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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第四章 鉱山都市ベクラル
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第二十一話 駆け出し冒険者

 目的地である西坑道と呼ばれる場所は、冒険者ギルドから歩いて十五分ほどで辿り着けた。

 そこはベクラルに落ちて来た時の採掘場からほど近いところにあり、ベクラルを囲む山の断崖絶壁に穿たれた地獄の門のような場所だった。

 入り口にはくたびれて半分腐り落ちた看板が立っており、足元には既に意味を成さないほど老朽化した線路が敷かれている。


「…………ここ、じゃのぅ」

「みたいね。『ベクラル始まりの地――西の坑道』らしいわよ……ずいぶん廃れてるのね」


 ヤンフィは雨に濡れた地図を確認して呟くと、腐り落ちている看板の文字を読んだセレナが頷いた。


「とりあえず入りましょ――入り口には、魔族の気配はなさそうよ?」


 暗く大きな口を開けた入り口をジッと眺めて、一向に入ろうとしないヤンフィに、セレナは首を傾げた。まさか魔族の気配でもしたのか、とその気配を探るが、しかしそういう訳ではなさそうだった。

 セレナはとりあえずヤンフィを尻目に、躊躇なく坑道の中に足を踏み入れる。そして振り返り、ほらほら、と手招きして、中の安全をアピールしてみせた。

 そんなセレナを見て、煌夜も心の中で早く入ろうぜと進言するが、ヤンフィは特に何の反応もせず、ただただ入り口の闇を眺めていた。


「ねぇ、どうかしたの?」

「――セレナよ。何の違和感もないか?」

「は? え、ええ……特に何も?」

「…………杞憂かのぅ」


 不審に思ったセレナの問いに、ヤンフィは曖昧な問いを返す。その後、しばし沈黙してから、ようやく意を決した様子で、ヤンフィは坑道の入り口に足を踏み入れた。

 ちなみに、これでやっと雨宿りが出来るが、もはや煌夜は下着までびしょ濡れで気持ち悪かった。


「ねぇ、コウヤ。何を感じたの? あたしは、別に違和感なかったけど?」

「……時空魔術の残滓が漂っておる。ここと、どこかを繋いだような――じゃが、今はその扉が開いてはおらぬようじゃな」

「へぇ――なに、アンタって魔力残滓を感じ取れるの?」

「まぁな――そういう汝は、感じ取れぬのか?」

「分かってて聞いてるでしょ? 魔力残滓を感じ取るなんて芸当、魔眼持ちじゃないと出来ないわよ」


 ヤンフィはセレナと軽口を叩き合って、煌夜の濡れた髪をワシャワシャと掻いた。

 多少水気が飛んで、濡れた髪がボサボサになる。だが、ヤンフィはそんな髪型にまったく頓着しない。煌夜としては少し恥ずかしい。


「ねぇ、ところでさ。この坑道って、一本道なの? それともその地図に、坑道内の情報もあるの?」


 まるで濡れた犬がそうするように、全身を小刻みに振って服の水気を飛ばしているヤンフィに、呆れた顔でセレナが聞いてくる。ヤンフィは持っていた地図を渡した。


「……地図には、記載はない。ギルドでも特に説明はなかったのぅ。ここから見る限りでは一本道のようじゃが、進んでみないと分からぬ」

「――ふーん。あっそ」


 雨で湿った地図を眺めてから、セレナは素っ気無く頷いた。そして、びしょびしょの煌夜の身体を見て、仕方ないなぁ、と呟きながら吐息を漏らす。


「ねぇ、身体、乾かしてあげようか?」

「――ほぅ。出来るのか?」

「それくらい、造作もないわよ。というか、アンタ、あたしを馬鹿にしてるでしょ?」


 セレナの親切な提案に、ヤンフィは挑発的に笑う。その台詞に若干ムッとしながらも、セレナはスッと手をかざした。

 セレナが手を煌夜の身体に向かってかざすと、途端に、勢いよく清涼な風が吹き抜ける。それは強風と言うほどではないが、微風よりは強く、またどことなく温風だった。

