第二十七話 公主の秘密/新たなる旅立ち
タニアに肩を借りて、煌夜はぐったりとした様子で森から出てきた。その足取りは重く、非常に気だるげである。
理由は単純で明快だ。二度目のタニアとの飛翔により、その副作用で煌夜の身体が物凄く重くなっていた。
とはいえ、そんな身体に鞭打ってでも、まず宿屋に戻らねばならない。その気持ちで、煌夜は街までの道を戻る。
「あ……そういえば、にゃ。コウヤ、宿屋って、ちゃんと取れたにゃ? よくよく考えれば、コウヤたちって冒険者じゃにゃいにゃ。金も持ってにゃかったはずにゃ――――って、大丈夫にゃ?」
ベクラルの街の正門が見えてきたとき、ふとタニアがそんなことを口にする。
それは今更過ぎる疑問であり、オーガ山岳で二手に別れる前に気付いて欲しかったことである。
煌夜はその疑問に、いっそう心がだるくなり、ガクッと足から力が抜けた。すると、タニアが慌てて煌夜を抱き留める。
「……タニア、それ、もっと早く気付いて欲しかったぞ」
「にゃにゃ? ご、ごめんにゃさいにゃ……」
煌夜が疲れたように吐息を漏らすと、そのあまりのショックにたじろいで、タニアが申し訳なさそうに頭を下げた。
だが、今謝ってくれても意味はない。もう既に解決している問題である。
「宿屋は、なんとか確保したよ。その過程で、一応俺とセレナは冒険者になった。あと、パーティも組んだ」
「にゃにゃにゃにゃ!? 聞いてにゃいにゃ!!」
「……そりゃ、今言ったからな」
酷い裏切りにゃ、とかタニアは仰天しながら叫び始める。煌夜は溜息を漏らしてから、グッと身体に力を入れて自力で立ち上がった。
「タニアも、俺がリーダーでいいなら、パーティを組もうぜ。ランクが下がっちまうかも知れないけど――」
「んにゃ、コウヤがリーダー以外、有り得にゃいにゃ。あと、ランクは下がりようがにゃいと思うにゃ」
「ん? 何で? タニアって、Sランクとかじゃないのか? 俺らのパーティは、まだAランク――」
「にゃにゃにゃにゃにゃ!? Aランク、にゃ??」
タニアは煌夜の台詞を聞いて、先ほどよりもいっそう仰天する。
信じられないとばかりに、目を擦って煌夜の姿を確認している。そんなことしても、意味がないだろうに、とは思っても言わない。
煌夜はタニアが驚いている理由に思い至らず、どうした、と首を傾げた。
すると、タニアの瞳がキラキラと輝き出して、まるで憧れの存在を前にしたような、そんな蕩けた表情になる。
「さすがコウヤにゃ。たった一日で、パーティランクAって――伝説の三英雄たちより凄いにゃ。それにゃらきっと、今年のパーティ部門三英雄賞に選ばれるに違いにゃいにゃ。にゃにゃにゃぁ、感動にゃぁ――あ、ところで、あちしのランクはEにゃ。にゃので、下がりようがにゃいにゃ」
タニアは感動を口走ったと思ったら、いきなり煌夜を正面からハグしてくる。タニアのふくよかな感触を全身で味わいながら、煌夜は、サラリと告白されたそのランクに耳を疑う。
「…………え? Eランク? それ、最低ランクだろ?」
「そうにゃ――あちしは、依頼はこにゃしても、ランクを上げる申請はしてにゃいにゃ。にゃので、ランクは初期値にゃ。あ、けど、これからは違うにゃ。コウヤのパーティに加入したにゃら、ガンガン活躍するにゃ。にゃので、是非、パーティに入れて欲しいにゃ」
「あ、そう……うん、まぁ、それは勿論。よろしく――あ、その、そろそろ、離れてくれないか?」
輝かせた瞳で、キスでもするかのように煌夜に顔を向けるタニアに、ちょっとドキマギしながら煌夜は顔を逸らす。
にゃ、とタニアは少し残念そうな声を上げてから、スッと身体を離した。
煌夜は、ふぅ、と吐息を漏らしてから、ドキマギしている心臓を誤魔化すように、話題を変えた。
「と、ところで、タニア。その、次の街【湖の街クダラーク】だっけか? そこって、ここから遠いのか? どうやって行くんだ?」
タニアはその質問には、んにゃぁ、と困った顔を浮かべて、腕を組んだ。何か答え難いのだろうか、少しだけ不安になる。
「距離的には、遠くにゃい。ここから魔動列車に乗って、二十時間くらいにゃ。にゃけど……かなり高額にゃ。ちょっと、あちしの手持ちじゃ、一人分も用意できにゃいにゃ」
