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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十一章 原点回帰
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第八十四話 夜明け来たりて

2022/12/20 タイトルに話数抜け→修正

 無自覚に攻撃してくる煌夜を溺れさせて、セレナは水面に顔を出す。


「タニア、ちょっと! コウヤが意識を乗っ取られたっぽくて、あたしじゃ回復出来ないわ!」

「――にゃ!? にゃにを遊んでるにゃ! あちしも、いま忙しいにゃ!!」


 見上げれば、タニアが空中で少鷲の背中にしがみつき、その太い首を物理的に絞めていた。

 少鷲は【対抗魔術(カウンターマジック)】としか思えない特殊な能力で魔術を打ち消している。その魔術打ち消し能力は、タニアの魔装衣さえ打ち消すほど優秀なものだ。だから、タニアは魔力強化せず腕力だけで戦っていた。

 セレナはその馬鹿みたいに原始的なじゃれ合いを見上げながら、意識を失ってなお動きを止めない煌夜をとりあえず地面に放り投げる。白目を剥いた状態の煌夜は、信じ難い握力でもってセレナの肩口を抉ろうとしていた。


「……くそ、結構な深手じゃない、あたし……まぁ、この程度なら癒せるけど……コウヤの精神支配のがマズイわ……」


 セレナは煌夜に貫かれた腹部を触り、治癒魔術を展開する。見た目の割にはそれほど重傷ではない。けれど、決して軽傷でもないので油断はしない。

 ふぅ、と深呼吸してから、放り投げた煌夜の状態に意識を向けた。煌夜はセレナと違って、大事はなさそうだ。綺麗に気絶している。

 しかし明らかに意識がないのに、煌夜は、幽鬼の如く立ち上がり、紅蓮の灼刃(レヴァンテイン)を右手で無造作に構えていた。その全身からは水が滴り、紅蓮の灼刃からはセレナの血が滴っていた。


「……意識だけ乗っ取ってる? ヤンフィ様の時みたいに凄みはないから、怖くないけど……迂闊に攻撃出来ないじゃない」


 セレナは煌夜のぎこちない構えを見て溜息を漏らす。あの様子であれば、取り押さえるのは難しくはないだろう。幸いにして、紅蓮の灼刃が炎を纏っていないことから考えても、ヤンフィが操る時の異常な強さを発揮することはないはずだ。


「――この異世界人、動かし難いなぁ……何か、制約でもあるのかな? 剣技の知識があるのに、まったく身に着いていないし……」


 煌夜が首を傾げながら、紅蓮の灼刃を数度素振りする。白目は剥いたままで、口も半開きだが、口調はしっかりしていた。

 精神の乗っ取り、というセレナの見立ては正しいようだが、その様子から察するにまだ完全に肉体操作を奪えてはいないらしい。とはいえ、意識はないので、そう遅くないうちに掌握されるだろう。


「ギャギャギャ、ギャギャギャ!! レーヌ様!? いつの間に、ここに!?」

「にゃ!? コウヤ、どうしたにゃ!? セレナ、お前、何やってるにゃ!」


 上空でもつれ合って奮闘している少鷲とタニアが、地上のセレナと煌夜に叫ぶ。それに対して煌夜の身体にいる何者かが返事をした。


「少鷲、キミ、そのまま獣人族と遊んでてよ――ボク、先に妖精族を仕留めちゃおうかな」


 煌夜の身体を操る何者かは、セレナに向き直り紅蓮の灼刃を横に寝かせる。その構えだけ見れば堂に入ったもので、ヤンフィを彷彿とさせる隙のない見事な構えだった。

 ただし、放たれる威圧や覇気は比べるべくもない。セレナにとって脅威にはなり得ないだろう。


「あたし、肉弾戦は専門じゃないんだけどなぁ……タニア、そっちは任せたわよ。コウヤはあたしで何とかするわ」

「怪我させるにゃよ!?」

「致命傷以外は責任とって治すわよ」


 セレナはジクジクと出血する腹部を撫でながらも、余裕の表情を浮かべて煌夜の身体を操る何者かと対峙する。何者かは眼を閉じたまま、深く長く呼吸をしてセレナに身体を向けた。

 何者かの威圧はそれほど強くないが、どこか得体の知れない空気を纏っている。迂闊に攻めると手痛い反撃を喰らう可能性があるだろう。

 セレナは慎重に警戒して、癒しの風で全身を包み込みながら、正面に薄い水の膜を展開させた。


「おや? へぇ――キミって、治癒魔術師なんだ? しかも無詠唱で、精度の高い【水壁】を即時展開なんて――失礼、失礼。侮ってたよ。もっと雑魚だと思ってた」

「そりゃどうも……ってか、コウヤの姿で言われると腹立つわね」


 セレナは眼を細めながら、無造作に踏み込んでくる何者かを注視する。何者かはセレナの展開した水壁に触れて、瞬間、当然のようにそれを消滅させた。


「――はぁ!? ちょ、何、それ!?」


 セレナの水壁は水属性の中級魔術とはいえ、魔力密度は上級に匹敵する。それを一瞬にして中和、打ち消して見せたのだ。しかも何らかの魔術を展開した形跡はなかった。

 煌夜を乗っ取った何者かが強いのは理解出来る。けれど、これは予想の斜め上過ぎる。何が起きたか不可思議でしかない。

 得体が知れない――咄嗟に、セレナはバックステップして距離を取った。

 そもそもセレナは、何者かを倒すつもりも、ましてや殺すつもりもない。敵が煌夜の身体を支配している以上、最大の目的は行動不能であり、次いで、自らが怪我をしないことが優先である。最悪逃がしたところで、きっとヤンフィが何とかするだろう。

 だからこそ、組み伏せて行動不能にしようと考えていたのだが、こうなったらもう逃げに徹するのが吉だ。そんな打算をしながら、セレナは上空のタニアと少鷲を意識した。

 タニアはいまだに、少鷲の背中にしがみついてじゃれ合っている。


「キミ、ボクを前に、余所見する余裕あるの? ボクを侮ってるの?」

「……侮るとか、何の話? アンタはコウヤの身体を奪ってるんだから、あたしは迂闊に手が出せないじゃない。圧倒的に有利な状況で踏ん反り返ってるくせに、何様よ、アンタ?」

「ボクはレーヌ・ラガム・フレスベラン。破滅の魔女って呼ばれてるよ。キミたちが探してたライム・ラガムの器に宿っていた者さ。今はこの『コウヤ』って異世界人の器だけどね」


