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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十二章 竜騎士帝国ドラグネス
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第八十八話 帝都オーラドーン/前編

 国境の街ラビリスで過ごす六日目の早朝。

 宿屋のバルコニーから外を眺めていると、見覚えのある剣士がふらりと大通りに現れた。

 その剣士は遠目から見ても、明らかに周囲とは異なる雰囲気を放っている。どことなく気品があり、華のように美麗な容姿をしていた。

 一見すると、儚い印象をした美女だろう。気怠そうな空気を纏い、しゃなりとした立ち居振る舞いで、四色の月を模した図柄の刺繍された着物を着こなしている。

 しかし、その容姿に騙されてはならない。アレは間違いなく男である。


「相変わらずの女装癖だな――素敵な殺意で、そんな煽るなよ」


 マユミがニヤリとほくそ笑むと、その剣士は鋭い殺気を一瞬だけぶつけてから、陽炎の如くユラリとその姿を消した。サッサと下りて来い、と気配で語っていた。

 マユミは愉しげな表情のまま、三階のバルコニーから躊躇なく飛び降りた。

 音もなく大通りに着地すると、すかさず剣士の行方を探す。すると、だいぶ先の路地を右に曲がるその後ろ姿が垣間見えた。


「おいおい、少しくらい待ってくれても良いだろ?」


 マユミは呟きながら、軽やかな足取りで後を追って、路地奥の袋小路に辿り着いた。

 そこでは、マユミの待ち人――剣神会所属【剣仙】の一人、月の号を持つ凛麗(リンレイ)がつまらなそうに壁に背を持たれて立っていた。

 凛麗は腰まで伸びた焦げ茶色の長髪を風に揺らしながら、艶のある流し目を向けてくる。

 驚くほど白い肌と、武人とは思えないほど傷一つない整った顔立ち。藍色の腰帯を巻き、帯に挟むようにして細長い刀を差していた。


「――わざわざ小生が寄ってやったというのに、待ってくれ、だと? むしろ感謝して土下座の一つでもして見せるのが当然では? マユミ・ヨウリュウ」

「嗚呼、感謝はしてる。おかげで、私の信頼がより強固になる」

「信頼? 誰に対しての信頼かは知らぬし、マユミ・ヨウリュウが何をしてるかも興味ない――だが、疑問がある。どのような理由で、小生の権限を利用したいのだ?」


 低くドスの利いた声で質問をしてくる凛麗に、マユミは不敵な笑みを向ける。

 マユミの笑みを見て、凛麗はいっそう不機嫌そうな空気を放ち、汚物でも見るような視線で睨み付けてきた。その視線には露骨な嫌悪感が滲んでおり、声の端々からも憎悪が溢れていた。

 マユミはおどけた様子で肩を竦めて、無抵抗をアピールする。しかし、その所作がそもそも凛麗には不愉快なようで、さらに鋭い殺意をぶつけてくる。


「己の腕しか頼らないマユミ・ヨウリュウが、任務で強制された訳でもないのに、他者に協力を求めるなぞ、まったく理解に苦しむ……だからこそ、小生が直接来たのだが……」

「失礼な――だが、ま、私もそう思うよ。まさか私が誰かに協力を仰ぐとは、夢にも思わなかった」

「何を企んでいる?」


 その疑問に、マユミは心底愉しそうに笑いながら、凛麗の殺意を上回る威圧をぶつけた。ドン、と互いの覇気で空気が揺れる。

 けれど、互いに少しも身動ぎせず、途端に周囲は、一触即発の戦場に変わる。


「企む? ま、そうか。確かに、企んでる、かな――理由はとても単純だ。最高の獲物を見付けてしまっただけだよ。剣聖に挑む以上に――剣神を倒すこと以上に、愉悦を感じる相手を見付けた。己が研鑽を高められる相手を見付けたってだけだ」

「――剣神を倒すこと以上、だと? 相変わらず不愉快な台詞を吐く女だ、マユミ・ヨウリュウ。そういうところが、小生を苛立たせる」

「フフフ――貴様も、実際に対峙すれば理解出来るはずだ。剣聖と戦うよりもよほど面白い相手だぞ?」

「……心底、どうでも良いな。マユミ・ヨウリュウの悪趣味に、小生を巻き込んでくれるなよ? ま、サーベルタイガーには、今回の件は報告せずにおいてやる」


 凛麗は溜息交じりに言って、帯から一枚の羊皮紙を取り出す。それが『帝国民』の推薦状である。


「助かるよ――」


 マユミは形だけの謝辞を述べて、当然のように凛麗の手から羊皮紙を奪う。瞬間、凛麗は目にも留まらぬ速度で抜刀して、マユミの首を本気で刈ろうと振り抜いていた。

 けれど、その抜刀を当たり前のように予見して、マユミは紙一重に身体を退いて躱す。同時に、顕現させたマガツヒを凛麗の腕目掛けて振り下ろしていた。


「――チッ」


 ガキン、とマユミの刀と凛麗の刀が鍔迫り合う。

 一瞬だけ火花が散り、次の瞬間、示し合わせたような剣戟が巻き起こった。凛麗もマユミに負けず劣らぬ技量で応戦してきたのだ。


「へぇ――腕を上げたな」


 マユミの感嘆の声が、幾重にも煌めく剣風に掻き消される。一方で凛麗は、煩わしそうに舌打ちしつつ、見事な刀捌きで連撃を繰り出す。


 そうして、しばし互いに切り結ぶと、唐突にマユミと凛麗は距離を取った。


「……マユミ・ヨウリュウ。小生やはり、貴様が気に喰わぬ。いずれ雌雄を決する」

「私はそこまで貴様を嫌いではないぞ? 気に喰わないのは同じだが、それは女装癖に吐き気がするからだしな。ま、雌雄を決するのは吝かではないが、私としては、もう格付けなんてとっくに終わっている認識だがね?」

「……ほざいていろ」


 マユミが不敵に笑みを浮かべると、凛麗は苦虫を嚙み潰したような顔で吐き捨てて構えを解いた。ギリギリと歯噛みしながら、前髪を掻き上げる仕草でマユミを睨み付けてくる。

 凛麗は確かに強いだろう。三人しかいない剣仙のうち、月の号を冠した剣士である。だが、いまここで切り結んで、マユミは確信した。

 もはや凛麗はマユミの敵にはなり得ない――だいぶ実力に差がついたようだ。


「嗚呼、ところで、凛麗? 剣聖に呼び出されたと聞いたが、理由はなんだ?」

「マユミ・ヨウリュウに教える意味が分からない……だが、正直なところ、知らんし興味がない。小生は与えられた任務をこなすだけだ」

「――相変わらず脳死しているな。ま、確かに、理由はどうでもいいか」


 二人は同時に視線を切って、瞬間、凛麗の姿は掻き消える。得意の超高速歩法術である。

 逃げるように消えた凛麗など追わず、マユミは受け取った推薦状を片手に歩き出した。

 これで最後のピースが揃った。住民票取得の手配も大きく進むだろう。


 さて、ヤンフィたちの期待には、しっかりと応えねばなるまい。


 マユミはこの後の展開を予感して、思わず口元を歪ませた。

 恐らく帝都オーラドーンでは、予期せぬ愉しい出来事が起きるに違いない。少なくとも、雷帝ダーダム・イグディエルとの戦闘は不可避である。そう考えると、剣聖サーベルタイガーともまた殺し合うことになりそうな予感もある。

