1-2-1[ニカリア村]ビックリを二つほど
驚愕、仰天、ビックリ。予想外のことが起きて驚くことです。もっと分かりやすく言うと「えぇ!?」とか「ウソ!?」とか叫んじゃうときの様子でしょうか。
わたしはビックリしました。なにせ「えぇ!?」とも「ウソ!?」とも叫びましたから。原因はヘヴンの予想外過ぎる言動です。……まぁヘヴンにはずっとビックリさせられっぱなしではあるのですが。その中でもペスト村を出発してたった一日で出会ってしまった大きなビックリを二つ、ここに記してみたいと思います。
ビックリその1
わたしたちは昨日の日暮れ前に、ニカリア村に着くことができました。
ニカリア村はペスト村とほぼ同じような規模の村です。自然豊かな平地に、木製の家がポツンポツンと建っています。ペスト村とニカリア村の最大の違いは、ニカリア村の近くには川が流れていることで、そのため村人の大半が農家として生計を立てています。村の周りは畑や田んぼだらけ。ちなみにペスト村では、服を作ったりだとか家具を作ったりだとかという、製造業のほうが盛んでした。
わたしは何度か来たことがあったので、わりと見慣れた風景です。夕暮れで赤く染まる軒の間を、ヘヴンと並んで歩きます。
どこに向かっているのか、ヘヴンは村に入っても歩みを止めません。どこかに目的地でもあるのでしょうか? でもヘヴンはこの村に来たのは初めてなはず。わからない。聞いてみました。
「あの、どこに向かってるんですか?」
「んー? 寝泊まりできそうな場所はないかなーって」
「宿屋を探してるんですか? 宿屋でしたら反対方向ですよ?」
「ヤドヤ? あぁ、別に宿屋をサーチしてるわけじゃないよー」
こんな小さな村であっても宿屋はあります。前にこの村を訪れた時もその宿屋さんを使ったので、場所はだいたい把握しています。
しかし宿屋を探しているわけではない? 寝泊まりできる場所を探してるのに? ということは、一般の家庭にお世話になろうとしてるのでしょうか?
「なにかアテがあるんですか? 知り合いが住んでるとか」
「ぜーんぜんっ」
「それじゃ、泊めてくれそうな家を見繕ってるんですか?」
「違うねー」
全然わかんない。話が見えてこない。どうするつもりなんだろう?
「ついてくればわかるのさ」
言われた通りについていくと、不意にヘヴンが立ち止まりました。その場所は、村のド真ん中、一本の大きな広葉樹が聳え立つ広場。
「うん、これがいいや」
「? なにがですか?」
「今日のベッド」
「…………へ?」
「だから、今日のベッド」
「……どれが?」
「この木」
「…………へ?」
「だから、この木」
えっと……?
「……この木がベッド? なにか言葉の使い方、間違えてません?」
「いやいや、正しい言葉ですよ。今日のベッドはこの木に決定でーす」
「…………まったく意味がわからないんですけど」
腰に手を当てて「やれやれ」と首を横に振るヘヴン。わたし、そんなに変なこと言いましたっけ?
