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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第三章 オーガ山岳地帯
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第十八話 セレナと登山

 一行は、タニアを先頭にして、その少し後ろを煌夜、殿をセレナという隊列で歩いていた。

 辺りは見渡す限り深い森で、登山道どころか獣道さえない急勾配の山道である。そんなところをかれこれ三時間以上は歩き続けている。

 しかし、一向に山頂に着く気配はなく、またタニアも休みを取ろうという気が感じられない。

 そろそろ煌夜の身体は人として限界を訴えており、目はうつろに視界はグラグラ揺れて、意識は朦朧で足が上がらなくなっていた。

 体力などとっくに底をついており、気力も使い果たして、もはや魂を燃やして歩いている状態だった。段々と冷えてくる外気に対しても、既に身体の感覚が麻痺しているせいで、寒いのか暑いのか判然としない。

 ――本当ならば、ヤンフィのチート能力の恩恵を受けて、体力無限、身体能力強化で、こんなに疲弊することはなかったはずだが、それは完全に当てが外れていた。

 というのも、前哨戦と呼ぶには激しすぎた先ほどの妖精族との戦闘で、ヤンフィが魔力のほとんどを使ってしまったからだった。

 今のヤンフィは、煌夜の生命活動維持をするだけで精一杯の魔力しかなくなっている。その証左に、煌夜の左腕を直す余力さえなく、未だ左腕は失われたままの隻腕状態である。

 そして左腕のない弊害により、いっそう歩き難く体力消費が激しかった。人間は腕一本ないだけでこんなにもバランスが取り辛いということを、煌夜はしみじみと感じていた。

 そんな折、ふいにセレナが煌夜の肩を掴んで、唐突に膝カックンを仕掛けてくる。

 踏ん張りのきかない煌夜は、それにあっけなく膝を折り、ガクリとその場に崩れ落ちた。


「な、にを……!?」


 煌夜は尻餅をついて、背後のセレナに非難の声を上げた――瞬間、フォンと強烈な風切り音が耳元を掠めて、煌夜の顔の高さ付近に実っていた赤い果実を弾き飛ばした。

 林檎に似たその果実は一瞬のうちに爆散して、薄い紫色の果肉を辺りに撒き散らす。

 果実を弾けさせた何かは、そのまま直線上にある木の幹に錐を刺したような穴を穿った。


「は――!? え、ええ!?」


 煌夜は何が起きたか分からず、驚愕に目を見開く。

 またもや敵襲か、と身体を硬直させる。しかし一方で、そんな煌夜とは裏腹に、助けたセレナは平然とした顔で、先頭を行くタニアを呼び止めた。


「――ねぇ、タニア。ここら辺で、一旦休んだほうがいいんじゃないの? コウヤもう足ガクガクで限界みたいだし、ちょうどいいところで、食料がやってきたし……だいたいさ、このペースなら小一時間休憩しても、山越えは出来るでしょ?」


