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駅まで向かうバスに乗ったのだが、驚くことに乗客は俺とリオ・マルデリカの二人のみであった。
さすが田舎町! さすが平日! さすが真っ昼間!
引きこもりになって初めての外出のおかげで、早くも引きこもり生活の終了を見た俺は、運転手がミラー越しに見るリオの格好に腰を抜かさないかだけが心配だった。
事故だけは、人生においては気を付けようもないものだから、俺は事故を何より恐れていた。
駅まで来ると、数メートルおきに人がいるのは当然である。
元引きこもりである俺は、外見だけではバカを露呈することはない、という自信に基づいて胸を張り歩いていたが、隣にはとてつもない恥ずかしファッションが寄り添っているので、普段と俺と比べればやや丸みを帯びた背中だった。
切符売り場から直結している駅ビル(とは言っても精々、三、四階建ての商業施設)に入ると、リオは目を輝かせ口をあんぐり、感動に言葉をなくし、ただただ頷いていた。嬉しいようだ。
入店し、目の前に、俺には一生縁のないものと思っていた服屋があった。
「ひゃー。こじゃれとる」
「こじゃれとる? ごめんなさい、その言葉は分からないわ」
分からずとも良し。バカの言葉なんぞは学ばずとも不便なし。世の中バカはそう多くくないからだ(岐堂京司目線)。
「好きに選ぶといいよ。払いは岐堂理央だ。俺には遠慮するな。弟に遠慮することもない。自業自得以外の何物でもないのだから」
「怒られないかしら」
「怒らないよ、奴は」
そう言うとリオは、「ふふ」と笑いながら、店員が目をギラつかせているショップへと歩き出した。
その時だった。
俺は小首を傾げた。
リオが四秒ほど立ち止まったのだ。
「どうしたんだい?」と尋ねるまでもなくまた歩き出したのだが、やけに違和感のある一瞬だった。
リオは咳払いを一つした。いきなり冷静を装って、店内を物色し始めた。
はしゃいでいる自分が恥ずかしくなったのか、神妙な面持ちで服を選ぶ。
……女とは分からぬ生き物である。異世界人であっても、それは不変らしい。
「服を選ぶときは、はっちゃけていてもいいと思うんだがなぁ」
呟いても、彼女はにこりともしない。
着物姿で和室を支配する、かの人形のようだった。
結局は店員の言いなりであった。とりあえずは都会に出向くための服一式。総額二万円。バカらしい。俺なんぞ下着に履き物まで込みで樋口一葉が小銭になって返ってくる程度で済むというのに。
早速着替え、元の鎧その他諸々は駅のロッカーに預けることにした。
いざ! 都会!
俺も、電車に乗るのは久々であったので、テンションが上がる。
しかしおかしい。あれほどまでに輝いていたリオの目が、一つの青春を終えたかのような暗さで車窓を眺めていた。動き出した八両編成の列車に、なんの感動も抱いていないように見える。
窓ガラスを叩き割ったあの時のような、いや、それ以上の力強さが全身から溢れでる。
「なにゆえ?」
尋ねても答えが返ってこない。
保守的狼である俺は、恐竜感を纏った彼女が急におぞましいものに見えた。
ナイフか、槍か、牙か。いいや、そのどれとも違う。目付きが、指先が、店員セレクトの可愛らしい服さえも、この世のものとは思えないほど凶悪な刃のように感じられたのだ。
目的地までの40分が思いやられる……そんなことを思い、引きこもり生活が既に恋しくなった俺であった。
この日、俺は一つ、学んだことがある。
それは、一度あることは、二度も三度も四度もあったとて何らおかしくないということだ。
リオ・マルデリカとの出会い以降、起こった全ての出来事は例外なく不可思議である。
すなわちそれは、この車内で起こった事象もまた、本来ならば遭遇することのなかった不可思議で、とてつもなく恐ろしいものであるということを意味している。
先ず、まばたきが出来なくなった。
次いで、呼吸が出来なくなった。
果てには、生きている心地が彼方へ飛んでいった。
これを不可思議と呼ばずなんとする!
何せ、車内の人間が俺を含め皆硬直しているのだ。電車は動いている。景色は流れている。運転手は大丈夫だろうか。
体の自由の一切を奪われながら、視覚聴覚諸々は機能し続ける現在。この俺が確認できたのは、以下の二つである。
一つ、リオ・マルデリカの手に短剣が握られていたこと。
一つ、車内にはあと一人、何事もなく動く、怪しげな男がいたこと。
これまた奇怪なり。
その手には、バチバチと音を立て、焦げ臭さにて車内を支配する、紛れもない炎があったのだ。
***
「敵襲! 敵襲!」
真夜中の集落に、門の監視役の一人であるペジュー・ナトリューマの声が轟いた。
「どうしたペジュー! 何事だ」
眠気ごと、私は大声を飛ばした。
「敵襲! 敵襲! 旗はイセンテ教! イセンテ教徒による敵襲だ!」
集落の人間が慌てながら外へ出てきた。
どこからともなく、「イセンテ教徒だと! 何故今になって!」「不干渉の条約があったんじゃないのか」「馬鹿を言うな、あれは暗黙の了解に過ぎぬ!」皆が混乱に惑い己の平静を失っていた。
イセンテ教とは、同国でありながら袂を別つ、イセンテ地方の多神教である。長きに渡り我々ラレバ教徒と対立する宗教であるが、ここ数年は互いに干渉しないことで平和を保っていた関係である。
ペジューは街中を掛けながら叫んだ。
「魔法使い、魔術師は配置につけ! イセンテ教の狼藉を許すな! その身に秘めし武器を取れ!」
パレク・オキヒヨロンは言った。
「力を持たぬものは剣を持ち、女子供を守るのだ!」
この街に、久方ぶりの鐘が鳴った。争いの合図である。皆が憎み、皆が望まぬ血の臭いを想起させる荘厳な音色だった。
また、誰かがこう言った。
「何故今なのだ……今この街に、リオ・マルデリカはいないのだぞ!」
そして幾人かは、一人の少年を見た。
岐堂理央である。
これはいけない。岐堂理央は確かにリオ・マルデリカと入れ替わるかのように街にやってきたが、理央に憎しみを向けてはいけない。
私は理央に向かって、咄嗟に声を上げた。
「理央よ! 君は今すぐ、神術師さまをお呼びするのだ! 神術師さまは必ずやイセンテ教徒を凪ぎ払い、この街を守ってくださるだろう!」
理央は震えながら、しかし強く頷き、協会へと走り出した。
リオ・マルデリカはいない。だが、我々には神術師さまがいる。
魔法使い、魔術師の存在を根底から否定する、圧倒的力の持ち主が。
神術師さまがいる限り、この街に血が流れることなど、永劫ありはしないのだ。
私は剣を取り、涙を流し喚く子供たちを守ることを誓った。
……なんでこんな展開になったのかは、私にもわかりません。