第九十三話 偶然の出会い/セレナ&クレウサSide
【古の街シールレーヌ】――竜騎士帝国ドラグネス領内の中心に位置する最大の観光地である。
古の街と呼ばれている通り、領内で最も古くから存在する街とされており、一説には竜騎士帝国ドラグネス建国時の帝都だったとも言われていた。
その街並みは新旧綯い交ぜになった建物が所狭しと建ち並び、蛇行した公道、高低差のある階段があちこちにあり、街全体がなんら統一性のない不思議な景観だった。
さて、そんなシールレーヌの目玉と言えば、街の中央に穿たれた直径1キロメートルにも及ぶ巨大な縦穴であり、いまだ未踏破とされる異界の迷宮、観光の名所でもあり、地獄にまで伸びる洞穴――【ゲヘナホール】である。
そんな【ゲヘナホール】は、縦穴の淵ギリギリを硝子壁が囲んでおり、許可が無ければ入れないようになっていた。
観光客はその硝子壁ギリギリから穴を覗き込み、周囲の出店で騒ぐのである。
「セレナ様。ここ三日、観光しかしていない気がしますが……大丈夫ですか? 異世界人の子供の情報はおろか、有益になりそうな手掛かりも掴めていませんけれど――」
「――ちょ、失礼ね、クレウサ。あたし、聞き込みやってるでしょ? 何にもしてない、みたいな言い方は止めてよ……そりゃさ……確かに、何の手掛かりもないし……そこまで積極的に調査してないのは認めるけども……」
淵の近くに置かれた石碑を眺めながら、出店で購入したジュースを片手に、セレナは心外だとばかりに主張した。
クレウサは呆れたような溜息を漏らして、周囲の観光客に視線を向ける。誰も彼もが物見遊山でやってきた旅人のようで、底の見えない縦穴を覗き込んで、感心した風に息を吐いていた。
「もはや、このシールレーヌでは、何の情報も得られないのではないでしょうか?」
「……それは早計でしょ。まだ、見回ってないところは、残ってるわよ」
ヤンフィたちと別行動で、先んじて出発したセレナとクレウサだったが、既にシールレーヌに到着してから三日が経過していた。
その間、二人は特に何の情報も入手しておらず、ただ観光に没頭していた。
とはいえ、何も調べなかったわけではない。一応、裏事情に精通した情報屋とやらを探し出して、目的である異世界人『コタロウ』という子供の情報を聞いて回っていた。だがしかし、どこを当たっても無駄骨になっていた。
しかも、竜騎士帝国ドラグネスの内情、正統派と異端派の現状などに関しても、誰も詳しく教えてくれなかった。
「……『人類史上、最も邪悪な魔女。世界蛇を統べる聖女殺しの聖女、【破滅の魔女】レーヌ・ラガム・フレスベランの肉体をこの穴に封ずる』……あのヤンフィ様でさえ、苦戦しておられましたね」
クレウサが石碑の文字を読み上げる。セレナはそれに頷いて、ジュースを飲み干した。
「……コウヤの身体を乗っ取ったあの魔女……本当に、ヤバい奴だったみたいね……身体だけを封じるのに、当時の勇者が命懸けで、この穴の最奥に封印したんでしょ? それを何とかしたヤンフィ様も、恐ろしいけどさ……」
セレナは石碑の近くに建てられた勇者の銅像を見上げながら、その功績を流し読みした。
嘘か本当か、銅像に刻まれた功績には、四色の月一巡を戦い抜き魔女を封じる、とあった。それほど長い間、闘い続けたとは到底思えないが、凶悪な強さだったのは身を以て体験していた。
「――さて、と。これからどうしようかな。どうする、クレウサ?」
「……私の台詞ですよ、セレナ様。観光するだけならば、もう帝都オーラドーンに向かった方が得策ではありませんか?」
非難するような表情で、クレウサがセレナを睨んでくる。クレウサとしては、別行動しているディドたちと合流したい気持ちが強いのだろう。
けれど合流する為には、それなりの情報を手に入れないとヤンフィに怒られる気がする。
勿論、セレナは観光だけするつもりなど毛頭なかった。煌夜たちにも告げたように、情報収集を前提としてやって来ており、観光はあくまでもついで、のつもりである。
だと言うのに、いまは言い訳しようがないほど、このシールレーヌで観光しかしていない。
このまま手ぶらで合流はマズイ、と内心焦っていた。
「恐らく……別の飛竜便で移動したタニア様がもうそろそろ、コウヤ様たちに合流するでしょう。私たちが役に立てるとは思えませんが、このまま別行動を続けると、お待たせして、迷惑を掛けてしまう可能性が高いのでは?」
「……分かってるわよ。けどさ、戦力で役に立てないからこそ、情報がないと、迷惑を通り越して怒られるわよ?」
「それは仕方ないのでは? ある程度で見切りをつけることも大事かと思いますが?」
クレウサの反論に、セレナは疲れたように溜息を漏らす。今日は、何度もこの御小言を言われていて、かなり辟易していた。
「とりあえずさ。昨日行きそびれた南西のスラム街に行きましょうよ。吟遊詩人の語りとかだと、だいたいスラム街に重要な展開が待ってそうじゃない?」
気を取り直して、こっちよ、とクレウサを促す。
クレウサは露骨にうんざりした表情を浮かべていたが、無視して目的地のスラム街に足を向けた。
南西のスラム街は、さして広くもないし、特段目立つ施設がある訳でもない。
住んでいる人種も、大半が竜騎士帝国ドラグネスの外からやってきた移民ばかりだ。移民の多くは、竜騎士帝国ドラグネスの内情に明るくない。
だからこそ、情報収集に向くとはとても思えない区画だった。
(……でももう、他に調べるところないもんね……というか、もっと冒険者らしいことしたいわ……)
セレナは内心で愚痴を言いながら、無言の圧力を放つクレウサを引き連れて、スラム街を闊歩する。
スラム街は日中帯でも閑散としており、少なくとも、声を掛けられそうな人間はどこにもいなかった。
一通り街中を歩き回ってから、仕方なしに、開いていた酒場に入った。
「……妖精族が、何の用だ?」
閑古鳥が鳴いている酒場には、仕事をする気のない店主が一人、カウンターの外側で椅子に座って酒を呷っていた。
疲れた顔をした白髪初老の店主は、セレナとクレウサを一瞥してから、舌打ち混じりに首を傾げる。
