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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第〇章 プロローグ
3/113

第三話 神隠し

 

「――千鶴ねぇ、ちょっとごめん。一旦電話切るよ、そんでまた後で電話するわ」

「うん? ええ、分かったわ。あんまり遅くならないでね? 気をつけて――」


 千鶴の言葉を最後まで聞かず、煌夜は携帯を切った。そして、恐る恐ると鳥居に近付く。鳥居は淡い光を放ち続けていたが、その光はよく見れば先ほどよりも薄くなっている気がする。


「サラ……リュウ……コタ……」


 震える声が煌夜の口から漏れる。しかし、その声は虚しく夜風に乗って消えていく。

 煌夜は無駄だと理解しつつも、鳥居を何度も何度もくぐって行ったり来たりしてみる。しかし、裏表どちらから通り抜けても、さっきの別世界には辿り着けなかった。


「……な、んでだ……どう、して――」


 煌夜はその場に力なく崩れ落ちた。途端に襲い掛かってくる後悔、息苦しくなるほどの恐怖、頭は真っ白になり思考は停止状態になった。

 茫然自失――である。

 ただただ鳥居の先を眺めて、時間の過ぎるままに任せていた。

 当然だろう。煌夜の判断で、三人が消えたのだ。思いの重さが物理的であれば、煌夜は自身の後悔に押し潰されているに違いない。

 やがて、鳥居の淡い光は雲散霧消していき、気付けば辺りは真っ暗闇になっていた。それでも、煌夜はその場から動けなかった。


 どれくらいそうしていたか――ふと、神社のほうから和太鼓を叩く音が響いてきた。

 どうやら街を練り歩いていた山車が戻ってきたようだ。ということは、もう午後十一時を回ったのだろう。

 煌夜は時間を確認する。思った通り、もう十一時半を刻むところだった。そろそろ天見園に戻らなくては――


「――でも、俺一人で戻って、どうするんだ?」


 ノロノロとその場に立ち上がり、煌夜は悔しげに独りごちた。冷たい風が煌夜の頬を撫でる。その風のおかげで、少しだけ冷静になった。


(……まず、状況を、考えよう。いま俺がやるべきことはなんだ?)


 鳥居は相変わらずそこに建っているが、もはや光は宿っていない。当然ながら、鳥居の先に見える景色も神隠し岩の絶壁だけだ。

 煌夜は、ゆっくりと長く深呼吸して、脳内に酸素を行き渡らせる。そして当面の事実を再確認した。


(三人は、鳥居の先――おそらくあれは、異世界か。そこに閉じ込められている。これは間違いない)


 いつ、なぜ、どんな条件で異世界との扉が閉じたのかは分からないが、分からないことは考えても仕方ない。

 まず肝心なのは、三人がどこにいるか、ということ。そして次に考えるべきは、三人をそこからどうやって助け出すか、である。

 現状、三人がいる場所は分かっていても、そこに向かう術はない。


(なら、どうする? 俺は何が出来る?)


「――条件を探す、それが先決か……三人がいる場所に行けなければ、助け出しようがない」


(条件は何だ? どうすれば、鳥居の中に行けるようになるんだ?)


「――神隠し山が、神隠し山と言われる所以……それが鍵っぽいな。調べないと……情報がいる」


 煌夜は脳内で自問して、その自答を口にする。

 そうして心を冷静にしつつ、現状をひとつひとつ整理して、うむと大きく頷いた。


『――あ、でも、強いて言えば、祭囃子が終わったタイミングだったかな? 鳥居が光りだしたのは』


 そのときふと、竜也の言葉が煌夜の脳裏に蘇った。それは直感で、正答だと確信する。


(祭囃子が終わるタイミング……つまり、山車が山を下りるタイミング、か? となると、まだチャンスはある)


