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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十一章 原点回帰
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第八十六話 次のステージへ

 ヤンフィと煌夜、ディドが【聖魔神殿】に向かってから五日――今日もまだ、何の連絡もない状況だった。


 退屈があまり好きではないマユミからすると、ただ待つという行為は中々に苦痛である。とは言えど、ヤンフィたちに同行するのが目的である以上、信じて待つしかない。


 マユミはとりあえず昼時になったので、自室としている一人部屋から食堂に向かった。

 食堂には客など一人も入っておらず、居るのはここ数日で見慣れた獣人族――タニアとオルドの二人だけだった。


「……暇そうだな」


 真昼間から食堂の床に転がり、ゴロゴロと昼寝をしているタニアに、呆れた顔でマユミが吐き捨てた。

 マユミはそのままタニアをわざと跨いで、食堂のカウンターに腰を下ろした。


「ああん? にゃんだと、馬鹿マユミ。あちしに喧嘩売ってるにゃか?」

「――肉料理を貰おうか」


 カウンターの内側では、食事の支度をしていたオルドが、すかさずエールをジョッキで提供する。それを一気に半分ほど飲み干してから、タニアに視線さえ向けず注文を続けた。


「カチン――にゃ! 無視するにゃんて、お前、どんだけ偉いにゃ!?」


 そんなマユミの態度を見て、タニアは怒り心頭と毛を逆立てて立ち上がった。憤慨しています、と言わんばかりにいきり立ち、マユミを殺気の篭った視線で睨み付ける。

 しかしそんなタニアを全く相手にせず、マユミは視線をオルドに向けたままエールを呷った。


「そういえば……ウールーの体調はもう平気か?」

「おい!! 無視するにゃ!! お前、調子乗り過ぎにゃ!?」

「……あ、え、ええ――ご心配お掛けして申し訳ありません。けれど、もうすっかり良くなりました……あの、マユミ様……差し出がましいかも知れませんが……タニア様に反応して頂けないでしょうか……」

「オルド!! いちいちこんにゃヤツに、様付けする必要も、頭を下げる必要もにゃいにゃ!!」

「――ふぅ。オルドに迷惑を掛けるのは申し訳ないから、仕方ない。で、何か用か、タニア?」


 マユミとオルドのやり取りを横目に、タニアが全身に闘気を漲らせていた。

 暇そう、と一言呟いただけで、そこまで怒りを爆発させるとは、なんて沸点が低いことだ――と、マユミは呆れた様子で苦笑しながら、タニアに向けて小首を傾げた。


「ふぅ――ふ、にゃぁ――お前、本当に、調子に乗ってるにゃ!!」


 マユミのその挑発的な態度に、タニアは、ドガン、とカウンターに拳を叩きつけた。その衝撃はカウンターの一部を吹き飛ばすのみならず、床を拳の形に凹ませる。

 直後、食堂内が戦場めいた雰囲気に変わる。タニアから放たれる闘気がビリビリと食堂内を振動させて、重力が何倍にもなったかのように感じた。誰がどう見ても一触即発、爆薬庫に火を持って入った気分だ。

 マユミは全身でその威圧を浴びて、肌がピリつくのを感じていた。同時に、ぞわぞわと背筋がむず痒くなるほどの恐怖と、強者が持つ独特な空気に歪な悦びを感じて、思わず口元が笑みを形作っていた。


「いいね――けれど残念ながら、この喧嘩は買わん」


 普段であれば、当然ながらこの喧嘩は買うところだ。だがここは大人になろう。落ち着いて冷静に返せなければ、ヤンフィたちに同行出来ない。

 マユミは静かに深呼吸してから、大人の対応を心がけた。


「落ち着いたらどうだ、タニア?」

「あちしは落ち着いてるにゃ!! だから、こうして待機してるにゃ!! それをお前――暇とか、ふざけるにゃよ!! それでにゃくとも、馬鹿マユミは、ちょっと好き勝手、振舞い過ぎにゃ!? 勝手にゴライアスは殺すし、勝手に【聖魔神殿】には向かうし――自制しろにゃ!! あちしたちは、いつヤンフィ様が戻ってきても動けるように、ここでしっかり待機するのが仕事にゃ!」

「……おいおい、タニア。待機するのは理解してるし、確かにあのヤンフィ様なら、万が一にも問題なぞ起きないだろう――けれどそれでも、もう五日にもなるんだ。今の今でも、何の連絡もないままだぞ? 少しは心配したらどうだ?」

「心配するのと勝手に振舞うは、全く違うにゃ!!」

「それは失礼――ちなみに、言い訳じゃないが、ヤンフィ様どころか貴様にも、別段、ゴライアスを殺すなとは言われていないぞ? 殺すな、と言われて殺したのなら叱られるのも理解するが、私たちの旅路に役立たないゴミを排除したところで、文句を言われる筋合いなどない。それに【聖魔神殿】に向かったことだって、セレナとクレウサには言ってあったし、一日で往復して戻ってきたじゃないか?」

「黙るにゃ!! 言われてにゃいにゃら問題にゃいって思考は、子供の屁理屈にゃ!!」


 タニアは感情的に、珍しく正論を口にしてくる。しかし、この口論はそもそも言い掛かりから始まっているので、タニアが言う『子供の屁理屈』という単語は、そっくりそのまま突き返したい。


