起 7
リッカさんの話を聞いていくうちに俺と千秋の顔色がどんどん悪くなっていたのは、実に自然なことであった。逆に顔色一つ変えないで聞き通す人間の方が異常である、と俺は思う。
なぜなら……いや、実際に説明した方が早いか。
だが、俺の記憶力は鶏が鳴いて逃げ出すほど貧弱。ゆえに、あの長い長い説明を完全に再現するのは不可能だ。……千秋ならそれこそ一字一句間違えず再現してみせるだろうけどさ。そもそも俺と千秋は、同じ人間でも住む世界違う。
そういうわけだ。俺は今から彼女の話を出来る限り再現しようと努めるが、もともと俺が理解しきっていない部分や勘違いしている部分があるのは必然だから、一部不備があるのを予め断っておく。
リッカさんがまず口を開いた。
「お二人の役目の説明の前に、今の状況を説明します。今のあなたたちは、きっと勘違いしているでしょうから」
そうそう、俺が一番知りたいのはそれだ。だが、勘違いしているというのは一体……? 俺は何とも言えない不安を胸中に抱えると、隣の千秋を見た。しかし、彼はいつものポーカーフェイスで何を考えているのかさっぱりわからない。そして、それが俺の不安を余計に増大させるのだった。
ほんの数秒の間が長く感じられた。俺の主観的感覚だと20秒くらいは立った頃、リッカさんは冷たい声で、
「現在、あなたたちは死んだことになっています」
と告げた。
「え? 助けてくれたんじゃないのか?」
全身から血の気が引いていき鳥肌が立っていくのを「肌で感じる」俺は、心臓を突然わしづかみにされたような大きな痛みを覚えたが、それとは対照的に眉を1Å《オングストローム》も動かさない千秋が隣にいた――もっともこれは比喩であって、実のところ俺の分解能は0.1mmもないと思うが。
「ええ、先ほど言った通り、あなたたちは死ぬ運命にあったのです。それは神が定めし逃れられないものです。いくら未来からやってきた私でも、神に抗う術はないのです」
「おいおい、神は実在するのかよ。未来人でも神を信じるのか? 俺たちの時代だって神は――」
リッカさんが話の途中にも関わらず口をはさんだ。
「これは、あくまで私の描く神のあるべき像ですが……私たちの生きる世界における神とは、数学における虚数のようなものだと思います。実在しないが、存在することにしてしまえば便利な物。そうですね……たとえば、大事な用事があったのに交通機関でトラブルがあって遅れたとしましょう。その時、100人中何人かは誰かを恨むかもしれません。この時、神という存在があれば、人は神という虚構を恨むことで、人を恨むことができます。そう、人間関係という複雑な物をうまく処理していくには、有ると便利だと思うんです。ですから、神は実在しないとわかっていながら、私は神があると信じているんです」
その後、かろうじて聞き取れるくらいの声で、
「そうでもしないと、あの時の私は気が触れてしまっていたことでしょう」
と言ったのを俺は聞き逃さなかった。
「ふーん」
と、あたかも最後の部分は聞かなかったフリをすると、彼女はまた喋りだした。
「それで、先ほどあなたたちは死んでいると言いましたが、私たちがお二人を助けたのも事実です。死者に意識はありませんが、お二人にはそれがあるでしょう? そのことが何よりの証拠です」
「……いまいち、何言ってるかわからないな。まるで、死んでいるし生きているみたいな」
「あながち間違っていません、その解答は。まあ、いずれ、わかる時が来ます」
「正太郎、話を止めないでくれるかい?」
千秋が不機嫌そうなのは明白。ここは黙っておかないと、本当に怒った千秋は……だからな。
「ごめん。続きを頼む」
「お二人は、もとの世界で死ぬ運命にあったけれど、私たちの世界ではそうでない。それを利用して――」
「僕らは、僕らのもとの世界で予定通り死にましたが、柳さんの世界ではその限りではなく生きることもできるから、柳さんの世界では生きている、すなわち、それは住む世界が変わっただけで、僕らを死の運命から回避させたとも言えなくはない、ということですね?」
「ええ。本当に状況をよく理解なさっていますね」
「全然俺にはわからんが……」
「それで、あなたたちの役目ないし任務というのは……」
「俺の話は無視かい!」
無視どころか、もっとすごいことをしてくれるリッカさんがそこにはいて、
「お二人には、この世界を救ってもらいます!」
と高々に宣言したのであった。