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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
外伝 タニア・ガルム・ラタトニア
12/113

閑話Ⅰ タニア、同郷を憐れむ

タニア編 外伝其の壱

煌夜と遭遇する少しだけ前の話

 聖王国テラ・セケルの【王都セイクリッド】を出てから、四色の月一巡。

 タニアは気付けば、世界の果てに最も近いと噂されている街――【城塞都市アベリン】に辿り着いていた。

 国境を越えること二回、故郷【獣王国ラタトニア】の都からは、ここまでおよそ三千キロはあろう。ずいぶんと遠くに来たものだ。


「でっかいにゃぁ――」


 タニアは、アベリンの巨大な外壁を見上げて感慨深く呟いた。

 特に目的もなく世界を巡って、早三年――とうとう、こんなところまで流れ着いてしまった。この世界も存外狭いのかな、とタニアはつまらなそうに溜息を漏らす。


 外壁伝いに歩いて、街の外に向かって開かれた巨大な西門を通り抜けた。


「ん? ガルム族か……ほう、いいねぇ、いいねぇ。お前、旅人か? 標準語テオゴニアラングは喋れるか? どこから来た?」

「――西にゃ。旅人じゃにゃくて、冒険者にゃ。ここは、通行証は必要かにゃ?」

「いや、不要だ。ほうほう、冒険者、ねぇ」


 ふと、タニアが西門をくぐった時、門脇で立っている門番が、物珍しげな視線で話しかけてくる。タニアはその視線を不快に感じながらも、淡々と受け答えした。

 途端、門番はニヤニヤと好色そうな笑みを浮かべながら、タニアの胸元と顔、そして全身を舐めるように見てくる。

 欲情している――タニアはすぐさまそれを看破するが、自身の魅力ならむしろ当然と、胸を強調してみせた。

 門番は見るからに、馬鹿そうな人族である。【鑑定の魔眼】で見ても、魔力量が少ない雑魚臭丸出しの屑野郎だった。

 こういう手合いは、獣族を一括りに馬鹿で粗野な種族と見ている。そんな奴には、御望み通り馬鹿っぽく振る舞っておいたほうが、いざという時に油断を誘えるだろう。

 タニアは媚を売るように上目遣いになり、潤ませた瞳で首を傾げながら門番に問う。


「にゃぁ、ここの冒険者ギルドって、どこにあるかにゃ?」

「――ギルドは、その路地を抜けた先の中央通りを歩いてれば見付かるぜ」

「にゃ。ありがとにゃ」


 口だけで感謝の言葉を吐いて、タニアはすぐ門番に背を向けて歩き出す。その背中に、門番は下卑た笑いと質問を投げる。


「なぁ、お前……この街での獣族の扱われ方、知ってるか?」

「知らにゃいにゃ」

「くくっ……じゃあ、せいぜい気をつけな。この街は獣族には優しくねぇぜ。特に、奴隷商人があちこちで目を光らせてるからなぁ、油断してると奴隷に堕とされるぜ。ま、なったらなったで、俺が飼ってやるがな」


 その台詞を聞いて、タニアはこの門番が何を言っているのか理解する。

 理解して、その不愉快さから問答無用に殺したくなったが、グッと堪えた。周囲の視線がある日中のうちは、とりあえず無視しておいたほうが無難である。

 下手に騒ぎを起こすと、食事が出来なくなる可能性がある。タニアは今、長旅で空腹だった。

 ちなみに、門番の台詞と態度から察するに、この街は獣族を人として見ていないようだ。おそらく獣族には人権を認めず、捕まえた人間がその所有権を主張できる仕組みになっているのだろう。公然と獣族専門の奴隷商人が跋扈している可能性もある。

 さして珍しくはない話だが、まったく胸糞悪いことである。


 タニアは不愉快そうに眉を顰めたまま、立ち止まらずにその場を去って行った。


「にゃにゃ――これは、広いにゃ。王都にも負けてにゃいにゃ」


 やがてタニアは、狭い裏路地をいくつか抜けて、大きな中央通りに出てきた。ようやくにゃ、と疲れた様子で息を吐く。

 ここまで来るのに、小一時間も掛かってしまっていた。

 途中で何度か、奴隷商人の手先と思しき柄の悪い人族に絡まれたせいである。無論、そいつらは問答無用にぶっ飛ばしたが、おかげでだいぶ時間を無駄にした。

 空腹がそろそろ限界を訴えている。


 その中央通りは盛況で、道には人が溢れていた。

 その中を、タニアは泰然とした顔で歩く。すれ違う人族の誰もが、タニアの扇情的なへそだしスタイルとその美貌に魅了されて振り返っている。

 そんな視線を当然と受け止めつつ、辺りを眺めて冒険者ギルドの看板を探す。


 真っ直ぐと延びた中央通りには、さまざまな露天が軒を連ねており、多くの専門店が賑わいを見せていた。その活気は王都セイクリッドにも劣らないだろう。また、中央通りの先には、アベリンの代名詞とも言える厳かな城塞が見えていた。

 タニアはキョロキョロとギルドを探しながら、同時に耳を澄ませて、周囲の会話にも注意を払っていた。この街は、さまざまな言語が聞こえてくる。

 テオゴニアのほとんどの人間が使う標準語(テオゴニアラング)だけではなく、地方なまりが強い西方語ウエストラングや、世界一美しい言葉と言われる東方語イーストラング。またその中には、か細い声だったが、久しく口にしていない獣人語(ガルムラング)も聞こえてきた。