タニアは口をへの字に曲げて、申し訳なさそうに頭を下げる。
煌夜はその台詞に、列車で二十時間は遠いだろう、と突っ込みを入れそうになって、グッと堪えた。言った所で詮無きことである。
大体にして、この世界は交通インフラがあまり発達していない。
単純に土地が広く、街が少ないと言うこともあるようだが、街と街との間隔がひどく離れている印象だった。
それを考えると、列車で二十時間というのも近い部類になるのだろう。
そもそも列車と言うのが、煌夜の想像通りとは限らないわけだが、まあそれは別の話だ。
煌夜はとりあえず移動時間のことはスルーして、もう一つの問題のほうに食い付いた。
「ちなみに――高額って、どれくらい?」
煌夜は今、セレナと解決した依頼の報酬で、結構な金額を持っている。
宿屋代を支払っても、アドニス金貨一枚とテオゴニア銀紙幣十四枚――テオゴニア銀紙幣に換算して、二十四枚だ。少なくとも、タニアの所持金よりは多い自信がある。
タニアは煌夜の質問に、渋い顔で右手をしっかと開いた。
「一人、テオゴニア銀紙幣五枚にゃ――あちしは、もう銀紙幣にゃんて持ってにゃいにゃ。にゃんかの依頼をこにゃして、稼ぐ必要があるにゃ」
「銀紙幣五枚……か。それなら、大丈夫だな。良かった」
「んにゃ?」
ふぅ、と意気消沈するタニアとは裏腹に、その金額を聞いて煌夜は胸を撫で下ろした。
その額ならば、手持ちで充分事足りる。それが果たして、高額かどうかはよく理解できないが、三人分を払ってもまだ予算に余裕はある。
タニアは、煌夜の言葉に不思議そうな顔を浮かべる。ああ、と煌夜は頷いて、昨日の出来事を話した。
冒険者として初めての依頼、そしてその内容、結果として、パーティがBランクになり、そこそこの報酬を受け取ったこと、その後でセレナが倒れたことまで説明する。
すると、タニアは何かに気付いて、んにゃ、と首を傾げる。
「……にゃあ、コウヤ。今のパーティランクは、Aランクじゃにゃいのか? 今の話じゃBランクって……そのあとで、にゃんか依頼をこにゃしたのかにゃ? んにゃあ、でも、セレナが倒れてるにゃ? 一人でにゃんかやったのかにゃ?」
「いや、それがさ……今、別件で依頼を受けてて、それを受注したから、Aランクにしてくれたんだよ。依頼内容は――」
「――にゃにゃ!? それ、特別依頼にゃ! 凄いにゃ、コウヤ。さすがにゃ」
煌夜が、実は、と話し出すと、タニアは話途中でまた歓声を上げて、煌夜を絶賛する。その勢いにちょっと引きつつ、煌夜は続きを話す。
「――で、依頼内容なんだが、『奴隷商人に攫われた弟を助け出すこと』で――この写真……じゃなくて、記憶紙の男の子が攫われた子供なんだよ。この子は、ベクラルの街の公主の弟らしくて、その公主から直接依頼されたんだ。彼女の話だと、攫った相手は老人と時空魔術の使い手だったらしい。つまりは、攫った奴隷商人ってのは、【子供攫い】だと思うんだ」
「にゃにゃ? コウシュ――公主、にゃ?」
「ん? ああ、公主……えと、セリエンティア、だっけな?」
タニアはその言葉に一瞬ポカンとするが、すぐに顔を引き締めて、何かを思い出すように視線を巡らせる。そして、ああにゃるほど、と納得した顔を見せてから、周囲を一瞥して小声で聞いてくる。
「コウヤ、その話……誰にも喋るにゃ、って言われにゃかったかにゃ?」
「……言われたけど、やっぱ何か含みがあるのか?」
タニアは途端に、やっぱり、と頷いて、口に人差し指を当てて黙るようジェスチャーした。気付けば、もう宿屋が建つ通りに差し掛かっている。
「――その話は、部屋で詳しく聞くにゃ。セレナにも説明しにゃいといけにゃいし……とりあえず、あちしはお腹空いてるにゃ。見張ってた時、食事抜きだったにゃ」
タニアの相変わらずマイペースな台詞に苦笑して、煌夜は宿屋へと意識を向ける。
宿屋からは楽しげな喧騒が響いてきており、かなり繁盛していそうだった。そろそろ、日が暮れ始めている。早めの夕食だろう。
カランコロン、と呼び鈴が鳴り、タニアが先行して宿屋に入った。むわっとした熱気と香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃい――ん? アンタ、獣族……あ、お戻りですかコウヤ様」
