第二十八話 セレナ、復帰する
煌夜とタニアはベクラルの街の正門を出て、看板のある分かれ道までやってくる。そして、そこを【ベクラルの滝】方面に進み、森の入り口まで辿り着いた。
実に昨日ぶりである。煌夜には苦い思い出しかない。
脳裏に蘇る嫌な光景――しかし、煌夜は昨日のその光景を頭から振り払って、森の中へと足を踏み出した。
「……ん? アレ、どうした、タニア? まさか、何かあったか――」
しかし、ここまで先行していたタニアが、どうしてか入り口で立ち止まっている。煌夜は、立ち止まって振り向いた。
また何か問題でも発生しているのだろうか。結構不安になる。
「あ、違うにゃ、コウヤ。ちょっと、その――申し訳にゃいけど、魔力残滓を探って、セレナの居場所を見つけてくれにゃいか?」
ところが、そんな煌夜の危惧にタニアは苦笑して、申し訳なさそうな表情で両手を合わせる。
煌夜は一瞬、え、とキョトン顔を浮かべた。
「……セレナは、この森の月桂樹がある場所にいるんじゃないのか?」
煌夜の疑問に、タニアは、そうにゃ、と頷き、アメリカ人ばりに大袈裟に肩を竦める。
「けど……残念にゃがら、あちしは月桂樹がどこに生えてるかは知らにゃいにゃ。ただ、ここのどこかにあるって話だけは知ってるにゃ。理由を説明するにゃら、ここの付近に昔、妖精族が住んでたからにゃ」
タニアは早口にそう言って、すいませんにゃ、と頭を下げる。
その様を見て、ヤンフィが呆れたように呟いた。
(此奴、最初から妾を当てにしておったな。自力で探すのを諦めておる――まあ、良いがな)
呟くが否や、煌夜の瞳が意思とは別にスッと細まった。すると、今まで何もなかった空中に、緑色の細い線や太い線が浮かび上がる。
ヤンフィの魔眼の能力だろうか。不思議な感覚だった。
(……なんか視えるけど、もしかして、この線が、魔力残滓って奴か?)
煌夜はヤンフィにそう問い掛けると、ヤンフィは驚いた様子で問い返してくる。
(――コウヤ、これが、視えるのか?)
(うん? ああ、何か紐みたいな緑色の線が、浮かんでるのが視えるけど……)
(細い、線……ああ、そっちか。なるほどのぅ――魔力に適応し始めておる証拠か)
煌夜の答えに、ヤンフィは何か納得したように呟き、これは覚える必要のない豆知識じゃが、と前置いてから説明を始める。
(細い線や、太い線――それを一般的に魔力風と呼んでおる。空間上の魔力濃度が高い部分じゃ。その線が空間に多く視えるようになると、それだけ魔力濃度が高いわけじゃ。ちなみに魔力残滓とは、今視えている空間とは別の位相に焼き付いた魔力粒子のことを指す……コウヤよ、この空間と重なり合って、星の瞬きのように静止している光の粒は視えるか?)