 セレナは標準語でタニアにそう進言するが否や、素早く煌夜を背中に庇うと、持っていた木の杖を胸の高さで横にして構えた。

 刹那、煌夜とセレナの前には半透明で薄い緑色の膜が盾のように展開する。すると一瞬遅れて、そこには拳大の空気の塊が連続してぶつかってきた。

 空気の塊は、その薄い膜に当たるとすぐに霧散したが、爆竹みたいな派手な音を鳴り響かせる。同時に、霧散する際に生じる衝撃波が、周囲の木々をざわつかせた。


「うぉ――っ!?」

「いちいち驚かなくていいわよ、コウヤ。この程度の下級魔術じゃ、この【光盾こうじゅん】は突破されないから安心して」


 反響する爆音に頭を抱える煌夜に、セレナが苦笑交じりに答える。だがそうは言っても、突然、至近距離で爆音が連続して発生したら、誰だって驚くに決まっている。

 煌夜は身を屈めながら、空気の塊が飛んできた方向に視線を向けた。しかし、敵影は見えない。

 隠れているのか、それともただ単に煌夜の目が節穴なのか、攻撃の射線上には背の高い木しかない。


「休憩にゃぁ――お前、あちしに指図するにゃんて、にゃまいきにゃ。けど、その提案は悪くにゃいにゃ」

「それはどうも。じゃあ、休憩でいいのね?」

「いいにゃ――にゃあ、ところで、お前今、食料って言ったけど……まさか、あんにゃの喰うにゃか?」


 タニアは立ち止まって煌夜たちに振り返る。振り返ったタニアの表情は、信じがたい物を見るようなドン引きした表情だ。

 そこには畏怖と嫌悪が綯い交ぜになった感情が浮かんでいる。視線はセレナを向いていた。

 そんな視線を受けて、けれどセレナは、ええそうだけど、とすまし顔で頷く。


「っと、『――展開せよ、光よ。悪意と敵意を封じる壁と成れ――光牢こうろう』」


 セレナはふいに何かに気付いて、ブツブツと独り言のように詠唱を完了する。途端に、盾のように展開していた半透明の膜が形を変えて、まるでシャボン玉のような球体状に変化する。

 その球体は煌夜とセレナをまるっと包み込み、直後にやってきた後方からの攻撃を見事に防いだ。


「お前、器用にゃ……よくもそんにゃスムーズに魔術変換できるにゃ」

「まぁね――あ、ねぇ、タニア。ちょっとさ、アイツ捕まえてきてよ。アンタなら余裕でしょ?」

「……あちしを使っていいのは、ヤンフィ様とコウヤだけにゃ。お前の命令には、頷けにゃいにゃ」

「命令、って、別にそういうんじゃないわよ……まぁ、いいわ。ならさ、あたしの代わりにコウヤを【風弾】から守ってよ。あたしは【光牢】を展開してるから、手が空かないのよ。これを解いたら、コウヤが蜂の巣になるわよ?」


 セレナは空恐ろしいことを涼しげに言った。するとそれを証明するかのように、煌夜目掛けて立て続けに風の塊が連続して飛んでくる。

 それは360度の全方位から、一点集中で煌夜を狙ってきていた。

 とはいえ、それらは全て光の壁に阻まれて煌夜には届かない。


(ふむ……敵は、アレか)

(アレ、って何だよ? つうか、これ囲まれてるのか?)


 見渡す限り敵の姿は見えないが、この状況は囲まれているとしか思えなかった。しかも、この攻撃の苛烈さを考えると、敵は一体や二体の少数ではなく、十数体の団体であろう。

 セレナとタニアの落ち着きぶりから、脅威の存在ではなさそうだが、それでも圧倒的弱者の煌夜からすれば、この状況は戦々恐々である。


(安心せい、コウヤよ。敵は【トレント】と呼ばれる魔族じゃ。木に擬態する魔族で、遠距離から風属性の魔術を放つことしか出来ぬ雑魚じゃ。徒党を組んで、魔力の弱い獲物を集中的に狙う性質がある。じゃがトレントなぞ、千体集まろうとも、タニアには傷一つ付けられぬじゃろぅ)


 煌夜が怯えたのを察してか、ヤンフィが心強い言葉をくれる。しかし、それを聞いて、煌夜はいっそう恐ろしくなった。

 魔力の弱い獲物を集中的に狙うからこそ、タニアを無視して煌夜を攻撃しているわけで、つまりトレントの狙いは、どこまでも煌夜である。怖くなって当然だった。


「あちしは防御系の魔術は得意じゃにゃいにゃ。お前、それを展開しにゃがら、アレを倒せばいいじゃにゃいか」

「出来るだけ無傷で倒したいのよ。トレントの胴体部分は、栄養価が高い上に結構な珍味だからさ――ここから魔術で倒してもいいけど、そうするとトレントの身体が粉微塵になりかねないから、タニアに頼んでるんだけど?」

