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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十二章 竜騎士帝国ドラグネス
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第八十七話 国境の街ラビリス

 薄暗い執務室に独り籠って、その青年――ダーダム・イグディエルは、一冊の禁書を黙々と読み耽っていた。

 竜騎士帝国ドラグネスで【雷帝】の異名を持つ宰相『ダーダム・イグディエル』――その相貌は、見目麗しい端正な顔立ちをしており、物憂げな横顔は一枚の絵画を思わせるほどである。男女関係なく、すれ違う百人が百人とも息を呑んで魅了されるほどの美しさを持っていた。

 腰まで伸びている煌めく白銀の長髪。

 少し細めた双眸は黄金を溶かしたような金色をしていた。

 細身ながらもしっかりした骨格と筋肉をしており、魔術師然とした恰好に関わらず、獅子の如き威風を持ち合わせている。


「――余に、何か用事でしょうか?」


 ダーダム・イグディエルはふいに、そんな台詞を呟いた。

 それは独り言にしか思えない問い掛けだった。辺りを見渡しても、執務室内には誰も居らず、当然ながら扉も開いていない。

 しかし、ダーダム・イグディエルは闖入者を確認しており、読んでいた禁書をパタリと閉じて、顔を上げる。何もいない正面を真っ直ぐと見詰めて、ふぅ、と疲れたように吐息を漏らした。

 するとその時、薄暗い闇がユラリと揺れて、音もなく人影が現れる。


「バルバトロス――お前、異世界人の子供を捕まえたって聞いたが、本当か?」

「ええ、本当ですとも。自らを『コタロ』と名乗る黒い肌の人族です」

「……どうするつもりだ?」

「どうするも、こうするも――【魔道元帥ザ・サン】に送ろうかと考えておりましたが?」


 当然でしょう、と正面の人影に首を傾げるダーダム・イグディエルに、凄まじい殺気が突き刺さった。


「異世界人を発見した場合、全て俺に報告するよう命令していたはずだ――死ぬか?」

「失礼いたしました。けれど、探している異世界人は、確か『コウヤ』という名前では? それ以外の異世界人なぞ、どうでも宜しかったのでは?」

「いつ、俺がそんなことを言った? そんなに死にたければ、殺してやろうか?」


 ダーダム・イグディエルに凄まじい覇気がぶつけられる。さすがにその威圧を前にしては、これ以上ふざけることは許されなかった。

 ダーダム・イグディエルは丁重に頭を下げて、静かに謝罪を口にする。


「――ご報告が遅れて、大変申し訳ありません。四色の月一巡ほど前、龍神山脈を定期偵察していた世界蛇の小隊が、山麓で倒れている少年を拾いました。少年は記憶を失っているのか、自らの名前しか喋れぬ状況でした。鑑定で見たところ、年齢は九、種族は人族、出身地は読めぬ文字だったとのことで、異世界人だと判断しております。異世界人特有の異能は、まだ定かではありません。しかしながら、戦闘能力はないように思われます。いまは軍都ペンタゴンに輸送されて、身体状況の最終確認中となります」

「重要度は?」

「当然、極秘扱いとしております。内在魔力量が素晴らしい素体なので、魔道元帥ザ・サンが執り行っている召喚陣の贄に最適と判断いたしました」

「バルバトロス。お前は、誰の部下だ?」


 人影からの威圧がいっそう強く鋭くなった。ここで言葉選びを誤ると、一瞬で首を刈られかねない。ダーダム・イグディエルは緊張した面持ちで、注意深く慎重に口を開いた。


「余は、騎士王の部下です――承知しました。それでは少年をどうしましょう?」

「帝都オーラドーンに護送しろ。俺が直々に確認する」

「かしこまりました。護送方法は如何いたしますか?」

「旅行客を装え。護衛には【白の聖騎士ワイト】を付けろ」


 ダーダム・イグディエルはその言葉に、信じられないとばかりの顔を向けた。冗談ではないのか、と疑いの視線を向けるが、目の前に立つ隻眼の青年は冷静な真顔だった。

 隻眼の青年――騎士王サーベルタイガーは、無機質な瞳で睨み返してくる。


「ワイト・ラ・グロスは現在、親衛隊五百騎の将軍として、エレイン皇女を護衛しておりますが?」

「将軍独り居なくとも、護衛に問題などないだろう。それでも戦力に不安があるならば、剣仙凛麗(リンレイ)を招集しておく。そこまで戦力が充実すれば、護衛には充分すぎる」

「……しかし、どう納得させるおつもりか? ベイリン帝王は黙らせることが出来るとは思いますが、家臣団を含めてワイト・ラ・グロス本人が納得しないと――」

「――納得させるのが、お前の仕事だろうが、()()()()()()()()()()()()()。何とかしておけ」


 騎士王サーベルタイガーは有無を言わせぬ威圧で言って、そのままダーダム・イグディエルに背を向けた。来た時と同様、音もなく去ろうとしている。

 ダーダム・イグディエルは席から立ち上がり、サーベルタイガーを呼び止めるように声を投げる。


「ワイト・ラ・グロスを護衛とする件に関しては、承知しました――が、宜しいのですか? ワイトは【白の聖騎士】です。元【赤の聖騎士】エーデルフェルト・ラ・クロラや、【青の聖騎士】アジェンダ・ラ・ドーンと同じく、正統派の急先鋒です。不透明な任務だと怪しまれるかと」

「不透明な任務で、裏があると思わせて探らせればいい。正統派だからこそ、俺ら異端派の弱点を探りたくて仕方ないはずだ。だから喜んで任務に就くはずだ。違うか?」

「……異世界人を集めている場所が暴かれても?」

「別段、異世界人を保護している場所を知られたところで、何が分かると? 俺は少なくとも、魔道元帥とは異なる理由で異世界人を保護してる――それとも何か? お前には既に失態があり、異世界人を保護している場所を悟られると、確固たる証拠でも掴まれるのか? お前の肝煎り施策――【破滅の魔女】再誕の全貌が暴かれるのか?」