「……分かった、分かった。私が悪かった――タニアは忙しいんだな? 私は暇だから、食事が終わったら少し散策するが、いつでも戻ってこれるようにしておくよ」


 マユミは色々と言いたいことを呑み込んで、はいはい、とおざなりに謝罪する。

 恐らくタニアも暇すぎて、ただただ八つ当たりしたいだけなのだ。それが分かっているので、別段、腹が立つこともない。

 タニアはマユミがすぐさま謝罪して引き下がったことに多少納得いかない顔だったが、逆立てた毛を落ち着かせてから、凹んだ床に胡坐を掻いて座った。


「あ、あの、タニア様……申し訳ありませんが、そちらのカウンター費用、別途、頂戴出来ますでしょうか?」


 マユミとタニアがひと段落ついたタイミングで、オルドが恐る恐ると口を開く。それと同時に、マユミの注文していた肉料理を出して、タニアにもミルクを手渡す。

 オルドに言われて、タニアは少しだけ困った顔をしていたが、払うにゃ、と頷いた。

【大災害】【破壊大帝】の通り名は、こうした破壊の積み重ねから付けられた異名だな――と、マユミは口には出さず、その異名の理由を納得していた。


「――ふむ。よく自制したのぅ、マユミ」


 ふとその時、マユミの背後からそんな台詞が聞こえた。

 ハッとして咄嗟に席から離れて、妖刀マガツヒを抜いて構える。そんな超反応を横目に、タニアはゴロンと寝転んで、下から見上げる恰好でヤンフィに視線を向けた。


「反応は好い――じゃが、魔力感知は苦手のようじゃのぅ? 気配を絶つと、こうまで気付かぬとは、若干不安じゃ」

「おかえりにゃさいにゃ、ヤンフィ様。コウヤは部屋かにゃ?」

「うむ。ディドと一緒に寝込んでおる――だいぶ待たせてしまっておったが、汝らの準備はとっくに出来ている認識で好いかのぅ?」


 声の主がヤンフィであることは瞬時に理解していた。けれど、目の前で堂々と立って話している今でさえも、実のところマユミには、その気配が感じられなかった。

 気配が希薄と言うことではなく、完全に一切の気配がない。そこに居ると視認しているのに、まるで景色に溶け込んでいるかのように何も感じない――否、集中すれば、そこから微かな魔力波動は感じるが、逆に言えばそれ以外には何も感じ取れなかった。それはまさしく、気配遮断の極致だ。

 マユミは額から冷や汗を流しながら、フッと口元を吊り上げて脱力する。別段、逆らうつもりなど毛頭ないが、まだまだ自分は未熟であると再認識した。


「準備は完了してるにゃ――けど、随分と遅かったにゃぁ? あちし、いい加減、どうしようかと困ってたにゃ」

「それは悪かった――じゃが、待たせた甲斐はあったかのぅ? だいぶマユミと親しくなったようじゃ」

「にゃにゃ!? どこがにゃ!? あちしは別に、コイツと仲良くにゃいにゃ!! だいたいコイツ、魔力感知性能が低いにゃ――ヤンフィ様に気付けにゃかった時点で、足手纏いににゃる可能性大にゃ」


 タニアと言い合いながら、ヤンフィは近くのテーブル席に腰を下ろす。それを見てから、マユミは妖刀マガツヒを納刀して呼吸を整えた。

 確かに、マユミの弱点は魔力感知でもある。状態異常無効体質の影響により、魔力全般に鈍くなっているのが原因だ。誰にも言っていなかったが、それをヤンフィとタニアには看破されてしまった。

 困ることはないが、少し恥ずかしい――と、マユミはカウンター席に座り直して、配膳された肉料理に手を付けた。


「タニアよ。足手纏いは云い過ぎじゃ――さて、オルドよ。セレナとクレウサをここに呼べ」

「――畏まりました。今しばらくお待ちくださいませ」


 ヤンフィはテーブル席で腕を組んで、椅子に背を預けると天井を見上げる。それを見て、タニアは寝転がった状態から起き上がり、ミルクを持ってヤンフィの正面に座り直した。

 二人の席に移るべきか一瞬だけ考えたが、そこまで馴れ合う関係性は不要と断じて、マユミはそのままカウンターで聞き耳を立てることにした。


「にゃあ、ヤンフィ様。コウヤは、治ったにゃか? これ以上、あんにゃ、ディドとのいちゃつきはせずに済むようににゃったにゃか?」

「うむ――結論を云えば、レーヌの魂は逃げた。妾に滅される寸前、敵わぬと悟って本体に戻った……その際、魂に印を付けて後を追い掛けたのじゃが、どうやら彼奴は、嘘偽りなく封印されておるようでのぅ……完全に滅するのは不可能じゃった。滅するには、わざわざ封印を解いてやらねばならぬ」

「にゃにゃ!? そうにゃのか? にゃら、もう無視したいにゃぁ……相手する必要にゃいにゃ?」

「うむ。コウヤとの繋がりはもう切れておる。一旦は、彼奴のことなぞ考えずとも好いじゃろぅ」


 こともなげに語るヤンフィに、マユミは、さすがは魔王属か、と畏敬の念を感じていた。

 不完全なレーヌを倒すことは、確かにそこまで難しくはない。相性の問題もあるが、マユミでも充分に倒せる程度である。だがそれはあくまでも、レーヌが宿る肉体ごと殺す場合だ。今回であれば、当然、煌夜ごと殺すのであれば容易なことだろう。

 けれどヤンフィは、煌夜を生かしたままで、レーヌの魂だけを退けたようだ。それはつまり、肉体の内側にあるとされて観測出来ない魂を、直接攻撃する術があるということである。魂を攻撃するという神業など、マユミは聞いたことがなかった。

 まだまだヤンフィの底は見えないな、と感心しつつ、ジョッキのエールを飲み干した。


「ヤンフィ様。お帰りなさい――あれ、珍しくタニアが起きてる……」

「珍しいとはにゃんにゃ! 失礼にゃ、セレナ」

「……遅くなりました。ヤンフィ様、ディド姉様とコウヤ様はそのままで宜しいのですか?」


 しばらくすると、セレナとクレウサが階段を下りてきて、ヤンフィたちの座っているテーブルに腰を下ろした。チラとマユミに視線を向けられたが、それには流し目だけで応じる。席を移れ、とは誰にも言われなかった。


「好い――ディドには説明済みじゃし、コウヤには後で説明すれば好かろう。さて、それではまずタニアよ。いま現在、コウヤの弟妹『ヤチコタロウ』はどこに居る?」

「えと、待つにゃ。今この場で、最新情報を調べるにゃ」


 ヤンフィの言葉に、タニアが掌大の硝子球――【神の羅針盤】を取り出して、膨大な魔力を注ぎ込み始める。マユミが羨むほどの凄まじい魔力は羅針盤を包み込み、中央に浮かぶ矢印がグルグルと回り出す。矢印はすぐにピタリと止まり、西北西を指し示した。


「にゃ!? にゃぅ……ぅ?」


 羅針盤が止まった途端、タニアはなぜか難しい顔をして、首を傾げている。耳はペタリと力なく畳まれて、消沈している風にも見えた。


「どうした?」

「…………ちょっと待つにゃ。おかしいにゃ」


 ヤンフィの問いに、タニアは一瞬沈黙してから、再度凄まじい魔力を篭め直した。

 羅針盤の矢印は再び回り始めて、今度は北北東を指し示す。調子が悪いのか、何か問題が発生したのか、マユミは空になったジョッキをカウンターに置いて、タニアたちのテーブルに近付いた。


