第九十二話 タニアの奮闘
飛竜便が完全に降り立ち、タニアは勢いよく飛び出した。
「ようやく着いたにゃ――長かったにゃ!!」
ここ最近、四色の月一巡ほどの短い期間ではあれど、煌夜やセレナなど誰かしらとずっと一緒に行動していたからか、独り旅が随分久しぶりに思えた。たった丸一日程度とはいえ、寂しさを感じるとは我ながら珍しいと自嘲した。
飛竜便を降りたタニアは、グッと身体を大きく伸ばしながら、周囲をキョロキョロと見渡す。
きっと誰かしら迎えに来てくれるだろうと期待しており、そのサプライズに驚いたフリをしようともしていた。なので、その場に立ち止まり、馬鹿みたいに背伸びを繰り返す。
果たして煌夜の迎えはどこから来るのか、と気配を探るが、一向に誰かが来る気配がなかった。
「んにゃぁ? あちしがこの時間に到着することは、分かってるはずにゃ……にゃんで、逢いに来てくれにゃいにゃぁ?」
タニアは首を回しながら、不愉快そうに眉根を寄せた。もしや、煌夜に何かあったのか、と少し心配になる。
しかし、すぐさまその不安は打ち消した。
確かにディドとマユミは不安要素でしかないが、魔王属であるヤンフィが煌夜を護っているのだ。万が一の何かなぞ、起きえるはずはなかろう。
何かしら別の急務が出来て迎えに来れなくなったのだろう、とタニアはすかさず思考を切り替えた。
(……とはいえ、にゃ。よく考えると、ヤンフィ様って運が悪いにゃ。もしかしたら、対処出来にゃい不測の事態が起きた可能性は、あり得るかもにゃ)
この場にヤンフィが居ないからと、自分のことを棚上げして、失礼なことを考えた。
そうして、とりあえずしばらくの間、タニアは飛竜便の発着場で座って待っていた。だが、一時間ほど待っても誰も近付いてこないことを確認して、もういいか、と立ち上がった。
こんにゃ待っても来にゃいにゃら仕方にゃい、と独り呟き、タニアから迎えに行く気持ちになる。
「……さて、と。どこに居るにゃかねぇ……」
タニアはすかさず【神の羅針盤】を取り出して、煌夜の姿を思い浮かべつつ魔力を流し込む。
羅針盤の針は瞬間的に南東を指し示した。反応から察するに、それほど距離が離れている訳ではないが、徒歩で行ける距離でもない。
「……にゃんで、あちしを待たずに、隠れ家に向かったにゃ?」
羅針盤の針はいまは振れず、移動していないことが分かった。けれどその位置に対して、タニアは首を傾げながら、ヤンフィとマユミ、ディドの位置も調べてみる。
「あれぇ? にゃんでにゃ?」
すると不思議なことに、ディドだけが別行動しているようだった。しかもディドの気配は、オーラドーンの王城ロード内部のようで、城内を動き回っている様子が窺える。
何らかの任務か、と怪訝な表情を浮かべるが、ディドだからどうでもいいか、と思考から除外する。
一方で、ヤンフィとマユミは、煌夜と同じ付近で動きを止めていた。場所も距離間から考えると、事前に聞いていた第四区画にある宿屋『甘味亭流砂』だと知れた。
マユミが『隠れ家』とも言っていた場所だ。待ち合わせ場所でもあるが、タニアと合流する前に向かったということは、つまり予期せぬ事態が起きた可能性が濃厚だった。何が起きたのか――
「――って、ま、いいにゃ。取り急ぎ、あちしはコウヤのとこに向かうだけにゃぁ」
タニアは一瞬だけ悩まし気な表情を浮かべたものの、すぐにケロッと笑顔で思考するのを辞めた。
何が起きていようと、別段、タニアの行動理念も行き先も変わらない。タニアが優先すべきは、煌夜との合流であり、それ以外は些末である。
「けどにゃぁ……ちょっと腹減ってるにゃぁ。飯、どうするかにゃ……」
切り替えて、いざ煌夜たちの待つ第四区画に向かおうと決意した瞬間、タニアの腹が、ぐー、と盛大に鳴いた。飛竜便で移動中、食事らしい食事など摂っていなかった。
いますぐ食事しなければ死ぬほどではないし、空腹で動きが鈍くなることもない。けれど、オーラドーンに到着してから食事をしようと心に決めていたので、気分的には食事がしたかった。
「……でも、独り飯はにゃぁ……コウヤと一緒に食事しようと思ってたのににゃぁ……我慢するかにゃぁ……どうしようかにゃぁ」
タニアはとりあえず香ばしい匂いのする方向に歩きながら、腕を組んでうんうんと唸った。
空腹を我慢して煌夜の元に向かい、そこでゆっくり食事をするべきだ。それが一番、食事も美味しいに違いない。それは分かるが、食事を我慢する意味もない。
悩ましいにゃぁ、と下らない葛藤をしながら、さも当然のように賑わう酒場に足を踏み入れる。
「いらっしゃい――ほぉ、猫耳獣族の冒険者か? ここらじゃ、あんまり見かけない顔だが……アンタ、観光か?」
「黙るにゃ――とりあえず温かいミルク出すにゃ」
「……はいよ」
今の今まで何を悩んでいたのか疑問に思えるほどスムーズに、タニアはカウンターに座り、飲み物の注文をした。悩んだフリをしていただけで、端から食欲を我慢するつもりはなかったらしい。
「にゃあ、こっから、第四区画ってとこに行くには、どうすれば良いにゃ?」
タニアは気軽な口調で、カウンターに座っている冒険者風の老戦士に首を傾げる。
朝っぱらからエール酒が入ったジョッキを呑んでいた老戦士は、いきなりタニアに話しかけられてビクッと肩を震わせていた。
老戦士は酒で赤ら顔だったのが、見る見るうちに青ざめて行く。
威嚇も何もしていないが、タニア――というよりも、猫耳獣族に話しかけられたことが恐怖であるらしい。ジョッキを持つ手も震え始めていた。
「おい、聞いてるにゃか? 顎鬚のお前に聞いてるにゃよ!? 第四区画、にゃ――サッサと答えるにゃ」
しかしそんな老戦士の恐怖なぞお構いなく、タニアは舌打ちと殺意を滲ませて睨みを利かせる。ちょうどその瞬間、タニアの前に湯気の出たジョッキが置かれた。
「あ、お、う……第四区画、に行くなら……駅馬車、だな……寝台付きで、快適――」
「――んにゃのどーでもいいにゃ。どれくらいの時間が掛かるにゃ?」
もう一杯にゃ、とカウンターに空のジョッキを叩きつけて、老戦士の言葉を遮った。老戦士はいっそうビクっと身を縮こませて、小刻みに頷く。
「おぉ、ぅ……第四区画、の……どちらに?」
「ぁあ? 知らにゃいにゃ! 第四区画の――『甘味亭流砂』にゃ!」
「…………え、あ……あ? ぅ、あの? 甘味亭、流砂?」
