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bloom  作者: うえのきくの
13/38

bloom2 せいくらべの恋5

 


 バスツアー当日。天気は晴れ、絶好の小旅行日和である。

 新宿で参加者は集合してバスに乗る。雅人も小振りのバックパックを担いで集合場所へと急いだ。

 参加者は参列する花嫁花婿を含む20人とbloomのスタッフ、水科、山崎、咲乃、長野、樹晏、雅人の6人だ。

 弥生は不参加。情野と太田は現地ですでに準備をしているだろう。

 ところが雅人が集合場所についてみるとk太田がいた。

「あれ、おはようございます、直行だって……?」

「おはよう。うん、予算が合わなくなっちゃって、私が運転手をかって出たんだ」

「運転手………」

「あ、安心してね。大型二種持ってるから」

「大型二種……」

 人は見かけによらないものである。彼が資格をたくさん持っていることは聞いたことがあるがそんなものまで持っているとは思わなかった。


 スタッフが揃って軽い打ち合わせがすむ頃、参加者が続々と集まってきた。

 ミステリーツアーなので花嫁花婿とスタッフ以外はどこにつれていかれるのかもわかっていない。もちろん、御両家のご両親も知らないのだ。

 知らされているのは、一泊旅行になるから準備をしてくることと、バスに乗るので必要な人は酔い止め対策をしてきてほしいこと、その二点だけ。

 そして全員が集合して一行はオンタイムで結婚式へと出発した。


 バスのなかは前の方に主役の二人と、司会の長野。後方にbloomのスタッフが座っていた。

「おはようございます。私、この度司会と進行を勤めさせていただきます長野と申します。ご不明な点や、ご気分が悪いなどありましたら、私や後ろにおりますスタッフにお声かけください」

「にーさん、それで俺たちどこにつれていかれるのー?」

「それがわからないのが、ミステリーツアーでございます。このあと何ヵ所かを経由して、本日宿泊するお宿に向かいます。そちらで披露宴となりますので、あまりバスのなかでお酒など召し上がられますとせっかくの美味しいお食事を食いっぱぐれてしまいますのでご注意くださーい」

 相変わらずの長野節でバス内を盛り上げたあと、一行の乗るバスは20号線を杉並方向に進んだ。


「…………で。ここ、どこ?」

 一行がたどり着いたのは出発から30分ほと走った、ただの駐車場だった。

「え、何ですか?ここ」

 不思議顔の乗客を駐車場に下ろし長野が全員を先導する。

「えー、皆さん。ここは杉並区役所です。新郎新婦はこの近くでこれから新生活を始めます。じつは、お二人は婚姻届の提出が済んでおりません。そ、こ、で! 皆さんを立会人として今からこの区役所に提出したいと思いまーす! 許可はとってありますが、一般のお客様もいらっしゃいますので出来る限りお静かにお願いいたしまーす」

「…………」

 スタッフとご両人以外はポカン顔だ。

「はーい、じゃあ、行きますよー」

 長野がいつのまにか手に持った『滝沢さま橋下さまご一行』のペナントにみんなでついていく。長野は今日司会兼バスガイドだ。

 ぞろぞろと役所の中に進む。さながら社会科見学といったところか。

「こちらは周平さんと玲夏さんには事前にご署名いただいております婚姻届です。それではゲストを代表して古林様、安部様に証人としてご署名お願いします」

「え、俺?」

「私、初めてー」

 お友だちに署名をいただいて二人が婚姻届を提出する。二人とも判子を持ってこいといわれた理由がやっとわかったことだろう。


「はい、受理しました。おめでとうございます」

「あ、りがとうございます」

 友人や親戚たちが口々に祝辞を述べる。ヒューヒューと二人を冷やかす声がする。一般の人たちも遠巻きに見ていたがつられて拍手をしている人もいる。お互いの母親は予想外の事に涙ぐんでいた。

 それらを樹晏や雅人たちは後ろからみていた。

「なあんか、いいね」

「うん」

「幸せそ」

「うん」

「玲夏さんと、付き合ってたの?」

「う、ん」

「そっか。いつ頃?」

「……んと、高校から、22歳くらいまで」

「あら。何で別れちゃったの?」

「………急に、他に好きな人ができたって、言われた」

 雅人の顔は悲しくも切なくもなく、ただ当時の事を淡々と話すので他の人なら彼女の事を本当に好きではなかったんじゃないかと思うかもしれない。

 でも違う。彼はそんなに器用な男ではない。好きでもない人に長い時間を費やしたりなどできない。

 二人が別れただろう頃を、樹晏は知っている。あまりに突然告げられた別れに、わかりづらかったがあり得ないほど傷ついていた。

 表情は何でもないのだ。でも、すべての行動が狂っていた。

 例えば、右と左が違う靴で出勤してくる、冬なのに暖房もいれずに部屋でポカンとしている。それらの事を全くおかしいと気づかずに何ヵ月もの間続けていたのだ。あれがなくなったのはどのくらいたってからだっただろうか。

 いいかげん、回りが何とかしてあげなよと樹晏に言ったものだが、彼女にはわかっていた。ああして彼が自分の気持ちに折り合いをつけていることを。時間がたたないと整理がつかない思いを抱えていることを。