 片目だけダーダム・イグディエルに向けて、サーベルタイガーは棘のある言い回しで嫌味を言ってくる。そこまで言われてしまっては、もう反論しようもない。

 ダーダム・イグディエルは溜息を漏らしてから、承知しました、と頷いた。


「全て、騎士王の命ずるままに――ところで、どこに耳があるやも知れませんので、余のことはダーダム・イグディエルとお呼び頂けませんでしょうか、ゲオ・コウタ殿?」

「……次にもし、公の場以外で俺をその名で呼んだなら、お前の首は胴体と離れている。言動にはくれぐれも気を付けろ」

「――――は、はい……失礼、いたしました」


 最後に一矢報いようと、ダーダム・イグディエルは嫌味を吐いたが、瞬間、騎士王サーベルタイガーの全身から本気の殺意が溢れた。

 その殺意はダーダム・イグディエルほどの強者でさえも足が竦み、絶対の死を意識させるほど強烈で、咄嗟に掠れた声で頭を下げることしか出来なかった。

 頭を下げてガタガタと震えているダーダム・イグディエルを冷たい視線で眺めてから、サーベルタイガーは音もなく執務室から姿を消し去った。

 薄暗い執務室に残ったのは、ひたすらの静寂と、ダーダム・イグディエルの安堵の吐息だけだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 タニアが検問で捕まってから、今日で五日目。時刻は夕刻に差し掛かる時間で、遅めの昼飯時とも早めの夕飯時とも言える中途半端な時間である。

 合流場所として指定した『龍神館』の食堂で、煌夜はヤンフィと二人だけで向かい合って、遅めの昼飯を摂ろうとしていた。ちなみに、珍しく傍らにはディドはいない。


「……なぁ、ヤンフィ。もうそろそろ、タニアを助けに行かないか? ここんところ、ずっと訓練ばっかりじゃないか」


 全身を襲う激痛に堪えながら、煌夜は配られた食事を口に運ぶ。

 直前までヤンフィのスパルタ訓練を受けていたせいで、肉体疲労が凄まじかった。特にここ数日、肉体強度を向上させる意図で、セレナの治癒を受けていない影響もあり、まったく疲れが取れていない。これはもはや拷問である。

 そんな身体の痛みに堪える煌夜を見ながら、ヤンフィは薄く笑った。


「コウヤよ。汝が焦る気持ちは分かるが、わざわざおおごとにする必要はあるまい。どうせタニアを助けたところで、すぐには動けぬのじゃし、何もせんでもタニアは自力で出てくるじゃろぅ。であればこそ、この機会に汝の基礎力を底上げすべきじゃ」

「……動けない、ってのは分かるよ。十日間、だろ? そりゃ、情報収集が重要なのも理解してる……けど、こう……コタが居るところが分かってるのに、ただ訓練してるだけ、待機してるだけってのがもどかしくて――」


 煌夜は痛みよりも強い悔しさに歯噛みして、口の中に広がる血の味に顔を顰めた。それをヤンフィは鼻で笑い、視線を食堂の入口に向ける。

 計ったようにちょうどその時、食堂の入口からマユミが入って来た。

 瞬間、食堂内の空気が張り詰めて、食事客のほとんどがマユミから視線を逸らしていた。明らかに関わりたくない、眼を付けられたくない、という空気が感じられる。


「ヤンフィ様たちは、いま食事か? おや? コウヤは今日も、だいぶしごかれたようだな?」


 マユミはジロリと煌夜のボロボロの恰好を眺めてから、隣のテーブルに腰を下ろした。


「遅い昼じゃよ――して、マユミよ。昨日云っておった幸運とやらは、どうなったのかのぅ?」

「――ん? 嗚呼、そうそう、それを報告しないとな。コウヤ、ヤンフィ様、喜んで構わないぞ。住民票取得の目途が立ったぞ」

「ほぉ? それでは、手続きが進んだということかのぅ?」


 エール酒を頼んだマユミに、ヤンフィが嬉しそうに訊ねる。それは煌夜も同じ思いで、嬉々とした期待に満ちた視線でマユミを見詰めた。


「手続きが進んだ、と言うよりも、明日にでも取得出来るだろ……しかも、これは私にとっても予想外だったのだが、当初の『上級国民』の住民票ではなく、私と同じ『栄誉市民権』の住民票が取得できるぞ」

「――え!? じゃ、じゃあ、目途が立ったって、明日にでもコタの居るところに向かえるのか!?」


 煌夜はテーブルに身体を乗り出して、食い気味でマユミに問い掛けた。瞬間、身体中がバキバキと痛んだが、それどころではない。


「焦るな、コウヤよ――とはいえじゃ、マユミよ。どういう幸運じゃ?」

「そうだな。詳しく説明していなかった……と、言っても単純だがね。知らないと思うが、住民票の取得方法には、表口と裏口がある。表口は正規の手続きで、申請と審査に七日から十日以上掛かる。裏口は当然、正規の手続きではなく、最短で五日ほどで取得出来る手段だ。今回、私は裏口を使うつもりだった。ところが、その裏口の手配にも、更に裏口があってね。それが明日、すぐさま手配できるようになった、と言えばいいかな」


 手元に届いたエール酒を一気飲みしてから、おかわり、と委縮している給仕係に声を掛けた。

 どこか抽象的で誤魔化すような説明のマユミに、ヤンフィは鋭い視線を向けた。


「なんじゃ、その裏口とやらは? 如何なる手段なんじゃ? 妾たちに説明できぬ手段か?」

「おっと、そんな警戒しないでくれ。そう露骨に疑われると私も悲しくなるぞ――っと、失礼。茶化すつもりはなかった。簡単だ。以前にも伝えたが、竜騎士帝国ドラグネスは、選民主義が横行している国だ。裏口は、そんなドラグネスだからこその手段でもある。具体的には、『栄誉市民権』以上の住民票を持つ複数人の念書があれば、正規の手続きをせずに住民票の発行手続きが可能となる。これを裏口と言う。この場合、最優先で手配されるので、申請からわずか五日で発行出来ると言う訳さ。ところが、その裏口の裏口として、『帝国民』の住民票を持つ者の紹介があれば、住民票の即時発行と『栄誉市民権』が付与されるのさ」

「ほぉ? それはつまり、明日になれば『帝国民』以上の住民票を持つ、何某かが合流出来ると云うことかのぅ?」

「お察しの通り――私は、栄誉市民権を持つ剣王の誰かを呼び寄せたのだが、偶然、剣仙凛麗(リンレイ)が寄ってくれることになったのだ。なんでも帝都オーラドーンに呼び出されたらしい」