 ここまで多様な人間がいるのに、獣族が差別されていると言うのが、タニアには不思議でならなかった。


 そうしてしばし歩いて、中央通りから分岐した北に向かう路地を進んだ先に、四階建ての大きな建物が姿を現す。

 案内看板によると、ここが目的地、アベリンの冒険者ギルドのようだった。


 タニアは入り口の両開きの扉にある貼り紙を眺める。それは、このギルドに所属する高ランク冒険者の一覧である。

 一覧には、冒険者ランクA、三人の名前が、最高ランクとして記載されていた。


「…………ショボイにゃ」


 タニアはその一覧を見て、かなり落胆した。

 冒険者ランクは、冒険者ギルドに登録した人間の中で、その優秀さを示す基準である。

 七段階評価の資格制であり、登録すれば誰でも最初は【E】の資格を授与される。そして、依頼達成率や攻略した依頼の難易度により、【D】~【SS】の資格を授与される。

 ちなみに、ランクの更新は冒険者ギルドの総本山に申請をしなければならない為、実力があっても更新しない人間もいる。タニアがその典型だ。

 手続きが面倒という理由で、ランクの更新はしていない。だから、三年も冒険者を続けていて、未だにランクEである。

 ところで、高ランクの人間を輩出したギルドは、優秀なギルドと認められる為、多くのギルドが、所属する高ランクの冒険者たちのランクと名前を、入り口に貼って分かるようにしている。


 タニアは肩を落としたまま、扉を開けてギルドに入る。

 ギルドの中は、外観通りに広かった。一階には受付と、申請書類を書く用の机、受付待ちの長椅子が幾つも並び、隅のほうには魔術関連の書物が収められた棚が置いてある。

 二階からは、楽しげな声と香ばしい匂いが漂ってくるので、おそらくは待合場所と食事処になっているのだろう。

 ギルド内の案内看板を見ると、依頼案件の掲示板は三階らしい。


「にゃんと! 受付が種族別にゃ……」


 さて受付はどこにゃ、とタニアが視線を泳がせると、天井から吊るされた【獣族用】【人族用】【その他種族用】と書かれた看板を目にして、思わず驚愕した。

 ここまで徹底して獣族を蔑視している街は、今までで初めてである。

 だが、驚愕はしたが、タニアはそれを深く気にせず【獣族用】の受付に向かった。


「いらっしゃい――おうおう、アンタ、スゲェ美人だな」

「そりゃあ、どうもにゃ」


 獣族用の受付にいたのは、頬に一文字の傷がある熊のような体躯をした男だった。

 見た目は四十代、鑑定で見ても、四十五歳と表示している。冒険者としては油の乗った年齢だろう。名前はギャレッツ・ディン――入り口にあった高ランク冒険者の一人だった。

 このギルドで、数少ないランクAである。


「おうおう、で? 別嬪の嬢ちゃんよ、んな盗賊みたいに変な格好で、今日はいったい何の用だ? ここは冒険者ギルドだぜ?」


 ギャレッツは、鉄の義手をこれ見よがしにドンとカウンターに置いて、半身を乗り出して凄んでくる。タニアは盗賊と言われて、チラと自分の格好を見下ろす。

 脛まで防御するロングブーツに、革製のホットパンツ、胸部のみを覆い隠す黒いベスト。

 腕には銀の手甲、拳を保護する鉄板入りの指貫手袋をして、武器は見る限り持っていない。荷物は大きめのリュックサックだけ――確かに、獣族でこれほどの軽装であれば、盗賊に見えてもおかしくはない。

 獣族は、その屈強な体躯と腕力を活かして、ほとんどが重装備をしている。その常識からすると、タニアの格好は変に違いない。

 しかし、タニアはギャレッツの疑問に応えることなく、明らかな蔑みの視線も気にせず、話を切り出す。


「にゃ、あちしは冒険者にゃ。当分の間、この街に滞在する予定にゃので、街の地図と食事券、それと宿屋券が欲しいにゃ」

「ブッ――冒険者? そんな格好で? てめぇ、馬鹿にしてんのか? んじゃあ、資格証を見せろよ」


 ギャレッツは思い切り吹き出してから、怪訝な表情でタニアを睨み付ける。不愉快極まりないが、ここで騒ぎを起こしても食事にはありつけない。

 タニアはとりあえず我慢して、右手の手甲を外す。そして、手甲の下に隠れていた腕輪を見せた。腕輪の表面には、資格証の宝石がはめてあった。

 冒険者の資格証は平たい宝石になっており、そこに魔力を注ぎ込むことで、表面に文字が現れる構造をしている。

 現れる文字は、現在のタニアのランク――つまり【E】が表示された。


「これにゃ……」

「ブハハハハハハッ!! これ、ってランクEかよ! てめぇ、登録だけした冒険者か! ああ、そうだな、そんでも冒険者には違いねぇか……けどランクEじゃ、食事券も宿屋券も渡せねぇなぁ――うちのギルドはランクD以上じゃないと食事券も宿屋券も渡してねぇ。ましてや、獣族ならランクB以上じゃなきゃ、駄目だ」


 タニアのランクを確認した途端、ギャレッツは腹を抱えて大爆笑する。その笑い声はギルド内に響き渡り、何事か、と二階から何人かの冒険者が下りてくるほどだった。

 タニアはだいぶ苛立ったが、それもグッと堪えて、冷静に反論した。


「……あちしは、四色の月三巡の間に、何度か依頼を達成してるにゃ。冒険者ギルドの制定では『四色の月が三巡する間に、一つの依頼も達成できない者は、その資格を失う』と、あるにゃ。それに『一度以上依頼を受注し、達成した実績ある者は、そのランクに寄らず、ギルド指定の食事処と宿泊施設を利用する権利がある』――はずにゃ」

