第十四話 治癒魔術院
奴隷市場を出ると、タニアが地べたに座ったまま腕を組んで待っていた。胡坐で俯いて、一見するとまるで瞑想しているかのような姿勢だ。
「ん……あ、おかえりにゃ、どうだったにゃ? 良い奴隷は見つかったかにゃ? 今日は偶然、四色の月が過ぎてからの第一日目にゃから、商会一押しの目玉商品が出てきたはずにゃ」
「いや――そもそも、よく考えたら金がなかったし」
煌夜が近付くと、タニアは目を開けて問い掛けてくる。それに対して、煌夜は苦笑いしながら首を振った。
「にゃにゃにゃ? まさか、コウヤ……競り落とすつもりだったにゃ?」
煌夜の台詞に、タニアは目を見開いて驚いている。信じがたい、とその瞳が語っていた。
「あちしはてっきり、良い奴隷を見つけたら、その落札者を殺して奪うつもりだと思ってたにゃ……コウヤもヤンフィ様も、お金あったのかにゃ?」
「……いや、ないけどさ……物騒な考え方だなぁ」
タニアは立ち上がると、それが当然という顔をして煌夜の耳元で囁くように言った。
煌夜はドン引きしながら、そうですか、と納得する。すると、ヤンフィが内側で同調した。
(……ほれ、タニアも妾と同じ考えだったではないか。そも、奴隷を真面目に買おうなんぞ、そちらのほうがよほど人が悪いわ)
(お言葉ですけどねぇ、ヤンフィ。欲しいから奪うじゃ、秩序が保てないでしょうが……ルールは守るもんじゃないの?)
(お堅いのぅ……しかし、それを云えば、コウヤよ。奴隷市場の決め事なんぞ、秩序を無視した上に成り立っておるじゃろうに――売る側が圧倒的に有利な決め事じゃよ? 等価交換でないのに、それを守る意味があるようには思えぬがのぅ)
ヤンフィはそう言って、まったくやれやれじゃ、と呆れていた。
煌夜はどこか納得いかず、難しい顔で俯いた。
「にゃあ、コウヤ。じゃあ、今日はこの後どうするにゃ? 良い奴隷が見つからにゃかったにゃら、また出直すのかにゃ?」
タニアは奴隷市場に背を向けると、大きく背伸びをして足を踏み出した。煌夜は頭を掻くと、晴天の空を見上げてどうしようかと悩む。
「あー、そうだなぁ。まだ日は高いし、街中を観光――――ふむ、とりあえず治癒魔術院に案内せよ、タニア」
煌夜がなんとなく適当なことを言うと、その途中で、ヤンフィが言葉を引き継いだ。
その内容は、先ほど市場で話していた治癒術師を探すという目的である。タニアは不思議そうな顔で振り返った。
「……治癒魔術院、にゃ? え? どっか怪我でもしたのかにゃ?」
タニアはジッと煌夜の全身を眺めて、怪我をしたのかと心配そうな顔を浮べる。
しかしそれにヤンフィは首を振って、その意図を口にした。また同時に、心の中で煌夜を黙らせる。
(コウヤよ、今日の予定は妾が説明する。しばし黙っておれ)
「――別段、怪我はしておらぬ。じゃが、万が一を考えれば、仲間にするなら治癒術師辺りが無難に思うただけじゃ」
「にゃ? コウヤ――ボスは、治癒魔術が出来るんじゃにゃいのか?」
あれ、とタニアが首を傾げて怪訝な表情を浮べた。だが、すぐさま何かに気付いて、ああ、と頷く。
「そっか、そっか。にゃるほど! 治癒魔術は消費魔力が多いから、ボスは緊急以外は使わにゃい方がいいにゃ。魔力欠乏ににゃると困るにゃ」
「――察しが良くて助かるのぅ。まぁ、じゃから、治癒魔術院に案内せい」
「畏まりましたにゃ」
ヤンフィに都合の良いように勘違いするタニア、それを別段否定せず、ヤンフィは力強く頷いた。
タニアはビシッと敬礼してから、にゃら、と路地に向いていた足を、奴隷市場の建物の脇道へと向けた。
「こっちが近道にゃ。このアベリンには、治癒魔術院は二つあるにゃ」
タニアは言いながら五人の衛兵の前を素通りして、人一人分しか通れないような脇道に入っていった。背の高い塀と、奴隷市場の建物に挟まれているその脇道を抜けると、そこは比較的賑やかな大通りだった。
「……のぅ、タニアよ。ところで、この男に覚えはあるかのぅ?」
脇道を抜けた時、ヤンフィはいつの間にか作成していた似顔絵をタニアに見せる。
それは、魔術で作り上げた似顔絵――記憶紙と呼ばれる物で、写っていたのは、豚の化身みたいなチビハゲの中年男だった。奴隷市場で、目玉商品と言われていたラガム族の少女を落札した成金野郎だった。
煌夜は思わずヤンフィに声を出してツッコんだ。
「ちょ、ヤンフィ、まさか――あの娘を仲間にする気か?」
「にゃにゃ……? あの娘って、いきにゃり、にゃにを?」
「――コウヤよ。とりあえず黙っておれ。妾の会話を遮るな」
煌夜の口から、煌夜とヤンフィの声が錯綜する。間に挟まれたタニアは、困惑気味にとりあえず渡された似顔絵を見た。
(……妾が見た中では、先のラガム族の娘は優秀そうじゃ。ひとまずは助けてみるべきじゃ)
(まぁ、助けるのは別に反対しないけど……なんちゅうか気まずいというか……)
(コウヤも気に入っておったじゃろう?)
