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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第〇章 プロローグ
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第一話 日常


 夏休みのとある土曜日。天見煌夜(あまみこうや)の平凡な日常が、腹筋に落下してきた柔らかくて獣臭い物体の重みから始まった。どっしりと重いソイツは、煌夜の腹筋の上に居座って、ワウワウ、と生臭い吐息を吹きかけている。


「煌夜お兄ちゃーん。朝だよー、朝食出来たよー」


 そして涼しげな声音が朝を告げて、同時に、ざらざらしてベタつく生暖かい舌が煌夜の瞼の上を舐め回してくる。そんな暖かさを感じて、今日も平和だ、と幸せを噛み締める。

 これが、天見煌夜十七歳の掛け替えのない日常の朝の一幕だった。


「ふあぁ――おはよう、ヨーゼフ。相変わらず今日も元気だな」


 煌夜は大きな生あくびをしつつ、のしかかって尻尾を振るヨーゼフを押しのけると、布団から身体を起こした。寝起きの頭を振ってから、傍らにちょこんと座っているヨーゼフの頭を撫でる。

 体長70センチはあるセントバーナードのヨーゼフは、撫で終えた煌夜にワンとひと吠えしてから、部屋の入り口に立っている可憐な少女の隣にのしのしと戻って行く。金髪碧眼の少女は、満面の笑みを浮かべている。


「サラもおはよう。今日のヨーゼフの散歩当番はサラになったのか?」

「うん、そうだよ。おはよう、煌夜お兄ちゃん」


 ヨーゼフを従えたその美少女は、笑顔のまま元気良く挨拶する。

 彼女はハイジではなく、月ヶ瀬(つきがせ)サラという。この天見園で一番新しい家族の一人であり、近隣では有名な【天見園の天使】と呼ばれている十歳の少女である。

 サラは輝くような眩しい笑顔と、まだ幼いとはいえ女性らしくなりはじめた凹凸のある身体をして、肩口にかかる長さの縮れた金髪に、澄み渡る碧色のパッチリした双眸で、見る者をキュン死させる可憐な顔立ちである。将来は誰がどう見ても絶世の美女に育つであろう素質を秘めた美少女だ。

 そんなサラの笑顔に日々の疲れを癒されつつ、煌夜は『惰眠上等』とプリントされた白いタンクトップにトランクスという格好のまま、その場でグッと背伸びした。


「早く着替えて食堂に来てよ、煌夜お兄ちゃん。今日はみんな一緒に、いただきますの日でしょ。みんな待ってるんだからね?」


 サラの台詞に、ワンワンと隣のヨーゼフが同意している。


「ああ、そっか。わかった、ありがとう。すぐに行くよ。サラは先に戻って、手洗っときな」


 煌夜はうんうんと頷いてから、タンクトップに手をかけると何の躊躇もなく脱ぎ捨てて、上半身裸になる。そこそこ鍛えられた煌夜の体躯を目の当たりにしたサラは、小さい悲鳴を上げてその美貌を赤面させると、慌てた様子で煌夜に背を向けて逃げるように部屋を出て行った。


 ここは、児童養護施設【天見園(あまみえん)】――保護者のいない児童や、家庭環境の問題により親元を離れざるを得ない児童を守るための施設である。

 職員は、園長と住み込みの人が二人、通いで三人のスタッフがおり、いま現在住んでいる児童は、全部で七人いる。うち中学生が三人、小学生が三人、そして高校生が一人である。

 ――さて、その唯一の高校生が、生まれたときからずっと天見園で生活している古株、天見煌夜である。

 身長165センチ、身体の線は細いがしっかりと筋肉が付いている細マッチョタイプ、地味でいかにも無害な見た目の草食系男子である。学力は中の上、運動神経は並、体力はそれなりで、これといった強みや才能は何もない凡夫だ。それでいて苦労人気質で、なにかとトラブルに巻き込まれやすい体質でもある。しかもそのうえ運は悪く、基本的に貧乏くじを引く星の下に生まれている。性格は優しく穏やか、社交性は高く裏表がない好青年で、不器用だが典型的な善い奴である。この天見園では年長者ということもあるが、なによりその性格から、みんなに慕われて兄としても尊敬されている。


