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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第四章 鉱山都市ベクラル
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第二十二話 ほんの一寸の小休止



 煌夜は冒険者ギルドの扉を開けて中に入った。それに遅れて【オーガゴブリン】の巨体を担いだセレナも、ギルドの中へと入ってくる。

 既に早朝とはいえ、朝の時刻だからだろう。先ほど冒険者登録をする際に訪れた時とは違って、ギルド内には冒険者然とした屈強な戦士たちがチラホラと座っていた。

 彼らは一斉に、ギルドに入ってきたセレナと、その小さな体躯に担がれたオーガゴブリンの死体を見て、その顔に驚愕を浮かべていた。


「……先ほどの受付嬢が居らぬのぅ」


 煌夜の声でヤンフィがそう呟く。

 受付カウンターを見れば確かに、やる気のなさそうだったあの受付嬢の姿はどこにもなく、今は、清楚な印象の如何にもお嬢様然とした受付嬢が、受付に並ぶ冒険者に応対していた。


「こんな朝早くから……何者だ、アイツら……見ない顔だぜ」

「……て、おい、アレ……オーガゴブリンじゃないか……?」

「ちょ、ちょい……あのフード被ってる奴……もしかして、妖精族じゃないのか?」


 ひそひそと、ギルド内で座っている連中が、セレナの姿を見てどよめいている。

 しかし、そんな注目など我関せずと、セレナはギルドの中央で立ち止まり、オーガゴブリンの死体を床に転がす。

 ドチャと嫌な音が響き、周囲の囁き声は一瞬だけ鎮まった。


「ねぇ、コウヤ、何をキョロキョロしてるのよ? ギルドマスターでも探してるの?」


 キョロキョロとカウンターを眺めているだけのヤンフィに、セレナがそう問うてきた。

 それに対してヤンフィはフルフルと首を振ってから、分かっている、と受付に並んだ。すると待ち時間なく、すぐさま目の前の冒険者がはけて、ヤンフィの番になった。


「いらっしゃいませ――本日は、どのようなご用件でしょうか?」


 清楚なお嬢様風の受付嬢は、隻腕でずぶ濡れの煌夜に対しても特に態度を変えることはなく、その見た目通りに爽やかな笑顔で応じた。

 ヤンフィは、持っていた【軍神の矛】を一旦受付のところに立て掛けて、視線をセレナと床に転がったオーガゴブリンに向ける。

 それから、受付嬢に見せ付けるように、オーガゴブリンの頭部を受付に置いた。


「これは――魔族の換金ですか?」

「いや、違う。依頼の達成報告じゃ。報酬を貰いたいのじゃが、どうすれば良いかのぅ?」

「――ああ、なるほど、そういうことですか。畏まりました。それでは、依頼内容を確認致しますので、依頼書の写しをご提出下さい」


 受付嬢に言われるがまま、ヤンフィは依頼書の写しを提出する。それはぐっしょりと雨で濡れていたが、受付嬢は特に気にせず受け取った。


「ありがとうございます。えーと、それでは内容を――――え?」


 ニコニコしながら依頼書の写しを受け取った受付嬢は、その依頼内容を読んで目を見開く。

 そして、恐る恐ると依頼書の裏面に書かれたサインを確認してから、時間が止まったようにピタリとその動きを止めた。


「――なんじゃ? どうかしたかのぅ?」

「あ……あ、え? は、いえ、問題ありません……あ、その……しょ、少々、お待ち下さい」


 ヤンフィが怪訝な表情で受付嬢に声を掛けると、受付嬢はハッとしてすぐさま立ち上がった。そのまま頭を下げて、何の説明もなく受付の裏手に駆けて行く。

 ヤンフィもセレナも、その背中をポカンと眺めていた。


「……どうかしたの?」

「さあのぅ。妾にも分からぬ」


 セレナは大きく背伸びをしながら、ヤンフィに問い掛ける。しかし、ヤンフィも事情が分からないので首を振った。

 しばらくしてから、お嬢様風の受付嬢は、もう一人の受付嬢と共に戻ってきた。もう一人の受付嬢は、つい今朝方、冒険者登録をした際に世話になったやる気のない受付嬢である。

 やる気のない受付嬢は、ヤンフィの前にドカッと腰を下ろした。その態度は相変わらず悪い。

 やる気のない受付嬢が椅子に座ったからか、清楚なお嬢様風の受付嬢は、その傍らで恐縮した様子で立ち尽くしていた。

 二人の放つ空気から推測するに、彼女たちには上下関係があり、やる気のない受付嬢の方が立場が上のようだ。


「…………お待たせしました。念の為、確認ですが、この【オーガゴブリン】は、貴方たちが倒したのですか?」


 ヤンフィの前に座ったやる気のない受付嬢が、信じられないとばかりに訊ねてきた。その視線は、受付に置かれた【オーガゴブリン】の頭部と、床に転がった胴体を交互に見ている。