 ヤンフィはその風を受けながら、ニンマリと満足そうな笑みを漏らす。


「ふむふむ……魔術操作はやはり器用じゃのぅ。感謝しよう」

「――というかさ、あたしはてっきり、自力で乾かすと思ってたから、今の今まで口を出さなかったんだけど……コウヤ、アンタ、魔術で服とか乾かせないの?」

「乾かせないわけではない、が……魔力がもったいないから、やらないだけじゃ」


 ヤンフィのその開き直った台詞に、セレナは呆れていた。煌夜もそれは同じような気持ちだったが、魔力枯渇の危険性があるならば、濡れる程度は我慢するしかないとも思った。


「……あっそ。じゃあ、今度からあたしが乾かしてあげるわよ。さすがにそんな濡れてる人間とは、一緒に居たくないから」


 照れているのか、セレナは素っ気無くそう言ってから、かざした手を下ろす。

 ものの数十秒で、見事に煌夜の服は乾き切っていた。しかも洗濯したてのように、どことなく太陽の匂いまでしている。

 非常にすっきりである――ただし、髪だけはワシャワシャのままだが。


「さて、と。じゃあ、とりあえず進みましょ。コウヤは、あたしの後に付いて来て」

「警戒を怠るなよ、セレナ。妾も何か異常があれば伝える」

「ありがと――行くわよ」


 セレナは詠唱せずに光を放つ魔力玉を四つ出現させて、その二つを天井付近に浮かべる。そして一つを自身の脇に、もう一つを煌夜の後ろに配置させた。

 一瞬にして光のなかった暗い坑道内は、白く明るい光で満ちる。

 その坑道内は、入り口の狭さの割に意外と広かった。

 奥に進めば進むほど天井は高くなり、横幅も広くなった。分岐はなくひたすらの一本道で、壁と天井はあちこちが崩れ始めており、今にも崩落しそうな危険を感じさせる。

 足元に敷かれた線路の鉄は、錆びて朽ちてその半ばで途切れていた。また、坑道の奥の闇からは、獣臭い生暖かい風が吹いてきており、時々、ビリビリと空間を震わせるような振動がやってくる。

 セレナはそんな坑道を先行してサクサクと進んでいく。その足取りは散歩でもするように軽やかだった。


(――なぁ、ヤンフィ。ところで【オーガゴブリン】だっけ? それって、どんな魔族なんだよ?)


 無言でセレナの後を歩きながら、煌夜はふとヤンフィに問い掛けた。それは、この先に控えている討伐対象の魔族のことである。

 オーガゴブリン――ゴブリンと名が付いていることから、煌夜は自分の中にあるゴブリンのイメージを頭に浮かべた。

 ゴブリンと言えば、ゲームでよく出てくる雑魚の代表格で、ずんぐりむっくりの醜悪な矮躯をしており、鈍器を振り回すモンスターだろう。知能はないが腕力が強く、鈍足だが集団で人を襲うイメージである。

 そんな想像をした時、ヤンフィが、ふむ、と頷いてから説明してくれた。


(オーガゴブリンは、ゴブリン属に区分される魔族のうち、幻想種に区分される『鬼』寄りのゴブリンじゃ。特徴としては、ゴブリン属の中でも巨躯であり、敏捷性が高く、何より非常に皮膚が硬い。じゃが、知能は低く魔術適性がないので、魔術攻撃はしてこない。対策としては、大出力の魔術で遠距離攻撃をしておれば問題ないが、まあ、ここで対峙するとなればそれは叶わぬじゃろぅ。下手をすると、魔術の衝撃でこの坑道が崩落しかねん。となると、近接戦闘で仕留めることになるが、その際は、素早い身のこなしに注意が必要じゃのぅ)


 ヤンフィのその説明を聞いて、煌夜は自分の想像していたゴブリンとの違いにかなり不安を覚えた。まさか結構危険な存在なのだろうか、と知らず知らず緊張してしまう。


(――とは云えじゃ。オーガゴブリン如き、苦戦する相手ではないがのぅ。そもそも、集団で現れることもないしのぅ)


 そんな風に煌夜が不安を感じていると、ヤンフィが苦笑しながらそう付け足す。それを聞いて、煌夜は少しだけホッとした。


(ああ、ちなみに、ゴブリンの血液には、非常に強力な催淫効果があるので、気をつけよ。コウヤのように魔術耐性が低いと、少しでも浴びれば、理性が吹き飛ぶぞ)

(催淫――って、欲情するってこと? マジ?)