 強者は探すのが大変だというのに、これほどまで目白押しで現れるような冒険なぞ、マユミにとっては生まれて初めてだ。そんな狂った悦びに、マユミの胸はいまにも躍り出しそうだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 タニアが戻ってきて、ようやく出発の準備が整ったところで、煌夜たちは一旦、宿の食堂で作戦会議をすることにした。

 食事を注文して、いざどうする、と口火を切ろうとしたちょうどその時、悠々とした所作でマユミが戻ってきた。その手には、六人分の丸められた紙が握られていた。

 マユミの持つその紙に気付いて、思わず煌夜は席から立ち上がった。


「待たせたな、ヤンフィ様。ようやく手に入ったぞ。人数分の住民票だ」

「――遅過ぎにゃ、馬鹿マユミ。お前、もっとちゃんと仕事しろにゃ!」

「おいおいおい。むしろ、私の仕事は早かったぞ? タニア、貴様こそ遅かっただろ。六日間も拘束されるとは予想外だった」

「にゃんだと!? お前、あちしがどれだけ頑張って、我慢したか知ってるにゃかっ!? アイツらを、何度、皆殺しにしようと思ったかにゃ!!」

「……皆殺しって発想が、そもそも問題だろ? ま、タニアは相変わらずだな」


 一番遅れて合流したタニアが、誰よりも真っ先にマユミへと文句を吐いた。その漫才じみた掛け合いを見て、煌夜は少しだけ冷静になる。

 とりあえず着席して、テーブルに置かれた水を一口飲んだ。


「いちいち、マユミに絡まないでくれ、タニア――ありがと、マユミ。これでようやく、コタのところに向かえる」

「……んにゃぅ」

「嗚呼、コウヤ。ついでに飛竜の手続きも終わらせておいたぞ。本日二十時の飛竜便で、帝都オーラドーンに行ける。到着予定時刻は、二日後の早朝だ」


 マユミの台詞に、煌夜はガッツポーズを取った。昨晩話していたよりも、ずっと予定を前倒しできている。

 そんな煌夜の喜びを苦笑して、マユミはすかさず近くの席に座ると、駆けつけ三杯とばかりにエール酒を注文していた。


「ねぇ、コウヤ。確認だけど……飛竜便で直接、帝都オーラドーンに向かうのって大丈夫なの? 昨日の話だと、かなり監視の目が厳しいんでしょ? バルバトロスのことを調べたり、帝都内の状況を調べる為にも、手前の【古の都シールレーヌ】で様子を窺うじゃ、本当にダメなの?」


 ふとセレナが、首を傾げながらそんな提案をした。その提案は昨晩、煌夜たちで相談していた際に出た方針の一つだった。

 妙案だ、と昨晩は盛り上がったが、結局、そんな時間のロスは出来ないという結論に到り、煌夜によって却下されていた。セレナはそれを蒸し返している。

 慎重に動くのであれば、確かにそれも一考できる。けれど、ここまで準備出来た今となっては、一秒でも早く谷地虎太朗を見付けたい煌夜からすれば、やはり悪手だろう。

 ところで、この提案、口には出していないが実のところ、観光がしたいセレナの自分勝手な都合を叶えるものである。煌夜はそれを知らずに、しかし正しい判断として却下している。


「……昨日も言ったけど、やっぱりそれはダメだ。オーラドーンに直接向かおう。そもそも、その手前の街って、オーラドーンから馬車で丸一日掛かる距離なんだろ? 時間の無駄だよ」

「無駄って、まぁ、気持ちは分かるけど……コウヤさ。そもそも、どうしてこのタイミングで、異世界人の子供が帝都オーラドーンに連行されてるのか、調べる必要があるでしょ?」

「――理由なんてどうでもいい。何にしても、コタを見付けることが最優先なんだ。一刻も早く、帝都オーラドーンに向かおう」


 煌夜の断言に、セレナが呆れた顔で口を閉じた。

 自分勝手だ、と罵られても仕方ないだろう。煌夜一人では何もできないのに、自己都合でみんなを巻き込んでいるのだ。

 だが、それを承知したうえで、煌夜は強く言い切り頭を下げた。お願いすることしか出来ない。


「頭を上げてくださいませ、コウヤ様。ご安心ください。ワタクシ含めて、反対意見などありませんかしら? セレナも、いまのはただの戯言ですわよね?」

「戯言、って……いや、別に、そんな脅さなくたって、従うわよ?」

「ほら、コウヤ様?」


 傍らに座っていたディドが、鋭い威圧でセレナを睨んでいた。その視線に肩を竦めながら、セレナが溜息交じりに頷く。


「ありがとう、セレナ。じゃあ、準備を整えて――」

「――コウヤ。言い忘れていたが、飛竜便の定員は四人だ。だから、私とコウヤ、ヤンフィ様は確定として、あと一人、誰を連れていくか決めてくれ」


 セレナに感謝した瞬間、マユミがサラリとそんな重要なことを呟く。途端、辺りが緊張した。

 緊張の原因は、ディドとタニアである。二人は目に見えるほどの魔力を溢れさせながら、凄まじい覇気をぶつけて牽制し合っていた。どちらが最後の一人か、互いに主張し合っているのだろう。

 煌夜は、四人か、と呟きながらも、実際どっちでもいいな、と失礼なことを考えていた。


「――ディド姉様。私とセレナ様は、別便で向かうことにします。セレナ様? いますぐに準備をすれば古の都シールレーヌに先んじて到着するかと存じます。私たちは先行して、シールレーヌで情報収集をすれば良いでしょう?」