 本気で玲夏さんを好きだったことを。

 なぜ、彼女に伝わらなかったんだろう。何年もの間、雅人をみていたのに。


 無事に婚姻届を提出した一行は、またバスに乗り出発した。車内では早速缶ビールやチューハイのプルタブを開ける音がそこここで鳴り、口々に乾杯の声が上がる。

 おめでとう、おめでとう。お祝いの声、笑顔、歓声。

 雅人はどんな気持ちで聞いているんだろう。そっと見るとなにも言わず窓の外をみていた。


 バスは練馬のインターから高速に乗った。

「やっほー、樹晏、雅人ー。ジュース飲むう?」

 もちろんスタッフが一緒になって酒を飲むわけにもいかないのであちこちでお茶やジュースをショボくれて飲んでいる大人がいる。

「ありがとうございまーす、お茶ください」

「おれ、コーラ」

 咲乃が持ってきたペットボトルを開けて喉を潤す。雅人はキツイ炭酸を飲んでもゲップが出ないのが密かな自慢だ。因みに酒にも強い。色が白く細身の雅人はいかにも下戸に見えるのだか、顔にも出さずすいすいと呑む。端からみていると全くの素面に見えて相当進んでいたりする。態度も口調も変わらずに突然限界が来て、パタリと眠ってしまうのだ。


 そうして一行をのせたバスは藤岡JCTから長野方面に向かっていった。

 乗客のほとんどが長野言うことを守りほどほどの酒で我慢していた頃、樹晏のとなりに玲夏がやって来た。

「お疲れ様ですー。すいません、うちのお客さんだけ呑んじゃって」

「いいえー、とんでもない。玲夏さんは、楽しんでますか?」

「あは、私も飲めないから、気持ちだけ楽しんじゃってますよ?」

 あら、彼女は飲めないんだ。少し意外な感じもした。いかにもお酒を楽しみそうに見えたからだ。

「お酒、駄目なんですか?」

「ううん、今はちょっと」

「……あ、そうか。妊娠されてたんでしたね!」

 危ない、危ない。すっかり忘れていた。新婦は妊娠4ヶ月だといっていた。もう、安定期に入っているから心配はないが何かあったときのために全員気を付けてみているように言われていたのだ。