「――ああ、そうじゃ。ちなみに、西坑道には、まだあと三匹の遺体があるぞ?」


 ヤンフィは挑発的な視線でそう告げる。途端に、傍らで控えるお嬢様風の受付嬢が、まさか、と驚愕の表情を浮かべる。

 一方で、やる気のない受付嬢は、真剣な表情になると、口元に手を当てて何やら考え込んでいた。その視線の先には、立て掛けてある【軍神の矛】がある。

 なるほど、どうやら受付嬢たちは、本当にヤンフィたちが依頼を攻略したのか疑っているようだった。しかし、そう思っても当然かも知れない。本来ならば五人掛かりで攻略することを想定していたという高難度の依頼が、たった二人で、わずか数時間のうちに攻略されたというのだから、にわかに信じがたいものである。

 それも登録したばかりの新人が、である。信じられない気持ちは殊更だろう。

 だが、疑うのは勝手だが、事実として攻略したのはヤンフィたち二人だ。だから今は、ともかくサッサと手続きして欲しいと、ヤンフィはこれ見よがしに溜息を漏らした。


「――イリス、二階にいる『アジェンダの夜明け団』を呼んできて」

「え、あ、は、はいっ! 畏まりました!」


 しばしの沈黙の後、唐突にやる気のない受付嬢が、お嬢様風の受付嬢――イリスにそう命令した。

 イリスは慌てた様子で受付から出て行き、階段を駆け上っていく。ようやく、依頼達成の事実を認める気になったようだ。


「……お待たせしており、申し訳ありません。それでは、依頼達成の登録をさせて頂こうと思いますので、パーティの徽章きしょうと冒険者の資格証をお貸し下さい――そちらのお連れ様も、お願いいたします」


 イリスの後姿を見送ってから、やる気のない受付嬢は鋭い視線をヤンフィに向けて、慣れた口調でそう告げる。

 ようやくか、とヤンフィは資格証の宝石と徽章であるネックレスを受付に置いた。セレナも資格証を受付に置く。


「それでは、依頼実績の登録をいたしますが……今回の依頼達成により、実績値がランクB基準値を上回りましたので、パーティランクを【E】から【B】に変更申請出来ますが……申請いたしますか?」

「――します、します。するわよね、コウヤ? やったわ! いきなりあたしたちBランクよ! 幸先良いわね!」


 受付嬢の台詞に、間髪いれずセレナが返事をする。

 セレナは、きゃっきゃ、と喜びながら、煌夜の肩を叩いた。ヤンフィは煩わしそうに眉根を寄せてから、分かっていると頷いた。


「ああ、申請してくれ――ところで、パーティランク【B】と云うことは、妾たちの個人ランクも同じ【B】になると思うて良いのか?」

「ええ、そうなります」

「数をこなさなくとも、一気にランクは上がるもんじゃのぅ」

「……今回の依頼は、最低基準ランク【A】の高難度でしたので、ランクAを下回る方が攻略した場合は、かなりの実績値が加算されるように設定されております。ですので、一足飛びにランクアップされるのも当然です。ちなみに余談ですが、『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』の場合ですと、ランクB相当の依頼をもう一つでも達成すれば、おそらくランク【A】の基準値を上回るでしょう」


 受付嬢はスラスラとそんな説明をする。実績値だとか、基準値だとか、いかにもゲームっぽい用語であった。

 煌夜はその説明を聞いて、とりあえずそのシステムを理解する。

 ランクアップは経験値の累積によるらしい。また、自動ランクアップではなく、申請という手動ランクアップ方式であるようだ。そして、各依頼の実績値――いわゆる経験値は、絶対値ではなく、受注者の冒険者ランクにより相対的に決まるようだ。

 ランクが上昇すればするほど、同ランク程度の難易度でないと経験値が入らないというシステムだろう。

 なるほど、と煌夜は納得して、ヤンフィも同様に、ふむふむ、と頷いていた。

 一方で、セレナはさっき以上に嬉しそうな声で、その話本当なの、と受付嬢に詰め寄る。


「ねぇねぇ。ということは、あたしが何か依頼をこなせば、ランクAになれるってこと?」

「別段、貴女でなくともかまいませんが……そうですね。ランクB以上の依頼であれば、一つ以上こなせば、おそらくランクAの基準値を上回ると思われますよ」

「やった! コウヤ、あたしたち、冒険者登録初日で、いきなりランクAに上がれるわよ。じゃあ、早速次の依頼を――」


 興奮気味のセレナは、いまにも二階に駆け出そうとする。しかし、それを受付嬢が引きとめた。


「お待ち下さい。当ギルドでは、一日に受注できる依頼は一つと定めております。ですので、翌日以降でなければ、新たに依頼は受注できません」

「――え? 一日、一つ? あ……でもさ、さっきの依頼はコウヤが――」

「パーティごとに一日一つ、です。以前に、数十人のパーティが、全員一つずつの依頼を受注するという椿事が起きましたので、それをうけて当ギルドでは依頼受注数を規定しております」


 受付嬢の言葉に、セレナはがっくりと肩を落とした。

 すると、その時ちょうど、二階からガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきて、七人ほどの冒険者が下りてくる。その先頭には、見覚えのある顔がいた。