(マジじゃ――じゃから、妾たちはセレナに丸投げして後方で見学じゃよ。ちなみにそれ以外にも、ゴブリンの血肉には様々な効用がある。例えば心臓は、非常に強力な媚薬と惚れ薬を作れるし、頭蓋骨は粉にすれば猛毒にもなる。眼球は義眼として有用じゃ。皮革はすり潰してから煎じると回復薬にもなる。故に古くから『ゴブリン属に使えない部位はない』と云う。それが転じて、攻撃防御治癒の三拍子を揃えた上で、遠近どちらでも闘えるような万能型の戦士のことを【ゴブリン戦士】とも呼ぶぞ)

(……あれ? なんか、俺の中のゴブリンのイメージが……)


 ヤンフィのその補足説明の数々に、煌夜の中のゴブリンのイメージが更にガラガラと崩れていく。

 ここまでリスペクトされているということは、ヤンフィたちからすると雑魚かも知れないが、実際はもしやかなりの強敵なのだろうか、と煌夜は一抹の不安に身を震わせる。

 すると、セレナがふと立ち止まり、そういえば、と確認してくる。


「ねぇ、今回の討伐依頼ってさ、オーガゴブリンのどの部位を回収するの? それとも、倒すだけでいいの?」

「貴重部位、と云うておった。とすれば、心臓、もしくは頭蓋骨じゃろぅなぁ――まあ、念の為、五体満足で殺すが良かろう」


 あっさりと答えるヤンフィに、セレナが凄く嫌そうなしかめっ面を向けてくる。


「……簡単に言うわね。相手は、オーガゴブリンよ? 分かってるの?」

「簡単じゃろぅ? たかだかオーガゴブリンじゃ」

「…………はいはい。分かりました」


 ヤンフィの自信満々の言葉に、セレナはそれ以上反論するのを諦めて、言葉を飲み込んで頷く。ちょうどそのタイミングで、坑道の奥の闇から怒号のような雄叫びが聞こえてきた。

 その声はビリビリと空間を震わせて、壁の岩が少しだけ崩れた。漂ってくる生臭い獣の臭いがより強くなる。


「――近いわね」

「近いのぅ」


 ヤンフィとセレナがほぼ同時に同じ台詞を呟く。それに呼応するかのように、もう一度、凄まじい雄叫びが響いてくる。

 その音を聞いて、煌夜は不安と恐怖で心が真っ白になった。まるで恐慌の効果でもあるかのようだ。

 その音をただ耳にしているだけで、身体が、心が、無意識に立ち竦んで震えが止まらなくなるのだ。

 しかし、そんな煌夜とは裏腹に、ヤンフィもセレナも平然と歩みを進める。


 再び、ゴァアアアッ――――と、鼓膜が痛いくらいの絶叫が正面から響いてきた。

 ピタリとセレナとヤンフィの足が止まる。


 ふと見れば、坑道はいつの間にかだだ広い空洞に変わっており、そこに人型をした角の生えた巨漢が棍棒片手に立っていた。どうやらセレナたちは、その巨漢の姿を見て足を止めたようだった。

 つまり、そいつが目的の【オーガゴブリン】ということである。煌夜は目を凝らした。


 その巨漢は一見すると人間のようだが、よくよく見れば明らかに人間ではなかった。

 身長は2メートル近くあり、その身体は筋肉の鎧を纏ったガチムチのボディビルダーを思わせた。布一つ身に着けぬ全裸で、額には一本の角を生やして、全身色黒だった。

 その相貌は潰れた老人のような醜悪な面構えをしていた。

 そしてその手に持つ棍棒は1メートル弱の長さで、柄頭に鉄の塊が付いたメイスである。


「……思ってたよりも大きいわね」


 セレナがつまらなそうに呟いた。その呟きに、ヤンフィが意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべる。


「それは、どこを見て云うておる?」

「――――下品よ、コウヤ。そういう卑猥なことをあたしに言わないで」

「ふっ……何が卑猥なのじゃ? 妾は別に、オーガゴブリンの筋肉が見事じゃったから、汝もあの胸板に目を奪われたのかなと思うただけじゃ。それとも、汝は下半身にでも注目したのかのぅ?」


 からかうように言うヤンフィに、セレナは殺意の篭った視線でもって応える。

 ヤンフィのその発言は完全にセクハラだった。煌夜は呆れる。敵を前にしてのこの状況で、あまりに緊張感のない空気である。


 ゴァアァッ――グゥウウ――ガァア!!