 レーヌを名乗る何者かは、挑発的にそう言いながらふと前傾姿勢になった。次の瞬間、それなりの速さで、紅蓮の灼刃をセレナに向けて突撃してくる。

 セレナはそんな突進を前に、一瞬だけ呼吸を挟んでから、大仰に飛び退いて距離を取った。

 底の見えない得体の知れない相手が接近戦を選択した時点で、まともに受けるのは悪手だ。セレナは極めて冷静に、受け身の行動を選択した。


「へぇ――思いのほか、キミって冷静なんだね」


 レーヌはセレナの跳躍に反応出来ず、剣術の欠片もない稚拙な動きで紅蓮の灼刃を横薙ぎに振るい、その勢いを殺せずコケていた。無様な格好だが、それで油断などしない。

 セレナは警戒心露わに、レーヌの次手を注視する。


「当たり前でしょ? アンタが乗っ取ってる身体は、何を置いても優先して護るべき存在なのよ。それに得体の知れないアンタ相手に、油断するかっての……ってか、そんな安っぽい挑発に乗るほど、あたしはタニアじゃないわよ?」

「んにゃ!? にゃにを――セレナ! お前、あちし馬鹿にしてるにゃか!?」


 受け身も取れずコケたレーヌは、しかし何事もなかったような様子で立ち上がり、また見事な姿勢で紅蓮の灼刃を構えた。

 レーヌは上空で悪態を吐いているタニアをチラと見てから、不敵な笑みと共にボソリと呟いた。


「……思いのほか手強いな」


 不気味な笑みを浮かべたレーヌに怪訝な表情を向けて、セレナは一歩、さらに後方へと距離を取る。意図の読めない相手を前に、軽率な行動はしない。それでなくともセレナの実力は、現時点で煌夜を除けば、パーティ内で最弱だ。敵を侮る余裕などないし、油断すれば足手纏いになってしまう。

 それを自覚しているが故に、セレナは攻めるのではなく護ることに注力していた。


(……というか、あたしが油断したら、コウヤが死ぬかも知れないじゃない)


 セレナは慎重に状況を見ながら、そんなレーヌと対峙する。そうこうしているうちに、そろそろセレナの傷が完全治癒できそうだ。


「キミ、そこそこ体術出来るんでしょ? なのに、どうしてボクを組み伏せようとしないのかな?」

「それ、罠でしょ? わざわざアンタの思い通りに動くわけないでしょ?」


 紅蓮の灼刃をブンブンと振り回しながら、レーヌは笑みのまま露骨な挑発を繰り返す。そこまで露骨ではさすがに警戒を強めるしかない。

 セレナは、一刻も早くタニアが戻ってきて何とかしてくれないか、と他人任せなことを考えていた。


「ギャギャ――――ッ!?」

「――これで、終わりにゃ!!」


 その時、ボギリ、と骨が砕ける音が鳴り響き、タニアを背中に乗せた少鷲が落下してきた。少鷲は首をあらぬ方向に曲げており、片翼がむしり取られていた。その首は折れているが、まだ生きている。タニアが殺さず無力化に成功していた。


「……少鷲。キミ、ふざけてるのか? 魔装衣なしの獣人族に、腕力で負けないでくれよ――って、おや?」


 地面に落下した少鷲を見て、レーヌが呆れ顔を向けた。そんな視線の先で、タニアが無傷のまま元気よく着地している。土煙がもうもうと上がっていた。

 その土煙を横目に、セレナはふいに現れた気配に意識を向ける。気配は凶悪で、思わず背筋が凍るほどの威圧であり、かつて味わったことのある絶望的な視線だった。その強烈な気配の出どころは、タニアとセレナが飛び出してきた城壁の穴からであり、真っ直ぐとレーヌに向けて放たれている。

 その凶悪で強烈な殺気に気付いて、レーヌは苦笑を浮かべていた。現れたのはヤンフィである。


「――問うまでもないが、確認じゃセレナ。コウヤは取り憑かれておるのかのぅ?」


 ヤンフィの口調は、セレナに肯定以外の答えを許さないものだ。だが、そんな威圧を放たなくとも、セレナが嘘を言う必要はない。


「あ、えと、はい。コウヤの身体が乗っ取られています。コウヤに意識はありません。やむを得ず気絶させましたから――」

「それは重畳じゃ。それで、其奴はどれほど動けるのかのぅ?」


 城壁の穴から身を乗り出したヤンフィは、レーヌを注視しながら音もなく着地した。そんなヤンフィに、レーヌは白けた表情を向ける。


「……魂喰らいを、どうしたの? 撃退したなら、ボクが分かるはず……まだ魂喰らいは、間違いなく生きてるよ?」

「おいおい、何が起きたか手の内を明かす馬鹿がおると思うか? 汝は学習せぬのかのぅ?」

「――――なるほどね。幻術かな? 魂喰らいに効くほどの幻術を持っていたなんて、侮ったかな」


 ヤンフィはセレナを手で制しつつ、ジタバタもがく少鷲を抑えているタニアに視線を向けた。対峙するレーヌは動きを止めて、疲れたように溜息を漏らしていた。


「ギャギャギャ、ギャギャギャ!! レーヌ様。ヤンフィ様相手に、その身体じゃ無理!!」

「少鷲、少し黙れよ。妾がここにいる時点で、汝らに勝機はないのじゃ。もはや抵抗することは許さんぞ――タニア、もう充分じゃ、其奴から離れよ」


 ヤンフィは吐き捨てるように言って、視線さえ向けずに少鷲を指差した。途端、地上から鎖が出現して、少鷲の巨体を縛り上げて地面に縫い付けた。それは強力な魔力鎖であり、物理的な実体をも伴っていた。


「ギャギャギャ!? グ、グレイプニル!?」


 暴れていた少鷲は、その鎖にがんじがらめにされると途端に身動きひとつ取れなくなる。タニアはヤンフィの指示でサッと飛び退いて、さりげなくセレナの脇に移動している。


「はぁ……まぁ、でも、想定外だけど、悪くはないかな? ボクがやることは変わらない。まだ夜明けにも長いから、この身体を人質にキミたちの誰かを喰らえばいいだけ――」

「――妾の本体を前にして、本来の器にない汝にそれが出来ると思うか? 舐めるなよ?」


 レーヌが肩を竦めておどけた瞬間、ヤンフィがギラリと鋭く睨み付けた。その威圧は衝撃波の如く周囲の空気を振るわせて、対面しているレーヌを恐怖で硬直させる。


「……舐める、なんてないよ。だいたいボクは、最悪、ライムの器に戻れば――あれ? へぇ? まさか、この身体――」

「――ようやく気付いたか? そうじゃ、コウヤの身体は妾と契約しておる。じゃから、入ることは容易でも、出るのは困難じゃぞ?」


 硬直しているレーヌは、表情を凍り付かせて、信じられない、とばかりに眼を見開いた。その反応に、ヤンフィが愉しそうな笑みを浮かべる。

 セレナとタニアには何が起きているのか分からなかったが、煌夜の身体を乗っ取ったレーヌに何か想定外の事象が発生したことは理解出来る。しかもそれは、ヤンフィの思惑通りなのだろう。