「妖精族で悪かったわね……ちょっと、情報を仕入れたいんだけど、良い?」
「ここは、酒場だ。情報なんざ売ってない」
「果実酒を二人分用意頂けないでしょうか? お代もしっかりと支払いますよ」
「――酒はない。帰れ」
クレウサが気を利かせて丁寧に言うと、即答で拒絶される。酒場に酒を要求したのに、断られるとはどういうことだ、とセレナはキョトンとした。
店主はそのまま立ち尽くす二人を尻目に、カウンターの内側に回り込み、棚から果実酒と思える酒瓶を手に取って、それに口をつけた。
明らかにわざとである。セレナたちを挑発しているようだ。
「……申し訳ありませんが、この店は何を提供出来るのでしょうか?」
クレウサが明らかに苛立った声で、眼を細めながら店主に問い掛けた。しかしそれは無視されて、店主は別の酒を飲み始める。
信じられないくらいに横柄な態度である。
よほどの強者か、と一瞬だけセレナは思考したが、すぐさまその可能性を否定した。魔力量は奴隷階級のそれだし、そもそも冒険者でもなさそうだ。実戦経験があるようにも思えない。
つまりは、ただただ態度の悪い店主、というだけである。ならばこそ、大人の対応をすべきだろう。
「…………ねぇ、あのさ。あたしたち、色々とこの国のことを知りたいんだけど……特に、最近さ、龍神山脈で異世界人の子供が見つかった、みたいな噂……知らない? 知らないならさ……この近くで吟遊詩人が居るとこだったり、情報屋みたいな人を紹介して欲しいんだけど?」
「――もう閉店だ。他所にいきな。うちじゃ何も提供しない。帰れ」
「お金はあるわよ?」
セレナは埒が明かないと見切り、最終手段として、その場にアドニス金貨を数枚転がした。
店内の装飾や、外観、店主の荒み具合から見て、確実に金銭で心動くだろうという下衆な考えだった。おおかたの人間は、大金を前にすると人が変わるはずだ。
しかし――その試みは全く通じず、店主は一瞥しただけで、興味なさげにまた酒を呷る。
数分間、沈黙が流れて、セレナは目をパチクリさせながら赤面した。
「――あ、失礼しました……えと……ここじゃ、何も聞けなさそうね……戻りましょう?」
セレナは赤面したまま、その場に散らかしたアドニス金貨を拾って、呆れ顔のクレウサに顔を向ける。いますぐ妖精族の森に帰りたいくらいの恥ずかしさである。
セレナとクレウサはもう店主に話しかけるのを諦めて、回れ右すると店を後にした。
すると入れ違いに、魔術師風のローブを来た二人組がセレナたちの脇を通り過ぎて、店内に入っていった。
二人組は、かたや左腕しかない隻腕の青年で、かたやフードを目深に被って顔を隠した怪しい組み合わせだった。食事が目的とはとても思えない雰囲気でもある。
この酒場に何の目的があるのか――そんな興味を持つと同時に、セレナは、二人が意固地な店主から拒絶されるだろう展開を期待した。
「……ちょっと、クレウサ。あの二人がどうなるか、見学しましょ」
「それは構いませんが……時間の無駄では?」
「いやいや、もしかしたら、合言葉が必要なのかも知れない。それがないと、何も提供しないスタンスかも知れないでしょ!」
セレナはこじ付けのような理論で強く断言した。クレウサは溜息を漏らした。
「……合言葉なぞ、こんな場末の酒場に必要とは思えませんが……最初の態度から、妖精族に対しての差別……セレナ様が原因のような気がしますけれど?」
「言うわね――いいから、黙って聞き耳立てるわよ」
クレウサに反論しつつ、セレナは口元に指を当てて、壁にピタリと張り付いた。一応、店内の二人組に気配を悟られないよう気配を殺す。
「失礼――ここで食事を摂りたいんだけど? 四人掛けの個室とか、ないかな?」
「――あん? アンタ、何者だ?」
隻腕の青年が、軽い調子で店主に質問をしていた。待ち合わせでもしているのだろうか、二人しか居ないのに四人掛けを要求している。
店主の反応は鈍いが、先ほどのセレナたちへの態度ほど硬化したものではなかった。だが、好意的な感じでもない。
さて、どうなることやら――と、セレナは聞き耳を立てて顛末を見守る。
店内のやり取りは何事もなく、隻腕の青年の質問に店主は当然のように返答をしていた。先ほどのセレナへの態度とは全く異なる。
「――ちなみに、知りたいことがあるんだけど、ここって正統派? それとも異端派?」
「アンタが中立じゃなかったら、答えられるわけがないだろ?」
「ああ、そりゃそうか……まあ、安心してよ。ボクらは、どちらかと言えば正統派を支持しているけど、そもそも他国の冒険者だから、内政に意見するつもりはない。仮に、貴方が異端派だろうとも、気にしないよ」
「それは本当か? 何か証明――ハッ!? そ、それは!?」
ガタン、と店内で椅子が倒れる音がする。店主が何かに驚いている様子だが、それが何かまでは聞き耳を立てているだけでは分からなかった。
「ワ、ワイト様の、ご指示ですか!?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ――じゃあとりあえず、外で聞き耳立ててるお二人さん? 入ってきて大丈夫ですよ?」
その時ふと、隻腕の青年が爽やかな声を張り上げて、店外で様子を探っているセレナとクレウサに呼び掛けてきた。
本気で潜んでいたわけではないが、セレナもクレウサも気配は隠していた。それほど容易に悟られるはずはないのだが、どうやらバレていたらしい。
やましいことは何一つないが、想定外にいきなり呼ばれて、セレナは思わずビクついた。一方、その声と同時に、クレウサの肩に、ポン、と何者かの手が置かれた。
「――誰、ですかっ!?」
「安心してください。わたしたち、別に怪しい者ではないですよ? さあ、一緒に入りましょう?」
セレナはおろか、クレウサさえ、背後に誰かが立っていることに気付けなかった。
話しかけてきた何者かは、声から察すると若い女性のようだった。フードを被って顔を隠したローブ姿の何者か。
そのローブ姿は、見間違えようもなく、先ほど店内に入っていったはずの二人組の片割れである。隻腕の青年の後ろに付き従って、一緒に店内に入ったはず――
いつの間に、どこから回り込んだのか、気配も感じさせなかった。
