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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第二章 城塞都市アベリン
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第十話 城門の攻防

 

 何が起きたか分からぬまま、あっという間にタニアたちは囲まれてしまっていた。

 夜も遅いというのに、集いに集った五十名ほどの戦士たちは、全員凄まじく殺気立っており、タニアに向かって武器を構えている。


「おう、大災害よぉ! てめえ、よくもこの街にまた顔を出せたなぁ!?」


 そのとき、集まった五十名の中から、一際体格の大きい熊みたいな巨漢が一歩前に出てくる。

 巨漢は黒い甲冑とマントを纏っていて、頬に十字の傷があった。片腕は鉄の義手で、その背中には身の丈を超える巨大な大剣を背負っている。

 某狂戦士を思わせる風格と覇気で、巨漢の剣士はタニアと煌夜を睨んでくる。


「おうおう、その変な格好のガキンチョは奴隷か? 売りにでもきたのか? あん?」

「なんにゃ? 意味がわからにゃいにゃ。お前誰にゃ? あちしはいまお腹が空いてるにゃ。邪魔する気にゃら、みな殺しにゃ」

「おうおうおう、相変わらずの【大災害】っぷりだなぁ。てめえのせいで増えた傷が疼くぜ」


 タニアは割とのほほんとして、平然と物騒なことをのたまう。

 その態度に、巨漢の剣士は頬の傷を撫でながら、不敵に笑う。そして背中の大剣を引き抜くと、鉄塊のようなそれを鞭のように素早く振るった。

 まるで重さを感じさせない挙動、小枝でも振るっているような気軽さで、大剣はタニアに向かって突きつけられた。


「……タニアよ、これはどういう状況じゃ?」

「知らにゃいにゃ。あちしが聞きたいにゃ」


 ヤンフィは小声でタニアに状況を問うが、タニアは心当たりがないと首を振った。

 巨漢の剣士はその台詞にギリと歯噛みして、青筋を立てながら、タニアに向かって鋭い殺気を放つ。


「おう、大災害よ。てめえでしたことさえ覚えてねえのか? ここに集まった有志はな、てめえに殺されたゼペック爺さんの弟子だった奴らだ。仇であるてめえを生け捕って、城主に奴隷として献上するために集まったんだよ」


 巨漢の剣士は親切にも説明的な恨み節を吐いて、タニアに突きつけていた大剣を大上段に振りかぶる。すると途端、大剣が炎を纏って、夜闇を明るく照らす炎の剣と化した。

 それは【付与魔術】と呼ばれる中級魔術だった。

 ヤンフィの魔術談義によると、物質に属性を付与して、攻撃力や防御力、特殊効果を追加する中級魔術であるとのことだ。


「ゼペック爺さん……にゃ? にゃにゃ! 思い出したにゃ! 報酬も用意せずに勝手に死んだジジイにゃ!」


 タニアは最初悩ましげな表情を浮かべたが、すぐさまポンと手を叩いて、そうにゃそうにゃ、と頷いた。その言葉に、巨漢の剣士を含めた周囲の戦士たちは、いっそう怒気を強める。


(……凄い嫌な空気なんだけどさ。これって、まだ休めないの? いや、というかさ。俺は、人と人とが争うなんて不毛だと思うんだ)

(コウヤよ。人が人と争うのは人のサガ)じゃ、諦めるほかないわ……とはいえ、コウヤの目的の為にも、ここで無用な諍いは避けたいがのぅ)


 巨漢の剣士たちの一触即発の空気を前に、しかし何もできない煌夜とヤンフィは、余裕のある会話を交わしていた。

 一方タニアは、なぜ彼らがキレているのか全く理解できずに、疲れたように溜息を漏らしてから宣言する。


「――にゃあ、お前ら。もう一度だけ言うにゃ、あちしはお腹が空いてるにゃ。邪魔をするにゃら、みな殺しにするにゃ。だいたい、ゼペックだか、ゼペットだか、にゃんだか知らにゃいけど、約束も守れにゃい屑に義理立てするにゃんて、馬鹿すぎるにゃ。ちなみに、あちしは殺してにゃいにゃ。アイツが勝手に死んでただけにゃ」

(……ゼペット爺さんじゃ、ピノキオだっつうの)


 タニアの『自分関係ありませんが何か?』的な台詞に、周囲の空気がピンと張り詰めた。辺りには、匂い立つほどの闘気が溢れて、もはや血を見ずには収まらない状況である。


「おうおう――調子に乗りすぎたな、大災害よぉ。てめえは確かに【アベリンワーム】を単独で討伐するほどに驚異的だが、今回こっちには冒険者ランクSの上級魔術師がいるんだ。殺れるもんなら殺ってみやがれ!!!」