「……にゃるほど……にゃるほど……」


 マユミがタニアたちのテーブルの近くに立つと、神の羅針盤は再び回転を始めて、またもや西北西を指し示す。そんな羅針盤の動きを全員で注視しながら、タニアの見解を待った。

 タニアはもう一度魔力を注ぎ込んで、羅針盤を回す。今度は北北東を指し示した。


「理由は分からにゃいけど、コウヤの弟妹、全員移動してるにゃ。で、当初の目的『ヤチコタロウ』にゃけど、その子はいま、ドラグネスの帝都オーラドーンに居るにゃ。距離と方角からすると、ほぼ間違いにゃいにゃ」


 タニアは北北東を指し示す羅針盤を見せながらそう説明する。確かに、アベリンの位置から考えると、だいぶ距離はあれど、北北東には帝都オーラドーンがある。


「それと別に……『サラ』『リュウヤ』だったにゃか? この二人も、物凄い速度で、竜騎士帝国ドラグネスの方角に向かって移動してるにゃ――たぶんこの速度は飛竜か、魔動列車にゃ」

「ほぅ? それでは、竜騎士帝国ドラグネスで待てば、三人とも揃う可能性がある、と云うことかのぅ?」

「……それは、どうかにゃ……分からにゃい。二人の移動してる方角が、偶然、ドラグネス領に向かってるだけ、の可能性が高いにゃ……にゃけど、どちらにしろ、この前見た時よりもずっと近い位置にゃ。これにゃら、コタロウを保護してから、そんにゃ遠回りせず二人も保護出来るかもしれにゃいにゃ……」


 タニアはそう言いながら、二枚の記憶紙をテーブルに置いて説明する。二枚の記憶紙には、可愛らしい金髪少女と、眼鏡をかけた理知的な少年が写っている。

 マユミの記憶違いがなければ、金髪少女が『ツキガセサラ』、眼鏡少年が『アマミリュウヤ』である。確か二人とも、聖王国テラ・セケル領内、王都セイクリッド付近に居たと聞いていたが、タニアの言葉を信じるならば、いまは移動しているらしい。

 だからなんだ、という話だが――


「――王都セイクリッド付近からだと、自由都市に向けた魔動列車が敷設されていたな。それを使って【行商の街ラクシャーサ】にでも向かっているのではないか?」


 マユミの冷静な横槍に、タニアが少し苛立ちながら、そうかもにゃ、と賛同する。


「まぁ、どちらでも好い。妾たちに都合の悪い話ではないようじゃしのぅ――ふむ。状況が変わらぬのであれば、方針も変えず、このまま竜騎士帝国ドラグネスに転移する流れで好いのぅ」

「ヤンフィ様。転移と仰せですが、竜騎士帝国ドラグネスのどちらに転移出来るのでしょうか? 任意の場所に転移出来るのでしょうか?」


 クレウサが遠慮がちに問うと、ヤンフィが真剣な表情で口を開いた。


「よく分からぬが、国境の街ラビリス、とか云うところと聞いておる。そこで一旦、情報を集めてから移動になるじゃろぅ」

「ラビリスと言えば、ドラグネス北部じゃないか。帝都オーラドーンにはだいぶ遠いぞ?」

「ほぅ、そうなのか?」

「――そうにゃけど、逆に好都合かも知れにゃいにゃ。【国境の街ラビリス】は、聖王国テラ・セケル領と隣接した国境線に位置する街にゃ。ドラグネス領内では最北部で、帝都オーラドーンには遠いにゃけど、その分、サラとリュウヤの位置には、近いにゃ」


 タニアが明るい口調で説明する。ヤンフィは納得した風に頷き、それでは、と話を続ける。


「コウヤの弟妹を確認したところで、早速じゃが、すぐに移動したいと考えておる。当然じゃが、とっくに準備は出来ておるじゃろぅ? 異論がある者はおるか?」

「……今すぐ、ですか? あ、いえ、異論じゃないですけど、急じゃないですか? コウヤたち、まだ寝てますよね?」


 ヤンフィの宣言に、難しい顔でセレナが問い掛けた。その問いには誰もが頷いていた。

 マユミも別に異論などないし、すぐに移動することに問題はない。しかし一方、この場に居ない煌夜とディドが問題だろう。

 二人はいま休んでいる、と聞いている。つまり万全ではない状況ということだが、そんな二人がすぐに移動できるとは思えない。マユミの危惧は、ヤンフィ以外の全員が等しく考えたことだった。


「うむ。寝ているうちに移動すると云うておる――どうせ大鷲の空間接続を通れば、コウヤなぞは、また気絶して休息が必要になるのじゃ。であれば、回復を待つのは愚策じゃ。それにどれだけ瘴気に中てられたところで、死ぬには至らぬからのぅ。むしろコウヤの為にも、サッサと移動して、竜騎士帝国ドラグネス領内で休息した方が効率的と云うものじゃ」

「…………どういうことです?」


 セレナが不穏な表情で、恐る恐ると首を傾げていた。嫌な予感がしているのだろう。

 ヤンフィは皆まで言わないが、どうやら大鷲の空間転移術とやらは、使用者に何らかの罰則が生じるものらしい。『瘴気に中る』と言っていることから、毒気に溢れた空間なのだろうと推測できる。

 マユミは、なるほど、と頷いて、同じように察したタニアを見た。タニアは、にゃら仕方にゃい、と頷きながら、早速とばかりに、席から立ち上がった。


「安心せよ。死ぬことはない。ただ苦しいだけじゃ」

「苦しい、って何が!? え? その大鷲って魔族の移動手段は、気絶するほど危険なんですか?」

「危険はない――こともないか。じゃが汝らならば、問題ないじゃろぅ。軽度ならば、魔力酔い……最悪でも、魔力枯渇して気絶する程度じゃ。死ぬほどではあるまい」

「…………最悪、じゃないですか……」


 ヤンフィがこともなげに言う台詞に、セレナが諦観の溜息を漏らす。それを鼻で笑いながら、マユミも立ち上がり旅支度をするために、自室に戻ることにした。


「ヤンフィ様。すぐに支度をして来るが、食堂に戻ってくれば良いのか?」

「うむ。人数が多いからのぅ。店の外で空間接続をするつもりじゃ――クレウサよ。コウヤとディドを連れて来い。セレナ、タニアはもう支度は出来ておるのか?」

「……あちしは大丈夫にゃ。オルドたちに挨拶だけしておくにゃ」

「…………心の準備は出来てませんけど……とりあえず荷物をまとめますよ。十五分ほど待っていてくださいよ」


 ヤンフィの号令により、各々行動を開始する全員を横目に、マユミは食堂から出て行った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 気絶した煌夜を脇に抱えて、タニアはオルド三姉妹亭の前で待機していた。