 その時、オーガゴブリンが重低音の唸り声を上げながら、ガゴンガゴン、と棍棒で壁を叩き始めた。そのスイングは残像しか見えないほどの素早い振りで、その一撃一撃は岩壁を爆発させるような破壊力である。

 壁を掘っていると言われても信じられるほどの威力でもって、その凄まじい振動が空気を伝わり煌夜たちに届いてきた。

 何をしているのか。オーガゴブリンは、いまだセレナたちには気付いていないらしい。

 ただただ一心不乱に壁を叩いている。


(……あれ、何をしてるんだ?)


 煌夜は疑問を浮かべる。すると、ヤンフィが何かに気付いたようにハッと息を呑んだ。

 次いで、セレナも胸糞悪そうに顔を歪めて視線を逸らす。


「……迷い、込んだのかのぅ」


 ヤンフィの呟きに首を捻りつつ、煌夜は目を凝らした。そして、オーガゴブリンが叩く先に何があるのか、気付いてしまった。

 それは、腕と足の付いた赤い肉の塊――人間の死体だった。

 大きさからするとそれは子供のようで、オーガゴブリンはその頭部を執拗に強打している。頭部は既にもんじゃ焼きの具みたいにグチャグチャになっていて、両手足も不細工な人形のように逆向きで折れていた。

 煌夜はその悲惨な光景を目にして、思わず吐き気が込み上げて来る。また同時に、怒りで心が真っ赤に染まる。

 そのあまりの激情により、一時的にヤンフィの支配を跳ね除けて、身体の主導権を奪い返した。


(…………落ち着け、コウヤよ。怒る気持ちは分かる。じゃが、ここは妾たちに任せよ。あの童たちは残念じゃが、もう過ぎたことじゃ)

(――童、たち?)


 ヤンフィに言われて、煌夜は視線をオーガゴブリンの周辺に向ける。その足元には、六人ほどの死体が転がっていた。見るも無残な光景だ。

 死体は全て幼い子供の容姿をしており、皆が皆、恐怖に歪んだ絶望の表情を浮かべたまま、首をあらぬ方向に向けて絶命している。

 子供たちは全員裸に剥かれており、首と同じようにその両手足もあり得ない方向に折れ曲がっていた。全員、明らかに死んでいる。

 そんな中で、女子と思われる子供の胸元には、小さなゴブリンが張り付いていた。

 煌夜は完全に頭の中が沸騰する。抑え切れないほどの怒りが溢れて、握り締めた右の拳から血が滲んだ。無意識に足を踏み出す。


(落ち着け、コウヤ。冷静になれ――チッ、悪いが、強制的に身体の自由を奪わせてもらうぞ)


 なだめるようにヤンフィの制止の声が掛かるが、しかしそんな言葉は煌夜の耳には届かなかった。

 煌夜は怒りに任せて駆け出そうとして、それをさせじと、再び身体の主導権がヤンフィによって乗っ取られる。


「――マズイのぅ。繁殖し始めておるようじゃ。セレナ、全て駆除するぞ」

「言われるまでもないわよ――こんな嫌な光景を見せられたんだから、一匹残らず狩り尽くすに決まってるでしょ?」


 ヤンフィの囁き声に、セレナも声のトーンを落として頷いた。二人の声には、隠す気もない嫌悪感と苛立ちが混じっている。

 一方、オーガゴブリンは夢中になって死体を叩き潰して、しかしふとその動きを止める。ようやくセレナたちに気付いたのか、と煌夜は戦闘が始まるだろうことを覚悟した。

 オーガゴブリンとの距離は目測で20メートルあるかないか、空洞内は見晴らしの良い広い空間で、障害物はない。戦闘するのに悪くない環境だ。


 グァアアアガァア――、とオーガゴブリンが吼える。すると、空洞の奥から少し小粒のオーガゴブリンが二匹出てきた。


(……援軍かよ)

(違うぞ、コウヤ。アレはまだ妾たちに気付いていない――おそらく、食事の時間じゃろぅ)

(食、事……?)