「にゃぁ……たかだかランクS、所詮上級魔術師程度で、いったい、にゃにを勝ち誇ってるにゃ? 弱ってても、負ける気にゃんてしにゃいにゃ」

「本当にいい度胸してるぜ。そこまで言うなら、試してやるよ。おう、逃がすなよっ!」 


 嗚呼もはや手遅れか、と煌夜は嘆いた。

 一斉に、うおおぉお――と鬨の声が辺りに響き、真っ先に巨漢の剣士がタニアに襲い掛かってくる。その巨躯に似合わぬ瞬速の振り下ろしは、火の粉を撒き散らしながら闇を切り裂きタニアに迫る。同時に、四方八方からは、弓矢の雨と、炎や氷の魔術がタニアに集中する。

 ヤンフィは煌夜の身体を傷付けまいと、咄嗟にその場から飛び退くが、飛び退いた先には騎士風の男たちが待ち構えており、すかさず包囲網を形成していた。

 関係ないはずの煌夜も、逃がすつもりは毛頭ないらしい。嗚呼、ともう一度、煌夜は嘆いた。


「わるいね、坊主。お前は、もしかしたら【大災害】に巻き込まれただけかも知れないが、逃がすわけにはいかない。怨むなら、あの女と一緒に行動してた不運を怨むんだな。『土の精よ、大地に宿る魔の力よ、我が命に応えて、堅牢なる砦を築きたまえ――土牢』」


 ヤンフィを囲んだ騎士たちの後方で、いかにも魔術師といった印象の男がそう言った。

 魔術師のようなその男は、黒のとんがり帽子にローブ、杖という格好で、ヤンフィに有無を言わさず流暢な詠唱で魔術を行使する。


(……彼奴が、上級魔術師か)


 一秒に満たない詠唱が終わるとほぼ同時に、その魔術はヤンフィの頭上で光の魔法陣を描き、即時に展開する。

 発動速度は申し分なく、詠唱速度も速かった。術式は綺麗で、練度も高い。それは土属性の結界魔術――対象範囲に土石による牢を形成する上級魔術である。

 ヤンフィの四方から土が盛り上がり、八本の石の円柱がそそり立つ。円柱は互いに天井部分で絡み合い、ドーム型の天井を形成する。その円柱は側面から棘のような手を伸ばして、瞬く間に左右の隙間を埋めた。

 気付けばヤンフィは、土の牢獄に閉じ込められていた。


(……閉じ込められちまったぞ?)

(そうじゃのぅ……しかし、避けたとしても状況は変わるまい。当面、この中で成り行きを静観するのが良いと思うのじゃ)


 一瞬のうちに閉じ込められたというのに、ヤンフィの口調にはまるで焦りはなかった。

 ヤンフィは冷静に、土牢の中をペタペタと触る。土牢の壁面は研磨された石のように滑らかで、非常に硬かった。


(なぁ、ヤンフィ。これって、中にいても問題ない魔術なんだよな?)

(ふむ……問題ないぞ。この魔術は、上級魔術に区分される結界魔術じゃ。物理、魔術に関わらず、あらゆる攻撃を防ぐ結界じゃ。本来は、対象を中に入れて範囲防御する魔術じゃが、今回のように捕縛対象を内に捕らえれば、逆に拘束も出来る……まぁ、妾なら破れなくはないが、コウヤの身体では、破るのはちと厳しいのぅ)


 ヤンフィは軽い口調で言って、土牢の外に意識を向ける。

 石壁に阻まれて外の景色は遮断されていたが、ヤンフィが眼に魔力を込めると、石壁が薄くぼやけて外の様子が見えてくる。


(おいおい……透視もできるのかよ)

(うむ、できるぞ。魔力操作が難しいが、服を透過させて、女子(おなご)の裸を見るくらい造作もないのぅ。なんじゃ、やり方を教えてやろうかのぅ?)

(……いやいや、ソンナコトハシマセンヨ?)


