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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第二章 城塞都市アベリン
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第十一話 旅の目的

 夜空はいつの間にか白んでいて、浮かんでいた四色の月はそのうち、三つまでが姿を消していた。城門の喧騒は既に収束しており、辺りにはもう人影はない。

 代わりに朝を告げる鳥の鳴き声が、そこかしこから聞こえて来ていた。


 そんな中、煌夜は満身創痍の身体を引きずりながら、タニアの案内で貧民街を歩いていた。


「ボス――じゃにゃくて、コウヤにゃ。大丈夫にゃ?」

「だ、大丈夫、じゃないが……なんとか生きてる。死にそうなくらい、身体中痛いけどな……」


 煌夜は全身を絶えず襲う激痛に眩暈を覚えながら、タニアの心配そうな顔に親指を立てて強がる。タニアは、もうちょいにゃ、と言ってそのまま先に進んで行く。

 目指すところは、タニアがこの街でよく利用しているという宿屋だった。


 ちなみに、今煌夜の身体は、煌夜の意思が支配している。ついさっきまではヤンフィが身体を支配していたが、あの大惨事を沈静化する為に、超人の如き八面六臂の活躍をしたせいで、魔力を消費し過ぎて支配を維持できなくなったらしい。

 先ほどいきなり身体が解放されて、直後やってきた激痛で、煌夜はさんざん悶え苦しんだ。そして今も痛みは継続中である。全身の筋肉が肉離れを起こして、骨折したまま歩いているかのような激痛だ。


(すまぬのぅ、コウヤ。痛覚を遮断するにも魔力を使うのじゃ。もう半日も経てば、妾の魔力もそこそこに回復するじゃろぅ。それまで辛抱せよ)

(……半日、も?)


 ヤンフィの台詞を聞いて、煌夜の足取りはいっそう重くなる。今すぐにも絶叫しそうなこの痛みが、あと半日も続くと言うのだ。絶望的な気分である。

 煌夜は心の中で嘆きつつ、全ての元凶のタニアを睨んだ。けれどタニアは、煌夜の視線などまったく感じず、ちょこちょこと前を歩いている。


(まあ……恨んでも、仕方ねえ、か)


 我関せずと前を行くタニアの背中に溜息を吐いてから、煌夜は痛みを誤魔化すように辺りを見渡した。

 貧民街の大通りは見るからに寂れていて、道端のあちこちにゴミと動物の死骸、寝転がる浮浪者が見受けられた。浮浪者はみな、眠っているか、虚ろな瞳で座っており、道を行く煌夜たちを呆と眺めている。

 その浮浪者の多くは、老けた顔の獣族だった。

 タニア以外の同じような猫耳白髪の老人を目にして、煌夜はしみじみ異世界に来たことを痛感した。

 ちなみに、獣族は耳こそ違えど、容姿は人間である。タニアのように特別美形ということはなかった。


「……なぁ、タニア……つかぬことを聞くが……」

「にゃん?」


 そんな様々な獣族を眺めていると、ふとタニアとの姿の違いに疑問を覚えた。

 道端にいる獣族には、特徴的な猫耳と、長短人それぞれの尻尾が生えている。だが、タニアにはその尻尾がなかった。


「タニアって、尻尾はないの?」

「にゃに!? それは失礼にゃ! あるにゃ、あるに決まってるにゃ!」


 煌夜の素朴な疑問に、タニアはビクンと震えてから、慌てた様子で反論する。逆鱗か、と煌夜は一瞬警戒したが、タニアの態度は恥ずかしがっているだけに思える。


「あるって……どこに? 隠してるのか?」


 わりとジロジロとタニアのお尻を眺めて、煌夜は首を傾げる。タニアはその態度に気落ちした様子で、にゃう、と呟いて俯いた。


「……隠しては、いるにゃ。にゃけど――わかんにゃいかも、知れにゃい、けど、ちゃんと、ここに、あるにゃ」


 タニアは弁解するかのように、ホットパンツの上から尾骨辺りを撫でて、ここにゃ、と連呼する。確かに注意して見ると、少しだけその位置が不自然にモッコリしている。


「……なんで、隠してるの?」

「――にゃにゃにゃ!? にゃんで、かにゃ……?」


 煌夜は純粋に、疑問を投げたつもりだった。だがタニアは非常に焦りを見せて、ダラダラと冷や汗を流し始める。

 その慌てふためく様を見て、煌夜の中でヤンフィがカラカラ笑った。


(ふっ……知らぬというのは面白い。おいコウヤよ。それ以上、辱めるのは止めてやれ。タニアが哀れじゃ)

(はぁ? え、辱める、ってどゆことよ?)