「お? それ、良いわね……じゃ、コウヤ。ってことで、あたしたちは、別行動するわ」

「…………あ、うん」


 煌夜がどうしようと悩んでいる一方で、早々にクレウサがセレナと結託して挙手していた。それに異論など誰も挟まない。まあ、ここまでは当然の帰結だ。

 本題はここから、揉めるのはディドとタニアである。

 とはいえ、煌夜では決めることが出来ず、毎度の如くヤンフィに助けを求めた。


「悩む必要はないぞ? あと一人は、ディドじゃ。タニア、汝は別便で妾たちに合流せよ」

「にゃにゃにゃ!!?」

「――畏まりましたわ、ヤンフィ様。英断、感謝するかしら」

「にゃんで!? どうして、にゃ!? あちしの方がディドより強いし、頼りににゃるはずにゃ!!」


 ヤンフィの決断に、しかしタニアは当然喰い付いた。一方で、ディドは勝ち誇った笑みを浮かべている。

 この展開は、逆を選んでも同じように発生しただろう。煌夜はどう切り抜けるつもりかと、ヤンフィに注目する。

 けれどこの修羅場を収めたのは、ヤンフィではなくマユミの説明だった。


「理由は二つだろ? 一つ目は、大災害タニアと行動することの危険性を考慮した場合、ディドの方が間違いがない。もう一つは恐らく……これが決定打だろうが、ディドの異能を利用する為だろ? 次元跳躍だったか? それがあれば、いざという時、容易にその場から離脱出来る」


 ズバリ説明したマユミの言葉に、煌夜も納得した。その説明は、ヤンフィも同意とばかりに強く頷いていた。


「にゃにゃにゃ……納得、いかにゃいにゃ。別行動するのは、理解したにゃ。にゃけどそれにゃら、ディドは一日遅れの飛竜便で、帝都オーラドーンに向かえば良いにゃ。先行したあちしたちが、情報収集しとけば良いだけにゃ?」

「タニアよ。それこそ、汝がすれば好いじゃろぅ? 妾は別に止めはせぬ。結論として、諦めよ――妾としては最大限コウヤの意を汲もうと思っておる。それを考えると、最善手として同行させるのは、間違いなくディドじゃ」

「にゃけど――」

「――妾たちの今までの旅路で、一度でも想定より楽だった瞬間はあったのかのぅ?」


 タニアの食い下がりを制して、ヤンフィは不敵な笑みを浮かべながら言う。その台詞は、まさにぐうの音も出ない。

 認めたくはないが、事実として、ここまで至るのに紆余曲折があり、それらは全て意図せぬ巻き込まれ事故だった。

 それを鑑みれば、常に最悪を想定すべきだ。そして、大前提として予期せぬ事態が発生することを視野に入れるべきである。


「ぐぅ、にゃぅぅ――」


 タニアも馬鹿ではない。ヤンフィの言わんとしていることも、状況も理解していた。

 しかしまだ感情としては割り切れない様子で、渋い顔で唸っている。そんなタニアを見て、煌夜は、ごめん、と頭を下げながら宣言する。


「――今日の二十時で行くのは、俺とヤンフィ、マユミとディドの四人だ。タニアは悪いけど、次の便で来るか、セレナたちとシールレーヌに行くか、選んでくれ」

「……それにゃら、あちしは一日遅れで合流するにゃ。セレナたちの観光に付き合うつもりにゃんかにゃいにゃ」

「ちょ――タニア!? 観光って、違うからね!? ちゃんと情報収集するわよ!?」


 煌夜の宣言にようやく折れたか、タニアはシュンと俯いてしまった。一方で、セレナが慌てた様子で、煌夜たちに身振り手振りで弁明している。

 クレウサが若干呆れながらも、冷静に口を挟んだ。


「コウヤ様たちは、弟君を探すことを優先してくださいませ。私とセレナ様は、バルバトロスの情報を探ります。なので、合流場所を決めさせて頂ければ助かります」


 クレウサの台詞に、そっか、と煌夜はハッとする。合流場所――重要である。

 これから向かうのは、マユミ以外が誰も知らない土地だ。しかも、状況的には敵地であるとも言える。煌夜のみならず、その場の全員がマユミに視線を向けた。

 帝都オーラドーンの立地を知っているのは、マユミしかいない。

 マユミは注目の的になっているのを自覚して、エールのジョッキを置いた。


「――帝都オーラドーンは、竜騎士帝国ドラグネスの中で最も広大な敷地面積を持つ街だ。中心部に王城ロードを置いて、そこから円形に街が広がっている。ただしあまりに広大過ぎるがゆえに、街の中を第一から第四まで区画分けしている――さて、それを念頭に入れて、まず第一区画。これは王族が居住する区画で、その外縁に沿って軍が常駐して警備している場所だ。さらに、この第一区画の外側には、聖級の結界魔術が施された壁が聳え立っている。これが王族の壁と呼ばれる境界線だ。この壁の内側に入るには、帝国民以上の住民票がないと不可能だから、私たちは第一区画には入れない」


 マユミは言いながら、テーブルの上に古びた地図を広げた。

 古びた地図には、少し上部がつぶれたような楕円形の図が描かれており、あちこち細かい点と文字が書かれていた。

 これが帝都オーラドーンの全容を描いた地図のようだ。

 マユミは『王族の壁』と言いながら、中央右寄りに太く描かれた円を指でなぞっている。


「この壁の外側には、貴族が居住している第二区画がある。第二区画は、東側の一部を上位貴族区画、それ以外を下位貴族区画として区分している。上位貴族区画は、高級住宅地が建ち並び、王族含めて軍部の主要人物が居住していて、軍の特殊施設などが置かれている場所だ。この区画に入るには、二つの関所を通り抜ける必要がある。栄誉市民権を持っていれば難なく通れるが、街中を軍の最精鋭が常に哨戒してるから、怪しい動き一つで、すぐに大問題になる。さて、その一方で、それ以外の下位貴族区画は、中位から下位の貴族や、そこそこの富豪が居住する場所だ。ここなら、多少怪しい行動をしても御咎めはない。色々と調べるなら、この下位貴族区画が最適だな」


 マユミは、太い円の外側、地図上で中心から数えて三番目に当たる点線の楕円を指でなぞっていた。その楕円形の範囲が第二区画らしい。


「で、この第二区画より外側のエリア全域を、基本的には第三区画としている」

「……森と湖まで、第三区画にはあるようね……確認するけれども、この地図、縮尺は合っているのかしら?」

「勿論、合っている。だから言ったろ? 帝都オーラドーンは広大な敷地面積を持つ、とね」

「……だとしても、第三区画の端から第二区画までの距離が、およそ25キロメートルなんて……これは本当に、一つの街なのかしら?」


 半信半疑という口調で、ディドが地図に描かれた記号を指差した。しかしマユミは胸を張って自信満々に頷いている。

 煌夜は文字も記号も読めないので、地図を眺めながら眉根を寄せた。


「……25キロメートル?」


 地図の読めない煌夜でも、ディドの呟いた25キロメートルという距離が、どれだけの長距離なのかは理解している。

 だからこそ、ディドが疑問に思うのも当然だろう。煌夜でさえも縮尺を疑った。


 地図を見る限り、第一区画が中心右寄りの円形で直径10センチほどの面積をしている。

 その少し外側に描かれた『王族の壁』は、第一区画から1センチ幅の距離を置いて、太い線で描かれていた。

 第二区画は『王族の壁』から5センチほど外側を囲む楕円形であり、その右側だけが、点線の正方形で囲まれていた。点線の正方形の上下には、扉みたいな記号が見えるので、これが関所の記号だろう。