「ブハハハハハハハ――ッ! お前、ずいぶん博識だなぁ……で? だからなんだ? ああん? 獣族風情が何を言ってやがる。そりゃあ、それが冒険者ギルド全体の決まりだろうな。だが、ここにはここの決まりがあるんだよ」


 タニアがギルド規則をスラスラそらんじると、ギャレッツはいっそう大爆笑してから、ダンと義手でカウンターを叩いた。その威力に、カウンターにはひびが入る。


「ここのギルドではな。てめぇみたいな獣族で、しかもランクEの奴には、何も提供しねぇ。それが納得いかねぇなら、この街を出て行けや――おい、こいつをつまみ出せ」


 ギャレッツは集まってきた冒険者たちに顔を向けて、タニアを指差しながら叫んだ。するとそれに従って、冒険者たちはタニアを拘束しようと取り囲んでくる。

 この無礼極まる態度に、穏便に済ませてやろうと我慢していたタニアの堪忍袋の緒が切れる。

 タニアは無言でスッと身体を引いた。右の拳を握り締めて、そこに膨大な魔力を込める。そしてその拳を肩の高さに上げて、弓を引くような姿勢で魔力を引き絞った。

 その魔力量は、一撃で建物を全壊しかねないほどだ。

 これは【魔槍窮(まそうきゅう)】と呼ばれる奥義である。

 魔力による槍のような刺突で、威力は聖級魔術と同格かそれ以上を誇り、対象円範囲を貫いて爆発させる技だった。

 一度放たれれば、矢の如く真っ直ぐと飛び、射程距離の全てを弾けさせる。破壊の規模はそもそも対人ではなく、攻城魔術である。

 タニアはそれを何の躊躇もなく、ギャレッツの顔面目掛けて放とうとした。


「若い、若い――そういきり立つな、ギャレッツよ。よくよく見れば、随分と可愛らしいお嬢さんじゃないか。ここで、追い出すのはもったいないぞ」


 その時、まさにタニアが死の一撃を解き放とうとした瞬間、ギルドの二階から初老の男が顔を見せる。その老人は、見た目より若く張りのある声でその場の全員を手で制して、ゆっくりと階段を下りてきた。

 しかし、タニアはそんな声で止まるほど甘くはない。

 老人の声を聞き流して、引き絞った右手を突き出す――寸前で、別の息を呑む声で、その動きを止めた。


「まさか――タニア、様、ですか?」


 それは聞き慣れた獣人語だった。

 タニアは不意に自分の名を呼んだ誰かに顔を向ける。そこには、四つん這いで首輪を付けられているガルム族の少女がいた。

 その少女は裸同然で、かろうじて胸が隠れる程度の薄汚い肌着しか身につけておらず、いたるところに暴行の痕が見受けられる。しかも片耳と尻尾は千切られていた。

 顔立ちはまだ幼く、パッチリした瞳が魅力的な、可愛らしい少女だ。鑑定で見ると歳は十五、背はタニアと同じくらい高そうである。

 彼女は明らかに、奴隷の身分だった。


「――どうして、あちしを知ってるにゃ?」


 タニアは、獣人語で問い返す。同時に、とりあえず魔槍窮の構えを解いて魔力を霧散させた。この場の全員は、殺す気になればいつでも殺せる。一旦、少女の話を聞いてみようと考えた。

 奴隷の少女は、名前をオルドと言うようだ。しかし、タニアにはその名前に心当たりはなかった。

 オルドは、隣に立っている偉そうな老人に小声で何か伺いを立てている。老人は下卑た笑みのまま頷く。何がしか許可を貰ったようだ。

 オルドは這い蹲ったまま、タニアの前にやってきて、拝むように手を合わせてから話し出した。


「あ、あの……わたくしは、オルドと申します。首都ラタトニアに、五年前まで住んでおりました。その際、タニア様のお姿を遠目に何度か拝見させて頂いて――」


 オルドの言葉にタニアはすぐさま納得する。

 タニアが国を追い出されたのは三年前だ。オルドがタニアを知っていてもおかしくはない。これでも、タニアはガルム族の元王女である。首都の住民で知らぬ者はいないほどの有名人だ。


「にゃるほど……それで、オルド、お前、性奴隷にゃ? それとも、娼婦かにゃ?」

「……性奴隷でございます」

「にゃら、にゃんで命を賭けて反抗しにゃいにゃ? 獣族の誇りである尻尾と耳をそんにゃにされて、にゃんで死を選ばにゃいにゃ?」


 タニアの問いに、オルドは俯いた。

 タニアはサッと周囲を見渡し、集まった冒険者たちの様子を窺う。会話の内容を理解している人間は誰も居ないようだった。


「……ここの連中は、獣人語が喋れにゃいのかにゃ?」

「はい、喋れません。だから、何を喋っていても周りには分かりません。この度は、タニア様をわたくしの知り合いだと偽らせて頂き、こうして話させて――」

「――おい、オルド。感動の再会はそれくらいでよかろう。儂に本題を話させておくれ」


 オルドが話しているのを遮って、老人が薄笑いを浮かべながらそう言った。タニアは不愉快そうな顔をして、老人を鑑定する。

 老人はゼペック・トーラス、六十七歳――見た目通りの歳だが、その鍛え上げられた肉体は、服装に隠されていても分かるほど逞しいものだった。身体中に漲る覇気は、二十代でも通じそうである。おそらくかなり強いのだろう。