(…………光の粒? いや、そんなの視えないけど……)
(じゃろぅな。魔力残滓を読み取ると云うことは、その別位相に焦点を合わせる技術が必要じゃ。今のコウヤでは、まだ無理じゃろぅ)
ヤンフィはそう言うと、しばし沈黙する。何やら集中している様子だった。
一方、煌夜はその説明を聞いて、へぇ、と薄い反応を返した。内容を完全には理解できなかったと言うこともあるが、そもそもその説明は、聞いておいて失礼な話だが、煌夜が生きていく上であまり必要のない知識である。
ところでタニアは、そんな煌夜とヤンフィの内側のやり取りなど知らず、ジッと煌夜の反応を窺っていた。
煌夜の案内を待っているのだ。とはいえ、煌夜もタニアと同じく、沈黙したヤンフィの反応を待っていた。
ここからどう進めば良いのか、煌夜にも分からない。
そうして一分近く立ち尽くしていると、ふむ、とヤンフィが力強く頷いた。
(コウヤよ。セレナはこっちに真っ直ぐ進んで往ったようじゃ――しかし、妖精族の魔力残滓は、中々に読み取り難いのぅ)
ヤンフィは言い訳めいた事を言って、煌夜の視線を森の右手に向ける。
煌夜は視線の先を見てから、タニアに顔を向けて頷いた。
「タニア――ヤンフィ曰く、こっちに行ったってさ」
「にゃにゃ! ありがとうにゃ! じゃあ、早速向かうにゃ」
タニアは元気良い返事と同時に手を挙げて、サッサと煌夜の指差した方へと歩き出す。煌夜も遅れず、その背中を追った。
昨日ぶりの森の中は、特に代わり映えのない光景が広がっている。
道はなく、行けども行けども同じ木々の風景である。そこを真っ直ぐに、内なるヤンフィの案内に従って進み続ける。そうすれば、ほどなくしてタニアの耳がピクリとビクついた。
同時に、先行するその足取りを止める。煌夜もそれを見て、足を止めた。
(……近いのぅ)
「――近いにゃ。セレナの声が聞こえるにゃ」
ヤンフィの声と被って、タニアも同じ台詞を言った。そして指を森の奥、左手側に向けると、どうしてか中腰の姿勢になる。
煌夜は、どうした、と声を掛けようとして、しかし言葉を飲み込んだ。
タニアはその左足に力を込めて、今にもダッシュするかのような体勢を取っていた。
「コウヤ、ちょっと耳を塞ぐにゃ。閃光と爆音が来るにゃ――にゃにゃ!!」
タニアがチラリと煌夜に顔を向けて、そんな忠告をする――と同時に、タニアの言葉通り、頭上で突如、凄まじい爆発が発生した。
爆発は辺り一面を真っ白に染め上げて、刹那だけ遅れて、鼓膜が破れるのではないかと思えるほどの轟音が響き渡った。
煌夜は反射的に、その場で身を屈めて、眼をギュッと瞑り、耳を塞いでいた。
「■■■■■――ッ!!」
タニアは爆音と同時に、何事かを絶叫したようだった。また、それを合図に、目にも留まらぬ速さで駆け出してもいた。
煌夜の顔に、爆風じみた風が叩きつけられて、砂が襲い掛かる。
「■■■――■■」
「■■」
煌夜の屈んだ位置から離れたところで、何やら激しい言葉の応酬がしていた。
だが、その詳細は、キーン、と言う耳鳴りのせいで、満足に聞き取れなかった。
今現在、煌夜は、視界が使えず、耳も満足に機能していない状況である。タニアが居なければ絶体絶命のピンチといえるだろう。
何故、そうなったのかは疑問しかないのだが――突然の事態に混乱していて思考がまとまらない。
(セレナめ……妾に手を上げるか。これは、仕置きが必要かのぅ)
一方で、内なるヤンフィのその声は非常にクリアだ。煌夜はその台詞に寒気を覚えつつ、何が起きた、とヤンフィに問う。
(――コウヤよ。今の魔術は、セレナが放った目晦ましじゃ。殺傷能力はないから、安心せい)
(な!? どういう、ことだよ? 俺らに、何でそんな――)
(セレナの弁明によれば、近付いてくる輩に対して、警告の意図で放ったと云うておる。……じゃが、アレは明らかに妾たちを認識しておった)
ぞわりと、背筋が寒くなるトーンで、ヤンフィはそう呟いた。さいですか、と煌夜はただ頷くことしか出来ない。