(タニアの態度を見ておれば分かろう。タニアは尻尾が短いのじゃよ)


 ヤンフィは楽しそうに笑いながら、煌夜に説明する。しかし、短いからなんだというのか。

 煌夜はその説明が腑に落ちず、つい独り言ちた。


「尻尾が短いと、なんなん?」

「ぎにゃん!! にゃにゃ、にゃう……み、短く、にゃいにゃ……」


 煌夜の独り言に、タニアは涙声で弱々しく反論する。ヤンフィはもはや大爆笑している。


(おい、ヤンフィ。どういうことか説明求む)

(ふっ……獣族にとってはのぅ、尻尾は種族の威厳の象徴のようなものじゃ。立派であれば立派なほど、より美しいと云われておる。逆にそれがみすぼらしければ、獣族としては恥なのじゃ。ふむ――煌夜も男の象徴が、短小で皮被りと云われれば、屈辱で恥ずかしいもんじゃろぅ?)


 ヤンフィは、カラカラと笑いながら平然と下ネタを交えて説明する。そのヤンフィの説明で煌夜は何事か理解して、途端に気まずくなった。


「……あー、そろそろ夜が明けそうだ――なぁ、タニア、宿屋はまだかな?」

「にゃ、にゃ……コウヤ、信じて、にゃいにゃ? あ、あちしの尻尾は、短くにゃいにゃ……」

「あ、うんうん。分かってるよ、分かってる。隠してるだけだろ、うん。よく見れば、あるの分かるから」

「よく、見にゃいと、わからにゃい、にゃぁ……にゃぅ」


 話を逸らして露骨に誤魔化した煌夜だったが、タニアはその煌夜の態度に、猫耳をペタンと垂らして涙目で弁解する。そのあまりの必死さに、煌夜は慌ててタニアの言葉を肯定するが、もはや遅かった。タニアは完全に意気消沈している。

 そうして、どんよりとした空気を背負ったまま、二人は無言で大通りを進んだ。


「……ここ、にゃ」


 しばらくすると、暗い顔のタニアが、三階建ての廃れた建物の前で立ち止まる。

 見ればそこは、西部劇に出てくる酒場のような入り口をした建物で、何が何だかわからない文様の描かれた看板が掛かっていた。


(この看板、何だ?)

(宿屋【オルド三姉妹亭】と書かれておるぞ。獣族の貴族御用達の店、じゃと)

(……貴族御用達って、外観からは想像できない売り文句だな)


 煌夜は胡散臭そうに店内を覗き込む。すると、いかにも廃屋じみた店内からは、むわっとした酒気が漂ってきた。

 こんな朝方の時間だというのに人の気配もある。どうやら、繁盛しているようだ。ということは、外観ほど悪い店ではないのだろう。


 タニアは迷いなく店内に入っていく。

 煌夜も恐る恐ると、それに続いて足を踏み入れる。


「いらっしゃいま――あ、姫様!」

「にゃにゃ、久し振りにゃウールー。また世話ににゃりに来たにゃ」

「そんな、世話だなんて――是非、ゆっくりしてください。あ、お食事にしますか?」


 カウンターの内側でバーテンダーのように立っていた少女が、タニアの姿を見た瞬間、恐縮した様子で頭を下げる。

 姫様、という言葉の響きに一瞬キョトンとした煌夜だったが、そういえばタニアは王族だとか言っていたな、とヤンフィとのやりとりを思い出して納得する。


「メシにゃ。あとミルクにゃ」

「――はぁい、かしこまりました。お待ちください」


 タニアは注文と同時に、カウンターに並んだ背もたれのない丸椅子に腰を下ろす。

 カウンターの内側にいる少女――ウールーは、その注文を聞くと、満面の笑顔になって用意を始めた。

 ウールーは可愛らしい少女だった。

 十二、三の中学生くらいに見える少女で、あどけないその笑顔が、つい頭を撫でたくなる愛らしさをしている。

 パッチリとした双眸に、サラサラと長い白髪、凹凸のない小柄な体躯をしていて、割烹着のような服を着ている。

 獣族特有の猫耳と細長い尻尾が、そんな彼女にはよく似合っており、印象はまさに子猫だった。

 煌夜はウールーの尻尾を目にして、ちらっとタニアのお尻と見比べる。ウールーを見た後だと、タニアには尻尾があるようには見えない。

 すると、その視線を感じたか、タニアがお尻を押さえて、フーシャー、と威嚇してくる。煌夜は慌てて、店内に視線を彷徨わせた。


 店内は広く、四十席ほどの座席と丸テーブルが置かれていた。

 テーブルの上には、食べかけの食事と酒が並んでいる。座席には、ちらほら客が座っているが、彼らはみな突っ伏して寝ていた。

 座席以外でも、酔い潰れている客が何人か床に転がっている。

 まさに死屍累々だが、不思議と心和む光景だった。


「あ、えと……いらっしゃいませ。空いている席にどうぞ。ご注文が決まったら言ってください」


 ふと入り口で立ち止まって店内を見ていた煌夜に、ウールーがぎこちない笑顔で言う。それはどこか緊張した面持ちで、怖がっている風にも見える。

 煌夜は笑顔で、食事よりも寝床をお願いしようと口を開く。今は全身の激痛がひどくて、とても食事を摂る気にはなれなかった。


「あー、俺はとりあえず眠りたいから、寝るところを提供して欲しいな」


 煌夜が軽い調子で言うと、ウールーは一瞬ギョッとして、次の瞬間、全身の毛を逆立てた。髪の毛が文字通り天を衝く勢いで、尻尾もピーンと突っ立った。


「何て無礼で横柄な! お前、何様のつもりだ、人族のくせに! ここは貴様らのような劣悪種たちの宿屋じゃない! 食事や酒は提供してやろう。けど、貴様らのような薄汚い劣悪種を寝かす寝床はない!!」