 煌夜は拳をグッと握り締めて、その場から立ち上がる。

 当面できることとして、ここが【神隠し山】と呼ばれている所以、そして、鳥居がここに建てられている所以、それらを調べることにしよう。


「よし、とりあえず方向性は決まった……園に戻るか」


 さて、そうと決まれば、今日はもう天見園に戻ったほうがいい。三人の安否は気掛かりだが、手出しができない以上、それもこの際どうでもいい。

 煌夜はそう考えて、不安を心から切り離す。薄情で冷酷に思えるかも知れないが、心配していても何も変わらないことに腐心している余裕など、いまの煌夜にはなかった。

 煌夜がいま真にやるべきは、三人を一刻も早く助け出すこと、それに尽きる。

 三人を助ける術を考えること以外は、何もかも瑣末だった。


 煌夜は念のため竜也の携帯に電話を架けてみた。しかし、電話はやはり繋がらず、あまつさえ『この番号は現在使われておりません』のアナウンスが流れた。


「…………これが、神隠し、か」


 煌夜は、しみじみと呟く。携帯の電話帳からは、天見竜也の文字さえ消えていた。

 そういえば、と先ほどの千鶴との会話を思い出す。竜也、虎太朗、サラを知らないかのような千鶴の反応――考えたくはないが、つまり三人はいま、この世界から存在を消されている可能性がある。

 携帯の電子データだけではなく、記憶からもその存在が消えている不思議。

 まったくファンタジーだ、と吐き捨てて、煌夜は天見園に向けて駆け出した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 煌夜が天見園に帰り着くと、東千鶴がニマニマした笑顔で出迎えた。時刻は既に午前零時を回っていた。


「おかえりなさい、コウくん。随分と遅いお帰りですねぇ?」

「ただいま、千鶴ねぇ。あ、そっか――ごめん、連絡するの忘れてた」


 腰元まで伸びた綺麗な黒髪に、切り揃えられた前髪、人形のように整った小顔で、しかしその格好は羊の着ぐるみである。相変わらずシュールな寝巻き姿だった。

 そんな千鶴の顔を見て、そういえば、と煌夜はすかさず頭を下げた。


「ふぅん――連絡を忘れるほど、何に夢中だったのかなぁ?」


 ナニ、ですか? という下ネタを交えつつ、千鶴はニマニマ笑顔を崩さない。まったく下衆の勘繰りである。千鶴の悪い癖の一つだった。

 煌夜は呆れ顔で溜息を漏らすと、無視して共有スペースに向かった。


「アレレ、無視かしらコウくん? わたしは別に怒っていないわよ? コウくんだって年頃の男の子なんだし――」

「悪い、千鶴ねぇ。いま急いで……あ、いや、ちょっと一緒に来てよ。確かめたいことがあるんだ」


 天見園の玄関を施錠してから、煌夜の後ろを追ってくる千鶴に、煌夜は足を止めて向き直った。千鶴はその真剣な表情を見て、ニマニマ笑顔から一転、真面目な顔になり、いいよ、と軽く頷いた。


「どうかしたの?」

「――天見園にいま居る子供って、全部で何人だっけ?」


 煌夜は共有スペースを通り過ぎて、保護児童たちの部屋が集まっている東館に渡る。向かう先は、二階奥にあるはずのサラの部屋である。


「何人って……コウくんと、カイくん。メグちゃんに、ハヤトくん――四人でしょ?」


 指折り数えて、それがどうかした、とでも言いたげに首を傾げる千鶴。その表情を見て、煌夜は悔しげに舌打ちをする。


「じゃあさ。この部屋って、誰の部屋?」

「この部屋、って? ここは未使用の空き部屋だよ? 少なくとも、わたしが知る限りは使われていなかったはずだけど?」

「――これでも?」


 サラの部屋をガチャリと開けると、ところ狭しとぬいぐるみが置かれているファンシーな部屋が姿を現す。それは煌夜たちが見慣れているサラの部屋だ。いま部屋の主はいないが、明らかに生活感がある。