「何の用だい、ギルドマスター。俺たちを呼ぶなんてよ」


 現れた男は、つい数時間前に見た冒険者――ベクラルの街のギルド指定宿屋で、へべれけ状態だった笑い上戸のエビス様である。

 エビス様は相変わらずほんのりと赤ら顔だったが、今朝方の酒はだいぶ抜けているようで、割と冷静そうだった。


「――ようやく来ましたか、アジェンダ。仕事です。今すぐに、西坑道に向かって下さい。そこに、オーガゴブリンの遺体があるので、それを全部回収してきなさい。合計、三匹とのことですから――でしたよね?」

「……あ、ああ。うむ」


 ギルドマスターと呼ばれた受付嬢は、鋭い視線でヤンフィに尋ねる。その視線にヤンフィは頷くが、内心、まさか受付嬢がギルドマスターだとは思っておらず、びっくりしてまともに反応できていなかった。

 それはセレナも同様で、え、と目を点にして、慇懃無礼な受付嬢を見ていた。

 二人のそんな視線を受けて、ギルドマスターの受付嬢は、恥ずかしいのか頬を赤らめてそっぽを向いていた。そして、ごほん、とわざとらしい咳払いをする。


「へいへい、分かりました――――って、何ぃ!? あのオーガゴブリンの依頼、誰か攻略したのか!?」

「ええ、そうです。こちらのパーティ『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』が、いとも容易く攻略して下さいました」


 容易く、とギルドマスターは強調して、見下すような視線をエビス様――アジェンダと呼ぶ、ふくれっ面の戦士に向ける。

 ギルドマスターの受付嬢は誰に対してもそうなのか、態度が横柄だった。


「…………おいおい、すげぇな。アンタたち、何者だよ?」


 アジェンダは驚愕の表情で、コウヤの隻腕をジロジロと眺めた。その後ろに付き従っている戦士六人も、驚きの顔でセレナとコウヤを見ていた。

 そんな注目を浴びて、セレナはどこか誇らしげに胸を張っていた。


「――彼らは『コウヤ』と『セレナ』です。つい三、四時間前に、冒険者登録したばかりの新人ですよ。二人組のパーティですが、将来有望な人材のようです。覚えておいた方がいいでしょうね」

「うぇ――!? おいおい、それ本当の話か!? 俺が、酒呑んでた時に登録して、すぐにオーガゴブリンを殺ったのかよ!?」


 勝手に情報を漏らすギルドマスターに、アジェンダとその仲間たちはいっそう驚愕していた。けれど、床に転がるオーガゴブリンの死体と、切断された頭部を見て、ゴクリ、と息を呑んでいる。

 本当か、と聞いてはいるが、信じていないわけではないようだった。


「ともかく、今はつべこべ言わずに、早く行ってきなさい――彼らに支払う報酬額が変わるやも知れないのです」

「あ、ああ。分かってるよ、ギルドマスター。おい、行くぞ、野郎共!!」

「「「お、おう」」」


 はぁ、とこれ見よがしの溜息を漏らして、ギルドマスターは顎でサッサと行け、とアジェンダたちを促す。その仕草に一瞬だけビクついて、アジェンダたち一行は元気良く声をあげると、土砂降りの中、西坑道に向かって行った。

 彼らの背中を見送っていると、遅れてパタパタと、二階からお嬢様風の受付嬢――イリスが下りてくる。

 イリスは戻ってくると受付の中に入り、ギルドマスターの斜め後ろに控える。

 ヤンフィとセレナも、ギルドマスターに向き直る。


「――失礼。話の途中で、邪魔が入りました。さて、それではランクBの申請を上げさせて頂こうと思うのですが――お二人の力を見込んで、もう一つ依頼をお願いしたいのですが、どうでしょう?」

「――のぅ、その前に、汝、ギルドマスターじゃったのか?」


 ギルドマスターは平然と話題を切り替えて、有無を言わせぬ迫力でヤンフィを見つめてきた。だが、その視線を受け流して、ヤンフィは質問を別の質問で返す。

 途端にギルドマスターは眉根を寄せて、不機嫌そうな顔で答えた。


「……だとしたら、何だというのですか? 今、それは関係ないでしょう?」

「関係なくもあるまい。依頼達成の報酬について、事後ではあるが、交渉の余地が生まれるわけじゃろぅ? そも、何故ギルドマスターであることを隠しておるのじゃ?」

「はぁ……面倒な」


 ヤンフィの台詞に、ギルドマスターは憎々しげな声音でボソリと呟く。すると、傍らに控えるイリスが、困った顔をして口を挟んできた。


「あ、あの……僭越ながら、イリスがお答えいたします。こちらは、セリエンティア様。当ギルドのギルドマスターですが、ここ、ベクラルの街の、公主様でもあります。ですので、あまりその身分を明かせないお立場でして……その、これ以上の詮索は止して頂けると――」

「余計なことは言わないで下さい、イリス」


 イリスの言葉に、キツイ口調で叱責するセリエンティアは、特に否定せずに頷いた。それを聞いて、セレナと煌夜は一瞬きょとんとする。


(公主、って、言うと……えーと、王様の娘さん? お姫様ってこと?)

(――単語の意味としては、そうじゃが、その前にこの街は王政なのかのぅ?)