 煌夜は手早くジーンズと『後手常勝』とプリントされたTシャツに着替えて、顔を洗ってから食堂に向かった。ちなみに天見園の食堂は、西館の一階、渡り廊下を通って共有スペースを過ぎたところにある。


「お、ようやくきたか煌ニイ。おっす」


 共有スペースに入った時、ソファに横たわって漫画を読んでいたジャージ姿の青年が声をかけてくる。

 某戦闘民族みたいに茶髪をツンツンに固めて、額には迷彩色のバンダナ、何かにキレているような凶暴な三白眼をしたその青年は、天見園で煌夜の次に年長者である五十嵐快(いがらしかい)である。

 快は中学三年生だが、既に身長が180センチを超えており、体格も熊のようにごつく、気性が荒くて喧嘩っ早い。協調性もなく普段の素行も悪いので、中学校では問題視されている悪童だ。他人にも自分にも厳しくキツイ性格だが、身内にだけは優しく甘い男でもある。


「おう、おはよう――って、おい、快。お前またヨーゼフの散歩をサラに押し付けたろう。ちゃんと当番通りに散歩しろよ」

「あん? ちげえって、ソレ。サラが散歩してえって顔してたから、俺がわざわざ代わってやったんだって。マジ、ソレ、煌ニイ、言いがかりだぜ」

「どこが言いがかりだよ……まあ、サラが文句言ってるわけじゃないから別にいいけど、兄貴分として少しは――」

「はいはいはい、わあってるよ。朝からお説教は遠慮だぜ。んじゃ、ほれ、とりあえず飯行こうぜ、飯。腹減ったって」


 煌夜のお小言から逃げるように、快は漫画を本棚に片付けると、そそくさと食堂に消えていった。煌夜は呆れ顔で息を吐いてから、その後を追う。

 食堂に入ると、一斉に十二の瞳が煌夜を見つめてくる。一瞬にして注目の的だ。サラの言っていた通り、みんなが煌夜の登場を今か今かと待っていたようだ。

 見れば、誰一人食事に手をつけてはいない。律儀なみんなに、煌夜は申し訳ない気持ちになった。


「悪い悪い、寝坊したよ。みんな待っててくれてありがとう。さあ、食べようぜ」


 煌夜は手を合わせて謝りつつ、朝食が用意された自分の席に腰を下ろす。煌夜が席に着くと、みんなは待ってましたとばかりに声を合わせて、いただきますと食事を摂り始める。その光景は、まさに小学校の給食の時間のようだった。微笑ましい光景である。

 煌夜はその光景にほっこりとしつつ、配膳された朝食に目を落とした。

 今日の朝食は唐揚げ定食である。あったかい味噌汁と、ホカホカの米、そしてカリカリに揚がった鳥の唐揚げと、彩り鮮やかなサラダというバランス食だった。

 ゴクリと唾を飲んでから、いただきますと呟いて、まずは唐揚げを口に運ぶ。見た目に負けず劣らず、その味も素晴らしい。煌夜は美味しい食事を作ってくれる食堂のおばちゃんに感謝する。


