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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第二章 城塞都市アベリン
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第十三話 奴隷市場

 

 奴隷区画――貧民街を出て、南門の前の通りを東側に真っ直ぐと進んだ先、横浜中華街の入り口みたいな朱色の門を通り抜けると広がる区画。そこは、どこか薄暗く澱んだ空気に満ちた場所だった。

 建ち並ぶ店舗はどれもこれも綺麗で洒落ている。けれど、店内から漂ってくる雰囲気がいかにも怪しかった。また、賑わっている通りには、さまざまな匂いが溢れており、少し煙ったい印象である。

 タニアはそんな人込みの中を、まるで我が家の庭のようにスイスイと歩いていく。

 目指す先は、奴隷市場だ。

 煌夜は周りをキョロキョロと見渡しながら、タニアを見失わないよう三歩後ろを付かず離れず付いていく。なんとなく緊張する場違い感、初めて秋葉原の裏路地に入った時の感覚に似ていた。

 ふとタニアがスッと狭い脇道に入っていく。

 煌夜もちょっと早足になって通りを曲がる。するとそこは、狭い一方通行の裏路地だった。

 嗅いだことはないがどことなく淫靡な空気と、むわっと溢れかえる酒気に満ちている路地である。ついその雰囲気に足を止めてしまった。

 見ればタニアは、煌夜を気にした風もなく、ずいぶんと先を歩いていた。やばい、と慌てて駆け出す。


「いらっしゃい、いらっしゃい――お、そこの兄ちゃん、どうだい? 一発抜いていかないか? 今なら待たずに、一番人気の天族アイリちゃんを指名できるよ?」


 駆け出したその時、ふいに煌夜の肩がグッと掴まれる。

 振り返るとそこには、ダークスーツを着こなしたワイルド系ホストみたいな客引きの青年がいた。彼は煌夜にニヤケ面を晒しながら、どうだい、と自分の背後のお店に視線を向ける。

 青年の視線を追ってその店を見ると、そこは明らかに如何わしい類のお店だった。

 煌びやかな装飾が施されたショーウインドーの中には、あられもない格好をした美女たちが座っており、その全員が煌夜を注目している。煌夜は渋面を浮べて客引きの青年を見ると、青年は二カッと歯を光らせて、指を二本立てた。


「二時間、銀紙幣一枚でいいぜ? 日頃の鬱憤と、疲れを吐き出して、心と身体を癒さないかい?」


 ここは間違いなく風俗店――娼館、と呼ばれる場所だろう。看板に書かれている文字は分からないが、どう見てもその手のお店だった。

 寄っている暇はないし、そもそも時間があっても寄る気はない。興味はあっても、未成年の煌夜ではハードルが高過ぎる。

 煌夜は、いや、と渋い顔で首を振るが、青年は馴れ馴れしく肩を組んできて、強引にその店に向かって歩き出した。

 そのあまりにも無理やりな客引きに慌てて、腕を振り払って距離を取った。

 前を歩いているはずのタニアにサッと助けを求めるが、しかしいつの間にかタニアの姿は影も形もなくなっている。

 見事に、見失ってしまった。嗚呼、なんということでしょう――と、煌夜は内心で冷や汗を流した。


(……おいおい、こんなとこで迷子とか、笑えんぞ)


 煌夜は身構えて、無言で客引きの青年を警戒する。これはマズイ状況かも知れない。はっきりと拒絶したはずの煌夜に、けれどその客引きの青年は、まったく引き下がる気配がなかった。


「……なぁなぁ、どうよ? 一発、天界の技巧、味わいたくないかい? ああ、天族じゃなくてもいいぜ? うちは、女の子の種類は豊富だ。妖精族もいるし、ガルム族だけじゃなくて、ラガム族も、もっと希少なレギン族もいる。しかも待たせないし、次回以降は割引も利かせるぜ」


 青年はニヤニヤしながら、スルッと煌夜の行く手を阻むように立ちはだかる。その足運びは、歴戦の兵を思わせるものだった。

 青年の体格は煌夜と同じくらいだが、漂う雰囲気は喧嘩慣れしたヤクザモノである。

 煌夜は周囲に視線を巡らせて助けを求めるが、狭いこの路地には青年と煌夜以外、誰もいない。

 一旦、元の通りまで戻るしかないか、と背後を振り返ると、ちょうどその時、青年が案内しようとしているお店から、青年と同じダークスーツを着た髭面スキンヘッドの強面お兄さんが姿を現す。