「…………お前らの種族はおかしいにゃ。アレを喰うって発想がにゃいにゃ」


 タニアはセレナの言葉にいっそう顔を顰めて、次々と飛んでくる風の塊の出所に視線を巡らせる。

 まったく不思議なことに、無防備に突っ立っているタニアには、風の塊は一切飛んでこない。間違いなく周囲のトレントは、煌夜一人狙いのようだった。


「はぁ……面倒ね、まったく」


 ふと、セレナが溜息を吐いてから、尻餅をつく煌夜に視線を向けた。


「ねぇ、コウヤ、お願いなんだけどさ。アンタ、タニアに命令してよ。『トレントを五体満足で戦闘不能にしろ』って感じで――そろそろ、お腹も空いたでしょ?」


 セレナはパチリとウインクする。その仕草は可憐さだ。煌夜は即座に頷いた。


「タニア――悪いけど、トレントとかいう敵をさ、五体満足で戦闘不能に――」

「――おい、お前! にゃにコウヤを誘惑してるにゃ!? コウヤもコウヤにゃ。にゃんでそんにゃ、貧相で魅力のにゃい女の言いにゃりににゃってるにゃ!!」


 煌夜の台詞を最後まで言わせず、タニアが眉根を寄せて絶叫した。それは、煌夜に対して怒鳴っていたが、怒りの矛先は完全にセレナを向いている。

 煌夜はその剣幕につい押し黙った。

 別段、煌夜はセレナに誘惑されたつもりも、言いなりになっているつもりもなかった。事実として、煌夜に昼休憩は必要だし、このまま状況を眺めていても何一つ好転しない。ならば、セレナの提案に乗った方が良いと判断したが故である。

 しかし、タニアはセレナのその提案にはまったく納得できなかったらしい。

 確かに、状況を打破するだけならば、トレントを吹っ飛ばせばそれで事足りる。それをせずに、わざわざ手間を掛けて敵を捕まえ、しかもそれを食べるという流れが、タニアは承服できなかった。

 ましてや、タニアでさえも食べたことのないような食材を、煌夜に食べさせるわけにはいかない。


「はぁ……本当に、面倒……」

「あちしだって面倒にゃ! コイツらを吹っ飛ばすだけにゃら、幾らでもやってやるにゃ。けどその時は、跡形もにゃく燃やし尽くすにゃ。それが嫌にゃら、お前が自分でやるにゃ!」

「――なにを意地になってるのよ、タニア……まぁ、いいわ。分かりました」


 タニアは胸元で腕を組んで、セレナの一挙一動を観察するように仁王立ちした。

 どうやら傍観に徹するつもりのようだ。そんなタニアに、セレナは溜息を漏らして不承不承と頷いた。


「七体、か――『土の精よ、大地に宿る魔の力よ、我が命に応えて、堅牢なる砦を築きたまえ――土牢』」


 セレナは素早く周囲を見渡してから、スッと瞼を閉じて集中する。そして独り言のように流麗な詠唱をすると、スッと目を開いた。

 直後に、風の塊の発射地点付近から、重低音の呻き声が聞こえてくる。同時に、パタリと攻撃の手が止んだ。

 何が起きたのか、と煌夜がセレナを見ると、セレナは満足げにニヤリと笑みを漏らして、タニアに視線を向けた。


「…………お前、本当に器用にゃ。多重展開はまあ普通としても……まさか土牢で敵を押し潰すにゃんて……発想もエグイにゃ」

「褒めるなら、もっとちゃんと褒めてよ――ま、いいわ。さて、じゃあ、休憩にしましょうか?」


 セレナは構えていた杖を下ろした。

 フッと煌夜たちを囲んでいた半透明の膜が、蛍のように霧散する。周囲には変わらぬ静寂が横たわる。

 煌夜は注意深く周囲を警戒するが、もう攻撃は飛んでこなかった。

 ようやくこれで一安心と、ふぅと長く息を吐いて安堵する。


(セレナか――上級の治癒魔術を操り、複数の魔術をいとも容易く同時展開する技術。此奴、妾が思うているよりも、優秀な人材のようじゃ)


 その時、ヤンフィが心の中で感嘆の声を上げた。けれど、煌夜は何がどれくらい凄いのか分からないので、ヤンフィの言葉には適当に相槌を打って終わらせる。

 煌夜にとって大事なのは、今この瞬間、脅威が去ったという事実だけである。それ以外の情報は瑣末だ。


「にゃあ、コウヤ。ここで休憩してもいいけど……あちしとしては、もうちょい進みたいにゃ。少し先に、ちょうど良い場所があるにゃ」

「……悪いな、タニア。俺はもうとっくに限界だ。足が動かん――ちなみに、その場所に行くとしたら、あとどれくらい掛かるの?」

「あと、三時間くらいにゃ」

「――ここで休憩にしよう。一時間ほど」


 煌夜は即座に断言して、そのままパタリと仰向けに倒れる。

 見上げれば、今にも泣き出しそうな曇天が見えていた。

 生い茂る木々の葉に遮られて、ただでさえ光が届かないというのに、その曇天のせいで、辺りは夜と勘違いしそうなほどに薄暗かった。そして、この後の山登りを考えて、煌夜の気持ちも暗くなった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 小一時間の休憩を終えて、一行は再び山を登る。しかも、その足取りは休憩前より若干速いペースである。