「あ、その――ね、ねえ、煌夜お兄ちゃん。食事中、ごめんね。その、訊きたいことがあるんだけど……いい?」

「うん? なんだ、サラ?」

「う、うん……あの――今日の夜は、付き合ってくれるんだよね?」

「ん? 今日の夜? 何が?」


 煌夜がモシャモシャと食事を摂っていると、向かいの席に座るサラが遠慮がちに質問してくる。だが、その台詞には主語がなかった。煌夜は首を傾げた。


「何、って、その、今日の夜のこと、だよ……?」

「おいおい、マジで忘れてんのか、コウヤ? 俺らと夏祭り行く約束だぜ」

「そうだよ、煌夜兄。ボクとコタとサラと一緒に、神隠し山の夏祭り、連れてってくれるんでしょ?」


 とぼけた態度の煌夜にサラは不安そうな声を上げて、同時に、サラの両隣に陣取る少年二人が非難めいた声を上げる。

 煌夜を呼び捨てにしたほうの少年は、谷地虎太朗(やちこたろう) という。日焼けて色黒、やんちゃで元気の有り余っている顔立ちをしたスポーツ刈りが良く似合う少年で、サラと同い年の小学四年生だ。天見園ではサラの次に新しい家族で、家族歴は五年ほど、煌夜よりも快を慕っており、粗暴で横柄、そのうえ喧嘩早い。だが、快と同じように身内には優しく、正義感あるガキ大将だ。

 一方、もう一人の少年は、天見 竜也りゅうやという。サラたちと同い年で、歳の割りにしっかりした体格の虎太朗と比べると、まだまだ小さく弱々しい印象をした眼鏡少年だが、その内面は一番大人びている。煌夜と同じ名字をした唯一の子供であるが、血は繋がっていない。天見園では、煌夜と一番付き合いの長い弟分である。きりっとした顔立ちに、地味な眼鏡をかけてなよっとした文系少年だが、虎太朗に負けずとも劣らぬ抜群の運動神経を持っている。ちなみに眼鏡をしているが、別段目が悪いわけではなく、それは紫外線と日差しを遮る遮光眼鏡である。竜也は生来、強い日差しや光に弱いため、太陽の下では睨むようなしかめっ面になってしまうのだ。

 竜也と虎太朗は、同い年ということもあり非常に仲が良い親友同士である。しかし同時に、“天見園の天使”こと月ヶ瀬サラに、懸想する恋仇同士でもある。


「――さっきさ、俺ら、コウヤのバイト先で夕飯食ってそのまま祭り行こうぜ、って計画を相談してたんだよ。そしたら千鶴ちゃんが現れてよ。『コウくんは今日、終日仕事だから、あんまり迷惑かけないようにしなよ』って、言いだしたんだよ」


 虎太朗がギラリと鷹のように鋭い視線を煌夜に向けてくる。なるほど、と煌夜は心の中で頷いて、要領を得ないながらも、虎太朗たちが何を言いたいのか察した。

 つまり、夏祭りに行く約束を忘れてやしないか、と釘を刺しているのだろう――無論、煌夜はその約束を忘れてはいない。


「まさか――んなはずねぇよな? 今日は、終日バイトでしたとか、ありえねぇぞ?」


 確かに、そんなことはなかった。正確には終日ではなく、午前八時から午後二時までと、掛け持ちで午後二時半から午後八時半までバイトである。ここのところ連日残業だったから、午後の仕事は自制させてもらって、いつもより早く上がれるシフトになっている。

 ちなみに午前は、24時間営業の薬局、午後はカフェレストラン【リトルプリンセス】でバイトである。


「ま、千鶴ちゃんは抜けてるからよ。俺はまたいつもの勘違いだと思ってるんだが、なんかムキになって、『曜日を間違えてるんでしょ!』って言い出すから、リュウたちが心配しちまってよ」

「そりゃ心配にもなるよ、コタ。千鶴先生は確かに少し抜けてるけど、煌夜兄も時折ポカするから……」


 竜也と虎太朗がサラを挟んで、煌夜にずずいと詰め寄ってくる。サラはその可憐な表情に不安を浮かべて、しかし無言のうちに、煌夜お兄ちゃんのこと信じてるよ、と訴えていた。

 ところで、先ほどからさりげなくディスられている『千鶴』とは、天見園の住み込み職員の一人で、東千鶴(あずまちづる)という女性のことである。天見園の卒園生で、今年二十五歳になるおっとり美人――その美貌から、近所では【天見園の女神】とも呼ばれている。

