何故視えるのか?聴こえるのか?
なぜ視えるようになったか?
私は元々視える性質ではなかった。
小さい頃は、TVで鬼太郎などを見て友達と、見てみたい!と言っていたものだ。
それが初老を差し掛かる頃に、視るようになるとは皮肉が利いている。
今、幼馴染みに「妖怪視たよ」と言ったら付き合いを切られそうだ。
躁鬱の気が中年期から起こり10年ちょっと。
視だしたのは本当にここ数年の話しなので、それが原因とするには弱い。
環境の変化。
悪い人に掛かり、孤立するようになり精神的にキツイ時期があった。
やっぱり精神か。
幻覚、幻聴で片付く話しではある。
しかし当時私は居場所を失い、よくわからないモノが視えた時、気が紛れたり癒されたりした。
危ないと感じたモノもいたけども、視えたお陰で窮地を凌げたのだから逆に有り難かったんじゃないか、とも思う。
そして状況がましになってきたら、余り視る事は無くなった。
やはり精神的な話しなんだろうか?
当人だけなら話しは済むけども、視る人が2人以上ならそれは在るんじゃないか、と疑えないだろうか?
と、まあ職場のおばさんと「あそこ出ますよね?」と確認が取れたので、幻覚幻聴の域を超えそうと、疑えた訳だ。
これだけ視たにも関わらず、私は半信半疑ではある。
経験から視える条件は、生死の境いがあやふやになる時に起きるんじゃないかと思う。
私はこれだったんだろう、生きる意味を失った(生き死にの状態)、死ぬ一歩手前だったり、病床で視たり、と。
私は視えるようになったし、死の淵の人が視たのも確認した。
善し悪しは置いといて、ただそういうものだと思うだけた。
追記。
伝承のモノ、古い怪異等…かつての古人が視たモノを私も視ている…古人と似通った境遇なのだろうと推察出来る。
しかし、創作、それも近年のモノ、それを知らずに視るとなると、それを視るのは何故か?
人の無意識は奥底で繋がっているという。
であれば、誰かが見聞きした怪談なり怪異らが、その無意識のデータベースに蓄積され、その無意識から私の視神経にその情報が昇り、視えるのではないか?
これぐらいしか説明がつかない。
トンデモ推察になるが。
幻聴幻覚が9割方の解釈だろうけど、それは野暮であると思い考察してみた。
創られ生まれ
意識に怪は有り
それを人は稀に視る




