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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十二章 竜騎士帝国ドラグネス
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第九十一話 渦巻く策謀

 

 煌夜を担いだヤンフィ、つまらなそうな顔をしたマユミ、俯いたまま少年姿の394――三人は、宿屋に到着して、ロビーに居た訪問者を前に言葉もなく戸惑っていた。

 ロビーには他のお客さんは姿も見えず、受付も不在だった。


「――貴様らが、噂に名高い『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』だな?」


 ロビーのソファに優雅な所作で座っている魔術師は、ヤンフィに顔を向けて問い掛けた。

 その姿は見間違えようもない。先ほど遠目で確認していた美しい白銀の長髪をした魔術師――雷帝ダーダム・イグディエル、その人である。

 敵意は感じられなかった。自然な様子で、誰かを待っていたという体である。見渡す限り、付き添いも居ないようなので、単独でここにやってきたのだろう。

 だが、何故だ。ヤンフィとマユミは当然のように警戒心をあらわに対峙する。

 さりげなくヤンフィは一歩下がり、代わりにマユミがスッと前に出る。重傷の煌夜を担いでいる以上、迂闊に戦闘をするわけにはいかない。


「こんなところまで何用ですか、宰相ダーダム・イグディエル?」


 マユミが不敵な笑みを浮かべながら問い掛けた。静まり返ったロビーが凄まじい威圧で震える。

 しかしそんな威圧を真正面から受けて、宰相ダーダム・イグディエルはどこ吹く風とすまし顔をしていた。マユミを前に余裕さえ感じられるその態度に、ヤンフィは警戒心を高める。


「――質問しているのは、余の方だ。貴様らが『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』で、間違いないのか? 猫耳獣族タニアの姿はどこだ? 妖精族セレナも居ないようだが……主戦力は不在、か?」


 値踏みするような不敬な視線で、マユミ、ヤンフィ、ぐったりした煌夜、394を眺めてから、宰相ダーダム・イグディエルは溜息を漏らしている。落胆した様子が窺えた。

 その態度に、ヤンフィは改めて宰相ダーダム・イグディエルを注視した。

 纏う魔力はかなりの量だ。強者、と言える部類ではあろう。けれど、対峙した印象からすると、ディドやクレウサから事前に聞いていたほどの強者とは思えなかった。どころか、恐らくセレナでも殺せる程度の実力に感じる。

 果たして本当にこの青年が、世界蛇レベル4――ソーン・ヒュードやエルネス・ミュールよりも上役なのだろうか。

 醸し出す雰囲気、窺える実力的に考えて、とてもじゃないが不釣り合いな地位だろう。そんなヤンフィの懸念を言葉にするように、マユミが首を捻りながら質問する。


「……おや、宰相ダーダム・イグディエル。私をお忘れですか? 確かに言葉を交わしたことはなかったかも知れませんが、私はこれでも剣神会所属の『雪』を冠する剣仙、マユミ・ヨウリュウですよ?」

「……マユミ・ヨウリュウ……? ほぉ、それで? 余の質問をはぐらかすでない」


 マユミの質問に、宰相ダーダム・イグディエルは一瞬キョトンとしたが、すぐさま不愉快そうに顔を歪めつつピシャリと言い放った。その反応は、心当たりがない、と言っているようだった。

 なるほど――と、ヤンフィは状況を理解した。同時に、マユミもチッ、と露骨な舌打ちをして、ロビーを包んでいた威圧を解いた。

 もはや警戒に値することは何もない。時間の無駄になるので、サッサと本題を話すべきだろう。ヤンフィは一歩前に出る。


「妾たちが『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』で相違はない。それがどうした?」

「無礼な態度だな、餓鬼よ。しかし許そう――さて、そうであれば、貴様ら。一つ提案をしたい」


 言いながら、宰相ダーダム・イグディエルは椅子から立ち上がる。


「貴様らは、正統派のセリエンティア・ベクラルから依頼を請けた冒険者たちだろう? 恐らくは、赤の聖騎士エーデルフェルト・ラ・クロラに唆された……ああ、これは別に否定も肯定もしなくてよい。どうでもいい一人語りだ。余は既に、秘密裡に出回っている王命を把握している。貴様らの目的は、余の権力を失墜させることと、余が持つこの王家の秘宝【守護竜の泪】を強奪することだろう?」


 宰相ダーダム・イグディエルは無造作に、美しい翠玉の付いたネックレスを懐から出して見せ付ける。それが【守護竜の泪】だと主張しているようだ。

 確かに、そのネックレスが特殊な魔力を放っているのは見て取れる。だが、だから本物であるという確信は持てなかった。実際、マユミも怪しんでいる。


「――この【守護竜の泪】だが、くれてやろう。余は寛大だからな。これは温情だ」


 何の躊躇もなく、宰相ダーダム・イグディエルはそのネックレスをヤンフィに放り投げてきた。パシっと掴み、そのネックレスに付いた翠玉を覗き込みながら、ヤンフィも怪訝な表情を向ける。


「何が目的じゃ? 提案、とは?」

「焦るな下郎が――提案とはな、単純だよ。貴様らに、この帝都オーラドーン、引いては竜騎士帝国ドラグネスから出て行って欲しいのさ。報酬として国宝の【守護竜の泪】をくれてやる。破格だろう?」

「――理由は何じゃ?」

「異端派の総意、と言えば良いかな? いま帝都オーラドーンは、新たな王を迎え入れようとしている。その為の準備も整った。あとは公式な発表だけ――このタイミングで、正統派の勢力は限りなく排除したい。納得できるか?」


 つらつらと淀みなく答える宰相ダーダム・イグディエルだが、それが真意ではないことは、ヤンフィの魔眼を用いなくても理解出来た。理由を説明する気はなく、煙に巻こうとしているのがありありと分かる。とはいえど、実のところどんな事情だろうとヤンフィにはどうでも良かった。

 ふぅ、とこれ見よがしに溜息を漏らしてから、ヤンフィはマユミに煌夜を預ける。


「――提案なぞ知らん。妾たちは妾たちで行動を決めておる。汝に指図されることはない」

「……それは、余の提案を断る、ということか?」

「提案するのであれば、せめて本人が来るべきじゃろぅ? まぁ、事前に聞いておった異能の性能が、ここまでのモノとは思わなんだがのぅ」

「どういう、意味だ?」


 訝しげな表情になった宰相ダーダム・イグディエルに、ヤンフィはすかさず、顕現した銅の剣――魔剣ダーインスレイヴで斬り掛かった。

 その斬撃は随分と緩い攻撃だ。避けられる前提、もしくは防がれて当然の威嚇である。

 しかし、宰相ダーダム・イグディエルはヤンフィの不意打ちに反応出来ず、斬られるまま左腕を切断された。噴き出す血飛沫は魔剣ダーインスレイヴに吸われて、切断された左腕は床に転がった。