(気に入ったっていうか、気になっただけだが……)
(――妾は気に入った。コウヤの護衛に適していそうじゃ。助けるぞ)
煌夜の煮え切らない態度に、ヤンフィは問答無用とばかりに断言する。
煌夜はそこまで強く言われて、むぅと押し黙るほかなかった。一方、記憶紙を見たタニアが、ポンと手を叩いていた。
「ボス……こいつは、さっきボスに絡んでた連中――【銀楼館】って言う娼館のオーナーにゃ。この奴隷区画で一番権力を持ってる奴にゃ。あ、もしかして……こいつが落札した奴隷を奪う気にゃのかにゃ」
「察しの通りじゃ、タニアよ。良さそうな者がおってのぅ。手に入れたい」
タニアはヤンフィの肯定に難しい顔を見せる。
「そうにゃると……結構、面倒くさいかも知れにゃいにゃ」
「――と、云うと?」
「こいつは落札した奴隷をすぐに隠れ家に運んで、薬漬けにすることで有名にゃ。隠れ家はいくつもあって、常に居場所を掴ませにゃいにゃ。にゃので、見つけ出すのが面倒にゃ上に、急がにゃいと奴隷が壊されるにゃ」
タニアは割と物騒なことをのたまってから、まあ助けられにゃかったら運がにゃいだけかにゃ、とあっけらかんと呟いた。
ヤンフィはそれを聞いて、ふむ、と一つ興味なさげに頷いただけで、それきり話は途切れる。
それから少し歩いて、タニアはふと、六階建ての白い建物の前に立ち止まる。すると、ここにゃ、と指差してから、入り口の扉を開けた。ヤンフィも建物を見上げてから、タニアの後を追って入っていく。
店内は、病院の受付を思わせる構造をしていた。
白く清潔な座席が並び、受付カウンターでは白衣の女性が来訪客に何やら説明をしている。
「ボス。ここが、奴隷区画の治癒魔術院にゃ。治癒術師の仲間を探してるにゃら、こっちの人材紹介窓口に並ぶにゃ」
タニアは天井に吊るされている看板の一つを指差して、その下にあるカウンターの列に並ぶ。列には三人の戦士が並んでいた。
「……人材紹介窓口、とは何じゃ?」
「にゃ? 仕事を探してる治癒術師を紹介してくれる窓口にゃ。こっちの条件に合った治癒術師と直接交渉出来るよう段取ってくれるにゃ」
「ほぉ……今はそんな仕組みがあるのか」
ヤンフィが初耳とばかりの感心げな声を上げる。すると、タニアは不思議そうに首を傾げた。
「にゃあ、人材紹介窓口を知らにゃいってことは、ボスはどうやって仲間を探す気だったにゃ?」
「ふむ? ああ――妾の時代はのぅ、治癒魔術院の受付には、仕事のない暇な治癒術師がそこかしこで目を光らせていたもんじゃ。冒険者が入ってこようものなら、すぐに自分を売り込みにやって来るのが、一般的な光景じゃった。てっきり今もそうじゃと思っておったが……」
「……それ、随分昔の話にゃ。少にゃくとも聖王暦ににゃってからは、そんにゃことはにゃいはずにゃ」
「聖王暦……のぅ」
タニアの説明を聞いたヤンフィは不満げに呟きながら、三人の戦士の後ろに並んだ。
戦士たちがジロリと鋭く睨んできたが、タニアとヤンフィはより鋭い瞳で睨み返す。
「――ところで、ボス。ボスは、どんな条件で治癒術師を頼むつもりにゃ? やっぱり最低でもSランクとかかにゃ?」
ふいにタニアが煌夜の耳元で、声のボリュームを抑えて囁いてきた。耳に掛かる吐息がこそばゆい。
ヤンフィは眉根を寄せて難しい顔になると、同じく抑えたボリュームでタニアに問い返す。
「……ここで一番腕の良い治癒術師の情報を聞こうと思うておるが、ランク分けなぞされておるのか?」
「にゃ? にゃにゃ? まさか、治癒術師のランク、知らにゃいのかにゃ? だとしたら、びっくりにゃ」
タニアはその言葉通りに仰天顔をしてから、にゃら説明するにゃ、と治癒魔術院の入り口に貼ってある紙を剥がして持ってくる。