そんな会話をしている間、ドン、ドン、と遠くで太鼓が鳴るような音の振動が煌夜に届いていた。
やがて、五分ほど経ってから、ようやく煌夜の状態が落ち着く。視界は開けて、耳鳴りは収まった。
頭を数度振って、ゆっくりと瞼を開けて顔を上げた。
するとその視界に飛び込んできたのは、深い森の中に忽然と現れた広場と、地面を捲り上げて出来たクレーターだった。
煌夜は我が目を疑うが、見間違いではない。
「――――な、なっ、なにが、起きた!?」
煌夜の驚愕の声が辺りに響く。それに答えるように、一秒後、空からタニアが落ちてくる。
タニアはクレーターの中心にスタッと着地して、肩に付いた埃を手で払っていた。
煌夜は慌ててタニアに駆け寄る。タニアの立っていた場所はひどく焦げ臭く、ついさっきまで乱立していた木々は、軒並み焼け焦げて薙ぎ倒されている。
また、隕石でも降って来たのか、その場に穿たれたクレーターは、深く深く地面を抉っている。その深度は、2メートル近くもあった。
「おい、タニア、これ……いったい何が……」
「――んにゃ? ああ、コウヤ。回復したにゃ? 良かったにゃ」
煌夜はクレーターを下りて、タニアの横に並んで恐る恐ると問い掛ける。
しかしタニアは冷静に、あっけらかんとした調子で笑顔を見せた。
「ちょっと、セレナが調子に乗ったにゃ。にゃので、あちしが、鉄槌を下したにゃ」
鼻高々に、豊満なその胸を張って答えるタニアに、何のことだ、と煌夜は首を傾げる。だが、その直後、視界の隅で捉えたセレナの姿に、目を点にして顔を向けた。
セレナは、タニアの着地した足元で、地面にめり込んでいた。
全身砂だらけになり、うつ伏せに潰されて、漫画とかでよくある表現をすれば、まさに平べったくなっている状態だ。
実際は平たくはなっていないが、死んでいてもおかしくない埋もれ様である。
「鉄槌、って……何したら、こんなに……?」
(これは、魔闘術の一つ、【魔槌牙】じゃのぅ。見事なもんじゃ……まぁ、月桂樹の魔力を得たセレナも、中々に凄まじかったがのぅ)
煌夜が震える声で呟くと、ヤンフィが感心した風な声で答えた。また、そんな煌夜の呟きに、タニアは、にゃはは、と笑いながら、照れ臭そうに頭を掻いている。
「ちょっと、やり過ぎたにゃ――にゃけど、セレナはもう万全状態みたいにゃ。あちしとまともに闘えたにゃ」
「………………まとも、って……どこが、よ」
タニアが照れながら言ったその台詞に、足元からくぐもった声が聞こえてきた。
見ればセレナが息も絶え絶えに、もぞもぞと土の中から身体を起こしている。死んでなくて良かった、と煌夜は胸を撫で下ろした。
だが、どうしてこんな状況――タニアと闘うことになったのか、眉根を寄せる。
「……クッ……数少ない月桂樹を……一帯丸ごと、押し潰す、なんて……非常識、ね。さすがに……」
「んにゃ? これでも手加減したにゃ。と言うか、にゃんでいきにゃり攻撃してきたにゃ?」
セレナはよろけながらも自力で立ち上がり、顔についた土を払い落とす。身体中は土塗れだったが、そこまで払う余裕はないのだろう。立っているだけでフラフラだった。
しかし、その顔色は、宿屋で寝ていたときよりもずっと健康的だ。回復したのは、本当のようである。
そのセレナの様子を見て、ヤンフィが冷たい声で何が起きたか説明してくれた。
(――セレナは、妾たちに目晦ましを放った後、タニアと問答しておった。内容は、これからの妾たちの往く先についてじゃ。じゃが、セレナは『あ、あたしはここで別れるわ。悪いけど、アンタたちには付いていけない。監視役も、降りるわ』とか、ほざきおって、反論するタニアに、攻撃までし始めおった。タニアは当然反撃して、結果、こうなったと云うわけじゃ。セレナは月桂樹から無限に等しい魔力を需給しておったから、タニアは供給源である月桂樹ごと一帯を強力な重力攻撃で押し潰したのじゃ――)