「グァ――ッ!? 貴様、何を――!?」

「自分自身をダーダム・イグディエルと錯覚するほどの【洗脳】か……しかも、生命の危機に至ってさえ正気に戻れぬとはのぅ。発動に条件がなければ、少し強力過ぎるのぅ」

「――――こ、ぁ!? ぐぁああ――」

「やかましい」


 斬、斬、斬、と子供の癇癪じみたぶっきらぼうな動きで、ヤンフィは宰相ダーダム・イグディエルを名乗っていたその青年の四肢を切断した。

 それは剣技と呼べるものではない。ただ切れ味鋭い剣を振るっただけである。


「――悲惨だな」


 傍から見ていたマユミが、やれやれ、と苦笑しながら首を振っていた。そんな光景を興味なさげに394は無言で眺めていた。


「影武者を寄越すのであれば、せめて汝らと対等に話せるだけの実力者を用意すべきじゃろぅ?」


 達磨のように手足を失ったその青年は、苦悶の絶叫を上げながら床をのたうち回った。不思議なことに切断された部位からの出血は全くなく、昔からそうだったように止血されていた。

 吸血剣とも呼ばれる魔剣ダーインスレイヴの真骨頂である。斬り付けた存在の血液と魔力を奪う効果を発動させている。

 ところで、のたうち回っていた青年は、ようやくその姿を元に戻した。

 どうやらこのなりすましは、幻術の類で誤魔化したのではなく、体表全体に魔術で構築した変装用の皮を被っていたようだ。四肢を切断するついでに、魔力を乱したおかげで、変装用の皮が溶けたのである。

 現れたのは、茶髪に散切り頭、額に切り傷がある中年男性だった。ちなみに、右脚は義足だったらしく、ヤンフィが切断した部分からは金属が見えている。


「嗚呼、コイツか……見覚えがあるぞ。確か『アルファード・ロア』とか言う秘書だな。世界蛇所属かどうかまでは知らんが、冒険者筋では【義足の双剣士】って通り名で活躍してたらしいぞ?」

「――な、なにを――余は、アルファード・ロアでは――」


 中年男性――アルファード・ロアを見て、マユミが思い出したと手を叩いていた。

 けれど、当の本人であるアルファード・ロアは、ことここに至ってさえ自らをダーダム・イグディエルだと認識して、その通りに振舞おうとしていた。

 その様を満足気に眺めながら、ヤンフィはスッと視線を切る。同時に、マユミでさえ目で追えないほどの速度で、アルファード・ロアの首を刎ね飛ばした。


「おぉ……凄いな、いまの剣技……舌を巻くほど見事な技だ。全く見えなかった」

「死閃之太刀じゃ――それはそれとして、マユミよ。とりあえずこの宿は引き払うぞ。理由は分からぬが、この場所が割れておる」

「嗚呼、そうだな――凛麗が垂れ込んだかも知れん。この宿は、剣神会の息が掛かっているからな」


 マユミの絶賛をスルーして、ヤンフィは煌夜を奪い取ってから迷わずに宿の外に出た。それに遅れないよう、マユミも肩を竦めながら外に出る。

 宿の中には人の気配がなかったが、大通りは変わらず人で賑わっている。

 人払いをしたのは宿内だけだったようで、周辺を封鎖まではしていないらしい。

 本当に交渉をしたいだけだったのか、それともただただ雑なだけか――ダーダム・イグディエルの真意が掴めず、首を捻るしかない。


「ふむ……それにしても厄介じゃのぅ。これではタニアとの合流に支障が出るかも知れぬ……」

「なぁ、ヤンフィ様。その【守護竜の泪】を見せて貰えるか?」

「ほれ――真贋を見抜くことは出来ぬが、恐らくは偽物じゃろぅ」


 ヤンフィは無造作にネックレスをマユミに放った。マユミはしっかりと受け取り、マジマジと眺める。


「……偽物、か? それにしては、随分と強力な魔力が秘められているようだが? しかもこれ、かなり精巧な代物だぞ?」

「それこそ妾に問われても分からぬ――じゃが少なくとも、聞いていた通りの代物ではないじゃろぅ。装備しただけで魔力底上げが出来るとは思えぬし、冠級の防御魔術も発動するように感じぬ。とは云え、妾たちで真贋の判定が出来ぬことは、読まれておるのじゃろぅ。じゃから、信じてくれれば僥倖と云う心積もりに違いあるまい。影武者は本物だと思い込まされておったようじゃがのぅ」


 ヤンフィはあまり策略を巡らすのが得意ではない。それはマユミも同様であり、ダーダム・イグディエルが何を考えているのか、裏の真意がどんなものか、想像すら出来なかった。


「この戦利品で納得して退き下がれ――そういう意味かのぅ?」


 首を捻るが、思惑は分からない。いやそもそも、いま敵の狙いを警戒する余裕はなかった。

 ヤンフィの目的は、煌夜を助けることを最優先としている。敵の思惑が何であろうと、もはやこの帝都オーラドーンに用はない。


(……オーラドーンを出て往け、か……それが何の思惑か分からぬが、乗ってやろうではないか……まぁ、コウヤを助ける為には、そもそも妾たちには他の選択肢なぞないがのぅ……)


 ヤンフィは内心で苛立ちを吐き捨てながら、マユミに道案内を促す。どこが安全な宿屋なのか、ともかく今は一刻も早く、煌夜の身体を休ませる場所に移動したかった。

 そんな思いを承知してか、マユミは迷わずに歩き出す。


「当初の予定とは異なったが、サッサと合流地点に移動することにしよう」

「……それは、第四区画の『甘味亭流砂』とやら、じゃったか?」

「よく覚えておいでで――嗚呼、そうだ。そこなら隠れ家としても適してる」


 マユミの判断に異論はない。だが、ヤンフィは歩き出したマユミに付き従いながら、疑問を口にする。


「――のぅ、マユミよ。その宿屋は、ここからだいぶ遠いのではなかったかのぅ? 妾も安全第一で動くことに賛成じゃが、この状態のままのコウヤを連れて、徒歩で長距離移動するつもりかのぅ?」