 煌夜の考えを読んだかのように、ヤンフィはカラカラと笑った。こんな状況で、しかし二人に緊張感はなかった。

 一方で、結界の外を見れば、タニアが巨漢の剣士たち十数人と苛烈な戦闘を繰り広げていた。

 巨漢の剣士の攻めを中心にして、前衛の戦士五人が目まぐるしく立ち位置を変えながら、タニアに連携を仕掛けている。同時に、後衛にいる魔術師風の男七人が、何らかの魔術を唱和していた。

 また、白いローブ姿の女二人が、前衛後衛の戦士たちの傷を絶えず癒していた。

 それ以外の戦士たちも、弓矢で援護したり、傷を負った戦士と交代したりと忙しない。

 一見して、タニアは攻めあぐねている。今までの圧倒的戦闘力を知っているが故に、苦戦しているように思える。


(なかなか見事なもんじゃのぅ。後衛が五人掛りで常に、肉体強化、防御強化、属性防御の魔術を展開して、前衛は浅く攻めて、引くを繰り返す。それでも傷を負った者は、即死を避けてすぐに回復か……持久戦の態じゃのぅ。タニアの疲労を計算したうえで、持てる戦力を鑑みて、負けない為の布陣と云えるわ)

(速すぎて、竜巻にしか見えないんだが……)


 ヤンフィが冷静に戦況を解説してくれる。だが、その戦闘は煌夜の認識を凌駕しており、何をしているかちっともわからなかった。

 ただただ残像が踊っている風にも見える。


(……なぁ、アレって、数の差は勿論だけど、タニア不利だよな? ジリ貧で、負けるんじゃ……)

(ジリ貧? ふむ、負けることはないじゃろうし、不利でもなかろう。むしろ、不利なのは彼奴らの方じゃ。タニアを舐めすぎておるようじゃ。まずもって、タニアと云う獣族相手に持久戦は愚策じゃよ)


 煌夜の心配に、しかしヤンフィは笑って否定した。その心は、と煌夜が説明を求めようとしたとき、ヤンフィは叫んだ。


「――タニアよ、殺すなっ!!」

「にゃ!?」


 土牢の中で反響する大声は、かろうじてタニアに届いたようで、竜巻のごとき怒涛の攻撃の渦中にいるタニアが、一瞬だけビクッと硬直した。


「『……我は汝の力を求める。求めに応じて、応えよ。石塊の王よ、その威を示せ――岩石槌がんせきつい』」


 タニアの硬直と、全ての攻撃が止まったのは同時だった。

 一瞬だけ時間が停止したように、タニアと巨漢の剣士たちは動きを止める。その一瞬の間隙を縫って、タニアの頭上に展開された魔法陣から巨大な土塊のハンマーが現れ、刹那、雷のごとき轟音と共に振り下ろされた。

 タニアは慌てた様子で頭上を見上げ、腕を交差させて頭を守ろうとするが、間に合わずに潰される。その激しい衝撃は大地を揺らし、振り下ろされた地点を中心に地面が波打った。

 グラグラと震度五弱の地震が発生して、戦士たちの半数以上が立ってられずに、その場に膝をつく。土塊のハンマーはさらにもう一度、駄目押しとばかりに振り上げられて、振り下ろされる。


 先ほどまでの喧騒は何処へやら、辺りはシンと静まり返り、やがて闇に解けるようにして土塊のハンマーが消えていった。

 後に残るのは、タニアが立っていたところに穿たれたクレーターだけである。

 ちなみに巨漢の剣士を含めた前衛の戦士たちは、魔術が発動した瞬間にその場から飛び退いており、今はクレーターを覗き込むように、一定間隔で囲んでいる。

 土牢の中でその光景を見ていた煌夜は、唖然として思考が停止していた。凄まじいその威力に、魔術の恐ろしさを痛感していた。


(ふむ……この程度で魔力切れとは、やはりタニアの相手には力不足じゃのぅ)


 タニアがあっけなく潰されたというのに、ヤンフィは至って冷静でそう呟いた。すると、煌夜を閉じ込めていた土牢が弾けて崩れ落ちる。

 ハッとして見れば、土牢を展開した魔術師が真っ青な顔で倒れ伏していた。周囲の仲間が慌ててその魔術師を介抱する。


(……なぁ、ヤンフィ……タニアは……あれじゃ、もう……)


 煌夜は呆然としながら、タニアの死を確信する。

 メテオもかくやという威力のそれが、頭上から直撃である。ぺちゃんこになっていて不思議はなく、むしろ生きている方が不思議すぎる。

 しかしヤンフィは、タニアが生きている前提で、声高に告げる。


「タニアよ、あとは妾に任せよ。なれでは無駄が多すぎるわ。もう手は出すな――命令じゃぞ」


 ヤンフィの台詞に、周囲の戦士たちがざわめいた。そして案の定、鼻息荒く巨漢の剣士がヤンフィに向かって凄んできた。


「おうおう、ガキンチョ。任せろってえのは、どういう意味だ? お前が大災害の何なのかは知らねえが、今の台詞は、大災害の代わりにボクが戦いますってことか? ああん? ――おう、魔術組。このガキンチョの言う通り、大災害はこの程度じゃくたばらねぇよ。だが、もう瀕死のはずだ。死なねえように治癒しつつ、拘束しろ!」