ヤンフィはやたらと下手糞なセレナの口真似を交えながら言って、ふむ、といきなり押し黙った。
そうして、何秒か沈黙したと思ったら、煌夜の目の前に本来の姿で現れる。その突然の出現には、煌夜のみならず、タニアもセレナも驚愕していた。
いや、セレナに至っては、驚愕というよりも恐怖で愕然とした様子である。ちなみに、どことなくタニアも恐怖顔だった。
「――にゃ、にゃ? ヤンフィ、様? い、いきにゃり、どうしたにゃ?」
「な、な……な、によ? 攻撃、したのは……その……方向性の、違い、と言うか……」
「おい、汝ら。妾たちに、遊んでおる余裕はないじゃろぅ? この後、十三時には【魔動列車】なるモノに乗らねばならぬし、その前にギルドにも向かう予定じゃ。遊びたいのならば、妾が直々に相手をしてやろうか?」
相変わらず桃色の髪をグシャグシャにして、金の蓮と青い鳥の着物姿のヤンフィは、その全身から氷点下の如き冷気を辺りに振り撒いている。
空気は重々しく、タニアとセレナは息をするのさえ苦しげだ。そんな威圧を受けて、二人は口を開いたまま言葉を失っていた。
「お、おい、ヤンフィ……これ以上、状況をこじらせないでくれよ?」
煌夜はその只ならぬ空気に、しかし口を挟めそうにないので、とりあえず当たり障りなくお願いをする。すると、ヤンフィは煌夜に対してはニコリと無邪気な笑顔を見せて、次の瞬間、冷酷な表情でセレナを睨んだ。
「――セレナよ。汝はさっき『あたしはここで別れる』とかほざいたな? それは、つまり妾たちから逃げると云うことか?」
「に……逃げる、とか、そういうんじゃなくて……その、あ、あたしは……」
「妾たちと別れると云うのならば、汝は妾たちに攻撃してきた不届き者と云う位置付けになるが、良いな? となれば、相応の仕置きをすることになるのぅ……そうじゃな。今度は肺でも頂こうか?」
ヤンフィの良く分からない凄みに、セレナは目を丸くして、ヒッ、と息を呑んだ。
無意識にカタカタとその全身が震え始めている。傍らのタニアは首を傾げながらも、口出しはすまいと一歩引いて状況を見守っていた。
「……あ、そ、その……いえ、そのあたしは……ただちょっと、コウヤの為とはいえ……命までは、懸けられないって言うか……」
「――タニアよ。汝は、コウヤの為に命を懸けれるか?」
「んにゃ!? い、いきにゃり、何にゃ? にゃぅ――コウヤの為にゃら、まぁ、懸けれにゃくはにゃいにゃ」
セレナのしどろもどろの弁明に、ヤンフィはすかさず言葉を挟んで、部外者顔をしたタニアに話を振る。突然、矛先が自分に向いたタニアはビックリして反応に困っていたが、照れ臭そうにチラと煌夜を見てから、力強く頷いていた。
すると、ヤンフィは誇らしげに胸を張って、困惑して怯えた様子のセレナに顎をしゃくる。
「ほれ、どうじゃ? 無論、妾もこの命を全て、コウヤに擲つと決めておる。汝もそれくらい――」
「――――ストップ、ストップ! おいおい、ヤンフィ。俺の為に何だって!?」
一方で、一転して話の当事者となった煌夜は、慌てて仲裁に入った。
何の事で言い争ってんだ、とヤンフィを一喝する。ヤンフィは煌夜の横槍に、煩わしそうな表情を浮かべて、ワシャワシャと髪を掻き毟った。
「ヤンフィが、俺の為に色々してくれることは有り難いとは思ってるが、それをセレナやタニアに強要はするなよ。つうか、命まで懸ける必要はないだろうが! 俺、何様だよ!? いやそれよりも、ヤンフィ、お前、セレナにいったい何したんだよ!?」
「……コウヤは黙っておれ。これは、妾とセレナの問題じゃ」
「違うだろ? 俺ら、全員の問題だろ? セレナが抜けるのは、そりゃ心細いけど……どうしても一緒に居たくないなら、仕方ないだろう。セレナにはセレナの目的があるんだ」
煌夜はヤンフィを諭すように言って、視線をセレナに向ける。そして目配せして、逃げるなら今だ、と合図を送った。
当然こんなのは、ヤンフィやタニアにはお見通しだろうが、煌夜がここまでやっていることに、二人は口出ししない。