「安心してくれ。ここからそう遠くないところに、駅馬車の乗り場がある」

「……馬車か……飛竜は居らぬのか?」

「生憎だが、目的地付近までの飛竜便はないのさ――けど、ここの駅馬車は、快適な寝台付き馬車だ。速度は遅いが、充分、コウヤを休ませることは出来るはずだ」


 マユミが苦笑しながら、ヤンフィの心配に応える。それならば、とヤンフィも納得した。

 ところで、そんな二人のやり取りには参加せず、けれどもさも当然のように394は後を付いてきていた。無言で俯いたままなのは、恐らくヤンフィに脅されたからであろう。

 正直、ヤンフィとマユミにとって、394は足手纏いでしかなく、居るだけでも厄介ごとの種になりかねない存在だ。ここでバッサリ切り捨てても問題はないだろうが、それが後々、煌夜に災いと為す可能性もある。

 ヤンフィは思考の末、どちらに転んでも厄介になるのが目に見えているのであれば、監視下に置いた方が無難だという結論に達する。


「おい、神種よ。甚だ不愉快でならぬが、妾たちと同行することを許す――じゃが、随行しているのを見られると面倒になりかねん。じゃから、ここに入るが好い」


 ヤンフィは有無を言わせぬ物言いで、保有していた奴隷の箱を取り出した。

 飛竜便や魔動列車での移動となれば、時空魔術同士で干渉が起きて、奴隷の箱を使用することが出来ないが、ただの馬車であれば問題ないだろう。


「……ボクを、どうするつもり?」


 394は曇った表情のまま、ヤンフィの意図を解さず非難めいた口調で言う。その態度に舌打ちしながら、ヤンフィは強い口調と威圧でもって命令する。


「黙れ。どうするつもりも何もないわ。サッサと入れ。殺すぞ?」


 問答無用と奴隷の箱を展開して、足踏みしている394を放り込んだ。その様を見ていたマユミが、もう一つの懸念点を口にする。


「――あとは、明日にも到着するタニアをどうするか、か? タニアのことだから、すぐに私たちが見付からなかった場合、何をするか――」

「――タニアはアレでそこそこ賢しい。じゃから、すぐに移動したことを察するじゃろぅ。じゃが、確かに懸念はあるのぅ」


 ヤンフィは、ふむ、と悩まし気に唸りながら、どうするか、と思考する。

 先ほどのアルファード・ロアの件を考えれば、煌夜たちのパーティ構成は把握されている。到着したばかりなのに、宿屋の位置まで知られていたことを考えると、タニアが付近の聞き込みをしようものなら、確実に接触されるだろう。

 敵と接触した際に、タニアが誰かに後れを取るとは思えないが、何らかの計略に捕らわれる可能性は非常に高い。実際、国境の街ラビリスでは牢屋に捕らわれてしまった。


「事前に連絡が出来れば、苦労はないがのぅ……」


 致命的なまでに、タニアと連絡を取る手段がなかった。何か伝言のようなモノを残すことも考えるが、それを逆手に取られる可能性もある。

 そんなことを考えながら、気付けば駅馬車の乗り場に辿り着いていた。

 駅馬車の乗り場は閑散としており、幸いにも馬車は三台ほど待機していた。

 出発待ちをしている馬車は一台、それを無視して、マユミは誰も居ない一番豪華な馬車に乗り込む。


「――貸し切りで、第四区画入口まで行って欲しい。代金は倍を払う」


 手慣れた仕草でテオゴニア金紙幣を御者に握らせたマユミは、ヤンフィに目配せをしてから、煌夜を寝台に寝かせた。御者は手元のテオゴニア金紙幣をマジマジと見ながら、慌てた様子で出発準備を整える。


「そう言えば、ディドはどうする? このままだと、タニアもそうだが、ディドともはぐれてしまうぞ?」


 ヤンフィが馬車に乗り込んで腰を下ろすと、それを確認した御者が早速馬に鞭を入れた。動き出した馬車の揺れを感じながら、マユミが質問してくる。


「ま、ディドはあの容姿だ。探す気になれば、すぐに見つかるだろうが――」

「――ディドやタニアとはぐれることは、正直云えば、どうでも好いことじゃ。優先すべきはコウヤの命以外にない。妾が懸念しておるのは、タニアやディドが、彼奴の【洗脳】で敵になってしまう可能性じゃ。雷帝ダーダム・イグディエル……いや、天族バルバトロスか。彼奴が単身であれば、それほど恐怖はなかったのじゃが、裏に居る剣聖サーベルタイガーが危険過ぎる。アレはタニアが単身で、奥の手を使ったとしても勝てぬじゃろぅ。下手に手出しすれば、殺されて終わりじゃ」

「おや? ヤンフィ様をして、剣聖はそこまでか? 私はヤンフィ様なら、剣聖を倒せると思ったが?」

「倒すのは……容易ではないが、無論、可能じゃ。じゃが、妾と同格の存在であると認めるべき化物に違いない。コウヤを優先しない状況下でなければ、闘いたくなどないのぅ」


 ヤンフィの溜息交じりの台詞に、ほぅ、とマユミが軽い驚きを見せていた。それほど素直な反応が返されるとは思わなかったのである。


「……ぅ……」


 ふと両腕を失った煌夜が身動ぎをする。瞬間、ヤンフィは血相を変えて、煌夜の顔を掴むと痙攣し始めた瞼を見透かすように覗き込む。魔眼を発動させていた。

 薄目を開けた煌夜は、まだ意識は定かではないようで、混乱に濁った瞳でヤンフィを見詰める。


「――コウヤ。妾に意識を集中しろ。いまから汝を心象世界に誘う」

「は……ぇ? ヤン、フィ……?」

「マユミ。妾はしばし姿を消す――コウヤを護れ」

「ん? 嗚呼、はいはい。かしこまりました」


 軽い口調で頷くマユミを見ず、ヤンフィはそのまま宣言通りに姿を掻き消した。同時に、煌夜の瞳が見開かれて、すぐさま意識が失われた。

 何が起きるのか、と一瞬だけ興味を持ったが、マユミはすぐに意識を切り替えた。

 知ったところで意味はない。移動中はやることもないので、少し休むことにしよう。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 煌夜は暗闇で目を醒ました。意識が覚醒する瞬間、焦ったヤンフィの顔が見えた気がしたが、きっと気のせいだろう。