「隷属契約、か……魔王属を使役してるのか……異世界人っていつも興味深い能力を持ってるけど、この身体は特にボク好みだね……チッ――魂を喰らいたかったなぁ」

「残念じゃのぅ? 汝の望みは叶わぬ。コウヤの身体では、妾の【桃源】を跳ね返すほどの運命は持ち得ぬようじゃのぅ?」


 凍り付いたように硬直しているレーヌに、ヤンフィがカラカラと高笑いを上げる。

 セレナたちには戦況がいまいち理解出来ないが、確実なのは、圧倒的にヤンフィ有利であることだ。セレナは念のため、巻き込まれないよう物陰に移動した。


「にゃあ、ヤンフィ様? コイツ、どうするにゃ? コウヤの身体を乗っ取ってるにゃら、攻撃も出来にゃいにゃ」

「……うんうん。ボクとしては、このまま何もしないで欲し――」

「――セレナ。瀕死のディドが、付近に居るはずじゃ。汝はディドを連れて来い。タニア。汝は少鷲の嘴を破壊しておけ。其奴が得意とする魔力消失空間を展開されると、レーヌ・ラガム・フレスベランの精神体を逃しかねん」

「――いけど、無理か……厄介だよ、まったく」


 レーヌの軽口に対して、カラカラと笑っていたヤンフィは一転して真面目に、セレナとタニアに指示を出した。

 セレナは慌ててシャキッと立ち上がり、はい、と返事して辺りを見渡す。気配を探ると、覚えのある魔力波動が微かに感じられた。数軒ほど隣の路地裏で、いまにも倒れそうな気配が一つある。

 タニアもヤンフィの命令を聞いて、にゃ、と力強く返事する。そして、すぐさま躊躇なく少鷲の嘴に拳を振り下ろした。魔力を篭めていないにも関わらず、その一撃は轟音を響かせて、嘴を叩き割った勢いそのまま地面を抉った。


「ギャギャギャ――ッ!!!」

「うるっさいにゃぁ……」

「おいタニア、くれぐれも殺すなよ。殺すと転生して蘇ってしまうからのぅ」


 嘴を割られて、無残に血を撒き散らす少鷲を横目に、タニアは強く頷いていた。その光景を憎たらしそうにレーヌが眺めている。

 ヤンフィはそんなレーヌに右の掌を向けて、魔力を集中させた。ヤンフィの全身から魔力の光が溢れて、レーヌの身体に纏いつき魔力の糸で繋がる。一瞬だけ、ビクンとレーヌが身体を痙攣させる。


「さて、妾に出来ることは、汝をコウヤの器から逃さぬことじゃ――汝を自らで封印出来ぬのが、何よりも口惜しいのぅ」

「へぇ? それはとっても良い情報だね。じゃあ、ボクは隙を見つけて脱出すれば良いのか……不可能じゃあないね」


 レーヌとヤンフィのそんなやり取りを背中で聞きながら、セレナは指示通りに、微かな魔力波動を追い掛けて数軒隣の路地裏へと急いだ。

 狭く汚れた路地裏には、壁にもたれ掛かるようにして青色吐息になっているディドがいる。

 ディドはいまにも死にそうな顔面蒼白で、呼吸は浅く眼も虚ろである。魔力は風前の灯火に思えるほど微かで、枯渇寸前だ。けれど幸いにして致命傷は見当たらず、魔力枯渇と疲労で限界な様子だ。


「……クレウサは?」


 セレナは駆け寄ってディドの身体を抱き起してから、周囲を見渡した。だが周囲には人影一つない。ディドと一緒に、交戦していたクレウサの姿が見えない。

 まさか死んだのか――と、首を傾げた瞬間、ディドがフッと笑った。


「……クレウサは……ここに、居る、かしら……」


 普段の冷徹な鉄面皮からは想像も出来ないほど柔らかい笑みを浮かべたディドに、セレナは思わずドキッとしてしまった。刹那、ディドの身体が淡く光って、セレナの腕からディドの身体がすり抜ける。

 どういう原理か、気付けばその場には、ズタボロになったクレウサと、同じくズタボロのディドが転がった。二人とも完全に気絶しており、どう見ても致命傷を受けている。


「は――え? ちょ、ちょっと――もう! 『癒しの風よ。彼の者に活力を与えよ』」


 セレナは気絶した二人の身体を慌てて確認すると、その重傷さに頭を抱えた。一刻を争うほど致命的な状態である。

 二人ともパッと見ただけでも、内臓が破損しており、魔力核に傷が付いているのが分かった。正直、セレナで完治できるか自信がない。けれど、すぐさまそんな弱気を払拭して、ひとまず応急処置をすべく治癒魔術を施した。

 ヤンフィに、連れて来い、と言われている以上、一刻も早く回復させて、レーヌたちのところに戻らなければならない。


(頼むから死なないでよ……死んだら、あたしがヤンフィ様にどんな罰を与えられるか……)


 ディドたちを助けたい気持ちは嘘ではない。だが純粋に助ける為が理由ではなく、ヤンフィに怒られたくないという気持ちで、セレナはディドたちを同時に癒す。


「……くっ……ここ、は……?」


 ほどなくして、内臓と肉体の破損が著しかったクレウサの方が先に目覚めた。

 クレウサの外見上はディドと比べて深手を負っていたが、幸いにも魔力核への損傷が少なかったようで、スムーズに回復に至っていた。とはいえ、まだまだ喜んでなどいられない。


「クレウサ。意識があるなら、アンタはもう宿屋に戻ってよ。回復はさせたけど、魔力が枯渇寸前なのは流石に癒せないわ……悪いけど、ここでは足手纏いでしかないわよ」


 朦朧として辺りを見渡すクレウサに、セレナはピシャリと事実を告げてディドの治療を続けた。ディドは想像以上に、内臓の損傷と魔力核の破損が激しかった。


「……ディド、姉様は……どうなって……?」

「死にはしないわよ――けど、かなり厳しいわね」


 真剣な表情でクレウサの不安を煽ったが、しかし実際のところ、もう峠は超えていた。厳しいのは、ヤンフィの力になれるかどうかである。ディドは依然として、意識が戻っていない。