 ――というのも、一時間の休憩時間のおかげで、ヤンフィの魔力がある程度回復したからだった。

 今の煌夜は、ヤンフィのチート能力の恩恵を受けて、疲労を感じない無敵状態になっていた。


(……よもや、トレントの肉がこれほどの魔力濃度とは思わなかったわ。永く生きてきたが、妾もまだまだ勉強不足じゃのぅ)

(味は微妙だったけどな……まぁ、不味くはなかった)


 ヤンフィの呟きに、煌夜が頷いた。

 それは休憩時間に食べた【トレント】の感想である。ちなみに、ヤンフィの魔力が回復した理由は、そのトレントの肉にあった。

 セレナがトレントの肉で作った料理は、ヤンフィの魔力をだいぶ回復させた。

 トレントは、2メートル弱の案山子みたいな魔族だ。胴体部分は棒切れのようで、両手足は木の枝にしか見えない不気味な生物である。

 セレナはその胴体を切り刻んで、自生していた林檎に似た果実と一緒にすり潰した。すると、紫色のゼリー状になり、炎で炙ると寒天のように固まった。それは、歯応えはなく口の中で溶けるような食感をしていて、味はレモン汁の掛かったマグロのようだった。

 保存食とのことで、常温保存で十日は腐らずに保つという。セレナ曰く、妖精族のおやつとして人気が高いらしい。

 ちなみに、そのトレント料理はタニアの味覚にマッチしたようで、タニアは絶賛しながら食べていた。大きさの割りにお腹に溜まり、食べれば食べるほどに疲労が取れる。そんな万能料理だと、セレナは勝ち誇っていた。


 さて、そんなことがあって、今や順調なペースで山を登っている。

 この調子ならば、山の中腹に着くのも時間の問題だと、タニアは先頭を歩きながら安心した様子で説明していた。


「――ねぇ、ところでさ、コウヤ。一つ質問していい?」


 山を登っていると、ふいにセレナが声を掛けてくる。ん、と煌夜が振り返ると、セレナは不思議そうな顔で煌夜の足元を見ていた。


「別にいいけど、質問って――」

「あのさ。ずっと不思議に思ってたんだけど。そのブーツって、もしかしなくても獣王のブーツだったりするの?」

「…………獣王のブーツ?」


 煌夜はセレナの質問に質問で返す。首を傾げながら、何の話だ、と目を点にした。すると、元の持ち主であるタニアが口を開ける。


「そうにゃ――実家の宝物庫に封じられてたヤツを、こっそり盗んできたうちの一つにゃ」

「――って、盗品かよっ!!」


 思わず突っ込んだ煌夜を無視して、セレナは驚いた顔でタニアに話題の矛先を向ける。


「もしかして、タニア。アンタがこれ、コウヤにあげたの?」

「……そうにゃ。コウヤの靴がにゃくにゃっちゃったから、渡したにゃ。けど、今はそれで良かったと思ってるにゃ」


 セレナが、はぁ、と感嘆の吐息を漏らす。それがどうしたのだろうか、と煌夜はセレナを観察する。


「なるほどね、ありがと。これでどうしてコウヤが、平然とこの山岳地帯を登れるのか分かったわ」

「――へ? それは、どういう意味だよ?」

「あのね、この辺り一帯は、毒草があっちこっち生えてるのよ。で、特に、いまコウヤが踏んでる青い草――ロリエ草は、かなり厄介でね。触れた物質を溶かす毒素を出すの。その毒素は強烈で、鋼鉄だろうと銀板だろうと、竜革でさえも、何度も浴びてれば溶けて腐っちゃうわ。だから普通、魔術で身体を防御しておくか、ロリエ草に注意して歩く必要があるのよ? あたしは、踏まずに歩いてるし、タニアはそもそも薄い魔力の防御で身体を包んでるから平気としてさ……コウヤは見るからに無防備でしょ? それでいて、何も起きてないから、気になっちゃって。よくよく観察してるとさ、そのブーツ、タニアとお揃いでしょ? そんで、側面にはラタトニアの紋章が彫られてるから、もしかして、って興味持ったわけよ」