 勝ち誇ったような顔で言うマユミに、ヤンフィは、ふむ、と難しい顔で押し黙る。

 一方で煌夜は、身体の痛みなどどこ吹く風と席を立ち上がり、意気揚々と口を開いた。


「それなら早速、明日には出発だ。急いで、ディドたちを呼び戻さないと――」


 言いながらも今すぐ食堂を出て行こうとする煌夜を、ヤンフィが手で制してマユミに問うた。


「――マユミよ。いま云うておった剣仙じゃが、帝国民の住民票を持つと云うことは、この国の王族ということかのぅ? 王族であれば、この国の内情に詳しいのかのぅ?」

「ヤンフィ様、残念だが住民票以外には期待しないで欲しいな。確かに、凛麗は王族だが、王家の血は入っていない――凛麗は王族に拾われて育てられた孤児だ。だから住民票は『帝国民』を持っているが、王家とは無関係に生きている。私も似たような孤児だが、私の場合、現『剣神』に拾われたから、栄誉市民権止まりだ。おっと、脱線したな……あー、ヤンフィ様の知りたいことは、雷帝ダーダム・イグディエルの情報だろ? だが残念ながら、凛麗は雷帝ダーダム・イグディエルとも関わりがない。今回も、呼び出したのは、私の上司――【剣聖】ゲオ・コウタだ」

「剣聖と云えば、世界蛇の騎士王サーベルタイガー、じゃったか? 呼び出した、とは何やら穏やかではないのぅ」

「――そんなのどうでも良いだろ! とにかく明日の出発に向けて、ディドたちを探そうヤンフィ!」


 くつろぐ気満々のマユミから視線を切って、煌夜は腕組みするヤンフィを見た。しかしヤンフィは威嚇するような強い視線を向けて、落ち着け、と諭してくる。


「コウヤよ。いま急いだところで、どうしようもあるまい。それに、移動する準備は出来ても、情報は揃っておらぬし、何よりタニアをどうするか決めねばならぬ」

「だからっ!! タニアをすぐに救い出す為にも、ディドたちを――」

「――コウヤ。とりあえず明日まで待て。凛麗なら、と言うよりも、帝国民の肩書があれば、タニアの釈放手続きなど、造作もない。だから、ヤンフィ様の言う通りに焦るなよ」


 言いながら、マユミの全身から凄まじい威圧が放たれた。その場に縫い付けられた、と煌夜が勘違いするほどの重圧。一歩動けば殺されると錯覚出来るほどの殺意。

 マユミが放つその威圧を受けて、煌夜は硬直した。


「マユミ。コウヤを止めたことは褒めてやるが、不愉快じゃ。その威圧を解け」

「――失礼。ついつい」


 ヤンフィの忠言に、マユミは威圧を解いた。途端、フッと身体が軽くなり、煌夜はその場に崩れ落ちた。

 まるで百メートルダッシュをした直後みたいに、呼吸は乱れて、心臓の鼓動はうるさかった。


「さて、コウヤよ。妾は別に、今すぐ行動することを否と云うておる訳ではない。叶うならば、今すぐにでもコウヤの力になって、弟妹の為に尽力したい想いじゃ――じゃが、その為にも、まずは食事を摂ることじゃろぅ?」


 テーブルにある食べ掛けの食事を見ながら、ヤンフィは煌夜に手を差し伸べる。

 ひとまず深呼吸して心と身体を落ち着かせて、煌夜はふたたび席に座った。だいぶ心が焦っていて、冷静な思考が出来ていないのを自覚する。


「……ああ、そうだな。悪い……」

「ふむ――マユミよ。汝は明日、住民票が入手出来次第、動くことは出来るかのぅ?」

「当然だろ。だがそれよりも、一体どこに向かうつもりだ? 予定通り、帝都オーラドーンに向かうのか?」


 マユミの問い返しに、ヤンフィは沈黙する。

 そういえば、タニアが【神の羅針盤】を持っているので、今現在の目的地がどこか、正直、定かではなかった。となれば、最優先はタニアとの合流だろう。


「とりあえず、一旦はタニア待ち、じゃのぅ」


 心ここに在らずで食事に手を付けている煌夜を見ながら、ヤンフィはそう呟いた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 国境の街ラビリスに滞在して、今日で都合五日が経過していた。

 セレナはヤンフィに自由行動の許可をもらい、ディドとクレウサを連れて情報収集に勤しんでいた。

 冒険者と名乗るわけにもいかないので、情報収集するのもかなり苦労しているが、その苦労がかえって、セレナにとってはやりがいになっており、楽しいと感じていた。

 あらゆる街を旅して、各地で色々な情報を手に入れる。

 そんな行動こそ、冒険者の旅のお約束であり、セレナの憧れていた冒険そのものであった。しかも危険が伴わない分、とても楽しい。


「……セレナ。ワタクシ、そろそろコウヤ様の傍に戻りたいかしら。もう今日は、先ほど聞いた情報だけで充分でしょう? 後は宿屋に集まった方々にも、確認すれば事足りますわよ――」

「――ちょっとディド、アンタ、昨日も一昨日もそう言って勝手に切り上げたじゃない! 駄目よ、駄目! 騎士団に詳しく聞けって言われたでしょ? ってことは、もっと確度の高い情報が、騎士団のとこにあるってことよ?」


 呆れた顔で明後日の方を向いているディドに、セレナは今日何度目になるか分からない注意をする。それを少し離れた後方で、クレウサが無言のまま見詰めていた。


 三人はいま、中央区画と呼ばれる比較的富裕層が居住する区画を歩いていた。

 先ほどまでは、情報通が通っているという酒場で聞き込みをしており、実はそこで、かなり有力な新情報を入手していた。

 その情報を入手した際、更に詳しいことを知りたければラビリス騎士団に聞け、とも言われていた。

 意味深なその情報を確かめる為に、三人はラビリス騎士団の詰め所に向かっていた。


「はぁ……情報の確度を高めるのに、ワタクシが付き合う必要はないでしょうに。セレナとクレウサだけで充分かしら」


 ブツブツと文句を口にしながらも、それでもディドは、セレナに付き従ってくれていた。まぁ、ヤンフィからそう命令されているから、逆らえないのもあるが。

 不満そうなディドの様子を見ながらも、セレナは気にせず歩みを進めた。実際、ディドがどう思っていようと関係なく、絶対に解放しないと決めている。

 何故なら、ディドという存在の有無で、情報の入手難易度が大きく変わることを、昨日ようやく理解出来たからだ。

 この街――【国境の街ラビリス】は、あらゆる種族に対して差別がなかった。妖精族だろうと、獣族だろうと、分け隔てなく公平に扱ってくれた。だがそれゆえに、地位も権力もなく、知名度さえないセレナでは、誰もまともに相手してくれなかったのである。


