1-1-2[ペスト村]死にたいのに
「な……、今、なんて?」
「だからね、食べ物をくれるんだったらこのデンジャーな状況を切り抜ける手助けをしてあげるよー」
何を思ってそんなことを言っているのでしょうか。この人は周り一面に広がる悲惨な光景が目に入ってないのでしょうか。
これは極限状態の真っ最中であっても文句を言わずにはいられません。
「あの、この状況で食べ物をあげられるように見えますか? 少しは周りを見てください」
「見てるよー。アイシーだよ。だからさ、まだ食べれそうなものが残ってそうなさ、食料庫があったプレイスとかを教えてくれればオッケーなんだけど」
カチン。
「こんな酷い状況を目の前にしてですよ!? ……こんな状況で平気で人の物を奪っていくような、薄汚れた盗賊にお教えするようなことなんて何一つありません!」
「まぁ確かに盗人紛いかもしれないけどねー、でもイートできる物をそのままにしてゴミにするほうが勿体無いと思うんだよ。だってここに住んでた人たちみんな死んじゃったんでしょ?」
プツン。
「そんな言い方は無いんじゃないの!? ……確かにみんな死んじゃったけど、死んじゃったけど、それでもこの村の全てがみんなの生きていた証なんです! それをあなたみたいな何処の馬の骨かもわかんない人に奪われてもいいなんて理屈が通るはずありません!」
「それじゃーあたしが何処のホースのボーンなのかがわかればいいんだね。あたしの名前はヘヴンっていいます。17才です。職業は手助け屋をやってます。これくらいでオッケー?」
ドカン。
「ふざけるのも大概にして! いい!? それにね、あんたは一個大きな勘違いをしてるみたいだけどね、わたしはもう死にたいの! もうこんな世界で生きていく気はないの! だからあんたはわたしが死んだ後で勝手に地面でも這いつくばってゴキブリみたいに食料を漁ってればいい! 当てが外れて残念だったね!」
「へー。死にたいんだー。そうなんだー」
「悪い!? こんなパパもママも誰もいない世界なんて生きてく価値ないもん! いっそのこと死んでパパやママのいる世界に行ったほうがいいに決まってる!」
「ふーん。そんなこと言っちゃうんだ。ホントにそんなこと思ってるのかなー?」
「は!? ちょっとそれどういう……」
「おっと、お喋りタイムはここまでみたいだよー。さぁ、避けて避けて」
そうです。あの凶暴な巨犬たちが律儀に、わたしの怒りが発散されるまで待ってくれるわけがありません。このヘヴンって人への怒りのせいで周りが見えなくなっていたのか、視界を広げると巨犬が一斉に襲いかかってきていました。
と言うか一頭は既にヘヴンの後頭部を目掛けて跳躍しています。
「危ないっ!!」
「バンッと。ほい、二匹目」
ヘヴンは振り返りもせずに銃を後ろに向けると銃声を轟かせました。どうやら見事に命中したらしく、巨犬が明後日の方向へ吹き飛びます。
どう考えても危機一髪の状況でした。なのにヘヴンは表情も変えずに飄々としています。
「ふぃー。あり? 人の心配をしていられるようなシチュエーションなのかなー?」
確かに今度の巨犬たちは怯むこと無く猛進してきていました。獰猛な爪がわたしを狙い澄まして迫ってきます。
あぁ、これでわたしもみんなと同じように死ぬことができる……。みんなの待つ天国に行くことができる……。
……はずなのに。
「うわー!!」
「おー、見事な避けっぷり! ありり? この人ってさっき死にたいとかスピークしてなかったっけっかな? じぁあなんで避けたりしてるんだろーなー? あれー? おかしーなー」
「違うのっ! 心の準備がっ! できてないだけっ!」
死にたいよ。死にたいのに、なんでこんな必死に避けてるんだろう、わたし。
「ふーん。そいじゃあたしがひとつアドバイスして進ぜよう」
視界の端には、楽しくダンスを踊ってるかのように巨犬の攻撃を躱し続けているヘヴンの姿。こちらを見ながら話しかけてきます。
「死ぬことイコール楽になることだったらさ、人間全員が自殺でもしちゃうと思うんだけど」
ダメだ、避け切れない。
そう認識した瞬間に銃声がわたしの目の前を覆う巨犬の姿を消し去りました。
「でも人間って生き続けてるんだよね。なんでだろうね?」
銃声が響くたびに地面に横たわる巨犬の数が増えていきます。一頭、また一頭。一発も外すことなく骸を増やすヘヴンの姿は、どこまでも堂々としていて、勇ましくて、凛々しくて、気高くて、……悔しいですがカッコよく見えます。
気付くと動いてる巨犬の数は三頭のみになっていました。どうやらこの状況に驚いてるのはわたしだけでなく、巨犬もどうしていいか判らずに動きあぐねているようです。
「本能ってやつ? まぁそんな言葉で片付けちゃってもいいんだけどさ。でもそれ以外にもあると思わない?」
腰に手を当てて得意顔でこちらに歩いて来るヘヴン。魔獣相手にこの余裕加減。この人、一体何者? 手助け屋って何?