「……かなり疲労も蓄積してるみたいね」


 クレウサの心配そうな表情を横目に、セレナはグッタリして目覚めないディドに治癒を続ける。


「ヲォオオ――ッ!!」

「――え?」


 ふとその時、セレナたちのいる狭い路地の正面に、甲冑姿の蜥蜴人間がけたたましい雄叫びを上げながら現れた。

 蜥蜴人間は片手に錆びた銅剣を持ち、凄まじい威圧と殺気を放っていた。空気をビリビリと震わせる威圧と風格、恐怖を纏うその容貌は、間違いようもなく魔貴族である。


「ア、アベリンリザード……」


 真っ先に驚愕したのはクレウサだ。

 クレウサは疲労困憊の身体を奮い立たせて、セレナとディドの前に立ちはだかる。治癒したばかりで満身創痍だというのに、セレナを護る気概のようだ。その心意気はとても有難い。セレナが片手間に治癒出来るほど、ディドは軽傷ではない。

 セレナは魔貴族の放つ威圧をとりあえず無視して、焦りながらもディドの治癒に集中した。パッと見た限りだが、恐らくあの蜥蜴人間――アベリンリザードは、セレナと同格以上の実力者である。


「……セレナ様……私が、何とか時間を稼ぎます……だから、ディド姉様を――え!?」

「ヲォオゥウウウ――ヲォ!?」


 よろけるクレウサに対して、アベリンリザードは銅剣を大きく振りかぶり、グッと身体を前傾にして跳躍してきた。瞬間、クレウサの正面に、凄まじい速度で白い影が飛び込んでくる。


「にゃはは!! ヤンフィ様の言う通り、セレナたちがピンチにゃ!!」


 現れた白い影は、魔装衣を纏って馬鹿笑いするタニアだ。一方、そんなタニアを目の当たりにしたアベリンリザードは、慌てて急停止していた。

 素晴らしい超反応だ。タニアという脅威を前にして、一旦、態勢を整える判断だろう。だがタニアからすれば遅すぎた。


「セレナ、コイツはあちしに任せるにゃ! お前はサッサとディドを連れてくにゃ!」

「タニア!? ああ、良かったぁ――じゃあクレウサ、アンタは戻りなさいよ」

「は、あ――う、は、はい……タニア様、ありがとうございます」


 タニアの存在は、今この場においてこれ以上ないほど頼りになる存在だ。

 セレナは安堵の吐息を漏らしてから、庇ってくれたクレウサに声を掛けた。クレウサは緊張が解けたように、その場で腰砕けにへたり込んでいた。


「ヲォオオ――!!」

「にゃははは!! 砕けるにゃ――【魔槍窮】!!」


 アベリンリザードの絶叫とタニアの咆哮が響き、凄まじい爆風を伴った魔力の槍が放たれた。それは正面の建物をことごとくぶち壊しながら、アベリンリザードを貫いた。


「……相変わらず、化物ね……」


 セレナは結果を見守らず、ディドの治癒により集中した。すると、気絶していたディドが少しだけ身動ぎした。


「グゥ――ヲォゥ!」

「にゃ!? にゃはは、まさか魔槍窮で決められにゃいにゃんて――ここまでヤンフィ様の言う通りにゃんて凄いにゃ!」


 ガラガラと崩れ落ちる家屋と舞い上がった瓦礫埃が風で飛ばされた跡には、魔槍窮の直撃を受けて無傷で立っているアベリンリザードがいる。

 アベリンリザードは錆びた銅剣を楯にして、不格好な十字受けで魔槍窮を正面から防ぎ切っていた。

 魔貴族とはいえ、タニアの超弩級な魔槍窮を完璧に防ぎ切るなど非常識過ぎる。即死しないまでも、大ダメージを負うはずなのに――と、セレナはアベリンリザードに畏怖した。見た目以上に、魔貴族としての格は高いらしい。


「――にゃら、これで、終わりにゃ!!」


 そんな脅威の存在であるアベリンリザードを前に、しかしタニアは愉しそうに笑いながら、凄まじい闘気を纏って突撃した。アベリンリザードはそんなタニアの突撃を睨み付けながら、少しも怖気ず、錆びた銅剣を振り上げる。


「【魔突掌】――にゃ!!」

「――――ヲォゥォオ!!」


 タニアは流れるような自然な動作でアベリンリザードの腹部に右の掌底を押し当てた。

 それに一瞬だけ遅れて、アベリンリザードが銅剣を振り下ろす。銅剣は信じられないほどの魔力を帯びており、タニアに触れるが否や凄まじい重力場を発生させた。

 にゃはは、と笑いながら、タニアは無防備に銅剣を受け止めた。途端に爆音が鳴り響いて、タニアの下半身が踏ん張り切れず地面にめり込んだ。直後、地面に大きくクレーターが穿たれて、瓦礫が舞い上がり吹っ飛んだ。

 タニアが地面にめり込むのと遅れて、アベリンリザードの腹部に押し当てられた魔突掌が効果を炸裂させた。魔突掌は、パン、という軽い音を鳴らして、甲冑の内側から盛大な爆発を巻き起こす。紫色の血と肉がその場にバラまかれて飛び散る。


「……うぅ? ここ、は? セレナ?」

「あ――良かった。ディド、意識戻った? 調子どう? 悪いけど、急いで起きてよ」


 タニアとアベリンリザードの凄惨な戦いを横目に、ディドがようやく目覚めた。セレナは慌てて、食い気味にディドを揺り起こす。


「セレナ……少し、落ち着いて、くれないかしら? 起き、ますわ……ん? あれは、タニア?」

「タニアなんか気にしないでいいわよ。もう決着つい――てないの!?」


 ディドがセレナの手を煩わしそうに振り払って上体を起こす。その視線は、半ばまで地面にめり込んだタニアに向けられていた。そんなディドの視線を追うように、セレナもタニアに意識を向けて、その状況に驚愕する。

 死んだと思っていたアベリンリザードはまだ生きており、腹部にデカイ穴を開けた状態で改めて銅剣を振り上げていた。

 アベリンリザードの魔力核は、タニアの魔突掌で間違いなく破壊されていた。そして、魔力核を破壊された生物は例外なく死ぬのが常識だ。そんな常識を覆して、アベリンリザードは動き続けている。セレナが驚愕するのは当然だった。