 大剣をヤンフィの喉元に突きつけながら、巨漢の剣士は凄まじい威圧を放つ。しかし、ヤンフィはそんな威圧はそよ風とばかりに、平然とした顔で続けて叫んだ。


「タニアよ。もう一度だけ云うぞ。殺すな、手を出すな。これは命令じゃ。この手の命知らずの輩はのぅ、力では絶対に屈さぬ」


 ヤンフィの台詞に、巨漢の剣士は大笑いする。タニアを拘束に向かった魔術組と呼ばれた五人もまた、爆笑している。

 しかし次の瞬間、重力が倍になったかのような重いプレッシャーが、クレーター周辺にいる全員にズシンとのしかかった。

 一斉に皆がクレーターに顔を向けて、笑い顔のまま硬直する。

 その中でただ独り、巨漢の剣士だけが、慌てた様子で大剣を身構え直していた。小さな声で一言、馬鹿な、と驚愕の表情を浮かべる。


 果たして――そこに居たのはタニアである。

 埋もれていた土の中から身体を起こして、片手で胸を覆い隠した姿勢の、傷一つないタニアだった。


「……ちょっとだけ、痛かったにゃ。お前ら、あちしを本気で怒らせたにゃ……」


 ゆらりと、タニアが足を踏み出す。その声は震えており、全身は土まみれ、ベストは胸元が破けて、片手で胸を押さえていないと、その豊満な乳房がポロリしてしまいそうになっている。

 タニアは無表情な顔で、巨漢の剣士を見やる。

 目が合った巨漢の剣士は、無意識に一歩後退っていた。


「タニアよ。命知らずをいくら殺しても無駄じゃ。いずれまた、同じような命知らずが現れるだけじゃ。良いか、命知らずを黙らせるには、実力差を見せるよりも、恐怖を感じさせるのが吉じゃ」

「……ボス、あちしは今、本気で怒ってるにゃ。コイツラを根絶やしにしにゃいと収まらにゃいにゃ……」


 胸を押さえたまま、ゆらゆらと身体を揺らして、タニアはジロリと取り囲む魔術組にも視線を向ける。彼らは唖然とタニアの姿を眺めていて、痴呆のようにただ立ち尽くしている。


「のぅ、タニアよ。妾は、命令、と云うたはずじゃが? よもや、逆らうつもりか?」

「――にゃぅ!? にゃ、にゃ……」


 燃え立つような怒りを背負った能面タニアに、ヤンフィは静かに嗜めるように言った。合わせて、突き刺すような殺意もぶつける。

 タニアはその殺意にハッとして、正気を取り戻すと途端に、ガクガクと身体を小刻みに震わせた。


「にゃん……す、すいませんにゃ、ボス。もう口出し、しにゃいにゃ……」


 タニアはヤンフィの氷のような睨みに耐え切れず、すぐさま謝ってその場にちょこんと正座をする。そんなタニアの無様を見て、集まった五十名の戦士たちは完全に混乱していた。


「ぐっ……おう、ガキンチョ。てめえ、何者だ。大災害の……飼い主か、何かか?」

「おい、汝よ。いま誰の許可を得て、勝手に口を開いたのじゃ?」

「――あ? んだと、てめぇ――ヒッ……!」


 集まった戦士の中で、やはり一番の実力者である巨漢の剣士が、真っ先に我を取り戻す。

 だが、ヤンフィに凄んだ瞬間、その瞳に映る闇に今まで感じたことのない恐怖を感じて、短く悲鳴をあげた。

 ヤンフィは静かに立っているだけだ。しかし、その全身からは凍てつく冷気が放たれており、誰もがヤンフィの姿に死神の姿を重ねていた。

 逆らったら死ぬ、と本能が訴えている。

 ヤンフィを前にして、誰もが恐怖に支配されていた。

 それはヤンフィが幾多の戦場で習得した覇気だった。人では到達し得ない境地の威圧、それをヤンフィは惜しげもなく放っている。


「愚か者どもよ、妾がここに居たおかげで、死なずに済んだと云うに……見るが良い、タニアは先の上級魔術でさえ無傷のままじゃ。多少疲労は増えておるようじゃが、所詮その程度じゃぞ?」

