起 3
土曜は午前四時間授業であるから、下校時刻といってもまだお昼時である。無論、下校するのは休日オフの部活や帰宅部の活動を全うする人間たちで、校庭で野球部の掛け声が聞こえたり、体育館でバレーボール部ないしバドミントン部、バスケットボール部が汗を流していたり、音楽室で吹奏楽部が合奏してもまったく不思議ではない。部活に熱心な方々は、どうぞご自由に部活でエンジョイしてくださいな。……俺と千秋は美術部所属のため帰宅部員ではないのだが、ほぼ幽霊部員化している俺たちは、残念なことに帰宅部といっても差し支えなかった。
一般的には帰宅部という存在は「落ちこぼれ」と思われがちだ。
しかし、浜田千秋の場合は例外だ。家で10時間猛勉強しているという根も葉もない神話が出来ているため、まったく「落ちこぼれ」扱いされないのだ。それに比べて、俺は「落ちこぼれ」か「千秋の金魚のフン」の烙印を押されている。随分と不当な差別だ。でも、千秋がいけないわけではないし、俺が枚挙にいとまのないほど「落ちこぼれ」と言われる資格を所持しているのも事実なわけで、俺に1ナノグラム程度の責任があるのは認めよう。
さて、授業を適当に受けた俺たちは――先生より千秋の説明の方がわかりやすいので、俺はあえて惰眠を貪らせていただいているし、千秋は授業中ずっと読書にふけっているので、結局のところ、二人とも適当なのだ――いよいよ灼熱地獄と太陽光線と悪戦苦闘しながら、帰路の真っ最中である。
それにしても暑い。絶対的には夏本場にとてもかなわないが、相対的には暑いことも確かなもので、温度変化に弱いとても繊細な俺の体を1秒ごとに蝕んでいるのだった。
さらに運の悪いことに、都内のそこそこ有名な進学校であるのが災いしてか、織風高校は規則云々にはやたらと厳しく、5月の15日になるまでは冬服でなくてはいけないらしい。つまりは、絶対に余計と思えるほど分厚く重いブレザーと冬の寒さに耐えるため無駄に保温性の高いズボンを、あと10日ほど着用しなくてはならないのである。俺は空しくもそんな学校への抵抗として、ズボンの裾をまくしあげていた。が、あまり涼しくはならず、むしろ動きにくくなっていた。
「暑いな」
と口に出して、千秋に同意を求めた。同じ気持ちの仲間がいれば、少しは楽になれるかもしれない。
しかし、千秋はことごとく期待を裏切ってくれる。
「そうかな。ちょうど過ごしやすい快適な感じだと思うんだけど」
「千秋、おまえ、この天気で、なお暖かいと言うか!」
唖然とする俺に、千秋は止めの一撃とばかりに、
「ちょっと、待って。正太郎、何か勘違いしてるようだから言っておくけど、『暖かい』なんて僕は一言も言ってないよ」
「まさか涼しいくらいだと?」
「僕と正太郎の『涼しい』という言葉に対する認識が等しいならば、そうなるね」
涼しげな顔で言ってくれる千秋だった。
妙に感情が高まって、なんか余計に暑くなってきたじゃないか。
話題を転換しないと、これは拙いな。
なんか、なんかいいネタはないのか……。
そう思っていると、向こうの方が先に話しかけてきた。
「正太郎ってさ、よくあんな長時間ゲームやってて飽きないね」
馬鹿にするというよりは感心、といったところか。いや、むしろ呆れられてる気がする。まあ、確かに俺は自他ともに認める生粋のゲーマーさ。シューティング、RPG、アドベンチャー、ノベル、アクション、ボードゲームなどなど。大体のジャンルは網羅している自信がある。
ちなみに、帰宅部の俺は家に帰ってやっていることはと言うと、ネットサーフィンとゲームと読書くらいである。あ、ピアノも弾くぞ。まだ、下手の横好きで続けているからな。
「お前こそ、良くそんなに読書して飽きないな」
俺が多少腹を立てて馬鹿にしたような口調でそう言うと、
「正太郎、質問しているのは僕の方だよ。先に君が答えるべきだろう?」
あっさり返されてしまった。
それで、あんまり自然にかわされてしまったものだから、俺はぼそぼそと仕方なく、
「なんでゲーム飽きないかって? そりゃ……楽しいからに決まってるだろ。で、お前の方は?」
途端に目が輝きだす千秋。
「本は知識の宝庫だよ! 過去から現在に至るまで万人が思ったこと、考えたこと、調べたこと、気づいたこと、ああ、なんて素晴らしいんだ。それに比べてゲームは……ゲームは何なんだろうね?」
皮肉っぽく言う千秋に、俺はとてつもない敗北を感じた。せめての抵抗として、絶命寸前の兵士が槍を投げるように悪あがきして、
「夢かな」
すると、「随分とロマンティックだね。正太郎ってそんな人だったっけ?」と千秋はクスクスと笑いだした。チッ。千秋にそのように笑われると、なんだか無性に腹が立つな。
ここは千秋の好きな話題で治めるのが一番だな、と今までの経験でもって悟った俺は、当初まったく予定していなかった提案をした。
「そろそろ、駅に着くけど、どうする? 一緒に駅前の本屋に行くのはどうだ?」
「あれれ? 本屋じゃなくてゲーム店の間違いじゃないの?」
「は? お前の耳はそんなのもわからないのか」
「だってさ、千秋のレゾンデートルってゲームだけじゃん」
おどける千秋に、
「黙れ」
と凄みを利かせると、
「あー、ごめんごめん。ちょっとからかい過ぎたね。うん、そうだね……前から買いたかった本もあるし行ってもいいけれど」
俺の怒りを察知したのか、態度を改めた。
「よし、じゃあそうするか」
こうして、俺たちは本屋へと足を踏みいれたのだった。