 そんな千鶴は、確かに虎太朗の言う通りよく勘違いする女性で、結構抜けている。だがしかし、今回に限っては抜けているのは、どうやら煌夜のほうかも知れない。

 煌夜はにこやかな笑顔を浮かべて、ただただ曖昧に頷いている。その内心はかなりパニくっていたが、おくびにも出さず笑顔だった。


「ああ、もちろん祭りに行く約束を俺が忘れるはずないよ。ちゃんと覚えてるさ」


 そして煌夜は、棒読みに事実を口にする。これは本心で、嘘偽りのない言葉だ。夏祭りに行く約束を忘れてなどいない。ちゃんとスケジュールにも予定は書き込んでいる。

 煌夜のその台詞に、ホッと安堵の吐息を漏らすサラ。けれど両隣の二人は、煌夜の態度に怪訝な顔を浮かべている。


(……予定じゃ、夏祭りに行くのは今日じゃなくて、明日の日曜日のはずだったけど? アレ、おかしいな……まさか、間違えた?)


 煌夜は、つと冷や汗を流した。けれど、心の動揺は努めて隠して、その笑顔を崩さない。


「……なあ、コウヤ。今日の予定を聞いてもいいか?」

「煌夜兄、今日はカフェのバイト、早番なんだよね?」


 そんな煌夜の動揺を見抜いたように、二人は問い掛けてくる。それは、示し合わせたように息ぴったりで、有無を言わせぬ圧力があった。

 煌夜は即答で、「ああ勿論、予定は埋まってるし、早番じゃないよ」と言いたいところだったが、いかんせん空気は読もう。

 ただ微笑んで沈黙を守った。

 そんな煌夜に対して、二人はジト目になった。責めるような重苦しい空気も漂い始めるが、煌夜はどこ吹く風と笑顔で受け流しつつ、脳内で今日のシフトを確認する。

 バイトを代わってくれる誰か――代わりとなる生贄を探して。


「煌夜、お兄ちゃん……?」


 そのとき、サラがいまにも泣きそうな表情で、震える声を上げた。笑顔のまま沈黙していた煌夜は、ハッとして、慌てた様子でサムズアップする。


「大丈夫! 行ける、いや行く、行かねば! 約束は守る。俺は約束を護る男だ。安心しろって! だから泣くなよ、サラ。そんじゃあ、今日は夕方六時に【リトルプリンセス】に集合にしよう。夕飯は奢るから、そこで食べよう」


 煌夜は申し訳なさそうな顔をしながら、サラの頭を優しく撫でる。約束は守らなければならないし、期待を裏切るわけにもいかない。ましてや、予定を明日と間違えただけだよ、なんてわざわざ真実を暴露する必要もない。

 だからというわけではないが、罪滅ぼし兼ご機嫌取りで、外食の提案をしてみる。


「おぉ! いいね。煌ニイ、そんじゃ、今日は夕飯外食だ! おい、めぐみ隼人はやと、喜べ、煌ニイが好きなだけ奢ってくれるってよ!」

「「ゴチになります!」」


 するとその提案を耳にして、輪の外にいた快が強引に割って入ってきて宣言する。そして瞬時に空気を読んで、テーブルの端に座っていた二人の男女が声を合わせる。


「――――は? な……! ちょ、待てお前ら……」

「「「ゴチになります!!」」」


 呆気にとられる煌夜に、今度は快を含んだ三人が同時に頭を下げてくる。悪びれもせぬその勢いに、煌夜はウッと唸って二の句が告げなかった。


「え? 快兄さんたちも一緒に夏祭り行ってくれるの?」


 一方で、快の台詞を聞いて、パアッと花が咲いたように笑顔になるサラ。全員で一緒に遊びに行ける、と期待しているのがありありと分かる。だが、その期待は空振りだ。恵が首を振って否定した。