 傍らには、苦しげな表情で項垂れるディドに肩を貸すクレウサが立っている。また、隣の建物の壁に背を預けて、マユミがヤンフィの動きを眺めている。

 オルド三姉妹亭の入口では、準備万端のタニアたちを見送る為に、アールー、ウールー、オルドが三人並んで立っていた。


「――大鷲よ。国境の街ラビリスに空間接続せよ」

「げっげっげ! 承知!! 今すぐに!!」


 ヤンフィが何もない空中に呼び掛けると、大鷲が気持ち悪い声だけ発する。すると、ヤンフィの前に巨大な黒い穴が出現する。これが空間接続だろう。

 さあ、これで準備完了だ――とばかりに、ヤンフィが背後を振り返る。

 しかし、まだセレナが来ていなかった。タニアはチラと店内に視線を向けるが、セレナの姿は見えない。


「セレナはまだか?」

「アイツ、何をしてるにゃ。遅いにゃぁ――」

「――怖気づいたんじゃないのか? あの妖精族が一番、足手纏いになる可能性が高いだろ?」


 ヤンフィの問い掛けにタニアが頷くが、それに被せてマユミが嫌味めいたことを呟いた。タニアは少しムッとして、大きく舌打ちしながら反論しようとする。

 だが口を開くより先に、ヤンフィが鋭い視線でマユミを睨み付ける。


「確かに実力だけで云えば、マユミの云う通りじゃ。コウヤを除いて、セレナが最も弱いじゃろぅ――じゃが、セレナは貴重な治癒魔術師じゃ。決して妾たちの足手纏いにはならぬ。むしろ強さでしか妾たちに貢献出来ぬ汝の方が、妾からするとよほど足手纏い候補じゃぞ?」


 セレナを庇うようなヤンフィのその台詞に、タニアだけではなくマユミも驚いていた。まさか、ヤンフィが煌夜以外のことを庇うなど、正直想定外過ぎた。思わず全員が絶句してしまう。


「お、お待たせ、しました――って、アレ? え、何この空気?」


 その時、セレナが慌てた様子で外に出てきた。その手には、ここ数日の待機中にアールーが縫製した新緑色のローブが五着ほどある。どうやら替えの衣類を整理するのに時間が掛かったらしい。

 なんてくだらない――と、タニアは呆れ顔で溜息を吐いたが、とりあえず責めることはせず、言葉を呑み込んだ。


「……揃ったかのぅ。それでは、往くぞ」

「「「行ってらっしゃいませ。お気を付けて――」」」


 タニアはセレナの持っている衣服を受け取り、道具鞄に収納してやる。そして、ヤンフィの先導に従って巨大な黒い穴に足を踏み出す。

 そんなタニアに向けて、オルドたち三人が頭を下げていた。唱和する声は心地好く、心の底から送り出してくれている気持ちが感じられた。


「じゃあにゃぁ、オルド、アール―、ウールー! お前らも、落ち着いたらベクラルにでも、引っ越すにゃよ?」


 振り向かずに手を振りながら、意気揚々と黒い穴に身を乗り出す。それに続いて、マユミもゆっくりと入ってきた。


「んん? 真っ暗にゃ。真っ直ぐ進めばいいにゃ――――にゃッ!?」

「……なるほど。これは厳しいな……今までで味わったことがないほどに濃厚な瘴気だ」


 黒い穴の中は、前も後ろも見えない闇が広がっており、タニアは思わず立ち止まった。その瞬間、凄まじい気持ち悪さに襲われる。

 それは、胃液が逆流しそうなほどの吐き気であり、同時に、重力が倍以上になったような重苦しさである。全身に纏いつく粘り気のある瘴気は、少しづつ身体を溶かしているのではないか、と錯覚するほどだった。深海に沈められたと言われても、なんら違和感のない空気で、身動ぎ一つするのさえ難しい。

 この環境を直接味わって、タニアはディドが寝込んだ理由を理解した。

 ここでは、ただ呼吸をするだけでも、胎内から毒に冒されるようだ。脇に抱えた煌夜が気絶しているのは幸いである。起きていれば苦しいだけだった。


「…………グッ!? 何、これ……キツイ……」

「――ッ!? ディ、ディド姉様、大丈夫ですか?」


 遅れて入ってきたセレナも、ディドを支えるクレウサも、タニアと同じようにこの劣悪な環境に思わず口元を押さえる。


「大鷲――始めろ」

「げっげっげ!! 承知、承知!! 座標固定――――接続!!」


 一番最後に、ヤンフィが悠々と入って来る。

 ヤンフィはこの瘴気の中で、しかし平然と涼しい顔をして、暗闇のどこかに向かって命令した。すると大鷲が元気よく返事をして、空間を撓ませた。


「げっげっげ、げっげっげ! 接続、完了!! 空間装飾!!」


 大鷲の宣言と共に、グワァ――ン、とタニアを含めた全員の視界が歪み、無重力状態のように天地が逆転した錯覚をする。同時に、地震が起きているかのように足元が揺れ始めて、マユミでさえも苦悶の表情を浮かべた。

 しばしその揺れと歪みは続き、ヤンフィ以外の全員が青息吐息になったところで、ガキン、と重い金属が床に落ちたような音が響き渡り、暗闇が眩しく光に満ちた。

 ふと見渡せば、広がっている光景はどこかの王城を思わせた。

 床には重厚な赤絨毯がどこまでも真っ直ぐに敷かれており、廊下の端が見渡せないほど長かった。天井は巨人が歩いても問題ないほど高く、廊下の横幅も軽く二十メートルは下らないほど広い。