「毒、って、うぉおっと――」


 セレナの説明を聞いて、煌夜は咄嗟にその場から飛び退いた。

 足元を見れば確かに、煌夜は意識せず青い草を踏み潰している。その踏み潰された草の上には、溶けた木の枝や、腐った小動物の死骸が転がっていた。


「アハハ、今更よ、コウヤ――踏み潰されたロリエ草に、直接触れなければ大丈夫よ」


 驚いている煌夜に、セレナが楽しそうに笑う。口元を押さえて笑うその様は可憐である。

 とりあえず煌夜はその言葉で安堵した。


(……ちなみに、ヤンフィ。そのこと、知ってたりしたのか?)

(うむ、当然じゃ。じゃが、云うても云わなくても同じじゃと判断したので黙っておった。まぁ、そのブーツが獣王のブーツと云う代物と云うことは知らなかったがのぅ)

(その、獣王のブーツって何? なんか、言葉の響きから伝説の装備っぽいんだけど?)

(さぁのぅ。妾も知らぬ。タニアかセレナに聞くがよい。そも妾は、剣以外の骨董品に興味はない)


 そっけないヤンフィの答えに、けれど煌夜は満足げに頷いた。借り物とはいえ、装備している物が特別な品と知って、どこか嬉しい気持ちだった。


「――ねぇ、タニア。獣王のブーツがあるってことはさ、獣王の装備って他にあるの?」

「お前、うるさいにゃ。あってもにゃくても、お前には関係にゃいにゃ」


 一方で、セレナは新たな疑問をタニアにぶつけて、その回答を拒否されていた。

 タニアは明らかに語りたくないとばかりの表情で首を振って、無言のまま歩幅を早める。

 煌夜はそんなタニアにササッと並んで、ブーツのことを聞いてみた。


「なぁ、なぁ、タニア。この獣王のブーツって、どんな装備なんだ? 伝説の装備っぽいんだけど?」

「……ラタトニア初代国王【獣王エレボス】の履いてたブーツにゃ。超絶にゃ魔術耐性を誇ってるにゃ。また、純粋にゃ防御力も最高位の竜革に並ぶほど硬いにゃ。冠級の魔術を直撃しても、おそらく傷一つ付かにゃい。その代わり、呪いにより装備できる者が限られてるにゃ」

「へぇ、そんな凄ぇ装備なのか――しかも、選ばれた人間だけしか装備できないって、そそるね」


 煌夜は選ばれた者というフレーズから、優越感が鎌首をもたげる。そこに、タニアが続けた。


「その呪いは、獣族のうち【魔闘術】を極めた者か――【魔王属】じゃにゃいと装備できにゃい呪いにゃ。コウヤは、おそらくヤンフィ様を内側に宿してるから装備できてるにゃ」