 そして、第三区画は、第二区画から外側に5センチ幅の距離を置いて描かれた一番外縁の太線となっている。


「……なぁ、マユミ……この地図、5センチ幅が、およそ25キロメートル……つまり1センチ幅が5キロメートルもあるってこと? だとしたら、帝都オーラドーンって、かなり広すぎないか……?」


 さて、ディドの呟きを信じたうえで、実際の距離感を計算してみた。

 すると、導き出される結論としては、帝都オーラドーンは横幅32センチ――つまり160キロメートルもある計算である。縦幅は少し潰れている形状から、目算で25センチほどだろうか。少なくとも、100キロメートルから125キロメートルの範囲だろう。

 とてもじゃないが、一つの街とは思えないほど広大だ。あまりにも信じ難くて、煌夜は驚愕に思考停止してしまった。

 そういえば、マユミからは事前に、コタが帝都オーラドーンのどこにいるか、詳細が分からなければ、探し出すのは困難極まる、と言われていたが、ようやく忠告の意味が理解出来た。


「……総面積を、どんだけ少なく見積もっても……二万平方キロメートル超えってこと? え……東京ドーム何個分、ですか……?」

「トウキョードーム? なんだそれは? ま、だが、広いのは事実だ。広すぎてコウヤがピンと来ないのも仕方ない――そうだな。このラビリスの街と比べると、だいたい五十倍くらいはあるか?」

「……五十、倍!?」


 マユミが簡単に答える。それにいっそう驚愕する。


「――マユミよ。広いのは理解した。それで? 合流場所はどうするのじゃ?」

「嗚呼、失礼、話が逸れたな。そうだな……剣神会の支部が、この第二区画の西側にある。合流地点は、ここにしよう」

「……剣神会の支部、にゃか……別の場所が良いにゃ……」


 タニアが駄々っ子のような声を上げた。

 見れば、さりげなく煌夜に上目遣いで、お願い、と訴えてきている。けれど残念ながら、合流地点を口にしたのはマユミである。まあ、とはいえ、決定権は煌夜とヤンフィにある。

 チラとヤンフィを見るが、それよりも先にマユミが続けた。


「安心しろ、タニア。ここの支部長は、私の直属の部下で【剣王】リュウ・ライザと言う。多少、種族差別が過ぎる屑野郎だが、私には決して逆らえない。だから、どこかの宿屋で合流するよりも、情報の漏洩がないぞ?」

「――ん? え、待って……『リュウ・ライザ』、って……」

「にゃんか、覚えがあるにゃぁ……」


 ふと、マユミの言葉にタニアとセレナが反応する。


「嗚呼、冒険者筋ではそこそこ有名なようだ。長刀を振るう白髪の剣士――」

「――あ、そうそう。ソイツ、タニアが殺したわよ? ベクラルでちょっと色々あった時、タニアを馬鹿にしちゃったもんだから、事情を聞く前に消滅したわよ?」

「……ほぉ?」


 セレナが肩を竦めながら説明すると、タニアが思い出したとばかりに頷いていた。マユミは一瞬だけポカンとしたが、すぐに納得した様子で苦笑する。


「なるほど、ね。そうか……剣聖に命じられたか。ま、タニアを相手に種族差別を見せれば、そうなる――となると、確かに合流地点は変えた方がいいな。誰が次の支部長になっているか分からない。剣仙凛麗も帝都オーラドーンに向かっているし……」


 マユミが悩ましげに口元を押さえていた。

 煌夜は、随分とドライだな、と感心する。どんな事情か分からないが、直属の部下を殺したと言われて、特に何も思っていないのが凄い。

 まあ、敵討ちだなんだと、ここで喧嘩になっても困ったものだが――。


「……そうすると、第四区画で私がよく利用している宿屋がある。『甘味亭流砂』という店だが、ここにしよう。ここなら、客もほとんど入らないからちょうどいいだろ。飯も美味いしな」


 マユミは長考の末、第三区画の範囲円の中でも、隅の方を指差した。何やら文字が書かれているが、煌夜には読めない。


「マユミよ。第四区画とやらの説明がなかったが、ここはどういう区画じゃ?」

「端的に言えば、無法地帯……ドラグネス以外の国であれば、奴隷区画に該当するような場所だ。もっと言えば、屑の掃き溜めだ。知ってると思うが、竜騎士帝国ドラグネスは表向き、種族差別をしていないし奴隷制度も禁止してる。だがそれは、禁止されているだけであって、行われていないわけじゃない。水面下では、当然ながら奴隷売買も行われている」

「ふむ、当然じゃろぅ――むしろ健全な国なぞ在りはしない」

「そんな禁止行為が平然と行われているのがここ第四区画さ。帝都オーラドーンの中で、最も汚い場所であり、治外法権地帯だ」


 ヤンフィと同時に煌夜も頷いた。

 ふとその時、ディドがクレウサと何やら目配せし合いながら地図を指差した。


「――マユミ。飛竜便で降りるのは、第三区画のここ、ですわよね? 合流地点とするには、少し遠過ぎないかしら? それに、シールレーヌもこちらの方角でしょう? これだと、クレウサたちが合流するのも困難かしら?」

「ん? 確かに移動距離を考えると、合流地点としては、それほど適していない。だが、隠れ家として考えた場合、最適な場所だ」


 ディドの指差した場所は、第四区画とは真逆の場所だ。目算で15センチ以上は離れている。

 ということは、帝都オーラドーンに着いてから、ざっと75キロは移動をしないといけない計算である。確かにそれは遠い。移動だけでも一日近く掛かるだろう。


「……あちしは、どこだっていいにゃ。合流が難しいって言うにゃら、ディドはクレウサたちと行動したらどうにゃ? あちしが代わってやるにゃ」


 ディドの懸念に、タニアが吐き捨てるように口を挟む。それに苛立ちながら、しかしディドは無言でヤンフィを見やる。

 最終判断をヤンフィに任せたようだ。それが正しい。


「――妾としては、マユミの提案に乗るのが吉じゃと思う。優先すべきは、安全に活動することじゃ。ここが隠れ家として最適なのであれば、多少時間が掛かっても移動すべきじゃ。だいたい……タニアが到着するのは一日遅れじゃろぅ? なればその一日は、近場の宿屋で待っていてやる。どうじゃ、コウヤ?」


 ヤンフィにいきなり話を振られて、煌夜はビックリしながらも、ああそっか、と肯定した。確かに別便とはいえ、タニアが来るのを待たずに合流地点に移動する必要はない。

 煌夜は全面的にヤンフィに賛同しながら、他に意見がないか全員に視線を向けた。

 セレナとクレウサはすぐに頷き、ディドはただただ煌夜を見ている。タニアは不満そうだが納得しており、マユミは興味を失ったように、エール酒を呷っていた。


「じゃあ、合流地点はここ? えと、第四区画の『甘味亭流砂』って宿屋で決定! 一応、タニアが到着するまでは、移動せず適当な宿屋で時間を潰しておく。セレナとクレウサは……逆に、いつ頃なら、合流出来そう?」