「……あのね……あたしとクレウサだけで充分なら、苦労しないわよ。今朝も言ったでしょ? 昨日、親切な商人が教えてくれたって……悔しいけど、ディドのおかげで情報収集が上手くいってたのよ……」

「ワタクシ、一度も何の発言もしていないかしら」

「喋らないのも、効果的みたいよ。アンタのその雰囲気のおかげで、なんかあたしたち、どこかの王族と従者みたいな関係だと思われてるから――これから行くのは騎士団でしょ。ディドの御威光を存分に発揮してもらうわよ」

「……ワタクシ、王族ではありませんし、そもそも種族が違うかしら」

「そうは言うけど、雰囲気は王族そのものよ。だいたい天族なんて、背中にある天翼を見せるか、鑑定で看破されない限り、人族と瓜二つでしょ。見分けられるはずないわよ」

「…………不愉快ですわ。しかも、くだらない……」


 吐き捨てるディドに苦笑しつつ、セレナは大通りを真っ直ぐと進み、突き当りにある四階建ての大屋敷を見上げた。

 看板や案内版などはないが、ここがラビリス騎士団本部である詰め所らしい。


「セレナ様。本当に、こちらですか? 騎士団の詰め所という割には、気配が薄いように思われます……建物内部には、合わせて三十人前後しかいないようですが……?」


 大屋敷の入口で立ち止まっていると、セレナの背後からクレウサが首を傾げた。その意見には、内心セレナも賛同していたが、ここが詰め所と聞いている。


「まぁ……違ってたら、訊けばいいでしょ。とりあえず入ってみましょう」


 セレナは、まぁいいか、と気楽に考えて、両開きの扉を開け放ち、大屋敷に足を踏み入れた。

 そこは冒険者ギルドの一階、受付ロビーを彷彿とさせる雰囲気の広間だった。そんな一階の中央には、幅広の螺旋階段があり、二階まで吹き抜けの構造である。

 見渡せば、部屋の奥には受付カウンターがあり、そこにはたった独り、筋骨隆々で屈強な体格の受付嬢が座っていた。

 受付嬢は、タニアやマユミが子供に思えるくらいの体躯で、頬と左目に切り傷があった。

 セレナは素早く周囲を一瞥する。見える範囲には、都合三人。

 壁際のソファに寝転んでいる軽装の壮年男性。テーブルに書類を広げて事務作業をしている、騎士鎧を纏った白髪の老騎士。螺旋階段に座り込み鋭い睨みを利かせている剣士風の青年がいた。

 ちなみに、セレナたちが入ってきた時、その存在に気付いたのは剣士風の青年だけだった。


「……思ってたのと違う空気ね。なんだろ? とりあえず受付に行ってみるか……」


 重苦しい空気の中、それでもセレナはひとまず、屈強な受付嬢の前に向かった。嫌そうな顔をしたディド、キョロキョロと辺りを見渡すクレウサがそれに付き従う。


「あの――ちょっと教えて欲しいことがあるんですが……」

「あ? 教えることなんて、こっちにゃありませんよ。入団希望じゃないなら、お引き取りを」

「――――ここに何の用です?」


 セレナは受付嬢に話しかけたが、取り付く島もなく一蹴される。すると、螺旋階段に座っていた青年が近付いてきた。


「あ、えと、その……教えて欲しいことがありまして……」

「ここはラビリス騎士団本部です。情報屋ではありませんよ? それでも何か知りたいのですか?」


 青年は刃物のような鋭い威圧をセレナにぶつけながら、視線で出て行けと告げていた。

 有無を言わせぬその迫力に、しかしセレナは低姿勢ながらも平然と問い返す。


「――龍神山脈付近で、異世界人の子供を保護した、と訊いたんですが……詳細を知りたい、なぁ、と」

「…………」


 セレナの問いに、青年は表情から感情の色を消して、無言のまま受付嬢に目配せしていた。

 青年とアイコンタクトした受付嬢は、のっそりと立ち上がりながら、バキバキ拳を鳴らし始める。

 喧嘩でもするつもりだろうか――と、セレナは首を傾げた。

 一方で、青年は腰に差していた剣を抜いて、セレナの眼前に切っ先を突き付けた。


「その話、どこで耳にした?」

「とても親切な自称情報通さんが、アドニス金貨一枚で教えてくれたんだけど……その反応、詳しく知ってるみたいね?」

「――アザネ、団長を呼んできてくれ」


 青年の台詞に、あいよ、と受付嬢が剛毅な返事をしていた。どうやら屈強な受付嬢の名前は、アザネと言うらしい。

 ところで、一触即発じみたこの状況に、書類を広げていた騎士鎧を纏った老騎士はいつの間にか、入口の扉を閉め切って、門番の如く立ち塞がっていた。逃がさないつもりだろう。

 詰め所内に、なんともキナ臭い空気が漂い始めた。だが生憎、セレナたちは焦ることなく、むしろ成り行きを眺めるつもりで平然としていた。

 しかしそれも当然だ。ここに居る全員が襲い掛かって来ても、セレナ独りで何とでもなりそうな戦力差がある。だというのに、この場にはディドもクレウサも居る。怖がる要素は何もなかった。


(――って言っても、タニアみたいに力尽くで交渉するのは、冒険者っぽくないからしないけど)


 セレナは心の中でそう呟きながら、さりげなく剣に手を添えて警戒しているクレウサを手で制する。まだ抵抗するタイミングではない。


「情報通とは――誰だ?」

「名前は知らないわ。昼間っから開いている酒場……何だっけ……ゴ、ゴマ――」

「――『誤魔化し亭』かしら?」

「あ、そうそう。その『誤魔化し亭』に居た仕入屋さんが教えてくれたのよ。その時、詳しくはラビリス騎士団に聞いてみろ、って言われたのよ」


 ディドの助言に頷いて、セレナは涼しい顔のまま、突き付けられた剣を見ながら答えた。青年はその回答に眉根を寄せつつ、忌々し気に舌打ちする。


「情報屋バラストか――チッ。これだから冒険者上がりは信用ならん」


 呪詛を呟くように吐き捨てたかと思うと、瞬間、青年は一歩踏み込んで、セレナの眼前に剣を突き出す。眉間を正確に貫く突きで、必殺の意思が感じ取れた。

 一撃でセレナを殺すつもりだろう――とはいえ、セレナにとって、その突きはあまりにも遅かった。

 セレナは首を傾げるだけでその突きを躱す。自慢のサイドテールが数本散ったが、薄皮一つ掠らせることなく避けた。そして同時に、無詠唱で水属性の下級魔術を青年の腹部にぶつける。