「じゃあ、お茶で乾杯ですね?」

「ふふっ、残念ながらそうですね」

 雅人も通路をはさんだ隣の席でペットボトルを合わせる真似をする。乾杯のつもりなのだろう。


「それにしても結城くんは久しぶりだったね。えっと、3年ぶり?」

「うん」

「元気、だった?」

「うん」

「相変わらず、無口なの?」

「………うーーん?」

「大事なことは喋るよね?」

 樹晏は二人に会話の間にそっと入った。何となくヤキモチのような嫌な気持ちになってしまう。自分はそこにはいなかったのに。

「でも、自分が結婚するほど大人になっちゃったなんてビックリするよ」

「私も友達の結婚式にはだいぶ出ましたよ? みんな、すごいです」

「そうそう。私も仲間入り、できるのかなー」

「玲ちゃんなら」

「え?」

「玲ちゃんなら大丈夫」

 雅人がふんわりと笑っていた。見たことのない、柔らかい笑顔で。

「きっと、いい奥さんになる」

「じゃあ何で」

 急に玲夏がキュッと眉を寄せた。声も心なしか強ばっている。

「私がいい奥さんになれるって言うなら、なんであの時浮気なんかしたの?!」

 浮気? 浮気といっただろうか。

 雅人は目を丸くして玲夏を見ている。これ以上ないほどに驚いた顔で。


 玲夏と付き合っている間、一心不乱に彼女だけを見ていた。不思議と心が揺れることもなくいつでも信じていられた。

 ずっとこの温もりが自分のそばにあり、それを支え、支えられて生きていくものだと疑っていなかった。

 実際、二人の間には将来の約束の話も出ていたのだ。

 雅人が今のサロンに勤めだし、まだアシスタントではあったが安定した収入が出始めた頃。

 スタイリストになれたら結婚しよう、と。

 浮気なんてするはずがなかった。


 雅人が否定しようと口を開きかけたその時、通路の向こう側で樹晏がいった。

 さも、当たり前のように、言った。

「雅人が浮気なんてするはずない。なにかの間違いじゃないですか?」

「え……だって」

「しないですよー。だって、雅人ですよ?」

 絶対にない、そんな口ぶりだった。絶対的な信頼、彼女からはそれが感じられた。

「え……そうなの?」

 雅人は返事をしなかった。返事の代わりに軽くうなずいて見せた。

 玲夏はさっと席をたち元いた席に戻っていった。

「なんか、勘違いしちゃったのかな」

「うーーん……」

「なんか、おかしなことにならなきゃいいけど」

 雅人も珍しく不安げな顔をしていた。


 樹晏の予感は最悪の形で当たった。

 バスが碓井軽井沢のインターで高速を降りると昼食をとるために予約していた蕎麦屋に入る。

 全員美味しい蕎麦に舌鼓を打っていると、剣呑な声が上がった。

「なんなのそれ。じゃあ、私は騙されたって訳?」

「騙した訳じゃない! 結果………そういうことになっちゃったけど……でも違うんだ!」

「違わないよ! 周平は自分のいいようにしたかっただけじゃん!」

「玲夏……」

 玲夏がずんずんと雅人の側までやってきた。そしてその腕をぎゅっと絡めるとぐいと立ち上がらせ、恐ろしいほど冷酷にいい放った。

「別にいいよ。結婚もなしにする。お腹の赤ちゃんはほんとは雅人の子だもん。周平なんて関係ないもん!」

 全員あっけにとられて玲夏を見た。そして、周平をみて、雅人を見た。

 雅人は何て言うんだろう、隣にいた樹晏は自分の方が体を固くして息を飲んだ。

 そして雅人は言ったのだ。

「……ごめん、玲ちゃん。気がつかなくて。結婚式はやめにしよう。これからはおれが玲ちゃんと赤ちゃんを守っていくから」


 一拍置いて、耳から聞こえた言葉を樹晏の頭が理解した。そして雅人の正面に回りその顔を思い切りひっぱたいた。

 手が、じんとしびれた。痛かった。手だけではなく心まで痛かった。

 それなのに彼は冷めた目を樹晏にくれると玲夏の肩に手を回し「バスに戻ろう、少し顔色が悪い」と、立ち去ってしまった。

 そんなことは、あるはずがないのだ。最初の打ち合わせの時本当に3年ぶりに二人は会ったのだ。雅人が遠隔操作で女の子を妊娠させる技でも持たない限りそれは無理だ。

 それに、雅人は一途な男だ。他に好きな人がいるのに例えそんな技を会得していたとしても他の女と間違いを犯すはずがない。


 彼はずいぶん前から樹晏に恋をしていた。

 不器用な、かわいい人だと思っていた。自分をライバルだと思ってくれているらしく何かと突っ掛かってくる。惚れっぽくて、いつも嬉しそうに新しい恋の話をしにくる。人の気も知らないでニコニコと彼がどんなに優しいのか、素敵なことを言ってくれるのかを話す。

 嫉妬もした、憎くさえ思った。でも、やっぱり笑っている彼女を好きだと思った。

 そのうち心は麻痺してきた。これでいいのだと、他の誰に恋をしていてもそれに破れれば自分のところに来てくれるじゃないか。今はそれでいい。彼女を支えらればそれでいい。そう思うようになっていた。

 自分のことを好きじゃなくても。だから、笑っていて欲しい。

 いつからだったのだろう。雅人の心から樹晏が離れなくなったのは。

 いつの間にか、雅人が玲夏に別れを告げられた傷が癒えた頃、気がついたら胸の真ん中に樹晏のための場所があった。そこはいつも温かく優しく揺れていた。


 玲夏と別れたのは実家が美容院をたたんだショックからやっと立ち直った頃だった。しばらくして自分の行動がおかしなことに気がついた。なぜか5つも買ったほか弁がダイニングテーブルに乗っていた辺りからこれはヤバいと思った。

 彼の世界の中心は玲夏だった。その回りを衛星のように回っていた雅人だった。ある日突然中心を失って闇の中に放り出されてしまった。

 暖房を入れないと部屋が寒い、ということも忘れてしまった。頼んだ餃子をガムシロで食べた。靴が右と左違うことに家に帰ってから気がついた。

 恋を失うと人は壊れてしまうのか。

 人生において恋なんてほんの少しの割合だと思っていた。

 仕事や遊び、勉強や食事。人の生活に恋が割り込んでこない事柄は多い。というか、ほとんどそうだ。

 それなのに、たったそれだけを失った瞬間、足元ががらがらと崩れて立っていられないかのような錯覚さえ起こす。


 消えてしまいたい。この世からいなくなってしまいたい。好きな人が自分を好きじゃない、この間まで間違いなく通じていた気持ちも今は気配すら感じることができない。

 こんな心の痛みを抱えてなお、何事もなかったように生きていけると思えない。

 部屋に一人でいると、玲夏の残像がくるくる回って笑いかける。手を伸ばそうとすると、他の誰かとどこかへいってしまうのだ。その誰かと笑っている。キスをする。固く抱き締めあう。

 そんな夢を何度も見た。

 女々しい。何てぐだぐだとしているんだろう。

 わかっている、わかっているのにいつまでも同じところに佇んでいることをどうすることもできなかった。



 しばらくの間、樹晏は見てみないふりをしていた。失恋なのだ。その辛さは彼女にだってよくわかる。

 それにしてもこれは酷い。仕事はしっかりやる。だからこそ、余計に痛い。空き時間や、帰る頃の雅人はもう脱け殻のようだった。

 顔色は日増しに悪くなり、目に見えて痩せてきた。普段があまりに飄々としているから余計にその憔悴の仕方は傍からみれば異常だった。

 日を追う毎におかしくなる行動も彼が日常を取り戻すために必要なプロセスなんだと思ったら、他の誰がなんといってもさせてやりたかった。しかし、どっかりと見守っていられない出来事が起こった。





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