術を使えるってのか?)
(核爆弾、とやらが何かは知らぬが……そも【冠魔術】とは、そう云うモノじゃ。まぁ、そこまでの威力となると、妾でさえ恐ろしく思うがのぅ。じゃが、不可能ではない。まぁ、そんなことよりも、妾としては、黄竜が魔神になったと云う事と、倒されたと云う事の方が信じられぬ)
ヤンフィは、信じられぬ、と何度か呟きを繰り返す。だが、信じられないのは煌夜とて同じ事だった。昔の人は、文字通りに、歩く核弾頭だったと言うことである。恐怖以外のなんでもない。
ところで、そんな煌夜とヤンフィの驚愕など気にせずに、タニアは説明を続ける。
「そんにゃ【聖王湖】にゃけど、その中心に、島があるにゃ。そこは、聖王が冠魔術を放った際の中心地だったと言われてるにゃ。湖に浮かぶ直径20キロほどの島――それが【クダラーク】にゃ。湖に浮かぶから、湖の街と呼ばれてるにゃ」
タニアは地図を指差す。そこには、小さい丸と文字が描かれている。
なるほど、そこがこれから向かう街と言うことだろう。だが、その説明を聞いて、煌夜はとりあえず疑問を持った。
「……あ、なぁ、タニア。その湖に浮かぶ島が【湖の街クダラーク】なんだよな? なら、この魔動列車で、どうやって向かうんだ? 途中で、船に乗り換えるのか?」
「違うにゃ。聖王湖には、クダラークを通って湖を縦断する橋が架かってるにゃ。魔動列車はそこを走るにゃ」
「橋……か」
ふむ、と煌夜は納得して頷く。すると、タニアが説明を続ける。
「ちにゃみに、聖王湖で船は使えにゃいにゃ。聖王湖には、厄介にゃ【魔貴族】が棲んでて、船を見ると転覆させようと襲ってくるにゃ。しかもソイツは、倒しても倒しても復活するにゃ。にゃので、船で渡るのは無理にゃ」
「え? でも、じゃあ……橋は、大丈夫なのか?」
「橋には、手を出せにゃいにゃ。何故にゃら、橋には【冠魔術】の防御結界が展開してるにゃ。誰が、いつ、それを展開させたかは分からにゃいけど、クダラークが出来てからずっと、橋だけは安全にゃ」
タニアのその説明を聞いて、セレナが疑問を口にする。
「ねぇ、タニア。それなら、橋を歩いていくことも出来るんじゃないの? わざわざ高額な料金を払ってまで、この魔動列車を使う必要、なかったんじゃないの?」
「橋は、徒歩禁止ににゃってるにゃ。と言うのも、魔動列車が橋の上で襲われる事件が続発したからにゃ。魔動列車は、高速で移動するから、そう簡単に襲えにゃい。にゃけど、狭い橋の上で、行く手を阻まれたら、止まらざるを得にゃいにゃ。止まっちゃえば、もう魔動列車にゃんて、ただの硬い箱と同じにゃ。それにゃりの実力があれば、積荷を奪うことは容易にゃ。そんにゃ事件が続発したから、待ち伏せ防止の為に、橋を徒歩で渡るのが禁止ににゃったにゃ」
ふーん、とセレナはつまらなそうに納得する。それはずいぶんと物騒な理由だった。
「――まぁ、そんにゃ訳で、聖王湖に浮かぶ島だから【湖の街クダラーク】にゃ。ついでに言うと、子供攫いを仕留めた小屋で手に入れた地図が示す場所は、クダラークを通り過ぎた向こう側にゃ。【森林都市デイローウ】の手前に点在してる独立集落みたいにゃ」
タニアは言いながら【魔神召喚】の設置図もリュックから出して、テーブルに大きく広げる。しかしそれが初見のセレナは、それ何、と首を傾げた。
セレナの反応に、タニアはチラと煌夜を見る。煌夜はタニアと視線を合わせて、そういえば説明していなかったことに思い至る。
強く頷いて、煌夜が口を開いた。
「ああ、実は、セレナが倒れてた時さ――――」
思い出すのも胸糞悪かったが、それでも煌夜は、子供攫いとの一戦から、生贄の柱の事、ガストンと言う世界蛇の事などを詳しく説明した。