(いや、知らんけど……)

(まぁ、政治体系がなんであれ、公主だと何故ギルドマスターという身分を明かせないのか、よく意味がわからんのぅ……)


 煌夜の心の声に、ヤンフィも首を傾げていた。

 傍らのセレナに視線を向けると、セレナも外界の情勢に疎い引き篭もりなので、何が何やら分からないと言った顔をしている。

 その場にしばし沈黙が流れる。

 ――とはいえ、目の前のギルドマスターがお偉いさんであろうとなかろうと、自分たちには直接関係ないと気付いて、ヤンフィは気を取り直して、話を続けた。


「ふむ……まぁ、汝が公主だろうと構わぬわ。問題は、報酬の交渉じゃ」

「もう一度お伝えしますが、依頼内容と報酬の交渉は受け付けておりません。不服があるようでしたら、依頼達成を取り消しますが、宜しいですか?」

「――強情な」


 頑として譲る気のないセリエンティアは、脅すような口調で早口に言う。目を細めて、どうします、と首を傾げる様を見て、傍らのイリスが申し訳なさそうに頭を下げていた。

 しばしヤンフィはセリエンティアと睨みあったが、交渉の余地がないことに気付いて諦める。


「――チッ。であれば、良い。報酬は事前の内容通り、アドニス金貨一枚で手を打とう。じゃが、それとは別で確認したい。討伐対象の貴重部位とは、どの部分を指しておるのじゃ?」

「貴重部位に該当するのは、次に述べる五箇所となります――頭蓋骨、眼球、心臓、皮革、無傷の角。いずれか一箇所を、討伐証明と認めておりました。今回は、それら全てが無傷で手に入っておりますので、一部位を除く他の四部位は、全て換金対象とさせて頂きます。換金額については、こちらの紙面をご確認下さい」


 セリエンティアは淡々とそう語ると、受付に一枚の赤紙を置く。そこにはびっしりと文字が書かれていたが、例によって例の如く煌夜には読めない。

 ヤンフィはその紙を真剣な表情で読み耽る。セレナも背後からそれを覗き込んで、わぉ、と驚きの声を上げた。


「……この価格は、他の三匹にも適用されると思うて良いのか?」

「はい、適用されます。状態にもよりますが、価格表を基準として、相応の値段で換金いたします。そもそも、オーガゴブリンの遺体は、滅多に手に入らない貴重な素材ですので、当ギルドでは他ギルドよりも高く買い取らせて頂いております」