 全身を見下ろす。何故か暗闇で、煌夜の身体が淡い光を放っていた。


「あれ……腕、無事?」


 煌夜はふと首を傾げた。身体は痛みもなく、五体満足で傷一つない状態だった。


「……コタが……俺の腕を……」

「コウヤ。思い出すのはそれくらいにしろ。ここは妾と汝だけの心象世界じゃ」


 ふいに正面の闇からヤンフィの声が聞こえてきた。ハッとして顔を上げるが、姿が見えない。


「ヤンフィか? どこに――?」

「――想い描け。妾はコウヤの精神に精神を接触しているだけの状況じゃ。姿なぞなくとも会話は出来るが、些か不便じゃからのぅ」

「あ……そう……ええと……」


 前にもあったな、と考えながら、煌夜は言われるがままヤンフィの姿を思い出す。途端、目の前にヤンフィの姿が浮かび上がる。


「さて、コウヤよ。汝も幾つか質問したいことがあろうが、一旦は呑み込め。取り急ぎ状況を端的に云えば、汝は重篤な状況じゃ。このままでは命に関わる。じゃからいますぐ妾に、汝と同化する許可を出せ。さすれば以前のようにまた、肉体を元通りに取り繕い、命も保証出来るじゃろぅ」


 必死の形相で、焦ったような口調で、ヤンフィは煌夜に捲し立てる。よほど余裕がないようだ。


「――同化しないと、どうなるんだよ?」


 普段の煌夜ならば、別に流されてそのまま頷いたかも知れない。けれど、焦るヤンフィを見て、逆に冷静になれた。

 煌夜の返しに、ヤンフィは一瞬押し黙る。


「……いまのコウヤは、両腕を切断された状態じゃ。治癒では、回復出来ぬ……」

「ああ、そりゃ不便だな……けど、セレナとかで治せるんじゃないの?」

「……無理じゃ。切断された腕を癒す技術は、聖級の範疇じゃ。それこそ、この前のように偶然聖女が現れる僥倖がなければ、癒せぬじゃろぅ。じゃから、コウヤを元通りに出来るか、約束が出来ぬ……最悪、一生そのままじゃ」

「そっか……けど、それでもいいかも知れないな……」

「コウヤ!?」


 煌夜はしみじみと呟き、意識を失う直前の記憶を呼び覚ます。

 再会した谷地虎太朗の隻眼を――九年という月日が刻まれた精悍な双眸、成長して煌夜より大きくなった屈強な体躯。対峙して少し話しただけでも、どっちが兄貴分か分からないほど、しっかりと冷静な受け答えをしていた。

 煌夜はこのテオゴニア世界に来てすぐ、ヤンフィというチート的な存在に出逢えた。

 死ぬほどの危険には幾度と晒されたが、結果的に生きているし、言葉で不自由したことさえない。緩い冒険だったと言われても仕方ない。一方で、虎太朗たちは違う。言葉さえ通じないこの異世界で、何度の死の窮地を超えてきたのだろうか。

 ヤンフィさえ手玉に取るほどの実力を持っているにも関わらず、片目を失っていた。

 それほど過酷な九年間だったのだ。煌夜の心には、虎太朗の去り際の台詞がリフレインしている。


『これで俺はもう、谷地虎太朗って名前を捨てる覚悟が出来た』


 どんな覚悟があって、そんな台詞を吐いたのか。

 虎太朗は昔から頑固だったし、一度決めたことは貫く気質だった。そして何より、幼いながらも口にしたことを覆す性格でもなかった。つまり、あの台詞はそれだけ重い覚悟がある。

 その覚悟を聞いて、煌夜は自暴自棄になっていた。自らに課す戒めのつもりで、虎太朗から受けたこの怪我を治すことを良しと思っていなかった。


「俺の目的は……コタたちを助けることだったのに……コタがあんだけ立派になってるなら……もう、そもそも、リュウもサラも、助けなんて要らないだろうし……そしたら、別に両腕がなくたって生きていける……」

「腑抜けるでないぞ!!」


 ヤンフィがパチンと頬を叩いた。

 それは修行の時のような容赦ないレベルではなく、年相応の子供が大人を叩くような弱々しいビンタだ。痛くもない。けれど、それがヤンフィからだと思うと、驚きに目を見開いてしまった。

 ヤンフィは腕を組んで、見下すような視線で煌夜を睨み付ける。


「迎えが遅いことに駄々をこねた童が、兄に反発しただけで何を腑抜けておる! コウヤ、汝は童たちの兄ではないのか!? 兄は弟妹に拒絶されようとも、弟妹を見守る義務があるじゃろぅ? 前向きに考えろ、と云う訳ではない。悲嘆に暮れていじけるのを止めよ……だいたいじゃ。この世界でコウヤは、両腕のない状態でどうやって生きて往くつもりじゃ? 端から妾の庇護を当てにしておるのではないか!? 初めから頼るつもりなのであれば、大人しく妾と同化せよ。許可を出すだけで充分じゃ。いま妾とコウヤは主従の契約を結んでしまっておるからのぅ。許可がなければ勝手は出来ぬ」


 ヤンフィの睨み付けに、煌夜は押し黙った。

 胸中は複雑で、冷静だと思っていた思考は実は完全停止しているようだった。頭の中は、自分を責める言葉しか浮かんでこない。

 だがヤンフィが言っていることの意味は理解している。その指摘通りだと思うし、いまの煌夜はそれこそただ不貞腐れているだけだ。


「自暴自棄になりたいのであれば、妾との同化するのも一種の自棄じゃぞ? 魔王属の器になる不利益としては、魂が汚染されて変質するからのぅ――さあ、疾く決断せよ」

「…………まぁ、どうでもいいか……ああ、許可する」


 その言葉を合図に、ヤンフィの姿が薄くなって、煌夜の身体に重なり出す。


(ふむ――契約の結び直しはこれで完了じゃ。それでは、起きるぞ)


 影のようなヤンフィが完全に煌夜と重なると、そのまま溶けるように暗闇に消えていく。すると唐突に後頭部を殴られたような衝撃が走り、ハッとなって目が覚めた。

 

 目の前には化物でも見るような表情をしたマユミがいた。


 煌夜は慌てて身の回りを確認する。どうやらここは馬車の中にあるベッドのようだ。

 先ほどから、ガタンガタン、と規則正しく上下に震動が走っている。左右の窓から見える景色はどこぞの田舎道である。


「――なぁ、コウヤ。いまのはどんな魔法だ? 見る見るうちに腕が再生して……」

「は? 再生、って――」

「――妾が直した。いま、妾とコウヤは同化しておる」


 マユミの台詞に答えようとした煌夜だったが、途中でヤンフィに身体の主導権を奪われた。開いた口が勝手に動き、自分の声とは思えない響きで、東方語が紡がれる。

 いっそう驚きの顔をしたマユミだったが、一瞬だけ思考してすぐ納得する。


「……嗚呼、なるほど。コウヤの身体に、ヤンフィ様が入っている状態ということだな? 普段何語か分からない言葉を話すコウヤが、その顔のまま東方語を口にするのは新鮮な驚きがある」


 マユミは言いながら苦笑して、ツイ、と視線を外に向ける。タイミングよく、馬車が動きを緩やかにし始めていた。


「ちょうどいい。そろそろ第四区画の外れに到着する。ここからは、徒歩で三十分ほどだな――まだ外は明るいが、少し寄り道して食事でも摂ろうか」


 ガタン、と大きく揺れて、馬車は停止した。完全停止したのを確認してから、すかさずマユミから馬車を降りて行った。


(コウヤよ。一旦、宿屋『甘味亭流砂』で落ち着くまでは、妾が身体の主導権を握らせてもらうぞ?)