 その室内を見て、千鶴は目を見開いて驚いていた。煌夜は説明しながら、ぬいぐるみの一つを撫でた。


「ここは、二年前に天見園に引き取られてきた、月ヶ瀬サラって女の子の部屋なんだけど……知らない?」

「つき、がせ、サラ? 二年前? コウくん、何を言っているの?」

「…………いや、じゃあ、次行こう」


 千鶴はしばし真面目な顔で考え込んだが、何一つ思い当たる節はなく、怪訝な顔を煌夜に向けた。煌夜は寂しそうに眼を伏せて、すぐさま別の部屋へと向かう。

 次の部屋は、サラの部屋の真上にある二人部屋である。ここは、竜也と虎太朗の共同部屋だ。


「ここも……物置になっていたはずよ。コウくんが買って使わなくなったトレーニング機器とかを片付けた覚えが――え?」


 千鶴の説明を聞きながら、煌夜は扉を開けた。その室内を見て、千鶴は絶句していた。

 室内には、確かにトレーニング機器が置かれていたが、それ以外にも、二段ベッドや勉強机、椅子や携帯ゲーム機なども散乱していた。虎太朗のジャージが無造作に落ちていたり、バットとグローブが転がっていたり、竜也の趣味であるゲームのポスターが飾ってあった。

 それは、明らかに誰かが生活していた空間だ。

 決して使われなくなって久しい空き部屋でも、物置でもない。


「俺と同じように、天見園の前に捨てられていたリュウ――天見竜也と、五年前に両親の虐待から保護されたコタ――谷地虎太朗の部屋だよ。覚えてない?」

「…………コウくん、それ、どういうこと?」


 逆立ちしている馬でも見たかのような怪訝な顔で、千鶴は煌夜に問い掛ける。

 それには答えず、煌夜はそのまま竜也たちの部屋を出ると、その足で快の部屋に向かった。もう遅い時間だが、快はまだ起きているだろう。


「……ねぇ、コウくん。いったい――」

「千鶴ねぇはさ……神隠し山の由来とか知ってる?」


 ずんずんと先を進んでいく煌夜の袖を引いた千鶴に、煌夜は視線だけ向けて、前置きなしで話を切り替えた。


「え? 神隠し山の由来? いえ、詳しくは知らないわ……園長先生なら、知ってるかも……」


 訝しげな顔で首を傾げる千鶴に苦笑して、煌夜はノックと同時に快の部屋を開けた。

 部屋の中では、隼人と快が携帯ゲーム機で遊んでいる。オンラインゲームで協力プレイをしているようだった。


「ん――ああ、おっす、煌ニイ。わりと遅かったな」

「うぉ! ちょ、快兄ちゃん、そこじゃない」


 視線を向けずに答えた二人に、煌夜は静かに問い掛ける。


「なぁ二人とも、リュウ、コタ、サラを知らないか?」

「あん? 何言ってんだ? チッ、そこじゃねぇって隼人!」

「ウンウン、ごめ――ああ! 快兄ちゃんもそれじゃなくて……」

「――悪いけど、ちょっとマジ話なんだ。二人とも、真剣に答えてくれ」


 ゲームに熱中して話半分の二人に、煌夜は声のトーンを一つ下げる。その真剣な雰囲気に、二人はようやく顔を上げた。そして、真剣な表情の煌夜と、訝しげな表情を浮かべた千鶴を見て、二人も不思議そうな表情になった。