「凄いわね、これ。結構、稼げるのねぇ……ええと、これ全部で……テオゴニア銀紙幣十七枚くらいになるんじゃないの?」


 セレナの言葉に、ヤンフィはコクリと一つ頷く。一方で、文字も読めなければ、金銭感覚の分からない煌夜にはチンプンカンプンであった。


「ふむ……それでは、依頼達成を登録してくれ。ついでに、ランクBへの変更申請も頼むぞ」

「畏まりました。それでは――イリス。徽章と資格証に、実績の登録手続きと、ランク変更の申請もお願いします」

「――あ、はい、少々お待ち下さい」


 セリエンティアはイリスに命令して、ヤンフィたちから預かった徽章と資格証を手渡す。

 イリスはすかさず、受付の裏手に駆けて行った。


「のぅ、ちなみにオーガゴブリンの遺体じゃが、貴重部位以外の部分は、換金対象ではないのかのぅ?」

「こちらに記載のある通り、遺体の回収費用に当てられます。遺体をご自身で解体できるようでしたら、別段、当ギルドで引き取らなくても宜しいのですが、どうしますか?」

「……面倒じゃから、引き取って貰おう」

「畏まりました――それで、先ほどの話に戻らせて頂きたいのですが、宜しいですか?」


 セリエンティアは一息吐いてから、改まって問うてきた。ヤンフィは頷いた。


「良いぞ、なんじゃ?」

「お二人のお力を見込んで、もう一つ、別の依頼をお願いしたいのですが――どうでしょうか?」

「じゃから――内容は、なんじゃ?」


 内容を伝えずに引き受けさせようとするセリエンティアの思惑を読み取って、ヤンフィは余裕の笑みで内容の説明を求める。

 当然、安易に引き受けたりはしない。依頼内容を隠すということは、それなりに困難な内容か、危険な内容に違いないのだ。警戒して当然である。

 そんな自身の思惑が読まれていることに気付いて、セリエンティアはギリリと歯噛みしていた。

 しかし、すぐに気を取り直して、スッと視線をセレナに向けると、別アプローチを仕掛けてきた。


「…………依頼を受注して頂ければ、今回、ランクBへの変更申請ではなく、ランクAへの変更申請にさせて頂きますが、どうでしょうか?」

「じゃから――」

「――受注するわよ、コウヤ。初日でランクAなんて、あたしたち、まさにキリア様たちみたいじゃない! 引き受けない理由がないわ」


 セリエンティアの別アプローチは見事に功を奏してしまい、セレナは簡単に引っ掛かった。

 すかさず挙手して、交渉していたヤンフィを押し退けるセレナに、ヤンフィは舌打つ。セレナは嬉しそうな声で、自分勝手に話を進める。


「ねぇ、ねぇ。あたしたち、それ受注するわ。引き受けるから、ランクAにして」

「……ありがとうございます。それでは内容を説明させて頂きます」

「ええ、お願い――て、何よ、コウヤ? どうせ、どんな依頼だって、あたしたちなら余裕でしょ?」

「――はぁ、まあ、もう何も言わぬ」


 セリエンティアは、それでは、と前置きを置いてから、受付に一枚の記憶紙を出した。

 そこには、屈託なく笑う男の子が写っている。


「依頼主は、ベクラルの街の公主――私の、個人的な依頼となります。内容は『奴隷商人に攫われた弟を助け出すこと』――これが弟です」

「「………………」」


 その依頼内容を聞いて、ヤンフィとセレナ、煌夜は全員唖然としてしまった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 カランコロン、と呼び鈴の音を鳴らして、煌夜とセレナはギルド指定宿屋の扉を開けた。途端に、むわっとした熱気と、美味しそうな匂いが二人を出迎えてくれる。


「お、いらっしゃい――って、テメェら、また来たのか。今度こそ、資金はあるんだろうな?」


 濡れ鼠の煌夜と、その後ろで控えめに立つセレナを見て、カウンターの内側にいたちょび髭スキンヘッドの店主は、露骨な舌打ちと共に鋭い視線を向けてくる。

 つい数時間前に追い出された身としては、少しだけ居心地が悪い。

 だが、今度はちゃんとした客として来ている。店主の威圧的な視線を真正面から撥ね退けて、煌夜は店主の前まで進んだ。


「えと、とりあえず、この食事券で食事を頼むよ。あと、この宿屋券で泊まれる部屋を……」

「――ああ? おお、何だ、冒険者だったのか? なら、最初からそう言ってくれよ。そしたら、多少は融通利かせられたのに――分かりました、いいですよ。食事はいま用意します。まぁ、そこに座って待ってて下さい」


 ギルドで先ほど貰った食事券と宿屋券を店主に見せると、すぐさま店主は態度を軟化させて、人懐こい笑顔を浮かべる。

 口調も荒々しいものから、丁寧な喋りに変わり、そのあまりの変わり身に、煌夜は少しだけ感動した。

 煌夜は店主に促されるまま、エビス様――冒険者アジェンダが、座っていたカウンター席に腰を下ろす。セレナはその隣に腰掛けた。


「あ、ところで――食事は何か希望ありますか? 特になければ、今日のオススメをお出ししますが?」

「うん? あ、と……オススメで」

「あたしもそれでいいわ」

「了解しましたっ!!」


 店主は元気良く答えて、手際よく料理を開始する。

 その所作をしばし眺めて、煌夜はなんとなく店内に視線を向けた。

 店内は、さすがにもう昼近くということもあり、それなりに賑わっていた。

 客は全員が人族で、オルド三姉妹亭のように、獣族の姿はどこにもない。というよりも、ベクラルに到着してから、まだ人族以外を見ていなかった。

 獣族は珍しいのだろうか、と煌夜はふと疑問に思った。


「ねぇ、コウヤ。ところでさ……さっきの依頼って、あたしたちの目的と同じよね?」


 店内に視線を彷徨わせていた時、セレナが煌夜の耳元に顔を寄せて、囁くように確認してきた。その不意打ちに一瞬だけビクッとしてから、煌夜は頭を掻きながら頷いた。


「たぶん……同じ、だと思う。【子供攫い】って名前は言っていなかったけど……老人の奴隷商人で、仲間に時空魔術の使い手が居るって特徴は、一致してるから」

「偶然にしても、コウヤって運が良いわよね。それなら、あたしたちは目的を果たすがてらに、依頼も達成できるもの――まさか、冒険者になった当日に、こんなトントン拍子でランクAに成れるなんて、思ってなかったわ――正直、今はアンタと一緒に居れて、良かったと思ってるわよ」

「……あ、そう? それは、どうも」


 思わず見惚れるくらいの笑顔で言うセレナに少し照れて、煌夜はツイと視線を外す。

 照れた煌夜を苦笑してから、セレナは冒険者の資格証を取り出して、それに魔力を込めていた。そこに浮かび上がる文字を見て、ニンマリと嬉しそうに笑う。


「――念願の冒険者、それも早々にランクA……パーティも組めたし、この調子で行けば、キリア様よりも早く――」


 セレナはそんな独り言を漏らして、資格証を愛でるように撫でていた。そんなセレナを横目に、再び煌夜は店内を見渡した。


(のぅ、コウヤ――とりあえずこれで、タニアと合流するまでしばしの休息となるが、ちょいと現状を確認したい。良いかのぅ?)


 ふとヤンフィが、申し訳なさそうに恐る恐ると問い掛けてくる。

 煌夜は、ん、と首を傾げてから頷いた。


(――妾たちの今の目的は、タニアが偵察しておるはずの【子供攫い】のアジトを突き止めて、そこを壊滅させることじゃ。ついでに、囚われておる童たちを解放する――間違いないな?)

(ああ、合ってるよ。その為に、この宿屋に泊まろうとしたけど、金がなくて、急展開で冒険者になっちまったが……あくまでも、当面の目的は、奴隷商人【子供攫い】を倒すことだ)

(であれば、先ほど受注した『攫われた公主の弟を助け出す』などと云う依頼は、完全に無駄じゃろぅ。引き受ける必要のない依頼じゃ)

(…………おいおい。子供が攫われたんだぞ? しかも、攫った相手が、俺らの目的の奴隷商人らしいってんなら、助け出すのは、別段、手間じゃないだろ?)