「おう、いらっしゃい、兄ちゃん。そんなとこで突っ立ってねえでさ、店の中で好みの子相手に突っ立ててくれよ。店頭の子でもいいぜ?」

「うっす、お疲れ様です。……なぁ、兄ちゃん。早く入ってくれよ。ああ、金がねぇなら、ツケにしておいてやるからよ」


 二人はニヤニヤしながら、煌夜の前後で立ち塞がって、挟み込んできた。何故にここまで強引なんだ、と煌夜が客引きの態度を疑問に思った瞬間、フッと頭上が翳る。

 ん――と、煌夜を含めて、客引きの二人も頭上を見上げる。そこには、屋根の上から落ちてくる人の姿があった。


「――なっ!? ヤバっ!」


 その女性は、煌夜のすぐ前の地面に向かって落下してくる。一見して屋根の上から滑り落ちたとしか思えない様子で、背中から無防備に落ちてきていた。

 屋根の高さは四階ほど、このままでは背中を強打する。咄嗟に思考を巡らせた煌夜は、その女性を抱き止めるべく両手を伸ばした。

 しかし、その腕は何も抱き止めることなく、空を切る。


「チッ――ベスタかよ」

「……また、商売妨害か」


 落下してきた女性は、突如、重力を無視したような空中回転を見せて、煌夜の腕を躱して地面に着地する。

 ひらりとたなびく短いスカート、一瞬だけ覗けたその内側は、際どい白のハイレグだった。煌夜はそのパンチラに目を奪われて、思わずゴクリと息を呑んだ。


「おい、【銀楼館ぎんろうかん】の――この少年は拒否しているだろう? これ以上、強引に呼び込むというのならば、粛清するぞ」

「……へいへい、分かってますよ。ベスタさん。チッ、今日はついてねぇ」

「ふぅ……分かったよ。兄ちゃん、悪いねぇ。好きにしなよ。あ、でも、一発抜きたくなったら、いつでも歓迎するぜ」


 現れた女性――ベスタと呼ばれた彼女は、鋭い睨みを利かせるだけで、二人の客引きを諦めさせた。客引きの青年は肩を竦めると、ショーウインドーに背をもたれさせて煌夜の前から退く。

 髭面スキンヘッドの強面お兄さんも、舌打ちをしながら店舗の中に消えていった。

 素直に引き下がった二人に満足げに頷いて、ベスタは、呆然と腕を突き出したまま硬直している煌夜に向き直る。

 ベスタは、ガルム族だった。

 特徴的な猫耳に、スカートから顔を見せている丸まった尻尾。その服装は、膝上20センチ程度の赤いミニスカートに、黒い肌着とオレンジ色のスーツジャケットという格好だった。

 ミニスカートから伸びた足は黒いニーソックスを穿いており、思わず見惚れる絶対領域を披露している。胸はタニアほどではないが豊満で、モデルみたいにスラリとした高身長はタニアよりも高く180センチはありそうだ。

 切れ長の蒼い双眸をしており、長い白髪を一本の三つ編みお下げにして背中に流している。

 顔立ちはキリリと凛々しく、宝塚の男役みたいな印象をした綺麗格好いい女性だった。


「少年、それにしても感心しないな。日中から、こんなところに顔を出すとは……我が定時巡回をしていなければ、無理やり連れ込まれて、なんだかんだと金銭を奪われるところだったぞ? もし金銭がなかったら、その身を売り払われて奴隷になっていただろう。危機一髪だな」