「……お、おおう」


 ウールーはその可愛らしい顔からは想像もできないほど苛烈で口汚い台詞を吐いて、般若を思わせる相貌でカウンターから飛び出してくる。

 煌夜はそのあまりの剣幕と変貌ぶりに怯えて、一歩後退った。

 トン、と背中にテーブルが当たる。その瞬間、瞬く間に近寄ったウールーが、煌夜の首に包丁を突きつけていた。


「おい、調子に乗った劣悪種! この汚い首を切られたくなければ、サッサとこの店から――」

「――やめるにゃ、ウールー。そいつは、コウヤって言うにゃ。あちしの不敗神話を終わらせて、足と手を舐めさせた初めての男にゃ。つまり、あちしのボスにゃ」

「…………は?」


 タニアの言葉を耳にして、ピタリとウールーの動きが止まる。まさに首の皮一枚のところで助かった煌夜は、ただただ唖然としていた。

 ウールーは般若だったその表情を、フレーメン反応した猫のような顔に変えて、機械仕掛けみたいなぎこちない動きでタニアに振り向く。

 タニアは偉そうに脚を組んで、足の裏を掻いている。


「ど、ど、どういうこと、で、で、ですか?」

「にゃはは、噛んでるにゃ」

「いや、あの、はい、え? か、噛んでませんよ? あ、違……どういう、ことですか、姫様」


 ウールーは激しく動揺しながら、タニアと煌夜を交互に見た。


「にゃはは、どうもにゃにも、そのままにゃ。コウヤはあちしを屈服させて、あちしに足と手を舐めさせたにゃ」

「ま、まさか!? そんな、馬鹿な!!」


 タニアの言うことは事実だが、やたらと卑猥な響きがあった。

 ウールーは驚愕、困惑、呆然と目まぐるしく表情を変えて、ガクッと足から崩れ落ちる。煌夜はとりあえず黙ったまま成り行きを見守った。


「真実にゃ。まあ、そんなことより、サッサとメシを用意するにゃ」


 タニアは崩れ落ちたウールーを笑って、カウンターをバンバン叩く。

 ウールーはふらふらと立ち上がり、幽鬼のような足取りでカウンターの内側に戻っていく。その表情は死んでいた。

 そのとき、店の奥にある階段から、にゃにゃにゃにゃ、と物凄く慌てた声が聞こえてきた。

 今度はなんだ、と目を向けると、そこにはウールーと同じ顔と背格好で、ツインテールの少女が、顔を真っ赤に立っていた。


「んにゃ? にゃ、アールー。久し振りにゃ」

「お久しぶりですニャン――じゃ、なぁい!! 姫様、今さっき、姫様はなんと仰いましたか!? アールーの聞き間違いですよね? そこな人族が姫様を――」

「――にゃぁ、うるさいにゃ。そうにゃ、コウヤはあちしを倒して、ボスににゃったにゃ」

「な、な、な、なんですと――っ!!?」


 突如現れたウールーそっくりのアールーは、凄まじい声で絶叫した。

 その大声に、煌夜は思わず両耳を押さえる。音響兵器ばりの甲高い大音量に、店内で寝ていた酔っ払いたちもビックリして起き上がった。


「相変わらず、うるさいにゃ。アールーはもう引っ込んでほしいにゃ」

「ど、ど、ど、どういうことです、姫様? ガルム族最強を誇る姫様が、こんなヒョロヒョロに負けるはずなんて――」

「アールーに説明しても無駄にゃ、サッサと戻るにゃ。あ――その前にコウヤに部屋を用意するにゃ」


 アールーはキンキン声を響かせながら、煌夜の身体をジロジロと眺める。タニアはアールーが苦手なのか、うんざりとした顔でシッシッと手を払っている。


「うぉ――お、もうこんな時間か。いやぁ寝すぎた。金はここに置いとくぜ」

「――うげっ、【破壊大帝】がいる……俺も帰るわ」


 ふと、アールーの目覚まし声で起きた連中が、カウンターにいるタニアに気づいた。すると彼らは一斉に青ざめて、どんどんと店内を出ていく。

 気づけばあっという間に、店内は煌夜たちだけになった。


「――ちっ、まったく無礼な連中ですね。姫様を敬わないとは……って違うわ! アンタよ、アンタ……えと」

「コウヤにゃ。アールー、サッサとコウヤに寝床を用意するにゃ」

「そうそうコウヤ! アンタどうやって姫様を屈服させたんです? どうせ卑劣な手を使ったんでしょ!」


 アールーはタニアの言葉を無視して、煌夜の胸元に指を突き立てる。煌夜は苦笑いで、タニアに視線を送る。


「アールー、卑怯でも卑劣でも、あちしがコウヤに負けたのは事実にゃ。あちしが認めたボスをこれ以上馬鹿にするにゃら、アールーも敵にゃ」

「――ひっ! そ、そんな、馬鹿になんて……! くっ、ウールー、部屋は空いてる?」

「……105が空いてるわ」


 ウールーは死んだ表情のまま、タニアにサラダを配給する。アールーはその返事に眉根を寄せてから、チラリとタニアの顔色を窺う。


「――いいの、ウールー? そこ、下級部屋だよ?」

「それしか空いてないもの。しょうがないわ」

「あー、安心して寝られれば、どこでもいいよ?」


 煌夜は二人の様子から、その部屋が質の悪い部屋だと分かったが、別に構わなかった。

 煌夜は寝るところを選ばない男である。苦笑しながら、大丈夫とアールーに頷く。

 しかしそこで、サラダを一心不乱に食っていたタニアが物申した。


「あちしのボスを、あんにゃ雑魚寝部屋に寝かすのは許さにゃいにゃ。空いてにゃいにゃら、あちしの部屋に通すにゃ。あちしの上級部屋にゃら、ベッドが広いから、二人でも寝れるにゃ」