タニアの言葉に、恐怖ではなく驚愕を示してから、老戦士はゴクンと唾を呑んだ。どうやら場所を知っているらしい。
タニアは力強く頷いて、そうにゃ、と鋭く睨み付ける。途端、老戦士のみならず、カウンターでせせこましく動いでいた店員も反応した。
「何が目的か知らんが、あそこに行くのは辞めといた方がいい……治外法権の第四区画にあって、もっとも常識が通じないところだぞ?」
「ええ、お客さん。悪いことは言わないです。あそこは危険です。実力があるなら、なおさら――差別する訳ではありませんが……獣族は特に……厄介な相手に絡まれる可能性が高いですよ」
真剣な表情で、老戦士も店員も口を揃える。タニアは怪訝な表情で聞き返した。
「厄介にゃ相手、って何者にゃ?」
タニアの質問に、老戦士と店員が顔を見合わせてから、困った表情で頷いた。口を開いたのは、老戦士だった。
「……剣神会、って知ってるか?」
「知ってるにゃ。獣族差別の激しいイカレタ剣士集団にゃ? それがどしたにゃ?」
「……なら、話は早い……あの宿屋は……その剣神会のトップ――【剣神】マルスが足繁く通う場所だ……下手に実力があるなら、いきなり喧嘩を売られて、殺されるぞ?」
「はぁ? だからにゃんにゃ。あちしには、そんにゃの関係にゃいにゃ」
恐る恐ると小声で教えてくれた老戦士に、タニアは、知らんにゃ、と話を切り上げる。
誰が利用していようと、誰が喧嘩を売ってこようと、全て返り討ちにすればよい。それに誰が待ち構えていようと、煌夜と合流するのに必要であれば、別に気にすることではない。
とはいえ、なるほど――タニアは、マユミがどうしてその宿屋を指定したのか、理由を理解した。
剣神マルスほどの強者が通っている場所であれば、確かに、帝都オーラドーンにあって、最も隠れ家に適しているだろう。
【剣神】マルス・フー・ヨウリュウ――剣神会において頂点に座する最強の号を持つ剣士だ。冒険者筋では【狂気の魔剣士】マルスという通り名でも有名である。
誰彼構わず強者と思った相手に喧嘩を売り、誰からの命令も拒否する究極の自己中人種という噂を持つ。強者ではなく、狂者として語られることが多い男だ。
ちなみに、剣神会が獣族差別する根幹には、このマルスが理由である。マルスは獣人を見ると、男女の別なく、無抵抗だろうとお構いなく、問答無用に手足を切断するらしい。そして『強さこそ全て』という実力至上主義も公言しており、何もかもを強さの尺度で考え、解決する傍若無人の化物らしい。
(……ん? そいや、どうでもいいにゃが、『ヨウリュウ』って名前、マユミと被ってるにゃぁ……親族かにゃ?)
口には出さず、タニアはそんなことを思考しながら、おかわりのミルクを飲み干す。
剣神マルスには関わらない。それが冒険者たちの間では有名な戒めであり、同時に、国家間では剣神マルスを刺激するな、という触れ込みさえ出ている。
誰も逆らえない絶対恐怖の存在――それが【剣神】マルスだった。
「――で? マルス云々はどーでもいいにゃ。時間はどれくらい掛かるにゃ?」
剣神マルスがどんな人物か知ったうえで、しかしタニアは全く気にせず、マイペースに質問を続ける。その態度に唖然として、老戦士は、呆けたように頷いた。
「……あ、ああ……そうだな……途中で、駅馬車を降りて、徒歩で行くことになるが……今からなら、五時間か、六時間か……それでも陽が沈む前には、着くと思うぞ……?」
「おぉ、それは良いにゃ――にゃけど、だとしたらここで食事すべきにゃ。おい、サラダと鶏肉の定食を出すにゃ」
「――あ、は、はい。かしこまりました」
少なくとも半日近く掛かるのであれば、腹ごしらえしておくに越したことはない。そうと決まれば、とタニアは注文する。
老戦士と店員の忠告を聞いて、それでも平然と第四区画まで行くのを辞める気のないタニアに、周囲の反応は驚愕だった。誰もが、大丈夫かこの獣人は、と正気を疑っていた。
しかしそんな視線など意に介せず、出された定食をたらふく食べながら、帝都オーラドーンで最近あった情報などを聞き込みした。
老戦士や店員はタニアを哀れに思ったのか、情報料を払うことなく、親切丁寧に教えてくれる。
とりあえず聞ける情報を聞くだけ聞いて、食事を終えると酒場を出た。
「……あんまし、有意義にゃ情報、全然にゃかったにゃぁ」
満足気な顔をしながら、タニアはそんなことを独り呟く。聞けたことは少なくないが、煌夜の弟妹に関する情報とは思えないものばかりだ。
こんな雑魚情報では、煌夜に褒めて貰えないではないか――と、タニアは少し残念に思っていた。
「あ、そうにゃ! コウヤの弟が近くに居たら、あちしが見付けるにゃ!! 連れて行ったらきっと褒めてくれるにゃ!」
駅馬車に向かって歩いている最中、唐突にタニアは妙案を思い付く。
そもそも帝都オーラドーンに来た目的は、煌夜の弟『コタロウ』を探すためだ。けれど、タニアが居ない為に、詳細の場所が分からないはずである。
だからこそ、煌夜たちは一旦、隠れ家に向かったのかも知れない――そう思考して、タニアは神の羅針盤を発動させた。
気配はあまり遠くない位置にある――そう知覚した瞬間、ふと鋭い視線を感じた。
その視線は殺気であり、明確な敵意であり、タニアに対する攻撃の意志表示だった。喧嘩を売られていると直感する。
「にゃ? どこ、にゃ?」
タニアはすぐに周辺を見渡すが、しかしどこにもそれらしい気配はなかった。隠れているのではなく、一瞬だけで気配が立ち消えていた。
「……んにゃぁ……不愉快にゃ。あちしに喧嘩売ってたにゃ」
タニアは殺気を溢れさせながら、消えた気配を探す。あまりにも険しい顔と凄まじい覇気のせいで、道を歩く人々は露骨に恐れて距離を取っていた。
そんな中、歩いてきた道をだいぶ戻るが、先ほどタニアが出てきた酒場の通りで、壁にもたれ掛かっている一人の剣士を見付けた。
その剣士は茶色の長髪をして、一見すると女性に見える容姿をしていた。だが【鑑定】の魔眼で見る限りは紛れもなく男であり、それなりの強者で間違いない。
距離にして200メートルはあるだろうが、それでもタニアが視線を向けた時、バチ、と目が合った。
「――にゃににゃに……リン、レイ? テラ・アレーの人間かにゃ?」
剣士は視線が合った途端に、スッと自然な動きで立ち去ろうとしている。それを見逃さず、タニアは不敵に笑いながら、全力で跳び掛かった。