「……は、はぁ。どうも……ありがとうございます――あ」


 ベスタは腰に手を当てて、胸を突き出す姿勢で煌夜に相対する。

 煌夜はしばし呆けてから、ハッと正気に戻って感謝を口にした。だが、その台詞を聞いた途端にベスタが難しい顔をするのを見て、バッと口元を押さえる。

 そういえば、不用意に喋るのは厳禁だった。

 煌夜の言葉が統一言語だと知れると、厄介事に発展する可能性があるのだ。

 もはや今更だが、煌夜はジェスチャーで頭を下げて、そのまま逃げるようにタニアが消えた方向に足を踏み出した。


「…………おい、待て少年。キミはいったいどこに向かうつもりだ? ここから先には、キミのような人間が行くところは何もないぞ?」


 そんな煌夜の肩を、今度はベスタがガシっと掴んだ。

 恐る恐ると振り返ると、これより先には行かせない、という強い意志が込められた青い双眸が、煌夜を真っ直ぐと見つめていた。


「それにキミ、今不思議な言語を喋ったな? 聞き覚えのない響きだったが、意味が頭に浮かんだ」


 煌夜の肩を握る手に力が込められる。指先が肩に食い込んで、煌夜は苦痛を浮かべる。


「……それと、もう一つ。キミが今着ているその服だが、知り合いの物に非常によく似ているのだが……キミ、いったい何者だ?」


 明らかに警戒の色を浮かべて、ベスタは煌夜の服を、空いている方の手で掴む。そして服の匂いを嗅ぐと、やはり、と言って頷いた。

 煌夜はそんなベスタの様子に、気が気でなかった。タニアと初めて出会った時の恐怖が脳裏に蘇ってくる。迂闊に喋ると何が起こるか分からない。


「キミ、我の言葉は分かるだろう? 何とか言ったらどうなんだ?」

「…………」


 どうするどうする、と内心でテンパる煌夜。するとその時、この状況を作り出した原因であるタニアが、路地の向こうから戻ってきた。

 煌夜は、助かったとばかりに、タニアに手を振った。


「……まだ絡まれてるにゃ。仕方にゃい。おい、そこのお前、それが誰のツレだか――って、にゃんだ。ベスタじゃにゃいか」

「タニア――ん? なんだ、キミはタニアの知り合いか?」


 煌夜を認識した瞬間に、素晴らしい速さで駆けてきたタニアは、しかし肩を掴んでいるベスタを見て、つまらなそうに落胆の表情を浮かべた。

 一方、ベスタはそんなタニアを見て、何かを察した様子で煌夜から手を離した。


「コウヤは、知り合いじゃにゃくて、あちしのボスにゃ。奴隷市場に行きたいって言うから、あちしが露払いしてるにゃ」

「――何の用で、奴隷市場に?」


 タニアの台詞に、ベスタは途端硬い声になり、探るような視線を煌夜に向けてくる。

 その場に緊張感が漂った。仲間を探しに、などと軽く答えられる雰囲気ではない。煌夜はどう答えるべきか、と頭を悩ませる。


「コウヤは遠くの国からここまでやってきたにゃ。にゃので、この街の見所を案内してるにゃ」


 煌夜が困った顔で沈黙していると、タニアがすかさずフォローを入れてくれる。まさか助け舟が来るとは思わず、煌夜は一瞬あっけに取られた。


「――――観光、か。まあ、タニアが付いていれば大事には至らないだろうが、ここは治安が悪い。気をつけて歩いてくれよ」

「分かってるにゃ。あんまり騒ぎを起こさにゃいよう心掛けるにゃ」


 ジロッと見つめてくるベスタに、タニアは軽い調子で頷いた。煌夜も慌てて頭を下げる。

 ベスタはしばしタニアと煌夜を眺めていたが、それ以上は何も言わず、背中を向けて通りに歩いて行った。

 その背中を見送ってから、タニアは煌夜の手を引っ張って路地の奥へと歩き出す。


「……いまのは?」

「ベスタ・ガルム・オースラム――【奴隷解放軍】のリーダーで、【粛清のベスタ】の異名を持つ魔術師にゃ」

「奴隷、解放軍……?」

「奴隷制に反対して、この街から奴隷をにゃくそうとしてる組織にゃ。合法、非合法に関わらず、奴隷の売買を阻止する為に結成されたにゃ。にゃので、奴隷を買うとか言ってたら、粛清されたにゃ。危にゃかったにゃ」


 タニアは言いながら路地を曲がる。

 するとそこには、ゴツい身体つきをした巨漢たちが、死屍累々と転がっていた。その異様な光景に、煌夜はビクッとたたらを踏む。


「――な、なんだ、これ? 集団食中毒か?」

「コイツらは武闘派の奴隷商人たちにゃ。弱そうにゃ通行人を襲って、無理やり奴隷にする連中にゃ。あちしが先回りしてぶっ飛ばしといたにゃ。ちなみに、さっきコウヤに絡んでた連中は、頭脳派にゃ。契約でがんじがらめにして、逃げられにゃくしてから、奴隷に堕とす連中にゃ。どっちも捕まったら、最終的に奴隷にゃ」

