bloom1 クレッセントの天使
姉の由妃が住む町は、何もない。 カフェもレストランも、ショッピングモールも。
駅前にはちょろちょろっと居酒屋だとか花屋だとか蕎麦屋はあるにはあるけれど、都内なんて信じられないくらい寂れた町だ。 背後には山も見える。 ここら辺にすむ小学生の遠足の場所として、最近では手軽な山登りスポットとして人気の山だ。
駅前の、一応メインストリートから姉の家までは、まあ、なにもない。 夜など男の俺だって歩きたくないくらい寂しい。おまけに巨大な霊園まである。
何でこんな寂しい町に住んでいるかと言えば、夫の親が遺した土地がここだったから。 それと生まれた娘に喘息の傾向があったため、少しでも空気のいい土地に住もうと二年前に家を建て越してきた。
ここのところ忙しくて、その姪っ子にも久しぶりに会うから、わざわざ会社の子に美味しくて有名だと教えてもらったケーキショップで一番人気のケーキを買ってきてやったと言うのに。
「ここねはアイスクリームがたべたいの」で、一蹴。
姉に聞けば近所にある唯一の店は、少し歩いたところにあるコンビニだけだというから驚きだ。
仕方ない、買って帰れば溶けてしまうだろうから、心音も連れて買い物に出掛ける。 ついでに牛乳を買ってこいという姉の声が背中を追いかけてきた。
四歳児を連れての散歩にはほどよい距離のコンビニは、アホみたいに広い駐車場の中に建っている。 山がどんどん近くなってくる。 手前にイートイン用のちょっとした椅子とテーブル、さらに農作物の直売コーナーがある以外は、何処にでもある町のコンビニ。
心音は一目散に会計カウンターの店員に声をかけていた。 町にひとつしかないコンビニだ、心音と店員も顔見知りのようだ。
「あの、おにいちゃんがかってくれるから、ソフトクリームひとつください!」
「お兄ちゃんは、だあれ?」
店員はこそこそと心音に聞く。 誘拐かなんかと勘違いされてるんだろうか。 こんなところで見たことのない男が、子供なんかつれてあるいていたら、あっという間に通報されそうだ。
まあいい。心音が答えれば納得するだろう。
「ママのおとうと! ここねはアイスクリームがたべたかったのに、ちがうのかってきたんだもん!」
「そうなの? じゃあ、ちょっと待っててね。」
店員がこっちを見て『渡してもいいの?』みたいな仕草をするから、手のひらをみせ『お願いします』と伝える。
その間に頼まれていた牛乳と、何か飲み物とかつまみとか……思い付くままかごに放り込んでいくと店の前の方から盛大な泣き声が聞こえてきた。
慌てて飛んでいくと、手に持っていたのだろうソフトクリームは無惨に床に撒き散らされ、うつ伏せで大の字に転がった心音がいた。
カウンターの中から女性店員が飛び出してきて心音を抱きかかえ立たせる。 ソフトクリームで汚れた手や顔を濡れたタオルでぬぐい、カウンターの中にいた他の店員に新しいものを作るように指示した。
「すみません、お店を汚してしまって………」
「いえ、こちらこそ小さいお子さんにお渡ししてしまって、申し訳ありませんでした。いま、新しいの作ってるからあっちで待ってようね。」
顔を上げたその人は、不思議な印象の女性だった。
背がスルリと高い。 俺と視線がずれなかったから170後半はあるだろう。 化粧っけはなく肩あたりまで伸ばしているだろう髪は後ろでひとつに束ねられている。
顔のパーツ全てがあっさりとしていて特徴がないが、切れ長の奥二重にラインを引いたらきっと映えるだろうと想像できる。
仕事柄、人を花のイメージで見ることが良くある。
派手なルックスのバラ、自分をアピールするのに余念のない香りの強いユリ、地味なのにハッとするほど可憐な鈴蘭。
さながら彼女は余計なものが何もないカラーのようだ。
ブーケにも良く使用するが背すじの伸びた美しさは他の花には無いものがある。 清楚で凛々しく、だけど少し寂しげな。
心音を椅子に座らせると、その人は心音の膝を指差した。
「あれ、すりむいちゃったね」
その言葉に一度は泣き止んだ心音の顔が大きく歪んだ。 不味い、また泣くかと慌てた俺のとなりで、すかさず彼女がポケットからカラフルな紙切れのようなものを取り出す。
「これがあるから、もう大丈夫!」
それは、よくわからないマンガが書いてある絆創膏だった。パッケージを開けてなぜか逆さまに貼る。
「ね、もう痛くない」
「うん!」
そこへタイミングよく運ばれてきたソフトクリームを心音はご機嫌で食べ始めた。
「あ、会計まだだった」
「ソフトクリームの分は結構ですよ。こちらが悪かったんですから、気になさらないでください」
「それとこれは、別でしょう。ほかにも買い物あるし」
「いえ、本当に。そうさせてください」
「………それじゃあ、ご馳走さま。絆創膏もありがとう」
「あはは、私も毎日傷だらけで。お子さん受けがいいからキャラものたくさん常備してるんです」
確かに彼女の左手は指先から手首に至るまでカラフルな絆創膏がいくつか貼ってあった。
「なんで、逆さに?」
「あ、よくお気づきになりましたね。ああやって貼ると本人が見たときにちゃんと見えるんです。普通に貼ると逆さにみえちゃうから」
クスッと、何でもないように笑ったその顔に好感を抱いた。
彼女はそのまま『ごゆっくり』と言い残し店の奥へと消えていった。
帰り道。 心音はご機嫌で少し前を歩いていく。