「はぁ……。じゃあ、わかんなくていいよ」
投げやりに言葉を残し、ヘヴンはスルスルと木を登っていきました。そして天辺に近いながらもしっかりとしてそうな枝に腰を下ろし、背負ってたリュックを手近な枝に引っ掛けました。
「うん。なかなか良い寝床じゃん」
「まさか……。そこで一夜を明かすつもりですか?」
木を見上げながら話しかけます。
「まさかもなにも、オフコースもちろんだよ。屋根のあるようなところで眠ると思ってたなら、それは大間違いなのだよ?」
「で、でも何でそんなところで寝る必要があるんですか? 宿を借りるほどのお金も持ち合わせていないってことはないですよね?」
真上を向いて話さないといけないので首が疲れます。それに声も張んなきゃいけないし。下りてきてくれないかな。
ヘヴンは下りてきてくれませんが、代わりに予想だにしなかった言葉が降ってきました。
「うん。持ってないよ」
「……へ? 持ってない? 何をですか?」
「聞いてきたのはそっちでしょーよ。お金だよ、お・か・ね。マネーって言えばわかる? あたしはお金なんてクリーンさっぱり持ってないよ」
「えぇ!?」
出ました。ビックリ一発目。
「えっ!? じゃあ……、えっ!? お金を持ってないって、どういうことですか? 嘘ですよね? お金を持ってないんだったら、どうやってこれまで生活してきたっていうんですか? 使い切っちゃって無一文になっちゃったってことですか?」
「いんや、最初っから持ってないよ。別にお金なんて無くたって生きていけるもんね。あたしのやってる手助け屋ってのは、報酬が食べ物オンリー。仕事して食べ物を貰ってれば、なーんにも困ることナシ」
リュックをガサゴソやってから、ヘヴンが下りてきました。手に持ってるのは干し肉。
「食べる?」
「……食べます」
「あたしさ、お金って嫌いなんだよねー。だって、国とか地域とかによって通貨は変わっちゃうしさ、価値だってすぐに変動しちゃうしさ、紙幣ならいいけど金貨だと持ち運ぶのに重いしさ、いろいろとメンドクサイだもん。だったらこの干し肉みたいにわっかりやすい価値を持ってるものを貰ったほうがスマートだと思わない?」
「わかりやすい価値って?」
「お腹を満たすことができるかどうか。美味しいものであれば、なお良し」
そう言ってヘヴンは干し肉を噛みちぎります。
「お金が無いから宿を借りることもできない。でも宿なんか借りなくたって寝ることはできるし、そもそも旅をしてたら野宿が当たり前なんだから。なーんも困んない」
困んない? お金が無くても困んない?
なんというか、すごいです。お金が無くたって困らないと言い切れてしまうのがすごいです。わたしなんかはお金の価値は絶対だと思うし、お金が無かったら何にもできない気がしてしまいます。それはわたしの生まれが商売人の家だからというのもあるのかもしれないけれど、それでも大多数の人々はわたしの意見に賛同してくれるでしょう。そんな常識を簡単に粉微塵へと変えてしまうヘヴンの言葉は、わたしには認め難いものでした。
わたしがそんな思考に陥ってると露程も考えてなさそうなヘヴンは、干し肉を3枚ペロリと平らげると、また木の上へ上っていってしまいました。
「そんなわけだから。ミリィもどこかテキトーなところでも見つけてグッスリお休みになってくださいな。おやすみー」
また放り出されてしまったようです。「自分のことは自分でどうにかしなさい」ということでしょう。そう考えると干し肉を貰えただけありがたいことなのかもしれません。
うーん。さぁ困りました。ヘヴンは困らないらしいですが、わたしは困ります。まさかこんなとこで寝なくちゃいけないの? 解決策を考えないと。木に背中を預けて座り込んで、思考を働かせます。
一番良いのは宿屋で部屋を借りること。親切な人の家に一泊だけ泊めさせてもらうのでも良いです。お金が無くても、ペスト村が襲われた事情を話せばきっと助けてくれるでしょう。うん、そうだよね。うん、そうしよう。…………でも。
でも憂慮すべき問題もあります。それはわたしがここを離れている隙に、ヘヴンが黙ってどこかに行ってしまうことです。これまでの言動から察するに、ヘヴンはわたしと一緒に旅することを嫌がっているように思います。
さぁ、どうするべきか。
どうすればいいんだろう……。
どう……しよっか……。
どう……す……。
んー…………。
…………。
考えただけ無駄だったみたいです。溜まりに溜まった疲れがドッと出てきたからか、人里に着くことができたという安堵の感情からか、いつしかそのまま眠ってしまったのです。
素っ頓狂な声を上げながら飛び起きたのは翌朝、太陽が空を白く染め上げている頃でした。
ビックリその2