「んだよ? 何をマジになってんだ?」

「……どうかしたの?」


 ゲームを一時停止させて顔を向けてくる二人に、煌夜はもう一度同じ質問を口にする。


「二人ともさ、リュウ、コタ、サラを知らないか?」


 煌夜は真剣な表情で、千鶴、快、隼人の順で視線を合わせた。そして、たっぷり一分間沈黙が過ぎてから、真っ先に快が答えた。


「…………あ? 誰だよ、それ?」

「ウンウン、ボクも知らないけど……有名人なの? 知ってないと変?」


 快も隼人も、決してとぼけているわけではなかった。二人は真実、煌夜の質問が理解できない顔だった。


「――ねぇ、コウくん。何かあった? もう遅いから、休んだほうがいいと思うわよ」


 落胆する煌夜に、千鶴が心配そうな顔で優しく肩を叩いた。それに頷き、煌夜は千鶴に連れられて快の部屋を出た。


「じゃあ、コウくん。今日はもうおやすみ……よく分からないけど、元気出してね」

「ああ、うん。心配かけてごめんよ、千鶴ねぇ――おやすみ」


 煌夜の部屋まで付き添ってくれた千鶴は、グッとファイティングポーズをして見せる。人を和ませる優しい笑顔で、落ち込んだ煌夜を慰めてくれていた。

 なぜ落ち込んでいるのか、煌夜が何に悩んでいるのか、それは千鶴には分からなかったが、煌夜が真剣なのは理解していた。だからこそ彼女は本気で心配してくれたのだ。その心遣いが嬉しくて、煌夜は笑顔で頭を下げた。


 バタン、と扉を閉めて、煌夜はそのまま布団にダイブする。


(とりあえず、今日はもう寝よう――)


 瞼を閉じると、途端に睡魔が襲い掛かってきた。しかしその睡魔に抗うことなどせず、煌夜はすぐに意識を手放した。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 ピピピ、と鳴り響く携帯のアラームが、煌夜を眠りから叩き起こした。

 のそのそと起き上がり、アラームを切る。

 今日は珍しくヨーゼフののしかかり攻撃がなかった。それを悲しく思いながらも、煌夜は顔を洗って食堂に向かう。一瞬、まさかヨーゼフまでもいなくなったのか、と心配したが、別段そんなことはなかった。