「お人好しめ……コウヤがそこまで云うならば、もはや引き留めぬ。逃げたくば逃げよ」
(……コウヤよ。此奴が居なくなれば、アベリンに戻る際に、オーガ山岳で妖精族の住処を通る近道が使えなくなるが、それでも良いのじゃな? せめてもう少しの間、拘束しておいた方が……)
ヤンフィは表向き仕方ないとそっぽを向いて、セレナにヒラヒラと手を振った。しかし同時に、心の中で煌夜にそんな台詞を吐いた。
煌夜はその台詞に一瞬だけ悩ましげな表情を浮かべたが、それよりも当人の気持ちが大事、と力強く頷いた。
(ああ、遠回りになるけど、戻れなくはないだろ? いいさ。それは仕方ない)
煌夜の台詞に、ヤンフィは大きく溜息を漏らす。それを見た傍らのタニアは、どうでも良さそうにセレナを見てから、プイと顔を背けた。
「あちしは、コウヤの決定に従うだけにゃ……そもそも、セレナがいにゃくても旅路に問題はにゃいにゃ。短い間だったにゃが、ご苦労だったにゃ」
「――さらばじゃ、セレナよ。何処へとなり往くが良い。コウヤの温情じゃ。仕置きはなしにしてやる」
「…………う、あ、えと……その……命を、懸けなくても、いいなら……」
タニアとヤンフィの素っ気無い台詞に、セレナは何やら口篭っていた。
しかしそんなセレナの言葉などもはや知らんとばかりに、ヤンフィもタニアも背を向けて、クレーターを上がり、来た道を戻り始める。
煌夜はその場でしばし立ち尽くして、一瞬だけ置いて行かれた迷子みたいな表情を浮かべたセレナを見ていた。
「――えと、セレナ。その、数日だったけど有難う。居てくれて、助けてくれて、凄く助かったよ。ヤンフィが何したのかは知らないんだが、謝っておく、すまん」
「――ね、ねぇ、コウヤ。その……今みたいに、アンタが庇ってくれるなら、あたしも同行、できるんだけど……?」
煌夜は勢い良く頭を下げる。そして、踵を返してクレーターを出ようとして、ん、とセレナの台詞に足を止めた。
聞き違いか、と振り返ると、セレナが気まずそうな顔で地面を向いていた。
「え? セレナ、今の……どういう?」
「あ、あのさ……その、パーティの力関係、だけど……今の、やり取りを見ると、アンタが一番上、なのよね?」
「ん? あ、ああ。多分……そうかな?」
煌夜の問い掛けに、セレナはたどたどしく問い返す。煌夜は少し考えて、不本意ながら頷いた。
一応、確かに、煌夜の意見はこのパーティでは絶対に通る。とは言っても、無茶なことや無理難題は口にはしないが、煌夜がトップであろうことに変わりはない。
セレナはその頷きを見て、縋るような顔を煌夜に向けてきた。潤んだ瞳に思わずドキッとする。
「ね、ねぇ、コウヤ……あたしは、出来る限りアンタに貢献するわ。何でも、は出来ないかも知れないけど……ある程度の事なら、従うわ……治癒魔術だって使えるし、こう見えてもあたし、尽くす女よ? だから、さ。この前みたいに、心臓――――ヒッ!」
セレナは口早に言いながら、よろよろとした足取りで煌夜の胸に飛び込んできた。上目遣いのその破壊力に、煌夜は一瞬だけ硬直する。そして畳み掛けるように、涙を滲ませた顔で懇願してきた。
けれどそんなセレナの台詞は途中で、凄まじいまでの圧力に遮られて言葉を失う。
背後から、煌夜でも分かるほど恐ろしい殺気がぶつけられていた。
「セレナよ。何を、コウヤに抱き付いておるのじゃ? 汝は、汝の目的を果たす為に、妾たちと袂を分かつのではないのか?」
「――――あ、あの、えと……あ、そう、コウヤ! やっぱり、パーティに一人は、治癒術師が必要でしょ? さっきは、あたしも大人げなかったわ。その……どうしても、って言うなら、キリア様から言われた監視の任もあるから、付いて――」
「――図々しいのぅ。セレナよ、汝、一度死ぬか?」
煌夜の胸の中で怯えた小動物のように小さくなって震えるセレナに、煌夜は両手を所在なさげに上に挙げて、ヤンフィの凄みに、待った、を掛ける。