「…………あ、そう。ヤンフィのおかげ、か……」


 にゃ、と頷くタニアに、途端、煌夜はなんとも言えぬ気持ちになる。

 選ばれた存在は、煌夜ではなくヤンフィだったのだ。優越感に浸った己が少しだけ恥ずかしくなった。


「……そろそろかにゃ。コウヤ、こっからが難所にゃ」


 さて、そうこうしているうちに、いつの間にか周囲は見晴らしの良い急斜面になっており、つい先ほどまで鬱陶しいくらいに生えていた木々の緑はなくなっていた。

 地面は砂利道で、ところどころに巨大な岩石が転がっている。

 気付けば、吐く息は白くなっていて、指先がかじかんでいた。外気がだいぶ低くなっている証拠だろう。

 しかしヤンフィ効果のおかげか、煌夜は寒いと感じていなかった。


「あ――あったにゃ。あそこが、境界線にゃ」

「しかも、タイミング悪く天候も崩れてきたわね。――ねぇ、タニア。アンタ、雪の世界をどう攻略するつもりなの?」


 ふと先頭を行くタニアが立ち止まり、それからセレナが、空を見上げて歩みを止めた。間に挟まれた煌夜も必然、足を止めることになる。

 ところで、すぐ傍らには、ほぼ直角の崖がある。そこを見下ろしてしまい、恐怖で煌夜は足元が震えた。


「どうもにゃにも……迷わずまっすぐ進むにゃ」

「――それ、馬鹿正直過ぎない? そりゃ、アンタなら余裕でしょうけど……コウヤは大丈夫なの?」

「その為に、魔術耐性の高い外套も用意したにゃ。あちしが速攻で攻略すれば、にゃんとかにゃるにゃ」

「……その外套って、いまアンタが着てせっせと魔力を蓄えてるそれのこと?」

「そうにゃ。だいぶ魔力が溜まったから、二時間は保つはずにゃ」


 状況が分からない煌夜は放置で、タニアとセレナは何やら相談している。

 その会話の内容は不明瞭だが、そこに切羽詰った様子は感じられない。とはいえ、これから違う展開が起きることは確実のようだった。


「……なぁ、何が起きるんだ? 大丈夫、とか何の話?」


 不安から煌夜は恐る恐る挙手する。すると、タニアがきょとんとした顔を見せた。

 一方で、セレナは険しい顔でタニアを睨んだ。


「まさか、コウヤに説明もしてないの? アンタ、それは酷いんじゃないの?」

「説明は――確かに、してにゃい。けど、したところで状況は変わらにゃいにゃ。あちしたちは、この山を越える必要があって、その為には、雪の世界を踏破しにゃいといけにゃいにゃ」

「はぁ……やっぱりアンタ、馬鹿だったのね」

「にゃんだと!? お前、本当ににゃまいきにゃ」

「無策で突っ込むのは、まさしく馬鹿でしょ? 最短で突破できないと夜になる状況で、突破する策は特になし? それじゃあ、少しでも迷ったら遭難じゃない」

「にゃにゃにゃ!? だから、急いでるにゃ!!」


 タニアとセレナはよく分からない言い合いを始めて、結局のところ、煌夜の疑問には答えてくれない。

 仕方ない、と煌夜はヤンフィに同じ質問をぶつけた。すると、ヤンフィは何かを思い出して、しきりに納得した声を上げる。


(そうかそうか、なるほどのぅ。此奴ら、銀世界の結界を越えるつもりか……確かにあそこを抜ければ、山越えは早い)

(……その銀世界の結界とやらの説明を求む)

(銀世界の結界、雪の世界、【凍雲(いてぐも)】――等々、その呼び名は様々じゃが、要は、幻惑魔術と吸魔の効果を併せ持った猛吹雪の場所を指し示す呼び名じゃ。その一帯に吹雪く雪は、触れた者の体温と体力、魔力を吸い取って、さらに方向感覚と体幹を狂わす。また魔術耐性が低ければ幻覚が見える。そして、月が出るとその吹雪の勢いはいや増し、更には、空中にあらゆる幻覚を映し出すようになる。非常に厄介な場所じゃよ)


 ヤンフィはそこで一旦台詞を切って、タニアの前方、急斜面の途中で漂っている白いモヤっとした雲に、煌夜の意識を誘導する。

 ちょうどその辺りの地面から、雪が降り積もっている。


(あそこが、銀世界の結界とこちら側の境界線じゃな。あそこを一歩越えれば、途端に猛吹雪で視界は白く染まるじゃろぅ。攻略するには、かなりの体力と魔力、そして方向感覚が必要になる……できれば、通りたくないのぅ)