タニアの全力にとって見れば、200メートル程度は一秒も掛からず詰められる距離だ。
「――――ん!? な、何!? こ、のクソ獣族!?」
「ぶっ殺すにゃ!!」
剣士――凛麗は、タニアが突如として襲い掛かってきたのを見た瞬間、腰に帯びていた細長い刀を抜き放ち、防御姿勢を取っていた。なかなか反応が早い。
タニアの渾身のグーパンチがその刀に激突して、周辺が凄まじい風圧で破壊された。
当たり前だが、わー、きゃー、と周囲から悲鳴が上がり、何が起きたか分からない通行人たちが慌てて逃げ出し始めた。
それを横目に、タニアは一歩バックステップして、合わせるように凛麗も苦虫を嚙み潰したような顔で距離を取っていた。予想外だ、と小さく呟いている。
「おい、お前! にゃにが目的で、あちしに敵意を向けたにゃ!?」
「――突然、小生に襲い掛かってきて、なんて言い草だ。野蛮な猫耳獣族め……常識はないのか!?」
「うっさいにゃぁ!!」
タニアは間髪入れずに、右拳を突き出した。それは無詠唱による中級風属性魔術【轟風】である。
展開された魔術はまるで巨大な拳圧の如く、特大の風塊となって凛麗の眼前に迫る。しかし轟風は所詮中級、凛麗は舌打ち一つと共に切り払って見せた。
結果として、互いにノーダメージだが、周囲の建物だけが半壊するほどの被害を受ける。遠くで悲鳴がいっそう騒がしくなっている。
「……街中で、ここまで大騒ぎすることになるとは……些か、予想外だった……まさかここまで野蛮な種族だったとは、小生、甘く見ていたぞ」
「にゃぁ、リンレイ! お前、にゃんであちしに喧嘩売ったにゃ? あちしは当然、売られた喧嘩は買うに決まってるにゃ! 弁明があるにゃら、死ぬ前に言うにゃ!」
「……なるほど。【剣王】リュウ・ライザを殺した実力は、事実のようだな」
「んん? にゃんだ? お前、もしかして、剣神会のクソかにゃ? 敵討ちかにゃ?」
凛麗が呟いた名前に思い当たる節があり、タニアは顔を顰めながら問い掛ける。それに対して、凛麗は苦笑しながら刀を素振りする。
「小生、剣神会【剣仙】、月の号を持つ凛麗である。どうせ鑑定の魔眼で把握しているとは思うがな。そういう貴様は、マユミ・ヨウリュウと行動を共にしている。大災害『タニア・ガルム・ラタトニア』で相違ないのか?」
「はぁ? にゃんでリンレイに教えにゃきゃいけにゃいにゃ!? 黙るにゃ!!」
「…………小生は名乗ったぞ? 貴様も名乗る義務が――」
「――お前、五月蠅いにゃあ。これ以上はもういいにゃ。殺してやるから、サッサと、あちしに喧嘩売った理由を教えるにゃ!」
タニアは凛麗の反論に被せて、語気荒く怒鳴り散らす。その態度に辟易した表情を浮かべた凛麗は、これ見よがしに溜息を漏らしていた。
「――会話が成り立たない、か。いいだろう、一度だけ問う。マユミ・ヨウリュウはどこに行った?」
「会話が成り立たにゃいのは、あちしの台詞にゃ。これが最後通告にゃ。泣いて詫びるか、黙って死ぬか選ぶにゃ!!」
「…………致し方ない」
選択肢が既に破綻しているタニアの台詞に、凛麗は首を振っている。その態度を見て、タニアはすかさず両拳を握り締めると、無詠唱で中級火属性魔術【轟火】を放った。
炎の塊が二つ、周囲の家屋を燃やしながら凛麗に飛び掛かる。辺り一帯、炎に巻かれ始める。
しかし、当然のように凛麗はその炎の塊を両断して、流れるようなステップでタニアに踏み込んできた。互いの距離は軽く50メートルはあったが、凛麗の歩法はその距離を一秒で零にした。
「――【月影】」
ボソリと呟く凛麗の刀が、タニアの肩口を切り裂いた。にゃ、と驚きの声を上げて、タニアは体勢を崩しながら一歩後退った。
「重ねて――【月光】。陰って【朧月】」
「んにゃぁ!? っ、にゃ、にゃ!?」
凛麗は音もなく刀を振るい、続けざま三連撃をタニアの太腿に刻み付けて、へそ出しの腹部に強烈な一撃を見舞った。
タニアはそれらの流麗な剣戟を全てまともに受けてしまう。しかし、ダメージはそれほどではない。
「……にゃんにゃ、いまの」
「……逆に問う。貴様、どんな防御力だ……小生の奥義をまともに喰らって、掠り傷だけなぞ、信じ難いことだ」
気付けば、凛麗は先ほどまで立っていた位置、元の距離に戻っている。
どうやら一瞬で間合いを詰めて、切り刻むだけ切り刻んで、また間合いを離れたらしい。凄まじい速度だ。素直に驚きに値する。
タニアの慢心はいつものことだが、油断してはいなかった。ところが、凛麗の動きを見切れなかった。まるで認識の外から攻撃されたように、攻撃の初動、軌道が捉えられなかった。
(……虚を突かれた、にゃ? 不思議にゃ動きにゃ……ヤンフィ様みたいだったにゃ)
冷静に分析すると、凛麗の剣技は、タニアの反射神経を超えた動きではなかった。速度だけであれば、マユミの方が圧倒的に疾いだろう。しかし凛麗は、来ると思ったタイミング、方向に刃が走らなかった。だから予測を超えた動きをして、タニアを斬り付けることが出来たのだ。
一瞬の攻防だったが、いまのやり取りを振り返り、タニアは静かに呼吸を整える。
「少し、本気出すかにゃ――魔装衣にゃ」
タニアは宣言通りに、全身から魔力を解き放ち、魔装衣を纏った。攻撃力、防御力、俊敏性、あらゆる性能がこれで倍以上になる。
凛麗の剣技が、タニアに届きうるのは理解した。それが理解出来れば、対策は単純だ。
正攻法の殴り合いを信条とするタニアとしては、技術差を無視する戦力差で圧し潰すことに決める。
「……くくく……獣族はやはり、馬鹿なのか? こんな街中で、それほどの極大な魔力を――」
凛麗が恐怖に引き攣った顔を浮かべる。タニアの攻撃にカウンターするつもりか、刀を逆袈裟に構えて、スッと身構えた。
「――終わりにゃ!」
刹那、タニアは先ほどの凛麗が見せた飛び込みよりなお疾く、その懐に潜り込んだ。凛麗の心臓に掌を当てて、魔闘術の奥義を放つ。
タニアの飛び込みに、凛麗は反応出来ず、防御も出来ず、ただただ成り行きを驚愕の表情で見つめることしか出来なかった。それほどの瞬息であり、そしてこれが致命打となる一撃だった。
「――【魔突掌】っ!!」
タニアの呼気と同時に、奥義【魔突掌】が炸裂する。この魔突掌は、確実に敵を殺し切る必殺だ。この奥義を防がれたのは、後にも先にも煌夜――ヤンフィとの闘いだけである。