「げっげっげ、げっげっげ。現在、ラビリス上空、ラビリス上空!! 高度五千メートル!! 気を付けて、ヤンフィ様!!」


 そんな廊下の中央で、巨体の大鷲はヤンフィに跪いていた。ヤンフィは大鷲に一瞥だけして、脇を抜けて廊下を歩き出す。


「……大鷲よ。汝はどうするつもりじゃ? 妾に従うにしろ、従わぬにしろ――付いてくるのか?」

「げっげっげ、げっげっげ! 愚問、愚問、ヤンフィ様!! 大鷲、下僕で奴隷――奴隷は、命令ない限り、玉座で待機する使命!!」


 ヤンフィは首を傾げながら大鷲に問う。それに対して大鷲は、気色悪い声で叫びながら、用は済んだとばかりに飛翔した。

 一瞬の羽ばたきで天井ギリギリまで跳び上がると、笑い声だけ残してパッと姿を消した。


「往くぞ。留まればその分、瘴気に冒されるぞ? それと――出口は、どうやら街の上空のようじゃ。落下することを覚悟しておけよ?」


 大鷲が消えたのを見送ってから、ヤンフィが笑いながら歩き出す。しかし数歩進んだと思った瞬間、大鷲と同様に姿が掻き消えた。

 タニアは慌てて重苦しい身体を引きずりながら、ヤンフィの後を追う。


「……この空間は、突然、途切れます、かしら……気を付け、なさい、タニア」


 煌夜を抱えたまま駆け出したタニアに、ディドのそんな忠告が聞こえた。けれどそれを耳にした途端、パッと景色が切り替わり、足場がなくなった。

 宙に浮く感覚と共に、強く頬を打つ風がある。ふと見れば、足元にはどこまでも広がる蒼空と、雲海が見えている。当然ながら、それを認識した矢先に、重力に従ってタニアは落下を始めた。


「にゃにゃにゃ!? マ、ズイにゃ――魔装衣・天族!!」


 轟々と風を切る音を耳にしながら、凄まじい速度で雲海に突っ込む寸前、タニアは全身を魔装衣で包み込んだ。

 魔装衣は瞬く間に四対の翼を出現させて、飛翔形態を形作る。


「じゃから、覚悟しろと云うたじゃろぅ? まぁ、コウヤを手放さなかったことは誉めてやろう」


 間一髪で中空に留まったタニアに、ヤンフィが少し上から軽い調子で声を投げてきた。

 見上げれば、そこに床があるのかと錯覚するほど当然に、中空に浮かぶ玉座と寛いだ姿のヤンフィが居た。ちなみにヤンフィは、自前の魔力で玉座ごと宙に浮いている。


「――おい、タニア!! 私は浮遊系の魔術は扱えないんだ! 助けてくれ!!」


 すると、そんなヤンフィの脇を通り過ぎて、猛スピードで落下するマユミが見えた。マユミは平然とした顔で、強風に掻き消されないよう大声で助けを求めていた。けれど助けを求めている割には、その口調や態度は余裕であり、あまつさえタニアをしっかりと視認してもいた。

 恐らくマユミは、このまま地上まで落ちても無傷だろう。この程度で死ぬようであれば、それこそ足手纏いだ。とはいえ、仕方ない。腹立たしいが、タニアはマユミを追いかけてその腕を掴んだ。


「ぐ――にゃ!?」


 マユミの手を取った途端、想像以上の重みに肩が抜けそうになった。この重さは、マユミ自身というよりもその装備の重さのようだ。


「お前……ちょっと……重いにゃ!」

「それは失礼――竜骸甲が重くてね。だが、タニアならば余裕だろ? それとも、この程度で弱音を吐くくらいに非力なのか?」

「うるさいにゃぁ! 文句言うにゃら、落とすぞ!」

「失敬――助かる」


 重さの感触は、少なく見積もっても300キロ超はあるだろう。それだけの質量を支えて、体勢を維持する為に、タニアは魔装衣の出力を上げた。風に煽られて、実際の重さよりもずっと重く感じる。


「セレナは、どこにゃ?」


 タニアはとりあえずマユミを片腕で持ち上げて、セレナに押し付けようと姿を探した。


「ん、へ!? きゃ――ちょ、空!?」


 するとドンピシャリのタイミングで、セレナがパッと空に現れた。

 セレナも突然空中に投げ出されて、一瞬だけ仰天するが、すぐさま風属性の魔術を展開して、軽々と体勢を整えた。


「セレナ!! お前、マユミに風を付与するにゃ――あちしはコウヤで手一杯にゃ」

「は!? え!? って、ちょっと、いきなり投げないでよ!? もう――」


 ブン、と思い切りセレナに向かってマユミを投げた。

 かなりの速度で飛んでくるマユミを視認して、セレナは慌てた様子で魔術を展開する。瞬間、マユミの全身を柔らかい風の膜が包み込んだ。まるでシャボン玉のような風の膜は、ゆっくりと下降を始める。

 マユミは勝手知ったるとばかりに、身体を丸めて風の膜の中でリラックスしている。


「――来たか、クレウサ。ディドも揃ったようじゃし、それでは降りるとしよう」


 そんなやり取りをしていると、遅れてクレウサとディドが現れた。二人は最初から風の翼を展開しており、鳥のように空で待機している。

 クレウサたちを見たヤンフィは、うむ、と一つ頷いて、玉座から立ち上がると、返事など聞かずにそのまま地上へと足を踏み出した。


「……魔力で、足場でも作っているのか?」


 まるでそこに階段でもあるかのように、ヤンフィは一歩ずつ地上に向けて降りていく。その光景を見たマユミが思わず感嘆の声を漏らしていた。タニアもその台詞には同意だが、驚いても意味はない。

 タニアはヤンフィの指示に従い、魔装衣を羽ばたかせて、地上へ向けて弾丸の如く落下した。分厚い雲海に突っ込んで、ひたすら地上を目指す。


「――抜けたにゃ!」


 そうしてしばらくして、誰よりも真っ先に、煌夜を抱えたタニアが雲海を抜けた。一面真っ白だった視界が一気に開けて、地上に広がる街並みと急峻な山脈が姿を現す。

 眼下に広がる街並みは、乱雑に片付けられたおもちゃ箱のようだった。大きさ、高さが異なる建物が適当な間隔で立ち並び、歪な形の用水路、点々とした畑が見えた。主要と思われる太い通り道は、街中に点在しているが整っておらず、上空から見下ろす限りでは、動脈を思わせるほどグネグネと曲がりくねって煩雑だった。

 だが賑わっているのは間違いない。どの界隈を見ろしても、人波が認識できるほど、街は住民たちで溢れており、お祭りでもやっているのかと思えるほど活気ある声が響いている。


