お迎えまであと10分
午後5時43分。
さちは、そっと時計を見た。
私は、どこにでもいる働くママだ。
20代後半、事務の仕事をしている。
夫と、3歳の娘・はると3人暮らし。
特別なことは何もない。
毎日、仕事をして、保育園に迎えに行って、
夕飯を作って、お風呂に入れて、寝かしつける。
ただ、それを毎日ちゃんとやるのが、
思っているより、ちょっと大変なだけだ。
仕事はもう終わっている。
それでも席を立つタイミングは、いつも少しだけ難しい。
「お先に失礼します」
声は思ったより小さかったけれど、
誰かが顔を上げて、軽く頷いてくれた。
エレベーターに乗り込んで、ようやく息を吐く。
今日も、なんとか終わった。
ビルを出ると、空がオレンジ色だった。
思わず、あ、と小さく声が出る。
夕焼けって、こんな色だったっけ。
毎日見ているはずなのに、ちゃんと見るのは久しぶりな気がする。
スマホを開くと、待ち受けは、はるの笑顔。
少しずつ伸びてきた前髪と、得意げな顔。
――「ママ、みて」
朝、そう言って見せてくれた靴下を思い出して、
自然と口元がゆるむ。
今日は、ちゃんと優しくできるかな。
少しイライラしてしまうかもしれない。
でも、ぎゅっと抱きしめることは、きっとできる。
保育園のお迎えまで、あと10分。
夕焼けが、背中をそっと押してくれる気がして、
さちは少しだけ歩く速度を上げた。