 煌夜の呟きに、ヤンフィが忌々しそうに答える。その説明は、まさにその通りだった。

 現れた二匹は、壁で無残に潰された肉片に群がって、その手足を骨ごと咀嚼し始める。また、すり潰された頭部は、メイスを振っていたオーガゴブリンが食べ始める。

 三匹は、興奮したような荒々しい呼吸で、勢いよく死肉を貪っていた。それは獲物に群がるハイエナを思わせる光景である。


(……ゴブリン属は、耳が遠く、視力が弱く、光を感じない。じゃが、あの角で、半径10~15メートルほどの範囲に居る生物の魔力波動を感じ取って、視覚、聴覚、嗅覚に頼ることなく動く。じゃから、彼奴らの範囲に踏み込まない限り、そうそう気付かれん)


 ヤンフィはそう補足説明しながら、セレナの背中を押して数歩近付く。

 そこがオーガゴブリンに気付かれない限界の距離なのか、ギリギリまで迫ってから、ただジッと、食事に興じているオーガゴブリンを観察していた。


「――――幼体が三匹、成体が四匹、ね。奥に一匹、ボス格の成体が隠れてるわね」

「そうか……じゃったら、当初の予定とは違うが、妾に一匹任せよ。そうじゃのぅ――ここに居る成体三匹のうち、あのデカイ奴は妾が仕留める。そうせんと、コウヤと妾の溜飲が下がらん」

「それは、別にいいけど……アンタ、大丈夫なの? 跡形もなく死体を消さないでよ?」

「フッ――まぁ、見ておれ。一瞬で、胴体と首を分断させてやるわ」


 セレナの心配は、ヤンフィや煌夜の身体のことではなく、オーガゴブリンの遺体に関しての心配だった。

 それに対して、ヤンフィは苦笑混じりに力強く頷いた。


(コウヤよ。すまんが、少しだけ痛覚を戻すぞ? しばし我慢してくれ)

(――何をするつもりだよ?)

(憂さ晴らしじゃよ。妾も先ほどの光景には、少々吐き気を催したのでのぅ――直接、手を下したくなっただけじゃ)

(ああ、分かった。それなら、我慢するよ……サッサとぶっ殺してくれ。これ以上、あの子たちが辱められるのを見ていたくない)