「にゃにゃにゃ! あちしは、コウヤの連れにゃ。飯を用意するにゃ」
カウンターに立っていた店主が、タニアの姿を見て、もしや、と言う表情を浮かべた。その予想を肯定するように、タニアが『連れ』と答えたことで、ちょび髭スキンヘッドの店主は、納得顔で頷いた。
「ああ、お連れさんと合流できたんですね? それは良かった――食事ですね。畏まりましたが……冒険者の証明を――」
「――これにゃ。あ、食事は部屋まで頼むにゃ」
店主は笑顔で煌夜に頷いてから、タニアに視線を向けた。タニアはその視線を受けて、手馴れた様子で、すかさず右手の手甲を外した。
するとそこからは、冒険者の証としてギルドで煌夜が貰ったのと同じ小さな宝石が出てくる。それを確認して、店主は再度、畏まりました、と頭を下げた。
「あ、お連れ様については、食事券の提示は結構でございます。どうせギルドで提供されますし、コウヤ様より追加金も頂いておりますので」
店主は笑顔でそう言って、早速、食事の用意を始めてくれる。タニアはその態度に、物分りが良くて助かるにゃ、と呟いて、カウンターを素通りして宿屋の階段を上る。
その背中を見送ってから、煌夜は慌てて後を追った。
「――おい、タニア。お前、部屋がどこか知らないだろ?」
二階まで上がって、廊下をズンズンと進むタニアを呼び止めた。にゃ、とタニアは不思議そうな顔で振り返る。
「知らにゃいけど……どうせここら辺の中級部屋じゃにゃいのかにゃ? 冒険者ギルドで渡される宿屋券にゃら、中級の二人部屋までしか借りれにゃいにゃ」
「……あー、違う。上級の四人部屋を借りたんだよ」
「にゃ?! どうやったにゃ?」
「俺ら全員、冒険者だから、サービスで安く借りれたんだよ。もう金は払い終わってるし……」
煌夜の説明に、タニアは驚いた顔をして立ち止まる。
「ああ、さっきの『追加金も頂いております』って、そのことかにゃ。それは嬉しいにゃ――四人部屋ってのが、少しだけ残念にゃけど」
タニアは苦笑しながら言って、煌夜の傍まで戻ってくる。
煌夜はその台詞にはあえて返事をせず、こっちだ、と階段を更に上へと進んだ。部屋は三階の角部屋である。
そうして、部屋に戻ってくると、煌夜は真っ先にセレナの眠っている寝室に向かう。
部屋を留守にして数時間、そろそろ意識を取り戻しても良い頃ではないだろうか。
「セレナ――今戻ったけど……体調はどうだ?」
煌夜は寝室に入って声を掛ける。しかし、薄暗くなっている寝室内からは返事はなかった。
「おーい、大丈夫、か……?」
もう一度声を掛けながら、寝室の明かりを点ける。
ちなみに、明かりは寝室の入り口脇にある魔法陣に手を当てることで、天井に星のような炎が点る仕組みになっている。
煌夜は明かりを点けてから、しばし耳を済ませた。すると、微かに寝息が聞こえてくる。
それは苦しげなものではなく、だいぶ落ち着いている。少しは容態が快方に向かっているのかな、と安堵しながら、セレナのベッド脇の椅子に腰掛けた。
セレナは今、身体を横にして、煌夜に背を向けて眠っていた。布団は既にはだけており、上半身が露出していたが、幸いにして、煌夜には白い背中しか見えない。
それでも充分に扇情的だが、気にしないように努める。
「…………まだ、意識はないまま、か」
「にゃにゃにゃ――コウヤ、こっちかにゃ?」
セレナの無反応に肩を落とした時、タニアが寝室に顔を出す。
煌夜はタニアに顔を向けてから、あ、と気付いて椅子から立ち上がった。チラとセレナの素肌を見てから、タニアに手招きする。
セレナは今、正真正銘、真っ裸だ。だが服を着せたくとも、それは煌夜には中々難度の高いミッションである――そこでタニアだ。
同性ならば、服を着替えさせることくらい容易だろう。
「あ、タニア。すまんけど、セレナに服を着せてくれないか?」
煌夜の隣に近付いてきたタニアにお願いして、横たわるセレナを指差した。
タニアは物凄く怪訝そうに眉根を寄せてから、何の躊躇もなくセレナに掛かっていた布団を剥ぎ取る。
あらわになる白い肌と、妖艶な腰回りの曲線、しなやかな脚。
煌夜はギョッとして、その光景を目に焼き付けてから、慌てて背を向けた。一瞬遅れて、タニアがセレナを仰向けにずらしていた。