「な!? ど、ど、ど、ど、同衾!? 馬鹿な!? 犯されちゃいますよ!! 何考えてるんですか!? この劣悪種、姫様を洗脳でもしたのか!」

「ちょ、何を仰って……姫様、ご乱心ですか!? やめて下さい!! 人族と一緒に寝るなんて、御身が穢れます」

「――にゃにゃにゃにゃ! うるさいにゃ!!」


 ウールーの暴言と、アールーの懇願、それを耳元で同時に聞かされて、タニアがバンとカウンターを叩いた。途端、二人はグッと押し黙る。


「コウヤをあちしの部屋に通しておけにゃ。それが嫌にゃら、別の中級以上の部屋を用意するにゃ――返事は?」

「――畏まりましたわ、タニア様」


 タニアが二人に凄んだとき、突然、煌夜の背後から静かな声で返事があった。

 バッと後ろを振り返ると、店の入り口には、アールーとウールーにそっくりの顔をした女性が、大きな袋を持って立っている。

 彼女は、二人より随分と身長が高く、大人びた雰囲気を帯びていた。

 髪は上げて一つに束ねており、ワンピースのような服装をしている。二人のお姉さんか、お母さんといった印象で、右耳と尻尾がなかった。


「「オ、オルド姉さん……」」

「オルド、久しぶりにゃ」

「ええ、ご無沙汰しております、タニア様」


 片耳の女性――オルドは、どうやらアールー、ウールーの姉であるらしい。

 二人はさっきまでの剣幕はどこへやら、借りてきた猫みたいにシュンとして、現れたオルドを見詰めている。

 オルドは柔和な笑みで煌夜に微笑み、サッと恭しく頭を下げた。


「タニア様のお連れの方とは知らず、妹たちが大変失礼を致しました。妹たちに代わって、謝罪させて頂きます。申し訳御座いませんでした」

「……あ、いやいや、別に。そんなかしこまらなくても、大丈――っっっ!!」


 煌夜は礼儀正しいオルドに面食らった。その隙を突いて、オルドはニコリと満面の笑みを浮かべたまま、サッと煌夜の首筋を舐め上げる。

 そこはウールーに包丁を当てられたところである。

 煌夜はビクッと慌てて飛び退いて、丸テーブルに腰をぶつけてこける。

 オルドはそんな煌夜を妖艶な笑みで見下ろして、チロリと舌舐めずりをした。オルドからは、フワッと甘い香りがした。


「わたくしはオルド・ガルムと申します。この宿屋の店主をしております。そこなアールー、ウールーは不肖の妹。以後よしなにお願い申します」


 オルドは丁寧な挨拶と共に、深く頭を下げる。つられて煌夜も、その場でペコリと頭を下げる。


「さあ、アールー、ウールー。わたくしもコウヤ様に服従いたしました。コウヤ様は最上級の客人です。急ぎ部屋を用意なさい」

「さすがオルドにゃ。話が早いにゃ――じゃ、早くメシも頼むにゃ」

「「――は、はい!!」」


 オルドの指示に、二人は敬礼でもせんばかりの勢いで返事をする。

 それを見て、タニアは感心した風に頷いていた。一方、唖然として尻餅をついたままの煌夜に、オルドは跪きその肩を持って助け起す。


「あ、ど、どうも……」

「どういたしまして――あら? 不思議な響き……もしかして、統一言語オールラング)ですか?」

「う、ま、まあ、はい、そうです。あ、肩どうも、大丈夫ですんで」


 オルドは煌夜の答えに、へえと感心した吐息を漏らす。煌夜は柔らかいオルドの肌にドギマギしつつ、慌ててオルドから距離をとった。


「それでは、アールーがお部屋まで案内いたしますので、しばらくお待ちください。コウヤ様」


 オルドは恥ずかしがっている煌夜に一礼すると、持っていた袋をウールーに渡して、アールーの後を追うように二階へ消えていった。

 煌夜はポーッとオルドの後ろ姿を見送ってから、テキパキ準備するウールーを見た。顔付きはまったく同じだが、色気がまったく違うな、と失礼なことを思う。