それ故に、魔突掌を放った瞬間、これで決着と油断した。ことここに至り、魔突掌が破られるなぞ、想像さえしていなかった。
「ごぶっ……がぁ、っ――」
「にゃ!? にゃんで、あちしの魔力が――」
果たして、凛麗は即死しなかった。その事実にタニアは驚愕した。
タニアの一撃は、寸分違わず凛麗の心臓を打っている。しかしそれは突如、纏っていた魔力を失い、ただの掌底による強打に変わっていたのだ。本来ならば心臓を貫き、肉体を爆散させる威力の魔突掌だが、結果、凛麗を即死させるには至らなかった。
「――にゃにが、起きたにゃ!?」
タニアが絶叫じみた驚きを口にして、己の掌底を信じられないと眺めた。かたや凛麗は、血反吐を撒き散らしながら、勢いよく吹っ飛んで民家に激突した。轟音と共に建物がまた一つ半壊する。
自らの掌底と吹っ飛んだ凛麗を交互に眺めるタニアに、その時、呆れた調子の声が投げ掛けられる。
「凛麗、お前、何を街中で暴れてるんだよ」
青年のような声がすぐ真後ろから聞こえた瞬間、タニアは慌てて建物の屋根まで跳び上がった。声のした方に視線を向けると、将軍のような恰好をした隻眼の青年剣士が立っている。
いつの間にやってきたのか、音もなく何の気配も感じなかった。
タニアは隻眼の青年剣士をマジマジと注視して、ゾワリと背筋が寒くなった。知らず全身の毛が怖気で逆立った。
「……読めにゃい……お前、何者にゃ?」
ギラリと睨み付けて、タニアは隻眼の青年剣士に問い掛ける。【鑑定】の魔眼に映った文字は、見たことのない文字である。それが示す事実はつまり、あの青年剣士が異世界人であるということだ。
見た目は二十歳ほどだが、魔眼によれば十八歳と表示していた。魔力量は185で、セレナよりもほんの少し低い程度。けれど、明らかに次元違いの強さを秘めているのが分かる。
強烈な存在感、何気ない佇まいからでも察せる威容、隠す気もない凄まじい覇気、そして何よりタニアの直感が、この青年剣士が危険であると警鐘を鳴らしていた。青年剣士の纏う風格は、三英雄たちにも比肩するだろう。少なくともタニアと同格以上の実力者であることは間違いない。
(……にゃんで、こんにゃ化物が居るにゃ? んん? 隻眼で、短髪の青年剣士……あ、コイツ、もしかして、救国の五人かにゃ?)
タニアは強制的に解除されていた魔装衣をふたたび纏った。どうして解除されたのかは分からないが、改めて発動するのには問題がなかった。
(――相手が救国の五人にゃら、この一帯ごと吹っ飛ばすかにゃぁ)
不穏当な思考をしながら、タニアは右手に魔力を集めた。溢れ出す重厚な魔力は、一撃で周囲を灰燼に帰す威力の【魔槍窮】を練り上げる。だが次の瞬間、集約させた右手の魔力が霧散して、同時に魔装衣さえも強制的に解除された。
「にゃ、に!?」
集中が乱れた訳でもない。なのに、タニアの魔力が無理やり掻き消された。見下ろせば、青年剣士の隻眼が赤く輝いている。
「――なぁ、そこの猫耳獣族。お前、かなりの実力者みたいだけど……何者だよ?」
「お前――【隻眼の天騎士】ゲオ・コウタ、にゃ?」
「お、知ってるのか? ああ、いや。そりゃ知ってるか――なら、逆らうのが無駄だって、分かるよな? ちょっと、そこで大人しくしててくれないか?」
タニアの問いに、隻眼の青年剣士――ゲオ・コウタは、力強く頷いてから視線を切った。途端、また魔力が集められるようになる。すかさず魔装衣を纏い直す。
ゲオ・コウタは臨戦態勢になったタニアは無視して、凛麗の吹っ飛んだ先に歩き出した。するとタイミングよく、半壊した建物の瓦礫から凛麗が起き上がる。
凛麗は血塗れでよたつきながらも、ゲオ・コウタの前にやって来ると跪いた。その無様さをゲオ・コウタが冷徹な視線で見下している。
「おい、凛麗。何を街中で暴れてるんだ?」
「…………ご、ふ……も、申し訳、ありません……小生、マユミ・ヨウリュウの行方を探ろう、と……街を探索していた、ところ……ちょうど、仲間の猫耳獣族……タニア・ガルム・ラタトニアを、発見したので――」
「――タニア? ああ、報告にあった『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』のメンバーか?」
ゲオ・コウタが真っ赤に染まった隻眼をタニアに向けてきた。見詰められた瞬間、またもや魔装衣が解除される。これで都合三回、魔力が強制的に打ち消された。ここまでされれば、もういい加減、その隻眼の能力に気付いた。
竜の如く縦に割れた瞳孔をして、魔力を打ち消す特性を持つ、炎のような魔力を放つ赤眼。それは、本来ならば竜種しか持ち得ないとされる魔眼で、隻眼の天騎士の誇る稀有な異能――【竜眼】である。
「――なら、逃がせないな」
ゲオ・コウタがボソリと呟く。瞬間、タニアはヤバいと思考したが、もはや遅かった。タニアを中心とした上下左右100メートル範囲に、赤い半透明の壁が出現して空間が隔絶された。
これが噂に名高い【竜王領域】だろう。この領域内では、術者以外の魔力が霧散するようになり、魔術の行使が非常に困難になるという。
実際、赤い壁に囲まれてから、魔力を纏うことも展開することも出来なくなってしまっていた。
「……竜眼にゃら、納得にゃ。あちしの魔力を打ち消したにゃか……手強そうにゃ。あ、そいや、あちし、救国の五人とは、まだ一度も闘ったことにゃいにゃ」
タニアは屋根の上からゲオ・コウタを見下ろしながら、身体の内側に魔力を集中する。
竜王領域に支配された現状、魔力を体外に展開したり、纏うことは出来ない。つまり、もう魔装衣は維持できず、魔闘術の大半が打ち消される状況である。
圧倒的にゲオ・コウタが有利な環境、この状況で闘うのは無謀でしかないだろう。
だがしかし、竜王領域の効果は、あらゆる魔術効果を打ち消して、魔力を霧散させるのみだ。タニアの本来の身体能力を減ずることはなく、内側を魔力強化することは不可能ではない。そう考えれば、まだまだ闘い方次第で勝機は充分にある。
タニアはこの劣勢を愉しむようにニヤリと笑いながら、ゲオ・コウタを注意深く眺めた。
「おい、ゲオ・コウタ。お前も、凛麗と同じにゃ? あちしに、喧嘩売ってるにゃ?」