 はてそういえば、道中で聞いた風の噂で、伝説の用心棒と言われていたランクSの冒険者が、確か同じ名前だった気がするが――まあ、そんなことどうでもいいか、とタニアは思考を切り替えて、ゼペックから視線を切った。

 オルドは怯えた表情を浮かべていた。


「あ、あの……タニア様……この方の挑発に、乗らないでください……」

「にゃ? それはどういうことにゃ?」


 視線を逸らして小声で呟いたオルドに、タニアは首を傾げる。すると、そんな二人のやり取りは無視して、ゼペックが不敵な笑みを浮かべた。


「なぁ、可愛らしいお嬢さん。キミは冒険者のようだが、この街に何をしに来たんだ?」

「――流れて来ただけにゃ。特段、用があるわけじゃにゃいにゃ。だから、当分は滞在する予定にゃ。街の地図と、食事券、宿屋券が欲しいにゃ」

「ふむふむ。なるほどな……だが残念ながら、この街ではランクEにはそれらが発行できない決まりなんだよ」


 ゼペックは言いながら、ニヤリと口角を吊り上げた。蓄えられた白い顎鬚を撫でながら、タニアの全身を嫌らしい目で見ている。


「ただ、キミは運が良い。儂が便宜を図ってやろう。その代わり、一つ依頼を受注して欲しいのだが、どうだろうか?」

「――意味が分からにゃいにゃ。にゃにを恩着せがましい……にゃけど、聞くだけ聞いてやるにゃ」

「うむうむ。依頼は簡単だよ、街の北側に巣食う魔族【アベリンワーム】を倒して欲しいというものだ」


 ゼペックはニヤニヤしながら、どうだろう、と問いかける。しかしそれを無視して、タニアは、俯いて震えているオルドに声を掛ける。


「オルド、にゃんで逆らわにゃい? 理由を言うにゃ」

「……キミ、すまないが儂らにわかる言葉で答えてくれないか?」

「――人質でも取られてるのかにゃ?」


 獣人語で続けるタニアに、ゼペックは怪訝な顔を浮かべて、傍らで四つん這いになっているオルドの千切れた尻尾を握り締める。

 オルドはビクンと全身をビクつかせて、懇願するように標準語で答えた。


「……はい、その通りです。ゼペック様のご提案を引き受けてくれれば、報酬も出ますし、この街での最低限の生活も保障してくれます」


 オルドはパッチリとした瞳を潤ませて、タニアにしっかりと頷いてみせる。それは、タニアの意図を汲んでいた。


「にゃるほど、人質か……それで、この依頼は罠にゃのか? たかだか魔族退治で、あちしをどうにか出来るとは思えにゃいけど……」

「あ、あの……妹のアールーとウールーは、ゼペック様のところで元気にしております。わたくしたちはアベリンワームに襲われたところを助けて頂き、こうして恩を返しております」


 タニアは獣人語で、オルドは標準語で、噛み合わない会話をする。だが、お互いその会話で何を伝えたいのか察していた。


「その……アベリンワームは討伐ランクDなので、倒せれば、この街の決まりのランクD以上を示せます。おそらく、タニアなら容易いと思いますよ。もし不安なら、頼りになる冒険者の方々もパーティを組んでくれますので……」


 オルドはゼペックの鋭い視線に恐縮しつつ、矢継ぎ早にそう告げる。タニアは悩む振りをして、なるほど、とオルドの状況を納得した。

 オルドはどうやら、アベリンワームという魔族に襲われた際に、妹たちを人質に取られて、性奴隷に堕とされたようだ。今もその人質がいるので、下手に逆らうことができないのだろう。

 さて、そこまで分かれば、ゼペックの狙いは、タニアも性奴隷に堕とすことで間違いないだろう。その為にアベリンワームに挑ませて、弱ったところで、奴隷契約を結ぶつもりなのだ。

 しかし、人質もないタニアが、果たしてそんな魔族如きに負けるのだろうか。タニアは疑問を口にする。


「アベリンワームって、あちし一人でも倒せるかにゃ?」


 それはゼペックに向かって、標準語での問い掛けだった。ゼペックは嬉しそうな笑顔で、力強く頷く。


「うむうむ。キミがどれくらいの実力者か知らんのでなんとも言えんが、討伐ランクDなら、さして強くはない。心細いなら――ほれ、ここにいる連中が手助けしてくれるぞ?」


 ゼペックはそう言って左右を見渡す。すると集まっている戦士たちが、我先にと手を挙げて、自己主張した。

 タニアはその連中を一瞥してから、俯いたオルドに顔を向けると、囁くような獣人語で問う。


「アベリンワームって、にゃんにゃのにゃ?」

「幻想種――魔貴族(アール)……ごほん」

「…………にゃるほどにゃ」


 タニアの独り言のような囁きに、オルドも呟くような獣人語で簡潔に答えた。タニアはそれを聞き、ようやくこの依頼がどれほど達成困難かを理解する。

 幻想種の魔貴族が相手ならば、ゼペックが自信満々に振舞っているのも納得できる。

 どこが討伐ランクDだろう――敵が幻想種であれば、最低でも討伐ランクA以上である。ましてやそれが、魔貴族ともなれば、討伐ランクは間違いなくSS、最高難度の討伐依頼となるはずだった。