「ヤンフィ、落ち着けよ――なぁ、一つ提案なんだが……俺としては、やっぱりセレナが一緒に居てくれると助かるんだ。だから、もう一度パーティを組んでくれってお願いしたいんだけど……どうだろうか?」
煌夜の言葉に、セレナの震えが止まる。同時に、背後からタニアの呆れたような溜息が聞こえる。さて一方のヤンフィは、チッ、と大きく舌打ちを漏らしていた。
煌夜はセレナの態度から、セレナが不本意でパーティを出て行こうとしたのだと察した。そしてその原因がヤンフィであることも見抜いており、それを仲裁できるのは煌夜だけだと自覚もしていた。
だからこそ、ここは間に立って、しっかりと事を収めなければ、と妙な使命感を燃やしていた。
「……妾は、別段、どちらでも構わぬ。サッサと往くぞ」
ヤンフィは渋い声で、しかし一切反論せずに、煌夜の言葉に頷いた。あっけなく説き伏せることが出来て、煌夜もホッとする。
とはいえ、十中八九、ヤンフィが断るとは思っていなかったので、これは予定調和だ。
セレナが顔を上げる。そこには、助かったと言う安堵の色が窺えた。
煌夜と目を合わせて、ニコッと笑顔も見せる。
「え、ええ。分かってるわよ――【湖の街クダラーク】に急ぐんでしょ? 足手まといにはならないわ」
セレナは煌夜から離れると、ふらふらとした足取りで肩を押さえながら、けれど力強く断言した。それを見て、ヤンフィは細めた目を煌夜に向ける。
(……想定外に時間が掛かったが、まぁ、これで丸く収まったのぅ? コウヤは、これで満足か?)
(満足、って言うか、こうなったのは元を質すとヤンフィのせいだろ? こじらすなって言ったのに、状況をしっちゃかめっちゃかにしやがって――)
(それについては謝ろう。すまぬ――じゃから、セレナの仕置きは帳消しにしておこう。それで許すが良い)
(……あ、お仕置きって、その話終わってなかったのかよ。執念深いなぁ……ま、いいや。あ、ちなみに、ヤンフィ。何したか知らないけど、セレナに俺の為とか言って、無理難題を強要するなよ?)
ヤンフィと目を合わせて、煌夜はテレパシーのように会話を交わした。
一見すると硬直して睨みあっているようにしか見えない無言の二人に、タニアが近付いてきて、オロオロとしている。
(――さて、ではそろそろ妾はコウヤに戻る。余計な魔力を消費してしまったわ)
ヤンフィは煌夜には答えず、そう呟いて一つ頷く。
煌夜もそれに頷き返すと、途端にヤンフィの身体が光の粒子に変わって、毎度おなじみ、煌夜の身体に吸収された。
それを初めて目にした様子のセレナは、目を見開いて驚いている。
一方で、オロオロしていたタニアは、ふぅ、と何やら胸を撫で下ろしている。
「え? 何? 今の……コウヤの中に、ヤンフィ様が……」
「――ヤンフィ様は、本来の身体を顕現させておくのに、魔力消費が激しいそうにゃ。にゃので、普段はコウヤの中で養生してるにゃ」
セレナの驚きを、タニアが常識を話すように説明する。それを聞いて、セレナは、あ、と何かに気付いたように声を上げた。
「コウヤの中に宿ってるって、そういうこと? あたし、てっきり、精霊を使役するのと同じように、ヤンフィ様と別次元で交信してるもんだと思ってたわよ……ああ、なるほど」
セレナは何やら、うんうん、と感心した風に頷いていた。そんなセレナにタニアは、ところで、と話を切り出す。
「にゃあ、セレナ。ずいぶんと、心変わりが早いようにゃけど……本当に、あちしたちに合流する気にゃのか? あんにゃに、嫌がってたくせに」
「あ、あれは、その――――いいでしょ? あんな目に遭ったんだから、誰だって怖がるわよ。でも、そうならないなら、別にアンタたちと居るのは、悪くないもの」
「にゃぁ? あんにゃ目、って何にゃ?」
「――それは……言いたくないわ」
「にゃんにゃその態度……あ、もしや、コウヤに色仕掛けでもして、失敗したにゃ? 全裸で迫って、しかも断られたにゃ? 恥ずかしいにゃ」