「――移動する時間と、情報収集する時間を考えると、今日から七日くらい欲しいわ」


 セレナの台詞に、ヤンフィが呆れた声で言う。


「セレナよ。観光するな、とは云わぬが、目的を間違えるなよ――じゃが、コウヤが許せば、妾はどうでも好い」

「俺はいいよ。じゃあ、今日から七日後に、合流地点で――それでいいか、みんな?」


 ええ、と全員が唱和して頷いた。

 これで方針も決まった――と、煌夜は、とりあえず一息吐くように飲み物を注文する。飛竜便の二十時までは、まだ時間はある。

 一方で、セレナとクレウサが椅子から立ち上がり、マユミに手を出した。


「じゃあ、あたしたちは早速、移動準備をするわ。だから、住民票を頂戴よ」

「くれぐれも失くすなよ? 再発行は出来ないからな?」

「――もし万が一、この住民票を失くした場合、私やセレナ様はどうすれば宜しいですか?」


 マユミから住民票を受け取ったクレウサが、不安そうに質問をする。

 煌夜のみならず、誰もがチラとタニアを見た。失くす可能性が高いのは、クレウサやセレナではなく、申し訳ないがタニアである。

 タニアはそんな皆の視線など意識せず、はてな、と首を傾げていた。


「万が一も何も、失くした場合は、どうしようもない。合流するまで何も出来ないぞ――ま、幸いにして、住民票がなくとも第四区画には入れる。だから、失くしたら宿屋に向かえ」

「にゃぁ……にゃんで、みんにゃあちしを見てるにゃ?」

「別に――さて、と。それじゃ、あたしたちはシールレーヌまでの飛竜便を手配しちゃうわ。七日後、帝都オーラドーンで逢いましょ」


 セレナは早々に背を向けて宿屋を出て行く。それに見送ってから、クレウサがペコリとディドに頭を下げて出て行った。


「にゃあ、マユミ。あちしの飛竜便って、どうすれば良いにゃ?」

「おいおい、タニア。手配は自力でやれ――と言いたいところだが、今日出発する時に、手配はしておいてやろう。感謝しろよ?」

「感謝は別にゃ。けど、頼むにゃ」


 マユミは不敵に笑って、さて、と席を立ちあがった。


「私は先に行っている。これでも準備が色々ある――遅れないでくれよ?」


 それだけ言うと、マユミは振り返らずに出て行った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 時間厳守ということで、煌夜たちは二十時より十五分前に発着場に到着した。

 飛竜便の発着場では、細かく荷物検査をされる。それも、奴隷箱を所持していないか、複数人の検査員によって注意深く見られた。

 どうやら人数以上の運輸をしないよう徹底しているから、だそうだ。


 そうして、タニアが見送る中、一行は蒼い飛竜に乗り込んだ。

 飛竜便の時空魔術はかなり狭かった。定員が四名と言うのは事実で、トイレが付いているだけの何もない四畳半空間だった。

 その四畳半に、煌夜、ヤンフィ、マユミ、ディドと、年老いた操縦士が乗り込んでいる。この狭さで、五人が一昼夜、寝泊まりするというのだから、かなり手狭である。

 以前に乗ったソーンの飛竜と比べてしまい、煌夜は思わず『狭い』と呟いてしまったが、マユミに失笑された。


「私はもう寝る。コウヤたちも好きに過ごしたらいい――ただし、暇だから、と発情して、ディドと性交するのだけは止めてくれよ。対処に困る」

「な――ッ!? そんなことしないよ!?」

「……あ、と、お客様? 儂は何も見なかったことにしますので、お好きに」

「いや、何もしないよ!?」


 これ見よがしに胸を押し当ててくるディドを見て、操縦士は煌夜との関係を勝手に邪推したようだ。マユミの言葉も手伝ってか、大丈夫です、と視線を逸らして目を瞑っていた。


「コウヤよ、時空魔術の中では、時空魔術は新たに展開出来ぬ。じゃから飛竜に乗っている間は、訓練は自主的にやるように――そうじゃのぅ。魔力操作を勉強するが好い。ディドよ、汝が手取り足取り、魔力操作の手伝いをしてやれ」

「勿論ですわ。コウヤ様、ワタクシ、協力いたしますかしら」


 はてさて、そんなやり取りを挟みつつも、煌夜たちは二日を過ごして、無事に帝都オーラドーンに辿り着く。ただ、一つだけ残念なことに、帝都オーラドーンの全容を上空から見ることが出来なかった。

 飛竜便の視界は操縦士しか視ることが叶わず、煌夜たちはずっと暗い四畳半で待機だったのだ。おかげで、旅をしていた感覚もなかった。


 とはいえ、旅をしたいからここに来た訳ではない。


「――ここが、帝都オーラドーン」


 飛竜から下りた煌夜は、辺りの喧騒を眺めて思いっきり背伸びをした。

 朝早い時間帯とはいえ、街中には多くの通行人がおり、雰囲気は活気で溢れていた。

 道も綺麗に舗装されており、パッと見渡す限りでは、まるで首都圏の空気である。建造物が鉄骨でないだけで、建造物の密度は似ている。ちなみにマユミの話だと、帝都の人口はおよそ一千万人強と言われているので、かなりの大都市だ。


「ここは帝都オーラドーンの第三区画、西側五番地だな――タニアが乗ってくる飛竜便は、ここから少し離れた四番地に到着予定のようだ」


 マユミが飛竜便の受付横にあった掲示板を眺めながら、親切な説明をしてくれる。

 飛竜に乗っている時にも説明を受けたが、飛竜便の発着場は第三区画に七か所あり、所属する飛竜によって到着場所が異なるらしい。

 飛竜ごとで飛行ルートも異なるそうで、なんとなく電車に似ているな、と煌夜は思っていた。


「――コウヤ様もお疲れでしょうし、そろそろ食事を摂るべきではないかしら? 昨日は丸一日、ほとんど何も食べていなかったでしょう?」

「あ、うん。まぁ……そういえば、腹減ったな……」


 ディドに言われて、煌夜はお腹の虫が鳴るのを自覚する。

 実は飛竜に乗っている間、当然のように食事はなく、用意もされていなかった。そのせいで、水しか口にしていない。一応、マユミが少量の干し肉だけ用意してくれていたが、それでは腹の足しにはならなかった。