「――ぐぁ、っ!?」


 ドガン、と爆音を鳴らして、青年はロビーの壁にめり込んだ。ついでに吹っ飛ぶ過程で、ソファに寝ていた軽装の壮年男性が巻き込まれたが、それはご愛敬である。


「なんなのよ、まったく……あ、ちなみにこれ、正当防衛よ? 殺されそうになったんだから、許してよ?」

「副団長!? だ、大丈夫ですか!?」

「……あれが、副団長だったようですね」


 入口で門番をしていた老騎士が血相を変えて、慌てた様子で青年に駆け寄っていた。その老騎士の台詞から、青年がラビリス騎士団の副団長と分かる。

 クレウサの冷静な台詞にセレナは肩を竦めて、副団長にしては雑魚だ、と溜息を漏らした。


「どうでもいいけど、あたしたち、情報を聴きに来ただけなのよ。誰か話し合いしてくれる人いないの――」

「――団長であるオレが、その話を聞いてやろう」


 ふいに、セレナの呼び掛けに答える声が吹き抜けの上階から聞こえた。見れば、二階の手すりを飛び越えて、髭面の騎士が音もなく落下してきた。


「だが、話を聞く前に一つ質問だ。お前、魔術の展開速度といい、無詠唱でこの威力といい、ただの妖精族とは思えない実力をしてるが――何が目的で人里に下りてきたんだ?」


 髭面の騎士は背中に巨大な斧を背負っており、それに手を掛けながら問い掛けてくる。その雰囲気はいかにも歴戦の強者であり、そこそこ強い魔力を纏っていた。しかし、恐らく過大評価したとしても、セレナ単独で勝てるだろう。

 それほど明白にかけ離れた実力を感じて、セレナは思わず気が抜けてしまった。

 ここのところ、到底セレナでは勝てない化物ばかりを見てきたせいか、ここまでの雑魚が相手だと相手にするのが煩わしく思える。凄みだけ一流だが、恐怖は微塵も感じられない。


「あたしがここに居る理由はどーでも良いでしょ? ねぇ、団長さん? あたしたちは、龍神山脈付近で保護されたって言う異世界人のことを訊きたいだけなの。どうすれば教えてくれるの?」


 セレナは張り合うだけ無意味だと、脱力状態で髭面の騎士に首を傾げる。そんな舐めた態度に苛立ったようで、髭面の騎士は顔を紅潮させて、素早く巨大な斧を構えた。

 見るからに重そうな巨大な戦斧を片手で軽々と振り回しながら、髭面の騎士は訪ねてきた。


「おいおい、生意気な妖精族さんよ。オレの質問に、まず答えろよ。お姫様たちがどうなっても良いのか?」

「……言っとくけど、そのお姫様たちの方が、あたしより強いわよ?」

「ああ!? 護衛である従者より強いなら、そもそも護衛を連れている意味ねぇだろ! ――っと、口論しても仕方ねぇ。これが最後だ。お前、何が目的で人里に下りてきた? ついでに連れてるお姫様は何者だ!?」

「…………質問が増えてるじゃない」

「妖精族の後ろのドレス姿の金髪お姫様を狙え!! 次に合図したら、容赦なく撃ち殺せ!!」


 セレナが呆れた口調で溜息を吐いた刹那、髭面の騎士は大声を張り上げた。すると一斉に、二階の手すりから弓を構えた騎士たちが姿を現した。

 現れた騎士たちは、およそ二十名。その全員がディド目掛けて、魔術を付与した弓矢を引き絞っていた。

 その光景を眺めて、セレナ以上に呆れた様子でディドが深く長く溜息を漏らした。


「……こんなくだらない茶番に、ワタクシいつまで付き合わなければいけないのかしら?」

「あたしに聞かないでよ。あと一応、言っとくけど、殺さないでよ? 殺すと厄介になるからね、絶対」

「セレナ様、ディド姉様、私はどうすれば宜しいでしょうか? 見守っていれば宜しいですか?」

「クレウサは……まぁ、ディドもあたしもだけど、無抵抗を貫きましょう。ここで問題を起こすと、絶対あとでヤンフィ様に怒られる」


 セレナは視線を髭面の騎士から動かさず、ディドとクレウサに注意する。正直、一斉射撃されたところで、ディドなら防御魔術を展開せず避けきれる――どころかきっと、その気になればカウンターで全員を射貫けるだろう。

 一方、セレナたちの様子を前に、髭面の騎士は戦斧を振りかぶったかと思うと、簡略詠唱で結界魔術を展開していた。

 展開された結界魔術は風属性の上級魔術で、屋敷内の音を遮断すると同時に、逃げ出せないようにする意図を持っていた。とはいえ、セレナたちからすれば、突破するのは容易いが――


「これで逃げられねぇぞ! ――で、妖精族さんよぉ、お前ら何が目的なんだ!?」

「……目的、て……ま、妖精族が珍しいのは間違いないけど……どう説明すれば……」

「――僭越ながら、口を挟ませていただきます。こちらのディド姉様は、【神王国ミュール】の王族です。そして私たちは、行方不明になった転生者を探して旅をしております。この度、異世界人が龍神山脈付近で保護されたと聞いて、もしや私たちが探しているお方ではないかと思い、調べているのです。セレナ様は、右も左も分からない私たちの護衛として、付き合ってくれております」


 セレナが困っていると、前に出たクレウサがペラペラと出鱈目を口にした。その説明に髭面の騎士は一瞬だけ面食らい、しかしすぐさま神妙な顔になる。戦斧をクルリと回して床に突き立て、顎鬚に手を当てて考え始めた。