 ヤンフィはフッと笑って、セレナの肩を叩くと、その右手にA4サイズの黒い本を出現させる。

 それはヤンフィがいつぞや説明してくれた【無銘目録むめいもくろく】という本である。武器庫だとか魂の牢獄だとか言っていた代物だ、と煌夜は思い出す。

 どうするつもりだろう――煌夜が疑問を浮かべた瞬間、全身に雷が落ちたみたいな衝撃が走った。

 ドッと疲労が全身に襲い掛かり、筋肉が痺れて痙攣を始める。筋肉は至るところが痛みを訴え出して、身体は鉛を背負っているように重くなった。

 それらは、ここまで蓄積されていた疲労の結果である。


「顕現せよ。吸血する剣――【魔剣ダーインスレイヴ】」


 煌夜が全身に疲労と痛みを感じた時、ヤンフィが高らかにそう宣言する。すると、黒い本から溢れた緑色の魔力光が中空で収束して、一本の剣を浮び上がらせる。

 それは無骨な銅の剣で、両刃の剣身は完全に錆び付いていた。しかし、それを見た瞬間、セレナが目を見開いて驚愕している。


「――セレナよ。一秒だけ、彼奴らの注意を引けるかのぅ? 妾の剣術を披露してやろう」

「分かったわ。囮になれって言うのね? やるわよ」

「話が早くて助かるわ」


 ヤンフィは無銘目録を手放して、銅の剣を握る。途端、無銘目録は暗闇に溶けるように消えていった。

 その光景を見てから、セレナは仕方ないと溜息を吐いて、軽やかな足取りでオーガゴブリンたちに近付いて行く。

 数歩踏み出した途端、オーガゴブリンたちが食事の手を止めて、その醜悪な顔を上げた。口元にはベットリ、鮮血と肉片がこびり付いている。

 顔を上げたオーガゴブリン三匹に、セレナは見下すような視線を向けた。バチっと視線が交差する。


 グゥオ、ゴァアァッ――、グォオオオ――。


 その時、セレナの姿を認識したオーガゴブリンたちは、一様にその醜悪な表情を喜びに歪める。

 ニタリという擬音が聞こえてきそうなほど気持ち悪い笑みを浮かべて、なぜかその息遣いは興奮から荒くなっていた。


「…………気持ち悪いわね」


 その光景を見て、セレナはボソリと吐き捨てた。そして、オーガゴブリンたちと距離を取って、空洞の奥に向かって疾駆する。

 しかし、それは叶わない。

 信じられないことに、疾風の如く駆け出したセレナよりも、オーガゴブリンたちの俊足の方が圧倒的に速かった。

 気付けば次の瞬間に、セレナの駆け出した先に、オーガゴブリンたちが等間隔で立ち塞がっている。

 動きが速いとは聞いていたが、その敏捷性は煌夜の想像していたよりもずっと上を行っていた。


 グァアアアアゥォッ――、と言う雄叫びを放ちながら、一番巨躯のオーガゴブリンがメイスを振りかざす。また他の二匹は岩石のような拳を、ボクシングのファイティングスタイルのように構えていた。

 オーガゴブリンと対峙したセレナは、その巨体を見上げる。

 一方、メイスを振りかぶったオーガゴブリンは、下卑た笑みを浮かべたままセレナの身体を見下ろす。

 その身長差は、40センチ以上。まさに子供と大人の体格差だ。傍目から見れば、セレナに勝ち目はない。


「――左右の二匹は、任せたぞ」

「甘く見ないでよ」


 セレナの頭上に振り下ろされるメイス。けれどそれは、セレナに到達するより先に、ヤンフィの振るった銅の剣により斬り飛ばされていた。

 煌夜の身体をどう使えばそんな速度が出せるのか、セレナより速いオーガゴブリンより尚疾く、一瞬のうちに、ヤンフィはオーガゴブリンたちの正面に駆け寄っていた。

 見ていても煌夜ではまったく理解できない早業でもって、銅の剣が上下左右と空間を切り裂く。

 まずメイスが細切れになり、次いでそれを握っていた豪腕が肩口からバッサリと切断されて、最後にその頭部が胴体と離れて宙を舞う。

 文字通り瞬きの一瞬で、巨躯のオーガゴブリンはその体躯を地面に横たえた。

 一方で、駆け寄ったヤンフィと交代するように、セレナは一歩バックステップして、両手を左右でニヤニヤ笑っているオーガゴブリンに向けた。すると刹那、その掌から光の盾が出現した。

 光の盾は【トレント】の攻撃に耐えた【光盾こうじゅん】と呼ばれる防御魔術である。

 セレナはその光の盾を水平に倒して、フリスビーの要領で投げつける。まるで気○斬である。

 光の盾は、小ぶりのオーガゴブリン二匹の首を刎ね飛ばして、そのまま壁にぶつかり霧散した。


 ゴアァ――ッ、と短い断末魔の後、一斉に辺り一面がオーガゴブリンの血で染まる。噴水の如く噴き出す赤い血は、雨となってその場に降り注いだ。


(……血の雨か、よ……って、これ浴びたらマズイんじゃ?)


 疲労と痛みで胡乱な頭をした煌夜は、その雨を見てヤンフィの説明を思い出した。

 オーガゴブリンの血は、浴びたら理性が飛ぶ――煌夜は慌てる。

 しかし、ヤンフィはさして気にした風もなく、避ける素振りもなく立ち尽くしている。それは残心の姿勢のようにも見えた。

 まさか動けないのか、と煌夜はこの状況に恐怖する。

 チラリとセレナを見ると、セレナは平然とした顔で、外の雨を防いでいた風の膜を展開している。

 なるほど、それならば安全だろう。だが、その魔術を煌夜に展開する気配はなかった。


(浴びたら、どうなるん……だ?)