「んにゃぅ……」


 ヤンフィがタニアに顔を向けると、タニアが可愛らしい声で頷いた。確かに、服は破れているが、それだけである。


「つまり、じゃ。汝らではどだい相手にならんかったわけじゃ。さて、妾が止めていなければ、今頃どうなっておったかのぅ?」


 ヤンフィがその場の全員に目を合わせた。瞬間、全員の目に、言いようのない恐怖が浮かんだ。

 ヤンフィの質問の答えは聞くまでもなく分かる。タニアの反撃で全滅、誰も生きて帰ることは出来なかっただろう。


「――妾は無益な殺生を好まん。じゃから、汝らが幾ら死にたがりでも、死ぬことを許さぬ。さて、ここいらでもう充分じゃろう? 敵討ちごっこは終わりじゃ。大人しく引けば好し、引かぬならば、死にたくなるほどの悪夢を見ることになるが、どうじゃ?」

「…………」


 ヤンフィはフッと、小馬鹿にするような笑みを振りまく。その嘲笑に、誰もが声もなく息を飲んでいた。


「ふむ……とは云え、こんな部外者に諭されたとて、引けぬ気持ちもよく解る。じゃから一つ、妾が汝に至上の悪夢を見せてやろう。これを見て、まだ抗う気持ちがあれば、そのときはタニアに引導を渡してもらうが良い――刮目せよ」


 ヤンフィは全身から放っていた凍てつく覇気を消すと、煌夜の顔でニヒルに微笑んで、巨漢の剣士の瞳を覗き込んだ。

 途端に、巨漢の剣士はビクリと身体を震わせて、握っていた大剣を取り落とす。

 両目がぐわっと見開かれて、その瞳孔が広がっていく。瞳は光を失い、焦点の合わない視線を目まぐるしくあちこちに彷徨わせる。


「ぁぁ、あ、ああっ――や、やめっ……うぅっ、助けぇ――ぐぉ……助け、て……」


 巨漢の剣士はあらぬ方に視線を向けながら膝をついた。そして口から白い泡を吹きながら、一緒に汚い反吐を撒き散らす。

 瞼を閉じることもせず、滂沱の涙を流して、必死に命乞いをしている。

 何度もビクッと身体を震わせて、そのたびにフルフルと頭を振って何かを嫌がる仕草をしていた。周囲の仲間たちは、何が起きたかまったく理解できず、呆気に取られて立ち竦んでいた。

 そんな巨漢の剣士の様をヤンフィはジッと眺めて、ふぅとつまらなそうに息を吐いた。


「――ギ、ギルド長! 大丈夫、ですか!?」


 しばらくそのまま巨漢の剣士が悶えていると、青い鎧の戦士が慌てた様子で駆けつける。

 しかし、ギルド長と呼ばれた巨漢の剣士は、その戦士の呼びかけに答えることなく、ただただ己の身体を掻き抱いて震え続けていた。


「そろそろ、充分かのぅ?」

「く、そっ――お前、ギルド長を元に戻せッ! おい魔術組、大災害に警戒しろっ!」

「まったく……そう急くな、愚か者が」


 ガクブルと身体を震わす巨漢の剣士の傍らで、冷静な青い鎧の戦士がヤンフィに向かって怒鳴りつける。その戦士はなかなか優秀なようで、同時にタニアの周囲で呆けている魔術組にも檄を飛ばす。