 クレウサの説明に、セレナもなるほど、と納得する。セレナの浅薄な知識でも、それは充分、納得出来るものだった。


 神王国ミュールは、竜騎士帝国ドラグネスと隣接している王国で、定期的に異世界人が召喚される国として有名だった。召喚された異世界人は、国内では『転生者』として食客扱いされている。なお、召喚された異世界人は、その異能次第で成り上がることも出来る。


 髭面の騎士は、真剣な表情でクレウサの説明を反芻する。だがこれを反証する方法は、恐らく何もないに違いない。


「……ロンディ。大丈夫か?」

「ええ……ロングウッド団長……手加減されました……」

「ロンディは、神王国について詳しいか?」

「多少は……」

「今の話、どう思う?」


 その時、副団長と呼ばれていた青年が、ガラガラとめり込んだ壁から這い出てきた。そんな彼に視線を向けず、髭面の騎士――ロングウッドは大声で質問を投げる。

 副団長ロンディは息も絶え絶えに答えながら、ボロボロの身体を引きずってロングウッドの隣までやってくる。ロンディが横に並び立つと、ボソボソと何やら耳打ちをする。

 タニアのような異常聴覚など持っていないセレナたちでは、何を言っているかまでは分からなかった。


 果たして、ほんの少しの沈黙の後、唐突にロングウッドは戦意を失くして、戦斧を背負い直した。上階で弓矢を構える団員全員に目線を送り、もういい、と手で指示も出す。何やらよく分からないが、とりあえず納得した様子だ。


「――失礼した。神王国ミュールの使者よ。どうやら勘違いだったようだ。改めて名乗ろう。オレはラビリス騎士団の団長。ロングウッドだ。コイツが副団長ロンディ」

「副団長ロンディだ。妖精族セレナ。手加減、感謝する。此方から手を出したことに対しても謝ろう。失礼した」

「…………まぁ、いいけど」


 手のひらを返したように頭を下げ始めたロングウッドとロンディに、セレナは訝しげな表情を浮かべる。クレウサの機転とはいえ、ここまで効果覿面とは思わなかった。

 とはいえ、嘘だとバレても何ら困らない。ならば、どこまでバレずに進むか、行けるところまで行くのが正解だろう。


「あ、それで、異世界人のこと、詳しく訊けるの?」

「団長室で話そう。公に出来ない内容だからな――こちらだ。アザネ、人払いを頼む」

「あいよ、団長!!」


 筋骨隆々の受付嬢アザネが、どこからともなく現れて、バタバタと螺旋階段を駆け上っていった。それを見送ってから、ロングウッドが螺旋階段に踏み出す。


「……場所を変える意味が分からないかしら……」

「ディドの文句は理解出来るけど、とりあえず行くわよ」


 露骨に嫌な顔を浮かべるディドを宥めつつ、セレナもロングウッドに続いて階段を上った。


 案内されたのは四階の執務室で、どうやらここが団長部屋らしい。執務机と本棚しかない質素な部屋で、客人をもてなすことには適していない。

 ロングウッドは独りだけ執務机の椅子に座り、セレナたちを立たせたまま、腕を組んで向かい合った。


「さて、お姫様たち。さっきの、龍神山脈で異世界人が保護されたって話だが……オレら以外に、誰かに話したりしてねぇだろうな?」


 厳つい眼光で、無表情のディドに問い掛けていた。だがその視線も威圧も受け流して、ディドは明後日の方向を眺めていた。説明する気はないようだ。

 セレナは、はぁ、と疲れたように息を吐きながら、挙手して口を開く。


「質問にはあたしが答えるわ……で、異世界人が保護されたらしいってのは、別にまだ、誰にも訊いてないわよ。だって、そもそもラビリス騎士団に訊けって言われたからね」

「そうか。じゃあ、お前らさえ黙らせれば問題ないってことだな――これは取引だ。いまからオレらの事情を含めて、知っちゃあマズイ話をする。公言しないことを誓うなら、話してやるが、どうする?」

「……誓うって、何に?」

「決まってるだろ。魔術による誓約だ。破ったら、お前ら全員、娼婦に堕ちてもらう。死ぬまでその身体を使って、騎士団に奉仕する係として――」

「――ディド姉様に対して、不敬だぞ貴様。言葉に気を付けろ。次は殺す」

「――――うぉ」


 ロングウッドの台詞に、瞬間沸騰したのか、クレウサが一息で踏み込み、その首筋に剣を押し付けていた。セレナでさえ見切れない瞬足の斬り込みだ。

 クレウサの放つ威圧は団長室を重く冷たく支配して、ロングウッドは唾を呑み込むことさえ出来ずに、首筋に当てられた剣をただ眺めていた。


「クレウサ、お止しなさい――魔術による誓約なぞ、いくらでも好きになさいな。それよりもワタクシは、早く宿屋に戻りたいかしら」

「…………失礼しました、ディド姉様」


 ディドの呆れた声で、その場の空気が緩んだ。

 クレウサはシュンとした様子で下がって、部屋の隅で壁に背を預ける。腕を組んで、もう何もしないと意思表示を見せていた。


「あ、と……ディドの許可も出たし、別にいいわよ。その誓約書って、どこに?」

「あ、あ、ああ……これ、だ……」

「ん、ああ、なるほど――はいはい」


 差し出された羊皮紙と筆を受け取ると、セレナはその文面を流し読みする。

 そこには、やたらと難しい言い回しで細かい誓約が書かれており、どれか一項目でも破れば、絶対服従の呪縛がかかることを了解する旨が明記されていた。内容を要約すると、この場で話したことを口外してはならない、ということである。だがそれは不可能だ。

 ここでの話は当然、煌夜とヤンフィに報告する。つまりこの誓約は必ず破らなければならない。

 しかしながら、そんな誓約書の内容を十二分に理解したうえで、セレナは頷き、迷わず記名して誓約した。そして、ディドに回して誓約するよう促す。

 ディドは読むことすらなく、平然と自らの血で持って署名していた。ついでに、クレウサも納得して、スラスラと誓約する。


「ほぉ――随分と、即決だな。それほど異世界人が大切なのか?」

「ねぇ、どうでもいいからさ。誓約したんだから、早く説明してくれない?」


 全員の誓約を確認してから、ロングウッドは厭らしい笑みを浮かべていた。計画通りとでも言いたげな顔付きだが、その勘違いに付き合うつもりはない。


「ああ。分かってる――まず、オレらラビリス騎士団のことを伝える。オレらは、【白の聖騎士】将軍ワイト様の直轄であり、世界蛇の陰謀を阻止する為に作られた騎士団だ。噂には聞いてるだろう? いま竜騎士帝国ドラグネスは世界蛇によって、内政の腐敗が進んでる。顕著な腐敗は、宰相ダーダム・イグディエル様が、エレイン皇女を擁立してることからも分かる――と、まぁ、そんな国内事情は予備知識として――今回の件だが、これには世界蛇が絡んでる。お前らの国でもそうだと思うが、ここ数年、大陸全土で、有能な治癒術師が何人も行方不明になってるし、老若男女問わず異世界人が攫われてる」