「喧嘩? ああ、なるほどね……タニア・ガルム・ラタトニア。冒険者としての異名は、【大災害】だったな? なるほど、なるほど。確かに、大災害だ。人の迷惑も考えず、いきなり街中で大暴れするなんざ、まったくもって迷惑極まりない輩だ」
ゲオ・コウタはうんざりと言いながら、緩やかな動作で右手に光り輝く長剣を構えた。突如現れたその長剣は、魔力を篭めずとも剣身が凄まじい魔力を放っており、明らかに魔剣の類だと理解出来た。
タニアはいっそう闘気を漲らせて、凄まじい殺意をゲオ・コウタにぶつけた。ところがそんなタニアと裏腹に、ゲオ・コウタは涼し気な顔で向かい合う。
「迷惑にゃのはお前らにゃ。先に、あちしに喧嘩売ったのは、お前らにゃ――」
「――おいおい、タニア。言っておくが、俺は闘うつもりはないぞ? 闘えば、お前を殺してしまう」
「――カチン、にゃ。にゃるほど、にゃるほどぉ? つまりあちし、舐められてるにゃ? どっちが死ぬかにゃんて、やってみにゃいと分からにゃいにゃ!!」
露骨な挑発に憤慨して、瞬間、タニアは全力でゲオ・コウタに突撃した。その踏み込んだ勢いで、足場の屋根が爆発して崩落する。
凝縮した魔力を纏った拳が、弾丸よりも疾い速度でゲオ・コウタの顔面に迫る。
けれど、その凄まじい威力を持った拳は、ゲオ・コウタには届かなかった。ゲオ・コウタは余裕の笑みさえ見せて、タニアの拳を左手で受け止める。
途端に、ドガン――と、爆音が鳴り響き、ゲオ・コウタを中心にして、1メートルほどのクレーターが地面に出来上がった。さらに、拳圧による烈しい衝撃波が土煙を巻き上げると同時に、紙細工を壊すような容易さで辺りの建物を半壊させた。
まさにその激突の瞬間は、隕石の落下を思わせた。相手がゲオ・コウタでなければ、対象は一瞬でミンチになっていたに違いない。
「地力だけで、この威力かよ。噂以上だな。実力は完全に、SS級だ」
「――馬鹿にするにゃ!!」
タニアの拳を受け止めたゲオ・コウタは、苦笑したままそんな感想を漏らす。闘う気がないというのは嘘ではないようで、右手に構えた長剣は、いまだ動かす素振りさえなかった。
しかしその余裕、慢心は、まさに付け入る隙である。
タニアは握られた拳を支点に空中で姿勢を変えると、閃光にしか見えない速度の踵落としを繰り出す。雷撃のような魔力が迸り、ゲオ・コウタの肩口に突き刺さった。
「なかなかだ」
「―――――チッ!?」
タニアは巻き起こった爆風と共に跳び退いた。
肩口を直撃したと思ったが、残念ながら手応えは肉体ではなく固い金属だった。どうやらゲオ・コウタは長剣で防いだらしい。
「おいおい……これ以上は、流石に手加減が出来ないぞ……」
「そんにゃの知らんにゃ! サッサと死ぬがいいにゃ!!」
一瞬にして50メートルほど距離を取ったタニアは、四足獣を思わせる姿勢で這いつくばり、グッと両足に魔力を篭める。
獣じみたその構えに、無傷のゲオ・コウタは警戒した。ようやくここで、光り輝く長剣を両手で構える。タニアの突撃を打ち返すか、受け止める算段だろう。
タニアはその甘い考えを内心でニヤリと笑う。受け止めるという選択肢が、まさに愚考だ。
それは油断であり、慢心でしかない。大前提として、タニアが馬鹿正直に突撃する想定なのが、何より笑える。
「来いよ、タニア――」
「――――死にゃぁあ!!!」
挑発的にゲオ・コウタが呟いた。その呟きと全く同時に、タニアは地面スレスレを駆けて――ゲオ・コウタのだいぶ手前で真上に跳び上がった。
「――ああ? 何して……まさかっ!?」
突然、目の前で空高く跳び上がったタニアに、ゲオ・コウタは虚を突かれて視線を上に向ける。タニアの意図を掴めず、怪訝な表情を浮かべて、一瞬遅れてその目的を察した。
タニアはロケットのような勢いで、グングンと空高く飛翔していき、ゲオ・コウタが展開していた竜王領域の領域外に飛び出す。領域の赤い壁を突破する際、かなりの衝撃がタニアに襲い掛かったが、そんなのは些細なダメージだ。
「――イカれてるのか!?」
高度500メートルを超えた辺りで【魔装衣・天族】を全身に纏って、更に上空まで飛翔する。地上ではゲオ・コウタの驚愕している様子が窺えた。
そんなゲオ・コウタを見下ろしつつ、飛翔しながら全身に渾身の魔力を篭めた。
「全てを捻り潰す――【魔槍窮】にゃ!!」
およそ高度2000メートルほど、帝都オーラドーンを完全に一望出来る高さまで飛翔して、タニアは地上と向き合う。そして空を見上げるゲオ・コウタを目掛けて、全身全霊の魔槍窮を撃った。
上空から真っ直ぐに放たれたそれは、まさに落雷を思わせる美しい一筋の光であり、神の裁きと見紛うばかりの神々しい破壊の一撃だ。
魔槍窮の光は竜王領域を容易く突き破り、ゲオ・コウタを中心とした半径50メートル範囲に陽射しの如く降り注いだ。
ここまでの範囲攻撃で、しかも魔力質量を持つ魔術は、いかに覚醒した竜眼と言えど打ち消せない。
竜眼は非常に強力な魔眼だ。対象を見詰めただけで、それが魔術であれば打ち消すことが出来るし、魔力であれば雲散霧消させることが出来る。だからこそ、竜眼持ちを相手にすると、魔術師の大半は無力な雑魚に早変わりするのだ。
およそ万能にも思える魔眼――だが、無敵ではない。
竜眼の効果は、既に展開して完成した魔術を無効化は出来ない。魔力を打ち消すことで、魔術式を乱して威力を減ずることは出来る。魔術の位階によっては、魔力を紐解けば掻き消せる場合もあろう。
しかしタニアが放ったこの魔槍窮は、竜眼の効果範囲外で魔術として完成しており、空気中の魔力を取り込み、巻き込んで、巨大な魔力塊となっている。ここまで肥大した魔術は、もはや竜眼では掻き消せない。
「チッ――やっぱ、こんにゃんじゃ、救国の五人は殺せにゃいか……」
とはいえ――である。結論、タニアの魔槍窮では、ゲオ・コウタを殺すには至らなかった。
ゲオ・コウタは魔槍窮が激突する前に、空中に跳び上がって、光り輝く長剣を一閃させていた。それは魔術を切り裂く剣技であり、魔槍窮と同質量の魔力攻撃でもあった。
地上で受ければ、衝撃波で辺り一面を廃墟にも出来たのだが、それを理解したゲオ・コウタは、被害が出ないよう空中で相殺して見せたわけだ。確かに、救国の英雄と呼ばれる所業だろう。
「……光陣斬を打ち消すほどの威力なのは、予想外だったな……」