 まだ戦意を失っていないその様子に、ヤンフィは少しだけ呆れて、手を高々と上げてパチンと指を鳴らした。

 どこぞの芸人みたいなその仕草に、煌夜は思わず失笑してしまった。


「ぐぅ……はぁ、はぁ、はぁ……はぁ、はぁ、ふっ」

「ギルド長!? 大丈夫ですか? 今のは、幻惑か何かですか? おい、治癒術師来てくれ!」


 指を鳴らした瞬間、巨漢の剣士は正気を取り戻したようで、その瞳にスッと光が戻る。しかし、四つん這いのまま一向に立ち上がれず、その呼吸は荒かった。

 青い鎧の戦士はその様を見て、すかさず白いローブの女に手招きをする。ハッとして駆け寄ってきた白いローブの女は、短い詠唱と共に回復魔術を施していた。


「のぅ。どうじゃった? 妾の悪夢は、お気に召したかのぅ?」

「お前、何をしやがったっ! チッ、せっかく生かしてやったのに、この――」

「――止せっ! おい、全員、もう闘うのは止めろ! 無理だ……勝ち目なんざ、ない」


 ヤンフィの問いに烈火のごとく噛み付いた青い鎧の戦士、だがそんな青い鎧の戦士を制止して、巨漢の剣士は降伏を宣言した。

 突然のその宣言に、周囲はどよめく。


「な、何を――ギルド長。どうして?」

「これ以上やっても、俺らじゃあ、勝てない。無駄死にだ。ゼペック爺さんも、俺らが全員死ぬなんてことは望んじゃいない……」

「何を弱気に! 上級魔術が不発だったからって、それだけで――」

「俺は、お前らにあんな目には遭って欲しくない……俺はもう、闘えない」


 さっきまでの威勢は見る影もなく、涙と吐瀉物で汚れた情けない顔で、巨漢の剣士はゆっくりと立ち上がる。

 そして、集まっているその場の全員に目を配ってから、もう一度大声で叫んだ。


「大災害は、人の手に負えないからこその【大災害】だ――ゼペック爺さんの一番弟子、冒険者ギルドの長ギャレッツ・ディンがここに宣言する。もうこれ以上、この街でこいつらに手を出すことを禁じる! 手を出したヤツは、冒険者登録を抹消する」


 巨漢の剣士――ギャレッツ・ディンは、もはや完全に心を折られていた。

 戦意はまるでなく、一刻も早くここから逃げたいという気持ちが透けて見えている。その宣言を耳にして、青い鎧の戦士を含めて、全員が唖然としていた。

 説明してくれ、と言わんばかりに視線がギャレッツに集中する。だが、ギャレッツは首を振って、取り落とした大剣を背中に背負い直すと、無言のままその場を去っていく。


「ボス、凄すぎるにゃぁ……神、にゃ……闘わずして、アイツを殺したにゃあ……惚れそうにゃ」

(……何をしたの、ヤンフィ? え? 洗脳とか、催眠?)


 そのあまりにあっけない解決に、タニアは目を見開いて感動している。

 煌夜も何が何やら混乱だ。まさか、説得でもなく恫喝でもなく、催眠じみた強引な解決方法とは想像していなかったし、何よりギャレッツがあそこまで怯えるとは思わなかった。

 死ぬことに恐怖なんてないだろう屈強な戦士が、何をしたらああなるのか、煌夜は不思議でならなかった。


(妾は、洗脳も催眠も、そんな上級魔術は使えぬわ。ただ、この魔眼の力で、悪夢を見せただけじゃよ。生きながらにして、全身を少しずつ喰われていく悪夢。身体の内側に無数の蟲が入り込み、また這い出てくる悪夢。目の前で大切な人間が次々と犯され、嬲られ、殺されて、その肉を喰わされる悪夢。殺されても殺されても、痛みを感じるだけで決して死ぬことのない悪夢。自分以外の誰かが、自分の決断で、自分の血で溺れ死んでいく悪夢……)

(――うっ、ヤンフィさん、もういいっす。何その、悪夢の数々……え、ちょ、想像させないで……)

(ふっ……まぁ、そんな悪夢を、擬似体験させただけじゃ。妾たちに逆らえばそうなる、と云う暗示付きでのぅ)


 ヤンフィはカラカラと笑いながら説明したが、そのあまりのえげつない内容に、聞いただけの煌夜でさえ頭が痛くなった。

 それは確かに、死んだほうがマシと思えるラインナップだろう。

 それも全て、自分の責任でそうなるのだ。守るべきモノが多い人間ほど、その悪夢は凄まじい効力を発揮するに違いない。


 ギャレッツの去っていく後姿を見送って、さらに立ち上がったタニアの姿を見て、戦士たちの半分以上が怯えた表情を浮かべる。

 当然である。頼れるリーダー格が戦闘を放棄して、しかも敵はまだまだ無傷、もはや連携は望めない状況だ。

 戦況は完全に決している。一人、また一人と、戦士たちは静かにその場から逃げていく。

 しかし、青い鎧の戦士は到底納得いかない表情で、ギリギリと歯噛みして立ち尽くしていた。戦意はまだ完全には失われておらず、逆に先ほどよりも苛烈な怒りの炎が漲っている。

 そのときふと、その後方から、戦士の怒りを後押しするような声が掛かった。


「……なに、をしてる……フリット。ギャレッツが、諦めても、俺たちはあの女を、許すもんか……坊主、お前、危険だな」


 声の主は、白いローブの女に肩を借りて立っている上級魔術師だった。

 煌夜を土牢に閉じ込めて、タニアに凶悪な二撃をお見舞いしたその魔術師が、蒼白な顔のまま戦意を漲らせている。

 ヤンフィはその姿を見て、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「――タニア。汝、基本属性のうち、火と風が上級と云っておったな?」