「……顔を隠したままで、怪しい者じゃないって、説得力ないわよ? しかも、いきなり声を掛けられたら、どうしたって安心できないわ」
セレナが嫌味を口にすると、その何者かはすかさず頭を下げて、パサリとフードを外した。
フードの下から現れたのは、柔らかい笑みを浮かべたブロンド美女だ。
「ごめんなさい。わたしたち、聖王国から来た冒険者です。えと……先ほど、異世界人の子供がどうとか、仰っていましたけれど――詳しくお話を聴きたいなぁ、って思うのですが……」
ブロンド美女は照れ臭そうに笑いながら、どうでしょうか、と店内に入るよう促してくる。
それを聞いて、セレナは思わず寒気を感じた。先ほどの店主とのやり取りを思い返してみても、聞かれるような距離には誰も居なかったし、当然ながら周囲に気配もなかった。
肩を掴まれているクレウサとアイコンタクトするが、彼女も驚きを隠せない様子だった。
「――あの……つかぬことをお伺いしますが、いつからあたしたちを監視してたの?」
「あ、えと、いつから……って言われると、少し困ってしまいますけど……うん。【ゲヘナホール】で観光なさってた時から、様子を見ていて……妖精族と、人族の組み合わせで、しかも何か事情がありそうな感じが……気になって」
ニコリと微笑むブロンド美女に、セレナはいっそう恐怖する。
まさかここに至るまでの数時間、ずっと尾行されていたとは、思いも寄らなかった。セレナだけではなく、クレウサでさえも尾行に気付いていなかった。
セレナとクレウサは目を丸くして、まさか、と驚愕した視線をブロンド美女に向けた。
「――サラ! そこだと目立つから、店内で話そうよ」
「あ、はい。分かってるわ、リュウ――あの……別に、わたしたち、どうこうしようってつもりは何もありませんし……ただの冒険者で、敵とかじゃありませんよ? だから、それほど警戒しないでいただけると、嬉しいです」
ブロンド美女の困った顔を前に、セレナもクレウサも蛇に睨まれた蛙の如く、恐縮してその場で硬直していた。
目の前で柔和な笑みを浮かべて、優しい空気を醸し出すブロンド美女だが、内側から滲み出す強者の気配は明らかに異常だ。
内在魔力は底が見えないし、ただ立っているだけなのに、その雰囲気は相当の実力者だと断言出来る。この気配は、どことなくヤンフィに似ていた。力を抑えているヤンフィと対峙した時のような、得体の知れない恐怖があった。
「セレナ様、入りましょう――逃げないので、手を放して頂けませんか?」
「あ、ごめんなさい!」
クレウサの指摘に、ブロンド美女は慌ててパッとを手を放す。スッと一歩下がると、両手を上げて無抵抗をアピールしていた。
「……はい、はい。怖い怖い……逃げませんよ、っと」
このブロンド美女が何者かは分からないが、セレナたちに危害を加えるつもりであれば、もうこの時点で殺されていてもおかしくはない。それほど格が違う存在だと確信する。
だがそうならないのは、少なくともセレナたちと敵対していないという言葉が真実だからだろう。話し合う余地があり、何らかの目的があって接触してきたのだ。
そう考えると、もしかしたら有意義な情報が手に入るかも知れない――セレナは前向きに考え直して、深呼吸してから店内に入った。
「ん、お前ら、さっきの――」
「――ボクたちの連れなんだ。個室に案内してくれないかな?」
「あ、そ、それは失礼を――どうぞ、こちらです」
店主はセレナとクレウサを一瞥して、すぐさま暴言を吐こうとした。けれど、隻腕の青年がにこやかに遮る。それで恐縮した店主は、すかさず謝り、慌てた様子で店内奥に案内した。
奥の個室はだいぶ広く、八人掛けは出来るだろう丸テーブルが中央に一つあった。
個室に入ってすぐ手前の席に隻腕の青年、その右隣にブロンド美女が座る。仕方なしに、セレナとクレウサは向かい合う席に座った。
逃げるつもりはないが、必然これで、個室から出るには二人の脇を通らないと行けなくなった。
「――あの、すいません。ボクたち、食事も頂きたいので、人数分の食事と飲み物を」
「かしこまりました」
隻腕の青年は店主に注文をしてから、真面目な表情でセレナとクレウサを真っ直ぐと見詰める。
顔立ちはどこにでもいそうな青年という印象で、目元は柔らかく、全体的に優しい空気を放っている。しかし、その瞳は力強い光を放っており、隣に座るブロンド美女と同じく、セレナやクレウサではその実力の底は窺えない。
「えと……警戒させちゃってるね。まずは、自己紹介します」
隻腕の青年は、眼が悪いようには全く思えないが、懐から眼鏡を取り出して掛けた。
眼鏡を掛けた顔は、いっそう優しい雰囲気が強まり、笑顔と相俟って安心出来る空気を醸し出す。とはいえ、逆らうとどうなるか分からない得体の知れなさは何一つ緩和されない。
「え~と――妖精族のキミが『セレナ』さんで、そちらは『クレウサ』さん……この文字は、天族かな? あ、ボクは聖王国テラ・セケルを拠点に活動する冒険者で、名前を『アストロ・リウ』って言います。気軽に、アストロって呼んでくれて構わないよ」
「同じく、冒険者の『セリーニ・サーラ』です。わたしのことは、セリーニ、じゃなくて、サラって短く呼んでくれると嬉しいです」
隻腕の青年アストロ・リウは、気安い調子でそう名乗り、当たり前のようにセレナとクレウサの名前を口にする。いつどうやって名前を知ったのかは謎だが、それ以上にその名乗りに驚愕した。
アストロ、セリーニ、その二つの名前は、決して気軽に呼べる類の名前ではない。
「――――っ!?」
「……いやいや、まさか……」
クレウサは息を呑み、セレナは呆れた顔で否定する。
「冗談、でしょ? 誰だって?」
「ボクが『アストロ・リウ』で、こっちが『セリーニ・サーラ』だよ。ちなみに、嘘じゃない――信じられないかも知れないけどね」
「……それ、少しも笑えないわ」
セレナの言葉に、アストロは眼鏡のズレを直す仕草をしつつ、自嘲的な笑みを浮かべた。
テオゴニア大陸に住まうほとんどの人間が、その二人の名前を知っている。どちらも冒険者として勇名を馳せており、同時に、生ける伝説として【救国の五人】に数えられる英雄である。