飛翔しているタニアに、呆れたような声が聞こえてきた。見ればゲオ・コウタは、いつの間にか、光り輝く白い竜に騎乗しており、タニアの真横まで飛翔していた。
「……化物にゃ」
「それは俺の台詞だ、タニア・ガルム・ラタトニア。相性もあるかも知れないが、お前、天見煌夜と一緒に居た魔王属より強いぞ?」
「はぁ? アマミ、コウヤ――って、コウヤ!? どういうことにゃ!? にゃんで、ゲオ・コウタが、コウヤを知ってるにゃ!?」
ゲオ・コウタは呆れた顔をして、人の話聞けよ、と愚痴っていた。
そんな台詞を無視して、タニアは全身に魔力を漲らせながら、両手で魔槍窮を放つ準備を整える。正直なところ、タニアに会話をするつもりは微塵もない。
タニアのそんな思考を読み取ったか、ゲオ・コウタは深く溜息を漏らして、竜眼を発動させた。瞬間、纏っていた魔装衣が解けて、タニアは自由落下を始める。
「話を聞けよ、タニア・ガルム・ラタトニア。俺は闘いたくない、って言ったろ? 喧嘩も売った覚えはないし――」
「――黙るにゃ!! サッサと、コウヤを知ってる理由を吐くにゃ!!」
「……おいおい、意味が分からんぞ?」
重力に逆らわず、自由落下しながら怒鳴るタニアに、同じ速度で下降しながらゲオ・コウタは冷静にツッコミを入れてきた。
闘う気がない、というのは事実のようだ。タニアがここまで隙を見せているのに、攻め込む様子が見えない。わざと隙を見せているというのに――
(……この化物、タイヨウ並にゃ……獣化はしたくにゃいけど……しにゃいと、勝てにゃいにゃぁ……)
タニアは全身の毛を逆立てて威嚇しながら、内心では冷静に状況を打開する術を探っていた。
売られた喧嘩は買う――それは猫耳獣族としての信条ではある。けれど、だとしても、煌夜たちとの合流を後回しにしてまで、ここでいま闘う理由はない。しかも闘う意味も分からない戦闘に命を賭けるのは馬鹿げている。
先に手を出したことなど棚に置いて、タニアはとりあえず、ゲオ・コウタから逃げるべきではないか、と思案していた。
「ん、にゃぁあ!!」
「――ッ!? おっ、と!?」
地上まであと数十メートルの高度になった瞬間、タニアは素手で思い切りゲオ・コウタの光り輝く竜を殴り付けた。
魔装衣なしでも、タニア渾身の拳の破壊力は、人間はおろか弱い魔族を即死させる。その衝撃は空気を揺らして、爆撃じみた轟音を鳴り響かせた。
不意打ちの一撃に、しかしゲオ・コウタは驚きの声一つ上げただけだ。光り輝く竜もバランスを少しだけ崩しただけで、その巨体には傷は付かなかった。
一方でタニアは、竜を殴った反動を利用して、ゲオ・コウタから距離を取った。クルリと回転して体勢を整えながら、建物の屋根に着地する。
「身軽だな……おい、タニア・ガルム・ラタトニア。これ以上、無駄な抵抗はするな。まだ暴れるつもりなら、この街を護る為に、俺も本気で聖剣を振るわざるを得なくなる」
タニアが着地した屋根の対面、通りを挟んだ向かい側の屋根に降り立って、ゲオ・コウタは涼し気にそう言った。傍らの光り輝く竜がその姿を粒子に変えて、次の瞬間、長剣の形状に変わる。
道理で手応えが金属質だったわけだ――と、静かに納得してから、タニアは殺気を解いた。
「……よくよく考えれば、あちし、こんにゃ下らにゃいことで、時間を浪費してる暇にゃいにゃ。お前に敵意がにゃいにゃら、リンレイの無礼は、大目に見てやるにゃ」
「いきなりだな……まあ、いいや。それは有難い。んじゃ、平和に話し合いと行こうぜ」
「…………あちしに、何の用にゃ?」
おどけた調子で言って、ゲオ・コウタは光り輝く長剣を異空間に格納する。そしてその場に胡坐を掻いて座り、タニアを指差した。
「まず一つ。俺が、天見煌夜が探してたって言う弟――『谷地虎太朗』だ。だが、天見煌夜とはもう決別した。だから、これ以上俺に干渉するのは止めろ」
「……意味が分からにゃいにゃ」
ゲオ・コウタの世迷い事に、タニアは苛立ちを露わに拳を握り締める。やはり殺すべきか、と本気で考え始めると、ゲオ・コウタが続けた。
「信じる、信じないは勝手だが、少なくとも、天見煌夜は俺を虎太朗だと認識してる。ああ、それで本題だが――天見煌夜に忠告しろ。遅くとも四色の月一巡以内に、竜騎士帝国ドラグネス領内から出て行け、ってな。出て行かなかった場合、命の保証は一切しない」
真剣な表情、斬れそうなほど鋭い覇気を放ちながら、ギラリと竜眼を向けてくる。竜眼がタニアの鑑定の魔眼に干渉して、脳が焼き切れそうな激痛を訴えた。
チッ、と視線を切り、タニアは屋根の上を転がるように後退る。
「ちなみに、一緒に居た金髪の天族……ディド、だったか? あの女は、うちの宰相、ダーダム・イグディエルの正妻になったから、もうお前らと旅は出来ない。だから、探しても無駄だ。これで心残りなくこの国を出て行けるだろ?」
「はぁ? ディドが……ダーダム・イグディエルの、正妻、にゃ? 洗脳でもされたにゃ?」
ゲオ・コウタの言葉に、タニアは疑問符だらけになった。
あれほど煌夜一筋だったのに、復讐の相手として追っていたダーダム・イグディエル――天族バルバトロスの妻になるなど、全く理解出来ない。
しかし、タニアは切り替えた。ディドは確かに仲間として一緒に行動していたが、そもそものところ思うところが一切ない。別に誰と婚約しようが、野垂れ死のうが、あまり気にならなかった。
ゲオ・コウタが嘘を吐いていようと真実を語っていようと、つまりどちらでもタニアには関係ない。
「……まぁ、いいにゃ。とにかく、お前の用事ってのは、あちしに伝言を頼む、ってことにゃ? 不愉快にゃけど、仕方にゃいから今回は特別に許してやるにゃ」
「それはどうも――ああ、それとこれは警告だが、次に街中で暴れた場合、俺は貴様を反乱分子として討伐しなければならなくなる。重々行動には気を付けることだ」
「余計にゃお世話にゃ――だいたい、あちしは暴れてにゃいにゃ。先に喧嘩売ってきたのは、リンレイとか言う馬鹿にゃ」
ふと見下ろせば、話題の凛麗が心臓を抑えながら、苦しそうに壁にもたれ掛かっていた。先ほどのタニアの一撃は、まだまだ後を引いている様子だ。
「はぁ……ところで、タニア・ガルム・ラタトニア。お前は天見煌夜のことを、どう思ってるんだ? どういう感情で旅を共にしてるんだ?」
立ち上がったゲオ・コウタがふいにそんなことを問い掛けた。タニアはいっそう不愉快そうに眉根を寄せてから、胸を張って断言する。