目が覚め、脳が覚醒し、状況を把握して、素っ頓狂な声を上げた朝。すぐさまわたしは木を見上げました。
ヤバイ。ヘヴン、いなくなっちゃったかも。
けどその不安はすぐに払拭されました。枝に腰掛け、グッスリ眠っているヘヴンの姿がそこにあったからです。
結局ヘヴンが起き上がってベッドの木を軽々しくスタンッと降りてきたのは、見上げなければならないほどの高さまで太陽が昇った頃。わたしはヘヴンが起きてくるまで木の下から動くに動けず、ずっと待ちぼうけ。
「ふぁ~。……あれ? 君、誰だっけ? 見たことあるようなないような」
「…………それ、本気で聞いてるんですか?」
「うん」
冗談で言ってるわけでなさそうなのが怖い。
「……ミリィです。ヘヴンと一緒に旅することになったミリィです」
「あー! そいえばそんなこと言ってる邪魔者がいたようないなかったような」
「いるんです! 目の前にいるんです! それから邪魔者なんて呼ばないでください」
「え? 邪魔者って呼んじゃダメなの? じゃあ厄介者って呼べばいい?」
「いいわけありません!」
「はいはい。オーダーが多いなー、まったくぅ。ふぁ~」
わたしは一生懸命話してるのに、ヘヴンは目を擦って気怠そうに受け応えをしてきます。
「それじゃミリィ? 邪魔者でも厄介者でもないらしいミリィ? どこかニアーに顔を洗えるような水場があるかどうか知らないかい? この村のこと、少しは知ってるんでしょ?」
「……まぁ、知ってますけど。すぐそこに共用の井戸がありますから、そこでなら」
「オッケー。そんじゃレッツゴーだね」
井戸に移動です。別にダジャレのつもりじゃありません。
さて、ここで別件なのですが、お伝えしておきたい事柄があります。それはわたしの想像していたヘヴンの仕事について。手助け屋という職業がどのようなことをするのかの予想についてです。わたしが昨日のヘヴンの魔獣に対する立ち回りを見て思った予想は「きっと誰かの依頼を聞いて魔獣を倒しにいったりするような、傭兵みたいなことをしてるんじゃないかな?」です。あれだけ場慣れした戦い方をしていたんだから、そう思えても仕方が無いですよね? ですよね?
さぁ閑話休題、井戸です。井戸には先客が一人だけいました。40才ぐらいに見える、恰幅の良いおばさん。井戸の水を桶で汲み上げて、顔をジャブジャブ洗ってます。
「おっ、いきなりチャンスかも」
「……へ? なにか言いましたか?」
ヘヴンがなにか呟いたようですが、わたしは聞き取れませんでした。
わたしが聞き返したのを完全無視して、ヘヴンは躊躇なくそのおばさんに近寄っていきます。そして……。
「おはよーございまーす」
いきなり挨拶!?
後ろから声を掛けられたおばさんは、タオルで顔を拭き、振り返ってわたしたちの姿を確認した後、周りを少しキョロキョロしてから聞いてきました。
「あら? わたしに挨拶をしてくれたのかしら?」
「そうでーす」
「あらあら。それじゃ挨拶を返さないとね。おはようございます」
おばさんは笑顔で丁寧なお辞儀をしてくれました。
って、この流れはわたしも挨拶しなくちゃ!
「お、おはようございます」
「はい、おはようございます。……ところでわたしとあなたたちって初対面よね?」
「そうだと思いますよ」
ヘヴンが返事をします。
「そうよね。いやー、いきなり気持ちの良い挨拶をしてくれるから、おばさんビックリしちゃったのよ。あなたたちみたいに律儀な子なんてそうそういないわ」
そう言っておばさんは体格に似合った大きな笑い声を上げます。
一頻り笑い声を聞いた後で、やけに愛想の良いヘヴンが尋ねました。
「ところでおばさん? なにか困ったことない?」
「困ったこと?」
「そうそう、困ったこと。例えばキャットのハンドも借りたいような手伝って欲しいことがあるとか」
「ん? きゃっとの? はんどもかりたい? 何のことかしら?」
「えっと、猫の手も借りたい、ってことです」
わたしがフォローします。西国独特の言語はここら辺の地域ではあまり伝わらないのです。
「あぁそういうことなのね。ごめんね、おばさんそんなに他の国の言葉が詳しくないのよ。でも猫の手も借りたいってことなら、ちょうど今がその時ね」
「と言うと?」
ノリ気のヘヴン。
「実はさっきからずっと引っ越しのために家具を運んでたのよね。もう大変で大変で、誰かに手伝って欲しいと思ってたところなの」
「へー、そーなんですかー」
あー、うん、きっとヘヴンには関係のないことだ。だってヘヴンは傭兵みたいなことをしてる人なんだろうから。もしかしたら魔獣を退治してほしいなんて依頼を貰えると思って話しかけたのかもしれないけど、どうやら空振りだったみたいですね。
「もしかして手伝ってくれるのかしら?」
「はい、もちろん」
「ウソ!?」
出ました。ビックリ2発目。