アストロ・リウ。SSランク冒険者。通り名を【隻腕の魔術師リュウヤ】。
救国の五人の中では、最強の魔術師とも呼ばれる。
銃と呼ばれる異世界の兵器を媒介に、無詠唱、且つ、超高威力の聖級魔術を連射する怪物と噂されていた。また救国の五人の中で最強の剣士ゲオ・コウタに、唯一、敗北を味わわせた英雄としても知られている怪物である。
「一応、これがわたしの資格証です」
ブロンド美女がテーブルの上に、冒険者の資格証である宝石を置いた。魔力が注ぎ込まれて、光を放ちながら【SS】と表示される。
信じたくはないが、少なくとも冒険者ランク最上級の存在なのは間違いないようである。
「……【天啓の巫女】サラ……」
「あ、はい。そうです、そうです。ご存じでしたか!? 良かったぁ――」
知らないはずがあるまい、とセレナは心の中で突っ込んだ。
ホッと安堵するブロンド美女に、クレウサは目を細めて顔を引き攣らせる。セレナも乾いた笑いしか出なかった。
クレウサが呟いた天啓の巫女サラは、セリーニ・サーラの通り名である。
セリーニ・サーラ。SSランク冒険者で、【天啓の巫女サラ】。
救国の五人の中で比べると、最も逸話の少ない英雄だが、治癒術師としては最高峰の実力を持っており、何よりもその知名度は誰よりも高かった。当然ながら、実力も疑いようはなく、全属性の聖級魔術を軽々と扱える万能型の治癒術師でもある。
ちなみにセリーニは、通り名で冠された【天啓】という異能を覚醒していた。
これは、確定した未来を予知する異能であり、外れることがない絶対的な予知能力である。
その規格外の異能を擁しているが故に、セリーニ・サーラは【聖王国テラ・セケル】領内において、王族よりも地位が高く、生ける女神とも呼ばれて崇められる存在だった。
「……って、SSランクなのは、信じたけど……それでも、アンタらが【救国の五人】だなんて、信じられないわよ? というか、もしアンタたちが、救国の五人だとして、どうして、見ず知らずのあたしたちに興味を持つのよ? 尾行までして……おかしいでしょ?」
「ボクたち、昨日からシールレーヌに滞在してるんだけどさ。ここ数日、とても目立つ容姿をした妖精族が、しきりに何かを調べてるって噂を聞いてね。ちょうどキミたちが街を観光しているのを見つけたんだよ。それで幾つか不審な点があったから、申し訳ないけど尾行したんだ」
セレナの挑発的な言葉に、アストロが淡々と答える。
「――目立つ格好の妖精族とは、セレナ様のことですよね?」
「そうだけど……何? あたしが悪いっての? いやいや、妖精族ってだけで目を付けられるなんて、誰も思わないから……」
セレナとクレウサがこそこそと内緒話をしているのを、サラが微笑ましそうに眺めていた。
「ボクたちも冒険者として、街中で聞き込みをしていたんだけど、聞き込みするたびに怪しい人物がいるって、キミたちのことを教えてくれるから、気になってしまってさ。悪く思わないで欲しいな」
「…………」
アストロの言葉に、クレウサはこれ見よがしの溜息を漏らす。セレナは口をへの字に曲げる。
セレナたちが沈黙していると、食事が人数分運ばれてきて、アルコールの入った飲み物が置かれた。店主は視線をアストロに向けて、どうしますか、と訊ねていた。それを笑顔で手を振るだけで断って、店主を退室させる。
「それで、質問なんだけど――キミたちは、世界蛇かい?」
個室にセレナたち四人だけになったのを確認してから、アストロは何やら意味不明な質問を口にしてきた。その表情は真剣で、眼鏡の奥で瞳がギラリと光った。
「……は? 世界、蛇? え……え? ち、違うわよ?」
「――へぇ? なるほどね」
「…………あ、え? いや、本当に、違うからね? 違うわよ!?」
セレナはキョトンとして、一瞬だけ言葉に詰まる。しかしすぐさまハッとして、誤魔化すような答え方をした。我ながら怪しい反応だ、と思ったが、今更遅い。
咄嗟に慌てて否定を繰り返したが、その反応がいっそう怪しい受け答えだった。
「リュウ? どう、なの?」
「あ、うん。本当に違うみたい――あ、ごめんね? 大丈夫、信じるよ。試すようなことして、ごめんね。それじゃ、本題に入ろうか」
「…………は? え? な、何、どういうこと?」
アストロとサラが互いに頷き合うのを見て、セレナとクレウサは首を傾げた。
あの反応のどこで、世界蛇ではないと信じることが出来たのか謎だった。けれどアストロは、セレナたちを疑うことなく確信した様子である。
「ボクたちには、いくつか目的がある。一つが、ドラグネス王家に潜入してる世界蛇の排除だ……ある人から教えてもらった情報で、王家の中枢に、世界蛇の幹部クラスが潜んでいるらしい。だからその世界蛇に関して、どんな些細なことでも情報が欲しくてさ」
「……えと……はぁ?」
「その世界蛇は、ここ最近、龍神山脈で異世界人の子供を保護して、何らかの目的でオーラドーンに護送したって話だ。かなり秘密裡にね。ところがこの情報を――失礼な言い方をすると、キミたちみたいな無名の、それも妖精族って種族ハンデがあるセレナさんが、どうやって知ったのかな? ついでに根本的な疑問として、どうしてその異世界人を探してるの?」
セレナの反応に眼鏡のズレを直しながら、アストロは問い掛けてくる。
だいぶ失礼な言い方である。とはいえ、ある意味事実でもある。反論はしないことにした。
だがそもそもこの質問の意図が分からな過ぎて、セレナもクレウサも困惑した。
「……よく分かりませんが、とりあえず事情を説明しますか? この方たちが何者だろうと、私たちの事情とは全く無関係に思えますが?」
「あ、うん。まあ、そうでしょうとも――いや、というかね。ちょっと、急展開過ぎて、整理が追いついてないのよね……」
困惑しているセレナは何やら弁明していたが、無視してクレウサが答えた。
「僭越ながら、ご説明しますと――いまこの場には居りませんが、私たちの仲間に【神王国ミュール】の王族が居ります。私たちは、その王族から依頼されて、行方不明になった転生者を探してるのです。龍神山脈付近で保護された異世界人……私たちが捜している転生者が行方不明になった時期と、保護された時期が――」