(仮に、じゃ――【子供攫い】を殺して、囚われた童を解放した際、依頼の『公主の弟』が居なかった場合、どうするつもりじゃ?)

(そ、そりゃあ……別の、奴隷商人を探して、助け出すよ……)


 ヤンフィが何を訴えているのか理解できて、途端、煌夜の反論は弱々しくなった。すかさずヤンフィは強く責め立てる。


(別の奴隷商人を探す、じゃと? 分かっておるのか、コウヤ? そも、大前提としてじゃ。妾たちは、慈善活動しておるわけではない。紆余曲折あって、奴隷商人を追うことになっておるが……当初の方針としては、コウヤの身体を癒す仲間を探すことじゃったはず――それに、コウヤの家族である童たちを見つけ出すことが最終目的じゃろうが。それが何故に、よく知らぬ童を探すハメになっておる?)

(……そうは言っても、助け出せるものなら、助けたいだろ)

(妾は、見捨てることに躊躇などない。無関係な童を助ける為に、コウヤが身体を張る必要はないと云うておる――妾たちの目的の為に、寄り道するのは別段、咎めん。じゃが、危険がないとも限らぬ意味のない寄り道に、命を賭けるのは違うじゃろ……コウヤは一体、何がしたいのじゃ?)


 ヤンフィの強い口調に、煌夜は思わず押し黙る。

 ヤンフィが煌夜の身体を第一に考えて、心配で注意してくれているのは理解できた。そして、先ほど引き受けた人助けの依頼が、完全に煌夜の目的とは掛け離れた依頼だということも理解している。

 だが、だからと言って、助けられるだろう人を、自己都合で見捨てるのは何か違うとも思う。

 ――とはいえ、ヤンフィやセレナ、タニアの力を借りなければ、何も出来ない煌夜からすると、そもそも軽々しく引き受ける話でもないことも分かる。

 それらの思いが錯綜して、煌夜はそれ以上反論できなかった。

 ヤンフィの呆れたような吐息が聞こえる。


 するとちょうどその時、店主が食事を運んできた。


 店主のオススメは、白身魚の揚げ物と何肉か分からない焼肉、汁物のセットだった。

 煌夜は、とりあえずそれを口にする。なんだかんだと半日以上ぶりのまともな食事に、煌夜の胃袋は歓喜の声を上げた。


(…………まぁ、今更そんなことで責めても、それこそ無意味じゃから良いわ。それに――そも、妾はコウヤの力になると誓っておるのじゃから、コウヤのやりたいことに口を出すのもおかしな話じゃしのぅ)

(いや……まぁ、その、すまん)

(フッ……コウヤが謝る必要はないわ。妾が、少しだけ意地悪じゃった)


 ヤンフィはカラカラと笑って、さて、と突然神妙な雰囲気になった。若干、沈んだ気分の煌夜は、今度は何だ、と思わず身構える。


(――ところでじゃ、コウヤよ。先ほど【オーガゴブリン】を殺す際に、つい調子に乗って、使用魔力の多い魔剣を使ってしまった。じゃから、妾の魔力が思うたよりも回復しておらん――もうしばらく左腕を回復できぬ。すまぬ)

(は? え、あ、ああ……いいよ、それくらい。もうだいぶ慣れたし……)

(それと、じゃ。これから泊まる部屋に行ったら、セレナに自己紹介する為、妾はまた顕現するが良いか?)


 ヤンフィが煌夜の視線を、隣のセレナに向けさせる。

 そういえば、と煌夜は、ヤンフィがまだセレナに対して満足な自己紹介をしていないことを思い出した。

 さりげなくヤンフィは律儀で、自己紹介する時は本来の姿を見せて自己紹介をしている。


(……ああ? 別に、良いけど?)


 煌夜は、先ほどのキツイ口調のヤンフィと今の普段通りの口調のギャップに少しだけ面食らったが、ヤンフィが気を遣って普段通りに振舞っていることに気付いて、救われたような気分になった。

 しかし、二つ返事で頷いてから、ヤンフィが顕現するということは、また激痛を味わうことになるのかと気付いて、少しだけウンザリする。


「これ、美味しいわね!」

「そうですか、そいつは良かった――お、そういえば、宿の部屋の話なんですが……いま大丈夫ですか?」

「……ん? あ、ああ、なんだ?」


 ヤンフィとの会話に夢中になっていた煌夜にその時、店主が話を振ってきた。煌夜はハッとして顔を上げる。


「そちらの宿屋券ですと、二人部屋を一つしかご用意出来ませんけど、どうします? 確か、お連れさんがいると仰っていましたよね?」

「え? 二人部屋、一つ? マジかよ……どうにかならないか?」

「どうにか、ですか? んー、まぁ、何とかしたいですけど……ちなみに、そのお連れさんと言うのは、冒険者なんですか?」

「……ああ、連れは、冒険者だけど? あ、全員冒険者だと、四人部屋とかに変更出来る?」

「いえいえ、変更は出来ませんが……宿泊者が冒険者様だけでしたら、低額の追加料金で、上級の四人部屋をご用意出来ますよ。その場合は、前金でアドニス銀貨三十枚、引き払う際に、宿泊日数掛けるアドニス銀貨二十枚ほどで、部屋を提供できます。どうです?」