「分かっているよ。じゃ、移動しようか。四番地付近なら美味い店が多いし、宿屋も豊富だ」


 辺りをキョロキョロしている煌夜に、マユミが先導して歩き出す。


「コウヤ――念の為じゃが、警戒しておけ。どうしてか分からぬが、気味の悪い気配がする」

「…………おいおい、ヤンフィさん? そういうの止めて欲しいです。フラグじゃん……」

「フラグ、とは、何じゃ?」


 マユミの後を追って足を踏み出した煌夜に、その時、ヤンフィが小声で不穏当な台詞を吐いた。

 毎回のことだが、そういう露骨な予感を口にするのは本当に迷惑だ。言霊といって、口に出すことで本当になることもあるのだ。だが、そんな文句をヤンフィに言っても仕方ない。


「……清々しい朝なんだけどなぁ」


 煌夜は辺りをもう一度見渡してから、空を見上げて首を傾げた。

 空は澄み渡る快晴で、遠くの空で竜が飛翔しているのが見えた。


「おい、コウヤ。置いていくぞ」

「――コウヤ様、行きましょう。何があっても、ワタクシが護りますかしら」


 マユミの呼ぶ声にビクッとした瞬間、ディドが組んだ腕を強く引いた。柔らかい胸の感触が肘に当たり、少しだけ恥ずかしくなる。いつものことだが、全然慣れない。


「ディドよ。取り決め通り、万が一、コウヤが危険な状況になった場合、すぐさま次元跳躍で逃げよ。もしくは、妾が合図をしたら、何も考えずに逃げよ」

「承知しております――優先すべきは、コウヤ様の命かしら。ちなみに現在は、ラビリスの宿屋と、飛竜便の発着場を地点登録いたしましたわ。何かあれば、一旦、こちらに逃げますかしら」