 久しぶりに心の中でヤンフィの声が響いてきた。

 煌夜は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに頷いて、ああいいよ、と同意した。意識だけが身体から飛び出て、宙に浮いている感覚になる。


 馬車を降りると、そこは平原のど真ん中と言われて、何ら違和感がないほど見晴らしの良い平地だった。足元には舗装された石畳の道があったが、その舗道以外は周囲には何もない。

 馬車はそんな街道の途中でポツンと立っている道案内の看板で停まっていた。

 矢印型をした木の看板は、それぞれ四つの方向に向いている。書かれた文字は読めないが、このどこかが目的地に繋がるのだろう。ちなみに四方向に伸びた石畳は、一方向以外、二人分程度の狭い幅しかなかった。一方向だけは馬車が二台並んでも余裕なほど幅広の街道であることを考えると、この方向が来た道で間違いないだろう。

 はて、目的地はこの三方向のうちどれだろうか――と考えた時、馬車が来た道を戻っていった。


「さて、と。それじゃ行くか――なぁ、ちなみにコウヤ? ヤンフィ様は――」

「――妾がヤンフィじゃ。当分の間は、コウヤの身体じゃが、妾のことはヤンフィと呼べ」

「なるほど、ね。承知した。ではヤンフィ様? ちょっとここら辺に、珍味を扱ってる食事処があるんだが、寄り道しても良いか?」

「その食事処は、宿屋と近いのか?」


 ふらりと歩き出すマユミに、ヤンフィが鋭く指摘する。おどけた仕草で肩を竦めると、マユミは首を横に振る。


「失礼――それでは、まず落ち着くために『甘味亭流砂』へ向かおうか。ま、あそこも充分美味い食事にありつけるからね」


 マユミはそう言って、三方向のうち、来た道の反対方向に歩き出す。


「第四区画、北五通り――廃棄街、エリア、のぅ?」


 ヤンフィが看板の文字をチラ見しながら、マユミの後を歩き出す。

 読み上げた内容は少しだけ不穏当だった気がするが、煌夜の身体をヤンフィが操作している状況は安心出来る。何が起きても、ヤンフィたちで対処できないはずはない。

 煌夜は人任せな安堵をしてから、改めて虎太朗とのやり取りを反芻する。ヤンフィからの叱咤激励もあり、気持ちが沈むことはなかったが、それでもかなりの心痛が生じた。


 しかし、まずもって今後の方針を考え直さなければならない。

 煌夜自身が、その事実に向き合って、どうするべきか、どうしたいのかを決めなければならないだろう。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「着いたぞ――おい、まだ死ぬなよ?」


 聖騎士ワイト・ラ・グロスに肩を借りて、ディドは何とか宿屋へと辿り着いた。けれど、既に意識は朦朧としており、手足の感覚が失せ始めていた。失血し過ぎたようだ。

 金色のドレス――【幻惑の正装】を維持し続けたおかげで、現状は何とか致命傷だけは回復出来た。最悪、このまま気絶しても死ぬことはないだろう。だが、いま気絶すると、ディドは完全に無防備になってしまう。

 信用の置けない聖騎士ワイトに、無防備な姿を晒す訳にはいかない。


「……なんだ、これ……この義足……もしや、アルファード・ロア?」


 聖騎士ワイトの呟きを耳にして、ディドは虚ろな視線で正面を見た。

 宿屋のロビーにはひと気はなく、代わりとばかりに、達磨状態になった男性が倒れていた。出血は酷くないが、四肢が綺麗に切り取られており、完全に絶命しているようだった。

 聖騎士ワイトはディドの身体をロビー脇のソファに横たえてから、男性の身元を確認していた。


「……血が枯れてやがる……いや、そもそも何でコイツがここで……と言うか、誰も居ないのか!?」


 聖騎士ワイトが宿屋の中で大声を張り上げている。しかしその呼び掛けに誰も反応しなかった。不自然なほど気配が感じられない。


(コウヤ……様……戻って、いない? まさか……剣聖に……いえ、ヤンフィ様が居て……そんなことは……)


 ディドは煌夜が無事か確信が持てず、疑心暗鬼で胸中が押し潰されそうになった。

 普段であれば、化物にしか思えないヤンフィに全幅の信頼を置いているが、先の剣聖サーベルタイガーの実力を目の当たりにして、その自信が揺らいでいたのだ。それだけ剣聖サーベルタイガーが、ヤンフィに匹敵していたのである。あれほどの強さとなると、もはやディドの想像が及ぶ範囲ではない。結末がどうなっていても不思議ではない。


「――クソッ! 全員、殺されている!!」


 虚ろな思考で必死に不安と闘っていると、ふいに聖騎士ワイトの絶叫がロビー奥から響いてきた。どうやらワイトは、宿屋受付奥にある待機部屋で、誰かの死体を発見した様子だった。

 そんな有象無象の死体などどうでもいい。だが、そこに煌夜の死体が混じっているかも知れない。そう考えると、ここで悠長に気絶している暇はない。

 ディドはなけなしの魔力と体力を総動員して、ソファから立ち上がる。

 煌夜たちが無事ならばそれでいい。この宿屋に戻ってきていないのであれば、合流するまでの話だ。だが果たして本当にそうなのか、一旦は部屋を確認する必要がある――刹那、その気配に戦慄する。