「ヤンフィ様の言う通り過ぎて、ちょっと怖いにゃぁ――おい、セレナ。ディドたち連れて、サッサとヤンフィ様のとこに行くにゃ!」


 地面に下半身を埋めたままのタニアは、それでも笑いながらセレナに指示を出す。その直後に、再び銅剣は振り下ろされる。

 その銅剣の威力はまるで隕石のようで、先ほどよりも大きな爆音を鳴らした。タニアは当然のように腕でガードしたが、身体は首まで地面にめり込む。


「――ォヲォオオ!」


 アベリンリザードは血を撒き散らしながら、大きな咆哮を上げた。まるで勝鬨のような雄叫びだ。

 その咆哮を耳にしながら、セレナはタニアの指示に従ってその場から離れる。今この場で、セレナたちは足手纏いにしかならないだろう。


「ねぇ、セレナ……いま、どういう状況、なのかしら?」

「ディド姉様、ひとまずは移動するのが得策のようです――セレナ様、ヤンフィ様はどちらに?」

「――タニア、任せたわよ!」


 セレナは起き上がったディドと傍らのクレウサに視線だけ向けて、すぐさま来た道を戻った。タニアの心配はまったくしていない。いまは劣勢に見えるが、アベリンリザードに負けるタニアなど想像ができない。


「こっち――あ、そうだディド。ちなみにアンタさ。封印術って扱える?」


 狭い路地を駆け抜けながら、クレウサに肩を借りているディドに問うた。セレナの問いに、ディドは難しい顔を浮かべつつ、小さく頷く。


「……修得はしていませんけれど……契約召喚を応用すれば、扱える……かしら? ところで、何を封印するつもりなのかしら?」

「契約、召喚――って、何さ?」

「…………封印術が扱えたら、何をするのかしら?」

「ヤンフィ様の質問よ。あたしは知らないわ」


 セレナの回答に、ディドは怪訝な顔で首を傾げていた。そんなやり取りをしつつ、セレナたちは城塞前の通りに到達する。そこには、先ほどと変わらぬ光景――相対して立ち尽くしているヤンフィとレーヌ、鎖で雁字搦めにされた少鷲がいた。

 レーヌに支配された煌夜の姿を認めた瞬間、ディドはすぐさま駆け寄ろうとする。しかし一瞬、その雰囲気に躊躇していた。

 そんな困惑するディドを見て、レーヌがニヤリと笑った。


「ヤンフィ様、連れてきましたよ!」

「おぉ、ようやく来たか――ディドよ。汝、封印術を扱えるかのぅ?」

「あ、えと……ええ、その……契約召喚を応用すれば――ところで、何を封印するのでしょうか?」

「コウヤの身体に宿る精神体を封印したいのじゃ。いま妾が抑えておる……何とかせよ」


 ヤンフィは当然のような顔でディドに命じる。それに対して、ディドは眉根を寄せながらセレナに非難がましい目を向けた。まるで連れてきたセレナを責めるような視線だ。

 だが、断じてこれはあたしのせいではない――セレナは肩を竦めながら両手を上げて首を振る。


「……へぇ? その天族も、仲間? 美味しそうな魂をしてるね……って、あれ? そういえば獣人族がいつの間にか――ああ、なるほど。ボクの操るアベリンリザードが交戦中か……こりゃ、さすがに手詰まりかも……」

「――かも、ではないぞ? 汝はもう諦めよ。さて、ディドよ。やれ」

「…………やれ、と言われましても、かしら……」


 レーヌが困った顔を浮かべるのを愉しそうに眺めるヤンフィと、命じられて困惑するディドの構図をセレナは一歩引いて見守った。ちなみに、ディドは封印術を修得していないと言っていたので、ヤンフィの要求に戸惑っている。


「ディド、妾の瞳を視よ――汝の意識に、妾の知り得る限りの封印術を刻み込んでやろう」

「え――あ、はい。畏まりましたわ」


 そんな困惑をようやく察して、ヤンフィはディドに短くそう命じる。ディドはすかさずヤンフィの前に移動して、言われた通りに瞳を覗き込んだ。瞬間、まるで全身を電撃に打たれたようにビクつかせる。

 恐らく、脳内に直接情報を流し込まれたのだろう。セレナも以前に経験している。

 そうしてヤンフィから何かを受け取ったディドは、すかさずレーヌへと向き直った。フラフラの身体に力を入れて、なるほど、と顎に手を当てながら頷いている。

 どうやら脳内に直接刻まれた術式のうち、何がしかの術に思い当たったようだ。


「妾は抑えておくことしか出来ぬ――動けぬのじゃ。疾く封印せよ」

「承知いたしましたわ。ご安心を――失敗は致しませんかしら」


 ディドは全身に魔力を漲らせながら、ゆっくりとレーヌに近付いた。その歩みを苦笑いで見詰めながら、レーヌは正面にきたディドに唾を吐く。挑発して冷静さを失わせようという意図だろう。

 しかし、ディドは全く動じず、むしろ吐きかけられた唾を嬉々として舐めとっていた。


「――キミ、変態さんかな?」

「あら? コウヤ様の唾であれば、ワタクシには御褒美ですわよ?」


 レーヌの露骨な挑発は、ディドには全く通じなかった。

 ディドは困惑するレーヌを冷静に眺めてから、そのまま煌夜の身体を抱き締める。そして瞳を閉じて口付けを交わした。


「ほぉ――【血縛呪牢(イーコールフィキラ)】か。あまり褒められた封印ではないが、悪くない選択じゃのぅ?」

「ッ!? この、くっ――!?」

「――――」


 ディドの口付けを受け入れた瞬間、レーヌは驚愕の表情で大きく眼を開いて、何とか口を離そうとしていた。それを無理やり抑え込み、ディドは何やら舌まで入れて情熱的に唇を吸っている。否、よく見ればそれは、吸っているのではなく、唾液を流し込んでいるようだった。思わず引くほどに妖艶である。

 セレナは遠巻きにそれを眺めながら、タニアがこの場に居なくてよかったと、心底安堵していた。

 しばらくそうして口付けをしたかと思うと、唐突にレーヌが腰砕けに崩れ落ちる。見れば、その表情は柔らかな寝顔で、呼吸も落ち着いて穏やかだった。ただし、あの情熱的な口付けで切ったのか、その唇からは血が滴っている。