 タニアはまだ魔貴族に遭遇したことはなかったが、その強さは噂で知っている。

 魔貴族は一般的に、天災に区分される存在だ。人の手には余り、決して手を出してはいけないとされる魔族である。魔貴族に挑むのならば、街一つ消滅させるだけの実力がなければ命の無駄遣いとさえ言われる。

 魔王の玉座に座る資格を持つ魔王属ロード――それに従属する存在として生まれたのが、魔貴族と呼ばれる魔族である。

 知恵があり、魔神語デモンラングと呼ばれる言語を喋り、一つ以上の特殊な異能を持つ存在だ。魔神語が話せれば交渉もできるそうだが、少なくともタニアは魔神語を話せない。

 そんな相手が討伐対象か、とタニアは内心でほくそ笑みながら、ゼペックには不安げな顔を見せた。


「……分かった、にゃ、その依頼受けるにゃ。ちょっと心細いけど、討伐ランクDにゃら、あちし一人で大丈夫にゃ」

「おお、おお、そうかそうか。そうと決まれば、早速契約を結ぼうか」


 タニアの返事に、周囲の戦士たちは皆、喜色満面の笑みを浮かべる。

 一方でオルドは、どうして、と絶望したような表情を浮かべている。しかしタニアは、そんなオルドにニコリと微笑んで見せた。


「おい、書類を用意しろ――ああ、ところで、キミは東方語の読み書きはできるかな?」

「――にゃに語にゃ?」

「ああ、大丈夫だ。オルド、お前が読んで差し上げろ」


 タニアはゼペックの質問にわざとトボける。その態度を見て、ゼペックは満足げに頷くと、オルドの剥き出しの尻を叩いた。

 ちなみにタニアは、東方語だろうと西方語だろうと、喋ることはもちろん読み書きも出来る。だが、この場でそれを言う必要はない。

 ゼペックが書類に罠を仕掛けるのは理解している。だから、あえてそれに乗っかるつもりだった。


「さて、これが依頼書だ。ここに記名してくれれば、契約は完了する。ここが罰則で、報酬は別紙で取り交わそう」


 ゼペックは東方語で書かれた書類をタニアに見せながら、必要最低限の説明だけする。

 タニアはわざとチンプンカンプンな表情を浮かべながら、チラッと全文を読破した。するとその内容は、想像以上に露骨だった。

 討伐依頼に嘘偽りはない。確かに、アベリンワーム討伐が達成条件で間違いない。だが書かれている罰則と条件が、あまりにも厳しい。

 罰則は、テオゴニア金紙幣五枚を即金で支払うか、依頼主と奴隷契約を結ぶかの二者択一。けれど、テオゴニア金紙幣五枚は、法外に過ぎる。ランクC冒険者の年収に匹敵する高額だ。払えるはずはない。

 となると実質、奴隷契約を結ぶの一択である。

 さらに罰則条件が、これまた酷い。

 依頼を諦めた場合が罰則。また一度の戦闘で討伐失敗した場合も罰則。逃亡等による契約反故、契約破棄についてはいかなる理由でも罰則。依頼を受注する際、通称や偽名等を用いて契約書類に虚偽の申告をした場合も罰則。

 要は、依頼を受注したら最後、達成する以外に罰則を回避する方法はなかった。

 タニアは、露骨な書類過ぎて思わず失笑しそうになる。けれどそれを堪えて、文字が読めない振りを装い、困った顔をオルドに向ける。

 するとオルドは、震える声で書類を読み上げた。しかし、その内容は当たり障りのない嘘の内容だ――だがまあ、文字の読めない振りをしているタニアは、その真偽を疑わずに、ただ納得して頷いた。


「問題ないだろう? 受注者の氏名は何語でも大丈夫だ。通称でも偽名でも結構だよ。どうかな?」

「分かったにゃ……これで、いいにゃ」


 タニアは促されるまま素直に標準語で実名を書いた。

 これで契約は成立して、ゼペックと周囲の冒険者たちはホクホク顔を浮かべている。彼らの内心は手に取るように分かる。これでタニアも奴隷に堕ちた、と油断しきっているのがハッキリと見て取れた。