 ヨーゼフを連れた恵が共有スペースに居たからである。


「……おはよう、恵」

「あ? ああ、煌夜にいちゃんか。おはよ――って、どったの? すっげぇ、しんどそうだけど?」

「大丈夫、大丈夫――あ、ところでさ。恵は、リュウ、コタ、サラを知らないか?」

「あ? それ、誰?」


 予想通りの恵の返答に、煌夜はしかし特に落胆せず、なんでもないと首を振った。一応、ヨーゼフにも顔を向けるが、ヨーゼフは相変わらず元気良くワンと吠えただけだった。

 煌夜は苦笑いしつつ食堂に向かう。

 食堂ではいつも通り、おばちゃんが朝食の準備をしていた。煌夜はそのおばちゃんに、朝食を食べない旨を伝えてから、園長室に向かった。

 園長室は西館の三階である。煌夜は園長室の前で深呼吸してから、トントン、と軽く扉をノックした。やや遅れて、中から返事が聞こえる。


「どうぞ、お入りなさい」

「――失礼します、園長先生。おはようございます」

「ええ、おはよう煌夜。珍しいわね? どうかしたかしら?」


 執務机に座っていた園長先生が、部屋に入ってきた煌夜を優しく迎え入れた。

 園長は柔和な笑みを湛えた白髪交じりの女性で、今年六十二歳になる。三十五年前に、この天見園を創設した人である。


「園長先生、唐突でアレですが……この園にいる児童は全部で何人ですか?」


 煌夜は単刀直入に切り出して、ソファに深く腰掛けた。真剣な顔で、真っ直ぐと園長の瞳を見詰める。

 園長はその質問に疑問符を浮かべるも、煌夜の真剣な様子を見て、茶化したりせず真面目に応じた。


「煌夜、快、恵、隼人……そして、家族という括りで言えば、千鶴、弥生やよいさん、主治医の九鬼さん……私ですかね。それがどうかした?」

「天見竜也、谷地虎太朗、月ヶ瀬サラの三人のことを知りませんか?」

「――申し訳ありませんが、初めて聞くお名前ね。どなたかしら?」


 園長のきっぱりとした言葉に、やはり、と煌夜は納得してから、もう一つの疑問をぶつける。


「じゃあ、神隠し山が神隠し山と呼ばれる理由……その神隠しとやらについて、何か知りませんか? 知っていたら、どんなことでもいいんで、教えて欲しいんですが」

「ああ――そういう、ことなのですね?」


 煌夜の質問を聞いたとき、園長は途端に得心がいったとばかりに深い溜息を漏らした。どうしてか、その顔には悲壮感が漂っていた。今度は煌夜が首を傾げる番だった。


「そういう、とは?」

「ええ、いま説明しましょう。神隠し山の伝承を――」


 園長は静かにそう言って、神隠し山にまつわる話を煌夜に語ってくれた。



 曰く、神隠し山はその山頂に【神の国】に通じる門があるのだと言う。

 それがゆえに昔は、現世と【神の国】の狭間にある山――【狭間山はざまやま】と呼ばれていたらしい。

 狭間山の門は普段は閉じているが、しかし何年かに一度だけ開かれて、そこから一柱の神が下山してくるのだ。下山した神は、人々に安寧を与えて、代わりに供え物を受け取った。

 それが現在、夏祭りで行われる山車の練り歩きとして伝わっていると言う。


 さてところで、そんな【狭間山】がどうして【神隠し山】と呼ばれるようになったかと言えば、それは、とある村人のせいであるらしい。


 いつ頃のことかは伝わっていないが、神の国への門が開かれたあるとき、偶然その門をくぐってしまった村人がいたそうだ。村人は神の国に赴き、そして二度と戻ってこれなかった。

 その村人が消えたことを嘆いた親族は、村人を助けてくれと神に懇願した。

 しかし、神はその願いを無視して、親族たちが悲しまないようその記憶から村人を忘れさせたと言う。それから、狭間山では時折行方不明者が出るようになり、また行方不明者を忘れる者が相次いで現れるようになったとされる。


 そうして長い年月が経ち、やがて狭間山に登ると神隠しに遭うという噂がされるようになり、いまの【神隠し山】になったと言う。



「……ちなみに【神の国】は【神隠し岩】の中にあり、門はその手前の鳥居がそうだと、古い伝承には書かれています」

「――なるほど」


 煌夜は園長の説明を終わりまで聞いて、昨日の出来事がストンと腑に落ちた。

 火のないところに煙は立たない。そういう伝承が残っている以上、それに類似する出来事が過去に起きているに違いなかった。

 それは、まさしく煌夜がいま体験している状況であろう。


(つまり昨日見た鳥居の中が、神の国とやらで……金銀財宝は、過去の供え物ってことかな)


 煌夜が睨んでいたとおり、竜也たちは神隠し山の神隠しに遭ったのだ。

 そして神隠しとは、鳥居の中の世界に消えることである――となれば、次に調べるべきは、鳥居の中の世界に至る方法と、そこから三人を助け出す方法だ。

 煌夜は腕を組んで、そのために何が必要か思考する。そんな煌夜を見て、園長はため息交じりに問い掛ける。


「煌夜……貴方が先ほど仰った三人が、神隠しに遭ったのかしら?」

「はい、そうみたいです。俺の責任で――」

「その三人は、この天見園の家族、だったのかしら?」


 こくん、と煌夜は力強く頷いた。それを見た園長は、心底疲れたような吐息を漏らす。


「また……私は、知らぬ間に家族を失ったのね」


 重く囁いた園長のその台詞に、煌夜はバッと顔を上げる。いったいそれは、どういう意味だろうか。


「……煌夜、役に立つか分かりませんが、私が体験した話を聞いていきなさい。役に立つかも知れません」

「それは……どういう、こと、ですか?」

「私も、二十年ほど前に、いまの煌夜と同じ経験をしています。共有スペースにある大量の漫画は、おそらくそのとき神隠しに遭った児童の誰か……だと思っています」


 ひどく沈んだ顔で園長は語り始めた。


「私が神隠し山に詳しいのは、そのとき躍起になって調べたからです――いまやもう、どうして調べたのかさえ思い出せませんが、当時の私は必死でした。あれは、いまくらいの時期……そう、夏祭りのときです。私は鳥居のところで、神楽舞が終わる瞬間を、山車が街に下りていく時を、今か今かと待ち望んでいました。なぜかは分かりません。ですが、山車が街を練り歩いている間に、何かをしなければ、誰かを助けなければ、という使命感を持っていました。そのとき書いていた日記が――これです」