「……とはいえにゃ……どこに降りるにゃ? 真下は山肌にゃ……どうするにゃ?」


 タニアは真っ直ぐと地上に落ちている。しかしその進路上、直下には、緑豊かな山の斜面があり、少し離れたところに街の正門が見えていた。


『山間にある、木々が開けた場所に降りるぞ』


 どうするかにゃ、と頭を悩ましているとふいに、脳内でヤンフィの声が響いた。念話である。

 ハッとして、思わずタニアは振り返った。すると、優雅な足取りで雲海を抜けてきたヤンフィが、山肌の一角を指差していた。

 チラとヤンフィの示す場所を一瞥から、タニアはコクリと頷き、指示されるがままに羽ばたいた。

 ヤンフィが指差したその場所は、草木深い山肌の一角にあって、ひと際太い大樹を中心に、円形に開けた広場だった。その大樹に向かって、飛び掛かるようにして落下する。

 ドォオン、と爆発じみた轟音が響き、その太い大樹をなぎ倒すのみならず、地面を大きく抉ってクレーターを作りながら、タニアは煌夜を抱えたまま着地する。


「……タニア。アンタ、相変わらず豪快過ぎよ。コウヤを抱えてるんだから、もうちょっと丁寧に――」

「――コウヤ様は、無事、かしら?」


 タニアはクレーターの中心に座して、他のメンバーを待った。すると、呆れ顔のセレナが苦言を口にしながら下りてきた。それと同時に、飛び掛かる勢いでディドがタニアに迫ってくる。やや遅れて、風の膜に包まれたマユミと、クレウサが着地した。ちなみに煌夜は無傷で、気絶したままである。


「ふむ。汝ら全員、無事のようじゃが、体調も問題なしかのぅ?」


 タニアは気絶した煌夜を介抱するディドを睨んでから、最後に地上に降りてきたヤンフィに顔を向ける。大丈夫にゃ、とアピールしたかったが、瞬間、グラリと眩暈がする。

 思ったよりも身体の内側に瘴気が溜まっているようで、落ち着いた途端に暴れ出していた。この気持ち悪さは、酩酊した時の感覚に似ており、魔力酔いにも近い。


「……こんな感覚は初めてだな。疲労は感じないのに、脚に力が入らんし……平衡感覚もぐらついている……」

「酔っ払ったみたいにゃぁ……」

「酔う? これが、酔う、感覚か……?」


 マユミがよろめきながら、そんなことを愉しそうに呟いている。その台詞を聞きながら、タニアは、ああそういえば、と得心した。マユミは自らを異常無効体質と豪語していたので、恐らく酩酊の感覚を味わったことがないのだろう。初めての感覚に戸惑っているようだ。


「にゃはは……吐きそうにゃけど、まぁ、寝込むほどじゃにゃいかにゃ」

「ふむ。タニアでも、そうなるか――セレナとクレウサはどうじゃ?」


 タニアの弱音に頷いたヤンフィは、平然とした表情のセレナに問うた。セレナは首を傾げながらも、山の頂に視線を向ける。


「……あたしは、そんなに影響はない、かな――というか、たぶんこの森のおかげで回復できてるっぽいわね。この山、きっと月桂樹があるわ。恐らく、妖精族の集落もあるわね」

「ほぉ? 妖精族の住処が、のぅ――ここは大丈夫か?」

「ええ。この周辺は境界の外側みたいね。けど、今も視られてるから、下手なことすると面倒になると思う……」


 セレナは山の頂に顔を向けたまま、視線だけ斜め横にずらす。山肌が露出した岩場付近を見ているようだが、そこには何もいない。


「……なるほどのぅ。妾でさえ、集中しなければ見つけられぬ隠遁術じゃのぅ」


 タニアには見付けられなかったが、どうやらセレナが見詰める先に、何者かが居るのは間違いないらしい。ヤンフィが感心した声で頷いている。

 ところで、反応しないクレウサを見ると、彼女は俯いてその場に膝を突いていた。クレウサも瘴気に中てられたようで、万全の状態ではなさそうだ。


「――さて、そろそろ動くぞ。ここから街に降りて、コウヤを安全な場所に寝かせてやらねばならぬ」


 しばらくしてから、ヤンフィが振り返り、往くぞ、と大声で号令をかける。

 応じるようにディドが煌夜を抱き起して、小さい子供を抱え込むように抱き抱える。恋人同士が抱き合うようなその恰好に、タニアはチッと舌打ちをして、煌夜を力尽くに奪い取り脇に抱えた。


「タニア……貴女、コウヤ様をそんな雑に……」

「お前、フラフラじゃにゃいか。そんにゃ状態じゃ、あちしが運んだ方がずっと安全にゃ」


 煌夜を奪われたディドが、虚ろな双眸でタニアを睨む。それを無視して、タニアは米俵を抱えるように脇に挟んで持ったまま、ヤンフィに先んじて山を下り始めた。

 そんなタニアの背中を眺めながら、ヤンフィはマユミに問い掛けた。


「マユミよ。ところで【国境の街ラビリス】とは、どのような街じゃ?」

「どのような、ね――そうだな。雑多な街、というのが一番適切かな。国境に位置するから、あらゆる地域の商品が揃い、人種差別がないことから、あらゆる人族が生活してる。ただし一方で、冒険者という肩書を持つ者にとっては、生きにくい街だ。冒険者ギルドが置かれておらず、冒険者ってだけで犯罪者扱いされる街でね。常駐するラビリス騎士団が治安維持の名目で街を統治している」

「……ほぉ? ラビリス騎士団……それはどんな連中じゃ?」


 マユミはヤンフィと話しながら、タニアの後に従って山を下り始めた。


「どんな、か――頭の固い下衆連中さ。ちなみに騎士団を名乗っているが、連中は、領主が金で雇った傭兵でしかない。連中の意義としては、街の治安維持と領主の権力を護る為に存在してる」

「そんな連中がどうして、冒険者を差別するのじゃ?」

「一方的な逆恨みだよ。ラビリス騎士団の連中は、もとをただせば冒険者に()()()()()()り、冒険者として活躍出来ず資格を剥奪された傭兵たち――それも、犯罪者として捕縛されてた奴がほとんどだ。だから、どいつもこいつも冒険者に対して、大なり小なり恨み節がある。それに連中は普段から、私利私欲を優先する無法者だし、領主の権力を最大限利用して我欲を満たすことに熱中する下衆連中だ。そんな連中にとって見れば、依頼内容によってはあらゆる法を超越出来る冒険者って存在は、目障りでならないのだろ」