 刹那、ギラリとウールーに睨まれた。煌夜は視線を逸らしつつ、タニアの隣に座る。


 しばらく待っていると、ウールーが香ばしい匂いのスープをタニアに出す。

 それは一見するとけんちん汁みたいだが、匂いはグリーンカレーを思わせた。思わずその美味そうな匂いに、煌夜は喉が鳴る。


「にゃ? コウヤも、食べたいにゃ?」

「一口だけ、欲しい、かも」

「仕方にゃいにゃ……丁重に断るにゃ」

「――って、断んのかよ!?」


 タニアは物欲しそうな顔をした煌夜にスープを近づけて、しかしサッと引っ込めてスプーンで食べ始める。煌夜はガクリと肩透かしを食らって、恨めしい視線でタニアを睨んだ。

 だが、効果はなかった。

 そんな下らないやり取りとしていると、ツインテールをパタつかせながら、慌てた様子でアールーがやってくる。


「――た、大変お待たせしました。そこの人族……もとい、コウヤ……様、お部屋のご用意ができましたので、こちらへどうぞ」


 アールーは、煌夜に一応頭を下げたが、その顔は笑っていなかった。煌夜は食事とアールーを交互に見てから、空腹よりもやはり休息を選ぶ。


「ああ、ありがとう。行くよ」

「コウヤ。とりあえず、あちしはここで食事してるにゃ。コウヤはゆっくり休んでくるにゃ。朝ににゃったら、起こすにゃ」

「――では、こちらです」


 タニアの台詞に、もう数時間で朝になるだろ、と一抹の不安を感じたが、激しい疲労とぶり返してきた激痛のせいで、そんなツッコミはスッと煌夜の思考から抜け落ちた。

 煌夜はアールーの案内に従い、三階の角部屋に通される。


「――当宿屋の最上級のお部屋をご用意いたしました。本来ならば、一晩テオゴニア銀紙幣十五枚はするお部屋ですが、アールー……わたくしの不手際のお詫びとして、無料で、結構でございます」


 アールーの言葉遣いは丁寧だったが、非常に棒読みで、しかも合間合間にギリギリと歯噛みする音が聞こえている。よほど悔しいのだろう。額に青筋が浮かんでいるのが見て取れた。

 しかし煌夜には、テオゴニア銀紙幣というのがどれほどの価値かわからないので、その金額を強調されてもピンとはこない。

 ただ、とにかく高級な部屋ということだけは、内装を見れば一発でわかったので、煌夜は笑顔で感謝する。


「ありがとう、ゆっくり休ませてもらうよ」

「――くっ、ごゆっくり、どうぞ」


 アールーは悔しそうに扉を閉めて出ていった。

 部屋の中は、最上級と言うに相応しい豪華さだった。

 二十畳はあろう広い部屋は、天井一面が採光窓になっており、見上げると白んでいる黎明の空が広がっている。

 床一面には、フカフカの絨毯が敷かれており、八畳ほどの寝室が別室になっていた。

 寝室には、天蓋付きのキングサイズベッド、シャンデリアのような装飾が吊るされていて、部屋隅には宙に浮く炎が灯っている。

 バルコニーもあり、そこからは貧民街の大通りが見渡せた。また、銭湯みたいな大きい風呂場と、個室の和式便所が備え付いている。


「すげぇ、けど……逆に落ち着かないな、これは……」


 一通り部屋を検分してから、煌夜はベッドに横になる。

 貧乏性の煌夜には、この部屋は少し豪華すぎて、気持ちが緊張してしまう。しかし、その羽毛のように柔らかいベッドのおかげか、瞳を閉じれば、ドッと疲労が溢れて、途端、睡魔に襲われた。


 煌夜はその睡魔に抗うことなどせず、そのまま思考を手放した。

 そうして、煌夜の意識は夢の中へと溶けていく。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 水の中でたゆたう感覚があった。