「それはね、人間みんなさ、死んだってどうしょうもないって気付いてるんじゃないかなってってって。でもそれに気付きたくないから、死後の世界があるだとか、天国に行けるだとか、自分に思い込ませて誤魔化してるだけな気がするだよねー。どう思う?」
「…………どうって言われても」
「だから君も死ぬことに希望を抱いてるとは思えないんだ。ってなわけでちょいと手を出してくれるかい?」
なんで手を出さなくちゃいけないの? とか色々聞きたいことはあるのに、なぜか言葉にできません。今はこの人の言うことを聞かなくちゃいけない気がしたんです。だからわたしは無言のまま、両手を前に出しました。
「もし君がフューチャーも生き続けたいと思う気持ちがあるのなら、あたしがその手助けをしてあげよっかな。さぁ、これを持って」
ヘヴンがリュックを弄って取り出したのは、それまでヘヴンが使っていたものと瓜二つな姿をした銃でした。
「これって……?」
「普段だったら武器は持参してもらうんだけど、今回はスペシャルにあたしのガンを貸してあげる。トリガーを引けばバレットは発射されるようにしてあるから。これを使って自分の運命をチョイスしちゃってくださいな」
ヘヴンの差し出してくる銃。これを使えばわたしは自分の運命を決めることができる? 本当? 本当に?
……わたしは恐る恐る手を伸ばしました。右手はさっき倒れた時に打ちつけたせいでかなり腫れてきてしまっていたので、左手で受け取ります。
「! 重い」
「あー、そーなんだよー。あたしのガンってオーダーメイドで作ってもらったやつでさ、普通のよりもヘビーなんだよね。まぁ、ガンバッテー」
それでなくても重いだろう銃を、利き手でない左手で持っているので更に重く感じます。それを慎重に慎重に顔の前まで持ち上げて観察します。
銃を持つのはこれが初めてです。村で唯一銃を持っていた衛兵のファビーさんは絶対に触らせてくれませんでしたから。ファビーさんの銃は黒かったですが、この銃は銀色に輝いていて、そして側面には花の模様が彫られています。これはバラでしょうか。ツタが絡まり合う中で花が咲き誇っているというような構図です。
すごい、綺麗です。
「ほら、見惚れてないでー。銃は撃ってナンボだよー」
そうでした。この瞬間にも巨犬はわたしたちの命を刈り取ろうと間合いを計りながら、わたしたちの周りを動き回っています。
でも今のわたしは、さっきまでの逃げ回ることしかできなかったわたしとは違います。死ぬことしか選択できなかったわたしとは違います。
今のわたしならあの魔獣を倒すことができる。わたしはあの魔獣よりも強い。村のみんなの仇を取れる。
そんな気がしたんです。そんな気がしてしまったんです。だから引き鉄を引く手に迷いはありませんでした。
脳天に突き刺さる炸裂音。
「うわっ!!」
「うげっ!!」
音を残して銃口から放たれた弾丸は、巨犬に当たるはずも無く、どこか遠くの彼方に飛んでいきました。そして弾丸を放ったわたしは銃の反動に尻餅を着いて、そして手の痺れにビックリしてます。
「痛ったーい」
「ちょっ、いきなり過ぎるでしょ、今のは。撃てるようにはしたって言ったけど、撃つ前にそれとなく構え方とか聞きましょうよ。そんな撃ち方じゃ当たるわけないでしょうよ。いきなり撃つとは思わなかったよ。……まぁそのブレイヴは讃えるけどさ。さぁ立って立って」
わたしはヘヴンの手を借りて立ち上がりました。
その間にも巨犬が好機とばかりに駆けてこようとしますが、すぐさまヘヴンが銃口をそちらに向けるので、なかなか近づいてこれません。
そんな牽制している最中でもヘヴンは笑顔を絶やすことなく、気軽に話しかけてきます。
「ハハハッ。うん、君、なかなかファニーだね。名前はなんて言うの?」
「……ミリィです」
「ミリィね。それじゃミリィ。このヘヴンさんがガンの撃ち方をレクチャーしてあげるから、よくよく聞いちゃってください」
ヘヴンがパッと一瞬にして両手で銃を構えてみせます。
「こんな感じで。まずビギナーだったら両手でしっかりガンを持ちましょー。腕はしっかりストレートで脇は締める。肩に力が入らないようにね。足を肩幅くらいまで広げて上体は真っ直ぐアップ。オッケー?」
見様見真似でやってみます。
「おー、なかなか様になってるじゃん。そしたら後は、自分の視線と銃口の向きとあのワンちゃんとが一直線になったところでトリガーを引けばヒットするよ。さぁ、やってみよー」
……えっと、急に注文の難易度が上がっちゃったんですけど。
それでも一応やってみます。構えた銃を目線の高さまで持ち上げて、腕を左右に振って巨犬の動きを追いかけてみました。
…………うん。無理。
まず巨犬の動きが速過ぎます。とても狙いなんて定まりません。それにわたしは右手を負傷してるので左手に添えてるだけ。つまりほぼ左手だけで重い銃を扱わなければならないのです。正直、銃を真っ直ぐ持つのが精一杯で腕がプルプル震えてます。
「無理ですよ、こんなの。当てられるわけないです。こんな初心者が魔獣を倒すなんて不可能なんです」
わたしは腕を下ろしました。どんなに凄い武器があったって使い手も凄くなかったらそれはもう武器でも何でもないんです。ただのガラクタです。
それなら武器を武器として使える人間が使ったほうが良いに決まってる。ヘヴンの銃の腕前だったらこんな窮地でも見事に脱してくれるはずなんだから。ヘヴンに返そう。そもそもわたしなんかが銃を撃つ必要なんてどこにもない。
これはお返しします。そう言おうと息を吸い込みましたが、口に出た言葉は全くの別物でした。思いもしなかった光景が目に映ったからです。
「えっ!?」
「はーい、うるさーい。プアーなガンでもなんとやらだよー。もし何もせずにこのままギブアップするんだったら、あたしがミリィをキルすることなるけど、どうする?」
ヘヴンがわたしに銃口を向けていました。