「では、食事券と宿屋券の発行を――」

「――にゃぁ、一つ相談にゃんだけど、いいかにゃ?」

「……相談、とは何かね?」


 テキパキと書類を片付けたゼペックが、ギャレッツに向かって食事券を要求しようとした瞬間、その言葉を遮ってタニアは上目遣いに切り出す。


「達成した場合の報酬を交渉したいにゃ」


 タニアの言葉に、ゼペックはそんなことか、と不敵な笑みを浮かべる。

 指を鳴らして、傍らにいた若い冒険者から一枚の紙を受け取ると、それをタニアに見せた。


「報酬は、テオゴニア銀紙幣五枚を考えているが? 討伐ランクDなら、それが相場だろう。これがその書類なのだが――キミの希望は、いったい幾らなんだ?」

「――オルドと、妹たちの身柄が欲しいにゃ」


 タニアはズバリと言って、ビシッとオルドを指差す。

 途端、周囲の空気が凍り付いた。ゼペックも同様に一瞬硬直してから、しかしすぐに納得して、感心した風に息を吐く。


「なるほど、なるほど。オルドが懇願でもしたのか……だが、キミ。それは無理だ。討伐ランクDで、オルドたちの解放は釣り合わ――」

「――御託はいいにゃ。あちしがアベリンワームとやらを討伐したら、報酬はオルドたちにゃ」


 タニアの有無を言わせぬ台詞に、けれどゼペックは余裕の表情と嘲笑混じりで頷いた。


「……残念ながら、そう駄々をこねられても、無理なものは無理だ。それはいささか横暴――」

「オルドたちを報酬にしてくれたにゃら、依頼が失敗した時、あちしはにゃにをされても自殺しにゃいし、絶対服従すると誓うにゃ」

「――――ほぅ?」


 ゼペックの嘲りながらのあしらいは、タニアのその宣言で途切れた。

 周囲の冒険者たちもザワつき始める。ゼペックは一転して真剣な表情になり、顎鬚に手を当てて何やら思案してから、非常に嬉しそうになって拍手する。


「――素晴らしい。まっこと若い、若い。自己犠牲の精神、美しいなぁ。良し、ではそうしようか。達成報酬は、この肉便器と妹たちの解放。先払い報酬として、当面の宿泊施設利用と食事の利用を許可しよう。ああ、ただし、依頼期限は十日以内だ。どうだ?」

「それでいいにゃ」

「良し良し。ああ、ところで、もちろんその宣誓は、ガルム族の誇りに賭けて誓うのだよな?」

「そうにゃ、誓うにゃ」

「――ククク、素晴らしい。良い買い物をした。ちょうど、新しい玩具が欲しかったのだ。助かったぞ」

「おい、ちゃんとそれを書類に書けにゃ。当然、標準語でにゃ」

「ああ――今すぐ書き直そう」


 ゼペックは若い冒険者に報酬の紙を渡して、その場で直接書き直させる。

 報酬内容はタニアの要望通りに、オルド・ガルム、アールー・ガルム、ウールー・ガルムの三名を、奴隷の身分から解放することに変更された。そこにゼペックは直筆で記名する。

 タニアは満足げに頷き、その報酬内容の書かれた契約書類を受け取る。


「ククク。それじゃあ、儂らはこれで帰るとしよう……ああ、そうそう。アベリンワームに挑戦する際には、ちゃんと儂らに連絡してからにしてくれたまえよ? 逃げるのは無しだ」

「誰が逃げるにゃ。ちゃんと三日後の早朝に来るにゃ――それまで、オルドたちにあんまり酷いことはするにゃよ?」

「若い、若い。青臭すぎるなぁ。まぁ、せいぜい最後の十日間を楽しむが良い……行くぞ、オルド」


 ゼペックはそんな捨て台詞を吐いて、取り巻きたちと共にギルドを出て行く。オルドは最後までタニアに悲痛な表情を浮かべていたが、それも数日の辛抱だ、とタニアは笑顔で見送った。

 そうしてあっという間に、ギルドにはまた人がいなくなった。


「……おうおう、お嬢ちゃん。これが街の地図だ。んで、これが食事券と宿屋券。指定宿屋は、この街の東地区と南の貧民街にある――東地区よりは、南の貧民街のほうが、獣族への風当たりは弱いだろうな」


 ふと静かになったギルドに、ギャレッツの説明が聞こえてきた。見れば受付には、律儀に食事券と地図、宿屋券が用意されている。ちゃんと仕事はするようだ。

 タニアはそれを受け取ってから、ギャレッツに一つ問い掛ける。


「にゃあ、アベリンワームって、群れにゃのか?」

「……あんなんが群れでいたら、それこそ悪夢だぜ。一匹だよ、一匹。だがまあ、どちらにしろてめぇじゃ無理だろうがな」

「そうかにゃ?」


 ギャレッツは馬鹿にしたように鼻で笑うが、タニアは意味深な笑みで返す。

 そして、もはや用はないとばかりに、ギャレッツに背を向けると、空腹を満たす為、ギルドの二階へと上がって行った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 食事を終えたタニアは、ギルドで手に入れた地図を見ながら、アベリンの東地区を歩いていた。道行く人々はタニアに奇異の視線を向けてくるが、そんな視線は慣れっこである。気にせず無視する。

 タニアの目指す先は、東地区のギルド指定の宿屋だった。


 東地区は、中央通りから水路沿いに東へ抜けた先にあり、富裕層の区画だと地図には記されていた。

 確かに道を歩く人族を見れば、誰もが上質な布地の、いかにも高そうな服を着ており、建ち並ぶ店も洒落た専門店が多かった。

 活気こそ中央通りには劣るが、静かに賑わっている印象だ。

 こういう静かな空気感は嫌いではない。これなら宿屋も期待できるな、とタニアは内心でウキウキしながら宿屋に向かった。

 さて、その期待は果たして裏切られたりはしなかった。

 辿り着いたギルド指定の宿屋は、想像していた以上に大きく綺麗な宿だった。長く高い塀で囲まれた広大な敷地に、三階建ての本館を中心として、四方位に趣の異なる四棟の別館が建っている。