 園長はガサゴソと執務机の中を漁り、色褪せたノートを取り出した。そのノートをめくって、掠れた乱筆のページを読む。


「――光る門を通った先には砂漠。そこには地下に続く階段があって、宝物がたくさん置いてあった。部屋には不思議な文字と、炎が浮かんでいた。宝箱を解くと、底には不思議な本があり、その本に触れたとき、■が消えてしまった。どうして、私たちはここに来てしまったのか。どうして、私たちは宝箱に気付いてしまったのか――」


 ■の部分は何かで塗り潰されており、その前後は涙で滲んでいた。園長はその部分を読み終えると、無表情に首を振った。


「これを書いた次の日、鳥居のところで私は何かを待っていましたが、しかし気付けば園に戻っていました。それからいままで、そのことさえも忘れていました」

「…………これ、貰っていいですか?」

「ええ、構いませんよ」


 煌夜は神妙な表情の園長からそのノートを貰って、そのまま部屋を出て行こうとした。その背中に、園長の優しい声が届いた。


「煌夜――気をつけて。私は貴方が無事なら、それで満足ですよ」

「ありがとうございます、行ってきます」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 時刻は午後八時過ぎ、つい先ほど夏祭りは佳境を迎えて、昨日同様に山車が山を下りていった。

 それを見送った煌夜は、あっけなく訪れた待ち望んでいた光景を前に、焦りだす心を抑えようと深呼吸していた。


 目の前には光る鳥居、そしてその鳥居の先には、昨日見た砂漠と石造りの小屋が見えていた。


 結局、朝方に園長から手に入れた情報以上の情報は、いくら調べても見つからなかった。けれどおかげで煌夜は、ひとつ確信出来ていた。

【神の国】には、必ず行けるということを。

 門が開くタイミングというのが、山車が下山している時間――つまり、神が下山している時間だけである。そして、夏祭りは一年で昨日と今日の二日しか開催されない。

 つまり、今日というチャンスがまだ残っていた。煌夜はこの奇跡に、心底感謝していた。

 ちなみに異世界から戻ってくる方法は結局のところ見付からなかったし、戻ってきたという伝承も見付からなかったが、それでもそこに向かう方法さえ分かっていれば、煌夜はなんら迷うことをしなかった。

 やるべきことは決まっている。三人と合流して、この世界に戻ってくることだ。

 一応、花火の用意もして万全を期していたが、特に何もすることなく、拍子抜けするくらい簡単に煌夜は昨日と同じ不思議を体験していた。


 しばし鳥居を前に深呼吸してから、さて、と煌夜は覚悟を決めて足を踏み出す。

 鳥居の中の世界は、昨日とまったく変わらない。時間が止まったような乾いた空気、見渡す限りの砂漠が広がっていた。

 煌夜は躊躇なく小屋に向かい、その階段をゆっくりと下りていく。階段の段数は、昨日とまったく同じ六十段だった。


「――誰か、いるか?」


 階段を下りきる寸前、煌夜は震える声で問い掛ける。しかし、誰からも返事はなかった。

 半ば覚悟していたことだが、果たしてその部屋には誰もいなかった。そこは、昨日見た光景と寸分変わらぬ光景が広がっていた。

 部屋の四隅には炎を浮かべる燭台があり、壁面には不思議な文字が書かれている。部屋の奥には、金銀財宝が無造作に積み上げられており、それ以外には何もない。

 煌夜は昨日との違いを注意深く探しながら、部屋の奥に積まれた宝に近付いた。

 宝の山は若干荒らされた感があり、虎太朗が振っていた剣が部屋の隅に転がっていた。


(昨日、コタはここに戻ってきて……おそらく、園長の日記にあった本とやらを見つけたんだろう)