「コウヤは、あちしの伴侶にゃ。いずれ、あちしを孕ませて、強い子を産ませてくれるはずにゃ。にゃので、あちしはコウヤと一緒に居るにゃ」
「…………」
「それがどうしたにゃ? 自称コウヤの弟?」
ゲオ・コウタはタニアの台詞に何も言わず、ただ静かに怒りを滲ませていた。別段、挑発したつもりはなかったが、やる気になったら厄介だ、とタニアは身構える。
果たして、しばしの沈黙の後、ゲオ・コウタは無防備に背中を向けた。
「――おい、凛麗。回復したら、王城まで戻ってこい。くれぐれもタニア・ガルム・ラタトニアを追うような真似は止せ。お前では逆立ちしても、タニア・ガルム・ラタトニアには勝てない」
それだけ言うが否や、ゲオ・コウタは屋根の上を飛ぶように駆けて、サッサと消えていった。行き先が逆方向なので、もう会うこともないだろう。
タニアは苦しそうな凛麗を一瞥だけして、興味にゃい、と屋根から大通りに降り立つ。
無駄な時間を過ごしてしまった、とそのまま当初予定通りに、駅馬車の乗り場に歩き出した。ついでに神の羅針盤を展開して、虎太朗の位置を確認する。
(――んー、やっぱ、信じ難いにゃけど、ゲオ・コウタがコウヤの弟ってのは、本当かも知れにゃいにゃぁ……動きが同じにゃ)
タニアは、遠ざかるゲオ・コウタの気配と、同じ位置を示す神の羅針盤を感じながら、どうやって煌夜に説明しようか悩んだ。
弟妹が生きていたのは素直に喜ぶべきことだろう。
けれどその相手が【救国の五人】――それもよりによって【隻眼の天騎士】コタロウだったとは、不運以外の何者でもない。
(とりあえず、早くヤンフィ様とコウヤに合流するにゃ……)
タニアは急ぎ足で駅馬車乗り場に向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
第四区画、廃棄街と呼ばれるその一帯は、瓦礫がうずたかく積まれた廃墟であり、人族の浮浪者と、身体のどこかを欠損した盗賊が隠れて住んでいる無法地帯だった。
まともな建物など一つもなく、居住区と呼べる家さえ見渡す限り存在しない。この一帯では、屋根がある寝床は最高級の住居であり、次点に、壁が残っている建物が上等な住まいだった。
およそまともな人種が住むところではない。街とさえも呼べない区画。それがこの廃棄街だ。
「……おい、兄ちゃん。テメェ、見ない顔だが……何しにここに来た?」
そんな廃棄街の中にあって、唯一無二のまともな建物。
最高級の住まいに区分けされているのが、この宿屋『甘味亭流砂』である。
ここは建物として原形を留めているだけではなく、機能としても問題なく居住できるので、廃棄街の中でも有名な場所だ。
「おい、そこの若い兄ちゃん……無視するなよ……」
そんな甘味亭流砂の古びたカウンターに座って、軽食と薬湯を摂っていたヤンフィに、足を引きずりながら入ってきた浮浪者が絡んできていた。
この甘味亭流砂は、金銭だけではなく物々交換でも食事が出来ることから、こうして常連の浮浪者や盗賊が入って来ることが多い。そして彼らは、見知らぬ客に声を掛けて、あわよくば奢らせようという魂胆を持っている。鬱陶しいことこの上ない。
ちなみにいま煌夜の身体は、ヤンフィが主導権を握っている。煌夜は放心状態で無気力になっているので、代わりに食事を摂っている状況だ。
「おい、いい加減に――――ひぃぃ!?」
「反応しないと絡まれるぞ? ところで、いまはコウヤか? それともヤンフィ様か?」
浮浪者がヤンフィの肩に手を掛けようとした瞬間、その背後から、マユミが音もなく現れて、強烈な殺気をぶつけた。殺気に中てられて、浮浪者は恐慌状態で慌てて逃げ出す。
それを横目に、マユミはヤンフィの隣に腰を下ろす。すると、カウンターの内側からひょっこりと可愛らしい店員が姿を見せた。
「あ、マユミ、おはよう。いつ起きたの?」
「嗚呼、おはようございます、キャロ。今しがた、目が覚めた」
銀髪ボブカット、くりくりの大きな瞳をした十歳前後の可愛らしい女店員である。
店員の名前は、キャロ・ヨウリュウ――剣神会のトップ、剣神の号を持つ『マルス・フー・ヨウリュウ』の一人娘であり、マユミ・ヨウリュウの実の母親でもある。
ちなみに彼女は、この宿屋を独りで切り盛りしている店主でもあり、外見とは裏腹に、実年齢は四十五歳を数えている。容姿が幼いのは、徐々に若返っていく呪いを掛けられてしまったからだそうだ。
「そ、じゃあ、食事にするのね? いま用意するから、ちょっと待ってね」
「頼んだ」
常連の振舞いでカウンターに座ったマユミに、ヤンフィが顔だけ向ける。
「妾に何か用か?」
「いや、別に用事はないさ――いまはヤンフィ様か」
「そうじゃ。それがどうした?」
「――これから、どうするんだ? 恐らくもうそろそろ、タニアが飛竜便で着くはずだが、ここで待機しておくのか?」
カウンターに置かれた果実酒を呷りながら、マユミはヤンフィに問い掛ける。それはつまり、迎えに行かないのか、と遠回しに訊ねているようだ。答えはノーである。
「タニアならば、自力でここまで来るじゃろぅ。わざわざ妾たちが向かう必要もあるまい。そんな瑣末よりも、問題はその後じゃ」
「その後、と言うと? 逸れたディドを探すことか? それとも、宰相ダーダム・イグディエルの暗殺方法か?」
「どちらも瑣末じゃ――妾の優先は、いつでもコウヤじゃ。いまコウヤは、五体満足ではない。まずはこの身体を元通りに癒せる治癒術師を探すことが優先じゃ……」
ヤンフィは言いながら、腹部と左手を優しく撫でた。外見は無傷で万全に見えるが、実際はヤンフィの魔力で練り上げただけのハリボテである。
(……また、冠級の治癒術師を探す羽目になるとはのぅ。よほどコウヤは不運なのか……それとも妾の呪いかのぅ)
ヤンフィは内心で自虐気味に笑いながら、薬湯を飲んだ。
「コウヤの身体を癒す――ねぇ? もう完治しているように思えるが、内側が深刻なのか?」
「全身、ボロボロじゃ。満身創痍に視えぬかも知れぬが、これは肉ではなく、妾が魔力で練り上げたモノじゃ。意のままに形状変化出来るし、破壊されてもすぐに戻せる。じゃが、時間が経てば経つほど、妾の魔力とコウヤの身体が混ざってしまう――今回、主従契約を結んでいた状態で、強制的にコウヤと同化したからのぅ。このままでは妾の魂強度に引っ張られて、コウヤの魂が喰われかねん」