セレナは世界蛇自体の事は知っていたようで、ガストンの行動などについては、さして質問を挟まず聞いてくれた。
そうして、セレナが倒れていた時に起きた事情を一通り話し終えて、クダラークでの目的――【魔神召喚】の設置図を元にそれを破壊する事と、攫われた子供たちを奪い返す事を伝えた。
セレナは、なるほどね、と頷いた。
「――アンタたち、タニアかコウヤかどっちか知らないけどさ。ずいぶんと厄介な事に巻き込まれる運命みたいね。まぁ、当然、協力するけどさ、じゃあ、キリア様に言われた【商業都市ニース】へのお使い……ウィズ様のところへ行くのはその後ってこと?」
「あ……ん、まぁ、そうなるか……いや、けど、急がないって言ってたし……」
「ああ、別にいいわよ。キリア様の口振りだったらきっと、四色の月三巡くらいまでなら大目に見てくれるでしょ」
うっ、と言葉に詰まった煌夜に、しかしセレナは軽い調子で首を振ってくれた。そんなやり取りをしているとその時、遠くからけたたましい鐘の音が響き渡った。
カーンカーンカーン、と連続して聞こえてくるそれに、煌夜は何事か、と驚く。それはセレナも同じで、何何何、と目を丸くしていた。
そんな二人を見ていたタニアが、心配するにゃ、と説明してくれた。
「そろそろ、魔動列車の出発時刻にゃ。これは発車の鐘にゃ。これが鳴ってる間に、乗客は箱に入らないと、乗り遅れることににゃる。で、この鐘が鳴り終わると、ようやく、箱同士での移動が可能ににゃるにゃ。食堂箱と遊戯箱に、繋がるようににゃるにゃ」
タニアはそう言って、箱の入り口を指差した。
ちなみに、この居住箱と呼ばれる部屋には、入り口が一つしかない。それは外と繋がっていた出入り口だが、タニアの指し示す扉もその出入り口だった。
「今は、この入り口は外と繋がってるにゃ。けど、鐘が鳴り終えると――あ、終わったにゃ。今、この瞬間から、今度は外に出れにゃくにゃったにゃ。入り口は、食堂箱と遊戯箱にのみ移動できるにゃ。扉の脇に魔法陣があるにゃ? それに触れると、入り口がそこに接続されるにゃ。触れにゃいと、扉はどこにも繋がらにゃいにゃ」
タニアは言って、その場から立ち上がり、扉の脇に出現した二つの魔法陣を指差す。二つの魔法陣にはそれぞれ文字が浮かんでおり、どっちがどこに繋がるかを表示しているらしい。
「にゃあ、ひとまずどうするにゃ? 遊戯箱にでも行くかにゃ?」
タニアの提案に、セレナが喜色満面の顔で食い付いた。
「いいわね。カジノなんでしょ? 行って見たいわ。行きましょうよ、コウヤ」
「――あー、いいけどさ……ちょっと、その前に俺、腹減ったなぁ」
セレナに返事をすると同時に、煌夜の腹の虫がぐー、と鳴った。煌夜は少し恥ずかしくなる。
タニアとセレナはそれを聞いて、ああ、と何やら思い出したように頷きあった。
「ああ、忘れてたにゃ……コウヤは、昼飯摂るにゃ? にゃら、付き合うにゃ」
「ええ、そうね。食事は、人族にとって重要だもの――それに、人族の食べる食事も美味しいから、興味あるし」
「え? あ、あれ? 二人は、腹とか減ってないの?」
この異世界に来てからは、食べられる時に食べていたが、元来煌夜は、一日三食をしっかりと摂る生活リズムをしていた。だから、今こうして落ち着くと、身体は素直に食欲を主張する。
けれどそんな煌夜とは裏腹に、タニアもセレナも昼飯を忘れていた様子である。普段は摂らないのだろうか。
「獣族は、基本的に一日二食にゃ。昼は食べにゃい慣習にゃ。日が昇ってから食事して、日が沈んで食事するだけにゃ」
「妖精族は、そもそも食事を摂る必要がないわ。魔力を消耗し過ぎなければ、何も食べなくても死なないもの。けど、食物を魔力に変換することも出来るから、別段、食事をしないわけじゃないけど」