「――うん。それ、全部、嘘だね」
「…………は?」
クレウサはスラスラと出鱈目を口にしたが、最後まで言わせず、アストロが嘘だと断言した。あまりにも確信めいたその否定に、クレウサが不愉快そうに眉根を寄せている。
アストロは眼鏡のズレを直して、次の瞬間、手品のような素早さで銃を構えていた。魔力を放つ銃口が、寸分違わずクレウサの眉間を捉えている。
「言い忘れたけど、ボクさ。その発言が真実か嘘か見分ける術を持ってるんだよ。そして、いまクレウサさんが説明してくれた内容は、何一つ真実が無かった」
「……決め付けないで、頂きたいのですが?」
「別に、決め付けちゃいない」
アストロは不敵に笑いながら、目にも留まらぬ速さで銃を仕舞って、ほら、と言いながら、セレナに眼鏡を放り投げてきた。
その眼鏡をしっかり受け止めてから、なにこれ、と首を傾げた。
「掛けていいよ。それは、覚醒した【鑑定の魔眼】と同一効果を持つ眼鏡だからさ」
アストロはどこからともなく、また同じ眼鏡を掛けて、どうぞ、と促してきた。
「…………なるほど……ね。信じられないけど、本当みたい」
セレナは半信半疑になりながらも、言われた通り掛けてみた。すると、途端に視界がグラリとブレて、新しい視野が広がる。
視界に映る全ての物体と存在に、不思議な文字と意味が浮かび上がり、それが当然のように脳内に入って来た。同時に、感情の色さえ理解出来るようになっていた。
「……文字が読めない……けど確かに、アナタたち……異世界人で、しかも、あたしなんかが命を賭けても勝てる気がしないのは、理解したわ……ちなみに、クレウサ。ちょっと、何か嘘吐いてよ」
「セレナ様はディド姉様の下僕です」
「――あ、なるほど。それは嘘ね……って、こういう風に見えるのか……」
クレウサの発言は、赤い色が漂っており、瞬間的に嘘だと脳内が理解していた。この視界はとんでもなく疲れるが、文字通りに世界が変わって見える。
これが【鑑定の魔眼】か――セレナは理解して、タニアのことを少しだけ羨ましく思った。
「ボクたちも、嘘なんか言わないから、それ使って試していいよ。さて、それで? キミたちが、異世界人を探してる理由は? どうして、その情報を知ってたの?」
再びアストロは銃を構えた。今度は、銃口がセレナを向いていた。
銃に宿っている魔力を目にして、セレナは乾いた笑いしか出来なかった。これほどの強大な魔力だと、本気で防御をしたところで、あっけなく死ぬだろう。
「……異世界人の仲間が、居るんだけど……ソイツが弟と妹を探してるのよ。だから、異世界人の子供を探してるわけ……護送されてるって情報は、国境の街ラビリスで聞き込みしてた時に、偶然入手したわ。けど、それ以上に有力な情報がなくて、ここでも情報収集してた、ってわけ」
「――うん。嘘じゃないね」
「ねぇ、あたしからも質問するわよ? アナタたち、本当に【救国の五人】なの?」
「そうだよ。ボクが『アストロ・リウ』こと【隻腕の魔術師リュウヤ】です」
「はい。わたしが『セリーニ・サーラ』……恥ずかしいんですけど……【天啓の巫女】という二つ名を頂いております」
二人の台詞に、嘘偽りはなかった。セレナは眉間に皺が寄る。
この二人が世界蛇と関係しているかどうかは分からないが、レベル5【騎士王】の称号を持つサーベルタイガーこと【隻眼の天騎士コタロウ】とは、昔からの仲間のはずである。ということは、最悪、アストロ・リウと、セリーニ・サーラは、ゲオ・コウタと結託している可能性がある。
(そうなると……ダーダム・イグディエルから【守護竜の泪】を奪う際に……サーベルタイガーだけじゃなくて、この二人にも注意しないといけなくなる、ってこと? マズいわね……敵を連れて、ヤンフィ様のとこに戻ろうものなら、それこそ激怒される……救国の五人の実力って……キリア様に匹敵するレベルって聞いてるし……いくらヤンフィ様でも、三対一は無理よね……タニア、マユミ、ディドが居たって、流石に勝てないだろうし……)
セレナは難しい顔のまま、静かに冷や汗を掻いた。そして、杞憂であってくれ、と祈りながら、恐る恐ると口を開く。
「……あのさ。アンタたちは――いえ、アストロは、世界蛇なの? サラは、世界蛇?」
「――違う。言ったろ? 世界蛇を排除する為に、ボクたちはここに来た」
「違いますよ。世界蛇は、紛れもなくわたしたちの敵です」
二人は即答した。そこには憎しみさえ滲んでおり、嫌悪感がありありと浮かんでいた。
その答えは真実で間違いない。つまり、二人は世界蛇ではない。
ふぅ、と一瞬だけ安堵する。だがすぐに、それだけではセレナたちの敵ではない、と断言できないことに気付いた。
「ねぇ――世界蛇の幹部、レベル5【騎士王】って、誰だか知ってる?」
セレナは更に深く踏み込んだ。この返答で、信用できるか決まるだろう。
内心でダラダラと冷や汗を掻きながら、アストロとサラの表情を窺う。二人は険しい顔になり、質問の意図を考えている様子だった。
「……ああ、知ってるよ。騎士王グレイヴ……とんでもなく強い剣士だった」
「うん……リュウとコタが、本気でやって互角だったもんね……」
「横から口を挟んで申し訳ありませんが、過去の【騎士王】ではなく、現在の【騎士王】のことです。サーベルタイガー、と名乗る人物をご存じでしょうか?」
クレウサが横から鋭く切り込んだ。瞬間、ピシリと空気が張り詰める。
「サーベル、タイガー? ネコ科の虎? え? いったい、誰のこと、ですか?」
「――どういうこと? キミたち、何を知っているんだい?」
二人は同時に怪訝な表情を浮かべた。剣呑で一触即発な空気が流れ始めた。
「この反応、何も知らないのでは?」
「……そうかも……動揺してるけど、何かを隠してる感じはない、か……」
「説明を求めるよ――知っていると思うけど、ボクらが【騎士王グレイヴ】を倒したんだ。そして、世界蛇は完全実力主義……あれほどの強者が、簡単に代替わりするはずはない」
アストロは力強く断言する。それは正しいだろう。セレナも思わず頷いた。