「にゃん? そうにゃ、けど?」

「妾がそこな戦士を受け持とう。汝は、この魔術師に本当の上級魔術を見せつけよ……結果は問わん。彼奴は、もはや手遅れじゃ」


 ヤンフィは、対峙している上級魔術師を無視して、タニアを睨んで立ち尽くしている青い鎧の戦士――フリットに向かって歩き出す。

 無防備に上級魔術師に背中を向けて、それは散歩でもするような気軽さだった。

 タニアはヤンフィの言葉に、にゃ、と何やらすぐ事情を察して、片手で胸を押さえたままもう片手を挙手する。


「『火焔の主よ、風塵の王よ、互いに手を取りて、我にあだなす怨敵を誅せよ――炎竜えんりゅう暴風ぼうふう』」

「……なっ! チッ――『岩石槌』!!」


 タニアは平素のにゃごにゃご喋りからは想像できないほど流暢な言葉遣いで、至極当たり前のように上級魔術を行使する。

 その詠唱に驚愕して、上級魔術師は慌てた様子で言葉少なに叫んだ。その叫びは非常に短い詠唱だった。

【省略詠唱】――上級魔術師が詠唱したのは、そう呼ばれる技術で、魔術の威力を犠牲にして、魔術名だけの短い詠唱で術を発動するものである。

 上級魔術師は、先ほどタニアを押し潰したその魔術でもって、背中を向けるヤンフィを押し潰そうとしていた。

 ちなみに、ヤンフィから教わった魔術談義によると、魔術にはその威力や難易度、詠唱の長さ、消費魔力量等から、【下級】【中級】【上級】【聖級】【冠級クラウン】と、五段階のランク分けがなされている。

 高位の魔術ほど、威力が高く、詠唱は長く、消費魔力量は多く、そして何より発動させるのが難しい。一般的に【上級】の魔術を行使できる者は限られた天才であり、達人と呼ばれるに相応しい実力者である。

 さて、そんな上級魔術を、タニアはいとも容易く発動させた。上級魔術師が驚愕するのも当然と言える。

 タニアの行使した魔術は、火と風の上級魔術を合成したもので、凄まじい熱風と多数の炎の竜巻を上級魔術師の周囲に発生させた。

 その一方、ヤンフィの頭上に出現した土塊のハンマーは、情け容赦なく振り下ろされる。


「顕現せよ、エルタニン」


 振り下ろされる土塊のハンマーに顔すら向けずに、ヤンフィは小さく呟いた。

 すると煌夜の左腕が緑色の光に変わり、右手に収束して剣を形作る。左腕は一瞬で、肩口から先が消え去った。


 果たして、頭上から襲い掛かる土塊のハンマーは、ヤンフィが振り上げたそのうねる剣によって両断され、一瞬で霧散する。


「そん、な……馬鹿、な……ぐぁっ――あぁ、ぅ――」


 上級魔術師とその場の全員は、皆等しく驚愕した。

 タニアが上級魔術を行使したこともそうだったが、上級魔術の岩石槌をヤンフィが容易く両断した事実が、到底信じ難いものだったからである。

 そうしてその光景を最期に、上級魔術師とその傍らにいた白いローブの女は、炎に巻かれて一瞬で消し炭となった。


「馬鹿、な……お前ぇ!!」

(さえず)るな、愚か者。死ぬ寸前まで、魔力を絞り尽くしてやろう」


 硬直して動かないフリットの眼前に、ヤンフィは軽いステップで踏み込んだ。

 それに何とか反応して、フリットは横薙ぎに斬り付ける。だが、遅すぎる。

 フリットが斬り付けるより速く、その剣は蹴り飛ばされており、魔剣エルタニンがフリットの心臓を刺し貫いていた。

 痛みはない、身体に異常も感じられない――と、そう思考したフリットは、しかしそのままその場に崩れ落ちる。

 全身から魔力が凄まじい速度で抜けていき、身体に全く力が入らなくなったのだ。みるみるうちに体温も下がり、思考は胡乱に、呂律は回らず、視界も乱れる。


「……あ? これ……は? ぅ――」


 何が起きたか理解出来ぬまま、フリットは至極あっけなく、その場で意識を失った。そんなフリットを見下ろしてから、ヤンフィはエルタニンを引き抜いて、また煌夜の左腕に戻す。


(……なぁ、ヤンフィ。つかぬ事を聞きますが、俺の左腕って、剣なのか?)