「…………俺はさっき、捕まりかけたんだが?」


 煌夜はタニアに非難めいた視線を向けるが、タニアは豪快に笑った。


「大丈夫にゃ。捕まっても、ちゃんと助けるつもりだったにゃ。それにアイツらにゃら、商品に傷は付けにゃいから、万が一にも、コウヤは怪我しにゃいはずにゃ」


 バンバンと煌夜の背中を叩くタニアに、煌夜はそれ以上何も言わず、促されるままに路地を歩く。

 そうしてしばらく進むと、目的地の奴隷市場に辿り着く。

 そこはドーム状の平屋で、髑髏が付いた槍が入り口に立て掛けられていた。またその入り口には、厳つい顔をした重装備の戦士が、五人ほど立っている。

 タニアはしかし、そんな五人など気にせずドームの入り口に向かう。だが、入り口の前で五人に行く手を阻まれた。


「何の用だ、【大災害】タニア」

「……ちょっと市場に入りたいにゃ。奴隷を見せてもらいにきたにゃ」

「駄目だ、貴様は立ち入り禁止だ。貴様は奴隷解放軍に組していた経歴があるだろう。解放軍と手を組んだ者は、奴隷市場に入れるわけにはいかない。その後ろの小僧だけなら、入ってもいいがな」


 五人のうちの一人、槍を構えた戦士が、タニアの眼前にその槍を突きつける。タニアは平然と身じろぎ一つしなかったが、その顔には青筋が浮かんでいる。


「……おい、タニア、どういうことだよ?」


 煌夜はボソボソとタニアに呟く。するとタニアは大きく息を吐いてから、一旦、入り口から離れて、路地のところまで煌夜と共に戻ってきた。


「申し訳にゃいにゃ、コウヤ。あちし、奴隷市場は出禁みたいにゃ」

「……それはなんとなく分かったが……けど、そうなると、奴隷市場には入れないわけだな?」


 煌夜は内心で、これで嫌な物を見なくても済むか、と若干安堵したが、そうは問屋が卸さなかった。タニアは黒いベストの内側から、定期券みたいな一枚のカードを出して、それを煌夜に差し出した。


「……これは?」

「奴隷市場の参加証にゃ――奴隷市場は、地下にあるにゃ。あの入り口を通って、廊下の角部屋に同じ印の部屋があるから、そこに入って地下に下りるにゃ。あちしはここで待ってるにゃ」

「……それは俺一人で行けってことか? ちょっと、それは、かなり怖いんだが? その、タニアがいてくれないと……」

「心配にゃいにゃ。奴隷市場は、暴れさえしにゃければ、参加者に危害を加えることはにゃいにゃ。それに、もし万が一何かあっても、ヤンフィ様にゃら何とかできるはずにゃ」


 行きたくない、という表情をする煌夜に、タニアは申し訳なさそうな顔のまま、無理やり参加証を渡してくる。

 とりあえずそれを受け取って、煌夜は脳内のヤンフィに問い掛ける。


(なぁ、ヤンフィさん。さて、どうしましょう? 俺一人で、奴隷市場に入るべきか否か。つうか、入っても仕組みとか何もわかんねぇし、ヤンフィの眼鏡に適う仲間を見つけられる自信はないんだが……)

(――むしろ、タニアがおらぬ方が良いかも知れぬな。うむ……往くぞ、コウヤ)

(……あ、そう。ああ、分かったよ……情けない話だけどさ、万が一の時は護ってくれよ?)


 無論じゃ、と脳内にヤンフィの言葉が響くと、煌夜の意思とは関係なく口が動いた。


「タニアよ、汝の話を信じて、妾とコウヤで奴隷市場を見てくることにするぞ」

「――その口振り、ボスかにゃ?」

「そうじゃ……ああ、ところで、この奴隷市場はどういう仕組みじゃ? それと、ここで注意することはあるかのぅ?」


 ヤンフィは首を傾げて入り口の五人を眺める。

 彼らは五人とも警戒心全開で、ヤンフィとタニアを注視していた。


「……注意じゃにゃいけど、あの鎧を身に着けてる奴らは、奴隷市場の運営が雇ってる私兵にゃ。手を出したり、逆らったりすると、あちしみたいに出禁ににゃるから、気をつけた方がいいにゃ。それと市場の仕組みは、競りにゃ。商品一つ一つに、参加者が値段を付けていって、最終的に一番高い金額を付けた参加者が、その金額で落札するにゃ」

「ふむ……分かった。それでは、タニアはここで待っておれ。二時間経っても戻らなければ、何をしてでも助けに来い。良いか?」

「畏まりましたにゃ」


 タニアはビシッと敬礼してから、任せるにゃ、とその豊満な胸をドンと叩いた。揺れるボリューミーな双丘は、相変わらず凶悪である。


(コウヤよ。妾は一旦、魔力回復に集中するぞ。安全だろうと、気を引き締めて往けよ?)

(分かってるよ――けど、なんかあったら、マジで頼むぜ?)