 先行するマユミに聞かれないように、ヤンフィがボソボソとした声音でディドと話している。

 それを横で聞きながら、最悪の想定は起きないに越したことはないな、と煌夜はしみじみ思った。


「――とりあえず、マユミに置いてかれたら迷っちゃうから、行こう」


 気付けば、マユミはだいぶ先行している。

 道幅は広く整っているが、その分、人混みが激しく、油断すると見失いそうだった。そろそろ急ぐべきだろう。

 煌夜が足早にマユミを追うと、ディドもその歩調に併せて足を速める。それに遅れて、左右を警戒しながらヤンフィが付いてくる。


「――ここで食事にしようか」


 先行したマユミは、木造二階建てで暖簾が掛かった建物の前で待っていた。

 煌夜たちが到着すると、マユミは建物に入っていった。


「宿屋は併設されておらぬようじゃのぅ?」

「――嗚呼。ここは酒場だけだが、一番気に入っている。まずは飯を食おう」


 店内に入ったヤンフィが辺りを見渡して呟くと、マユミがすかさず答えた。

 ガヤガヤとした店内は、まだ日中帯だというのに酒気で充ちており、美味しそうな匂い、楽しそうな喧騒で溢れていた。

 マユミは慣れた様子で店内を一瞥しつつ、二階席の空いている場所を見付けて上っていった。

 煌夜たちも続いて、マユミが確保した四人席に腰を下ろした。すると、タイミングを見計らったように給仕係がやってくる。

 給仕係は猫耳獣人の女性だった。


「ご注文は?」

「一番高い蒸留酒と、今日の盛り合わせをくれ」

「――お連れ様は?」


 給仕係の猫耳獣人は、接客とは思えないほど冷たい口調で、煌夜たちを威圧してきた。

 その威圧は強くないが、飲食店の接客でそんな態度をされたことにたじろいで、煌夜は目を泳がせながら首を振ってしまった。


「……おすすめの定食は何かしら?」

「なんでもおススメですが、定食であれば――料理人の気紛れメニューです」


 煌夜が口を閉ざしたのを見て、すかさずディドが口を開いた。

 気紛れメニューとやらは、恐らくシェフのお任せだろう。煌夜は、それで、と呟き頷くと、ヤンフィも頷きながら言う。


「その気紛れメニューとやらを三人前じゃ」

「――かしこまりました」


 給仕係はサッと頭を下げて、すぐに下がって行った。


「さて、タニアが来るまでは自由時間な訳だが――これから、どうする?」

「ん? どうする? って、何が?」


 配膳された水を一息で飲んで、ふぅ、と安堵した時、マユミが真剣な表情で問い掛けてくる。煌夜はふいの問いで、思わず素っ頓狂な返しをしてしまった。

 そんな煌夜の反応に、ディドが苦笑しながらヤンフィに矛先を向ける。


「ワタクシは、コウヤ様の為にも観光客を装って、街中を調査することを提案するかしら? コタロウ様を救い出すにも、まずは、帝都オーラドーンを把握しなければ――」

「――信用して欲しいが、調査に関しては私が動くぞ? 情報収集は、地理を把握している私が行うのが適任だろ? なぁ、ヤンフィ様?」

「…………ふむ」


 ディドの言葉を遮って、マユミがすかさずヤンフィに質問した。

 ちょうどその時、マユミの注文した蒸留酒がジョッキでやってくる。ついでに、今日の盛り合わせ――ソーセージとハム、茹で野菜の盛り合わせが置かれた。

 なかなか美味しそうである。煌夜のお腹が鳴ってしまった。


「コウヤもどうぞ――で? 帝都オーラドーンをただ観光するだけなら、止めはしない。だが、迂闊に動いて、厄介ごとを引き寄せるのは勘弁だ」

「厄介ごと――失礼な物言いかしら?」

「だが、事実だろ?」


 少しむきになって言い合うディドに、ヤンフィが割って入った。


「確かに、タニアが居らぬ状況で、最悪、妾たちが何かに巻き込まれて、合流出来なくなると面倒じゃし……先ほどから妾は、悪い予感がしておるからのぅ」

「へぇ? ヤンフィ様の悪い予感ってのは、異能か何かか?」

「ただの勘じゃ――じゃが、割と当たるがのぅ」


 ヤンフィとマユミは、さっきから不穏なフラグをせっせと立てていた。それを聞きながら、煌夜も嫌な予感がし始める。

 このままでは、ヤンフィが思っている通りに、何か予期せぬ厄介ごとに巻き込まれてしまう。


「――それでは食事を終えたら、一旦、宿屋を確保すべきかしら? 宿屋で一息ついて、改めてワタクシたちの今日一日を考えれば宜しいのではないかしら?」


 ディドが盛り合わせを取り分けながら、小首を傾げた。

 ふむ、とマユミもヤンフィもそれには同意する。煌夜は、ありがとう、と感謝を口にしてから、出された皿に手を付ける。


「マユミは、食事を終えてすぐに、別行動をするのかしら? 宿屋はどこにすれば宜しいかしら?」

「嗚呼、そう焦るなよ。この辺りだと、そこそこ良い宿屋がある。紹介してやるから、安心しろ――っと、何か下が騒がしいな?」


 ディドとマユミが会話をしていると、階下からガヤガヤとした喧騒が聞こえてくる。途端、煌夜はやっぱりか、と頭を抱えたい気分になってしまう。

 関わりたくない、と心底思った瞬間、煌夜は聞こえてきた台詞にハッとして、席を立つと騒動の中心に顔を向けた。


「――コタロウ、ヤチを、知りませんか!?」


 ハッキリと澄んだ良く通る声が、階下から二階席全体にまで響いてきた。煌夜は慌てて、二階席の手すりから下を覗き込む。

 果たしてそこにいたのは、浅黒い肌をした髪の長い少女だった。

 髪は黒く腰元まであり、年齢は小学校低学年に見える。身長はヤンフィと同じくらいで、薄汚れた襤褸を纏っていた。


「誰か! コタロウ、ヤチを知りませんか!? 宿命の騎士、コタロウを!!」


 騒動の中心はその少女のようで、辺り構わずそんな台詞を叫んでいる。

 しかし、その切羽詰まった口調の割に、顔は冷静を通り越して無感情な能面で、傍目から見るとただ声が大きいだけの印象だ。

 そのせいだろうか、酒場の中で叫んでいるが、誰も近寄ろうとせず、遠巻きに眺めているだけだ。よくよく周囲の声を聞くと、餓鬼が喚いていると無視を決め込んでいる様子が窺えた。


「谷地、虎太朗、って……おい、あの子、何か知って――」


 一方で、煌夜はハッキリと耳にしたその単語を復唱しながら、マユミとディド、ヤンフィに振り返る。すると、ディドとマユミはキョトンとしており、ヤンフィは鋭い視線で煌夜を睨んでいた。


「何を騒いでるんだ、アレは?」

「聞いたことのない響きかしら……泣いている、のかしら?」

「――え? みんな、何を……?」


 煌夜は改めてその少女に視線を向ける。少女は先ほどと変わらず、コタロウヤチ知りませんか、と壊れたスピーカーのように叫んでいる。


「コウヤよ。妾と汝しか、あの言葉は分からぬはずじゃ――アレは【神代語(アルカイックラング)】じゃ」

「は? アルカイック、ラングって、何?」

「……嫌な予感は、的中のようじゃのぅ。アレは神種(しんしゅ)――妾と同程度に稀な存在じゃ。神界にしか生息せぬ異世界人じゃよ」


 ヤンフィはマユミとディドに説明するように言いながら、煌夜の横に立ち、階下で騒ぐ少女を見下ろした。その刹那、少女が何かに気付いたように、バッと顔を上げる。

 少女の視線は、ヤンフィの視線と交錯して、次の瞬間、姿を掻き消す。


「――え? アレ?」

「コタロウ、ヤチを、知ってる!?」


 煌夜が姿を見失ったのと同時に、背後からそんな声が聞こえてきた。

 振り返れば、テーブルの上に乗って、盛り合わせをグチャグチャにした少女が座っていた。浅黒い肌のその少女は、真っ直ぐとヤンフィを見詰めている。

 ヤンフィはスッと手を横に上げて、マユミとディドの動きを制していた。見れば、マユミもディドも全身から魔力を放って、今にも殺し合わんばかりに殺気立っていた。


「……汝の質問に応じる前に、まずは妾の質問に応えよ。汝は何じゃ?」

「コタロウ、ヤチを、知ってるの? 知らないの?」

「妾は二度、同じ質問はせぬ――応えぬならば、敵とみなすぞ、神の使徒よ?」


 少女は無感情の能面のままで、ヤンフィに同じ台詞を吐いていた。だが、それを真正面から受けて、ヤンフィは凄まじい瘴気と殺意で返す。

 睨み合うヤンフィと少女の図は、その背格好だけ見れば、子供同士の喧嘩にしか見えない。けれど実際は一触即発の殺し合いの空気だった。

 しばしそんな緊迫した沈黙が流れて、ふいに少女が溜息を漏らす。


「……亜種と会話するのは虫唾が走る。が、致し方なし。ボクの使命は一つ。『宿命の騎士、コタロウヤチを見つけ出して、神の怨敵【魔獣ガオラキ】を滅ぼさせること』――ボクは、個体名を394」


 少女はスラスラとそんなことを言って、ふたたび姿を掻き消す。同時に、ヤンフィがスッと右手を振って何もない空中に裏拳を見舞った。

 ガキィン、と凄まじい高音が響き渡る。慌てて顔を向ければ、ヤンフィの裏拳は、少女が構えた白い短剣と鍔迫り合っていた。

 いつの間にか、少女は瞬間移動していた。


「394……三桁番台か。思うたよりも若いのぅ。であれば、恐ろしくはないのぅ」


 ギラリとヤンフィの双眸が怪しい光った。瞬間、ビクリと少女が身体を硬直させる。

 そんなやり取りの横で、硬直していた煌夜を庇うように、ディドが間に入って抱き締めてくれた。


「――精神体がだいぶ消耗しておるのぅ? 汝、何に追われておる?」

「……人族の騎士。恐らく、コタロウヤチの配下……が、コタロウヤチの命令は、ボクを廃棄、もしくは実験体にすること。このまま捕まれば、コタロウヤチに謁見出来ても、使命を果たせない」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! さっきから言ってる『虎太朗、谷地』って、俺らが探してる子供と同じ名前なんだ! こ、この少年で間違いないか!?」


 ヤンフィと対峙する少女――394に向かって、煌夜は谷地虎太朗の写っている記憶紙を見せた。ディドに抱き締められているので、近寄ることは出来ないが、充分視認出来る距離だ。

 394はその記憶紙を一瞥して、すぐさまヤンフィに向き直った。


「ボク以外に、1000番台が五人、100番台が二人、この地で生贄に捧げられた。ボクはもう失敗出来ない――亜種に命じる。ボクを助けろ」

「妾たちが探しておる『ヤチコタロウ』が、汝の探す『宿命の騎士』かは分からぬが、どちらにしろ、足並みを揃える意味を見出せぬ。汝は明らかに爆弾となり得る存在じゃ――ほれ、追手のようじゃ」


 ヤンフィがチラと階下に視線を向ける。すると、威風堂々とした気配の騎士が酒場に入って来るのが見えた。

 その騎士は、傷一つない白銀の鎧を身に着けて、腰元に三本、大中小の剣を吊るしている。長く黒い髪をして、遠目から見ても美麗な騎士だった。

 騎士は酒場で辺りを見渡してから、スッと視線を上階に向ける。

 当然、見下ろすヤンフィたちと目が合った。途端、スッと目を細めてから、迷わずに上階へと上がってきた。


「――くっ!? おい、亜種! 命じる。ボクを助けろ!」

「黙れ。妾たちは、汝を助かる理由がないと云うたじゃろぅ?」


 394は能面のまま、怯えた口調でヤンフィに叫んだ。何故か、先ほど見せた瞬間移動をせず、慌ててテーブルの下に隠れる。しかしそれは、ちっとも全身が隠れていなかった。その不格好だけ見れば、まさしく子供のかくれんぼであり、頭隠して尻隠さず状態である。