 ヤンフィがそう呟いた時、ふとタニアが、羽織っていた外套を脱いで、煌夜に渡してきた。

 それをとりあえず受け取って、なにこれ、とタニアに疑問符を投げる。


「あちしの魔力を込めた外套にゃ。コウヤはこれを着るにゃ。これを着てれば、二時間くらいにゃら雪の世界に耐えられるはずにゃ」

「コウヤ……あたしが誘導するから心配しないで。あたしたちはこれから、あそこから先の、猛吹雪の中に突っ込むことになるわ」


 煌夜はひとまず、タニアに言われるがまま外套を羽織った。蓄えられた魔力のおかげか、はたまた直前まで着ていたタニアの温もりのおかげか、外套は暖かかった。

 外套を羽織った煌夜を確認すると、タニアとセレナはお互いの隊列を入れ替える。

 先頭がセレナで、殿がタニアになる。


「あらかじめ言っておくけど、視界は確保できないからね――なんとかして、あたしを見失わないようについてきなさいよ」

「調子に乗るにゃよ。余裕にゃ」

「……はぁ。まあいいわ。行くわよ、心の準備はいいかしら?」


 セレナもタニアも、煌夜の気持ちなどお構いなく、質問すらさせずに足を踏み出す。

 どこに行くのか、それがどんな危険な場所なのか、その一切に説明はない。ヤンフィから情報を聞いていなければ、煌夜は混乱のまま突撃することになっていただろう。

 いやそれでなくとも、少しぐらいは心と身体の準備をさせて欲しい、と煌夜は二人を止めようとして、しかし先にヤンフィが口を出した。


「――おい、汝ら止まれ。よもや素直に結界を踏破するつもりじゃあるまいな?」


 ヤンフィの言葉に、タニアとセレナは同時に煌夜を注目する。


「つもりにゃ――そうしにゃいと、山頂に行けにゃいにゃ。それとも、ボスには他の策があるにゃ?」

「山越えをするだけならば、わざわざ結界を抜けずとも、魔神の通り道を使えばよかろう。少し遠回りじゃが、安全じゃ」


 平然と答えたヤンフィの言葉に、タニアとセレナは互いに顔を見合わせた。


「「――魔神の通り道?」」


 二人は同時に首を傾げて、綺麗に声をハモらせる。そしてその一瞬後、セレナが先に反応する。


「何よ、それ。聞いたことないけど……抜け道の類なの?」

「知らぬか? ふむ……魔神の通り道は、銀世界の結界で隠れておる時空魔術の道じゃ。そもそもあの結界――汝らの云う【雪の世界】とは、魔神が山を抜ける為に作った通り道を、塞ぐ扉の役割がある」