それを覗き込むが、煌夜には何が書かれているか分からなかった。
「ランクは、冒険者ランクと同じで【SS】~【E】の七ランクあって、進級試験に合格すれば上がっていくにゃ。で、Cランク以下の治癒術師は見習い扱いで、治癒術師として認められにゃいにゃ。最低でも、Bランク以上じゃにゃいと、各地の治癒魔術院で働けにゃい……そして、Sランク以上ににゃれば、【聖堂教会】や【秘蹟府】でも働くことが出来るにゃ」
「…………ふむ?」
「実力の目安としては……この料金基準表の通り、Bランクが治癒魔術の中級レベル、Sランクが上級レベルにゃ。もし聖級レベルの魔術を扱えたにゃら、最低でもSSランクか、規格外認定されるにゃ」
タニアは紙面の一番上を指差す。そこには、煌夜には読めない記号のような一文が書かれている。ヤンフィはそれを読んで、何やら納得した風に頷いていた。
「まぁそもそも、SSランクにゃんて、治癒魔術院に一人居るか、居にゃいか――」
「――次の方、どうぞ」
タニアの説明にかぶせて、受付の女性が声を掛けてくる。見れば、並んでいた三人の戦士たちが、ちょうど受付から離れていった。
どうやら三人で一組のパーティーだったようだ。彼らは五人掛けの座席に座り、世間話を始めている。
「本日はご来店ありがとうございます。どのような人材をお探しでしょうか?」
四十代くらいに見える清楚な印象の受付嬢は、手馴れた仕草で紙をカウンターに置いた。それは、タニアが見せてくれた紙と同じような紙である。
相変わらず、煌夜には何が書かれているか分からなかったが、ヤンフィはそれを覗いて、むっ、と神妙な顔をした。
「現在、当魔術院に在籍しており、ご紹介できる癒術師は、この表の通りとなっております。ここには、当魔術院の専任治癒術師は記載されておりませんので、ご了承下さい」
「にゃにゃにゃ……見事に、Sランクは売り切れにゃ」
その紙を覗き込んだタニアは、あちゃあ、と額に手を当てて困った顔を浮べる。その呟きを聞いて、受付嬢は申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「申し訳ありません。こちらのSランク治癒術師については、北門が破壊された際よりずっと、城塞の専任治癒術師となっておりますので、ご面会を希望する場合は、直接城塞まで行った方が宜しいと思います。紹介状が必要ならば、ご用意いたしますが?」
「……のぅ、一つ訊いても良いかのぅ?」
「はい、なんでしょう?」
受付嬢の言葉で明後日の方を向くタニアを無視して、ヤンフィはカウンターに肘を乗せると出された紙面をトントンと叩く。
「このSSランクじゃが――『現在、捜索中です』とは、どういうことじゃ?」
「そのままの意味です。五十日ほど前に、当魔術院だけではなく、アベリンに居たSSランクの治癒術師四人が、全員行方不明になっています。しかもその十日後に、行方不明者を調査すべく【聖堂教会】から派遣されたSSランク治癒術師もまた、行方不明になりました。今現在、アベリンにはSSランクの治癒術師は一人も居ません」
「……なるほど」
受付嬢の説明を聞いて、ヤンフィはタニアに目配せをする。しかし、タニアはその視線を受けて、首を横に振った。何も知らない、と言う意思表示だった。
「それでは、参考ついでに訊きたいのじゃが……行方不明者たちが居たとして、冠魔術を扱える治癒術師は居るかのぅ?」
「――――は?」
ヤンフィのその問いに、受付嬢はぽかんとしてから言葉の意味を咀嚼して思わず失笑する。
しかし、すぐさま真顔になると、申し訳ありませんと頭を下げた。
