vs酒場のマスター
ここは剣と魔法と魔王と勇者が存在するファンタジー世界。
その中のトアール王国のチュオーウ広場に人だかりができている。この国の王であるトアール王13世からのお触書が記された看板が立てられているようだ。それを読んだ人々は興奮してキャッキャウフフしている。
看板にはこう書かれている。
『強者求む。魔王討伐の報酬として、世界の半分お前にやろう』
……こっちが魔王かな?
国王の倫理観はともかくとして、御触書を読んだ強者達は我先にと準備を始めていた。そのためにはまず酒場に集まる。何故かって?そういうものだから仕方ないのだ。
突然の好景気に嬉しい悲鳴をあげている酒場が多くある中、一軒だけお通夜のように静かな酒場があった。町のはずれの暗がりの脇道を右に左に進んだり戻ったりすると辿り着くその店は『ガンコドリ』という看板が下がっている。
店内に客の姿は無く、マスターと思われるいかにも頑固そうな中年の男がカウンター越しにグラスを磨いていた。磨かれすぎたそのグラスたちは最早摩耗されており、グラスが極限まで薄くなったことで透明感がありすぎるため、飲み物を注ぐとまるで宙に浮いているように見えることから芸術的と言えるだろう。そこに目をつけた王宮の調理人が買い付けに来るほどだ。そんな副収入があるのでこの店は潰れずにいるのだろう。
……どうでもいいか。
カランコロン。
その時だった。来客を知らせる鐘の音が店内に響き渡った。ガンコドリの扉が開かれる時、それはマスターが朝店の中に入る時と帰る時の2回だけのはずだった。扉の上にはその時にだけ寂しい鐘の音が鳴る。それが今、まだ日の高い時分。マスターが絶賛副業中に、鳴るはずの無い鐘が鳴ったのである。流石のマスターも驚いて扉の方をあまりにも速い速度での3度見。俺でなきゃ見逃しちゃうね。
開かずの扉を開けたのは1人の男。暗がりの店内をゆっくりと見渡すと、ふっと一息吐き小さく息を吐くと柔和な笑みを浮かべながらマスターの前の席に静かに座った。
見たところまだ若いようで、20歳前後と言ったところか。快晴の空のような爽やかな青い色の瞳がゆらゆら揺れる蝋燭の光を反射して幻想的ですらある。
そんな不思議な佇まいの青年はマスターのほうに視線を向けると、そのまま一言も喋らずにただ黙りこくっていた。
何故ならそう。彼は人見知りだったのだ。
一度破られた静寂が、謎の緊張感を持ってまた訪れた。男の背中にじんわりと汗が滲んだ。
一方マスターはと言うと、こちらも男をじっと見つめたまま動けないでいた。あまりにも突然で、あまりにも久方ぶりの来客に驚きを隠し切ることができず硬直してしまい、更に青年の独特の雰囲気に呑まれてしまったのが原因だ。
しかし青年とは似ても似つかず、蓄えた口周りのダンディな髭や、持って生まれた相手をにらみつけるような鋭い眼光は、本人の意図はどうあれこの人見知りの青年を委縮させるには十分すぎる効果を発揮していた。
再びの静寂は、緊張感という大鎌をマスターの喉元にピタリと当てて離れない。マスターの額に一筋の冷や汗が流れた。
『くっ…!失敗した!』
持ち前の不思議な雰囲気のおかげか、周りから見たら余裕の笑みを浮かべているように見えるが、当の青年本人は内心激しく焦っていた。
『店に入った時点で人がいないことで安心しすぎた!そうしたら必然的にマスターと二人きりになるに決まっているじゃないか!』
旅立つ前に酒場に集まるのが当たり前だとは言ったが、それは人が集まる場所には様々な情報もまた集まるからである。なので訪れた酒場に人がいないことで安心しているこの青年は、旅立つ前の準備としてここを訪れたわけではないのだろうか。
『くそっ!旅立つ前の最初の一歩がこれじゃあ先が思いやられるよ!』
じゃあ何しに来たんだよお前。
『くぅ…!ぬかったわ!』
一方マスターはと言うと、こちらも表面上ではよく分からないがなんか焦っていた。
『なんたる不覚!久方ぶりの客に驚いたのは認めるが、この道30年のガンコドリマスターことガン・コドオリが一言も発せぬとは!』
店名マスターの名前そのままかい!マスターの情報ばかり増えていくのなんなの? この物語の主人公ってこのマスターなの?
『小僧が席に着いた瞬間、儂は確かに声をかけようと口を開いた!しかし、湿度だ!この店の湿度が低すぎたせいで唇が引っ付いてしまってうまく声を出すことができなんだ!』
知らんがな。
『あぁ、どうしよう……』
こちらも未だに悩み続けている青年。
『そもそも姉さんが勝手に僕の履歴書を送ったのがいけないんだ!』
そんなアイドル事務所に応募するノリで魔王討伐に出る人いるのか。
『えぇい、ままよ!こうなれば儂の唇など!どうとでもなるがよい!』
落ち着くんだマスター。それほど大げさなことにはならない。
しかしこれで遂に、誰も喋らない謎の沈黙が破られることになる。
「…………お客さん」
意を決したマスターは一度深く深呼吸してからゆっくり口を開く。
「……ご注文は?」
発せられた声は低くとも聞き取りやすく、しかしやや枯れてしまっているのはご愛敬。
「あぇ!?あ、えっと……」
マスターの声にはっとした青年はしばらく目を泳がせると、少しうつむいてから改めてマスターに向き合うと、恥ずかしそうに言った。
「じゃあ、ミルクで……」
青年は照れ臭そうに笑い、それを見たマスターも満足気に笑った。その口元から赤いものが一筋ちらりと垂れていたが、二人ともそんなことは気にしない。
マスター自慢のグラスに注がれた真っ白なミルクは、青年の真っ白な旅立ちを祝福するかのように美しく輝いていた。
こうして、町のはずれにある酒場『ガンコドリ』で繰り広げられた、静かながらも激しい攻防戦は引き分けという形で幕を閉じた。
結局この青年の名前すらも明かされることは無かったが、それはまた次の機会にとっておくこととする。その代わりと言ってはなんだが、マスターの人柄を十分に知ることが出来たので無理矢理良しとしようではないか。
果たしてこれからどのような戦いが繰り広げられるのか、生暖かい目で見守っていって欲しい。
続く