 敷地内には、風情を感じさせる庭園があり、池があり、林があり、露天風呂があり、冒険者が無料で泊まれる宿には、とても思えない豪華な作りをしていた。


「いらっしゃいま――獣人?」

「にゃにゃ、中も凄い綺麗にゃ――あ、あちしは冒険者にゃ。これ宿屋券にゃ」


 宿屋の一階は広い受付ロビーになっており、足元には絨毯が一面に敷かれている。

 絨毯が敷かれたロビーなど、タニアは未だかつて見たことがなかった。故郷の最高級宿でさえも、ロビーに絨毯は敷かれていない。

 タニアは田舎者丸出しにロビーをキョロキョロ見ながら、受付カウンターに立つ女性に宿屋券を差し出した。


「ん? にゃんにゃ? これ、宿屋券にゃ。泊まれる部屋に、案内を頼むにゃ」


 しかし、タニアが宿屋券を差し出しても、受付嬢はしかめっ面で無言だった。不思議に思って、タニアは首を傾げる。


「どうしたにゃ? あ、冒険者の資格証も見せにゃいといけにゃいのかにゃ?」

「――当館には、獣人を泊まらせる部屋はございません」


 タニアが冒険者の資格証を見せようとした時、受付嬢はぶっきらぼうにそう告げる。途端に、ピタリとその場の空気が固まる。

 聞き違いか、とタニアは聞き返した。


「これは、宿屋券にゃ。ここはギルド指定の宿じゃ、にゃいのかにゃ?」

「当館【四色(ししょく)月亭(つきてい)】は、間違いなくギルド指定の宿屋です。ですが、獣人は泊まれません。食事なら、食事券を提示してくれれば、半額で提供しましょう。ですが、宿泊には対応できかねます」


 常識でしょう、とばかりの呆れた顔で、受付嬢はタニアを見詰める。その瞳には、タニアのような獣族に対する蔑みよりもむしろ、常識知らずに対する憐れみの情が見て取れる。

 悪意がない分、怒りよりも無念さが先立って、タニアは唖然としてしまった。


「にゃ、に……にゃら、あちしはどこに……」

「南地区の貧民街を利用してはいかがでしょう。獣人は、だいたいそこで寝泊まりしていると聞いています。もしくは奴隷区画にも、ギルド指定の宿屋がありますので、行ってみてはいかがですか?」

「――こんにゃ丁寧に門前払いされたのは初めてにゃ。怒りさえ湧かにゃいにゃ」


 素敵な宿屋で泊まれる、と思った矢先に、鮮やかな梯子外しである。

 タニアは感情が状況に追いつかなかった。受付嬢はそれきりタニアを空気扱いして、平然と後からやってきた他の冒険者たちに対応している。

 タニアはしばし呆然としてから、いつまでもここにいても仕方ないと素直に諦めて宿屋を後にする。泊まれなかったことに対しての悔しさよりも、ここまで歩いた無駄足感が気持ちを重くした。

 それにしても――タニアは、ふと思う。

 この街はまったく面倒な街である。いっそのこと何もかもぶっ壊したい衝動にも駆られたが、そうするともれなく食事も宿も調達不能になる。

 にゃぁ、と疲れたように息を吐いて、タニアはその足を南地区へと向けた。

 壊す事を我慢しても、しなくても、望む物が手に入らない。その上、面倒なことは変わらない。なんとも歯痒いものだ。


 南地区は一旦中央通りに戻って、南門まで進み、そこに兵士たちの詰所を通り抜けた先に広がっている。出入りは自由だが、日中は見張りが立っており、不審な人間を監視しているようだった。

 貧民街と名付けられた南地区は、アベリンの中でも隔離された区画で、出入り口は唯一その詰所だけのようである。

 とりあえずタニアは、怪訝な顔をされつつも、南地区に入り、地図を頼りに歩いている。

 辺りをキョロキョロしながら、開いている店を物色するのだが、大体の店が真昼間に関わらず閉まっていた。

 道は汚く、中央通りや東地区とは比べ物にならないくらいゴミが溢れている。

 道端には寝転がって生気のない浮浪者も多数転がっていて、まさに貧民街と呼ぶに相応しい様相だった。

 ちなみに、浮浪者のほとんどがガルム族の老人か、同じくガルム族の子供だった。

 そんな光景に若干のムカつきを覚えながらも、あえて手は差し伸べず、宿屋に向かう。


「ここ……にゃ……?」


 随分と歩いて、ようやく地図の示す宿屋に辿り着く。しかしそこは、廃墟と言って差し支えない建物だった。

 入り口に扉はなく、瓦礫が脇に積まれている。日中にも関わらず暗い店内は、宿屋として機能している風にはとても見えない。

 けれどそんな店内に気配だけはあった。

 仕方ないか、と意を決して、タニアは店内に足を踏み入れる。


 宿屋の中は、外観よりもまだマシだった。一階の伽藍としたロビーは食事処のようで、薄汚い丸テーブルと椅子が無造作に置かれている。

 受付カウンターは酒場になっており、見るからに不衛生な棚には、酒瓶が並んでいた。そしてそのカウンターには、無精髭を生やしたひょろ長のガルム族の男が立っており、入ってきたタニアを見て驚愕している。


「あ……あ……貴女、様は……」

「酷い場所にゃ。ここがギルド指定の宿かにゃ?」


 震える指先を向けてくるそのひょろ長に、タニアはギラリと視線を向けた。同時に、カウンターに宿屋券を叩きつけて、どうにゃ、と凄む。


「あぅ……は、はい。ここが宿屋【獣人館(じゅうじんかん)】です。あ、あの……もしや……貴女は――」

「にゃら、泊まれる部屋に通すにゃ。あちしは、今、すっごく疲れてるにゃ」

「う……は、はい。かしこまり、ました」


 ひょろ長が何やら問い掛けようとするその台詞を最後まで言わせず、タニアはブスッとした表情でつっけんどんに言う。途端にひょろ長は慌てて、ロビー奥にある階段を駆け上がって行った。