 目を開けていないのに、辺りが暗闇だと理解できていた。瞬間、嗚呼これは夢だ、と煌夜は自覚する。

 ここが夢だと自覚した途端、暗闇の中に煌夜の身体が浮かび上がった。

 意識が鮮明になって、視界が開ける。しかし、視界は開けても、周囲は暗闇で自分の身体以外には何も見えなかった。


「――ふむ、コウヤよ。疲れておるところ申し訳ないが、妾を認識してはくれまいかのぅ?」

「ん? あ? ヤンフィ、か?」


 周囲の暗闇を見渡したとき、目の前からヤンフィの声が聞こえてくる。

 煌夜はその声を聞いて、目の前の闇に目を凝らすと、浮かび上がるようにしてヤンフィの姿が現れた。

 相変わらず小さい体躯に、金色の蓮と青い鳥の柄をした紅蓮の和服を着こなし、纏う覇気は王者の風格である。


「すまぬのぅ、コウヤよ。少々相談したいことがあってのぅ。聖魔神殿を出てからこっち、現状をゆっくり説明する暇がなかったからのぅ。コウヤの夢の中で悪いが、この場を借りて話し合いをしてはくれぬかのぅ?」

「あ、ああ? まぁ、いいけど……」


 煌夜はヤンフィの言葉に曖昧に頷く。

 これが夢だと自覚している以上、現れたヤンフィが果たして本人という確証はない。まあ、本人だろうとそうでなかろうと、あまり関係はないが――そんなコウヤの疑念を感じたのか、ヤンフィは苦笑しながら続ける。


「まぁ、信じぬでも問題はない――さて、相談したい事と云うのは、今後のこと……コウヤの目的についてじゃ」


 ヤンフィはそう言うと煌夜の目線の高さで、空中に座る。

 ハッと気付けば、そこには肘置きのある椅子があった。


「――目的? 俺の、目的について?」

「そうじゃ。とりあえず一息つけたところで、今後の行動を考えねばならぬじゃろう?」


 ヤンフィはそれが当然という顔をして、煌夜に首を傾げて見せる。煌夜は頷いてハッキリと即答する。


「俺の目的は変わらないよ。ヤンフィにも説明したと思うが、俺は、リュウ、コタ、サラの三人を見つけ出して、日本に連れ帰る。それが目的だ。三人を連れ帰れるなら、この命だって惜しくはない……つっても、今は既になんだかんだ死んでるようなもんかも知れないけどさ。まぁ、そんなわけで、当面は三人を捜すことが最優先だろうな。聞き込みとかして――」

「ふむ。なるほどのぅ……であればやはり、コウヤは自覚しておかなければならないのぅ」

「――自覚?」


 ヤンフィは煌夜の言葉に当然の顔で頷いて、スッと指を右の暗闇に向ける。

 煌夜が意識を向けると、突然、そこに焼け焦げた人型の何かが浮かび上がった。


「――――は? え? う、げぇ――っ」


 それを見た瞬間、浮かび上がったその人型が何か理解できて、煌夜は暗闇で思い切り吐いた。吐瀉物はすぐに消えてなくなったが、口の中の酸っぱい感覚は消えない。

 その人型は――煌夜だった。

 両腕がなくなり、全身の皮膚はほとんど炭化していて、右足が壊死していた。左胸には大きな穴が空いていて、肋骨が何本か腹から突き出ている。

 誰がどう見てもそれは死体以外の何でもなかった。

 ヤンフィは申し訳なさそうな顔で告げる。


「これが、今のコウヤの姿じゃ。半ば生体活動を停止しておる。それを、妾の能力で生かしておる状態じゃ」

「……ぐっ、こ、これで、生きてる?」

「うむ、心臓ほか主要臓器は全て妾の器を使い、魔力を代替にして強制的に血も作っておる。細胞は妾の魔力で壊死せぬよう活性化しておる……妾の魔力が尽きぬ限り、脳が欠損しなければコウヤは死なん」


 煌夜は自身の現状を見て青ざめて、ヤンフィの説明を聞いて絶望した。それは言い換えれば、ヤンフィがいないと即死を意味する。


「――妾は、この命を賭してコウヤを助ける。妾の目的は何をおいても、コウヤ――なれ)の命を救うことじゃ。じゃから、コウヤの目的であるわらし)捜しにも、無論協力はするが、今はそれよりも、コウヤを癒せる治癒術師を探したい」


 ヤンフィは煌夜の瞳を真っ直ぐと見て、力強く断言する。

 ヤンフィの蒼く澄み渡るその双眸には、絶対に譲らない強固な意志が感じられた。煌夜はその眼力に気圧された。


「――それと同時に、タニア以外にも旅の道連れを増やしたい。妾はコウヤの生体活動を維持するのに、常に魔力を放出し続けておる。その維持にかかる消費量は微々たるものじゃが、おかげで妾の魔力量はほとんど自然回復せぬ。じゃから、コウヤの身体を使い、魔力消費しすぎると、コウヤを殺してしまいかねん――今回のことは反省しておる。致し方なかったとは云え、コウヤの身体を酷使し過ぎて、魔力も使いすぎた。危うくコウヤの身体が崩れ落ちるところじゃったわ」