 ふっ、とヤンフィの苦笑が聞こえて、それを合図に煌夜は入り口に向かって歩き出した。それを見て、タニアはその場に胡坐をかく。

 入り口の五人は、やってくる煌夜を見ても別段行く手を阻むということはしなかった。

 警戒はしていたが、ただそれだけだった。先ほどの言葉に嘘はないらしい。出禁なのは、タニア一人ということだ。

 煌夜は注目を浴びつつ、何の問題もなく建物の中に足を踏み入れた。


 左右に幾つも扉のある長く幅広い廊下を、煌夜は真っ直ぐと前に進む。

 レッドカーペットの敷かれた廊下には、等間隔で花瓶や壺といった調度品が置かれており、燕尾服の執事やらメイドやらが、各部屋の扉の前で突っ立っている。

 彼らは煌夜に視線を向けることなく、彫像のように直立不動だった。

 そんな不思議な光景に若干萎縮しながらも、タニアの言っていた角部屋までやってくる。扉に刻まれた印は、タニアから渡された参加証カードに描かれている印と同じモノだ。


「――こちらは、奴隷市場への入り口になりますが、宜しいですか?」


 煌夜が扉の印とカードを見比べていると、脇に立っていた燕尾服の青年が頭を下げながら問い掛けてくる。

 煌夜は、とりあえず声は出さずに頷いて肯定する。すると、燕尾服の青年は、畏まりました、と一言告げて、扉の鍵を開ける。


「参加証を提示下さい……はい、間違いありません。どうぞお進み下さい」


 青年は煌夜の持つカードを確認すると、扉の前から退いた。

 煌夜は言われるがまま部屋の中に入る。部屋の中には、地下へと続く薄暗い階段だけがあった。

 そして、階段を下りた先には、人一人分の小さな扉と、燕尾服の老人、抜き身のショートソードを持った西洋の全身甲冑を纏う戦士がいた。

 その異様な光景に、煌夜は思わず尻込みする。フルフェイスから覗く戦士の赤い眼光が、凄まじい威圧感を放っていた。


「お一人様ですか?」


 その時、引け腰の煌夜に老人が問う。それには無言で頷いた。


「…………人族で、魔力量はランクE、武器の所持なし、名前は……読めないな。異世界人のようだ」


 老人はしばしジッと煌夜を眺めると、傍らの戦士に何やらそんなことを告げている。

 それを聞いた戦士は、血振りするように剣を何度か振って、その切っ先を煌夜に向けてきた。

 なんだなんだ、と煌夜は冷や汗を掻きながら両手を挙げて、無抵抗をアピールする。


「異世界人がここに何の用だ? ここは買い専門の市場だぞ。身売りは、ここより手前の部屋だ」


 戦士はそう言って、殺意が篭った威圧を叩きつけてくる。

 またいきなりマズイ展開か、と煌夜は焦った。その時、ヤンフィが煌夜の身体で声を出す。


「奴隷市場に来て、奴隷を買う以外の何用がある? ごちゃごちゃ云わずに、ここを通せ。妾は客じゃ」


 戦士の威圧に負けじと、ヤンフィも苛烈な威圧をぶつける。

 ギロリと老人も睨みつけながら、扉に向かって一歩踏み出す。すると戦士と老人は互いに視線を交わして、ゆっくり頷いた。


「大変失礼を致しました。初見で、しかも異世界人の方だったので、少しばかり警戒させて頂いた次第です。他意はありません。どうぞお通り下さい。それと、こちらが席番号です」


 老人は恭しく頭を下げると、小さな木札を手渡してくる。それを受け取ると、戦士が扉を開けて顎で、行け、と促す。

 ヤンフィは迷わず、警戒せずそこに入っていく。

 入った先は、映画館のような場所だった。

 中央奥にステージがあり、段差になって観客席が並んでいる。

 ステージ上にはピエロみたいな衣装の男と、黄金色の全身甲冑を身に付けた三人の戦士が立っていた。その傍らには、鎖に繋がれた裸の女性が数人並んでいる。

 ステージに近い前列の座席は軒並み埋まっていたが、後ろに行くに従って座席は空席だった。とはいえ、観客は全部で五十人以上いる。

 煌夜は空いている席に腰を下ろそうとして、ヤンフィに止められた。


(座席番号が振られておるぞ、コウヤ。扉で貰った木札を見よ)

(え? ああ、これ番号か……)


 この世界の文字を読めない煌夜にとっては、それはただの落書きにしか思えなかった。

 だが言われて見ると、映画館の座席同様、足元と脇の肘置きに同じような記号がある。煌夜は同じ記号を探して、そこに座った。

 座席は、ステージから五列目の端だった。周囲には他に誰もいない。

 煌夜だけが、ポツンと離れて座っている構図である。


(……なんか、暑いなぁ)