「……想像通りに貧相にゃ身体付きにゃ。しかも、妖精族の癖に毛深いにゃ……魔術紋様は失われてにゃいから、処女にゃのは間違いにゃい」
タニアは温度のない声で、そんなことを呟いた。どこを見て毛深いと言っているのか非常に気になるところだが、とりあえず煌夜は訴える。
「――な、何を、してんだよ、タニア! いきなり……」
「にゃぁ、コウヤ。にゃんでコイツ、全裸ににゃってるにゃ? 誘惑でもされたにゃか?」
まるで冷水のような声音で、タニアが煌夜の台詞を遮った。その迫力に、ウッ、と煌夜は言葉を呑む。どうしてかタニアは怒っているようだった。
「セ、セレナが裸なのは……風呂場で、倒れてたからだよ。湯船に沈んでて、かなりやばかったんだ。誘惑とか、そんなのはされてない」
「…………まぁ、よく考えれば、誘惑されてても、結果、手を出してにゃいから、問題はにゃい……かにゃ」
煌夜が言い訳じみた真実を口にすると、タニアはしばし沈黙してから、仕方にゃい、と息を吐いて呟いた。
「コウヤ、コイツの服はどこにゃ?」
「あ――ああ、ここだよ。一応、脱衣所にあったのをそのまま持ってきた」
「んにゃ。じゃ、着替えさせるにゃ――にゃ? コイツ、こんにゃ下着付けてたにゃか?」
煌夜はタニアの要望に答えて、まとめてあったセレナの服をタニアに手渡す。すると、その中から紐みたいな下着を見つけて、タニアは白けた表情を浮かべていた。それを見て、煌夜は慌てて寝室から出て行く。
ふぅ、と煌夜がリビングのソファに腰を下ろすと、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
出迎えると、それは三人分の食事である。受け取ってテーブルに並べると、香ばしい匂いが部屋の中に充満した。
それからしばらくして、タニアが一仕事終えたみたいな満足顔で、リビングにやってきた。
「にゃにゃにゃ、飯にゃ! 頂きますにゃ!」
タニアはテーブルに並んだ食事を見て、すぐさま食い付いた。
よほど空腹だったのか、凄まじい速度で一人分を平らげて、確認もなく二人分の皿に手を付けた。セレナの意識がないから、一人分は余るので特に問題ないが、煌夜は少しだけ呆れる。
「――――あ、にゃあ、コウヤ。セレナの状態、ヤバくにゃいか? あちしがアレだけ身体中まさぐっても、何の反応も返さにゃかったにゃ。妖精族は感度が高いはずにゃのに、あそこまでやって無反応は、ちょっと心配にゃ」
もしゃもしゃ、と食事をしながら、タニアはそんなことをのたまう。
どれだけ身体中をまさぐったのか、その表現に煌夜は少しだけ顔を赤らめたが、そんな邪念は振り払って、確かに、と同意した。
「だよな――昨日からずっと、意識がないんだ。かなりヤバイ容態だと思うんだけど……ヤンフィ曰く『放っておけば数日で治るだろう』ってさ。なんだっけかな……灰化、現象? とか言うのも起きてないから、純粋に魔力枯渇なだけらしいんだが……」
「ああ、にゃるほど、それにゃら安心にゃ。確かに、灰化現象も起きてにゃい。にゃにゃ――ヤンフィ様が放っておけって言うにゃら、放っておいて間違いにゃいにゃ」
タニアは、ヤンフィの言葉を伝えた瞬間、心配そうだった表情を一転させて、もう助かったかのように、安堵の吐息を漏らしていた。
思わず煌夜はツッコんだ。
「おいおいおい、タニアよ。あの状況で、放っておけって、心配じゃないのかよ?」
「んにゃ? だって、数日で治るにゃ? にゃら放っておけば良いにゃ。このままでも、別に死にゃにゃいにゃ?」
「それは……確かに、死なないらしいけど……」
「それとも、にゃんか他に治す方法でもあるにゃか?」
「…………いや、ない、けど」
にゃら放置にゃ、とタニアは力強く頷いて、食事に集中する。
煌夜は憮然とした表情を浮かべて、とりあえず食事で出された汁物に手をつける。味噌汁みたいな色合いだったが、味は中華スープのようで、しかも非常に美味だった。
「さて、にゃ――ちょっとお腹が落ち着いたにゃ。そろそろ、さっきの話の続きをするにゃ。セレナはあんにゃ状態だから抜きにゃ」
タニアが二人分の食事を粗方食べ終えた時、改まった様子で煌夜に顔を向けた。