 その真剣なヤンフィの言葉に、煌夜はゾッとする。ヤンフィがいなければ確実に死んでいたが、それでも尚、死の際だったという事実に、心底震え上がった。


「じゃから、妾はコウヤを護る為に、常に余力を残さねばならん。とはいえこの世界は、コウヤの体験した通りに、死がひどく身近に潜んでおる。コウヤのように魔力を持たず、文化も分からぬでは、間違わずに歩いておっても死ぬ事はあり得る。そうならぬ為に、強き道連れを探すべきじゃ……タニアは幸先の良い一人目じゃが、護る事には性格上、適さぬ」


 ヤンフィは言って、一旦言葉を区切った。煌夜の顔を窺って、理解しているかを確認している。

 煌夜は蒼白な顔のまま、小さく頷いた。


「さて、それでは本題じゃ。旅の指針と、当面の目的を定めよう」


 ヤンフィはパチンと指を鳴らしてから、煌夜を指差す。


「まず旅の指針として、コウヤの身体を癒せる者を捜す――それを最優先とすべきじゃ。童を捜さぬではないが、それはとりあえず捨て置け。この世界は広い。そんな中で、童三人を何の情報もなく捜し出すのは、砂漠に埋まる玉を拾うに等しい。無駄な労力じゃ」

「……手掛かりが、どこかにあるはずだろ? 子供とはいえ、人が三人……それも、異世界からの迷子だぜ? 目立つだろうし――」

「それを捜す手間を惜しむと云うておる。確かに、異世界から来たと云うのは珍しい。じゃが、異世界人はこの世界でもそこそこおる。聖魔神殿でも説明したじゃろぅ? テオゴニアの常識として世界とは六面あり、ここ以外の五面が、このテオゴニア世界にとっての異世界じゃ。コウヤの世界から来たかどうかなど、テオゴニアの住民からすれば瑣末じゃ。言葉の通じぬ異世界人――その情報だけを手に、汝はどうやって童を捜すと云うのじゃ?」


 冷静な声で諭すように説明するヤンフィに、煌夜は押し黙るしかなかった。

 ヤンフィの言い分は正しい。右も左も分からぬこの世界で、手掛かりもない今の状況で、三人の子供を捜すなど不可能に近い。

 捜したい、その気持ちだけで見つけることが出来るほど、世界は甘くはないだろう。

 この世界で煌夜は無力である。誰かの助けを借りなければ、すぐにでも死んでしまうほど弱小な存在である。

 そんな煌夜が、願えば叶うと思えるはずがなかった。


「童を捜さぬと云うことではない。じゃが、それよりも優先として、コウヤを癒せる者を捜そうと云うておる」

「…………それは、でも結局、人捜しだろ? この世界は広いんじゃないのか?」


 煌夜はヤンフィの正論に説き伏せられた意趣返しに、そんな揚げ足取りのようなことを言う。ヤンフィは首を横に振って、優しい声で続ける。


「人捜しには違いない。じゃが、童たちよりも手掛かりは遥かに多い。そもこの世界で、治癒術師はそう多くはいない。目立つ存在じゃ。見つけること自体は、容易いじゃろう。心当たりもある」

「…………」


 歯噛みして黙り込んだ煌夜に、ヤンフィは人差し指を一本立てる。


「当面の目的として――今話した心当たりのある治癒術師、今代の【聖女】に逢いに往くぞ。聖女は、世界中の治癒術師の中で、最上級の素質を認められた者じゃ。コウヤを癒せるか否かは分からぬが、癒せる可能性は一番高い存在じゃ。居場所もすぐに分かるじゃろぅ」


 ヤンフィはさらに中指を立てて、次に、と続ける。


「そして、奴隷でも、そこらの冒険者でも良いが、仲間を探すぞ。手を増やせば、それだけ何をやるにも有利に働く。まぁ、仲間は信用できる者でなければ意味はないが――じゃから、妾としては、逆らうことのできぬ奴隷を買うのがお薦めじゃよ?」

「……奴隷を買うって、この世界は、そんなこと簡単に出来るのか?」

「ふむ? ああ、テオゴニアには奴隷制度がある。それは、おそらく今も変わっとらんじゃろぅ。タニアに聞けば分かろう」


 煌夜は奴隷という言葉で、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 人身売買は確かに日本にもあったろう。だが、それが身近に感じることはなかった。つくづくここは煌夜の住んでいた世界と違う。

 ヤンフィは、そして、と薬指を立てる。


「道中の冒険者ギルドで、童たちを見つけたら保護するよう依頼を出そう。聞き込みをするよりも、あちこち歩き回るよりも、そのほうがずっと効率的じゃ。童捜しは当面、それ以上の労力を割かぬでよかろう」