「――は? どうして、そこでコウヤに色仕掛け云々って話が出てくるのよ? 違うわよ」
タニアとセレナは、そんな風に和気藹々と会話していた。そのやり取りは、煌夜が危惧していたよりもずっと平和で、何事もなかったようである。
そんな二人に満足げな笑みを浮かべながら、煌夜もとりあえず来た道を戻ろうと歩き出す。
「だいたい、あたしの場合、失敗なんてしないわ。コウヤ相手なら、色仕掛けなんかしなくても、あたしさえ頷けば、向こうから『抱かせて下さい』ってお願いしてくるもの。そうでしょ、コウヤ?」
「――――にゃにぃ!?」
すると歩き出した煌夜に、セレナの不穏当な台詞が投げ掛けられる。
その台詞にタニアは過剰反応して、どういうことにゃ、と煌夜の肩を掴んで引き止めた。
割と距離が離れていたはずだが、数メートル程度の距離はタニアには一瞬だったらしい。しかしセレナの台詞自体、煌夜にもなんのこっちゃである。
いつ、誰が、どのタイミングで、セレナにそんなことを言ったのか――まったく見に覚えはない冤罪だ。煌夜は混乱した。
「にゃぁ、コウヤ。今のは、どういう意味にゃ? にゃんでそんにゃ貧相にゃ身体付きの奴に興奮できるにゃ?」
「いや、興奮も何も――つうか、何の話だか見当が付かないぞ」
「あら? コウヤ、言ったわよね? 裸のあたしに向かって『契らないか』とか『タニアでは駄目じゃ。セレナでなくてはのぅ』とか、さ。あたしが頷かなかったから、何とか諦めてくれたけど――」
「にゃにぃ!! にゃにゃ、にゃんと――そんにゃ……」
詰め寄ってきたタニアに、セレナが意地悪い笑みを浮かべてそんなことをのたまう。
そんな台詞に煌夜はまったく覚えがないが、口振りから察するに間違いなくヤンフィの発言であることが分かる。
煌夜が知らないうちに、何を言って、何をやったのか、今更ながら物凄く心配になってきた。
(……おい、ヤンフィ。今のどういう――)
(――気にするな、と云うても気になるじゃろぅから説明するが、コウヤの身体を今より強靭にする為に、セレナと魔力共有する必要があっただけじゃ。じゃから提案した。それ以外に、他意はない……ほれ、そんなことよりも、タニアをどうにかせい。落ち込んでおるぞ?)
ヤンフィはどこか誤魔化すように言って、傍らで肩を落として泣きそうになっているタニアに視線を向けさせる。
タニアはよく分からないが、何故かひどくショックを受けていた。
「にゃぁ――あちしが、こんにゃ、貧相にゃ……セレナより、駄目だしされたにゃんて……」
「――タニア。アンタさ、さっきから何気に、あたしに失礼な発言してるわよ?」
「にゃん? にゃぁ……貧相にゃ癖に、勝ち誇ってるにゃ……自分は必要とされてるからって、調子乗ってるにゃ……」
ブツブツと呟くタニアにセレナが文句を言うが、タニアはセレナの頭の上から爪先までを無機質な目で眺めて、盛大な溜息を漏らす。
セレナは、その態度にカチンと青筋を浮かべるが、特に反論はしなかった。まぁ、事実といえば事実だから、反論のしようがないのだろう――と、失礼ながら、煌夜はそんなことを思った。
さて、ところで、タニアのショックはどうやら、駄目だしされたことが問題らしい。けれど、その程度でいちいち沈まないで欲しい。慰めるのが面倒くさい。
とはいえ、このまま放置しても誤解されてしまう。
「あー、そのさ……タニア。ヤンフィは別に、タニアの何が駄目って事じゃなくて、妖精族の特性として、セレナが必要だって意味合いで言ったみたいだからさ……」
「にゃにゃ……それはつまり、妖精族じゃにゃいあちしは、不必要ってことにゃ?」
「――どうしてそうなる? あ、いや……そうじゃなくて、タニアは必要だよ。あー、あのな……その、タニアをないがしろにしてる訳でも、セレナと比べて、貶してる訳でもなくて……深い意味なんざないから、気にしないでくれよ」