「ほぉ? 追跡用の魔道具が第三区画を出たから来てみたが、なんとも予想外の拾い物ではないか! これならば、アルファード・ロア如き、いくらでも死んで構わないな」


 そのおぞましい声を耳にした瞬間、ディドは恐怖で全身を震わせた。

 ビクリ、と身体が硬直して、悪寒と過呼吸が始まる。同時に、燃え上がるほどの憎悪が胸の内に渦巻いた。


「お久しぶりです、ディド・セラフィエル・アーク第二王女。余を覚えておいでか?」

「……大逆人……バルバトロス、っ!」

「おぉ、怖い怖い。意識が朦朧としておる割には、随分と強烈な殺気を放ちなさる」


 今すぐにその場で膝が崩れ落ちそうになるほどの体力だが、ディドは死ぬ気で銀腕を顕現させて、宿屋の入口に立つその男に弓を構えた。

 優雅な仕草、堂々たる立ち居振る舞いで現れたのは、見間違えようもない天族バルバトロス――雷帝ダーダム・イグディエルという名前で暗躍する竜騎士帝国ドラグネスの宰相だった。

 腰元まで伸びた白銀の長髪、天界で多くの女性を魅惑した見目麗しい顔立ち、見る者を虜にする黄金を溶かしたような双眸。何より、不愉快そうににやけている口元は、天界で初めて逢ったあの頃から全くと言っていいほど変わっていない。


「――おい、この宿屋はどういうこと――は!? こ、これは、宰相、ダーダム・イグディエル様!?」


 ドタバタと慌ててロビーに戻ってきた聖騎士ワイトが、入口で立っているバルバトロスを認めて、瞬間的に敬礼をする。

 それを横目に、ディドはすかさず異能を発動させて、この場から逃げようと試みた。


「反応が遅いぞ、第二王女」

「――――ッ!? くっ、ぁ……」


 天族バルバトロスが流れる動作で手を突き出して、無詠唱でディドの足首を魔力の鎖で捕縛する。

 それは別に、拘束力が強力な魔術という訳ではなく、ただ鎖状に展開した魔力だった。けれど、たったそれだけのことで、ディドの異能【次元跳躍】は発動しなくなる。


「貴女の異能の弱点など、天界では周知の事実でしょう? 何がしかに縛られた途端、跳べなくなる――余を前にして、そんな反応速度で逃げ果せるとお思いか?」

「……この……バル、バトロス……」

「親愛なるディド・セラフィエル・アーク第二王女――と、いまはセラフィエル・アークの名前は剥奪されておりましたな? 失礼、失礼。それでは、ディド様。改めまして、余の紹介をさせていただきましょう。余は、竜騎士帝国ドラグネスの宰相ダーダム・イグディエルと申します。先ほどから、何か別の名称を口走っておられるが……戯言と受け取っておきましょう」


 天族バルバトロスは愉しそうな顔でそう語りながら、ディドの全身を魔力の鎖で締め上げた。

 体力も魔力も枯渇寸前で、気力だけで弓を構えていたディドは、流石に耐え切れず銀腕を消失させる。


「ところで、ディド様。こうしてまた巡り合えて、余は非常に嬉しく思っております。エルネス・ミュールの雌豚に捕らえられたと聞いた時には、酷く落胆いたしましたからね――さて、とはいえ再会を喜ぶのはここまでにして、ディド様には一つ、人質になって貰いましょう」

「……相変わらず……発想が、卑劣……かしら? ワタクシを……捕える、つもり……かしら?」

「ディド様の安全は保証しますよ。ただ少々、余の計画を補強する役目で利用させて頂く――ワイト・ラ・グロス。そこの天族の女を連れて来い」


 天族バルバトロスは鋭く命令すると、瞬間的にディドの全身を締め上げる。魔力の鎖は凄まじい圧力と共に、強烈な衝撃を放って、ディドのなけなしの意識を刈り取った。

 悲鳴すら上げること叶わず、ディドはガクンと首を垂れて、次の瞬間、金色のドレスを霧散させる。襤褸雑巾のように汚れて破けた半裸状態になり、その場に力なく倒れ伏した。


「――ハッ!」


 ぐったりと横たわるディドを眺めてから、聖騎士ワイトは敬礼する。それを満足気に頷いて返すと、天族バルバトロスは宿屋を後にした。


「…………クソ。これは、マズい展開じゃないのか……」


 誰にも聞こえないよう独り言ちながら、聖騎士ワイトは命令通りにディドを背負った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 ジャラリ、とした鎖の音が鳴る。同時に、鼻を突く鉄と黴の臭い。薄く瞼を開けると、周囲は光一つない暗がりだった。

 正面に顔を向けると、鉄格子が見える。周囲は四角い石の壁に囲まれている。ここは、どうやら石の牢屋のようだ。

 鉄格子の向こう側、廊下からは、下卑た笑い声が響いて来ていた。


「……ここは、どこかしら?」


 ディドは小さく囁いた。けれどその音は、どこにも反響もせず、ただただ無音だった。


「……これは……バルバトロスの異能……いえ……魔術、かしら? 空間の隔絶……いえ、違いますわね……ああ、なるほど。ワタクシという存在を、隠遁しているのかしら?」


 思い出しましたわ、と頷いてから、身体がいまどうなっているかを確認した。

 ディドはいま、両手両足が鎖に繋がれて、磔にされている状態だった。自由に動くのは、顔だけ。身体を見下ろすと、見事に下着姿だった。

 はぁ、と溜息を漏らす。しかし、その音もディドの耳には届かない。

 一方で、ディド以外が立てる音はしっかりと響いている。例えば、鎖を動かした際の金属音は、喧しいほど石牢の中に反響しているし、廊下の奥から聞こえてくる馬鹿笑いの声もしっかり届いている。


「ワタクシに、隠遁の魔術を施している……同時に、鎖にも特別な魔術式が組まれているわね……どうしましょうかしら?」


 ディドは冷静に言いながら、体調状況を確認した。

 疲労感はだいぶあるが、気絶したおかげか、幾分かは魔力が回復している。とはいえ、体力は変わっていない。思考は鮮明になっているが、それだけだった。休めていないのは明白であり、恐らくいま鎖を外されても、崩れ落ちて倒れかねない。

 それにこの鎖にも、覚えがあった。ヘブンドームで性奴隷として扱われていた時、ディドたちを拘束していた鎖と同一である。素材はただの鉄だが、常時、催淫の魔術が流れており、体表から熱と体力を奪う鎖だ。


「……けれど、あの頃といまは違いますわよ? コウヤ様に助けられるまでは……奴隷化の禁術で、思考力を奪われていましたわ。けれどいまは、そんなことありません……抜け出せるようになったら、逃げても宜しいのかしら?」