 そう思考すると同時に、煌夜は気持ちを強く持とうと覚悟する。

 果たして、血の雨は煌夜に掛かることはなかった。

 それは、信じがたいほどの不思議な光景だった。降り注ぐ血の雨は、その全てが銅の剣によって吸い尽くされたのである。

 降り注ぐ雨粒一滴一滴が、時間を止めたかのように空中で一時停止してから、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように銅の剣に集まる。そして、銅の剣はそれらの赤い滴を、音を立てて吸い尽くした。

 煌夜は心の中で唖然とした。


「――何よ、その剣」


 その光景を見て、セレナが震える声で呟く。ヤンフィは何も言わずにただ微笑んだ。

 その時不意に、ギーギーギー、と甲高い声が響く。どうやら小型の幼体オーガゴブリンが、成体があっけなく死んだことで怯えているらしかった。

 セレナは冷たい視線をそれに向けて、スッと手を振る。すると、幼体のオーガゴブリンは風で壁に叩きつけられて、そのまま空気の壁と挟まれて、ぺしゃんこに押し潰された。

 子供たちの意趣返しのつもりか、見事なまでにミンチである。


 そうして、空洞内のオーガゴブリンは、あっと言う間に全滅する。

 しかもその肉体はほぼほぼ無傷で、胴体と首が離れているだけだ。これならばとりあえず一つ目のミッションクリアだろう、とヤンフィとセレナは頷き合った。


「――んじゃあ、サッサと奥に進むわよ。ちなみに、ボスはあたしが狩るで良いのよね?」

「うむ、頼む。ちょいと妾は魔力を使い過ぎたわ……もう口出しもせず、傍観していよう」


 ヤンフィは【魔剣ダーインスレイヴ】を霧散させながら、セレナの問いに頷いた。セレナは怪訝な顔で恐る恐ると続ける。


「…………ねぇ、さっきの剣さ。まさか、オーガゴブリンの血を吸ったの?」

「そうじゃ。吸血する剣――ダーインスレイヴ。妾が保有する六十六の武具のうち、神殺しの魔具に数えておる物の一つじゃ」

「…………宿屋で休めたら、それも合わせて色々聞かせてよ?」


 セレナの上目遣いのそれに、ヤンフィは苦笑した。


 それからしばらく坑道内を突き進み、突如飛び出してきたボス格のオーガゴブリンを一蹴して、祭壇のような部屋に到達した。


 坑道はその部屋で行き止まりになっており、ここが最奥である。

 部屋は八畳ほどの広さで、中央には炎を浮かべた燭台に囲まれて台座があった。

 台座には、一本の矛が恭しく奉納されている。その矛が【軍神の矛】と呼ばれる物で間違いないだろう。

 矛は1メートル強の長さがあり、柄の装飾は豪華絢爛で神々しかった。

 矛先は鋭利な両刃をしており、斬るよりも突くことを想定して作られているようだった。重さは、見た目の割りに軽く、片手で振り回しても問題なさそうだ。

 ヤンフィはその矛を手に取って、様々な角度から観察する。


「……なんじゃ。【軍神の矛】と云うから、どれほどの武具かと期待したが、これは【巨人の矛】ではないか……つまらん」


 しかし、しばらく矛を眺めてから、ヤンフィは残念そうに首を振る。

 そしてそれをセレナに手渡した。セレナはそれを受け取ると、不思議そうな顔で矛を眺める。


「ねぇ、コウヤ。アンタ、この【軍神の矛】のこと知ってるの? あたしが見たとこ、結構な魔力が内在してる魔具っぽいけど……」

「それはのぅ、【巨人の矛】と呼ばれる神代の武具の一つじゃ。確かに、それなりの魔力を宿しておるが……それは、神代に一般で流通しておった量産品じゃ。珍しくもなんともない」

「…………これが、量産品なの?」

「そうじゃ。それの利点は、基本四属性、風、水、火、土の魔術を自動で強化することじゃ。しかし、威力を一段階引き上げる代償に、魔術展開速度を犠牲にする。じゃから、あまりお勧めは出来ぬ武具じゃのぅ」