口元に食べかすが散らかっているが、別段気にした様子はない。煌夜はあえて口元を拭う仕草をして、タニアに拭けと合図を送る。しかし、意図は伝わらなかった。
「コウヤ、さっき『公主から直接依頼された』って、言ってたにゃ。それ、本当かにゃ?」
タニアは真剣な表情で、それを確認してきた。真面目な顔なのに、その口元の汚さが全てぶち壊しだ。
煌夜は呆れたように息を吐いて、近くのタオルでタニアの口元を拭ってやった。
「……ああ、公主セリエンティアって女性が、俺とセレナに直接依頼してきたよ。ちなみに、公主はギルドマスターも兼任してて……なんか、身分を明かせない云々言ってたけど……」
「そりゃそうにゃ。ベクラルの領主一族は今、北方の大帝国【竜騎士帝国ドラグネス】の王家に命を狙われてて、何人もの冒険者の刺客を送り込まれてるって噂にゃ。しかもベクラル領主一族には、高額懸賞金が掛かってるにゃ……というのも、領主一族の血筋は、遡るとドラグネス王家の正統後継者の血が流れてるにゃ。で今、ドラグネス王家は王位継承で揉めてるにゃ。にゃので、王位継承の障害ににゃりかねにゃい領主一族は、ハッキリ言って邪魔にゃ存在にゃ」
タニアは声のトーンを落として、そんな重大事を口にした。
煌夜は唖然と口を開けて、どう言えば良いかわからず沈黙する。すると、補足とばかりにタニアが続ける。
「ちにゃみに、領主とその妻は四色の月二巡前に捕まって、とっくに処刑されてるにゃ。捕まってにゃいのは、娘と息子だけにゃ」
そこまで聞いて、煌夜はとりあえず納得して頷く。どうして身分を隠していたかは、理解できた。だが、逃亡して隠れている身ならば、わざわざギルドマスターになどならなくても、と別の疑問が浮かぶ。
しかしその煌夜の疑問は、ヤンフィが答えた。
(じゃから、ギルドマスターか……刺客が冒険者であれば、ギルドにその動向の情報は集まる。情報があれば何とでも対応できる上、ギルドマスターの権限で融通も利かせられる……と、云うたところか。身分も隠しておけば、目をつけられることもないしのぅ。とはいえまあ、妾たちが刺客でないことのを確認しなかったのは些か軽率だとは思うがのぅ)
(――ああ、なるほど)
ヤンフィの想像に煌夜が納得していると、タニアが口を開ける。
「コウヤ、その公主の弟が攫われたにゃら、攫ったのは十中八九、【子供攫い】とは別件にゃ。攫ったのは間違いなく、ドラグネス側の人間にゃ。とにゃると、公主から頼まれた依頼――『奴隷商人に攫われた弟を助け出す』つもりにゃら、向かう場所はアベリンに戻って、北門から龍神山脈を越える旅ににゃるにゃ……どうするにゃ?」
タニアはそう断言してから、首を傾げた。煌夜は言葉に詰まって、沈黙で返すと、ヤンフィが続ける。
(断定する根拠がよく分からんが、妾が危惧した通りの嫌な展開じゃな。完全に、妾たちが対応する必要のない無駄な慈善活動じゃ)
嫌みったらしく呆れた様子で言うヤンフィに、煌夜は反論せず、代わりとばかりにタニアへ食い下がる。
「こ、子供攫いと別件って、どうしてそう思うんだよ。可能性は低いのかも知れないけど、攫った奴らの特徴は――」
「――子供攫いの攫う子供は、ベスタ曰く『十三歳以下の少年少女』にゃ。それ以外は、子供攫いの商品じゃにゃいにゃ。公主セリエンティアの弟は、童顔にゃけど二十歳を過ぎてるはずにゃ。それに、老人と時空魔術師の使い手ってだけじゃ、子供攫いが攫ったとは断定できにゃいにゃ。時空魔術の使い手は、確かに珍しいにゃけど、子供攫いの共犯者――時空魔術の使い手はそもそも、世界蛇のガストンにゃ。とにゃると、むしろ子供攫いに攫われた可能性よりも、世界蛇に攫われた可能性の方が高いにゃ」
「……あ、う、こ、これで……二十歳?」
煌夜はセリエンティアに渡された記憶紙を、まじまじと見やる。
そこに写るのは、どう見ても小学生のような少年だ。だが、よくよく見れば、対比物がない為、顔は幼いが、身長が小さいかどうかは分からなかった。
そんな衝撃を受けている煌夜に、タニアは続ける。
「世界蛇は二年前の大戦で、ドラグネス側の王族に取り入ってたにゃ。もう崩御したけど、前国王は世界蛇に所属してたらしいにゃ。にゃので、攫った主犯は、世界蛇の方がしっくり来にゃいかにゃ?」