「――何とか、成功いたしました、かしら……」


 崩れ落ちる煌夜の身体を抱き留めながら、ディドがとても満足気な表情でそう呟いた。どちらの血かは分からないが、ディドの口元も血で染まっている。


「……何をしたの? ちょっと、いま引くような光景を見たんだけど……?」

「ディド姉様が、自らの血液を唾液と混ぜて、コウヤ様に飲ませたようですね。いかなる封印術かは存じませんけど、血液を媒介にして発動させる魔術のようです」


 セレナの独り言に、傍らのクレウサが律儀に答えた。それは推測での回答だったが、なるほど的外れではないようだ。

 実際に、ディドの魔力はごっそりと消費されており、今にも気絶しそうなほど疲弊している。

 そんな絡み合ってへたり込む二人に、ヤンフィはカラカラと笑いながら近寄っていく。


「ディドよ。とりあえず御苦労じゃ。しばし寝ておれ――あとは妾たちに任せよ」

「……感謝いたしますわ、ヤンフィ様……それでは……しばし休みます、かしら」


 ヤンフィに言われて、パタリとディドは煌夜の身体に覆いかぶさるように気を失った。

 ヤンフィはそんな二人を片手で軽く持ち上げて、その矮躯で肩に担いだ。


「セレナ、クレウサ。ひとまず妾たちは、一足先に宿屋に戻るぞ――タニアはすぐに追い付くじゃろぅ」

「あ、はい。って、あれ? その……ライム・ラガムは、良いんですか?」

「ライム・ラガムの器とやらは、朝になるまで回収せぬ。ちと状況がややこしいからのぅ。面倒じゃが、一旦は引き下がることにする――コウヤがこうなってしまっては、宿屋に戻るのが吉じゃ」


 ヤンフィはそのまま大通りを進み出した。

 決定権はヤンフィにある。セレナは文句などなく、静かに頷いて後に続いた。

 クレウサもその決断に反論はなく、ヨタつきながらもヤンフィに続く。


「ヤンフィ様……宜しければ、ディド姉様は私が、運びます」

「そうか? それでは、ほれ」


 クレウサはヤンフィから放り投げられたディドを優しく受け止めて、お姫様抱っこで抱え込む。すると、ヤンフィはふと立ち止まり、鎖に繋がれたままの少鷲に顔を向けた。


「忘れておったのぅ、少鷲よ。あとで汝と大鷲には、キツイお灸を据えてやるから、覚悟しておけ。それと、妾を裏切った後のことも聴かせてもらうぞ? それまでは、そこで這いつくばっておれ」


 ヤンフィはそんな物騒なことを告げて、少鷲の反応も見ずに視線を切った。その言葉に、少鷲の巨躯がビクついたのは錯覚ではないだろう。


 さて、そんなこんなでヤンフィを筆頭に、セレナ、クレウサの三人は、気絶した煌夜とディドを運びながら、オルド三姉妹亭に戻ったのだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 身体が揺らされる感覚があった。それはかなり強めで、首がおかしくなるくらいの勢いでガクガクと揺らされている。

 その揺れを意識した瞬間、頭が割れるように痛みだす。

 まるで後頭部がバットで殴られているように、ガンガンという鈍痛があり、眼球が呼吸でもしているのかと錯覚するほど、前頭葉が激痛を訴えた。


「……い、てぇ……」

「コウヤ、コウヤ、大丈夫かにゃ! 起きるにゃ――あ、起きたにゃ? 大丈夫かにゃ?」

「……タ、ニア……? ぐぅ、頭、痛い……」

「頭痛いだけにゃ? 他には、異常にゃいか!?」


 眼を開けると正面には、柔らかい朝陽に照らされたタニアの美貌があった。

 タニアはキスできるくらいに顔を近付けて、横になっているらしい煌夜の顔を覗き込んでいる。その眩しい美貌に目を細めつつ、煌夜はチラと周囲を見渡す。

 煌夜が介抱されているのは、見覚えのある部屋だった。


「……ここ、は?」

「オルドたちの宿屋にゃ。いろいろあったにゃけど、戻ってきたにゃ」


 タニアが満面の笑みで頷くのを見てから、煌夜は上半身をゆっくりと起こす。


「――コウヤ、体調大丈夫にゃ?」


 タニアは煌夜の背中を撫でつつ、心配そうな声で問いかける。

 そんな甲斐甲斐しいタニアを心配させじと、煌夜は頭痛に苛まされながらも、大丈夫だ、と虚勢を張った。けれどその瞬間、筆舌に尽くし難いほどの激痛が走り、思わず口を噤んでしまった。


「本当に大丈夫にゃ? 全然そうは見えにゃいにゃ!」


 ギュッと瞼を閉じて唇を噛み、ガンガンと鳴り響く痛みに堪える煌夜を、タニアは心配そうに見詰める。

 すると部屋の扉が開いてセレナが入ってきた。


「――タニア、どう? 意識戻った?」

「戻ったにゃ! たったいま、ようやくにゃ。けど、にゃんか頭痛いって言ってるにゃ! セレナ、お前、治癒、手抜きしたにゃ!?」

「失礼ね。手抜きなんかしてないわよ……頭が痛いの?」


 ガンガン、から、ズキズキに落ち着いてきた頭痛を堪えながら、煌夜はセレナに顔を向ける。そして薄目を開けて、絞り出すように訴えた。


「……頭が、割れる、みたいに、痛い……ぐぅ!? 痛、ッ――」


 答えた瞬間、煌夜の頭痛がより激しくなり、同時に、身体の内側が熱くなる。インフルエンザで高熱が出た時みたいな息苦しさで、心臓が早鐘を打つように鳴りだした。

 煌夜は頭を抱えつつ丸くなり、苦悶の呻きを上げる。


「ちょ、大丈夫、コウヤ?! もしかしてこれ、封印のせいかな……ねぇタニア、ヤンフィ様とディドを呼んで来てくれない? あたしで出来るだけ治癒してみるけど……手に負えない可能性が高いわ」

「チッ、厄介にゃぁ――少しだけ待つにゃ!!」


 タニアとセレナの慌てる様子が感じられたが、煌夜はいまそれどころではなかった。

 どんどんと激しくなる頭痛、焼け付いていく喉、呼吸するたびに破裂しそうになる心臓。血液が身体中を暴れまわるように駆け巡り、燃えるように内側が熱くなっている。

 煌夜は丸くなって胸を掻きむしりベッドをのた打ち回った。セレナはそんな煌夜を抱き留めて、優しく背中を擦る。


「効かないかも、だけど――『神代の奇跡よ、我が祈りに応えて、顕現せよ。我が望むは、あまねく再生。活力漲り、彼の者を癒し給え。過剰再生(オーバーヒール)』」


 流麗で涼やかな詠唱が耳元で聞こえて、次の瞬間、煌夜の心臓がドクンと大きく脈打った。セレナの治癒により身体が活性し始めたようで、暴れまわる血流はより苛烈になる。今度は全身の骨という骨が軋み、関節が悲鳴を上げ始めた。