「や、サラにゃ悪いけど、ウチら祭りは行かないわよ。ウチは人混み嫌いだし、隼人も快兄も用事あるし」


 そう言って笑う佐藤恵は、ブレザー制服を着た茶髪ロングの日焼け少女で、竜也に次いで天見園の古株の中学二年生である。


「ああ、そうなんだよ、悪いな、サラ。隼人は俺とバッティングセンター行く予定だから、祭りは煌ニイに案内してもらってくれ」

「ウンウン、ごめんよサラちゃん」


 快の言葉に、隼人が頷く。二人とも謝っているわりには、その表情からは申し訳なさは窺えない。

 隼人――佐藤隼人は、中学一年生で恵の実弟である。まだ幼い顔立ちをした丸刈りの野球少年で、青いジャージを着た八重歯が特徴的な少年だ。

 サラは二人の言葉に、残念そうに顔を伏せる。けれどすぐさま顔を上げると、煌夜に期待のこもった笑顔を向けた。


「それじゃあ、煌夜お兄ちゃん。六時にみんなで【リトルプリンセス】に行くからね。それからお祭りに行こうね」

「く、いや……全員は、奢らな――」

「さすが、煌ニイ。漢だぜ。ごちそうさまです」


 煌夜は、全員には奢らないぞ、と断ろうとするが、最後まで言わせず快が頭を下げる。同時に、恵も隼人も期待に瞳を輝かせて煌夜をジッと見詰めた。

 長い付き合いだ。三人とも、煌夜がそんな視線を向けられたら断らない、ということを知っていた。煌夜も身内には甘い男である。

 煌夜は、はぁ、と心の中で諦観の溜息を吐いて、渋々と頷く。

 これではどうしたって煌夜が折れるしかあるまい。


「あ、ああ……わかったよ」


 イェーイ、という歓声と、サラの優しい笑顔に、苦笑で返して、煌夜は、食事が終わったらシフトチェンジの件と併せて、座席の予約もしようと心に決めるのだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 カフェレストラン【リトルプリンセス】の個室にて、計七名の育ち盛りたちが一堂に会していた。時刻は午後七時を少し回った頃合い、食事はひと段落ついたところである。

 さて、と煌夜は、みんながどのデザートを頼もうかとメニューを再度眺め始めたのを見て、大きな声で切り出した。


「――なあ、そろそろお開きにしようぜ。みんなもうたらふく食ったろ?」


 チラリと伝票を確認していた煌夜は、これ以上はヤバイと若干焦っていたのである。既に財布が空っぽになる勢いだ。みんなの辞書に遠慮という文字はなかった。特に中学生トリオのエンゲル係数は驚異的で、その三人だけで諭吉が二枚必要なほどになっている。

 煌夜は予想と覚悟をしていたが、それ以上にかなり手痛い出費である。


「ああ? んでだよ、煌ニイ。俺らまだデザート食ってねえんだけど?」

「駄目だ。デザートは禁止! つうか、遅くなる前に祭りに行きたいんだよ」


 しかし当然のように、快は不満げに文句を漏らす。不愉快そうに眉根を寄せて、思わず謝りたくなるほどの凄みで煌夜を睨み付ける。そのメンチ切りを煌夜は怯えず真正面から睨み返して、ハッキリクッキリ断言した。

 それを聞いて、ほかの五人からは非難めいた声が上がった。

 そんな声は無視して、煌夜は一人、会計伝票を握るとサッサとレジに向かった。


「チッ、しゃあねえか。煌ニイがこうなったらもう無理か。おい隼人、もう行こうぜ」

「ウンウン、わかった」

「じゃあ、ウチも家に戻るわ。サラたちは気をつけなよ。煌夜にいちゃんと逸れないように……もし逸れたら、合流する場所を決めておきな。そうすりゃ迷子にならないからさ」


 快と隼人が渋々と席を立ち、それに続いて恵も立ち上がる。サラは恵の台詞に素直に頷き、竜也は「その手があったか」と、何やら感銘を受けていた。

 食べるだけ食べてサッサと店を出て行った快たち三人を見送ってから、虎太朗と竜也も席を立つ。サラも慌てて飲みかけの烏龍茶を飲み干し、丁寧に口回りをティッシュで拭う。その慌てた様を見て、竜也は微笑んだ。