 金の延べ棒をどかして、鎧や楯などの武具を投げ捨てて、煌夜は本らしき物を探す。けれどなかなかそれは見付からない。

 煌夜は必死になって宝の山の中を探したが、しかしどれほど探そうとも、本はどこにもなかった。宝の山を全て散らかして、探し終えてからさらにもう一度見直した。けれど、やはり一向にそれらしき物は見付からない。おかしい。そんなはずはない。なぜ見付からないのか。煌夜は焦りながら、何度も何度も宝の山を探し続ける。


「――どうしてっ! ない!」


 しまいには発狂したかのように手当たり次第に宝を蹴飛ばす。しかし、そんなことをしても、見付からないものは見付からなかった。どれくらい経ったか、だいぶ長いこと探し回って、それでも結局無駄足に終わったとき、煌夜は脱力してその場にへたり込んだ。


「くそ……どうして……リュウ、コタ……サラ」


 煌夜は拳を地面に叩きつける。皮が破れて血が出たが、物理的痛みなどより心の痛みのほうがずっと痛かった。

 くそくそ、と力なく呟き、呆然とした視線を散らかった宝の山に向ける。

 ふとそのとき、横になって倒れている宝箱の蓋の内側に、把手(とって)のようなモノが見えた。


(そういえば……園長の日記には、どう書いてあったっけ……?)


 煌夜はハッとして、ポケットに折り畳んでいた日記のページをもう一度読み直す。

 日記には、『宝箱を解くと、底には不思議な本があり』と記載してある。解く、底、というのが、てっきり誤字だと思っていたが、もしかしてそのままの意味なのでは――そう思考した瞬間、閃きと共に確信した。

 本が隠されている場所が、どこなのかを。

 煌夜は息を吹き返したかのように活力を取り戻して、積み上げられている宝の山をもう一度検分した。

 宝の山には、大小異なる八個の宝箱があり、その中には宝石や装飾品、金貨や金の延べ棒が入っていた。それらをもう一度全部中から取り出して、宝箱の外側を注意深く観察する。

 見た限りはゲームでよく見るタイプの宝箱だ。

 そんな箱を隅々までペタペタと触り、蓋を閉じたり開けたりしながら、何かギミックがないか弄り回す。するとやはり、睨んだ通り、蓋の内側に小さな仕掛けが見つかった。


「これか……?」


 それは通常の状態では蓋の内側に畳まれて隠れており、小指サイズのツマミを引っ張ることにより、掴めるようになる把手だった。

 箱の蓋は大きく湾曲しているので、容易に気づけない構造である。

 煌夜はその把手を掴んで引っ張るが、しかしビクともしなかった。全くと言っていいほど動く気配がない。


(ああ、なるほど、そっか。コレ、秘密箱だ。正しい手順じゃないと開かない仕掛け箱か……リュウが得意なヤツだ)


 しばし力尽くで把手を引っ張っていたが、ふいに気付いて納得した。

 竜也たちがなぜすぐに戻ってこなかったのか――おそらくコレを解こうと四苦八苦していたのだろう。煌夜は、昨日ここで秘密箱を解こうと躍起になったであろう竜也たちを想像して、少しだけほっこりした。


(……と、さてさて、これが秘密箱だとすると……引けないなら、押せばいいのかな?)


 煌夜はビクともしない把手を握り、蓋の内側に押し込んだ。するとあっけなく把手は沈み込み、蓋の内側がガチャリとスライドする。ズレた部分には、またツマミがあり、それを引っ張ると蓋が宝箱から取れた。箱と蓋を繋げている蝶番は、どうやら噛み合わせているだけで溶接されてはいないようだった。