「あたしのパーティに、世界蛇の幹部と直接接触したメンバーが居るのよ。そのメンバーの情報だから、間違いなく確かよ」
マユミのことを思い浮かべながら、アストロ、サラと交互に視線を向ける。
アストロはその言葉が真実であることを見て取って、唖然と口を開けていた。サラは不愉快そうに眉根を寄せて、疑り深い視線で睨み返してくる。
「……嘘よ。グレイヴと同じレベルの実力者なんて、世界蛇には居ないはずよ!」
「サラ、落ち着いてよ。嘘は言っていない……ただし、可能性としては、真実だと思い込んでるってことはあり得る」
「ちょ――思い込んでる、って何よ? 信じられないのは分かるけど、本当のことよ? ってか、そこまで言うからには説明するけどさ」
疑われたことに納得いかず、セレナは説明を始めた。
宰相ダーダム・イグディエルが天族バルバトロスであり、世界蛇の幹部レベル4であること。
仲間の一人であるマユミが、剣神会所属であること。また、剣神会の上司である【剣聖】サーベルタイガーが、世界蛇レベル5【騎士王】サーベルタイガーであり、ゲオ・コウタがそうだと言うこと。
旅の目的が異世界人の弟妹を捜すことであり、紆余曲折があってあちこち旅していることも伝える。
セレナがそれらを掻い摘んで説明する間、アストロもサラも無言で聞いていた。時折、クレウサが補足説明を差し込むが、二人は疑問も口にしなかった。
「――って、ことなのよ。世界蛇を排除する目的があるなら、あたしたちに協力してくれない?」
セレナはおどけた調子でアストロに首を傾げる。
ここで【救国の五人】を上手く誘導して、隻眼の天騎士コタロウをどうにかしてもらうことが出来れば、ダーダム・イグディエルの持つ【守護竜の泪】を奪うことや、その正体を暴くことが容易になるだろう。ひいては、煌夜の弟妹を捜すことに集中出来るはずだ。
どう転んでも、良い方にしかならない気がする。セレナは、うんうん、と内心で頷いた。
「――――」
「あたしたちの仲間がいま、帝都オーラドーンに居るわ。だから、協力してくれない? アンタたちの目的は、世界蛇を排除することでしょ? 手を組めば、お互い役に立つはずよ?」
セレナの問いに、アストロは沈黙で返す。傍らのサラも難しい顔で押し黙っていた。返答はないが、空気は先ほどより重くはない。
回答がないので仕方なく、セレナもクレウサも運ばれてきた食事に手を付ける。
しばしそうして黙々と食事を続けていると、アストロがようやく口を開いた。
「……これが、サラの言ってた運命か……」
「ん? どういうことよ?」
「サラ。この二人って、天啓の示した『運命の導き手』だよね?」
意味の分からない質問に、サラは一瞬思案してから、コクリと頷いた。
「うん。わたしもそう思う――稀なる異種族って、妖精族と天族なら当てはまるし」
「やっぱり……えと、セレナさん、クレウサさん。事情は理解したよ。だから、協力できるかは別として、キミたちのパーティに合流させて欲しい」
「……合流? それはつまり、帝都オーラドーンまで同行してくれるってこと?」
「ああ、むしろ同行させて欲しい。キミたちに興味がある」
「……あ、そ? じゃあ、あたしたちの仲間になってくれるのね?」
セレナの問いに、アストロとサラはしっかりと頷いた。良かった、と安堵する。しかし、次の瞬間、真剣な表情でアストロが口を開いた。
「――ただ、一つだけお願いがある」
テーブルの上に、シールレーヌの地図が広げられた。漂い始める不穏当な空気に、セレナは嫌な予感がしていた。
「お願い?」
「うん。すぐにでも合流したいんだけど、その前にこの街でやらないといけないことがある」
「……やらないと、いけないこと?」
アストロの言い分に、セレナはクレウサと目を見合わせる。この話を聞くと、もはや後戻りできない気がする。
そもそものところ、アストロとサラの『やらないといけないこと』は、セレナたちとは一切関係のない用事だろう。巻き込まれる謂れもない。
「――あ、その、あたしたちは、まだシールレーヌから出発はしませんので、用事はゆっくりと済ませて頂いて構いませんよ?」
「【ゲヘナホール】の最奥に封じられてる【破滅の魔女】を調査する必要があるんだ。だから、これから一緒に、ゲヘナホールを攻略して欲しい」
「――――は?」
当たり前のように無茶なことを呟くアストロに、セレナは思わず聞き返す。
「いや……え? 何で? あたしたちなんて、足手纏いにしかならないでしょ?」
「そんなことはないよ。キミたちの実力なら申し分ない。そこまで危険でもないし」
セレナの遠慮を即座に否定するアストロに、そういう問題ではない、と強くツッコミたかった。けれど、口走れる雰囲気ではない。何よりもこの展開は、断れる類の流れではない。
外見の優しさに依らず、アストロは他人の話は聞かず、強引に話を推し進めるタイプのようだ。
「……申し訳ないけれど、同行して欲しいです。ゲヘナホールは攻略難度よりも、攻略条件が厳しい迷宮として有名なんです。特に最奥へと至る為には、三又の地獄門を同時攻略する必要があって――わたしたちだけじゃ、人数が足りないんです」
サラが申し訳なさそうに補足する。とはいえ、そんなことは知ったことではない。
「危険でもないし、って……んなわけないでしょ? ゲヘナホールって、未踏破の攻略難度Sの迷宮よね? そんな簡単に最奥まで行けるわけないでしょ?」
「大丈夫だよ。出現する魔族はCランク程度で、難度が高い理由は、各層に配置された罠とボス格が強いからだもの――危険な箇所は、ボクたちで対処出来るからさ」
さも当然のように言うアストロに疑いの目を向けて、セレナはクレウサと小声で相談した。
「……何か、巻き込まれた感があるんだけど……これ、どうすべきだと思う?」
「巻き込まれたも何も……セレナ様のせいに思えなくもないのですが……オーラドーンに同行していただけるのであれば、少しくらい付き合っても良いのでは?」
「……逆らえる相手でもないか……」
しばし思案してから、セレナは溜息を吐きながら頷いた。
「分かったわよ。その代わり、ちゃんと約束は守ってよ? しっかり協力してくれないと、あたしたちも協力しないからね?」