「当魔術院――引いては、今現在の【治癒魔術院連合】には、そのような伝説じみた方はおりません。聖級を扱える方でさえ、連合の中でも数えるほどしかおりません」
受付嬢の答えに、ヤンフィは苦笑する。
分かりきった答えではあったが、少しだけ残念に感じたのも事実だった。すると、傍らのタニアが遠慮がちに肩を叩いてくる。
「……ボス、ボス。今の世の中じゃ、治癒魔術の【冠級】は失われた魔術って言われてるにゃ。少にゃくとも、ここ数百年の間に、治癒魔術の冠級を習得した人間は居にゃいにゃ」
ボソボソと耳元で囁くタニアに、ヤンフィはつまらなそうに頷いて、それでは、と続ける。
「治癒魔術院全体で、最高位の治癒術師と言えば【聖女】で間違いないかのぅ?」
「――それは、当然ですが?」
「その聖女でさえ、聖級が限度と云うことかのぅ?」
「むしろ、聖級を扱えるからこその【聖女】様ですが、何か?」
「ふむ……ならば、仕方あるまい。その聖女は今、どこぞにおるかのぅ。直接交渉してみたいのじゃが……」
「――――――はぁ?」
ヤンフィの問いに、受付嬢はたっぷりと数十秒硬直して、口を開けて呆然としていた。そして、ヤンフィが何を言いたいのか理解してハッとすると、途端、呆れ顔で溜息を漏らした。
その顔は如実に、馬鹿相手に無駄話をしてしまった、という台詞が張り付いて見える。
「聖女様は、常に世界を巡礼中です。ただまぁ、この時期であれば、おそらく【魔法国家イグナイト】辺りではないでしょうか? では、次の方――」
受付嬢はヤンフィに回答してすぐ、いつの間にか後ろに並んでいた二人組の男女に愛想笑いで声を掛けた。同時に、右手でハエを払うように、無言のままヤンフィたちにシッシと手を振る。
ヤンフィは苦笑のまま頭を掻いて、タニアと共に下がっていった。
「……にゃあ、ボス。さっきのは、さすがに高望み過ぎて冗談にしか聞こえにゃいにゃ。確かに、ボスとあちしのパーティにゃら、聖女が仲間でもおかしくはにゃいと思うけど……普通は、冗談だと思われるにゃ」
「妾は、旅の仲間を妥協するつもりはない――別に、聖女でなくとも良いが、最低でも聖級を扱える者が欲しいと思うておるからのぅ」
ヤンフィはそう言って、大仰に残念がって見せる。それを見て、タニアは怪訝そうな顔で腕を組んだ。
「別に、ボスの治癒魔術が完全に聖級の域にゃんだから、仲間にする治癒術師はそこまでじゃにゃくてもいいと思うにゃ……聖級が扱えにゃくても、補助的にゃ役割の治癒術師がいれば、あちしとボスにゃら、旅は安全だと思うにゃ」
「――万が一、妾や汝が瀕死になる時、敵はどのような存在だと考えておる?」
タニアの力強い理論に、ヤンフィは質問で返す。すると、タニアは難しい顔で疑問符を浮べながら答えた。
「……想像できにゃいけど、少にゃくとも間違いにゃく、ボスと同格の魔王属だと思うにゃ。もしくは、多勢に無勢で、一つの国が全員敵とかかにゃ?」
「そんな状況で、聖級程度を扱えぬ治癒術師が仲間におって、何の意味がある?」
「……お言葉にゃけど、そんにゃ状況ににゃるような旅じゃにゃいと思うにゃ。コウヤの目的は、人捜しと元の世界に戻る方法を見つけることじゃにゃいのかにゃ?」
ヤンフィのもっともらしい説明に、しかしタニアは怪訝な顔のまま正論で食い下がってきた。
煌夜は別に誤魔化さなくても、と内心では思っていたが、下手に口を出すとまた怒られるので、しばし状況を見守ることにする。
一方ヤンフィは心の中で、小賢しい、と毒づいていた。
「仕方ないのぅ、白状しよう。実は――コウヤを元の世界に戻す術には心当たりがあるのじゃ」
(――え、マジか!?)