「サラは慌てないでいいよ。ボクらちょっとトイレ寄っていくから」

「ん? は? んだよ、リュウ……」


 行こうぜ、と店の出口に向かおうとした虎太朗の肩を掴んで、竜也が強引にトイレへ連れていく。それをキョトンと見つめてから、サラは落ち着いて身支度を整えて、会計中の煌夜のところに向かった。


「煌夜お兄ちゃん、お待たせ」

「おう、サラ……ん? 竜也たちは?」


 煌夜はだいぶ軽くなった財布にどんよりとなりつつ、トタトタと駆け寄ってきたサラが一人だったことに首を傾げた。席を見るがそこには既に誰もおらず、早速新規の客が案内されていた。


「二人してお手洗いに行ったよ――――煌夜お兄ちゃん、今日はごめんなさい。わがまま言っちゃって」


 どんよりとした煌夜の気持ちを察してか、サラはシャツの裾を掴んで申し訳なさそうに顔を伏せる。その様を見た煌夜は、呆れたように苦笑してサラの頭を撫でた。


「馬鹿だなぁ、サラ。家族にはわがままを言うもんだよ。そうやって遠慮して、すぐ謝るのはサラの悪い癖だ。こう言う時は、ありがとう、の一言でいいんだ」


 煌夜は教え諭すように優しく言う。その柔らかい笑顔を見てサラは小さく頷いた。

 サラは昔から遠慮する子だった。一線を弁えるというか、自分を素直に出せず、自分を殺して周りに合わせるような子である。天見園に来るまでの境遇、生い立ちを考えれば、そうなってしまうのもさもありなんだが、これからはもっとわがままになって欲しい。彼女はもっと報われるべきなのだ。煌夜はしみじみとそう思っていた。