 会場には独特な熱気が満ちていた。むわっとした生暖かい空気と、異様に張り詰めた厳かな雰囲気。会場の緊張が伝播してきて、ただここに座っているだけで、喉が渇いてくる。


「紳士淑女の諸君、これで御揃いのようだ。さあて、これより品質ランクAの奴隷たちを御紹介を致しましょう。ご覧下さい、この美貌、この身体。躾もしっかりされている二十歳前後の人族の性奴隷で御座います」


 煌夜がステージに視線を向けた時、ちょうどステージに立つピエロが前口上を響かせる。その台詞に、静まっていた会場の観客が潮騒の如き歓声を上げる。

 ピエロはステージ上に並ぶ女性たちを、一人一人前に出してプロフィールを紹介し始める。女性たちは全員、確かになかなかの美人揃いで、しかもグラビアアイドル並のプロポーションである。

 彼女たちは一応手で身体を隠しているが、煌夜は恥ずかしくて直視出来ず視線を逸らした。


(……胸糞悪い光景じゃ。じゃが、コウヤよ。男にとっては絶景でもあろう? 見ないのか?)

(見たいのは否定しないが、俺はこれでも紳士なんでね。それに俺がいた世界じゃ、奴隷売買なんてことは、少なくとも日常じゃなかった。だから、人が人を売ったり買ったりなんざ、正直、考えたくもない)

(ふむ……であれば、ちょうどいい。タニアのいないうちに、一つ忠告しておこう)

(――忠告?)


 ステージでピエロの説明が響く中、煌夜はヤンフィの言葉に意識を集中する。


(そうじゃ、当面の最優先事項――【聖女】捜しの件に関して、じゃ)


 ヤンフィの台詞に、煌夜はハタと思い出す。

 そう言えば、タニアたちには仲間を探す事しか話していなかった。ヤンフィが説明するに任せて、煌夜は自分の身体を治すことなど失念していた。


(妾たちが聖女を捜す真意――つまり、コウヤの身体が既に死に体と云うことは、誰にも云わず秘密にしておくべきじゃ。聖女を捜す表向きの理由は、仲間として優秀な治癒術師が欲しい、とでもしておくが良かろう)

(……は? なんで?)


 ヤンフィのその面倒くさい提案に、煌夜は疑問符を浮かべる。捜す理由を隠す意図がつかめない。


(弱みを見せぬ為じゃ――タニアが裏切らぬとも限らんし、どこぞで誰に命を狙われるかも分からん。もし命を狙われた場合、コウヤの身体が実は瀕死なのだと知れれば、妾の弱点も自ずと知れてしまう。そもだいたい、聖女を捜す動機なぞ、何であろうとも関係なかろう?)

(まぁ、確かに。理由が何だろうと、聖女って人を捜すことは変わらないけど……嘘を吐くのは気が引けるな)


 いまいち腑に落ちない煌夜だったが、それに反論する理由はなかった。

 確かにヤンフィの言う通り、死にそうだから治癒術師を捜すでも、仲間に治癒術師が欲しいから探すでも、どちらも同じ結果である。

 また、目下のところ仲間探しをすると伝えている以上、煌夜の命が関わっていようといなかろうと、その優先度も変わることはない。


(嘘を吐く訳ではないぞ。仲間に優秀な治癒術師が欲しいのは、本音でもある。これから先の旅路が危険になるとは思わぬが、それでも不慮の事故は起きえるからのぅ――まあ、タニアへの説明は妾が受け持とう。コウヤは、もしタニアに問われた時、口裏を合わせておいてくれれば良い)

(……ああ、分かったよ)


 煌夜は軽い調子で頷いた。どこか誤魔化されたような気がしないではないが、誤魔化されていたとて煌夜に困ることはない。

 煌夜は今、間違いなくヤンフィのおかげで生きている。

 仮に、ヤンフィには違う意図があるとしても、それはそれだろう。協力してくれていることに変わりはないし、逆に命を救ってもらっている手前、煌夜もヤンフィに協力するのは当たり前である。


(さて、ところでその治癒術師についてじゃが、見つけるのは容易い。彼奴らは基本的に、治癒魔術院と云う施設に居るからのぅ)

(治癒魔術院?)