「――何よ、その知識。それって魔王属の知識か何か?」


 セレナは一歩煌夜から距離を取って、警戒心あらわに鋭い視線を向けてくる。一方でタニアは、それにゃ、と喜んで手を叩いた。


「にゃあ、ボス。その道はどうすれば通れるにゃ?」

「妾が案内しよう――と云いたいところじゃが、いかんせん鍵を開ける魔力が足らぬ……それをセレナにお願いしたいが、どうじゃ?」

「……色々と聞きたいことが増えたけど、とりあえず今は聞かないでおくわ――いいわよ。その鍵を開ける役、やってあげるわ」

「話が早くて助かるのぅ。何、それほど難しくはない」


 ヤンフィは不敵な笑みを浮べたまま、セレナにキスするみたいに顔を近付ける。

 煌夜とヤンフィのことを詳しく知らないセレナは、いきなり煌夜が至近距離に顔を寄せてきたので、頬を赤らめて狼狽する。


「ちょ、何を――」

「――結界に入って、この手順を踏め」


 身構えて顔を少しだけ後ろに下げたセレナに、ヤンフィが強い口調でそう告げる。

 ヤンフィはセレナの双眸を覗き込むようにまっすぐ見詰めて、その瞳に魔力を込めた。すると、セレナの脳内にヤンフィの伝えたい魔術の知識が流れ込んだ。

 セレナは瞳を大きく見開いて、直後、目頭を押さえて、何かを焼き付けるように瞼を閉じる。


「何これ…………知識と、魔術の概念が入ってくる。気持ち悪い」

「ここの魔神の通り道は、妾の記憶が確かならば、三つの連山の向こう側に通じておるはずじゃ。【ベクラル】と云う都市がどこにあるかは知らぬが、山越えはできるじゃろぅ」

「にゃんと!? 三つの連山の向こう側ってことは、ベクラルの入り口に通じてる【聖王行路】の付近にゃ。超近道にゃ」


 タニアは、さすがボスにゃ、と喜びながらヤンフィを賛美するが、ヤンフィは困った表情で補足した。


「……近道ではない。空間を捻じ曲げておるからか、距離は実際よりも長い。ここまでのペースを考えれば、十時間近くかかるじゃろぅ」

「にゃにゃにゃ!? にゃら、急がにゃいとマズイにゃ!」


 ヤンフィの言葉に、喜んでいたタニアは一転して焦り顔になり、先頭に立つセレナに鋭い視線を向けた。

 セレナは面倒臭そうに溜息を漏らしてから、分かってる、とばかりに歩き出す。


「……あたしが、雪の世界に入ってから、五秒経ったら入ってきて。そうしたら、目の前に黒い空間があるから、そこに飛び込んで――そこが魔神の通り道、なのよね?」

「そうじゃ」


 セレナは、よし、と小さく呟き気合いを入れると、迷わず白い雲に足を踏み入れた。吸い込まれるようにして、セレナの姿は見えなくなる。


「五、四、三、二、一。よし、行くにゃ、ボス」


 セレナの言いつけ通りに五秒待ってから、タニアは煌夜の腕を掴んで白い雲に飛び込んだ。

 果たしてそこは、音も視界も全て白く染まった猛吹雪の世界だった。

 煌夜は、傍らにいるはずのタニアも見えず、ましてや腕が掴まれている感覚さえ曖昧だった。全身に吹き付けてくる雪が激しすぎて、自分がいまどうなっているのかさえ定かでない。

 しかし、そんな猛吹雪の中で、目の前にポッカリと黒い穴が浮かんでいる。

 そこには光はなく、一見すると黒く塗りつぶした絵のようで、見るからに不気味だった。ここが、セレナの言っていた黒い空間――魔神の通り道なのだろう。

 煌夜は意を決して、黒い穴の中に足を踏み入れた。

 穴の中には、仏頂面のセレナが待っていた。

 その暗い穴は、まるでトンネルのようだった。

 丸い天井は5メートルはあろう高さで、先が見えないくらい長い通路をしている。振り返ると入り口はなく、不思議な文字の描かれた壁があるだけだった。

 閉じ込められたか、と一瞬煌夜は恐怖するが、腕を掴んでいるタニアと、目の前のセレナが特に騒いでいないのを見て、ひとまず声に出して状況を確認する。


「――ここが、ヤンフィの言ってた魔神の通り道ってやつか?」

「それはあたしが訊きたいわ、コウヤ。このひたすら長い直線が、本当に山の向こうに繋がってるの?」


 煌夜の質問に質問で返して、セレナがずいっと煌夜に詰め寄った。その瞳はどこか怒りを孕んでいる。


「……そうじゃ、ここが魔神の通り道じゃ」

「にゃあ、ここはどれくらい距離があるにゃ?」

「――――測ったことはないが、80キロ前後かのぅ」


 煌夜の声で答えるヤンフィの発言に、セレナがギョッとする。同時に煌夜もギョッとする。80キロをこれから徒歩で行くのか、と煌夜は絶句する。


「ボスの、その顔と台詞が合ってにゃい顔芸は、いつ見ても楽しいにゃ」


 そんな仰天している煌夜の顔を見て、タニアは、にゃははと笑った。

 一方で、セレナは不愉快そうに顔を歪めてから、ふぅと疲れた風に吐息を漏らしている。


「……同じ声で、違う口調で、まったく気持ち悪いわよ」


 セレナは首を振りながらそう吐き捨ててから、行くわよ、とタニアと煌夜に顔を向ける。

 タニアは頷いて、行くにゃ、と先頭を駆け出した。あっと言う間に、タニアの後姿は見えなくなる。


(コウヤよ。妾の魔力で身体能力を強化しておるから、気兼ねなく走り続けるが良い)

(……ああ。つうか、そうしてくれないと20キロも走ったら死ねるわ)


 タニアの俊足を見送ってから、ヤンフィは煌夜に太鼓判を押す。煌夜はそれを聞いて安心しながら、入念に屈伸をして身体をほぐした。準備運動は大事である。

 ところで、置いてけぼりにされた煌夜を見て、同じくポツネンと突っ立っていたセレナが言った。


「なんか、タニアは普通に走ってったけど……コウヤは、あのペースで大丈夫なの? あれ、割と速いわよ?」

「ああ。ヤンフィのおかげで、大丈夫なはず……まぁ、置いてかれないよう頑張るさ」


 心配そうなセレナに煌夜は力強く頷いて、よし、と気合を入れて本気で走り出した。

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