「にゃにゃにゃ!? 本当かにゃ?」
いきなりのヤンフィのその衝撃的な発言に、タニアだけではなく煌夜も食い付いた。しかし、すぐさまヤンフィは心の中で、煌夜に謝る。
(……コウヤよ。すまんが、これは聞き流すが良い。タニアを納得させる為の方便じゃ)
(――は、え? あ、ああ、嘘かよ……)
ヤンフィはタニアが食い付いた様子を見てから、大げさに頷いて秘密を囁くように声のトーンを落とす。
「【聖魔神殿】の奥には、異次元に通じる道が隠されておる。その道を通った先には、とある迷宮があってのぅ。そこには、望みを叶える秘法が隠されておるのじゃ。しかし、その異次元の道を通るには、生身では不可能でのぅ。聖級の治癒魔術のうち、妾が扱えぬ治癒魔術が必要なのじゃ」
「にゃにゃにゃにゃ…………それ、もしかして【最果ての洞窟】の伝説――神託の鳥のことかにゃ?」
「神託の鳥、のぅ……ふむ。知っておるのか?」
ヤンフィの話に、タニアが得心したとばかりに目を輝かせた。
それに対して、ヤンフィは首を傾げつつも頷く。他方、その話が全部作り話だと思っていた煌夜は、疑問をヤンフィに問う。
(……なぁ、ヤンフィ。これ、嘘話なんだよな?)
(すべてが嘘ではないが……どちらにしろ、コウヤには役に立たぬ情報じゃよ)
タニアは、にゃにゃ、と思案顔で頷いていた。ヤンフィは言葉を続ける。
「妾の本体だけならば、異次元の道を通り抜けることは出来るじゃろう。しかし、コウヤの身体では不可能じゃ。その為に、聖級を扱える治癒術師が必要となる……とは云え、それよりも先に、童を見つけなければならぬがのぅ」
「――にゃるほど。納得出来るにゃ。それに【最果ての洞窟】には、門番の魔王属が居るって話にゃし、聖級の治癒術師だけじゃにゃく、あちしと同じくらいの実力者が欲しいにゃあ」
「……あ、ああ。うむ、そうじゃのぅ」
タニアの納得してくれた様子を見て、ヤンフィは少し渋い顔を浮べたが、どうにか説得できたと安堵もしていた。するとタニアが、それにゃら、と言いながら、肩を組んでくる。
さりげなくその胸が腕に当たって、煌夜は内心でドキマギするが、ヤンフィはわずらわしそうな顔をする。
「ボス、提案にゃ。ずっと旅してる住所不定の【聖女】にゃんかよりも、居場所のはっきりしてる【大教皇】か【神姫】を先に勧誘した方が良いと思うにゃ。ここからだと【魔法国家イグナイト】よりも、大教皇の【王都セイクリッド】の方が近いにゃ。それにそこまで行けば、神姫が居る神王国領もすぐ傍にゃ」
「…………タニアよ。その【大教皇】やら【神姫】とやらは、何なんじゃ?」
「ボスは、【聖堂教会】とか【秘蹟府】とか、知ってるかにゃ?」
タニアはボソボソとした声で問い返すが、それにヤンフィは首を横に振るだけで答える。
「【大教皇】も【神姫】も、【聖女】と同じようにゃ称号にゃ。大教皇は、聖堂教会より授与される最高位の治癒術師の称号。神姫は、秘蹟府の頂点のことにゃ……世界には、治癒術師を管理する大組織が、三つあるにゃ。一つは、治癒魔術院連合。各地に存在して、治癒術師の誰もがここから始まる修行の場にゃ。そしてもう一つが聖堂教会、最後に、秘蹟府にゃ。聖堂教会と秘蹟府では、それぞれが目的を異にしてるにゃ」
タニアの説明に、ヤンフィは難しい顔を浮べて何度か頷きつつ口を挟んだ。
「のぅ、タニアよ。とりあえず、その話詳しく訊きたいのじゃが……一旦、宿に戻ろう。もはやここに用はなかろう?」
「あ、まぁ、そうにゃ。失礼しましたにゃ――にゃら、戻るかにゃ」
うむ、と頷いて、ヤンフィは密着しているタニアを外す。チラリと周囲を見ると、魔術院の中でタニアたちは目立っていた。
それもそうだろう。立ち止まったまま肩を組んで何やらボソボソ内緒話をしている怪しい二人組である。治癒魔術院に入ってくる誰もが、訝しげな顔を向けている。
それら奇異の視線を振り払って、タニアとヤンフィは治癒魔術院を出た。