「ああ、分かってるよ。ここに魂の契約を――『ボクはキミたちに協力する。万が一、この契約を破ることがあれば、以降は一生をキミたちに捧げる』」
セレナが要求してもいないのに、アストロは勝手にそう宣言して自らの魂を賭けて誓っていた。
魂の契約――魔力では決して破ることの出来ない最上位の契約である。それは、契約した本人でさえも契約破棄は出来ず、解呪するにも格上の魔術師でなければ不可能という契約だ。この契約を破ると、宣言通りに一生をセレナたちに捧げることになり、端的に奴隷になる。
ここまでされたら、間違いなく協力してくれるだろう。
「予想外過ぎるわ……」
思わず呟いてしまうほど、想定外の展開である。けれどこれは、悪い展開ではない。
伝説的な存在【救国の五人】のうち、二人がセレナたちに協力してくれるなど望外の功績だ。有益な情報が手に入らないことを帳消ししても、褒められてしかるべきだ。
これならば帝都オーラドーンに向かうのが遅れようとも、怒られることはないと確信出来た。
「……あ、けど、あたしたちは、契約とかしないわよ? いや、裏切ることはないけどさ」
「いいよ。この契約は、圧倒的強者であるボクたちがやらないと意味ないからね」
さて、とアストロは席から立ち上がる。食事はいつの間にか終わっていた。
「それじゃ、早速向かおう――と、言いたいところだけど、セレナさんとクレウサさんの準備もあるだろうし、今日は解散して攻略は明日にしよう」
テーブルの上に、平然とアドニス金貨を五枚と、黒い指輪を二つ置いた。セレナとクレウサに顔を向けて、どうぞ、と頷く。
「ボクたちも、数日分の食糧とか、必要最低限の装備は用意してるけど、二人も準備万端にしておいた方が良いよ。【ゲヘナホール】は、迷宮内が異界化してるから、想像以上に広大な造りになってるんだ。実際、内部を把握してても、一日、二日で攻略出来る規模じゃないから」
「――昔、キリアお姉ちゃんと一緒に探索した時は、最奥まで三日掛かったもんね?」
アストロの台詞に追従するサラを見て、セレナは目を丸くした。
親し気に『キリアお姉ちゃん』などと、【三英雄】キリアのことを呼んでいるのが、信じ難い思いだった。正直、妖精族からすると不愉快である。
とはいえ、親し気になるだけ長い期間、一緒に過ごしていることも聞いているので、これはセレナのお門違いの嫉妬である。憧れのキリアと親しくなりたいという想いの暴走だ。
その反応を勘違いしたようで、アストロは、驚いたでしょ、と気軽な様子で首を傾げた。
「そう、本当に、驚くほど攻略に時間が掛かるんだ。だから、これで装備を整えて欲しい。ついでにこの指輪は、異空間に繋がってる道具鞄だよ。重量上限は五トン、広さは100立方メートルまでなら、収納出来る。あげるから使ってよ」
「あ、セレナさん、クレウサさん。わたしたちは『混迷亭』って宿屋に泊まっています。何かあれば、そこまで来てくれれば――」
サラも立ち上がり、アストロに続いて部屋から出て行こうとする。セレナはそんな二人を、呼び止めるように声を上げた。
「――攻略に時間が掛かるなら、あたしたち、すぐに挑戦したいんだけど? 帝都オーラドーンに居るメンバーをあんまり待たせたくないのよ。だから、少しでも早く攻略に取り掛かりたいわ。それは難しいの?」
ヤンフィとの合流が長引けば長引くほど、叱責を受ける可能性は高くなる。ただでさえ、この寄り道はセレナの強行に等しかった。それなりに負い目がある。
それほどヤンフィたちが気にしているとは思えないが――
(……あたしとクレウサが居ようと居まいと、戦力的に何の影響もないしね……)
自虐的めいたことを考えながら、セレナは自嘲した。
「私もセレナ様と同意見です。準備に時間を頂けるのは有難いことですが、一刻も早く帝都オーラドーンに向かいたい気持ちがあります」
「あ、そうなんですね――えと、リュウ。それじゃ、どうする? このまま一緒に街を回って、装備を整えてあげる?」
クレウサの挙手に、サラはアストロの肩を掴んだ。
「うん。そうしようか。まだ夜まで時間はあるし――まあ、【ゲヘナホール】の脅威は徘徊する魔族じゃないしな」
「……じゃあ、何が脅威なのよ? なんか、あたしたちに隠してる?」
「いやいや、隠してないよ? でもそっか……詳しくは知らないみたいだね。そしたら、移動しながら説明するよ」
隠していないと言いつつも、何やら含んだ言い方をして、アストロはセレナとクレウサに笑顔を見せる。少し釈然としないが、説明してくれるのであれば文句は言わない。
とりあえずセレナとクレウサも食事を終えて、席から立ち上がった。
「そう言えばさ……アンタたち、この酒場に入った時に『正統派』とか『異端派』とか喋ってたと思うんだけど……ドラグネスの内情に詳しいの?」
「詳しいと言うよりも、ボクたちは四色の聖騎士たちから直接事情を聞いてるからね……」
「……四色の聖騎士? なんか、聞き覚えあるわね……」
酒場を出て街中を横並びに歩きながら、セレナは、どこで聞いたか、と腕を組んで、途端、あ、と思い出した。
「そうそう、セリエンティア――ベクラル公主だっけ? 彼女が確か『正統派』で、赤の聖騎士エーデルフェルトと、青の聖騎士アジェンダとか、彼らが『四色の聖騎士』だったわよね?」
「セリエンティアさんを知ってるの? それなら説明は早いかな――いまや彼女こそが、正統派の旗印で、唯一の正統な血筋だよ。四色の聖騎士は正統派だから、異端派とは対立してるんだ」
「あたし、それほど詳しくはないんだけどさ。異端派って、結局どういう連中なのよ? 玉座を簒奪しようと企む悪者?」
タニアのように世情に詳しい訳ではないセレナは、そんな疑問を口にする。傍らのクレウサも知りたい様子で、興味深げにアストロを見た。
「簒奪って言うのも、少し違うんです。竜騎士帝国ドラグネスって、かなり特殊で――王位継承権は、血筋も重要なんですけど、後継者足る資格、王の条件を満たせば、誰でも国王になれるんです」
「後継者足る、資格? 王の条件って、何よ?」
サラがフードで顔を隠しながら、横から説明してくれる。