タニアはそう話してから、ご馳走様、と食事を終える。そこまで理由を説明されて、煌夜は納得するしかなかった。
しかし、そうなるとヤンフィの指摘通り、完全にいまの煌夜たちの目的とは異なることになる。煌夜は頭を悩ませた。
しばしそうして悩んでいると、助け舟とばかりに、ヤンフィが身体の主導権を交代するよう提案して来た。なにやら考えがまとまったらしい。
煌夜はヤンフィとチェンジする。
「――タニアよ、妾たちの当面の目的は、子供攫いの手下を潰し、攫われた童を助けることじゃ。つまり、子供攫いの手下が向かった【湖の街クダラーク】を目指す。公主セリエンティアの依頼については、ひとまず無視じゃ。攫ったのが誰であろうと、期限を求められておる案件ではない。見つかれば良し――その程度で対応するぞ。さて、そして【魔神召喚】の件じゃが、子供攫いの手下を潰すついでに、破壊して回る。配置図で見ると、それほど距離があるわけではないし、コウヤの探す童が生贄である可能性もある。そも、確認せんとコウヤが煩いしのぅ」
「にゃあ、ボス。とにゃると、世界蛇のガストンはどうするにゃ?」
「ガストン? 彼奴に用はない、無視じゃ。わざわざ追いかける必要はないじゃろぅ……そも、どこに行ったか分からん」
どうじゃ、とヤンフィは心の中で煌夜に問う。それは煌夜の要望を十分に汲んだ提案だった。煌夜は、ああ、と強く頷く。
「にゃにゃにゃ! 分かったにゃ。あちしは、それに異論にゃいにゃ」
「ふむ……であれば、タニアよ。早速、クダラークに向かうぞ。【魔動列車】じゃったか? それは何処で乗るのじゃ?」
「にゃ。ベクラルのどっかにデカイ乗り場があるにゃ。そこで一日に一本、十三時頃発車するはずにゃ。にゃので、今日の便はもう無理にゃ」
タニアは残念そうに肩を落とした。それを聞いて、ヤンフィは神妙な顔で何事か思案すると、納得したような頷きと共に口を開ける。
「――タニアよ。それならば悪いが、月桂樹のある場所まで、セレナを運んでくれぬか? 月桂樹の魔力を浴びれば、セレナも覚醒するだろう。そして、明日は一旦ギルドに顔を出してから、魔動列車での移動とする。どうじゃ?」
「にゃにゃにゃ、畏まりましたにゃ――ただ、月桂樹がある場所って、オーガ山岳に戻るってことにゃ?」
「ああ。何、妾たちが降りて来た崖を、魔闘術で登ればすぐじゃろぅ。妾は待っておるので、サッサと行ってこい」
ヤンフィは割りと無責任に、タニアに丸投げでそう命令する。タニアは一瞬渋面を浮かべるが、あ、と何かに気付いて、手をポンと叩いた。
「そうにゃ――月桂樹があれば、どこでも良いにゃ? ベクラルの滝に行く途中にゃら、確か月桂樹があったにゃ」
タニアの言葉に、ほう、とヤンフィが感心した声を上げる。煌夜もそれを聞いて、おお、と感嘆の声を上げた。
まさかそんな近くに、セレナの回復スポットがあったとは驚きである。
「それならば、タニア。セレナの回復は明日でも良いじゃろぅ――明日は、朝から動き始めて、セレナを回復させてから、ギルドに寄る」
「にゃにゃ? あちしは、それで構わにゃいけど……いいにゃ? そんにゃにすぐ、セレナは回復するもんかにゃ?」
「妖精族が月桂樹から得る魔力は、凄まじい。時間が掛かったとしても、二時間程度でほぼ全快するじゃろぅ。それよりも、今日はゆっくり休んでおけ。妾も思ったより消耗しておるので、そろそろ休む……コウヤ、後は任せた」
ヤンフィはそう言って、主導権を放棄した。身体のコントロールが煌夜に戻ると、煌夜はタニアに顔を向けて、反応を窺う。
タニアは煌夜と目を合わせると、にゃ、と頷いて親指を立てる。
「分かったにゃ、ボス。にゃら、セレナはとりあえず放置にゃ。あちしも、ボチボチ眠くにゃってきたから寝るにゃ」
タニアはそのまま立ち上がり、グッと背伸びして寝室へと戻っていった。
本当にその言葉通り、睡眠に入るのだろう。ほどなくして、寝室からは、おやすみにゃ、と言う声が聞こえてきた。
煌夜はそれを聞きながら、中途半端に食べていた食事を再開して、腹ごしらえを済ませる。
(……なぁ、ところで、ヤンフィ。【魔神召喚】ってのは、魔神を召喚して、何もかも破壊する魔術なんだよな? アイツら結局、何が目的でそんなことをするんだろうな?)