 煌夜は、グァアア――と、絶叫を上げたつもりになって、荒々しい熱い吐息を漏らした。だが、もはや声帯がまともに機能していないようで、声はまったく出なかった。


「……って、逆効果!?」


 治癒魔術を浴びて弱っていく煌夜を見て、セレナが慌てて魔術の展開を止める。しかし、止めたからと言って、体調が改善されることはなかった。煌夜の苦しみは増大していく。


「連れてきたにゃ!!」

「――コウヤ様ッ!?」


 バン、と部屋に駆け込んできたのは、タニアとディドだ。特にディドは、今にも泣きそうな焦りの表情をして、煌夜の傍らに居るセレナを押し飛ばした。


「にゃ!? ディド、お前、何するつも――にゃにゃ!?」


 ディドは素早く煌夜の顔を持ち上げると、流れる動作で唇に吸い付いた。それは軽い口付けではなく、舌を入れた本格的なディープキスだ。いや、舌だけではなく、唾液も思い切り流し込まれる。

 激痛で胡乱な思考の煌夜でも、それが刺激的な行為であることは理解出来る。だが、何故に苦しんでいるこのタイミングでキスされるのか甚だ疑問だった。混乱して頭がグルグル回っている。

 そんな絶賛混乱中の煌夜とディドのキスを見て、タニアは凄まじい殺気を放つ。完全に怒り心頭の表情で、耳をピンと立ててディドの肩を思い切り掴んだ。


「おい、ふざけるにゃよ!? サッサと、離れる――にゃ!?」


 ディドの肩を破壊する勢いで引き倒そうとした刹那、タニアの腕が横から現れた小さい手に捕まれた。

 そのままタニアは、抵抗さえ出来ずにグルンと一回転して投げ飛ばされる。タニアを投げ飛ばしたのは、呆れ顔をしたヤンフィである。


「タニアよ。とりあえず落ち着くのじゃ。コウヤを殺す気か?」

「にゃ、にゃ!? にゃにを――だって、ヤンフィ様、この変態天族が!?」


 床からすぐに起き上がって、タニアはヤンフィに怒鳴った。いまだに煌夜と情熱的なディープキスを続けるディドを指差しながら、親の仇みたいな殺気と怒気をぶつけている。

 そんなタニアに、ヤンフィはやれやれと肩を竦めてから、ディドに顔を向ける。


「……封印が弱まった訳ではないようじゃが、何が起きたかのぅ?」

「――――ワタクシの血が薄まったようですわ。コウヤ様の特性か、レーヌが何か仕掛けたのかまでは分かりませんけれど……補充いたしましたので、これで問題ないかしら」


 ディドは、ぷはっ、と煌夜から口を離して、唇から滴る血を丁寧に拭う。その台詞をなんとなく聞きながら、煌夜は、ゴクン、と口に溜まった唾液を呑み込んだ。やたらと情熱的だったディープキスは、思えば鉄の錆びた味しかしなかった。


「……あれ? 痛みが……薄れる……」


 けれど気付けば、煌夜を襲っていた頭痛と身体の痛みが嘘のように消えていた。

 何が起きたのか、怪訝な表情でヤンフィとディドに視線で問い掛ける。


「大丈夫にゃか、コウヤ!? この変態天族に、生気吸われたりしてにゃいか!?」

「……あ、いや、大丈夫、になったみたいだ……けど、どうして?」


 タニアがディドを押し退けて、怪訝な表情の煌夜の肩をガクガクと揺する。それに頷きながら、煌夜は頭を振ったり腕を動かしたり、身体の異常を確かめるが、特に問題は感じない。


「【血縛呪牢(イーコールフィキラ)】じゃ――妾が授けた禁術の一つでのぅ。血液を用いた封印魔術じゃよ。効果としては、対象の魂や魔力核を器から逃さぬよう封じ込める。いま、コウヤの身体には、余計な精神体が宿っておってのぅ。その精神体――レーヌ・ラガム・フレスベランを封じておるのじゃ」

「……はぁ、封印、ねぇ……それで、キス? って、そうか……ディドの血を呑んだのか、俺は……」

「――おい、変態天族。血を呑ませるだけにゃら、わざわざ口付けする必要にゃいだろ?」


 煌夜はヤンフィの説明に納得したが、タニアは不愉快そうにディドを睨み付けた。ディドはその視線を睨み返して、ふぅ、と溜息を漏らす。


「タニアがどう思おうと勝手ですけれど、常識的に考えてくれないかしら? ワタクシの血を呑むだけで術式が展開出来るなら、苦労はないかしら」

「にゃにを!? この、変態の癖に――」

「――タニア。コウヤも目覚めたことじゃし、そろそろ捕らえてきたライム・ラガムの処遇を決めようではないか」


 バチバチと火花を散らすディドとタニアの間に入って、ヤンフィが煌夜の腕を掴んだ。煌夜はヤンフィに引っ張られるまま起き上がり、ライム・ラガムという単語に反応した。


「え? ライム・ラガムって――あ、そっか。俺が気絶してる間に、仲間にしてくれたのか……そういや、もうとっくに朝だもんな」


 そりゃそうか、と頷きながら、煌夜はヤンフィに促されるままリビングに移動する。


「おや? 青年。目覚めたのか? じゃあ、ようやく本題に入れるのかな、ヤンフィ」


 リビングの隅で片膝を立てて座っていた女剣士――マユミ・ヨウリュウが、煌夜とヤンフィを見ながら首を傾げた。

 煌夜には本題とやらが何か分からない。ヤンフィは視線だけ向けて答えず、部屋のソファに腰を下ろした。

 リビングの入口には、無言のままクレウサが警備員みたいに突っ立っていた。煌夜はクレウサをチラ見してから、ひと際異彩を放つリビング中央に意識を向ける。

 リビング中央には、腰ほどの高さをしたテーブルがあり、そのテーブルの上に半裸の狐耳獣族が座っていた。

 狐耳獣族――黒いビキニ姿のライム・ラガムは、後ろ手に縛られて、正座させられている。しかも目隠しされたうえに、特徴的な狐耳にも布が被されており、口元には猿轡が噛まされていた。