そこまで興味のない世間話のつもりだったが、サラは丁寧に教えてくれた。それはまるで歴史の勉強をしているかのようだ。
説明によると、竜騎士帝国ドラグネスの王位の継承システムは、世襲制ではないと言う。
ここ数百年がずっと世襲となっており、ドラグネス王家の直系筋が玉座を継いでいた為に、他国は血筋によるものと誤解しているが、実際のところはだいぶ違うらしい。
玉座を継ぐ王の条件は、三つの資格のうち、一つ以上を保有する者だそうだ。
三つの資格。一つ目が、守護竜の血を持つ者であること。
これはつまり、初代国王に連なる血統であることと同義である。正統な王家の血筋には、守護竜の血が混じっている。
二つ目が、竜騎士帝国ドラグネスを守護する【守護竜】を乗りこなして、真の【竜騎士】になること。守護竜を乗りこなすには、魔王属に匹敵する化物である【守護竜】を、単騎で倒す実力が必要だと言う。
しかし現在、竜騎士帝国ドラグネスの守護竜は不在らしい。真偽のほどは定かではないが、数年前から守護竜は死亡している説があり、実際に表舞台に姿を現さなくなっているそうだ。
そして三つ目の資格は、国宝【王剣ロードドラグネス】の封印を解き、剣に所有者と認められること。王剣を鞘から抜き放ち、神竜の魔力を宿すことが出来れば、所有者と認められるらしい。
これら三つの資格のうち、初代国王の血を絶やさないことに心血を注ぎ、一つ目の資格のみで王を選出する派閥が『正統派』である。
一方で、それ以外の資格を重要視して、相応しい資格保有者に王位を継がせようとしている派閥が『異端派』だった。
ちなみに、宰相ダーダム・イグディエルが異端派の急先鋒であると同時に、周囲から次期国王の期待をされている人物とのことだ。
クレウサはその説明を聞いて、凄まじい殺意と憤怒を全身から放っていた。ギリギリと奥歯を噛み締めて、眉根は厳しく激怒している様子が窺えた。
「……ふぅん。事情は分かったわ。そうなるとつまり、異端派の誰かが竜騎士帝国ドラグネスの国王になるってことは、世界蛇が国を手に入れるってことよね? 世界を破滅させる教義を掲げてるのに、なんか少し違和感あるけど?」
「確かに、世界蛇の教義は世界の破滅だけど、世界蛇も一枚岩じゃない。世界の破滅を望む派閥と、世界を支配しようとする派閥があるみたいで……実際、二年前の【世界蛇の役】では、騎士王グレイヴはイグナイト領の一部を支配してたし」
「どこもかしこも、内部分裂してるって訳ね……」
クレウサの危険な空気には触れず、セレナは呆れたように呟いた。
アストロは苦笑しながら、シールレーヌの大通りを抜けて、裏路地の奥にある怪しい店に足を踏み入れて行った。
こんな場末の店で大丈夫か、と不安に思いながら、セレナとクレウサも続いて店内に入った。
店内は薄暗く、壁には粗末な楯が飾られて、床には剣が入った木箱が乱雑に置かれていた。
奥のカウンターでは、白髪の老人が半分眠りながら座っており、客に対して挨拶一つしなかった。
「武器屋?」
「便利屋だよ」
見渡す限り、ここは武器屋に思える。だが、アストロは即座に否定する。改めて店内を見渡すが、どこが便利屋か疑問だった。
「依頼してた装備一式、準備出来てるかな?」
不思議そうに店内を眺めていると、アストロが真っ先に白髪の老人に近付いて、カウンターにテオゴニア金紙幣を一枚、ポン、と置いた。
テオゴニア金紙幣一枚で、Eランク冒険者の年収に匹敵する大金である。そんな大金を出して、いったい何を準備させたのだろうか。セレナは仰天して目を見開いた。
「……ちょうど先ほど、取り寄せたのが来たよ。ほれ、この中に入っている」
「ありがとう。ついでに、七日分の食料も用意されてるよね?」
「ちゃんと用意したさ、依頼通りに、二人分の食料をな」
「もう二人分の食料を追加できないかな? 急ぎで」
アストロが笑顔で首を傾げる。眼鏡のズレを直す仕草が、やたらと威圧的に見えた。
そんな白髪の老人との交渉から視線を切って、セレナは店内の隅で苛立った様子で立つクレウサの横に移動した。
「……バルバトロスは、人界でもまた、国落としを実行しようとしているのですね……なんて醜悪な……」
愚痴のような独り言を呟くクレウサに、セレナはフッと苦笑した。
「あ――そうだ。ところで、セレナさんって、かなりお強そうですけど、専門は攻撃魔術ですか?」
邪魔にならないよう壁に寄り掛かっていると、ふいにサラが問い掛けてきた。
サラの質問に、セレナは少し複雑な気持ちになりながら、頬をポリポリと掻いた。
「恥かしながら……貴女と同じ治癒術師よ? 妖精族がみんな、攻撃専門の魔術師と思わないで欲しいわね」
「え? ご、ごめんなさい――え、けど、それにしては魔力量が……治癒術師が専門だとしたら、凄まじい才能です……」
「褒めて頂けるのは光栄ですけども! あたし以上に飛び抜けた才能を持ってる貴女に言われると、馬鹿にされてる気分になるわよ?」
心底驚いているサラを前に、セレナはピシャリと吐き捨てた。
セレナの治癒術師としての実力は、自他共に認められるほど天才的なものである。弱冠十六歳という年齢で、既に【聖級】に届くほどの治癒術を行使出来るのは、聖女に匹敵するだろう。しかも他属性の魔術も軒並み【上級】を修得しており、水属性に至っては【聖級】も行使出来る。この素質と実力だけでも、冒険者で言えばSランク上位だ。
けれど、そんなセレナなど足元にも及ばない才覚を持つのが、セリーニ・サーラである。
セレナと同じ歳の頃には、全て一段階上の魔術を行使出来ていたと言われているし、実際、現時点では完全上位互換の存在である。
「あ、そんなつもりはないの……馬鹿になんて、本当にしてなくて……」
「口を挟んで申し訳ないですが……セレナ様は、不遇ですね。周りの皆様があまりにも強過ぎて、常に、存在意義が霞んでいます……」
「クレウサ、ちょっとそういうの止めてくれない? あたし、結構気にするわよ?」
苛立ちをぶつけるように、クレウサがボソリと呟き、セレナがギラリと睨み付ける。そんな二人に向かって、サラはひたすら申し訳なさそうに頭を下げて謝っていた。