煌夜はしどろもどろに言葉を選びつつ、タニアを慰めようとする。しかし、上手い言葉が見つからず、結局最後は曖昧に言葉を濁した。
すると、タニアが上目遣いに煌夜を見ながら、にゃにゃにゃ、と口を開く。
「コウヤ……あちしは、必要かにゃ?」
「あ、ああ。必要だよ。だから、サッサと切り替えて、行こうぜ」
「にゃぁ――にゃら、セレナとあちし、どっちの方がコウヤの好みにゃ? 抱くとしたら、どっちにゃ?」
「……あ? は、え? どういうこと?」
タニアの機嫌が直ったかな、と喜んだ瞬間、よく分からない質問を投げられる。その台詞を聞いて、セレナが疲れたように溜息を吐いていた。
「セレナみたいにゃ貧相にゃ身体と、あちしみたいにゃ身体、どっちがコウヤは好きにゃ?」
煌夜の瞳を真っ直ぐと見詰めてくるタニアに、煌夜は頭が痛くなる。
どうしてそうなる、と心の底から溜息を漏らす。すると、脱線させた張本人でもあるセレナが、いい加減これでは埒が明かないと助け舟を出してくれた。
「――コウヤ、タニア。時間ないんじゃないの? あたしは、これからの予定、詳しく聞いてないんだから……早く行きましょ?」
「ああ、そうだな……おい、タニア。そういうわけだから、とりあえず移動しよう」
「にゃにゃにゃ!? 答えるだけじゃにゃいか! コウヤはどっちが好みにゃ?」
街に戻る方向に進んでいくセレナの後を追うように、煌夜もタニアの肩を叩いてから歩き出した。タニアは煌夜の隣に並んで歩きながら、猛然と答えを聞きたがる。
確かに、それは答えるだけのシンプルな質問だが、どっちを答えても角が立つ気がする。
(――タニアの問いは、妾も興味があるのぅ。さて、コウヤの好みはどっちなんじゃ?)
そして、そこに便乗してくるヤンフィに、煌夜はいっそう悩ましげな顔を浮かべる。どっちでもいいじゃないか、とは思っても言わない。また下手に突っ込まれても面倒である。
(ほれほれ、どうじゃ? 男好きするタニアの魅惑的な身体か? それとも、セレナのどこもかしこも薄い幼児体型か?)
(酔っ払った親父か、ヤンフィは? 別に……好きになったら、相手の体型なんて二の次だろ? どっちもビックリするくらいの美人なんだ。外見じゃあ選べないっつうの――と言うか、仲間だから! そういう感情はありませんし、今の俺にその余裕もないわ)
(…………なんじゃ、それは。つまらんのぅ)
鬱陶しいヤンフィにちょっとだけ本気で答えて、煌夜はそのまま、傍らで同じように騒ぐタニアをあしらいながら歩いた。
気付けば、この森に入ってから一時間近く経っている。
宿屋を出た時間から逆算して、そろそろ九時を過ぎるだろう。
【魔動列車】の発車時刻は十三時とのことだから、まだまだ余裕はあると思うが、そうゆっくりもしていられない。寄るところがないわけではないのだ。
セレナを迎えに来ただけのつもりだったが、想像以上に厄介な展開になってしまった、と煌夜は木々の隙間から覗く青空を見上げながら、独り嘆いていた。
今日はまだ始まったばかりなのに、いきなり幸先が悪いようだ。
「にゃぁ、にゃぁ、コウヤ。どっちにゃ! あちしか、セレナか! ――って、その反応は、どっちにゃ!?」
腕に引っ付いてその柔らかい胸を押し当ててくるタニアに、煌夜は無言のまま曖昧に頷いた。すると当然、はっきりさせろ、とタニアは喰い付いて来る。
だがしかし、はいはいはい、とそれにもおざなりに答えた。
さて、次に向かうのは冒険者ギルドである。
目的としては、タニアとパーティを組むこと。そして、セリエンティアから受注した『奴隷商人に攫われた弟の救出』依頼について、もっと詳細を聞くことだ。
そう時間の掛かることではないし、難しい話でもない。
問題なく行けば、予定通り【魔動列車】に乗り込めるはずだが、果たしてどうなることやら――こういう日に限って何かが起きるのだ。
煌夜は、何事も起きずに無事【湖の街クダラーク】に着いて下さい、と心の中でひたすら祈っていた。
※活動報告、始めました