「……うん。ありがとう、煌夜お兄ちゃん」


 囁くように恥ずかしげに、サラは頬を染めながら俯いた。そんなサラを見て、言いようのない満足感を得る煌夜である。


「――おいおい、コウヤ。俺らがいねえ隙に、何をサラとイチャついてんだよ」

「お待たせ、煌夜兄」


 すると、トイレのほうから待ち人二人がやって来る。待たせた自覚のない横柄な態度の虎太朗は、サラの頭に手を載せた煌夜に、チンピラみたいなメンチを切ってきた。


「待たせておいて、その態度……イチャついてるのが、そんな羨ましいのか、コタ?」


 虎太朗の言いがかりに呆れた顔で返すと、サラがバッと顔を真っ赤に否定した。


「イチャ――って!? 違、違うもん! もうっ、煌夜お兄ちゃん!」

「う、羨ましいわけねえだろ。フザケンナよ、コウヤ」


 同時に、虎太朗も真っ赤になって否定する。虎太朗も自分の気持ちに素直になれない子供である。


「さて、そんじゃとりあえず行くぞ。もうとっくに祭りは始まってるからさ」


 カフェレストラン【リトルプリンセス】を出ると、さすがに外はもう夜の帳が下りていた。店内の涼しい空気が一変して、むわっとした空気が煌夜たちを出迎える。


「ねえ、煌夜お兄ちゃん。ここからどう行くの?」

「そんなの、こっから駅前に戻ってバスだろ?」

「――違うよ、コタ。ここからだと、真っ直ぐに通りを抜けて、公民館の裏を回った方が早いよ」


 リトルプリンセスを出て歩き始めると、サラが疑問を口にする。サラは夏祭りの会場である神隠し山に行くのは初めてだった。

 サラの疑問に間髪入れず答えたのは虎太朗だが、その自信満々な台詞を、竜也が苦笑しながらはっきりと訂正した。虎太朗はむっとしていた。

 そんな普段どおりの三人に、煌夜は子供を見守るお父さんの気持ちを噛み締めていた。


「あぁ? それ近道になるか? 結構遠くねえか?」

「コタ。この時間だと、公民館のとこから祭りの篝火かがりびが見えるぞ。隠れた出店も多いし、地元民なら絶対外さない穴場スポットだぜ」

「――え!? 煌夜お兄ちゃん、それホント?」


 煌夜はニヤリとほくそ笑んでみせる。すると、サラが瞳を輝かせる。そんなサラの横顔に、虎太朗がウッと息を呑んで見惚れていた。いつもの光景である。

 そうこうしているうちに、次第に辺りには街灯がなくなり、舗装されていない地面の隘路あいろが現れる。田圃がチラホラ姿を見せて、いかにも田舎道、農家の通り道に変わる。蛙の鳴き声がそこかしこから聞こえてくる。

 サラは辺りの暗さに怖がって、ギュッと煌夜のシャツを握りしめてきた。虎太朗も初めての道で少し怖いのだろうか、強がっているが顔が引きつっていた。一方で、竜也は平然としている。涼しげな顔でみんなの殿しんがりを務めていた。


「お、ほれほれ、聞こえてきたぜ」


 それからしばらく歩くと、蛙の鳴き声に混じってかすかに和太鼓の音頭が聞こえてくる。

 煌夜はサラの頭をポンポンと叩いた。耳を澄ませば、いつの間にか夜の闇に軽やかな祭囃子が舞い踊っている。そう意識した途端に香ってくる美味しそうな匂い。

 みんなが顔を上げて真っ直ぐ前を向いた。

 そこにはライトアップされた神隠し山と、麓へと続く道に沿って並ぶ色とりどりの出店があった。その光景に、虎太朗とサラが両目を見開いて全力で驚いている。

 煌夜は、どうだとばかりに胸を張った。


「あ、そうそう。煌夜兄、待ち合わせ場所を決めとこうよ。迷ったら、ここを目指せ、みたいなさ」


 そのとき、今にも駆け出しそうなサラたちとは対照的に、冷静な竜也がそんな提案をする。

 何か隠しているような態度に煌夜は一瞬怪訝に思ったが、よくよく考えればそうした方がいいだろう。山道はキチンと道が出来ているから、よほど脇道に逸れない限り大丈夫だが、山頂付近の祭り会場は人でごった返している。そんな中、遊びたい盛りのやんちゃな小学生たちが迷わずに団体行動を出来るとは思わない。

 煌夜はうむ、と一つ頷き、山頂に見える赤い鳥居を指差した。


「そうだな、わかった。みんな、これから先は人混みが凄いから、勝手な行動は慎むように。けど、万が一迷子になったら、あの鳥居のとこで落ち合おう。あそこは待ち合わせスポットで有名な場所だ。あ、ちなみに迷ったら近くの大人にも助けを求めろよ」

「「「はーい」」」


 いいな、と念押しすると、サラは神妙な顔で、虎太朗は面倒臭そうに、竜也は悪戯を成功させた子供の顔で返事をした。

 神隠し山は標高400メートル程度で、東京ドームほどの面積をした小さい山だ。登山道は割と険しいが、迷いようのない一本道で、子供の足でも一時間もあれば登頂できる。舗装された車道もあり、麓から無料の山頂往復バスも出ている。山頂にはサッカーコートほどの広場があり、小さな神社が建てられている。鳥居はその神社の裏にある道を下った先にあり、地元では有名な観光スポット【神隠し岩】と呼ばれる絶壁の行き止まりの前に建っている。なぜ岩壁の前に鳥居が建っているのか、それは長年の謎である。