 あまりの光景に、煌夜は思わず引いてしまう。拷問でもするつもりなのだろうか、と顔を引き攣らせた。


「ヤンフィ様。ライム・ラガム、どうします? 猿轡だけでも外します?」

「いや、一旦そのままで好い。コウヤに状況を説明してから、本題に入ろう」


 立ち止まった煌夜の脇を通って、セレナがライム・ラガムを正面にして椅子に腰掛ける。続いて、タニアはいつも通りに床に直接座り、ディドは立ち尽くす煌夜の腕を取って強引にソファに腰を下ろした。


「コウヤよ。汝に状況を説明してやろう――とは云え、まぁ、もったいぶるほどのことは、何もないがのぅ。なにせ、コウヤが気絶してから半日も経っておらぬ。妾たちもついさっき、ようやく落ち着いたような状況じゃ」


 ヤンフィは言いながら、柱時計に視線を向ける。煌夜も視線を追って柱時計を見て、うん、と曖昧に頷いた。実のところ煌夜に時計は読めないが、窓の外から差し込んでくる陽の高さから、半日経っていないというヤンフィの言葉を疑うつもりはなかった。


「さて――まずは結果論として、視ての通りじゃ。ライム・ラガムを捕縛することには成功した」


 ヤンフィはニヤリと笑いながら、テーブルの上のライム・ラガムを指差す。それは分かるが、どうしてこんな格好なのか。煌夜はこうなった経緯が知りたかった。

 そんな疑問を察しているのか、ヤンフィが言葉を続ける。


「そして決定事項として、妾はライム・ラガムではなく、そこのマユミ・ヨウリュウをこれからの旅に同行させることに決めた。理由も説明しよう。聴くが好い」

「――――は?」

「ライム・ラガムじゃが、妾たちの目的と決して相容れぬ。しかも、一緒に行動すればコウヤが危険じゃ。先ほど激痛に苦しんだじゃろぅ? アレはライム・ラガムのせいじゃよ」


 淡々と告げるヤンフィに、煌夜はきょとんとした顔を浮かべる。毎度のことながら、気絶から目覚めると大体が急展開の流れである。

 とはいえ、今回の件に関しては、反論がある訳ではない。ひとまず煌夜はコメントせず、ああそうなのか、と話の続きを促した。


「いま妾たちは、このライム・ラガムの処遇を相談しておる。此奴をどうするか――ゴライアスに引き渡すのか、それとも殺すのかを、のぅ」

「あ、え……えと、ん? 殺す……あれ? 仲間にしないなら、解放する、とかじゃ駄目なの?」


 煌夜は不穏当な単語しか言わないヤンフィに首を傾げつつ、弱々しく質問する。それを聞いて、マユミ・ヨウリュウが馬鹿にしたように吹き出した。


「――ヤンフィ。いちいち、お伺いを立てる必要はないだろ? その察しの悪い青年の為にも、私が一肌脱ごうか?」

「黙れ、マユミ。汝に発言を許した覚えはない――じゃが、コウヤよ。それは愚策じゃ。解放すればコウヤの命が狙われる」


 ヤンフィはマユミに鋭く睨みを入れてから、煌夜に諭すような口調で言った。傍らのディドも強く頷き、続きを聴いてください、と優しく耳打ちしてきた。

 煌夜は口を噤んで、ヤンフィに続きを促す。


「うむ。妾たちは、コウヤが目覚める前に、此奴と言葉を交わした……じゃが此奴の思想は、単純に云えば破滅思想じゃ。破滅の魔女――レーヌを蘇らせて、この世を滅ぼすことを至上主義としておる。じゃから、妾たちとは相容れぬじゃろぅ」


 真っ直ぐと告げるヤンフィに、煌夜はいっそう首を捻る。

 破滅思想は理解した。安易に解放してはマズイのも分かる。だがそこでどうして、煌夜の命が狙われるのか繋がらない。煌夜を殺すことに、何の意味があるのだろう。

 そんな疑問符を浮かべた煌夜に、ヤンフィは何やら頷いて、セレナに目配せする。


「セレナよ。どちらにしろ、処遇を決定した暁には、此奴に告げる必要もあるからのぅ――腕以外の拘束具を外せ」


 ヤンフィの言葉に、はいはい、と頷いて、セレナはテーブルの上のライム・ラガムに手を伸ばす。まずは耳に被さった布を外してから、猿轡、目隠しの順番で取る。

 ライム・ラガムは、弱々しい呻きを漏らしてから、眩しそうに薄目を開ける。ピョコピョコと狐耳が周囲の音を探るように動き、ゆっくりと煌夜に顔を向けた。

 眠たそうに垂れた双眸、怜悧で冷徹な美形は、整い過ぎていて人形にも思える。ロシア美人がコスプレした時みたいに、人間離れした美貌がある。

 煌夜はそんなライム・ラガムと眼を合わせて、思わずゴクリと唾を呑んだ。するとライムは、呟くような声音で吐き捨てた。


「――ボクに興奮してるのか、異世界人? 気持ち悪い視線を向けるなよ? お前なんて、結局のところ、魔王属の力を借りなければ、何もできない愚図じゃないか――猫耳獣族とか、天族とか、妖精族とか、手当たり次第に集めて、随分と性欲旺盛だね? ちなみに、ボクは覚えてるからな? お前、ボクの裸見て、落札者から強奪したんだろ? ま、そのおかげで助かったけど」


 早口に呪詛じみた毒を吐いて、煌夜に冷たい視線を向ける。殺意こそないが、その視線にはこれ以上ないほどの嫌悪感が篭められていた。とてもじゃないが、まともな話し合いができる関係性になれそうにはない。


「のぅ? コウヤ。此奴は、こういう輩じゃ」

「魔王属なのに、なんで異世界人に気を遣ってるんだよ……ねぇ、ボクを助けてくれよ。ボクに協力すれば、レーヌ様を完全覚醒させた暁には、キミを魔王にしてあげるよ?」


 毒吐きキャラと言われても納得の容姿はしているものの、その言葉には悪意しかなかった。さすがにそのギャップに煌夜は何も言えず、視線を彷徨わせる。

 そんな煌夜を横目に、マユミが失笑しながら呟いた。


「青年、貴様に一つ教えてやる。ライム・ラガムは、元からこうだぞ? だから、ガストンに廃棄処分にされたのさ」


 マユミの台詞に、煌夜は思考を停止させたまま、ただジッとライム・ラガムの相貌を見詰めていた。

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