ちなみに、さりげなくヤンフィに煌夜が問い掛けたところによると、もし仮に煌夜の身体をここの治癒魔術院で癒してもらおうとしても、それは不可能らしい。
この治癒魔術院に居る治癒術師は、最高位でSランク、上級の治癒魔術しか使えない。
上級の治癒魔術では、切断された直後の腕をくっつける程度の回復しか出来ないと言う。欠損した部位を復活させることは、到底無理というわけだ。
「――あ、ベスタにゃ」
歩き出したその時、ふと治癒魔術院に通じる道すがらで、見覚えのあるガルム族――三つ編お下げでミニスカ姿のベスタ・ガルム・オースラムが姿を現した。
ベスタは厳しい顔付きで、血だらけの少年と少女をその両腕に抱えている。その光景を目にして、煌夜は唖然とする。
「……タニアか。また会ったな」
「どうしたにゃ? その人間の子供たちは?」
タニアは世間話でもするように、ベスタが抱えている少年たちを指差す。
ベスタは目を細めて一瞬だけ煌夜の全身を舐めるように見たが、すぐさまタニアを真正面から見詰めて口を開いた。
「……とある奴隷商人の尻尾を掴んだまでは良かったが、人質の子供を盾に逃げられた。その際に、巻き込まれた人質の子供たちの一部だ。悪いが、急いでいる。退いてくれ」
「にゃにゃにゃ――お疲れにゃ」
ベスタは焦った様子で、そのまま治癒魔術院の中に駆け込んでいく。その背中を見送ってから、心の中でヤンフィが煌夜に確認してくる。
(……コウヤよ。今のは、捜している童ではないと思うたが、間違いないかのぅ?)
(……ああ、今のはリュウでもコタでもサラでもない……けど……)
煌夜はその光景――竜也たちと同じ年頃の子供が、血だらけでぐったりしている様を見て、ひどく動揺していた。
まさか、という思いが、心臓の鼓動を早くする。それを悟ったヤンフィは、宿に戻ろうと歩き出していたタニアを呼び止める。
「のぅ、タニアよ、しばし止まれ――今のは、どういう状況じゃ?」
「にゃ? 今のって、ベスタのことかにゃ? ベスタの活動は、奴隷市場に奴隷を供給している大本の奴隷商人を粛清することにゃ。だから日夜、奴隷商人たちを探しては倒してるにゃ。にゃけど、奴隷商人も結構手強い奴が多いから、返り討ちにされて、逃げられることもあるにゃ」
「それは分かるが、そうではない。あの童のことじゃ。あんな童も奴隷なのか?」
ヤンフィのその問いは、まさに煌夜が聞きたい内容である。
煌夜たちが先ほどの奴隷市場で見た中には、あれほど幼い子供はいなかった。だが、常識として、奴隷は子供でもありうるだろう。そこに思い至らなかったのは、煌夜が奴隷と無縁の生活を送っていたからであるし、奴隷という言葉をどこか別の世界の話と思っていたからでもある。
しかし、それがこの世界の日常だと気付いてしまった今、煌夜は気が気ではなかった。
もしかしたら、竜也たちも奴隷商人に捕まっている可能性がある。
――その可能性が、煌夜を恐怖させていた。
「……ああ、そうにゃ。というよりも、詳しくベスタに訊かにゃいと駄目にゃけど……そういえば、子供の奴隷がここ最近増えているらしいにゃ」
タニアはヤンフィの問いで、何事かを察したようで、途端に苦い顔で頭を掻いた。
そして踵を返すと、煌夜の肩をトンと叩いてから、治癒魔術院に戻っていった。ヤンフィが呟くように声を出す。
「コウヤよ……一旦は、治癒術師の件置いておくぞ。童の憂いを取り去ってからじゃ」
(……ああ、ありがとう、ヤンフィ)
「何、ついでに、先ほどのラガム族の娘を手に入れるつもりじゃし、遠回りにはならぬ。治癒術師についても、妾は勉強不足のようじゃから、今しばらくはタニアから学ぶことにするわ」
ヤンフィはタニアを追って、来た道を戻り治癒魔術院の入り口をくぐった。
治癒魔術院の中では、服に血の付いたベスタが受付の手前にある椅子に座り、立ったままのタニアと何やら話し合っている。
先ほどの少年と少女は、その脇に置かれている担架に載せられて、つらそうな顔で眠っている。死んではいないが、その出血は激しく、どうやら剣か何かで腹部を貫かれた様子だった。