「……にゃあ、マユミ。ラビリス騎士団の連中は、冒険者かどうかにゃんて、どうやって調べるにゃ?」


 ムッとした表情でタニアは問い掛けた。その質問に、マユミは不敵に笑いながら答える。


「基本的に調べることはしない――が、冒険者然とした恰好や振舞いをしていると、当然ながら尋問の対象になる。だから、タニアは行動に要注意だな。ラビリス騎士団を見付けたら、絶対に関わらない方が良い。また、もし見つかっても、すぐさま逃げるのが最善手だ」

「にゃんだそれ! そんにゃ横暴、許されにゃいにゃ! 尋問にゃんて無視にゃ――」

「――それだけ冒険者に厳しい街なんだ。ちなみに、無視してもいいが、すぐさま騎士団全体に命を狙われるぞ? ま、狙われたところで怖くはないが、わざわざ大ごとにすると面倒だ。住民票取得にも影響するだろうしな――逆に考えれば、ラビリス騎士団にさえ気を付ければ、妖精族だろうと天族だろうと、どんな人族でも何一つ制約がない自由な街でもある」


 マユミの台詞にタニアは訝しげな視線を向けたが、議論しても仕方ない。気持ちを切り替えて、街に向かことを優先する。


「ところで、マユミよ。ラビリス騎士団とやらは、視てすぐ判るのかのぅ?」

「……さあ? 一応、鎧の胸元に紋章を付けていることが多いな。紋章は、真円と三つの剣が重なった形だったはずだが、正直なところよく分からん。紋章を付けるのは義務ではないし、そもそも団長格になると鎧さえ装備していないことが多い」

「それでは、どう気を付ければ好いのじゃ?」

「――タニアと必要以上に親しく付き合わないこと、かな。仲間と思われると、色々と厄介だ。無論、問題も起こさない前提だが――あと、イチャモンを付けられたら、抵抗しないことだな。無抵抗でさえいれば、最悪、五日間ほどの拘束だけで済む。どうせ住民票の手続きなどで、十日間は滞在しなければならないのだから、拘束されても静かに過ごしてくれ。嗚呼、ちなみに、タニアは必ず尋問されて、拘束されるはずだから、どこか落ち合う場所を決めておきたいな」

「にゃんだと!? にゃんで、あちしが捕まる前提にゃ! 喧嘩売ってるにゃか!?」


 マユミの物言いに、タニアは鋭い怒気をぶつける。しかし、そんなのどこ吹く風と、マユミは涼しい顔をしていた。

 ヤンフィがジト目をタニアに向けながら首を傾げる。


「タニアが捕まると云うのはつまり、顔を知られているのぅ?」

「その通り――タニアはラビリスでは、獣王国内と同じくらいに有名なんだよ。ここは、聖王国テラ・セケルより獣王国ラタトニアの方が距離が近いからな。獣王国の第一王女であり、数百年ぶりの先祖還りであるタニアは、生まれた時から騒がれていた。天稟に溢れて、誰よりも麗しい美姫……だが同時に、自由奔放な【暴れ姫】として、ね。だから『タニア・ガルム・ラタトニア』の逸話は、街中に数多く溢れているし、肖像画もあちこちで販売されてるほどだ。だから当然、タニアが国外追放されてから、世界を巡る冒険者になったって事実は、誰もが知るところだ」

「……なるほど。となれば、タニアと行動を共にしておったら、間違いなくラビリス騎士団に眼を付けられると云うことかのぅ?」


 ヤンフィの問いに、マユミは力強く頷いている。しかし、そんな失礼な話があってたまるか、とタニアは猛然と憤慨する。


「そんにゃわけにゃいだろ!! あちしが有名にゃのは事実としても、にゃんで、何もしてにゃいのに捕まるにゃ!!」

「何もしていない? 確かに、まだ何もしていない―――だが連中は、問題を起こす可能性、自分たちに害を齎す危険性がある人間を排斥する連中だ。いいか、タニア。ラビリス騎士団が嫌がるのは、権力を持つ外様の人間であり、同時に、法に従わない冒険者だ。癇癪を起して街一つを潰した【大災害】の異名と元王族という肩書を持つ冒険者タニアは、コントロール出来ない爆弾だ。だから連中は、タニアの存在を厄介者だと認識している。姿を見付けたら、まず尋問して難癖付けて拘束するだろうな」

「……にゃぅ……」


 マユミの説明を聴いても甚だ納得できないが、状況は理解出来て、タニアは押し黙る。そんな二人のやり取りを見て、セレナが疲れた表情のまま苦笑している。


「――ならば、一旦、タニアだけ先行して街に入れ。妾たちは時間差で街に入る。合流場所は、どこかの宿屋が好いが、どうじゃ?」


 ヤンフィは言いながら、タニアが脇に抱えた煌夜を、ペチペチと軽く叩いた。運ぶ相手を変えろ、と眼で訴えてくる。

 タニアは悔しそうに歯噛みしつつも、特に逆らわずヤンフィに煌夜を手渡した。


「宿屋ならば、街の中央にある『龍神館』という宿屋がいい――私が良く利用する宿だ」

「好し。それではタニアよ。マユミの云う『龍神館』で待つ。極力問題は起こさぬよう、抵抗はせずに落ち着き次第、合流せよ」

「……はい、にゃぁ」


 それからしばらく歩くと、平坦な地面が続き、ようやく森が開けた。

 タニアは森と街道の境界線で足を止めて、遅れて歩いてきたヤンフィたちに振り返る。

 ヤンフィたちは街道の先に見える巨大な門を眺めてから、マユミに首を傾げる。


「あの門が、国境の街ラビリスの入口かのぅ?」

「そうだ――うん。やはり西門、だな。聖王国テラ・セケル領側の東門じゃないから、そこまで検問は厳しくないだろう」


 マユミが目を凝らして、街道の先で聳え立つ巨大な門を指差した。門の上部には、西域側と文字が書かれているのが見える。つまりは、竜騎士帝国ドラグネス側の門である。


「んにゃぁ……じゃ、あちし、先に行ってるにゃ」


 タニアはポリポリと頭を掻きながら、軽い足取りで街道に足を踏み出した。するとちょうどその時、街道の南側から幾つもの馬車が走ってくるのが見える。


「おい、タニア。くれぐれも検問で暴れてくれるなよ? 私たちが通り抜けるのに、厳しくされたら困るからな」

「うるさいにゃぁ――あちしが通り抜けたのを確認してから、来ればいいだけにゃ?」


 歩き出すタニアの背中に、厭味ったらしくマユミが叫ぶ。それに舌打ちをしながら、振り返らずに門に向かって歩いた。

 チラと空を見上げれば、そろそろ陽が沈み始める頃合いだった。

 サッサと宿屋に入って、ゆっくりミルクでも飲みたいにゃ、とタニアは溜息を漏らした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 タニアが遠ざかっていくのを見送りながら、ヤンフィは近くの大木の幹に煌夜を寝かせた。すると、当然のように煌夜の隣に、ディドが腰を下ろす。