(病気や怪我を、その重度に見合った料金で癒す施設のことじゃ。冒険者ギルドのように、治癒術師の資格を発行している唯一の機関でもある。大きな街には、最低でも一つか二つはあるはずじゃ。そこに往けば腕の良い治癒術師の情報は勿論、聖女の情報も手に入るじゃろぅ。ちなみに、今はどうか知らぬが妾が封印される以前では、治癒術師になれる者と云うのは、およそ十万人に一人居るか居ないかと云う割合じゃった。治癒魔術は行使するのに稀な才能が必要でのぅ。誰もが扱える魔術ではないのじゃ)

(はいはい、治癒魔術院、ね……まんま病院だな。んで、治癒術師が差し詰め医者か)


 なるほど、それならば確かに、治癒術師は目立つ存在だろう。

 さらにその中でも最高峰と言われているらしい聖女は、喩えるならば、ブラッ○ジャク的な存在に違いあるまい。と、煌夜は一人で納得する。

 しかし、納得した瞬間、ふともう一つの疑問が鎌首をもたげる。


(ん――? あ、そうなるとさ。俺の身体を癒すのって、物凄く高額になるんじゃ?)


 煌夜の知る常識では、手術費用や入院費は、保険適用されても莫大な金額が掛かる。

 それを思うと、身体のあちこちが吹っ飛んでいる死体の如き煌夜の身体を癒す場合、相応に高額になるのではなかろうか。

 まったくの無一文である煌夜は、そんな所帯じみたことを考えてしまう。


(……まぁ、相場としては、おそらくテオゴニア金紙幣五十枚くらいにはなりそうじゃが……それは今考えるべきことではなかろう? まずは、聖女がどこに居るのか聞き込みをすることが先決じゃ)


 一瞬、煌夜の質問にたじろいだヤンフィだが、とりあえずその問題は先送りにした。

 テオゴニア金紙幣五十枚が、どれくらい高額なのかピンときていない煌夜は、まぁ確かに、とそれ以上食い下がらず頷いた。

 するとその時、ステージ上でピエロが大声で感謝の言葉を口にする。

 ふとステージを見れば、並んでいた美女たちはいつの間にか全員落札されてしまったようで、もはやピエロしか立っていなかった。

 ピエロは喜色満面の笑みで、会場の観客たちに恭しく頭を下げると、より大きな声で歌うように言った。


「さあさあさあ。お集まりの皆様、是非是非、ご注目を! これよりご覧頂きますのは、本日の目玉商品。品質ランクS、人里ではあまり見かけることのない獣人族――ラガム族の奴隷です。歳は十七、しかも処女、おまけにその若さで冒険者ランクSの実力者。奴隷としてだけじゃなく、護衛としても優秀な、当商会が誇る最高級の奴隷です」


 ピエロは興奮気味に叫ぶが否や、その右手をステージの上手へと向ける。

 すると、その口上が終わったタイミングで、ステージの袖口から2メートルはある全身甲冑の戦士が姿を現した。

 彼は完全装備の上、物騒極まりない斧を片手に、もう一方の手で鎖を引いている。その鎖は、やや遅れて現れた少女の首に繋がっていた。

 その少女は、先ほどの女性たちとは違い、薄汚れた下着姿をしていた。

 両腕は手錠で拘束されており、両足には鉄球の付いた足枷、口には猿轡が咬まされていて、まるで囚人のようでもある。

 煌夜はその異様に思わず目を細める。会場もその物々しい拘束具を見て、どよめいていた。

 少女は鎖に引かれるまま、足枷の重りなどまるで意に介さない足取りで、ピエロの隣、ステージ中央までやってきた。


「――さあ、どうでしょう、皆様。我が商会が、とある筋から偶然入手できた奴隷です。躾はまだされておらぬので、礼儀知らずではありますが、従属の契約さえ結んでしまえば、逆らえません。つまり調教する楽しみも味わえます」


 おお、という感嘆の声と、素晴らしい、という感動の声が、会場中から聞こえてきた。

 それらを聞きながら、煌夜は悪いとは思いつつも、その少女の姿から視線を逸らせなかった。少女は自らの下着姿にまったく恥ずかしがる様子もなく、威風堂々と胸を張って、会場に集まっている観客たち一人一人を観察している。


(ほぅ、ラガム族とは、珍しいのぅ)

(…………ラガム? 狐耳は、ラガム族って言うのか?)

(ふむ、そうじゃ。ラガム族は、獣族の中では比較的、人族に近い感性を持った種族じゃが、人嫌いでも有名でのぅ。滅多に人里には現れぬ。ガルム族ほど強靭な肉体ではないし、魔力量もそれほどではないが、魔術の扱いに長けた者が多い種族じゃ)


 ヤンフィの説明を聞きながら、煌夜はついマジマジと少女を眺めてしまう。だが、そこにやましい気持ちはない。

 美しい絵画か彫刻を目にした時のような感動で、煌夜は無意識に見惚れていた。

 少女は、フサフサとした狐の尾と、尖がった狐耳をしており、小麦色のロングヘアを一つに束ねて背中に流している。体格は華奢で、身長は160センチほどだろう。タニアとは違い、腕や脛に体毛はなく、その尻尾と耳さえなければロシア系の白人美少女と言われても違和感はない。

 怜悧な相貌と、どことなく眠たそうな瞳、そして象牙の如き白い素肌をして、およそ人間離れした美貌である。タニアのようなグラマラス美女ではなく、スレンダーなクールビューティーという印象だった。

 九尾の狐が化けたという玉藻の前は、こういう美女だったのだろうか、と煌夜はなんとなく思った。


「さて、まずは――とりあえず金紙幣五枚から、始めましょうか。どなたか居られますか」

「十!」

「十五!」

「十七!!」


 ピエロが声高に会場内に問い掛けると、途端にそこかしこから怒号のような声が響き渡る。

 先ほどとは勢いの違う絶叫じみた掛け声は、凄まじい速度で金額を吊り上げて行く。煌夜はそれを聞きながら、ヤンフィに問い掛けた。


(……そういやさ、ヤンフィ。俺らって無一文じゃん。そもそもどうやって奴隷を購入しようとしてるんだ?)

(ふむ? 決まっておろう。有力な奴隷に目星を付けておき、その奴隷を落札した奴を、後でタニアに襲わせるのじゃ。さすれば金なんぞ必要ない――なんじゃ、コウヤもあのラガム族を気に入ったのか? タニアと違い、胸はそれほど大きくはないぞ?)

(いや、別に、そういう訳じゃ、ないけど……)


 正確には気に入ったのではなく、気になっているのだが、煌夜は肯定せず、誤魔化すように少女から視線を逸らした。

 すると、ヤンフィはからかうように笑った。


(……というか、襲って奪うって、それ犯罪だろ? 何を当たり前みたいに言ってんだよ、ヤンフィ)

(強者が弱者から奪うのは、自然の摂理じゃ。そもだいたいのぅ、ここで好色な爺に買われて慰み者にされるよりも、妾たちの仲間になったほうがよほど人間らしい生活が送れるに決まっておるじゃろう)


 ヤンフィの言い分に、煌夜は押し黙って悩んだ。確かに、慰み者にされる末路を考えたら、助け出したいと思うのが人情だ。

 助け出す方法が盗賊じみていようと、人助けというお題目があれば、それは正義の行いになる。

 とはいえ、正義の為ならば何をやっても良いのか、と問われれば、それは違うとも断言できる。ルールはどんな理不尽でもルールに違いはないのだ。


「百五十!」

「――二百」


 煌夜が難しい顔で悩んでいる間に、気付けば競りの金額は、開始当初から四十倍にも膨れ上がっていた。しかも、その金額は未だに天井知らずで、ピエロが、どうですか、と会場に問い掛けると、誰かが必ず値を吊り上げていく。

 一種の狂気じみた熱気が、会場全体を覆っていた。


(……なぁ、ちなみにさ、ヤンフィ。俺は、金銭感覚分からんのだが、今の値段って、どれくらいなんだ?)

(ふむ……テオゴニア金紙幣二百枚の相場で言えば、一人の町人が一生涯で稼ぎ出すのと同額か、それ以上かのぅ。まぁ、人の一生が買えるだけの金額ではある)

(…………一生で稼ぎ出す? 日本円に換算すると、三から四億くらいか? ありえねぇ)


 煌夜はステージ上の少女に視線を向ける。すると、少女の無機質な赤茶色の双眸が、煌夜の瞳を見詰めてくる。

 偶然にも目が合ってしまい、思わずビクついて視線を逸らした。


「二百二十!」「二百五十!!」「二百七十!!!」


 段々と釣り上がって行く金額を耳にしながら、煌夜はただただ呆然と成り行きを見守っていた。

 やがて、金額が三百二十五まで釣り上がったところで、ピエロは拍手をして競りの終了を告げる。


 ――結局、その少女を落札したのは、豚の化身みたいな脂ぎった中年男で、成金趣味を全開にしたチビハゲの男性だった。


 そうして、今日の奴隷市場は終わりを告げて、ピエロは落札者たちを連れて、どこか別室へと消えていった。

 それを見送ってから、煌夜は来た道を戻っていき、市場の前で暇そうに丸まって寝ていたタニアと合流するのだった。



※後書きは変更履歴としています。


18.12/5 タイトル変更


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