 夏祭りはその山頂の広場の所で行われている。ちなみに、麓からそこまで歩くのはこの時間からではさすがに厳しいので、当然煌夜たちはバスを使った。


 バスで八分。山頂に辿り着くと案の定、夏祭りは宴もたけなわでその人混みは凄まじかった。見渡す限りの人人人。

 浴衣の美女や、タンクトップのイケメン、学生服の集団等々が、各々楽しげに騒いでいる。

 煌夜はそれほど人混みが得意ではないので、その熱気をモロに受けて、ちょっと後悔していた。それは虎太朗や竜也も同じだったようで、少しだけこの人混みに顔を引き攣らせている。

 ただ一人サラだけが、その光景を前に、とても楽しそうに喜んでいた。目を爛々と輝かせて、今にも踊り出しそうなほど熱に浮かされて、フラフラと出店に吸い寄せられていた。


「おい、サラ、ちゃんと周りを見ろよ。迷子になるぞ」

「あ、はーい」


 咄嗟に煌夜は注意するが、サラはおざなりの返事をして綿飴の出店に歩いていく。まるで誘蛾灯に吸い寄せられる羽虫のよう、と煌夜は心の中で呆れていた。


「ねぇ、コタ――ちょっと……」

「あん? んだよ、リュウ」


 そんなサラを見た竜也が、虎太朗を促して何やら井戸端会議を始める。いつもなら我先にと騒ぎ立てるはずの二人が、珍しい光景だった。

 煌夜は首を傾げつつ、バス停から動かない二人に問い掛ける。


「どうした? 二人も、見てきていいぞ?」


 しかし、煌夜の言葉は華麗に無視された。煌夜はムッと眉を顰めて、二人の輪に無理やり割り込み、虎太朗の頭を小突いた。


「なんだ? お前ら、もしや――なんか企んでるか? 何するつもりだぁ?」


 竜也と虎太朗がサラを除け者にこそこそと相談している場合は、十中八九サラに対する何かを計画しているときである。祭りというシチュエーションに乗じて、何かサプライズを考えているのだろう。煌夜はそう勘繰っていた。


「別に……何でもねぇよ、コウヤ」

「おいおい、何でもなくはないだろ? で? 何を企んでんだよ、二人で」

「――チッ。何も企んでなんてねぇって…………ん? いや、企んでんのか? どうなんだ、リュウ?」

「うん、まあ、企んでると言えばそうかも、だけど煌夜兄が心配するようなことはしないよ。悪戯じゃないしさ」


 竜也が笑いながら首を振った。どうやら企画発案は竜也で、しかもまだ虎太朗は企画の全容を知らない様子である。ということは、予め用意していた計画ではないのだろう。

 ちょっとしたサプライズかな、と煌夜は当たりを付けた上で、釘を刺す意味で竜也をジロリと睨んだ。


「……本当に、悪戯じゃないのか?」

「違うよ。でも、サラと煌夜兄には、まだ内緒にしたいな」

「んー、わかった。なら、これ以上は聞かないけど……くれぐれもサラを困らせるようなことはするなよ?」

「分かってるよ、煌夜兄。じゃあ、ボクたち別行動するから――あ、ちゃんとサラをエスコートしてあげてよ?」


 綿飴の出店の売り子とお喋りをしているサラの後姿を見てから、竜也は虎太朗の肩を叩いて、サラの居る方とは逆側に歩き出す。

 煌夜はポリポリと頭を掻いて、分かってるよ、と返した。


「あ、それと――途中で合流するの難しそうだから、ボクらは鳥居のとこにいるよ」

「はいはい。何するか知らないが、周りに迷惑かけるな。んで、気をつけろよ」

「それこそ、分かってるよ」


 竜也と虎太朗は振り返らず手を振って、祭りの人混みの中に飲み込まれて行った。それを煌夜は苦笑しつつ見送る。


「ちょっと煌夜お兄ちゃん! 何してるの? 早く行こうよ!」


 振り返ると、サラが実に楽しそうな笑顔で、金魚すくいの屋台を指差していた。

※前書きを後書きに移しました。また後書きを編集しています。


プロローグ前編。

三話までがプロローグです。

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