 図らずも休憩のタイミングになり、クレウサもマユミも安堵の吐息を漏らしている。先ほどまで平然としているように見えたが、想像以上に大鷲の瘴気に中てられていたらしい。


「……ところでマユミよ。先の話は本当か?」

「どの話、だ?」

「十日間は滞在しなければならない、と云う点じゃよ」


 ヤンフィは大木に背を預けるマユミに殺気を篭めた視線を向ける。

 急いでいる道中で、十日間もの待機は想定外でしかないし、そんな悠長な旅をしたくないからこそ、竜騎士帝国ドラグネスに明るいマユミを連れている。

 そんなヤンフィの憤りを理解したうえで、しかしマユミは苦笑しながら釈明を始めた。


「生憎、それは事実だ。それも最短手続き、でね――」

「――何故、それほど時間が掛かる?」

「…………そんな殺気を中てないでくれ。いま説明するよ」


 ヤンフィの鋭い殺気に、マユミが嬉しそうな顔で両手を上げた。


「確かに、下級国民の住民票取得なら、割とすぐに発行出来る。それこそ二日もあれば――だが、私たちの目的は観光ではないだろ? 目的地も、帝都オーラドーンか、軍都ペンタゴンだ。ならば、少し時間が掛かっても、入口であるラビリスで『上級国民』の住民票を取得するべきだ」

「下級、国民? 上級国民? 何じゃ、それは?」

「竜騎士帝国ドラグネスってのは、裏側で選民主義が横行している国でもある。ドラグネス帝国民は住民票を持つが、実はこの住民票はランク付けされている。ランクは五つ……国内で生計を立てる権利と貧民層での居住権を持つ『下級国民』。国内の主要施設で働く権利、だいたいの区画に出入りできる権利を持つ『上級国民』。帝国幹部と謁見出来る権利を擁する『栄誉市民権』。王族との会食が許されて、軍保有の施設の出入りを許される『聖級国民』。そして王族である『帝国民』――このうち、最低でも『上級国民』以上の住民票がなければ、雷帝ダーダム・イグディエルには、手を届かせるどころか、顔を見ることさえ叶わないだろうな」


 ヤンフィは、なるほど、と憮然とした表情のまま頷いた。

 急いでいる煌夜の意向を汲んで、一刻も早く帝都オーラドーンに向かいたい気持ちだが、後々のことを考えてしっかり準備しておくべきか――悩ましいところである。とはいえ、そもそも煌夜の弟妹が、どうなっているか分からないのも事実だ。そう考えると、マユミの言葉通りに、出来る限り動き易くしておくことに越したことはないかもしれない。

 ヤンフィは逡巡しながら、マユミに続けて問う。


「……その『上級国民』の住民票が、取得に十日間掛かるのかのぅ?」

「いや、正確に言えば違う。『上級国民』の住民票だとしても、取得するのに五日もあれば充分だ――が、ヤンフィ様含めて、貴様ら全員の住民票を取得する為には、剣神会のツテを使わないと無理だ。そのツテというのが、ま、五日間前後掛かる想定だから、都合十日間だな」

「…………嘘、ではないのぅ」

「勿論、嘘偽りなしさ――隠し事もないぞ?」


 ヤンフィは魔眼の力でマユミを見通す。その視線を真っ直ぐと見返して、マユミはおどけた表情で首を傾げていた。

 確かに、感情の揺らぎは全くなく、その言葉に嘘はないだろう。企みの色もないことから、真実を喋っていると理解する。ならば仕方ない、とヤンフィは納得して頷いた。


「あ――タニア様が暴れております」


 その時ふと、クレウサが呟いた。

 見れば、門のところで検問を受けていたタニアが、どうしてか、遅れてきた馬車を破壊する大立ち回りを見せていた。そして、検問の兵士がどんどん人数を増やして、暴れ狂うタニアを抑えようと必死になっていた。


「彼奴、何をやっておる……」

「嗚呼、そう言えば忠告していなかった。ラビリス騎士団の連中は、他者を挑発するのが非常に巧い。言葉巧みに人を煽って、手を出させる術に長けている――気を付けてくれ」


 マユミはしてやったりと愉しそうに笑いながら、そろそろ向かおうか、と森から足を踏み出す。


「なるほどのぅ……まぁ、確かに。好い具合に場が混乱している方が、妾たちの検問はおざなりになるじゃろぅ」


 わざとタニアに伝えていなかったマユミの意図を悟って、ヤンフィも薄く笑いながら歩き出す。

 往くぞ、と背後に号令をかければ、億劫そうにセレナが続き、ディドが煌夜を抱えて立ち上がった。


「タニアが、怒り狂ってるわ――大丈夫、あれ?」


 セレナがうんざりとした顔で、遠目に繰り広げられる大乱闘を見て呟いた。

 タニアは次々と現れる門番を圧倒的な武力で吹っ飛ばして、門の入口から少しずつ遠ざかりながら、竜巻の如く荒れ狂っている。

 しかしそのおかげで、もはや門の検問は意味を為さず、タニアの後から現れた馬車や通行人は、必死の形相で脇を抜けて街中に入っていく。

 この機に便乗して通り抜ければ、検問なしに通れるだろう。


 好い仕事をする、と心の中で絶賛しながら、ヤンフィたちはタニアの暴れっぷりを横目に門を通過した。思った通り、門番たちは通行人を相手にする余裕もなく、全員、何の検問もなく素通り出来た。


 はてさてこうして、無事にヤンフィたちは【国境の街ラビリス】へと入国したのである。

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