「なあ、心音。お前さっきの絆創膏のお姉さん知ってるの?」
「うん! やよいちゃんだよ。いつもじゃないけどコンビニにいて、やさしいんだよ」
「へえ……」
「すきになっちゃったの? たけしくん」
「今時の四歳児はませてますねー。好きになんてなりませんよ」
「ふーん。でも、やよいちゃんはだめだよ。だれともけっこんしないんだって」
「……なんでお前がそんなこと知ってるの」
心音は記憶を引きずり出すように目をつぶり、しかつめらしい顔で話し出す。
「んー、ママとおはなししてたから。なんだっけなー。いいひといないの? ってママがきいたら、なんかそういうのはもういいかなって、だれともけっこんとかかんがえてないんですー、っていってた」
……全く、子供の前でする話か。
それでも今、彼女に決まった人がいないという情報は俺の心を少し高まらせていた。 心音、なかなか記憶力が良いぞ。 姉の遺伝子は色濃くないな。
姉の話は案の定、見合いだった。
いや、結婚はしなくちゃいけないんですけどね。正直、明日にでも。
しかしこう毎日のように結婚結婚って言われっとなんかもう誰でもいいような気になってくるし。
実際たぶん、誰でもいいんだ。
女の子なら誰でもかわいいと思うし、基本、誰とでもうまくやっていける性格だと自負している。 所々の事情があってここのところは決まった相手はいないが、恋人がいたことだってもちろんある。 別れた理由なんて覚えていないが、修羅場になったことなんてない。 お互いの幸せを祈れるくらいの節度をもって別れていたはずだ。
人には誰にもいいところも悪いところもあって、パーフェクトなんてあり得ない。
法に触れることをしているとか、一人の男じゃ我慢できないとか、病的に金遣いが荒いとかでなければ、お互い歩み寄ってうまいことやっていけると思うんだ。
ま、相手あってのことだけど。
「この子はあたしの友達の妹で、31かな? お花やってたっていうからいいんじゃないかなー。こっちは、心音の幼稚園の先生のお姉さんで、27歳。ミス桜が丘になったこともあるんだってよ? 可愛いよね」
「んじゃ、若い方借りてく。どうせうちの小姑のお眼鏡に叶わなきゃ話になんないし」
「厳しいわよね、太田さん。ハードル上げすぎ。本人が大したことないのに」
俺は情野 武士、33歳。独身。
大学在学中にたまたまアルバイトしていた花屋で、その仕事ににはまった。 フラワー装飾技能士の資格を在学中に取得。 そのままそこに就職してホテルのウェディング部門の担当になった。
個性的でなおかつ繊細、それでいてそれを持つ花嫁の美しさが引き立つブーケだとかなんとか評判になり、数年。
同じホテルに出入りしていたドレスメーカーの水科さん、その友人のトータルプランニングの山崎さんから新しく立ち上げるウェディングプランニングの会社に誘われた。
それが俺、27歳のこと。
数字に強いスタッフを探していると山崎さんに言われ当時、時々一緒に仕事をしていた太田秀和に声をかけた。
広告代理店で営業をしていた彼は俺と同じ歳だったからか、畑違いの仕事なのにウマがあった。 社内でも優秀で通っていたのにどうして明日もわからない新しい会社に参加してくれたのかはわからない。
それでも転職してからの太田は生き生きと仕事をしていた。今まで生かし切れなかった様々な資格を武器に、俺たちを色んなシーンで助けてくれた。
あれから6年。
人生は上々のようだが唯一の問題が、結婚。
付き合った子達はみな家庭に縛られるようなタイプじゃなかった。 仕事も趣味も大事で、経済的にも独立している。 旦那のために家にいて子供を育てることに生き甲斐を感じられるような女は一人もいなかった。
そういう娘がタイプだったわけではないとは思うが、なぜか似たようなプロフィールの女と付き合っては別れるを繰り返した。
結婚なんてしなくてもなにも困っていなかった。 不自由はない。毎日忙しく仕事をして、やりがいがあって。 仲間がいて、たまに恋愛みたいなことをして、楽しくて。
もともと、結婚願望も薄かったみたいだし。
ところがここに来て太田が『ブライダルプランニング会社の顔ともあろう人が未婚というのもどうなんですかね』と言い出し、それもそうだと慌てて結婚などと言うものについて考えている始末。
しかもこの男、見つけてくる花嫁候補にいちいち難癖をつけ、話はちっとも前に進まないという有り様で。
太田いわく『結婚しないのも悪いですが、離婚なんかされた日には目も当てられませんから』なんだそうだ。わかるけどね。 変な噂でもたったら、会社に迷惑かかるし。
じゃあ、完璧な女をお前がつれてこいと思うんだけどね。
帰りの電車で仲睦まじい家族連れの近くに立った。 俺と同世代の夫婦と心音くらいの男の子。 遊び疲れたのだろうか、父親に抱かれた子供はうつらうつらと頭を揺らしている。それを隣で見ていた母親が優しく微笑んで見つめる。
最近、こういう家族を見かけるとつい、じっと見てしまう。 おかしな気持ちになる。
想像もつかない。たった一人の人と出会って一生を添い遂げる約束をするなんて。 子供をもうけ育てその子の親としての自分が存在するなんて。
他人だった誰かと同じ人生を歩んで行くなんて。
少しのあいだお付き合いいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします!