表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第二章 城塞都市アベリン
15/113

第十二話 平穏な一幕

 瞼に感じる柔らかい陽射しと、かすかに鼻腔をくすぐる獣臭さ、そして、ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚に、煌夜は懐かしい気持ちになった。


「コウヤ、朝にゃ、起きるにゃ」


 煌夜を呼ぶその声には馴染みがなかったが、寝ている煌夜の腕に触れている柔らかく大きい何かは、ヨーゼフのタプタプお腹と同じ感触だ。

 煌夜は半ば寝惚けながら薄目を開けると、白くフサフサした耳と体毛が見えた。


(ああ、やっぱり、ヨーゼフか。朝から元気だなぁ、おはよう)


 煌夜は口をパクパクさせて、声を出したつもりになって、じゃれついてくるヨーゼフの頭を撫でた。にゃにゃにゃ、と素っ頓狂な甲高い声が聞こえてきたが、さして気にせずそのモフモフ耳を指先で弄る。

 ヨーゼフはそうされると気持ち良いらしく、尻尾をバタつかせて喜ぶのだ。


「――にゃ、にゃにゃ……や、止めるにゃ、コウヤ。くすぐったいにゃ」


 ヨーゼフにしては、毛が薄いし感触が変だな、と胡乱な頭で思いながらも、煌夜は耳を弄る手を止めない。すると、普段であれば、すぐに腹の上にのしかかってくるヨーゼフが、今日に限ってはモゾモゾ身体を揺らすだけだった。

 煌夜は、おかしいな、ともう一度薄目を開いて、ベッドの端に頭をちょこんと乗せている白い髪の美女――タニアを見つける。

 タニアは恥ずかしそうに赤面しつつ、しかし反抗せずに、煌夜の為すがまま大人しく頭を差し出していた。

 煌夜は一旦目を閉じて、指先の感覚に集中する。それは、フサフサでモフモフ、なんとも触り心地が良い猫耳の感触だった。


「――うぉお!? ヨーゼフ、じゃない!?」

「にゃにゃにゃにゃ!」


 煌夜は今の状況を理解して、目をカッと見開くと勢いよく身体を起こす。突然の絶叫に、タニアは全身をビクつかせた。


「にゃんにゃ、いきにゃり……ビックリするにゃ」


 タニアは赤らんだ顔で恨めしそうに、それでいてどことなく物足りなさそうな瞳で、煌夜を見てくる。タニアの手は自身の耳をさすっていた。

 そんな上目遣いのタニアに、一瞬、見惚れてしまった煌夜だったが、すぐさま頭を振って寝惚けた思考を覚醒させる。


「ここは……そうか、宿屋か。俺は……異世界に、来たんだよな……」


 煌夜は呟きつつ、思考を整理する。昨日の出来事――転移からの丸一日、ジェットコースターの如きその経験を思い返して、しみじみと重い溜息を漏らす。しかし同時に、竜也、虎太朗、サラの姿を思い浮かべて、気持ちを奮い立たせた。

 とりあえず、今は落ち込んでいても仕方ない。

 煌夜は、だるい身体に鞭打って、窓から入ってくる眩しい日差しに目を向ける。タニアは煌夜をわざわざ起こしに来てくれたらしい。


「おはよう、タニア。起こしてくれて、ありがとう」

「別にいいにゃ……おはようにゃ、コウヤ」


 挨拶を交わして、煌夜はふかふかのベッドから降りる。


「……ぐっ、なんか、全然、疲れが取れてないな」


 全身に酸素を供給すべく、深呼吸してからグッと大きく伸びをするが、身体が物凄く重かった。

 しっかり寝ていた割に、ちっとも疲労が取れている気がしない。けれど、それはまだ身体が起きていないからだろう、と煌夜は軽く柔軟をする。


 瞬間――息が止まるくらいの激痛が、関節部と全身の筋肉を駆け巡った。心なしか、口の中に血の味がする。


「……なあ、タニア……俺は、どれくらい寝てたんだろう?」

「にゃにゃ? えーと、およそ五時間にゃ」

「…………あ、そう」


 五時間――たったの五時間か、と煌夜は苦い顔を浮べる。

 徹夜明けで五時間睡眠では、寝た気がしないのも、疲れが取れていないのも頷ける。正直、もっと寝かせて欲しいとも思ったが、煌夜はその不満は口にせず、ふぅと溜息を吐いて睡眠欲求を諦めた。

 肉体疲労時に眠気を堪えるのは、バイト掛け持ちの経験で慣れてはいる。


「……にゃあ、その口振りにゃら、今はコウヤかにゃ?」


 その時、激痛で涙目になっている煌夜に、タニアが首を傾げて聞いてくる。ちょこんと女の子座りでベッドの脇に座ったまま、その吊り目のオッドアイが、ジッと煌夜を見つめていた。


「……あ、ああ。ヤンフィじゃないけど?」

「にゃらにゃんで、あちしの大事なところをあんにゃに触って、興奮してにゃいにゃ? もしや、不能にゃ?」


 タニアは照れ臭そうに自身の耳を触りながら、その視線を煌夜の下半身に向けた。確かに興奮はしていないが、断じて不能ではない――いやそれよりもまず、誤解を招くような発言はよせ、と煌夜が口を開こうとした時、バタン、と勢いよく部屋の扉が開く音が聞こえた。

 寝室の入り口に顔を向けると、そこには真っ赤な顔をして肩で息を吐くツインテールの猫娘――アールーが立っていた。


「アンタ、いったい何を羨ま……いえ、破廉恥……違う、乳繰り……もとい、スーハー……おはようございます、姫様、コウヤ様。お食事のご用意が出来ておりますよ。早く下りてきて下さい」


 駆けつけてきたアールーは、だいぶ言い間違えてから、一旦、深呼吸して、何事もなかったかのように慇懃無礼に挨拶をしてくる。そして、さりげなくタニアを守るように煌夜の前に回り込んで、威嚇するように睨んできた。


「お、おおう……おはよう、えと……ウールー、だっけ?」

「これは、アールーにゃ、コウヤ。顔で覚えると見間違うから、耳と尻尾の形で覚えるにゃ。アールーは耳が尖ってて、尻尾が細いにゃ」


 煌夜がアールーの名前を間違えると、タニアは親切に見分け方を教えてくれる。しかし、その見分け方は上級者過ぎるだろう。

 煌夜には、タニアとアールーの耳の違いさえ見分けられなかった。

 煌夜は曖昧に頷いて、ツインテールはアールー、セミロングのストレートヘアがウールー、髪を一つにまとめていて片耳の色っぽいお姉さんがオルド、とつい数時間前の自己紹介を思い返した。みんな顔は同じだが、特徴的ではある。


「――どこを見たら、アールーをウールーと間違えるんですか? やはり、その目は節穴……ゴホン……どうやらコウヤ様は、お疲れのようですね。もうしばらく寝ていたほうがよろしいのでは?」


 アールーが明らかに軽蔑した目で煌夜にそう進言してきた。同時に、素早い手際でベッドの乱れを正して、どうぞ、とばかりにベッドを促す。

 今の今まで寝ていたのだが、というツッコミをとりあえず飲み込んで、煌夜は苦笑しながら頭を下げた。そこに、タニアが呆れ顔で口を挟む。


「……にゃあ、アールー。いちいちそう突っ掛かるにゃ。コウヤも、いちいち真に受けるにゃ。朝ご飯にゃ、さあ、行くにゃ」

「うぉ――あ、ああ。分かった――ぐぅ、引っ張るな、っての」


 タニアはサッと立ち上がると、アールーの頭をわしゃわしゃと撫でた。そして、煌夜の腕を握るが否や、グッと引っ張って歩き出す。

 途端に、筋肉痛の全身が悲鳴を上げる。身体が激痛を訴えた。けれど、タニアは気にせず、煌夜を軽々と引き摺っていく。


「……歩ける、っ痛――行くよ、ちょ、ちょ、待ってって……ぐぅ」


 煌夜の抵抗はむなしく、ずるずると引き摺られて廊下に出た。すると、そこでようやくタニアは手を離してくれた。

 激痛でへたり込む煌夜に、タニアは、サッサと来るにゃ、とそのまま先を歩いていく。タニアの背中を呆然と見ていると、後ろからアールーが現れて、煌夜の身体を優しく押してくる。


「ほら、座ってないで、行きますよ」

「あ、ああ……分かってるって」


 そうして煌夜は、渋い顔をしたアールーと並んで、宿屋の一階まで下りていった。


 宿屋の一階には、食欲を刺激する美味しそうな匂いが漂っており、楽しげで和やかな喧騒が満ちている。

 混んでいるというほどではないが、空いている席は数えるほどしかない。結構な繁盛具合である。だがその店内は、たった二人がさばいていた。


「――おはようございます、コウヤ様」

「チッ…………おはようございます」


 心癒される満面の笑顔のオルドと、露骨な舌打ちをして渋面になるウールー。

 煌夜はそんな二人に苦笑しつつ挨拶を返して、タニアの隣のカウンター席に腰を下ろす。煌夜が席に座ると、遅れてやってきたアールーがすかさず水の入ったコップを用意した。

 煌夜はその水をありがたく頂く。自分で思っていたよりも喉が渇いていたようで、一口飲むと止まらず、ゴクゴクと一息に飲み干してしまった。


「ふふふ、こちらもどうぞ。コウヤ様のお口に合うか分かりませんが、お召し上がり下さい」


 煌夜の飲みっぷりを優しく見つめて、オルドは目の前に食事を用意してくれた。

 それは湯気の立ち上る白湯のようなスープだった。浮んでいるのは春菊みたいな草と、鶏肉のような肉である。一見して、中華料理みたいなそれは、仄かに甘い匂いがしている。

 煌夜はゴクリと唾を飲んでから、静かに口にする。

 途端に口の中に蜂蜜のような甘みが広がり、同時にハーブ系の爽快な匂いが鼻に抜けた。鶏肉もどきは、まるでゼラチンのような食感で、酢豚に似た味がする。それらが不思議に調和しており、飲めば飲むほど癖になる味を奏でていた。

 空腹も手伝って、煌夜はそれを一心不乱に食べる。その夢中になって食べる姿を、オルドが柔らかい笑みで見守っていた。

 素晴らしい部屋に一泊できて、しかも朝はこれほどの美味が味わえるとは――煌夜はここが異世界ということも忘れて、ただただ食事に没頭する。


「……にゃあ、コウヤ。一つ聞いてもいいかにゃ?」

「ん? ああ、答えられることなら――」


 ふとタニアが、同じようなスープを飲みながら、煌夜に顔を向けて問い掛けてくる。煌夜は顔を向けずに、何だ、とタニアに聞き返す。


「ヨーゼフって誰にゃ? あちしの大事なとこを愛でながら、他の女の名前を呼ぶにゃんて、失礼にゃ」


 その台詞に、煌夜は盛大にスープを吹き出した。

 気管に入って、ゴフンゲフンと咳き込む。ちなみに、吹き出した食事は、目の前に偶然立っていたウールーの顔面を直撃している。ウールーは無表情だったが、その全身から殺意が放たれていた。

 オルドは笑顔をどこか引攣らせて動きを止め、アールーは汚物を見る目で煌夜を見ている。

 煌夜は口元を拭ってから、慌てて弁解する。


「ちょ、愛でたって――あれは寝ぼけてて、というか、耳を触っただけだろ!? なんだその、誤解を招く発言は――」

「あれは、熟練の技だったにゃ。こそばゆいとこを絶妙な力加減で、それでいてあとちょいのとこで、焦らすにゃ。めくるめく快感とは、まさにあれのことにゃ」

「だ――違う……って、ちょ、ちょっと待って、ウールーさん?」


 タニアが自分の耳を触りながら、ウットリとした表情を煌夜に向ける。その一方で、白濁したスープを顔面に浴びせかけられたウールーが、気付けば煌夜の首に包丁を突き付けていた。

 それは昨日の光景の焼き増しである。ツー、と一筋の血が首を伝い落ちる。


「おい、劣悪種――貴様、劣悪種の分際で、姫様のお耳を陵辱しただけじゃ飽き足らず、別な女と間違えただと!? 自分の臓物を喰わせて殺すぞ」


 凄まじい殺気と、逆立った髪、血走った目で、ウールーは煌夜の首筋の包丁をグリグリと動かす。しかし、チクチクとするだけで、肉にはかろうじて食い込んではいない。薄皮の表面一枚だけを切る技術は、まさに匠の技だった。とはいえ、絶体絶命の状況には違いない。

 煌夜はホールドアップして、助けを求めるようにオルドに視線を送る。だが、オルドはどこか悲しそうな目をして、ツイと視線を逸らした。


「ちょ、あのね。待ってみなさん、落ち着いて……まず、ヨーゼフは俺が元いた世界で飼っていた犬です。しかもオスです。いつも寝起きにくっついてきてたから、間違えただけです」

「にゃにゃにゃ!? あちしは、犬畜生に間違われたのかにゃ!? 」

「……ねぇ、ウールー。殺すときはアールーも手伝うから、トドメは刺さないでよ?」

「ちょ――待っ……」


 煌夜の必死の弁解は、しかしまったく通じなかった。

 オルドは助け舟を出してくれることなく、宿屋の仕事に没頭し始める。

 タニアは煌夜が慌てふためく様子を面白がって、やたらとアールー、ウールーの怒りの炎に油を注ぐ。

 そうして煌夜の周りは、さっきまでの和やかな雰囲気から一転して、殺伐とした大混乱の修羅場となった。そのせいでせっかくの美味しい食事の時間がまるっと潰されて、まともに食事もできやしない。

 こんなときに限って、困った時のヤンフィ様はまったく反応しなかった。


 ――結局事態が収まったのは、それから一時間ほど経ってからである。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 時刻はそろそろ十二時になろうかという頃合いで、ちょうど一階からは最後の客がいなくなった。

 ついさっきまで賑わっていた店内が、今や伽藍となって、店内に残っているは煌夜たち五人だけになる。この時間、煌夜の常識からすればまさに昼飯の書き入れ時だが、どうも獣族は習慣として昼飯を取らないらしい。

 だからか、この宿屋【オルド三姉妹亭】は、十一時から十九時まで食事処は閉店になると言う。


 さて、お客さんがいなくなったのを見計らってから、アールーとウールーはテキパキと食器を片付けて、店内の掃除を始めていた。一方、オルドは外に出て入り口に何やら立て掛けている。きっと開店準備中とかの札だろう、と煌夜はなんとなく見ていた。


「……にゃあ、コウヤ。ところで、これからどうするにゃ?」


 煌夜が何気なく、忙しないオルドたちを眺めていた時、タニアがカウンターをトントンと指で叩きながら首を傾げた。


「あちしは今後、ヤンフィ様に命じられた通り、コウヤの護衛と案内役として、どこまでも付き従うつもりにゃ……にゃけど、当面の目的、今後の予定が分からにゃいにゃ。コウヤたちは、どこに行くつもりにゃ?」


 タニアは、その場の全員、オルド、アールー、ウールーにも聞こえるように、煌夜にそう問い掛ける。

 そういえば、煌夜は自分の事情を何一つ説明していないことを思い出す。同時に、夢の中でヤンフィと話した今後の方針についても、タニアには話をしておかねばならないと思い至る。


「ああ、そうだな。ようやく落ち着いたし、ちょっと長くなるけど説明するよ……実は――」


 煌夜は改まって、とりあえずこの世界に転移した経緯と、自分の目的、そして今に至るまでの超展開の説明を始めた。


 説明は淡々と、事実をありのまま伝えるよう心がけた。

 タニアは煌夜のその説明を聞いて、ところどころで頷く。オルドは煌夜の話を疑わずに、真剣な表情をして話に集中している。ところが一方、アールーとウールーだけが、終始、眉唾とばかりに煌夜を疑っている表情だった。だがそれでも、煌夜が説明をしている間は、誰も質問を挟まず黙って聞いていてくれた。


 そうして、昨日に至る道程を話し終えた時、ウールーが吐き捨てるように言った。


「劣悪種の分際で、何をトンデモ創作話を盛ってんだ!? そんな話はありえない――まずもって、魔王属ロードが恩を感じるとか、身体に取り憑くとか、馬鹿だろ!? どこの夢物語だ! それが本当なら、その魔王属のヤンフィを紹介してみろよ。だいたい、姫様を倒したのだって、異世界人特有の特殊能力だろ? わたしは騙されないぞ。異世界人は例外なく超常の異能力を発現させるんだろうが!」

「ちょっとウールー……コウヤ様に失礼でしょう?」

「ねぇ、オルド姉さん。アールーも、ウールーと同じ気持ちです。アイツ……コウヤ様の話は信じられません。特に、魔王属が協力的なんて、到底信じられないですよ」


 ウールーの暴言をたしなめるオルドに、アールーが煌夜を指差しながらそう言った。

 二人はどうも、ヤンフィが協力的という事実が、真っ赤な出鱈目だと思っているようだった。魔王属という存在に対する認識が、どこか煌夜と違うらしい。

 ――とはいえ、煌夜は魔王属という存在をいまいちよく理解していないので、どちらかと言えばきっと、煌夜の認識が間違っているのだろう。

 そんな煌夜の気持ちを察したのか、タニアがサラリと説明してくれる。


「コウヤ、魔王属ロードは、全ての魔族を統べる存在で、全ての生態系の頂点に君臨するモノにゃ――基本的に、人間とは相容れにゃい存在にゃ。魔王属は長い歴史の中で、人間を虫けらのように殺してきた事実があるにゃ。魔王属からすれば、あちしたちにゃんて、取るに足らない塵芥と同じ存在にゃ」

「そうだ! 魔王属は人類の永遠の敵だ――それが、どうして貴様みたいな劣悪種を助ける為に、行動するんだ!」


 タニアの台詞に追従して、ウールーは勝ち誇ったように頷く。そんなウールーに、タニアは静かに首を振った。


「ウールー……ついでに、アールー。お前たちのそれは、間違いなく常識にゃ。にゃけど、ヤンフィ様はその常識の外に居られる方にゃ。これ以上の侮辱は、あちしが許さにゃいにゃ」


 ピシャリと言い切って、タニアは二人を睨み付ける。

 アールーは不満げな表情を浮かべつつも押し黙るが、ウールーは納得出来ず髪を振り乱して煌夜に言い放つ。


「劣悪種、貴様、やっぱり催眠系の特殊能力者なんだろ!? 姫様を催眠状態にしてるんだな!?」


 ウールーのそれは完全な言い掛かりだが、説き伏せる術は煌夜にはなかった。

 ヤンフィを実際に見せる以外に、おそらくウールーは納得するまい。それを察して、タニアは諦めたようにもはや何も言わず、オルドは恐る恐ると煌夜に提案する。


「……コウヤ様、その……ヤンフィ様がいらっしゃる証拠と言うか、証明は、出来ませんでしょうか? 先ほどのお話ですと、ヤンフィ様とも会話出来るようでしたが……」


 オルドの提案はまさしく最善手である。と言うよりも、それしか方法はないだろう。しかし、煌夜は苦笑して頭を掻いた。


「ああ、さっきから呼んでるんだけど、ちょっと電波悪くて……」

「「……電波?」」


 タニアとオルドのハモりに、煌夜は乾いた笑いで誤魔化すと、心の中でヤンフィを呼びかける。


(あー、あー、ヤンフィ聞こえるか? ちょっと困ってるんだ。助けて欲しいんだが……出て来ておくれ?)


 起きてからこっち、まったく反応しないヤンフィに煌夜はもう一度交信を試みる。けれど、どうしてか無反応だった。

 しかし、煌夜の内からいなくなった感はない。


「ほら見ろ、ヤンフィなんざいない!! いるならサッサと出てくるはずだろ――劣悪種は嘘つきな上に、とんだ妄想野郎だ――――ヒッ!?」


 沈黙して一向に変化のない煌夜に、ウールーは口汚く罵る。だがその直後、怒りの形相は一転、顔面蒼白になって短く悲鳴を漏らした。その視線は煌夜の背後に向いている。

 ふと振り返ると、冷めた瞳でウールーを見るヤンフィの姿があった。


「――妾は別段どう貶されようと構わぬが、存在を否定された挙句、コウヤまでも罵られるのは我慢ならぬのぅ。ウールーじゃったな? なれ、思いつく限りの陵辱の果てに、死ぬほどの恐怖を味わって見るか?」

「…………う、あ」


 ヤンフィは静かに、ウールーの眼前に迫り、ツーとその顎を撫で上げる。

 ウールーは勿論、傍らのアールーやオルドも、身動き一つ取れずに固まって、声にならない音を漏らしていた。


「どうじゃ? 妾はコウヤの妄想かのぅ? それとも特殊能力の類か?」


 ヤンフィは、嫌味な上司が部下をねちっこく責めるような言い草で、ウールーの全身を舐めるように見ながら言う。一方のウールーは、新入社員が社長の前で叱責を受けているように萎縮して、身体を震わせながら視線を彷徨わせていた。


「ヤンフィ様、もうそれくらいで許してやってにゃ。ウールーも充分反省したにゃ――」

「――タニアよ、汝も反省が足りぬのぅ。コウヤを困らせるのは構わぬが、事態を混乱させるのはいただけぬ。仕置きじゃ、少々魔力を搾り取らせてもらうぞ」


 ヤンフィのウールー虐めを、苦笑しながらたしなめるタニアだったが、次の瞬間、その矛先はタニアに向いた。

 ヤンフィの冷徹な瞳がタニアの全身を射抜く。タニアは身体を竦ませる。その刹那の硬直の隙を突いて、ヤンフィはタニアの背後にスタッと着地した。


「――顕現せよ、エルタニン」

「にゃにゃ――!?」


 ヤンフィの動きを目で追えたのはタニアだけだった。だがそのタニアは隙を突かれていて、反応できなかった。

 背後に現れたヤンフィは、宣言と同時に、その手にうねる剣を出現させると、音もなくそれをタニアの太腿に突き刺す。

 タニアは椅子から転げ落ちて逃げようともがくが、四つん這いのまますぐに動かなくなった。


「にゃにゃにゃにゃにゃ……ち、力が、抜ける、にゃぁ……この感覚は、嫌にゃぁ……助けて、にゃ」


 バタリと仰向けに倒れて、タニアはか細い声で煌夜に縋るように懇願する。その太腿に刺さった剣からは、緑色の光がドライアイスの煙の如く溢れており、一見すると幻想的な光景だった。

 しかし、当事者は文字通り必死だ。


「――なぁ、ヤンフィ、そんなとこで許してやれよ。タニアも悪気はないんだしさ。それに、左手がないのはなんか違和感だから、戻して下さい」


 タニアの懇願を聞いて、煌夜は苦笑しながら、ヤンフィにお願いする。凄まじい勢いで衰弱していくタニアは、可哀想というよりも哀れだった。その姿は、助けてあげよう、ではなく、もう許してやろう、という気持ちになる。

 ちなみに、エルタニンが顕現するが否や、煌夜の左腕は消えており、今の煌夜は隻腕になっている。結構、それは違和感だった。

 ヤンフィは、そうさのぅ、とオルド、アールー、ウールーの順で一瞥して、何やら残念そうに首を振る。そして、目にも留まらぬ速さで剣を抜いたかと思うと、身体を光の粒子に変えて、煌夜の中に消えていった。


(コウヤ、しばらく喋らせてもらうぞ?)

(あ、ああ……別にいいけど……お、痛みが消えた)


 ヤンフィが消えたことでポカンとなる一同を横目に、煌夜は先程まで感じていた倦怠感と激痛が消えたことに喜ぶ。


(……タニアの魔力を奪ったおかげじゃ。とりあえず、妾の本体顕現分とコウヤの肉体維持分は確保したわ。あまりやりとうなかったが、この際じゃ、仕方あるまい)


 ヤンフィは脳内でそう言って、煌夜の身体で喋り始めた。もはや慣れた感覚で、煌夜はヤンフィの喋るに任せる。


「さて、妾は汝らの前に出るつもりなどなかったが……話が一向に進まぬのでな、仕方なしに出てやったわ。これで、汝らの好奇心は満足できたかのぅ?」


 ヤンフィは嫌味ったらしく流し目で言って、怯えた表情で直立不動になっているウールーを見る。

 ビクンと身体を痙攣させて、ウールーは涙目でオルドに助けを求めていた。完全に弱い者いじめである。


「大変、申し訳御座いません、ヤンフィ様。妹が度々失礼なことを――」

「汝――オルド、だったかのぅ。いったい誰の許可を得て口を開いておる?」

「――あ……う……」


 ウールーに助けを求められたオルドが、すかさず九十度のお辞儀と共に謝罪するが、それをヤンフィは至極冷たい声音でバッサリ切った。

 煌夜の身体でそんな声が出るのか、と本人が驚くほど無機質で冷徹な声だった。

 オルドは息を飲んで、そのまま押し黙る。


「覚えておけ。妾は魔王属で、先ほど汝らが好き勝手云うておった通り、人類の敵じゃ。さすがに今や、滅ぼそうとまでは思わぬが、それでも人類には憎しみの念しか持っておらぬ。特に獣族には、嫌な思い出しかない。妾は汝らと馴れ合うつもりは全くない。妾の機嫌を損ねんよう、少し気をつけて発言せよ」


 ハッキリとした拒絶の意思を、ヤンフィはオルドに叩きつけた。それはどこか、八つ当たりをしている風にも感じる。

 なんでそんな苛立ってんだよ、と煌夜はヤンフィに心の中で問い掛ける。


(……フッ、何、ただの嫉妬じゃよ。気にするでない。それにこれくらいせんと、アールーは兎も角、ウールーは学習せんぞ?)


 ヤンフィは心の中で寂しそうに笑って、スッと視線をタニアに向ける。


「タニアよ。これに懲りたら、面倒ごとは極力起こすでないぞ。もし起こしたら、また魔力を限界まで奪わせてもらうぞ?」

「……わ、わかったにゃ、ボス……うぅ、この魔力枯渇の感覚は、慣れにゃいにゃ……」


 タニアは青い顔をして、床の上で寝転がる。大の字になったノックダウンの姿勢で、顔は煌夜に向けている。


「さて、では改めて話を続けよう。コウヤのここまでの軌跡は既に理解したじゃろう? 次は、今後の話じゃ」


 ヤンフィはそう言うと、カウンターの上の空のコップをトンと叩いて、チラリと正面のアールーを見やる。途端に、アールーは慌てて、コップに水を注ぐ。

 その様は、まさにどこぞの女王様である。偉そうな上に、随分と堂に入っている。


「タニアよ。コウヤの目的は、この童たちを見つけることじゃ。とりあえず、見覚えがないか確認せい」


 ヤンフィはそんな風に言いながら空中に緑色の光――魔力を漂わせる。

 すると魔力の粒子は紙のように形を変えて、一瞬後に、写真にしか思えない三枚の絵が現れる。そこに映るのは紛れもなく、竜也、虎太朗、サラの顔だった。


「……ボスは、記憶紙も操れるにゃ?」

「無駄口はよせ。で、見覚えはあるかのぅ?」


 ヤンフィはその写真のような紙を寝転がるタニアに見せる。

 タニアは難しい顔で目を細めながら三人の顔をジッと眺めたが、すぐに首を振って、知らにゃい、と言いながらパタリと天井を仰いだ。


「――汝らは、見覚えがないかのぅ?」


 そう言って、次はカウンターの上にその紙を置く。

 怯えた様子のアールー、ウールーは、恐る恐るとその紙を覗き見て、やはり首を振って知らないと答えた。続いてオルドもじっくりと観察するが、頭を左右に動かした。


「そうか……まぁ、そうじゃろうなぁ。であれば、良い」

「なんか手掛かり、とかあるのかにゃ? いつ、どこに転移した、とか……」

「まったく情報はないのぅ。異世界人の子供、と言うことだけじゃ」

「……それじゃ、お手上げにゃ。不可能に等しいにゃ」


 タニアの当然の疑問に、ヤンフィは即答する。するとその結論も当然ながら、ヤンフィが夢で語ったのと同じように、不可能だと断言された。

 それを聞いて、煌夜はかなり悔しい気持ちになる。


「ふむ……不可能なことは承知しておる。じゃから当面は、この記憶紙を各地の冒険者ギルドに配るだけじゃ――となるとやはり、目下のところは仲間探しかのぅ」

「…………仲間? どうしてにゃ?」


 唐突に仲間を探すと言い出すヤンフィに、タニアが驚いた表情で喰い付いた。

 あちしじゃ駄目にゃのか、とタニアは身体を起こして、ヤンフィに勢いよく問い掛ける。


「タニアよ。汝は確かに強いが、コウヤの護衛が汝一人と云うのは心許ない」

「にゃにゃにゃ!? あちしは、一国の軍を敵に回しても負けにゃいにゃ! あちしのにゃにが心許にゃい……」

「――汝はトラブルを呼び寄せる体質じゃ、自覚せよ」


 タニアは必死の形相で抗議したが、しかしピシャリと遮られる。そして、その台詞に反論出来ず、押し黙った。


「タニアよ。コウヤの身体は、汝のおかげで半死半生の満身創痍じゃ。次に汝の戦闘に巻き込まれた場合、死ぬ危険性がある。じゃから、汝以外にもコウヤを護る存在が必要なのじゃ。それに先に説明したが、コウヤの目的は童探しでもある。人手は多いに越した事はない」


 ヤンフィはそう言うと、オルドたちに視線を向ける。


「――とは云え、足手纏いは不要じゃ。オルドのような身の回りの雑事専門の使い捨ての楯では、意味がない。妾の欲する仲間の条件としては、コウヤに反抗心を持たず、コウヤの身体を護れる強き者じゃ。じゃから、奴隷でも購入しようかと検討しておる」


 見下すような冷たい視線をオルドに向けてから、ヤンフィは半身を起こしたタニアに告げる。タニアはバツが悪そうに視線を泳がせた。

 ふと見れば、オルドは泣きそうな顔で、アールーとウールーは悔しそうにしている。


(……使い捨ての楯とか、ちょっと言い過ぎじゃないのか?)

(相変わらずコウヤは優しく、甘いのぅ。こう云うのはのぅ、事前にキッパリ云うておいたほうが良い。おそらく此奴らは、状況によっては、無理を云うても着いて来ようとする気質の輩じゃ。もしそうなった場合、今の妾にはコウヤ以外を護る余裕はない)

(……はぁ、さいですか)


 馴れ合わない、と言っていた先ほどの悪態とは百八十度違うその考えに、煌夜はヤンフィの優しさを感じた。


「そう云う訳で、じゃ……とりあえず今日の予定として、冒険者ギルドに案内せよ。それから、奴隷市場じゃな」


 ヤンフィはタニアに言ってから、ふと煌夜の身体を見下ろす。そして、直肌に黒ジャケットというロックでパンクな格好に眉根を寄せてから、顔を上げてオルドに声を掛ける。


「……オルドよ。汝、服を数着仕立てられぬかのぅ? この格好では、些か恥ずかしい上に、防御力が低い」


 オルドはビクッと震えて、は、はい、と素っ頓狂な声を上げながら背筋を伸ばした。そんな所作に、ヤンフィはカラカラと笑う。


「――そう怯えるな、オルド。馴れ合わぬとは云うたが、険悪な関係を好しとは思わぬ。妾は別段、汝らと敵対したい訳ではない」

「は……はい、申し訳ありません……」

「じゃが、不必要な謝罪は不愉快じゃぞ? 先の発言においても、姉の立場であれば当然と思うているのやも知れぬが、汝が謝るのは筋違いじゃ――のぅ、そうじゃろう? アールー、ウールー?」


 ヤンフィは薄笑いを浮かべた流し目で、直立不動のアールーとウールーを一瞥する。オルドもその言葉で、いっそう泣きそうな表情になり、二人の妹に視線を向ける。


「あ……う……ご、ごめんなさい。わたし、言い過ぎました……」

「も、申し訳ありません……アールーも、反省しています……コウヤ様の話を、信じられず、暴言を……」


 注目を浴びた二人は、小さい身体をより縮こまらせて、ヤンフィに深くお辞儀をした。

 ヤンフィはそれを見て満足げに頷き、ツイと右の掌を二人の前に突き出す。


「――頭を下げるくらい、誰にでも出来るわ。その程度で許しを得られるほど、妾の怒りは安くはないぞ? 服従を誓うのじゃ……ほれ、何をすれば良いのか、分かるじゃろぅ?」


 煌夜はその態度に、ヤンフィの底意地の悪さを嫌と言うほど痛感した。

 ここまで怯えて、もはや反抗の意思など皆無の子供たちに、なおも服従を強いるこの性根――完全に弱い者虐め、なんともサディスティックな嗜好である。呆れてモノが言えない。

 アールーとウールーは恐怖で染まった瞳をいっぱいに見開いて、しかしすぐさま仕方ないと頷いていた。そして、互いに目配せすると、アールーから先に、差し出されている煌夜の右手に顔を近づけて、その指先をチロリと舐める。

 くすぐったい感触が煌夜に伝わる。なんとも照れ臭い光景だが、煌夜は我慢して成り行きを見守った。


「ふむ……これで、汝らはコウヤに服従したのも同じじゃ。逆らうでないぞ?」

「「…………はい」」


 アールー、ウールーは同時に力なく頷き、オルドの背中に隠れるように、さりげなくカウンターの奥に引っ込んだ。

 ヤンフィは、改めてオルドに向き直って、もう一度同じ台詞を繰り返す。


「のぅ、オルドよ。服を数着、仕立てて欲しいのじゃが……汝は、裁縫は出来るかのぅ?」

「あの、衣服や防具の類でしたら、わたくしよりも……」

「――せ、僭越ながら、ヤンフィ様。服の仕立てでしたら、その……アールーがやらせて頂きます」


 オルドは申し訳なさそうにアールーに目をやると、アールーがおどおどした態度で挙手をする。それを聞いたヤンフィは、ほぅ、と感嘆の声を上げてから、アールーにペコリと頭を下げた。


「それではアールー、汝に頼ろう。何卒宜しくお願いする。服の委細は問わぬが、冒険者として不自然でない衣装を頼む。それと出来る限り軽い素材で、着脱し易く、動き易い防具も用意して欲しい。ただし、手甲と兜、楯は要らぬ」

「あ……え、ええと……はい、かしこまりました。んと、衣服は指定なし。防具は……その、失礼ながら、予算はいかほどですか?」

「どれくらいじゃ、タニア?」


 アールーが上目遣いで恐れ多そうに訊ねると、ヤンフィは当然の顔をして、タニアに話を振った。しかしさすがに、いきなり振られたタニアはキョトンとした表情である。


「は――え? あ、ああ。姫様がお支払いして下さる感じですか?」

「にゃにゃにゃ? え? そうにゃのかにゃ?」

「そうじゃ。それが、昨日の仕置きじゃ。で、どれくらいの予算を持っておるのじゃ?」


 ヤンフィは平然とそうのたまい、タニアに有無を言わせない。

 タニアは、どこか腑に落ちない表情を浮かべているが、ヤンフィがもう一度、どれくらい出せるのか、と重ねて問えば、もはや反論はせず腕を組んで真剣に考え始めた。

 この一連のやり取りを見て、煌夜は恐怖する。

 ヤンフィの理不尽な強引さが、あまりに自然で恐ろしかった。さりげなく、全ての物事はヤンフィが中心である。

 他人の気持ちや事情など関係なく、ヤンフィは己の意思を貫き通していた。とはいえ、ヤンフィは煌夜を第一に考えてくれているので、それに対して文句などあろうはずはなかった。


「……今の手持ちは、テオゴニア銀紙幣二十五枚に、鉄紙幣七枚、アドニス銀貨五枚にゃ。ちょっとした小金持ちにゃけど……」

「ふむ、それではアールーよ。銀紙幣二十四枚程度で、胸部と腰部、足部を護れる防具を見繕ってくれ。くれぐれも手甲と兜、楯は不要じゃ」

「…………にゃあ、ボス。残りの路銀が、銀紙幣一枚とにゃると、二人旅でも、だいぶ厳しい気がするにゃ……」

「高額の討伐依頼をこなせば良かろう。場合によっては、妾も手伝ってやろう」


 平然とタニアに言い放つヤンフィだが、タニアは口をへの字にして難しい顔を浮べている。煌夜はこの世界のモノの相場と、そもそもの貨幣価値が分からない為、その発言の妥当性がまったく検証できなかった。だがそれでも、タニアの顔立ちと、アワアワと困った様子のアールーから、銀紙幣二十四枚というのが決して安くはないだろうことだけは理解できた。

 貨幣の種類と価値を、後でヤンフィに聞いてみようと、さりげなく煌夜は心に決める。


「……で、では、姫様。その……防具と衣服をまとめて、銀紙幣二十四枚の予算で用意致しますが……宜しいですね?」

「――無論じゃ。確認するまでもない。のぅ、タニア?」


 アールーが、難しい顔のまま沈黙しているタニアに最終確認をすると、タニアではなくヤンフィが即答する。

 ヤンフィはそのまま視線をタニアに向けて、見下すように睨み付ける。


「…………分かったにゃ。路銀は、にゃんとかするにゃ……それでいいにゃ」

「よし、それではこれで話は終わりじゃ。そろそろ動き出すぞ、タニアよ――ああ、アールーよ。衣服はどのくらいで出来上がるかのぅ?」


 タニアの承諾を得た瞬間、ヤンフィは笑顔で頷いて、席から立ち上がる。

 アールーはヤンフィの台詞に、しばし悩ましげな表情を浮べてから、指を三本立てる。


「……えと、三日ほど頂ければ……」

「ふむ――明日の十五時までに、最低でも一着は用意せよ。それ以上待たせるならば、支払いは半額にしてもらおう」

「…………うぅ……は、はい……かしこまりました」


 おいおいおい、と煌夜は思わず心の中でツッコミを入れる。それはあまりにも横暴だろう。

 けれどヤンフィはなんとも思っていない様子で、煌夜の顔で、よし、と頷いて、もはや用事は済んだとばかりに、宿屋の入り口へと歩いていく。

 タニアも遅れて立ち上がり、ふらつく足取りで後を付いてくる。


「あ、そういえば――ヤンフィ様、タニア様。本日は、冒険者ギルドには近付かないほうが宜しいかと、存じます。何やら、昨日の大火災の責任の所在と被害状況の確認で、珍しく城主様がギルドにお越しになっているようです。タニア様は、見つかると厄介かと存じます」


 宿屋を出ようとしたその時、タニアとヤンフィの背中に、オルドがそう進言してくる。その台詞を聞いて、タニアは、にゃぁ、と困った表情になると、ヤンフィに上目遣いをしながら頭を下げる。


「……ボス。あちしは城主から賞金を懸けられてるにゃ……にゃので、出来れば冒険者ギルドは、後日にして頂けにゃいかにゃ?」

「そうか――ふむ。まぁ、よかろう。それでは、奴隷市場に案内せよ」

「かしこまりましたにゃ」


 タニアは恭しく頭を下げて、店内のオルドとアールー、ウールーに、行って来るにゃ、と手を振った。そして、街の通りを南に向かって歩き出す。

 ヤンフィはタニアのその背中を見送ると、いきなり煌夜に身体の支配を返してきた。一瞬、ガクッと足が崩れそうになる。


(……い、いきなりどうした? 大丈夫か?)

(ふむ……大丈夫、ではある。なぁに、少々調子に乗って魔力を消費し過ぎただけじゃ。とりあえず妾は、またコウヤの中でしばらく休ませてもらおうかのぅ。じゃが、何かあったらすぐに声を掛けよ。一応、妾はコウヤと感覚を共有しておるので、何があっても状況は把握できるが……コウヤの気持ちまでは、把握できぬからな)

(あ、ああ、そっか。分かった――ありがとうな)


 礼など不要じゃ、という台詞が頭に浮かんで、そのままヤンフィの声は聞こえなくなった。

 煌夜はサッと宿屋の中を振り返って、一瞬怯えた表情を浮べた三姉妹に、九十度のお辞儀をする。


「ヤンフィがお騒がせして申し訳ない! いろいろ世話をしてくれてありがとう。また戻ってくると思うけど、その際はよろしくお願いします――それでは、行ってきます」


 ニコッと笑顔を見せてから、煌夜は足早にタニアの背中を追った。

 さて、とりあえず、当面の向かう先は奴隷市場である。仲間を見つける為とはいえ、決して行きたい目的地ではなかったが、この世界の実情を知る良い機会だろう。

 どこか一抹の不安を感じながらも、煌夜は雲ひとつない青空の下、迷いなく歩き出した。


※後書きを変更履歴にします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