「…………」

「ん?」


 ロングウッドの戯言を聞き流していると、ディドとクレウサが不穏な空気を放っていた。セレナは首を傾げて、どうしたの、と視線で訊ねるが、プイ、と無視されてしまう。

 そんなやり取りなど気にせず、ロングウッドの語りは続く。


「世界蛇はなぜか、治癒術師と異世界人を大勢集めてるようだ――その理由は分からねぇが、恐らくは何らかの禁術を行使する為の生贄だろうと推測されている。で、だ。今回、龍神山脈で異世界人を保護した話だが、実際のところは事情がちょい違う。保護された異世界人の子供ってのは、龍神山脈付近に潜んでいた世界蛇に捕まっていたらしい。帝国の騎士団が世界蛇の掃討作戦を実施した際、偶然、異世界人の子供を発見して保護したって話だ。ところがこの異世界人、世界蛇に何やら記憶を操作されたようで、記憶を失っていると聞く。だからもしかしたら、世界蛇の何らかの情報を握ってるかも知れない。それを調べる為にも一旦、異世界人を保護したって情報は秘匿して、秘密裡に帝都オーラドーンに護送することが決まってるんだよ」

「……よく分からないんだけど、その異世界人の子供は、特別ってこと?」

「さあな。それは知らん。だがどうやら、最重要扱いで護送されるって話だぜ。わざわざワイト様が自ら赴くんだからな」


 ロングウッドの説明に、しかしセレナたちはいまいち納得できなかった。たかだか異世界人の子供一人に対して、随分とおおごとすぎやしないか。そもそも世界蛇の情報を握っているかも知れないから、帝都オーラドーンに護送する、という論法が理解出来なかった。


「……まぁ、いいや。ところで、その異世界人の特徴とか、教えて欲しいんだけど?」

「特徴? あー、と確か、浅黒い肌をした十歳前後の少年で、自らを『コタロー』だか『コターロ』だか名乗る人族らしい。発音から考えると、神種みたいだが……」

「この子供だったりする?」

「あん? どれ――――オレは直接、見たことないが、特徴は似てるな」


 セレナはロングウッドに、谷地虎太朗が映っている記憶紙を見せる。ヤンフィの作ったその記憶紙を見て、ロングウッドは首を捻りながらも、そうかも知れないな、と頷いた。


「いつ、帝都オーラドーンに護送されるのかしら? 護送された後は、どうなるのかしら?」


 ふいにディドが鋭い威圧を放ちながら、ロングウッドに詰め寄った。その威圧には、逆らったら殺される、と錯覚出来るほど強烈な殺意が篭められている。

 ロングウッドはしどろもどろになりながら、ああ、と壁際に吊るされた日付表をチラ見した。


「た、確か……その情報が、届いたのが、七日前だから……遅くとも、四日後には、帝都オーラドーンに辿り着くはずだ……ワイト様からの話だと、護送に飛竜は用いないらしいから……どうしても、それくらいの日数が掛かるはずだ……護送された後は……正直、分からない。ワイト様も処遇を聴かされていないと言ってた……」

「なるほど。ひとまず感謝しますわ――行きますわよ、セレナ、クレウサ」


 そこまで聞くと、もはや用なしとばかりに、ディドはロングウッドに背を向けて、団長室から出て行こうとする。その肩を掴んで、セレナは落ち着きなさいよ、と口を開いた。


「ねぇ、最後に質問だけど……その異世界人の子供って、元気なの?」

「健康面に、何か異常があったとは聞いてねぇ――って、おい。お前らに忠告するぞ。この件、世界蛇に知られる訳にはいかないんだ。絶対に口外するんじゃねぇぞ!?」

「はいはいはいはい」

「――――ま、口外した瞬間に、お前らはオレら、ラビリス騎士団の所有物に成るけどな」


 不敵な笑みと共にそんな捨て台詞を吐くロングウッドに、セレナは冷めた流し目を送ってから肩を竦めた。甚だ不愉快だが、少しの間、勘違いの夢を見させておいてもよいだろう。


「――下衆の思考は不愉快でならないかしら。けれど、とても貴重な情報を提供してくれた御礼に、命だけは助けてあげますわ」


 ディドがチラと振り返り、氷よりも冷たい視線を向けながらそんな呟きを漏らす。意味を理解していないロングウッドは一瞬硬直して、すぐに負け惜しみか、と薄く笑っていた。


 そんな一幕があったものの、三人は騎士団本部を後にして、宿屋への帰路についた。気付けば、既に日は沈み始めており、戻ったタイミングで夕食となるだろう。

 大通りを三人並んで歩きながら、ふいにディドがセレナに言った。


「セレナ。先ほどの誓約書、ワタクシは血で取り交わしてしまいました。破るとなると、手加減が出来ませんので、確実に殺してしまうわ――お任せしても宜しいかしら?」

「うん? ああ、はいはい。いいけど、そもそもあの程度の魔術誓約じゃ、拘束力なんて、ほとんどないでしょ。何もしなくても、あたしたちには通じないわよ? わざわざ破らないでも、無視してればいいんじゃない?」

「ワタクシ、無意味に期待させることを好ましく思わないかしら」

「あっそ――んじゃ、強制解除するわよ」


 セレナはおざなりに頷きながら、歩みを止めずに三人分の魔法陣を構築する。それは粘膜のように身体を包み込み、途端、パキンと硝子の割れる音を鳴らして霧散した。これで、先ほど締結した誓約書の拘束は砕け散った。


「……それにしても、舐められてたわよね。魔術紋による契約ならまだしも、たかだか魔術誓約なんて、拮抗する魔力があれば一方的に破棄出来るってのに……あたし、そんな弱そう?」