「詳しいわね……けど、それでも充分に強力な武具だと思うけど?」

「まぁ、使えなくはないがのぅ……さて。それでは、戻るぞ。思うていたよりも時間が掛かってしまったわ」


 ヤンフィはそう言って、来た道をサッサと戻り始める。

 はいはい、とセレナはおざなりに返事をして、軍神の矛を持ってその後に付き従った。


「……ねぇ、コウヤ。オーガゴブリンの死体、どうするの? 四匹いるけど、アレを全部運ぶのは、無理よ?」

「全てを運ばなくとも良いじゃろぅ。一匹だけ持って行って、残りは後で運べば良かろう。依頼は妾たちが請けておるのじゃから、妾たち以外がここにやってきて、アレを運ぶことはあるまい」

「ああ、なるほどね。確かに……」


 ヤンフィの説明にセレナは納得して、じゃあどれを運ぶ、と首を傾げた。するとちょうど、ボス格のオーガゴブリンが転がっている通路に差し掛かった。

 ヤンフィとセレナは同時にその死体を見て、目を合わせて頷く。


「分かったわ。とりあえずこのボスを運びましょ――って、まさか、これ、あたしが一人で運ぶの!?」

「察しが良くて助かるわ。妾は片腕じゃ、セレナが運ぶのが妥当じゃろぅ? まぁ、代わりに、妾は頭部と矛を持とう」

「…………あたし、か弱い美女でしょ? 普通さ、外界の常識だと、男が重い物を運ぶんじゃないの?」

「では、これはリーダー命令じゃ。つべこべ云わずに、サッサと運べ」


 ボス格のオーガゴブリンは、その胴体だけで2メートルを優に超えている。その死体を前にして、ヤンフィはセレナに顎で命令した。

 セレナは一瞬、ギラリとヤンフィを睨んだが、片腕がないことを強調されると、吐息を漏らして諦める。

 セレナはオーガゴブリンの太い胴を掴むと、スッとそれを肩に担ぎ上げた。それは米俵を担ぐみたいに自然で、辛そうな様子は一切なかった。

 枝のような細腕で、自分よりもずっと巨大な人型を軽々と担ぎ上げているその様は、煌夜でなくとも思わず引くほどの異様だ。

 ちなみに、オーガゴブリンの胴体の質量は、およそ100キロを軽く越えているはずである。しかし、セレナはその重さをまったく感じさせぬ足取りで歩き出す。

 ヤンフィは足元に転がる頭部を拾い、その髪を掴んで矛と一緒に持つ。セレナと比べると、あまりにも軽い荷物である。


 それからしばらくして、ようやく坑道の入り口まで戻ってきた。

 外は相変わらずの土砂降りで、曇天が太陽を見事に隠していた。けれど、間違いなくもう夜は明けているだろう。


(……この調子では、今日は一日雨じゃろぅなぁ)


 ヤンフィはそんな風に空を見上げながら、また濡れるが許せよ、と煌夜に心の中で頭を下げていた。

 煌夜はそれは仕方ないと既に諦めており、今はとにかく、一刻も早く宿屋で休みたいと思っていた。それにはヤンフィも同じ意見である。


「――ねぇ、そんなとこで立ち止まってないで、サッサとギルドに行きましょ? 何かこの死体さ、血が滴ってきてて、服が汚れそうなのよ」


 すると、ヤンフィと煌夜同様、一刻も早く宿屋に行きたいセレナが、そう催促をしてきた。

 確かに、オーガゴブリンの首の切断面から、少しずつ血が滴っており、タニアから借りた外套には誤魔化しようのない赤い染みが出来ていた。

 更によく見れば、内側に覗く銀色の胸当てにも血の赤が滴っている。


「分かっておる。行くか……」


 ヤンフィはセレナに頷いて、再び土砂降りの外に歩き出す。

 一瞬で、煌夜の身体はまた濡れ鼠となった。その煌夜の後ろを、オーガゴブリンの巨体を担いだセレナが続く。

 二人はそうして、初めての依頼を凄まじい速度で解決させて、冒険者ギルドに向かった。


 ちなみに、依頼の達成期限は三日だったが、依頼達成に要した時間はわずか三時間である。

8/15 一部表現を修正しました。


1/13 オーガゴブリンの表現を変更。

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