 店主の提案に、煌夜はピタリと固まった。アドニス銀貨三十枚とは、一体どのくらいの価値なのだろうか。

 先ほどギルドで報酬を貰って、今は手持ちがアドニス金貨一枚にテオゴニア銀紙幣十五枚である。

 だが、それが果たしてどのくらいか、煌夜には計算ができない。煌夜は、この世界の為替事情などまったく知らない。


「あ、安いわね、それ。それくらいなら、全然平気よ。ちょうどさっき、報酬でまとまった資金が入ったから……じゃあ、その上級の四人部屋を用意して欲しいわ――あ、別に良いわよね、コウヤ?」


 煌夜が固まった一瞬、すかさずセレナが店主の提案に頷いた。そして賛同を求めてくる。

 けれど、煌夜はそれが妥当かどうかも判断が出来なかった。


(……アドニス銀貨百枚が、テオゴニア銀紙幣一枚と同価値じゃ。じゃから、銀紙幣一枚渡しておけば、前金を支払った上で、三日は滞在できる計算になる。手持ちからすると余裕じゃな。ちなみに、アドニス金貨一枚は、銀紙幣十枚と同価値じゃから、妾たちの手持ちは、銀紙幣に換算すれば、二十五枚と云ったところじゃな)


 困っていた煌夜にその時、ヤンフィが説明をしてくれる。

 それを聞いてから、煌夜はセレナに頷いた。その宿泊費が安いのかどうかは別として、それならば、別段支払っても問題はないだろう。

 頷いた煌夜を見て、店主は心得たとばかりに満面の笑みを浮かべると、木札の付いた鍵をカウンターに置いた。


「ありがとうございます。それでは、こちらが上級の四人部屋、315番部屋の鍵になります。部屋の場所は、三階の角です。室内はもう清掃済みですんで、どうぞご自由にお使い下さい。何か質問はありますか?」

「――この宿には、沐浴できる場所とかあるの?」

「上級部屋には、風呂場が設けられておりますので、そちらをお使い下さい」


 セレナはそれを聞いて、良かった、と安堵したように吐息を漏らした。そして、カウンターに置かれた鍵を煌夜に渡して、先ほどギルドで手に入れた報酬の中から、テオゴニア銀紙幣一枚を店主に支払った。


「はい、これ。細かいのがないから、当面、大目に支払っておくわ。そんなに滞在するつもりはないけど……最悪、長期滞在になる場合は、相応の額を追加で払うから――それとあたしたちの仲間、獣族のタニアって言う女なんだけど、ソイツがここに来たら、あたしたちの部屋を教えてあげて。ちなみにあたしたちは、コウヤとセレナよ」

「はい、畏まりました。コウヤ様、セレナ様――それでは、こちらはひとまず三日分と言うことで、受け取っておきます」


 店主はホクホク顔で銀紙幣を懐に入れてから、もう煌夜たちには用はないとばかりに、他の客とのお喋りを始めた。

 とりあえず煌夜たちも、もはや店主には用事はないので、出された料理をゆっくりと味わう。


 食事を終えると、煌夜はセレナを伴って、早速、部屋へと移動した。

 上級の四人部屋は、オルド三姉妹亭の最上級に比べればだいぶ劣るが、それでも充分に広く、綺麗に掃除された部屋だった。寝室は十畳ほどの広さで、一人用ベッドが四つ、リビングの他に、風呂場と小部屋が二つもあり、四人部屋にしては快適な作りだった。


「ふぅん、人族の宿って、こうなってるんだぁ――へぇ」


 セレナはしきりに感心しながら、物珍しげに部屋の中を探索している。煌夜はそんなセレナを微笑ましい顔で眺めながら、リビングに置かれていたソファに身体を横たえた。

 衣服は雨でびしょ濡れだったが、そんなことはもはや気にならない。

 ソファに身体を預けると、途端に精神的な疲れがドッと全身に襲い掛かってくる。ようやく辿り着けた安息の宿で、張り詰めていた緊張が解けて、気が抜けたのである。

 今日――というよりも、昨日の山登りからずっと、ここに至るまで、実質、徹夜での強行軍だった。ヤンフィのおかげで肉体的な疲労は感じなかったが、ストレス等の精神的な疲労は相当のものである。