(知らぬ。じゃが、タニアが云うておったのは、それが【世界蛇】なる組織の教義、らしいのぅ――既存の世界を破壊して新たなる世界を構築する、じゃったか? まあ、なんにせよ、イカれた狂信者たちが取る行動に、意味を考えるだけ無駄じゃ)
煌夜の疑問に、ヤンフィは忌々しげに吐き捨てる。
それからほどなくして煌夜は食事を終えて、顔と歯と身体を洗って、休むことにした。外はまだ暗くなってそれほど経っていないが、時計がないので正確な時間は分からない。
ただし、テレビなど娯楽アイテムもないので、サッサと休むのが吉だろう。
寝室に行くと、タニアは先ほどの宣言通りに四つあるベッドのうち一つに、丸まって眠っていた。
セレナは、しっかりと服を着せられており、しかし相変わらず苦しげな顔で寝息を立てている。
煌夜は、そんな二人を横目に、二人から一番遠いベッドに身体を横たえる。眼を瞑れば、すぐに眠気に襲われた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「――――起きるにゃ、コウヤ! 朝にゃ。そろそろ、移動しにゃいと、時間にゃくにゃるにゃ」
ゆさゆさと身体が揺すられる感覚に、煌夜は目を覚ます。ゆっくりと瞼を開けると、目の前にはタニアの顔があった。
馬乗りになってキスでもするかのように覗き込んでくるタニアの顔に、煌夜はビクッと一瞬硬直した。タニアは、煌夜が起きたのを見て、満面の笑みで頷く。
「やっと起きたにゃ、コウヤ。おはようにゃ――もうそろそろ七時にゃ。朝飯食って、ギルドに寄って、魔動列車に乗り込むにゃ」
「あ、ああ、おはよう。今は七時か……結構寝たな」
煌夜は馬乗りになっていたタニアをどかして、眠たい身体を起こした。グッと背伸びすると、身体の節々がボキボキ音を鳴らす。
「あ――つうかさ、タニアはどうやって時間を確認してるんだ?」
「時間にゃら、日の高さとか月の高さでも分かるけど、それ以前に部屋に時計があるにゃ……あ、コウヤは時計、読めにゃいにゃ?」
タニアは煌夜の質問にキョトンとした後、ああ、と気付いて手を叩いた。
一方で煌夜は時計があると言われて、思い当たるものがなく首を傾げる。
タニアは煌夜の反応に頷き、リビングから音楽で使うメトロノームに似た調度品を持って来た。
「これが時計にゃ。針の傾きで時間を、針の芯部分で満ち欠けしてる青と緑の液体で分を、真ん中の十枚の硬貨で秒を表すにゃ」
タニアは言いながら、振り子の針部分を『時間』、振り子の芯を彩る体温計見たいな部分を『分』、そして、メトロノームの台座部分に付いている赤と緑に光る硬貨のレプリカを指して『秒』と説明する。
言われてよく見れば、確かにところどころ数字らしき文字が刻まれていた。
「これで見ると……今、ちょうど七時十八分五秒にゃ」
「……なるほど」
タニアは説明できたことに誇らしげな顔で胸を張った。煌夜はヤンフィにさりげなく尋ねる。
(ヤンフィは、時計の見方知ってたのか?)