煌夜の疑問は、しかし二人の答えで的外れだと分かった。
ああそういえば、と前に同じような説明をされた気もする。だが、まあ、二人はさして気にした風もなく、煌夜の食事に付き合ってくれるらしい。
「にゃら、まずは食事するにゃ。どうせ、魔動列車の旅は長いにゃ」
タニアがそう言って、扉の脇にある魔法陣に触れた。途端に、入り口の扉が開いて、奥には短い廊下と香ばしい匂いのする食堂が見えた。
匂いを嗅いで、煌夜のお腹がいっそう活動的になる。
「あ、ちなみに、タニア。この扉って、食堂箱から戻るときにはどうなるのかしら?」
「食堂箱側に、任意の箱に移動できる魔法陣が設置されてるにゃ。そこであちしたちの部屋を選択するにゃ」
真っ先に部屋を出たセレナの疑問に、タニアはそう答えて、同じように扉をくぐって廊下に出た。煌夜もそれに追従する。
廊下に出ると、タニアは部屋の鍵で扉を閉めた。すると途端に扉は壁と同化する。そしてその壁には、幾つもの魔法陣が浮かび上がった。
(ほうほう。この魔法陣に触れることで、任意の部屋の扉を出現させるのか……中々、奇抜な発想じゃのぅ)
浮かび上がった魔法陣を見て、ヤンフィが心の中でしきりに感動していた。それを無視して、煌夜はタニアたちと一緒に食堂へと向かう。
食堂には、既に二組ほどの客が居て、テーブル席で談笑していた。カウンターの向こう側に見える厨房では、忙しなく五人ほどの料理人が動き回っている。
それらを横目に、煌夜はタニアとセレナを伴って、隅っこのテーブル席に陣取った。
「ああ、そうだ――なぁ、タニア。ところで、これから二十時間だっけ? ずっと走り続けなのか?」
煌夜は椅子に座ってから、ふと思い出した質問を口にする。タニアは、料理人の一人を手を挙げて呼び付けながら、にゃ、と首を傾げる。
「んー、走り続けることは不可能にゃ。そんにゃことすれば、操作してる魔術師が死ぬにゃ。魔動列車の動力は、司令室で操作してる魔術師の魔力にゃのは、さっき説明したにゃ? にゃので、操作してる魔術師は、魔力枯渇を起こさにゃいよう気をつけて、休み休み走らせてるにゃ。一応、操作する魔術師は、二人か三人ほど乗ってるって話にゃけど、結局、休み休み走らせることに違いはにゃいにゃ。そうにゃると、平均して、クダラークまで二十時間掛かるにゃ――――あ、あちしは、オススメ定食二つにゃ。コウヤたちはどうするにゃ?」
煌夜の質問に答えたタニアは、テーブルに注文を取りに来た料理人にそう告げると、視線を二人に向ける。煌夜はその視線を受けてから、困った顔を浮かべた。
何が注文できるのか、まったく分からない。一方で、セレナは難しい顔をして何か悩んでいる。
煌夜はしばし考えてから、仕方ない、とタニアと同じ物を注文した。それを聞いてから、セレナは、じゃあ、と厨房の上の方を指差した。
「あの、オススメの二番目――S定食とやらをお願い」
「畏まりました」
セレナの注文に料理人は頷き、そのまま厨房に戻って行った。それを見送ってから、しばらくテーブル席に沈黙が落ちる。すると、あ、とタニアが何かを思い出した風に声を上げた。
「――忘れてたにゃ。コウヤたちに報告しとくにゃ」
タニアはそんな前置きしてから、真剣な顔で声のトーンを落とした。同時に、周囲に視線を配り、聞き耳を立てている人間が居ないか警戒する。
なんだなんだ、と煌夜もセレナもその様子に吊られて、真剣な表情になった。
「ギルドでの事にゃ。攫われた弟を助けるって、特別依頼のことにゃけど――」
そう切り出して、話し始めたタニアの報告は、煌夜とセレナをかなり驚かせた。また同時に、煌夜はヤンフィに改めて、その軽率な行動を叱られることになったのだった。