 煌夜はソファで、その倦怠感に身を委ねた。


「――ねぇ、コウヤ。あたし、ちょっと沐浴するわね」


 ソファで横になり、いつの間にかまどろんでいた時、ひとしきり部屋を探検したセレナがふとそんなことを言い出した。

 煌夜は朦朧とした意識で、ああ、と生返事する。別段、それを煌夜に言う必要はないのではなかろうか、と少しだけ疑問に思う。


「あれ? 寝てるの? 濡れたままだと風邪引くわよ?」

「……ああ、うん。大丈夫、大丈夫……起きてる、よ?」

「あ、そう? じゃあ、いいわ――けど、そんな濡れてると、ソファが汚れるから、乾かすわよ?」


 セレナの苦笑が聞こえると同時に、煌夜の身体は柔らかい風に包まれる。その魔力による温風は、瞬く間に煌夜の全身を乾かした。

 しばらくして温風が止むと、良し、と言うセレナの声が聞こえて、次いで、パサリと、寝転がる煌夜に何かが掛けられた。

 薄目を開けて見ると、それはタニアから借りていた外套である。セレナが煌夜から無理やり奪ったものだ。

 仄かにぬくもりがあるそれは、煌夜をいっそう夢の世界に誘う。


「――――あたし、沐浴が長いから、何かあったら声掛けてね?」


 ああ、とおざなりに返事をしたのを最後に、煌夜の意識は夢の中へと落ちていく。視界が暗転して、とりとめもない意識が霧散する。


(――おい、コウヤよ。寝ていて良いのか? セレナの沐浴、覗く絶好の好機じゃろ)


 しかし、一旦霧散した意識が、ヤンフィのからかうような口調で強制的に覚醒させられた。

 いや、意識は起きたが、身体はまだ眠っている。意識だけが、真っ暗闇の心の中でヤンフィと対峙していた。


(……覗かないよ。なんだよ、その言い方は。まるで俺が、覗く機会を窺ってたみたいじゃないか?)

(違うのか? 彼奴は、アレで中々スタイルが良いぞ。まあ、胸は無さそうじゃが……)

(違うから――つうか、自己紹介とやらは、まだしないのか? 結構、身構えてたんだけど)


 煌夜は心の中で、ドカっと座り込む。ヤンフィはカラカラと笑ってから、煌夜の質問を無視して楽しそうに続けた。


(彼奴は、オーガゴブリンの血を、若干浴びておるぞ? 今なら発情しておるから、合意の上でお楽しみできるやも知れんぞ?)


 ヤンフィのふざけた台詞に、煌夜は唖然とする。毎度のことだが、ヤンフィは時折、ゲスの極みのようなことを平然とのたまう。


(……おい、ヤンフィ。誰が、いつ、んなことしたいって言ったよ? いや、まあ、やりたくないかどうかって言われたら、そりゃあ興味はあるが、今の状況で、そんな心の余裕はないから――ていうか、血を浴びて発情してるって、マジか? 大丈夫なのか?)


 呆れ声でヤンフィの言を否定してから、煌夜は、セレナの体調、引いては精神状態を心配する。たしかオーガゴブリンの血液には、強力な催淫作用があると言っていた。

 それを浴びて、もしかして苦しんでいるのかも知れない、と真剣な顔でヤンフィに詰め寄る。

 するとヤンフィは、楽しげな顔を一転真顔になり、ふむ、と一つ頷いてみせた。


(体調的には問題はなかろう。そも、あれは毒ではない。じゃが、身体は熱を帯びて、昂った精神は、理性を溶かす。一度火がつくと、自身で発散するのは難しいのが、オーガゴブリンの媚薬じゃ――おそらくいま、沐浴と称して、自分で慰めておるじゃろぅ)

(…………)


 煌夜はついつい、不謹慎ながらもその場面を想像して、唾を飲み込んでいた。ヤンフィは続ける。


(そも、沐浴するのをコウヤに伝える必要はなかったじゃろ? アレはわざとじゃ。それに、時間が掛かるとも云うておったしのぅ――発情しておるのは明らか。汝は、苦しむ仲間を放っておくのか?)

(……だからって、俺にどうしろと?)

(フッ……抱け、とまでは言わぬが、裸を覗いて、多少慰めてやるのはどうじゃ? 一人で慰めるよりも、発散されると思うぞ。まあ、成り行きで抱いても文句はでるまいよ)


 カラカラと笑うヤンフィに、煌夜は怪訝な顔を浮かべる。その試すような物言いは、煌夜をからかっているようにしか思えなかった。


(……何が狙いで、俺を焚き付けてんだか知らねえが……覗かないし、手も出さないよ? 俺にそういう気はないから)


 ヤンフィが煌夜に何をさせたいのかは知らないが、そんな甘言に流されるほど、煌夜は意志薄弱ではない。

 というよりも、そんなに性欲を持て余しているわけでもない。

 キッパリと突っぱねた。すると、ヤンフィはつまらなそうに、そうか、と肩を落として、仕方あるまいのぅ、と煌夜の眼前に立ちはだかる。


(――コウヤよ、それでは、しばし休むが良い。あとは、妾がやっておこう)

(……何を?)


 ヤンフィはニヤリと笑って、煌夜の額に手を当てた。それは見た目通りに小さく柔らかかったが、まるで冷凍されているような冷たさがあった。


(意識があれば、面白い光景が見れるやも知れぬな)

(……だから、何が!?)


 ヤンフィの意味深な台詞を不穏に思った煌夜は、恐怖を感じて慌ててツッコむ。だが、それは虚しく響いた。

 次の瞬間、プツリと、テレビの電源が切れるように、唐突に煌夜の意識は途切れた。


 最後に目に映った光景は、ニヤニヤとサディスティックに微笑むヤンフィの顔だった。


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