ヤンフィはタニアに近寄る。それに気付いたベスタは、警戒あらわに睨みつけてきた。
「……我に何か用か、タニアのボスさん? 奴隷市場の観光は終わったのか?」
「ベスタとやらよ。この童を見なかったかのぅ?」
「――記憶紙? ふん、これがどうした?」
ヤンフィは問答無用とばかりに、竜也と虎太朗、サラが写っている記憶紙をベスタに突きつけた。しかし、ベスタはチラとそれを一瞥すると、興味なさげに押し返してくる。
その態度にヤンフィは苛立ち、煌夜のこめかみに青筋が浮かぶ。慌ててタニアが仲裁に入った。
「にゃあ、ベスタ。実はあちしたち――というよりも、ボスの弟妹が、行方不明ににゃってるにゃ。それがこの子供たちにゃんだけど……この怪我した子供みたいに人質や奴隷にされてにゃいか不安にゃ」
「だからなんだ、タニア。悪いがそれを聞いたところで、我は何も手伝えない。我の使命は、全ての奴隷を奴隷商人から救い出すことだ。探している子供が奴隷として捕まっているならば無論助け出したいが、行方不明者であれば話は別だ。それを探している余裕などない」
「……見覚えはにゃいかにゃ?」
「我は見たことはないな。だが、見たところ異世界人だろう? だとすると……ここ最近、異世界人は市場で価値高騰しているから、奴隷として捕まっていてもおかしくはない。今ちょうど追っている奴隷商人【子供攫い】が、最近、大量に異世界人の子供を集めたという情報もある。もしかしたら、その中にいるかも知れんな」
ベスタは淡々と無表情に言う。それを聞いて、煌夜は思わず叫んでいた。
「おい! その【子供攫い】って奴隷商人の情報をくれ! もし、リュウたちが捕まってるなら、なんとしても助けないと……」
「――――おい、タニア。こいつは……魔王属か? この響き、やはり統一言語……だが、ついさっきは標準語だった」
「にゃにゃにゃ――落ち着くにゃ、コウヤ。ちょっと、黙ってるにゃ」
食い付かんばかりにベスタの肩を掴んだ煌夜を、タニアがすかさず引き剥がして口を押さえてくる。羽交い絞めにされて、たゆんたゆんの胸が背中に当たっていたが、そんなことはまったく気にならず煌夜は必死に暴れた。
だが、タニアの腕力の前ではまったくビクともしない。呆れた声で、ヤンフィが煌夜に語りかける。
(冷静になれ、コウヤよ。焦る気持ちは分かるが、落ち着くのじゃ)
(――チッ、くそ。分かってるよ。分かってるけど……もしかしたら、この子供たちみたいに、傷ついて――)
(状況を把握しなければ、殺される可能性もあろう。まずは、冷静に物事を分析することが肝要じゃろう? そも、妾からすると、捕まっている可能性は低いように思うが……まぁ、どちらにしろ、しばし黙っておれ)
ヤンフィの言葉に、煌夜はとりあえず沈黙する。
羽交い絞めにしていたタニアは、煌夜が脱力したのが分かると、その拘束を解いた。
「……取り乱してすまぬな、タニアよ」
「大丈夫にゃ、ボス。むしろ、コウヤは大丈夫かにゃ?」
「問題ないわ。さて――方針転換じゃ、最優先として、ちょいとこのアベリンの奴隷商人たちを、根こそぎ滅ぼすぞ、タニア」
怪訝な顔を向けるベスタの前で、ヤンフィはタニアと密談するようなボリュームで言葉を交わす。
それを聞いたタニアは、にゃはは、と豪快に笑ってから、親指を突き立てて笑顔を浮かべる。
「可能性の根絶かにゃ? 分かったにゃ――にゃあ、ベスタ。相談があるにゃ」
「相談? むしろ、我にこの異世界人の説明をして欲しいのだが……?」
「それは今度、にゃ。にゃあ、あちしたち、ベスタに協力するにゃ。にゃので、とりあえずその【子供攫い】にゃる奴隷商人の情報が欲しいにゃ」
タニアの提案に、一瞬きょとんとしたベスタだが、次には胡散臭そうな顔でタニアを睨みつける。
「……タニア。協力してくれることは素直にありがたい。だが、今回もまた、以前のように途中で勝手に抜けられると困るのだ」