「侮られた、と言うよりも、ただ無知であっただけと思われます。団長と言われていましたが、冒険者で言うところのBランク以下でしょうから、魔術知識もなかったのでしょう」


 セレナの独り言に、クレウサが適切な解説をしてくれる。それに苦笑して、ええそうね、と頷いた。

 そうこうしているうちに、宿屋の入口に辿り着く。扉の内側からは、香ばしい匂いが漂ってきていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「おい、もう出ろ。大災害――いや、冒険者タニア」


 横柄な態度で、ガン、と牢屋を蹴られて、タニアは薄目を開ける。眠い目を擦りながら、魔術で強化された鉄格子を見ると、顔をボコボコに腫らせた衛兵が立っていた。

 牢屋の天窓を見れば、日が昇り始めている。

 タニア的には、まだ寝てる時間ではないか――と、一瞬、全身の毛を逆立てたが、すぐに気持ちを切り替える。合法的に出られるということであれば、今すぐにでも出るべきだろう。

 何もしていないのに、拘束されたのが、六日前の出来事である。牢屋の中で寝泊まりするのは、もういい加減に飽きてきていた。


「ふぅ……やっと解放かにゃ? お前ら、手続きに時間掛かり過ぎにゃ。本当に、本当に、ゴミ過ぎるにゃ――殺さにゃいでおくことを、感謝して欲しいにゃ」

「う、うるさい――サッサと出て行け! もうお前なぞ知らん。ラビリス騎士団は、関わることはない!!」

「そうしてくれにゃ――ところで、次に絡んで来たら、迷わず殺すにゃ」

「ヒッ――ッ!?」


 タニアは笑顔で殺意を振り撒きながら、鍵の掛かったままの牢屋を当たり前に抉じ開けて、腰を抜かしている衛兵の横を通り過ぎた。

 ヤンフィに釘を刺されていた通り、タニアはこの六日間、衛兵に逆らうことなく我慢して牢屋に拘束されていた。とはいえ、タニアを拘束出来る道具など存在しないので、牢屋で寝泊まりする以外は、好き放題に街を闊歩して、食事をしたりしていたが、それでも形式上は捕縛されていた。


「とりあえず、戻ったらコウヤに褒めてもらうにゃ。あちしが牢屋で泊まってたおかげで、一人分の宿賃が浮いたはずにゃ」


 にゃにゃにゃ、と独り笑いながら、久しぶりに煌夜と話せる、と喜んでいた。

 六日間の理不尽な拘束が解けたので、これで煌夜たちと関わっても大丈夫なはずだ。晴れて釈放された身であれば、誰と関わっていようと文句を言われる謂れはない。

 タニアはグッと背伸びしながら、合流場所である宿屋『龍神館』に向かう。


「しっかし、この街は本当に雑多にゃぁ……チラホラ、天族が混じってるにゃんて、不思議にゃ」


 宿屋に向かう道中、何気なく通行人を【鑑定の魔眼】で視ると、二十人に一人の割合で天族が歩いているのに気付く。外見上では、人族と区別のつかない天族を珍しげに眺めながら、龍神館に辿り着いた。


 カラン、と呼び鈴を鳴らしながら中に入ると、食堂では朝食を摂っている宿泊客が数人おり、美味しそうな匂いが満ちていた。

 食欲を刺激されるその匂いに鼻をピクピクさせながら、どこに座ろうかキョロキョロと席を探していると、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 耳をピンと立てて、タニアは音のする方に顔を向けた。そこにはタイミング良く、階段から下りてきた煌夜とディド、ヤンフィが居た。


「コウヤにゃ!! おはようにゃぁ――あちし、解放されたにゃ!! 六日間、ちゃんと問題起こさず頑張ったにゃ! 誉めてにゃ!」


 タニアは勢いよく駆け寄り、真剣な表情で何やら話している煌夜をその胸に掻き抱く。ふが、と煌夜の吐息が胸に当たったが、気にせず熱く抱擁した。

 けれど、それはすぐさまディドに剥がされる。ディドはタニアを不愉快そうな視線で睨んできた。


「おはようかしら、タニア。別に、問題を起こさないことは褒めるに値しないと思いますけれど?」

「あん? ディドは相変わらず意味不明にゃ。変態天族は黙ってろにゃ」

「――タニア。よくぞ戻った。とりあえずこれで役者は揃って、準備も整ったのぅ」


 喧嘩を売ってくるディドに殺意をぶつけていると、ヤンフィが間に割って入った。タニアはヤンフィに頭を下げてから、その台詞にピンときて、満面の笑顔を煌夜に向ける。


「にゃにゃ!? 準備が整ったってことは――住民票、手に入ったのかにゃ?」

「それを説明する――その前に、腹ごしらえするぞ。のぅ、コウヤ?」

「ああ! メッチャタイムリーで良かった。おかりタニア。ちょうど今、タニアを助け出す算段を話そうと思ってたところだったから……けど、これで今日にもコタのとこに向かえるな」


 煌夜はタニアに満面の笑みで返してくれた。その笑顔に癒されつつ、にゃ、と手を挙げて、一番大人数が座れるテーブルを確保する。

 煌夜の席の右隣にタニア、左隣にディドが座り、向かいにヤンフィが座った。


「そうだにゃ――あちし、ちゃんと拘束されている間、コウヤの弟妹の居場所を探ってたにゃ」

「のぅ、タニア。この童――『ヤチコタロウ』は、いまどこに居るかのぅ?」

「んにゃ? ああ、コタロウはここのところずっと、帝都オーラドーンから動いてにゃいにゃ――念のため、今から確認するにゃ」


 ヤンフィが谷地虎太朗が映った記憶紙を見せてくる。タニアはそれをチラ見してから、昨日夜のことを思い出しつつ、力強く頷いた。

 神の羅針盤に魔力を注ぎ込み、改めて位置を特定する。するとやはり、昨夜と変わらず帝都オーラドーンの中心部に反応があった。


「にゃ。やっぱり、まだ帝都オーラドーンにゃ」

「ふむ……やはり、かのぅ。コウヤよ。ディドたちが持ち帰った情報と推測は、八割方的中していそうじゃのぅ」

「……ああ。そうだな。となると、やっぱり昨日の想定通り、結構面倒なことになりそうかな?」

「――十中八九、おおごとになるじゃろぅ」


 にゃんの話にゃ、とタニアは首を傾げながら、給仕係にミルクを注文していた。

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