(そうじゃ。魔剣エルタニンを媒介にして、そこに魔力の肉付けをしたのじゃ。ちなみに、右腕と心臓は妾の器を転用しておる)

(あ、そう……ふーん。まぁ、いいや)


 煌夜は自分の身体がどうなっているのか、それ以上深く考えるのを止めて、とりあえずこの場を成り行きに任せる。

 周囲に意識を向ければ、いまだに炎の竜巻は荒れ狂っており、近くに建っている民家の何軒かが襲われ始めていた。

 あちこちで恐怖の悲鳴が上がっており、逃げ惑う人々の姿は阿鼻叫喚の図である。いったいどう収拾するつもりなのだろうか。

 そんな煌夜の危惧など関係なく、ヤンフィはこの場に残っているほかの戦士たちに視線を向けた。

 彼らは、フリットと上級魔術師の暴走に便乗しようとして、失敗した戦士たちである。タニアに向かってみな武器を構えていたが、行使された魔術の威力を目の当たりにして怖気づいていた。

 そんな戦士たちに、ヤンフィが順繰りに視線を合わせると、彼らは皆、ビクッと震えて怯えた表情を浮かべた。


「ボスは、さすがにゃ。あちし一生付いていくにゃ」

「……タニアよ。こうなったのは、そも汝のせいじゃぞ? 反省しておるのか?」

「にゃんのことにゃ?」


 タニアが胸元を押さえたまま、喜色満面の笑顔で寄ってくる。ヤンフィは呆れた声を掛けるが、何のことだ、とばかりにタニアは首を傾げてみせる。


「まぁ、良いわ――それにしても、なかなかやりよるのぅ。まさか、合成魔術を扱えるとは思っておらんかったぞ?」

「にゃぅ……酷いにゃ。ま、でもいいにゃ。あちしもボスがここまで凄いと思ってにゃかったにゃ」

「――とりあえず、タニアよ。あの合成魔術を解除せよ。もう充分じゃ」

「にゃ? 不可能にゃ」


 ヤンフィが荒れ狂う炎を指差して苦笑しながら言う。しかしタニアはあっけらかんと首を振った。

 途端、その場の空気は凍り付いた。


「…………どう云う、意味じゃ?」

「にゃん? どういうもにゃにも……あちし、実は攻撃魔術の解除ってできにゃいにゃ。魔術を展開したら、自然に消えるか、別属性で打ち消さにゃい限りそのままにゃ。そんでもって、あちしは、火と風以外は中級にゃので、この上級魔術は打ち消せにゃいにゃ。そもそも、もうあちしは魔力切れで、下級魔術も行使できにゃいにゃ」


 そのタニアの台詞に、煌夜が、はぁ、と他人事のように溜息を漏らす。

 ヤンフィもいまの自分の心境をどう言い表せばいいのか分からず、ふぅと疲れたように息を吐いて、ただただ呆れていた。

 一方で、全ての元凶であるタニアは、きょとんとして首を傾げている。

 タニアの放った炎の竜巻は制動を失って好き勝手に踊り狂う。それは巨大なキャンプファイヤーのように、火の粉を撒き散らして夜空を赤く染め上げている。

 辺りは騒然と悲鳴が響き渡り、どこかで鐘の音が鳴り始める。その場にいた戦士たちは巻き込まれないよう避難を始めて、同じように逃げ惑う市民を誘導していた。中には、炎の竜巻に果敢に挑み、魔術で打ち消そうと躍起になる戦士たちもいた。

 総じて、大混乱の様相である。

 戦火に巻き込まれた市街の光景、これがたった一人のせいだと考えると、確かにタニアは【大災害】だろう。


(……なぁ、どうすんだよ、これ。ヤバイだろ、大火事じゃん)

「タニアよ、汝は後で仕置きじゃ。後片付けまで、妾にやらせるとは……顕現せよ、エルタニン」

「にゃにゃ!? にゃんでお仕置きにゃ!?」


 ヤンフィはびっくりしているタニアを睨んで、ふたたび顕現させた魔剣エルタニンを手に、破壊の限りを尽くす炎の竜巻に挑みかかる。

 強烈な熱風と炎の奔流が、まるで生きているかのように、周囲の家々を手当たり次第に喰らっている。その炎の中心に飛び込んで、エルタニンを振るい、魔術を形作っている式を切り裂き、その魔力を吸収する。

 それは、さっきの戦闘よりもよほど過酷な仕打ちである。


 そうして完全に炎の竜巻が消えたのは、それから一時間近く経ってからだった。

 被害状況は、城門が半壊、民家五棟が全焼、死傷者十五名、煌夜の身体は五割が焼け焦げになってしまった。


 ――もう嫌だ、と煌夜は小さく嘆く。


 これが、異世界で初めて街に到達した日の出来事である。転移してから怒涛に過ぎたが、あまりにも長かった一日が、ようやく終わりを告げた。

※後書きは変更履歴に変えました。

 各キャラクターの情報、世界観設定は別途まとめて記載します。


6/6 一部キャラの台詞、キャラ表記を変更しました。


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