一人語りのように呟いて、ヤンフィは食事に手を付ける。
理解させる必要もないので、意味がわからないと首を傾げるマユミにこれ以上の説明はしない。
(……二度目じゃからかのぅ。コウヤの魂が、妾の魂に適合するのが疾すぎる……妾は呑まれても構わぬが……そうなると、コウヤを護ることが出来なくなる……)
魔王属であるヤンフィでなければ、複雑な魔術や異能が使用できない。ヤンフィの魂が呑まれると、知識があっても煌夜では何もできなくなる。それは避けなければならないだろう。
「……理解は出来ないが、とにかく優先はコウヤを癒すこと、と――じゃあ、どうする? タニアと合流し次第、セレナのところに向かうか?」
「セレナではコウヤを癒すのは不可能じゃ。コウヤを完治させる為には、最低聖級以上の治癒魔術を扱える人間を捜す必要がある――心当たりはないかのぅ?」
「……無理難題とはこのことだな。心当たりねぇ……なくはないが、ツテはないぞ?」
マユミは果実酒を空にして、カウンターに置きながら周囲を見渡す。
「ところで、あの神種――394だったか? アイツはいまどこに?」
「知らぬ。じゃが、部屋にでも居るのじゃないか? もはや彼奴に興味なぞない。魔獣ガオラキ討伐なる目的も、妾たちにはまるで関係ないからのぅ」
ヤンフィの答えに興味なさげに頷きながらも、マユミは声のトーンを落として回答する。
「私が知っている中で、聖級以上の実力があると確実に断言出来る治癒術師は、テオゴニア大陸に二人だな。一人目は、治癒術師を統括する最古の機関、治癒魔術院連合が排出する唯一無二の存在――【聖女】スゥ・レーラ・ファー。今代の【聖女】の称号を持つ女だ。いまはテオゴニア大陸行脚をしているはずだから、居場所は定かじゃないがね」
「……生憎じゃが、其奴はもう死んでおる。じゃから、既に【聖女】の資格は、別の他人に移っておるじゃろぅ」
「――へぇ?」
ヤンフィの補足に、マユミが目を見開いて一瞬だけ絶句する。だがすぐに苦笑して、話を続けた。
「二人目は、信者百万人を誇るラジエル教団の頂点、聖堂教会所属【大教皇】ティフェ・ラジエルだ。御年二十七にして、聖堂教会を支配する才女でね。普段は王都セイクリッドの聖堂教会本部で、祭祀を執り行っている。この大教皇なら、寄付金次第でどんな人間も癒してくれるから、おススメだな」
「……それ以外には居らぬのか?」
「んー、私はそれ以上は詳しくないが――」
「――聖級以上かどうかは知らないけど【秘蹟府】の秘蔵っ子で【神姫】の称号を持つイム・ソアも、噂じゃ聖級治癒魔術を行使したらしいわよ?」
ふいに、カウンターの内側で皿洗いをしていたキャロが口を挟んでくる。その情報に、ヤンフィもマユミも興味深げにした。
キャロは注目を浴びて、肩を竦めると言葉を続ける。
「そうねぇ。あと知ってる凄腕の治癒術師と言えば――異世界人でなければ、間違いなく【聖女】だったと言われる【救国の五人】セリーニ・サーラ、またの名を【天啓の巫女】サラかしらね」
「……救国の五人、のぅ?」
キャロの発言に、ヤンフィが目を細めて呟いた。煌夜の意識がないことを確認して、小さく安堵する。
救国の五人と言えば、剣聖サーベルタイガーこと、谷地虎太朗もそう呼ばれていた。それを考えれば、天啓の巫女サラとやらも、十中八九、煌夜が捜している弟妹の一人に違いない。
ヤンフィからは思わず、舌打ちと深い溜息が漏れる。
「のぅ、キャロ。神姫イム・ソアとやらは、どこに居るのじゃ?」
「え? どこ、ねぇ……んー、秘蹟府の情報は秘匿されてるからねぇ……秘蹟府があると噂される神聖帝国領内……恐らくは黄金都市ルークか、商業の街ニースのどっちかに居るんじゃないかしら?」
「……どこじゃ?」
「テオゴニア大陸の南東に広がる宗教国家だ。私もまだ行ったことはないが、だいぶ遠いな。最果ての街とも言われてる城塞都市アベリンから、南に馬車を走らせて三日で湾岸都市に着いて、そこから船で十日ほど、か? 死海を越えた先に広がる広大な国が神聖帝国テラ・アレー領だ。竜騎士帝国ドラグネスから向かうとなると、四色の月二巡は覚悟しないと」
首を傾げたヤンフィに、マユミがすかさず説明した。その説明に得心してから、ふむ、と神妙な顔で俯いた。
移動に軽く六十日――そこまで聞けば、必然的に選択肢は限られる。
「ここから王都セイクリッドに向かうと、どれほどの時間が掛かるかのぅ?」
「ま、そりゃそうか――向かうルートは様々だ。安全性を度外視して、最短で向かうなら大体、七日から十二日ってとこかな?」
「ふむ……ならば、タニアと合流し次第、セレナを拾って王都セイクリッドに向かうべきじゃのぅ」
「分かった。そうだろうとは思ったよ――キャロ。申し訳ないが、自由都市経由の馬車を手配しておいてくれ。私は剣神に手ほどきを受けてくる」
マユミは言いながら席を立ちあがる。命令のようなお願いを受けて、キャロは苦笑しながら頷いた。
「……剣神のぅ……やはり人の世は、何時の時代もそう甘くはないのぅ」
マユミが去って行くのを尻目に、ヤンフィは薬湯を飲み干す。呟きながら、昨日の一幕を思い出した。
この甘味亭流砂に入った瞬間、凄まじい覇気と実力を持つ老人と対峙した。
浮浪者にしか見えない髭と長い白髪をしたその老人こそ、剣聖サーベルタイガーに匹敵する強者であり、マユミの祖父、【剣神】マルス・フー・ヨウリュウだった。
マルスと対峙した瞬間に、煌夜の身体をしたヤンフィは斬り殺されそうになったが、マユミが何とか説得してくれたのを覚えている。あの一瞬は、ヤンフィをして恐怖を感じたほどだった。
いつの時代も、魔王属を殺せるほどの超越者は存在するのだ。しみじみとヤンフィは己の慢心を恥じた。
(じゃからこそ、これ以上、危険は冒せぬ。コウヤの命を護る為にも、この街から一刻も早く逃れんとマズイのぅ)
その為にも、タニアとの合流は必須である。
マユミも戦力としては充分以上に役立つ存在だが、タニアほど従順ではない。ヤンフィやタニア、ディドほど、煌夜を優先することはない。
「待つしかない、と云うのはなんとも、もどかしいのぅ……」
「……そうですねぇ」
相槌を求めた訳ではないが、ヤンフィのそんな独り言に、キャロが深く共感したような溜息を漏らしていた。