(知らん。妾は日の高さと月の高さで確認していた)
さいですか、と煌夜は頷いて、とりあえずセレナのベッドに顔を向ける。
果たして、少しは回復しただろうか。
「……あれ?」
ところが、セレナが寝ていたベッドはもぬけの殻だった。寝室を見渡すが、何処にもいない。
不思議そうな顔をしていた煌夜を見て、タニアは気付いて説明する。
「セレナにゃら、朝早く意識を取り戻して、一人でベクラルの滝の森に行ったにゃ。あちしが『一緒に行こうか』って優しくしてやったら『だ、大丈夫です、一人で、行って来ます』って、怯えた顔で出てったにゃ」
タニアの妙に上手い口真似に、煌夜は安堵の吐息を漏らす。
良かった、体調はだいぶ回復したらしい。確かにヤンフィの言う通り、放置していて問題なかったか、と心配が杞憂だったことに安心する。
「怯えた顔で、ってのが疑問だが、体調は大丈夫そうだったのか?」
「にゃにゃ……フラフラだったにゃ。にゃけど、一応、妖精族とバレにゃいよう、あちしの外套を羽織っていくだけの知恵は回ってたにゃ」
「そうか。なら、まあ、大丈夫か?」
「にゃ。大丈夫にゃ――にゃあ、早く部屋を引き払って、飯食うにゃ」
タニアはそう言って、煌夜に腕を絡めて強引に引っ張る。抵抗は虚しく、タニアの剛力の前では、為すすべもなく部屋から出された。
タニアは既に旅支度の準備は万端だったようで、リュックを背負っており、室内も綺麗にしていた。とはいえ、散らかすほど何かあったわけではないが、忘れ物の確認も終わらせていたようだ。
煌夜は引き摺られるまま、食堂に降りてカウンターに座る。今朝はまだ、それほど混んでいなかった。
「おや――おはようございます。コウヤ様、と……『タニア』様。本日はいかが――」
「宿を引き払うにゃ。ついでに飯を出すにゃ」
ちょび髭スキンヘッドな店主の言葉を遮り、タニアは一方的な注文をする。けれど、店主は慣れたもので、強面を笑顔にして、畏まりました、と頷いていた。
タニアは当然の顔で煌夜の隣に座ると、店内をサラリと見渡した。煌夜もその視線を追うように店内を眺める。
店内はそれほど混んでいない。今日は、一人で飲み食いする客が多いようで、店内に充満しているアルコール臭と、香ばしい食事の匂いの割りに、静かなものだった。見知った顔はどこにもなかった。
「あ、そうだ、タニア。【湖の街クダラーク】って、どんな街なんだ?」
「にゃにゃ? クダラークにゃ? んー、よく知らにゃいにゃ」
煌夜とタニアの前に定食のような食事が用意された時、煌夜はふと疑問に思ったことを口に出した。
タニアは早速食事にありつきながら、んにゃ、と首を傾げた。
「……知らないって、行ったことないのか?」
「にゃい――あちしはそもそも、【王都セイクリッド】から続く【聖王行路】と呼ばれる【デイローウ】→【クダラーク】→【ベクラル】→【アベリン】のルートで来てにゃいにゃ。あちしは、【王都セイクリッド】から【フェグサム】→【エフェマ】→【アベリン】の遠回りで危険なルートを通ってきたにゃ。にゃので、噂以上には知らにゃいにゃ」
「…………よく分からんが、そうか」
サラサラと答えるタニアに、煌夜は知らない単語が多すぎて曖昧に頷いた。その思いはヤンフィも同様のようで、今の時代の街など分からん、と一蹴していた。
食事はサッと食べ終えて、宿代は既に清算済みのため、そのまま宿屋を後にする。
「……なぁ、タニア。セレナとはどこで合流予定なんだ? 俺らは、ギルドに行けばいいのか?」
「にゃにゃにゃ? 待ち合わせはしてにゃいにゃ。にゃので、セレナが逃げる前に、あちしたちが森まで迎えに行くにゃ」
煌夜はギルドの方に足を向けようとして、ピタリと動きを止めた。
一方で、タニアは街の出口へと顔を向けていた。
「逃げる、って……なんで?」
「知らにゃいけど、あの顔と態度は、勝てにゃい敵を前にして、逃げる奴の顔だったにゃ」
煌夜の疑問に、タニアは力強く断言した。すると、ヤンフィもそれに同意する。
(ああ、そうじゃのぅ。彼奴は逃げるやもしれん。迎えに往くぞ。時間がもったいない)
タニアの言葉に同意したヤンフィに、煌夜は、逃げるようなことをしたのか、と勘繰りたくなった。だが、有無を言わせずタニアが腕を引く。
「さあ、行くにゃ。セレナが森に行って、ボチボチ三時間は経つにゃ。急ぐにゃ」
タニアに腕を引かれるまま、煌夜は、これ見よがしに溜息をつく。
朝の風は爽やかで、今日も一日、天気は良さそうだった。
9/19 一部表現を変更「コート」→「あちしの外套」