 タニアはひょろ長を見送ってから、苛立ち混じりにため息を漏らす。

 意思薄弱で、しかも現状のこの劣悪な環境に甘んじている同族を見ると、その不甲斐なさに虫唾が走る。ひょろ長のような男は、タニアの大嫌いなタイプだった。

 しばらく待つと、ドタドタと足音を立てて、ひょろ長が階段を下りてきた。

 そんな足音を聞いて、タニアはいっそう不愉快になる。足音を立てて歩くなど、ガルム族の名折れもいいところである。苛立ちに顔をしかめながら、ひょろ長を睨む。


「うぅ……あ、あの……お客様、お部屋を、ご用意……しました」

「案内するにゃ」


 おどおどした様子で、ペタンと耳を寝かせたひょろ長は、タニアの威嚇に頭を下げつつ、またドタドタ足音を立てながら部屋まで案内する。

 タニアは無言で威圧しながら追従する。


「…………にゃんにゃ、この部屋は?」

「あ、う……ギルド指定の……下級部屋、です」

「――お前、死にたいのかにゃ?」


 通された部屋を見た瞬間、タニアは燃え立つような怒りを全身から噴出させた。その気迫に、ひょろ長は怯えて腰を抜かした。

 その下級部屋は、相部屋だった。

 15メートル四方くらいの狭い部屋に、既に先客が五人ほど寛いでいる。しかもベッドも布団もなく、一人一枚の毛布が置いてあるだけである。木の床は所々ささくれ立っており、汚物や血の染みが散見された。

 先客たちは、現れたタニアの美貌を目にして、まず驚愕、それから舌なめずりしながら嫌らしい笑みを浮かべる。

 先客は皆、その装備の年季具合を見るに、よく鍛えられた冒険者のようである。雑魚には違いないが、少なくともランクC以上の実力者だろう。


「……あ、あの……宿屋券で、ご宿泊、できるのは……下級部屋、のみですので」

「一人部屋は、にゃいのか?」

「中級、部屋、からに……なりますが……お値段が……」

「――もう一度だけ、聞くにゃ。お前、死にたいのかにゃ?」


 腰を抜かしてへたり込んでいても、ひょろ長は商売人なのか、タニアに口答えする。その態度に、タニアは本気で殺意をぶつけた。

 するとさすがに、ひょろ長はガクガクと全身を震わせて、喉でヒューヒューと声にならない声を上げた。


「おい、そんなに俺らを嫌がらないでくれよ、別嬪さん。安心しろって、優しくして――へぶぅ!!」


 タニアがひょろ長を見下ろしていると、部屋の中の一人が、気安くタニアの肩に触れた。

 その瞬間、同族だろうと容赦なく、タニアは気安い男の胸に肘鉄をお見舞いする。軽く小突いたように思える肘鉄は、しかし金属が砕け散るような音を鳴らして、気安い男を一撃で昏倒させた。

 倒れ伏した男は小さく何度か痙攣を繰り返して、やがてがくっと力尽きる。

 その有様を見て、ヒッ、とひょろ長が息を呑んだ。

 タニアは鋭い視線をひょろ長に向けると、ゆっくりと問い掛ける。


「答えるにゃ。お前も、こうにゃりたいのかにゃ?」

「あ……い、いえ! 申し訳、ございません。ご案内するお部屋を、間違えてしまいました」

「そうにゃ、そうにゃ。だろうと思ったにゃ。さぁ早くするにゃ」


 それは紛れもなく脅しだが、特に気にした風もなく、タニアはうんうんと頷いて、一旦殺気を鎮める。ひょろ長は、ふぅ、とひとまず安堵して、すぐさま立ち上がり、次の部屋へと歩き出した。

 ところで、倒れ伏した気安い男は、廊下で誰にも介抱されることなく伸びたままである。

 さて、そうして次に案内された部屋は、同じ階の角部屋で、中級部屋と呼ばれる部屋だった。とはいえ、そこは相部屋でないだけで、さっきの下級部屋となんら遜色のない汚さだった。

 唯一評価できたのは、毛布ではなく、藁の寝床が敷かれていたところだろう。しかしそんな程度では、タニアの評価は最低のままである。

 呆れた表情で、タニアはもう一度、ひょろ長に言った。


「あちしの言い方が悪かったにゃ。ここの宿屋は、ほかにどんにゃ部屋があるにゃ?」

「う……あ、えと……上級部屋と、最上級部屋が……」

「にゃら、上級部屋に通すにゃ――命令にゃ」


 タニアは中級部屋の悲惨さを目にしてから、見事な笑顔でひょろ長に告げる。しかしその笑顔は有無を言わせぬ迫力で、ひょろ長は無言で頷くことしかできなかった。タニアの全身から、殺気が止め処なく溢れている。

 ひょろ長はもはや口答えせずに、さらに上階にタニアを案内する。

 そして通されたのは、上級部屋である。

 掃除がされていないことを除けば、およそ及第点と言える構造だった。三人並んで寝れる大きさのベッドが置かれていて、下級部屋四つ分くらいの広さがある。

 洗面所とトイレは完備されており、部屋には鍵が掛かるようになっている。


 タニアはようやく満足げに頷いて、当然とばかりに部屋に入った。

 そんなタニアに、ひょろ長は最後まで何か言いたげだったが、結局何も言わずに下がっていった。


 こうして、タニアのアベリン滞在一日目が終わりを告げた。タニアはこの日、そのまま翌朝までぐっすりと眠ったのだった。

※後書きには変更履歴を残します。キャラクター設定等は別途まとめます。


6/6 キャラの容姿を一部訂正

10/18 ルビ一部変更


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