 ディドは、その声が自分しか聞こえないにも関わらず、石牢の中で誰かに話し掛けた。当然ながら、返事はなく、何らかの反応が起きることもない。

 ふぅ、と大きく息を吸って、ディドは黙り込んだ。

 しばらくそうして、周囲の様子を探っていたが、一向に何も変わらなかった。

 仕方ない、とディドは石牢の中、隅の方へと視線を向けた。


「――どちら様か存じませんけれど、ワタクシの声、届いておりますわよね? 同じ術式で、隠遁しておられるようですけれど……まずは、お互いの事情をお話いたしませんかしら?」


 ディドの呼び掛けに、しかし反応はない。視線の先には暗闇が広がっているだけだし、そもそも音が出ていない状況だ。

 それでもディドは、確信を持って問い掛けた。


「気配の消し方も……お見事ですわ……けれど、ワタクシ、こう見えても……殺意や敵意には、多少、敏感かしら――」

「――小生は、殺意も敵意も投げておらん」


 ピシャリ、と断言する冷たい声が聞こえてきて、途端に、パリン、と硝子が割れる音と共に、ディド自身の吐息も聞こえるようになる。

 ピーン、と気圧が変化したような耳鳴りがして、石牢の隅で座り込むその剣士の姿が見えた。


「――どうして分かった? ダーダム・イグディエルが仕掛けた魔術は、そう簡単に看破出来る精度ではないはずだ」


 現れた剣士は、焦げ茶色の長髪に着物姿をしており、女性か男性か判別しにくい美貌だった。

 腰帯には細長い刀が挟まれており、いつでも振り抜けるとばかりに手を添えている。鋭く冷たい威圧と、漲る自信から推測するに、ディドよりも強者だと判断出来た。

 そんな剣士を前に、ディドは苦笑してから回答する。


「勘――かしら? 大逆人バルバトロスは、卑劣で狭量ですわ……捕虜をそのまま、これほど無防備に放置するはず、ありませんかしら?」

「チッ――だとしても、小生の居る位置が分かったのは何故だ?」

「あら……それは、簡単かしら。隠遁で存在を隠すのは、大逆人バルバトロスの得意技ですわ――当然ながら、対策もとっくに済みですもの。生憎、ワタクシとクレウサに対して、バルバトロスの【隠遁】は通じませんかしら」

「…………クレウサ?」


 ディドの台詞に眉根を寄せてから、剣士は舌打ちする。露骨に苛立っている。


「ところで……貴方は、どなたかしら?」

「名乗る意味がない。小生の任務は、貴様が逃げないように見張ることだ――退屈だが、与えられた任務をこなすのは当然の義務だからな」

「そう、ですか……」


 にべもなく返された台詞に、ディドはとりあえず押し黙る。

 何とか少しでも情報を引き出そうと思ったのだが、この剣士は見た目通りに無駄話が嫌いなタイプであるらしい。融通も利かないのだろう。しかし、天族バルバトロスの性格を考えれば、この人選は当然だろう。

 何も考えない駒を好む天族バルバトロスならば、忠誠心の有無も度外視して、脳死で命令に殉じれる者を重宝する。


(……とりあえず、この方にワタクシでは勝てないことは理解しましたわ……次いで、この方がバルバトロスの【洗脳】に掛かっていないことも……)


 ディドは静かに思考して、どこまでの任務を言い渡されているのか、それを慎重に聞き出そうと試みた。


「……ワタクシ、ここで何時まで待てば、良いのかしら? もし逃げたら、どうなるのかしら?」

「逃がさないし、逃げられるはずがない。貴様、小生を馬鹿にしてるのか!?」


 答えてもくれないだろう、と半ば諦めていた質問だったが、何かが逆鱗にでも触れたのか、剣士は凄まじい速度で抜刀して、ディドの首筋に刀を押し当てた。

 怒りで白い顔が紅潮しており、先ほどまでの冷静さは微塵もなく、鼻息荒く怒鳴り散らす。


「格下で満身創痍の天族如きが、小生の前からどうやって逃げるつもりだ!? 下らない質問で、いちいち小生を苛立たせるな! これがサーベルタイガーの命令でなければ、小生がわざわざ付きっ切りで見張ることなぞすると思うなよ!?」

「――――ッ!?」


 激しく唾を飛ばしながら、首筋の刀は薄皮一枚を綺麗に撫でた。血が一筋だけ首を流れる。


「……チッ――殺すな、と言われているからと、調子に乗るなよ。黙らないのであれば、次は手足を切断する。生きてさえいればいい、と、バルバトロスからは言われてるからな」


 憤慨する剣士は、そのまま見えない速度の血振りをして、刀を再び腰の帯に挟み込む。その脅しは完全に本気であり、次に無駄口を叩くか、逃げようとすれば、その瞬間に両手足が切断されるだろう。

 ディドが万全の状態であっても、恐らくは逃げ切ることは出来ない強者だ。

 タニアやマユミほどではないが、完全にディドの格上である。そんな相手を前に、魔力しか回復出来ていない状況では何も出来ない。


「…………はぁ」


 とりあえず状況は理解した。ディドは心と体を落ち着かせるために深呼吸する。流石に、深呼吸しただけでは何も言われなかった。

 

(……プライドが、高いのかしら? 格下を舐めている……油断と驕り……足元を掬うのに、それは有効でしょうけれど……どちらにしろ、いまは体力を戻さなければ、かしら……)


 無駄な心労で体力を奪われないように、ディドは静かに精神集中を始める。寝ているように、規則的な呼吸を繰り返す。

 それを横目に、剣士は石像のように床で座り込んだ。隙は全くなかった。


 そうして、どれほどの時間が経ったか――半日か、一日か。


 廊下から響いていた笑い声が、唐突にピタリと途絶えた。直後、剣士が音もなく立ち上がり、やはり音もなく手足の鎖を切断して見せる。

 ガクン、といきなり解放されて、ディドは踏ん張りも出来ず床に転がる。

 床に倒れたディドの眼前で、白刃が煌めいた。頬が縦に裂ける。深くはないが、痕に残りそうな傷だ。


「呼び出されたようだぞ――サッサと、自力で立ち上がれ」

「……急ですわね……乱暴すぎやしないかしら……」

「御託はいい。体力もそこそこ回復したろう? 小生はサッサとこの任務を終わらせたい。脚が付いているうちは歩けるだろうが――歩けないなら、切断するまでだ」


 剣士の脅しに、仕方ないと立ち上がり、促されるまま石牢を出た。

 鉄格子は最初から鍵が掛かっていなかった。

 廊下に出ると、そこは坑道のようになっており、点在する松明以外の光はなかった。地下なのか、外の様子が窺える窓の類は一切なかった。


「こっちに真っ直ぐ進め――逃げられると思うなよ」


 手足が自由とはいえ、手首には視えない程に極細の魔力鎖が繋がれていた。

 先ほど物理的な拘束を切断されたが、その瞬間に、魔力による鎖を付けられたようだ。ディドの異能を警戒してのことだろう。


(……魔力で打ち消すのは容易ですけれど……この魔力鎖……あの方の刀から伸びていますわ……打ち消した瞬間、両手足が落とされて……改めて、鎖を付けられるわね)