 そんな状態の394を無視して、とりあえず二階に来た騎士に目を向けた。

 騎士は二階席をぐるっと一瞥してから、迷わずにヤンフィの方に歩いてきた。


「……おい。ここに、浅黒い肌をした少年が来なかったか?」


 騎士は、まず踏ん反り返るマユミを見てから、ディド、煌夜と視線をずらして、ヤンフィを睨みながら問うた。

 ヤンフィは物怖じせず堂々を胸を張って、テーブルの下に隠れる少女を指差した。


「浅黒い肌をした少女姿の神種が来たぞ? ほれ、そこじゃ」

「……酔っ払った老婆しか見えないが?」

「――じゃから、神種、と云うたじゃろぅ? 姿を変えるのなんぞ、思いのままじゃ」


 けれどヤンフィの指差した先には、確かに騎士の言う通り、ひっくり返った七十歳ほどの老婆しかいなかった。浅黒い肌は同じだが、身長も顔立ちも含めて、誰がどう見ても老婆である。

 騎士はそんな老婆を流し見てから、いっそう目を細めてヤンフィを睨み付ける。誤魔化しているとでも思っているのか、指先が腰元の剣に掛かる。


「オレは、浅黒い肌をした人族を探している。自らを『コタロ、ヤチ』と名乗っていた。それしか口にしない異世界人だ。心当たりはないか?」


 騎士はドスの利いた声でそう言って、下唇にある特徴的な黒子をペロリと舐めた。スッと腰を落として、いまにも斬り掛からんばかりである。

 そんな騎士を前に、ヤンフィは呆れた口調になりながら、もう一度394を指差す。


「汝は、神種を知らんのか? 神種は、竜眼か、覚醒した鑑定でなければ、見抜けぬほどの擬態をする。一瞥した限りでは人族じゃろぅが、実際は違うのじゃぞ?」

「戯言はよせ――それで? 心当たりはあるのか、ないのか?」

「ふむ……云うて無駄であれば、もはや親切にはせぬ。勝手にせよ」


 ヤンフィの言葉を全く信じない騎士は、美麗な顔立ちに怒りを浮かべて、一番短い銀剣を抜いた。問答無用にそれをヤンフィに突き付けて、次の瞬間、一気に跳び退いた。


「ほぉ? それなりに強いようじゃのぅ?」

「……やはり化物か、貴様」


 見れば、いつの間にかヤンフィの右手には錆びた銅剣が握られており、それが騎士の首があった位置に構えられていた。

 騎士は周りのテーブルを蹴散らして、謝罪すらせずもう一つの大剣を抜いた。

 周囲の酔っ払い客が、騒ぎながら離れていく。


「オレは【白の聖騎士】――ワイト・ラ・グロス。聖騎士として、貴様を危険人物をみなす」

「のぅ、コウヤ。此奴をどうすべきじゃろぅ? 妾は珍しくも素直に真実を口にしておると云うのに……殺すのは簡単じゃが、間違いなく厄介なことになるぞ?」


 白の聖騎士ワイト・ラ・グロスを名乗ったその騎士は、問答無用とばかりに、右手に大剣、左手に小剣を構えて、前傾姿勢になる。ちなみにこの騒動を見ながら、マユミは我関せずとジョッキを口にしながら、あくびをしていた。


「いやさ、ヤンフィ……その、なんか、ちょっと事情が分からないんだけど……その騎士の女性が探してるのも、コタなのか?」

「間違いなく違う。此奴は、そこの394と名乗った神種を探しておるのじゃ。妾とコウヤは統一言語で理解出来るが、そもそも394が喋る神代語は、およそ人族には理解出来ぬ言葉じゃ。じゃから恐らく、名を間違えて――」

「――何をごちゃごちゃ、と……ん、『ヤンフィ』? 『コウヤ』? 金髪の美女……まさか、『ディド』か? そうなると、黒髪の女剣士が『クレウサ』……なるほど。だからこの強さ……いや、だが『タニア』と『セレナ』はどうした?」

「……何じゃ?」


 ヤンフィと煌夜の緊張感のないやり取りを耳にして、ワイトが突然構えを解いた。首を傾げながら緊張も解いて、両手の剣を鞘に収めている。

 どうしてか煌夜たちを知っている風だが、間違いなく初対面であり、全く心当たりがなかった。


「……いや、そうか……飛竜便の定員か……日数も妥当……そうか。納得だ」

「何じゃ? 何を勝手に納得しておる?」


 ワイトが一人満足気に頷き、いきなり踵を返して去って行こうとした。

 ここまで大暴れしたのに、まるで何事もなかったような去り際に、思わずヤンフィが食い下がる。


「おい、汝はなんじゃ!? どうして妾たちのことを知っておる!?」

「――オレは、【赤の聖騎士】エーデルフェルト・ラ・クロラの協力者だ。これだけ言えば、充分に察せるだろう? 貴様らには期待しているぞ、『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』」


 背中を向けたまま、ただただ勝手な捨て台詞を吐いて、ワイトは酒場を出て行った。

 思わず煌夜もポカンと口を開けて、成り行きに呆然としてしまう。いきなり喧嘩を売ってきたと思ったら、詳しい説明もなく去って行くとは、人騒がせにもほどがあるだろう。


 さて、そんなことを思いながらも、もう一つの問題であるテーブルの下に隠れた394に視線を向けた。

 394はいつの間にか老婆から少女姿に変わっており、去って行くワイトを見送っていた。

 そして、酒場を出て行ったことを確認してから、当然のようにヤンフィの席に座り始める。随分と図々しい態度だ。


「亜種。よくやった。ボクを個体名の394と呼ぶことを許可する。して、亜種よ。コタロウヤチの居所を教えろ――もしくは、そこまで連れていけ」


 席にちょこんと座って、部下に命じるような口調の394に、煌夜のみならずヤンフィも呆れていた。


「……ヤンフィ様。申し訳ないが、この餓鬼……いや、神種なのか? 何を喋っているんだ? さっきから『コタロウヤチ』という単語しか聞き取れない」

「……申し訳ありませんわ。ワタクシも同じく、かしら……コウヤ様の弟君について、何か知っているのかしら?」


 一方で、言葉が分からないディドもマユミも、何が起きているのか疑問だと訴えている。


 煌夜は深く溜息を漏らしながら、ヤンフィがフラグを立てたからだ、と恨みがましい視線を向けた。けれどそんな思いは通じずに、ヤンフィも、困ったもんだ、と肩を竦めている。


 とにかくひとまずは、この厄介ごと――394と名乗る神種から、事情を聞くことが肝要だろう。 

 こうして、食事を終わらせて宿屋を確保したら、真っ先に事情聴取するという方針が決まった。

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