「あー、あのときのことは謝るにゃ。でも今度はちゃんと、今のアベリンに蔓延る奴隷商人たちは全滅させるにゃ」
「今のアベリンには、奴隷商人と呼べる連中はもう三組しか居ない。うち一組が【子供攫い】。一組が【銀楼館】専属の奴隷商人、そしてアベリン城主が飼っている【城塞騎士団】の連中だが、そのうち一番のシェアを持つのが【子供攫い】で、奴は他の連中と違って慎重だ。尻尾を掴むだけで、およそ四色の月二巡掛かった。潰すのはすぐでも、また尻尾を掴むまでに長引くぞ? 分かっているのか?」
ベスタは値踏みするような視線で、タニアとヤンフィを交互に眺める。
タニアは、長引くという台詞に神妙な顔を浮べ、ヤンフィにアイコンタクトでお伺いを立ててきた。ヤンフィは苦笑交じりに頷いた。
「ベスタとやらよ。長引くかどうかは妾たち次第じゃろう? 信用せよ、とは云わぬ。妾たちは役に立つはずじゃ――存分に使うが良い」
「ふん、何を生意気な。まぁ、タニアの戦力は確かに、我にとっては得難いか――『篝火は第二の月に』だ。タニアたちは、先に行って待っていろ。我はこの子供たちを看病してから、後で向かおう」
謎掛けみたいな不思議な言葉を残して、ベスタはやってきた白衣の女性たちと共に、重傷の子供たちに付き添って魔術院の二階へと上がっていった。
それを見送ってから、ヤンフィはタニアを見る。タニアは頷き返して、クイと指で外を示すと歩き出した。
「……今のはなんじゃ?」
「今のは合言葉にゃ。まぁまぁ、こっちにゃ」
治癒魔術院を出たタニアは、ヤンフィの問いにおざなりに答えながら、街中をしばし歩いた。
いくつかの裏路地を通り抜けて、尾行を巻くみたいに何度も同じ道を進んだ後、薄暗い雑居ビルのような建物を前に唐突に立ち止まる。
「ベスタのあれは、いくつかある隠れ家のうちの一つを示しているにゃ。それがここにゃ」
「…………ここで待っておれ、と云うことか?」
「そうにゃ。しばらくは、もしかしたら隠れ家を行ったり来たりして、寝泊りがキツイやも知れにゃいけど……我慢して欲しいにゃ」
タニアは申し訳なさそうに頭を下げると、その建物の中に入って行く。
ヤンフィも続いて入り、狭い階段を上って行った。やがて、三階の汚れた扉の前で立ち止まると、タニアが扉をノックする。
「『沈み行く日輪、訪れる暗闇――』」
すると、不思議な声が扉の中から聞こえる。それは合言葉のようだった。タニアは迷わずに答える。
「『篝火は第二の月に』」
「――入れ、同志よ」
タニアがベスタから聞いた答えを口にした途端、扉からガラスが割れるようなピシっとした音が鳴り、扉が開かれた。
魔術による結界でも張っていたのだろう。見えていた扉周辺の景色が歪み、綺麗な鉄の扉が浮かび上がる。
その鉄扉の中からは、隻眼のガルム族が顔を出していた。
「おお、タニアじゃないか、久しぶりだな。こりゃ、心強い!」
隻眼のガルム族は、鉄扉を開けて入ってきたのがタニアだと知るが否や、喜色満面に微笑んだ。それを煩わしそうにしながら、ヤンフィを引き連れたタニアは、短い廊下を部屋の奥へと進む。
部屋の奥には二十畳ほどの大きなホールがあり、そこはバーカウンターと丸テーブルが幾つも置かれた酒場然とした場所だった。
そこには、四人ほどの戦士風なガルム族の男と、エプロンをして炊事をする人族の女性がいた。
その場の五人は、現れたタニアと煌夜の姿を一斉に注視して、直後にタニアに視線を戻すと喜びの声を上げる。それに応えるように、タニアは一言、にゃ、と手を挙げて、そのまま空いているソファにドカッと座り込んだ。
ヤンフィは騒ぐ五人の容姿をサッと一瞥してから、残念そうな溜息を漏らして、タニアの近くの椅子へと腰を下ろす。
(……とりあえずは、このまましばらく待ちじゃなぁ)
ヤンフィは誰に語るでもなく、心の中でそう独りごちた。
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