 ディドは背後の気配を感じながら、促されるまま坑道を歩いて行く。

 およそ五分ほども歩いて、ようやく上階に進む階段が現れた。上階からは、坑道よりもだいぶ温かい風が漂ってきており、ここが外ではなく、どこかの施設内であると確信する。

 階段を上がると、そこは石柱だらけの空間だった。

 何に使用する空間かは謎だが、だだっ広い空間に等間隔で石柱が建ち並んでいる。奥には複数の扉と、四つの階段があり、促されるまま左端の階段を上る。

 階段は螺旋状で、どんどんと気温が高くなっていくのを感じた。

 三階分ほど上ったところで、螺旋階段の窓から外の蒼空が見える。


「……少なくとも、丸一日以上……経っている、ということかしら?」


 捕らわれて以後、どれほどの時間が流れたかは定かではない。けれど、気絶する前よりも日の高くない空を見る限り、一日以上は経過しているのだろう。


「ようこそ、ディド様――如何ですか? 王城ロードから見下ろす景色は、素晴らしいでしょう?」


 螺旋階段を上り切るとそこは、城郭の一部にある櫓の中に繋がっていた。

 待ち受けているのは天族バルバトロスと、白けた表情をした剣聖サーベルタイガーの二人だった。

 櫓から見える景色は、確かに天族バルバトロスの言う通りに素晴らしい絶景だろう。しかしながら、状況が状況なだけに、ディドは景色など見る気がしなかった。


「小生はこの辺で失礼させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」

「――凛麗。まだ少し残ってろ。んで、俺らの用事が済んだら、またこの女を地下牢に移送しとけ」

「…………はい」


 照れているのか、ディドの下着姿を極力見ないように視線を外しながら、剣聖サーベルタイガーは背後の剣士にそう告げる。どうやら剣士の名前は、凛麗というようだ。

 一方で、ディドはもはや気が気ではなかった。

 剣聖サーベルタイガーが全くの無傷でここに居るということは、すなわち煌夜とヤンフィたちが無事で済んでいない可能性が高い。

 あの状況が果たしてどうなったのか、命を懸けても問い掛けたくて仕方ない。


「――――ぁ、あ、そ、の……」

「ディド様。貴女の発言は許可できません――さて、要件をお伝えしましょう。余からで宜しいでしょうか、騎士王?」


 天族バルバトロスが不愉快な口調で、傍らの剣聖サーベルタイガーに首を傾げた。特に何も言わず、剣聖サーベルタイガーは小さく頷いた。


「ディド様には、余の正室となって頂きたい――容姿、実力、家柄、全てにおいて、貴女様ほど余と釣り合う存在はいない」


 不敵に笑う天族バルバトロスに、ディドは思わず吐き気を催した。以前に言われた台詞と、一言一句違わない台詞だ。反吐が出る。

 けれどおかげで、頭が少しだけ冷静になる。どもった声が元に戻った。


「……あの時と、同じ台詞を、返答いたしますかしら――――自惚れるな、下衆が」

「おお、おお、素晴らしい気概だ――どれだけ堕ちても、変わらず気高いのですね。しかし、いまのディド様に選択肢はございませんよ」

「――おい。お前の気持ちなんざ知ったことじゃないが、交換条件を出しておく。お前がバルバトロスの妻になるなら、天見煌夜をわざわざ探し出して殺すのは止めてやる」


 ディドの返答に歓喜の声を上げる天族バルバトロスを横目に、剣聖サーベルタイガーがサラリとそんな脅しを口にする。

 瞬間、ディドは目を見開き、現在の全力を惜しみなく発揮した。

 金色のドレスを纏い、銀腕の顕現と同時に、神弓イチイバルを構えた。光剣の形状をした神矢イチイバルまで番えて、ここで死ぬつもりの威圧を放った。


「コウヤ様は、ワタクシが命を代えても――」

「――――クソ、コウヤがッ!」


 迷わず引き絞り、間髪入れずに射貫こうとした刹那、剣聖サーベルタイガーの隻眼が赤く光り輝き、神矢イチイバルが霧散した。

 何が起きたか分からないが、神矢イチイバルは打ち消されたらしい。

 けれど、それで思考停止などしない。殺されようとも構わない――と、銀腕を装備した左手で、剣聖サーベルタイガーに殴り掛かった。


「――ぐぅ、ぁ」

「馬鹿が」


 果たして、剣聖サーベルタイガーに拳が届くことはない。

 カウンターで、凄まじい重さの拳が腹部に突き刺さり、ディドは思わずその場で崩れ落ちた。


「言い方を変えてやる。お前が、俺らの言うことを聞かないなら、天見煌夜を必ず殺す」

「――がっ、はっ」


 ヒュー、ヒューと顔面を蒼白にさせて、必死に呼吸をするディドに、剣聖サーベルタイガーは吐き捨てた。そのまま天族バルバトロスを制しながら続ける。


「一応、言っておくぞ。俺は正直、もう天見煌夜とは関わりたくない。だから極力、天見煌夜が何をしてても無視する気でいる。けどな。邪魔するようなら、容赦なく殺す――だけどもし、お前がバルバトロスの嫁になるなら、どんな状況でも殺さずにおいてやるよ」

「…………ワタクシの、何に、それほどの価値を……見出しているの、かしら?」


 天族バルバトロスの目的がディドだとして、それが何故かが分からない。

 もはやここは人界であり、天界に戻る術もない。ましてや、ディドは王位継承権を剥奪されて、王族の名前を名乗ることさえ認められない存在だ。

 天族バルバトロスは打算で動く。愛だとか、恋だとかの青臭い感情は持ち得ていないことも知っている。だのに何故、ディドとの婚姻を求めるのか――


「悪いけど、問答するつもりがないんだよ。一応、めげないみたいだから、もう一つ忠告しておくぞ? 逃がすつもりはないが、逃げても天見煌夜の命はなくなると思えよ」

「…………」


 剣聖サーベルタイガーはそれだけ言って、俺の話は今度する、と言い残して去って行った。

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