 ここまで箱を解体して、ようやく煌夜はこの宝箱が二重底になっていることに気づいた。

 よくよく見れば、底の高さと宝箱自体の高さが拳一個分ほどズレている。それでいて、側面の幅はそれほど厚くなかった。


「こりゃあ、絶対見落とすわ。よくリュウたち気づけたなぁ……あ? チッ、ハズレか」


 煌夜は感心げに呟きながら、宝箱の内側を持って引き上げてみる。すると予想通りに、内側の仕切りが取り出せた。

 構造を見るに、二重底の仕切りは蓋で抑えられていたようだ。蓋を取ることにより、宝箱の底が現れるのである。

 しかし、この箱の底には、本はなかった。入っていたのは、青い鳥のガラス細工だ。煌夜はため息を漏らした。

 だが、すぐに気を取り直して、同じ要領で次々に宝箱を解体していった。コツさえ掴めば案外と簡単である。

 煌夜はひたすら開けていく。

 小さい箱には、金色の蓮を模した(かんざし)が、大きな箱には、三本足をしたからすの彫刻が、中くらいの箱には、オヤジ顔をして九尾ある虎の石像などが隠されていた。


「……って、これもハズレかいっ! どんだけ運がないんだっつうの!」


 そして順繰りに箱を開けていき、残り一つになっても本は出てこなかった。

 煌夜は内心の焦りと不安を紛らわすように、ハイテンションでノリツッコミする。

 さて、七つの箱を開けて、出てきた戦果は思わしくなかった。さっき開けた四つ以外には、小さな鴉の人形、桃の絵柄のコインが一枚、平たい長方形の黒い板が一枚である。

 どうしてこんなくだらないものを、わざわざ二重底の下に隠したのか、煌夜は謎で仕方ない。この気持ちを例えるならば、課金ガチャで望む物が出ない苛立ちに似ている。

 まったくクソゲーだ。

 ちなみに、それら隠されていた物品にいくら触れても、特に何も起きはしなかった。


 ふぅ、と煌夜は深呼吸する。残るは一つ、もう間違いなく本が隠されているのはこの箱に違いない。


「これで、本が出てこなかったら……いや、諦めないぞ、っと――おおぉ!」


 テキパキと箱を解体して、煌夜は二重底を持ち上げた。

 果たしてそこには、A4サイズの黒い本が入っていた。背表紙にも表紙にも、タイトルのない前面真っ黒い本である。

 煌夜はガッツポーズをしてから、それを慎重に手にとった。広辞苑ほどもあろう厚さなのに、それは重さを感じさせなかった。


「これは、ネバー◯ンディングス◯ーリーの予感が……」


 目的の物を手に入れて、煌夜は少し心に平静を取り戻していた。下らない冗談を言うだけの余裕が戻っていた。

 まさか本を読んで、その中の世界に吸い込まれたのかしらん、と首を捻りつつ、煌夜は頁をめくろうとする。しかし、それはビクともしなかった。


「……あ、あれ?」


 引き千切る勢いで力を込めたが、本は一頁も開かない。

 まるで本自体が開くことを拒絶しているかのように、ピッタリと閉じている。これも秘密箱のように正しい手順を行わないと中を見ることが出来ないのか、と煌夜が疑問を浮かべた瞬間、突如として壁面の文字が光り輝きだした。


「――は!?」


 部屋中が白く発光し始めたとき、大きな音を立てて部屋の入り口が崩れて、あっという間に石で埋まる。やばい、と焦って煌夜は入り口に駆け寄るが、もはや遅かった。

 出入り口は完全に閉じていた。


(おいおい、まずいな、密室だ。しかもここ、空気窓ないぞ……このままじゃ窒息しちまう……)


 煌夜は背中に冷たい汗を掻きつつ、部屋の変化を確認する。

 段々と、壁面の光は強くなっていく。だが何も出来ず立ち尽くすしかなかった。

 やがて白色の光が部屋に満ちて、あまりの眩しさに瞼が開けていられなくなったとき、どこからか少女の声が聞こえた。


「――誰ぞ、妾を解放して欲しい」


 それは悲痛な懇願だった。

 疲れきって意気消沈したような声だった。

 そんな声を耳にしながら、煌夜の意識はブラウン管テレビの電源が消えるように、プツンと途切れた。


※前書きを後書きに移しました。また、後書きを編集しました。


プロローグ後編です。

ようやく異世界転移を果たします。次話から、いよいよ異世界での冒険になります。

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