 ヤンフィのその提案は、現実的である。

 煌夜が闇雲に探し回るよりも遥かに効率的だし、治癒術師捜しとも並行できるだろう。しかし、煌夜は一つの盲点を指摘する。


「ヤンフィ……冒険者ギルドってのは、三人の特徴だけで、見つけてくれるのか?」

「それは無理じゃろぅ。童の特徴なぞ、どれもこれも同じじゃよ。じゃから、妾が魔力で似顔絵を描こう」


 ヤンフィはニコリと笑って椅子から下りると、煌夜の目の前に立って、横の暗闇に顔を向ける。


「コウヤよ。ここは汝の夢の中じゃ。そこに、童たちの姿を思い描け――妾がそれを覚えて、起きてから魔力で具象化しよう」


 煌夜は目をパチクリさせてから、すぐに納得して目を瞑る。そして、別れたときの三人の姿を思い描く。途端、その姿は暗闇に具現化して、まるで本人たちの等身大フィギュアのような精巧な人形が現れた。


「…………ふむ。やはり心当たりはない……じゃが……ふむ」

「――どうだ、ヤンフィ? この眼鏡を掛けた子が、リュウ――天見竜也で、こっちがコタ――谷地虎太朗。で、この子が、月ヶ瀬、サラだ」

「ふむ? アマミ、と云う響きは、コウヤも確かそうだったのぅ。あまり似とらんが、兄弟か?」


 煌夜の説明にヤンフィが不思議そうな顔で聞いてくる。それに煌夜は緩く首を振って、三人全員を指差して断言する。


「全員、俺の弟妹だよ。名前はあまり気にしないでくれ」

「そうか……ふむ。よし、覚えたぞ。妾が後で似顔絵を作ってやるわ」

「――頼むぜ? 似てる絵を描いてくれよ?」

「馬鹿にするでないわ。覚えた映像を具象化するだけじゃ、間違えようがないわ」


 煌夜は軽口を叩いて、ヤンフィはフンと鼻を鳴らした。そうして、またふたたび椅子に腰を下ろしたヤンフィが、さて、と改まる。


「――で、どうじゃ、コウヤよ? 今後の行動と目的について、妾の提案で良いかのぅ?」


 ヤンフィのその問いは、有無を言わせぬものではなく、煌夜の意思を尊重しているのが分かった。そういえばヤンフィは、相談と言って話を切り出していたのを思い出す。

 なるほど確かに、これは相談だ。

 たとえ、これ以上の具体案がなく、選択肢さえなくとも、ここで煌夜がダダをこねれば、おそらくヤンフィはそれを聞き入れてくれるだろう。

 それが分かって、煌夜は苦笑しながら頷いた。


「ああ。ヤンフィの提案が一番、現実的で効率的だ。分かったよ。とりあえず、当面はその……【聖女】? とやらに会いに行こう。どこにいるか知らないが……まぁ、できるだけ早く」

「ありがとう――それでは、妾たちの大まかな今後の行動は定まったのぅ。さて、となれば、タニアにはどこまで説明をするのじゃ? まだ詳しい話は何もしておらぬじゃろぅ? コウヤが何者で、妾が何者か……【鑑定の魔眼】で見た以上のことは知らぬはずじゃ。彼奴は馬鹿ではない。じゃから、一から十まで説明せずとも良いと思うが……」

「いや、俺の経緯を全部話して、今後のことも説明するよ。仲間として一緒に来てくれるなら、いずれ説明する必要はあるし……それで、別れることになっても仕方ない。つうか、ちなみにさ。俺もヤンフィもこと詳しく知らないんだけど?」

「ふむ……妾のことは、あまり気にするでない。女に秘密は付き物じゃ――っと、まったく無粋な」


 ヤンフィが口元に指を押し当てて薄く笑った瞬間、グラリと暗闇が地震のように揺れた。

 ヤンフィは途端に眉を顰めて舌打ちをする。何が起きたか、煌夜は辺りをキョロキョロと見渡す。だが、暗闇に変化はない。


「……では、ここいらで妾は戻るとしよう。コウヤよ、これは汝が覚醒する前兆じゃよ」

「は――? え? 俺が目覚めそうになってんのか?」


 煌夜はその言葉に首を捻る。あまりそんな感覚はなかった。しかし、グラグラという揺れは段々と強くなっていく。

 ふと見れば、ヤンフィの姿はもう消えていた。


「うぉ、なんか、気持ち悪いな……」


 何もなくなった暗闇に、煌夜は一人だけ佇んでいる。

 揺れは、もはやひっきりなしで、頭がガンガンと鳴り響くように痛くなっていた。

 そんな中で意識を集中する。すると、どこか遠くから煌夜を呼ぶ声が聞こえてきた。その声を意識したとき、確かにヤンフィの言う通り、覚醒直前の浮き上がる感覚が襲い掛かってくる。

 暗闇にあった煌夜の身体は消えてなくなり、目を瞑っているのを認識できる。そしてその瞼が痙攣していた。


「――――起きるにゃ、朝にゃ!!」


 最後に、その声がタニアのものだと理解した瞬間、煌夜の意識は光り輝く現実へと押し戻された。


※後書きのキャラクター設定は別途まとめて記載します。


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